判例検索β > 平成29年(ワ)第2052号
損害賠償請求事件
事件番号平成29(ワ)2052
事件名損害賠償請求事件
裁判年月日令和3年2月17日
裁判所名・部京都地方裁判所  第4民事部
裁判日:西暦2021-02-17
情報公開日2021-04-07 18:00:50
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主1文
被告国立大学法人京都大学は,原告らに対し,それぞれ6758万0120円及びこれに対する平成28年8月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3
訴訟費用は次のとおりの負担とする。


原告ら及び被告国立大学法人京都大学に生じた分は,これを10分し,その7を被告国立大学法人京都大学の負担とし,その余を原告らの負担とする。



被告a,被告b,被告c及び被告dに生じた分は,その全部を原告らの負担とする。

4
この判決は,主文1項に限り,仮に執行することができる。

第1

実及び理由
請求
被告らは,連帯して,原告らに対し,それぞれ9375万2650円及びこれに対する平成28年8月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2

事案の概要
本件は,京都大学医学部附属病院(以下被告病院という。)での治療中に髄膜炎菌感染症により死亡した患者の相続人である原告らが,患者が死亡したこと(以下本件事故という。)について,被告病院の医師や助産師らに,薬剤の副作用を周知する義務,被告病院を受診するよう指示する義務,抗菌薬を投薬する義務等に違反する過失があったと主張し,被告病院を開設する被告国立大学法人京都大学に対しては使用者責任による損害賠償請求権(平成29年法律第44号による改正前の民法(以下民法という。)715条1項本文)に基づき,被告a(本件事故当時の病院長)に対しては代理監督者責任による損害賠償請求権(民法715条2項)に基づき,被告b,被告c及び被告d(いずれも本件患者の主治医ないし担当医)に対しては不法行為による損害賠償請求権(民法709条,719条1項)に基づき,各原告にそれぞれ9375万2650円(合計1億8750万5300円)及びこれに対する不法行為の日である平成28年8月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める事案である。
第3

前提事実(当事者間に争いがないか,掲記の証拠等により認められる。)
1
当事者等


原告ら

e(以下本件患者という。)は,昭和61年10月16日生まれ(平成28年8月の本件事故当時29歳)の女性である。




原告f及び原告gは,それぞれ本件患者の夫及び長男である。
被告ら(断らない限り,役職,勤務先は本件事故当時のもの。以下同じ。)

被告国立大学法人京都大学(以下被告法人という。)は,被告病院を開設する国立大学法人である。


被告aは,被告病院の病院長であった(以下被告a病院長という。)。

被告b及び被告cは,被告病院に勤務する血液内科の医師であり,本件患者の主治医であった。また,hは,同科の医師であり,本件事故当日の血液内科の当直医であった。


被告dは,被告病院に勤務する産科の医師であり,平成28年7月31日~同年8月6日(出産のための入院期間中),本件患者の担当医師であった。また,iは,同科の医師であり,jは,同科の助産師であった(以下,上記ウ,エの者を併せて被告病院の医師及び助産師らといい,それぞれを姓のみで○○医師のように略称する。)。

2
診療経過


従前の経過

本件患者は,平成28年1月7日(以下,月日は同年を指す。)に被告病院産科を受診し,
以後,
同科で継続的に診療を受けていた
(乙A1p107)


被告b医師は,4月4日から,本件患者に対し,発作性夜間ヘモグロビン尿症(paroxysmalnocturnalhematuria;PNH。発作性夜間血色素尿症ともいう。以下PNHという。)の治療(溶血抑制等)のためにエクリズマブ(商品名・ソリリス。以下ソリリスという。詳細は後記3⑵。)の継続的な投与を始めた(乙A1p146)。


本件患者は,7月31日~8月6日,出産のために被告病院に入院した
(乙A1p264)。


8月22日~23日の経過

8月22日午前中,本件患者は,被告病院血液内科で,ソリリスの投与を受けた(乙A1p353,354)。


同日午後4時55分頃,本件患者は,被告病院産科に電話し,同日午前中にソリリスの投与を受けたこと,その後(その時間については争いがある。)急激な悪寒があり,39.5度の高熱があること,帰宅する頃には乳房緊満が強度で硬結もみられたが,帰宅後急いで授乳し,硬結は消失したこと,今は乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないことを伝えた(甲B7p5,乙A1p355)。


同日午後9時18分頃,本件患者の母は,被告病院産科に電話し,本件患者について,熱が40度から少し下がったものの,悪寒があり,発汗が著明で,その後寒気があり,起き上がれないため水分摂取ができず脱水であること,手のしびれがあること,体がつらいため授乳ができないこと等を伝えた(乙A1p356)。


同日午後9時55分頃,本件患者は,被告病院産科を受診し,午後10時頃からi医師が本件患者を診察した(乙A1p357)。


同日午後10時45分頃,i医師は本件患者を血液内科へ引き継いだ。その後,
h医師が本件患者を診察し,
入院経過観察とした
(乙A1p358,360)



翌23日午前4時25分,本件患者の全身に紫斑が出現し,ショック状態になったことから,抗菌薬ゾシンが投与されたが,同日午前10時43分,本件患者は死亡した(乙A1p375,408)。


その後の経過

同月24日,本件患者の細菌培養検査の結果が判明し,髄膜炎菌が同定された(乙A1p420,421)。


同月29日,薬剤感受性検査の結果が判明し,本件患者から検出された髄膜炎菌は,薬剤感受性検査においてPCGおよびABPCなどのペニシリン系薬剤に感受性があることが分かった(乙A9)。

3
医学的知見


PNH(発作性夜間ヘモグロビン尿症)
PNHは,
造血幹細胞に後天的に生じた遺伝子異常が原因で起こる疾患で,
赤血球が体内で破壊されやすくなる。特に,就寝中に赤血球の破壊(溶血)が進み,主に貧血症状,早朝の黒色尿を生じるほか,腎障害,血栓症,肺高血圧症などが出る場合がある。
平成22年
(2010年)
にPNHに対する新規治療薬
(溶血発作の予防,
溶血抑制)としてソリリスが国内でも使用できるようになった。また,血栓症の既往のある患者において,ソリリスの投与を受けることで血栓症の頻度が下がるとの報告もある。



ソリリス

ソリリスの添付文書(本件事故当時のもの。以下,単に添付文書という。)には,以下の記載がある(甲B2)。
効果・効能
効能・効果の1つに,PNHにおける溶血抑制がある。
効果・効能に関連する使用上の注意
補体C5の開裂を阻害し,終末補体複合体C5b-9の生成を抑制すると考えられるため,髄膜炎菌を始めとする莢膜形成細胞による感染症を発症しやすくなる可能性がある。したがって,投与の是非を慎重に検討する。また,原則として,投与開始の2週間前までに髄膜炎菌に対するワクチンを接種する。
重大な副作用
髄膜炎菌感染症を誘発することがあるので,投与に際しては同感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直,羞明,精神状態変化,痙攣,悪心・嘔吐,紫斑,点状出血等)の観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌薬の投与等の適切な処置を行う(海外において,
死亡に至った重篤な髄膜炎菌感染症が認められている。。

使用上の注意
投与により髄膜炎菌感染症を発症することがあり,海外では死亡例も認められているため,投与に際しては,髄膜炎菌感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直等)に注意して観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌剤の投与等の適切な処置を行う。
髄膜炎菌感染症は,致命的な経過をたどることがあるので,緊急時に十分に措置できる医療施設及び医師のもとで,あるいは髄膜炎菌感染症の診断及び治療が可能な医療施設との連携下で投与する。
髄膜炎菌感染症のリスクについて患者に説明し,同感染症の初期徴候を確実に理解させ,髄膜炎菌感染症に関連する副作用が発現した場合には,主治医に連絡するよう患者に注意を与える。

ソリリス患者安全性カード
本件患者がソリリスの投与に当たり交付を受けて所持していたソリリス患者安全性カードには,次のような記載がある(抜粋。甲A2,甲B3の1・2)。
医師向け情報
この患者は,ソリリス(エクリズマブ)治療の処方を受けました。本剤は終末補体複合体活性を抑制する抗体製剤です。その作用機序のために,本剤を使用すると,髄膜炎菌感染症(髄膜炎菌)に対し,患者の抵抗力が低下します。さらに肺炎球菌感染症,インフルエンザ菌b型(ヒブ)感染症又は他の一般的な感染症に対し抵抗力が弱くなっている可能性があります。髄膜炎菌感染症及び小児の肺炎球菌及びヒブ感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直)の発現を慎重にモニターし,感染症が疑われる場合は緊急に診療し必要に応じて抗菌剤治療を行う必要があります。さらに,患者には,これらの徴候や症状があり,緊急に治療を行うことを伝える必要があります。
髄膜炎菌感染症と診断された場合の推奨抗菌剤は,
第3世代セフェム:
セフォタキシム又はセフトリアキソンです。
患者向け情報
ソリリス治療を受けている患者は,このカードを常に携帯する必要があります。
この安全性カードには,
本剤投与前と本剤治療中に患者が知っ
ておく必要がある重要な安全性情報が記載されています。患者の治療に当たる医師全員に,このカードを提示して下さい。
本剤治療により患者に自然に備わっている感染症に対する抵抗性が低下することがあります。特に髄膜炎菌感染症の場合は,緊急の治療が必要です。以下の症状のいずれかが現れた場合,すぐに担当医に連絡して下さい(裏面の担当医欄の電話番号に連絡してください。)。


頭痛(吐き気又は嘔吐を伴う場合)



頭痛と発熱(両方とも発現する場合)



38℃以上の発熱



頭痛と項部のこわばり(首の後ろが硬直しあごを前に傾けられな
い)



発熱と発疹(両方とも発現する場合)



出血性皮疹



錯乱(頭が混乱して考えがまとまらない,物事を正確に理解でき
ない状態)


重度の筋肉痛(インフルエンザ様症状を伴う場合)



光に対する過剰な感覚(光が異様にギラギラ輝いている,異常に
まぶしい等)

担当医と連絡が取れない場合,すぐに救急車を呼び,このカードを救命救急室のスタッフに提示して下さい。緊急時の感染症治療病院は裏面の緊急時搬入病院です。自宅近くの場合,感染症科,感染症専門医の病院へ。
第4

主な争点

1
被告病院の医師及び助産師らの過失


被告b医師及び被告c医師の副作用の周知義務違反(争点1)



被告d医師の副作用の周知義務違反(争点2)



j助産師の受診指示義務違反(争点3)



i医師の受診指示義務違反(争点4)



救急外来受診時のi医師及びh医師の投薬義務違反(争点5)

2
争点1~5の各過失と本件患者の死亡との因果関係(争点6)

3
争点1~5の各過失がなければ本件患者が生存していた相当程度の可能性(上
記2の予備的主張。争点7)

4
被告a病院長の責任(争点8)

5
損害(争点9)

第5

争点についての当事者の主張

1
争点1(被告b医師及び被告c医師の副作用の周知義務違反)について
(原告らの主張)


医学的知見

髄膜炎菌感染症を誘発することがあるので,投与に際しては同感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直,羞明,精神状態変化,痙攣,悪心・嘔吐,紫斑,点状出血等)の観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌薬の投与等の適切な処置を行う(海外において,死亡に至った重篤な髄膜炎菌感染症が認められている。)。投与により髄膜炎菌感染症を発症することがあり,海外では死亡例も認められているため,投与に際しては,髄膜炎菌感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直等)に注意して観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌剤の投与等の適切な処置を行う。髄膜炎菌感染症は,致命的な経過をたどることがある。

ソリリス患者安全性カードの医師向け情報の欄には,次のような記載が
本剤を使用すると,髄膜炎菌感染症(髄膜炎菌)に対し,患者の抵抗力が低下します。髄膜炎菌感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直)の発現を慎重にモニターし,感染症が疑われる場合は緊急に診療し必要に応じて抗菌剤治療を行う必要があります。

医学文献には,次のような記載がある。
髄膜炎菌敗血症を発症すると特に予後が悪い。急性劇症型として副腎出血や全身のショック状態を呈するWaterhouse-Friderichsen症候群がある。侵襲性感染症のなかで,発症様式として急性劇症型に起こる疾患がこれに当たる(甲B11p1430)。
髄膜炎菌は,無菌状態である血液や髄液に髄膜炎菌が侵襲することにより,敗血症や髄膜炎を主症状とする重篤な感染症(侵襲性髄膜炎菌感染症)を引き起こす。世界では危険な感染症として広く認識されている。その理由は風邪と類似の初期症状で発症した後,24時間以内に急速に病態が悪化し,死に至るケースが存在することにある(甲B17p34,乙B3)。
髄膜炎菌感染症の病態の1つに劇症型があり,突然発症し,頭痛,高熱,けいれん,意識障害を呈し,DIC(汎発性血管内凝固症候群)を伴いショックに陥って死に至る(Waterhouse-Friderichsen症候群)。劇症型の場合には,頭痛,吐き気等の初期症状を呈した後に重篤な症状に移行するまでの経過が非常に早く,1日以内で死亡する例もあり,初期症状を呈した後の処置が非常に重要である(甲B17p37,乙B3)。髄膜炎菌は抗生物質に対して非常に感受性が高いため,経過が著しく早い症例を除いて,早期に適切な治療を施せば治癒する(甲B17p37,乙B3)。しかし,髄膜炎菌感染症には急激に進展し予後不良となるものがあるため,予後改善のためには早期診断・早期治療が極めて重要であり,もし疑わしい症例を診た場合は,発症早期から髄膜炎菌感染症の可能性を考慮して迅速な対応を行うこと,具体的には,原因菌の同定を待たずに,第3世代セフェム系抗生物質の投与を開始することが重要である(甲B4の2,甲B15の2,甲B11,甲B21p90)。エ
紫斑が出現し,ショック症状となってから抗菌薬を投与しても,救命は困難であることは,医療の常識である(甲B21p90参照)。



