事件番号 | 令和1(ワ)30282 |
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事件名 | 損害賠償請求事件 |
裁判年月日 | 令和3年11月29日 |
法廷名 | 東京地方裁判所 |
全文 | 全文 |
最高裁判所 | 〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号 Map |
裁判日:西暦 | 2021-11-29 |
情報公開日 | 2022-02-06 19:24:39 |
令和元年(ワ)第30282号 口頭弁論終結日 同日原本領収 裁判所書記官 損害賠償請求事件 令和3年9月3日 判決原告 株式会社アトラクションズ 同訴訟代理人弁護士 被杉告薗主1太郎佳弘A 同訴訟代理人弁護士 本田文 被告は,原告に対し,1651万4515円及びこれに対する令和元年12月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告のその余の請求を棄却する。 3 訴訟費用は,これを200分し,その1を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 被告は,原告に対し,1657万0986円及びこれに対する令和元年12月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 1 事案の概要等 事案の要旨 本件は,被告が代表取締役を務めていた株式会社が,虚偽の事実を主張して,商標登録の取消しの審判事件において原告の主張を争い,原告が使用していた 標章の使用の差止め等を求める仮処分を申し立てるなどしたことについて,これらの一連の行為が原告に対する不法行為を構成し,被告には,同社の当該不法行為に関して,代表取締役としての任務懈怠があったと主張して,被告に対し,会社法429条に基づき,当該任務懈怠により生じた損害の賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日である令和元年12月5日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。 )所定の年5分の 割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに後掲証拠(以下,書証番号は特記しない限り枝番を含む。 )及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実) (1)当事者等 ア 原告及び原告代表者 (ア)原告は,服飾雑貨,装身具,皮革製品,衣料品の製造,販売及び輸 出入等を業とする株式会社である(甲1) 。 (イ)原告代表者は,平成18年5月から,個人事業主として, Attractionsの屋号により, Attractionsの欧文字 を図案化してなる標章を付した服飾雑貨の製作,販売等を行っていた(甲60) 。 原告代表者は,平成23年9月1日に原告を設立し,上記事業を法人成りさせ,それ以降は原告が上記標章を付した服飾雑貨等を製作,販売するなどしていた(甲1,60,弁論の全趣旨) 。 なお,当該標章の外観には若干の修正が繰り返し加えられたところ,遅くとも平成29年2月頃には,別紙原告標章目録記載の外観を有する に至った(以下,同目録記載の外観を有する標章を原告標章とい う。。 )(甲1,60,73,弁論の全趣旨) イ 被告等 (ア)株式会社IBEX(以下IBEX社という。 )は,商標権の売買, 管理及びその仲介業並びにハンドバッグ,帽子,靴,ベルト,婦人アクセサリー,服飾雑貨,アパレル製品及び皮革製品の輸出入,製造販売等を業とする株式会社である(甲5,乙3) 。 IBEX社は,平成23年11月11日に設立されたが,その債権者により,令和元年7月29日に破産手続開始の申立てがされ,東京地方裁判所により,同月30日に保全管理命令がされ,同年9月19日に破産手続開始決定がされた。 (イ)被告は,IBEX社の設立時から,同社の代表取締役を務めていた者である。 (ウ)B(以下Bという。 )は,IBEX社の経営企画室長として,同 社の業務執行及び経営を実質的に取り仕切っていた者である(甲65)。 (エ)株式会社アイ・ピー・ジー・アイ(以下IPGI社という。)は, 商標権の売買,管理及びその仲介業並びにハンドバッグ,帽子,靴,ベルト,婦人アクセサリー,服飾雑貨,アパレル製品,皮革製品等の輸出入,販売等を業とする株式会社であり,同社の代表取締役はBであるが,同社については,東京地方裁判所により平成23年7月8日に再生手続開始決定がされ,平成27年1月13日に同再生手続が終結した(乙 1) 。 (2)本件登録商標及び本件審判請求事件 ア 平成29年3月8日当時,IBEX社を商標権者とする以下の登録商標(以下本件登録商標という。 )が存在した。本件登録商標に係る商標 権(以下本件商標権という。 )は,登録日当時,IPGI社が保有し ており,平成24年8月9日頃,IBEX社に移転されたものである。(甲6の1,6の2,36,37) 。 登録番号 出 第5190866号 願日 平成20年5月12日 登録日 平成20年12月19日 標 Attraction(標準文字) 商 指定商品 第18類 かばん類,袋物,皮革製包装用容器,愛玩 動物用被服類,携帯用化粧道具入れ,傘 第25類 被服,ガーター,靴下止め,ズボンつり, バンド,ベルト,履物 イ C(以下Cという。 )は,平成29年3月8日,IBEX社を被請 求人として,本件登録商標の指定商品中,第18類のかばん類,袋物,携帯用化粧道具入れ,傘及び第25類の被服,ガーター,靴下止め,ズボンつり,バンド,ベルト,履物について商標登録を取り消す旨の審決を求める審判請求(取消2017-300167号事件。以下本件審判請求事件という。)をした(甲6の1,6の4) 。 原告は,同年8月24日,本件審判請求事件への参加を申請し,同年10月20日,参加許可の決定がされた(甲6の3,6の4) 。 ウ 本件審判請求事件について,令和元年5月13日, 登録第5190866号商標の指定商品中,第18類「かばん類,袋物,携帯用化粧道具入れ,傘及び第25類全指定商品についての商標登録を取り消す。」 との審決(以下本件審決という。 )がされた(甲7) 。 その後,本件審決は確定し,同年7月17日,請求人代理人に対する確定登録通知がされた(甲6の3,6の4) 。 (3)IBEX社の原告に対する和解条件案の提示 IBEX社の顧問弁護士であったF(以下F弁護士という。 )は,原 告代理人に対し,平成29年8月8日付けでFAX連絡書と題する書面(甲30。以下本件連絡書という。 )を送信した。 本件連絡書の内容は,IBEX社が,原告に対し,本件商標権の侵害に関する紛争を解決するための和解案として,①原告が,IBEX社に144 0万円を支払い,本件商標権を同社から譲り受けること,又は②原告が,今後,原告標章の使用を中止し,損害賠償金として400万円を支払うことを提示して,同月18日までに検討の結果を回答するよう求めるというものであった。 (4)IBEX社の原告を債務者とする仮処分命令申立て IBEX社は,平成29年9月21日,IBEX社は本件商標権を保有しており,原告が本件登録商標と類似する原告標章を付した皮革,デニム素材, ブーツといった被服,履物等の商品を製造,販売等する行為は本件商標権に対する侵害行為とみなされると主張して,原告に対し,原告標章を本件登録商標の指定商品と同一若しくは類似の商品に付し,又は同商品を販売等することの差止め,及び執行官による同商品の保管を求めて,商標権侵害禁止仮処分命令の申立て(以下本件仮処分命令申立てといい,同申立てに係る 事件(東京地方裁判所平成29年(ヨ)第22203号)を本件仮処分命令申立事件という。)を行った(甲31) 。 本件仮処分命令申立ての債権者(IBEX社)の代理人はF弁護士であり(甲31,32,58) ,債務者(原告)の代理人は原告代理人であった (甲56の2,57,73,弁論の全趣旨) 。 3 争点 (1)被告の任務懈怠責任の成否(争点1) (2)損害の発生及び額並びに相当因果関係(争点2) (3)過失相殺(争点3) 4 争点に関する当事者の主張 (1)争点1(被告の任務懈怠責任の成否)について (原告の主張) ア IBEX社による不法行為について 原告は,原告標章を商標登録することを検討し,弁護士兼弁理士(以下 本件弁理士という。 )に相談したところ,本件登録商標の存在が明ら かになった。そこで,原告は,IBEX社が継続して3年以上日本国内において本件登録商標を使用していないことを理由に,前記前提事実(2)イのとおり,本件弁理士の親族であるCを請求人として本件審判請求事件に係る審判を請求し,その後,原告は同事件への参加を申請して,特許庁に許可された。 これに対し,被請求人であるIBEX社は,本件登録商標を使用した事 実が存在しなかったにもかかわらず,本件審判請求事件において,本件登録商標をパーカーに付して使用していた事実がある旨の虚偽の主張をし,当該主張に沿うように不正に作成した加工指示書等の証拠を提出して,本件審判請求事件における原告らの主張を争った。 また,IBEX社は,前記前提事実(3)のとおり,原告に対し,本件連 絡書を送信して,本件商標権を1440万円で買い取るか又は本件商標権の侵害を理由とする損害賠償として400万円を支払うよう請求した。さらに,IBEX社は,前記前提事実(4)のとおり,原告に対し,原告標章が本件登録商標に類似するなどと主張して,原告標章の使用の差止め等を求める本件仮処分命令申立てをした。 これに対し,原告は,本件審判請求事件におけるIBEX社の主張や本件連絡書による請求を受けて,原告標章の使用の差止めや損害賠償請求に関するリスクに対応するため,原告標章を使用することを取り止め,原告標章が使用された商品は,別のブランド名に取り換えるか,不良在庫とせざるをなかった。 以上のとおり,本件登録商標を使用していたとする虚偽の主張を行い,原告に対し本件連絡書を送付して損害賠償を請求し,本件仮処分命令申立てをしたという,IBEX社による一連の行為は,原告に対する故意による不法行為を構成するものである。 イ 被告の任務懈怠について (ア)IBEX社の代表取締役である被告は,同社を代表して,本件登録商標を使用していたとする虚偽の主張を行い,原告に対し本件連絡書を送付して損害賠償を請求し,本件仮処分命令申立てをするという一連の行為を行ったところ,前記アのとおり,当該一連の行為は原告に対する不法行為を構成するから,被告には善管注意義務に違反する任務懈怠があり,かつ,これに悪意又は重大な過失があったと認められる。 (イ)被告は,IBEX社の実質的な経営者はBであり,被告は名目的な代表取締役にすぎず,IBEX社の前記アの各行為を知らされていなかったなどとして,被告に任務懈怠があったとは認められないと主張する。しかし,被告は,週に1度はIBEX社に出社し,同社の業務に携わり,同社から報酬を受け取っていたのであるから,被告が同社の名目的 な代表取締役であったとはいえない。また,被告は,Bから,IBEX社が前記アの一連の行為をしていたことを聞かされていた。したがって,被告の上記主張は前提を誤るものである。 そもそも,IBEX社は,取締役会設置会社ではなく,その取締役及び代表取締役がいずれも被告のみの株式会社であるから,被告は,同社 の機関として,業務の決定及び執行の権限を有するとともに,同社を代表し,業務に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有する唯一の立場にあった。そのような立場にある被告が,同社の機関ですらないBに業務の一切を任せ,自らは代表取締役としての職務を行わず,IBEX社の原告に対する不法行為を惹起したのであれば,それ自体, 被告が負う善管注意義務に違反するものであり,任務懈怠があるというべきである。 (被告の主張) ア IBEX社による不法行為について 不知。被告は,IBEX社の名目上の代表取締役であり,同社の経営には関与していなかったため,IBEX社と原告との間の本件登録商標に関する事実経過や,本件審判請求事件におけるIBEX社の主張の内容を一切把握していない。 また,そもそも,本件全証拠によっても,IBEX社が本件審判請求事件において虚偽の主張をしていたとは認められない。 イ 被告の任務懈怠について (ア)IBEX社は,再生手続開始決定がされたIPGI社の事業を承継するための受皿会社として設立されたものであるところ,IPGI社の代表取締役であったBは,個人的に親交があり,かつ,IPGI社の人事制度の設計に携わった被告に対し,B自身はIBEX社の代表者に就 任することができないので,被告がIBEX社の代表者に就任してほしいと依頼した。被告は,この依頼を承諾し,代表取締役に就任したが,IBEX社の主要業務である商標権の管理に関する業務,資金繰り,業務執行,人事その他経営に関する業務はBが全て差配していた。被告は,IBEX社には週に1回程度しか出社せず,出社しても自身の本業であ る人事コンサルタントの業務をすることが多く,Bの指示に従いIBEX社の経理業務に従事するなどする程度であって,Bに意見を述べることも許されていなかった。 このように,IBEX社の経営を実質的に取り仕切っていたのはBであり,被告は同社の名目的な代表取締役にすぎなかった。 (イ)本件審判請求事件におけるIBEX社の主張,本件連絡書の送信による原告に対する損害賠償等の請求及び本件仮処分命令申立ては,全てBが主体的に行ったものである。被告は,F弁護士とIBEX社との打合せに同席したり,F弁護士と連絡を取り合ったりしたことは一切なく,BやF弁護士から,本件連絡書や本件仮処分命令申立てについて何も知 らされていなかった。また,IBEX社のF弁護士に対する委任状を作成したのも被告ではなかった。 このように,被告は,原告が不法行為を構成すると主張するIBEX社の行為には一切関与しておらず,Bが主導したIBEX社の不法行為によって原告に損害を与えることを知っていたとか,容易に知ることができたなどの特段の事情は認められない。そうすると,被告には,Bが主導したIBEX社の不法行為を未然に防止すべき監督義務はないし, 仮に監督義務があったとしても,その義務を懈怠したことについて悪意又は重大な過失は認められない。 (ウ)原告は,被告の主張を前提としても,被告がBにIBEX社の業務を任せきりにしていたこと自体が任務懈怠に当たると主張するが,他者に業務一切を任せきりにしていた場合にも,個別具体的事情を考慮して 当該取締役の責任について検討されるべきであり,Bに業務一切を任せていたことから,直ちに被告に代表取締役としての任務懈怠があったと認められるわけではない。 (エ)以上によれば,被告には,IBEX社の代表取締役の職務を行うについての任務懈怠及び悪意又は重大な過失があったとは認められない。 (2)争点2(損害の発生及び額並びに相当因果関係)について (原告の主張) ア 損害の発生及び額について (ア)不良在庫になったことによる損害 原告は,平成29年9月から,原告標章の使用を取り止めた。その時点で原告が保有していた在庫商品のうち,原告標章が商品の本体に刻印されたものや,原告標章が使用されたタグ,ネーム,パッチ,商品箱等は,不良在庫となった。 不良在庫となった商品等の仕入価額の総額は990万6037円であ る。そして,平成29年8月31日期における原告の粗利率が43.22%であったことからすると,不良在庫となった商品について,本来,約1744万円の売上げが得られたはずであった。ところが,不良在庫となった商品は,廃棄したり,無料で配布したり,セールや福袋で販売したりせざるを得ず,これにより得られた売上げが744万円を超えるものではなかった。 このように,販売を取り止めなければ約1744万円の売上げが得ら れたはずであるにもかかわらず,結果として売上げは744万円に至らなかったのであるから,不良在庫になったことにより原告が被った損害は996万7697円を下ることはない。 (イ)商標切替えに要した費用 原告は,平成29年9月から,原告標章の使用を取り止めて新たな商 標に切り替えたが,当該切替えのため,新たな商標を印字,刻印及び貼付するための版代,型代,箔用版代及びゴム型代や,切替えを実施したことによる工賃を支出した。その費用の内訳は別紙商標切替費用一覧記載のとおりであり,その総額は230万6089円であって,原告は同額の損害を被った。 (ウ)弁護士費用 a 原告は,本件審判請求事件について本件弁理士を解任した上,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立てに関する業務を原告代理人に委任した。そして,原告は,原告代理人に対し,これらの業務に係る弁護士費用の着手金として63万7200円を,同報酬金として21 6万円を支払い,それらの合計額に相当する損害を被った。 b 原告は,本訴の弁護士費用として,前記(ア),(イ)及びaの損害額の合計の約10%に相当する150万円を支払い,同額を負担することになる。 イ 相当因果関係について (ア)被告は,IBEX社の業務について決定し,これを執行する権限ないし職務や,IBEX社の業務に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限ないし職務を担うIBEX社唯一の機関であり,被告が当該権限を行使し,代表取締役の職務を果たしていれば,IBEX社の不法行為を阻止できた。それにもかかわらず,被告は,当該権限を行使せず,職務を何ら果たしていないのであるから,被告の任務懈怠と原告の損害の発生との間には相当因果関係が認められる。 (イ)被告は,IBEX社の実質的な経営者がBであり,被告がBによる行為を阻止することはできなかったとして,被告に任務懈怠があるとしても,その任務懈怠と損害の発生との間には相当因果関係が認められな いと主張する。 しかし,被告は,IBEX社の唯一の機関として,同社を代表して業務に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有していた。被告が,代表取締役としての職務を一切行わず,BにIBEX社の業務の一切を任せたことで,原告に損害が生じたのであれば,そのような被告 の任務懈怠と原告の損害の発生との間に相当因果関係が認められることは明らかである。したがって,被告の上記主張は理由がない。 (ウ)被告は,原告が原告標章の使用を取り止めたことは経営判断であり,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立てに係る弁護士費用については不法行為と関連なく支出された費用であるから,被告の任務懈怠との 間に相当因果関係は認められないと主張する。 しかし,原告が原告標章の使用を取り止めるとの判断をし,原告代理人に上記弁護士費用を支払ったのは,IBEX社が証拠を不正に作成してまで虚偽の内容の主張をし,原告に対し,原告標章の使用の停止と損害賠償を請求してきたためである。したがって,被告の任務懈怠と上記 弁護士費用の支出によって原告が被った損害との間には相当因果関係が認められ,被告の上記主張には理由がない。 (被告の主張) ア 損害の発生及び額について (ア)いずれも否認ないし争う。原告が主張する損害の発生及び額について,客観的な裏付けはない。 (イ)原告は,原告の粗利率が43.22%であったことを根拠に,不良 在庫となったことによる損害について主張するが,そもそも1期分の損益計算書のみによって当該粗利率が適切であるとは認め難いし,当該損益計算書自体,税務署の押印等が存在せず,信用性がない。したがって,不良在庫となったことによる損害が発生したとは認められない。 イ 相当因果関係について 前記(1)(被告の主張)イ(ア)のとおり,IBEX社の経営はBが全て取り仕切っていた。しかも,IBEX社の主たる事業はブランドの商標管理であったところ,被告は当該業務には全く精通していなかった。そうすると,仮に,被告が,Bに対し,本件審判請求事件における主張,本 件連絡書の送信及び本件仮処分命令申立てについて意見を述べたとしても,Bには何らの影響も与えることはできず,IBEX社による行為を阻止できなかったことは明らかである。 また,原告は,IBEX社が本件審判請求事件に提出した証拠が不自然であり,同社の主張に疑念を抱いていたというのであるから,当該主張 を本件審判請求事件において争うべきであった。そうすると,原告が原告標章の使用を取り止める決定をしたのは,正に原告の自主的な経営判断であるというべきであって,そのような判断により原告が被ったとされる損害と被告の任務懈怠との間には相当因果関係が認められない。さらに,原告は,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立ての弁護士 費用について主張するところ,これらの弁護士費用は,原告が不法行為と主張するIBEX社の行為とは無関係に支出されたものであるから,損害の発生と被告の任務懈怠との間には相当因果関係が認められない。(3)争点3(過失相殺)について ア 原告標章の使用を取り止める判断に関する過失の有無 (被告の主張) 原告は,IBEX社が本件審判請求事件において提出した証拠の不自然 さから,同社の主張に疑念を抱いていた。そうすると,原告としては,IBEX社の主張が正当であるか否か等について綿密に調査した上で主張をするなどして,原告標章の使用を取り止めることにより損害が生じることを防止すべきであったといえる。それにもかかわらず,原告は,上記のような措置を講ずることなく,原告標章の使用を取り止めて損害 を拡大させた。したがって,原告には損害発生に関して過失があるといえるから,過失相殺が認められるべきである。 (原告の主張) 原告が原告標章の使用を取り止める判断をしたのは,IBEX社が,原告に対し,自己の主張に沿う証拠を不正に作成してまで,原告標章の使 用の停止と損害賠償を請求したことによるのであるから,原告の上記判断が過失と評価される余地はない。 