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国家賠償請求事件
事件番号平成30(ワ)2193
事件名国家賠償請求事件
裁判年月日令和4年4月15日
法廷名さいたま地方裁判所
全文全文
最高裁判所〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号 Map
裁判日:西暦2022-04-15
情報公開日2022-05-17 04:00:08
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令和4年4月15日判決言渡

同日原本領収

平成30年(ワ)第2193号
口頭弁論終結日

裁判所書記官

国家賠償請求事件

令和4年1月28日
判主決文1
原告の請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由

第1
1
請求
被告は、原告に対し、6443万4741円及びこれに対する平成27年9月16日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。
2
仮執行宣言

第2

事案の概要
本件は、ペルー国籍を有する外国人であるAが、平成27年9月14日から
同月16日にかけて、埼玉県熊谷市内において、連続して敢行した3件の強盗殺人等事件(被害者合計6名)のうち、同月16日、自宅にいた原告の妻及び娘2人を殺害した事件(以下本件事件という。)について、原告が、被告の管理運営する埼玉県警察が適時に必要な犯罪情報を提供すべき職務上の注意義務があるのにこれを怠ったことにより(以下本件不作為という。)、上
記被害を受けた等と主張して、被告に対し、国家賠償法(以下国賠法という。)1条1項に基づき、主位的には、原告の妻及び娘の死亡による損害(原告固有の損害及び原告が請求権を相続した損害)合計2億1478万2472円の一部請求(3割相当額)として、予備的には、本件不作為によって、本件事件の被害を招来したことに高度の蓋然性がないとしても、相当程度の可能性
があったと主張して、上記損害の3割に相当する額を全部請求として、6443万4741円及びこれに対する同月16日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1
前提事実
以下の各事実は、いずれも当事者間に争いがないか、後掲証拠(〔〕内の数
字は当該証拠の関係頁番号である。)又は弁論の全趣旨により容易に認定できる事実である。


当事者(争いがない。)

原告は、本件事件の被害者であるBの夫であり、同じく本件事件の被害者であるC及びD(以下、それぞれC、Dといい、Bと併せてBらという。)は、いずれも原告及びB夫婦の子である。

被告は、埼玉県警察を設置する地方公共団体である。
Eは、
本件当時、
本件事件の発生地を管轄する埼玉県警察熊谷警察署
(以
下熊谷署という。)署長として、Fは、同署刑事課長代理として、Gは、埼玉県警察本部刑事部長として、Hは、埼玉県警察本部刑事部捜査一課長として、いずれも本件事件の捜査に携わった(以下、それぞれ当時の
役職に従い、E署長、F課長代理、G刑事部長及びH捜査一課長という。また、以下では、警察組織を指すだけでなく、埼玉県警察に所属し又は所属していた警察官を総称して
埼玉県警
ともいう。。


Aの熊谷署への同行と立去り(甲2の1〔4〕、甲3の1〔1〕)Aは、平成27年9月13日(以下、同年の出来事については月日のみで示す。)午後1時頃、熊谷市a番地b所在のI方の玄関先に立っているところをIに見つかり、同人から連絡を受けた隣接する消防署分署の職員に事情を聴かれた後、同日午後2時20分頃、同消防職員から通報を受けて、最寄りの交番勤務の警察官2名によって、埼玉県熊谷市c番地d所在の熊谷署へ
連れて行かれた。
Aは、熊谷署の応接室において、事情聴取を受けるなどしていたが、同日午後3時30分頃、
同署正面玄関を出たすぐ近くにある喫煙所で喫煙した後、
署内に戻る途中、財布やパスポートなどの所持品を残したまま、突如、走り去って行方をくらました。


侵入事件の発生

Aは、同日午後5時頃、熊谷市e番地f所在のJ方の敷地内にある物置に侵入したところをJに発見された。Jが自宅にいた妻に対し、直ぐに警察に電話するよう指示したところ、Aは、その隙にJ方から逃走した(以下第1侵入事件という。)。


Aは、同日午後5時30分頃、同市g番地h所在のK方の前で、Kに対し、「カネ、カネ」と金銭を要求したが、Kがこれを断るとその場を去っ
た。ところが、すぐにKは、K方の2軒隣の敷地内にAが立ち入っているのを見つけ、同日午後5時32分、110番通報した。その後、Kは、Aが再びK方敷地内に立ち入ってきて、駐車した自動車の車内を覗いていたので、声を掛けると、Aはその場から逃走した(以下第2侵入事件といい、第1侵入事件と併せて各侵入事件という。)。



殺人事件の発生(争いがない。)

Aは、同月14日、同市i町j番地所在のL方(以下L方という。)に侵入し、L及びその妻であるM(以下L及びMといい、両名を
併せて
L夫妻
という。を殺害して逃走した

(以下
L事件
という。。



Aは、同月15日午後3時32分頃から同月16日午後3時10分頃までの間に、同市k番地所在のN方に侵入し、同人を殺害して逃走した(以下N事件という。)。
本件事件の発生(争いがない。)
Aは、同日午前7時20分頃から同日午後5時27分頃までの間のN事件
の後、原告肩書住所地所在の原告方に侵入し、Bらを殺害した。当時、Bは41歳、Cは10歳、Dは7歳であった。
相続(甲1の1から1の4まで)
原告は、Bらの死亡により、Bの権利義務を3分の2の割合で、また、C及びDの権利義務全部を相続により承継した。
刑事裁判の状況
Aは、平成30年3月9日、さいたま地方裁判所で、強盗殺人罪などによ
り死刑判決を受けたが、これを不服として控訴を申し立て、令和元年12月5日、東京高等裁判所が、Aを心神耗弱者であったと判断し、原判決を破棄して、無期懲役判決を言い渡し、これが確定した(原告本人〔12〕、弁論の
全趣旨)

2
争点
本件の争点は、埼玉県警がL事件の発生後、原告及びBらを含む地域住民に対して、必要な犯罪情報を提供する職務上の注意義務を怠った(本件不作為)違法があるか(争点1)
、埼玉県警の本件不作為と本件事件(Bらの死亡)との
因果関係の有無(争点2)
、被告が賠償すべき原告の損害額(争点3)である。
争点1については、埼玉県警は、9月15日正午までに、住民に対し、L事
件の発生及び犯人未逮捕の情報のみならず、同月13日に外国人(A)が熊谷署から逃走した事実及び当該外国人が住居侵入事件を惹起した事実とともに、戸締りの徹底や外出の自粛等を促す内容の情報提供をする法的義務があったか否かが争われており、その前提として、9月15日正午までに、埼玉県警がL事件の犯人がAであると特定できたか否か及び同種犯罪が繰り返されることを
認識できたか否かが問題とされている。
争点2では、原告は、埼玉県警の上記の情報提供によって、本件事件の被害を回避できる高度の蓋然性がないとしても、相当程度の可能性があったと主張して、これを予備的請求原因としている。
3
争点に関する当事者の主張


争点1(埼玉県警の義務違反)について
(原告の主張)

埼玉県警が行うべき広報の内容及び方法
判断枠組み
警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予
防のため関係者に必要な警告を発することができる(警察官職務執行法(以下警職法という。)5条)。この警告を発するか否か、どのような内容・方法で警告を発するかについては、一定の範囲内で警察官に裁量が与えられているが、犯罪等の加害行為がまさに行われ又は行われる具体的な危険が切迫しており(危険の切迫性)、警察官においてその
ような状況であることを知り又は容易に知ることができ(危険の切迫性の認識可能性)、警察が前記危険を除去するため警察権を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能であり
(結果回避可能性)

かつ、その行使が容易であるような場合(権限行使の容易性)には、警察官に必要な警告
(情報提供)
を発する義務が生じるというべきである。

主位的主張
次のイからオまでで述べるところによれば、埼玉県警は、遅くとも9月15日正午の時点で、原告(なお、原告は、被告が法的義務を負う相手を原告としているが、その趣旨は、原告のみならず、家族であるBらを含めるものと解する。に対し、

①同月14日に強盗殺人事件
(L事件)

が起き、夫婦が殺害されたこと、②その発生の前日、住居侵入事件(I方)の通報を受けた外国人が熊谷署に任意同行されたが逃走を許し、行方不明であること、③その直後に付近で各侵入事件が発生し、逃走した外国人が犯人である可能性が高いこと、
④その外国人が強盗殺人事件
(L
事件)の参考人として全国に手配され、犯人である可能性が高いこと、
⑤その逃走した外国人はいまだ付近に潜んでいる可能性が高いことを知らせるため、
原告をはじめとする周辺住民を対象に、
9月13日から翌14日にかけて、この付近で複数の住居侵入事件・強盗殺人事件(ないし殺人事件)が連続して発生しました。その犯人とも思われる外国人が、現在も熊谷警察署から逃走中で、未だ付近に潜んでいる可能性があります。戸締りをしっかり確認し、不要不急の外出を控えてください。という内容の情報提供と防犯の呼び掛けを、熊谷市役所及び教育委員会への通知、防災無線によるアナウンスの要請、パトカーの巡回によるアナウンスの方法により、
繰り返し告知すべき職務上の注意義務を負っていた。
L事件が発生したとの事実のみを告知したのでは、周辺住民は、同事件を親族間の犯行や恨みによる犯行と捉え、自分とは無関係の事件と捉
える可能性があるから、防犯のための情報提供としては不十分である。外国人が警察署から逃走したことや、その者が住居侵入事件や殺人事件を起こしたという情報を提供してこそ、住民が危機感を覚え、自ら身を守る行動をとることに繋がるものである。この点、警察庁刑事局企画課長が各都道府県警察本部長宛に発出した平成26年2月27日付け地域住民等に対する防犯情報の提供の推進について(通達)(甲24の1。以下平成26年通達という。)では、地域住民等に対する防犯情報の提供については、受け手の立場に立った情報発信を基本とし、地域住民等が積極的に防犯対策を講じる契機になり得るものであることが必要であるとしているが、前記内容での情報提供は、同通達の要請に整
合するものである。
また、情報提供の方法としては、市役所等への通知や報道機関への広報だけでなく、L事件の現場周辺の原告をはじめとする住民を対象として、防災無線やパトカーの巡回によるアナウンスを行う必要があった。すなわち、平成26年通達によれば、特異な手口による事案や、連続発
生している事案等のうち、
隣接地域に波及が予測されるものについては、
隣接地域の地域住民等の先制的な自主防犯行動の観点から、積極的な提供に努めることとされている。そして、L事件が特異な事案であることは明らかであるから、L方の隣接地域の住民である原告が先制的に自主防犯行動を執れるように積極的な情報提供に努めるべきであった。予備的主張
埼玉県警は、
平成27年9月14日に殺人事件が発生しました。まだ犯人は捕まっていません。凶器を保持したまま、逃げている可能性があります。この殺人事件について事情を知っていると思われる外国人が13日、熊谷警察署から立ち去り、その後に外国人による住居侵入事件が発生し、まだ見つかっていません。戸締りをしっかりと確認し、不要不急の外出を控えてくださいという趣旨の告知すべき義務があり、
同月15日午

