判例検索β > 令和1年(わ)第330号
覚せい剤取締法違反
事件番号令和1(わ)330
事件名覚せい剤取締法違反
裁判年月日令和2年6月26日
裁判所名・部神戸地方裁判所  姫路支部
裁判日:西暦2020-06-26
情報公開日2020-07-29 18:00:15
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判決主文
被告人を懲役2年に処する
未決勾留日数中120日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,法定の除外事由がないのに,令和元年6月中旬頃から同月25日までの間に,兵庫県内,大阪府内又はその周辺において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン又はその塩類を自己の身体に摂取し,
もって覚せい剤を使用した。
(証拠の標目)
省略
(争点に対する判断)
第1

弁護人の主張の要旨
本件で,令和元年6月26日に採取された被告人の尿から覚せい剤であるフ
ェニルメチルアミノプロパンの成分が検出されたことは争いがない。しかし,弁護人は,①

警察官が,被告人の尿をいわゆる強制採尿令状によ

り採取するまでの間,被告人を留め置いた行為が,任意捜査として許容される限度を超えた違法なものであり,その違法性が令状主義の精神を没却する程度に重大なもので,かつ,証拠能力を排除することが相当であるから,留め置きの結果得られた尿及びその派生証拠である同尿の鑑定書等(甲2【捜索差押調書】,3【鑑定嘱託書謄本】,4【鑑定書】,30【覚せい剤取締法違反事件に関する報告と題する書面】。以下本件鑑定書等という。)が違法収集証拠として証拠能力を欠き,その他の証拠によって,被告人の自己使用を立証する証拠がない,②

被告人は,公訴事実記載の頃,知人から紹介を受けた男性

4名とマンションの一室で同室した際,男らがガラスパイプをあぶる方法で吸引していた覚せい剤の副流煙を3時間ほど吸引してしまったところ,そのあぶられていた物が覚せい剤であると知らず,また,仮に知っていたとされても,自ら吸引していたわけではないから覚せい剤の自己使用に当たらないと考えていたものであるから,覚せい剤の自己使用の故意を欠くとして,被告人が無罪であると主張する。
なお,弁護人は,本件鑑定書等について,違法収集証拠であるとの意見を留保した上で,伝聞性については争わず,あらかじめ取り調べた上で,判決において,刑訴規則207条に基づく職権証拠排除の可否を判断することについて異議がない旨述べた。
そこで,当裁判所は,以下の通り,①

警察官の留め置き行為は,任意捜査

の限界を超えたものであり,違法であるが,本件鑑定書等には証拠能力が認められる,②

被告人には覚せい剤の自己使用について故意が認められると判断

した。
第2

本件鑑定書等の証拠能力について

1
下記に記載した証拠並びに証人A(警察官),同B(警察官),同C(警察
官),同D(被告人の妻)及び被告人の各公判供述によれば以下の事実が認められる。
(1)

警察官であるA,B及びE(これら3名をAらと総称する。)は,令和
元年6月25日午後7時20分頃,パトカーで警ら中であったところ,被告人,同人の妻D及び同人らの娘が乗車する自動車とすれ違った。このとき,Aらは,被告人の顔形等に覚せい剤使用者の兆候を認めたことから,被告人に対する職務質問を行うこととした。(甲13,16)
(2)

被告人は,自動車に給油するため,兵庫県加西市a町bc番地のd所在の
ガソリンスタンドに立ち寄ったところ,Aらも同所に立ち寄り,同日午後7時26分頃,被告人に対する職務質問を開始した(甲13,16)。(3)

Bは,同時分頃,被告人に対し,職務質問を行うため,パトカーに乗車す
ることを求めたところ,被告人は特に抵抗することなくこれに応じ,同車の運転席側後部座席に乗車した。なお,パトカーの中では,Bが助手席側後部座席に,Eが助手席にいた。また,同車の運転席側後部座席のドアにはチャイルドロックがかけられていた。(甲13,14)
(4)