イ 過失相殺の主張をすることの信義則違反の成否 (原告の主張) 前記ア(原告の主張)の経緯からすれば,IBEX社の代表取締役であ る被告が,原告において原告標章の使用を取り止める判断をしたことが過失に当たると主張することは,信義則上許されない。 (被告の主張) 争う。 第3 1 当裁判所の判断 争点1(被告の任務懈怠責任の成否)について (1)認定事実 前記前提事実並びに証拠(甲6,8ないし18,21ないし23,27,32ないし35,58,61,62,65,67,70,71,73ないし75,乙2,7,8,証人D,原告代表者,被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 ア IBEX社の設立及び経営実態等に関する事実 (ア)被告がIBEX社に関与するに至った経緯 a 被告とBは,大学の同級生であり,在学中から交友関係にあった (甲61,62,65,乙7,被告本人) 。 b 被告は,大学卒業後,民間企業や会計事務所での勤務を経て,個人事業主として労務コンサルタントの業務に携わるようになり,平成18年6月28日には,経営コンサルティング事業や教育研修事業等を目的とする合同会社アイラック・ヒューマンコンサルタンツ(以下IHC社という。 )を設立して,同社の代表社員に就任した(甲 62,乙2) 。 被告は,同年頃,BからIPGI社の人事制度の設計等の人事コンサルティング業務を依頼されて,これに応じ,平成23年頃までの約4年間にわたり,同社の人事コンサルティング業務に携わった(甲62,乙7,被告本人) 。 c 前記前提事実(1)イ(エ)のとおり,IPGI社については平成23年7月8日に東京地方裁判所により再生手続開始決定がされたため,IPGI社の受皿会社としてIBEX社を設立することになった。被告は,Bから,同人が銀行との訴訟を抱えているなどの理由により同社の代表取締役に就任することができないため,被告に就任してもらい たいと依頼され,同社の代表取締役に就任した。 (乙7,被告本人) (イ)IBEX社の経営実態 a Bの業務内容 Bは,IBEX社の経営企画室長として,同社の資金繰りや営業活動に関する意思決定をし,自らが主導的に仕入先との交渉,折衝をしたり,従業員に営業に関する指示を出したりしていた。また,Bは,従業員の給与や採用等,人事に関する決定権限を有していた。さらに, Bは,IBEX社の法的な紛争に関して,F弁護士との間で対応の方針等の打合せを繰り返し行っていた。このように,Bは,実質的に,同社の経営全般を支配していた。 (甲62,65,乙7,8,証人D, 被告本人) b 被告の業務内容 被告は,IBEX社の設立当初,週に3,4回の頻度で同社に出社していたが,平成27年頃からは,本業であるIHC社の人事コンサルタント業務が増加したことなどから,IBEX社に出社する頻度は週1回以下に減少し,同社に出社しても,IHC社の業務に時間を割くことがあった。その一方で,被告は,IBEX社の業務に一定程度 関与しており,例えば,同社の営業会議への出席,取引先へのメール送信,契約書等の書類への署名押印等の営業に関する業務や,採用面接や給与の振込,就業規則の作成等の人事労務に関する業務に携わっていた。また,被告は,BとF弁護士とで行われる種々の打合せに同席したり,代表取締役として,金融機関や税務署との折衝を行ったり したほか,Bと共に,重要な取引先や大口債権者との交渉の場に臨むこともあった。 (甲62,65,67,70,71,乙7,8,証人 D,被告本人) c IBEX社における被告の待遇 被告は,IBEX社の代表取締役に就任した当初,月額60万円の役員報酬を得ていたが,同社の資金繰りが悪化すると,月額40万円に減額された(被告本人) 。 イ 本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立事件に関する事実 (ア)本件審判請求事件に係る審判が請求された経緯 前記前提事実(1)ア(イ)のとおり,原告は,原告標章を付した服飾雑貨 等を製作し,販売していたところ,原告代表者は, Attractionsブランドによる服飾雑貨等の販売事業が順調に成長を続けていたことから,原告標章を商標登録することを考えた。本件弁理士による調査の結果,IBEX社を商標権者とする本件登録商標の存在が判明したことから,原告は,本件弁理士に対し,本件登録商標について商標登 録の取消しの審判を請求することを依頼した。本件弁理士は,前記前提事実(2)イのとおり,Cを請求人として,平成29年3月8日,本件審判請求事件に係る審判を請求した(なお,本件弁理士は,原告代表者に対し,当該請求の請求人であるCが自身の親族である旨は説明したものの,Cを請求人とした理由は明らかにしなかった。。 )(甲6,73,原 告代表者) (イ)本件審判請求事件における審理の状況等 a IBEX社は,平成29年6月12日,同月9日付け 「審判事件答弁書(第2回)(甲74。以下「本件答弁書」 という。,証拠説明書」) (甲75)及び11通の書証を特許庁に提出した。 本件答弁書には,審判不成立の審決を求める旨の答弁が記載され,その理由として,本件登録商標 「は請求にかかる期間内に誠実に使用されており,以下にその事実を証明するところである。」 と記載されていた。さらに,本件答弁書では,上記書証の内容が摘示された上で,これらの書証によれば,IBEX社は,平成27年7月から同年11月にかけて,本件登録商標が付された品番7753034のパー カーを譲渡し,もって本件登録商標を使用したことが明らかになった旨の主張が記載されていた。 (甲74,75) その後,原告は,本件弁理士の対応に不信感を抱くようになり,原告代理人に本件審判請求事件への対応を依頼し,原告代理人はこれを受任した(甲73,原告代表者) 。 b IBEX社が本件審判請求事件において提出した前記aの書証の記載内容等は,以下のとおりである。 (a)デザイン企画書(甲8) 表題部に7753034NAME:BSフロントサガラ刺,繍杢プルPK及びBEACHSOUND/Attractionと記載されている。表題部の下部には, 黒色, サーモンピンク色又はネービー色(甲17参照)の製品ごとに,パーカーの正面図と背面図が並べて記載されており, 黒色及びネービー色の製品の正面 図の胸部には白色で, サーモンピンク色の製品の胸部には濃紺 色で, SurfingNature,&Blue及び Attractionとの文字が,上から順に三段書きで配さ れている。そして, Surfing及びNature&Blueは筆記体様の書体で,Attractionはゴシ ック体様の書体で記載されている。また,1段目のSurfingから直線が伸び,赤字でサガラ刺繍と記載され,2段目のNature&Blue及び3段目のAttractionからそれぞれ直線が伸び,赤字で刺繍と記載されている。(b)縫製仕様書(甲9) 1枚目の表題部に, 日付(仮品番)2015.07.27本品番,7753034商品名,杢プルPKデザイナー,BSフロントサガラ刺繍E及び仕様書作成者Eと記載 されている。また,表題部のサンプル依頼仕様確認印の生産管理の箇所には7/28との記載とDの押印が,企画担当の箇所には7/28との記載とEの押印があり, 最終仕様確認印の生産管理の箇所には8/10との記 載とDの押印が, 企画担当の箇所には8/10との記 載とEの押印がある。 