前中から準備を始めて、
同日昼頃までには、
熊谷市役所及び教育委員会へ
の通知、
地域住民に対する防災無線によるアナウンスの要請、
パトカー巡
回によるアナウンスをそれぞれ実施し、同日午後の記者会見時には報道機関への広報により、上記内容を伝えるようにすべきであった。

危険の切迫性があったことについて
前記の義務を発生させる根拠となる危険の切迫性については、本件事件が発生する危険の切迫性ではなく、熊谷署から逃走した外国人(A)によって、殺人事件等の同種凶悪犯罪が連続して発生する危険の切迫性である。

Aは、9月13日、Iに対し、「カネ、カネ」と告げて金を要求するなど、金銭的に困窮した様子があり、Iから相談を受けて対応した消防職員にも不審な行動を示していたので、不審者として警察に通報されて引き渡されたものである。そして、Aは、熊谷署において、姉と電話しながら突然泣き出して激しく取り乱し、トイレで突然頭を抱え込んで泣
き出すなどの異常な行動を示し、さらには、財布、携帯電話及びパスポート等の所持品をすべて残したまま、突如として、高さ50cmほどの植込みを飛び越えて4車線の国道を突っ切るように渡って、熊谷署から走り去っている。
このようなAの異常な言動からは、犯罪を含む危険行為への関与や計画が推認されるだけでなく、所持品を持たずに警察署を立ち去ったことで、
犯罪を含む何らかのトラブルを引き起こすおそれがあったといえる。
その後、Aは、熊谷署近辺で立て続けに各侵入事件を起こしたが、その態様は、家人に向かって金銭を要求したり、複数の住居の敷地内に侵入したりするなど、I方侵入時に比べてエスカレートしていた。
そして、Aは、前記各侵入事件の翌14日、L事件の犯行に及び、凶器を持ってその場から逃走した。

このように、Aが異常な言動を示しながら、犯罪を重ねていること、所持品を持たずに警察署を立ち去ったこと、その犯行態様は徐々にエスカレートしていること、凶器を持って逃走していることからすれば、遅くともL事件の翌日である同月15日正午の時点では、L方付近で、同様の凶悪事件が発生する具体的な危険性が切迫していたというべきで
ある。

危険の切迫性の認識可能性があったことについて
熊谷署から逃走する前のAの言動の異常さからすれば、熊谷署警察官において、逃走したAが何らかの犯罪行為に及ぶ危険を認識し得たもの
といえる。実際に、熊谷署警察官は、Aの逃走を受け、当日は日曜日で当直体制であったにもかかわらず、当初は7名体制で捜索を開始し、その後捜索人員を20名に増員した上、警察犬を出動させてAの捜索を行っている。また、Aの姉に対し、所在が判ったら連絡するよう依頼したり、同人宅に署員を派遣したりするなどして、大掛かりな探索活動を行
っていた。これらのことからすると、熊谷署警察官は、Aの逃走直後から、Aが何らかの事件を起こす可能性を念頭に置いて捜索を行っていたことが明らかである。
そして、
各侵入事件は、
Aが熊谷署を立ち去ってから約2時間以内に、
熊谷署から約500m離れたJ方及びそこから約270m離れたK方で発生しており、JとKからは、それぞれ犯人が外国人であり、金銭を要求するような言動があった旨の通報を受けていた。このような情報に接していれば、熊谷署警察官は、当然にAが各侵入事件の犯人であると強く疑うことができたはずである。
その後、同月14日にL事件が発生し、埼玉県警は、これを同日午後6時5分に認知した。そして、現場にアルファベット様の血文字が残さ
れていたこと、
同月15日午前零時45分頃に、
L事件発生時刻前後に、
L方敷地(ないし付近)から中東系の外国人が運転する車両が出てきたとの目撃情報が寄せられたことからすれば、埼玉県警は、L事件の犯人がAであると疑うことができたはずである。
現に埼玉県警は、血文字がAの母国語であるスペイン語かどうか判断
させるなどしており、Aを含む外国人による犯行の可能性を視野に入れて捜査に進め、前記目撃情報が寄せられた約1時間後に、AをL事件の参考人として全国手配した。
これらの捜査状況からすれば、この時点で、埼玉県警は、L事件の犯人がAであることを強く疑っていたと考えられる。

そして、同月15日午前中には、Jに対する写真面割捜査により、第1侵入事件の犯人がAと特定されており、Aは、同月13日の異常な行動後、各侵入事件を起こしたことが判明し、かつ、同月14日にはL事件に及んで、凶器を持って逃走したことが疑われた状況にあった。これらのことからすれば、埼玉県警は、遅くとも面割捜査を実施した
同月15日午前の時点で、AがL事件と同様の凶悪犯罪に及ぶ可能性を認識することができたはずである。
現に埼玉県警は、同月15日午後2時40分に、第1侵入事件を被疑事実とするAの逮捕状を請求しているのであるから、Aを身柄拘束する必要があるだけの危険性を認めていたといえる。
これに対し、被告は、通り魔事件と異なり、屋内での殺人事件の場合は、1件発生しただけでは連続発生の可能性を認識できず、L事件の発
生をもって、
同種犯罪の発生を予見することはできなかったと主張する。
しかし、埼玉県警がその当時、教育委員会を通じて近隣の小学校に対し登下校の見守りを行うよう指示を発したことからすれば、被告がAによる同種犯罪の連続発生の可能性を念頭においていたことは明らかである。また、仮に埼玉県警に連続発生の可能性に関する認識がなかったとし
ても、警察庁刑事局長が各都道府県警察本部長に宛てて発出した平成27年10月29日付け連続発生のおそれのある重要凶悪事件への対応の強化等について(通達)(甲24の2。以下平成27年10月通達という。)によれば、重要凶悪事件を認知した際は、事件が連続発生する可能性を常に考慮するものとされており、この考え方は、本件当
時も同様に全国の警察の共通見解であった。そうすると、屋内での殺人事件1件のみでは連続発生の可能性を認識できないという見解が仮に存在するとしても、それは埼玉県警独自の見解というほかなく、少なくとも全国的な水準に照らせば、Aによる同種犯罪の連続発生について認識することができたというべきである。


権限行使の容易性及び結果回避可能性について
埼玉県警が、熊谷市に要請して防災無線を使った情報提供を行うことや、
市内にパトカーを巡回させてアナウンスを行うことは容易であった。被告は、本件以前に防犯に関する情報提供のために防災無線を使用した
例がなかったと主張するが、それは熊谷署の従前の防犯に関する情報提供が不十分であったことを意味しているにすぎない。そして、警察犬による捜索から、Aが原告方の近くまで来ていた状況を踏まえ、V地区などを重点的にして、被告が前記ア

記載のとおりの情報提供を行ってい

れば、防犯意識が高かったBらが適切な防犯行動を執ることで、高度の蓋然性をもって、本件事件の被害を回避することができた可能性があったといえる。

仮に高度の蓋然性が認められない場合であっても、上記の情報提供を行っていれば、本件事件の被害を回避することができた可能性が相当程度あり、少なくとも3割程度の可能性があったというべきであるから、被告は、その限度で損害賠償責任を免れない。
これに対し、被告は、住民に過度の不安を与えないという観点から、
必要以上の情報提供を行うべきではないと主張するが、平成26年通達に、情報提供に際し住民の不安感をあおらないように留意すべき旨の言及はないから、被告の独自の見解にすぎない。

まとめ
以上のとおり、埼玉県警は、L事件を起こして逃走したAがL方付近で
更なる凶悪犯罪に及ぶことを認識し又は容易に認識することができたにもかかわらず、前々日に熊谷署からAを逃がしたという不祥事を隠蔽するため、住民が身を守るために必要な情報提供を怠ったものである。これに加え、犯罪被害者の権利、利益の重要性を踏まえると、埼玉県警による本件不作為が、著しく不合理であることは明らかであり、国賠法上違法であ
る。
(被告の主張)

本件事件が発生する具体的な危険の切迫性はなかったこと
ここでいう危険の切迫性とは、本件事件の発生、すなわちBらの生命及
び身体に対する危険の切迫性をいうと解すべきところ、9月15日午前中の時点で、本件事件が発生する危険は切迫していない。
すなわち、同月13日のAによるI方への立入りについては、I方の玄関先に立っていたにすぎず、被害申告もされていないこと、Aは、対応した消防職員や警察官に身元を明らかにし、在留資格もあったこと、各侵入事件についても、住居内ではなく敷地内に立ち入っただけで、第1侵入事件では物置へ侵入したが、Jから声を掛けられると素直に敷地外へ出てお
り、いずれも暴行や脅迫を伴うものではなく、財産的被害もなかった。他方、住居内に侵入し、凶器を用いて2名を殺害したL事件は、極めて凶悪な犯行であり、Aのそれまでの住居侵入と関連付けて一連のものと評価するにはあまりにも飛躍がありすぎる。さらに、Aは、L事件の後、コンビニエンスストアを訪れて商品を購入しようとしたが、何もせずに立ち
去っており、凶悪性がエスカレートしていたとはいえない。
このようなAの行動は、誰も予測できなかったものであって、Aの刑事裁判が終わった現在でも、なおその動機が不明である。そうすると、本件事件が発生する危険性がどの時点で生じたかも判断することが困難であり、少なくとも9月15日正午の時点で、Aが再び殺人事件に及ぶ具体的
な危険が切迫していたということはできない。

危険の切迫性の認識可能性がなかったこと
前記のとおり、本件事件が発生する危険性がいつ生じたかが不明である以上、埼玉県警がこれを9月15日正午の時点で認識することができ
たとはいえない。
これを措くとしても、埼玉県警が同時点までにL事件の犯人に結び付く可能性のある情報として把握していたのは、L事件の現場にアルファベット様の血痕が残されていたこと、L事件発生時刻前後にL方付近から外国人の運転する車両が出てきたという目撃情報の2点にすぎない。
そして、前者については、そもそも解読することができておらず、外国文字なのかどうかさえ不明な状況であり(なお、ペルーの公用語であるスペイン語でないことはその時点で判明していた。)、外国人の目撃情報についても、L方付近から出てきたという情報のみで、L方から出てきたか否かは、その時点で明らかでなかったことに加え、熊谷市には当時約2700名の外国人が生活しており、その目撃情報から直ちに県外在住のAがL事件の犯人であると想定することは不可能であった。以上のとおり、同月15日正午の時点において、埼玉県警がL事件の犯人がAであると想定することは不可能であり、ましてや、Aが再び同種の凶悪犯罪に及ぶことを想定することは到底不可能であった。
これに対し、原告は、血文字及び目撃情報に加え、Aが9月13日に
熊谷署から逃走し、その直後に付近で外国人による各侵入事件が立て続けに発生したことからすれば、L事件の犯人がAであると想定することができたと主張する。
しかし、Aは、熊谷署に連れて行かれた際、在留カードやパスポートを提示し、警察官が姉と電話で話をすることにも素直に応じていたので
あって、何らかの違法行為に関与したことをうかがわせるような言動は見られなかった。
したがって、
Aが熊谷署から立ち去ったことをもって、
犯罪行為への関与を予見することは不可能である。
また、各侵入事件については、当時の情報から直ちにAによるものと想定することはできないし、いずれも軽微な敷地立入り事案であって、
当初は被害申告もなかったから、L事件と同一人物による犯行と考えることは不可能である。
原告は、埼玉県警が同月15日未明にAを参考人として全国手配をしたことや、同日午後にAの逮捕状を請求していることから、同日正午の時点で、埼玉県警は、AがL事件の犯人である可能性を認識していたと
主張する。しかし、全国手配は、あくまで警察内部の手配であって、所在捜査程度の意味合いしかなく、事件当時のAの足取りを確認することで、L事件との関連性を判断しようとしたものであり、AがL事件に関与しているとの疑いがあって行ったものではない。逮捕状を請求した理由も、参考人として全国手配したが連絡がなく、もし連絡があったとしてもAが事情聴取に応じずに立ち去ることがあり得たので、任意同行の際の説得材料として使用できると判断したものである。そもそも、逮捕
状に係る被疑事実は第1侵入事件であり、L事件の被疑者として逮捕状を請求したものではないから、埼玉県警がAをL事件の犯人と考えていたことの根拠にはならない。