Bが,パトカー内で,被告人に対し,所持品検査及び身体検査を求めると,
被告人はこれに応じた。なお,このとき,違法薬物等は発見されなかった。しかし,被告人は,乗車していた自動車の捜索も求められたが,こちらについては拒絶した。
また,Aが被告人に犯歴を訪ねると,被告人は,犯歴がない旨述べた。そこで,Aが被告人について犯歴照会を行うと,覚せい剤取締法違反の前科があることが判明した。そこで,Aは,パトカーに乗車し,被告人に対し,覚せい剤取締法違反の前科があることを問いただし,Bが,被告人に対し,最寄りの加西警察署への任意同行及び同署における尿の任意提出を求めたが,被告人はこれらを拒絶した。(甲13,14)
(5)

Bは,被告人に対し,更に,加西警察署への任意同行及び任意採尿を求め
た。しかし,被告人はいずれも拒絶し,同日午後7時45分頃,Bに対し,パトカーを下車させてほしい,妻子と話をさせてほしいと述べた。(甲13)これに対し,Bは,被告人に対し,覚せい剤を使用した疑いがあるから任意採尿に応じてほしい,被告人に対する説得を続ける,妻子と話をしたいのであれば,パトカーの窓を開けて話してもらって構わないと告げた。このとき,Bは,Aに対し,留め置きを続けることで任意性に疑義が生じる可能性があるかについて聞くなどしたが,Aは,薬物事犯担当の警察官が臨場するまで待つ必要があること等を理由に説得を続けるよう指示した。
その後,被告人は,パトカーの中で,帰らせるよう求め,ドアノブを操作して下車しようとしたが,前記のチャイルドロックのために開けることができず,また,Bらは被告人を下車させなかった。ただし,被告人がタバコを吸ったときには,パトカーの窓を開け,喫煙させていた。(甲22)
(6)

Dは,同日午後9時頃,警察官らの求めに応じ,加西警察署まで行くこと
となった。このとき,被告人は,パトカー内の窓を開けた状態で,Dが加西警察署へ行くことを聞き,Bに対し,Dは関係がないから帰らせるよう告げた。(7)

Aは,同時分頃,被告人に対する強制採尿令状の請求のため,加西警察署
へ向かった。
(8)

被告人は,その後,警察官らの問いかけを無視するため,パトカー内で目
をつぶっていた。その後,被告人は,Bが加西警察署からの連絡を受けているのを聞き,自分も含めDと,帰宅させるように告げたが,聞き入れられなかった。そして,被告人は,Dが,加西警察署において取調べを受けていることを聞いたことや,同人に現金を預けていたことから,Bに対し,Dと合流するため,加西警察署まで連れていくように告げた。
(9)

被告人は,Bに連れられ,同日午後10時30分頃,加西警察署に到着し
たが,被告人は,その頃から,同署玄関付近で,帰宅させるよう求めた。また,取調べが終わったDは,帰宅しても差し支えない旨,言われたが,被告人の自動車を使うことは許されず,
警察の自動車で送り返されることとなった。
被告人は,加西警察署において,帰宅させることを求める一方で,喫煙をしたり,仮眠を取ったりもしていた(甲15,22,23)。
(10)

警察官らは,同月26日午前零時35分頃,姫路簡易裁判所に,被告人に
対する強制採尿令状等の発付を請求したところ,同日午前3時40分頃,同令状が発付された(甲32)。
警察官らは,同日午前4時25分,被告人に対し自主排尿を促したが,被告人がこれに応じなかったことから,強制採尿令状が発付されていることを告げ,同時分頃,被告人を強制採尿のために姫路市内の病院へ連れていった。なお,このとき,警察官らは,強制採尿令状を被告人に呈示することを失念していたが,同日午前5時1分,被告人に呈示した。そして,被告人は,同病院において,一旦は採尿コップを床に投げつけるなどしたが,カテーテルを挿入する旨告げられたことから,同日午前5時31分頃,自主排尿をし,警察官は,同尿を差し押さえた。(甲2,20,24,25)
(11)

被告人の尿に対する予試験の結果,覚せい剤の陽性反応が見られたことか
ら,被告人は,同日午前6時14分,覚せい剤取締法違反の被疑事実で緊急逮捕された。なお,同日午前9時42分,社簡易裁判所において,緊急逮捕状が発付され,同月27日午前9時50分,被告人は,神戸地方検察庁社支部検察官に送致された。(甲1)
2
留め置きの適法性について

