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損害賠償請求事件
事件番号平成27(ワ)2850
事件名損害賠償請求事件
裁判年月日令和2年9月16日
裁判所名・部福岡地方裁判所  第1民事部
裁判日:西暦2020-09-16
情報公開日2020-09-25 16:00:20
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令和2年9月16日判決言渡

同日原本領収

裁判所書記官

平成27年(ワ)第2850号,同第3963号
口頭弁論終結の日

損害賠償請求事件

令和2年6月3日
判主1決文
被告らは,原告Aに対し,連帯して,1700万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2
被告らは,原告Bに対し,連帯して,440万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3
被告らは,原告Cに対し,連帯して,440万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

5
訴訟費用は,これを4分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告らの負担とする。

6
この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。事
第1
1実及び理由
請求
被告らは,原告Aに対し,連帯して,2365万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2
被告らは,原告Bに対し,連帯して,550万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3
被告らは,原告Cに対し,連帯して,550万円及びこれに対する平成25年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2
事案の概要
Dは,平成2年9月から平成17年9月まで,被告太平ビルサービス株式会社(以下被告会社という。)に雇用され,その間,被告北九州市(以下被告市という。)が設置した北九州市立総合体育館(以下本件体育館という。)の設備の管理業務等に従事していたが,平成17年に肺がんにり患して肺の一部を切除し,平成25年9月14日(当時78歳),細菌性肺炎を原因とするARDSを死因として死亡した。
本件は,Dの相続人である原告らが,Dは本件体育館の石綿含有建材から発
生した石綿粉じんにばく露し,じん肺(石綿肺)及び肺がんにり患したことにより死亡したと主張して,被告市に対しては国家賠償法1条1項又は2条1項に基づき,被告会社に対しては民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)415条又は709条に基づき,原告Aについては2365万円(Dの死亡慰謝料の相続分2分の1,原告Aの固有の慰謝料,葬祭料及
び弁護士費用の合計額),原告B及び原告Cについては各550万円(上記慰謝料の相続分6分の1及び弁護士費用の合計額)並びにこれらに対する平成25年9月15日(Dの死亡日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める事案である。
1
関係法令の定め

(1)じん肺法2条1項3号は,同法における粉じん作業の意義について,当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると認められる作業をいう旨規定する。
(2)じん肺法4条1項は,じん肺のエックス線写真の像は,次のとおり第1型から第4型までに区分するものとする旨規定する。

第1型

両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり,
かつ,

大陰影がないと認められるもの

第2型

両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり,
かつ,

大陰影がないと認められるもの

第3型

両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり,

かつ,大陰影がないと認められるもの


第4型

大陰影があると認められるもの

(3)じん肺法4条2項は,粉じん作業に従事する労働者及び粉じん作業に従事する労働者であった者は,じん肺健康診断の結果に基づき,次のとおり管理1から管理4までに区分して,同法の規定により,健康管理を行うものとする旨規定する。


管理1

じん肺の所見がないと認められるもの


管理2

エックス線写真の像が第1型で,じん肺による著しい肺機能の

障害がないと認められるもの
ウエ
管理3

(省略)

管理4

(ア)エックス線写真の像が第4型(大陰影の大きさが一側の肺野の3分の1を超えるものに限る。)と認められるもの
(イ)エックス線写真の像が第1型,第2型,第3型又は第4型(大陰影の大きさが一側の肺野の3分の1以下のものに限る。)で,じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるもの

(4)じん肺法施行規則2条本文は,じん肺法2条1項3号の粉じん作業は,同施行規則別表に掲げる作業のいずれかに該当するものとする旨規定し,同別表24号は,上記粉じん作業の一つとして,石綿をときほぐし,合剤し,紡績し,吹き付けし,積み込み,若しくは積み卸し,又は石綿製品を積層し,縫い合わせ,切断し,研まし,仕上げし,若しくは包装する場所における作業を掲げる。2
前提事実(争いのない事実,顕著な事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。
なお,
証拠番号は特記なき限り枝番号を含む。


(1)当事者等(甲A1,B18,23,C1~6,乙イC1)

原告Aは,Dの妻(相続分2分の1)であり,原告B及び原告Cは,D
の子(相続分各6分の1)である。なお,Dには,原告B及び原告Cのほ
かにもう一人子がいる。

D(昭和10年2月15日生)は,建築物環境衛生管理技術者の資格を
有し,平成2年9月28日から平成17年9月30日まで,被告会社との間で正社員としての雇用契約を締結し,
被告会社の北九州支店に配属され,
本件体育館の設備の管理業務等に従事していた(以下,本件体育館でDが従事していた業務を本件業務という。なお,本件業務の具体的な内容については,当事者間に争いがある。)。
Dは,平成25年9月14日(当時78歳),細菌性肺炎を原因とするARDSを直接の死因として死亡した。


被告会社は,建物の管理及び清掃の請負等を業とする株式会社であり,
後記のとおり,被告市又はその関係団体の委託を受けて本件体育館内の設備の管理業務等を行っていた。

被告市は,本件体育館を設置した者であり,現在に至るまで本件体育館
を所有する者である。
(2)本件体育館(甲A2~4,6,7,18)

本件体育館は,北九州市a区に所在する総合体育館であり,昭和48年
に竣工し,昭和49年1月12日に開館した。
被告市は,平成2年度頃から平成9年度までは被告会社に,平成10年度から平成11年度までは財団法人北九州市教育文化事業団(現在の公益財団法人北九州市芸術文化振興財団)に,平成12年度から平成17年度までは財団法人北九州市都市整備公社(現在の公益財団法人北九州市どうぶつ公園協会。以下,財団法人北九州市教育文化事業団と併せて本件公社等という。)に,それぞれ本件体育館の設備の管理業務等を委託した(以下,これらの契約を総称して本件契約という。)。

被告会社は,平成2年度から平成9年度までは,被告市からの直接の委託を受けて,平成10年度から平成17年度までは,被告市から委託を受
けた本件公社等からの再委託を受けて,本件体育館の設備の管理業務等を行っていた。

本件体育館では,平成6年12月頃から平成7年6月頃までの間,大規
模な改修工事(以下大改修工事という。)が行われた。

本件体育館では,平成18年8月16日から同年12月6日までの間,
本件体育館の石綿含有建材(使用されていた箇所や石綿含有率等については,当事者間に争いがある。)の除去工事が行われた。
(3)被告会社が受託していた業務の内容等
(甲A2~4,
C7,乙イA1,
2)

被告会社は,被告市又は本件公社等から,電気設備保守業務,空調設備
保守業務,給排水・衛生設備及び危険物取扱業務,防災設備保守業務,放送設備操作業務,衛生害虫駆除業務並びに受水槽等の清掃業務等の委託を受けていた。

Dは,被告会社との間で,平成2年9月28日に正社員としての雇用契
約を締結し,それ以来,本件体育館の現場管理責任者として勤務し,本件業務に従事していた。
(4)Dの病状及び関連する訴訟等の経過(甲B1,2,18,21,23,C7,D9,10,13,14,乙イC1,ロA2)

Dは,平成17年7月,小倉記念病院に入院し,同月21日,同病院に
おいて原発性肺がん(腺がん)と診断され,その後,左肺下葉の摘出手術を受けた。Dは,同年9月30日,被告会社を退職した。
Dは,肺がんにり患したことが本件体育館における業務上の疾病に該当すると主張して,労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を請求したが,平成18年10月31日付けで不支給決定を受けた。

Dは,平成21年6月29日,E医師から,じん肺健康診断の結果,石
綿肺にり患しており,じん肺法上の管理4に相当する旨の診断を受けたため,同年9月24日付けで,じん肺法に基づく管理区分決定を求める申請
をした。
福岡労働局長は,同年11月2日付けで,Dはじん肺法上の管理1(じん肺の所見がないと認められるもの)に該当する旨の決定(以下本件管理区分決定という。)をした。Dは,本件管理区分決定を不服として審査請求をしたが,厚生労働大臣は,平成22年3月31日,同審査請求を棄却する旨の裁決をした。Dは,同年9月29日,福岡地方裁判所に,本件管理区分決定の取消し等を求める訴え(以下
本件行政訴訟
という。

を提起した。
Dは,本件行政訴訟が福岡地方裁判所に係属中である平成25年9月1
4日(当時78歳),細菌性肺炎を原因とするARDS(急性呼吸性窮迫症候群)を直接の死因として死亡した。
福岡地方裁判所は,本件行政訴訟につき,平成25年12月10日,Dはじん肺(石綿肺)にり患していると認められ,少なくともじん肺法の管理2に該当するとして,本件管理区分決定の取消しを求める部分を認容す
る判決(以下本件行政訴訟第1審判決という。)をした。
その後,国が上記判決のうち敗訴部分を不服として,福岡高等裁判所に控訴したが,同裁判所は,平成27年4月16日,Dが死亡したことを理由として,
本件行政訴訟第1審判決
(国家賠償請求に関する部分を除く。

を取り消し,訴訟終了宣言をした。しかし,最高裁判所は,平成29年4
月6日,本件行政訴訟はDの死亡により当然に終了するものではないとして,福岡高等裁判所の上記判決を破棄し,同裁判所に差し戻した。差戻しを受けた同裁判所は,平成30年1月19日,国の上記控訴を棄却し,同年2月3日,Dはじん肺(石綿肺)にり患しているとした本件行政訴訟第1審判決が確定した。


原告Aは,平成27年9月11日,Dの死亡の原因は石綿肺であり,業
務上の事由によるものであるとして,北九州東労働基準監督署長に対し,
未支給の休業補償給付,遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ,同署長は,平成28年11月30日付けで,これらを支給しない旨の決定をした。そこで,原告Aは,これを不服として審査請求をしたが,福岡労働者災害補償保険審査官は,平成30年3月19日付けで,これを棄却する旨の裁決をした。
そこで,原告Aは,これを不服として再審査請求をしたところ,労働保険審査会は,令和元年12月23日付けの裁決において,Dの肺機能障害はじん肺合併症である肺がんに対する治療の結果として生じたものであり,休業補償給付を支給しない旨の処分は相当でないとしてこれを取り消した
が,Dの死亡につきじん肺及び肺がん手術後の肺機能障害が主要な原因となっているとみることはできず,遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の各処分は妥当であるとして,これらに対する再審査請求を棄却した。(5)石綿に関する知見等(甲A8,9,17,31,33~35,E11,13)


石綿(アスベスト)とは,天然に産する繊維状けい酸塩鉱物の総称であ
り,クリソタイル,アモサイト及びクロシドライト等の種類がある。そして,石綿は,耐熱性や化学的安定性に富み,断熱性及び電気絶縁性が高く安価であるため,建築物の内装材,外装材,下地材,床材及び天井材等といった建材に加え,
保温材や吸音断熱材等,
様々な用途に使用されてきた。

石綿含有建材が破損や劣化するなどした場合,目に見えないほどの大き
さの石綿繊維が空気中に飛散する。そして,このように空気中に飛散する石綿繊維は,遠くまで拡散し,また,長時間浮遊する上に,落下した場合であっても再拡散するといった性質を有する。そして,石綿繊維は,人が吸入した場合,中皮腫,肺がん,石綿肺,良性石綿胸水及びびまん性胸膜肥厚といった疾患の原因になるとされている。

吹付け石綿工法(石綿にセメント等のつなぎ材を一定量混ぜ,水分を加
えながら鉄骨や壁に吹き付ける工法)は,イギリスにおいて,1931年に開発された。
このような工法は,日本において,昭和30年頃に導入され,当初は,国鉄車両の不燃化,体育館の防音対策等に使用されていたが,昭和39年に防音用として航空基地の近くの建築物に使用され始めてから,一般的に使用されるようになっていった。その後,昭和40年代後半頃に,需要のピークを迎え,昭和46年から昭和49年までの4年間で,全国で6.7万トンもの石綿の吹付けが行われたが,日本では,昭和50年に石綿の吹付け作業が原則として禁止されたため,
現在は行われていない。
そのため,

石綿含有吹付け材は,主として昭和30年代初頭から昭和50年代初頭までに建てられた建築物を中心に使用されていると考えられている。エ
ロックウールとは,スラグ,岩石等を主原料として,溶融し,線維化し
た人口の鉱物繊維であり,岩綿ともいうが,石綿とは別の物質である。(6)石綿関連疾患やDがり患した疾患等(甲B5,12,19,27,30,E7,11,22,23,乙ロB6,7,9)

胸膜プラーク
胸膜プラークは,胸膜肥厚斑あるいは限局性胸膜肥厚といわれ,日本に
おいては,石綿ばく露によってのみ発生すると考えられている。
胸膜プラークは,石綿粉じんばく露開始直後には認められず,年月をかけて徐々に成長し,ばく露後少なくとも10年以上,概ね15年ないし30年で出現することが知られている。また,胸膜プラークの発生は,職業的高濃度石綿ばく露者ばかりではなく,職業的低濃度ばく露者,石綿作業者の労働者家族,石綿工場周辺の住人にもみられる。
胸膜プラークそのものによる肺機能の低下はないか,あっても軽微であ
るとされている。

石綿小体及び石綿繊維

肺内に吸入された比較的長い石綿繊維は,長期間肺内に滞留することがある。このように肺内に滞留した石綿繊維の一部は,石綿繊維の表面に鉄たん白が付着して亜鈴状になり,石綿小体を形成する。
石綿小体は,角せん石族石綿(クロシドライト,アモサイト)については,
ばく露の指標とされているが,
クリソタイルは角せん石族石綿と比べ,
石綿小体が形成されにくいという性質を有しており,実際のばく露量とずれが生じる可能性がある。

石綿肺(じん肺)

(ア)石綿肺は,間質性肺炎の一類型であるじん肺の一つであり,びまん性間質性肺炎である。石綿肺は,石綿を大量に吸入することによって発症する職業性の疾患であり,一般環境下における発症例は,これまでに報告されていない。日本では,胸部エックス線所見で下肺野の線状影を主とする異常陰影を不整形陰影と定義し,職業上の石綿ばく露歴があり,じん肺法による胸部エックス線の像の型の区分が第1型以上のものを石
綿肺として,肺機能検査と組み合わせて健康管理の措置を講じている。じん肺(石綿肺)を含む間質性肺炎にり患した場合,肺間質が線維化することにより,肺活量(VC)の低下を呈する拘束性換気障害(肺活量の予測値に対する割合〔パーセント肺活量〕が80%未満の状態)や酸素分圧(PaO2)の低下を呈し間質の肥厚・線維化により酸素が拡散
しにくくなる拡散障害等の機能障害を招き,
呼吸困難等の症状を呈する。
じん肺法に定める第1型の石綿肺は,それだけではほとんど症状がなく,肺機能や生活の質が大きく低下することはない。一部の症例で徐々に症状が進行し,肺機能の著しい低下等日常生活上の支障が生じ得るものもあるが,肺がんや中皮腫と異なり,短期間で死に至るような重篤な
疾患ではない。
(イ)じん肺法4条1項は,じん肺のエックス線写真の像を4つの類型に区
分しているところ,そこで使用されている用語の意味は次のとおりである。
a
小陰影
エックス線写真の像は,小陰影と大陰影とに分類され,小陰影は粒状影と不整形陰影とに分類される。

このうち不整形陰影は,主に線状,細網状,線維状,蜂窩状及び班状に分類され,不整形陰影の密度に応じて第1型ないし第3型に区分される。
b
大陰影
1つの陰影の長径が1㎝を超えるものを大陰影という。


特発性間質性肺炎
間質性肺炎の原因には,薬剤や粉じんの吸入,全身性疾患等の様々なも
のがあるが,原因が特定できないものを特発性間質性肺炎という。石綿肺の診断は必ずしも容易ではなく,しばしば特発性間質性肺炎との鑑別が問題となる。

肺がん

(ア)原発性肺がんは,石綿に特異的な疾患である中皮腫(胸腔,心嚢腔,腹腔及び精巣鞘膜腔において,体腔表面を覆う中皮細胞から発生する腫瘍)と異なり,喫煙をはじめ,石綿以外に発症原因が多く存在する疾患である。
(イ)従来から石綿による肺がんは高濃度の石綿粉じんばく露によって発生し,20年以上の潜伏期間を経て発症すると報告されてきたが,最近の我が国での報告では,潜伏期間が15年ないし60年(中央値43年)とするものや平均潜伏期間が31.8年とするものも報告されている。
(ウ)石綿の一種であるクリソタイルは,石綿小体を形成しにくく,肺からのクリアランスが良くて体内滞留時間が短いため,石綿小体数を用いて
肺がんのリスクを検討することは難しい。
(エ)肺がん発症における喫煙と石綿の関係は,相加的よりも相乗的に作用すると考えられており,喫煙歴があって石綿ばく露歴もない人の発がんリスクを1とすると,
喫煙歴があって,
石綿ばく露歴もない人では10.
85倍,喫煙歴がなく石綿ばく露歴がある人では5.17倍,喫煙歴も
石綿ばく露歴もある人は53.24倍になるとされている。

急性呼吸性窮迫症候群(ARDS)
ARDSは,肺血症や重症肺炎,胃の内容物の誤えん等の種々の基礎疾
患や外傷に続発して発症し,高度な炎症に伴って肺胞隔壁(血管内皮,肺胞上皮)の透過性が亢進することによる肺水腫(心不全や輸液過剰のみでは説明がつかないもの)を特徴とする高度の低酸素血症を来す急性呼吸不全である。ARDSは,様々な基礎疾患を原因として発症するものと考えられており,その原因は,肺炎等の直接損傷(肺の侵襲)と間接損傷(肺以外の侵襲)に大別される。ARDSの死亡率は40%ないし50%程度
であり,根本的な治療方法は未だ確立されていない。
(7)石綿関連疾患に関する国際的な判断基準及び日本における行政通達等(甲B11,13)

石綿,石綿肺及びがん:診断と原因特定のためのヘルシンキクライテリ
ア(甲B11。以下ヘルシンキ基準という。)
ヘルシンキ基準は,平成9年1月に石綿,石綿肺及びがんについての国際専門家会議が定めた石綿関連疾患の診断と原因特定に係る国際的な基準である。ヘルシンキ基準には,次のような記載がある。
(ア)概論
a
一般的に,職歴が明らかであれば職業性石綿ばく露の最も実用的で役に立つ対策を打ち出すことができるとされている。繊維本数/ml×年数で表される累積ばく露量は石綿ばく露に関する重要な指標であ
る。
b
石綿関連の病気の臨床診断は,患者の詳細なインタビュー,石綿ばく露,適切な潜伏期間,所見,兆候,放射線学と肺の生理学的結論及び他の実験室研究による職業的なデータに基づいて行われる。限界事例を評価するに当たっては,
総合的なアプローチが望ましいとされる。

c
石綿繊維と石綿小体のための肺の組織の分析は,職業歴を補うためのデータとなり得る。

(イ)石綿肺
a
石綿肺は,比較的高いレベルでの石綿粉じんにばく露することによって発症する疾患であり,実質性線維症のエックス線の所見が必要と
される。しかし,低レベルのばく露でも軽度の線維症が起こる可能性はあり,組織学的に検出が可能な実質線維症の場合には,必ずしもエックス線の評価基準を満たさなければならないわけではない。
b
石綿小体の数がさほど多くないのに石綿肺が発症するケースもまれに起こっている。純粋なクリソタイルの吸入を原因とする石綿肺は,
石綿小体及び石綿繊維負荷がわずかに検出されるか,全く検出されない場合でも,まれに発症する可能性はある。
(ウ)胸膜プラーク
胸膜プラークが風土病でない地域では,エックス線で明らかになる胸膜プラークのうち80%ないし90%が職業的な石綿ばく露に起因するものである
職場,家庭又は自然減からの低用量ばく露が胸膜プラークを引き起こすこともある。
(エ)肺がん

a
石綿が原因のがんとそれ以外のがんとで臨床的な徴候と症状に特に違いはない。

b
1年間の重度のばく露(石綿製品の製造,古い建造物の破壊等)又は5年間ないし10年間の中度のばく露(工事,造船等)が肺がんリスクを2倍以上増加させる可能性がある。

c
肺がんの相対リスクは,石綿繊維1本/ml×年当たり0.5%から4%まで増加するよう見積もられている。石綿肺の臨床例が現れる
のは同等の累積ばく露のときである。
d
肺がんのリスクが2倍になるのは,乾いた肺組織1g当たり200万石綿繊維の繊維レベル(>5μm)又は500万石綿繊維(>1μm)が保たれた場合であり,この肺の繊維濃度は,乾燥肺1g当たり5000ないし15000の石綿小体に匹敵する。ただし,クリソタ
イル繊維は,クリアランス率が高く,角せん石系石綿と同じように肺組織の中に蓄積することはないため,職業歴(石綿ばく露年数)は,繊維負荷分析に比べ,クリソタイルによる肺がんのリスクを知る上でよりふさわしい指標となる。
e
石綿肺の発症は,石綿への高度のばく露を示す指標である。

f
胸膜プラークは石綿繊維へのばく露の指標である。胸膜プラークは低度の石綿粉じんばく露に関連している可能性があるので,肺がんの発症原因を石綿粉じんばく露と考える場合には,実質的に石綿粉じんばく露をした職業歴の有無又は石綿繊維負荷量の計測による事実の裏付けが必要である。

g
肺がんの原因を石綿とする場合,最初の石綿ばく露から最低10年の潜伏期間が必要である。

h
肺がんの原因を特定するために全ての評価基準を満たす必要はない。
i
喫煙は肺がんのリスクに総合的に影響を与える。ただし,石綿ばく露が肺がんの原因となるリスクが損なわれるものではない。


