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常習累犯窃盗被告事件
事件番号令和1(わ)290
事件名常習累犯窃盗被告事件
裁判年月日令和3年2月24日
裁判所名・部神戸地方裁判所  姫路支部  刑事部
裁判日:西暦2021-02-24
情報公開日2021-03-12 14:00:41
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令和3年2月24日宣告
令和元年(わ)第290号

常習累犯窃盗被告事件


被告人は無罪


第1


公訴事実

本件の公訴事実は下記のとおりである。

被告人は,平成24年9月21日神戸地方裁判所姫路支部において窃盗罪により懲役1年2月に,平成26年4月22日同支部において常習累犯窃盗罪により懲役2年に,平成29年1月27日同支部において常習累犯窃盗罪により懲役2年4月にそれぞれ処せられ,いずれもその頃前記各刑の執行を受けたものであるが,更に常習として,
1
令和元年6月19日,兵庫県加古川市a町bc番地のdAa町b店において,
同店店長B管理の弁当1個他3点(販売価格合計862円)を窃取した。2
同月21日,同店において,前記B管理のパン1個他1点(販売価格合計77
9円)を窃取した。
第2

争点

被告人が,前記公訴事実記載の客観的行為を行ったことについては,当事者双方に争いはなく,証拠上も優に認められる(以下,第1記載1の公訴事実に係る事件を第1事件,同記載2の公訴事実に係る事件を第2事件という。また,これら2つの事件を特に区別することなく本件又は本件各犯行と総称することがある。)。
本件の主たる争点は,被告人の責任能力の有無・程度及び訴訟能力の有無であ
る。検察官は,完全責任能力であり,かつ,訴訟能力を有すると主張する一方,弁護人は被告人が,本件各犯行時,心神喪失の状態にあったものであり,かつ,現在,訴訟能力を有さないと主張している。そこで,以下,犯行当日の経過,被告人の犯行当時及び現在の精神障害並びにその症状,その症状が犯行に与えた影響について検討した上,被告人の責任能力の有無及び訴訟能力の有無について,当裁判所の判断を示すこととする。
第3
1
当裁判所の判断
被告人の行為態様及び供述内容

(1)

第1事件について

被告人は,令和元年6月19日午前10時20分頃,当時の自宅である兵庫県
加古川市e町fg番地から直線距離で約3キロ離れた被害店舗に赴き,同店舗に入店した(甲11,13)。

被告人は,同店舗において第1事件における被害品を買い物かごに入れた後,
順次,人目のないところで被害品を衣類のポケットや上着の中に入れ,店を退店した(甲11,15)。
(2)

第2事件について

被告人は,同月21日午前10時23分頃,自転車で前記当時の自宅から被害
店舗に赴き,入店した(甲6,13,16)。

被告人は,同店舗において第2事件における被害品のうち,ワインを買い物か
ごに入れた。また,被害品のうち,パンを手に取ると,そのままズボン左ポケットに入れた。その後,被告人はワインを上着に入れ,会計することなく店を出たところ,店員であるCに発見され,そのまま逮捕されるに至った。(甲2,6,16,18,証人Cの当公判廷における供述)

被告人は,逮捕当時,現金約7万円を有していた(甲21,弁4)。
(3)

被告人の供述状況

被告人は,逮捕当時から本件各犯行をいずれも認め,捜査段階から当公判廷に
至るまで,金惜しさからなした犯行であり,自宅近辺では顔が知れているので犯行が発覚してしまうため,遠方で犯行に及んだと供述している(甲21)。また,被告人は,当公判廷において,被害品を自己の着衣等に隠す経緯について,店員等がいればすぐに犯行が発覚するため,周囲に留意して犯行に及んだと述べ,第1事件で犯行に及びながら同じ店舗で第2事件を起こした理由について,一度成功したから今回も成功するだろう,捕まらないと思っていたので刑務所に行くことは考えていなかったなどと供述した。