(1)

留め置きの適法性を検討する上で,A及びBは,当公判廷において,同月
25日午後9時頃には強制採尿令状の請求に着手しており,その旨,被告人に告げているのであるから,その後の留め置きは,強制採尿令状執行のために必要な留め置きとなり,一定程度の留め置きが許容されると供述し,その論拠として,いわゆる二分論を指摘する。検察官も,論告において,強制採尿令状請求の着手をしたことを本件における留め置きの適法化根拠として挙げることから,二分論の影響を受けた考え方がうかがえるところであるので,まず,この点を検討する。
(2)

二分論は,強制採尿令状執行までの留め置きにつき,採尿担当医師確保や
医師の元への連行時間を考えると,令状請求に着手してから執行までには相当程度の時間を要するところ,強制採尿令状の請求を行うほどに覚せい剤自己使用の嫌疑が高い状態であれば,強制採尿令状発付後,速やかに同令状が執行されなければ,
捜査上著しい支障が生じることも予想され得ることから,
対象者の所在確保の必要性が高いことを理由に,任意捜査として行われている段階と強制手続への移行段階を別のものとして考え,被疑者に対し,強制手続への移行段階に移ったことを明らかにする趣旨で強制採尿令状の請求に着手したことを伝えるべきとした上で,後者について被疑者の所在確保の必要性を高度なものと見る見解であると解される(東京高等裁判所平成21年(う)第349号同年7月1日判決,東京高等裁判所平成22年(う)第1513号同年11月8日判決・高刑集63巻3号4頁参照)。
(3)

以下,二分論の当否を検討する。
そもそも,二分論は,令状請求の着手を告知したという,刑訴法上の根拠
がない一方的な捜査機関の事実行為をもって任意捜査段階である令状発付前における被疑者に対する実質的身体拘束を広く認めるものであり,強制処分法定主義及び令状主義の観点に照らして検討すると,直ちに採用できるものではない。また,いわゆる留め置きの違法性というものは,留め置きの間に何らかの強力な有形力の行使がなされるなどの明示的かつ瞬間的な行為のみによって判断されるものではなく,説得という名のもとになされる有形無形の心理的圧力の程度も考慮すべきものであるところ,二分論には,令状請求の前後で判断枠組みを変えてしまうことで,令状請求着手前に捜査機関が加えた影響をいったん遮断してしまう危険がある。
なお,強制手続への移行段階に移ったことを明らかにする趣旨で被疑者に対し令状請求の着手を告知することを求め,その効果として留め置きが可能な範囲を広げる点は,強制手続への移行段階とそれ以前の段階を区分することを前提とした循環論法的なものであり,二分論そのものを補強する論拠とはいい難い。このゆえに,当裁判所は,A又はBが被告人に対し令状請求に着手したことを伝えたか否かは捜査の適法性に関する結論を左右するものとはいえないと考える。
さらに,二分論が根拠とする医師の元へ連行する時間や,早期の執行がなされないことによる捜査上の支障(体内から覚せい剤が排出されることをいうものと考えられる。)は,令状発付までの時間が同じであれば,警察署で待機していても自宅で待機していても体内の覚せい剤含有量が有意に変わるとは考え難いことからすれば,留め置きの方法によらずとも,帰宅路や自宅の監視をしていれば足りる。確かに,覚せい剤自己使用の被疑事実に関連する証拠を保全する必要性があり,そのために警察官の支配下に留め置く必要があるという考え方もあり得る。しかし,事件単位の原則や,尿が覚せい剤自己使用の最良の証拠といってよいものであることに鑑みれば,関連する証拠といっても,限定的な考慮にとどめざるを得ない程度のものか,余罪のものでしかなく,事件単位の原則や任意捜査優先の原則に鑑みれば,任意に罪証の保全を行うことができるかを検討すべきであるし,覚せい剤事犯の嫌疑で職務質問をしている段階で,覚せい剤自己使用の被疑事実に関連する証拠についても捜査がなされるであろうことは被疑者からしても当然予想できるものであるから,任意捜査によることも可能である。
結局,二分論のいうような,令状請求着手の前後で状況を異質なものとみる硬直的な解釈が相当とはいえず,捜査の適法性は,時系列的に,必要性,緊急性などをも考慮した上,具体的状況のもとで相当と認められる限度内にあるか否かを判断するほかない(最高裁昭和50年(あ)第146号同51年3月16日決定・刑集30巻2号187頁参照)。
(4)

