判例検索β > 令和2年(う)第690号
過失運転致死傷
事件番号令和2(う)690
事件名過失運転致死傷
裁判年月日令和2年11月25日
裁判所名・部東京高等裁判所  第8刑事部
結果破棄自判
原審裁判所名前橋地方裁判所
原審事件番号平成30(わ)183
裁判日:西暦2020-11-25
情報公開日2020-12-11 18:00:22
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令和2年11月25日宣告

東京高等裁判所第8刑事部判決

令和2年(う)第690号

過失運転致死傷被告事件
主文
原判決を破棄する
被告人を禁錮3年に処する
原審における未決勾留日数中340日をその刑に算入する。

第1


本件控訴の趣意等
本件控訴の趣意は,検察官上本哲司作成の控訴趣意書に記載されたと
おりであり,これに対する答弁は,弁護人a作成の控訴答弁書に記載されたとおりである。
論旨は,事実誤認,法令適用の誤り及び訴訟手続の法令違反の主張であり,以下,その主張の概要等を示しておくこととする。
1
本件公訴事実の要旨は,次のとおりである。



主位的訴因
被告人は,平成30年1月9日午前8時25分頃,前橋市(住所省略)所在の被告人方駐車場において,普通乗用自動車の運転を開始するに当たり,かねてから低血圧の症状があり,低血圧により,めまいや意識障害を生じたことがあった上,医師から,同症状によりめまいや意識障害を生じるおそれがあることから,自動車の運転をしないように注意されていたのであるから,自動車の運転は厳に差し控えるべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,低血圧の症状があったのに,漫然同車の運転を開始した過失により,その頃,同市(住所省略)付近道路をb町方面からc町方面に向かい時速約60ないし65㎞で進行中,低血圧により意識障害の状態に陥り,自車を右斜め前方に進行させて,同市(住所省略)付近道路右側の車道外側線を対向進行してきたA(当時16歳。以下Aという。)運転の自転車に自車を衝突させるなどした上,自車を同所付近道路右側路外に設置された縁石等に衝突させて自車を横転させるなどして,A運転の自転車の後方から対向進行してきたB(当時18歳。以下Bという。)運転の自転車に自車を衝突させるなどし,よって,Bに入院加療202日間を要する脳挫傷等の傷害を負わせるとともに,Aに脳挫傷等の傷害を負わせ,同月31日午後6時18分頃,同市(住所省略)所在のd病院において,Aを前記傷害に基づく低酸素脳症により死亡させた。⑵

予備的訴因
被告人は,平成30年1月9日午前8時25分頃,前橋市(住所省略)所在の被告人方駐車場において,普通乗用自動車の運転を開始するに当たり,かねてから低血圧の症状があり,血圧変動等により,めまいや意識障害を生じたことなどがあった上,医師や家族から,めまいを生じるおそれがあることなどから,自動車の運転をしないように注意されていたのであるから,自動車の運転は厳に差し控えるべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,漫然同車の運転を開始した過失により,その頃,同市(住所省略)付近道路をb町方面からc町方面に向かい時速約60ないし65㎞で進行中,急激な血圧低下により意識障害の状態に陥り,自車を右斜め前方に進行させて,同市(住所省略)付近道路右側の車道外側線を対向進行してきたA(当時16歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどした上,自車を同所付近道路右側路外に設置された縁石等に衝突させて自車を横転させるなどして,A運転の自転車の後方から対向進行してきたB(当時18歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどし,よって,Bに入院加療202日間を要する脳挫傷等の傷害を負わせるとともに,Aに脳挫傷等の傷害を負わせ,同月31日午後6時18分頃,同市(住所省略)所在のd病院において,Aを前記傷害に基づく低酸素脳症により死亡させた。
2
原判決は,本件公訴事実について,大要,次のような理由から,主位的訴因及び予備的訴因のいずれについても犯罪の証明がないとして被告人に対し無罪を言い渡した。


まず,被告人の運転避止義務を根拠づける事実として主位的訴因に記載されている事実は,いずれも認定することができない。



次に,被告人の運転避止義務を根拠づける事実として予備的訴因に記載されている事実についても,そのうち一部は認定することができず,その余の認定できる事実を総合しても,本件事故に対する予見可能性を認めるには足りない。



むしろ,被告人が本件事故直前に意識障害に陥ったのは,服用していた薬の副作用等による大幅な血圧低下が原因である可能性があるなど,本件事故に対する予見可能性を否定する方向に働く事情も存在する。



