事件番号 | 平成30(ワ)887 |
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事件名 | 国家賠償請求事件 |
裁判年月日 | 令和3年1月15日 |
裁判所名・部 | 札幌地方裁判所 |
判示事項の要旨 | 平成8年法律第105号による改正前の旧優生保護法に基づいて優生手術を強制されたとする原告が,①被告において旧優生保護法を制定し,これを平成8年まで改廃しなかったこと,②同法を改廃した後も救済措置等を採らなかったことなどに違法がある旨主張して,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償を求める事案につき,旧優生保護法の規定(同法4条~13条)は憲法13条,14条1項,24条2項に違反し,国会議員において,旧優生保護法を制定し,これに上記規定を設けたことは,国家賠償法1条1項の適用上,違法であるものの,原告は昭和35年頃に優生手術を受けたものであって,除斥期間を定めた民法724条後段(平成29年法律第44号による改正前のもの)に基づき,20年後の昭和55年頃の経過をもって,原告の被告に対する損害賠償請求権は法律上当然に消滅したものであり,平成8年の旧優生保護法の改正後に損害賠償や補償など被害者救済のための立法措置等が行われていなかった点については,国会に委ねられた立法裁量の問題であることなどから,違法というのは困難であると判断し,原告の請求が棄却された事例 |
裁判日:西暦 | 2021-01-15 |
情報公開日 | 2021-02-18 12:00:25 |
同日原本領収 平成30年(ワ)第887号 国家賠償請求事件 口頭弁論終結日 裁判所書記官 令和2年9月25日 判決主文1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事 第1 実及び理由 請求 被告は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成30年6月23日か ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は,平成8年法律第105号による改正前の優生保護法(昭和23年法律 第156号。以下旧優生保護法という。 )に基づいて優生手術を強制された とする原告が,①被告において旧優生保護法を制定し,これを平成8年まで改廃しなかったこと,②同法を改廃した後も救済措置等を採らなかったことなどに違法がある旨主張して,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,一部請求として損害賠償金1100万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成30 年6月23日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下特記する場合を除き同じ。 )所定の年5分の割合による遅延損害金の支 払を求める事案である。 1 前提事実(証拠等を掲記した事実以外は当事者間に争いがない。 ) (1)旧優生保護法 旧優生保護法は,昭和23年7月13日に成立し,同年9月11日に施行された法律である。 旧優生保護法の条文は別紙のとおりであり,その概要は以下のとおりである。 ア 目的(1条) この法律は,優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護することを目的とする。 イ 定義(2条) この法律で優生手術とは,生殖腺を除去することなしに,生殖を不能にする手術で命令をもって定めるものをいう。 ウ 本人の同意による優生手術(3条) 医師は,本条1項各号所定の者につき,本人の同意を得て優生手術を行 うことができる。ただし,未成年者,精神病者又は精神薄弱者についてはこの限りでない。 エ 審査による優生手術(4条ないし13条) 医師は, 遺伝性精神病遺伝性精神薄弱顕著な遺伝性精神病質 , , , 顕著な遺伝性身体疾患又は強度な遺伝性奇型の各疾患を有する者 につき,その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときには,都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請しなければならない(4条) 。そして,都道府 県優生保護審査会において優生手術を行うことが適当である旨の決定がさ れ,当該決定が確定した場合には,医師は優生手術を行う(10条)。 また,医師は,非遺伝性の精神病等に罹患している者につき,保護義務者の同意があったときには,都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる(12条) 。そして,都道 府県優生保護審査会において優生手術を行うことが適当である旨の決定が された場合には,医師は優生手術を行うことができる(13条。以下,旧優生保護法4条ないし13条の規定を本件各規定という。。 ) (2)優生手術 優生保護法施行規則(昭和27年厚生省令第32号)は,旧優生保護法2条の優生手術として,精管切除結さつ法(精管を陰のう根部で精索から剥離して,2cm以上を切除し,各断端を焼しゃく結さつするもの)等を定めていた。 (3)平成8年改正 平成8年6月18日, 優生保護法の一部を改正する法律 (平成8年法律 第105号)が成立した(以下,同法に基づく改正を平成8年改正という。。これにより,旧優生保護法は,その題名が母体保護法に改められ,) 優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する (1条)との目的が削除 された上,本件各規定が全て削除された。 (4)原告 原告は,昭和16年5月頃に北海道内で出生した男性である(甲26,弁論の全趣旨) 。 (5)本件訴訟の提起 原告は,平成30年5月17日,本件訴訟を提起した(当裁判所に顕著な事実) 。 2 争点 (1)原告に対する優生手術の実施の有無 (2)旧優生保護法の違憲性 (3)国家賠償法上の違法性①-平成8年改正前 (4)国家賠償法上の違法性②-平成8年改正後 (5)損害発生の有無及びその額 (6)民法724条後段の適否 第3 1 当事者の主張 争点(1)(原告に対する優生手術の実施の有無)について (原告の主張) 原告は,昭和35年頃,当時入院していた札幌市内の精神科病院において,明日,子供ができなくなる手術をするからと告げられ,翌日,下腹部に部分麻酔をされた上,旧優生保護法に基づく優生手術を受けさせられた。なお,これが優生手術であったことは,医師の意見書や,原告の両側鼠径部に残る手 術痕からも明らかである。 (被告の主張) 不知。 2 争点(2)(旧優生保護法の違憲性)について (原告の主張) 旧優生保護法に基づく優生手術は,以下のとおり,自己決定権及びリプロダクティブ・ライツ(憲法13条,24条)を侵害し,平等原則(憲法14条1項)及び憲法24条2項に違反する重大な人権侵害であるから,旧優生保護法の規定は憲法に違反する。 (1)自己決定権及びリプロダクティブ・ライツ(憲法13条,24条)の侵害子を産むか産まないかは人としての生き方の根幹に関わる決定であり,子を産み育てるかどうかを自らの自由な意思によって決定することは,幸福追求権としての自己決定権(憲法13条,24条)として保障される。