判例検索β > 平成31年(わ)第7号
強盗殺人被告事件
事件番号平成31(わ)7
事件名強盗殺人被告事件
裁判年月日令和2年11月30日
裁判所名・部鳥取地方裁判所  刑事部
裁判日:西暦2020-11-30
情報公開日2020-12-23 14:00:19
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主文
被告人を無期懲役に処する
未決勾留日数中700日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成21年9月29日午後9時40分頃,鳥取県米子市ab番地c所在のホテルA(以下ホテルという。)新館2階事務所(以下事務所という。)において,金品を物色するなどしていたところ,ホテル支配人B(当時54歳。以下被害者という。)が同所に入ってきたため,金品を強取しようと
考え,同人に対し,殺意をもって,その頭部を壁面に1回叩き付け,頸部をひも様のもの又は手で絞め付けるなどしてその反抗を抑圧し,同所にあった同人管理の現金約26万8000円を強取し,その際,前記暴行により,同人に遷延性意識障害を伴う右側頭骨骨折,脳挫傷,硬膜下血腫等の傷害を負わせ,よって,平成27年9月29日午後2時5分頃,大阪府泉佐野市de丁目f番g号所在のC病院におい
て,前記遷延性意識障害による敗血症に起因する多臓器不全により同人を死亡させて殺害した。
(証拠の標目)
省略
(事実認定の補足説明)

第1
1
争点とこれまでの審理経過等
令和元年8月8日付け訴因変更請求書による訴因変更後の公訴事実(被害金
額が減縮された点を除き,差戻前第1審判決時と同じ。)は,罪となるべき事実と同旨である。
2
争点



証拠によれば,何者かが,平成21年9月29日午後9時40分前後(以下,
本件当日は,年月日の記載を省略し,平成21年は,年の記載を省略する。)に,事務所において,被害者に対し,その頭部を壁面に1回叩き付け,頸部をひも様のもの又は手で絞め付けるなどし,同人に遷延性意識障害を伴う右側頭骨骨折,脳挫傷,硬膜下血腫等の傷害を負わせたこと,同人が,平成27年9月29日午後2時5分頃,死亡したことが認められる。


本件の主たる争点は被告人の犯人性であり,同時に,被害金の有無やその額,
被告人に成立する罪名等についても問題となる。


弁護人は,前記傷害と死亡との因果関係についても争うが,証拠によれば,
被害者は,本件で負った傷害のために寝たきりの状態となり,徐々に栄養状態が悪化して免疫力が低下するなどし,最終的に敗血症を引き起こして多臓器不全により死亡した事実が認められ,これらの事実からすると,本件の暴行と被害者の死亡との間に因果関係があることは明らかである。
3
審理経過等



本件は,犯人が事務所で金品を物色中,被害者に発見されたため,被害者に
暴行を加えて現金を奪取したという,いわゆる居直り強盗の事案として公訴提起されたが,鳥取地方裁判所(差戻前第1審)は,平成28年7月20日,被告人が本件の犯人であることは認めたものの,強盗殺人については,本件当日,被害者やホテルの従業員らが参加した夕食を兼ねた休憩(以下夕食という。)が終了した時刻を午後9時26分頃と認定し,被害者はその直後に事務所に戻ったから,被告人が午後9時34分頃に事務所に入った時点で被害者は同所におり,その際,被告
人が被害者の殺害を決意するようないさかいが起こったと考えられるから,被告人の一連の暴行は,金品奪取を目的とした行動と評価することは困難であるなどとして,その成立を否定し,殺人と窃盗の事実を認めるにとどめ,被告人に対し,懲役18年の判決を言い渡した(ほかに詐欺の事実も併合審理されたが,本判決で無罪が言い渡され,そのまま確定した。)。



検察官及び弁護人の双方が控訴したところ,広島高等裁判所松江支部(第1
次控訴審)は,平成29年3月27日,被告人の犯人性を肯定した差戻前第1審判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとして,同判決中有罪部分を破棄し,被告人に無罪を言い渡した。


最高裁判所(上告審)は,平成30年7月13日,第1次控訴審判決につい
て,全体として,差戻前第1審判決の説示を分断して個別に検討するのみで,情況証拠によって認められる一定の推認力を有する間接事実の総合評価という観点からの検討を欠いており,差戻前第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものと評価することはできない旨を説示し,刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があること等を理由に第1次控訴審判決を破棄し,本件を広島高等裁判所に差し戻した。



広島高等裁判所(第2次控訴審)は,平成31年1月24日,差戻前第1審
判決が被告人の犯人性を認めたことに誤りはないが,強盗殺人を否定した点について,要旨,以下の理由により事実誤認があるとし,差戻前第1審判決中有罪部分を破棄し,本件を鳥取地方裁判所に差し戻した。

被告人は,午後9時34分頃にホテル310号室経由で事務所に入り込ん
だと認められるところ,差戻前第1審が午後9時26分頃と認定し,検察官が午後9時40分頃と主張する夕食終了時刻は,被告人が事務所に入り込んだ時点で,被害者が既に夕食を終えて事務所内にいたかどうかを決する重要な事実である。イ
夕食終了時刻に関しては,直接証拠として,その時刻は午後9時40分頃で
あったとするホテル従業員Dの証言があり,間接事実として,被害者を搬送した救急隊員に対して同従業員Eが夕食終了時刻を午後9時40分頃と説明している事実(以下Eの救急隊員への説明という。)及び夕食終了直後からEら清掃担当者が106号室,306号室を順次清掃しており,その各部屋について電磁的記録として保存されていた清掃終了時刻等から逆算して推定される清掃開始時刻とそこから導かれる夕食終了時刻(以下記録から推定される夕食終了時刻という。)が
存在する。これらの間接事実は,前記D証言の裏付けであるとともに,それ自体,夕食終了時刻を推認させる。

D証言は一貫しており,特に信用性を疑うべき事情はなく,同証言の信用性
は相当に高いといえるが,差戻前第1審判決は,同証言を取り上げて信用性を吟味していない。また,記録から推定される夕食終了時刻の推認力は強いというべきであり,その推定される時間の幅の中にDが証言する時刻がほぼ収まっていることは,D証言の信用性をも強く支えるのに,同判決は,夕食終了時刻を的確に裏付けるものではないとしてその推認力を過小に評価している。Eの救急隊員への説明も,事件から間もない時期に,当時Eが認識していた状況からの合理的な推定時刻を述べたものであり,しかも,それがD証言とも合致していることからある程度の推認力を肯定できるが,同判決は,Eが時計で確認したものではないとして証拠価値が乏
しいと見ている。このような同判決の判断は,論理則,経験則等に照らし不合理である。