したがって,被告人には本件事故に対する予見可能性があったとは認められないから,被告人に運転避止義務を負わせることはできない。
3
これに対し,論旨は,要するに,原判決は,重要な証拠を看過するなどして論理則,経験則等に照らし不合理な判断をした結果,被告人に運転避止義務を負わせる前提となる,本件事故に対する予見可能性に係る事実を誤認しており(事実誤認の主張),また,過失運転致死傷罪における予見可能性の対象につき,誤った解釈をして,同罪の適用を誤っており(法令適用の誤りの主張),さらに,原審で争点化されていなかった,薬の副作用によって低血圧や意識障害が生じた可能性について,当事者に立証の機会を与えないまま不意打ちの認定をしており,かかる原審の訴訟手続には審理不尽の違法があり(訴訟手続の法令違反の主張),これらが判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。
そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

第2

事実誤認の論旨に対する判断
1
本件事故に至る経緯(特に被告人の健康状態とその推移)
関係証拠から認められる本件事故に至る経緯(特に被告人の健康状態とその推移)は,おおむね原判決が認定説示するとおりであって,若干補足して説示すると,次のとおりである。



被告人は,平成28年3月頃から,家族や知人,更には複数の医師に対して度々めまい等の症状を訴え,各医師から,めまいや低血圧の症状に関し,ゆっくり行動するようにとか,転倒に注意をするようになどと生活上の指導を受けており,平成29年2月13日には,医師から,自動車の運転を控えるように注意されたこともあった。
具体的には,被告人は,平成28年3月4日,群馬県高崎市内のeクリニックにおいて,f医師(以下f医師という。)による診察を受け,その際,自ら,血圧の上下が変化する,低いと目が回ることがあるなどと,低血圧とめまいとを自分の感覚で関連付けて訴え,その後も,同クリニックにおいて,f医師らに対し低血圧やめまいの症状を頻繁に訴えていた。f医師は,平成29年2月13日,被告人から自動車を運転して同クリニックを訪れたことを聞き,高齢で,めまい等の体調不良のある被告人が自ら自動車を運転してきたことに驚くとともに,被告人に対して自動車の運転を控えるように注意したほか,同年6月5日,被告人が,同クリニックの看護師に対し

体調が良くない。ぼーっとしている。めまいもある。

などと訴えて,f医師の診察を受けた際には,被告人に対しゆっくり行動するように指導した。被告人は,同年12月4日にも,同クリニックの看護師に対し

もともとめまい症があるが昨日から特にひどい。

倦怠感があり昨日は1日寝てた。

などと訴えて,f医師の診察を受けている。また,被告人は,同クリニック以外でも,平成28年9月20日以降,前橋市内のg診療所において,h医師(以下h医師という。)らに対し,めまいの症状を訴え,h医師は,被告人に対し,転倒に注意するよう一般的な指導をし,平成29年10月18日には,同市内のiクリニックにおいて,j医師(以下j医師という。)に対し,めまいの症状を訴え,j医師は,被告人に対し,起床直後や食後は低血圧になりやすいので注意するよう指導している。


被告人は,かねてから前橋市内のkセンターに通い,週に数回,友人らと交流したり入浴したりしていたが,同センターを訪れた際には,ほぼ毎回血圧を測定して,自分の最高血圧が100㎜Hgを下回る低血圧であることを認識し,血圧が低いと感じた場合にはめまい等の症状が生じると考えて入浴を控えるなどしていた。ところが,被告人は,平成29年11月頃,同センターで入浴中,低血圧により気分が悪くなって倒れ,約30分間立ち上がれない状態になり,同センターの看護師らの介抱を受けたことがあり,また,時期が明らかではないが,同センターで体調不良に陥って自動車の運転ができなくなり,同居の長男であるl(以下lという。)に迎えを頼んだこともあった。



被告人は,平成29年の年末から体調が不良で,平成30年1月1日頃にはめまいがあったが,同月5日には,普通乗用自動車を運転してkセンターを訪れ,その帰りに自車を電柱に接触させる物損事故(以下1月5日の物損事故という。)を起こし,同月6日にも,普通乗用自動車を運転して同センターを訪れ,帰宅時に自車を後退させて駐車する際,自宅駐車場のブロック塀に自車を衝突させる物損事故(以下1月6日の物損事故といい,1月5日の物損事故と併せて2度の物損事故ともいう。)を起こした。
被告人の同居家族であるl及びその妻m(以下mという。)は,被告人が高齢で運転能力が低下していることもあって,本件事故の直前に至るまで,何度となく自動車の運転をやめるよう被告人に対して注意していた。
2
本件事故の状況及び原因