また,生殖能力を持ち,子を産むか産まないか,いつ産むか,何人産むかを決定す ることは,リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)として,全ての個人に保障される権利であり,当然に憲法上の保障が及ぶ(憲法13条,24条) 。 しかるに,旧優生保護法に基づく優生手術のうち,審査による優生手術(同法4条ないし13条)は,本人の同意なく強制的に実施されるものであ り,自己決定権及びリプロダクティブ・ライツを侵害する。また,本人の同意による優生手術(同法3条)も,同意は形式的なものにすぎず,自己決定権等を放棄していたとは到底評価することができないのであって,やはり自己決定権及びリプロダクティブ・ライツを侵害する。 (2)平等原則(憲法14条1項)違反 旧優生保護法は,優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するという目的のため,特定の疾患や障害を有する者を優生手術の対象とするものである が,人は全て個人として尊重され,人としての尊厳に優劣はないのであって,これらの者を優生手術の対象とすることは著しく不合理である。 したがって,旧優生保護法に基づく優生手術は,平等原則(憲法14条1項)に違反する。 (3)憲法24条2項違反 憲法24条2項は婚姻及び家族に関する・・・事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならないと規定するところ,子を持つことは家族に関する事項であるから,子を持つか否かに関しては, 個人の尊厳に立脚し,家族形成が不当に制約され ることのないよう,十分に配慮した法律の制定が憲法上要請される。しかる に,旧優生保護法は個人の尊厳を無視するものであるから,同法は憲法24条2項に違反する。 (被告の主張) 憲法24条2項の規定は認める。 3 争点(3)(国家賠償法上の違法性①-平成8年改正前)について (原告の主張) (1)平成8年改正前における国会議員の立法行為・立法不作為の違法性争点(2)で主張したとおり,旧優生保護法は,自己決定権及びリプロダクティブ・ライツ(憲法13条,24条)を侵害し,平等原則(憲法14条1項)及び憲法24条2項に違反する重大な人権侵害をもたらすものであった。しかるに,国会は昭和23年にこのような旧優生保護法を制定し,その後,これを平成8年まで改廃しなかったのであって,国会議員には国家賠償法1条1項の違法がある。 (2)平成8年改正前における厚生大臣の不作為の違法性 厚生大臣は,旧優生保護法を所管していた厚生省を統括する立場にあり,国家公務員として憲法尊重擁護義務を負っていたのであるから,当該義務に 従い,①旧優生保護法に基づく違憲な優生手術をしないよう通達・指導を行う,②旧優生保護法の即時の改廃に向けた検討を行い,優生手術に係る条文を削除した法律改正案を国会に提出するといった具体的義務を負っていた。しかるに,厚生大臣は,平成8年改正までの間,上記具体的義務を怠り,甚大な人権侵害を放置し続けたのであって,厚生大臣には国家賠償法1条1 項の違法がある。 (被告の主張) 原告の主張を自認するものではないが,仮に原告の主張を前提としても,争点(6)で主張するとおり,民法724条後段が適用される。 4 争点(4)(国家賠償法上の違法性②-平成8年改正後)について (原告の主張) (1)平成8年改正後における国会議員の立法不作為の違法性 争点(2)で主張したとおり,旧優生保護法は,自己決定権及びリプロダクティブ・ライツ(憲法13条,24条)を侵害し,平等原則(憲法14条1項)及び憲法24条2項に違反する重大な人権侵害をもたらすものであった。そのため,国会は,平成8年改正後も,被害者救済のために,①国に対する損害賠償請求権の行使の機会を確保するための立法や,②憲法13条に基づく補償請求権又は憲法13条,14条,25条の精神・趣旨及び公平の原則に基づく補償請求権を具体化するための立法をすべきであった。 そして,このような立法の必要性については,国連人権(自由権)規約委員会から勧告され,また諸外国でも補償制度の運用が開始されていた上,平成16年3月には厚生労働大臣が被害者への補償につき 「今後私たちも考えていきたいと思います。」 と国会で答弁していたのであって,これらの事情を考慮すると,国会においては,遅くとも平成16年3月の時点で,立法の必要性が明確になっていたというべきである。しかるに,国会は,正当な理由なく,被害者救済の前提となる調査すら行わなかった。 したがって,上記時点から立法に必要な合理的期間である3年が経過した平成19年3年の時点で,国会議員による立法の不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法となったものというべきである。 (2)平成8年改正後における厚生労働大臣の不作為の違法性 厚生労働大臣は,国家公務員として憲法尊重擁護義務を負い(憲法99条) ,内閣の一員として法案提出権を有する(内閣法5条) 。また,厚生労働 省は,一般に社会保障制度に関する行政事務を司り,障害者の福祉の増進・保健の向上に関する事務も厚生労働省の所掌事務であるから(厚生労働省設 置法3条等) ,旧優生保護法に基づく優生手術もその所掌事務に含まれる。 そして,前述のとおり,旧優生保護法は重大な人権侵害をもたらすものであったから,厚生労働大臣は,平成8年改正後も,被害回復の措置を採るべきであった。 そして,上記(1)で主張したところに照らすと,厚生労働大臣においても, 遅くとも平成16年3月の時点で,補償に関する制度を設けたり,補償のための予算案を作成したりするなどの被害回復の措置を採る必要性が明確になっていた。 しかるに,厚生労働大臣は,救済制度を作ることもなく漫然と放置し,被害者の救済・補償に向けた取組みを行わなかった。 したがって,上記時点から3年が経過した平成19年3月の時点で,厚生労働大臣による上記不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法となったものというべきである。 (被告の主張) (1)平成8年改正後における国会議員の立法不作為の違法性について立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法であるというためには,単に当該立法内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するというだけでは足りず,当該立法内容又は立法不作為が憲法上保障されている国民の権利を違法に侵害することが明白であることや,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を採ることが必要不可欠であり,それが明白であることが最低限必要となる。 そして,旧優生保護法に基づく優生手術の被害を金銭的に回復する制度としては,国家賠償法が存在していたのであるから,旧優生保護法が改廃された後に同法に基づく優生手術の被害に対して金銭補償をする制度を立法しないことが,国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であるとか,上記の制度を立法することが旧優生保護法に基づく優 生手術の被害を金銭的に回復するために必要不可欠なものであるなどとはいうことができない。 また,憲法13条は,飽くまでも個人の基本的人権を保障する規定であり,かつ,憲法は,この人権が侵害された場合の金銭補償については,個別の人権保障とは別に憲法17条によって保障することとしていることからすれば, 原告の主張する補償請求権が憲法13条によって保障されるものということはできない。