基礎となる事実等

本件患者は,PNHの治療中であったところ,血液内科と産科の連携が期待されて,平成28年1月7日,他院の産婦人科から被告病院の産科に転院し,同科で継続的に診療を受けていた(乙A1p104)。


本件患者は,アを踏まえ,被告病院血液内科において,PNHの治療(溶血抑制等)のためにソリリスの継続的な投与を受けていた(甲A5,乙A1p146)。


被告b医師及び被告c医師は,被告病院血液内科で本件患者にソリリスを投与した担当医として,上記ア,イの事実等認識していた。



注意義務
上記⑴,⑵を踏まえれば,被告b医師及び被告c医師は,本件患者が8月22日午後4時55分頃に被告病院に電話をするまでに,産科を含めた被告病院の他の医療従事者に対し,本件患者にはソリリス投与による重大な副作用として致死的な髄膜炎菌感染症のリスクがあり,その感染が疑われた場合には救命のために迅速な抗菌剤治療が求められていることを周知すべき義務を負っていた。


義務違反
しかるに,被告b医師及び被告c医師は,上記周知をしなかった。
(被告らの主張)
争う。


被告病院では,本件患者に対し,ソリリスの投与を始めるに当たり,ソリリスの副作用やリスク,使用上の注意などについて十分に説明するとともに患者安全性カードを交付している。



ソリリスの添付文書や患者安全性カードなどの記載内容に照らせば,患者が髄膜炎菌感染症に関連する自覚症状を認めた場合は,患者自ら又は患者から患者安全性カードを提示された医師が担当医師に連絡することが予定されている。



上記⑴,⑵の事情からすれば,ソリリスを投与する医師には,ソリリスの副作用やリスク,使用上の注意などを患者に説明する義務はあるものの,それ以上に,被告病院の他の医療従事者に説明して周知すべき義務はない。
2
争点2(被告d医師の副作用周知義務違反)について

(原告らの主張)


医学的知見
争点1の原告らの主張⑴と同じ。



基礎となる事実等
被告d医師は,被告病院産科の本件患者の主治医であり,本件患者が被告病院血液内科でPNHの治療中であることを理由に他院の産婦人科から被告病院の産科に転院し,平成28年4月から継続的にソリリスの投与を受けていることを知っていた。



注意義務
上記⑴,⑵を踏まえれば,被告d医師は,同年8月22日午後4時55分頃に本件患者が被告病院に電話するまでに,ソリリスの副作用情報を添付文書等で調査したり,被告病院の血液内科に問い合わせたりして,本件患者にはソリリス投与による重大な副作用として致死的な髄膜炎菌感染症リスクがあり,その感染が疑われた場合には,救命のために迅速な抗菌剤治療が求められていることを把握し,これを被告病院産科の他の医療従事者に対し周知すべき義務を負っていた。


義務違反
しかるに,被告d医師は,上記周知をしなかった。

(被告らの主張)
争う。


一般に,医師は,患者が他の医師から処方された薬剤について,その副作用情報を自ら調べるなどして予め認識しておく義務を負わない。また,医師は,ソリリスの投与を受けている患者が患者安全性カードを提示することにより,ソリリスの薬剤情報や副作用情報などを知ることができるから,これらの情報を予め共有する義務を負わない。



また,上記⑴の点を別にしても,被告d医師は,出産のために被告病院産科へ入院した6日間だけ本件患者を担当したにすぎず,その間,本件患者は,高位破水疑いで加療を要したのみで,分娩後も退院まで順調に推移し,血液検査の結果にも大きな変動はないなど経過は良好で,産科的疾患と診断できない症状は出現していない状況であったから,被告病院産科の他の医療従事者に対しソリリスの副作用情報等を周知すべき義務を負うものではない。
3
争点3(j助産師の受診指示義務違反)について

(原告らの主張)


医学的知見
争点1の原告らの主張⑴と同じ。



基礎となる事実等

被告病院産科のj助産師は,平成28年8月22日午後4時55分,本件患者が被告病院産科へ電話した際,本件患者から,同日午前中にソリリスの投与を受け,午後4時前から急な悪寒があり,39.5度の発熱があること,帰宅する頃には乳房緊満が強度で硬結もみられたが,帰宅後急いで授乳し,硬結は消失したこと,今は乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないこと(甲B7p5,乙A1p355),真夏にエアコンを切った寝室の布団にくるまっても急激な悪寒がおさまらないこと(甲A7の3),悪寒戦慄で動けないこと(甲A7の5,甲A8,甲A10p2),全身倦怠感があり,発話が困難で,病院に電話するのもやっとの状態であること(甲A10p2)を聞いた。

j助産師は,上記アの当時,本件患者が被告病院血液内科でPNHの治療中であることを理由に他院の産婦人科から被告病院の産科に転院した者であることを知っていた。



注意義務
上記⑴,⑵を踏まえれば,j助産師は,上記⑵アの電話を受けた際に,本件患者に対し,
速やかに来院して医師の診察を受けるよう指示すべき義務を負っ
ていた。



義務違反
しかるに,j助産師は,本件患者の症状は乳腺炎であると自己判断し,本件患者に

乳腺炎と考えられるので,しっかりと授乳をして翌日まで様子を見るように。

との誤った指示をし(乙A1p355),速やかに医師の診察を受けるよう指示しなかった。

(被告らの主張)
争う。


本件患者は,平成28年8月22日午後4時55分頃の電話の際,j助産師からの授乳状況などの確認に対し,血液内科受診中は授乳ができず,帰宅時には乳房緊満が強度で硬結も見られたこと,授乳後は,乳房の硬結は消失して乳房の痛みや熱感はないが,悪寒と発熱(39.5度)が続いていることを訴えたが,電話口での様子は落ち着いており,会話も可能であった。⑵

乳腺炎は,通常,圧痛,熱感,腫脹のあるくさび形をした乳房の病変で,38.5度以上の発熱,悪寒,インフルエンザ様の身体の痛み及び全身症状を伴うものである(乙B16)。



助産師には,その業務の一つとして褥婦の保健指導がある。本件患者からの電話は,その保健指導を求めるものといえる。



本件患者には患者安全性カードが交付され,治療に当たる医師全員にこれを提示するようあらかじめ指示されており,電話で助産師の指示を仰ぐ場合であっても,同様にカードの内容を伝えることが予定されていたといえる。しかるに,本件患者は,電話の際に患者安全性カードを所持している旨を伝えなかったため,j助産師は,ソリリスの薬剤情報や副作用情報などを知ることができなかった。



上記⑴~⑷を踏まえると,j助産師が,ソリリスの副作用に思い至らなかったのはやむを得なかったし,乳腺炎などの乳房由来の発熱を疑い,しっかり授乳することなどを指導した保健指導には合理的根拠があったというべきであり,本件患者に対して速やかに来院して医師の診察を受けるよう指示しなかったとしても,それが過失に当たるとはいえない。

4
争点4(i医師の受診指示義務違反)について

(原告らの主張)


医学的知見
争点1の原告らの主張⑴と同じ。



基礎となる事実等

被告病院産科のi医師は,平成28年8月22日午後5時頃,本件患者の電話を受けた助産師を通じて,本件患者が,同日午前中にソリリスの投与を受けたこと,午後4時前から急激な悪寒があり,39.5度の発熱があること,帰宅する頃には乳房緊満が強度で硬結もみられたが,帰宅後急いで授乳し,硬結は消失したこと,今は乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないこと(甲B7p5,乙A1p355),真夏にエアコンを切った寝室の布団にくるまっても急激な悪寒がおさまらないこと(甲A7の3),悪寒戦慄で動けないこと(甲A7の5.甲A8,甲A10p2),全身倦怠感があり,
発話が困難で,
病院に電話するのもやっとの状態であること
(甲
A10p2)を聞いた。

i医師は,上記アの当時,本件患者にはソリリスが投与されていたことを知っていた。



注意義務
上記⑴,⑵を踏まえれば,i医師は,上記⑵アの相談を受けた時点で,本件患者について髄膜炎菌感染症を疑い,助産師を通じる等して,本件患者に対し,直ちに来院して診察を受けるよう指示すべき義務を負っていた。


義務違反
しかるに,i医師は,上記指示をしなかった。

(被告らの主張)
争う。


i医師は,平成28年8月22日午後5時頃,病棟助産師から電話を受け,その電話で,患者の氏名や産後日数などとともに,当日日中にソリリスの点滴を受け,帰宅後に寒気と熱発があるとの報告を受けたが,その報告の途中で,同助産師がもういいですなどと言って電話を切ったため,それで話は終わった(産科病棟で対応できた)ものと考え,医師としての判断が求められているとは認識していなかった。



産科の医師は,自らソリリスの処方や髄膜炎菌感染症の治療を担当する可能性はないから,ソリリスの添付文書や髄膜炎菌感染症に関する医学文献を自ら調べて,その情報を予め認識しておく義務はない。実際にもi医師は,原告らの主張⑴の医学的知見について認識していなかった。


本件患者には患者安全性カードが交付されており,治療に当たる医師全員にこれを提示するようあらかじめ指示されていた。しかるに,本件患者は,
電話の際に
患者安全性カード
を所持している旨を伝えなかったため,
i医師は,ソリリスの薬剤情報や副作用情報などを知ることができなかった。⑷

上記⑴~⑶に照らせば,
i医師が上記時点で本件患者の髄膜炎菌感染症の発
症を疑うことは極めて困難であったから,i医師には,その発症を疑い,本件患者に直ちに来院して診察を受けるよう指示すべき義務はない。

5
争点5(救急外来受診時のi医師及びh医師の投薬義務違反)について
(原告らの主張)


医学的知見

争点1の原告らの主張⑴と同じ。


なお,ソリリスの投与によって髄膜炎菌感染症に罹患しやすくなることはあっても,ソリリス投与中の患者が髄膜炎菌感染症を発症した場合に,そうでない患者と比較して症状の進行が早く,劇症の度合いが大きくなるわけではない。そのことは,ソリリス投与中の患者が髄膜炎菌感染症を発症して死亡した症例(乙B18の1~6)をみても,発症から24時間以内に死亡した症例が2例,発症から約2日ないし1か月生存していた症例が4例とされていること,ソリリスを投与していなくても髄膜炎菌感染症を発症し,24時間以内に死亡に至る劇症型が以前から存在していることから明らかである。



基礎となる事実等

8月22日午後5時頃,本件患者からの被告病院産科への電話で,同日午前中にソリリスの投与を受けたこと,午後4時前から急な悪寒があり,39.5度の発熱があること,帰宅する頃には乳房緊満が強度で硬結もみられたが,帰宅後急いで授乳し,硬結は消失したこと,今は乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないこと(甲B7p5,乙A1p355),真夏にエアコンを切った寝室の布団にくるまっても急激な悪寒がおさまらないこと(甲A7の3),悪寒戦慄で動けないこと(甲A7の5,甲A8,甲A10p2),全身倦怠感があり,発話が困難で,病院に電話するのもやっとの状態であること(甲A10p2)が伝えられていた。

同日午後9時18分頃,本件患者の母からの電話で,

本件患者は,熱は40度から少し下がったものの,悪寒があり,発汗が著明で,その後寒気があり,起き上がれないため水分摂取ができず,脱水である。手のしびれがある。体がつらいため授乳ができない。

旨が伝えられていた(乙A1p356)。


同日午後9時55分頃,本件患者は,車椅子で来院したところ,車椅子の上でうずくまるような状態であり,

頭が割れるように痛い。

と話し,自力での移動は困難で看護師らによる介助が必要であり,また,付添いの親族から

本件患者は自宅を出る時には独力で立つことができず,抱きかかえられない状態であった。

旨が伝えられた(甲B7p6,7)。

同日午後10時頃の診察時,本件患者は,発熱,頭痛,嘔気を訴え(乙A1p357)乳房の診察のための脱衣もできない状態であった

(甲B7p7)



同日午後10時15分の血液検査では,
Neutrophil好中球)

89.
6%,
Lymphocyte(リンパ球)8.6%であった(乙A1p357)。

同日午後10時45分頃,本件患者には,嘔吐(両手2,3杯分)があった(甲B7p8,乙A1p360)。


被告病院産科のi医師及び同血液内科のh医師は,同日午後10時~午後10時45分に本件患者を診察した際(甲B7p7,8,乙A1p358,361),本件患者には,
同年4月からソリリスが継続的に投与されていたことを知っ
ていた。


i医師は,同日午後10時45分に,本件患者につき,項部硬直がなく髄膜炎の確定はできないが,全身状態が悪く,ソリリスの影響の可能性があり,乳腺炎でもないので,血液内科で対応してもらえないかとh医師に依頼し,本件患者を引き継いだ(甲B7p8,乙A1p361)。


h医師は,同日午後10時45分頃,本件患者を診察した際,ウイルス感染や髄膜炎の除外のため,入院経過観察とした(甲B7p8,乙A1p361)。コ
h医師は,同日午後11時43分に,本件患者の血液を採取した(甲B7p8,乙A1p363)。