被告人は,窃盗の件で刑事裁判が行われていることは一応理解しているもの
の,第4回公判期日において,本件の審判対象となる窃盗が,5回の窃盗行為であると述べたり,いつ頃行われたものかについて,いずれの四季頃かというレベルでも覚えていないと供述した。また,被告人は,令和元年6月6日,前記当時の自宅から兵庫県加古川市h町i番地D株式会社物流センター正門前まで自転車で移動したものの帰宅できなくなり,警察官に保護されたが(弁5),この事件が,秋ごろの事件であり,その数か月後に第2事件が起きたと供述した。

被告人は,第3回公判期日において,裁判所からの質問に対し,黙秘権は,分
からないことは言わないように言われたと理解していると述べ,その際,裁判所から,言いたくないことは言わなくてもよいという趣旨である旨説明を受けた後も,第4回公判期日において,知らないことは言わなくていいといわれたと理解していた。
また,被告人は,検察官,裁判官の違いを正解しなかったり,刑務所と拘置所や裁判所との違いを正解しない回答を繰り返した。また,担当裁判官の氏名を覚える
よう伝えたが,覚えることができなかった。そして,被告人は,当公判廷における質問並びに後述する鑑定人及びF医師に対し,淡々とした回答をしており,無気力かつ他人事であるかのような供述態度が見受けられた(なお,本件では,第4回公判期日において被告人質問を行った際,その供述態度を証拠化するため,職権により,被告人質問における被告人の動静を録画する方法による検証を行った。供述態
度について,同検証結果及び鑑定人作成の鑑定書,甲22)。
2
被告人の精神障害とその症状
本件では,被告人の精神障害等に関し,当裁判所が選任した鑑定人E医師(以下E医師という。)と,同人の鑑定書に対し,検察官がセカンドオピニオンを依頼したF医師(以下F医師という。)の二つの意見があるので,以下検討する。
(1)

二つの意見の要旨

E医師の鑑定の結果(以下E鑑定という。)の要旨は下記のとおりであ
る。

(ア)
被告人は,本件各犯行時及び鑑定人の診断時(令和2年3月6日)のいず
れの時点においても,発達障害及び血管性認知症にり患しており,その病気の程度は,両時点において大差はない。
(イ)

被告人は,本件各犯行に際し,これらの疾病の影響により原始的な衝動を
通常の倫理観により制御できなかったものと考えられる(参考意見として,心神耗弱にあったと考える。)。
(ウ)

被告人は,単純な日常生活に関する能力や単純な事実の記憶に関しては能
力があるものの,訴訟のように高度な判断能力を求められることがある場合,特に衝動的犯行の理由を説明する場合など,判断に整合性や合理性が求められる場合,これを欠く状態にある。そのため,訴訟能力には欠損部分がある。イ
F医師の見解(以下F意見という。)の要旨は以下のとおりである。
(ア)

被告人は,血管性認知症にり患している。また,被告人は,昭和38年に
幻聴や妄想を主症状とする統合失調症を発症し,これが慢性化する中で,幻覚や妄想こそ形骸化するものの,対人関係や社会的活動性の低下,無関心,言語的疎通性の低下,情動の平板化,思考過程の障害が残遺し,社会的な判断能力や道徳性に欠陥を生じるに至った。このような,統合失調症の慢性的な残遺状態は,本件各犯行時においても,本件訴訟時においても同様である。
(イ)

被告人の,金がもったいないから盗んだという犯行動機や,自宅付近の店舗では顔がわかってしまって犯行が発覚してしまうため,捕まらないように自宅から3キロメートルほど離れた被害店舗で万引きをしたという犯行方法には,合目的性が認められる。それ故,被告人には,違法性の認識があり,犯行に及んだといえる。
しかし,違法性を認識してはいるものの,統合失調症の残遺症状としての人格水
準の低下が生じていることから,窃盗をしようととっさに考えたときに反対動機を形成し,行動を制御することはできなかったものと考えられる。一般に窃盗を繰り返す者が一定数存在するものであるが,被告人のこのような状態は,被告人の精神疾患である統合失調症を原因とするものである。
(ウ)

被告人は,犯行事実の概要それ自体は理解しているものの,場所や時間,
犯行態様といった細部については血管性認知症によって健忘している。訴訟行為については,都度都度,弁護人や裁判官等からサポートを受けたとしても,血管性認知症及び統合失調症の影響を受け,刹那的な理解しかできない。そのため,前の手続を受けながら進行していく訴訟手続を,記憶を保持しながら進めることができないか著しく困難である。また,記憶を保持するために紙に書きとどめるなどしてもそのこと自体を忘れてしまうし,断片的に保持される記憶があるとしても,その保持される部分はランダムである。