2枚目の表題部には, 仕様書作成者Eとの記載がない点を 除き,1枚目の表題部と同じ記載が存在する。 (c)仕様規格書(甲10の2) 表題部には, 仕様書作成者Eとの記載がない点を除き,縫 製仕様書(甲9)の1枚目の表題部と同じ記載が存在する。 なお,IBEX社は,本件仮処分命令申立事件においても仕様規 格書と題する書面を書証として提出しているところ(甲10の1), 同書面には,本件審判請求事件で提出された仕様規格書(甲10の2)と異なり,2枚目( <8/10の)及び3枚目(「<8/24コメント>から始まるも コメント>」から始まるもの)が 存在する。 (d)加工指示書(甲11の2) 表題部には, 日付ACHSOUND034品名,ー2015.07.27ブランド,Attraction本品番,BE7753BSフロントサガラ刺繍杢プルPKデザイナ,Eと記載されている。また,表題部のロゴチェックの 生産管理部の箇所には7/28との記載とDの押印が あり, 最終仕様確認印の生産管理部の箇所には8/10 との記載とDの押印が, 企画担当者の箇所には8/10 との記載とEの押印がある。 また,表題部の下部の加工/位置の欄には,製品の正面図が 記載され,その胸部には, SurfingNature,&Blue及びAttractionとの文字が,上から順に三段書きで配されている(書体は前記(a)と同様である。。 ) さらに, 加工/位置の欄の下部にある加工/寸法&位置 の欄には, SurfingNature,&Blue及 びAttractionとの文字が,上から順に三段書きで配 され,1段目のSurfing及び3段目のAttractionをサガラ刺繍により,2段目のNature&Blueを刺繍による旨の加工指示が記載されている(書体は前記(a)と同様である。。 ) なお,IBEX社は,本件仮処分命令申立事件においても加工指 示書と題する書面を書証として提出しているところ(甲11の1), 同書面のコメントの欄には,本件審判請求事件で提出された加 工指示書(甲11の2)と異なり,手書きの記載が存在する。 (e)デザイン版下(甲12) 表題部に7753034ingNature,&版下原寸と記載され,SurfBlue及びAttractionとの文字が,上から順に三段書きで配された記載が二つ存在する(書体は前記(a)と同様である。。 ) (f)取引書類(甲13ないし18,33ないし35) インボイス(甲13) ,包装明細書(甲14) ,売買契約書(甲1 5) ,請求書(甲16) ,引取指示書(甲17)及び納品書(甲18) には,品番7753034で特定される衣服が取引された旨が それぞれ記載されている。 なお,売買契約書(甲15)のNOの欄及び引取指示書(甲 17)のブランドの欄にはBEACHSOUNDと記載 され,納品書(甲18)の品番,品名の欄にはBS…と記 載されている。 (ウ)本件仮処分命令申立事件における審理の状況等 a 前記前提事実(4)のとおり,IBEX社は,平成29年9月21日,本件仮処分命令申立てをした。 本件仮処分命令申立ては,同年12月14日付けで申立ての趣旨の変更が申し立てられた後,平成30年3月1日付けで取り下げられた(甲32,58) 。 b IBEX社は,本件仮処分命令申立事件において,前記(イ)b(a),(b),(e)及び(f)と同一の書証を提出したほか,以下の書証を提出した。 (a)仕様規格書(甲10の1) 前記(イ)b(c)の仕様規格書(甲10の2)と異なり,2枚目及び 3枚目が存在する(当該仕様規格書(甲10の1)の1枚目と,前記(イ)b(c)の仕様規格書(甲10の2)は同一の内容である。。) 2枚目には<8/10「<8/24コメント>から始まる,3枚目には コメント>」から始まる,いずれも手書きの記載が 存在する。これらは,いずれもパーカーの加工指示が箇条書きで記載されたものであり,それぞれ末尾付近に丸で囲まれたEとの 記載が存在する。また,2枚目と3枚目の表題部分には, MAKERIBXBLAND,actionSTYLE,UCTisNAMEBeachSoundAttrNO.7753034PRODBSフロントサガラ刺繍杢プルPKEcs,inc.との記載がある。 (b)加工指示書(甲11の1) 前記(イ)b(d)の加工指示書(甲10の2)と異なり, コメント の欄に<8/10コメント>及び<8/24コメント> から始まる手書きの記載があり,それぞれ末尾付近に丸で囲まれたEとの記載がある。 (エ)原告による調査結果 a 平成29年12月頃,品番がNO.00007753034で あり, エクシス(株)と記載されたタグが付されたパーカーがフリ マサービスのメルカリに出品されていた(以下本件パーカーとい う。。本件パーカーの胸部には, ) SurfingNature,&Blueの順に二段書きされた記載があり,書体は前記(イ)b (a)の企画書に記載された書体と同一であるが,三段目のAttractionの記載が存在しなかった。また,本件パーカ―の首に付されたタグには,筆記体でBeachSoundと刺繍され ていた。なお,異なる刺繍デザインが施された衣服に対して同じ品番を付することは,ファッション業界においては通常想定できない。 (甲21,22,27) b BEACHSOUNDのインスタグラムの公式ホームページ には,平成27年11月11日,本件パーカーと同様の外観を有するパーカーの写真画像が投稿されていた(甲23) 。 (オ)原告とIBEX社との係争に関するIBEX社の対応等 a 本件審判請求事件におけるIBEX社の対応方針,原告に対する本件連絡書の送付及び本件仮処分命令申立てに関する打合せは,BとF弁護士との間で行われており,被告がこうした打合せに主体的には関与していなかった。もっとも,被告は,Bから,ある会社がIBEX 社保有の商標権に係る商標を無断で使用していること及びまとまった損害賠償金を入手できる見通しであることを聞いていた。 (証人D, 被告本人) b IBEX社は,平成27年,本件パーカー(甲23) ,すなわち, Attractionの刺繍が施されていないパーカーを製作し た。Bは,原告との本件商標権に関する係争が生じた後,IBEX社から生産管理を請け負っていたエクシス株式会社の従業員であるD (以下Dという。 )及びE(以下Eという。 )に対し,同年7 月27日付けで作成された加工指示書(甲11の1,11の2)について,作成当時にはAttractionの刺繍に関する記載が なかったにもかかわらず,本件パーカーにAttraction の刺繍がなされていたことを示す記載を書き加えるように指示したほ か,Dに対し,本件パーカーにAttractionの刺繍を施 したパーカーを作成するよう指示した。 (甲65,証人D) ウ 事実認定に関する補足説明 (ア)証人Dは,前記イ(オ)bの認定事実に沿う証言をするのに対し,被告 は,自身は原告とIBEX社との間の係争についてBから聞かされておらず,当該係争について不知である旨主張する。そこで,以下,証人Dの証言の信用性について検討する。 (イ)aまず,IBEX社が,平成27年当時, Attraction の刺繍を施したパーカーを制作した事実はない旨の証人Dの証言につ いてみると,その証言内容は相当に具体的かつ自然であって,信用性に疑問を差し挟ませるべき点は存在しない。