注意義務
上記⑴の知見を踏まえて⑵の経過をみれば,i医師及びh医師は,同日午後10時~午後10時45分の診察時に,本件患者について髄膜炎菌感染症の発症を疑い,急激な進行を予見できたといえるから,直ちに抗菌薬を投与すべき義務を負っていた。
また,h医師は,遅くとも同日午後11時43分には,髄膜炎菌感染症の発症を疑い,急激な進行を予見できたといえるから,この時点で本件患者に抗菌薬を投与する義務を負っていた。



義務違反
しかるに,h医師及びi医師は,同日午後10時~午後10時45分の診察時において,項部硬直がなかったことなどから髄膜炎菌感染症を疑わず,仮に疑っていたとしても,急激な進行を予想せず,経過観察としたに止まり,上記抗菌剤を投与しなかった。
また,h医師は,同日午後11時43分の血液採取時においても,髄膜炎菌感染症を疑わず,仮に疑っていたとしても,急激な進行を予想せず,上記抗菌薬を投与しなかった。

(被告らの主張)
争う。


i医師について

i医師は,
助産師による乳房観察の結果などから乳腺炎は否定的と診断し
たが,同日午後10時15分に採取した血液の検査で白血球数減少などの結果が得られたため,感染症や発熱性好中球減少症,ソリリスによる副作用の可能性を考え,また,項部硬直は認めなかったものの,初期症状が頭痛や発熱などであったことから,髄膜炎菌感染症の可能性を考えて(乙A1p358),同日午後10時45分頃,血液内科へ診療を引き継いだ(乙A1p360)。

産科の医師は,ソリリスの処方や髄膜炎菌感染症の治療を自らが担当する可能性はないから,ソリリスの添付文書や髄膜炎菌感染症に関する医学文献を自ら調べて,その情報をあらかじめ認識しておく義務はない。また,産科の医師は,その症状が産科的疾患と診断できない場合には,血液内科の医師に診療を依頼すれば足り,ソリリスの副作用かどうかを自ら診断する必要はない。


本件患者には患者安全性カードが交付されており,治療に当たる医師全員にこれを提示するようあらかじめ指示されていた。しかるに,本件患者は,来院時に患者安全性カードを示さなかったため,i医師は,髄膜炎菌感染症発症リスクに対する現実的な危機感を抱くことができなかった。


上記ア~ウを踏まえれば,産科当直医であるi医師が,血液内科へ本件患者の診療を引き継いだ判断には合理的根拠があり,
i医師自らが本件患者の
髄膜炎菌感染症を疑って抗菌剤を投与すべき義務を負っていたとはいえない。



h医師について

基礎となる事実等
本件患者は,①救急外来受診時には,ショック状態と認めるに足りる血圧低下はなかった。頻脈は認められるものの,解熱剤内服後で発汗著明のために脱水状態となり(乙A1p356),それによって頻脈が出現した可能性があり,手のしびれや気分不良,嘔吐などの症状も,発汗による脱水状態が原因で出現した可能性があった。②診察時には,会話が可能で意識障害はなく,血液検査の結果も,白血球は低下傾向にあったもののソリリスに対する反応によって減少した可能性があり,CRPの上昇はごく軽度であった。


医学的知見
ソリリスを投与していない患者が発症した電撃性髄膜炎菌感染症の場合は,ショック症状や紫斑などの症状が出現したタイミングで抗菌薬の投与を始めても救命できている(甲B14の1~7・9)。これに対し,本件では,8月23日午前4時25分頃の紫斑出現後すぐに抗菌薬投与を始めたにもかかわらず反応が乏しく,6時間余り後に死亡しており,ソリリスを投与していない患者が発症した場合に比べてその症状の進行が極めて速く,劇症の度合いが大きい。
日本では,①もともと世界的に見て髄膜炎菌感染症の発症率や健常者の保菌率が非常に少ないこと,②本件患者以前には,ソリリス投与中に髄膜炎菌感染症を発症して死亡した患者の症例報告はなかった(海外での死亡例はあったものの,
その症例報告は公表されていなかった)
こと,
③ソリリスの添付文書には,髄膜炎菌などの感染症が発症しやすくなる可能性や死亡に至った重篤な髄膜炎菌感染症が海外で認められていることについての記載はあるものの,
急激な経過をたどり死亡に至ること
(劇症型になること)については記載されていなかったこと(その記載がされたのは,
本件患者の死亡後に公表された安全性情報からである。

等の事情があった。
これらの事情を踏まえれば,血液内科の医師といえども,本件疾患の治療を経験する前に,ソリリス投与中に発症した髄膜炎菌感染症が急激な経過をたどり死亡に至ること(劇症型になること)を予見することは困難であり,そうである以上,発症からショック,紫斑の出現に至る時間が短いことを予見することも困難であったといえる。
抗菌薬の投与を始めるタイミングにつき,平成30年3月に作成されたソリリスの安全性情報第2報では髄膜炎菌感染症が否定できない場合と記載されているのに対し,添付文書では髄膜炎菌感染症が疑われる場合と記載していることからすると,添付文書にいう髄膜炎菌感染症が疑われる場合とは,髄膜炎菌感染症を積極的に疑わせる症状や検査所見が認められる場合を意味するものと解される。

注意義務の不存在

が疑われる場合」とは,髄膜炎菌感染症を積極的に疑わせる症状や検査所見が認められる場合を意味するところ,②上記アのとおり,h医師が,8月22日午後10時45分頃に本件患者を診察した時点では,髄膜炎菌感染症を含む重症細菌感染症である敗血症を積極的に疑うことができる症状や所見はなく,③ソリリスの投与によって髄膜炎菌感染症が発症しやすくな
ソリリス投与中に発症した髄膜炎菌感染症が急激な経過をたどり死亡に至ること(劇症型になること)を予見することは困難であり,したがって,発症からショック,紫斑の出現に至る時間が短いことを予見することも困難であったといえる。
これらの事情を踏まえると,h医師には,同日午後10時~午後10時45分の診察時及び同日午後11時43分の血液採取時に,本件患者について髄膜炎菌感染症を疑い,直ちに抗菌薬を投与すべき義務があったとはいえない。
6
争点6(争点1~5の各過失と本件患者の死亡との因果関係)について
(原告らの主張)


争点1~4の各過失との因果関係

8月22日午後4時55分頃の本件患者からの電話の際に,争点1~4の各義務者のいずれかがその義務を履行していれば,本件患者は,同日午後6時までには被告病院を受診したと考えられる。


上記アの時点の本件患者の症状は,争点3の原告らの主張⑵アのとおりであったから,争点5の原告らの主張⑴で指摘した医学的知見を踏まえれば,本件患者に対し,上記受診後速やかに抗菌薬の投与が開始されたものと見込まれる。

適切な治療を行えば大多数は救命できることが実証されていること,本件患者が実際にショック状態に陥ったのが翌23日午前4時25分頃であったことからすれば,上記イの時点で抗菌薬の投与が開始されていれば,髄膜炎菌感染症の重症化を防止し,救命することができたと考えられる。アメリカの医学文献(2005年,甲B4の2)では,劇症型髄膜炎菌感染症の死亡率は10~15%とされている。残りの85~90%は救命されている。
日本の医学文献(2008年,乙B5)では,成人例の髄膜炎菌性敗血症の死亡率は8~30%と低下傾向にあり,最重症例に対する救命率の向上が全体の死亡率低下につながっていると推察されるとする。日本の医学文献
(2006年~2017年,
甲B14の1~9)
では,
髄膜炎菌感染症の救命例が多数紹介されている。
アメリカの医学文献(米国疾病管理予防センター発行の合併症・死亡率週刊レポート・2017年7月7日付け速報版,
甲B16の2)
では,
ソリリス投与中の患者が髄膜炎菌感染症を発症した16例中,死亡例は1例とされている。
ソリリス投与中の患者が発症した髄膜炎菌感染症についての海外の死亡例(乙B18の1~6)は,誤診で治療開始が遅れた症例や,受診時に既にショック状態で最初から手遅れであった症例ばかりであり,適切な早期治療が行われたにもかかわらず死亡した症例はない。

したがって,争点1~4の各過失がなければ,本件患者の死亡の結果を回避できた高度の蓋然性があるといえる。



争点5の各過失との因果関係

8月22日午後10時~10時45分及び同日午後11時43分の診察時に,i医師又はh医師が争点5の義務を履行していれば,上記⑴ウで主張したところからみて,本件患者の髄膜炎菌感染症の重症化を防止し,救命することができたと考えられる。

したがって,争点5の各過失がなければ,本件患者の死亡の結果を回避できた高度の蓋然性があるといえる。

(被告らの主張)
否認又は争う。


ソリリス投与中の患者が髄膜炎菌感染症を発症した場合に,ショック症状や紫斑出現前に抗菌薬投与を行ったことにより回復した症例(乙B14,19)がある一方,早期治療をしたものの死亡した症例もある(乙B18の3・4)。ソリリス投与中の患者が髄膜炎菌感染症を発症した場合には,その劇症の度合いがソリリスを投与していない患者が発症した場合よりも大きいから,病態が急激に悪化する前に抗菌薬を投与しても,救命できる場合とできない場合がある。
当該患者の救命ができるかどうかは,
同患者の病状等によっ
て決まるのであり,統計上の確率によって決まるのではない。



本件患者の髄膜炎菌感染症は劇症型であったから,仮に抗菌薬の投与が8月22日午後6時頃,午後10時~10時45分頃又は午後11時43分に開始されていたとしても,本件患者を救命できた高度の蓋然性があるとはいえない。

7
争点7(争点1~5の各過失がなければ本件患者が生存していた相当程度の可能性)について

(原告らの主張)
仮に,被告病院の医師及び助産師らの過失がなければ本件患者の死亡の結果を回避できた高度の蓋然性までは認められないとしても,争点6の原告らの主張⑴ウで述べたところからすれば,同過失がなければ本件患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったといえる。(被告らの主張)
否認又は争う。
8
争点8(被告a病院長の責任)について
(原告らの主張)
被告a病院長は,本件事故当時の被告病院の病院長であり,被告法人に代わって被告病院の医師及び助産師による被告病院としての医療が適切に行われるよう,医師及び助産師の選任及び医療行為の監督の任務を有する者である。したがって,被告a病院長は,民法715条2項の代理監督者に当たるから,本件事故について同項による責任を負う。
(被告a病院長の主張)
否認し,争う。


法人の代表者が現実に被用者の選任,監督を担当しているときは,民法715条2項の代理監督者に該当するが,単に法人の代表機関としての一般的業務執行権限を有するにすぎないときは,直ちにその個人責任を問うことはできない(最高裁昭和42年5月30日判決・民集21巻4号961頁参照)。



被告a病院長は,血液内科や産科の診療科長ではなく,単に病院長として同病院に関する被告法人の代表機関としての一般的業務執行権限を有していたにすぎず,
被告病院の医師及び助産師の選任や診療行為の監督をしていない。


したがって,被告a病院長は,本件事故につき,代理監督者責任(民法715条2項)を負わない。

9
争点9(損害)について

(原告らの主張)


逸失利益

1億1807万5300円

本件患者は,死亡時29歳であり,ゆう薬局店長を務め,死亡前年度の年収は577万9966円であった。生存していれば順調に昇進することが見込まれたから,生涯平均年収は1000万円を下らない。
したがって,死亡による逸失利益は,基礎収入1000万円×(1-生活費控除割合0.3)×16.8679(67歳までの38年に対応するライプニッツ係数)=1億1807万5300円となる。


慰謝料

5000万円

本件患者は,
本件事故により29歳の若さで死亡した。
遺された原告らも,
言葉では尽くせない精神的損害を被っている。原告gは,一生涯,愛する母の温顔に接することができない運命に置かれ,原告fは精神的に立ち直れず,未だに日常生活に戻ることができないでいる。
本件患者及び原告らの慰謝料は,
合計5000万円を下らない。


葬儀費用

443万円



弁護士費用



損害額合計(⑴~⑷)



相続

1500万円
1億8750万5300円

原告らは,本件患者の夫及び子として,本件患者の損害賠償請求権を2分の1ずつ相続した。
(被告らの主張)
いずれも否認又は争う。


逸失利益について
本件患者が患っていたPNHは,慢性的な溶血により様々な臓器に障害が出る場合があること(甲B1)などに照らすと,本件患者が順調に昇進できたとはいえない。また,本件患者の髄膜炎菌感染症の病態からして,仮に救命できたとしても後遺障害が残存した可能性があり,従前の労働能力を回復し得たとはいえない。



慰謝料について
本件患者は一家の支柱ではないから,死亡慰謝料は2700万円を超えない。



葬儀費用について
原告らの主張額は過大である。

第6
1
当裁判所の判断
医学的知見
各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,前提事実(前記第3の3)のほかに,以下のとおり認められる。


