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道路交通法違反被告事件
事件番号令和2(わ)188
事件名道路交通法違反被告事件
裁判年月日令和4年1月31日
法廷名福岡地方裁判所  小倉支部
全文全文
最高裁判所〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号 Map
裁判日:西暦2022-01-31
情報公開日2022-03-10 04:00:16
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事件番号

令和2年(わ)第188号

事件名

道路交通法違反被告事件

宣告日

令和4年1月31日
主文理由
被告人は無罪

第1
1
本件公訴事実及び争点等
本件公訴事実(以下公訴事実という。
)は,
被告人は,平成27年1月1日午前5時頃,福岡県宮若市内の高速道路上り(以下省略)付近道路において,普通乗用自動車を運転中,進路前方の路上に仰臥していたA(当時32歳)及び同人を中腰状態で救護中のB(当時31歳)に対し,Aを轢過するとともに,Bに自車前部を衝突させて路上に転倒させ,同人らにいずれも心臓破裂の傷害を負わせ,よって,その頃,同所において,同人らを前記各傷害により失血死させる交通事故を起こし,もって自己の運転に起因して人に傷害を負わせたのに,直ちに車両の運転を停止して,同人らを救護する等必要な措置を講じず,かつ,その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を,直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかったというものである。2
公訴事実記載の日時,場所(以下本件現場という。
)において,差し掛

かった被告人の運転する前記普通乗用自動車(オフロードタイプの軽四輪乗用自動車。以下被告人車という。
)が,先立つ別件事故により車外に放出されて前記の
とおり路上に仰臥していたAの身体の上方を通過する(具体的態様については疑義があるので後述する。とともに,

同人の同伴者で同人を助けるため中腰状態となっ
ていたBに衝突し(以下,併せて本件衝突等という。,被告人が本件衝突等に)
伴う衝撃を感じつつ運転を継続した,という限りにおいては争いがなく,主たる争点は,道路交通法117条2項(1項,72条1項前段)所定の救護義務違反罪(以下,救護義務違反罪
単に
という。の成立に当たって必要となる被告人の故意

(自
己の運転により,人を死傷させたこと[確定的]又は人を死傷させたかもしれないこと[未必的]の認識)の有無である。
この点,検察官が,被告人には少なくとも前記の限りの未必的認識はあったとして,公訴事実のとおり被告人の有罪を主張するのに対し,弁護人は,高速道路から流出して,
本件衝突等の約18分後に行われた被告人自身の110番通報以降,今日に至るまで一貫する被告人の本件現場で対物事故を起こしたと思っていた旨の供述に基づき,高速道路の車線上で人が仰臥したり中腰になったりしている可能性を被告人において認識できる状況にはなく,被告人は至近距離にあった事故車のバンパー等の部品に自車が衝突した程度の認識しか持ち得なかったのであり,検察官の主張するような故意など,未必的認識の限りであってもあろうはずがないとして,救護義務違反罪の故意を欠くから無罪である旨主張する(なお,本件発生日[平成27年1月1日]から本件公訴提起日[令和2年4月9日]までには5年以上が経過し,その間に公訴時効停止事由は存しない。よって,公訴事実のうち道路交通法119条1項10号(72条1項後段)所定の報告義務違反罪については,刑事訴訟法250条2項6号により既に3年の公訴時効が完成していることに伴い,これと刑法54条1項前段の科刑上一罪の関係にあり,公訴時効が完成していない救護義務違反罪が成立することを条件として,初めてその成立を非難できるにすぎないから,救護義務違反罪が成立しない場合には,被告人には端的に無罪が言い渡されることとなる。。

