判例検索β > 令和1年(う)第1922号
保護責任者遺棄致死
事件番号令和1(う)1922
事件名保護責任者遺棄致死
裁判年月日令和2年9月8日
裁判所名・部東京高等裁判所  第1刑事部
結果棄却
原審裁判所名東京地方裁判所
原審事件番号平成30合(わ)149
裁判日:西暦2020-09-08
情報公開日2020-10-02 16:00:21
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令和2年9月8日宣告
令和元

1922号

東京高等裁判所第1刑事部判決
保護責任者遺棄致死被告事件
主文
本件控訴を棄却する
当審における未決勾留日数中280日を原判決の刑に算入する。

第1


控訴の趣意等

本件は,被告人が,夫であるA(以下Aという。,子である当時5歳)
の被害児童らと共に居住していた東京都目黒区内の被告人及びA(以下被告人らという。)方において,平成30年1月下旬頃から,同児に対し,必
要十分な食事を与えずに,同児を栄養失調状態に陥らせるとともに,健常児の平均体重よりも大幅に体重を下回らせてその免疫力を低下させ,細菌感染を惹起しやすい状態にさせたり,Aが同児の顔面を手で叩くなどしていることを知りながら,やめるよう言うのみで結果的に容認するなどの虐待等を加えていたものであるところ,同年2月27日頃には,同児が嘔吐し,極度に衰弱するのを認めたのであるから,その生存を確保するため,医師の診察等の医療措置を受けさせるなどの保護を与えるべき責任があったのにもかかわらず,これを認識しながら,Aと共謀の上,その頃以降,同児に虐待等を加えていた事実が発覚するのを恐れ,同児に僅かな飲食物を与えるのみで,医師の診察等の医療措置を受けさせず,もって同児の生存に必要な保護を与えず,よって,同年3月2日午後6時59分,同児を低栄養状態及び免疫力低下に起因する肺炎に基づく敗血症により死亡させたという事案である。本件控訴の趣意は,主任弁護人甲及び弁護人乙作成の控訴趣意書,被告人作成の控訴趣意書並びに主任弁護人作成の控訴趣意補充書及び弁論要旨のとおりであり,
論旨は,
訴訟手続の法令違反及び量刑不当の主張である
(なお,
弁護人は,量刑事情に関する事実誤認の主張は量刑不当の一事情として主張するものである旨釈明した。。

そこで,
原審記録を調査し,
当審で取り調べた情状事実を含めて検討する。
第2
1
訴訟手続の法令違反の主張について
弁護人は,原審弁護人がした精神鑑定請求を却下し,これに代わる原
審弁護人請求証人であるB(以下B医師という。
)の証言範囲を制限した
原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があると主張する。
2
原審記録により認められる手続経過は以下のとおりである。



原審弁護人は,公判前整理手続において,責任能力を含む公訴事実を
争わない旨明らかにした上で,平成30年12月4日,いわゆる裁判員法50条1項に基づき,被告人の本件発生当時の心理状態等を鑑定事項とする精神鑑定を請求し,原審検察官は,同月12日,被告人の心理状態やそれを踏まえた被告人に対する非難可能性については,裁判官及び裁判員が一般的知識,
経験に基づいて十分判断することができ,
専門的知見は必要ないとして,
上記鑑定請求は却下されるべきであるとの証拠意見書を提出した。これを受け,原審裁判所は,同月14日,本件鑑定請求を却下し,原審弁護人による異議申立ても棄却した。


原審弁護人は,令和元年6月14日,
被告人の本件当時の精神的・心理的状態,それが本件に与えた影響の程度等を立証趣旨とするB医師の証人尋問を請求し,原審検察官は,同月18日,作為可能性,責任能力の認定に関して不当な影響を与えるため法的関連性を欠くことなどを理由として,上記証人尋問請求に異議がある旨の証拠意見書を提出した。
原審弁護人は,同年8月6日に行われたB医師と訴訟関係人による打合せ(カンファレンス)の際,責任能力や作為可能性に疑いを生じさせる尋問や証言を控えること及び公判に現れた事実について一般的知見に基づき解説をするという形で証言することを求める原審裁判長の発言を受け,上記立証趣旨を

