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保護責任者遺棄致死被告事件
事件番号令和3(わ)299
事件名保護責任者遺棄致死被告事件
裁判年月日令和4年6月17日
法廷名福岡地方裁判所
全文全文
最高裁判所〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号 Map
裁判日:西暦2022-06-17
情報公開日2022-08-25 04:00:10
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令和4年6月17日宣告
令和3年(わ)第299号

保護責任者遺棄致死被告事件
判決主文
被告人を懲役5年に処する
未決勾留日数中300日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、平成31年1月30日から令和2年3月25日までの間、福岡県糟屋郡a町大字bc番地deにおいて、同日以降、同県糟屋郡a町大字bf番地ghにおいて、三男であるA(平成▲年▲月▲日生)ら3人の子供を一人で養育していたもの、分離前の相被告人Xは、かねて被告人に対し、虚言を重ねて、食事を含めた被告人及びその子供らの生活全般を実質的に支配していたものであるが、被告人は、
前記Xと共謀の上、令和元年8月頃から、被告人の子供らの食事の量及び回数を減らすなどした上、同年10月頃以降、日中一人で留守番をするよう言い付けた前記Aが家の外に出たり勝手に食べ物を食べたりした
『罰』
と称して、
多数回にわたり、
連続して数日間同児に食事を一切与えなかったことなどにより、同児が徐々に痩せ細り、遅くとも令和2年3月下旬頃には、同児が重度の低栄養状態になっていたのであるから、被告人において同児に十分な食事を与えその生存に必要な保護をすべき責任があったにもかかわらず、その頃から同年4月18日午前中までの間、引き続き同児に十分な食事を与えず、よって、同日午後10時頃、前記hの被告人方において、同児(当時5歳)を飢餓死させた。
(量刑の理由)
1
本件犯行に至る経緯等は、次のとおりである。


被告人は、平成20年に婚姻し、その後、平成21年から平成26年にかけて三児に恵まれて、専業主婦としてa町内のマイホームで家族5人で生活していた。近隣には被告人の母や姉も居住していて、夫も含め円満な家族関係の中で経済的にも不自由のない生活を送り、被害者を含む3人の子も愛情深く養育していた。


被告人は、X(以下共犯者という。
)と平成28年4月頃ママ友とし
て知り合い、親交を深めていたところ、平成30年5月頃、共犯者から、被告人や共犯者が他のママ友の悪口を言ったなどとしてそのママ友から裁判を起こされそうになったが、暴力団組織を背景に持つボスと呼ばれる女性が介入してくれたため、被告人や共犯者が50万円ずつ支払う旨の示談が成立したなどという嘘を吹き込まれ、示談金として50万円を共犯者に支払った。その後も、被告人は、ボスが金を取り戻すためママ友に対する裁判を提起してくれるが、裁判で勝つためには贅沢な生活をしてはならない、裁判の内容について家族も含め誰にも話してはいけないなどの条件を守らなければならず、これに違反すると罰金が科せられ、勝訴しても金を手に入れることができないとか、条件に違反していないかを監視するため被告人の周辺には多数のスパイが配置され、被告人方の隣家に監視カメラが設置されているとか、多数のママ友が参加するグループラインが作られ、そこでも被告人が監視されたり、悪口を言われたりしているといった共犯者の嘘を信じ、罰金等として多額の現金を共犯者に支払っていた。



また、被告人は、共犯者から、ボスの調査により被告人の夫が浮気をしていることが分かった、夫は被告人の母や姉とも肉体関係があるなどという嘘を吹き込まれて、これを信じ、母や姉との関係を絶ったり、平成31年1月末頃夫に転居先を告げずに子供3人を連れてa町内のアパートに引っ越した上、令和元年5月離婚したりするなど、徐々に家族や友人らとの人間関係が遮断されていった。



以後、
被告人は、
3人の子供を一人で養育するようになったが、
共犯者から、
ボスが裁判費用や調査費用等を立て替えてくれており、家が一軒建つほどの高額になっているなどと告げられて、被告人の給与や生活保護費、各種手当など収入の全部をボスへの返済等の名目で共犯者に渡すようになった結果、被告人らの生活は、食事を含めその全般が共犯者に頼らざるを得ないものとなっていった。