また,弁護人は,被告人車がAに接触した時点において,既に同人が死亡していた可能性があるとして,同人を対象者とする救護義務違反罪は成立し得ない旨をも指摘する。
3
関係各証拠を精査した結果,当裁判所は,被告人車と接触した時点において
Aが生存していたことは認められるものの,被告人の救護義務違反罪の故意については,自己の運転により人を死傷させたかもしれないとの未必的認識の限りにおいても認めるに足りないと判断した。
以下,その判断過程について詳述する。
第2
1
関係各証拠により容易に認められる事実経過等
本件現場は,中央分離帯により上下線が分離された,進行方向に向けて緩や
かな右カーブを描く片側2車線の高速道路の車線上にあり,車線の両側には白線により路肩が確保され,被告人車の進行方向左側にはガードロープ及び防音壁が設置され,進行方向右側の中央分離帯にはガードレールが設置されていた。また,本件衝突等の当時は,降雨はなかったものの,最高速度を時速100キロメートルから時速80キロメートルに引き下げる臨時規制がされ,暗闇の中,自動車のライトがなければ周囲の様子をほとんど視認することができない状況にあった。2
本件衝突等に先立ち,BとAが乗車する軽四輪自動車が,先行車両を追い抜
くなどした後,進路左側の路肩外のガードロープに衝突して滑走,横転し,本件現場のごく近く,進行方向から見て向こう側の追越車線上の中央分離帯寄りに,車体右側を下にし,車底部を進行方向とは逆の,後に被告人車が進行してくる方面にさらして,追越車線の一部を塞いで停止した(以下,両名が乗車していたこの自動車を横転車といい,この自損事故を先行事故という。。

3
前記先行車両(以下C車という。
)を運転中のDは,先行事故を目撃する

と,横転車から40メートル以上前方の走行車線左側の路肩(以下,路肩とある
ときは走行車線側のそれを指す。にC車を停車させ,

同乗していた父親のCを起こ
して目撃状況を説明した。その頃,Eは,自動車(以下E車という。)で本件現
場手前の追越車線を進行中,前記のとおり停車中のC車のハザードランプに気付くとともに,進路前方に立っているB及びその向こう側の横転車の存在に気付いて車線変更し,C車の前方の路肩にE車を停車させた。
C,E及びE車に同乗していたFが,それぞれ自車から降車し,路肩を歩いて,先行事故の状況確認に向かうと,Bが,横転車よりも進行方向手前の追越車線上に倒れているAを助けようとしている最中であり,
Bは,
路肩にいるCらに気付くと,
手伝ってほしい旨声を発しながら,Aのすぐ近くで中腰になって前方にかがみ,両腕を同人の方に伸ばして,同人を抱え上げようとした。
4
その頃,被告人は,被告人車を運転し,本件現場に向けて時速約80ないし
90キロメートルで走行車線を進行中,進路左側の路肩に複数台の自動車がハザードランプを点滅させて停止していることに気付き,追越車線に車線変更して,同車線上の前方車両に追従し,前照灯はロービームの状態で進行したところ,前車が不意に走行車線に向けて左方に移動するのを認めるや,自車が進路前方の横転車(その車底部全面)に迫りつつあることに気付き,衝突を避けようとして自らも車線変更に着手したものの,本件衝突等までは回避できず,これにより,Bは前方に向けて30メートル余り跳ね飛ばされて追越車線上に落下し,心臓破裂による失血で死亡した(Aについては後述する。。