E鑑定及びF意見書の検討
一般に,責任能力の有無は,究極的には法的判断の問題であり,裁判所の評価に
委ねられるべきものであるが,生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については,その診断が臨床精神医学の本分であることに鑑みれば,専門家たる精神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には,鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり,鑑定の前提条件に問題があったりするなど,これを採用し得ない合理的な事情が認められるので
ない限り,その意見を十分に尊重して認定すべきものというべきである(最高裁昭和58年(あ)第753号同年9月13日第三小法廷決定・集刑232号95頁,最高裁平成18年(あ)第876号同20年4月25日第二小法廷判決・刑集62巻5号1559頁)。このような観点から以下,E鑑定及びF意見書(甲22)の2つの意見書について検討する。
まず,E医師は,当裁判所が選任した鑑定人であり,中立公平な立場で鑑定を行うべき者であるといえる。また,本件の鑑定を行う前にも,刑事責任能力について,2回,鑑定をした経験があり,老年精神医学を専門とするG大学准教授(鑑定人選任当時)であり,その経歴及び専門性にも問題はない。
しかし,E医師は,鑑定書を作成するに当たり,被告人に対する面談を1時間程度しか行っておらず,また,当裁判所及び当事者らから交付された鑑定資料につい
ても,被告人の供述状況を録画したDVDや,過去の診療録等,見ていない資料があり,その結果,被告人の職歴について客観的な状況との不整合が存在することを看過した。そして,訴訟能力についても,これまで特に刑事責任能力の観点から学習したことがなかったにもかかわらず,被告人自身が相当高度な判断をしなければならないといった解釈を採用する等,きちんとした調査をすることなく独自の見解
を交え,十分に理解しないまま鑑定書の作成に及んでいる。これらの,鑑定の前提としての資料の精査方法に問題があることに加え,鑑定書提出に至るまでの不誠実な対応や検察官及び弁護人がE医師に対して行った尋問の内容から,当事者双方がE鑑定の信用性について慎重な検討を要することについて異論がないものとうかがえること等も併せ考えるなら,E医師は,鑑定人としての素養や中立性それ自体に
は問題がなく,心理検査の結果やMRI検査の結果等,本件とは離れて行うことができる一般的な医学的検査の結果については信頼ができるものの,その鑑定内容の信用性については,慎重な検討を要する。
一方,F医師は,検察官がセカンドオピニオンを依頼した者ではあるものの,裁判所からの依頼により刑事責任能力に関する精神鑑定を行った経験も複数あり,鑑
定手続の意味も十分理解した上でセカンドオピニオンを作成している。また,E医師が行った諸検査の結果や一件記録を踏まえ,被告人とも十分な時間をかけて面談を行い評価をしているものであるし,資料についても必要十分な検討を加えたものといえる。そして,F医師が供述する見解は,客観的な資料と整合しており,特段不合理な点は見当たらない。
そうすると,上記のとおり,両者の意見の信用性には,前記最高裁判決を踏まえてもなお直ちにE鑑定の信用性を容易に肯定できない程度には相違点があるというべきであるが,特に,E鑑定及びF意見書では,被告人の病名が,発達障害であるのか,慢性化した統合失調症であるのかについて見解の相違がある。この点,被告人は,昭和56年に妄想を主症状とする精神分裂症(現在の統合失調症)の診断を受けているところ(甲23),発達障害が発育歴等を具に検討しなければ鑑別が困
難であることを踏まえると,E医師が,過去の精神分裂症の診断を覆し,発達障害と診断するために必要な問診や諸検査を行ったとは認めがたく,その鑑別結果を直ちに採用することはできない。また,E医師は,幻覚妄想が見られない統合失調症の症状の存在を否定しているが,統合失調症の症状のあらわれ方には多様なものがあることを看過しているし,慢性期の統合失調症の残遺症状と解すれば,当公判廷
における被告人の無気力的な反応を合理的に説明し得ることを踏まえるならば,被告人の病名を発達障害とするE鑑定の見解は採用できず,この点については,統合失調症とするF意見書の見解を採用すべきである。
そこで,以下,被告人が本件各犯行時及び訴訟時において血管性の認知症及び慢性化した統合失調症にり患していたことを前提に検討する。