差戻前第1審の証拠によれば,午後9時40分頃を夕食終了時刻と認定すべ
きであり,その時刻頃に被害者が休憩室から事務所に戻った際,被告人は既に310号室経由で事務所に入り込んでいたと認められる。差戻前第1審判決は,夕食終了時刻の認定を誤ったことにより,いわゆる居直り強盗の状況にはなかったことを前提にして殺人と窃盗の認定にとどめたものであり,その判断には,強盗殺人の成立を否定した点で,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。第2
1
破棄判決の拘束力について
拘束力の範囲

以上を前提に,当裁判所が,前記各破棄判決のどの部分に拘束されるのかについて確認する。
破棄判決の拘束力は,破棄の直接の理由,すなわち原判決に対する消極的否定的判断についてのみ生ずるものであり,その判断を裏付ける積極的肯定的事由についての判断は,何らの拘束力を有するものではない(最高裁昭和43年10月25日
第二小法廷判決・刑集22巻11号961頁)。これを第2次控訴審判決の判示内容に当てはめると,同判決の拘束力は,差戻前第1審判決に対する消極的否定的判断,すなわち同判決が,①直接証拠であるD証言を取り上げて信用性を吟味しなかったこと,②記録から推定される夕食終了時刻の推認力を過小に評価したこと,③Eの救急隊員に対する説明について,証拠価値が乏しいと見たこと,④以上を前提に,夕食終了時刻を午後9時26分頃と認定し,更に殺人と窃盗を認定したことをそれぞれ否定する部分に生じていると解される。
他方,それに先立つ上告審判決は,差戻前第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示していないこと等を理由に,第1次控訴審判決を破棄したものであり,当裁判所の事実判断を拘束するものではない。2
拘束力からの解放の有無

そうすると,当裁判所は,改めて①D証言の信用性を吟味するなどし,夕食終了時刻等を認定することとなるが,まずは,第2次控訴審が差戻前第1審の証拠評価を否定した前記②及び③の各点について,当審での新たな証拠調べの結果,第2次控訴審と異なる判断をすることが許容されるのか,すなわち第2次控訴審判決の拘束力から解放されるのかを検討する。



記録から推定される夕食終了時刻(②)について

本件では,夕食終了直後から106号室,306号室の順に連続して客室清掃が行われたと認められるところ,第2次控訴審は,電磁的記録として保存された106号室と306号室の清掃終了時刻から,306号室の清掃時間を特定し,これに清掃担当従業員らの証言等を併せ考慮して,106号室の清掃時間も306号室のそれと同程度であったと推認し,そこから106号室の清掃開始時刻を,更には夕食終了時刻を推定し,差戻前第1審判決に対する前記消極的否定的判断を導いたと認められる。
当裁判所は,新たに本件当日から翌日にかけての各客室ドア開閉のコンピュータ記録(以下開閉記録という。新たな証拠に当たるのは,当日午前10時43分
以前及び翌日0時6分以降の部分。)を取り調べ,弁護人は,この開閉記録によれば,清掃に20分以上を要した客室が複数あり,清掃時間は客室ごとに千差万別であることが分かるから,306号室の清掃時間から106号室の清掃時間の推認はできないこととなる旨を主張する。
しかし,第2次控訴審は,特定の2室について,各清掃終了時刻を基礎としつつ,具体的事情も加味して清掃時間を推認しているところ,夕食以前の清掃は,清掃担当者が異なり,清掃の手順が不明であるため夕食後の清掃と単純に比較できるものではないから,その清掃時間は,第2次控訴審の前記推認過程に影響を及ぼすものではない。また,弁護人の指摘する開閉記録部分は,それ自体純粋な清掃時間を示しているとはいえないものも相当に含まれ,客室清掃に20分以上を要することが一般的であることを示すものでもない。そうすると,前記証拠を踏まえて検討して
も,第2次控訴審判決までに取り調べられた証拠関係に実質的な変動は生じない。⑵

Eの救急隊員への説明(③)について

本件当日,被害者を救急搬送する等した救急隊員が作成した救急活動報告書には,Eが,救急車に同乗し,夕食終了時刻を説明した旨の記載があるところ,第2次控訴審判決は,当該説明の時期や客観的に確定できる119番通報時刻との整合性などから,その説明内容の正確性を検討し,差戻前第1審判決に対する消極的否定的判断を導いたと認められる。
そして,当裁判所は,警察官が,前記救急隊員から搬送状況等を聴取した捜査報告書を新たに取り調べ,弁護人は,これによれば,Eが,夕食終了時刻について,救急隊員に具体的な説明をした事実がないことが分かる旨を主張する。
しかし,前記捜査報告書は,救急活動全般について,その概要を聴取したものであって,特に夕食終了時刻に着目したものではない。該当部分の記載は,簡潔なものにとどまっており,救急活動報告書の記載と両立し,矛盾はしない。したがって,前記捜査報告書は,Eの救急隊員への説明を弾劾するものではなく,第2次控訴審判決までに取り調べた証拠関係に実質的な変動は生じない。


よって,前記②及び③のいずれも拘束力からの解放は生じないから,当裁判
所は,それぞれその拘束力に従いつつ,前記②及び③の各事実の推認力を改めて評価した上で,D証言の信用性を検討し,夕食終了時刻を認定することとする。第3

夕食終了時刻

1

証拠によれば,以下の事実が認められる。
本件の現場となったホテルは,閑散とした山中に建ついわゆるモーテル型の
ラブホテルであり,2階建ての新館及び旧館の2棟からなる。ホテル内の客室,駐車場,事務所,休憩室,フロント,従業員用通路及び新館と旧館を結ぶ渡り廊下等の配置は,別紙1及び2の図面のとおりである(旧館従業員用通路は,別紙上廊下と記載されている。)。⑵

利用客は,建物1階の駐車場に車を入庫させ,階段を上がって2階の客室に
移動し,利用後は客室2階に設置された自動精算機(以下精算機という。)で精算して退室する。


客室に上がる階段につながるドア(以下客室出入口ドアという。)は,
新館は駐車場に,旧館は,駐車場から1階従業員用通路に出た場所に設置されており,入室時に開けると5分後に自動施錠される。
また,新館及び旧館ともに2階従業員用通路と客室との間にドア(以下2階従業員用通路側ドアという。)があり,このドアは,施錠されており,客室側からは開けられず,従業員用通路側からのみサムターンで開けることができる。⑷

新館及び旧館の客室出入口ドアと旧館の2階従業員用通路側ドアの開閉時刻
は,ホテルのコンピュータに記録される(開閉記録。その時刻は実際より1分21秒進んでいるため,以下,記録に基づく時刻の表示は,その1分前の時刻に頃を付して表記する。)。ただし,開閉記録は,旧館について,客室出入口ドアと2階従業員用通路側ドアのいずれが開閉されたのかまでは区別できない。⑸