5
走行車線への車線変更を終えて運転を継続した被告人は,予定を変えて,本
件衝突等の約11分後である当日午前5時11分頃,本件現場から約11.1キロメートル先にある鞍手インターチェンジ料金所から流出し,目にとまった同料金所から約500メートル先にあるコンビニエンスストア店舗すぐ脇の同店駐車スペースに被告人車を停車させ,降車して損傷状況や血液様の付着状況を視認すると,本件衝突等の約18分後である当日午前5時18分頃,110番通報をして,約20分間,警察官と本件衝突等に関するやりとりをした上,同駐車場に臨場した警察官にも何かにぶつける事故を起こしたなどと説明すると,本件現場に戻り,当日午前8時15分頃からは本件現場における実況見分に立ち会って,運転状況等について指示説明を行い(以下本件指示説明という。,前方に見えた黒い物体に衝突し)
た旨説明した。
6
5日後から行われた被告人車の実況見分等において,被告人車の損傷状況や
血痕の付着状況等につき,以下の事実が確認された。
フロントバンパーの,地上高約65ないし70センチメートル,中央からやや右側(運転席側)の部分に,水平・車体後方向きの幅約30センチメートルにわたる凹損があり,右前照灯の下部及びフロントグリルの下部に,水平方向の破損がある。
地上高約50センチメートル,右側面から約28センチメートルの位置にある右側フォグランプが破損して空洞状態になっていて,その下方中央寄りのフロントバンパー地上高約40ないし45センチメートルの部分に,水平方向の破損がある。ナンバープレートは中央部がやや沈み込んで,左右端がめくれ上がるように曲損し,フロントバンパー下部に装着されたメッキ製アンダーカバーの右側面から67センチメートルの部分(ナンバープレートの右下の位置)に破損がある。前面中央のフロントグリルからナンバープレート,下方アンダーカバーにかけて,Bの血痕が付着し,前記の右側フォグランプの下方中央寄りのフロントバンパー破損部には,同人の血痕と肉片が付着している。
被告人車の底部には,赤色オイル様の液体の付着が認められたものの,その他に顕著な特異痕跡はない。
第3
1
本件衝突等の具体的態様等
被告人車とBとの衝突の具体的態様
鑑定書
(甲14)
によれば,
①同人が身長168センチメートル,
体重55.

5キログラムの男性であること,②同人の身体に,被告人車前面が同人の左側胸・側腹,腰部左側に衝突したことにより心臓破裂が生じたと考えるに足りる損傷があったこと,③その左大腿後面外側には,足底から約65センチメートルの箇所を中心として,上下に約9センチメートル,中央部で約5センチメートルにわたって開いた創があり,その創面に一部挫砕された筋肉が大きく露出するとともに,左大腿骨は完全に骨折していたことが認められる。
前記第2の6に摘示したとおりの被告人車への同人の血液の付着状況等に,前記

の事実を併せてみれば,被告人車の前面が同人の左半身と衝突したことは明
らかであり,更に既に認定した事実に加え,同人の左大腿後面外側の損傷と,血痕及び肉片が付着していた被告人車の右側フォグランプ下方中央寄りのフロントバンパーの破損部とが整合的であることに照らすと,同人は,被告人車と衝突した際,その足底から約65センチメートルの高さにある左大腿後面外側部が,地上高約40ないし45センチメートルに位置するような状態で,中腰でかがむ体勢となっていたものと認められる。
2
被告人車がAの身体の上方を通過した際の具体的態様及びその時点における
同人の生死

同人の司法解剖を担当した鑑定医の公判供述及びその鑑定書(甲13)の
ほか,C,E及びFの各公判供述並びに捜査関係書類等の関係各証拠によれば,①Aが胸部圧迫に基づく心臓破裂による失血で死亡したこと,②同人の胸腹部には,表皮剥脱,皮下出血,肋骨多発骨折,内臓破裂等の多数の損傷が生じていたこと,③同人の右大腿部にはタイヤ痕様の皮下出血があり,当該タイヤ痕様となって現れたタイヤのトレッドパターンに酷似する模様が被告人車のタイヤのトレッドパターンと高度に整合する一方で,その右大腿部の下部には,タイヤを通じた轢過自動車の圧迫があれば生じるはずの骨折や筋肉の挫砕が生じていないこと,④タイヤが身体の直近を通過して衣服を巻き込んだりすることにより,轢過によらずとも,当該衣服の下の部位にタイヤ痕様の皮下出血が生じる可能性があること,⑤前記③のタイヤ痕様の皮下出血を除き,
タイヤによる轢過を疑うべき痕跡が見当たらないこと,
⑥被告人車以外に前記①②の傷害を生じさせた自動車は存しないこと,⑦同人の身長が153センチメートル,被告人車の車幅が147センチメートルであることが認められる。