3
訴訟能力について

(1)

訴訟能力とは,被告人としての重大な利害を弁別し,それに従って相当の
防御をする能力をいう(最高裁平成3年(あ)第1048号同7年2月28日第三小法廷決定・刑集49巻2号481頁)。また,この能力は,刑訴法が弁護人に対し被告人の明示的意思に反してでも被告人の利益のために訴訟行為等をなす権限を与えている場面があることや,検察官と被告人の訴訟追行能力や証拠収集能力の非対称性を法律専門家としての資格を有する弁護人によって補うことで当事者対立構造を構築していること(憲法37条3項)等に鑑みれば,被告人が単独で十分な防御をなしうることまでは想定しているものではなく,裁判所や弁護人による適切かつ十分な後見的作用を以てしてもなお防御をする能力に欠ける場合を指すと解することが相当である(最高裁平成8年(あ)第204号同10年3月12日第一小法廷判決・刑集52巻2号17頁)。
(2)

この点,本件における双方の主張を踏まえると二つの問題が考えられる。
すなわち,①

被告人は,成年後見開始の審判を受けており,民事訴訟では一律に
訴訟無能力とされるところ(民訴法31条本文),このことによって刑事手続における訴訟能力が否定されるか,②
本件では,被告人及び弁護人は,被告人が本件

各犯行をなしたこと自体は争っていないことから,被告人に求められる訴訟能力の程度が下がるといえるかである。
まず,成年後見制度は,原則として私的自治の原則が妥当する財産管理を一人で行う能力があるか否かという観点から精神状態を判断するものである。そのため,成年被後見人は,私的自治が原則として妥当する範囲での紛争である民事訴訟で
は,その当事者たる能力を担う前提能力を欠く常況にあるものとして訴訟能力が否定されている。しかし,刑事訴訟における訴訟能力は,刑事手続における当事者主義的構造に加え,職権主義的構造,特に裁判所や弁護人による後見作用が存在することを前提とし,刑事訴訟独自の立場から判断されるべきであり,日常生活すら困難なレベルの精神疾患を前提とする後見が開始していることが,訴訟能力の判断に
影響がないとまではいえないが,後見が開始しているからといって当然に訴訟能力が否定されるものとは解されない。
次に,いわゆる自白事件と否認事件における訴訟能力の程度の差について検討すると,確かに,否認事件における防御を行う場面など,訴訟行為を個別に検討したときに求められる能力の程度に高低差があることは否めない。しかし,これら個別
の訴訟行為ごとに観念される訴訟能力とは別に,一般的な訴訟行為全体に共通する,被告人の防御権の保障ないし手続の公正の確保の観点から被告人に具備すべき能力には共通する部分があるというべきであり,この点は,自白事件であれ否認事件であれ大差はないというべきである。このように解さなければ,そもそも憲法38条3項及び刑訴法319条2項が自白の信用性について慎重に検討することを求めている点が軽視されかねないし,手続の状況によって訴訟能力が変わり得るとするならば,結審間近になればなるほど,被告人がなすべきことはなくなり,訴訟能力が欠けていても問題はないともなりかねない。そもそも訴訟能力がなければ手続を進めること自体に問題が生じうるのに,手続を進めてしまえば,複雑な審理は自ずと減るのであり,その結果,訴訟能力が不要になっていくというのは背理である。

そうすると,個別の訴訟行為について被告人に求められる能力の程度を高くする場合は別段,少なくとも,前記の,およそ被告人として共通して備えておくべき能力を検討する上では,自白事件か否認事件かというのを過大に考慮し,訴訟能力があるとされるレベルを低下させることは相当ではない。
(3)