関係証拠から認められる本件事故の状況は,おおむね原判決が認定説示するとおりである。
すなわち,本件事故は,被告人が,平成30年1月9日午前8時25分頃,前橋市(住所省略)所在の被告人方(当時。以下同じ。)駐車場において普通乗用自動車の運転を開始し,その頃,同所から約540m離れた同市(住所省略)付近道路において,自車進路から見て右側の車道外側線を対向進行してきたA(当時16歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどした上,自車を同所付近道路右側路外に設置された縁石等に衝突させて自車を横転させるなどして,A運転の自転車の後方から対向進行してきたB(当時18歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどしたというものであり,その結果,Bに入院加療202日間を要する脳挫傷等の傷害を負わせるとともに,Aに脳挫傷等の傷害を負わせ,同月31日午後6時18分頃,同市(住所省略)所在のd病院において,Aを前記傷害に基づく低酸素脳症により死亡させたものである。



そして,原判決は,本件事故現場付近の状況,被告人車両の走行状況及び被告人の供述等を総合して,本件事故の原因は,被告人が,普通乗用自動車を運転して,本件事故現場手前の前橋市(住所省略)付近道路(以下n町交差点ともいう。)をb町方面からc町方面に向かい時速約60ないし65㎞で進行中,低血圧により意識障害の状態(なお,ここでいう意識障害の状態とは,原判決も説示するとおり,意識消失の状態
に限らず,意識レベルが著しく低下した状態をも含むものである。)に陥り,自車を右斜め前方に進行させたことにあると認定説示しており,この原判決の認定自体にも不合理な点はない。



もっとも,この点に関して更に補足すると,原判決は,起訴前の捜査段階で被告人の精神鑑定を実施したo医師(以下o医師という。)及び起訴後の原審公判段階で被告人の精神鑑定を実施したp医師(以下p医師という。)の両名が,いずれも,本件事故時に被告人は意識障害の状態であった可能性が高いと指摘し,被告人に意識障害が生じた原因について,その最も大きな可能性として,被告人の血圧の低下を挙げていることを説示しているものの,他方で,被告人のかねてからのめまいの原因が低血圧であることを示す医学的証拠は見当たらないとも判断説示している。しかし,o医師は,本件事故発生時,被告人は急激な血圧低下による意識障害(意識消失)の状態にあったと推定される旨の鑑定意見を述べる中で,そのように推定した主要な根拠の1つとして,被告人には,かねてから低血圧によると思われるめまい等の訴えが認められたとの事情を挙げ,また,p医師も,本件事故発生時,被告人は少なくとも意識レベルが低下した状態にあったとする鑑定意見を述べるとともに,被告人の意識レベルが低下した原因については,低血圧が可能性として有力なものの1つであること,被告人が度々自覚していためまいの原因も低血圧の可能性が高いことを指摘している。このようなo医師及びp医師の鑑定人としての所見は,本件事故の直前に被告人が低血圧による意識障害の状態に陥ったことだけにとどまらず,被告人の陥った意識障害の状態が,被告人がかねてから度々訴えていためまいの症状と質的に異なるものではなく,これらがいずれも被告人の低血圧に起因することをも強く示唆するものとみるのが合理的である。
また,原判決は,被告人の供述について,被告人が,原審公判において,n町交差点を通過する時点までの記憶しかなく,その後,本件事故を起こした時の記憶がない旨供述している点を捉えて,被告人は本件事故時の記憶がなくなるような意識障害に陥っていたものと認められる旨説示しているが,被告人自身,捜査段階においては,n町交差点を渡った辺りで,突然めまいがして,意識がもうろうとし,その後,気付いた時には,既に本件事故を起こしていた旨供述しているのであって(原審乙第2号証の検察官調書抄本),このような被告人の供述を含む関係証拠を逐一検討しても,本件事故の直前に被告人の陥った意識障害の状態が,被告人がかねてから度々訴えていためまいの症状と質的に異なるものであることをうかがわせる事情は見当たらない(当審検第16ないし18号証に現れた本件事故発生直後の被告人の言動等も,被告人の陥った意識障害が一時的なものであったことを強くうかがわせるものといえる。)。
したがって,被告人が本件事故直前に陥った低血圧による意識障害の状態は,かねてから被告人が度々訴えていためまいの症状と質的に異なるものではないと認定することができ,この点に関する原判決の判断は是認することができない。
3
本件事故に対する予見可能性の有無
以上のような事実関係(主位的訴因に若干の補正を加えた予備的訴因に記載されている事実におおむね沿うものである。)からすると,被告人が,平成30年1月9日午前8時25分頃,被告人方駐車場において普通乗用自動車の運転を開始した時点において,かねてからの低血圧によるめまい等の症状により正常な運転が困難な意識レベルの低下等の状態に陥ること(道路交通法66条参照)を予見できたのみならず,本件事故直前に生じた意識障害についても,これと質的に異ならないものであるから,その因果関係の基本的部分について予見可能であったというべきであることは明らかであって,自動車の運転を厳に差し控えるべき自動車運転上の注意義務があったことを優に認めることができる。これに対し,原判決は,被告人には本件事故に対する予見可能性があったとは認められず,被告人に運転避止義務を負わせることができないと判断しているのであるが,この点に関する原判決の判断は,被告人がかねてから低血圧により度々めまいを生じたことなどがあった上に,医師や家族から自動車の運転をしないように注意されていたという事情や本件事故直前に生じた意識障害について,適切な評価,判断をせず,論理則,経験則等に照らして不合理な判断をし,結論を誤ったものといわざるを得ず,是認することができない。
以下,原判決の説示に沿って,その理由を更に説明する。