心理的DV(配偶者等近い関係にある者からの暴力を意味する略称である。)があった場合の心理状態及びそれが行動に与える影響

と変更した。原審検察官は,同月19日,法的関連性を欠き異議があることなどを内容とする証拠意見書を提出した。
これを受け,原審裁判所は,第2回公判前整理手続期日(同月27日)において,変更後の立証趣旨に限定してB医師の証人尋問を採用し,原審検察官による異議申立てを棄却するとともに,Aによる強固な心理的支配の程度が被告人の非難可能性に与える影響を争点の一つとして設定し,第4回公判(同年9月6日)にその証人尋問を実施した。
3
以上によれば,保護責任者としての作為可能性及び責任能力を含めた
公訴事実を争わずAの心理的DVにより被告人が強い心理的支配を受けていたことが被告人に対する非難可能性を減少させるものであるとの原審弁護人の一貫した応訴態度を前提に,原審裁判所は,被告人の本件当時の心理状態及びこれを踏まえた被告人に対する非難可能性の程度については,Aと被告人との関係性を含めた本件に至る経緯が明らかにされることにより,精神鑑定に基づく専門的な知見を得ることなく,裁判官及び裁判員が一般的知識,経験に基づいて十分判断することができ,
かつ判断すべきものであるとして,
上記精神鑑定請求を却下したと解されるのであり,この判断に裁量の逸脱はない。
そして,被告人の本件当時の心理状態及びこれを踏まえた被告人に対する非難可能性の程度を公判に現れた事実を基に判断するとの前提に立つ以上,その判断に資する参考意見を聴取するために採用・実施したB医師の証人尋問において,裁判官及び裁判員が判断の基礎とする事実の範囲内で証言を得るのは当然の前提であり,その範囲を超えた事実を基に証言がされることのないようB医師の証言範囲を制限した原審裁判所の措置に何ら違法不当な点は見当たらない。
弁護人は,Aから長期間かつ過酷・執拗な心理的DVが繰り返された本件において,被告人の強固な心理的支配の程度を明らかにするためには専門家の知見が不可欠であるなどと主張するが,上記のように,この問題は責任能力に関するものではなく,刑の量定に当たり事実関係を踏まえて法的に評価される非難可能性の程度を判断することに関するものであるから,専門家の知見を不可欠とするものではない。
訴訟手続の法令違反の主張は理由がない。
第3
1
量刑不当の主張について
弁護人は,被告人を懲役8年(求刑懲役11年)に処した原判決の量
刑は重過ぎて不当であると主張する。
2
原判決の判断は,要旨,次のとおりである。



犯行全体の事情


虐待の苛烈さ

当時5歳であった被害児童の体重は,平成30年1月4日(以下,月日は平成30年を指す。
)時点で16.66キログラムであり発育に問題はなく,
同月23日時点においても少なくとも同程度の体重があったと思われ,年齢相応の体型であったのに,被告人らによる厳しい食事制限の結果,死亡時の被害児童の体重は約12.2キログラムとなっており,わずか1か月余りの間に体重の約25パーセントが失われ,解剖時の所見等からも異常な痩せ方をしていたことが認められるから,被告人らによる食事制限が明らかに不相当で苛烈なものであったといえる。

不保護の態様等

被告人らは,被害児童の生存の維持が被告人らに委ねられている状況にあったのに,被害児童が嘔吐するなどし,要保護状態になっていることを認識しながら,Aが被害児童に暴行を加えたことや被告人もその存在を知りつつ適切な対応をしなかったことなどの事実が発覚することを恐れ,以後,死に至るまでの約3日間,被害児童が連日嘔吐し食事を受け付けず,3月1日に被害児童を風呂に入れた際には被害児童が異常な痩せ方をし傷を負っていることを被告人においても目にし,翌2日には被害児童が更に重篤な状態に陥っていることを認識してもなお,自分たちだけで対処しようとして,被害児童の心肺が停止するまで,医療措置を受けさせなかった。不保護の態様は悪質で,その意思決定も強い非難に値する。
Aが2月下旬頃の暴行までの間,しつけと称して,週に一,二回,多い時には2日に1回くらい,被害児童の頭を平手で叩いたり,足を足蹴りしたりするなどの暴行を加えていた事実があったと認められるが,
被告人において,
Aの暴行をどの程度認識していたかについては,証拠上必ずしも明確ではなく,被告人が認識したという暴行も,被告人の捜査段階の供述と公判供述とで,その時期等に食い違いがある。しかし,被告人の公判供述によっても,少なくとも,被害児童が要保護状態に陥る前に,Aによって被害児童の顔面がひどく腫れるような暴行が行われたことを認識しながら,被告人においてやめてとは言ったものの,それ以上に適切な措置を講じず,結果的にAの暴行を容認する状態になっていたことには変わりがなく,そのことが被告人において,被害児童に医療を受けさせなかった事情の一つと認められるから,その限度で考慮した。