権限行使の容易性がないこと
前記のとおり、同月15日正午の時点で、埼玉県警は、限られた情報を得ていただけで、各侵入事件の犯人とL事件の犯人が同一であること、その犯人がAであること、付近に犯人が潜んでいることなど、原告が主張するような情報提供を行うだけの情報を有していなかった。このように確実な情報を得ていない段階で、原告が主張するような情報提供を行えば、一
般市民の不安を殊更に煽るだけでなく、Aの名誉を棄損し、ひいては外国人一般に対する偏見や人種差別を惹起するおそれすらある。したがって、原告の主張する内容の情報提供を行うことが容易であったとはいえない。また、
原告は、
防災無線やパトカーを使用すべきであったと主張するが、
防災無線による広報の要否やその内容、広報を行う時期は、熊谷市が判断
するものであり、情報提供の手段として容易に使用することができたとはいえない。そもそも、本件当時、防災無線は災害等に関する情報提供を行うためのものと考えられており、殺人事件に関する情報提供のために使用するとの考えは一般的でなく、この点からも、防災無線を使用することが容易であったとはいえない。さらに、パトカーを使用すれば、その分、捜
査に当たる車両や人員が減ることになり、犯人検挙が遅れることは明白であるから、これを使用することが容易であったとはいえない。

結果回避可能性がないこと
原告は、前記のとおり、埼玉県警が行った教育委員会に対する通知や報道機関への広報に加えて、防災無線やパトカーの巡回による情報提供を行うべきであったと主張する。しかし、これらの方法による情報提供は、限定された場所にしか行うことができず、かつ、一過性のものであるから、
関心がない者には有効な情報伝達手段ではなく、報道機関を通じたテレビ番組等による情報提供に比べて、迅速性に劣ることは明らかである。また、埼玉県警は、報道機関への必要な広報や、教育委員会を通じた小中学校への情報提供を行っており、実際にBは、新聞を読み、ニュース番組を見る等して、L事件の発生やその犯人が捕まっていないことを知る機
会があった。さらに、原告の家庭には、C及びDの通う小学校から、熊谷市内で重大事件が発生したこと、犯人が逮捕されていないこと、事件発生現場に近いことから、集団下校を徹底することなどが記載された注意喚起の文書が配布され、Bがこれに目を通していたから、L事件が発生したことや、犯人が逮捕されていないことを認識していたものである。

そうすると、仮に原告が主張するような情報提供がされたとしても、原告及びBらとの関係で、特段の効果があったとは認められず、本件事件の発生を防ぐことができたとはいえないから、結果回避可能性がなかったというべきである。

まとめ
本件では、同月15日正午の時点で、L事件の犯人の目的や意図が一切不明であり、その後に同種犯罪が発生する具体的な危険性が切迫していたとはいえないから、この時点で、仮に埼玉県警に情報提供義務があるとしても、一般的な広報の限度にすぎない。

そして、その場合の広報の内容や手段、時期については、警察権の行使として裁量権が与えられているところ、埼玉県警は、報道機関に広報によって情報提供したほか、熊谷市教育委員会にも情報の提供を行うなどしており、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用がないことは明らかである。カ
予備的主張について
原告の予備的主張は、本件訴訟の審理が証人尋問に入って、5名のうち3名の尋問が終了した段階で追加されたものである。その内容は、AをL
事件の犯人と断定しない内容での情報提供を行う義務があったというものであり、もともと主張していた義務の内容と明らかに異なっている。本件では、埼玉県警が、L事件がAの犯行と想定できたか、Aが同種犯罪に及ぶと想定できたかを主たる争点として攻撃防御が交わされていたが、予備的主張は、AをL事件の犯人と断定できないとしても、情報提供
すべき義務が課されると主張するものであって、被告の従前の主張立証を無に帰させることになる。これが争点とされるのであれば、未検挙の殺人事件が発生した場合の一般的広報義務の存否が問題となり、更なる主張立証が必要となるから、訴訟を著しく遅延させることが明らかであって、民事訴訟法157条1項に基づき、時機に後れた攻撃防御方法の提出として、
これを却下すべきである。
そうでないとしても、予備的主張に理由がないことは、主位的主張について被告が主張したとおりである。

争点2(埼玉県警の不作為と本件事件との因果関係)について

(原告の主張)

主位的主張
埼玉県警が、前記⑴で主張した内容及び態様での情報提供を適切に行われていれば、原告の家族を含むL方の周辺住民は、より強い警戒感を抱いて、一人で外出せず、戸締りをするなど細心の注意を払ったはずである。
特に、原告の家族は、自宅にセンサー付きライトを設置するなど、防犯意識が高かったことからすれば、前記情報提供を受ければ、Aが原告方に侵入することはなかったと考えられる。何より、防災無線やパトカーの巡回による呼掛けを行えば、これを聞いたAに対する抑止効果もあったと考えられる。したがって、被告が情報提供義務を果たしていれば、本件事件の発生を高度の蓋然性をもって防ぐことができたというべきである。イ
予備的主張
仮に、埼玉県警による権限不行使が、本件事件の被害を招来した高度の蓋然性が認められないとしても、埼玉県警が適切な情報提供を行っていれば、本件事件が発生しなかった相当程度の可能性が認められる場合には、被告は、
その程度に応じた賠償責任を負うべきである。
そして、
本件では、
埼玉県警による適切な情報提供が行われていれば、本件事件の発生を阻止
することができた可能性があり、その程度は少なくとも3割である。(被告の主張)
本件において、原告の主張する内容及び態様での情報提供がされていたからといって、本件事件を回避できた高度の蓋然性があったとはいえない。原告は、高度の蓋然性が認められないとしても、3割程度の結果回避可能性があったと主張するものの、いかなる根拠に基づいて結果回避可能性が3割程度といえるのかは明らかではなく、そもそも、前記⑴のとおり、埼玉県警には、原告の主張する内容及び態様での情報提供を行う義務がないから、いずれにせよ原告の主張は失当である。
争点3(原告の損害)について

(原告の主張)

主位的主張
本件によって、
原告に生じた損害の合計額は2億1478万2472円
(そ

の内訳は、別紙原告損害一覧記載のとおりである。)であり、被告は、その全額を賠償しなければならない責任があるが、取りあえずその損害金の一部(3割相当額)である6443万4741円を請求する。

予備的主張
前述のとおり、被告による適切な情報提供が行われていれば、本件事件の
発生を阻止できた相当程度の可能性があったといえ、その割合は少なくとも3割であるから、被告は、前記損害額の合計の3割に相当する6443万4741円を賠償する責任を負う。

(被告の主張)
損害の発生及び額は、いずれも不知ないし争う。
第3

当裁判所の判断

1
認定事実
前記前提事実に加え、後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を
認定することができる。


9月13日の出来事

Aは、当時、群馬県伊勢崎市内のアパートに居住し、同市内の食品工場に勤務していたところ、同日、JR前橋駅から電車に乗ってJR籠原駅で
下車すると、
午後1時頃、
JR籠原駅から約500m離れたI方
(別紙
熊谷市内の被告人の行動等(平成27年9月13日~9月16日)〔以下別紙地図という。〕記載Ⓐ)の玄関前に立っていたところ、Iに見つかった。Iが声を掛けると、Aは、

ケイサツ、ケイサツ。


オカネ、オカネ。

と片言の日本語で応え、横浜か川崎に姉がいるというようなこ
とを話した。
そこで、Iは、隣接する熊谷消防署O分署に赴き、自宅に変な外国人がいて警察と言っているので、話を聞いて警察に引き渡してほしいと頼んだ。
そこで、消防職員らは、AをO分署へ連れて行き、身分証の確認などを
行った後、午後1時30分頃、熊谷署P交番に連絡して、民家の敷地内に立ち入った外国人が、ポリス、ポリスと言って警察に助けを求めているため、警察官に来てほしいと要請した。
これを受け、午後1時45分頃、同交番勤務のQ警部補(以下Q警部補という。)及びR巡査(以下R巡査といい、Q警部補と併せてQ警部補らという。)がO分署に出向き、Aから在留カード及びパスポートの提示を受けて、人定事項や在留期限を確認した後、これからどうした
いのかを尋ねると、Aは、片言の日本語で

ペルー、カエリタイ、カナガワ、アネ

と応じた。Q警部補らは、Aの在留資格等に問題がなく、特段挙動不審な様子も見られなかったことから、本人の希望どおりに電車に乗せて神奈川へ行かせることとし、その旨を熊谷署の当直長に連絡したところ、熊谷署で詳しく
事情を聴いてから、神奈川に向かわせる段取りを執るよう指示を受けたため、Aをミニパトカーに乗せて熊谷署に向かった(甲2の1、3の1〔1から5まで、12〕、3の2〔1-1、1-2、2-2〕、3の3〔1-1、1-2、1-7、2-1、2-2、3-4、3-5〕、3の4〔1-2、2-10〕)。


Q警部補らとAは、午後2時35分頃、熊谷署(別紙地図記載🄫)に到着した。
Q警部補らは、
Aを応接室に案内した。
R巡査は、
Aを服の上から触り、
所持品の有無を確認したほか、在留カード及びパスポートのコピーを取っ
た。
その後、Q警部補がAに対し、携帯電話で姉に電話を架けてよいと告げると、Aは、その場で姉に電話を架けたところ、姉と電話で話しながら突然甲高い声で泣き出すと、電話を切り、トイレに行きたいと述べた。そのため、R巡査がAをトイレへ連れて行ったが、Aは、突然、トイレの洗面
所前でうずくまり、声を上げて泣き出した(甲3の3〔2-3から2-5まで〕、3の4〔1-8〕)。