以上によれば,被告人車の車底部にAとの接触を示す痕跡が残されていない
ことを踏まえても,公訴事実のように被告人車が同人を轢過
,すなわち,被告人
車がいずれかのタイヤで同人の身体を乗り越えて轢いたものとは認められず,被告人車は同人を轢跨
,すなわち,同人の身体を,これと平行的に左右前後輪のタイ
ヤの間で跨ぐように通過して轢いたものと認められる
(なお,
検察官も,
論告では,
轢過ないし轢跨であるとしており,被告人車が同人を轢跨した可能性を否定していない。。

そして,前記のとおり,同人の胸腹部には多数の損傷が認められるところ,その損傷の態様に加え,被告人車以外にそれらを生じさせた自動車が存しないことに照らせば,これらの損傷は,先行事故やこれに伴う横転車からの放出によるものではなく,被告人車が仰臥する同人の上方を高速で通過して轢跨したことによって生じたものと推認できる。加えて,鑑定医の公判供述及びその鑑定書(甲13)によれば,Aに生じていたほぼ全ての損傷に生活反応があり,それらの損傷が1台の自動車による轢跨によって生じたとしても矛盾しないというのである(その供述の信用性に疑いを差し挟むべき事情はない。。

そうすると,被告人車が同人を轢跨した時点において,同人は生存していたものと認められるから,同人を対象とする救護義務違反罪も成立し得ることとなる。第4

故意の有無

以上を踏まえて,
被告人の故意
(自己の運転により,
人を死傷させたこと[確定的]
又は人を死傷させたかもしれないこと[未必的]の認識)の有無について,検討を進める。
1
本件衝突等の直前における被告人の認識

この点について,被告人は,当公判で,大要横転車を避けるために車線変更しようとハンドルを左に切ったら,目の前の路上に影のような横長の黒っぽい物体があることに気付き,長さからバンパーだと思い,避けることが既に不可能であったため,跨いで通過しようと判断して進行したが,その過程でおよそ人は見ていないし,横長の黒っぽい物体もおよそ人のようには見えなかった旨供述するので,その信用性について検討する(なお,関係証拠上,被告人の供述する横長の黒っぽい物体はAであったと認められるが,被告人の供述する被告人の視認対象とい
う趣旨で,引き続き横長の黒っぽい物体という。。