そして,前記イ(エ)のとおり,原告が入手した品番が00007753034の本件パー カーにはAttractionの刺繍が施されていなかったこと,異なる刺繍デザインが施された衣服に対して同じ品番を付することは 通常想定できないこと, BEACHSOUNDのインスタグラ ム(甲23)にAttractionの刺繍が施されていない本 件パーカーの外観と類似するパーカーの写真が投稿されていたことは,Attractionの刺繍が施された品番00007753034のパーカーが実際には存在しないことをうかがわせる客観的な事実といえるところ,証人Dの証言は,こうした事実とよく整合している。したがって,IBEX社が,平成27年当時, Attractionの刺繍を施したパーカーを製作した事実はない旨の証人Dの証言は,十分に信用できるというべきである。 これに対し,IBEX社は,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立事件において, Attractionの刺繍が施された品番 00007753034のパーカーを入手した旨を主張し,これ に沿う証拠として,当該パーカーが取引されたメルカリの出品ペ ージの写真等(甲24)を提出していた。しかし,当該写真に記載された刺繍は,品番00007753034の刺繍の版下(甲12)と重なり合わないなどの不自然な点が存在すると認められること(甲27,28) ,IBEX社が,本件審判請求事件及び本件仮処分命令 申立事件において,当該パーカーそのものを証拠として提出したとはうかがわれないことに照らすと, Attractionの刺繍が 施された品番00007753034のパーカーが存在する旨の IBEX社の上記主張及びメルカリの出品ページの写真等(甲2 4)は,にわかに信用することができず,証人Dの上記証言の信用性 を左右するものとはいえない。 b 次に,BがD及びEに加工指示書(甲11の1,11の2)の記載を追加するよう指示した旨の証人Dの証言について検討する。 上記加工指示書は, 本品番として7753034と記載さ れていることから,品番00007753034の本件パーカー に係る加工指示書であることが推認されるところ,前記aのとおり,原告が入手した本件パーカーにはAttractionの刺繍が 存在しなかったものであり,上記加工指示書の記載は, Attractionの刺繍に関する記載部分について,客観的な事実と齟齬するものであるといえる。 加えて,前記イ(イ)及び(ウ)のとおり,上記加工指示書には,コメント欄に記載があるものとないものが存在すること,そのうちコメント欄があるもの(甲11の1)については,平成27年8月10日付けで最終仕様確認印が押印されているにもかかわらず, コメント欄のコメントには同日より後の同月24日付けのものが 存在すること,売買契約書等の取引書類(甲15,17,18)ではBEACHEACHSOUND又はBSと記載され,一般にもBSOUNDというブランド名が認知されていたことがう かがわれる(甲19,23)にもかかわらず,上記加工指示書のブランド欄にはBEACHSOUNDAttraction と記載されていることなど,記載内容そのものに不自然な点が散見される。さらに,デザイン企画書(甲8)における刺繍の指示と,上記加工指示書における刺繍の指示の内容に齟齬が存在する。以上の事実は,上記加工指示書のうち, Attractionの刺繍に関す る記載部分が,平成27年8月10日以降,何者かによって書き加え られたことを強くうかがわせるものである。 そして,前記ア(イ)のとおり,原告とIBEX社との間の係争に関しては,BとF弁護士が打ち合わせを重ねていたこと,BがIBEX社の経営を実質的に支配していたことを踏まえると,上記加工指示書に書き加えがされたとしたら,その指示をしたのはBであったと推認 される。 そうすると,証人Dの上記証言は,上記の客観的事実等とよく符合し,十分に信用できるというべきである。 (2)IBEX社の不法行為の成否 ア 前記(1)イ(オ)のとおり,IBEX社は, Attractionの刺 繍が施された品番00007753034のパーカーを製作したことはなかった。そして,IBEX社が,本件審判請求事件に係る審判請求が なされた日から遡って3年以内に本件登録商標を使用したことをうかがわせる証拠はない。したがって,前記(1)イ(イ)のように,IBEX社が,本件審判請求事件において,本件登録商標は請求に係る期間内に誠実に使用されていた旨の主張をするとともに,後に書き加えられた加工指示書(甲11の2)を提出することは,事実に反する内容を,そのことを知りなが らあえて主張し,当該主張に沿う内容を記載した証拠を事後的に作出して提出するものにほかならない。 イ また,前記前提事実(3)のとおり,IBEX社が原告に対し本件連絡書を送付する行為は,真実はIBEX社が本件登録商標を使用した事実がないため,本件登録商標の登録は本件審判請求事件によって取り消されるべ きであり,かつ,そのことを認識していたにもかかわらず,これらの事実を隠して,原告に対し,本件商標権について,その利用許諾料相当額から算出した譲渡代金名目で金員の支払を請求するものにほかならない。ウ そして,前記前提事実(4)のとおり,IBEX社が本件仮処分命令申立てをし,その手続において前記アと同様の主張,立証をすることは,事実 的,法律的根拠を欠くにもかかわらず,そのことを知りながら,IBEX社に有効に本件商標権が帰属するとの権利又は法律関係に関する主張をするものであって,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものというほかはない。 エ 前記アないしウのIBEX社による一連の行為は,原告がAttractionsのブランド及び原告標章を使用した商品を製造,販売等する権利を侵害するものであって,原告に対する不法行為を構成するものと認めるのが相当である。 (3)被告の任務懈怠責任の成否 前記(1)によれば,IBEX社の経営はBが全般的に支配していたとはいい得るものの,被告は,Bと旧知の間柄であり,Bに請われて同社の代表取締役に就任したもので,かつ,同社の唯一の役員であり,月額40万円又は60万円という少なくない役員報酬を受領していたものである上,同社に定期的に出社し,営業会議に出席したり,契約書類等に署名押印したり,Bとともに取引先との交渉に臨んだりするなど,同社の経営の実質的な部分に関 わっていたということができる。他方,Bが,被告に対し,IBEX社の代表取締役として主体的に行動することを一切許さなかったとまでの事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると,被告は,IBEX社が第三者に対して不法行為に及ぶことのないように,従業員らに業務の遂行を任せきりにすることなく,適時適切に裁判上及び裁判外の権限を行使するべき善管注意義 務を負っていたというべきである。 しかるに,前記(1)イ(オ)のとおり,被告は,Bから,少なくとも,IBEX社が保有する本件商標権が無断で他社に使用されていることや,これを原因とする損害賠償金がIBEX社に支払われる見通しであることを聞いていたにもかかわらず,当該係争に関する業務執行について何ら意を用いること なく,当該係争の対応をB及びF弁護士に漫然と任せきりにした結果,代表取締役としての権限を行使することなく,前記(2)アないしウのIBEX社による一連の不法行為を惹起させるに至ったものである。 