日本における行政通達

(ア)石綿による疾病の労災認定基準の改正について(平成18年2月9日基発第0209001号)に基づく認定基準(以下平成18年基準という。)厚生労働省労働基準局長は,石綿による疾病の労災認定基準の改正について(平成18年2月9日基発第0209001号)を通達し,石綿肺がんの認定基準(平成18年基準)を次のとおりとした。
a
石綿ばく露労働者に発症した原発性肺がんであって,次の(a)又は(b)のいずれかに該当する場合には,業務上の疾病として取り扱う。
(a)じん肺法に定める胸部エックス線写真の像が第1型以上である石綿肺の所見が得られること。

(b)次の①又は②の医学的所見が得られ,かつ,石綿ばく露作業への従事期間が10年以上あること。ただし,次の②に掲げる医学的所見が得られたもののうち,肺内の石綿小体又は石綿繊維が一
定量以上(乾燥肺重量1g当たり5000本以上の石綿小体若し
くは200万本以上〔5μm超。2μm超の場合は500万本以

上〕の石綿繊維又は気管支肺胞洗浄液1ml中5本以上の石綿小
体)が認められたものは,石綿ばく露作業への従事期間が10年
に満たなくても,本要件を満たすものとして取り扱うこと。


胸部エックス線検査,胸部CT検査等により,胸膜プラーク

(胸膜肥厚班)が認められること。


b
肺内に石綿小体又は石綿繊維が認められること。

石綿ばく露作業への従事期間が10年に満たない事案であっても,上記aの(b)の①又は②に掲げる医学的所見が得られているものについては,本省に協議すること。

(イ)石綿による疾病の認定基準について(平成24年3月29日基発0329号第2号)に基づく認定基準
(以下
平成24年基準
といい,

平成18年基準と併せて平成18年基準等という。)
石綿による疾病の認定基準について(平成24年3月29日基発
0329号第2号)は,石綿肺がんの認定基準である平成18年基準を改正したものであるが,その内容は以下のとおりである。
石綿ばく露労働者に発症した原発性肺がんであって,次のaからfま
でのいずれかに該当するものは,最初の石綿ばく露作業(労働者として従事したものに限らない。)を開始したときから10年未満で発症したものを除き,業務上の疾病として取り扱う。
a
石綿肺の所見が得られていること(じん肺法に定める胸部エックス線写真の像が第1型以上である場合に限る。以下同じ。)。

b
胸部エックス線検査,胸部CT検査等により,胸膜プラークが認められ,かつ,石綿ばく露作業への従事期間(石綿ばく露労働者としての従事期間に限る。以下同じ。)が10年以上あること。ただし,従事期間の算定において,平成8年以降の従事期間は,実際の従事期間の1/2とする。

c
次の(a)から(e)までのいずれかの所見が得られ,かつ,石綿ばく露作業への従事期間が1年以上であること。

(a)乾燥肺重量1g当たり5000本以上の石綿小体
(b)乾燥肺重量1g当たり200万本以上の石綿繊維(5μm超)(c)乾燥肺重量1g当たり500万本以上の石綿繊維(1μm超)(d)気管支肺胞洗浄液1ml中5本以上の石綿小体
(e)肺組織切片中の石綿小体又は石綿繊維
d
次の(a)又は(b)のいずれかの所見が得られ,かつ,石綿ばく露作業の従事期間が1年以上あること。

(a)胸部正面エックス線写真により胸膜プラークと判断できる明らかな陰影が認められ,かつ,胸部CT画像により当該陰影が胸膜プラ
ークとして確認されるもの。
胸膜プラークと判断できる明らかな陰影とは,次の①又は②のいずれかに該当する場合をいう。


両側又は片側の横隔膜に,
太い線状又は石灰化陰影が認められ,
肋横角の消失を伴わないもの。



両側側胸壁の第6から第10肋骨内側に,石灰化の有無を問わ
ず非対称性の限局性胸膜肥厚陰影が認められ,肋骨角の消失を伴
わないもの。

(b)胸膜CT画像で胸膜プラークを認め,左右いずれか一側の胸部CT画像上,胸膜プラークが最も広範囲に描出されたスライスで,そ
の広がりが胸壁内側の1/4以上のもの。
e
以下省略

(ウ)著しい肺機能障害の判定について
厚生労働省労働基準局長は,じん肺法における肺機能検査及び検査結果の判定等について(平成22年6月28日基発0628第6号。
甲B13)と題する通知を発出した。この通達では,じん肺の肺機能検査の結果において,パーセント肺活量が60%未満の場合には著しい肺機能障害と判定することとされている。
3
争点

(1)Dが石綿ばく露作業に従事していたか
(2)石綿粉じんばく露と死亡との因果関係
(3)被告市の責任の有無
アイ
本件体育館の設置又は管理に係る瑕疵の有無
被告市の安全配慮義務違反の有無

(4)被告会社の責任の有無(被告会社の安全配慮義務違反の有無)(5)損害の発生及び額

アイ4
損害額
減額事由の有無

争点に関する当事者の主張

(1)争点(1)(Dが石綿ばく露作業に従事していたか)について(原告らの主張)

本件体育館内の状況
本件体育館は,昭和49年1月に開館し,別紙1石綿使用箇所一覧表に記載された箇所に吹付け石綿を含む石綿含有建材が多用されていたところ,Dが勤務を開始した平成2年当時から,既に内装の劣化が認められ,所々石綿が剥離して床に粉や塊として落ちている状態であった。このような劣化した吹付け石綿は,空調運転を行ったり,各室のドアを開け放ったりするなどの強制換気や関係者の移動によって,空気が循環する仕組みとなっていたため,常時あらゆる場所に浮遊し飛散していた。特に本件体育館の地下では,吹付け石綿が施された箇所が多く,剥離や飛散がしや
すい状態となっていたため,かなりの量の石綿粉じんが飛散していた。なお,被告らは,本件体育館に吹付け材として使用されていたのは石綿ではなくロックウールである旨主張するが,本件体育館に使用されていた吹付けロックウールは12%ないし14%の石綿含有率を有するから,吹付けロックウールが使用されていたとしても石綿粉じんばく露の危険性が
ないとはいえない。
また,平成6年12月から平成7年6月までの間,大改修工事が行われたが,大改修工事では,天井の取り壊しや大型機器の設置や撤去,資材の搬出入等が行われたため非常に多くの石綿粉じんが発生した。

Dの業務内容及び業務歴
Dは,平成2年5月から本件体育館にて勤務を開始し,現場責任者とし
て平成17年9月末日に退職するまで15年間にわたり,本件体育館にお
いて本件業務に従事していた。また,Dは,勤務のために1日当たり9時間程度を本件体育館で過ごし,勤務を開始してからの4年間は,1か月当たり一,二回の宿直勤務を担当していた。
Dは,現場責任者であったが,他の従業員と一緒に現場に出ていた。本件業務の具体的な作業内容は多岐にわたるが,その中でも,清掃,機械の作動等の点検,修繕等の作業は,特にひどい発じんを伴う作業であった。すなわち,上記作業では,作業を行う箇所自体に多量の累積した粉じんが存在し,作業時に多量の粉じんが飛散していた。また,Dは,自ら現場作業を行わない場合でも,他の従業員らの作業の立会等のために現場に赴く
ことはあった。さらに,Dは,勤務中に巡回やトラブル対応等のために本件体育館内を移動することが頻繁にあったが,このような移動の際に吹付け石綿が擦れたり,ぶつかったりして,剥離することがあった。
そして,Dは,大改修工事期間中も保守点検や修繕等の業務に従事しており,石綿粉じんが飛散する倉庫を仮の詰所としていた。


小括
以上のように,Dは,吹付け石綿が剥離し,石綿粉じんが多量に浮遊・
飛散している環境で本件体育館の清掃,機器の点検等の作業に従事していたのであるから,石綿ばく露作業に従事していたといえ,その間に大量の石綿粉じんにばく露していたことは明らかである。
(被告市の主張)
原告らは,本件体育館では,吹付け石綿が劣化し,剥離し,石綿粉じんが飛散していた旨主張するが,そのような事実は存在しない。
また,本件体育館内に使用されていた石綿含有建材の石綿含有率はわずかである。すなわち,本件体育館で使用されていたのは,吹付け石綿ではなく
吹付けロックウールであるところ,吹付け石綿の石綿含有率が60%ないし70%であるのに比べて,吹付けロックウールの場合,石綿含有率は5%程
度であるから,本件体育館内に多量の石綿粉じんが飛散していたとはいえない。原告らは,本件体育館内で吹付け石綿を含む石綿含有建材が多用されていた旨主張するが,石綿の使用量に関する客観的な証拠はなく,かかる主張は根拠に乏しい。
その上,本件体育館内は換気がされていて,密閉されていたわけではないから,石綿粉じんが本件体育館内に飛散していたとしても,空気中における石綿濃度はわずかであったといえる。実際,平成17年に実施された実態調査(以下平成17年実態調査という。)によれば,本件体育館内における石綿の濃度は非常に低く,石綿にばく露する危険性はないとされている。
以上によれば,本件体育館内において,人体に害を及ぼす程度に石綿粉じんが飛散していたとは考えられない。
(被告会社の主張)

本件体育館内の状況について
原告らは,石綿含有吹付け材が使用された本件体育館の壁や天井が劣化
し,剥離していた旨主張するが,そのような事実はない。また,作業員が毎日清掃しているため,床にちりやほこりが落ちているようなこともなかった。
原告らは,Dが業務に従事する間,本件体育館の各室のドアは開け放たれていた旨主張するが,冷房期間中である5月下旬頃から10月上旬頃ま
での間は,各室のドアは閉められていた。

Dの業務内容,業務歴について
Dは,被告会社に入社し退職するまでの間,本件体育館の現場責任者と
して勤務しており,部下に対して作業の指示等をする立場であった。その上,Dは,現場で必要な技術・知識に乏しく,心臓にペースメーカーを入れており,作業をするための十分な人員も確保されていたため,本件体育館の保守点検作業等は,基本的にD以外の他の従業員が行い,D自身が現
場に出ることはほとんどなかったし,ましてや現場で作業をした事実はなく,石綿含有建材を直接取り扱うこともなかった。確かに,設備や機器にトラブルが生じたような場合等は,Dが現場に出る機会はあったが,そもそもトラブル等が発生する機会は稀であったし,他の従業員がトラブル対応に当たることが多かったから,その数は少なかった。

小括
したがって,Dが石綿粉じんにばく露するような作業に従事することは
なく,Dが石綿粉じんにばく露したという事実はない。
(2)争点(2)(石綿粉じんばく露と死亡との因果関係)について(原告らの主張)

石綿肺にり患したことについて
Dは,平成21年6月29日,石綿肺にり患している状態であると判明
し,著しい呼吸困難があるということで,じん肺管理区分4相当という診断を受けていること(甲B1)や,本件行政訴訟第1審判決において,石綿肺(じん肺管理区分2以上)に該当しないとした決定が違法であるとして取り消されていることからすれば,Dは,遅くとも同月には,石綿肺にり患していたということができる。

石綿粉じんばく露と肺がんとの間の因果関係について
Dは,本件体育館内において本件業務に従事する過程で,日常的に石綿
粉じんにばく露した結果,肺がんにり患し,肺の一部を摘出することになった。すなわち,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係については,ヘルシンキ基準及び平成18年基準等を基に判断すべきところ,ヘルシンキ基準は,肺がんの発症リスクを2倍以上に高める石綿粉じんばく露をもって,石綿に起因するものとみなしており,肺がんの発症リスクを
2倍にする職業性ばく露の指標としては,高濃度ばく露の場合1年,中濃度ばく露の場合5年ないし10年としている。また,平成18年基準等も
石綿ばく露作業に10年以上従事した場合に発症した肺がんを業務上の疾病として取り扱う旨定めている。本件では,Dは,本件体育館において,10年以上にわたり石綿粉じんにばく露しており,ヘルシンキ基準及び平成18年基準等を満たすものであるから,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の法的因果関係は認められるべきである。このことは,上記アのとおり,
Dが石綿肺にり患していたという事実からも裏付けることができる。これに対し,被告市は,ヘルシンキ基準を満たしていても,それだけでは,法的因果関係を認めることはできない旨主張するが,肺がんは様々な原因により発症するものであり,いくら検査してもその原因を特定するこ
とができるわけではないから,肺がんと石綿粉じんばく露との因果関係を判断するには,そのリスクを基に判断するほかない。そして,リスクが2倍あることをもって因果関係を認めるヘルシンキ基準の考え方は,国際的にも一般的なものであり,社会通念にも合致するものといえるから,ヘルシンキ基準や平成18年基準等を基に因果関係を判断するべきである。
また,被告市は,Dの肺内の石綿小体の数が少ないことを理由に上記因果関係が認められない旨主張するが,Dがばく露したのは,石綿の中でも石綿小体を形成しにくいクリソタイルという種類であるから,石綿小体が少ないことは因果関係を否定する理由にはならない。
さらに,被告らは,Dに喫煙歴があることをもって,上記因果関係がな
い旨主張するが,Dは本件体育館での勤務を開始するよりも前に喫煙を止めており,Dが喫煙を止めてから20年以上経過してから肺がんが発症したことを踏まえると,喫煙歴が肺がんの発症に及ぼした影響については,無視することができる。そもそも肺がんの発症には様々な要因があるのであって,石綿粉じんにばく露したこと以外の要因をすべて排除できなけれ
ば,石綿粉じんばく露と肺がんの発症との間に因果関係が認められないとはいえない。


石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係について
Dは,肺がんにより肺の一部を切除し,石綿肺(間質性肺炎)にり患し
たことで,肺機能が著しく低下し,肺に酸素を送り込んでも,肺胞が本来のガス交換機能を果たすことができず,酸素を体内に取り込むことが困難な状態となっていった。加えて,石綿肺には肺炎等を生じやすい易感染性がみられることから,本件でも,石綿肺が影響して細菌性肺炎にり患し,さらにそれが誘因となって,上記のような著しい肺機能障害を伴っていた石綿肺が急性増悪し,急性呼吸窮迫症候群(ARDS)に陥らざるを得なくなり,それによって死亡したといえる。ARDSによる死亡を回避でき
た可能性はあったが,Dは,石綿肺による著しい肺機能障害のため標準的な治療を受けることができなかったのであるから,このような意味においても,Dは石綿肺り患により死亡したということができる。
なお,Dは,心臓にペースメーカーを入れていたが,心電図の波形はDが死亡するまで変化はなかったのであるから,これがDの死亡に影響した
ことはなかったといえる。
したがって,本件体育館における石綿粉じんのばく露と,Dが死亡したことの間には因果関係がある。
(被告市の主張)

石綿肺にり患していないこと
原告らは,本件行政訴訟第1審判決を根拠に,Dがり患していた間質性
肺炎が石綿肺に基づくものである旨主張しているが,本件行政訴訟の争点はじん肺管理区分1とした認定処分の適否であるから,そこから直ちにDが石綿肺にり患していたということはできない。また,Dが石綿粉じんにばく露していないことは,
争点(1)被告市の主張のとおりであり,Dが石綿
粉じんにばく露したと認定した本件行政訴訟第1審判決は誤りである。さらに,本件行政訴訟第1審判決は,Dが石綿肺にり患した根拠の一つとし
て,胸膜プラークの存在を挙げているが,胸膜プラークが存在しても,石綿粉じんばく露の事実を示すだけで,そのばく露の程度を示すものではないし,ましてや石綿肺であるか否かを示すものではない。したがって,本件行政訴訟第1審判決を根拠にDが石綿肺にり患していたということはできない。

石綿粉じんばく露と肺がん発症との間に因果関係がないこと
原告らは,石綿粉じんばく露により肺がん発症リスクが2倍となった場
合には,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係を認めるべきである旨主張するが,本件の場合,ヘルシンキ基準やこれに基づいて作成された石綿による健康被害に係る医学的判断に関する考え方報告書(甲E11。以下平成18年報告書という。)が掲げる指標を満たしているとはいえない。すなわち,平成18年報告書では,石綿粉じんばく露によって,肺がん発症リスクが2倍になる累積ばく露量は,石綿のばく露濃度とばく露年数の積が石綿繊維25本/ml(以下本件累積ばく露量
ということがある。)に達したときとされている。しかし,本件体育館内の石綿の濃度は,一般大気環境でも計測されるほどの低濃度であるし,本件体育館内で使用されていたのは,石綿含有率が低い吹付けロックウールであることからすると,本件において,本件累積ばく露量を満たしていたということはできない。また,平成18年報告書では,本件累積ばく露量
を判断する医学的指標として,乾燥肺重量1g当たり石綿小体5000本以上という数値を掲げているが,Dの乾燥肺重量1g当たりの石綿小体は400本程度であるから,上記医学的指標も満たしていない。さらに,平成18年報告書では,石綿ばく露作業に概ね10年以上従事していたことをもって肺がんリスクを2倍とみなしているが,Dが行っていた業務は,
じん肺法施行規則別表に列挙されている粉じん作業のいずれにも該当しないから,Dが石綿粉じんばく露作業に概ね10年以上従事していたという
こともできない。
また,多くの場合,石綿粉じんばく露から肺がん発生までに30年ないし40年程度を要すると考えられているところ,Dは本件体育館での勤務を開始してからわずか15年程度で肺がんを発症しており,このことからも肺がんが石綿ばく露に起因しているものということはできない。なお,仮にヘルシンキ基準に照らして,石綿粉じんにばく露したことにより,
肺がんのリスクが2倍に高められたと評価し得るとしても,
それは,
寄与危険割合が50%であることを意味するだけであるから,そのことから直ちに法律上の因果関係が認められるとはいえない。
また,肺がんが非特異性疾患であることに照らすと,本件において,石
綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係を肯定するためには,肺がんの発症について,石綿粉じんばく露以外の要因がないことを高度の蓋然性をもって証明する必要があるが,Dの喫煙歴やDが石綿粉じんにばく露してから肺がん発症までの期間等に照らすと,肺がんの発症につき,石綿ばく露以外の要因がないということはできず,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係は認められない。