R巡査は、Aがトイレで用を済ませて応接室に戻る途中、喫煙したいと求めるので、熊谷署庁舎外の正面玄関近くに設置されている喫煙所にAを案内して喫煙させた。
R巡査は、午後3時30分頃、喫煙を終えたAを連れて応接室へと戻ろうと正面玄関の方へ歩き始めたところ、Aは、突然反転して、正面玄関と
は反対方向へ走り出し、熊谷署前にある50cm程度の高さがある植込みを飛び越えて、熊谷署前の国道(片側2車線)を横切り、熊谷署の反対側にある建物2階の飲食店に入ると、同店の厨房を通り抜け、裏口から走り去った。R巡査は、直ぐにAを追いかけたものの、飲食店の裏口を出た階段のところで見失った(甲3の4〔1-10、1-11、2-1から2-
3まで〕)。

R巡査から連絡を受けたQ警部補は、Aが熊谷署から走り去った旨を当直長に報告し、当直長の指揮により、午後3時38分、7名体制でAの捜索を開始した。しかし、Aが見当たらなかったことから、午後3時50分頃には20名体制に増員し、
さらに、
県警本部に警察犬の出動を要請した。

この頃、E署長は、当直長から、困りごと相談で熊谷署に連れてきた外国人が、財布や携帯電話、パスポートを置いたまま、喫煙中に署から突然走り去った旨の報告を受けた。そこで、E署長は、Aを早急に見つけてパスポートを返還するように指示した(証人E〔3〕)。
また、E署長は、Aの姉にAが訪ねてきたら熊谷署に連絡するように電
話で依頼させ、さらに、午後5時頃、警察官2名にAのパスポート等を持たせて、神奈川県伊勢原市の姉宅に向かわせた。

一方、Aは、午後5時頃、熊谷署から約500mの距離に位置するJ方敷地内のプレハブ式物置に立ち入っているところをJに見つかり、Jが出
てくるようにいうと、
Aは謝るようなポーズをしながら、
物置の外に出た。
その後、JがAを敷地外に連れ出し、どこから来たか尋ねると、Aが

カン、カナ。

と答えた。そして、Jが自宅内の妻に警察に連絡するよう指示したところ、その隙にAは逃走した。
Jは、午後5時9分頃、自宅敷地内の物置に外国人が侵入していた旨を警察に通報した(第1侵入事件。甲2の1〔5、40〕、甲3の5〔1-1から1-6まで〕)。


Aは、午後5時30分頃、熊谷署から約740m、J方から約270mの距離に位置するK方前で、Kに対し、

カネ、カネ。

と片言の日本語で申し向けた。これに対し、Kが「ない。」と答えると、Aはその場を去ったが、K方の2軒隣の敷地内に座り込んだため、Kは、午後5時32分頃、怪しい外国人がいる旨を110番通報した。その後、Aは、立ち上が
ってK方の敷地内に立ち入り、敷地内に駐車されていた自動車の中を覗き込むような様子を見せたため、Kが「おい。」と声を掛けると、Aはその場から立ち去った(第2侵入事件。甲2の1〔40〕、3の6、4)。キ
午後6時20分頃には嘱託警察犬が到着して捜索に加わったが、Aの発見に至らず、午後8時40分頃、捜索は一旦打ち切られた。この時点での
警察犬による捜索範囲は明らかではないが、原告方の近くまで警察犬が来ていた(証人H〔34〕、原告本人〔8〕)。


9月14日の出来事

9月14日朝、熊谷署の幹部会議において、前日の当直長から、Aに関し、所持品をすべて置いて熊谷署から走り去った外国人がいること、警察犬を出動させて捜索したが見つからなかったこと、伊勢原市のAの姉を訪ねてパスポート等を届けたが、受取りを拒まれたことなどが報告された。これを受けて、E署長は、外回りの地域課警察官を中心に、外を移動する際はAがいないか十分に注意し、見つけた場合には早急にパスポ―トを返
還するよう指示した。
また、各侵入事件についても、第1侵入事件については敷地の物置に外国人が侵入していたが盗まれたものはなく、第2侵入事件については敷地内の車付近に外国人がいたと報告され、J方及びK方周辺の見回りを強化するとの方針が説明された。これらの事件は、住居侵入として被害申告を受けたものではなかったことで、その報告が当直長止まりになっていたため、E署長は、この席で初めて各侵入事件の報告を受けたが、これを聞い
て、Aが同事件に関連している可能性もあり得ると考えた(証人E〔4、5、24、25、33から35まで〕、証人F〔1、3、4〕)。イ
Aは、同月14日、J方及びK方から約1.5km離れた位置にあるL方(別紙地図記載①)に侵入し、L夫妻を殺害して逃走した(L事件。甲2の1〔53〕)。

午後5時頃にMからメールで散歩の誘いを受けた友人が、午後5時13分頃、L方を訪れたが応答がなく、改めて午後5時40分頃、L方を訪れた際、L方敷地に駐めてあった自動車の運転席にLらしい男性が座っているのを見かけたが、L方から応答がないため、別の友人に相談した上、同じ敷地内に住むMの実父に訳を話して、L方に入ったところ、午後6時3
分頃、室内で血まみれになって倒れているL夫妻を発見して110番通報し、午後6時5分頃、県警本部通信指令課から熊谷署に対し、家の中で血まみれの男女が倒れており、直ちに現場に向かわれたいという出動指令が入った(甲2の2、証人F〔4〕)。

この一報を受けたF課長代理は、
L方に急行して現場を確認したところ、
凶器が被害者の近くに残されていなかったため、殺人事件の可能性が高いと判断し、午後6時30分頃、刑事課長を通じて、署長官舎に戻っていたE署長へ事件発生を報告した(証人E〔5〕、証人F〔6〕)。報告を受けたE署長は、直ちにL方に臨場した。また、熊谷署から事件発生の報告
を受けた県警本部では、別件の捜査本部に詰めていたG刑事部長とH捜査一課長がそれぞれ熊谷署に向かった。
また、県警本部通信指令課は、午後6時10分、緊急配備準備出動の指令を発し、午後6時19分、熊谷署の近隣6署に緊急配備を発令し、午後6時25分、隣接する群馬県警察S警察署に広域配備を要請し、犯人の逃走に備えた(乙3、証人F〔7〕。


L方では、倒れていたMの頭上付近に、アルファベット様の文字にも読める血痕が残されていた。E署長は、前日から所在不明となっているAを気にかけていたこともあり、

ペルーだったらスペイン語だな。

と漏らした。その後、熊谷署内でスペイン語やポルトガル語等の外国語の知識を有する警察官によって解読が試みられたものの、言語の判別には至らなかった(証人H〔3、4、20、21〕、証人E〔5、6〕、証人F〔4、
5〕)。
その頃、熊谷署警察官は、第一発見者であるMの友人やMの実父、その他付近住民等への聞き込みを行ったが、L夫妻には目立ったトラブルがなく、夫婦仲も円満であったということであった。この時点で熊谷署警察官は、Mの父親から、敷地に駐車してあったL夫妻の使用する自動車(以下
L車両という。)がなくなっているという情報及びL夫妻には息子がいるが連絡が取れないという情報を入手し、Mの友人から、Lと思しき人がL車両に乗っているのを見たとの情報を得ていた。
そこで、
熊谷署では、
L夫妻の息子の所在確認を行うとともに、L車両の捜索に当たった(乙3〔5〕、5〔6〕、証人E〔7、8〕)。


E署長は、午後9時30分頃、熊谷署に到着したG刑事部長及びH捜査一課長と報道機関への広報内容に関する打合せを行い、L事件はいち早く報道をする必要があると判断し、被害者の検視により殺人事件と断定するのを待たず、テレビについては早急に、新聞については翌15日の朝刊掲
載を目指して報道発表をするとの方針を決め、その旨を指示した(証人H〔22〕、証人E〔8、9〕、証人G〔4〕)。
この頃、G刑事部長及びH捜査一課長は、E署長から、前日の9月13日にAという外国人が民家で警察に連絡してほしい旨を述べ、近隣交番の警察官により熊谷署に連れてこられたこと、神奈川に住む姉に会いに行きたいと話していたこと、熊谷署の正面玄関先の喫煙所で喫煙をさせたところ、署内に所持品を残したまま立ち去ったこと、警察犬による捜索を行っ
たが見つからないことの報告を受けた。また、Aが所在不明になった後、熊谷署近くで外国人風の男が敷地に侵入したという通報が2件あったことについても併せて報告した(乙6〔7、8〕、証人H〔8から10まで、23、〕、証人G〔20〕)。
なお、緊急配備は、犯人につながる情報が全くつかめないため、午後9
時12分に解除された(乙3〔5〕、証人F〔7〕)。

F課長代理は、午後10時45分、報道機関に対し、L事件について、死亡事案が発生したこと及びその認知日時、
発生場所、
死者の住所や年齢、
死亡確認時刻のほか、状況として、居室内で上半身から血を流した状態で発見され、
搬送先の病院で死亡した旨を報道発表した
(乙3
〔6〕5
、〔7〕


証人F〔8〕)。

熊谷署警察官は、午後11時7分、熊谷市役所に、市内で殺人事件が発生した旨の一報を入れ、職員に実況見分の立会いを要請した(甲17、乙5〔8〕、熊谷市役所に対する調査嘱託の結果)。


L夫妻の息子は、警察から連絡を受け、同日夜に熊谷署を訪れて事情聴取に応じた。その際、同人は、L夫妻について恨みを買うような心当たりはないと話し、14日は都内で勤務していたことが分かり、L事件とは無関係であることが判明した(証人H〔6、17、38、39〕)。

9月15日の出来事

午前零時45分頃、L事件について、L事件の認知時刻前後(9月14日午後5時50分から6時頃)に、L方付近から中東系の外国人風の男が運転する車が逆走して出てきたとの目撃情報が寄せられた(乙5〔8〕、6〔6〕、証人H〔5、6〕、証人E〔9〕)。

午前1時頃から、G刑事部長、H捜査一課長及びE署長により、捜査本部の立上げに向けた打合せ及び今後の捜査体制についての協議が行われた。そこでは、L事件の手掛かりが乏しいため、できることを一つ一つ潰して
いくという捜査方針に基づき、現場周辺の聞込み、L夫妻の関係者の事情聴取、現場周辺の防犯カメラ映像の入手及びその精査、L夫妻の使用していた携帯電話の通話履歴の解析及びその精査、L方付近における犯人及びL車両の捜索を行うこととし、その役割分担が決定された。
また、同会議では、前記方針による捜査の一環として、所在不明のAを
見つけ出し、L事件発生時の足取りを確認する必要があり、依然として行方が分からないA発見のため、全国の警察署へ手配(捜査対象者登録)を行うほか、任意同行に応じない場合に備えて各侵入事件についてAの逮捕状を取ることも考えられるのではないか、
という意見が出た
(乙5
〔8〕

証人H〔26、27〕、証人E〔12、13、40、41〕、証人G〔2
1、22〕)。

前記会議の後、熊谷署は、午前1時39分頃、全国の警察署宛に、AをL事件の参考人として手配した。
また、E署長は、午前3時頃、同署地域課長及び生活安全課長に対し、熊谷市立T小学校及び同市立U中学校の学区内の登校時間における警戒
活動を行うように指示した(乙5〔9〕)。
なお、午前4時30分、L夫妻の検視が終了し、L事件を殺人事件と断定した(乙8〔4〕、証人G〔4〕)。