まず,被告人は,自動車のライトがなければ周囲の様子をほとんど視認することができない暗闇の中,被告人車を運転して高速道路上を時速約80ないし90キロメートルで進行していた際,前方車両の車線変更後に突如として直面した横転車(被告人に向けてさらされている車底部全面)との衝突回避に迫られ,取り急ぎ車線変更を試みる中で,ハンドルの転把とこれに伴う自車の動きにつられて自己の視点,視野も反射的に動かざるを得ないごく短時間(被告人の表現によれば一瞬一瞬で,あっという間)のうちに,本件衝突等に至っている。加えて,本件衝突等
の際,Aは路上に倒れ,Bは中腰になってかがんでいるという,両名とも高速道路の車線上でおよそ容易には想定し難い姿勢ないし体勢となっていたのであり,かかる本件衝突等の直前に生じていた彼我の状況は,被告人車が本件衝突等の直前に一定程度減速した可能性を踏まえても,
被告人が当公判でその趣旨を供述するごとく,
自車前方直近の人の存在を容易に視認,識別したり,人の存在可能性を容易に想起したりできる状況にはなかったことを強力に基礎付ける事情である。そして,横長の黒っぽい物体を跨いで通過しようとした旨の被告人の公判供述は,現に被告人車がAの身体に乗り上げずに轢跨したという客観的事実と整合しているところ,反射的に急ブレーキをかけたり急ハンドルを切ったりするのではなく,跨いでやり過ごそうとしたという被告人の運転ぶりは,被告人が本件衝突等に先立ち,視認した横長の黒っぽい物体について,それが人であるかもしれないと認識しておらず,その間近に人がいるとも認識していなかったことの証左とみるのが自然である。ア
もっとも,検察官は,論告に至り,本件衝突等の約3時間後から実施された
実況見分時における,
黒い物体
を発見したのがその約11メートル手前であると
する被告人の本件指示説明の内容(甲26)や,本件衝突等の直前には被告人がブレーキを踏んでいたはずである旨言及する専門家証人Gの公判供述に基づき,被告人は,本件衝突等の直前にはAの間近でかがんでいたBの姿をも視認していたのであり,これに反する被告人の公判供述は信用できない旨まで主張する。これが肯認できるのであれば,
本件衝突等に伴う衝撃や衝撃音と相まって,
被告人の故意,
すなわち人を死傷させたことの確定的認識もまた,優に肯認できることとなろう。しかしながら,検察官の援用する前記実況見分調書(甲26)は,被告人の本件指示説明を基に作成されているとはいえ,添付された見取図の記載を見ると,C車やE車が本件現場のほぼ真横の路肩に停車していたり,細長の黒い物体が被告人車の前方に進路に対し垂直に置かれていたりといった,客観的事実と明らかに反する内容も含まれているし,そもそも前記のとおり被告人は暗闇の中,前車に追従してロービームで高速進行中,ごく短時間のうちに思いも寄らなかった回避行動を余儀なくされたのであるから,その認知や記憶は本来的に断片的で不正確なものとならざるを得ず,これに基づく本件指示説明の内容とこれを受けた警察官の図面化も,細部になるほどその信頼性に多くを期待できないものと解するのが自然にして合理的である。そうすると,少なくとも本件指示説明に依拠して,現に被告人は約11メートル手前で横長の黒っぽい物体を視認したなどと軽々に論じることは相当でない。また,この点をあえて不問に付してみたところで,そもそも時速80キロメートルで進行する自動車にとって,約11メートルなど0.5秒程度の瞬時に移動する距離でしかないから,いずれにせよ路上にある横長の黒っぽい物体にその約11メートル手前で気付いている以上,その間近でかがんでいたBをも視認したはずなどと推認する余地はない。また,
前記のとおりGがブレーキによる減速について言及しているとはいえ,被告人車の減速は,せいぜい車線変更による横転車との衝突回避を試みる際に生じた程度のものでしかないと考えられ,
現に本件現場の付近にいたFが,
当公判で
目の前からBがぱっといなくなったため,自動車にはねられたと思った旨供述していることからすれば,
減速したから同人を視認したはず
などと推認することもで
きない。
よって,被告人は本件衝突等に先立ってBを視認していた旨をいう検察官の主張は採用することができない。

また,やはり論告に至り,検察官は,被告人が本件衝突等に先立ち,路肩に
ハザードランプを付けて停車していたC車等や進路前方の横転車を視認している点をも援用して,被告人はそのような状況を踏まえた上で更に横長の黒っぽい物体を視認したのであるから,
その横長の黒っぽい物体が人であるかもしれない
旨認識
していたとも主張する。これが肯認できるのであれば,本件衝突等に伴う衝撃,衝撃音と相まって,被告人の故意,ここでは人を死傷させたかもしれないとの未必的認識もまた,優に肯認できることとなろう。
しかしながら,あらかじめ先行事故の発生を把握し,目的意識をもって本件現場に歩いて接近し,被告人に比べれば圧倒的に時間的,精神的な余裕を持って本件道路の真横の路肩上からB及びAの様子を目撃できたC,E及びFにおいてですら,当公判において,いずれも動いているBについては人だと気付いたものの,倒れているAについては,E及びFは,
黒いような物
(E)又は黒い毛布みたいな感じの塊
(F)と思い,その時点では人であるとは思わなかった旨,Cにしても,Bの一,二メートルそばまで近づき,同人から助けてください,手伝ってくださいなどと言われた際に,もう1人倒れていることが分かった旨,それぞれ供述するにとどまっていて,横転車及びその傍らで動いているBの存在を目の当たりにしながらも,すぐ近くの路上に人が倒れている可能性に直ちに思い至らなかった様子がうかがえるのであり,ましてや高速進行中,緊急の回避行動を余儀なくされた被告人において,進路前方左側の路肩に停車する自動車や進路前方の横転車の存在を拠り所にして,その横長の黒っぽい物体が高速道路の車線上に通常存在するはずのない仰臥する人であるかもしれないと認識したなどと推認することはできない。よって,被告人は進路前方に現れた横長の黒っぽい物体を人であるかもしれないと認識していた旨の検察官の主張も採用できない。
以上によれば,被告人の,要するに本件現場を通過する際に,およそ人は見ていないし,横長の黒っぽい物体もおよそ人のようには見えなかった旨の公判供述の信用性についてはたやすく否定できず,かえってこれを肯認して,その内容を前提とした検討を進めることとなる。
2
本件衝突等の後における被告人の認識