石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係について
上記のとおり,Dは石綿粉じんばく露によって肺がんを発症したとはい
えない上,Dが石綿肺にり患していたということもない。また,Dは,陳旧性肺結核の既往症があり,Dの胸部のレントゲン画像(乙ロB1)や肺のCT画像(乙ロB3)によれば,少なくとも平成17年時点でDに石綿粉じんばく露に起因する活動性のある間質性肺炎とみられる明確な所見はなく,間質性肺炎に基づく症状もみられず,肺がんにより肺の一部を切除する以前から呼吸機能に障害を抱えていたといえるから,石綿粉じんにば
く露したことによりDの肺機能が著しく低下したということはできない。かえって,Dの死因は,細菌性肺炎によるARDSとされており,本件
において細菌性肺炎の原因が間質性肺炎であることを示す根拠はなく,細菌性肺炎によるARDSが発症することと,石綿粉じんにばく露することとは無関係である。その上,ARDSを発症した場合には,発症前の肺機能とは関係なく,それ自体が死亡原因となり得るものであり,Dの入院経過をみても,間質性肺炎によって呼吸困難が遷延化したということはできないから,Dの肺機能が低下していたことを理由に,石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係を肯定することはできない。
また,Dは心不全を患っており,死亡に至る一連の経過の中で,心不全が影響した可能性も否定できない。
以上によれば,仮にDが石綿粉じんにばく露していたとしても,これと
Dの死亡との間に因果関係はない。
(被告会社の主張)
Dの喫煙歴,Dの肺がんの発症時期や画像所見,これに関する医師の意見書(甲E3,E7),本件体育館内の環境等に照らせば,石綿粉じんばく露と肺がんの発症との間に因果関係を認めることはできない。また,Dの死因は,細菌性肺炎によるARDSとされているが,この細菌性肺炎の原因は不明である。
石綿粉じんばく露とDの死亡との間に因果関係が認められないことに関するその他の点については,被告市の主張を援用する。

(3)争点(3)(被告市の責任の有無)について

本件体育館の設置又は管理に係る瑕疵の有無

(原告らの主張)
(ア)国家賠償法2条1項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは,営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態をいう。(イ)吹付け石綿の危険性に関し,昭和47年には,石綿にがん原性が認められることが国際的な医学的知見として確立されていた。また,昭和6
2年から昭和63年にかけて,学校施設が石綿製品で汚染されている問題が広く報じられるといった第1次アスベストショックが発生したが,それと並行して,建設省(現在の国土交通省)が,石綿防止又は撤去のための方策をとるよう通知(甲A38)し,環境庁(現在の環境省)及び厚生省(現在の厚生労働省)が吹付け石綿の対処方針について建築物内に使用されているアスベストに係る当面の対策についてと題する通知(乙ロA2。以下対策通知という。)を発出し,文部省(現在の文部科学省)が都道府県教育委員会に対し,建築物の吹付け石綿の全国調査や除去工事を指示した。このような事情を踏まえると,遅くとも
同年頃には建築物内の吹付け石綿に基づく健康被害の危険性及び吹付け石綿の除去等の対策の必要性が広く世間一般に認知されるようになった。したがって,同年以降は,吹付け石綿の除去や飛散防止の対策が取られていない吹付け石綿の飛散のおそれがある建物は,その管理に瑕疵があるというべきであるところ,前記争点(1)原告らの主張のとおり,本件

体育館における石綿含有建材の使用状況や,石綿粉じんの飛散状況を踏まえると,本件体育館は,吹付け石綿の飛散のおそれがあり,通常有すべき安全性を欠いていたといえ,その設置又は管理に瑕疵があったといえる。
なお,被告市は,本件体育館で使用されていた石綿含有建材は,吹付
け石綿ではなく,吹付けロックウールであり,吹付けロックウールは吹付け石綿に比して石綿含有率が低い旨主張する。しかし,吹付けロックウールであっても,本件体育館に使用されていた吹付けロックウールの石綿含有率は12%ないし14%と高濃度であるため,使用されていた石綿含有建材が吹付けロックウールであるからといって,被告市の本件
体育館の設置又は管理に瑕疵があることは否定されない。
(ウ)被告市は,本件体育館内で石綿粉じんが飛散しているような場所は,
一般人が立ち入らないような場所であることを理由に,国家賠償法2条1項の責任を負わない旨主張する。
しかし,営造物の設置又は管理に瑕疵があるかどうかを判断するに当たっては,当該営造物が供用目的に沿って利用されていることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含むところ,その危害とは,営造物の利用者のみならず,利用者以外の第三者に対するものも含むと解されている。そのため,同項の瑕疵の判断に当たっては,本件体育館の利用者以外の第三者に対して危害が及ぶかどうかも問題となるのであるから,一般人が立ち入る場所であるか否かによって,瑕疵の有
無が判断されることはない。
また,本件体育館がその供用目的に沿って利用されていることとの関連で,Dが従事していた本件体育館の電気機械設備管理業務等は当然に必要な業務であるところ,Dはかかる業務の遂行に伴って不可避的に石綿粉じんにばく露していたといえる。したがって,被告市の主張は,被
告市の同項の責任を否定する理由にはならない。
(エ)被告市は,Dが国家賠償法2条1項の他人に該当しない旨主張するが,他人には,営造物管理者である公務員個人も含まれるから,Dが同項の他人に該当することは明らかである。
(被告市の主張)

(ア)争点(1)被告市の主張のとおり,本件体育館内においては,人体に害を及ぼす程度の石綿粉じんが飛散するような状況ではなかった。
また,被告市は,昭和62年から昭和63年にかけて本件体育館を含む被告市が所有する建築物の石綿の使用状況を調査し,
石綿含有率30%
以上の吹付け石綿については,除去,封じ込め,囲い込み

の処置を行い,石綿含有率5%ないし30%未満の吹付けロックウールについては,平成3年以降に適切な処置を行っていたのであるから,本
件体育館が通常有すべき安全性を欠いた状態であるとはいえない。このことは,平成17年実態調査では最高でも1.8%のクリソタイルしか検出されていないことからも明らかである。したがって,被告市は,石綿の危険性を認識しながら漫然と放置していたということはいえず,適切な時期に必要な対策を講じていた。

(イ)仮にDが石綿粉じんにばく露していたとしても,それは,本件体育館で使用されていた有孔石綿板に穴を開けるなどした際に,その補修の過程等で適切な作業をしなかったことによるものといえるところ,このような場合に生じた石綿粉じんばく露についてまで,被告市が責任を負わなければならない理由はない。

したがって,本件体育館の複数の箇所で石綿含有建材が使用されていたとしても,上記のような事情を踏まえれば,本件体育館の設置又は管理に瑕疵があったとはいえない。
(ウ)本件体育館内で石綿粉じんが飛散している箇所があったとしても,そこは一般の利用者が立ち入らない場所であり,そこへの立ち入りが許さ
れた者は,マスクの着用等によって石綿粉じんにばく露することを防止できた。そして,ビル管理を専門とする被告会社の現場責任者として業務に当たっていたDが,マスクを着用する等,石綿粉じんのばく露対策を講じていなかったとすれば,それは本件体育館における通常の作業方法に則しない行動であり,このような行動に対して被告市は責任を負わ
ない。
(エ)国家賠償法2条1項における他人とは,公の営造物の設置者又は管理者以外の第三者を指し,被告会社及びDは,被告市等から本件体育館の管理業務を受託した者であり,本件体育館の管理者であるといえるから,Dは,同項の他人に当たらない。


被告市の安全配慮義務違反の有無

(原告らの主張)
(ア)本件契約の内容や石綿粉じんの危険性に加え,本件体育館に使用されている石綿含有建材について被告市が正確に把握していたことに照らせば,被告市は,本件体育館内で作業に当たっていたDに対して,信義則上,安全配慮義務を負っていたといえる。
なお,被告市は,Dが本件体育館の管理業務の現場責任者であったこと及び建築物環境衛生管理技術者であったことを理由に被告市が安全配慮義務を負うことはない旨主張するが,現場責任者であるDの業務の範囲に環境衛生管理業務は含まれておらず,また,建築物環境衛生管理技
術者は石綿の危険に対して直接対応するような資格ではないから,被告市の上記主張は理由がない。
(イ)そして,
前記ア原告らの主張(イ)のとおり,
遅くとも昭和63年2月頃
には,吹付け石綿の危険性が一般的に認識されるようになったが,被告市は,本件体育館の所有者であること,吹付け石綿の実態調査を行うよ
う求められていた行政機関であること,環境庁及び厚生省から対策通知を受けていたこと,本件体育館の設計図書を有しており,本件体育館内のどこに石綿が使用されているかを知り得る立場にあったこと等に照らすと,遅くとも同月時点で,吹付け石綿に関する危険性や飛散防止,除去の対策の必要性につき認識可能であったといえる。

仮に同月時点では,
上記のような義務が発生していなかったとしても,
平成3年10月5日には,石綿製品や石綿が付着した物品を廃棄物として処理する際には,廃石綿として取り扱うべきこととされ,処理の方法が厳しくなっている。また,本件体育館内に使用されていた吹付けロックウール(スプレエース)は石綿含有量が14.5%であるところ,被
告市は,平成3年頃から,それまで処置の対象としていなかった上記のような吹付けロックウールについても,処置の対象とすることとしてい
た。これらの事実を踏まえると,被告市は,遅くとも同年頃には,本件体育館に使用されていた吹付けロックウールについても,危険物として処置が必要であることを認識し得たのに漫然とこれを放置した。
同年時点で上記のような義務が認められないとしても,被告市は,平成6年12月に本件体育館において大改修工事を行っているのであるから,どんなに遅くともその機会に本件体育館で使用されている石綿含有建材について,除去又は飛散防止措置を講じることができたし,そのような措置を講じる義務があったといえる。
(ウ)以上を前提とすると,被告市としては,以下の各義務を尽くすべきで
あったが,それを怠っている。そして,被告市が,これらの義務を尽くしていれば,Dが石綿肺及び肺がんにり患し,これによって死亡することもなかったから,被告市は,国家賠償法1条1項に基づき,当該義務の不履行によって発生した損害を賠償する責任がある。
a
被告市は,本件体育館に使用されていた建材の中に石綿含有建材が含まれていることや本件体育館内に浮遊している粉じんに石綿が含ま
れていることを受託者である被告会社に告知すべきであった。また,被告市は,対策通知に基づき,被告会社がその従業員に対して防じんマスクの着用などの石綿粉じんばく露防止対策を取っているかを確認すべきであった。しかし,被告市は,被告会社に対してこのような情報提供義務や確認義務を怠った。

b
被告市は,石綿粉じんばく露のおそれのない安全な休憩場所を確保し,被告会社にその使用を促す必要があったが,それを怠った。

c
被告市は,吹付け石綿の危険性の大きさに鑑み,被告会社に本件体育館の管理業務を委託する際には,吹付け石綿を除去し,又は飛散の
可能性がないように飛散防止措置を設置すべきであったが,これを怠った。

(エ)被告市は,平成17年実態調査の結果を根拠に,吹付け石綿に関する適切な対策が図られていた旨主張するが,平成17年実態調査は測定方法に疑問があり,その結果も客観的な事実と齟齬があるから,それを根拠に適切な対策を講じたということはできない。
(被告市の主張)
(ア)被告市とDとの間に雇用契約のような直接の契約関係はなかったし,被告市とDの関係が,実質的な使用従属関係であったということもできない。したがって,被告市がDに対して安全配慮義務を負っていたとはいえない。

また,被告市は,直接又は本件公社等を通じて,建築物の環境衛生管理の専門業者である被告会社に環境衛生管理を含む本件体育館の総合的な維持管理業務を委託していたし,被告会社の従業員であるDは,建築物環境衛生管理技術者の資格を有しており,同技術者として本件体育館内の業務に当たっていたところ,この業務には,石綿を含む浮遊粉じん
の調査・管理も含まれていた。したがって,被告市としては,被告会社が,本件体育館内における有害物質の対処法や雇用されている労働者の健康被害を防止する措置を講じており,環境衛生上の問題があった場合には,被告市又は本件公社等に対して報告するものと信頼するのが相当である。そうだとすると,被告市が本件体育館の環境衛生管理業務の受
託者である被告会社及びDに対して,環境衛生上の安全配慮義務を負うのは背理である。
(イ)加えて,被告市は,前記ア被告市の主張(ア)のとおり,石綿の危険性を認識しながら漫然と放置していたという事実はなく,被告市がDに対して安全配慮義務を負っていたとしても,その義務を怠っていない。
仮にDが石綿粉じんにばく露していたとしても,それは,本件体育館で使用されていた有孔石綿板に穴が開くなどした際に,その補修等の過
程で適切な作業をしなかったことによるものといえるから,被告市に安全配慮義務の違反があったとはいえない。
(4)争点(4)(被告会社の責任の有無)について
(原告らの主張)

被告会社は,平成2年9月にDを正社員として雇用し,それ以来,本件
体育館において,保守,点検及び補修等の管理業務に当たらせていた。しかも,本件で問題となっている石綿関連疾患は,人の生命健康に関わる重大な問題である上,被告会社には,その規模,専門性,技術力から十分なじん肺防止対策を尽くすことが期待され,またそれが可能であった。したがって,被告会社は,Dに対して,上記雇用契約上又は信義則上の義務として,極めて重い注意義務を負っていたということができる。

建築物の中には,石綿を含有する建材が多用されているものがあり,ビ
ル管理業務に従事する者は,そのような建材を直接取り扱ったり,石綿が飛散する状況で作業に従事したりすることから,ビル管理業務は石綿ばく露の危険性が高い業務であるといえる。実際にも,ビル管理業務に係る石綿ばく露の危険性については,国会の質疑の中で取り上げられており,厚生労働省が発出した通達(甲A15)においても,注意喚起がなされている。そうすると,ビル管理等を業とする被告会社としても,本件体育館に吹付け石綿が用いられており,それが飛散することによって,Dが健康被
害を受ける危険があることを遅くとも昭和63年2月時点では認識していたということができる。

そして,本件体育館内に石綿粉じんが大量に飛散していたことは,争点
(1)の原告らの主張のとおりであり,また,Dが従事していた業務は,石綿粉じんにばく露する危険を伴うものであったことからすれば,被告会社としては,以下の各義務を尽くすべきであったが,それを怠っている。そして,被告会社が,これらの義務を尽くしていれば,Dが肺がん及び石綿肺
にり患し,それによって死亡することはなかったから,被告会社は,当該義務の不履行によって発生した損害を賠償する責任がある。
(ア)被告会社は,被告市に本件体育館の管理を委託された際,本件体育館における石綿の使用状況につき,被告市に対して調査・確認すべき義務を負っていたところ,かかる義務を怠っている。

(イ)被告会社は,Dを含む従業員に対し,石綿粉じんにばく露することを回避するために適切な防じんマスクを支給し,この着用を徹底させるなどして,石綿粉じんのばく露を防止する義務を負っていたが,かかる義務を怠っている。
(ウ)被告会社は,
Dを含む従業員に対し,
本件体育館内で作業をした場合,
石綿粉じんにばく露する危険があることを具体的に指摘するとともに,石綿粉じんにばく露することによる健康への危険性やばく露防止対策について教育を施す義務を負っていたが,かかる義務を怠っている。(エ)被告会社は,Dを含む従業員の健康管理に当たって,①定期健康診断を実施し,石綿粉じんにばく露したことによる石綿障害の早期発見等に
努める義務,②従業員が本件体育館内で作業する時間の管理を徹底し,石綿粉じんにばく露する時間が少しでも短縮されるように配慮する義務,③石綿粉じんにばく露することを避けるために,被告市らと協議するなどして,石綿粉じんから遮断された休憩室を確保するよう努める義務を負っていたが,いずれの義務も怠っている。

(オ)被告会社は,被告市に対して,特定化学物質等作業主任者等を設置するよう働きかけ,同人に石綿の取扱いや処理を担当させる義務があったが,かかる義務を怠っている。

被告会社は,本件体育館に石綿が使用されていることを認識し得なかっ
た以上,安全配慮義務を負う前提を欠く旨主張している。
しかし,仮に被告市から本件体育館における石綿の使用状況について説
明を受けていなかったとしても,被告会社は,本件体育館の設備等の管理業務を受託していること,前記イのとおり,昭和63年2月には,石綿粉じんにばく露することによる健康被害等が社会問題となっていたこと,我が国には大量の石綿が輸入され,その多くが建材に使用されていたことは周知の事実であること等からすれば,被告会社は,本件体育館における石綿の使用状況等を調査し,本件体育館でも石綿が使用されていることを認識し得た。
したがって,被告市から石綿の使用状況について明らかにされていなかったからといって,被告会社の責任は否定されない。

(被告会社の主張)

被告会社が,Dに対して安全配慮義務を負う可能性があるとしても,そ
の前提として,本件体育館における石綿の危険性に関する予見可能性が必要である。
しかし,被告会社は,本件体育館の管理業務の委託を被告市等から受けた際に,本件体育館に石綿が使用されていることを知らされていなかったし,被告会社は,本件体育館内の電気機械設備管理業務を受託していたにすぎなかったのであるから,被告会社が独自に本件体育館内における石綿の使用状況を調査しなければならない立場にはなかった。また,ビルメンテナンス業界において,ビルメンテナンス作業に伴う一般的な石綿ばく露
の危険性や対応の必要性が認識されたのは,公益社団法人全国ビルメンテナンス協会がアスベスト問題に対する組織的な対応についてと題する書簡(乙イA3)を発出した平成18年以降のことである。
したがって,被告会社は,Dが被告会社に勤務していた時期に,本件体育館内で石綿が使用されていることを知らなかったといえる。そうである
以上,それを踏まえた具体的な措置を講じることはできないから,被告会社は,原告らが主張するような義務を負わない。


仮にDに対して安全配慮義務を負うことがあっても,被告会社は,従業
員に対して,石綿に関する必要十分な安全教育を行っていたし,定期的な健康診断等も実施しており,
防じんマスクの支給も行っていたのであって,
原告らが主張するような義務に違反していない。
(5)争点(5)(損害の発生及び額)について

損害額

(原告らの主張)
(ア)死亡慰謝料

3000万円

Dは,石綿にばく露した結果,呼吸に支障を来し,療養を強いられた末に死亡したのであるから,かかる苦痛を慰謝するためには少なくとも3000万円を下らない。
そして,Dの死亡慰謝料については,遺族が法定相続分の割合で各自相続し,妻である原告Aは2分の1に相当する1500万円を,子である原告B及び原告Cはそれぞれ6分の1に相当する500万円を相続し
た。
(イ)管理4相当であったことに伴う慰謝料(上記(ア)の予備的主張)Dは石綿肺にり患し,著しい肺機能障害を有していたから,じん肺管理区分のうち管理4に該当するといえるところ,石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係が認められない場合には,Dが石綿粉じんばく露に
より管理4相当の状態になったことについての慰謝料を請求する。(ウ)原告A固有の慰謝料

500万円

原告Aは,夫であるDを亡くしたことにより,精神的苦痛を被った。かかる苦痛を慰謝するためには少なくとも500万円は下らない。(エ)葬祭料(原告Aに係る損害)
(オ)弁護士費用

150万円

合計315万円

被告らの責任と相当因果関係を有する弁護士費用相当の損害として,
原告Aについては215万円,原告B及び原告Cについては各50万円が発生した。
(カ)まとめ
原告らの相続分を踏まえて,(ア)ないし(オ)を前提に損害額を計算すると,原告Aにつき2365万円,原告B及び原告Cについては各550
万円となる。
(被告市の主張)
争う。
Dは死亡時点で78歳であり,高齢者の死亡慰謝料は,通常2000万円から2500万円程度であるから,原告らが請求する死亡慰謝料合計3500万円は相当でない。
(被告会社の主張)
否認ないし争う。
原告らの主張ア(イ)については,
時機に遅れた攻撃防御方法として却下さ