被害児童の受けた身体的,精神的苦痛

養親であるAのみならず,大好きだった実母である被告人からも苛烈な食事制限を受け,痩せ細り,嘔吐し,身体が食事を受け付けなくなり,意識も薄れ重篤な状態になってもなお医療措置を受けさせてもらえないまま死亡するに至った被害児童が感じたであろう苦しみ,悲しみ,絶望感は察するに余りある。

小括

被告人らによる不保護の犯情はかなり悪く,本件は児童虐待による保護責任者遺棄致死の事案の中でも,重い部類に属するというべきであり,被告人もその中で相応の役割を果たしたといえる。


Aからの心理的影響について


被告人が被害児童に対して苛烈な食事制限を行い,要保護状態に陥っ
た被害児童を保護しなかったことについては,看過できないAからの心理的影響があったと認められる。すなわち,被告人は,平成28年4月頃の結婚直後より,Aから,長時間の説教を頻繁に受け,自分を否定され,反省の態度を要求されるなどしており,時には叩かれるなどの暴行もあったこと,被害児童のしつけに関しても,一方的に意見を押し付けられ,Aが被害児童の腹を蹴ったことにショックを受けやめるように懇願した際も一顧だにされず,母子らしい接触や年齢相応の手助けをすることさえ否定されていたことを供述するが,その信用性を否定すべき事情はないことに加え,A自身が,被告人は自分に反発したり意見を言ったりできないような状態であったことを認めていること,香川時代に関わりのあった医師が,被告人は自己評価が低く夫からの精神的影響が大きいと指摘していること,虐待やDVの専門家医師も心理的DVに該当する旨証言していることなどから,
被告人は,
本件当時,
Aから心理的DVを受け,Aからの心理的影響を強く受けていた状態であったことは否定できない。このような状態の被告人が,Aから被害児童に対して厳しい食事制限をする旨申し向けられた際,Aに逆らえずこれに従ってしまった面は否定できない。被害児童に医療措置を受けさせないままにしたことについても,被告人としては,病院に連れて行った方がいいと思ってAに尋ねたものの,Aから目のあざが治ったら連れて行こうかと言われてこれに従い,被害児童の容体が悪くなる中で心配になってAに相談した際,大丈夫などと言われたことで,それ以上の行動に出ておらず,Aに従属する関係が見て取れる。
被告人としては被害児童に医療措置を受けさせたかったが,
そうするとAによる説教や虐待が更にひどくなると思ってAに従ってしまった面が否定できない。このように,Aからの心理的DVの影響により被告人がAの意向に従ってしまった面があることは,量刑上,適切に考慮すべきである。

もっとも,被告人は,上京後,Aが被害児童に暴力を振るうのを見て
やめるように言ったり離婚を切り出すなど抵抗の態度を示したりしたこともあったし,Aの与える食事だけでは足りないと判断して,Aの目を盗んで体重が増えない限度ではあるが食事を与えていた,早起きの課題についても,実際には午前7時半頃に起きていたがAにチェックされたときのために午前4時頃に起きたように装っていたのであり,Aの言動で受け入れられないことがあった場合に自らの意思に基づいて行動することができていたといえる。Aからの心理的DVにより逆らいにくい面はあったにせよ,最終的には,自らの意思に基づきAの指示を受け入れた上で,これに従っていたと評価するのが相当である。そうすると,被告人がAにより心理的に強固に支配されていたとまではいえず,特に,被害児童が要保護状態になって以降の最後の場面では,Aの態度は軟化し,被告人においても,Aの存在が被害児童のストレスになると考え,
Aに外出するように言うなどすることができていた一方,
被害児童の衰弱の状況は明らかで,これを助けるためAによる心理的影響を乗り越える契機があったというべきであるから,この点を被告人の責任を大幅に減じるほどの事情と見ることはできない。

被告人は,被害児童の心肺が停止するまで一度も医療措置を受けさせ
るための行動に出ることはなかったことについて,Aから殺されるなどの報復を受けることを恐れたからであるとも供述するが,現実には,暴力をやめるよう言うなどした際にも強度の暴行脅迫を受けたようなことはなく,Aからの報復が,医療措置を受けさせようという動機の形成を困難にするほど切迫したものであったとは認められない。