被告人のめまい等の症状と医師による生活上の指導等の事実


原判決は,前記1⑴の事実中,被告人が,平成28年3月頃から,家族や知人,更には複数の医師に対して度々めまい等の症状を訴え,医師らからは,めまいや低血圧の症状に関し,ゆっくり行動するようになどと生活上の指導を受けていたとの事実について,医師らの指導は,低血圧による意識障害の危険を踏まえたものではないとして,これらの事実は被告人に意識障害の危険を予見させる契機となるとはいえない旨判断説示している。しかし,そもそも,めまい自体が自動車の正常な運転を困難ならしめる意識レベルの低下を伴う症状であることが認められるのみならず,被告人が通院先の医師らに対して度々めまい等の症状を訴えていたとの事実は,被告人がめまいを起こす頻度の高さを示すものである上に,訴えの内容等からは,めまいの症状が決して軽いものではなく,日常生活に支障を来す程度のものであったとみられることなどにも照らせば,このような事実の存在は,被告人において,自動車の運転中に正常な運転が困難な意識状態に陥る危険を予見できたことを裏付ける事情とみるのが合理的である。原判決は,医師らの指導が低血圧による意識障害の危険を踏まえたものであったか否かという点にのみ着目し,この点を否定しただけで被告人に意識障害の危険を予見させる契機がなかったかのように判断しているのであって,その判断は論理則,経験則等に照らして不合理なものといわざるを得ない。
この点に関して,原判決は,h医師及びf医師の各証言によれば,被告人の低血圧の症状は,医師から見ても,意識障害の原因となるようなものとは認識されていなかったことが明らかであるとも判断説示しているところ,確かに,h医師は,被告人のめまいの原因が内耳性のものではないかと考え,被告人の低血圧とめまいの関連を強く疑ってはいなかった旨を証言している。しかし,f医師は,被告人が低血圧により意識消失を起こした経験はないのであろうと判断していた旨を証言する一方で,一般的に,血圧が低下してめまいを生じることはあり得るし,意識消失に至ることもあり得る旨を証言し,被告人のめまいの原因としても,被告人の血圧の状態や内耳性のめまいに対する処方薬で改善しなかったことなどから,脳の循環障害に伴うものを想定していた旨証言しているのであり,その証言内容は,全体としてみれば,被告人の低血圧の症状が意識障害の原因になり得るとの認識があったことを示すものと理解できる。加えて,j医師も,一般的には,急激な血圧低下によりめまいや失神を生じる場合があるとして,被告人に対しても,起床直後や食後は低血圧になりやすいので注意するよう指導したと思う旨を供述していること(原審甲第67号証の検察官調書抄本)などを併せてみれば,被告人の低血圧の症状は,医師から見ても意識障害の原因となるようなものとは認識されていなかったことが明らかであるとはいえず,原判決は,被告人を診察した医師らの証言や供述の一部にのみ依拠し,それらの重要な部分を看過して誤った判断に至ったものといわざるを得ない。