れるべきである。

減額事由の有無等

(被告市の主張)
(ア)損害の一部に係る時効の援用
Dが肺がんにり患したことに基づく損害は,既に時効期間が経過しており,被告市はかかる時効を援用したから,肺がんの発症とその治療,介護等に関する精神的苦痛を死亡慰謝料の増額事由とすることはできない。
(イ)寄与度減額
Dは肺がんにり患していたところ,疫学的データによれば,肺がんの
発症率や肺がんによって死亡する危険性は,石綿粉じんにばく露するよりも喫煙の方が圧倒的に高い。

そして,Dは20歳から50歳までの間,1日当たり20本の喫煙をしていたのであるから,Dが肺がんにり患したのは,喫煙を原因とする可能性が極めて高い。
したがって,
Dの肺がんのり患とこれにより死亡したことについては,
Dの喫煙歴による寄与度が圧倒的に大きいのであるから,相当の寄与度減額がされなければならない。
(ウ)過失相殺
被告市は,本件体育館のような建築物の環境衛生管理について専門的な知識等を有していないことから,本件公社等を介して,専門業者であ
る被告会社との間で,管理委託契約を締結し,環境衛生管理業務に遺漏がないよう建築物環境衛生管理技術者の国家資格を有する者に業務を担当させることとした。そして,Dは,被告会社の現場責任者兼建築物環境衛生管理技術者として,本件体育館の環境衛生管理を行うべき立場にあったが,本件体育館において作業をするに当たり,マスクや保護手袋
の着用を怠っていた。
以上のようなDの行動は,本件体育館の環境衛生管理について業務委託を受けた被告会社の担当者かつ建築物環境衛生管理技術者として著しい過失と評価されるべきであるから,相当の過失相殺がされなければならない。

(原告らの主張)
(ア)損害の一部に係る時効の援用について
被告市は,進行性の疾病につき,死亡よりも前の段階に相当する病状に基づく損害を時効により控除すべきである旨主張するものと解されるが,このような主張は,既に裁判例(福岡高裁平成7年9月8日判決・
判タ888号67頁参照)において否定されているから,認められるべきではない。

(イ)寄与度減額について
Dは,本件体育館における勤務を開始するより以前に喫煙を止めているから,Dの喫煙歴は,Dが肺がんにり患したことや死亡したことに影響を及ぼしたとはいえない。
(ウ)過失相殺について

被告市は,被告会社が,本件建物の環境衛生管理について委託を受けていた旨主張しているが,そのような事実はなく,被告会社が受託し,Dが担当していた業務は,あくまで電気機械設備の管理にとどまる。また,Dが有していた建築物環境衛生管理技術者の資格は,石綿そのものを取り扱う特定化学物質等作業主任者や石綿作業主任者に比べ,石
綿との関わりは稀薄かつ間接的なものであって,石綿の予防対策等に直接関わるわけではないから,Dが建築物環境衛生管理技術者の資格を有していたことは,過失相殺をすべき根拠にはならない。
さらに,Dがマスクの着用等を怠っていたという事実はない。
第3
1
当裁判所の判断
争点(1)(Dが石綿ばく露作業に従事していたか)について

(1)認定事実
前提事実に加え,各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

石綿含有建材の種類・性質及び使用実態

(ア)石綿含有建材の分類(甲A31)
石綿含有建材は,石綿の飛散性に応じて,飛散性が高い方から順に,以下のとおり3段階に分類されている。
ab
石綿含有吹付け材

発じん性

レベル1

著しく高い

レベル2

石綿含有保温材,耐火被覆材及び断熱材

発じん性
レベル3

その他の石綿含有建材(成形板等)

発じん性

c
高い

比較的低い

(イ)石綿含有吹付け材(甲A30,乙ハA2)
石綿含有吹付け材には,
吹付け石綿,
石綿含有吹付けロックウール
(以

下,特記ない限り石綿を含有するロックウールを単にロックウールという。)等に分類されるが,このような分類における吹付け石綿の石綿含有率は60ないし70%程度であるが,吹付けロックウールの石綿含有率は最大でも30%である。
また,
本件体育館で使用されていた
スプレエースは,石綿(クリソタイル)を含有する吹付けロックウール
であるが,その石綿含有率は12%ないし14.5%である(なお,被告市は,本件体育館で使用されていたスプレエースの石綿含有率は5%程度であると主張する。しかし,スプレエースは,その種類や製造時期によって石綿含有率が異なるところ,本件体育館は,昭和48年に竣工した建物であり,同年までに流通していたスプレエースの石綿含有率は
12%ないし14.5%であるから〔甲A30-2〕,被告市の上記主張は採用することができない。)。

本件体育館の構造

(ア)全体の構造(甲A10,11,甲D3,7,証人F)
本件体育館は,昭和48年に竣工した地上3階及び地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物である。
地下1階には空調室等の設備があり,
地上1階には競技場があるほか,エレベーター機械室等があり,地上2階には観客席や売店,機械室,倉庫等があり,地上3階には観客席があるほか,天井裏となっている。

また,大改修工事以前は,空調機を運転する間(午前6時頃から午後9時頃まで)は,ダクトを通じて本件体育館内全体に空気が循環する仕
組みとなっていたが,大改修工事後は,部屋ごとの個別空調となった。(イ)地下1階(甲A10,11,22,D3,7)
本件体育館の地下1階には,監視盤室(技術作業員室),電気機械室(受配電機械室),自家発電機室,蓄電池室(バッテリー室),ボイラーポンプ機械室,倉庫,東空調室,西空調室及びエレベーター室等があり,その配置は別紙2のとおりである。監視盤室,電気機械室及び自家発電機室は隣接しており,監視盤室は,通路及び自家発電機室から入室することができる。また,蓄電池室は,隣接する電気機械室及び自家発電機室と間仕切りで区切られている。倉庫は,通路を挟んで監視盤室の
向かい側に位置している。
(ウ)1階(甲A10,11,D3,7)
本件体育館の1階は,中央部に第1競技場があり,そこから少し離れた場所に第2競技場がある。第1競技場の周りには倉庫や控室,エレベーター機械室等がある。

(エ)2階(甲A10,11,D3,7)
本件体育館の2階は,中央部が吹き抜けになっており,南側と北側にそれぞれロビーがあり,その四方には,南西側に倉庫,
南東側,北東側,
北西側の3か所に機械室(以下,設置されている方角に対応してそれぞれ南東機械室,北東機械室,北西機械室といい,これらを

総称して2階機械室という。)がある。
(オ)3階(甲A10~12,D3,7)
本件体育館の3階には,観客席,天井裏,キャットウォーク(つり下げ通路)及びトップギャラリーがある。キャットウォークに入るためには,天井裏を通らなければならず,キャットウォークの入口には舞台装
置が設置されていた。また,キャットウォークの内部には,コアという競技場照明装置が設置された場所が複数あった。

トップギャラリーには,キャットウォーク中央にある梯子を上った先にある点検口から入室することができ,
その中には,
機械室が4つあり,
各機械室には4台ずつ空調機が設置されていた。そして,これらの空調機は,1年に2回行われる清掃の時以外は運転し続けていたところ,本件体育館の空気は,天井裏まで吸い上げられ,さらに,天井裏からトッ
プギャラリーにある機械室まで吸い上げられて,そこから本件体育館の外部に空気が排出される仕組みとなっていた。

本件体育館における石綿の使用状況(甲A7,乙ハA2)
本件体育館では,石綿を含有する建材等として,別紙1石綿使用箇所一覧表のとおり,複数の箇所に,石綿板,
吹付けスプレエース,
岩綿化粧板,有孔石綿板,高級着色石綿セメント板及び着色石綿吹付といった石綿含有建材等が使用されていた。エ
本件業務の具体的内容及び各室の石綿含有建材の状況等

(ア)本件業務の概要(甲A1,D3,5,7,乙イA5~12,C1,D1,2,証人F)
Dは,平成2年5月頃から本件体育館において研修生として勤務を開始し,同年9月に被告会社の正式な従業員になったが,それから平成17年7月頃に肺がんの手術を受けるために入院するまでの間,下記のとおり,本件体育館の現場管理責任者として本件業務に従事しており,そ
の間,Dの従事していた本件業務の内容に大きな変更はなかった。具体的には,Dは毎月約22日程度出勤しており,通常は午前8時半から午後5時半まで勤務していた。
また,
勤務を始めてしばらくの間は,
交代で宿直勤務をすることがあり,宿直勤務をする場合には,監視盤室内で寝泊まりをしていた。さらに,本件体育館に勤務していた職員はD
を含め8名ないし10名程度であるが,従業員の勤務形態はローテーション制であって,日中は常時4名程度の従業員が勤務していた。

Dは,現場管理責任者であり,1日のうち半日程度は地下1階の監視盤室において日報の作成等を行っており,日常の点検作業等は,D以外の従業員が行うことが多かったが,D自身が本件体育館内の電気機械設備の点検作業等を行うこともあり,また,他の従業員が点検作業等を行っている場所に立ち会うこともあった。また,本件体育館の設備等にトラブルが生じた場合には,
Dが現場に行き,
直接対応することがあった。
なお,監視盤室は,電気機械室や自家発電機室と隣接しており,Dが本件体育館内で作業に当たっている際は,自家発電機室と監視盤室のドアは閉められていたものの,その他の各室のドアは開け放たれているこ
とがあり,早朝から夜間まで空調運転がされていたため,本件体育館内のほこりやちりは,監視盤室を含め各室に飛散し,浮遊していることがあった。
(イ)石綿含有吹付け材の使用状況及び本件業務の具体的な内容(甲A6,11,12,19~21,37,D3,7,乙イA5~10,D1,2)別紙1石綿使用箇所一覧表のとおり,本件体育館内の複数箇所

において吹付けロックウール(スプレエース)や着色石綿吹付けが使用されていたところ,各室における石綿含有吹付け材の使用状況やDを含む被告会社の従業員の作業内容は,以下のとおりである。ただし,日常業務としての巡回点検作業や清掃作業等の現場作業については,主としてD以外の従業員が行っていた。
a
電気機械室(受配電設備室)(地下1階)

(a)電気機械室の室内の状況
別紙1のとおり,電気機械室の室内の壁や天井には吹付けロック
ウールが施されており,特に大改修工事以前は,劣化のため所々剥離し,
床には剥離した吹付けロックウールが粉のように落ちていた。
また,電気機械室には,資材の保管棚があったため,資材等の出

し入れのために被告会社の従業員が頻繁に出入りしていた。
(b)巡回点検
毎日1回,30分ないし40分程度,室内の温湿度計の計測や記
録,電気メーターの計測や記録及び高圧ケーブルの目視点検といった作業を行っていた。

(c)電力日誌記録
毎日10回前後,各5分程度,電気メーターを確認し,消費電力
の計測や記録等を行っていた。
(d)受配電設備の点検・清掃
毎月3回,4,5時間程度,高圧受電盤等の受配電設備の点検や

清掃を行っていた。また,年1回程度高圧キュービクル(非常用電源・低圧動力源・低圧電灯盤の内部)
内に入って,
清掃をしていた。
(e)絶縁抵抗の測定
年1回,3日程度かけて,電気機械室内の絶縁抵抗を測定してい
た。

(f)業者点検等の立会い
年2回,高圧受電設備の点検等のため,業者が点検作業等を行う
ことがあり,Dはそれに立ち会うことがあった。
(g)トラブル対応
電気機器のトラブルが発生することがあったが,
そのような場合,

被告会社の従業員が,電気機器の点検・操作,復旧作業や原因究明等のために数時間にわたり電気機械室に滞在することがあった。
b
自家発電機室・バッテリー室(蓄電池室)(地下1階)

(a)自家発電機室及びバッテリー室の室内の状況
別紙1のとおり,自家発電機室やバッテリー室の壁や天井には吹
付けロックウールが施されていたが,劣化のため所々剥離して,床
に粉のように落ちていた。
(b)巡回点検
自家発電機室については,毎日1回,3分ないし5分程度,各発
電機の周りを巡回し,目視点検や,発電機の燃料タンク内の燃料の量の確認等を行っていた。バッテリー室については,毎日1回,2
分程度,バッテリー室内にある大型蓄電池の点検を行っていた。
(c)自家発電機の試運転
毎月4回程度,約1時間かけて,2基ある発電機を1日に1基ず
つ試運転させ,燃料タンク等を点検していた。試運転後には,壁・天井・排気管からの剥離物等を掃除機で吸い取り,濡れタオル等で
床面を清掃した。なお,試運転をしている際には,発電機の振動や巻き起こる風のために,室内にほこりが飛散していた。
(d)物の出し入れ
自家発電機室には,本件体育館の建築図面や電気設備等の図面が
保管されていたため,必要な時に被告会社の従業員が出入りするこ
とがあった。また,冷蔵庫等も備え置かれていたので,従業員が食事等の際に出入りしていた。
(e)危険物の点検
毎月1回,10分程度かけて,自家発電機室内のオイルタンクの
オイル量を測定するなどしていた。

(f)業者による修理等の立会い
数年に1回,自家発電機室内の発電機の分解修理等が行われ,こ
の作業に立ち会うことがあった。
c
エレベーター機械室(1階)
毎月1回,30分程度,エレベーター業者が機械の点検に訪れる際に,室内の清掃等を行っていた。

d
ロビー(2階)

(a)天井の照明器具の取替え
ロビーにある照明器具が破損するなどした際に,二連梯子を使用
して,照明器具の取替えを行っていた。なお,この二連梯子は2階の東南機械室内の細長い通路に収納されていたため,二連梯子の出
し入れの際に,壁を損傷することがあり,これによって東南機械室の壁に吹付けられていた吹付けロックウールが剥落することがあった。
(b)清掃
年2回行われる本件体育館内での大掃除の際に,1日かけて清掃

を行っていた。
e
2階機械室(2階)

(a)機械室内の状況
別紙1のとおり,2階機械室の天井や壁には吹付けロックウール
が施されていたが,
ボロボロに劣化し,
剥離している箇所があった。
(b)巡回点検
毎日1回,5分程度の時間で,2階にある機械室を巡回し,室内
の点検作業を行っていた。
(c)空調フィルター点検

毎月1回,
30分程度,
空調機内の点検及び清掃等を行っていた。
この作業の際には,フィルターを取り外した上で清掃を行っていたため,室内にほこりが飛散していた。
(d)Vベルト及び軸受け点検
毎月1回,6時間ないし8時間程度かけて,空調機器のVベルト

の取替や軸受けの調整作業を行っていた。Vベルトは,運転させると高速で回転することから,室内に強い風が起こり,また,ベルト
から屑が落ちるなどして,室内にはほこりが飛散していた。
(e)配電盤の点検
毎月3回,各10分程度,照明器具やソケット盤に付着している
ほこりをはけで払い,また,動力盤の運転状況等を点検する作業を行っていた。

(f)清掃作業
年2回行われる本件体育館内での大掃除の際に,1日かけて清掃
を行っていた。
f
大アリーナ天井裏(3階)

(a)天井裏の状況
別紙1のとおり,大アリーナ天井裏の壁には吹付けロックウール
が施されていたが,
ボロボロに劣化し,
剥離している箇所があった。
(b)作業内容
天井裏には客室照明装置を上下させるワイヤーが設置されている
ところ,客室照明装置の照明球の交換のために,天井裏に入って作
業をすることがあった。そして,この作業は,年2回程度の頻度であったが,照明球の交換に加え,照明装置の清掃等を約1時間かけて行っていた。
なお,
Dは,
天井裏で作業をする際には,
マスクを着用していた。
g
キャットウォーク(3階)

(a)キャットウォークの状況
キャットウォーク内の足場や手すりには,
ほこりが積もっていた。
(b)作業内容
年2回行われる本件体育館内での大掃除の際に,キャットウォー
ク内を1日かけて清掃していた。また,年に複数回,舞台装置を操作することがあるほか,年一,二回,1日かけて舞台装置の清掃を
行っていた。さらに,年に複数回,コア内にある照明器具を交換することがあった。
h
トップギャラリー(3階)
トップギャラリーでの作業は年に2回程度であり,1日かけて各機
械室内の空調機の清掃,点検,部品交換及び試運転を行っていた。なお,Dは,トップギャラリーで作業をする際には,マスクを着用していた。
(ウ)岩綿化粧板等の取替作業(甲A7,D3,7)
本件体育館内では,石綿含有吹付け材のみならず,別紙1石綿使用箇所一覧表のとおり,岩綿化粧板等の石綿含有建材が使用されてい
た。
そして,これら岩綿化粧板等の建材は,本件体育館を利用する子どもらの行為により破損することがあり,その場合には,破損した化粧板を破壊して取り替えなければならず,この作業の際にほこりが舞うことがあった。
なお,D自身がこのように破損した岩綿化粧板等の取替えを行ったのは,本件体育館で勤務していた期間を通じて20回程度であった。(エ)大改修工事中の作業内容(甲A37,D3,7)
本件体育館では,平成6年12月から平成7年6月にかけて,本件体
育館内の空調システムを全体空調から個別空調に代えるため,それまで使用されていた空調機器・ボイラーが撤去され,部屋ごとに空調機器が備え付けられた。大改修工事では,監視盤室の天井が取り壊されたり,電気機械室の機械が全て取り替えられたりしたが,その際には大量の粉じんが舞い上がっていた。

大改修工事の間,Dらは,それまで待機室として利用していた監視盤室を使うことができなかったため,監視盤室の向かい側にある地下1階
ボイラーポンプ機械室の隣の倉庫(資材室)を待機室として利用していた。そして,大改修工事の期間中は,本件体育館は閉館していたため,Dらは,本件体育館内の点検作業等を行う以外は,資材室で過ごしていた。また,資材室には窓がなかったため,資材室の扉は常時開放されていた。

(オ)その他のDの職歴(甲D4,7,E5)
Dは,平成2年5月頃に本件体育館での勤務を開始するまで,石綿やその他の粉じんにばく露するような作業に就いたことはなかった。オ
本件体育館における石綿の使用実態の調査等

(ア)被告市は,昭和62年から昭和63年にかけて,北九州市内の約2080の施設について石綿の使用実態等について調査を実施し,そのうち27施設において吹付け石綿(石綿含有量30%以上)が使用されていること,31施設において吹付けロックウール(石綿含有率5%以上30%未満)が使用されていることを確認した。

被告市は,昭和62年頃は,石綿含有率30%以上の吹付け石綿のみを処置の対象としており,吹付け石綿が剥離ないし飛散している箇所について,吹付け石綿の除去,封じ込め又は囲い込みの処置をし,吹付け石綿が剥離も飛散もしていない建物については,その状態を保つこととした。

もっとも,被告市は,平成3年以降,石綿含有率5%以上30%未満の吹付けロックウールについても処置の対象とした。その一方で,成形板等に石綿が含まれている場合については,石綿が飛散する可能性が非常に少ないとして,調査及び処置の対象としていない。
そして,本件体育館においては,下記のとおり,平成17年7月に至
るまで,
石綿の除去作業等は行われなかった。
(以上につき,乙ロA1)
(イ)被告市は,平成17年頃から,それまで何ら処置をしていなかった本
件体育館を含む被告市所有の施設等について,石綿の実態調査を開始した。この調査の結果,どの施設も石綿の剥離,飛散の可能性はなく,石綿にばく露するおそれはないとされたが,調査対象となった22施設のうち本件体育館を含む3つの施設については,物の出し入れの際に接触するなどして欠損した箇所が数か所あったことから,予算確保の上,なるべく早く処置が必要な施設とされた(乙ロA1)。
(ウ)平成17年9月28日に実施された本件体育館の調査では,以下の箇所に吹付け石綿又は吹付けロックウールが使用されており,そのうち,下記aの箇所については,平成19年度以降に計画的に処理すれば足り
るとされ,下記bの箇所については,平成18年度中に処理すべきとされたが,
いずれの箇所についても,
早期に処理すべきとはされず,
また,
石綿ばく露のおそれはないとされた。
a
平成19年度以降に計画的に処理することとされた箇所