結論
被告人らによる食事制限は苛烈で,不保護の態様等も悪質であって,被告人も相応の役割を果たしていることからすると,被告人の行為は厳しく非難されるべきであるものの,食事制限を行ったり医療を受けさせなかったりしたことには,Aの心理的影響があって,その意向に従ってしまった面が否定できず,Aの意向に正面から反しない範囲ではあるが,被告人が被害児童の苦痛を和らげようとする努力は行っており,不保護の場面でも,添い寝をしながら看病をしており,全く放置したわけではないことからすれば,検察官が主張するような極めて強い非難が妥当する事案とまではいえず,被告人が,
我が子を死に至らしめたことを深く悔やみ反省していること,Aとは離婚し被害児童の弟の親権者となっており,今後その子を扶養すべき責任を負っていること,被告人の父が出所後の被告人を支える旨証言していることを考慮し,被告人を前記の刑に処した。
3
原判決の指摘する量刑事情の認定・評価及びそれに基づく刑の量定は
相当であって,原判決時において,その量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。


弁護人は,保護責任を有する被告人が保護義務を尽くさず,要保護状
態にある被害児童に医療措置を受けさせることができなかったのは,被告人が,本件当時,Aによる心理的DVの影響を強く受け,適法行為の期待可能性が著しく減退した状態にあったからであるにもかかわらず,原判決は,被告人の複雑な心理状態を単純化された短絡的なものと理解してその心理的影響を著しく過小評価していると主張する。
しかしながら,原判決は,被告人の原審公判供述等に基づき,被告人が平成28年4月頃の結婚直後よりAから心理的DVを受け,本件当時もAからの心理的影響を強く受けていた状態にあることを認定し,上記2⑵アのとおり,被告人が被害児童に対して苛烈な食事制限を行い,要保護状態に陥った被害児童を保護しなかったことについて,Aによる心理的DVの影響により被告人がAの意向に従ってしまった面があり,これを量刑上適切に考慮すべきであると評価している。その上で,原判決は,同イ及びウのとおり,被告人が,最終的には,自らの意思に基づきAの指示を受け入れて従っていたことを示す事情が認められることを踏まえて,被告人がAにより心理的に強固に支配されていたとまではいえず,特に被害児童が要保護状態に陥ってからのAの態度や被害児童の衰弱状況からすれば,Aの心理的影響を乗り越えて被害児童を助ける契機があったといえると評価し,Aの意向に従ってしまった面を,被告人の責任を大幅に減じるほどの事情と見るべきではないと結論付けている。このように,原判決は,被告人が保護責任者としての義務を果たすことを期待することができたかについて,被告人の当時の心理状態を前提として認定した諸事実に基づき的確に認定して適切に評価しており,その判断に誤りはない。
補足すると,原審関係証拠によれば,被告人は,2月上旬頃,Aに暴行をやめるよう言った出来事に続き,Aに離婚を持ち掛けたこと,被害児童の食事についてAの指示に従っていたが,足りないと思ったので,Aのいないときにご飯やパンを与えていたこと,Aが被害児童に課した午前4時の早起きも,実際には午前7時半頃起床していたのに,起床時刻をごまかしてメモに書き,Aに報告していたこと,同月27日頃に被害児童が嘔吐したことをAから聞き,Aに被害児童を病院に連れて行きたいと伝えたこと,被害児童がご飯を食べたくないと言い出し,翌日も被害児童が嘔吐したとAから聞くとともに,その頃には被害児童の体重が約13キログラムまで落ち,同月28日の被害児童の体温も平熱(36度4分から36度5分)よりやや高い37度1分であったことを認識していたこと,3月1日頃には,被害児童が再び嘔吐し,被告人は,汚物で汚れた被害児童の身体を浴室で洗い流す際,その背中の辺りに傷があり,肌がガサガサしていて,あばら骨も浮き出ており,胸,足などの脂肪がなく痩せ細っていたのを見たこと,その頃,被害児童は一人で歩くことはできるものの壁に手を当てるような状態であったこと,被害児童がAの指示で毎日記載していた上記メモは同月27日が最後になっているところ,
同月28日以降,
Aは被害児童に強く記載を求めていないこと,
3月2日には,被告人が,Aの存在が被害児童のストレスになると考えてAに外に出るよう伝えると,
Aが息子と共に外出したこと,
同日午後になると,
被害児童が一人で歩けず被告人が手を引いてトイレまで連れて行くような状態になるなど,
被害児童の体調がますます悪化していったことが認められる。
加えて,被告人は,2月27日に,被害児童を病院に連れて行きたいとAに告げた際,Aからあざが消えたら病院へ連れて行く旨言われ,これに従って3月2日に被害児童の心臓の鼓動が止まったことに気付くまで病院へ連れて行かなかった理由について,Aからの報復が怖かった旨述べる一方で,Aのみならず自分も逮捕されると考えた旨も述べている。このような事実によれば,Aによる心理的DVに基づく影響は,被告人の行動を支配するような,あるいは,被告人がAに逆らうことを全く許さないような強固なものではなかったと認められる。特に,2月27日頃以降は,Aが,これまでの対応と異なり,被告人の言を聞き入れるなどして被害児童と接する態度を見せていた上,被告人も,被害児童が痩せ細り食欲もなく嘔吐を続けているという重篤な状態に陥っていることを認識していたのであるから,被告人が,Aによる心理的DVに基づく影響があったとしても,母親として被害児童を助けるために同児に医療措置を受けさせるという行動を選択することは十分に可能であったと認められる。すなわち,被告人において,約3日間という一定の期間,適法行為の期待可能性が著しく減退した状態が継続し,被害児童に医療措置を受けさせることができなかったなどということはできない。結局,被害児童を保護しなかった被告人に対する非難の程度を量る上で,Aによる心理的支配の影響を考慮するにしても,限界がある。