以上を前提に本件捜査の適法性を再度検討する。


1で認定した事実によると,被告人は,職務質問を受け始めた令和元年
6月25日午後7時26分から強制採尿令状が執行された同月26日午前5時1分頃までの間,約9時間留め置かれていたこととなる。任意の留め置きとしては極めて長時間に及んでいるといわざるを得ず,捜査の適法性を慎重に検討する必要がある。
そこで,以下,本件における2つの主要な場面であるガソリンスタンドにおけるパトカー内での場面と加西警察署へ移動してからの場面に分けて検討する。

被告人は,同月25日午後10時頃まではパトカーの中に,その後は加
西警察署内に留め置かれていたものであるが,
当初,
被告人が,
パトカーに
乗車した際には,
特に強い抵抗を示していなかった。
また,
被告人の風貌か
ら覚せい剤の自己使用が疑われたことや,当初,覚せい剤自己使用の犯歴があることを偽っていたこと等に鑑みれば,被告人が覚せい剤を使用していることについて相当程度高度な嫌疑があったといえ,所在確保や事情聴取のために被告人を留め置く必要性があったことは否定できない。そして,Aは職務質問開始から約1時間30分が経過した同日午後9時頃には,強制採尿令状の請求に着手しており,そこから,一定の時間,令状が発付される可能性があることを前提に,その執行のために待機するよう説得する必要もある。
以上の事情を踏まえると,本件のパトカー内における留め置きが違法であるとまではいえない。
しかし,被告人が,パトカー内で,繰り返しパトカーから下車し,帰宅する旨の意思を表示していたこと,Dと子(以下妻子らという。)だけが加西警察署へ行くことになった際,
Bに抗議をしたが,
結局,
妻子らのみが
加西警察署へ行くに至った点に留意する必要がある。すなわち,妻子らが加西警察署に行ったこと自体は,任意に行われたものと認められ,妻子らに対する関係では適法である。しかし,客観的に見て,被告人が,妻子らと帰宅するためには加西警察署へ行かざるを得ない状況に追い込まれた点は,被告人の行動選択の範囲を狭めており,被告人の任意性に影響を及ぼすものといえる。

なお,前記1の事実認定に関し,A,B及びCは,被告人が警察官らに対
し,
退去意思を示したのは,
パトカー内における職務質問を開始した頃に1
回したのみであり,
その他,
パトカー内や加西警察署において退去意思を示
したことはない,などと供述する。しかし,自らの所持品検査やパトカーへの同乗は受け入れながら,
採尿や加西警察署への同行を拒絶し,
強制採尿令
状の執行段階でもなお一度は採尿を拒絶する態度を示していた被告人が,採
尿目的で留め置かれることに対し不満を述べなかったというのは不自然である。そして,警察官らが,ガソリンスタンド,パトカー内及び加西警察署における被告人の様子を録音録画したり,
防犯カメラの映像を保全したりし
ていないことから,
A,
B及びCの供述を裏付けるものはない。
一方,
Dが,
被告人が退去意思を示していた旨供述していること,
同供述に不合理な点が
見られないことに鑑みれば,
被告人が退去意思を示すことなく,
留め置きに
応じていたというには疑問が残る。
この点に関するA,
B及びCの供述は信
用できない。
そこで,以下,このような状況下に置かれた被告人が加西警察署へ到着した後の状況を検討する。