(a)地下1階自家発電機室
(b)地下1階電気機械室
(c)1階エレベーター機械室
(d)2階南ロビー
(e)2階北ロビー
(f)大アリーナ

(g)大アリーナキャットウォーク上トップギャラリー
b
平成18年度中に処理すべきとされた箇所

(a)2階東南機械室
(b)2階北西機械室
(c)2階北東機械室
なお,2階機械室は倉庫として使用されていたところ,上記調査
の際には,壁及び天井に破損があった。

(以上につき,甲A6,7)
(エ)また,本件体育館では,平成17年11月24日及び同年12月21日に,大アリーナ観客席東南角,2階東南機械室,地下1階自家発電機械室,2階北東機械室及び2階北西機械室において,空気中の石綿濃度の測定が行われた(平成17年実態調査)。この測定の結果,上記各室
における石綿濃度は,いずれも0.3f/L(空気1リットル当たりの石綿繊維が0.3本〔0.0003f/ml〕)であった。なお,この測定の際,本件体育館内は,ほぼ無風の状態であった。
さらに,本件体育館の地下1階電気機械室,自家発電機室,2階北東機械室,2階東南機械室,2階北西機械室及び大アリーナの天井・梁に
使用されていた建材からはクリソタイルが検出され,
その濃度は0.
7%
ないし1.8%であった。
(以上につき,甲A6,乙ロA4)
(オ)本件体育館では,
前提事実(2)のとおり,
平成18年8月16日から同
年12月6日にかけて石綿除去工事が行われた(甲A7)。

(2)事実認定の補足説明

前記(1)の認定事実に対し,被告らは,本件体育館において,石綿含有吹
付け材が劣化して剥離し,ほこり等が飛散していた事実はない旨主張し,Fはこれに沿う供述をする。
しかし,Fは,平成9年4月頃から平成11年2月頃までの約2年弱しか本件体育館で勤務しておらず,それ以外の期間については,本件体育館の状況を把握しておらず,特に大改修工事前や大改修工事中の状況等について知るところではないから,Fの供述に基づいて,Dが勤務していた全期間にわたって,本件体育館における石綿含有吹付け材が劣化・剥離し,
ほこりが飛散していた事実はないなどということはできない。むしろ,Gの供述録取書(甲A37の1)によれば,自家発電機室,電気機械室及び
蓄電池室等には吹付け石綿が壁や天井にあったとした上で,吹付け石綿が劣化して床に粉が落ちており,その吹付け面は剥がれ易い状態になっており,服等が壁に触れると白い粉が付いたなどとされていることや,石綿の除去工事が行われる以前の平成18年1月4日付けで作成された分析結果報告書に添付の写真(甲A6の3〔7~9頁〕)によれば,2階機械室の壁は劣化し,剥がれ易い状態になっており,その一部は剥離し,床や物の上に粉や塊として落ちていることが認められることに照らせば,Dが本件体育館で勤務している間,石綿含有吹付け材が劣化して剥離していたものと認めるのが相当である。
以上によれば,被告らの上記主張は採用することができない。


また,被告会社は,技術知識に乏しく心臓ペースメーカーを付けている
Dが,人員が足りている中で,現場作業に従事する必要はなく,責任者としての業務に専念していた旨主張し,本件体育館で業務に当たっていたFはこれに沿う供述をするほか,Gの陳述書(乙イD2)にもこれに沿う記載がある。
確かに,認定事実エのとおり,Dが,本件体育館において,他の従業員と同様に日常業務として現場作業に当たっていたことまでは認められないものの,本件体育館で日中に勤務する授業員の数はDを含め4名程度と比較的少人数であり(認定事実エ(ア)),Dは心臓ペースメーカーを付けてい
るとはいえ,現場作業を行うことができないほどの体調であったとは認められないから,Dも,状況に応じて,電気機械設備の保守管理や点検等の現場作業に当たっていたと考えられる。また,Fは,前記アのとおり,本件体育館での勤務期間は2年弱ほどしかなく,Dと共に業務に従事していた期間は限られているから,Fの供述に基づいて,Dが本件体育館の現場
作業に従事することがなかったと認めることはできない。さらに,Gの上記陳述書は,Dが被告会社を退職してから10年以上経過した後に作成さ
れたものであるが,GがDの具体的な勤務内容を長期間にわたり正しく記憶しているとは考え難く,上記陳述書によって,Dが現場作業を行う機会は他の従業員よりも少なかったとはいえても,Dが必要に応じて現場作業に従事していたことまで否定することはできない。
したがって,Fの供述やGの陳述書を踏まえても,Dは,主として現場管理責任者としての業務に従事していたが,必要に応じて現場作業に従事することがあったと認めるのが相当であり,被告会社の上記主張はこれに反する限度において採用することができない。
(3)検討

前記認定事実によれば,
本件体育館の構造や石綿の使用状況等については,
本件体育館内にある電気機械室,自家発電機室・バッテリー室,エレベーター機械室,ロビー,2階機械室,大アリーナ天井裏及びトップギャラリーの壁又は天井には,発じん性が著しく高い吹付け石綿又は石綿含有率が12%ないし14.5%の吹付けロックウールがそれぞれ施されていたこと(認定
事実ア(イ),ウ),そのうち一部の吹付けロックウールは,劣化のため壁や天井から剥落し,粉状になって床に落ちていたこと(認定事実エ(イ)),空調機を運転していたため,本件体育館全体に空気が循環しており,また,各室のドアを開けっぱなしにすることもあったので,Dが長時間待機している監視盤室を含め各室にはほこりやちりが舞うことがあったこと
(認定事実イ(ア),

エ(ア)),石綿が使用されている電気機械室や自家発電機室においては,清掃作業や点検作業中に室内にほこりが飛散し,これらの部屋には,Dを含む被告会社の従業員も資材や資料の出し入れ等のため出入りしていたこと(認定事実エ(イ)),特に大改修工事中は,天井を壊したり,機器を取り替えたりしたため,待機室である地下1階の資材室を含め本件体育館の地下1階には大
量の粉じんが舞い上がっていたこと(認定事実エ(エ))等が認められる。次に,Dが従事していた本件業務の内容等をみると,Dは,平成2年5月
頃から平成17年7月までの間,本件体育館において,主に現場管理責任者として業務に従事していたが,現場管理責任者としての日報作成等の業務のほか,必要に応じて,本件体育館内の電気機械設備の管理や点検等に当たったり,
現場に臨み,
直接トラブル対応に当たったりしたこと
(認定事実エ(ア)(イ))

自ら岩綿化粧板の取替作業を行うこともあったこと
(認定事実エ(ウ))監視
,
盤室の天井が取り壊されるなどして大量の粉じんが飛散していた大改修工事の間,Dは扉が常時開け放たれていた資材室を待機室として利用していたこと(認定事実エ(エ))等が認められる。
これらを総合すると,Dは,石綿含有建材を直接扱うことはさほど多くな
かったといえるが,石綿粉じんが相当程度飛散する場所で,設備の管理や点検を含む現場作業や現場責任者としての業務に従事していたといえ,石綿粉じんばく露の危険性を有する作業に従事していたということができる。(4)被告らの主張

被告市は,本件体育館で使用されている吹付けロックウールの石綿含有
率が5%程度であるとして,本件体育館内に多量の石綿粉じんが飛散していたとはいえない旨主張する。
しかし,認定事実ア(イ)のとおり,本件体育館で使用されている吹付けロックウールの石綿含有率は,12%ないし14.5%であり,被告市の主張は前提を誤っているといえる。また,石綿含有建材のうち石綿含有吹付
け材は,最も飛散性の高いものと分類されているし(認定事実ア(ア)),実際,被告市においても,平成3年以降は石綿含有率5%以上の吹付けロックウールについて処置の対象としていること
(認定事実オ(ア))
からすれば,
本件体育館で使用されている石綿含有建材が吹付けロックウールであったとしても,石綿粉じんが飛散する危険性は優に認められる。被告市の上記
主張は採用することができない。

また,被告市は,平成17年実態調査の結果を根拠に,本件体育館内に
おける石綿の濃度は非常に低かった旨主張する。
しかし,建築物内における石綿含有建材から石綿繊維が遊離していなければ,建築物内の空気は一般環境大気中と同じ程度の濃度と考えられているところ(乙ロA2),Dが本件体育館で勤務している間は,空調機器により空気の循環が行われていたのに対し,平成17年実態調査は,ほぼ無
風の状態で行われたものであるし,調査が行われている間は,体育館としての一般の利用のみならず管理業務の一部も行われていなかったと考えられるから,平成17年実態調査の結果は,調査中に石綿繊維が遊離していなかったために石綿濃度が低く計測された可能性がある。また,そもそも石綿繊維の濃度を測定することが容易でないとされている(乙ロA2)。
これらに照らすと,平成17年実態調査は,特に大改修工事前や同工事中などDが勤務していた期間における本件体育館内の石綿粉じんの飛散状況を正確に反映したものではない可能性があるというべきであり,これに基づく被告市の上記主張は採用することができない。
(5)小括
以上によれば,Dは,平成2年5月頃に本件体育館で本件業務を開始してから,平成17年7月に本件体育館における勤務を止めるまでの間,石綿粉じんばく露の危険性を有する作業に従事していたということができる。2
争点(2)(石綿粉じんばく露と死亡との因果関係)について

(1)判断方法
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合して検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるも
のであることを必要とし,かつそれで足りるところ(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁),Dがり患した各疾
病及びその疾病と死亡との間にこのような因果関係が認められるかどうかにつき,以下検討する。
(2)認定事実
前提事実に加え,各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

Dの既往歴等

(ア)D(昭和10年2月15日生)は,20歳頃から50歳頃(昭和60年頃)までの間,1日当たりたばこを15ないし20本程度吸っていたが,50歳頃に禁煙した後は,死亡するまで禁煙を続けた(甲B9,21,24,D4,11,証人F)。

(イ)Dは,昭和28年3月頃(当時18歳),結核にり患し,10か月程度病院に入院したが,
投薬治療を行った結果,
結核は治癒した
(甲D2,
4,7)。
(ウ)Dは,平成14年2月(当時67歳),心臓に疾患があったため,心臓ペースメーカーを埋め込んだ(甲B9,D4,7,11,E4,原告
A)。

Dの診療経過等

(ア)Dは,平成17年7月1日(当時70歳),小倉記念病院において肺機能検査を受けたが,その検査結果は,パーセント肺活量76.2%,1秒率70.2%であった(甲D14)。
(イ)Dは,肺腫瘤の診断を受けたため,平成17年7月19日から小倉記念病院に入院したところ,同月21日,肺がんにり患していることが判明した。そこで,Dは,同日及び同年8月4日に手術を受け,左肺下葉を切除した。

Dは,左肺を摘出してからしばらくして,息苦しさが増したため,外出の際には,酸素ボンベを使用するようになった。また,体調が悪いと
きや遠方に外出する際は,車いすを利用して移動した。
(以上につき,甲B21,D4,7,原告A)
(ウ)Dは,平成17年10月,小倉記念病院において肺機能検査を受けたが,その検査結果は,パーセント肺活量52%,1秒率80%であった(甲B24)。
(エ)Dは,平成17年7月1から平成18年5月12日までの間,肺がんに関する治療を受けたが,その間に行われた診断結果に基づき,小倉記念病院H医師が作成した平成18年6月26日付け診断
(意見)
書には,
胸膜プラークに係る情報について,

胸膜肥厚は認められるが,肺結核の既往があるため,この変化が石綿によるかの判断は困難である。

との,患者の石綿ばく露と発症との因果関係について,

X線写真,CT上,胸膜肥厚,肺線維化を認める。当院における病理検査上は,石綿による特異的変化は認められなかった。

との記載がある(甲B24〔5頁〕)。

(オ)長崎労災病院は,Dの切除した肺について,平成18年11月8日,石綿小体濃度等について測定したところ,Dの乾燥肺1g当たりの石綿小体数は469本であった。
また,九州労災病院は,平成19年7月24日,上記と同様の測定をしたところ,Dの乾燥肺1g当たりの石綿小体数は430.6本であっ
た。

(以上につき,甲E6,7)

(カ)Dは,平成20年11月,九州労災病院において,心不全の診断を受けたため,3か月程度入院したが,その入院期間中に心筋梗塞も併発した。Dは,退院後から死亡するまでの間,心臓のリハビリのために週2回程度通院を続けた。(甲D4,7,原告A)
(キ)Dは,平成20年12月31日から平成21年1月6日まで肺炎のため入院した。Dは,その後も複数回にわたり,上気道炎及び肺炎のため
に入院することがあった。
また,Dは,同年頃から階段の昇降が困難になり,就寝時も含めて常に酸素ボンベを使用し,酸素を吸入していた。
(以上につき,甲D4,7,11,12,原告A)
(ク)Dは,平成21年6月27日から同月29日にかけて,じん肺健康診断を受診した。E医師は,その結果に基づき,同日付けでじん肺健康診断結果証明書(甲B1)を作成したところ,同書には,以下の内容の記載がある。(甲B1)
ab
1秒率

89.2%

パーセント肺活量

d
酸素分圧(PaO2)

e
炭酸ガス分圧(PaCO2)

f
1.15リットル

c
肺活量

判定

g
エックス線特殊撮影

37.0%
83.2TORR
41.0TORR

F(++)(じん肺による著しい肺機能障害がある)
右下葉に蜂窩状所見及び胸膜プラークを認め

ることから,典型的な石綿肺と判断される。
h
医師意見

2型の石綿肺に加え,4年前の肺がんの摘出手術のため

肺活量の低下が著しい状態である。肺がんかつ石綿との関連性があることから,総合的に判断してじん肺管理区分4相当と判断する。
(ケ)Dは,平成22年11月22日,じん肺健康診断を受診した。九州労災病院I医師は,その結果に基づき,同日付けでじん肺健康診断結果証明書
(甲B9)
を作成したところ,
同書には,
以下の内容の記載がある。
(甲B9)
a
肺活量

1.22リットル

b
1秒率

91.5%

c
パーセント肺活量

39.4%

de
炭酸ガス分圧(PaCO2)

f
判定

g
酸素分圧(PaO2)

67.0TORR

医師意見

46.3TORR

F(+)(じん肺による肺機能障害がある)
第1型相当の石綿肺疑い。管理区分2に相当すると考え

られる。
(コ)Dは,平成24年12月28日,九州労災病院において肺機能検査を受けたが,その検査結果は,パーセント肺活量31.32%,1秒率80.51%であった(甲D14)。
(サ)Dは,発熱及びせきの症状がみられたため,平成25年9月6日,九
州労災病院に入院したところ,細菌性肺炎にり患していることが判明した。
Dは,同月9日に腎機能障害が増悪し,同月10日に心不全との合併症と診断され,
その後心不全が増悪し,
同月12日,
呼吸不全が増悪し,
ARDSを発症した。

Dが,同日頃,医師や家族に対し,延命措置を行わない旨希望したため,医師は,Dやその家族と協議し,心肺蘇生を行わない方針を決め,これ以降は鎮痛及び鎮静を目的とした緩和ケアが行われた。
Dは,同月14日,ARDSを直接の死因として死亡した。
なお,九州労災病院J医師作成の死亡届(甲B18)には,直接死因
としてARDS,直接死因の原因として細菌性肺炎,直接には
死因に関係しないがARDSや細菌性肺炎の傷病経過に影響を及ぼした傷病名として間質性肺炎と記載されている。
(以上につき,甲B18,19,25,D14,原告A)
(シ)Dの死亡後に行われた胸部解剖の結果に基づき作成された平成25年
11月20日付け病理解剖プロトコール(甲B19)では,主病変として,左肺がん,副病変として,肺病変,二次性間質性肺炎,胸膜プラー
ク等が掲げられ,死因としては,肺病変による呼吸不全とされており,Dの右肺には胸膜プラークと一致する所見があったとされている(甲B19)。

Dの疾病や死因に関する医師の意見

(ア)E医師の意見(甲B14,D1,2,6,8,E14)
E医師は,本件行政訴訟において提出された意見書(甲D1,2)や同訴訟において行われた尋問(甲D8)において,Dの石綿肺のり患の有無等につき,要旨,以下のとおり述べる。
平成21年6月27日撮影のDの胸部エックス線写真(甲E14〔8
頁〕。以下本件エックス線写真という。)で確認できる右下肺野には,じん肺法上の第2型の中では,第1型に近い程度の数の不整形陰影(以下本件不整形陰影という。)を確認することができる。
Dの右肺の肺内には間質の線維化の所見が認められる。また,右肺内の下葉には,細網状,網状の陰が比較的密に存在し,同日撮影の胸部C
T画像
(甲B14,D6)
には,
蜂窩肺を示す小輪状影も広がっている。
同日撮影のDの肺の高分解CT(HRCT)画像(甲B14,D6。以下本件HRCT画像という。)において,Dの右肺の下葉背部に確認できる胸膜肥厚(以下本件胸膜肥厚という。)は,胸膜プラークの好発部位にあることや,胸膜下脂肪層や肋間静脈と区別して確認す
ることができること等から胸膜プラークであると考えるべきである。石綿による胸膜プラークと肺内の細網状,網状陰影及び小輪状影を総合し,石綿肺の標準フィルムに照らすと,Dは石綿肺にり患していると判断できる。
(イ)K医師の意見(甲B14,D6,8,E14,20,36)
K医師は,
本件行政訴訟において提出された意見書
(甲E14,
20,
36)や同訴訟において行われた尋問(甲D8)において,Dの石綿肺
のり患の有無等につき,要旨,以下のとおり述べる。
本件エックス線写真で確認できる本件不整形陰影の数をみると,少数確認できるため,これがじん肺によるものであれば,じん肺法上の第1型相当である。
本件HRCT画像をみると,本件不整形陰影には,細気管支の拡張や網状影等の線維化の所見が認められるが,本件HRCT画像上は,石綿肺に特徴的な粒状影がみられないので,石綿肺と特発性間質性肺炎を含むその他の肺炎とを鑑別することは困難である。
本件胸膜肥厚は確認できるが,本件HRCT画像上は,薄い一様な肥
厚で,限局性に突出している所見がなく,結節状とかクッション状と表現される典型的な胸膜プラークの所見を有していないため,画像所見のみでは胸膜プラークかどうか判断できない。胸膜肥厚はいろいろな原因により生じ得る所見であり,特にDは肺結核の既往歴があり,本件HRCT画像からは,両肺の上葉並びに右肺の中葉及び下葉に陳旧性結核性
胸膜炎の所見としての点状の石灰化があり,その周囲に胸膜肥厚が多数認められるため,本件胸膜肥厚も胸膜プラークと考えるよりは陳旧性結核性胸膜炎と考える方が妥当であるが,胸膜プラークの可能性を完全に否定することはできない。
(ウ)L医師の意見書(甲D11)

千鳥橋病院L医師作成の意見書(甲D11)には,以下のような記載がある。
Dの肺機能について,左肺下葉の切除時点において,著しい肺機能障害が認められ,これは,業務に起因する肺がんの手術のために生じたものであるが,肺がんによる左肺下葉切除だけでこれほど肺機能が落ちる
とは考え難いので,肺機能の低下には肺の線維化も影響を及ぼしていると判断でき,Dの肺機能障害は,その後も回復することなく継続してい
る。
また,じん肺(石綿肺)が肺炎を生じやすい易感染性の状態であることは既知の事実である。Dは,平成21年から平成25年までの間に,複数回にわたり上道炎や肺炎により入院しているが,これは,じん肺による易感染性の状態が存在していたからであると考えられる。このよう
な点を考慮すると,ARDSの原因とされる肺炎は,石綿肺に関連した肺炎と判断できる。
さらに,ARDSは死亡率が高い重篤な呼吸不全であるが,呼吸管理の進歩により,徐々に死亡率が低下している。しかし,本件では,呼吸不全が進行した平成25年9月12日に本人の希望を受けて,心肺蘇生
を行わないこととし,人工呼吸器管理等の積極的な治療を行わなかった結果,Dは同月14日に死亡した。こうした決断をしたのは,基礎疾患に石綿肺による肺がんの手術後で著しい肺機能障害が存在したことにより,本人や家族が呼吸器管理を耐え難い苦痛と感じたためであると考えられる。石綿肺の肺機能障害が軽微であれば,ARDSに対して標準的
な治療を継続し救命できた可能性が指摘できる。