髄膜炎菌感染症に関する医学文献等
本件事故以前の医学文献等には,髄膜炎菌感染症に関し,次のような記載があった。

メルクマニュアル18版(日本語版)〔平成17年(2005年)11月〕(甲B4の2)
髄膜炎菌(Neisseriameningitidis)は,髄膜炎及び敗血症を引き起こす。髄膜炎及び敗血症は,髄膜炎菌感染の90%以上を占める。髄膜炎菌は体内に侵入後,髄膜炎及び重度の菌血症を引き起こし,深刻な血管作用を来す。感染は急速に劇症型となる可能性があり,10~15%という死亡率を来す。
6か月~3歳の小児は最も高頻度に感染する。他のハイリスク群として,青少年,軍隊の新兵,寮生活をする大学の新入生,補体欠損者及び髄膜炎菌分離株を扱う微生物学者がある。
症状は,通常重度で,頭痛,悪心,嘔吐,嗜眠,発疹,多臓器不全,ショック及び播種性血管内凝固症候群などがある。髄膜炎患者では,高頻度に発熱,頭痛,頚部硬直がみられる。その他の症状としては,悪心,嘔吐,羞明,嗜眠がある。斑点状丘疹又は出血性の点状出血発疹がしばしば疾患の発症直後に現れる。一般理学的診断で,髄膜炎の徴候を認めることが多い。劇症型髄膜炎菌血症症候群には,Waterhouse-Friderich-sen症候群(敗血症,重度のショック,皮膚の紫斑,副腎出血),多臓器不全を伴う敗血症,ショック及び播種性血管内凝固症候群がある。診断は,臨床的に行われ,培養によって確認する。ナイセリアは小さなグラム陰性球菌で,
グラム染色及び他の標準的な細菌学的同定法によっ
て容易に同定できる。ラテックス凝集検査又は共同凝集反応検査のような血清学的方法により,血液,脳脊髄液,滑液,尿中の髄膜炎菌の迅速な推定診断が可能となる。しかし,これらの結果が陽性でも陰性でも培養により確認する必要がある。
治療は,ペニシリン又は第3世代セファロスポリンによる。原因菌の最終的な同定を待つ間,髄膜炎菌感染が疑われる免疫能正常な成人には第3世代セファロスポリン(例,セフォタキシム2g,静注,6時間,又はセフトリアキソン2g,静注,12時間毎に加え,バイコマイシン500mg,静注,6時間毎もしくは1g,静注,12時間毎)を投与する。免疫不全患者においては,リステリア菌の可能性も考慮して,アンピシリン2g,静注,4時間毎を加える。髄膜炎菌であると最終的に同定された時点での望ましい治療法は,ペニシリン400万単位,静注,4時間毎となる。

独立行政法人医薬品医療機器総合機構作成の審査報告書(平成22年2月18日)中の髄膜炎菌感染症に関する記載(甲B15の2)
本薬(ソリリス)は,終末補体複合体(C5b-9)の形成を阻害するが,莢膜多糖体を有する髄膜炎菌は終末補体複合体(C5b-9)により溶菌されるため,
遺伝性疾患である後期補体成分欠乏症
(LCCD)
と同様に,
本薬投与時には髄膜炎菌に対し易感染性を示すと考えられる。
LCCD患者における髄膜炎菌感染症発症リスクは,欠損する終末補体複合体(C5b-9)の種類により異なるが,健康成人と比較して1400~10000倍に上昇することが報告されており,本薬投与を受けた患者でも同程度のリスクがあると予想される。
治療法については,髄膜炎菌感染症は血液・髄液培養検査をもって確定診断を行うが,急速進行性の経過を辿ることもあるため,髄膜炎菌感染症が疑われる場合には,検査結果を待たずに発症早期から第3世代セフェム系抗生物質の投与を開始することが重要である。一般的に髄膜炎菌感染症の抗生物質に対する感受性は良好であるが,発症した場合の致死率は10%前後と高く,仮に治療が奏功しても10~15%には重篤な後遺症が認められる。

救急医学・平成27年
(2015年)9月臨時増刊号所収の説明部分(甲
B11)
髄膜炎菌はグラム陰性の双球菌で,健康なヒトの鼻咽頭からも低頻度ながら分離される。飛沫感染で伝播し,侵襲性感染症としては,①菌血症,②髄膜炎を伴わない敗血症,③髄膜炎,④髄膜脳炎の4型がある。敗血症を発症すると特に予後が悪い。急性劇症型として副腎出血や全身のショック状態を呈するWaterhouse-Friderichsen症候群がある。侵襲性
感染症のなかで,発症様式として急性劇症型に起こる疾患がこれに当たる。
国内においては,本菌による感染症に遭遇する頻度は稀である。ただし,本菌による感染症例は急激に進展し予後不良なため,もし疑わしい症例を診た場合は,髄膜炎菌感染症の可能性を考慮して迅速な対応を行うことが重要である。


平成25年(2013年)第13週~平成26年(2014年)第52週の侵襲性髄膜炎菌感染症の発生動向(IASR(Vol.36No.9)〔平成27年(2015年)9月〕)(甲B20)
1999年以降,
髄膜炎菌性髄膜炎が感染症発生動向調査システム
(N
ESID)に報告されてきたが,2013年4月以降,髄膜炎に髄膜炎菌による敗血症を加えた侵襲性髄膜炎菌感染症が全数把握の5類感染症疾患として報告されることになった。標記期間内にNESIDに報告された侵襲性髄膜炎菌感染症の症例のうち届出基準を満たすものは59例(髄膜炎20例,菌血症39例)であった。届出時点での死亡例は11例(19%)であり,若年層を含め幅広い年代でみられた。2014年の年間罹患率は10万当たり0.028であった。
臨床所見は,髄膜炎症例では,発熱(90%)の頻度が最も高く,次いで頭痛(70%),意識障害(70%)の順であった。菌血症症例でも,発熱(90%)の頻度が最も高く,次いでショック(41%),意識障害(38%)の順であった。死亡例は,髄膜炎で3例(15%),菌血症で8例(21%)であった。
病型については,菌血症が66%を占めていた。髄膜炎症状がなくても,発熱にショックや意識障害を伴った症例に対しては,侵襲性髄膜炎菌感染症を鑑別疾患として考慮する必要がある。

感染症(VOL.46No.2)
〔平成28年(2016年)3月20日発行〕
(甲
B17),アステラス製薬医療従事者向け情報サイト(平成28年3月)(乙B3)
髄膜炎菌は,無菌状態である血液や髄液に髄膜炎菌が侵襲することにより,敗血症や髄膜炎を主症状とする重篤な感染症(侵襲性髄膜炎菌感染症)を引き起こす。世界では危険な感染症として広く認識されており,ワクチン接種による髄膜炎菌感染症の予防方策がとられている。日本国内においては,ワクチン接種等の髄膜炎菌感染症に特異的な公衆衛生対策が取られていないにもかかわらず,年間約40例程度の稀少感染症となっている。しかし,侵襲性髄膜炎菌感染症が世界的に恐れられている理由は風邪と類似の初期症状で発症した後,24時間以内に急速に病態が悪化し,死に至るケースが存在することにある。
1999年に施行された感染症法によって髄膜炎菌性髄膜炎とし
て定義され,患者の髄液からの髄膜炎菌が検出された場合のみ報告すると定義され,1999年~2012年においては年間20例程度であった。2013年に感染症法の改正が行われ,侵襲性髄膜炎菌感染症として髄膜炎症状のみならず敗血症症状の場合も対象に含まれ,患者の髄液もしくは血液から,培養もしくはPCRで髄膜炎菌が検出された場合にも報告すると定義された。その改定に伴い,髄膜炎菌による敗血症の症例も報告されるようになり,現在では年間40例程度の侵襲性髄膜炎菌感染症の報告がある。10万人当たりの罹患率で換算すると0.028で世界的にみても非常に低い。
鼻咽頭に定着していた髄膜炎菌が未解明の条件下で気道粘膜を介して血中,中枢神経系に進入することにより,以下の病態をとる。
①菌血症(敗血症):高熱や皮膚,粘膜における出血斑,関節炎等の症状を呈す。②髄膜炎:頭痛,吐き気,精神症状,発疹,項部硬直などの主症状を呈する。③劇症型:突然発症し,頭痛,高熱,けいれん,意識障害を呈し,
DIC
(汎発性血管内凝固症候群)
を伴いショックに陥っ
て死に至る(Waterhouse-Friderichsen症候群)。劇症型の場合には,頭痛,吐き気等の初期症状を呈した後に重篤な症状に移行するまでの経過が非常に早く,1日以内で死亡する例もあり,初期症状を呈した後の処置が非常に重要であると考えられる。
髄膜炎菌は抗生物質に対して非常に感受性が高い。耐性株の出現は海外では分離報告があるが,国内ではほとんど報告されていない。それゆえ,経過が著しく早い症例を除いて,早期に適切な治療を施せば治癒する。一般的に我が国ではペニシリン耐性株は稀であるが,他の細菌性髄膜炎の起炎菌同定前から速やかに治療へ移行するために,抗菌スペクトルの広い第3世代セフェム系抗菌薬が第1選択薬とされている。


髄膜炎菌感染症の発症数,致死率及び症状経過等

日本国内における平成25年4月~平成29年10月の髄膜炎菌感染症の症例は160例であり,年度別では,平成25年は20~25例,平成26年は35~40例,平成27年は30~35例,平成28年は40~45例,平成29年は20~25例であった。(甲B24,乙B32)

髄膜炎菌に関する欧米における調査では,健康者の保菌率は5~15%とされ,軍隊や学校などの密閉的集団では20~40%とされている。他方,日本国内では,平成12年9月~平成15年3月の全国10県での5886名を対象とした調査で25名の保菌があり,非流行時の健康者の全国的な平均保菌率は0.4%であると報告されている。(乙B30)ウ
髄膜炎菌ワクチンであるメナクトラは,血清型A,C,Y,W―135に起因する侵襲性髄膜炎菌感染症を予防する効果があるが,血清型Bに起因する侵襲性髄膜炎菌感染症を予防することはできない(甲B5の1)。

日本国内で発生する髄膜炎菌感染症の起炎菌の半数以上はB群によるものである(甲B8)。


侵襲性髄膜炎菌感染症を発症するまでには,細菌に曝露し,感染し,発症するという経過を辿るところ,髄膜炎菌に感染しても,発症せず無症状の状態で長期間経過する例が多い。
他方,
ソリリスを服用している患者は,
補体が欠損しているため,細菌に感染した際の発症リスクが高い。また,同様の理由から発症後の進行も比較的速くなることが考えられるが,侵襲性髄膜炎菌感染症はもともと発症後の進行が速い疾患であり,ソリリス服用の有無によって有意な差が生じるものかは明確でない。(証人k)

ソリリスの医薬品審査報告書(平成22年2月作成)では,

一般的に髄膜炎菌感染症の抗生物質に対する感受性は良好であるが,発症した場合の致死率は10%前後と高く,仮に治療が奏功しても10~15%には重篤な後遺症が認められる。

とされている(甲B15の2p57)。

米国疾病予防管理センターが2015年4月に発行した『EpidemiologyandPreventionofVaccine-PreventableDiseases』(第13版)では,髄膜炎菌感染症の致命率は,適切な抗菌薬治療を行った場合でさえ,10%から15%である。(髄膜炎菌感染症のうちでも)髄膜炎菌敗血症の致命率は40%に達する。20%もの生存者が,聴力喪失,神経学的障害またはいずれかの四肢の喪失のような永続的な後遺症を有す。とされている(乙B10の1,2)。


マンデルら編集の『感染症の原則と実践』第7版(2010年)では,髄膜炎菌感染症につき,

抗菌薬の導入により髄膜炎菌疾患の予後は劇的に変わった。今日では理想的な状況下では予想される死亡率は8~10%を超えてはならない。

とされている(甲B22の2p4,同資料2p2745,甲B23p8)。

同文献の2740頁では,髄膜炎菌感染症につき,致命率は,疾患罹患率,感染症の性質及び感染が発生した社会の社会経済状況により異なる。先進工業国では流行状況下で髄膜炎の致命率は7%と低く,髄膜炎を伴わない敗血症の致命率は19%と高かった。いくつかの第三世界諸国では流行状況下で髄膜炎の死亡率は2~10%とばらついており,敗血症の死亡率は70%と高い。米国では,流行期に主な医療センターから報告された致命率は8%であったとされている(乙B26の1,2)。

英国の医学雑誌・ランセット(2007年)では,

全身髄膜炎疾患の死亡率は70~90%であった。しかし,致死率は今や多くの国で10%程度であり,英国でも同様である。

とされている(甲B23p8)。

米国疾病管理予防センターの報告では,2008~2016年の米国でのソリリス投与中の髄膜炎菌感染症発症患者は16例で,そのうち死亡例は1例(致死率6%)とされている(甲B16の2,甲B22の2資料3,乙B24)。


ソリリスの製造販売元であるアレクシオンファーマ合同会社のソリリス全例調査によれば,2007年~2016年に報告された感染者数は76件であり,うち8件が死亡事例であった(乙B34p13脚注22)。

PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)が集積したソリリスの副作用報告(2011~2019年)によれば,日本におけるソリリス使用患者の髄膜炎菌感染症発症例は,平成23年~平成31年の間に5例報告されており,そのうち2例が回復,2例が死亡(注:うち1例が本件患者),1例が不明となっている(乙B23資料3の症例2)。