この点について,被告人は,当公判で,大要思っていたように横長の黒っぽい物体を跨いで進行することができず,衝突してバンと音がし,乗り上げたような感じはしたものの,そのバンパーに思えた横長の黒っぽい物体に衝突したと思い,人に衝突したかもしれないとは思い至らないまま運転を続けていたら,アクセルを踏んでも加速しない,ウインカーの点滅が速くなるといった不調が感じられたので,停車させて確認するため,鞍手インターチェンジから流出して目についたコンビニエンスストアの駐車場に被告人車を停車させ,その前面を確認したら壊れたり血液らしきものが付着したりしていたので,すぐに110番通報した旨供述する。これまで認定説示したところによれば,被告人は本件衝突等に先立ち,暗闇の中,被告人車を運転して,高速道路の追越車線を前車に追従してロービームで進行中,いきなり,視野に入った横転車と横長の黒っぽい物体との衝突回避の必要に迫られ,進路前方で仰臥したり中腰になってかがんだりしていたA及びBを人として認識できるだけの視認条件が調わない緊急状態の下,進路前方に人がいることはもとより,人がいるかもしれないことすら認識できないまま,本件衝突等に至ったものと認められる。
そして,被告人が本件衝突等に伴って人を始めとする何かが跳ね飛ばされる様子を視認したと認めるに足りる証拠はない。
そうすると,救護義務違反罪の故意を問うに当たっては,本件衝突等までの認識に加えて,被告人が,本件衝突等に伴う衝撃や衝撃音(以下,併せて本件衝撃等という。
)を体感したことにより,被告人車が人と衝突したかもしれないこと(以下対人衝突可能性という。
)を事後的,回帰的に認識したものと,被告人の否認供
述にもかかわらず推認できるか否か(検察官の証明予定事実を軸として,期日間整理手続の終結時に想定されていた核心的争点)が問題となる。
確かに,検察官の指摘するとおり,本件衝突等は,高速度でAを轢跨するとともに,Bを30メートル余り前方に跳ね飛ばし,被告人車に前記のとおりの損傷を生じさせるに足りるものであったから,これに伴う本件衝撃等も相当のものであったと優に推認できるところであり,現にCも当公判において,110番通報をしている間に,ドーンという大きな音を聴いた旨供述している。
加えて,Bに対する衝突は,Aに対する轢跨とは異なり,自動車の前面が中腰でかがんでいる人に衝突したというものであるから,これによって被告人が体感した衝撃は,跨ごうとしていた横長の黒っぽい物体との衝突によって生じ得る,車体の下方から伝わってくる類の衝撃とは異質のものであったこともまた,推認できる。かかる本件衝撃等の強さや衝撃の異質性は,被告人が対人衝突可能性を事後的,回帰的に認識したとの推認を可能とする方向に働く事情ではあるから,これに沿う検察官の主張は,その限りにおいて理由がある。