石綿肺に関する医学的知見等

(ア)平成18年報告書(甲E11)
平成17年頃に職業性の石綿粉じんばく露による中皮腫や肺がんの発生が社会問題となったことにより,政府において石綿による健康被害に係る医学的判断に関する検討会が立ち上げられ,石綿関連疾患の範囲及び当該疾患が石綿を原因とするものであるとするための医学的判断について,平成18年2月に平成18年報告書を作成した。
平成18年報告書には,石綿肺に関する医学的知見について,次の内
容が記載されている。
a
石綿肺の所見は,一般に,石綿ばく露開始後概ね10年以上経過し
て現れる。石綿セメント等の石綿製品製造作業では5年程度のばく露で石綿肺の所見が現れ,石綿吹付け,石綿紡織では1年程度のばく露でも所見がみられることがある。
b
客観的な石綿ばく露作業歴が確認でき,エックス線所見及び肺機能低下が認められた場合に石綿によるものと考え,石綿肺と診断される
ものであり,石綿ばく露歴が確認できなければ石綿が原因であると診断することは難しい。
(イ)医学的判定に係る資料に関する留意事項(甲E33。以下本件留意事項という。)中央環境審議会石綿健康被害判定小委員会は,平成18年に本件留意
事項を作成したが,最近の医学的判定の考え方等を踏まえて,平成25年6月に本件留意事項の内容の一部を改定した。
改定後の本件留意事項には,石綿肺に関する医学的知見について,次の内容が記載されている。
a
石綿肺は石綿を大量に吸入することによって発生するびまん性間質性肺炎・肺線維症である。石綿肺に特徴的な放射線画像所見は報告されているものの,通常,石綿肺以外の原因によるびまん性間質性肺炎・肺線維症の可能性がないと診断できる特異的な所見はないとされており,
臨床像や放射線画像所見から石綿肺を疑う場合であっても,
石綿以外の原因又は原因不明のびまん性間質性肺炎・肺線維症等との
鑑別に十分留意し,また,大量の石綿へのばく露歴があることを確認することが極めて重要である。
b
石綿肺の放射線画像所見について
一般に石綿肺の胸部単純エックス線所見は,下肺野優位の線状影及
び網状影(不整形陰影)を呈するが,胸部の所見をより適確に把握するためには,CT画像を確認することが必要であり,高分解CT(H
RCT)が特に有用である。
石綿肺のHRCT所見としては,
小葉内網状影,
小葉間隔壁の肥厚,
胸膜下線状影,胸膜に接した結節影,スリガラス影,嚢胞,肺実質内帯状影,蜂窩肺等が挙げられるが,これらの所見は,特発性肺線維症等にもみられ,必ずしも石綿肺に特異的なものではないことに留意す
る。
c
他疾患との鑑別について
石綿肺は,病態としてはびまん性間質性肺炎・肺線維症の一種である。このため,医学的判定に当たっては,石綿以外の原因又は原因不明のびまん性間質性肺炎・肺線維症との鑑別が必要である。また,老
齢の患者,初期の左室不全の患者,重喫煙者等においても,放射線画像上,石綿肺に類似した不整形陰影が下肺野にみられることから,これらの病態との鑑別も必要である。
d
大量の石綿のばく露の確認について
石綿肺は一般的に大量の石綿のばく露によって発症することが知ら
れており,医学的判定においては,原則的には職歴等から大量の石綿のばく露があったことを確認する必要がある。
e
著しい呼吸機能障害について
石綿肺の呼吸機能障害は,基本的にびまん性の間質の線維化に伴う拘束性障害であることから,パーセント肺活量(%VC)が大きく低
下している場合に著しい呼吸機能障害があるものと判定する。

石綿と肺がんに関する医学的知見

(ア)平成18年報告書(甲E11)
平成18年報告書には,石綿粉じんばく露と肺がん発症との関係について,次のような記載がある。
a
肺がんの原因は石綿以外にも多くあるが,石綿以外の原因による肺
がんを医学的に区別できない以上,肺がんの発症リスクを2倍以上に高める石綿ばく露があった場合をもって,石綿に起因するものとみなすのが妥当である。
b
石綿繊維25本/ml×年(本件累積ばく露量)は,石綿ばく露によって肺がんの発症リスクが2倍とする指標として妥当である。

本件累積ばく露量に相当する指標としては,胸膜プラーク画像所見等,肺内石綿繊維数,石綿肺所見,石綿ばく露作業期間があり,それぞれ次のcからfまでのように考えられる。
c
胸膜プラーク画像所見等を指標とする考え方
胸膜プラークがあることだけをもって肺がん発症リスクが2倍にな
る石綿ばく露があったとはいえないが,胸部エックス線写真又はCT画像で明らかな胸膜プラーク所見がある場合で,胸部エックス線写真でじん肺法上の第1型以上相当の所見があって,かつ,CT画像で肺の線維化所見が認められるものについては,肺がんの発症リスクが2倍以上になるといえる。

d
肺内石綿繊維数を指標とする考え方
本件累積ばく露量のリスクに相当する石綿小体数は,乾燥肺重量1g当たりの石綿小体数を5000本とするのが妥当と考える。

e
石綿肺所見を指標とする考え方
石綿ばく露作業従事歴のある者の石綿肺
(じん肺法上の第1型以上)

は,肺がんリスクを2倍以上に高める所見であると判断して差し支えない。
f
石綿ばく露作業従事期間を指標とする考え方
現行労災認定基準で示されている原則として概ね10年以上のばく
露期間をもって肺がんリスクを2倍に高める指標とみなすことは妥当である。もっとも,従事期間だけを判断指標とすることは,石綿作業
の内容,頻度,程度によっては,必ずしも本件累積ばく露量を満たすとは限らないことから,胸膜プラーク等の医学的所見を併せて評価することが必要である。
(イ)石綿による疾病の認定基準に関する検討会報告書
(甲E22。平以下成24年報告書といい,平成18年報告書と併せて平成18年報告書等という。)平成18年報告書作成後,ヘルシンキ基準の内容に批判的なものも含めて多くの医学的文献が報告されたため,政府は石綿による疾病の認定基準に関する検討会を立ち上げ,平成24年2月,平成24年報告書を
作成した。
平成24年報告書には肺がんに関する次の内容が記載されている。a
肺がん発症の原因が石綿ばく露とみなす考え方
石綿ばく露による肺がんの発症リスク(相対リスク)が2倍以上ある場合に石綿に起因するものとみなす考え方については,今後も維持することが妥当である。

b
肺がん発症原因を石綿ばく露とするための累積ばく露量
現時点においては,これまでと同様に角せん石族石綿とクリソタイルを区別することなく,石綿繊維25本/ml×年(本件累積ばく露量)を肺がんの発症リスクが2倍になる累積ばく露量とみなすのが妥当である。

c
発症リスクが2倍になるばく露量に相当する指標
肺がんの発症リスクが2倍になる石綿累積ばく露量に相当する指標としては,石綿肺所見,胸膜プラーク所見,肺内石綿繊維数,石綿作業ばく露従事期間が想定され,それぞれ次のように考えられる。

d
石綿肺所見の指標
石綿ばく露作業従事歴のある者の石綿肺
(じん肺法上の第1型以上)

は,
肺がん発症リスクを2倍以上に高める所見であるとする考え方は,今後においても維持するのが相当である。
e
胸膜プラーク所見の指標
以下の要件を満たすものは,肺がん発症リスクが2倍になる石綿ばく露があったものとみなして差し支えないものと考える。

(a)胸部正面エックス線写真により胸膜プラークと判断できる明らかな陰影が認められ,かつ,CT画像によって当該陰影が胸膜プラークとして確認されるもの
(b)胸部CT画像で胸膜プラークを認め,左右いずれか一側の胸部CT画像上,胸膜プラークが最も広範囲に描出されたスライスで,そ
の広がりが胸壁内側の1/4以上のもの
f
肺内石綿繊維数等の指標
クリソタイルについて,角せん石族石綿と同じ基準で評価する平成18年報告書は,石綿ばく露労働者の幅広い救済という観点を考慮しているものであると判断する。ただし,石綿小体は,肺の各葉での分
布が異なる可能性やクリソタイル繊維では形成されにくいという特性,石綿小体数計測の方法等を考慮する必要があることから,石綿小体数が5000本未満であることをもって直ちに業務外とせず,職業ばく露が疑われるレベルである乾燥肺重量1g当たり1000本以上ある事案については,個別に審査する方法を継続するのが妥当である。
g
石綿ばく露作業期間の指標
石綿等の製造作業や石綿吹付け作業等以外の作業の従事者については,現在までに日本で得られた知見に照らして,石綿ばく露作業従事期間によって累積ばく露量を推定することは相当でない。

(3)石綿粉じんばく露と死亡との因果関係
石綿粉じんばく露とDの死亡との因果関係については,Dについて,①石
綿肺り患の有無,②石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係の有無,③石綿肺及び肺がん発症と死亡との因果関係の有無が問題となる。

石綿肺り患の有無

(ア)ヘルシンキ基準,平成18年報告書及び本件留意事項によれば,石綿肺のり患の有無については,石綿肺以外の原因によるびまん性間質性肺炎・肺線維症の可能性がないと診断できる特異的な所見はないとされているため,石綿ばく露作業歴や作業内容,初回ばく露から石綿肺の所見が現れるまでの期間に加え,胸部画像所見や肺機能低下の有無等を総合して判断するものと考えられている。

そして,じん肺法4条1項は,じん肺のエックス線写真の像を第1型から第4型まで定義しており,このうち第1型は,両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり,かつ,大陰影がないと認められるものと,第2型は,両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり,かつ,大陰影がないと認められるものとされている。
(イ)まず,Dは,前記1で検討したとおり,平成2年5月頃から本件体育館で業務を開始してから,平成17年9月に被告会社を退職するまでの15年以上もの長期にわたり,石綿粉じんばく露の危険性を有する作業に従事していたことが認められる。
また,Dの右肺のエックス線所見について,Dの右下肺野には第2型
のうち第1型に近い程度の数の不整形陰影(本件不整形陰影)を確認することができるとされていること(認定事実ウ(ア)),E医師の供述やDの死亡解剖の結果によれば,Dの肺にみられる本件胸膜肥厚は,胸膜プラークの好発部位にあること等から,石綿粉じんばく露によってのみ発生すると考えられる胸膜プラークであると認められること(認定事実イ
(シ),ウ(ア)),Dは,左肺下葉の摘出手術を受ける以前から,拘束性障害を伴うほどの肺機能障害を抱えていたこと(認定事実イ(ア))が認めら
れる。
他方で,Dの肺内の石綿小体数は,石綿肺にり患していたと考えるには少数であるが,クリソタイルは石綿小体を形成しにくいという性質を有していることから(前提事実(6)イ),これによって直ちにDが石綿肺にり患していたことを否定することはできない。

以上を総合すると,Dは,客観的な石綿ばく露作業歴を確認することができることに加え,本件不整形陰影や胸膜プラークといった石綿肺のエックス線所見や,肺機能の低下を認めることができるから,石綿肺にり患していたものと認めるのが相当である(なお,本件行政訴訟第1審判決においても,Dはじん肺(石綿肺)にり患していると認定され,少
なくともじん肺管理区分の管理2に該当する旨判断されており,同判決は既に確定している。)。

石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係

(ア)石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係に関する判断基準a
ヘルシンキ基準を参考にして作成された平成18年報告書等では,肺がんの原因が石綿以外にも数多くあり,石綿を原因とする肺がんと石綿以外を原因とする肺がんとを医学的に区別できないことを理由に,石綿ばく露による肺がんの発症リスクが2倍以上ある場合に,肺がんが石綿に起因するものとみなす考え方が採用された上で,石綿繊維25本/ml×年(本件累積ばく露量)が肺がんの発症リスクを2倍と
するばく露量であるとしている。このような考え方は,石綿粉じんばく露と肺がんとの因果関係を判断する上で,確立した医学的知見といえるから,Dが本件業務を行っている間にばく露した石綿粉じんのばく露量が,本件累積ばく露量を満たすかどうか検討する。
b
これに対し,被告市は,ヘルシンキ基準に照らして,石綿粉じんにばく露したことにより,肺がんのリスクが2倍に高められたと評価し
得るとしても,それは寄与危険割合が50%であることを意味するにすぎず,法律上の因果関係を認める指標とはならない旨主張する。しかし,肺がんの原因は石綿以外にも数多くあり,石綿を原因とする肺がんと石綿以外の原因による肺がんを医学的に区別することはできないのであるから,因果関係の有無を判断するためには,肺がん発
症のリスクを基準に判断するほかない。そして,ヘルシンキ基準や平成18年報告書等は,そのリスクが2倍以上あることをもって石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係を認めるという考え方を採用しているが,石綿肺がんの業務起因性を判断するために作成された平成18年基準等は,このような考え方を前提として石綿肺がんの労
災認定基準を定めていると解されることからすれば,ヘルシンキ基準の上記の考え方は,医学的な見地だけでなく,我が国の社会通念に照らしても合理的なものといえる。
よって,これと異なる被告市の主張は採用することができない。
c
さらに,被告市は,石綿粉じんばく露と肺がんとの因果関係を肯定するためには,Dの肺がんについて,石綿粉じんばく露以外の要因がないことを高度の蓋然性をもって証明する必要がある旨主張する。しかし,肺がんは,様々な要因が複合的に影響して発症するものであるから,石綿粉じんばく露以外の要因を排除できない場合には因果
関係を否定するという考え方を採用した場合,石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係については,ほぼ全て否定されることになり不合理である。前記のヘルシンキ基準や平成18年報告書等の考え方は医学的に確立したものであり,社会通念にも合致する考え方であるといえるから,
石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係については,

これを用いて判断するほかないというべきであり,これを満たす場合には,他に複合的な原因が考えられる場合であっても,上記因果関係
は否定されないものと解するのが相当である。
したがって,これと異なる被告市の上記主張は採用することができない。
(イ)平成18年報告書等は,本件累積ばく露量(石綿繊維25本/ml×年)に相当する指標として,石綿肺所見,胸膜プラーク所見,肺内石綿繊維数,
石綿作業ばく露従事期間が掲げられており
(以下
本件各指標
という。),以下,Dの肺がんについて,本件各指標を満たすかどうかにつき検討する。
前記アで検討したとおり,Dは,少なくともじん肺法上の第1型の石
綿肺にり患していたということができるから,本件各指標のうち石綿肺所見の指標を満たすということができる。加えて,Dの肺には胸膜プラークが存在すること(認定事実イ(シ),ウ(ア)),Dは,石綿ばく露の危険性の高い本件業務におよそ15年間にわたり従事していたこと(前記1)も認められる。

以上によれば,Dは,本件各指標のうち石綿肺所見の指標を満たすことに加え,Dの肺の医学的所見,Dの従事していた業務の内容や従事期間等も併せ考えると,肺がんの発症リスクを2倍にする本件累積ばく露量(石綿繊維25本/ml×年)の石綿粉じんにばく露していたものと推認することができる。

なお,石綿肺がんの認定基準である平成24年基準においては,じん肺法が定める石綿肺の所見が得られる場合には,最初の石綿ばく露作業を開始した時から10年未満で発症したものを除き,業務上の疾病として取り扱う旨定められているところ(前提事実(7)イ),Dには,上記のとおり石綿肺の所見がみられ,上記認定基準を満たしており,肺がんに
ついて業務上の疾病として扱われることになるが(甲D14),このことは,上記推認を裏付けるものといえる。

(ウ)以上によれば,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係を認めることができ,Dは石綿粉じんばく露を原因とする肺がんにより左肺下葉を摘出したものということができる。

石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係

(ア)Dが石綿肺にり患し,かつ,石綿粉じんばく露を原因とする肺がんにより左肺を摘出したことを前提に,石綿粉じんばく露と死亡との間に因果関係が認められるか検討する。
(イ)確かに,認定事実イ(サ)によれば,Dは,細菌性肺炎にり患し,細菌性肺炎を原因とするARDSを発症し,ARDSを直接の死因として死亡
したものと認められる。
しかし,認定事実によれば,平成17年7月1日時点のDのパーセント肺活量は76.2%であり,左肺下葉の摘出手術後にDのパーセント肺活量は40%程度まで低下し,平成24年12月28日時点のDのパーセント肺活量は31.
32%未満であること(認定事実イ(ア)(ウ)(ク)~

(コ))平成22年11月22日時点のDの酸素分圧は67.

0TORR,
炭酸ガス分圧は46.3TORRであること(認定事実イ(ケ))が認められる。このようなDの肺機能の数値等に照らせば,Dは,左肺の摘出手術を受ける以前から石綿肺を原因とする拘束性障害を呈する肺機能の低下が認められ,肺がんの手術により左肺を摘出したことにより,著しい
肺機能障害を負うほどまでに肺機能が低下し,血液中の酸素濃度も低下し,酸素ボンベを使用する状態になり,その後も石綿肺にり患したことや左肺下葉を摘出したことを原因として,肺機能障害は経年的に悪化していったものと認められる。そして,ARDSが重篤な呼吸不全(低酸素血症)を来す疾患であることに照らせば,Dは,石綿肺にり患したこ
とや肺がんにより左肺下葉を切除したことにより著しい肺機能障害を負い,低酸素血症に近い状態であったところ,細菌性肺炎をきっかけとし
て,肺の状態がさらに悪化した結果,ARDSを発症したものと推認することができる。以上に加え,石綿肺は易感染性の状態であることが認められ,石綿肺にり患しているDは細菌性肺炎を発症しやすい状態であったといえること,Dはもともと著しい肺機能障害を負っていたため,耐え難い苦痛を避けるため人工呼吸器管理等の標準的な治療を行うこと
ができなかったこと等も考慮すると,Dの石綿肺のり患及び肺がんによる左肺下葉の摘出とARDSによる死亡との間には,因果関係があるものと認められる(なお,死亡届〔甲B18〕にARDSや細菌性肺炎の傷病経過に影響を及ぼした傷病名として,間質性肺炎〔この間質性肺炎が石綿肺であることについては,前記アのとおりである。〕と記載され
ていることは,上記認定に沿うものといえる。)。

被告らの主張

(ア)以上に対し,被告らは,平成17年実態調査によれば,本件体育館内のアスベスト濃度は,一般大気環境でも計測されるほどの低濃度であるし,本件体育館内では,石綿含有率が低い吹付けロックウールが使用されていることからすると,Dが本件累積ばく露量を超える石綿粉じんにばく露したとはいえない旨主張する。
しかし,平成17年実態調査がDが勤務していた本件体育館内の石綿粉じんの飛散状況を正確に反映したものではない可能性が高いことにつ
いては,前記1(4)イで検討したとおりである。また,本件体育館内で使用されている吹付けロックウールについて,石綿粉じんが飛散する危険性が認められることについては,
前記1(4)アで検討したとおりである。
よって,被告市の上記主張は採用することができない。
(イ)また,被告らは,Dの乾燥肺重量1g当たりの石綿小体数が400本
程度であることを理由に,Dはヘルシンキ基準を満たしておらず,石綿粉じんばく露と肺がんとの因果関係は認められない旨主張する。