従業員は,客室の清掃を始める際,2階従業員用通路側ドア付近にあるボタ
ン(以下清掃開始ボタンという。)を押して客室に電気を通し,清掃終了時には,再度ボタン(以下清掃終了ボタンという。)を押して客室を空室中の状態とする。これらのボタンが押された時刻もホテルのコンピュータに記録される(実時刻との誤差及び時刻の表記方法は,開閉記録に同じ。)。


被害者及び4名の従業員(E,D,F及びG)は,本件当日,午後8時過ぎ
頃から,休憩室で夕食をとった。

Eは,その後,事務所で倒れている被害者を発見し,間もなくDが119番
通報した。通報の時刻は午後10時12分,救急隊のホテル到着は午後10時24分,救急車の病院到着は午後10時52分であった。
2
記録から推定される夕食終了時刻(②)の推認力について
証拠によれば,E,F及びGは,夕食終了後,3人一組となり106号室,306号室,108号室及び102号室の順に清掃を行ったが,清掃の大まかな流れは,3人で作業を分担して最初にE,次いでGが次の客室に移動し,最後にFが作業を終えて清掃終了ボタンを押す(以下,清掃終了ボタンが押された時間を清掃終了時刻という。)というものであったこと,本件当日,106号室の清掃終了時刻が午後9時48分頃に記録され,Fは,その後すぐに306号室の清掃に取り掛かり,その終了時刻が午後9時59分頃に記録されたことが認められる(これらに対
応する清掃開始ボタンは,Eが夕食中に押したため,その時刻から清掃時間を推認することはできない。)。
前記2室の清掃終了時刻の差約11分間は,Fの306号室での作業時間とおおむね一致する。そして,106号室の清掃に特に時間を要した事情もうかがわれないことから,同室でのFの作業時間も約11分間と推認される。また,同室は3名
が一斉に作業を開始したと認められるから,同室の清掃開始時刻が午後9時37分頃と推定され,更にEらは夕食終了後,直ちに清掃を開始したという事実も併せ考慮し,夕食終了時刻はその直前頃と推定される。
このように,記録から推定される夕食終了時刻は,数度の推認等を重ねた幅のあるおおよそのものであり,この事実から夕食終了時刻を特定することまではできな
いが,客観的記録から具体的事情に基づいて推定された点で合理性があるから,おおよその夕食終了時刻を考える上では相当程度の推認力を有すると評価できる。弁護人は,3名が一斉に作業を開始した106号室とEらが先行して作業を行った306号室では,清掃時間が異なる旨を主張するが,Gは,さほど変わらない旨を証言し,各人の作業は,同時並行的に行えるものが相当あると認められるから,この点は,前記推認力を減殺する事情にはならない。
3
Eの救急隊員への説明(③)の推認力について

救急活動報告書及びE証言によれば,Eは,被害者を搬送中の救急車内で,救急隊員に対し,午後9時40分頃,被害者らと食堂で話をしてそれぞれ仕事に就き,午後10時10分頃,倒れている被害者を発見したという趣旨の説明をし,この説明について,時計で確認しておらず,推測で述べた旨を証言したことが認められる。そうすると,前記説明は,時計で確認したほどの正確性はないが,救急車がホテルに到着し,被害者を病院に搬送するまでの,夕食終了から間がない時期になされたことや,被害者の発見時刻に関する説明部分が,119番通報時刻(午後10時12分)と整合していることから,一応の正確性は担保されており,夕食終了時刻に対する推認力はある程度はあると認められる。
4
D証言の信用性



D証言の内容は,休憩時間が長くなったので被害者から仕事に戻るよう,い
つ声をかけられるだろうかと思い,休憩室内のモニターの時刻表示を見ており,夕食終了時刻は午後9時40分頃であったというものである。
このD証言は,それぞれ別の証拠から認定され,夕食終了時刻を,幅のある時刻として相当程度推認させる②の事実及びある程度推認させる③の事実とそれぞれ整合する。また,Dは,事件の9日後には警察官の取調べに対し,同旨の供述を行っており,その証言は,比較的早い段階から一貫している上,休憩が長引いた状況下でモニターを気にしていたという証言内容には具体性も認められる。⑵

弁護人は,Dは,事件当初より警察官に迎合し,自身が疑われないために虚
偽の夕食終了時刻を述べていたから,D証言に一貫性があることは,その信用性を高める事情ではない旨を指摘するが,弁護人が,その根拠として指摘する捜査報告書抄本の記載等を検討しても,そのような経過はうかがわれない。また,弁護人は,ホテルでは,在ドア(利用客の入室時,何らかの原因で客室出入口ドアが完全に閉まらず,自動施錠が作動しない状態になること)が発生するとモニターに警告表示が出て,従業員が直ちにドアを閉めに行くはずであるのに,夕食中,107号室の在ドアが放置されていたから,Dはモニターなど見ていなかった旨を主張する。しかし,Dは,107号室が在ドアであることは,被害者も気付いていたが特に指摘はなかった,利用客は,在ドアが生じても,そのことに気付かないまま,精算機で精算を行って退室する旨を証言しているほか,ホテルのシステム上,チェックインは,入室時に客室出入口ドアを開けた時点で記録されることが
認められるから,Dは,在ドアは解消すべきではあるが,何を置いても解消すべきほどの緊急性があるとまでは認識していなかったといえる。したがって,夕食中,在ドアが放置されていた事実からDがモニターを見ていなかった事実は推認されない。
さらに,弁護人は,夕食後の行動に関するD証言に,作業の順序や時刻が不正確
な点や,抜け落ちがあることから,Dは,事件当日の行動に関する正確な記憶はないと主張する。しかし,弁護人が指摘するDの夕食後の行動は,いずれも日常業務に関するものであるのに対し,夕食終了時刻に関するD証言は,夕食が普段より長引いていたという,日常とは異なる出来事に関連したものであるから,日常業務に関する証言に曖昧な部分等があることは,直ちには,夕食終了時刻に関する記憶が
曖昧であることにはつながらない。