被告人は,妻子らに会う必要が生じたことから,Bに指示して加西警察
署へ赴くが,
加西警察署で妻子らと会うと,
警察官らに対し,
妻子らととも
に帰宅させるよう抗議した。
被告人は,パトカー乗車時から,妻子らとともに早期に帰宅させるよう求めていたところ,加西警察署で妻子と合流したことで,来署した目的である妻子らとの帰宅を達成できるとも考えられる状況になった。そして,この時点で職務質問が開始してから既に3時間近くが経過していた。そうすると,
このように被告人が強く帰宅を希望していた中で,
なお,帰
宅を求めたのであれば,その頃,現に裁判所に令状請求をしていたことを考慮しても,一旦帰宅させた上で,追尾をする等の手段を考えることなく(証拠上このような事項を検討した形跡は見られない。
むしろ,A,
B及び
Cの供述からすると,令状請求に着手した段階で留め置きを続けることに特段問題を感じていなかったとしか考えられない。)被告人を留め置いたのは,任意捜査として許容される留め置きの限度を超えているものというべきである。
この点,検察官は,被告人が加西警察署において喫煙したり仮眠したりしており,一定の行動の自由が確保されていた点も指摘するが,前記のとおり,違法な留め置きとなった状況下において,最低限の行動の自由を認めていたに過ぎず,喫煙や仮眠の事実から,留め置きを正当化することはできない。
なお,尿以外の覚せい剤自己使用に関連する罪証の保全の必要性についても検討すると,
本件のように,
警ら中の警察官が,
偶然発見した覚せい剤
の使用が疑われる被疑者に対して直ちに保全すべき罪証として考えられるものは,被疑者の自宅や自動車内に存し得る覚せい剤や使用器具等とおのずと限られている。そうすると,採尿のための留め置きをしているときは,その範囲で任意捜査をなすことを検討すべきであるが,警察官は,被告人に覚せい剤の自己使用の嫌疑がかかっていることを認識しているDを警察車両で自宅に帰したのであるから,被告人使用車両を保全した上で帰宅させる方法を実践できた。
また,
被告人は,
自動車内の捜索こそ自動車が他人
の物であるとして拒絶したものの,自己の身体や所持品の検査には応じていたのであるから,自宅等,被告人の支配管理下に対する任意捜査を検討することができた状況であったといえるが,これをなした形跡はない。以上の点を踏まえると,関連する罪証保全の必要性をも踏まえて採尿のための留め置きの適否を考えるとしても,遅くとも,被告人が加西警察署において妻子らと合流し,妻子らと帰宅する意思を示した段階で,更に留め置いたのは任意捜査の限界を超えた違法なものであるといわざるを得ない。
3
本件鑑定書等の証拠能力について
以上のように,本件鑑定書等は,違法な留め置きの結果得られたものである
が,その証拠能力を検討するに当たっては,刑訴法1条が志向する実体的真実主義と適正手続の要請の観点から,証拠物の押収等の手続に,憲法35条及びこれを受けた刑訴法218条1項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり,これを証拠として許容することが,将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては,その証拠能力は否定されるものと解すべきである(最高裁昭和51年(あ)第865号同53年9月7日第一小法廷判決・刑集32巻6号1672頁)。そこで,本件について検討するに,本件留め置きは,約9時間にも及ぶものであり,任意の留め置きとして許容される限度を超えている。さらに,被告人が強く退去を求めてもなお拒絶し,ついに,いわば根負けさせ,加西警察署で仮眠をとるに至らせたともみられるところであり,違法の程度を軽視することができない。
しかし,Aは,職務質問開始から約1時間30分で被告人に対する強制採尿令状の請求に着手しており,その後,姫路簡易裁判所に請求するまでの時間も,合理的な範囲にとどまっている。確かに,Aは,強制採尿令状の請求に着手する前である,ガソリンスタンドに在所していた際,Bから留め置きを継続することで任意性に疑義が生じるかどうかを相談されたとき,薬物事犯担当の警察官が臨場するまで留め置きを継続するように指示している。このように,捜査機関側の都合で留め置きを継続しても差し支えないと考えるAの任意性に対する考え方には令状主義の理解について疑問があるが,この段階では留め置きの時間や必要性等に照らすと,留め置きが違法であったとはいえない。そして,姫路簡易裁判所において3時間に及んで令状が審査されていたことも被告人の留め置きを長期化させた要因となっていること,被告人に対し,有形力が行使されたとは認められないこと等に鑑みれば,警察官において令状主義を潜脱する意図があったとは認められず,違法捜査抑制の見地から証拠採用をすることが相当とはいえないとまではいえない。
そうすると,本件鑑定書等の証拠能力は認められる。
4
小括
以上の次第であり,被告人を強制採尿令状着手までの間,留め置いたのは,
遅くとも,加西警察署において帰宅意思を示したのにこれを拒絶してからは違法になったというべきであるが,その後得られた本件鑑定書等の証拠能力は認められる。
弁護人の主張は採用できず,当裁判所は,刑訴規則207条により,本件鑑定書等の証拠排除をなす旨の職権を発動しない。
第3
1
覚せい剤自己使用の故意について
被告人は,自己の体内から覚せい剤の成分が検出されたことは争わず,前記
のとおり,本件鑑定書等に証拠能力が認められる結果,証拠上もこの点は優に認められる。しかし,要旨,下記のとおり主張し,体内から検出された覚せい剤は,第三者が吸引したものの副流煙によるものであり,自ら吸引したものではないと主張し,使用の故意を争う。また,弁護人も同旨の主張をする。記
被告人は,令和元年6月10日から同月17日の間のいずれか一日の午後5時から午後10時30分頃までの間のうちの3時間にわたり,知人に連れられて大阪市内にある,4.5畳ないし6畳程度の広さのマンションの一室にいた。そこには,見知らぬ男性が4人(以下不明男性らという。)おり,机を囲っていた。被告人が着席した位置を基準に,知人はその対面に,不明男性らは2名ずつ被告人の左右にいた。不明男性らのうち,被告人側に座っている者は,被告人から手の届く範囲内にいた。
不明男性らは,室内で覚せい剤様の物体をガラスパイプに入れ,ライターであぶり,煙を吸引していた。不明男性らは,ガラスパイプの中の物質がなくなると,補充して使っていた。
被告人は,このように不明男性らが覚せい剤様の物質をあぶっていたところに3時間程度いた。
2
覚せい剤は,法律上その取扱いが厳格に制限され,取扱資格者でない者は,
その使用,所持及び譲渡が禁止され,その違反に対しては厳罰をもって取締りがなされている薬物であるため,一般の日常生活において,それが覚せい剤であると知らないうちに誤って体内に摂取されるというようなことは通常ではあり得ないことである。したがって,被告人の尿中から覚せい剤が検出された場合には,他人が強制的に,あるいは被告人不知の間に,覚せい剤を被告人の体内に摂取させたなどの被告人が覚せい剤を使用したとはいえない特段の事情が存在しない限り,経験則上,被告人の尿中から覚せい剤が検出されたということのみで,被告人が,自らの意思に基づいて覚せい剤をそれと認識した上で摂取したものと推認するのが相当である。
以下,検討する。
3(1)