ソリリスの製造販売元であるアレクシオンファーマ合同会社は,本件患者の死亡事例の発生を受けて,平成28年10月,ソリリス点滴静注300mgの安全性情報を発出した(乙B7)。そこには,注意事項として髄膜炎菌感染症は,劇症型の髄膜炎菌敗血症のように急激な経過をたどり死亡に至ることがあります。本剤投与中の患者様に感染症が疑われた場合あるいは否定できない場合には,ワクチン接種後であっても,血培検体を採取し,確定診断を待たずに,直ちに抗菌薬による治療を開始してください。との記載がある。同社は,その後,新たに髄膜炎菌感染症2例が報告され,うち1例が死亡事例であったことを受けて,平成30年3月,ソリリス点滴静注300mgの安全性情報-第2報-を発出した(乙B14)。そこには,注意事項として

患者さんに感染様症状を認めた場合,症状が軽度(髄膜炎症状なし)であっても侵襲性髄膜炎菌感染症を念頭において必要な検査,早期の抗菌薬による治療を考慮ください。

との記載がある。また,発症時の管理方法として,ソリリス投与中に発熱等が認められ,髄膜炎菌感染症が否定できない場合には,ワクチン接種の有無にかかわらず,血液培養を含む必要最低限の検査を実施した後,起因菌の判明を待たずに髄膜炎菌を標的とした抗菌薬による治療を開始してください。との記載がある。⑶

細菌感染及びウイルス感染の徴候

細菌感染では,白血球が増える場合が多いが,増えない場合もある。細菌感染が発生すると,血中にある白血球が消費されるため,白血球は一旦減少するものの,骨髄からの供給が始まることで再び増加することが通常である。ただし,重症の場合には,供給される白血球に比して消費される白血球が多いため,白血球は減少する。(証人h)


リンパ球数の減少による好中球の相対的な増加は,感染症の徴候の一つと考えられている(甲B22の2)。


CRPは,炎症の度合いの指標となる数値であり,正常範囲は0.1~0.3mg/dl以下とされている。炎症発生後約6~8時間で上昇し始めるため,炎症発症のごく初期では,臨床症状が重篤であるにもかかわらずCRPが低値を示すことはしばしば経験される。また,CRPは生体の防御反応であり,患者の免疫能等の要因の影響を受けるものであるため,個体間での比較は有用とはいえないとされている。(甲B9)

細菌感染では,比較的軽微な感染でもCRPがはっきりと上昇するのに対し,ウイルス感染では,比較的強い炎症が起きていてもCRPがはっきりと上昇しない場合がある(証人h)。



細菌感染症発症後の経過と抗菌薬の効果

セフトリアキソン及びゾシンのような抗菌薬には,細菌の分裂を阻害することによって細菌を結果的に消滅させる効果がある。抗菌薬を投与しても,抗菌薬そのものに対する抵抗メカニズムを持っている細菌や,抗菌薬自体は作用するものの細菌の減少及び消滅に時間を要する細菌については,上記効果が十分に発揮されないが,髄膜炎菌感染症はそのいずれにも該当せず,抗菌薬を投与すれば効果的に細菌を消滅させることができる。細菌が消滅するまでに要する時間は,一般的には1~3時間と言われている。(証人k)


細菌感染症が進行してショック症状や紫斑が出現した段階では,細菌が内臓にダメージを与えており,
抗菌薬を投与することによってもそのダメー
ジを回復することはできないため,ショック症状や紫斑が出現する前の段階で抗菌薬を投与することが重要である。(証人k)


細菌感染症が可能性の一つとして考えられた段階で抗菌薬を投与することによるデメリットとしては,①無駄な治療になる可能性があること,②抗生物質に対するアレルギーを発症し死亡する場合もあること,③肝臓及び腎臓の障害が発生する可能性があること,④炎症の原因の判断が困難になる可能性があることがあげられる(証人h)。



播種性血管内凝固症候群(disseminatedintravascularcoagulation;DIC)(甲B21p90)

DICは,基礎疾患の存在下に全身性持続性の著明な凝固活性化をきたし,全身臓器の主として細小血管内に微小血栓が多発する重篤な病態である。凝固活性化と併行して線溶活性化がみられるが,線溶活性化の程度は基礎疾患によって異なり,このことはDICの病態を特徴づけている大きな要素の1つである。DICは進行すると,血小板や凝固因子といった止血因子が消費性に低下していわゆる消費性凝固障害の状態になり,更に進行すると出血症状,臓器症状といったDICの二大症状がみられるようになる。

DICの予後は極めて不良であり(平成10年度厚労省研究班による疫学調査では死亡率56%),予後改善のためには早期診断・早期治療が極めて重要である。DICの二大症状のうち出血症状に関しては適切な病型診断及び治療を行うことによりコントロールは比較的容易になってきているが,著明な全身性炎症反応を背景とした臓器症状をコントロールすることはしばしば困難であり,DICの予後を不良としている大きな要素である。

2
診療経過
各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,前提事実(前記第3の2)のほかに,以下の事実が認められる。


来院前の経過

本件患者は,妊娠時にPNHが増悪する可能性を指摘されていたことから,被告病院での周産期管理を希望し,平成28年1月7日(以下,月日は同年を指す。)以降,被告病院産科で継続的に診療を受けていた(甲A11,乙A1p104,107)。


本件患者は,4月4日から,被告病院血液内科において,主治医である被告b医師により,PNHの治療(溶血抑制等)のためにソリリスの継続的な投与を受けるようになった(乙A1p146)。本件患者は,ソリリスの点滴後に気分不良や熱発などが生じたことはなかった。


本件患者は,7月31日~8月6日,出産のために被告病院に入院した
(乙A1p264)。

8月22日午前中,本件患者は,被告病院血液内科で,ソリリスの投与を受けた(乙A1p353,354)。

本件患者は,同日昼過ぎから,悪寒,頭痛が発生し,その後発熱した(乙A1p355,357)。


本件患者は,同日午後3時59分頃,外出中の原告f及び本件患者の母であるl(以下母という。)に対し,急激に寒気がしてきてエアコンかかってない寝室の布団にくるまってもおさまらない旨を(甲A7の3,甲A8),同日午後4時13分頃,母に対し,さむくて動けない…早めに帰ってきてほしい旨を(甲A8),同日午後4時38分頃,原告fに対しピンポンあけれるかしらてぐらい動けない旨を(甲A7の5)それぞれ連絡した。


同日午後4時55分頃,本件患者は,被告病院産科に電話し,同日午前中にソリリスの投与を受けたこと,その後急激な悪寒があり,39.5度の高熱があること,帰宅する頃には乳房緊満が強度で硬結もみられたが,帰宅後急いで授乳し,硬結は消失したこと,今は乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないこと等を伝えた(甲A9の1,甲B7p5,乙A1p355)。


前記電話に当初対応した助産師(以下助産師Aという。)は,自分では判断できないと考え,先輩の助産師に相談し,その指示によりi医師に連絡をした。助産師Aは,i医師に対し,本件患者の疾患名,産後日数,氏名のほか,日中にソリリスを点滴したこと,帰宅後に悪寒と発熱があったこと,乳房が張っていないことを説明したが,その間にj助産師が本件患者からの電話に対応し始めたことから,i医師に対し,対応できたのでもういいですと述べ,電話を切った(甲B7p5)。j助産師は,感冒症状もなく,当日のエビソードから推測すると乳房由来の熱発が考えられるとし,本件患者に対し,乳腺炎と考えられるので,今晩しっかりと授乳をし,明日の朝になっても解熱せず乳房トラブルが出現しているようであれば電話連絡をするよう指示した(乙A1p355)。

本件患者は,j助産師からの上記指示に従って授乳をしようとしたが,力が入らず子供を抱きかかえることができなかったため,本件患者の姉が搾乳をした。同日午後6時過ぎの時点で,体温が40度を超えていた(乙A1p356,証人l)。


その後も悪寒や嘔気は治まらず,つらさを訴え続ける本件患者の状況を見かねた母は,同日午後9時頃,被告病院に電話をかけ,本件患者の状態を伝え,点滴してもらえないかと訴えた。その際,本件患者の状態について,熱が40度から少し下がったものの,悪寒があり,発汗が著明で,その後寒気があり,起き上がれないため水分摂取ができず脱水であること,手のしびれがあること,体がつらいため授乳ができず,搾乳したが,乳房熱感はさほど強くなく,発赤や硬結も見られないこと,吐き気があること等を伝えた(乙A1p356,証人l)。


電話を受けた助産師は,他の助産師らと相談の上,i医師に相談し,i医師は,上級医に相談した上で,救急外来への来院を指示した(甲B7p6)。

その後,原告fは,本件患者を自家用車で被告病院に連れて行ったが,本件患者は歩くことができず,被告病院に到着すると,本件患者は車いすに乗せられたが,
車いすの上でうずくまるような状態であった
(甲B7p6,7,
原告f本人)



被告病院産科での診療経過

同日午後9時55分頃,本件患者は,被告病院産科を受診し,同日午後10時頃からi医師が本件患者を診察した。
本件患者の血圧は95/62m
mHgであり,SPO2は98%,脈拍は115回/分,体温は36.3度(午後5時頃にロキソニン内服)であった。腹部は平坦で軟らかく,圧痛及び熱感はなかった。項部硬直及びjoltaccentuation(頭を左右に振った際の頭痛増悪)
はなかった。
助産師による乳房診察では,
乳房の緊満感,
発赤,疼痛はなく,乳汁も膿などを認めなかった。(乙A1p357)

同日午後10時45分頃,i医師は,乳腺炎は否定的であること,血球減少や血球の左方移動等を認めていることから感染症や発熱性好中球減少症の可能性があること,ソリリスの副作用の可能性があること,項部硬直などは認めなかったが頭痛や発熱が初期症状であることから髄膜炎菌感染症の可能性があることを考え,本件患者を血液内科へ引き継いだ(乙A1p358,360)。

その頃,本件患者には,両手2~3杯ほど食物残渣混じりの水溶性嘔吐がみられ,悪寒が出現し,体温の上昇(37.5度)がみられた(乙A1p360)。



被告病院血液内科での診療経過等

i医師は,同日午後10時45頃,h医師に診察依頼の連絡をした。その際,h医師は,i医師から,本件患者に高熱及び頭痛があり,少し前に嘔吐したこと,乳腺炎ではないこと,項部硬直がないことを聞いた(証人h)。

h医師は,本件患者のカルテを閲覧し,当日の診療内容及びソリリスの添付文書の内容を確認した。この時,h医師にソリリスの処方経験はなかったものの,同添付文書の記載等により,ソリリスの副作用によって髄膜炎菌に感染しやすくなること,海外で髄膜炎菌感染症による死亡事例があること,薬剤の投与による反応が激しく起こる可能性があること,ウイルス感染症が起こり得ることを認識した。(証人h)
さらに,h医師は,それまでに獲得した知識により,髄膜炎菌感染症は急速に病態が悪化する可能性があり,1分を争う疾患であること,10~15%の死亡率を来すこと,髄膜炎菌感染症が疑われる場合には,検査結果を待たずに発症早期から抗生物質の投与を開始することが重要であることを概ね認識していた。他方,ワクチン接種によって髄膜炎菌感染症を予防できるか否か,ワクチンがB型髄膜炎菌に対して効果を有するか否か,日本にB型の髄膜炎菌が多いか否かについては知見を有していなかった。(証
人h)


h医師は,救急外来に移動し,同日午後11時過ぎ頃,本件患者を診察した(乙A1p358,360,乙A18)。h医師は,本件患者を診察した際,本件患者の意識状態に問題はなく,意思疎通は問題なく行うことができていること,移動には介助が必要であるものの,短い距離であれば介助なしで歩行できる状態であることを認識した(証人h)。

本件患者の血液検査(午後10時15分採血分)の結果は,WBC(白血球)3.2,CRP0.4,Neutrophil(好中球)89.6,PLT(血小板)
21万3000であり,
WBC及びPLTはいずれも基準値内であっ
た(乙A1p357,361,証人h)。


h医師は,
同日午後11時22分頃から30分頃までの間に入院経過観察
と決定した(証人h,乙A18)。
h医師は,カルテに,PNHに対してソリリス点滴されている。これまでソリリスでこのような症状が出たことはないが,ソリリスに対する反応が考えやすいか。症状に対する対応,ウイルス感染の可能性,髄膜炎の除外などのため,入院経過観察としたい。→本人,ご家族了解された。と記載した(乙A1p361)。
h医師は,
入院診療計画書を作成し,家族に説明した。h医師は,
入院診療計画書に,次のような記載をした。(甲A14)
病名(他に考えられ得る病名))
薬剤による発熱,ウイルス感染の疑い,髄膜炎の疑い,敗血症の疑い症状
発熱,嘔吐,気分不良
治療計画
補液,解熱剤や制吐剤の投与を行い,経過を観察する。
細菌感染や髄膜炎が強く疑われる状況となれば,速やかに抗生剤を開始する。
検査内容及び日程
血液培養検査(8月23日)及び血液検査(8月23日)を予定する。髄膜炎の疑いが強くなれば,髄液検査を施行する。
h医師は,上記時点で,発熱,嘔吐,頭痛等の非特異的な症状からは髄膜炎菌感染症を積極的に疑うことはできないと考えており,項部硬直,意識障害,脳神経症状,ショック状態等を生じた時点で抗菌薬を投与することを考えていた(証人h)。

h医師は,同日午後11時43分頃,血液培養検査の指示を行った(乙A1p363,乙A18,証人h)。


本件患者は,
8月23日午前1時42分頃,
看護師に対し,
汗をかいた,
着替えたい旨を述べた(乙A1p371)。また,同日午前3時27分頃,看護師に対し,乳房の張りによる痛みを訴え,搾乳を希望した(同p374)。