106号室の開閉記録との整合性

証拠によれば,午後9時30分頃,106号室の客室出入口ドアが2回連続して開閉された記録が残っていることが認められる(以下,2回連続したドアの開閉を連続開閉という。)。
この連続開閉について,弁護人は,客室出入口ドアから外に出て(1回目の開閉),駐車場出入口の目隠し用カーテンを束ねて戻る(2回目の開閉)という清掃中の作業で生じた記録であり,既に夕食が終了し,客室清掃が始まっていたことを裏付けるから,D証言と矛盾する客観的証拠である旨を主張する。しかし,清掃中にカーテンを束ねる等の作業が行われ,その際,連続開閉が記録されることは,清掃担当従業員ら(E,F,G及びH)の各証言によって認められるものの,本件当日,106号室において同作業が行われたのは,同室の清掃終了時刻(午後9時48分頃)の直前である午後9時45分頃の連続開閉時と考えるのが自然である。
これに対し,弁護人は,午後9時30分頃及び午後9時45分頃の2度の連続開閉は,清掃中,まず先行するEがカーテンを束ね,そのことを知らないGらが
同じ作業を行おうとしたために生じたと考えられること,他の客室清掃でも,複数回の連続開閉が行われていること等を主張する。しかし,106号室の所在する新館は,客室出入口ドアを開けると正面にカーテンが見える構造であり,先行の従業員がカーテンを束ねた場合,後行の従業員は,ドアを開けてカーテンの状況を確認すれば,そのままドアを閉めると考えられるため,2度目は,開閉それ
ぞれ1回のみが記録され,連続開閉にはならないと考えられる。実際に,弁護人が前記主張の根拠と指摘する記録を見ても,清掃中であることが判然としないか,2度目は開閉が各1回にとどまっている。さらに,本件当日の夕食終了後に行われた他の客室清掃において,先行するEが前記作業を行ったと見得る連続開閉の記録もない。

そうすると,午後9時30分頃の106号室の連続開閉は,清掃中の作業による記録ではないと認められるから,D証言と矛盾する客観的証拠には当たらない。⑷

生ビールの売上入力との整合性

証拠によれば,Dは,午後9時26分頃,フロントのコンピュータを操作し,305号室の生ビールの売上げを入力したと認められる(以下売上入力という。)。
弁護人は,売上入力は,夕食終了後に行われたと主張し,その根拠として①E,F及びGが,夕食中に休憩室を出たのはEのみと一致して証言している,②Dは,差戻前第1審では①のEらと同様,休憩室を出たのはEのみと証言していたのに,第1次控訴審において,夕食休憩中にEがドリンクを運んだ際,一緒にフロントに行って売上入力をした等と証言を変遷させており信用できない,③開閉記録等から,売上入力に対応する生ビールの注文は午後8時54分頃といえ,売上入力は,夕食終了を契機に行われたとしか考えられない,④Dの日頃の勤務態度から,Dが夕食中に売上入力することはない等の理由を挙げる。
しかし,別紙2のとおり休憩室とフロントは隣接し,売上入力は簡単な作業であるから,売上入力して戻るまで短時間で終えられると認められるところ,①夕食休
憩中の人の出入りに関するEらの証言は,それぞれ曖昧な部分があり,例えばトイレに立つ等の各従業員のささいな行動まで逐一正確に証言しているとまではいえず,当初,意識して聞かれていないDの短時間の離席が説明から脱落したとしても不合理ではない。②Dは,第1次控訴審において,差戻前第1審時,休憩室を出たのはEのみと証言した理由を,休憩室とフロントは一体であり,フロントに行ったこと
は休憩室を出たうちに入らないと考えていたと説明しており,前記休憩室とフロントの位置関係等の事情に照らすと,その変遷理由が不合理ともいえない。また,③開閉記録によれば,午後8時53分頃に205号室ドアが1回開閉され,午後8時54分頃に306号室の,午後8時55分頃に106号室の各清掃開始ボタンが押されたことが認められ,他方,Eは,夕食中に客室にドリンクを持参した
のは2回であり,106号室等の清掃開始ボタンを押したのは,新館の客室にドリンクを持参したときである旨を証言する。弁護人は,これらを整合的に説明するには,Eは,午後8時53分頃に205号室(旧館)にウェルカムドリンクを届け,休憩室に戻って生ビールを準備した上,午後8時54分頃,305号室(新館)に生ビールを届け,その際に106号室等の清掃開始ボタンを押したと考えるほかな
い旨を主張する。しかし,このようなEの動きは,それぞれの客室の距離等から時間的に無理がある。また,弁護人の主張は,午後8時53分頃の205号室ドアの開閉が,2階従業員用通路側ドアのものであることを前提とするが,同ドアの開閉は,205号室に利用客が入室してから5分以内の,客室出入口ドアが自動施錠される前になされたと認められるから,2名の利用客が時間差で入室した場合など,客室出入口ドアの開閉記録である可能性もある。そうすると,このドアの開閉がEによるとは限らず,むしろ,前記客室の距離等からは,E以外によると考えるのが自然であるから,これらの開閉記録等から,Eが305号室に生ビールを届けた時刻を割り出すことはできず,その注文時刻や売上入力が夕食終了を契機になされたことを推認することもできない。
④ホテルの元従業員Iは,当公判廷において,Dが夕食中に売上入力を行うのを
見たことがないと証言するが,Iは,ホテルでの勤務期間が必ずしも長くない上,自身が出勤しない日のDの行動を見ていないと認められるから,I証言は,売上入力が夕食中に行われたと考えることに,合理的疑いを生じさせるものではない。よって,売上入力は,夕食終了後に行われたとは特定できず,夕食中に行われたと見ることも十分に可能であるから,夕食終了時刻に関するD証言と矛盾する客観
的証拠には当たらない。


小括

以上によれば,夕食終了時刻に関するD証言は,記録から推定される夕食終了時刻,Eの救急隊員への説明と整合し,それ自体一貫性や具体性があるほか,これと矛盾する客観的事情も特に存在しないことなどから,信用することができる。そして,既に検討した事情のほか,弁護人が主張する諸点を踏まえても,D証言の信用性に対する前記評価は揺るがない。
5
夕食終了時刻の認定

信用できるD証言のほか,関係証拠によれば,夕食終了時刻は午後9時40分頃と認められる。
第4
1
被告人の犯人性について
犯人像等との整合性


侵入経路から推定される犯人像
前記第3の1⑷のとおり,客室出入口ドアの開閉は,コンピュータに記録さ
れるが,これによると,午後9時34分頃,310号室の客室出入口ドアが1回開閉された事実が認められる。そして,被害者やEら勤務中の従業員は,午後9時40分頃まで夕食のため休憩室にいたから,このドアの開閉を行っていないといえる。イ
次に,被害者は,週1回程度,ホテルを訪れて集金業務等を行っていたが,
その際,主に事務所の隣室である310号室を宿泊場所としており,滞在中の同客室について,ストッパー等で2階従業員用通路側ドアが施錠されないようにした上,機械操作で清掃中として客室出入口ドア横にある料金表示板に清掃中の電光表示をさせるとともに,同ドアが施錠されない状態にし,駐車場出入口にある目隠し用カーテンも閉めており,本件当日も同様であった。
このように310号室は,外観上,利用客が利用できない状態となっていた上,ホテルが閑散とした山中にあることも踏まえると,午後9時34分頃の客室出入口ドアの開閉が,利用客や通りすがりの者らによるとは考え難い。