午前6時23分、県警航空隊のヘリコプターがL方から約270m離れた場所でL車両を発見し、午前6時40分頃、同車内を確認したところ、血液の付着したティッシュペーパー1塊が発見されたほかは、犯人のものと思われる遺留品は見つからなかった(甲2の5、乙5〔9〕)。オ
E署長は、L車両が発見されたことを受け、犯人がまだ熊谷市内やL方付近に潜んでいる可能性があると考え、生活安全課長に対し、熊谷市教育委員会に連絡し、登下校時の見守りや保護者に対する通知など児童の安全
確保のための方策を依頼するよう指示した(証人E〔15、16〕)。これを受けて、生活安全課長は、午前8時45分頃、熊谷市教育委員会学校教育課長に対し、殺人事件の発生に伴う登下校時の見守りに関して、110番通報をためらわないこと、保護者と地域の協力を得て、登下校の見守りを強化すること、T小学校とU中学校については厳重警戒とするこ
とを依頼した。また、E署長も、午前10時頃、熊谷市長と電話で話し、状況を伝えるなどした。
熊谷市教育委員会学校教育課長は、前記依頼を受けて、速やかに、市内の各小中学校の校長に対し、児童生徒の登下校時の安全指導を徹底するよう通達した。これにより、同日、市内の小学校では、下校時間帯の職員に
よる見守り活動が強化されたほか、各学校長から、保護者に対して注意喚起文書が配布された(甲5、熊谷市役所に対する調査嘱託の結果)。注意喚起文書の内容は、以下のとおりである。
熊谷市立V小学校(甲5)
さて、すでに新聞やテレビ等で報道されていますように、昨日、熊谷市内において大きな事件が発生しました。犯人はまだ逮捕されていないとのことです。警察は、解決に向け全力で動いているとのことですが、本校の学区は、事件発生現場に近いこともあり、登下校には学校としても十分注意していきたいと思います。本日、全校児童に留意事項等を話しました。ご家庭でも、児童の登校時に見送っていただく等、ご協力いただけると幸いです。1児童への指導⑴下校時は、通常行っている学年下校を徹底し、必ず複数で下校すること。⑵不審な人、怪しい人に出会ったら、大きな声で助けをもとめたり、近所の家等に飛び込んで助けを求めたりすること。3⑴家庭へのお願い登校に児童が家を出る際、可能な範囲で見送っていただけるとありがたいと思います。⑵引き続き、登校時の交通安全指導(旗ふり)をお願いします。⑶不審者情報がありましたら、直ちに「110番通報をお願いし
ます。その時は、学校にもご連絡ください。」

熊谷市立T小学校(乙1)
さて、昨日9月14日、市内i町にて殺人事件が発生いたしました。犯人はまだ逮捕されていないとのことです。9月15日(10時現在)今後も児童の登下校時刻は通常通りといたしますが、児童の安全確保に万全を期すため、本校では下記のように対応いたします。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。1登下校の際には職員が立哨指導をいたします。保護者の方もご都合がつくようでしたら、登校時の付き添いと下校時のお出迎えをお願いいたします。2帰宅後は、戸締まりを行うなど、不審者による侵入への予防をお願いいたします。3児童1人だけでの不必要な外出は控えるよう、ご指導ください。4不審者に関する情報は、直ちに「110番通報をお願いいたし
ます。」

熊谷署の派遣要請を受けて出動した県警機動隊50名が、午前11時25分、熊谷署に到着し、G刑事部長指揮の下、自動車警ら隊等と合わせて87名体制で、現場周辺での凶器や遺留品の捜索、周辺住民への聞込み等の捜査が進められた(証人H〔8〕)。
その他、午前中には、第1侵入事件に関し、Jに対して写真による面割捜査が実施され、J方の物置に侵入していた外国人がAであると特定された。しかし、第2侵入事件に関するKに対する面割捜査は、同人が不在で
あったため、実施できなかった(証人E〔35〕)。

埼玉県警は、
午後零時、
L事件について、
熊谷署に捜査本部を設置して、
G刑事部長が捜査本部長に、E署長及びH捜査一課長がそれぞれ副本部長に就任した(乙4〔4〕)。
その後、E署長及びH捜査一課長は、午後1時55分、L事件に関する
記者会見を行い、同事件が殺人事件と考えられること、被害者には複数の刺切創があること、被疑者は不明であり凶器も未発見であること、周辺箇所を警戒・探索していることの説明を行ったが、
地域住民への注意喚起は、
熊谷市教育委員会等自治体を通したものにとどめ、同会見では、戸締りの徹底などを具体的・直接に呼び掛けることはしなかった(乙9)。

熊谷署は、午後2時40分、第1侵入事件について、熊谷簡易裁判所にAの逮捕状を請求した。



N事件の発生及び本件事件の発覚等

現場周辺の防犯カメラの映像の捜査を行った結果、Aは、9月15日午前1時54分頃、熊谷市V地区に所在するコンビニエンスストア(別紙地
図記載Ⓕ)
に入店したことが確認され、
同店設置の防犯カメラの映像には、
Aが自転車に乗って来店する様子や、
レジカウンターで長財布を取り出し、
紙幣を出して買物をしようとしたが、店員が出てこないため、諦めて立ち去る様子が映っていた(甲2の1〔7、51、52〕)。

Aは、
同日午後3時32分頃から翌16日午後3時10分頃までの間に、熊谷市k番地所在のN(以下Nという。)方(別紙地図記載②)に侵入し、Nを殺害して逃走した(N事件)。

Nと連絡が取れなくなって心配した義理の娘が、同日、知人らとN方を訪ねて室内を探したところ、Nの姿がなかったが床に敷かれたマットに血痕が付着しているのを見つけて、直ぐに110番通報した。そして、警察官がN方に臨場して室内を検索したところ、同日午後4時23分頃、蓋が
された浴槽内にNの遺体を発見し、N事件の発生を認知した。

すぐさま、
周辺の聞込み捜査が開始され、
警察官が、
午後5時14分頃、
原告方(別紙地図記載③)を訪れると、玄関ドアが無施錠であり、照明が点いていたにもかかわらず、
声掛けに応答がなかった。
午後5時20分頃、
警察官が改めて原告方を訪ね、呼び鈴を鳴らしても反応がなかったが、今
度は玄関ドアが施錠されていたので、引き続き呼び鈴を鳴らしたり、玄関ドアを叩いたりしながら、原告方の外周を観察していたところ、午後5時27分頃、原告方2階の小窓から上半身を乗り出しているAを発見し、同日午後5時33分頃、2階小窓から飛び降りたAの身柄を確保した。直ぐに警察官が原告方に立ち入ったところ、午後5時34分、1階クロ
ーゼット内でBが、2階クローゼット内でC及びDが折り重なるようにして発見され、本件事件の発生を認知した(甲2の6、2の9)。
N方及び原告方は、いずれも、J方及びK方と同じV地区内に所在しており、熊谷市立V小学校の学区である。


新聞等の報道状況
L事件に関する報道は、9月14日夜からテレビニュース等による報道が行われたほか、以下のとおり、新聞報道がされた(証人G〔4〕)。ア
9月15日朝刊
読売新聞社会面(甲10の1)には、熊谷の住宅夫婦死亡上半身から血の見出しで、L事件を報じる記事が掲載されており、熊谷市内のL方でL夫妻が上半身から血を流して倒れているのを訪問した知人女性が発見したこと、L夫妻はその後死亡が確認され、熊谷署が殺人事件の可能性もあるとして捜査を開始したことなどが記載されている。その他、毎日新聞(甲7の1)、朝日新聞(甲8の1)、日本経済新聞(甲9の1)にも同様の記事が掲載された。

同日夕刊
毎日新聞(甲7の1)、朝日新聞(甲8の1)及び日本経済新聞(甲9の1)に、L事件の記事が掲載されており、L車両が現場から持ち去られたこと、Mが遺体発見の約1時間前に知人にメールを送っており、短時間で犯行が行われたとみられること、警察は殺人事件として捜査本部を設置する予定であること、凶器が見つかっていないことなどが報じられた。

同月16日朝刊
読売新聞社会面
(甲10の2)
には、
犯人に抵抗か夫婦の手に傷熊谷殺害の見出しで、L事件を報じる記事が掲載され、L夫妻の上半身に複数の刺し傷や切り傷があったこと、抵抗した際に着いたと思われる傷が手にあったこと、警察はL事件を殺人事件と断定し、熊谷署に捜査本部が
設置されたことなどを報じている。また、埼玉新聞(甲6の1)、毎日新聞(甲7の2)、朝日新聞(甲8の2)及び日本経済新聞も、同様に捜査本部の設置のほか、L車両がL方近くで発見されたこと、Mのスマートフォンがなくなっていること、凶器は刃物と見られるが発見されていないことなどが報じられた。



原告及びBらの生活状況等

原告は、本件事件当時、妻であるB(当時41歳)、子であるC(当時10歳)及びD(当時7歳)の家族4人で、原告方で暮らしていた。原告は、埼玉県深谷市内の企業に月曜日から金曜日までの日勤(午前8時から
午後4時35分まで)で勤めており、Bは専業主婦であり、C及びDは、それぞれ熊谷市立V小学校の5年生と2年生であった。
原告方では、読売新聞の朝刊を購読していたほか、平日朝や昼の時間帯には、テレビの情報番組(フジテレビ系列めざましテレビ、日本テレビ系列ミヤネ屋)を観ていることが多かった。
また、原告は、かつて自宅敷地内に駐めていた自動車のタイヤがパンクさせられる被害に遭ったことから、自宅1階のリビングの掃き出し窓に、
窓を開くと警報音が鳴る防犯センサーを取り付け、玄関には人が近づくと点灯する防犯用ライトを設置していたが、本件事件当時には正常に作動していなかった(甲18の2〔2〕、乙12、原告本人〔2、12、13、40から42まで〕)。

C及びDは、9月15日、通っていた熊谷市立V小学校から配布されたL事件の発生に伴う登下校時の注意喚起等が記載されたプリント(甲5。その内容は、前記⑶オ

記載のとおり。)を持ち帰り、これを受け取った

Bは、原告方キッチンにある本棚の側板に、その他の学校の配布物と一緒に貼っておいた。原告は、本件事件発生時まで、このプリントの存在を知らず、小学校から前記のような注意喚起がされていることも知らなかった
(甲18の2〔4〕、乙2、原告本人〔6、7、27、36〕)。ウ
原告は、遅くとも9月16日朝の出勤時までに、Bから聞かされてL事件の発生を知った。その際、Bは、原告に対し、L事件について、身内による金銭目当て又は怨恨による犯行であろうか、という感想を漏らしてい
た。その後、原告は、Bに見送られ、同日午前7時20分頃、自宅を出て勤務先へ向かった。
C及びDは、同日午後3時頃、友人と一緒に小学校から下校し、午後3時30分頃、Cは、原告方前で友人と別れ、少し遅れて、Dが原告方前で友人と別れ、それぞれ帰宅した。