同日午前4時25分,本件患者の全身に紫斑が出現し,血圧が67/46となった。また,PLTは3000であり,DICを発症していた。h医師は,これらの状態からみて細菌感染の疑いが強いと考え,ゾシンを投与した。(証人h,乙A1p376,乙A10の4)


その後,本件患者は,劇症型の細菌感染症により敗血症性ショック,D
ICを来して多臓器不全が進行し,
急速に容態が悪化して,
同日午前10時
43分,死亡した(乙A1p408,421)。

8月24日,本件患者の細菌培養検査の結果が判明し,髄膜炎菌が同定された(乙A1p420,421)。


8月29日,薬剤感受性検査の結果が判明し,本件患者から検出された髄膜炎菌は,薬剤感受性検査においてPCGおよびABPCなどのペニシリン系薬剤に感受性があることが分かった(乙A9)。本件患者が感染した髄膜炎菌の血清群はY型であった(乙A16)。

3
争点1(被告b医師及び被告c医師の副作用の周知義務違反)について⑴

原告らは,本件患者は,血液内科と産科の連携の下で治療を受けるべく被告病院を受診していたのであるから,血液内科の主治医には,ソリリスの副作用に関する情報及び具体的な対応を産科の医療従事者にも周知すべき義務があった旨主張する。


本件患者が被告病院の血液内科と産科を受診していた趣旨は,妊娠によってPNHが悪化するリスクがあることを踏まえ,より安全に出産できる環境を整える点にあり(前記2⑴ア),産科の医師において血液内科の医師と適宜連携を取りながら産科診療を行うことがその趣旨に含まれていたとはいえる。しかし他方で,PNHの治療としてのソリリスの投与は血液内科において行われていたもので,その治療の具体的な内容や副作用に関する情報や対応は血液内科の担当領域であったと認められる上,ソリリスの副作用に対する対応は,患者カードを所持させて発熱等の症状があるときはこれを提示するよう指示しており,それによって血液内科で対応することが可能な体制がとられていたといえる。



以上の事情を踏まえると,血液内科の医師には,上記の対応を超えて産科の医師等に対してソリリスの副作用に関する情報や対応を周知すべき注意義務があったとはいえないから,
争点1についての原告らの主張は理由がない。

4
争点2(被告d医師の副作用周知義務違反)について


原告らは,本件患者は,血液内科と産科の連携の下で治療を受けるべく被告病院を受診していたのであるから,産科の主治医には,ソリリスの副作用情報を産科の他の医療従事者にも周知すべき注意義務があった旨主張する。


しかし,前記3⑵で説示したとおり,ソリリスの副作用に関しては血液内科で対応する体制がとられていたといえるから,産科の主治医には,ソリリスの副作用情報を他の医療従事者に周知すべき注意義務があったとはいえない。


5
よって,争点2についての原告らの主張は理由がない。
争点3(j助産師の受診指示義務違反)について



保健師助産師看護師法には,助産師は,助産又は妊婦,じょく婦若しくは新生児の保健指導を行うとの定めがある(3条,39条)一方で,助産師は,妊婦,産婦,じょく婦,胎児又は新生児に異常があると認めたときは,医師の診療を求めさせることを要し,自らこれらの者に対して処置をしてはならないとする定めがある(38条)。
j助産師は,本件患者からの電話を受けた助産師Aの話や本件患者から電話口で直接話を聞き,当日午前中にソリリスの投与を受けたこと,その後急激な悪寒があり39.
5度の高熱があること,
帰宅後授乳し乳房硬結は消失し,
乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないことを把握したことが認められる(前記2⑴キ,ク)。
上記の助産師の行うべき業務の内容及びj助産師が把握した本件患者の症状の内容からすると,
助産師としては,
患者からの症状の説明等を医師に伝え,
医師の指示に基づき対応するべき注意義務があったといえる。
しかるに,j助産師は,医師の指示を求めることなく,乳腺炎の可能性が高いと自ら判断し,翌日まで様子をみるようにとの指示をしたことが認められる(前記2⑴ク)ところ,この行為は,助産師として行うべき業務(保健指導)の範囲を逸脱するものとして,上記注意義務違反の過失に当たるといえる。


被告らは,本件患者が上記電話の際に患者安全性カードの内容を伝えるべきであったのにこれを伝えておらず,その結果,j助産師が上記対応をしたのであるから,j助産師に過失はない旨主張する。
しかし,本件患者は,上記電話の際に,患者安全性カードの内容そのものについては伝えていないものの,当日にソリリスの投与を受けたことを伝えているし,仮にかかる情報伝達に不十分な点があったとしても,そもそもj助産師が医師に指示を求めずに自ら判断し,指示をしたことが正当化されるとは解されず,被告らの主張は上記⑴の判断を左右しない。

6
したがって,争点3についての原告らの主張は理由がある。
争点4(i医師の受診指示義務違反)について



原告らは,i医師は,助産師Aからの相談を受けた時点で,本件患者について髄膜炎菌感染症を疑い,受診を指示すべき義務を負っていた旨主張する。⑵

前記2⑴クの事実と証拠(甲B7p5)によれば,i医師は,助産師Aからの相談により,本件患者の疾患名,産後日数,氏名のほか,日中にソリリスを点滴したこと,帰宅後に悪寒と発熱があったこと,乳房が張っていないことを聞いたが,そのやり取りの途中で,助産師Aから対応できたのでもういいですと言われたことから,それ以上の対応を行わなかったことが認められる。



以上の事実によれば,i医師は,上記時点で,本件患者の症状の詳細(悪寒や発熱の経過及び程度,風邪の症状がないこと等)までは認識していなかった上,助産師Aから対応ができたのでもういいですと伝えられ,それ以上の情報を得ることができなかったのであるから,その時点でi医師に受診を指示する義務を課することはできないというべきである。


7
よって,争点4についての原告らの主張は理由がない。
争点5(救急外来受診時のi医師及びh医師の投薬義務違反)についてh医師の投薬義務違反について



双方の主張の骨子
原告らは,本件患者の初期症状からみて,髄膜炎菌感染症の発症が疑われたといえるから,
h医師が抗菌薬を投与せずに経過観察を選択したことは
不適切であり,遅くとも8月22日午後11時43分頃までに抗菌薬を投与すべき義務があったと主張する。
これに対し,被告らは,本件患者の初期症状のほか,白血球数及びCRP値からみて,髄膜炎菌感染症の発症が積極的に疑われる状況ではなかったから,本件事故当時の医療水準に照らすと,抗菌薬を投与するのも1つの選択肢であるが,経過観察により症状の推移をみて抗菌薬を投与するかを判断するというのも1つの選択肢であり,いずれも医師の裁量の範囲内にあって不適切とはいえないから,
h医師には原告ら主張の時点までに抗菌
薬を投与すべき義務があったはいえないと主張する。


医師等の意見
上記アの対立点に関する医師等の意見の概要は,次のとおりである。被告病院事故調査委員会作成の医療事故調査報告書
(甲B7。
以下
院内調査報告書という。)
血液検査で白血球数の上昇がなかったことやCRPがほとんど正常に近い値であることから,細菌感染の可能性が高くないと考えた医師の判断は一般的である。
夜間は対処療法を行い,
翌朝に再度血液検査を行い,
検査値の推移をみて判断するという考え方がある一方で,診断は確定していなくても抗菌薬を投与しておき,後で感染症ではなかったと分かれば,その時点で抗菌薬を中止するという考え方もある。この場面における唯一の正しい対応というものはなく,どちらの選択肢もあり得た。本事例において,経過をみながら抗菌薬の投与を考慮するという選択肢をとったことは誤りではない(同p26)。
医療事故調査・支援センター調査報告書(乙B20。以下センター調査報告書という。)抗菌薬投与のタイミングにつき,日本版敗血症診療ガイドライン2016では,敗血症を診断したあるいは疑った時点から1時間以内の抗菌薬投与が推奨されているところ(同p35),本件では,菌血症(あるいは敗血症)を疑い,細菌培養検査を実施してから,約5時間後にゾシンが投与されている。しかし,血液培養検査実施時には,白血球増多やCRP値の上昇もなく,
細菌感染症よりもウイルス感染症や,
薬剤アレルギー
を疑っていたことからすると,やむを得ない対応であった(同p36)。m医師(大阪大学医学部血液・腫瘍内科助教(学部内講師),日本PNH研究会事務局長)の意見書(以下m意見という。)(乙B27)本件患者の救急外来受診時の状況からは,直ちに髄膜炎菌感染症に特化した治療を開始できる状況ではなかったと考えられる(同p8)が,他方で,8月22日午後10時45分に産科から髄膜炎菌感染症も鑑別疾患の1つとして引き継がれ,髄膜炎除外のため入院の上,経過観察と判断し,
ほぼ同時に持続点滴を開始しており,
髄膜炎は考えにくい状況で,
細菌感染を示唆する明確な検査所見もこの時点ではないものの,髄膜炎菌感染症のリスクを考慮すると(少なくともそれを疑って精査を進めているわけであるから),産科から引き継いだ上記タイミングで主治医に相談するか,抗菌薬を入れておくべきものと思われる。その後,同日午後11時43分に血培を採取しているが,敗血症,菌血症を念頭においてのことであるから,遅くともこのタイミングで入れるべきであったと思われる(同p9)。
k医師(神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長)の意見書(甲B22の2,23)及び証言(以下,併せてk意見という。)
髄膜炎菌感染症を疑いながら様子をみることは決してしてはならず,同感染症の疑いがあれば,速やかに抗菌薬を投与するのが医師に求められる確立された医療水準である。そのことは,同感染症が否定できないものの積極的に疑われない場合や,除外診断の対象と考えた場合でも,同様である。なぜなら,第1に,同感染症は,緊急性が高く,進行が速く,致死的であるからであり,第2に,結果的に同感染症でなかった場合のリスク(抗菌薬の副作用のリスク)と逆のリスク(救命できないリスク)とを比較すると,後者のリスクがはるかに大きいから,これを患者に背負わせないのが臨床医学の鉄則だからである。したがって,本件で,h医師が髄膜炎菌感染症を疑いながら経過観察とし,速やかに抗菌薬を投与しなかったのは不適切である。

検討
前提事実,前記1,2の診療経過及び医学的知見を基礎に,上記イの各意見を踏まえつつ,h医師の投薬義務の有無について検討すると,以下のようにいうことができる。
添付文書の記載とその意味の理解
a
添付文書の記載
前提事実(前記第3)3⑵ア(ウ)(エ)のとおり,ソリリスの添付文書には,重大な副作用の項目に,髄膜炎菌感染症を誘発することがあるので,投与に際しては同感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直,羞明,精神状態変化,痙攣,悪心・嘔吐,紫斑,点状出血等)の観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌薬の投与等の適切な処置を行う(海外において,死亡に至った重篤な髄膜炎菌感染症が認められている。)。との記載があり,使用上の注意の項目に,投与により髄膜炎菌感染症を発症することがあり,海外では死亡例も認められているため,投与に際しては,髄膜炎菌感染症の初期徴候(発熱,頭痛,項部硬直等)に注意して観察を十分に行い,髄膜炎菌感染症が疑われた場合には,直ちに診察し,抗菌剤の投与等の適切な処置を行う。髄膜炎菌感染症は,致命的な経過をたどることがある…(以下略)との記載がある。b
警告の趣旨・理由
添付文書にこのような警告がおかれている趣旨・理由については,前提事実3⑵ア(イ)のとおり,①ソリリスが補体C5の開裂を阻害し,終末補体複合体C5b-9の生成を抑制するため,髄膜炎菌を始めとする莢膜形成細胞による感染症を発症しやすくなるという副作用を有すること,②外国の例であるが,髄膜炎菌感染症には,急速に悪化し致死的な経過をたどる重篤な例が発生していることから,死亡の結果を回避するためである。
そして,外国で死亡例があることは添付文書の記載自体から知ることができるし,ソリリスと髄膜炎菌感染症とのより詳しい関連性については,前記1⑴で認定したように,メルクマニュアルのような汎用的な医学文献(同ア),救急医学のような汎用的な雑誌(同
ウ),更に製薬会社の発行する雑誌や医療従事者向けサイト(同オ)など,
医師が容易に調査・確認し得る資料にも説明がある。
そこには,
髄膜炎菌感染症には,劇症型と呼ばれる急速進行性のものがあり,これを念頭において速やかな抗菌薬の投与が推奨されていることが理解できる記載がある。
c
疑われた場合の意味
(a)

添付文書には,抗菌薬の投与等を行う場合として髄膜炎菌感染症が疑われた場合にはと記載されている。この記載の理解について,原告らは,
疑われた場合は否定できない場合とほぼ同義
であり,症状からみて髄膜炎菌感染症の可能性がある場合ないしそれが懸念される場合には,疑われた場合に当たる旨主張するの
に対し,被告らは,
疑われた場合と否定できない場合は同義
ではなく,
疑われた場合に当たるといえるためには,
否定できない場合との対比において,積極的に疑われた場合あるいは強く疑われた場合であることが必要である旨主張する。
(b)