また,原判決は,前記1⑴の事実中,平成29年2月13日に医師から自動車の運転を控えるように注意されたとの事実が認定できるとしても,それによって,被告人が自動車運転中の意識障害の危険を予見できたとはいえない旨判断説示している。
しかし,f医師の原審証言によれば,同医師は,被告人が高齢で,しかも,めまい等の症状を度々訴えてもいることから,自分で自動車を運転して来院しているとは思っていなかったため,平成29年2月13日に診察をした際に被告人が自分で自動車を運転してきたことを聞いて驚き,その際,自動車の運転は控えたほうがいいという趣旨のことを言って注意したことが認められるところ,こうした事情は,もとよりそれのみで自動車運転中の意識障害の危険を予見させるに足りるものとはいえないにせよ,複数の医師から低血圧に関する生活上の注意等を受けていた事実と併せてみれば,低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた被告人において,少なくともこのような症状が出れば自動車を正常に運転することは困難となることは明らかであって,自動車の運転を厳に差し控えるべきであることに思い至る契機の1つにはなり得たものと理解するのが合理的である。
この点に関して,原判決は,そもそも,被告人のめまいの原因が血圧低下であると認めることはできないから,そのような点の病識を被告人が持っていたと認定することはできないなどと判断説示しているが,前記2⑶で説示したとおり,o医師及びp医師の各鑑定意見によれば,本件事故の直前に被告人が陥った意識障害の状態は,被告人がかねてから度々訴えていためまいの症状と質的に異なるものではなく,これらはいずれも被告人の低血圧に起因するものとみられるのであって,被告人においても,低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していたことは,後記⑵でも触れるとおり明らかである。原判決は,上記各鑑定意見の結論部分にのみ依拠して,被告人がかねてから度々訴えていためまいと低血圧との関連性を指摘した部分を考慮しなかったことなどにより,重要な前提事実の認定を誤ったものといわざるを得ない。なお,原判決は,h医師は被告人に対して自動車の運転を控えるように注意したことはなかった旨証言しているとも説示しているが,そもそもh医師は被告人が自動車を運転していることを把握していなかった旨証言していることなどからして,その証言内容を適切に理解したものとはいえない。


被告人が低血圧を自覚していた事実等


原判決は,前記1⑵の事実中,被告人が,kセンターを訪れた際には,ほぼ毎回血圧を測定して,自分の最高血圧が100㎜Hgを下回る低血圧であることを認識した場合にはめまい等の症状が生じると考えて入浴を控えるなどしていた事実について,この事実は,被告人が低血圧を自覚した際には生活上の注意が必要になることを認識していたことを意味するにすぎず,それを超えて,被告人が自動車運転中の意識障害の危険を予見していたことを推認させるものではない旨判断説示している。
しかし,被告人は,自分の血圧が低いということだけでなく,低血圧によるめまいの症状があることなども自覚していたからこそ,血圧が低いと感じた場合にはめまい等の症状が生じると考えて,kセンターでの入浴さえ控えるなどしていたのであり,このような事実の存在は,被告人において,低血圧を自覚した際に生活上の注意が必要になると認識していたことを意味するにとどまらず,自動車の運転中に正常な運転が困難な意識状態に陥る危険をも予見可能であったと認定し得る1つの事情とみるのが合理的である。原判決は,生活上の注意と運転行為とを殊更切り離し,被告人が低血圧によるめまいの症状を自覚していたことを過小評価して不合理な判断に至ったものといわざるを得ない。


また,原判決は,前記1⑵の事実中,kセンターでの体調不良の事実について,被告人は同センターで体調不良に陥った際に意識障害に陥っていたわけではなく,また,入浴時と自動車運転時とでは血圧変動等による体調不良の原因が全く異なることから,入浴時の体調不良の事実は,自動車の運転中に低血圧による意識障害が生じる危険を被告人に予見させるものとはいえない旨判断説示している。
しかし,被告人が平成29年11月頃に低血圧で倒れた際の状況は,意識消失等の状態にまでは至らなかったとはいえ,一時的に意識レベルが相当程度低下した状態に陥ったことをうかがわせるものであり,低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた被告人において,自動車の運転を厳に差し控えるべきであることに思い至る契機の1つにはなり得たものと理解するのが合理的であって,時期は明らかではないが,体調不良で自動車の運転ができなくなり,lに迎えを頼んだことがあったとの事情についても同様である。原判決が,入浴時の体調不良の事実は,自動車の運転中に低血圧による意識障害が生じる危険を予見させるものではないとする点も,入浴時の血圧の変化と自動車運転時の血圧の変化についてf医師が一般論として証言した内容等に依拠したものであるが,被告人には低血圧によるめまい等の症状が入浴時に限らず,日常生活の中で随時生じていたとみられることなどからすると,その判断に合理性があるとはいえない。