しかし,本件体育館で使用されていた吹付けロックウールは,クリソタイルという種類の石綿を含有しているところ,クリソタイルは,角せん石族石綿と同じように肺組織の中に蓄積されることはなく,石綿小体を形成しにくい性質を有するとされていることからすれば
(前提事実(6)
イ),Dの肺の石綿小体数がヘルシンキ基準や平成18年報告書等に定められた数値よりも低かったからといって,石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係を否定することはできない。このような結論は,ヘルシンキ基準が,職業歴の方が肺内の繊維濃度を測ることよりもクリソタイルによる肺がんのリスクを知る上でふさわしい指標となる旨定めてい
ること(前提事実(7)ア(エ)d)にも沿うといえる。
したがって,被告らの上記主張は採用することができない。
(ウ)さらに,被告らは,Dが行っていた業務は,じん肺法施行規則別表に列挙されている粉じん作業のいずれにも該当しないから,Dが石綿ばく露作業に概ね10年以上従事していたというヘルシンキ基準の定めを満
たすということはできない旨主張する。
確かに,じん肺法施行規則別表24号は,石綿を解きほぐし,合剤し,紡績し,紡織し,吹き付けし,積み込み,若しくは積み卸し,又は石綿製品を積層し,縫い合わせ,切断し,研磨し,仕上げし,若しくは包装する場所における作業を粉じん作業の一つとして定めているとこ
ろ,本件業務は,石綿含有建材を直接扱うものではなく,上記の定めに直ちに該当する作業とはいえないが,前記1で検討したとおり,本件業務は,石綿粉じんが相当程度飛散する場所における現場作業や管理業務であって,石綿粉じんばく露の危険性を有する作業といえるし,石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係については,Dの作業従事歴に加
え,Dの肺の医学的所見等をも総合して判断したものであるから,同号に掲げる作業に直接該当するものではないからといって,直ちに上記因
果関係が否定されるものではない。
したがって,被告市の上記主張は,因果関係に係る上記認定判断を左右するに足りない。
(エ)被告らは,石綿粉じんばく露から肺がん発症までには30年ないし40年程度を要すると考えられているのに,Dは本件体育館での勤務を開始してから15年程度で肺がんを発症しており,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係は認められない旨主張する。
しかし,平成18年報告書等では,因果関係を肯定するためには,最初の石綿粉じんばく露から最低10年の潜伏期間は必要であるとされて
おり(前提事実(7)ア(エ)g),最近の研究では,15年ないし60年(中央値43年)と報告されているところ(前提事実(6)オ(イ)),Dは,本件体育館に15年程度勤務した後に肺がんを発症しており,潜伏期間としては短い部類とはいえるものの,ヘルシンキ基準や最近の研究報告とも矛盾しない期間を経た後に肺がんを発症しているといえるから,被告
らの上記主張は,因果関係に係る上記認定判断を覆すには足りないというべきである。
(オ)被告らは,Dの喫煙歴等を理由に,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係は認められない旨主張する。
しかし,喫煙と石綿は肺がんの発症リスクを相乗的に高めるものであ
り(前提事実(6)オ(エ)),喫煙によって,石綿粉じんにばく露したことによる肺がん発症リスクが損なわれるわけではない(前提事実(7)ア(エ)i)。そして,前記のとおりDが発症した肺がんについては,平成18年報告書等が掲げる指標を満たしていることからすると,Dが20歳から50歳頃(昭和60年頃)までの間,長期間にわたり喫煙していたか
らといって,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係を否定することはできない。

したがって,被告市の上記主張は採用することができない。
(カ)被告会社は,医師の意見書(甲E3,7)を理由に,石綿粉じんばく露と肺がん発症との間の因果関係は認められない旨主張する。
しかし,産業医科大学病院M医師作成の意見書(甲E3)では,Dの肺に石綿肺所見が認められないこと,典型的な胸膜プラークが確認できないことを主たる理由として,肺がんの主たる原因が喫煙習慣であった蓋然性が高いとされているが,Dに石綿肺所見が認められることは前記アのとおりであり,また,典型的な胸膜プラークとまではいえないとしても,石綿ばく露を強く示唆する胸膜プラークが確認できることは前記
認定(認定事実イ(シ),ウ(ア))のとおりであり,上記意見書は前提を異にするものであり,採用することができない。
また,九州労災病院N医師の意見書(甲E7)では,石綿粉じんばく露から肺がん発症までの潜伏期間が短いことやDの肺の石綿小体数が少ないことを理由として,高濃度の職業性ばく露があったことは証明され
なかったとされているが,潜伏期間が短いことや石綿小体数が少ないことが直ちに石綿粉じんばく露と肺がん発症との因果関係を否定するものでないことについては,前記(イ)(エ)のとおりであるから,上記意見書は採用することができない。
したがって,被告会社の上記主張は採用することができない。

(キ)被告らは,Dに間質性肺炎に基づく症状がないこと等を理由に,石綿粉じんにばく露したことにより肺機能が著しく低下したということはできない旨主張する。
しかし,Dは,左肺下葉の切除手術を受ける以前から,拘束性障害を伴うほどの肺機能障害を抱えていた上,左肺下葉の切除手術を受けた後
にパーセント肺活量が大幅に低下していることからすれば,かかる手術が肺機能の低下に大きく影響したことは明らかである。しかも,石綿肺
の症状は徐々に進行するものであり(前提事実(6)ウ),CT画像上,石綿肺の著しい悪化を示す明確な医学的所見が認められないとしても,肺がんの手術を受けた後から平成24年に肺機能検査を受けるまでにパーセント肺活量が低下しているのは,石綿肺の症状が徐々に悪化したことによるものと考えられる(このことは,被告市も認めるとおり,平成24年9月27日に撮影されたCT画像において,Dの右肺に線維化の進行がみられることからも裏付けられる。)。そうすると,Dがかつてり患した肺結核が肺機能の低下に影響した可能性を全く否定することはできないにしても,肺がんにより左肺下葉を切除したこと及びり患してい
た石綿肺の症状が徐々に進行したことを主たる原因として,Dの肺機能が著しく低下したということができる。被告らの上記主張は採用することができない。
(ク)また,被告らは,ARDS自体が肺機能とは無関係に死亡原因となるから,石綿粉じんばく露とDの死亡との間の因果関係は認められない旨
主張する。
しかし,本件は,肺機能に全く問題がなかった者がARDSにより死亡したという事案ではなく,長期間にわたる石綿粉じんばく露により石綿肺となり,肺がんを発症して片肺を切除し,慢性的な肺機能障害を抱え,易感染性の危険を有していたDが,細菌性肺炎に罹患してARDS
を発症し死亡したという事案であって,石綿粉じんばく露とARDSの発症との間に法的な因果関係を認めることは,その事実経過等に照らし自然かつ合理的なものというべきである。被告らの上記主張は採用することができない。
(ケ)さらに,被告らは,Dは心不全を患っており,Dの死因に心不全が影
響した可能性は否定できない旨主張する。
しかし,ARDSは,様々な基礎疾患を原因として発症する透過性亢
進型肺水腫であるが,そのうち心不全や輸液過剰のみで説明がつくものは除外されていることからすれば,心不全がARDSの発症に何らかの影響を与えたことは否定できないが,これを原因としてARDSを発症したということはできない。また,Dの直接の死因はARDSであり,心不全ではないから,Dが心不全を患っていたからといって,前記因果
関係は否定されない。
したがって,被告らの上記主張は採用することができない。

結論
以上によれば,Dは,①石綿肺にり患し,②石綿粉じんばく露により肺
がんを発症し,③石綿肺にり患したこと及び肺がんを発症して左肺を切除
したことにより死亡したということができるから,石綿粉じんばく露と死亡との間の因果関係を認めることができる。
3
争点(3)(被告市の責任の有無)について
本件体育館の設置又は管理に係る瑕疵の有無

(1)認定事実
前提事実に加え,各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,石綿に関する知見並びに国及び自治体の対応等に関し,以下のとおりの事実を認めることができる。

石綿は,戦前から戦後にかけて,日本を含む世界各国で,吹付け建材を
はじめとして広範囲に使用されていたが,欧米先進国では,昭和50年頃から,吹付け石綿建材の危険性が問題とされるようになった(甲A8,33~35)。

昭和50年,特定化学物質等障害予防規則(以下特化則という。)
が改正され,5%を超える石綿を含有する吹付け作業が原則として禁止された(甲A34)。

昭和62年2月頃,環境庁監修の石綿・ゼオライトが発行された。
同書では,石綿にはいかなる低濃度でも安全とする最小のしきい値はないことや,吹付け石綿が使用された建物内でも石綿ばく露の危険性があることが指摘された。
この頃から,全国紙で相次いで吹付け石綿ばく露の危険性が報道されるようになり(昭和62年11月10日付け西日本新聞〔甲A25〕),特に学校施設等における石綿の存在が大きな社会問題となった。
(以上につき,甲A23,25)

昭和62年2月,川村暁雄は,雑誌技術と人間において掲載された
吹き付けアスベストの危険性と題する論文(甲A34)において,吹付け石綿の粉じんが自然剥離,接触及び再遊離により飛散する可能性があること,欧米では吹付け石綿の健康被害が問題とされ,公共建築物を中心に除去作業が進められていること,石綿の発がん性にしきい値はなく,低濃度の石綿ばく露でも健康障害の危険があること,吹付け石綿が使用されている学校等における対策の必要性があること等が記載されている(甲A
34)。

昭和62年4月,
日本消費者連盟が発刊した
グッバイ・アスベストくらしの中の発ガン物質(甲A35)では,家庭よりもビルや学校の方が吹付け石綿にばく露する可能性が高いことや,吹付け石綿の健康への危険性を指摘した上で,ばく露の危険がある吹付け石綿建材については除去等の措置をする必要があること等が記載されている(甲A35)。

昭和62年5月から昭和63年5月にかけて,文部省は,小・中・高等
学校,幼稚園,国立文教施設及び社会教育施設等を対象とし,保有する建物に吹き付け石綿が使用されているかどうかを調査し報告するよう通知(甲A24)を発出した。これらの通知には,スプレエースは吹き付け石綿ではない旨明記されている。(甲A24,26)キ
昭和62年9月16日,建設省の建設大臣官房官庁営繕部は,地方局等
に対し,既存建築物の使用における方針として,既存建物の通常の使用状態において,空気中に石綿が飛散するおそれのある石綿及び石綿を含む材料・機材(例えば建築材料では石綿吹付け材)については,飛散防止又は撤去のための方策を検討の上,適切に処置することとするが,通常の使用状態において,空気中に石綿が飛散するおそれのない石綿等(例えば,建築材料では石綿スレート等)については,現段階において特別な処置を行わない旨の通知をした(甲A38)。

昭和62年11月14日,建設省は,建築基準法令の対火構造の指定か
ら吹付け石綿を削除した(甲A39,40)。

昭和63年2月1日,環境庁及び厚生省は,都道府県・指定都市衛生・
環境主管部局長等宛に,建築物内に使用されているアスベストに係る当面の対策について(通知)(対策通知)を発出した。対策通知には,当面における基本的事項として,アスベストを含有する建材で,アスベスト繊維を遊離する可能性が大きく,当面の対策の第一とすべきものは,経年変化で劣化したり,ひっかくなどにより損傷のある吹付け材であること。これが存在する場合,建築物内のアスベスト繊維の濃度が周辺環境待機中の濃度より高くなっている可能性があり,その際は,適切な処置を検討する必要があること。,アスベスト繊維の濃度測定等によりアスベスト繊維が遊離していないと判定される場合及び修理,囲い込み,封じ込め等の処置を施した場合等適切な管理が必要と判定される場合には,メンテナンス等の際誤って損傷を与えないよう留意すること。また,定期的に状況の判定を行い,アスベスト繊維が遊離する状態ではないことを確認するとともに記録すること。などの指摘があり,都道府県や指定都市等は,上記の基本的事項等に従って,建築物の所有者等の指導に努めることとされ
ている。(乙ロA2)

被告市は,昭和62年から昭和63年にかけて,被告市が所有する建築
物について,石綿の実態調査を行った。その結果,本件体育館を含む複数の施設において,吹付け石綿又は吹付けロックウールが使用されていることが判明した。そこで,被告市は,吹付け石綿(石綿含有率30%以上)について,剥離・飛散している箇所については,
除去
封じ込め
囲い込みの処置をするとし,剥離飛散していない建物についてはその状態を保つこととした。他方で,吹付けロックウール(石綿含有率5%以上30%未満)について,昭和62年当時は処置の対象としていなかったが,平成3年以降は上記除去等の処置の対象とした。
なお,石綿成形板については,それに含まれている石綿が飛散する可能
性は非常に少ないため,調査及び処置の対象としないとされた。
(以上につき,乙ロA1)

被告市は,平成元年9月1日,北九州市内の石綿問題を協議し,石綿に
関して統一的な対応を図り,石綿対策を円滑に推進していくため,北九州市アスベスト対策連絡会議を設置し,同会議は現在まで活動を継続している(乙ロA3)。

被告市は,平成17年頃,これまで前記コの処置を行っていなかった本
件体育館を含む複数の施設について,石綿の状況を調査した。その結果,いずれの施設も石綿の剥離・飛散はなく,ばく露のおそれのある施設はないとされたが,本件体育館を含む3つの施設には,機械室の点検等で接触(物の出し入れ)による欠損箇所が数箇所あるため,予算確保の上でなるべく早く処置することが必要と判断された。(乙ロA1)
(2)検討

国家賠償法2条1項における営造物の設置又は管理の瑕疵とは,営造物
が通常有すべき安全性を欠いていることをいう(最高裁昭和45年8月20日第一小法廷判決・民集24巻9号1268頁)。
そして,吹付け石綿を含む石綿の粉じんにばく露することによる健康被
害の危険性に関する科学的な知見及び一般人の認識並びに様々な場面に応じた法令上の規制の在り方を含む行政的な対応等は時と共に変化していることに鑑みると,被告市が本件体育館の所有者又は管理者として国家賠償法2条1項に基づく営造物責任を負うか否かは,人がその中で勤務する本件体育館のような建築物の壁面に石綿含有吹付け材が露出していることをもって,当該建築物が通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになった時点からであると解するのが相当である(民法717条1項の土地工作物責任に係る最高裁平成25年7月12日第二小法廷判決・集民244号1頁参照)。


上記(1)の認定事実によれば,昭和50年頃には,特化則が改正されるな
ど,石綿の吹付け作業の危険性が認識されるに至ったが,他方で,我が国においては,建築物内の石綿含有吹付け材の危険性について世間一般に明確に認識されていたということはできない。しかし,昭和62年中に,石綿には安全しきい値がないことが明らかにされると,石綿含有吹付け材によって石綿粉じんにばく露する危険性が新聞報道されたり,石綿含有吹付け材の危険性を指摘する論文や書籍が出されたりした。そして,このような動きと並行するように,全国各地で吹付け石綿の除去工事が進められるようになっていった。他方で,文部省は,同年5月から昭和63年5月にかけて,全国全ての公立小・中・高校等を対象に,吹付け石綿の実態調査
を行うよう通知し,順次吹付け石綿の除去工事が進められるようになり,昭和62年9月には,建設省が既存建物の通常の使用状態において,空気中に石綿が飛散するおそれのある吹付け材等については石綿含有率の区別なく飛散防止又は撤去のための方策を取ることを通知し,
同年11月には,
建設省が建築基準法令の耐火構造の指定から石綿含有率の区別なく吹付け
石綿を削除し,昭和63年2月には,環境庁・厚生省が都道府県や政令指定都市に対し,石綿含有吹付け材の危険性を公式に認め,建築物に吹付け
られた石綿繊維が飛散する状態にある場合には,適切な処置をする必要があること等を建物所有者に指導するよう求める通知を発した。さらに,被告市は,昭和62年頃から順次所有する建築物について,石綿の実態調査を行い,吹付け石綿(石綿含有率30%以上)については,実態調査の実施当時から,吹付けロックウール(石綿含有率5%以上30%未満)については,
平成3年からそれぞれ必要な処置の対象とし,
平成元年9月には,
北九州市内の石綿対策として北九州市対策連絡会議を設置した。
以上の事実を総合すると,遅くともDが本件体育館における勤務を開始した平成2年5月頃までには,
建築物の石綿含有吹付け材
(石綿含有率5%

以上の吹付けロックウールを含む。)のばく露による健康被害の危険性及びそのような石綿の除去等の対策の必要性が広く世間一般に認識されるようになり,同時点で,本件体育館は通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになったと認められる。
(3)被告市の主張


以上に対し,被告市は,本件体育館内では,吹付け石綿ではなく吹付け
ロックウールが使用されているため,本件体育館に瑕疵があったとは認められない旨主張する。
確かに,昭和62年5月から昭和63年5月頃にかけて文部省が発出した通知(甲A24)には,本件体育館で使用されているスプレエースは吹付け石綿ではないとして調査・報告の対象に含まれていないなど,吹付けロックウールは,国や自治体の規制等において,吹付け石綿と全く同等の危険性を有するものとして扱われてきたわけではない。
しかし,前記認定事実によれば,昭和50年に特化則が改正され,それ以後,吹付け石綿か吹付けロックウールかの区別なく,5%を超える石綿
を含有する吹付け作業が禁止されたこと,昭和63年に環境庁及び厚生省が発出した対策通知は,石綿含有率を特に区別することなく,建築物内に
使用されている石綿含有吹付け材について,適切な処置を検討するよう指示していること,被告市においても,平成3年以降,石綿含有率5%以上30%未満の吹付けロックウールを除去等の処置の対象としていること等からすれば,本件体育館で使用されていた,12%ないし14.5%の石綿含有率を有する吹付けロックウール(スプレエース)についても,遅くとも平成2年5月頃までには,その危険性や除去等の必要性が世間一般に認識されていたものということができる。
したがって,被告市の上記主張は採用することができない。

被告市は,平成17年実態調査の結果等を根拠に,適切な時期に必要な
対策を講じていたから,本件体育館には瑕疵がない旨主張する。
しかし,平成17年実態調査が,Dが勤務していた当時の作業環境を反映していない可能性があることについては,前記1(4)イのとおりである。この点を措くとしても,証拠(乙ロA1)によれば,被告市は,平成18年になって初めて本件体育館の石綿含有建材の除去工事を行っており,そ
れ以前において,本件体育館内にある石綿含有建材を除去するなどの具体的な飛散防止対策を講じていたとは認められない。
なお,大改修工事は,主に空調機器を取り替えるために行われた工事であるから,これをもって石綿に関する必要な対策を講じていたということはできない。また,被告市は,北九州市アスベスト対策連絡会議を設置し
必要な対策を協議していた旨主張するが,単に同会議を設置し協議していたというだけでは,本件体育館に瑕疵があることを否定する理由にはならない。
したがって,被告市の上記主張は採用することができない。

被告市は,Dが石綿粉じんにばく露したのは,Dが石綿含有建材の補修
等の過程で適切な作業を怠ったためであり,本件体育館の瑕疵とは無関係である旨主張する。

しかし,被告市が問題とする上記作業は,もともと本件体育館において使用されていた石綿含有建材について,
新たな石綿含有建材に交換したり,
石綿含有製品で補修するといったものであり,本件体育館で使用されていた建材の種類や材質等に照らすと,このような作業は本件体育館を維持する上で通常想定される作業であり,その過程で石綿粉じんにばく露した場合には,
本件体育館の設置又は管理の瑕疵に基づく損害ということができ,被告市の責任は免れないというべきである。
したがって,被告市の上記主張は採用することができない。

そして,被告市は,通常は人が立ち入らない場所に石綿粉じんが飛散し
ていたとしても,そこに立ち入る際にマスクを着用するなど,石綿粉じんのばく露対策を講じる必要があり,Dはこのような対策を怠っており,通常の作業方法に則しない行動をとっているのであるから,被告市は責任を負わない旨主張する。
しかし,本件契約において,被告会社等の従業員が石綿含有吹付け材が
使用されている場所に立ち入ることは当然に想定されていたといえるところ,被告市は,平成2年5月当時,本件体育館に吹付けロックウールが使用されていたことを把握しているが(乙ロA1),そのことを被告会社や本件公社等に知らせて注意喚起したり,吹き付けロックウールが使用されている場所に立ち入る際には防じんマスクを着用するなどの対策を講じる
よう指導したりしたような事情は見出し難く,そのような当時の状況の下において,Dがマスクを着用していなかったからといって,それが通常の作業方法に則しない特殊な行動ということはできず,被告市の責任を否定することはできないというべきである。
したがって,被告市の上記主張は採用することができない。