その後、原告は、午後6時30分頃、職場から原告方前に到着したときには、既に警察官が原告方に臨場している状況にあって、本件事件の発生を知った(甲2の8、18の1〔6〕、原告本人〔2から4まで〕)。⑺

検証報告書の公表

本件事件発生後、Aが熊谷署から走り去っていたことや、L事件の直前に各侵入事件が発生しており、警察もこのことを把握していたことなどが報道されると、原告をはじめ各事件の被害者、関係者や周辺住民から、警
察による事前の情報提供が不十分だったのではないかとの疑問の声が相次いで上がり、9月28日には、周辺自治会が、県に対して徹底検証と説明を求める署名活動を開始するなどの動きになり、その署名数は、10月20日には3万7663名分に達した(甲6の14、6の21)。

このような動きを受けて、埼玉県警は、10月29日、本件に関する経緯とこれを踏まえた今後の取組みをまとめた埼玉県熊谷市内で連続発生した殺人事件に係る警察の対応と今後の取組についてと題する検証報告書(乙9)を公表した。
同報告書では、
L事件発生後の地域住民に関する注意喚起について、
当県警においては、第1事件(※注・L事件を指す。)を認知した後、2回にわたり事件の発生について広報したほか、熊谷市(教育委員会)に対して、児童生徒に対する安全対策を要請した。一方、犯行の目的や動機、犯人の逃走手段等事案の性質が判然としていなかったことから、地域住民に対する直接的な注意喚起を行うには至らなかった。、このような事件が連続発生する可能性が判然としていない段階では、提供する情報の内容には留意が必要である。しかしながら、本件のような住宅地域における事案については、一層前広に注意喚起を行うことを基本として対処することとする。また、地域住民への危険が高いと認められる場合には、その旨が地域住民に的確に伝わるよう、緊急かつ効果的な方法により注意喚起を行うこととする。、

こうした注意喚起に当たっては、犯行の手口や捜査により得られた情報を分析した結果を踏まえ、「戸締まりをしてください


不要な外出は控えてくださいなど、住民が採るべき具体的な防犯措置を示すことができるよう努めることとする。」、

また、防災無線は地域住民に直接情報が到達する有効な情報伝達手段(中略)である。したがって、当県警としては、今後、防災無線の更なる積極的な活用に向け、自治体との調整を進めていく。

と本件事件を教訓とした今後の情報提供のあ
り方などを明らかにした。


警察の防犯状況の情報提供等に関する通達等

平成26年通達(甲24の1)
警察庁生活安全局生活安全企画課長等は、
平成26年2月27日付けで、

警視庁総務部長、各道府県警察本部長等に宛てて平成26年通達を発出し、地域社会の不安を解消し、犯罪抑止対策を効果的に推進するためには、地域住民等に対する適切な防犯情報の提供が必要不可欠であることから、以下の点に留意した上で防犯情報の提供の推進に努めるよう要請した。情報提供の在り方の基本

情報提供は、受け手に実際に情報を到達させ、犯罪対策の必要性について理解を得るとともに、状況に応じた自主防犯活動を促すことを目的とするものであるから、受け手の立場に立った情報提供を基本として、警察から発進した情報が地域住民等に対してどのように到達し、自主防犯行動が促進されているかという観点を持って、訴求力のある情報提供
を行うことが必要である。
情報提供の時期・内容に関する留意事項
地域住民等に対する情報提供は、その情報に接したことにより、地域住民等が自ら積極的に防犯対策を講じる契機となり得るようなものであることが重要である。

例えば、子供を対象とした事案、同一手口や同種対象の窃盗事犯等の連続発生など、地域住民等に対して直ちに防犯対策を講ずるよう促すことが必要と認められる場合には、直接、地域住民等に情報が伝達されるような手段によって、迅速・確実に犯罪の発生に関する情報を提供することが重要であり、また、特異な手口による事案、連続発生している事案等のうち隣接する地域に波及が予測されるものについては、隣接地域の地域住民等の先制的な自主防犯行動の観点から積極的な提供に努める
ことが重要である。

平成27年10月通達(甲24の2)
本件事件を含むAによる連続殺人事件の発生を受け、警察庁刑事局長等は、各都道府県警察の長に宛てて、平成27年10月29日付けで、平成
27年10月通達を発出し、犯人が凶器を持ったまま近隣に潜伏・逃走している可能性があるなど連続発生のおそれのある重要凶悪犯罪の発生時には、以下の点に留意した上、連続発生を抑止するための効果的な情報提供及び犯人の迅速な検挙のための捜査活動の推進を図ることを要請した。連続発生の可能性の迅速かつ的確な判断

連続発生のおそれのある重要凶悪事件では、犯人検挙に至らない間に更なる被害が生じることのないよう、住民への情報提供や警戒・検索活動を徹底する必要がある。
しかしながら、
事件認知後間もない段階では、
犯行の目的や動機等事件の性質が判然とせず、事件が連続発生する可能性を的確に捉えることが困難なことも少なくないから、連続発生の可能
性が判然としない場合には、その可能性を前提に住民への情報提供や警戒・検索活動等を実施すること。
部門間の連携
重要凶悪事件を認知した際は、事件が連続発生する可能性を常に考慮し、関係部門が連携し、防犯活動と捜査活動の両方を効果的に推進する
こと。
連続発生を防ぐための情報提供
重要凶悪事件の連続発生のおそれのある場合には、マスメディアへの情報提供のほか、インターネットの活用による情報発信、防災行政無線による広報等各種広報媒体を活用し、防犯対策に資する情報が地域住民等に迅速かつ確実に届く方法でこれを提供すること。その場合には、受け手の防犯行動が促進されるよう、発生場所や発生時間に加え、被害を
防ぐための具体的な防犯対策について情報提供すること。

平成27年12月通達(甲24の3)
警察庁生活安全局生活安全企画課長は、
平成27年12月18日付けで、
警視庁生活安全部長及び各道府県警察本部長に宛てて、防災行政無線を活用した地域住民等に対する防犯情報の提供の推進について(通達)と
題する通達(以下平成27年12月通達という。)を発出した。
この通達では、平成26年通達及び平成27年10月通達により、各種広報媒体を活用した防犯状況の提供を推進しているところであるが、中でも防災行政無線が、より早く、正確に、一斉に住民に情報を伝達できる手段であることを踏まえ、防災行政無線を活用した防犯情報の提供を推進す
ることを要請するとともに、その場合の留意点として、自治体への積極的な働き掛けを行うことや、地域住民等の過剰な反応を避けるため、きめ細かで丁寧な情報発信に努めることなどが示されている。

熊谷市における防災無線の活用状況
熊谷市防災行政用無線局(固定系)運用細則(甲21の3)によると、同市の防災無線の放送内容は、災害時の緊急放送と平常時の一般放送に区分され(同細則3条1項)、一般放送としては、市政に関する事項、人命及び防犯に関する事項、その他必要と認められる事項を放送することができるものと定められており(同条3項)、本件事件当時においても、防災無線を犯罪
情報の提供に利用することは限定されていなかった(甲21の2)。また、防災無線を利用するためには、所定の依頼書を記載し、所定の期限までに市の担当者に提出する必要があったが、緊急を要する場合は、この限りではないとされていた(同細則6条1号)。
2
争点1(埼玉県警の義務違反)について


犯罪情報の提供の不作為の違法性に関する判断枠組み
警察法2条1項は、

警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。

と規定しており、警職法は、警察法の定める職権職務を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的(1条1項)として、2条以下に、その行使し得る手段を規定し
ている。
このことからすれば、警察官は、特定の個人の生命、身体及び財産が犯罪等の危険にさらされている場合には、当該危険を除去するため、法律による規制の範囲内において、警察法2条1項所定の責務に関して必要かつ相当な措置を執る一般的な権限を有しており、警察官がこのような権限を行使する
ことは、警察官に与えられた一般的な公益上の義務であるとともに、具体的な状況の下においては、特定個人に対する個別の法的義務を構成する場合があると解される。
ところで、警察官が執り得る措置のうち、一般市民に対する犯罪情報の提供や防犯の呼掛けは、犯罪に関する正確な情報を適切かつ迅速に伝えること
で、住民生活の安心と安全を図るという公益目的による側面が強く、これにより個々の住民の防犯意識が高められ、将来の同種犯罪の発生を抑止することができるという一般的な効果が期待されるものの、直接的、即時的に特定個人の法益を保護する効果を生ずるものではない。そうすると、犯罪情報の提供等により個人が受ける利益は、基本的には、公益を保護する過程で副次
的に保護される事実上の利益というほかない。
他方、警職法5条は、

警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発(略)することができる。

と定めていることからすれば、個別の犯罪が発生する具体的な危険が認められる場合においては、現実的に犯罪被害を受けるおそれがある者に必要な犯罪情報を提供して、注意を呼び掛けることは、当該危険にさらされた特定個人に対する個別の法的義務としての権限の行使に当たるというべきで
ある。
そこで、警察官には、警察関連法令で与えられた警察権や捜査等の権限の行使に当たって一定の裁量が与えられており、その裁量権の範囲を逸脱又は濫用したと認められない限り、違法とはならないが、具体的な状況の下で、警察が犯罪情報を提供することが特定個人に対する法的義務を構成する場合、
その権限不行使が、違法な公権力の行使に該当するものとして、国賠法上の違法となるかどうかは、①国民の生命、身体等の重大な法益に対する加害行為がまさに行われ、又は行われる危険が切迫しているか(加害行為の危険の切迫性)、②警察官においてそのような状況を知り、又は容易に知ることができるか(危険の切迫性の認識又は認識可能性)、③当該権限を行使するこ
とで、危険を除去し、加害行為によって生ずべき結果を回避、防止することが可能であるか(結果回避可能性)、④権限の行使が容易であるか(権限行使の容易性)などの観点を総合的に勘案して、当該権限不行使が著しく不合理であって、裁量権の範囲を逸脱又は濫用があると認められるか否かで判断すべきである。



原告の主位的主張について
原告は、
9月15日正午の時点で、
埼玉県警が、
AがL事件の犯人であり、
同種犯罪を繰り返す危険が急迫していることを認識し、又は認識し得たことを前提として、報道機関を通じてL事件が発生したことを広報するだけでは
足りず、原告やBを含む周辺住民に対し、熊谷市役所及び教育委員会への通知、防災無線によるアナウンスの要請、パトカーの巡回によるアナウンスなどの方法により、各侵入事件及びL事件が発生し、その犯人と思われる外国人が熊谷署から逃走中であり、付近に潜んでいる可能性があるという情報を提供して、戸締りの確認や不要不急の外出を避けるよう呼び掛ける義務があったのに、これをしなかったことが違法であると主張するものである。そこで、前示した判断枠組みに従って、この点を検討していく。