同様に,憲法13条,14条,25条の精神・趣旨及び公平の原則から原告の主張する補償請求権が発生するものともいえない。したがって,国会議員に原告主張の立法不作為の違法があるとはいえない。(2)平成8年改正後における厚生労働大臣の不作為の違法性について 上記(1)のとおり,旧優生保護法に基づく優生手術の被害を金銭的に回復する制度としては,国家賠償法が存在していたのであって,原告の損害賠償請求権の行使の機会は確保されており,国会議員において救済制度や特別措置法を制定すべき義務があったとはいえない。そうであれば,厚生労働大臣においても,原告が主張する法案の提出を行い,その施策を講じる法律上の職務義務を負っていたということはできない。 そして,立法について固有の権限を有する国会議員の立法不作為につき, 国家賠償法1条1項の適用上違法とはいえない以上,国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の法律案不提出についても,同項の適用上違法性を観念する余地はない。 したがって,厚生労働大臣に原告主張の不作為の違法があるとはいえない。5 争点(5)(損害発生の有無及びその額)について (原告の主張) (1)慰謝料 3000万円 子を産むか産まないかの選択は個人の自由な意思決定に委ねられるところ(憲法13条,24条) ,原告は,優生手術により生殖能力を失い,もって こうした意思決定を行う権利を不可逆的に奪われ,著しい精神的苦痛を被った。 また,このような損害が生じているにもかかわらず,原告はこれまで何らの救済も受けていない。原告は,二度と原告自身の子を持ち育てることを望めない苦しみの中で,長年を過ごしてきたものである。 このような原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料は,3000万円を下回らない。 (2)弁護士費用 300万円 原告は,原告訴訟代理人に対して本件の訴訟追行を委任したところ,被告に負担させる弁護士費用としては300万円が相当である。 (3)合計 3300万円 なお,原告としては,このうち一部である1100万円(慰謝料1000万円及び弁護士費用100万円)を請求する。 (被告の主張) (1)慰謝料における主張事実については不知。 なお,原告の主張する損害はいずれも原告に対する優生手術により生じたというのであって,そのような損害が,原告の主張する違法行為のうち,平成8 年改正後の国会議員の立法不作為及び厚生労働大臣の権限不行使(争点(4))から生じる余地はなく,当該違法行為との間では相当因果関係はない。6 争点(6)(民法724条後段の適否)について (被告の主張) (1)仮に,平成8年改正前における国会議員又は厚生大臣の行為(争点(3))につき,原告の主張する損害賠償請求権が発生していたとしても,当該損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅している。 すなわち,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権は,同法4条及び民法724条後段により不法行為の時から20年を経過したときに消滅 するところ,原告は昭和35年頃に優生手術を受けた旨主張しているのであるから,同条後段にいう不法行為の時は昭和35年頃であり,ここから20年後である昭和55年頃の経過をもって,上記損害賠償請求権は当然に消滅したものである。 (2)この点につき原告は,①民法724条後段は消滅時効を定めたものと解す べきである,②仮に除斥期間を定めたものだと解しても,本件では除斥期間は経過していない,③本件における除斥期間の主張は信義則違反ないし権利濫用であり,本件に除斥期間を適用することは著しく正義・公平の理念に反する,④本件に除斥期間を適用することは憲法17条に反し,適用違憲である旨主張する。 しかし,このうち上記①については,民法724条後段が除斥期間を定めたものであることは,最高裁判所の判例として確立している。 また,上記②についての原告の主張は,除斥期間の起算点を権利行使を現実に期待することができた時点とするものであるが,その起算点が不法行為の時であることは同条後段の文理上明らかである。さらに,上記③については,除斥期間とは期間の経過により請求権が当然に消滅するものであるから,被告による除斥期間の主張は不要であり,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用に当たるとの主張は失当である。また,本件は除斥期間の規定の適用を制限すべき例外的な場合には該当しない。そして,上記④については,国家賠償法4条及び民法724条後段の憲法17条適合性につき,一般的な法令違憲の審査を行えば足りるところ,これ らの規定が憲法17条に違反するとはいえない。 したがって,原告の上記主張は,いずれも採用することができない。(原告の主張) 被告は本件に民法724条後段が適用され,原告の損害賠償請求権が消滅していると主張するが,以下のとおり,理由がない。 (1)民法724条後段の法的性質 民法724条後段の規定は,平成29年法律第44号による民法改正により,消滅時効である旨確認的に明文化されたものであって,このような改正の経緯を踏まえるなら,改正前であっても消滅時効と解すべきである。そして,消滅時効の起算点は,権利行使を現実に期待することができる時 点と解すべきであり,本件の原告が権利行使を現実に期待することができた時点は,優生手術の被害者が仙台地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した平成30年1月30日であるから,時効期間は経過していない。 (2)除斥期間の起算点 仮に民法724条後段が除斥期間を定めたものであるとしても,その起算 点は加害行為時に限られない。 本件において原告は,子をもうけることのできない身体での生活を強いられており,今なお精神的苦痛を受け続けているのであって,そもそも除斥期間は進行していない。 また,仮に損害発生の継続性が認められないとしても,除斥期間の起算点は,権利行使を現実に期待することができた時点と解すべきである。すなわち,原告においては,優生手術による損害が違憲の手術,つまり被告の不法行為によるものであると客観的に認識し得る可能性は手術当時にはなかったのであり,これが客観的に認識し得る状況となったのは,①優生手術の被害者が仙台地方裁判所に提訴したと報道された平成30年1月30日,②日本弁護士連合会が優生手術に係る意見書を公表した平成29年2月16日,③ 優生手術が適法な手術であるとの国会答弁がされた最後の日である平成28年3月22日,④ハンセン病患者への優生手術の人権侵害性が熊本地方裁判所の判決によって指摘された平成13年5月11日のいずれかの時点である。したがって,本件においては,除斥期間は経過していない。 (3)信義則違反・権利濫用ないし正義・公平の理念による適用制限 仮に民法724条後段所定の除斥期間が経過しているとしても,本件における被害が重大であること,他にも被害者が多数存在していること,除斥制度を創設した国自身が被告であること,被害者による権利行使が著しく困難であったこと,原告が優生手術を受けた時点ではなお旧優生保護法が存続していたことなどからすると,本件において民法724条後段の規定を適用す ることは信義則違反・権利濫用により排除されるべきであり,またその適用は著しく正義・公平の理念に反するものとして制限されるべきである(最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁,最高裁平成21年4月28日第三小法廷判決・民集63巻4号853頁参照)。 (4)憲法17条違反(適用違憲) 仮に民法724条後段が除斥期間を定めたものであるとしても,本件における被告の行為の態様,侵害される法的利益の種類及び侵害の程度,免責又は責任制限の範囲及び程度,立法目的の正当性,手段の合理性及び必要性等に照らすと,本件において国家賠償法4条,民法724条後段の規定の適用を認めることは,正義と公平の観点から憲法17条に違反するのであって,適用違憲である。 第4 1 当裁判所の判断 認定事実 前記前提事実及び後掲の関係各証拠等によれば,以下の事実が認められる。(1)旧優生保護法の成立 昭和23年7月13日,国会において旧優生保護法が成立し,同年9月1 1日から施行された。 同法の法案審議に際しては,同年6月19日開催の参議院厚生委員会において,法案提出者の一人である国会議員が 「子供の将来を考えるような比較的優秀な階級の人々が普通産児制限を行い,無自覚者や低脳者などはこれを行わんために,国民素質の低下すなわち民族の逆淘汰が現れてくるおそれがあります。,」 「先天性の遺伝病者の出生を抑制することが,国民の急速なる増加を防ぐ上からも,また民族の逆淘汰を防止する点からいっても,極めて必要であると思いますので,ここに優生保護法案を提出した次第であります。」 などと説明していた(甲2)。(2)全国における優生手術の実施 旧優生保護法の施行後,全国において同法に基づく優生手術が実施された。昭和24年から平成8年までの間に本件各規定(旧優生保護法4条ないし13条)に基づいて行われた優生手術の数は,同法4条の審査申請によるものが合計1万4566件,同法12条の審査申請によるものが合計1909件であった。 北海道においても優生手術が実施されており,昭和24年から平成8年までの間に本件各規定に基づいて行われた優生手術の数は,同法4条の審査申請によるものが合計2512件,同法12条の審査申請によるものが合計81件であった。なお,このうち昭和35年に行われた優生手術の数は,前者が209件,後者が3件であった(甲4,弁論の全趣旨) 。 (3)平成8年改正 平成8年6月18日,国会において優生保護法の一部を改正する法律 (平成8年法律第105号)が成立し,題名及び目的規定(1条)が改められ,本件各規定が全て削除された(平成8年改正) 。 上記改正法の法案審議に際しては,同月17日開催の参議院厚生委員会において,法案提出者の一人である国会議員が本案は,現行の優生保護法の目的その他の規定のうち不良な子孫の出生を防止するという優生思想に基づく部分が障害者に対する差別となっていること等にかんがみ,所要の規定を整備しようとするものなどと説明した(甲17)。 (4)補償制度をめぐる状況 ア 自由権規約委員会の勧告 自由権規約委員会は,平成10年11月5日,日本国政府に対し,法律が強制不妊の対象となった人たちの補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い,必要な法的措置が採られることを勧告するとの見解を採択した(甲7) 。 イ スウェーデンにおける補償制度の運用開始 スウェーデンでは,平成11年5月18日, 不妊手術患者への補償に関する法律が成立した。 同法の内容は, 不妊手術に関する法律 (昭和51年廃止)に基づいて 不妊手術を受けた者のうち,精神病等を理由に不妊手術の対象とされたもの等に対し,補償金を支給するというものであった(甲5) 。 ウ 厚生労働大臣の国会答弁(平成16年) 平成16年3月24日開催の参議院厚生労働委員会において,坂口力厚生労働大臣は,旧優生保護法に基づく優生手術についての個々の実態調査や今後の対策,諸外国との比較などを問われ, こういう歴史的な経緯がこの中にあったということだけは,これはもう,ほかに言いようのない,これはもう事実でございますから,そうした事実を今後どうしていくかということは,今後私たちも考えていきたいと思っております。などと答 弁した(甲16) 。 (5)優生手術の違憲性・違法性をめぐる状況 ア ハンセン病隔離政策等に係る熊本地方裁判所の判決 熊本地方裁判所は,平成13年5月11日,ハンセン病隔離政策等に係る国家賠償請求事件につき,請求を一部認容する旨の判決を言い渡した。 判決において,同裁判所は, 「昭和30年代まで,優生手術を受けることを夫婦舎への入居の条件としていた療養所があったが(乙59),これなどは,事実上優生手術を強制する非人道的取扱いというほかない。」 などと説示した(弁論の全趣旨)。 イ 厚生労働大臣等の国会答弁(平成28年) 平成28年3月22日開催の参議院厚生労働委員会において,塩崎恭久厚生労働大臣は, 当時の法律,この優生保護法に基づく手続に反して違法に優生手術が行われていたとの具体的な情報は承知はしておりませんと答弁し,厚生労働省雇用均等・児童家庭局長も 「当時に行われたことに関しましては適法に行われたという前提で制度が動いておりますので,当時のものに関して遡って損害賠償するということはなかなか困難ではないかと思っております。」 と答弁した(甲32)。ウ 日本弁護士連合会による意見書 日本弁護士連合会は,平成29年2月16日, 旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶に対する補償等の適切な措置を求める意見書を公表した。同意見書には, 優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶は,いずれも,対象者の自己決定権(憲法13条)及びリプロダクティブ・ヘルス/ライツを侵害し,かつ,平等原則(憲法14条1項)に違反するなどと記載されていた(甲5) 。 エ 仙台地方裁判所への提訴 平成30年1月30日,旧優生保護法に基づく優生手術を受けた女性が,国に対して国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求訴訟を提起した(甲34,弁論の全趣旨) 。 (6)旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律の成立平成31年4月24日,国会において旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律(平成31年法律第14 号。以下一時金支給法という。 )が成立した。 同法において,国は旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対し一 時金を支給するものとされ(3条) ,その額は320万円と定められた上 (4条) ,一時金の支給手続(5条ないし15条)等が整備された(当裁判所に顕著な事実) 。 (7)原告に対する手術 ア 原告は,中学生の頃から非行に走っていたところ,19歳(昭和35年)頃,父親と警察官によって札幌市内の精神科病院に連れて行かれ,入院させられた。 入院中,原告が看護師に対し,なぜ自分がここに来たのかと尋ねたところ,看護師は 「あなたは精神分裂症だし,障害者だし。」 などと答えた。また,原告は,他の入院者から子供ができなくなる手術について聞き,これを看護師に尋ねたところ,看護師は 「Aさんもします。,」 「そういう子供ができたら困るんだから。」 