被告人は、徐々に生活が困窮していく中、共犯者から、ボスが弁護士に依頼して被告人の元夫に対する慰謝料請求の裁判を起こそうと言ってくれている、勝訴すればまとまった額の金銭を手に入れられる、裁判で勝訴するためには、被告人の家族が共犯者から提供される食事のみで生活するなど清貧な生活を送っていることや、母子家庭であっても子供を厳しくしつけられるところを裁判所に見せなければならない、その様子を裁判所に報告するため被告人方にはボスによって多数箇所に監視カメラが付けられているなどといった嘘を告げられて、これを信じ、共犯者が提供する食料のみで被告人や子供らの食事を賄い、家族間での食事量の分配も共犯者の指示に従い、第三者から差し入れを受けるなどした食料は全て共犯者に報告した上、共犯者に渡したり、処分するなどした。
令和元年8月頃、被告人方のガス供給が料金不払いによって停止され、共犯者が被告人方に提供する食料が共犯者の手料理となったが、提供される食事量と回数がこれまでより大幅に減ることとなり、子供らの体重が減少し始めた。


さらに、共犯者は、令和元年10月頃から、被告人の不在中、被害者が言いつけを守らずに家の外に出ていたのが監視カメラに映っていたなどとして、被害者に罵声を浴びせるようになり、被害者をクローゼットに閉じ込めて生活させたり、罰として食事抜きを指示したりするようになった。被告人は、こうした共犯者の行為は虐待だと認識していたものの、共犯者やその背後にいるボスの機嫌を損ねると、共犯者らの目が子供らに向いてしまうとか、共犯者から食料をもらえなくなったり、元夫に対する裁判でボスの協力を得られなくなったり、ボスから巨額の立替金の一括返済を迫られたりして、ますます一家が困窮してしまうなどと考えて、その指示に従っていた。
a町役場は、同年11月頃、被告人の子供らを要保護児童として把握し、児童相談所等の関係機関と連携を取りながら、被告人に被害者の体重減少を懸念している旨伝えたり、被告人方を訪問して接触を試みたりしたが、共犯者が割って入ったり、公的機関の職員らを追い返さなければボスや共犯者の機嫌を損ねるなどと考えた被告人が拒絶するなどしたため、被害者の状況を把握することができないまま推移した。


このような生活が令和2年3月まで続き、被害者は、自宅にある食料を盗み食いした罰などとして、
同月には、
最大10日間連続で食事抜きとされるなど、
食事を一切食べられない日が19日間あり、食事を与えられた日も必要な量を大幅に下回るものしか与えられず、遅くとも同年3月下旬頃までには重度の低栄養状態に陥った。
被害者の体重は、被告人らが夫と別れてアパートに転居する直前の平成31年1月28日の時点では同年齢の平均体重とほぼ変わらない16.5キログラムであったが、令和元年10月23日には14.6キログラムに減少した。その後、令和2年3月下旬には、健常な時期の体重の65パーセントを下回る10.725キログラムまで更に減少していたと推定されている。
被告人も、十分な食事を摂ることができず体重が減少するなどした上、被害者が盗み食いをしないように一晩中見張ることを共犯者に指示され、睡眠を十分に取ることもできていなかった。



共犯者は、令和2年4月頃、突然、被告人方への食料の提供をやめるなどと言い出し、被告人ら家族はますます食料を手に入れることができなくなった。被害者は、同月中も、1日に少量の食事を1食だけしか与えられないなど、必要な量には程遠い食事しか与えられなかった。
被害者は、同年3月下旬以降、極度に痩せて、元気なくじっとしていることの多い状態にあったことに加え、被告人に、繰り返し激しい頭痛を訴えたり、体を硬直させたり、頭をふらふらさせたり、病院に行きたいと言ったりしたこともあったが、被告人は、従前から共犯者に警察や病院に行くとボスに迷惑がかかるなどと言われていたこともあり、被害者を病院に連れていくことはなかった。
他方で、被告人は、共犯者の指示に反して、共犯者方を訪れ、食料の提供を懇願したり、
同年4月頃から、
自身のスマートフォン内に、
共犯者について
恩着せがましい嘘つきなどと非難する内容のメモを残したりしていた。、