本件は,夕食が終了した午後9時40分頃から,倒れている被害者が発見さ
れ,119番通報がされた午後10時12分頃までの間に事務所で発生しているところ,310号室の客室出入口ドアの開閉は,本件発生の直前になされており,310号室と事務所が隣接することから見ても,本件の犯人が,同所よりホテル内に侵入した際の開閉記録と認めるのが相当である。ホテルには,310号室の客室出入口ドア以外にも,犯人が侵入可能な出入口は存在するが,いずれと考えても前記310号室の客室出入口ドアの開閉が説明できないから,他の出入口からの具体的な侵入可能性は排斥される。

そして,犯人は,310号室の客室出入口ドアからホテル内に侵入すると,
間もなく事務所に至り,短時間のうちに犯行を終え,後記のとおり事務所に保管されていた現金を取得しているから,当初より事務所への侵入を目的としていたと考えられる。そうすると,犯人は,被害者が310号室に滞在する間は,同客室の客室出入口ドア及び2階従業員用通路側ドアの施錠がされておらず,同客室より事務所に侵入できることを知っていた人物と推認される。
事務所の現金保管状況から推定される犯人像

証拠によれば,事務所には,金庫内に釣銭補充用現金(精算機内に不足した
金種を補充して釣銭を規定数に保つための現金)として常時45万円程度の金銭が保管されていたほか,被害者の滞在中は,精算機から回収された売上金が一時保管され,同所で集計作業等が行われていたことも認められる。

前記⑴のとおり,犯人は,当初より事務所に侵入する目的でホテル内に侵入
し,短時間のうちに同所に保管された現金を取得しているから,事務所における現金保管状況についても知識があったと推認される。
弁護人は,事務所は,1階に駐車場が設置されていないなど,外観が明らかに客室と異なり,内部事情を知らない者が侵入する可能性も十分にある旨を主張するが,そのような者は,外観から,事務所を客室ではないと認識できたとしても,そこに多額の現金が保管されていることまで認識することはできないから,弁護人の主張
は採用できない。


被告人と犯人像との合致

被告人は,3月半ばより約半年間にわたりホテルに店長として勤務し,本件の約2週間前より休職していたから,前記⑴及び⑵の事情も当然に知っていたと認められ,その犯人像に合致する。また,被害者は,ホテルに滞在する際,自身の車両をホテル敷地内の来客用駐車場(別紙1参照)に駐車させており,このことは,従業員であれば知っていたと認められるところ,被害者は,本件当時も普段どおりに車両を駐車させていたことが認められるから,被告人は,ホテル敷地内に入れば,被害者が滞在していることにも気付くことができたといえる。
これに対し,弁護人は,被告人が犯人であるとすれば,310号室で被害者と遭
遇しても言い訳ができず,従業員用通路で従業員らに発見されるおそれもあるため,310号室から侵入するはずがない旨を主張する。しかし,本件当日の夕食は,休憩室の窓を開け,談笑しながら行われていたと認められるから,夕食が継続していることは,建物外からも容易に確認できる上,被告人は,本件当日,Eに呼ばれてホテルに行く予定があったから(後記2⑴),従業員用通路等で従業員らに会ったとしても,不審に思われずに言い逃れることは可能である。よって,被告人が,ホテルの内部事情を熟知しているために,310号室から侵入した犯人像と合致しないということはない。
2
犯行機会の有無について



証拠によれば,被告人は,本件当日午後8時頃,妻のJとレストランで食事
をしていた際,被告人の姉であるEから電話を受け,客室に設置されたスロット機の売上金の回収方法を教えるよう頼まれたこと,そこで,午後10時頃にホテルに行く約束をし,午後8時30分頃,ホテルまで車で約15分の距離にある自宅にJを送り,車でホテルに向かったこと,午後8時35分頃,当時交際していたKから電話を受け,Kに対してもホテルに向かっている旨を話したこと,Kと通話をしながら運転も続けていたが,午後9時13分頃,Kに対し着いたから切るよと言
って通話を終えたこと,午後10時頃,新館従業員用出入口付近で,Dと出会ったこと,その後,102号室を清掃していたEを訪ね,一緒にスロット機の売上金の回収に向かうこととなり,Eが,回収作業に必要な籠を事務所に取りに行き,倒れている被害者を発見したことの各事実が認められる。


これらの各事実からすると,被告人は,午後9時13分頃から午後10時頃
までの間,1人でホテル周辺にいたことになるから,本件犯行に及ぶ機会は十分にあったと認められる。
弁護人は,被告人は,Eとの待合せ時刻まで,飲み物を買い,展望台に車を停めてテレビを見ており,Dと出会う直前にホテルに到着したから,犯行に及ぶ機会はなく,Kに対して着いたから切るよと発言したことは,ホテルに到着した趣旨
ではなく,電話を切る口実であった旨を主張する。
しかし,Eとの待合せ時刻は,厳密に決まったものではなく,早めにホテルに到着することに何ら支障はなかったと考えられる上,被告人は,前記電話中,Kをラーメンを食べに誘い,Eには,その後に用事がある旨を述べるなどしており,当時のKとの親密なメールのやり取り等に照らしても,ホテルでの用事を早く済ませようとせず,約40分にわたり時間を潰した旨の被告人の供述はにわかには信用できない。ほかに被告人が現実に展望台にいたことをうかがわせる事情もなく,弁護人の主張は,被告人に犯行機会があったという評価を左右するものではない。⑶

他の従業員らの犯行可能性について

既に述べたように,本件当時,ホテルで勤務していたEら4人の従業員は,午後9時34分頃の310号室の客室出入口ドアの開閉を行うことができないから,少なくとも同所から事務所に侵入した犯人ではない。
次に,Eら4名の従業員に共犯者がいることや,元従業員を含め内部事情を知る関係者が犯人であることも考えられるが,その場合は,ある程度計画性を持って犯行に及ぶはずであり,夕食開始直後などのより安全な時間帯を狙うのが自然である。犯人は,いつ夕食が終了してもおかしくない時間帯に事務所に侵入した後,被害者
と遭遇したと考えられるから,内部事情を知る者としては場当たり的であり,計画性のある犯人像とは整合しない。
内部事情を知っているのみならず,午後9時34分頃という時間帯に犯行を開始しても不自然ではない人物は,偶然にもその頃ホテル周辺に所在することとなった被告人を除いては具体的には想定し難い。
3
被告人が事件翌日に230枚の千円札を所持し入金したことについて


証拠によれば,被告人は,本件発生から約12時間後の9月30日午前9時
34分頃から同日午前9時39分頃にかけて,ATM機から被告人名義の口座に230枚の千円札を入金し,1万円札7枚を引き出したことが認められる。検察官は,この230枚の千円札は,本件の被害金の一部であると主張する。そこで,本件の被害金やその金種を可能な限り特定することとするが,本件当時,事務所に保管されていた可能性のある現金には,少なくとも被害者の集金作業によって回収されたホテルの売上金,釣銭補充用現金及びEらが回収したスロット機の売上金があると認められるため,以下,それぞれ検討する。