2度の物損事故の事実等


原判決は,前記1⑶の事実中,被告人が2度の物損事故を起こしたとの事実も,これらの事故の直接の原因は,被告人が運転時の状況判断や運転操作を誤ったことであるから,被告人に自動車運転中の低血圧による意識障害の危険を予見させる契機となるものではない旨判断説示している。しかし,1月5日の物損事故は,路地を左折する際に自車の左側面を電柱に接触させたというものであり,また,1月6日の物損事故は,自車を後退させて自宅の駐車場に駐車する際,ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えて自車を後方のブロック塀に衝突させたというものであって,これらの事故の直接の原因が意識障害とは無関係であったとしても,本件事故の数日前にこのような単独での自損事故を2日続けて起こしたということ自体,被告人の運転行為が事故の危険性を増していたことを強く示すものといえるのであるから,かねてから低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた被告人にとっては,自動車の運転中にめまいによる意識レベルの低下等を生じた際に重大な事故に至る危険を一層強く予見し,自動車の運転を厳に差し控えるべきであることに思い至る重要な契機になり得たものとみるのが合理的である。原判決は,2度の物損事故の直接の原因にのみ着目したため,この点に関する評価を誤ったものといわざるを得ない。

また,原判決は,前記1⑶の事実中,平成29年の年末以降,被告人にめまいを含む体調不良があった事実について,被告人は,平成30年1月6日にはkセンターに出掛けており,本件事故当日である同月9日の朝も,被告人としては,同月6日と同じように,車で出掛けられる体調であると認識していた可能性が高く,本件事故直前の体調不良の事実によっても,被告人が自動車運転中の意識障害の危険を予見できたとはいえない旨判断説示している。
しかし,自動車を運転して外出したからといって,被告人が自動車を安全に運転するのに問題のない体調であると認識していたとは限らない。被告人は,1月6日の物損事故を起こし,家族から自動車の運転をやめるよう強く言われていたことから,本件事故当日,lが起床するよりも早く自宅を出て行こうとしていたことがうかがわれ,mから,実際に,運転をしては駄目だと強く説得を受けていた最中であったにもかかわらず,運転を開始したという経緯や2度の物損事故を起こしている点等に照らせば,被告人が,自らの体調について,安全な運転をすることが可能な状態かどうかを判断した結果,運転に及んだと認定することはできない。そうすると,平成29年の年末から本件事故当日に至るまでの体調の点は,かねてから低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた被告人にとって,少なくともそうした自覚と異なる状況が生じたことをうかがわせるものといえないことは明らかであって,この点に関して原判決が説示するところを逐一検討しても,自動車の運転中に正常な運転が困難な意識状態に陥る危険を予見できたとみることの妨げとなるような事情は見当たらない。ウ
さらに,原判決は,本件事故に対する予見可能性を否定する方向に働く事情として,被告人が,本件事故より前には,自動車運転中に意識障害を起こしたことがないとの事実が挙げられる旨説示し,また,高齢者には,一般の自動車運転者と比較して,めまい等の症状が生じた場合には自動車を安全に運転する能力が低下する傾向があることは認められるものの,被告人に生じていためまいは,意識障害の危険につながるものではないとして,被告人が自動車運転中の意識障害の危険を予見できたとはいえない旨判断説示している。
しかし,そもそも,めまい自体が自動車の正常な運転を困難ならしめる意識レベルの低下を伴う症状であることが認められるのみならず,本件事故直前に被告人が陥った低血圧に起因するとみられる意識障害の状態は,被告人がかねて度々訴えていためまいの症状と医学的に見て質的に異なるものではなく,このような状態に陥る危険を予見することは可能であったことを裏付ける事情があることは,既に説示したとおりであって,本件事故の前には自動車の運転中に意識障害を起こしたことがないというだけで,この判断は揺らがないというべきであるから,本件事故に対する予見可能性が否定されることにはならない。
なお,原判決も説示しているように,被告人は,平成29年6月3日に前橋市内の自動車学校で認知機能検査を受けた際に,