などと答えた(甲26ないし28,原告本人〔2ないし6,13ないし15頁〕。) イ 原告は,上記病院において, 子供ができなくなる手術をする旨の説 明をされた上,両手両足を拘束具で縛られ,両足の付け根に麻酔を打たれて手術台に乗せられて,手術された(甲26,原告本人〔6ないし8,16ないし18頁〕。 ) ウ 原告は,上記手術から7,8か月後に病院を抜け出し,20歳の時に自動車運転免許を取得して,以後,非行に走ることもなく,21歳から75歳までの間,タクシーの運転手として稼働した。 また,原告は婚姻しているが,現在に至るまで子はいない(甲26,原告本人〔8ないし11頁〕。 ) エ 原告の両側鼠径部には,切開瘢痕と思われる創傷が残存しているところ,これは,昭和35年当時に行われていた精管切除結さつ法による手術痕と符合する(甲18,24,25) 。 2 争点(1)(原告に対する優生手術の実施の有無)について 上記認定のとおり,原告は,非行に走っていた19歳の頃,精神科病院に入院させられた上, 子供ができなくなる手術をする旨の説明をされて手術さ れたというのであり,その際に両足の付け根に麻酔を打たれたこと,原告の両側鼠径部には精管切除結さつ法による手術痕と符合する創傷が残存していること,原告には現在に至るまで子はいないことなどを併せ考慮すると,原告は, 19歳であった昭和35年頃,精管切除結さつ法による手術を受けたものと認められる。 そして,旧優生保護法下において,医師による精管切除結さつ法による手術は,本人の同意による優生手術(同法3条)又は審査による優生手術(4条ないし13条)のいずれかにより可能であったところ(弁論の全趣旨),このう ち本人の同意による優生手術は未成年者にはなし得ないのであるから(前提事実(1)ウ) ,原告の受けた手術は審査による優生手術であったものと推認されるのであり,この推認を覆すに足りる証拠も見当たらない(ただし,同4条に基づく審査と12条に基づく審査のいずれが行われたのかまでは,本件証拠上,特定することができない。。 ) したがって,原告には,旧優生保護法4条ないし13条の本件各規定に基づいて,審査による優生手術が行われたというべきである。 3 争点(2)(旧優生保護法の違憲性)について 原告は,旧優生保護法の規定が憲法13条,14条1項及び24条に反する旨主張するので,以下,順次検討する。 (1)憲法13条について 憲法13条は, 「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」 と定める。これは,個人の私生活上の自由が,公権力の行使に対して保護されるべきことを規定しているものと解されるところ(最高裁昭和44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照) ,子を産み育てるか否かは,私生活を共に する家族の構成に関わる事項であるとともに,生物としての人としての本能的な欲求に関わる生殖に係る事項でもあって,このような事項を自らの意思で決定する自由は,個人の尊厳に直結する,人格的な生存に不可欠なものとして,私生活上の自由の中でも特に保障される権利の一つというべきである。 しかるに,旧優生保護法4条ないし13条の本件各規定は,精神病等の特定の疾患を有する者に対し,本人の同意を要件とせず,医師の申請及び都道府県優生保護審査会の審査のみで,生殖を不能にさせることができる旨定めていたものであって,子を産み育てるか否かについての意思決定の自由を直接的に侵害するものである。しかも,その方法は,手術という高度に身体的 な侵襲によるものであって,本件各規定による侵害は,この点においても直接的であり,暴力的とさえいうべきものである。 そして,旧優生保護法は,その立法目的の一つとして優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する(1条)を掲げているところ,このような立 法目的は,精神病等の特定の疾病を有する者を,そのことのみを理由として不良とみなした上, 優生上の見地からその子孫の出生を防止する というものであって,個人の尊重を基本原理とする日本国憲法の下においてはおよそ許容し難い,極めて非人道的な目的であるものといわざるを得ない。この点については被告も,上記立法目的を支える立法事実の存在や立法目的の合理性について何ら主張立証をしていないのであって,上記立法目的には合理性がおよそ認められない。 したがって,旧優生保護法の本件各規定は,憲法13条によって保障された,子を産み育てるか否かについての意思決定をする自由を侵害し,個人の尊厳を著しく傷つけるものであることが明らかであって,これを正当化する余地はおよそないものといわざるを得ず,憲法13条に違反する。(2)憲法14条1項について 憲法14条1項は, 「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」 と定める。この規定は,法の下の平等を定めたものであり,後段の列挙事由は例示的なものであって,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解される(最高裁昭和39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁参照)。 しかるに,旧優生保護法4条ないし13条の本件各規定は,精神病等の特定の疾患を有する者に対し,本人の同意を要件とせず,医師の申請及び都道府県優生保護審査会の審査のみで優生手術を行う旨定めていたところ,これ は,精神病等の特定の疾患を有する者について法的な差別的取扱いをするものである。そして,上記(1)において説示したところにも照らすと,そのような取扱いの差異を正当化する合理的な根拠はおよそ見出し難い。したがって,旧優生保護法の本件各規定は,憲法14条1項に違反する。(3)憲法24条について 憲法24条2項は, 「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」 と定める。この規定は,婚姻及び家族に関する事項について,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものと解される(最高裁平成27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁,最高裁平成27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2586頁参照) 。 しかるに,子を産み育てるか否かというのは,家族の構成に関する事項でもあるところ,旧優生保護法の本件各規定は,精神病等の特定の疾患を有する者に対し,本人の同意を要件とせず,医師の申請及び都道府県優生保護審 査会の審査のみで優生手術を行う旨定め,もって子を産み育てるか否かについての意思決定をする自由を侵害していたものであって,このような規定が個人の尊厳に立脚したものということはできないのであり,上記(1)及び(2)において説示したとおり,その合理的な根拠もおよそ見出し難い。したがって,旧優生保護法の本件各規定は,国会の合理的な立法裁量の限 界を逸脱したものであるといわざるを得ず,憲法24条2項に違反する。(4)小括 以上によれば,旧優生保護法の本件各規定は,憲法13条,14条1項及び24条2項に違反する。 4 争点(3)(国家賠償法上の違法性①-平成8年改正前)について(1)原告は,平成8年改正前における国会議員の立法行為・立法不作為又は厚生大臣の不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法であると主張する。