ホテルの売上金について
ホテルの売上金の管理や集金の仕組み,本件当日の集金状況等は,おおむね
次のとおりと認められる。
ホテルの客室使用料等は,原則として各客室に設置された精算機で精算される仕組みとなっていた。精算機が不調の場合,客室使用料等は,フロント係が利用客から直接集金し,フロント内に保管していた(以下,この集金を手集金という。)。そのため,フロントにはレジが置かれ,主に釣銭用として合計5万円(千
円札40枚と硬貨,以下ドロワー現金という。)が用意されていた。被害者は,事件当時,週1回程度,精算機内やフロントに保管された売上金を回収して集計し,本社へ送金する作業を行っていた。精算機から回収された現金は,ホテル内のコンピュータに記録されており,集金日に集金した各客室ごとの現金額及びその合計額は,コンピュータから両替機集計表を出力して確認されて
いた。
また,ホテルの売上は,午前6時から翌日午前6時までを1日として計算されていたが,集金日当日は,翌日午前6時までの売上をすべて回収することができないため,ホテルでは,午前6時から集金時までの売上金額を特定し,これを次回送金する繰越金として別途保管していた。そこで,精算機等からの集金が終わると,繰
越金額を確定して今回の送金額から除外し,前回の繰越金を合算する作業が行われており,被害者は,送金額を確認するため,フロント係従業員が作成する売上日報(コンピュータで集計された1日分の売上を記入したもの)を基に,1日ごとの売上現金とその合計金額(送金額)を記載した売上現金表を作成していた。本件当日の集金作業で集金するべき現金は,精算機分合計113万8600
円(1万円札87枚,5千円札53枚を含む。)及び9月23日の手集金分4040円であった。
そして,本件当日の両替機集計表は,午後6時43分頃に出力され,そこには全客室分の集金額が記載されていた。また,事務所に置かれた被害者のパーソナルコンピュータには,9月23日から同月28日の日付が記載された売上現金表のデータが保存されており,その各日の金額欄には,対応する日の売上日報の現金売上と一致する金額が記載され,総合計欄に記載された金額(121万6420円)は,後記⑸のとおり事務所内の事務机引き出しから発見された現金114万6420円と下4桁が一致していた。

以上からすると,被害者は,本件当日,集金作業を終え,事務所で売上現金
表を完成させた上,算出した送金額に基づいて,集金した売上金から次回繰越金を除外し,前回繰越金を合算するなどの送金の準備作業に着手し,その途中であったと認められる。したがって,精算機分113万8600円及び手集金分4040円の合計114万2640円の売上金は,既に集金されて事務所に保管されていたと認めるのが相当である。


釣銭補充用現金について


釣銭補充用現金の管理状況等は,おおむね次のとおりと認められる。各客室の精算機は,釣銭用として内部に残すべき金種・金額が定められてお
り,集金時には,規定の金種・金額を残して現金を回収することとされていたため,特定の金種が不足する場合は両替の必要が生じる。そこで,事務所の金庫内には,釣銭補充用として主に千円札と硬貨からなる総額45万円の現金(釣銭補充用現金)が準備されており,集金には,同現金を持参して両替に充てることで,精算機内の釣銭は,常に規定の金種・金額が維持されていた。そして,被害者は,集金完了時に,釣銭補充用現金の金種・金額を確認し,残金表を作成していた。被害者は,本件当日,金庫に保管されていた釣銭補充用現金のうち,300枚に近い千円札とプラスチック製ケースに入った小銭を黒色籠に入れて持ち運びな
がら集金作業を行った。
事務所に置かれた被害者のパーソナルコンピュータには,9月29日の日付が記載された残金表のデータが保存されていた。
この残金表には,上から100円の束(1束50枚,以下同じ。)7本,10円の束7本,500円の束4本,50円の束8本,1万円札0枚,5千円札1枚,1000円札267枚,500円玉5枚,100円玉50枚,50円玉28枚,10円玉18枚,合計43万9580円と記載されている。
そして,この残金表の記載は,本件発生後,事務所の金庫に保管されていた100円,10円,500円及び50円の各棒金の数量,事務所内の事務机下に置かれた黒色籠内のプラスチック製ケースに入った500円玉,100円玉及び50円玉の各数量とそれぞれ一致し,10円玉の数量のみが異なっていた(プラスチック製
ケースに入っていた10円玉は6枚である。)。

前記⑵及び前項で認定したところによると,被害者は,集金作業を終えて送
金額を算出し,既に釣銭補充用現金の確認にも着手しており,残金表は,最終項目である10円玉を除いて各金種の数量を確認し,記載済みであったと認められる。そうすると,事務所には,釣銭補充用現金として,10円玉の欄を除く残金表記載の金種・金額の現金と,10円玉については,プラスチックケースから実際に発見された6枚が保管されていたと認めるのが相当である。


スロット機の売上金

証拠によれば,Eは,本件当日,白色籠を持参してスロット機の売上金を回収し,白色籠ごと事務所に置いたことが認められる。


本件の被害金及び金種の検討

本件発生後,事務所内には,大きく分けて,事務机の下に置かれていた白色及び黒色籠内の現金,事務机の引き出し内の現金(裸銭)並びに金庫内の棒金が存在した。その詳細は,白色籠内の現金8万9700円,黒色籠内の現金8960円(500円玉5枚,100円玉50枚,50円玉28枚,10円玉6枚),引き出し内の裸銭114万6420円(1万円札88枚,5千円札52枚,1000円札6枚,100円玉4枚,10円玉2枚),金庫内の棒金100円7本,10円7本,500円4本及び50円8本であった。
白色籠内の現金は,スロット機の売上金集計のためにEが作成していたノートの記載とも整合し,スロット機の売上金がそのままの状態で発見されたと認められる。また,裸銭は,本件当日に集金したホテルの売上金と,合計額や1万円札及び5千円札の枚数がおおむね一致することから,その原資の多くは集金したホテルの売上金であり,金額も減少していないと認められる。さらに,金庫内の棒金及び黒色籠内の小銭は,残金表の記載や金庫内や黒色籠内という発見場所から,釣銭補充用現金の硬貨部分と認められる。
そうすると,事務所に保管されているはずの現金のうち,ホテルの売上金,釣銭
補充用現金の硬貨部分及びスロット機の売上金は発見されたが,釣銭補充用現金の紙幣部分である千円札267枚及び5千円札1枚(合計27万2000円)が発見されていないこととなり,これが本件被害金であることが強く疑われる。これを計算上の金額から見ると,事務所に保管されているはずの現金合計167万1800円(前記⑵ないし⑷の合計)から,発見された現金合計140万358
0円を引いた26万8220円となるから,結局,本件被害金額は,千円札267枚を含む少なくとも約26万8000円であると認めることができる。⑹