しかしながら,被告人が,横転車等との衝突回避を迫られる過程で,進路
前方に人がいることはもとより,
人がいるかもしれないことすら認識できないまま,
ごく短時間のうちに本件衝突等に至ったという具体的事情が先行していることは前記のとおりであって,単に横長の黒っぽい物体を跨ぐように通過する際に生じたとしても不思議ではないような衝撃や音が加わったというだけでは,それが相当に激しく大きなものであったとしても,
やり損なってぶつけたとの認識を超えて横長の黒っぽい物体が実は人であったという認識の是正,転換に至るものとは容易に考え難い。
それにもかかわらず,
被告人が本件衝撃等を契機として,
一転して
人と衝突したかもしれない旨,すなわち対人衝突可能性を認識するに至るには,①跨ぐ際に生じ得る衝撃とは異質の衝撃が生じたこと(衝撃異質性)の自覚を端緒として,②視認できていた横長の黒っぽい物体とは異なる,視認未了の何かと被告人車が衝突した可能性(対象異質性)を認識し,その上で,③その衝突したかもしれない対象には人が含まれること(対人衝突可能性)を認識する,という複数の推認過程を辿らざるを得ないのであって,本件衝撃等があったにせよ,そこから被告人が対人衝突可能性を認識したと推認するのは,
以下のとおり必ずしも容易ではない。
すなわち,前記のとおり,本件衝突等の直前に被告人が横転車以外に辛うじて視認できたのは横長の黒っぽい物体のみである上,改めて事実経過を振り返れば,本件衝突等の際,Bは路上に倒れているAの間近で中腰になってかがんでいたため,被告人車は,ほぼ同時にその下方にいるAそしてBに衝突し,被告人が本件衝撃等を体感したのはごく一瞬の実質的には1回限りで,それも比較的下方から伝わるものであったと解されること(平成27年1月1日に不意に生じた一瞬の事故状況を今に至って言語で正確,忠実に再現すること自体の困難さにも思いを致せば,被告人のバンと音がして乗り上げるように感じた旨の供述が,本件衝突等の客観的態様と齟齬するから信用できないなどとも断じ難い。,被告人車のフロントガラスやボ)
ンネットには本件衝突等に伴う損傷が生じなかったため,被告人には,自動車を運転中に前方の人と衝突した際に典型的に生じ得る,フロントガラスのひびやボンネットのめくれ等,一見して把握できる,人身事故の発生を想起させるような自車の外観上の異変に接する機会がなかったこと,高速道路の車線上に仰臥したり中腰になってかがんだりしている人がいるというのは本来希有な事象であり,路肩の停止車両や追越車線上の横転車の存在を今一度拠り所にして,これらと本件衝撃等とを脳裏で組み合わせてみても,それまで視野に入ったことのない低い体勢をとっている人と衝突した可能性に思い至るのは必ずしも容易ではないと解されること,が指摘できる。
そうすると,いかに被告人自身,当公判で,横長の黒っぽい物体を跨いでいこうとしたがうまくいかなかったなどとも述べていて,その供述に,体感した衝撃が,バンという音とも相まって当初想定したものとは異なるものであったこと(衝撃異質性)を自認する趣旨が含まれていると解してみても,そこから,まさに当時の被告人が,視認できていた横長の黒っぽい物体とは異なる,視認未了の何かと被告人車が衝突した可能性(対象異質性)を認識し,更にその衝突したかもしれない対象には人が含まれること(対人衝突可能性)をも認識した,と推認を重ねることは困難であって,被告人の要するに本件衝撃等を受けても,人と衝突したかもしれないとは思い至らなかった旨の供述の信用性は,
たやすく排斥できるものではない。

なお,検察官は,Gの公判供述等に基づき,被告人は被告人車が人体と衝突
したことによる特有の音や衝撃を体感したはずである旨をも主張するが,もとよりGが人体との衝突経験に基づいて供述しているわけではないし,客体が人体の場合と物体の場合とで,高速衝突に伴う衝撃や音に,素人でも容易に区別できるほどの相違があるかどうかすら定かではなく,まして高速進行中に緊急の回避行動を迫られている中で,そのような人体との衝突ならではの特有の音や衝撃を現に識別でき,そこから対人衝突可能性を認識できたなどとは到底解されない。ア
加えて,被告人は,前記のとおり,本件衝突等の後に運転を継続したとは
いっても,約11.1キロメートル先の鞍手インターチェンジ料金所から流出し,付近のコンビニエンスストア店舗すぐ脇の同店駐車スペースで被告人車の損傷状況等を確認して,確認後は速やかに,本件衝突等から約18分後には110番通報をして,当日午前8時15分頃からは本件現場における実況見分に立ち会って,本件指示説明に及んでいる。