捜索差押調書(甲2),F作成の意見書(甲39。以下F意見書とい
う。)及び同人の公判廷における供述並びにG作成の鑑定書(甲4),同人作成の報告書(甲30)及び同人の公判廷における供述によると,以下の事実が認められる。

被告人は,
令和元年6月26日,
強制採尿令状の執行を受け,
尿16[㎖]

を差し押さえられ,そのうち6[㎖]が予試験に,10[㎖]が本鑑定に用いられた。

令和元年6月26日に,Gが被告人の尿を鑑定したときの前処理は,尿
に対し酢酸エチルとpH10の緩衝液を加え,攪拌抽出した上で酢酸エチル層を分取し,塩酸-メタノール液を少量添加後,減圧して加温乾固することで,尿中物質の乾固物を得,これに酢酸エチルを加えて作成した検液1とアンモニア水を加えた上でヘキサン抽出した検液2を作成するというものであった。

検液1に対して,TLC分析を行った結果,被告人の尿中から,対照フ
ェニルメチルアミノプロパンと同一のRf値を示すスポットが観測された。

検液2についてGC分析を行った結果,フェニルメチルアミノプロパン
成分の信号強度(Intensity)は270万であった。なお,同GCのカラムは長さ30[m],内径0.53[㎜],膜厚1.5[㎛]のキャピラリーカラムであり,検出器はFIDであった。