弁護人は,被害者が,集金作業の際,ドロワー現金や小口現金と呼ばれてい
た日用品などを購入するために別途保管されていた10万円の現金に千円札を補充し,釣銭補充用現金の千円札が減少していた可能性があると主張する。しかし,小口現金は,基本的には1万円札で準備され,売上金とは別に補充されていたと認められるから,釣銭補充用現金から多数の千円札で補充したとは考え難い。ドロワー現金は,集金時に両替や補充がなされていたと認められるところ,前記のとおり本件当日,集金作業は終了し,残金表もおおむね完成していたから,ドロワー現金の補充等を経て,確認された千円札の数量が267枚であったと考えるのが相当であ
る。
また,弁護人は,Eら従業員が,被害者発見後に被害金を取得した可能性がある旨も主張するが,Eらは,倒れた被害者を発見した際,病気か事故と考え,事件性を疑っていなかったと認められるから,そもそも第三者の犯行に便乗して利益を得るという状況はなく,ほかにEらが被害金を持ち去ったことを具体的に疑わせる事情もない。
弁護人の主張は,いずれも採用しない。


以上によれば,犯人は,本件によって千円札267枚を含む現金約26万8
000円を得たと認められるところ,被告人は,本件の約12時間後に千円札230枚を所持し,かつ,本件翌日の朝という時期に,これらをATM機から自身名義の口座に入金し,更に7万円分を1万円札に両替したこととなる。当該入金等の事実は,このような枚数の千円札を日常生活で所持し,入金する機会は極めて少ないこと,被害金と金種及び枚数が類似すること,本件直後の朝の入金であり,一部は1万円札に両替までしていることとあいまって,被告人が,本件の犯人であり,本件で得た大量の千円札を隠そうとしたという事実を強く推認させる。



これに対し,被告人は,前記入金の経緯について,ホテル勤務を開始した3
月半ば以降,食事は提供され,繁忙で金を使う余裕がなく,Jには最低限の生活費しか渡さなかったため,7月頃には数十万円のへそくりが貯まり,他方,ホテルの店長として,精算機の釣銭不足等に備え,常に千円札を確保する必要性を感じており,ドロワー現金に手集金等で1万円札が入ると,自身の千円札で両替する等していたところ,同月末頃に回収したスロット機の売上金(千円札と100円玉のみで構成される。)に,約270枚の千円札が含まれていたため,これをへそくりの1万円札と交換して所持していたこと,本件当日の夜,精神的に不安定だったJが半狂乱状態になったため,しばらく自宅を離れる決意をし,その前に生活費等を送金する趣旨で,Jと共同使用する口座に前記入金を行った旨を供述し,弁護人は,被
告人供述の裏付けとして,被告人が,7月末にスロット機の売上金の一部(回収額の7割で約21万円)を運営会社に送金した際,銀行に100枚未満の紙幣しか持ち込んでいないことを指摘する。
しかし,被告人供述によれば,被告人は,スロット機の売上金を回収した後,これを被害者と一緒に計算したことが認められ,被害者にも,スロット機の売上金の千円札とホテルの売上金中の1万円札や5千円札等を両替する機会があったから,被告人がスロット機の売上金を100枚未満の紙幣で送金した事実から,直ちに被告人の手元に大量の千円札が残ったという事実は推認されない。
そして,ドロワー現金出納票等からうかがわれるドロワー現金から千円札が流出する頻度はさほど多くはなく,同現金は,被害者によって週1回程度の補充もされていたこと,事務所の金庫には釣銭補充用現金として大量の千円札が存在し,被告
人が金庫の鍵を管理していたため,いつでもそれらを使用できたこと,Eやフロント係従業員は,ドロワー現金内の千円札が不足した場合は,精算機で両替しており,その数量も1万円札一,二枚程度であって,精算機の使用に支障もなかったと認められること等から,被告人が個人の金銭を使用してドロワー現金の両替を行う必要性は乏しいといえる。実際に,ドロワー現金を管理するフロント係従業員は,個人
的金銭の準備の必要性を一致して否定し,被告人が個人の金銭で両替しているところは見たことがないとも証言する。そうすると,ホテルの業務上の必要があり,スロット機の売上金から約270枚もの千円札を取得した旨の被告人の供述は,相当に疑わしい。
また,仮に,被告人が,7月末時点で約270枚もの千円札を取得していたとし
ても,遅くとも8月頃にはKとの交際を開始し(Jは,被告人が6月頃より週1回程度しか帰宅しなくなった旨を証言している。),9月半ば頃にはホテルを休職していたから,金銭を使わないという被告人の環境は変化しており,被告人は,9月25日には,Jに9月分の生活費を5000円しか渡さず,すり減っていた車のブレーキパッドも,本件翌日まで修理していないことなどからすると,本件当時,2
3万円ものへそくりを所持し続けられる金銭的余裕などなかったことがうかがわれる。
加えて,被告人は,Jに生活できない旨を言われるなどしていたのに,6月以降は月額6万円程度,9月25日は5000円の生活費しか渡していなかったところ,本件翌日に限り突如16万円もの送金をするのは不自然である。その上,このとき入金した金銭は,結局は,被告人が約1週間後の10月6日から同月13日にかけて全額引き出して費消し,Jの生活費には全く充てられていないから,当該入金が生活費等の送金であったことも認め難い。
以上によれば,当該入金の経緯に関する被告人供述は信用できず,このほか弁護人が主張し,被告人が供述する諸事情を検討しても,前記⑺の推認は揺るがない。4
事件後の行動
証拠によれば,被告人は,9月30日午後3時10分頃,車の修理を終える
と,車で鳥取県米子市を離れ,10月4日に同市に戻るまで大阪府周辺に滞在していたこと,被告人は,9月30日午前中は,Kとメールのやり取りをするなどしていたが,同日午後6時23分頃,長男に電話をかけた後は,10月3日午前11時17分頃に自宅に電話をかけるまでの間,家族やKから合計数十回の電話の着信があり,連絡がないことを心配し,連絡するよう懇願するメールを複数回受信したにもかかわらず,これらに全く応じず,更にこの間,警察からも連絡を求められている旨を認識しながら,何の対応もしなかったこと,被告人は,米子市に戻った後,Kと頻繁に会う等していたが,引き続き警察への連絡や出頭はせず,少なくとも,Jは,その頃には半狂乱の状態にはなく,かえって被告人を心配する様子が見られ
るのに,被告人は,11月5日に警察に発見されるまで,自宅には帰らず,家族から送金を受けるなどしながら車上生活を続けていたことなどが認められる。以上の事実経過からすると,9月30日午後6時23分頃の長男との電話以降,10月3日に家族への連絡を再開するまでの被告人の行動は,明らかに他者との連絡を絶っており,警察の捜査等を避けるために逃走していたというほかなく,米子
市に戻った後の行動についても,強い逃走意欲までは認め難いが,警察を避けていることは認められる。