まず,添付文書の文言の意味から検討するに,ある疾患が疑われ

るという場合の疑いには,その性質上,強弱ないし程度の違い
があり,それに応じて,例えば,①積極的にないしは強く疑われる場合(可能性が高い場合),②強くはないが相応に疑われる場合(相応の可能性がある場合。他の鑑別すべき複数の疾患とともに検討の俎上にあがり,鑑別診断の対象となり得る場合),③可能性が低い場合かほとんどゼロに近い場合(単なる除外診断の対象となるにすぎない場合)などに分けて理解することが可能である。添付文書にいう疑われた場合というのが,どのレベルを指すのかは一義的
には明らかでないものの,その文言の一般的な理解としては,上記①の場合に加え,上記②の場合をも含めて理解するのが通常であると考えられる。これに対し,
否定できない場合とは,可能性が低
いがゼロではない場合を意味するものと考えられるから,上記③の場合がこれに当たると理解することができる。
(c)

次に,前記bの警告の趣旨・理由との関係で疑われた場合の

意味するところを検討すると,上記①の場合に限定して理解することはその趣旨に整合するものではなく,少なくとも上記②を含めて理解する必要がある上,その趣旨・理由を強調すると,上記③の場合を含めて理解する余地があると考えられる。
(d)

以上のような添付文書の文言の意味及びその警告が置かれた趣旨


理由からみると,上記①の場合のほかに少なくとも上記②の場合が含まれると理解するのが相当であって,これを上記①の場合に限定して理解すべきものとする被告らの主張には合理性がなく,採用することができない。
診察時の各疾患の疑い
a
主観的に疑っていたこと
h医師は,本件患者を診察した時点で,髄膜炎菌感染症の可能性はほとんどないと考えていて,血液培養を実施したのはその可能性を除外するためだけであった旨証言する(証人h)。
しかし,h医師は,本件患者を診察した後,入院させる措置をとっている上,入院診療計画書には,細菌感染や髄膜炎が強く疑われる状況となれば,速やかに抗生剤を投与するために入院措置をとった旨を記載している(前記2⑶オ)。このことは,髄膜炎菌感染症を含む細菌感染の可能性について積極的にあるいは強くは疑っていなくても,
相応の疑いないし懸念をもっていたということにほかならない。
したがって,髄膜炎菌感染症の可能性はほとんどないと考えていたとするh医師の証言は,そのままには信用できない。
したがって,h医師は,上記時点で,添付文書にいう疑いを有し
ていたものの,積極的にあるいは強く疑われる場合でなければ抗菌薬を投与する必要はないとの,添付文書とは異なる考えのもとに経過観察を選択したものと推察される。
b
客観的に疑われたこと
仮に,上記aの認定とは異なり,h医師が,上記aの証言のとおり,髄膜炎菌感染症を含む細菌感染の可能性はほとんどないと考えていたとした場合には,その認識ないし判断の当否が問題となる。
まず,本件患者の症状がソリリスの薬剤反応である可能性については,投薬から発症までの時間的接着性が1つの有力な根拠になり得るが,他方で,すでに何度も投薬しているのにそれまでは一度も薬剤反応がなかったことは否定方向に働く1つの事情といえるから,他の可能性を否定できるほどに薬剤反応の疑いが強かったとはいえない(証人k)。
次に,ウイルス感染については,CRPや白血球の数値が低いことと整合する部分があるが,ウイルス感染であれば上気道や気管の炎症を伴うことが多いのに,本件でその症状がなかった点は,これを否定する方向に働く事情であり,ウイルス感染の可能性が高いと判断できる状況ではなかったといえる(証人k)。
そして,細菌感染については,CRPや白血球の数値が低いことはこれを否定する方向に働き得る事情ではあるが,CRPは発症から6~8時間後に反応が現れるといわれており,それまではその値が低いからといって細菌感染の可能性がないとは判断できず,疑いを否定する根拠になるものではない。また,白血球の数値も重度感染症の場合には減少することもあるとされており,同じく細菌感染の疑いを否定する根拠になるものではない(証人k)。
h医師は,細菌感染のうち髄膜炎菌感染症については,日本における感染は稀有であることを根拠に,その可能性はほとんどないと判断したと証言する。しかし,日本における健康者の髄膜炎菌感染症の平均保菌率は0.4%と,諸外国(5~15%)と比較して極めて低い(前記1⑵イ)ものの,2013年以降,毎年20~40例の感染例があり
,感染ないし発症の可能性がほとんどないといえ

るほど稀有な疾患ではないし,ましてや本件患者は発症リスクが1400倍~10000倍になる(前記1⑴イ

)といわれるソリリスを

投与していることを考慮に入れると,本件当時,日本ではソリリス投与患者の発症例がなかったことを踏まえても,その発症の可能性はほとんどないと判断したことに合理性があったとはいえない。
以上の検討を踏まえると,本件における諸事情を客観的にみれば,本件患者が髄膜炎菌感染症を発症している相応の可能性はあった(前(b)でいえば,②の場合に当たる。)といえるから,添付文書にいう疑われた場合に当たる状況にあったと評価される。

h医師の投薬義務とその違反
上記ウの検討を踏まえると,同(イ)aの場合には,h医師は,本件診察の時点(又は遅くとも午後11時43分に血液培養を依頼した時点)において,高熱,頭痛,嘔吐等の症状がみられたことをもって,細菌感染についても相応の疑いを抱いていたのであるから,添付文書に従って速やかに抗菌薬を投与すべき注意義務があったといえる。
また,同bの場合には,h医師が細菌感染の可能性がほとんどないと考えていたこと自体が不適切であって,客観的に髄膜炎菌感染症の疑いが認められた本件診察の時点(又は遅くとも午後11時43分に血液培養を依頼した時点)において,細菌感染の可能性を適切に疑った上で,添付文書に従って速やかに抗菌薬を投与すべき注意義務があったといえる。
しかるに,h医師は,上記aの場合には細菌感染の可能性を疑いながら速やかに抗菌薬を投与せず,また,bの場合には細菌感染の可能性について疑いを抱かなかったために速やかに抗菌薬を投与しなかったといえるから,いずれにしても速やかに抗菌薬を投与すべき注意義務に違反する過失があったというべきである。


被告らの主張について
医師の裁量について
院内調査報告書及びセンター調査報告書では,すぐに抗菌薬を投与するか経過観察をするかは,いずれもあり得る選択であり,いずれかが正しいというものではないとの見解が表明されているところ,被告らは,血液内科及び感染症内科を含む複数の医師が関与して出された上記意見を尊重すべき旨主張する。
しかし,院内調査報告書及びセンター調査報告書では,CRP及び白血球の数値が正常に近いものであったことを主たる根拠に,細菌感染の可能性が高くないとしたh医師の判断は標準的ないしはやむを得ないものであったとするが,前記ウで説示したとおり,CRP及び白血球の数値が低いからといって細菌感染の可能性が低いとは直ちに判断できないのであって,添付文書に列記された高熱,頭痛,嘔吐等の初期症状が認められる以上は,なお細菌感染の可能性が相応に疑われると認識する必要があるといえる。したがって,薬剤反応の可能性やウイルス感染の可能性の方が相対的に高いと考えられる場合であっても,なお細菌感染の可能性も相応に疑われる以上は,
急速に進行して死亡するという患者にとっ
ての重大なリスクを回避すべく,速やかに抗菌薬を投与するとの選択をするのが,前記添付文書の文言及び趣旨に適うものといえる(前記イのm意見及び同

のk意見は,
その趣旨を述べるものとして合理性がある。。


したがって,あえて添付文書と異なる経過観察という選択が裁量として許容されるというためには,それを基礎づける合理的根拠がなければならないところ,細菌感染症でない場合に抗菌薬を投与するリスクとして,抗菌薬投与が無駄な治療になるおそれ,アレルギー反応のリスク,肝臓及び腎臓の障害を生じるリスク,炎症の原因判断が困難になるリスクが考えられるが(証人h,証人k),これらのリスクは,髄膜炎菌感染症を発症していた場合に抗菌薬を投与しなければ致死的な経過をたどるリスクと比較すると,はるかに小さいといえるから,添付文書に従わないことを正当化する合理的根拠となるものではない。そして,他に,医師が裁量として経過観察を選択することを正当化する合理的根拠はない。以上によれば,院内調査報告書及びセンター調査報告書の前記見解は合理的とはいえないから,前記判断を左右しない。
医療水準の変更について
被告らは,本件事故発生後に,添付文書の疑われた場合から否定できない場合を含む新たな安全性情報が発出されたことを踏まえ,本件事故当時に髄膜炎菌感染症を疑い,速やかに抗菌薬の投与を義務付けることは,後知恵バイアスにより当時の医療水準を超える義務を要求するものであるとの主張をする。
しかし,前記イ~エは,細菌感染の疑いが相応に認められる事案において,その可能性が低いと判断して経過観察を選択したことが注意義務違反に当たるとするものであり,換言すると,本件は,添付文書の疑われた場合に当たる事案に関するものであって,被告らが主張するように,細菌感染の可能性が否定できないという程度の弱い可能性しかない事案において経過観察の選択をしたことを後方視的にみて非難するものではないから,上記主張は失当であり,前記判断を左右しない。敗血症診療ガイドラインについて
被告らは,本件においてh医師は,敗血症診療ガイドラインで推奨されている,全身の紫斑,血圧低下,意識状態の低下などの症状を認めてから1時間以内に抗菌薬を投与する治療を行っているところ,それより前の段階で抗菌薬を投与すべきであったとすることは,医療水準より高度な医療行為を求めるものであると主張する。
確かに,敗血症ガイドラインでは,敗血症が発症したことを疑わせる徴候としての全身の紫斑,血圧低下,意識状態の低下などの症状があるときは,1時間以内に抗菌薬を投与すべきであるとされているが,これは敗血症一般を対象にしたものであると解され,ソリリスの投与中に発生する髄膜炎菌感染症の場合にはそのままには妥当しない。ソリリスの添付文書では,前記のとおり,ソリリスが免疫を弱めて髄膜炎菌感染症の感染・発症リスクを高めること,同感染症を発症した場合は急激に症状が進行して死に至る場合があることを踏まえ,上記のような全身の紫斑等の敗血症の症状が現れた場合はもとより,そうでなくても同感染症の発症が疑われる場合には,速やかに抗菌薬を投与するよう警告しているのであって,それはソリリスに特有の事情を踏まえた特別の警告であるといえるから,ソリリスを投与しているケースにおいては,敗血症一般のガイドラインではなく,ソリリスの添付文書の警告に従って行動することが求められるというべきであって,敗血症ガイドラインの推奨に従っているから問題はないということはできない。
したがって,被告らの上記主張は採用できない。
患者カードの提示について
被告らは,
本件患者が
患者安全性カード
を提示しなかったことが,
h医師の注意義務違反を否定する理由になるかのように主張する。しかし,
上記カードに記載されている上記注意義務に関連する情報は,
いずれも添付文書にも記載されているのであって,h医師は,本件患者を診察する前に添付文書を確認しているのであるから,
本件では,
上記カー
ドの提示がなかったことがh医師の判断を誤らせたという関係にはない。したがって,被告らの上記主張の点も前記エの判断を左右しない。カ
小括
以上によれば,上記オの諸点は,いずれもh医師に投薬義務違反の過失があったとする前記エの判断を左右しないから,争点5のうち,h医師の過失に関する原告らの主張は理由がある。
i医師の投薬義務違反について



原告らは,i医師は,本件患者を診察した際,直ちに抗菌薬を投与すべき義務を負っていた旨主張する。

前記2⑵の事実によれば,i医師は,午後10時頃に本件患者を診察した際は項部硬直は認めなかったものの,初期症状が頭痛や発熱などであったこと,午後10時15分に採取した血液検査の結果等から,髄膜炎菌感染症の可能性を考えて,午後10時45分頃,血液内科へ診療を引き継ぎ,抗菌薬を投与すべきか否かの判断を血液内科の医師に委ねたことが認められる。


以上の事実によれば,i医師は,本件患者の初期症状からみて髄膜炎菌感染症の可能性があると考えたというのであるから,添付文書の警告の趣旨を踏まえると,添付文書の記載に従って速やかに抗菌薬の投与を開始するのが最善の選択であったといえるものの,ソリリスの投与を担当しその副作用にも責任を持つべき血液内科に相談し対応を委ねることも許容される次善の選択であったとみることができる(証人k)。したがって,i医師は,本件患者の診察後,自ら速やかに抗菌薬を投与するか,速やかに血液内科に引き継ぐかのいずれかを選択すべき義務を負っていたというべきところ,前記認定のとおり,後者の義務を適切に履行したといえるから,原告ら主張の投薬義務違反の過失があったということはできない。

エ8
よって,
争点5のうち,
i医師の過失に関する原告らの主張は理由がない。

争点6
(争点1~5の各過失と本件患者の死亡との因果関係)
及び争点7
(争
点1~5の各過失がなければ本件患者が生存していた相当程度の可能性)について
h医師の過失と本件患者の死亡との因果関係