そこで,まず,国会議員の立法行為・立法不作為の違法性について検討する。 (2)国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,立法の内容又は立 法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。 もっとも,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利 を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を採ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものと いうべきである(最高裁平成17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁,最高裁平成27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427号参照) 。 (3)本件において,原告は,①国会が昭和23年に旧優生保護法を制定し(立法行為) ,②その後,これを平成8年まで改廃しなかった(立法不作為)こ とにつき,国家賠償法1条1項の適用上の違法があると主張する。そこで検討するに,上記3において判断したとおり,旧優生保護法の本件各規定は憲法13条,14条1項及び24条2項に違反するものであるところ,子を産み育てるか否かについての意思決定をする自由を侵害し(憲法13条) ,法的な差別的取扱いをし(憲法14条1項) ,個人の尊厳に立脚せず に家族の構成に関する事項を制定したこと(憲法24条2項)につき,およそ合理的な根拠は見出し難いのであって,その内容は国民に憲法上保障され ている権利を違法に侵害するものであることが明白である。 したがって,国会議員において,旧優生保護法を制定し,これに本件各規定を設けたことは,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるというべきである。 (4)以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,争点(3)におけ る原告の主張は理由がある。 5 争点(4)(国家賠償法上の違法性②-平成8年改正後)について原告は,平成8年改正後における国会議員の立法不作為又は厚生労働大臣の不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法であると主張するため,以下,順次 検討する。 (1)平成8年改正後における国会議員の立法不作為の違法性についてア 前記4(2)において説示したとおり,国会議員の立法行為又は立法不作為については,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が 直ちに違法の評価を受けるものではないが,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を採ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには, 例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである。 イ 本件において,原告は,国会が平成8年改正後に被害者救済のための立法,すなわち,①国に対する損害賠償請求権の行使の機会を確保するための立法や,②憲法13条等に基づく補償請求権を具体化するための立法をすべきであったのに,これを怠ったと主張する。 しかし,このうち上記①については,国民に憲法上保障されている権利である国家賠償請求権(憲法17条)の行使の機会を確保するための立法としては,既に昭和22年制定に係る国家賠償法が存在していたところである。そして,そもそも現行の国家賠償法の内容が憲法の規定に違反するとか,国家賠償法以外に国に対する損害賠償請求権の行使の機会を確保す るための立法がないことが直ちに憲法の規定に違反するなどということはできないのであって,この点をも併せ考慮すると,本件においては,国家賠償法に加えて,旧優生保護法による優生手術を受けた者が国家賠償請求権を行使する機会を確保するための更なる立法措置を採ることが必要不可欠であったとか,それが明白であったなどということは困難である。 また,上記②については,原告は憲法13条から補償請求権が認められ,仮にそうでないとしても憲法13条,14条,25条の精神・趣旨及び公平の原則から認められると主張するが,憲法13条は個人の尊厳及び生命・自由・幸福追求の権利の尊重を定め,憲法14条は法の下の平等を定め,憲法25条は生存権を定めるのみであって,これらを侵害された者に おける補償請求権というものが,更なる憲法上の権利として上記各条項により直ちに認められているとか,その趣旨から導き出されるとはにわかに断じ難い。結局のところ,旧優生保護法による優生手術を受けた者に対して補償給付を行うのか,仮に行うとしてどのような要件・手続によりどのような内容の補償給付を行うのかというのは,国会に委ねられた立法裁量 の問題であるものといわざるを得ず,その立法不作為につき直ちに違法との評価をすることは困難である。 したがって,国会議員の立法不作為については,国家賠償法1条1項の適用上,違法と評価することはできない。 ウ なお,旧優生保護法の本件各規定が削除されたのは平成8年のことであり,その後,自由権規約委員会から補償に関する必要な法的措置が採られるよう勧告され(認定事実(4)ア) ,スウェーデンでも補償制度の運用が開 始され(同イ) ,熊本地方裁判所の判決においても優生手術の強制が非人 道的取扱いであると指摘され(同(5)ア) ,平成16年には厚生労働大臣が 個々の実態調査や今後の対策等を問われていたにもかかわらず(同(4)ウ), 平成31年に一時金支給法が制定されるまでの間,補償請求に係る立法措置は何ら採られていなかったところである。そのため,昭和23年から平 成8年までの間に優生手術を受けた者らは,一時金支給法が制定される平成31年までの間,何らの補償も受けられないまま年齢を重ねるに至ったものであって,一時金支給法の制定は,原告の主張する平成19年3月の時点で制定すべきであったか否かはともかくとしても,遅きに失したのではないかと思わざるを得ない。 しかし,これまで説示してきたところに照らすと,この点は結局のところ,国会に委ねられた立法裁量の当不当の問題を生じるにとどまるものといわざるを得ず,上記イにおいて判断したとおり,その立法不作為をもって違法であると断ずることは困難である。 エ 以上によれば,平成8年改正後の国会議員の立法不作為に関する原告の主張は,理由がない。 (2)平成8年改正後における厚生労働大臣の不作為の違法性について原告は,厚生労働大臣が平成8年改正後に補償に関する制度を設けたり,補償のための予算案を作成したりするなど被害回復の措置を採るべきであったのに,これを怠ったと主張する。 原告の上記主張は,厚生労働大臣における法律案及び予算案の作成・提出の怠りをいうものと解されるところ,立法や予算の議決については国会の構成員である国会議員が固有の権限を有するものであって(憲法41条,83条) ,上記(1)のとおり,原告の主張する国会議員の立法不作為について違法と評価することができない以上,国会に対して法律案や予算案の提出権を有するにとどまる内閣の法律案や予算案の不提出についても,国家賠償法1条 1項の適用上,違法と評価する余地はないというべきである(最高裁昭和62年6月26日第二小法廷判決・裁判集民事151号147頁参照)。 