これに対し,被告人は,本件後の行動について,本件当日の夜,しばらく自
宅を離れる決意をし,翌日,その機会を利用して亡くなった姉に線香をあげるために名古屋市に向かったが,警察から疑われていることを知り,名古屋市に行くことを断念し,えん罪の恐怖から警察には連絡しなかったものの,他者との連絡を絶っていたわけではないなどと供述する。しかし,被告人は,本件発生直後はともかく,長男との前記電話以降は,実際に家族やKとの連絡を絶っており,Kと被告人の親密な関係を考えると,えん罪への恐怖があってもKとの連絡まで絶つ理由はないから,被告人が逃走していたとの評価は変わらない。
弁護人は,被告人が10月4日以降は米子市に戻り,Kと出歩くなどしていたこ
とは,被告人が犯人でないことを裏付ける事情であるとも主張する。しかし,被告人は,同日以降,積極的に警察には出頭しないが,いつかは捕まることを覚悟した上,何の展望もないままKと会うなどしていたとも考えられるから,同日以降の行動は,被告人が犯人でないことを積極的に裏付ける事情ではない。5


総合評価
既に検討したように,被告人が本件直後に被害金の一部と考えても矛盾のな
い特徴的な金種・金額の入金等を行ったことは,被告人が本件の犯人であることを強く推認させる上,被告人は,本件の犯人像に合致し,犯行に及ぶ機会があったのみならず,本件後に逃走し,又は警察を避けていると評価できる行動をとっている。これらに加えて,被告人以外の者が本件に及んだ具体的可能性も認められない。このような事実関係が同時に存在することは,被告人が本件の犯人であると考えなければ合理的な説明ができないというべきである。


弁護人は,事務所等から被告人のDNAが検出されていないことや,本件後
に被告人と会ったEらが,被告人に不審な点を感じなかったことなどを被告人の犯人性を否定する事情として主張する。しかし,DNAは常に検出されるものではない上,後記第5で検討するように,本件の犯人は,被害者に抵抗されておらず,その暴行態様に照らしても,DNAが検出されないことが不自然な状況はないし,被告人に血痕の付着や傷がなかったことについても同様の理由から不自然ではない。したがって,これらは,被告人の犯人性を否定する事情ではない。このほか,弁護人が主張する諸点を検討しても,前記評価を左右する事情はない。⑶
第5
1
以上より当裁判所は,被告人が本件の犯人であると認定した。
被告人に成立する罪名等
まず,被告人は,本件当時,従業員や被害者が休憩室に集まる夕食中に,3
10号室の客室出入口ドアからホテル内に入った上,間もなく事務所に立ち入り,最終的に事務所に保管されていた現金を取得しているから,被告人は,当初より,金品を窃取する目的で事務所に立ち入り,同所で現金を物色するなどしていたと推認される。
次に,Dは,夕食が終了した際,食器等を調理室に持っていき,休憩室に戻ったときには,被害者は既に休憩室から立ち去っていたと証言し,その後,被害者が,事務所以外の場所に向かったことをうかがわせる事情もないから,被害者は,午後9時40分頃,夕食を終えて,集金作業の続きをするなどのために,そのまま事務
所に戻ったと認められる。
2
そして,被告人が被害者に加えた暴行について,証拠から認められる被害者
の負傷状況,事務所内の構造,事務所奥の壁面に血痕付着の反応があるへこみがあったこと,被害者発見時に事務所に争ったような形跡がなかったこと及び同時刻頃に新館で清掃を行っていたEらが物音等を聞いていないことなどの事情からすると,事務所に戻った被害者が,被告人に気付いたか否かは不明であるが,いずれにせよ,被告人は,被害者が抵抗する間もなく,いきなり被害者の右側頭部を壁面に1回叩き付け,意識を失って倒れた被害者の頸部を,ひも様のもの又は手で,その気道が曲がるほどの力を込めて約3分間は絞め付けたことが認められる。3
以上からすると,被告人は,事務所で現金を物色していたところ,被害者が
同所に戻ってきたため,いきなり激しい暴行を加えたこととなり,その後,事務所内に保管された現金を取得していることに照らしても,被告人の暴行は,金品を強取するとともに,自身の犯行を隠蔽する目的で加えられたと認めるのが相当である。また,被害者の頸部を約3分間にわたり締め付けた暴行に殺意があることは明らかである。被害者の右側頭部を壁面に叩きつけた暴行については,当該暴行の態様のみから殺意が明らかとまではいえないが,一撃で被害者に脳挫傷等を生じさせ,意識を失わせるほどの強さがあり,これに引き続く頸部を締め付けた暴行と一連の行為と評価できるから,やはり殺意をもって加えたと認めるべきである。4
結論

以上検討したところにより,当裁判所は,被告人には,罪となるべき事実で認定したとおり強盗殺人罪が成立すると判断した。
(法令の適用)
1
構成要件及び法定刑を示す規定
被告人の判示所為は刑法240条後段に該当する。

2
刑種の選択
無期懲役刑を選択する。

3
未決勾留日数の本刑算入
刑法21条を適用して未決勾留日数中700日をその刑に算入する。
4
訴訟費用
刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させない。
(量刑の理由)
被告人は,被害者が事務所に戻った際,被害者が抵抗する間もなく,その頭部を壁面に叩き付けて意識を失わせ,無抵抗の被害者の首を強い力で約3分間にわたり締め続けており,暴行態様は一方的で無慈悲なものである。特に,被害者の首を絞め付けた行為は,強固な殺意が認められる。被告人は,金品を強取し,自己の犯行を隠蔽するために,このような暴行に及んだと認められ,その動機は,自己の欲望
や保身と引き換えに被害者の命を犠牲にするもので身勝手というほかない。被害者は,本件によって寝たきりの状態となり,意識を取り戻すことがないまま約6年後に死亡しており,被害者の苦しみや無念さは察するに余りある。遺族の処罰感情がしゅん烈であることも当然である。
被告人は,事件後に逃走を図り,その後,何度も反省する機会はあったのに,本件から10年以上が経過した現在に至るまで,自身の犯行に向き合っていない。以上のとおり,被告人の刑事責任は極めて重大であり,酌量減軽をすべき事情は全くない。そして,法定刑のうちいずれを選択すべきかについては,本件が居直り強盗の事案であり,殺害行為は突発的な一度の出来事であること,同種前科を含め見るべき前科はないこと等の事情も踏まえ,被告人には,長い時間をかけて自身の犯行と向き合う機会を与え,罪を償わせるのが相当と判断し,無期懲役刑を選択し
た。
(求刑・無期懲役)
令和2年12月7日
鳥取地方裁判所刑事部

裁判長裁判官

荒木未佳
裁判官

小口五大
裁判官

西村拓己
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