以上を前提に本件での被告人の状況を検討すると,F意見書の結果によれ
ば,被告人は,血管性認知症及び慢性化した統合失調症の影響により,刹那的な記憶保持能力はあるものの,それを継続して保持することができず,保持される部分があったとしても,その部分に一定の法則性を見出すことができない状態にあることが認められる。現に,被告人は,当公判廷において,検察官と裁判官の違いや,刑務所,拘置所,検察庁,裁判所の違いなどを正解していないし,黙秘権について
も正確には理解できていない。また,被告人として重要な権利告知の場面や,自らの訴訟当事者としての立場の説明といった,前回の期日で行われた被告人にとって極めて重要な場面について記憶が保持できていない。
確かに,本件で弁護人は被告人が実行行為をなしたことを争っておらず,争点は責任能力及び訴訟能力のみであり,かつ,被告人の行為態様は客観的な証拠により
明らかである。また,弁護人や裁判官が,被告人質問等における発言も含む被告人の個々の訴訟行為ごとに説明をしたり,利害損得を検討する機会を与えれば,ある期日限り又はある訴訟行為限りで被告人が後見的作用を受けつつ防御行為をなすことができるかもしれない。しかし,このような絶え間ない説明を繰り返しながら訴訟を追行すること自体が非現実的であるし,このような手を尽くしても,次の期日になったときにそれまでの訴訟行為の意味内容を保持できないのであれば,期日を重ね,訴訟行為を重ねることで心証形成をし,判断に及ぶという訴訟手続の構造上,弁護人や裁判官による後見的な作用によって被告人が十分な防御をなす基礎を欠いているというべきである。
また,本件の争点及びその防御構造は,一見単純に見えるが,責任能力や訴訟能力の判断において重要となる,犯行に至る経緯,特に,刹那的な衝動に基づく行動
の合理性又は非合理性を口頭で説明するということは容易ではない。また,この点について,公判廷においてどのように供述するかなどにつき,黙秘権の行使も含めた防御戦略の構築には,弁護人との打合せを丁寧に行う等して,慎重に検討することを要する。しかし,前記のようにこれまでの訴訟行為の積み重ねができず,審判対象となる窃盗行為自体認識が不確かなままでは,弁護人の後見的作用を受ける前
提として,弁護人と意思疎通を円滑に行うことが容易とはいえない。E医師の見解は,訴訟能力が認められるためには,この点について,被告人のみで高度な判断能力を備えている必要があるかのように解している点で誤りがあるが,被告人が防御をなすに際し必要最低限の能力すら有していないという意味で,この点を問題視したことについては正解しているものといえる。

そして,本件で弁護人及び検察官は,被告人の病状の回復可能性がないことを争っておらず,E医師及びF医師もこの点に見解の相違はない。
(4)

以上の次第であり,本件では,被告人は,血管性認知症及び慢性化した統
合失調症の影響により,訴訟行為を重ねる能力自体が失われ,裁判所や弁護人による後見的作用を以てしてもなお不足する程度に自ら判断をする能力を欠いており,かつ,この点について回復可能性がないのであるから,被告人は訴訟能力を欠いているといわざるを得ない。
4
責任能力について

(1)

被告人は,本件各犯行時,いずれも,客観的に見れば,犯行発覚を回避す
るための行動をとったうえで,金惜しさという目的に沿った合目的的行動をとっている。また,被告人の供述や行為態様からすると,被告人が本件各犯行を違法行為であり,刑事処罰の対象となる行為であると認識していたことが認められる。そうすると,被告人が,本件各犯行時,血管性認知症及び慢性化した統合失調症にり患していたとしても,その影響は限定的であり,結局,自らの目的・判断に従った行動をとっているように見える。
(2)