基礎となる知見及び事実
前記1の認定及び証拠(甲B22の2,甲B23,証人k)によれば,因果関係の判断に関連するものとして,次の知見及び事実を指摘することができる。
本件患者の髄膜炎菌感染症は,その症状の経過からみて,急速進行性の劇症型のものであり,急激に重篤化していったことが認められるが,他方で,髄膜炎菌は抗生物質に対して非常に感受性が高く,髄膜炎菌感染症は,経過が著しく早い症例を除いて,早期に適切な治療を施せば治癒するとされる(前記1⑴イ

,オ

)。細菌が消滅するまでに要する時

間は,一般的には1~3時間と言われている(前記1⑸ア)。統計資料や医学文献(前記1⑵カ~シ)によれば,髄膜炎菌感染症が発症した場合の致死率につき,①アメリカの文献で適切な抗菌薬治療を行った場合に10~15%,
敗血症を発症した場合で40%とするもの,
②イギリスの文献で多くの国で10%前後とするもの,③同じく先進工業国での流行状況下において8~19%とするもの,④アメリカの症例報告でソリリス投与患者の髄膜炎菌感染症発症患者16例のうち死亡例は1例(致死率6%)とするもの,⑤ソリリスの発売元であるアレクシオンファーマ合同会社のソリリス全例調査で感染者数76例に対し死亡事例8例とするものがある。
本件患者の症状の推移をみると,①8月22日午後4時前頃までに髄膜炎菌感染症を発症し,被告病院を受診した同日午後10時頃には,血圧95/62mmHg,SPO298%,脈拍115回/分,体温36.3度(ただし,同日午後5時頃にロキソニンを内服)であった(前記2⑵ア)②同日午後11時過ぎ頃,

意識状態及び意思疎通に問題はなく,
移動に介助が必要であるものの,短い距離であれば介助なしで歩行できる状態であった(同⑶ウ)。③8月23日午前1時42分頃には,看護師に対し,
汗をかいた,
着替えたい旨を述べ,
同日午前3時27分にも,
看護師に対し,乳房の張りによる痛みを訴えて搾乳を希望するなどしており,上記各時点では,意識障害はなく,意思疎通ができていた(同⑶キ)。④同日午前4時25分頃,全身の紫斑が出現し,血圧が67/46に低下するなどのショック状態となった(同⑶ケ)。以上の経過を踏まえると,
本件患者は髄膜炎菌感染症
(菌血症)
を発症していたところ,
それに基づく敗血症(髄膜炎菌による全身の炎症)を発症したのは,8月23日午前4時25分頃のことであったと推測される
(甲B23p6,9,
証人k)。

判断
上記アのとおり,①髄膜炎菌感染症の抗菌薬への感受性が高く,抗菌薬がよく効く疾患であるとされており,そのような感受性の高い細菌は,教科書的な数値ではあるが,抗菌薬の投与によって1~3時間で死滅するとされていること,②統計資料では髄膜炎菌感染症の致死率は8~30%とされ,10%前後の数字を示すものが多いこと,③敗血症を発症した症例の致死率は40%程度とされるものの,8月22日午後11時30分頃までの本件患者の状態は,前記ア

のとおりバイタルが保たれ,意識消失も

なかったもので,敗血症を発症して全身状態が悪化したのは,それから約5時間後の8月23日午前4時25分頃のことであったことが認められる。これらを総合すると,本件患者の髄膜炎菌感染症が劇症型のものであることを踏まえても,
h医師が午後11時43分頃までの間に抗菌薬を投与して
いたとすれば,抗菌薬によって敗血症(電撃性紫斑病)の発症を抑えることができた可能性が高い上,仮に敗血症(電撃性紫斑病)の発症が避けられなかったとしても,その急激な重症化を回避できた可能性が高いといえるから,本件患者が8月23日午前10時43分の段階で生存していたことはもとより,その後の死亡の結果をも回避できた可能性が高かったものと推察される。
以上のとおり,h医師が前記投薬義務を履行し,8月22日午後11時43分頃までの間に抗菌薬を投与していれば,本件患者を救命できた高度の蓋然性があったといえるから,
h医師の投薬義務違反の過失と本件患者の死
亡との間には因果関係があると認めるのが相当である。

被告らの主張について
これに対し,被告らは,特定の患者の生存可能性は同患者の病状などによって決まるものであり,統計上の死亡率から特定の患者の生存率を判断するのは不合理である旨主張する。
しかし,因果関係の判断は,過失がなかったと仮定した場合の予後を推測するものであって,実際に起こったことを認定するものではないから,利用可能な種々の事実や資料を総合して推測するほかなく,その際に1つの資料として統計を参考にすることが不合理なものとは解されない。また,
上記イの判断においては,当該治療が適切に行われたとした場合の救命率に関する統計資料に加えて,当該疾患に対する治療効果に関する医学的知見や,当該治療を行うべきであった時期の前後の本件患者の病状等を総合して,救命可能性の程度を推測しているのであって,そのような因果関係の判断手法は一般的なものであり,格別不合理なものとはいえないから,被告らの前記主張は採用できず,前記イの判断を左右しない。

小括
以上によれば,争点6についての原告らの主張のうち,h医師の過失との間の因果関係に関する主張は理由がある。
j助産師の過失と本件患者の死亡との因果関係及び生存の相当程度の可能性


原告らは,j助産師が8月22日午後5時頃の時点で産科医師に指示を求めていた場合,その後の因果の流れとして,同医師が直ちに受診を指示して本件患者が受診し,同医師が髄膜炎菌感染症を疑って抗菌薬を投与するという経過をたどって本件患者を救命することができたと見込まれるから,j助産師の過失と本件患者の死亡との間には因果関係があると主張する。

しかし,j助産師が電話を受けた時点では,発熱等の症状が発生してからそれほど間がなかった上,本件患者が電話で伝えた情報(前記2⑴キ,クのとおり,当日午前中に血液内科でソリリスの投与を受けたこと,その後急激な悪寒があり39.5度の高熱があること,帰宅後授乳し乳房硬結は消失し,乳房の痛みや熱感はないこと,かぜの症状はないこと)を踏まえると,上記時点で相談を受けた産科医師の判断として,直ちに受診を指示したといえるかは定かでなく,本件患者がその時点で受診した可能性がどの程度あったかを明らかにする証拠はない。この点,本件におけるその後の実際の経過をみると,午後9時頃に本件患者の母からの電話を受けた産科のi医師が受診を指示し,午後9時55分頃に受診しているが,午後9時頃の時点では午後5時頃の電話の後の症状の推移をも聴取し,その間に症状が改善せずかえって悪化している可能性もあるとの情報も踏まえた上で受診の指示がされたものと考えられるのであって,上記の事情を欠く午後5時頃の段階でも受診を指示した可能性が高かったと推測するのは困難である。
以上に照らすと,j助産師が争点3の注意義務を履行し,午後5時頃の時点で産科医師に指示を求めていたとしても,産科医師が受診を指示して午後6時頃に受診した可能性がどの程度あったかは定かでないから,その後速やかに抗菌薬の投与を開始することによって本件患者を救命することができた高度の蓋然性及び相当程度の可能性があったと認めることはできない。

よって,j助産師の過失と本件患者の死亡との間の因果関係及び生存の相当程度の可能性があると認めることはできないから,争点6についての原告らの主張のうち,j助産師の過失との間の因果関係に関する主張及び争点7についての原告らの主張はいずれも理由がない。

9
争点8(被告a病院長の責任)について


原告らは,被告a病院長は,被告法人に代わって被告病院の医療行為を監督する者であると主張する。



民法715条2項にいう使用者に代わって事業を監督する者とは,客観的に見て,使用者に代わり現実に具体的に事業を監督する地位にある者を指すと解されるところ(最高裁昭和39年(オ)第368号同42年5月30日第三小法廷判決・民集21巻4号961頁),被告病院の規模を踏まえると,被告a病院長が,現実に具体的にj助産師及びh医師の選任又は監督を行う地位にあったとは直ちに認め難いところ,他にこれを認めるに足りる証拠はない。

10

したがって,争点8についての原告らの主張は理由がない。
争点9(損害)について



逸失利益

9446万0240円

本件患者の労働能力に関し,被告らは,PNHにり患していたこと及び髄膜炎菌感染症による敗血症の後遺症が将来の労働能力に影響する可能性があると主張する。
しかし,まず,PNHの影響についてみるに,本件事故前にPNHが本件患者の薬剤師としての労働に支障を及ぼしていたとはうかがえず,ソリリスの投与によって自覚症状が大きく改善されていたこと(乙A1p353)からすれば,将来PNHが本件事故前よりも悪化して労働能力の喪失を来す可能性が高かったと認めるに足りる証拠はないから,これを考慮するのは相当でない。
次に,髄膜炎菌感染症を発症したことで重篤な後遺症が残存した可能性についてみるに,本件患者の髄膜炎菌感染は,劇症型の電撃性紫斑病を伴うものであったところ,米国の資料によれば,生存者の10~20%が壊疽による四肢欠損や広範な皮膚瘢痕又は脳梗塞などの後遺症を来すと指摘されており(前記1⑵キ),四肢の一部の切断等の外科的介入を要する場合があることを指摘する文献も少なくない(乙B6p645,甲B11,甲B12p25,甲B14の2・6・9,乙B5)。
しかし,上記文献によっても,後遺障害の残存率は10~20%に止まるものとされていること,h医師の前記過失がなかったとすれば,8月22日午後11時43分頃までの間に抗菌薬の投与が開始されたことになるところ,前記認定のとおり,その時点では,意思疎通が可能で意識障害もなく,症状は重篤なものではなく,その後の8月23日午前1時42分頃及び3時27分頃の時点でも会話が可能で,意識障害がみられていなかったこと(前記2⑶キ),一般的に髄膜炎菌感染症は抗菌薬に対する感受性が強いとされること(

),抗菌薬の投与を開始したと見込まれ

る上記時刻から同日午前4時25分頃に電撃性紫斑病の発症が確認されるまでに5時間弱の時間があることなどの事情を併せると,
h医師が8月22
日午後11時43分頃までの間に抗菌薬を投与していたとすれば,抗菌薬によって敗血症(電撃性紫斑病)の発症を抑えることができた可能性が高い上,仮に敗血症(電撃性紫斑病)の発症自体は避けられなかったとしても,その重症化を回避できた可能性が高いといえるから,本件患者に後遺障害が残存しなかった可能性が高いと推測することができる。
したがって,逸失利益の算定は,本件患者に後遺障害が残存しなかったことを前提として行うのが相当であり,これと異なる被告らの主張は採用できない。

各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。本件患者は,平成25年6月からゆう薬局の店長となり,管理薬剤師として勤務していた。平成27年の年収は577万9966円であった(甲A15・資料2)。
本件患者の夫である原告fは,ゆう薬局グループ全体の持株会社である株式会社ゆうホールディングスの現代表取締役社長(本件事故当時は取締役)である。同社は原告fの祖父が創業した薬局が発展したもので,原告f及びその両親(いずれも取締役)が同社の株式の過半数を保有している(甲A15・資料3,4)。
令和2年1月時点でのゆう薬局グループにおけるブロック長・本部課長クラスの管理職の平均年収は846万1408円,最高年収は933万3088円であり,本部部長・執行役員クラスの管理職の平均年収は886万4368円,
最高年収は941万4670円である
(甲A15)

令和元年の調査に係る管理薬剤師の平均年収額は,法人経営で754万3641円であり,店舗数別全体で751万8472円である(甲A15・資料5)。

上記イの事実を踏まえると,本件患者が生存していれば,将来も薬剤師としてゆう薬局に勤務し,段階的に昇進していずれは株式会社ゆうホールディングスの取締役に就任することが見込まれたところ,死亡時の年収額が約577万円であったこと,前記ア(ウ)の役職者の平均年収額,取締役報酬には労働の対価以外のものも含まれていることなどの事情を総合的に考慮すると,本件患者の67歳までの就労可能期間(38年間)を通じての基礎収入の平均額を年800万円と認めるのが相当である。


そして,本件患者の職業,家族構成及び生活状況等からすると,生活費控除率を30%と認める。


したがって,本件患者の逸失利益は,800万円×(1-0.3)×16.8679(38年に対応するライプニッツ係数)=9446万0240円となる。



慰謝料

2700万円

本件事故の概要及び経過,本件患者の死亡時の年齢,突然に死を迎えざるを得なかった無念さなど,本件に現れた一切の事情を考慮すると,本件患者の死亡慰謝料は2700万円が相当である。


葬儀費用

150万円

証拠(甲C3の1,2)によれば,本件患者の葬儀費用として443万円を要したことが認められるが,そのうち150万円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害と認める。


弁護士費用を除く損害額合計
上記⑴~⑶の合計額は1億2296万0240円である。


弁護士費用

1220万円

本件事故の概要,上記⑷の損害額,その他の事情を考慮し,弁護士費用1220万円を本件事故と相当因果関係のある損害と認める。


損害額合計

1億3516万0240円

上記⑴~⑸の合計額1億3516万0240円が,本件事故による本件患者の損害額となる。


相続
原告らは,本件患者の損害賠償請求権を法定相続分(2分の1ずつ)で相続したと認められるから,原告らの請求可能額はそれぞれ6758万0120円となる。

11

結論
以上によれば,原告らの請求は,被告法人に対して,各原告がそれぞれ6758万0120円及びこれに対する不法行為の日である平成28年8月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がない。
よって,主文のとおり判決する。

京都地方裁判所第4民事部

裁判長裁判官

野田恵司
裁判官

鈴木紀子
裁判官

三宅由美子
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