被害者は、本件犯行により、令和2年4月18日、飢餓死した。
被害者の体にはほとんど脂肪が残っておらず、極度のるい痩状態に陥っていた上、臓器が大きく委縮するなどしていた。死亡時点での被害者の体重は、10.2キログラムであり、同年齢の児童の平均体重の半分程度しかなかった。
2
以上のとおり、被害者は、令和元年8月頃から食事の量と回数が減らされ、同年10月頃からは『罰』などとしてたびたび食事を抜かれるようになり、令和2年3月には大半の日で食事を抜かれ、同月下旬頃には体重が大幅に減り重度の低栄養状態に陥っていたところ、更に約3週間余り、必要な量には程遠い食事しか与えられなかった。食事が人間の生存にとって必要不可欠なものであることは言うまでもなく、被害者に長期間飢えの苦しみを与えた本件犯行の態様は、余りにもむごいものといえる。
もとより、被害者のかけがえのない命が失われたという結果は、取り返しのつかない重大なものである。被害者の体には脂肪がほとんど残っておらず、内臓も大きく萎縮するなどしており、その肉体的苦痛は想像を絶し、本能的な欲求が満たされず、本来頼るべき母親から十分な保護を与えられなかった被害者の辛く悲しい気持ちも計り知れない。
このように、本件犯行の客観面は、相当悪質な部類に属する。

3
もっとも、本件犯行に至る経緯をみると、被告人は、被害者に十分な食事を与えないことが本意なわけではなく、共犯者の嘘にだまされて、手元の金をすべて巻き上げられ、共犯者に依存しなければ食料も手に入れられない状況に陥っていた上、家族らとの人間関係も遮断されて、共犯者のほかには身近に信頼できる者もなく、令和2年3月下旬以降は、自らも食事や睡眠が相当不足している状況にあり、判断能力も低下していた中、共犯者の指示に従わざるを得ないと考えて本件犯行に及んだものと認められる。しかも、被告人は、共犯者の機嫌をうかがいながら、許される範囲で被害者に食事を与え、不十分ながらもその責任を果たそうとしていたのであるから、自らの楽しみを優先させて子供を虐待したり放置したりした事案などとは責任非難の度合いが全く異なるものといえる。被告人が共犯者から数々の嘘によって経済的に搾取され、心理的にも支配されて、生活全般を共犯者から実質的に支配されていた被害者としての側面があり、これが被告人が本件犯行に及んだ主な要因となっていたことからすると、本件犯行における被告人の意思決定を強く非難することはできない。
この点、検察官は、被告人が被害者の命より共犯者との関係維持や元夫への慰謝料請求裁判に勝つことを優先させたと指摘し、強い非難が及ぶべきであると主張するが、本件犯行当時の被告人の置かれた状況に照らせば、共犯者から食料が提供されなくなることなどを危惧してその指示に従わざるを得ないと判断した心情や、困窮する生活から脱却するため裁判に勝訴することに一縷の望みを託した心情は、相応に理解できるのであって、検察官の見方に与することはできない。しかし、子供に十分な食事を与えることは同居親として絶対に果たさなければならない本質的かつ基本的な責任である。まして、被告人は、本件犯行当時被害者が、長期間にわたって極めて不十分な食事しか与えられず、異常に痩せ細っていたことや、繰り返し激しい頭痛を訴えるなど体調不良に陥っていたことを明確に認識していた上、自身のスマートフォン内に共犯者に対する不満を記すなど、自分で考えたり判断したりする能力は残されており、共犯者が被害者に罵声を浴びせたり、食事を抜いたりすることが虐待だと認識していたというのである。こうした事情に照らすと、当時、子供らと一緒に生活したいという気持ちが強く、共犯者の指示に背くことが困難な状況にあったことを踏まえてもなお、被告人には、親族に助けを求めるなどして被害者に十分な食事を与えるという生命・身体を保護する行動を取ることが期待可能であったとみるべきであり、その責任を果たせなかったことについてはやはり一定の非難を免れない。
4
以上によれば、本件は、子に対する保護責任者遺棄致死事件の中で、極めて重い部類のものとはいえないが、執行猶予を付するほど軽い事案ということはできない。

5
その上で一般情状についてみると、被告人が本件犯行を認めて、深い反省や悔悟の態度を示していること、自らの行為の結果とはいえ、大事な我が子を失い、実名で全国報道がされるなど一定の社会的制裁を受けていること、情状証人として出廷した被告人の母が今後の被告人の支援を誓っていることなど、被告人の社会復帰のために酌むべき事情が認められる。
そこで、これらの事情も考慮し、被告人には主文の刑を科すのが相当であると判断した。

(求刑

懲役10年)
福岡地方裁判所第2刑事部
裁判長裁判官

冨田

敦志

裁判官

辛島

靖崇

裁判官

加々美


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