ところで,一般に,統合失調症においては,妄想や幻聴等の影響により,
不合理かつ不可解な動機に基づき行動をとる現象が見られ,その結果,是非弁別能力を欠くなどと判断されることがあるが,被告人の場合,このような一般的な症状とは異なる症状を示しているといえる。
この点,F意見書及びF医師の供述によると,被告人がり患している統合失調症は,妄想や幻聴等といった統合失調症の典型的な症状こそ収まったものの,その一
方で,規範意識が低下したまま残遺し,衝動的欲求に対する反対動機を形成することが著しく困難になるという,慢性化した統合失調症であることが認められる。そうすると,被告人は,本件各行為が違法行為であるとの認識が一応あったとしても,衝動的欲求が生じたときに,これを止めなければならないという反対動機を形成する能力を欠いた結果,本件各犯行に及んだことが認められ,F医師もこのよう
な機序が存在していたことを供述している。
そして,被告人は,6件の窃盗(常習累犯窃盗を含む)前科を有しているが(乙7),その内容を見ると,金に困っているわけでもないのに,金惜しさから自宅から数キロ程度離れた場所で食料品等を窃取し,その際,ポケットなどに隠し入れたという,本件と同種の手口のものがあり(乙8,9,11),被告人にとって本件
各犯行のような態様で犯行をなすことは,いわば体が覚えている状態であり,衝動的欲求に加えて特に何らかの思考を要す,特別な行為ではなかったと推認できる。そして,前記のとおり,被告人の記憶や思考のパターンはランダム化しているものと考えられ,現に,訴訟能力の局面における記憶保持能力にもその傾向が見られることに鑑みれば,衝動的な欲求が生じた際に,反対動機が形成できないときがあり,その結果本件各犯行に及んだとしても不自然とはいえない。
なお,E医師も,発達障害という診断を前提とするものではあるが,本件犯行時,発達障害及び血管性認知症の影響により自制心の欠如が生じており,原始的な衝動を通常の倫理観(F医師のいう規範意識と同義と解する。)で抑えることができなくなっていたと診断しており,結論及び推認過程においてF意見書と矛盾するものではない。

(3)

以上を踏まえると,被告人は,本件犯行時,是非弁別能力こそ一応は有し
ていたものの,それでもなお衝動的な欲求が生じた際,精神疾患の影響で低下した規範意識のため,反対動機を形成することで行動を制御した上で,犯行を抑止することができなかったとの合理的な疑いを払拭することはできないというべきである。
よって,被告人は,心神喪失の状態となっていたというべきである。この点,検察官は,F医師が,犯行時における反対動機の形成ができなかったと供述したことを受けた後の尋問で,犯行後に,被告人が犯行発覚を恐れ,被害店舗の従業員に犯行を否認したことがある点を指摘し,合目的的行動をとることができる状態であったのではないかと問うている。しかし,責任能力は原則として実行行
為時に同時に存在していなければならず,事後的な行為の合目的性や合理性は,犯行前の行為や責任能力との連続性がある場合において意味を持つに過ぎない。そして,前記のとおり,被告人は精神疾患の影響で記憶や思考のパターンがランダム化しており,行動態様に規則性を見出せるとすることには合理的な疑いが残るのであるから,犯行前後の行為の連続性から犯行時の責任能力を推認できるか否かには疑
問が残るというべきである。
以上の次第であり,本件で,E鑑定のみならず,検察官自身が提出するF意見書やF医師の供述をも前提とすると更に,本件犯行時における被告人の責任能力が心神耗弱のレベルでさえもなかった合理的な疑いを払拭できない以上,被告人は心神喪失の状態にあったというべきである。
5
本件でなすべき判決について
以上のとおり,本件では,被告人は訴訟無能力かつ心神喪失であると認められ
る。この点,刑訴法314条1項本文は,被告人が訴訟無能力である(同条にいう心神喪失とは訴訟無能力の意に解する。)ときはその状態の続いている間公判手続を停止しなければならないとしたうえで,同条ただし書は,無罪,免訴,刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には,被告人の出頭を待たないで,直ちにその裁判をすることができるとある。したがって,訴訟無能力の場合は,原則として公判手続の停止をなすべきであることとなるが,停止をせずに判決を言い渡すことが可能か,言い渡すとして,後述のとおり,訴訟要件に関する判決である公訴棄却判決と実体判断である無罪判決のいずれを言い渡すべきかが問題となり得る。