弁護人は,被告人が,被害児童がAにより自宅の浴槽に閉じ込められた状態になっていた2月24日の出来事(以下
浴槽閉じ込め事件
という。

を目撃したことについて,その直後から記憶を喪失し,原判決後にその記憶を喚起したことは,本件当時,急性ストレス反応による解離性健忘の状態に陥り,以後,現実認知及び現実検討力が著しく低下し,被害児童が要保護状態にあることを正確に認識することが困難な状態になっていたことを示しており,適法行為の期待可能性が著しく減退していたことは明らかであると主張する。
しかしながら,上記⑴において,当裁判所が原審関係証拠から認められると指摘した諸事実,特に2月27日頃以降の事実関係によれば,被告人は,Aによる心理的DVに基づく影響があったとしても,同日頃以降の被害児童の重篤な状態を認識していたことが明らかである。そうすると,本件当時,被告人が,弁護人が主張するように急性ストレス反応による解離性健忘の状態に陥っていたとしても,上記の事実が認められる以上,被害児童が要保護状態にあることを被告人が正確に認識することが困難な状態になっていたことにつながるとはいえない。結局,被告人が浴槽閉じ込め事件を目撃した記憶を喪失していたことが,当審において明らかになり,本件当時,被告人の心理状態が,原審が前提としていたものより悪化していたとしても,被害児童が要保護状態にあることを正確に認識することが困難な状態であったとは認められないから,被告人の心理状態の悪化がAによる心理的DVに基づく影響の程度に関する原判決の評価を左右するものとはいえない。


弁護人は,Aによる被害児童に対する暴行が被告人に対する心理的D
Vを構成しているため,その影響の程度を適切に評価するには,上記暴行を詳細に認定する必要があるが,原判決の認定はあいまいであると主張する。しかしながら,原判決は,上記2⑴イのとおり,Aによる被害児童に対する暴行を認定しているところ,原判決が概ね指摘するとおり,Aの警察官調書抄本(原審甲51)及び検察官調書抄本(同甲52)には,Aが,被害児童をしつけるために,2年くらい前から,被害児童の頭を平手で叩いたり足を足蹴りしたりする暴行を週に一,二回,多い時には2日に1回くらい続けていた旨,2月下旬頃(本件の数日前)
,被害児童の顔面を何度も殴った旨の
供述記載があるところ,死亡時の被害児童の全身に新旧混在する多数の皮下出血等があること(同甲57)や解剖等の写真からすると1回ではなく少なくとも数日から数週間にわたって受傷があったと考えられること(Cの原審証言)は,上記供述記載に整合するものである。上記の限度でAによる暴行を認めた原判決に誤りはない。
弁護人は,原判決が,Aによる被害児童に対する暴行の詳細を認定せず,その苛烈な暴行が被害児童の死因に与えた影響を具体的に判断していないと主張する。しかしながら,本件の訴因は保護責任者遺棄致死であり,Aによる暴行と被害児童の死亡との間の因果関係を問題とする傷害致死とは異なる。弁護人の主張は,被害児童に対して上記のような暴行を加えたAが,被害児童を要保護状態に陥れた原因形成に大きく寄与したことを指摘するものにすぎず,当を得ない。