以上によれば,被告は,IBEX社が第三者に対して不法行為に及ぶことのないように適時適切に権限を行使するべき善管注意義務に違反し,その職 務を怠るという任務懈怠に及んだと認められ,かつ,上記任務懈怠について,少なくとも重大な過失があったと認めるのが相当である。 (4)小括 よって,被告は,前記(3)の任務懈怠によって原告に生じた損害を賠償するべき責任を負う。 2 争点2(損害の発生及び額並びに相当因果関係)及び争点3(過失相殺)について (1)認定事実 前記前提事実並びに証拠(甲39ないし57,60,原告代表者)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 ア(ア)原告の平成28年9月1日から平成29年8月31日までの会計年度における売上高は1億0794万2353円,同売上純利益金額は46 66万0579円であった(甲39。なお,被告は,損益計算書(甲39)の信用性を争うが,その記載の信用性に疑いを生じさせ得る具体的事情は見当たらない。。 ) (イ)原告が平成29年8月31日の時点において保有していた在庫商品のうち, Attractionsのブランド名やロゴが直接プリン トされるなどしていたため,同年9月1日からの販売が取り止められたもの(以下本件在庫商品という。 )が2万2632点存在し,それ らの原価は合計990万6037円,販売価額は合計2875万7760円であった(甲40,60,原告代表者) 。 (ウ)原告は,平成29年9月1日以降,本件在庫商品を廃棄し,無償で 配布し,又は原価より廉価で販売するなどしたところ,こうして本件在庫商品を処分したことによる原告の売上高は,合計100万円を上回らなかった(甲60,原告代表者) 。 イ 原告は,平成29年9月から,原告標章の使用を取り止めて新たな商標に切り替えた。当該切替えに伴い,原告は,別紙商標切替費用一覧記載の各取引先欄記載の取引先に対し,各年月日欄記載の日に,各支払額欄記載の金員(税抜)を,各内容欄記載の摘要で支払った(ただし,同一覧のNo.31,32,40ないし44の各支払額欄記載の額はいずれも税込の額であり,税抜の支払額は,順に10万円,10万円,6万7700円,14万6100円,9万0600円,9万0600円,5万8600円である。。原告が上記のとおり支払った金員の総額は) 208万2980円(税抜)であり,消費税額16万6638円を加えた合計金額は224万9618円である。 (甲41ないし56,60,原告 代表者) 。 ウ(ア)原告代理人は,原告に対し,件名を(株)IBEXとの間の商標「Attractionsの件として」とし,請求金額を21万6000円(消費税額1万6000円を含む。 )とする平成29年6月30 日付けの着手金の請求書(甲56の1)を送付し,原告は,源泉徴収額2万0420円を差し引いた19万5580円を原告代理人に支払った(甲56の1,弁論の全趣旨) 。 (イ)原告代理人は,原告に対し,件名を商標権侵害禁止仮処分命令申立事件商標登録第5190866号取消審判事件とし,請求金額を, 42万1200円(消費税額3万1200円を含む。 )とする平成29 年11月10日付けの着手金の請求書(甲56の2)を送付し,原告は,源泉徴収額3万9819円を差し引いた38万1381円を原告代理人 に支払った(甲56の2,弁論の全趣旨) 。 (ウ)原告代理人は,原告に対し,件名を商標権侵害禁止仮処分命令申立事件商標登録第5190866号取消審判事件とし,請求金額を, 216万円(消費税額16万円を含む。 )とする令和元年6月30日付 けの報酬金の請求書(甲57)を送付し,原告は,源泉徴収額30万6 300円を差し引いた185万3700円を原告代理人に支払った(甲57,弁論の全趣旨) 。 (2)損害の発生及び額並びに相当因果関係 ア 不良在庫の処分及び商標切替えについて (ア)損害の発生及び額 a 不良在庫関係 前記(1)ア(イ)によれば,原告の平成29年8月31日期における原 告の粗利率は43.22%であったと認められる。そして,前記(1)ア(ア)のとおり,本件在庫商品の原価,すなわち,原告が現に仕入れて在庫として保有していた本件在庫商品の仕入価額の総額は990万6037円であるから,原告は,本件在庫商品の販売を取り止めなければ,これらを販売することにより約1744万円(≒990万60 37円÷(1-0.4322) )の売上げが得られたものと推認され る。 しかるに,原告は,本件在庫商品の販売を取り止め,一部を廉価で販売したほかは,廃棄又は無償での譲渡を余儀なくされたものであるから,原告には,本件在庫商品の販売を取り止めなければ得られたで あろう売上げと,本件在庫商品を廉価で販売するなどして得られた売上げの差額に相当する損害が発生したと認めるのが相当である。 そして,前記(1)ア(ウ)のとおり,原告は本件在庫商品の一部を廉価で販売したものの,これによる売上高は100万円を上回らなかったのであるから,上記損害の額は,原告が主張するとおり,少なくとも 996万7697円と認めるのが相当である。 b 商標の切替え関係 前記(1)イのとおり,原告は,原告商標の使用を取り止め,商標を切り換えることによって,224万9618円(税込)の費用を支出 したものであるから,原告には同額の損害が発生したと認めるのが相当である。 この点につき,原告は,230万6089円(税込)を支出したと主張する。しかし,前記(1)イのとおり,別紙商標切替費用一覧のNo.31,32,40ないし44の各支払額欄記載の額はいずれ も税込の額である。にもかかわらず,原告は,これらの額について,重ねて消費税額を加算して損害額を算定しているものであるから,原 告が主張する上記の額の損害が発生したとは認められない。 (イ)相当因果関係 a 前記1(1)イ(ア)のとおり,原告は,従前から使用していたブランドであるAttractionsに係る原告標章を商標登録しよう と考え,本件弁理士に対し相談したところ,本件登録商標の存在が判明したため,その取消請求をすることとした。こうした経緯に照らすと,原告は,今後Attractionsのブランドを事業展開 するに当たり,原告標章の使用が本件商標権を侵害するおそれがあったことから,それを避けることを目的として上記取消請求をすること としたものと認められる。 また,証拠(原告代表者)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,IBEX社との和解交渉が難航していたことや,原告代理人から,IBEX社が原告に対し保全命令を申し立て,原告の商品が差し押さえられるなどする可能性があるとの説明を受けたことなどを契機として, 平成29年7月末頃からAttractionsのブランドの使 用を取り止めることを選択肢の一つとして検討し始めたこと,同年8月8日頃にIBEX社から本件連絡書の送付を受けたため, Attractionsのブランドの使用を取り止め,別ブランドに変更することを決定したこと,さらに,同年9月1日以降,実際にAttractionsの商標を切り替える対応を採り,商標を切り替えることができない本件在庫商品については販売の停止を決定したことが認められる。 