加害行為の危険の切迫性について
原告は、ここでいう危険について、本件事件が発生する危険である必要がなく、L方周辺での同種の凶悪犯罪が発生する危険であれば足りると主張する。しかしながら、被告の法的責任を原因付ける根拠となるも
のである以上、当該特定個人との関係で、法的義務が生ずる状況にあったかどうかを検討する必要があり、危険の切迫性という点からすれば、単に居住地域で同種犯罪が発生する危険があるというだけでは足りず、個別具体的に当該特定個人との関係で、同種犯罪が発生する危険が差し迫っていたか否かを判断する必要があり、本件においては、Aによる原
告方での住居侵入・殺人事件が発生する危険が切迫していたかどうかを検討する必要がある。
ところで、刑事裁判が終わった現時点でもなお、Aが一連の犯行についての意図や動機を語っていないため、本件事件の全容が解明されておらず、L事件とN事件、そして、本件事件がどのように関連するのか、
本件事件の犯意がいつどのようにして生じたものかは、いずれも不明である。そうすると、現時点で明らかになっている事実を前提としても、9月15日正午の時点で、本件事件が発生する危険性が具体化して差し迫った状況にあったということはできない。
この点、Aは、伊勢崎市に居住しており、熊谷市の土地勘がなかった
と思われること、同月13日に熊谷署に所持品をすべて置いて立ち去っていること、第1侵入事件ではJ方の物置に侵入し、第2侵入事件ではKに対して金銭を要求するような言動に及び、車を物色するようなそぶりを見せたりし、翌14日にL事件に及んでいることなどの事情を考慮すれば、L事件は、土地勘のない熊谷市で、所持金等がないAが、金品を強取する目的で敢行したことがうかがわれる。このことを前提とすると、L方に凶器が残されていなかったこと、各侵入事件とL事件が約1km圏内で発生しており、警察の緊急配備の網にかからず、Aが広域に移動していないことが想定されたことを考えれば、L事件後、再び所持金等が乏しくなった場合には、近隣で再度強盗殺人に及ぶ可能性があったことは否定できない。しかしながら、このような可能性は、あくまで
も断片的な情報に基づいた推論を寄せ集めた結果にとどまり、かかる危険が具体的に存在し、かつ切迫していたというには足りないといわざるを得ない。
さらに、住居侵入・殺人事件(又は強盗殺人事件)は、一般に近接した時期や場所で連続発生する蓋然性の高い類型の事件ではないとされる
が(重罪を犯した犯人が直ぐに犯行現場を離れて遠隔地に逃亡を企てる例はよく見るところであり、だからこそ埼玉県警もL事件の発生を認知すると、直ちに緊急配備を敷いている。)、Aは、9月15日未明の時点で、自転車で移動して、紙幣の入った財布を所持し、コンビニエンスストアで買物をしようとしていたのであって(前記認定事実⑷ア)、L
事件発生時とは異なり、移動手段や当座の金銭を手に入れていた様子がうかがわれるから、これらの事情からすると、同日正午の時点で、Aが金目当てで住居侵入に及ぶような切迫した危険があったとはいい難く、たとえ13日の時点でAが原告方の近くまで来ていたとしても、原告方に侵入して家人の殺害行為に及ぶ危険性が切迫していたと認めるのは困
難である。
以上によれば、9月15日正午の時点で、AがV地区において、L事件と同種犯罪に及ぶ危険性がなかったとはいえないものの、その危険が具体化して切迫していたとはいい難く、ましてや、原告方におけるBらの生命や身体に対する危険性が切迫していたとは認められない。

危険の切迫性の認識又は認識可能性について
以上のとおり、
9月15日正午の時点において、
AがV地区において、
L事件と同種犯罪に及ぶことで本件事件が発生する危険が切迫していたと認めることはできないから、埼玉県警が、かかる危険の切迫性を認識し又は認識し得たということはできない。
これに対し、原告は、次のとおり、埼玉県警が執った各措置は、埼玉
県警が前記のような危険を認識していたことを裏付けていると主張するので、以下、順に検討する。
AがL事件の犯人であることの認識又は認識可能性について
E署長は、
9月14日にL方現場に残された血文字様の血痕を見た際、
ペルーの公用語であるスペイン語の可能性を考え、
当日夜にG刑事部長、

H捜査一課長及びE署長により行われた捜査会議でも、Aが話題に上がり、翌15日午前1時39分にはAを参考人として全国手配しただけでなく、遂には第1侵入事件について逮捕状を請求する準備にも入っていた。このように、埼玉県警では、当初から、L事件がAによる犯行の可能性をも念頭に置いて、遅くとも同日正午の時点では、被告の主張を前
提としても
警ら要請
を受けたに過ぎない第1侵入事件を用いてでも、
逮捕状の発付を受けてAの身柄を確保し、事情聴取を行う必要性があると考えていたのであって、L事件の捜査において、Aに対し、強い関心を有していたことは否定できない。
そして、原告は、このような埼玉県警の対応をもって、AがL事件の
犯人であり、直ちに身柄を確保する必要があるほどに危険が切迫していたことを裏付けていると主張する。
しかしながら、9月15日正午の時点では、L事件の認知から18時間程度しか経過していないため、その捜査は、犯行現場の実況見分のや第一発見者であるMの友人、Mの父親及び息子に対する事情聴取が行われたほか、L方近くに放置されたL車両を発見した程度で、引き続き、現場周辺の聞込み、L夫妻の交友関係を中心とした関係者の事情聴取、周辺の防犯カメラ映像の入手及びその精査並びにL夫妻の使用していた携帯電話の通話履歴の解析及びその精査等の捜査が行われることが予定していた段階であった。
そして、この段階で埼玉県警が把握していた情報は、L方現場に外国
文字のようにも読める血痕が残されていたが、解読できていないこと、L方から一時L車両が持ち去られたこと、L事件の発生時刻前後に、L方付近を外国人が運転する車両が走行していたという目撃情報があること、L方の近くに残されたL車両の車内から、血液の付着したティッシュペーパー1塊が発見されただけで、犯人のものと思われる遺留品が見
つからなかったこと、L夫妻の息子にはアリバイがあり、L夫妻が誰かに恨まれていたような形跡がないことといったものである。
このように断片的な捜査情報しか入手できていない状況では、埼玉県警がこの段階でL事件の犯人像を想定することは困難であったと言わざるを得ない。また、目撃情報のあった外国人についても、L方から出て
きたことを現認したわけでなく、あくまでその周辺を通行していた車両を運転していた様子を目撃されただけであるから、当該外国人がL事件に関与しているとの嫌疑があったわけではなく、ましてや当該外国人がAであることを示す具体的な根拠があったわけでもない(Aは、南米人であるのに対し、目撃情報では中東系の外国人である。)。

これらの状況を踏まえれば、埼玉県警が、Aに対して強い関心を示していたのは、E署長らが説明するように、この時点までに入手していた情報の中で、唯一捜査線上に浮かんでいた外国人が、直近で熊谷署を立ち去ったAだけであり、L事件の発生直後に、L夫妻の息子の所在確認をして関与の可能性を排除したのと同様に、Aについても、その足取りを確認することで、L事件との関わりの有無を判定しようとしたものであり、Aに具体的な嫌疑がかけられていたわけではなかった。
そうすると、埼玉県警は、9月15日正午までに、L事件の犯人が他の何者でもなくAであると認識していたとはいえず、また、これを認識することができたともいえない。
連続発生することの認識又は認識可能性について

既に説示したとおり、L事件に関する9月15日正午の時点の捜査状況を踏まえると、埼玉県警では、未だL事件の犯人像を想定することができない状況にあり、金品窃取目的の強盗殺人事件であると断定し、あるいは強く疑うことができたとはいえず、同種犯罪が連続発生することを具体的に認識し、又は認識し得たということはできない。

これに対し、原告は、平成27年10月通達において、重要凶悪事件が発生した場合には連続発生の可能性を常に考慮すべきであるとされており、これは本件当時においても変わるところはないから、遅くとも9月15日正午の時点で、同種犯罪が連続して発生する可能性を認識することができたと主張する。しかしながら、この通達の趣旨は、連続発生
の可能性を排除せずに、予断なく捜査に臨むべきであるという基本的姿勢を確認したものであって、重要凶悪犯罪が発生した場合には、常に同種犯罪が連続して発生する具体的な危険が切迫していることを意味するものではなく、原告の前記主張は採用することができない。
また、
原告は、
埼玉県警が連続発生の可能性を認識していたからこそ、

近隣小学校での見守り活動等を行っていたと主張するが、
かかる活動は、
登下校中の児童生徒が、万が一、凶器を持って逃走中の犯人と遭遇した場合を想定して、何らかの危険にさらされることを防ぐ目的で行われたものと認められ(証人E〔53〕)、L事件と同種犯罪が繰り返される具体的な危険を認識していたことを示す事情ではない。

結果回避可能性
前記1

で認定したとおり、L事件の発生及びその犯人が未だ逮捕され

ていないことは、事件発生当日である9月14日夜にはテレビのニュース番組で報じられ、翌15日の朝刊でも広く報道されていた。また、同日には、教育委員会を通じて熊谷市内の小中学校に警戒を促す連絡がされ、各学校では、児童生徒を通じて保護者にも注意を呼び掛けていた(前記1オ)現にC及びDは、

小学校から注意喚起のプリントを受け取って持ち帰
り、Bもテレビ報道や前記プリントに目を通すなどして、L事件の発生及び犯人の未逮捕を知り、同月16日朝には、原告との会話の話題にしていたところ(前記1

イ、ウ)
、このような状況から、原告やBらが同種犯罪

の被害に見舞われる危険性を強く意識していた様子はうかがわれない。この点、原告が主張するように、L事件の犯人が逃走中であり、付近に潜んでいる可能性があることや、犯人と思われる人物が熊谷署から逃走したこと、L事件のほか住居侵入事件にも及んでいることといった情報が提供されれば、この情報に接した原告及びBらは、L事件が顔見知りなどの個人的な関係による犯行でなく、いわゆる無差別殺人の可能性があること
を認識し、更なる住居侵入事件やこれに伴う殺人事件が発生するかもしれないとの危機意識を高めることができたかもしれず、また、報道機関を通じた情報提供のみならず、防災無線の使用やパトカーによる広報活動によって、局所的重点的な情報提供を行うことで、Bらの危機意識をより高めることができた可能性がまったくなかったということはできない。
しかしながら、本件全証拠によっても、本件事件に至る具体的な経緯が明らかではなく、Aがいかなる態様で原告方に侵入したのかも判然としないため、Bらが具体的にどのような行動を執っていたら本件事件を防ぐことができたのか不明であると言わざるを得ない。また、防災無線の利用については、その管理者である地方公共団体の協力が必要となるが、どのような内容をどの時間にどの程度の頻度で実施するかは、管理者の判断によるものであるから、管理者と連携ができていなかった当時の状況の下、ど
の程度の情報提供がなし得たか分からないし、原告自身が防災無線の内容に特段の注意を払っていなかったと述べていること(原告本人〔34〕)を
見ても、現実に防災無線を使った注意喚起によって、Bらに対しどの程度の効果があり得たのか不明であると言わざるを得ない。また、パトカーなどの警察車両による広報活動は、使用台数やその可動範囲が限られていて、
限定的な効果しか期待ができない。そうすると、仮に埼玉県警が、9月15日正午の時点で、L事件の犯人がAであり、同種犯罪を繰り返す危険が切迫しているとの認識を有し、そのことを原告の主張する内容及び態様で情報提供を行っていたとしても、残念ながら本件事件の被害を防ぐことができたとは言い難い。