記憶力・判断力が少し低くなっている。

との判定を受けるにとどまり,同年9月15日には高齢者講習を終えて自動車運転免許を更新したことが認められるものの,更新の申請に際し,低血圧によるめまいの症状があることなどは申告していないことに加え,2度の物損事故を起こすなどした更新後の経過等をも併せてみれば,本件事故に対する予見可能性の有無や運転避止義務の存否に関する以上の判断は揺らがない。


家族による注意の事実等
原判決は,前記1⑶の事実中,被告人の同居家族であるl及びmが,本件事故の直前に至るまで,何度となく自動車の運転をやめるよう被告人に対して注意していた事実は,被告人に加齢に伴う運動機能及び体力の低下,2度の物損事故の原因として想定される運転操作や状況判断の誤りやすさを予見させるものであって,それらを理由として,自動車の運転を避けさせる契機となるものではあっても,低血圧による意識障害の危険を予見させるものではなく,そのような家族の注意によって被告人が自動車運転中の意識障害の危険を予見できたとはいえない旨判断説示している。しかし,l及びmが被告人に対して自動車の運転をやめるように注意していた理由は,被告人が高齢となって運転能力が全般的に低下していると感じたからであったとしても,被告人は,平成29年の年末から平成30年の元旦頃までの間に,lから改めて今後は自動車の運転をしないように言われ,自宅駐車場で1月6日の物損事故を起こしたことで,lらから自動車の運転をしては駄目だと更に強く言われた上,本件事故当日,自動車の運転を開始する直前にも,これに気付いたmから,運転しては駄目だと強く言われているのであり,このように,本件事故の直前に至るまで家族から自動車の運転をしないように繰り返し注意されていたこと自体,かねてから低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた被告人にとっては,2度の物損事故の事実とあいまって,自動車の運転を厳に差し控えるべきであることに思い至る重要な契機になり得たものとみるのが合理的である。原判決は,家族による注意の理由にのみ着目したため,この点に関する評価を誤ったものといわざるを得ない。



被告人が本件事故直前に意識障害に陥った原因
原判決は,被告人が本件事故の直前に意識障害に陥ったのは,服用していた薬の副作用等による大幅な血圧低下が原因である可能性があるとして,被告人が,そのような副作用等による意識障害を予見できなかったという事実も,本件事故に対する予見可能性を否定する方向に働く事情といえる旨判断説示している。
しかし,o医師は,その鑑定意見の中で,被告人がかねてからめまい等の症状を訴えていたことと,被告人がかねてからユリーフ及びフリバス(o医師は,これらがいずれも前立腺肥大の薬で,α遮断薬として血圧低下作用があるとしている。)を投与されていたこととの間には関連性があるのではないかと考え,鑑定留置中の被告人に対して実施した血圧連続測定運動負荷テストの結果も踏まえて,被告人が本件事故の直前に陥った意識障害の原因とみられる急激な血圧低下は,被告人がかねてから訴えていためまい等の原因と思われる低血圧と同様に,上記各薬剤の影響による可能性が高い旨を指摘しているのである(なお,o医師が前提としているとおり被告人が上記各薬剤の投与を受けていたことは,原審甲第65号証,当審検第7号証等から明らかである。)。そうすると,既に説示したとおり,被告人は,かねてから低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していたことからすれば,自動車の運転中にかねてからの低血圧により意識障害の状態に陥る危険を予見可能であったものとみるのが合理的であって,その低血圧の原因が上記各薬剤の副作用である可能性を認識できたか否かは,上記判断を左右しないというべきである。原判決は,o医師の鑑定意見が,被告人のめまいと低血圧との関連性を踏まえたものであることを考慮しなかったことなどにより,この点に関する判断を誤ったものといわざるを得ない。
4
結論
以上のとおり,過失運転致死傷罪の成立を否定して被告人を無罪とした原判決の判断は,予備的訴因に記載されている事実をもってしても,本件事故に対する予見可能性があったとは認められないとの理由により,運転避止義務の存在自体を否定した点で事実の誤認があり,この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
事実誤認の論旨は理由があり,その余の論旨について判断するまでもなく,原判決は破棄を免れない。
第3