本件衝突等の後における前記事実経過は,被告人が対人衝突可能性を認識し
ていたとしても成り立ち得るものではある。
しかしながら,被告人が対人衝突可能性を認識していたとすると,本件衝撃等から,運転席から見えないだけで想定以上に被告人車の前面が壊れたり,高速進行中の自動車対人という衝突態様からして高度の蓋然性をもって被衝突者が死亡あるいは重傷を負っていて,その血液や肉片等が被告人車の前面に付着したりしている可能性にも思い至っているものと考えられるところ,にもかかわらず,一方で路肩への停車等を経て110番通報するでもなく運転を継続しつつ,他方で約11分後には高速道路から流出して,前記のような状態かもしれない被告人車を,暗い早朝とはいえ,わざわざ人目につきかねないコンビニエンスストアの店舗すぐ脇の駐車スペースまで運んでその状態を確認するものとは直ちに考え難い。
そうすると,アに摘示した事実経過は,被告人が対人衝突可能性を認識しないまま運転を継続したものの,被告人車の不調から衝突の実態を確認する必要を感じ,取り急ぎ高速道路から流出して被告人車の損傷の有無等を確認することとして,落ち着いて確認しやすい明かりのある所まで被告人車を移動させて確認し,人に衝突したのかと思い至るや,道路交通法の趣旨に沿って行動したから生じたもの,すなわち被告人の本件衝撃等を受けても,人と衝突したとは思い至らなかった旨の公判供述に沿い,その信用性を補強する事実経過と位置付けるのが,より自然である。
なお,検察官は,
被告人車にアクセルを踏んでも加速しない,ウインカーの点滅が速くなるといった不調が生じたので高速道路から流出することにした旨の被告人の公判供述は,被告人車の実況見分の内容(甲17)と整合しないとも主張するが,当該不調は本件衝撃等を体感した被告人の主観的な感覚によるところも大きいと考えられる上,当該実況見分においては,ハンドル,タイヤ,ブレーキ,そのほか車幅灯や前照灯について異常がない旨確認されているにすぎず,アクセルやウインカーについてまで異常の有無が子細に見分,確認された形跡はないから,当該実況見分の内容によって被告人車の不調に関する前記供述の信用性が減殺されるには至らない。
以上によれば,被告人の要するに本件衝撃等を受けても,人と衝突したかもしれないとは思い至らなかった旨の公判供述の信用性についてもたやすく否定できず,かえってこれを肯認すべきこととなる。
3
故意の有無に関する結論

以上に認定説示したとおり,関係各証拠を精査し,被告人が本件衝突等の直前に置かれていた状況や本件衝突等の態様,更には本件衝突等の後の被告人の行動を総合して検討すれば,被告人の有罪をいう検察官の種々の主張を踏まえても,なお一連の事実経過に救護義務違反罪の故意責任を問うに足りるだけの事実関係を見出すのは困難というほかない。対人衝突可能性の認識を否定する被告人の公判供述を覆すに足りる検察官の立証はないことに帰し,被告人の同罪の故意については,自己の運転により人を死傷させたかもしれないとの未必的認識の限りにおいても認めるに足りない。
第5

結論

よって,公訴事実のうち救護義務違反の点については犯罪の証明がないこととなり,その余の公訴時効が完成している報告義務違反の点については,一罪の一部として起訴されたものであって主文において特に免訴の言渡しを必要としないので,刑事訴訟法336条により,被告人に対して無罪の言渡をすることとし,主文のとおり判決する。
(求刑

懲役10月)

令和4年1月31日
福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
裁判長裁判官

井野憲司
裁判官

佐藤洋介
裁判官

佐藤
いぶき

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