弁護人は,被告人が,Aの被害児童に対する暴行を結果的に容認して
いた事実を認定し,直接暴行を加えておらず,暴行についてAと共謀せず,その一部を目撃したにすぎない被告人が相応の役割を果たしたと評価した原判決には,量刑に重大な影響を及ぼす事実の誤認があると主張する。しかしながら,被告人の検察官調書(原審乙7)には,2月26日か27日の朝,被害児童の両目の周りが青くなってあざになっているのを見た,そのあざを見て,いつのことかは分からないがAが手の指の甲の部分で被害児童の目の辺りを三,四回くらい叩いている場面を思い出し,Aにやり過ぎやから,本当にやめてくださいなどと言った旨の供述記載があるのに対し,
被告人の原審公判供述の内容は,同月1日か2日頃,Aが被害児童の目の辺りを手の甲で叩くのを1回見た,叩く音を2回聞いた,翌日朝に被害児童の目がすごく腫れていたのを見てAにやめてと言った,目のあざは同月20日頃には消えかかっていた,同月25日頃から27日頃辺りに,被害児童の目の周りが落ちくぼんでいる感じで,
あざが黒くなっているのに気付いた,
Aの暴行の影響等を考えたが,Aに追及等することはなかった,同月下旬頃のAの暴行は見ていないというものである。Aによる暴行の時期について上記のような供述の食い違いを踏まえても,被告人の原審公判供述により,被告人が,2月初旬頃に,Aによって被害児童の目の辺りがひどく腫れるような暴行が行われたことを目撃したのに,Aに対しやめてと言うのみでそれ以上の措置を講じず,同月下旬頃に被害児童の顔面の状態が悪化したことを認識しAによる暴行を疑ったもののAに追及等していないことなどから,被告人がAによる暴行を結果的に容認したことが認定できる。被告人も,外出から帰宅した際に,Aから,被害児童にいつもと変わらないしつけをしたと聞き,自ら残念だねと発言したことがあることなどを根拠に,Aによる暴行を分かっていながら見過ごしていたという趣旨で,結果としてその暴行を容認した旨原審公判で自認しており,自ら上記認定を裏付ける供述をしている。そうすると,被告人は,Aの被害児童に対する暴行を結果的に容認し,被害児童が重篤な要保護状態になって以降は,被害児童の状況を認識しながら,
約3日間にわたり,
外出した時間帯を除き,
被害児童の身近に居て,
いつでも保護義務を尽くすことができる立場にあったのであるから,本件犯行に至る経緯のみならず犯行態様そのものにおいても,被告人が相応の役割を果たしたと評価することができる。原判決の判断に誤りはない。弁護人は,食事制限を主導したのはAであり被告人の関与は著しく低く,不保護の場面でも,被告人に被害児童を放置する意図はなかったのであり,被告人は従属的であったと主張するが,被告人が,被害児童と同居し,その身近に居たにもかかわらず,同児の体重が日々減少していくのを目の当たりにしても,同児に必要十分な食事を与えることをせず,同児が嘔吐するなどして衰弱した状態にあることを認識しながらも,約3日間にわたり,その生存に必要な措置を講じなかったのであるから,その関与が低い,あるいは従属的であったとはいえない。


弁護人は,①不保護による被害児童の死亡について,児童相談所等の
関係機関にも責任がある,②被告人が,原審後に改悛の情を深めているとも主張する。しかしながら,①については,原審関係証拠を精査しても,児童相談所等の対応に被告人の責任を減じるほどの落ち度があったとはいえない。②については,当審における事実調べの結果によれば,被告人が,原判決後も,被害児童を死なせてしまったことを深く反省し,贖罪のために,自分にできる活動に取り組む決意をしていること,その反省等の現れとして,自身のDV体験を綴った著書を出版し,その印税を原資に,DVや児童虐待の防止に向けた活動等をしている3つの団体に合計150万円を寄付したことが認められるが,この事情を踏まえても,原判決の量刑を左右しない。その他,弁護人がるる主張する点はいずれも原判決の量刑を左右する事情ではない。

第4

結局,量刑不当の主張は理由がない。
結論

よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審における未決勾留日数中280日を原判決の刑に算入し,当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。
(検察官瀬戸真一,私選弁護人甲(主任)
,同丙

各出席)

令和2年9月8日
東京高等裁判所第1刑事部

裁判長裁判官


園敦


裁判官


裁判官

丹森田恵樹羽芳

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