したがって,平成8年改正後の厚生労働大臣の不作為に関する原告の主張は,理由がない。 (3)小括 以上によれば,争点(4)における原告の主張は,理由がない。 6 争点(5)(損害発生の有無及びその額)及び争点(6)(民法724条後段の適否)について (1)上記4において説示したとおり,国会議員において,旧優生保護法を制定 し,これに本件各規定を設けたことは,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受ける。そして,原告は,昭和35年頃,旧優生保護法の本件各規定に基づいて優生手術を受けたものであり(上記2) ,これにより,生殖能 力を失い,子を産み育てるか否かについての意思決定をする自由を侵害されたものであって,原告は著しい精神的苦痛を被ったものと認められる。 したがって,原告は,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償請求権を有していたものというべきである。 (2)しかるに,国家賠償法4条は 「国又は公共団体の損害賠償の責任については,前三条の規定によるの外,民法の規定による。」 と定め,民法724条は「不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも,同様とする。」 と定めている。そして,このうち民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであるから(最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁),国家賠償法1条1項に基づく 損害賠償請求権は, 不法行為の時から20年を経過することにより,法 律上当然に消滅することになる。 本件についてこれをみるに,上記(1)のとおり,原告は昭和35年頃に旧優生保護法の本件各規定に基づいて優生手術を受けたものであるから,上記不法行為の時とは昭和35年頃の優生手術時をいうものと解するのが相当である。 したがって,原告の被告に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請 求権は,同法4条,民法724条後段に基づき,上記優生手術時から20年後の昭和55年頃の経過をもって法律上当然に消滅したものといわざるを得ない。 (3)この点につき原告は種々の主張をするが,以下のとおり,いずれも採用することができない。 ア 民法724条後段の法的性質について まず,原告は,民法724条後段の規定は,平成29年法律第44号による民法改正において消滅時効である旨確認的に明文化されたものであって,このような改正の経緯を踏まえるなら,改正前であっても消滅時効と 解すべきと主張する。 しかし,民法724条後段が消滅時効を定めたものではなく除斥期間を定めたものであるというのは,最高裁判所の確立した判例であって(前掲最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決のほか,前掲最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決,前掲最高裁平成21年4月28日第三小法 廷判決も参照) ,後の改正により同条が改められ,不法行為の時から20 年間行使しないときには時効によって消滅するものとされたからといって(上記改正後の民法724条柱書き及び2号参照) ,その法的性質が遡及 的に消滅時効へと変化するということにはならない。 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。 イ 除斥期間の起算点について (ア)次に,原告は,仮に民法724条後段が除斥期間を定めたものであるとしても,その起算点は加害行為時に限られないのであり,本件の原告は子をもうけることのできない身体での生活を強いられており,今なお精神的苦痛を受け続けているから,除斥期間は進行していないと主張する。 この点,確かに,民法724条後段所定の除斥期間は,加害行為が行われた時に損害が発生する不法行為の場合には加害行為の時がその起算点となるが,身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害や,一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害のように,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相 当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となるものと解すべきところである(最高裁平成16年4月27日第三小法廷判決・民集58巻4号1032頁) 。 しかるに,本件においては,原告は昭和35年頃に旧優生保護法の本 件各規定に基づいて優生手術を受けたものであり,その時点で直ちに生殖能力を失い,子を産み育てるか否かについての意思決定をする自由を侵害されたものであって,原告の被った損害の全部又は一部は昭和35年頃に発生していたものといわざるを得ない。 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。 (イ)また,原告は,除斥期間の起算点は権利行使を現実に期待することができた時点と解すべきであるとし,本件においては優生手術による損害が被告の不法行為によるものであると客観的に認識し得る可能性は手術当時にはなかったとして,これが客観的に認識し得る状況となった時点(①優生手術の被害者が仙台地方裁判所に提訴したことが報道された平成30年1月30日,②日本弁護士連合会が優生手術に関する意見書を公表した平成29年2月16日,③優生手術が適法な手術であるとの国 会答弁がされた最後の日である平成28年3月22日,④ハンセン病患者への優生手術の人権侵害性が熊本地方裁判所の判決によって指摘された平成13年5月11日のいずれかの時点)から除斥期間が進行すると主張する。 しかし,そもそも民法724条後段所定の20年の期間は,被害者側 の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めたものと解されるところであり(前掲最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決参照) ,同条後段が その起算点を不法行為の時と明示的に定めていることにも照らすと,除斥期間の起算点は権利行使を現実に期待することができた時点である とか,被告の不法行為によるものと客観的に認識し得る時点であるなどと解することは,その文理解釈としても困難であるものといわざるを得ない。 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。 ウ 信義則違反・権利濫用ないし正義・公平の理念による適用制限について(ア)原告は,仮に民法724条後段所定の除斥期間が経過しているとしても,本件における被害が重大であること,他にも被害者が多数存在していること,除斥制度を創設した国自身が被告であること,被害者による権利行使が著しく困難であったこと,原告が優生手術を受けた時点では なお旧優生保護法が存続していたことなどからすると,本件において民法724条後段の規定を適用することは信義則違反・権利濫用により排除されるべきであると主張する。 