したがって、埼玉県警の情報提供によって、本件事件の被害を回避できる高度の蓋然性があったとは認められないし、相当程度の可能性があったということもできない。

権限行使の容易性
既に説示したように、9月15日正午の時点で、埼玉県警は、L事件とAを結びつける情報を得ておらず、Aについては、所在確認を要する人物の一人という限度で捜査の対象としていたもので、L事件の嫌疑が生じているわけではなかった。
したがって、同時点において、埼玉県警が、L事件と同月13日に熊谷
署から立ち去った外国人であるAを結び付けて、あたかもAがL事件の犯人又はその疑いが極めて強いかのように判断できる情報を有していたわけではないから、これを直ちに原告や地域住民に提供することができなかったというべきである。
また、原告が主張する情報提供の方法のうち、防災無線の利用については、依頼すること自体は容易であるが、前記のとおり、管理者である地方公共団体の協力が必要となり、その判断によるものであるから、管理者と
事前の連携ができていない状態で、必ずしも埼玉県警の意図した情報提供ができるかは不明であった。また、パトカーなどの警察車両を使った広報活動も実施可能であると考えられるが、前記のとおり、局限的な効果しか期待できない上、捜査の初動段階の重要な局面において、捜査車両と人員を割くことになり、捜査の進捗に影響を及ぼすおそれが大きいから、広報
による効果と捜査への影響を比較衡量すると、必ずしも現実的な選択であるとは言い難い。したがって、防災無線の利用や警察車両を使った広報活動は、情報提供の方法として執り得るものであったといえるが、提供できる情報の内容が限定的で、効果の点でも不明であり、警察車両と人員の使用は捜査活動に支障を生じさせるという問題もあることから、本件事件の
当時において、実質的に見ると、上記の情報提供を容易になし得る状況ではなかったといわざるを得ない。

小括
以上の検討のとおり、本件において、埼玉県警は、9月15日正午の時
点で、原告及びBらに対し、原告が主位的に主張する内容と方法による情報提供を行うべき法的義務を負っていたと認めることはできない。なお、前掲の検証報告書では、防災無線等を用いて周辺住民に対する幅広な情報提供を行うべきであったかのような指摘があるが、そもそも同報告書は、前記認定事実⑺のとおり、本件事件の埼玉県警の対応について、
市民からの強い批判を受け、本件事件を事後的に検証した結果として、捜査活動に伴う情報提供の反省点を挙げて、今後のより良い捜査及び一般市民への情報提供の在り方を提言したものであり、ここに反省点として挙がっているからといって、直ちに違法な公権力の行使と評価されるべき権限不行使があったことを裏付けるものではない。
そして、埼玉県警は、14日夜の時点で、L事件の発生について、検視によって殺人事件と断定する前に報道機関へ情報提供を行い、その結果、
同事件の発生は、直ぐにテレビや新聞で取り上げられて広く報じられたこと、また、15日午前中には市教育委員会を通じ、児童生徒やその保護者に対する安全確保のための呼掛けを行っているなど、当時入手できていた捜査情報に基づく判断を前提として、できる範囲での情報提供を行っていたことを併せ考えると、埼玉県警が、原告の主張する内容及び態様での情
報提供を行わなかったことが、与えられた裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとして、著しく不合理であるとはいえず、国賠法上の違法があるとは認められない。


法的義務に関する予備的主張について
原告は、L事件について事情を知っていると思われる外国人が同月13日
に熊谷署から立ち去り、その後、外国人による住居侵入事件が発生しているとして、9月15日の昼頃までに、地域住民にこのことを知らせて、戸締りと不要不急の外出自粛の呼掛けを行い、同日午後の記者会見では報道機関に伝えるべきであったと主張する。

ところで、被告は、原告の上記主張が、時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきであると主張するので、まずはこの点を検討する。前記予備的主張は、令和3年10月29日の第15回口頭弁論期日で陳述した原告の第8準備書面(同年9月17日付け)で初めて提出されたものである。それまでに、当裁判所は、平成30年11月30日の第1回口
頭弁論期日の後、2回の弁論準備手続期日、12回の口頭弁論期日による争点整理を経て、原告の主位的主張に係る被告の権限不行使による義務違反の有無を主たる争点と確認した上、令和3年8月20日付けで証人3名(E署長、H捜査一課長及びF課長代理)の採用を決定し、同年9月3日の第14回口頭弁論期日に前記3名の証人尋問を終えていたもので、原告の前記第8準備書面が提出された時点では、申出のあった証人のうち1名(G刑事部長)及び原告本人に対する尋問を実施する方針で、当裁判所及
び双方代理人との間で進行協議(G刑事部長は、当時、遠方に赴任していたため、
その尋問実施方法を調整していた。をしていた段階にあった

(い
ずれも当裁判所に顕著)。
このように予備的主張は、双方の主張整理を踏まえて証拠調べが行われている最中に追加されたものであって、その内容は、先行して行われた前
記3名の証人尋問の結果、新たに判明した事実に基づくものではなく、従前から提示されていた事実を新たに整理して組み直したものにすぎないから、争点整理の過程でこれを主張することが可能であったことを考えれば、原告による予備的主張の追加は、明らかに時機に後れたものと言わざるを得ない。

他方で、予備的主張は、主位的主張において、提供を義務付ける情報の内容及び方法を若干修正したものにすぎず、本件事件に対する危険の切迫性やその認識可能性等の法的義務の発生根拠については、従前の主張と同じくしており、特段新たな主張をするものではないので、予備的主張の審理判断のために新たな攻撃防御が必要になるわけではなく、予備的主張の
追加が、訴訟の完結を著しく遅滞させるものではない。
したがって、原告による予備的主張について、時機に後れた攻撃防御の提出を理由に却下することは相当ではない。

そこで、予備的主張を検討する。
原告は、予備的主張において、埼玉県警が提供すべき情報の内容を、直接的にはAを犯人と断定するものではないが、実質的にはAが犯人である可能性を前提として、Aと各侵入事件やL事件を結び付けた上で、Aによる更なる犯行に注意するように呼び掛けるものであり、結局のところ、主位的主張における情報提供の内容と実質的に変わるところがない。仮に、
Aが犯人である可能性や同種犯罪が発生する危険性とは無関係に、熊谷署からの立去りや外国人による住居侵入事件の発生の事実を告知す
べきというのであれば、そのような一般的な告知義務の発生根拠や、この場合に原告やBら特定個人との関係で個別的な法的義務を構成することを具体的に主張する必要があるが、この点に関しては何ら主張していない。また、原告の主張する義務を、具体的な犯罪発生の危険性と関連しない一般的な告知義務と解するのであれば、その損害として、適切な情報提供を
受けることができなかったことによる精神的損害を主張するのであればともかく、本件事件による被害、すなわちBらの死亡による損害との間に相当因果関係を認めることは困難である。
そして、前記⑵で説示したとおり、本件事件が発生する具体的危険が切迫していたとはいえず、これを埼玉県警が認識し得たともいえないこと、
Aが犯人であることを前提とした情報提供を行うことは容易でない一方、これを行うことで本件事件の被害を回避することができたかは疑問であるといった点からすると、予備的主張として原告が主張する内容及び態様での情報提供を行うべき義務があったとは認められず、埼玉県警が、そのような情報提供を行わなかったことが、与えられた裁量権の範囲を逸脱し
又は濫用したものとして、著しく不合理であるとはいえないので、予備的主張によっても、国賠法上の違法を認めることはできない。
3
まとめ
本件事件の無慈悲で残忍極まりない犯行によって、突如として、最愛の家族
を奪われた原告の無念さは察するに余りあり、事後的に本件事件に至る経過を見ると、
埼玉県警の責任を問う心情はよく理解できる。
しかしながら、
これまで
検討してきたとおり、本件において、埼玉県警のL事件発生後の情報提供の方法及び内容に関して、権限不行使による国賠法上の違法があると認めることはできない。
したがって、
原告の請求は、
その余の争点を判断するまでもなく、
理由がない
といわなければならない。
第4

結論
よって、
原告の請求はいずれも理由がないから、
これを棄却することとして、
主文のとおり判決する。
さいたま地方裁判所第5民事部

裁判官

久次
良奈子

裁判長裁判官石垣陽介及び裁判官牧野一成は転補のため署名押印することができない。

裁判官

久次
良奈子

※別紙地図の掲載省略
(別紙)
原告損害一覧
1
Bに生じた損害


逸失利益

3750万4465円

平成27年度賃金センサス女性・学歴計・全年齢平均の372万7100円を基礎収入とし、生活費控除率を30パーセントとして、67歳までの26年間のライプニッツ係数(14.3752)を乗じると、次の計算式のとおり、前記の金額となる。

【計算式】3、727、100円×0.7×14.3752≒37、504、465円⑵

死亡慰謝料



小計

6750万4465円



相続

4500万2976円

原告は、前記

3000万円

のBの損害賠償請求権のうち、3分の2に当たる4500

万2976円を相続した。
2
Cに生じた損害


逸失利益

3609万7248円

平成27年度賃金センサス男女計・学歴計・全年齢平均の489万2300円を基礎収入とし、生活費控除率を40パーセントとして、死亡時の10
歳から67歳までの57年間のライプニッツ係数より、死亡時の10歳から就労開始年齢である18歳までの8年間のライプニッツ係数を引いた値(12.2973)を乗じると、次の計算式のとおり、前記の金額となる。【計算式】4、892、300円×0.6×12.2973≒36、097、248円⑵

死亡慰謝料



3000万円

小計

6609万7248円

相続
原告は、Cの唯一の法定相続人として、前記

の損害賠償請求権を全部相

続した。
3
Dに生じた損害
逸失利益

3118万2248円
平成27年度賃金センサス男女計・学歴計・全年齢平均の489万2300円を基礎収入とし、生活費控除率を40パーセントとして、死亡時の7歳から67歳までの60年間のライプニッツ係数より、死亡時の7歳から就労開始年齢である18歳までの11年間のライプニッツ係数を引いた値(10.
6229)を乗じると、次の計算式のとおり、前記の金額となる。
【計算式】4、892、300円×0.6×10.6229≒31、182、248円⑵

死亡慰謝料



3000万円

小計

6118万2248円

相続
原告は、Dの唯一の法定相続人として、前記

の損害賠償請求権を全部相

続した。
4
原告固有の損害額



弁護士費用

2300万円


5
葬儀費用



慰謝料

小計

4250万円

合計(1⑷+2

1500万円
450万円

+3

+4⑷)

2億1478万2472円
以上

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