なお,被告市は,Dが国家賠償法2条1項の他人に該当しない旨主
張する。

しかし,同項の他人とは,当該営造物の設置・管理主体である国又は公共団体以外の者をいい,営造物管理者である公務員個人も含まれるものと解されており(加藤一郎編注釈民法(19)423頁),被告会社の従業員であるDが同項にいう他人に当たることに疑問の余地はない。被告市の上記主張は採用することができない。

(4)小括
以上によれば,被告市は,原告らに対し,国家賠償法2条1項に基づく責任を負うものと認められる。
4
争点(4)(被告会社の責任の有無)について

(1)認定事実
前提事実に加え,各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,ビルメンテナンス業従事者の石綿粉じんばく露の危険性等に関して,以下の事実を認めることができる。

平成14年5月17日,当時の国会議員は,アスベスト禁止措置に関する質問主意書において,既に使用禁止となった吹き付けアスベストを用いた建築物が現在でも数多く存在するにもかかわらず,対策が不十分であるために,メンテナンス作業員や電設作業員などは,アスベストの危険性や吸入可能性について十分な知識を持たず,リスクの高い作業を強いられている。,

メンテナンス作業員や電設作業員など,吹付けアスベストを使用された場所等で作業を行う者が,アスベストの危険性や身体防護の方法など,必要な労務情報を入手するためには,どうすればいいのか。

と質問している。
これに対し,当時の内閣総理大臣代理の国務大臣は,上記の質問に対して,ビルメンテナンス作業や電気設備工事作業において,石綿の切断,穿孔,研磨等の作業を伴う際には,事業者は,特定化学物質等障害予防規則の規定により,石綿を浸潤な状態にするとともに,当該作業に従事する労働者に呼吸用保護具を使用させること,労働者が石綿を吸入しないように,作業の方法を決定し,労働者を指揮すること等が義務付けられており,当該作業を行う労働者は,事業者から当該作業に関する安全又は衛生のため必要な事項を知らされるものと考える。と回答している。(以上につき,甲A14の1・2)


公益社団法人全国ビルメンテナンス協会は,平成18年頃,アスベスト問題に対する組織的な対応についてと題する通知(乙イA3)を各都道府県協会等に宛てて発出した。
この通知には,
現在アスベスト(石綿)による被害が社会問題となっており,ビルメンテナンス業においても,アスベスト対策が不十分な施設においては従業者がアスベストにばく露する危険性が予測されます。このため,今回,労働対策委員会として,アスベスト問題に関し,同問題への政府の対応及び石綿障害予防規則制定の経緯並びにビルメンテナンス業界のアスベスト問題への対応について下記のとおりまとめましたので,ご通知申し上げます。旨記載された上で,ビル
メンテナンス業界の石綿問題に対する対応について,ビルメンテナンス会社の従業員は,石綿が使用されている機械室等で作業に当たることによって,石綿にばく露し,健康被害を受ける可能性があること,及び,ビルメンテナンス会社は,その従業員の石綿ばく露による健康被害を防止するための措置を講じる義務や,従業員が就業する建築物に吹付けられた石綿等
が損傷,劣化等により石綿粉じんにばく露する可能性があるときは,ビルメンテナンス業務の発注元に対して,石綿の除去等の措置を講じるよう求めなければならない義務があること等が記載されている。
その後,平成19年7月には,公益社団法人全国ビルメンテナンス協会が発行する月刊ビルメンテナンスにおいて,石綿対応の具体的な方法
や取り組みが記事に取り上げられるなどした。
(以上につき,乙イA3,4)


厚生労働省の石綿に関する健康管理等専門家会議マニュアル作成部会が
平成18年10月に発表した
石綿ばく露歴把握のための手引
によれば,
ビルメンテナンス業は,石綿ばく露の可能性のある産業と作業に分類されており,耐火被覆等が施されている室内で床等の清掃作業やフィルターの洗浄,ボイラー室の出入り等を行う際に,石綿粉じんにばく露する可能性があるとされている(甲A13)。

ビルメンテナンス業の作業従事者に対して,労働者災害補償保険法又は
石綿による健康被害の救済に関する法律に基づく保険給付等の支給が決定された件数は,平成17年から平成26年にかけて39件あり,そのうち15件は死亡事例であった。
なお,平成17年ないし平成18年頃,被告会社の仙台支店に勤務していた従業員が,勤務先の現場において石綿粉じんにばく露して肺がんになったと主張して,労働者災害補償保険法に基づく保険給付等の請求をしたところ,
支給の決定がされたことがある。

(以上につき,
甲A16)

(2)被告会社の予見可能性

予見可能性の有無

(ア)安全配慮義務(民法709条)の前提として使用者が認識すべき予見義務の内容は,生命,健康という被害法益の重大性に鑑みると,安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り,必ずしも生命・健康に対する障害の性質,程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである。
(イ)確かに,前記(1)からすれば,ビルメンテナンス業の作業従事者について,特別に石綿粉じんばく露の危険性を有することが認識されるようになったのは,早くとも平成14年以降であるといえる。

しかし,前記3で検討したとおり,遅くともDが本件体育館における勤務を開始した平成2年5月頃までには,石綿含有吹付け材(石綿含有
率5%以上の吹付けロックウールを含む。)による石綿粉じんばく露の健康被害の危険性及びそのような石綿含有建材の除去等の対策の必要性が広く世間一般に認識されるようになっていたのであるから,少なくとも同月頃までには,上記吹付けロックウールが使用されている建築物の保守・管理等を依頼されたビルメンテナンス業者は,石綿粉じんにばく露することにより,そこで作業に従事する従業員の安全性に疑念を抱かせる程度の危険性を認識することは十分可能であったといえる。
特に,本件体育館は昭和48年に竣工した総合体育館であり,その頃には,全国において石綿吹付け作業がピークを迎えており,本件体育館
において石綿含有吹付け材が使用されている可能性は高かったといえること(前提事実(5)ウ),昭和62年頃には,学校施設等における石綿の存在が大きな社会問題となったこと(前記3(1)ウ),同年頃には,家庭に比べビルや学校施設で吹付け石綿が使用されている可能性が高いと指摘されていたこと(前記3(1)エオ)等が認められるのであるから,被告
会社は,遅くとも平成2年5月頃までに,従業員が本件体育館の保守・管理業務等を行うことについて,従業員の生命・健康に重大な障害を与える危険性があると認識することができ,かつ,認識すべきであったということができる。
したがって,被告会社には,安全配慮義務違反の前提となる予見可能
性があったと認めることができる。
(ウ)これに対し,被告会社は,本件体育館に石綿が使用されていることを知らされておらず,これを認識し得なかったのであるから,安全配慮義務を負う前提を欠く旨主張する。
しかし,本件で予見可能性を認めるに当たっては,石綿の健康被害に
関する世間一般の認識等を前提とすれば,本件体育館において吹付け石綿又は吹付けロックウールが使用されていることの予見可能性があれば
足り,当該石綿含有建材の種類,量及び使用箇所について具体的に認識する必要まではないというべきである。そして,前記(イ)のとおり認められる本件体育館の竣工時期やその当時の吹付け石綿の使用状況等に加え,被告会社の従業員が本件体育館において,石綿含有建材が使用されていることをある程度認識していたと考えられること(甲A37の1,D7
〔5,73頁〕)等にも照らすと,たとえ委託元である被告市や本件公社等から吹付け石綿の使用の有無等を知らされていなかったとしても,本件体育館において吹付け石綿ないし吹付けロックウールが使用されていることについて,十分予見することが可能であったといえる。
したがって,被告会社の上記主張は採用することができない。


安全配慮義務の具体的内容及びその違反の有無
被告会社には,上記アのとおり,遅くともDが本件体育館において勤務
を開始した平成2年5月頃には,安全配慮義務違反の前提となる予見可能性が認められるから,同月以降は,安全配慮義務として,石綿粉じんの発生及び飛散の防止並びに粉じん吸入の防止についてその時期に応じて必要な措置を講じ,従業員の生命・健康に重大な障害が生じることを防止する義務を負っていたものというべきである。
そして,原告らは,このような義務の具体的な内容として,被告会社には,①被告市に対する石綿の使用状況についての調査・確認義務,②防じ
んマスクの支給と着用確保義務,
③防じん教育義務,
④健康等管理義務
(定
期健康診断の実施,作業時間管理,休憩所の確保),⑤有資格者の配置を求める義務がそれぞれ認められるところ,これらの義務をいずれも怠った旨主張する。そこで,被告会社が安全配慮義務の具体的内容として,上記義務を負うか,負ったとして当該義務に違反していたと認められるかどう
かについて以下検討する。
(ア)石綿の使用状況についての調査・確認義務

前記アのとおり,被告会社は,本件体育館に石綿が使用されていることを認識すべきであったといえるところ,被告会社は,本件体育館における石綿の使用状況を認識していなかったのであるから,被告会社は,本件体育館の管理を委託された平成2年時点において,直接又は本件公社等を介して委託元である被告市に対し,本件体育館における石綿含有建材の使用状況を調査・確認すべき義務を負っていたと認めることができる。
しかし,本件全証拠によっても,被告会社が,被告市又は本件公社等に対し,上記の調査・確認を行っていたと認めることはできない。
(イ)防じんマスクの支給と着用確保義務
被告会社には,発生した粉じんの吸入を防止するために防じんマスクを支給し,石綿粉じんばく露の危険性を伴う作業を行わせる際に着用することを指導すべき義務があったといえる。
しかし,本件体育館に防じんマスクは備え付けられており,害虫防除
作業の際に着用していたことは認められるが(証人F〔13頁〕),それ以外の作業の際に従業員が防じんマスクを着用することは基本的になく,また,被告会社が防じんマスクを着用するよう指導していたことを認めるに足りる証拠はないから,被告会社は上記義務に違反していたということができる。

(ウ)防じん教育義務
被告会社には,従業員に対し,石綿粉じんばく露の危険性を理解させた上で,石綿粉じんが発生し,飛散する機序や石綿粉じんばく露の予防方法について,安全教育及び安全指導を行う義務があったといえる。しかし,本件全証拠によっても,被告会社が,上記のような安全教育
及び安全指導を行っていたと認めることはできない。
(エ)小括

以上のとおり,被告会社は,石綿粉じんの発生及び飛散の防止並びに粉じん吸入の防止についてその時期に応じて必要な措置を講じ,従業員の生命・健康に重大な障害が生じることを防止するために,①被告市に対し,本件体育館の石綿の使用状況についての調査・確認すべき義務を負っており,これを前提とした②防じんマスクの着用確保義務及び③防
じん教育義務を負っていたにもかかわらず,これらの義務をいずれも怠ったといえるから,その余の義務違反の有無について判断するまでもなく,被告会社は,上記安全配慮義務に違反するものというべきである。したがって,被告会社は原告らに対し,安全配慮義務違反(民法709条)に基づく損害賠償債務を負うところ,かかる債務は,被告市が原
告らに対して負う国家賠償法2条1項に基づく損害賠償債務と不真正連帯債務の関係に立つものというべきである(民法719条1項前段)。5
争点(5)(損害の発生及び額)について

(1)損害額

Dの損害
死亡慰謝料

2400万円

Dが平成17年7月に肺がんにより左肺を摘出してから平成25年9月に死亡するまでの間,日常生活に支障を来すほどの著しい肺機能障害を負うなど,計り知れない苦痛を被っていたことや,そのために長期間にわたり介護や治療を必要としたこと等,本件に現れた一切の事情を斟酌し,死亡による慰謝料は2400万円とするのが相当である。

原告Aの損害

(ア)葬儀費用

150万円

弁論の全趣旨によれば,原告AがDの葬儀費用を全額支出したことが認められるところ,このうち150万円をDの死亡と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(イ)原告Aの固有の慰謝料

200万円

原告Aは,Dの妻として生活を共にしていたこと,Dが肺がんを発症して左肺を切除して以降は,Dが死亡するまで看病していたこと等の本件に現れた一切の事情を斟酌し,Dの死亡による原告Aの固有の慰謝料は200万円とするのが相当である。

(ウ)小計

350万円

(2)減額事由の有無

時効に係る主張の当否
被告市は,時効により肺がんのり患やその治療・介護等に関する精神的
苦痛を死亡慰謝料の増額事由とすることはできない旨主張する。
しかし,慰謝料額は,事実審の口頭弁論終結時までに生じた諸般の事情を斟酌して裁判所が裁量によって算定するものであるから(最高裁平成9年5月27日第三小法廷判決・民集51巻5号2024頁参照),ある損害につき,既に時効期間が経過して請求できないとしても,慰謝料請求権
自体が時効によって消滅していない限り,
当該損害があることを斟酌して,
慰謝料額を決めることは可能であると解される。
したがって,Dの死亡慰謝料額を決めるに当たって,Dが肺がんにり患していたことやその後の治療経過等を斟酌することは当然可能であり,これと異なる被告市の上記主張は採用することができない。


寄与度減額の当否
被告市は,Dが長年喫煙していたことを理由に慰謝料額の減額を主張す
る。しかし,不法行為により損害を被った被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有しており,これが,加害行為と競合して障害を発生させ,又は損害の拡大に寄与したとしても,上記身体的特徴が疾患に当たらないときは,特段の事情がない限り,これを損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないことからすると(最高裁平成8年
10月29日第三小法廷判決・民集50巻9号2474頁参照),喫煙歴についても,喫煙は合法的な嗜好の一種である以上,喫煙本数が一般的な喫煙者のそれよりも格段に多いなど特段の事情がない限り,民法722条2項の類推適用には慎重であるべきである。
しかるに,Dは,20歳(昭和30年)から50歳(昭和60年)頃ま
での間,1日当たり15ないし20本程度の喫煙習慣があったことが認められるが,上記の時期において,1日当たり1箱ないし1箱弱という喫煙本数は特に多いものではなく,当時の喫煙者においてごく一般的にあり得る程度の本数である。また,喫煙と石綿粉じんばく露は,相乗的に肺がん発症リスクを増大させるものであるが,Dが禁煙してから肺がんを発症するまでの期間は20年を超えており,喫煙歴がDの死亡に及ぼした影響の有無やその程度を推し量ることは困難でもある。
したがって,本件において,Dに喫煙歴があることをもって,損害額を減額するのは相当でないというべきであり,被告市の上記主張は採用する
ことができない。

過失相殺の当否
被告市は,Dは,本件体育館の環境衛生管理について業務委託を受けた
被告会社の担当者かつ建築物環境衛生管理技術者として,本件体育館において適切に作業を行うべきであるのに,防じんマスクや保護手袋の着用を怠って作業に臨んでいるから,相当の過失相殺がされるべきである旨主張する。
しかし,本件体育館の設置又は管理の瑕疵については,所有者であり,本件体育館に石綿含有建材が使用されていることを認識していた被告市が第1次的な責任を負うべきであるところ,被告市が,被告会社に対し,本
件体育館に石綿含有建材が使用されていることを注意喚起するなどした事情は認められず,実際にも,被告会社やその従業員が,本件体育館に石綿
含有建材が使用されていることを明確に認識していたとは認められないし,Dを含む被告会社の従業員が,石綿含有建材が健康に極めて有害なものであり,本件体育館における作業につき石綿にばく露する危険があることを正しく認識していたということもできない(甲A37の1,D7〔5,73頁〕)。また,被告会社が,Dに対し,害虫駆除の場合を除き,本件業
務を行う際に防じんマスクや保護手袋の着用を行うよう指導していたという事実は認められない。
以上のような事情を踏まえると,Dが,本件業務を行う際に防じんマスクや保護手袋の着用をしなかったからといって,これをDの過失と評価することは相当でなく,本件体育館の設置又は管理の瑕疵により生じた損害
につき,Dに過失相殺すべき過失があるとは認められない。
したがって,被告市の上記主張は採用することができない。
(3)小括
以上によれば,Dの損害額は2400万円であり,原告A固有の損害額は350万円であると認められる。

そして,Dの配偶者である原告A並びに子である原告B及び原告Cは,Dの損害賠償請求権を法定相続分(原告Aは2分の1,その余の原告らは6分の1)により相続したから,原告Aの損害額は1550万円(1200万円と350万円の合計)であり,原告B及び原告Cは,それぞれ400万円である。

6
弁護士費用について
本件事案の内容,
難易度,
審理経過及び認容額等に鑑みると,
弁護士費用は,
原告Aにつき150万円,原告B及び原告Cにつき各40万円とするのが相当である。

以上によれば,原告Aの損害額は1700万円,原告B及び原告Cの損害額は各440万円となる。

7
まとめ
以上によれば,
原告らの被告らに対する請求は,
原告Aにつき1700万円,
原告B及び原告Cにつきそれぞれ440万円並びにこれらに対するDの死亡日の翌日である平成25年9月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由がある。なお,原告らの被告
市に対する国家賠償法1条1項(安全配慮義務違反)や,被告会社に対する債務不履行責任については,これが認められたとしても,原告らが請求し得る額が上記の額を超えるものとは認められない。
第4
結論
そうすると,原告らの請求は,主文第1項ないし第3項の限度で理由があるからこれを認容し,その余はいずれも理由がないからこれを棄却することとして,
主文のとおり判決する。
なお,
被告市が求める仮執行免脱宣言については,
相当でないからこれを付さないこととする。

福岡地方裁判所第1民事部

裁判長裁判官

徳地
裁判官

渡邉
裁判官

野淳上隆幸浩久
別紙2

石綿使用箇所

一覧表

室名


天井(他)

ボイラーポンプ機械室
電気機械室

石綿板4ミリ厚
スプレエース吹付け

スプレエース吹付け

スプレエース吹付け

スプレエース吹付け

自家発電機室・
バッテリー室
監視盤室

石綿板4ミリ厚

休憩室

石綿板4ミリ厚

シャワー,便所

石綿板4ミリ厚

地下1階

廊下

スプレエース吹付け

蓄電池室

スプレエース吹付け

C階段
エレベーター機械室

スプレエース吹付け
石綿板4ミリ厚

スプレエース吹付け

スプレエース吹付け

玄関ホール
貴賓室

岩綿化粧板19ミリ厚

前室

岩綿化粧板12ミリ厚

応接室

岩綿化粧板12ミリ厚

館長室
1階

岩綿化粧板19ミリ厚

岩綿化粧板12ミリ厚

役員室

有孔石綿板

警官・消防控室

有孔石綿板

選手控室

有孔石綿板

記者控室

有孔石綿板

男女ロッカー室

有孔石綿板

男女シャワー室

石綿板4ミリ厚

医務室

石綿板4ミリ厚

守衛室・受付

石綿板

石綿板4ミリ厚

便所A,B,C,D
便所E

高級着色石綿セメント板

給湯室

石綿板4ミリ厚

身体障害者便所

石綿板4ミリ厚

アリーナ

有孔石綿板

通路

石綿板4ミリ厚

E1,E2階段

石綿板4ミリ厚

貴賓室

有孔石綿板

記者席

有孔石綿板

観覧席

有孔石綿板

通路

有孔石綿板

ロビー

着色石綿吹付け

男子・女子便所
2階

石綿板4ミリ厚

石綿板4ミリ厚

2階機械室

吹付けスプレエース

吹付けスプレエース

食堂

岩綿化粧板

更衣ロッカー室

石綿板4ミリ厚

切符売場

石綿板4ミリ厚

C階段

石綿板4ミリ厚

観客席

有孔石綿板

通路

有孔石綿板

観覧室

有孔石綿板

通路

有孔石綿板

放送室

有孔石綿板

3階

天井裏

吹付けスプレエース

吹付けスプレエース
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吹付けスプレエース
(梁)

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