まず,公判手続の停止は,訴訟能力が回復することがあり得る場合の制度であり,本件のように,被告人の症状が回復する可能性がないことについて当事者間に争いがなく,かつ,証拠上も優に認められるときに公判手続の停止をなせば,結局,被告人が死亡するまで事件が終了しないこととなる。このような状態で,被告人という立場から速やかに解放しないことは,迅速な裁判を訴求する刑訴法の基本
理念(憲法37条1項,刑訴法1条)に反する不正義が生じるというべきであるが,刑訴法は,このような場合,検察官の公訴取消しに基づく公訴棄却決定を除き,裁判所が主体的に裁判を打ち切る方法を直接定めてはいない。しかし,前記の不正義の程度が著しい場合は,迅速な裁判を受ける権利の侵害として,刑罰権の発動の前提たる実体的審理それ自体が許されず,刑訴法337条4号に準じて免訴判
決が言い渡されるべき極限的な場合もあり得るというべきである(最高裁昭和45年(あ)第1700号同47年12月20日大法廷判決・刑集26巻10号631頁)。また,その程度にまで長期化していなくとも,裁判所が訴訟無能力の心証に至った場合で,回復可能性がないことに争いがないか証拠上も明らかであるものの,検察官が公訴を取り消さない場合は,刑訴法338条4号に準じ,公訴棄却判決を言い渡すことも検討されるべきである(最高裁平成27年(あ)第1856号同28年12月19日第一小法廷判決・刑集70巻8号865頁は回復可能性の審理に時間を要し,公判手続が停止された事案であるが,回復可能性がないことに争いがない場合にも公訴棄却判決を言い渡す余地はあるものと解する。)。次に,このように訴訟要件に関する判決である公訴棄却判決が言い渡し得るにもかかわらず,訴訟無能力かつ責任無能力との心証が得られた場合に実体判断である
無罪判決を言い渡すことの是非について検討する。訴訟無能力の場合,実行行為の存否及び違法性阻却事由の不存在については,被告人が適切に防御をする能力がないまま判断されることになるため,実体判断を行うこと,特に有罪方向の実体判断を行うには慎重な検討を要する。しかし,被告人が訴訟無能力ながらも事実関係を認め,かつ,自白を除いた客観的な証拠からも実行行為の存否及び違法性阻却事由
の不存在が十分認定できる場合は,責任能力に争点を絞った判断が可能であり,本件はそのような事案であったといえる。このような場合,前記のとおり,実体判決を言い渡すことができるかという問題はあるが,刑訴法314条1項ただし書の法意が,被告人にとって有利な判決については訴訟無能力の場合であったとしてもこれをなし,被告人を刑事手続から早期に解放することにあることからすれば,同条
の法意に照らし,弁護人及び検察官に対し,必要十分な主張立証の機会が与えられ,かつ,これが尽くされることを前提に,被告人に対し最も有利な無罪判決の言渡しをすることも許されるというべきである。
以上を踏まえ,検討すると,本件では,前記のとおり,被告人の実行行為の存在及び違法性阻却事由の不存在(本件では主張自体なく,また,証拠上もこれを疑う
べきものはない。)が客観的な証拠により明らかに認定でき,争点を責任能力及び訴訟能力に限定することが可能であった。そして,被告人からの聴取等を元に,7か所の病院等に対し,職権で,過去の診療記録を取り寄せ(うち,診療記録が返ってきたものは1件であり,その余は受診履歴なし(保存期間満了による確認不可も含む)であった。),弁護人の鑑定請求を採用した上で,E鑑定が提出され,E医師に対する尋問が行われ,その上さらに,検察官に対し,F意見書の提出の機会が与えられ,かつ,F医師に対する尋問までなされた。加えて,鑑定人に対する鑑定資料の提供に際しては,当事者双方が必要と考える資料の提供を認め,その資料について信用性等について留意すべきと考える点があるのであればその見解を鑑定人に申し送る機会も与えた。このような訴訟経緯に鑑みれば,責任能力及び訴訟能力についての審理は十分に尽くされている。そして,検察官は,本件で被告人の精神
状態について回復可能性がないことは争わないものの公訴取消しはしない旨明言し,かつ,検察官及び弁護人も,訴訟無能力かつ責任無能力である場合に無罪判決を言い渡すことについて異議がない。
よって,本件では,無罪判決が言い渡されるべきである。
6
結論
以上の次第であり,本件は,被告事件が罪とならないときというべきであるの
で,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。
(求刑

懲役3年)
令和3年2月24日

神戸地方裁判所姫路支部刑事部

裁判官

伊藤太一
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