しかし,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により当該請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである(前掲最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決,前掲最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決参照)。本 件における原告の主張は,実質的には被告による除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張に外ならず,それ自体失当である といわざるを得ない。 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。 (イ)また,原告は,上記(ア)において主張した各事情からすると,本件における民法724条後段の規定の適用は,著しく正義・公平の理念に反するものとして制限されるべきであると主張し,その根拠として,前掲 最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決及び前掲最高裁平成21年4月28日第三小法廷判決を引用する。 しかし,このうち前掲最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決は,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月以内において心神喪失の常況にあるとの事例において,成年被後見人に法定代 理人がない場合の時効の停止を定めた民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないと判断したものである。また,前掲最高裁平成21年4月28日第三小法廷判決は,相続人が確定しないまま20年が経過したとの事例において,相続人が確定しない場合の時効の停止を定めた民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は 生じないと判断したものである。 このように,原告の引用する最高裁判決は,①広く権利行使が困難である事案全般について判断したものではなく,権利行使の前提となる法的地位・状況(法定代理人を有すること,相続人が確定していること)を欠くという限られた事例での判断にすぎない上,②民法158条及び160条のように,その法意を参照すべき根拠規定が存在していたところである。 これに対し,本件の場合には,①原告の主張によれば,原告は子供ができなくなる手術を受けたこと自体は認識しており,ただこれが旧優生保護法という法律に基づくものであることを知らなかったというにとどまるのであって,権利行使をするのに必要な法的地位・状況を欠いていたというものではない上,②本件においては民法158条や160 条のように法意を参照すべき根拠規定も見当たらない。 そして,上記イ(イ)において説示したとおり,民法724条後段所定の20年の期間は,被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めたものと解されるのであって(前掲最高裁平成元年12月21日第一小法 廷判決参照) ,そのような法律上の規定の適用を,信義則(民法1条2 項)や権利濫用(同条3項)といった法令上の一般則ですらない,正義・公平の理念という極めて抽象的な概念のみに基づいて排除するというのは,原告の受けた被害の重大さを考慮に入れても,なお躊躇があるものといわざるを得ない。 したがって,原告の上記主張は,採用することができない。 エ 憲法17条違反(適用違憲)について (ア)憲法17条は, 「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」 と定める。この規定は,国又は公共団体に対して損害賠償を求める権利を保障するとともに,当該権利については法律による具体化を予定したものであると解される(最高裁平成14年9月11日大法廷判決・民集56巻7号1439頁参照)。 (イ)原告は,本件における被告の行為の態様,侵害される法的利益の種類及び侵害の程度,免責又は責任制限の範囲及び程度,立法目的の正当性,手段の合理性及び必要性等に照らすと,本件において国家賠償法4条,民法724条後段の規定の適用を認めることは,正義と公平の観点から憲法17条に違反するのであって,適用違憲であると主張する。 しかし,原告の上記主張は,法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその適用を違憲と判断すべきというものであって,結局のと ころ,法令の一部を違憲であると主張するに等しいものといわざるを得ない(最高裁昭和49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁参照) 。 そして,公務員の不法行為による国又は公共団体の損害賠償責任を免除又は制限する法律の規定が憲法17条に適合するか否かは,当該規定 の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきところ(前掲最高裁平成14年9月11日大法廷判決参照) ,国家賠償法4条によ り適用される民法724条後段の規定は,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図し,被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経 過によって法律関係を確定させるため,不法行為に基づく損害賠償請求権は20年の期間の経過をもって法律上当然に消滅する旨定めたものと解されるのであって(前掲最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決参照) ,その規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責 を認めることの合理性及び必要性に照らせば,同条後段の全部又は一部 が憲法17条に適合しないものということはできない。 (ウ)もっとも,仮に民法724条後段の規定の適用が当該規定の目的・趣旨を逸脱して行われるようなものであれば,適用違憲の問題が別途生じる余地はある(最高裁平成9年8月29日第三小法廷判決・民集51巻7号2921頁参照) 。 しかし,上記(イ)のとおり,民法724条後段の規定の目的・趣旨は,法律関係の速やかな確定を意図し,一定の時の経過によって法律関係を 確定させるというところにある。そして,本件においては,本訴提起の時点で原告の優生手術から既に60年近くが経過していたものであって,本件に同条後段の規定を適用し,昭和55年頃の経過をもって原告の損害賠償請求権が法律上当然に消滅したとすることは,上記目的・趣旨から逸脱したものとはいえず,この点からも適用違憲の問題が生じる余地 はない。 (エ)以上によれば,原告の上記主張は,採用することができない。7 結論 よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとして,主文のと おり判決する。 札幌地方裁判所民事第5部 裁判長裁判官 孝 裁判官 河野文彦 裁判官 佐藤克 郎 |