破棄自判
そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法4
00条ただし書を適用して被告事件について更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は,平成30年1月9日午前8時25分頃,前橋市(住所省略)所在の被告人方駐車場において,普通乗用自動車の運転を開始するに当たり,かねてから低血圧により度々めまいを生じたことなどがあった上に,医師や家族から自動車の運転をしないように注意されてもいたのであるから,自動車の運転は厳に差し控えるべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,漫然同車の運転を開始した過失により,その頃,同市(住所省略)付近道路をb町方面からc町方面に向かい時速約60ないし65㎞で進行中,低血圧により意識障害の状態に陥り,自車を右斜め前方に進行させて,同市(住所省略)付近道路右側の車道外側線を対向進行してきたA(当時16歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどした上,自車を同所付近道路右側路外に設置された縁石等に衝突させて自車を横転させるなどして,A運転の自転車の後方から対向進行してきたB(当時18歳)運転の自転車に自車を衝突させるなどし,よって,Bに入院加療202日間を要する脳挫傷等の傷害を負わせるとともに,Aに脳挫傷等の傷害を負わせ,同月31日午後6時18分頃,同市(住所省略)所在のd病院において,Aを前記傷害に基づく低酸素脳症により死亡させたものである。(証拠の標目)
(省略)
(事実認定の補足説明)
前記第2で説示したとおり,主位的訴因に記載されている事実のみでは被告人に運転避止義務があったと認めるに十分ではないとしても,これに若干の補正を加えた予備的訴因に記載されている事実におおむね沿う本件の事実関係を総合すれば,被告人に運転避止義務があったことは優に認められるから,判示のとおりの罪となるべき事実を認定した。なお,原審弁護人は,本件事故当日の運転開始時点において,被告人はかねてから患っていた前頭側頭型認知症の影響により心神喪失の状態にあったとも主張していたことから,この点について付言しておくと,p医師の鑑定意見を始めとする関係証拠によれば,本件事故当時,被告人は認知機能が軽度に障害されていたことが認められるにとどまり,被告人がかねてから前頭側頭型認知症を患っていた事実は認められず,o医師の鑑定意見中,上記認定に反する部分は採用できない。被告人の従前の生活状況,本件事故当日の行動,捜査段階から原審公判段階に至るまでの供述状況等から見ても,本件事故当日の運転開始時点において,被告人が心神喪失の状態になかったことはもとより,心神耗弱の状態にもなかったことは明らかである。(法令の適用)
被告人の判示所為は被害者ごとに自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律5条本文に該当するところ,これは1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,刑法54条1項前段,10条により1罪として犯情の重い過失運転致死罪の刑で処断することとし,所定刑中禁錮刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮3年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中340日をその刑に算入し,原審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
被告人は,かねてから低血圧によるめまいの症状があることなどを自覚していた上に,家族から自動車の運転をやめるように再三注意されるなど,自動車の運転を厳に差し控えるべきであることに思い至る契機となる事情も多々あったにもかかわらず,判示のとおりの身勝手な判断に基づく一方的な過失によって何ら落ち度のない2名の被害者A,Bを死傷させる重大な事故を起こしたものである。16歳という若さで前途を絶たれた被害者Aの無念の胸中は察するに余りあり,その両親ら遺族の悲しみの深さは計り知れない。また,202日間の入院加療を要する重傷を負った被害者Bがその心身に受けた苦痛も極めて大きく,その両親ら家族の生活に及ぼした影響も深刻である。Aの母及びBの父がそれぞれの心情を述べる中で,被告人に対して厳しい処罰を求めているのも至極当然のこととして理解することができる。被告人の刑事責任は相当に重いというべきである。そうすると,被告人の長男夫婦が本件事故を防げなかったことの責任を痛感して,反省と謝罪の言葉を述べており,現在施設に入所中の被告人も,自分自身の責任を理解した上で,文書で謝罪の気持ちを明らかにしていること,被告人運転車両に付されていた対人賠償額無制限の任意保険により相応の賠償が見込まれるほか,当審弁護人を通じて,保険外での見舞金の支払を約束し,一部は支払を済ませていることなど,被告人のために酌むべき事情も認められることを十分考慮しても,相当期間の実刑は免れないものと判断し,主文のとおりの刑を量定した。
よって,主文のとおり判決する。
(原審における検察官の求刑

禁錮4年6月)

令和2年11月25日
東京高等裁判所第8刑事部
裁判長裁判官

近藤宏子
裁判官

小川賢司
裁判官

仁藤佳

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