さらに,前記(1)ア(ア)のとおり,平成28年9月1日から平成29年8月31日までの会計年度における原告の売上高は1億0794万2353円であると認められるのに対し,前記(1)ア(イ)のとおり,平成29年8月31日の時点において原告が保有していた本件在庫商品の販売価額は合計2875万7760円であると認められるから,これらの数値を基礎とすれば,本件在庫商品が原告の総売上高に占める割合は26%余りであることになる。 以上のように,原告は,そもそも本件商標権を侵害するリスクを避 けるために本件審判請求事件に係る請求をしたところ,IBEX社がこれを争い,同社の主張に沿う外観の証拠が提出され,その一方でIBEX社との手続外での和解交渉が難航していたことからすると,遅くとも平成29年7月頃には,本件在庫商品を販売することにより本件商標権を侵害し,原告の商品が差し押さえられるなどするリスクを 相当程度具体的に認識していたと認められる。そして,本件在庫商品が原告の総売上高に占める割合が26%余りであったことからすると,これが差し押さえられた場合には原告の経営に大きな影響を及ぼす可能性があったと認められる。こうした中で,本件連絡書を送付され,IBEX社から同年8月18日までの回答を迫られたという経緯に照 らせば,原告において,同年9月1日以降にAttractionsのブランドの使用を取り止めるという判断をするのはやむを得ないものであったというべきである。 以上によれば,IBEX社の前記1(2)の不法行為と原告の損害との間に相当因果関係が認められることはもとより,被告に認められる 善管注意義務違反が,IBEX社の代表取締役としての権限を行使することなく,Bらに業務を任せきりにし,IBEX社による上記不法行為を惹起したというものであることに照らすと,被告の任務懈怠と原告の損害との間にも相当因果関係があると認めるのが相当である。b これに対し,被告は,原告が商標を切り替える対応を採り,本件在庫商品の販売を取り止めるという行為に及んだのは,原告自身の経営判断によるものであるとして,被告の任務懈怠と原告の損害との相当 因果関係は認められないと主張する。 しかし,原告の上記行為が経営判断に基づくものであるとしても,前記aで説示したとおり,それはやむを得ないものであったということができ,むしろ,経営判断として合理的かつ自然なものであるというべきであるから,原告の経営判断が介在したことをもって,被告の 任務懈怠と原告の損害との間の相当因果関係を否定することはできない。したがって,被告の上記主張を採用することはできない。 c また,被告は,IBEX社の経営を実質的に支配していたのはBであり,被告がBの判断を翻意させることはできなかったから,被告の 任務懈怠と原告の損害との間には相当因果関係は認められないと主張する。 しかし,前記1(1)アのとおり,被告は,Bの大学の同級生であり,IBEX社の経営会議やBとF弁護士との打ち合わせに同席するなど,代表取締役として一応の役割を果たしていた。また,被告は同社の代 表取締役であり,被告の他に同社には役員が選任されていなかったのであるから,法的には同社の業務に関する一切の権限を被告のみが有しており,同社の代表取締役として,主体的に行動することは可能であったというべきである。したがって,被告は,IBEX社の一連の不法行為により原告が損害を被ることについても,これを阻止するこ とができなかったとまではいえない。 以上によれば,被告が代表取締役としての任務を懈怠することなく,原告に不法行為による損害を与えないようにする善管注意義務を果たし,本件審判請求事件や本件仮処分命令申立て等について適切に対処していれば,原告が主張する損害が発生していなかったということができる。 してみると,IBEX社の経営をBが実質的に支配していたことか ら直ちに被告の任務懈怠と原告の損害との間の相当因果関係が否定されるものではなく,被告の上記主張は採用することができない。 イ 弁護士費用 前記(1)ウのとおり,原告は,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申 立事件の着手金として計63万7200円(税込)を,同報酬金として216万円(税込)を,原告代理人に支払ったから,それらの合計額に相当する損害を被ったものと認められる。 そして,自己の主張に沿う証拠を事後的に作成して提出するといった,前記1(2)のIBEX社の対応を踏まえると,原告代理人に本件審判請求 事件の対応を依頼し,それに伴い弁護士費用相当額の損害を被ったことと,被告の任務懈怠との間には,相当因果関係があると認めることができ,この認定判断に反する被告の主張は,採用することができない。(3)過失相殺 被告は,原告において,IBEX社の本件審判請求事件における主張が正 当であるか否か等について綿密に調査し,原告標章の切替え等により損害が生じることを防止すべきであったにもかかわらず,それをしなかった過失が認められるから,過失相殺がされるべきであると主張する。 確かに,証拠(甲60,原告代表者)によれば,原告は,IBEX社が本件審判請求事件において行った主張の内容及び提出した証拠の信用性に疑問 を抱いていたことが認められる。しかし,前記(2)ア(イ)aのとおり,原告が,本件連絡書を受信したことにより,原告標章の切替え等の決定をしたことは,一連の経緯に照らしやむを得ないものであったというべきである。そして,前記前提事実(2)ウのとおり,上記決定の約1年半後に当たる令和元年5月まで本件審判請求事件の結論が出なかったことや,同イのとおり,平成29年9月1日の時点では原告の参加の申請に対する許否の判断すらされていない状況であったことを踏まえると,原告が上記の決断を迫られていた同年8 月頃の時点においては,本件審判請求事件の審理が相当の期間続くことが見込まれていたものであって,そのような状況下で,IBEX社の主張を精査し,IBEX社による事後的な証拠の作出を見破るといったことを期待するのは無理があるというべきである。 そうすると,原告が,原告標章の切替え等の決定をしたことが過失に当た るということはできず,本件全証拠によっても,原告において,被告の原告に対する損害賠償の額を定めるに当たって考慮すべき過失があるとは認められない。 したがって,その余の点について判断するまでもなく,過失相殺に関する被告の主張には理由がない。 (4)本件訴訟に関する弁護士費用 以上の次第で,原告は,不良在庫に関する損害として996万7697円,商標の切替えに関する損害として224万9618円,本件審判請求事件及び本件仮処分命令申立事件に関する弁護士費用に相当する損害として279万7200円の各損害を被ったと認められるところ,本件訴訟に関する弁護 士費用として被告の任務懈怠と相当因果関係が認められる損害の額としては,上記各損害の合計額1501万4515円の約1割に相当する150万円と認めるのが相当である。 3 結論 よって,原告の請求は,1651万4515円及びこれに対する令和元年12月5日から支払済みまで年5分の割合により算定される遅延損害金を請求する限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 國小分隆文川暁 佐々木 亮 裁判官 裁判官 別紙 原告標章目録 以上 別紙 (商標切替費用一覧-省略) |