エのGCでフェニルメチルアミノプロパン0.5[㎍/㎖]の水溶液を測
定したときの同成分の信号強度は約2万であった。

検液2についてGC-MS分析を行ったところ,フェニルメチルアミノ
プロパン成分が検出された。
(2)

また,F意見書は,以下のとおり計算し,被告人の供述する態様で覚せい
剤の副流煙を吸引した場合,尿鑑定時における尿中の覚せい剤成分の濃度がGC-MSの検出下限を上回ることはないと述べる(以下において,本稿における検討過程は,それぞれ検討過程ア
検討過程イというように摘示
する。)。

先行研究(以下先行研究1という。)によると,57.3[㎥]のモー
テルの一室において,メタンフェタミン(フェニルメチルアミノプロパンと同一)
100[㎎],
100[㎎],
250[㎎]をそれぞれガラスパイプに入
れ,
人が吸引することなく,
ホットプレートで加熱し,
加熱場所から20な
いし30[cm]の場所における空気中のフェニルメチルアミノプロパンの濃度を測定したところ520[㎍/㎥],300[㎍/㎥],1600[㎍/㎥]であった。

覚せい剤を加熱吸引する際の1回の使用量は通常50ないし100[㎎]
であるが,
被告人に有利に,
多量の覚せい剤を使用したと仮定し,
不明男性
らがそれぞれ250[㎎]を用いたと仮定する。

先行研究1では,純度91%の覚せい剤を加熱用試料としているが,日
本で流通している覚せい剤は,ほぼ純度100%であるので,不明男性らが1回で250[㎎]を用いたとして,その濃度補正を行うと,加熱場所から20ないし30[㎝]の場所における覚せい剤の濃度は
1600[㎍/㎥]×100/91≒1760[㎍/㎥]
である。

先行研究(以下先行研究2という。)によるとガラスパイプを加熱し
て覚せい剤を吸引した場合,加熱した覚せい剤が空気中に拡散される分量は,10~33%とされているが,仮に,本件で,被告人に有利に33%が拡散されたとすると,不明男性らが吸引することなく拡散させた覚せい剤の濃度は
1760[㎍/㎥]×33%≒581[㎍/㎥]
となる。

被告人が在室していた部屋は約4.5畳から6畳とのことであるが,覚
せい剤濃度が高い方が被告人に有利であることから,在室していた部屋の高さを近年の日本における住宅の平均的な高さよりもやや低く見積もり2.2[m]とすると,部屋の体積は
2.7[m]×2.7[m]×2.2[m]≒16.0[㎥]
となる。

先行研究1の結果に,57.3[㎥]の室内の実験結果を純度補正をした
検討過程エの結果と,
被告人が在室していた約16.
0[㎥]の部屋とで,

積による濃度補正を行うと,被告人の位置における副流煙の覚せい剤濃度は
581[㎍/㎥]×57.3[㎥]/16.0[㎥]≒2.08[㎍/ℓ]となる。

一般に人が1回の呼吸で吸引する空気の量は0.5[ℓ],1分間の呼吸回
数は14回とされているので,被告人が在室していた間に被告人が吸引した空気の量は
0.5[ℓ]×14回×180分=1260[ℓ]
となる。

検討過程カ及びキから,被告人が不明男性らのうち1名から吸引した覚せい剤の分量は
2.08[㎍/ℓ]×1260[ℓ]≒2620[㎍]
となる。
そして,
不明男性らは4名であったのであるから,
被告人が吸引し
た覚せい剤の総量は
2620[㎍]×4≒10.5[㎎]
となる。

アメリカにおいて,平均年齢26.7歳(標準偏差1.7歳),体重8
3.8[㎏](標準偏差5.1[㎏]),身長176.4[㎝](標準偏差1.5[㎝])
の,
アンフェタミン常用者男性6名に対し,
フェニルメチルアミノプ
ロパン塩酸塩30[㎎](ただし,実際に加熱された分量は21.8±0.33[㎎]であった。)を加熱吸引させた先行研究(以下先行研究3という。)の結果,かかる吸引後の尿中フェニルメチルアミノプロパン濃度は,加熱後60時間において多くとも約500[㎍/ℓ]=0.5[㎍/㎖]であった。
なお,
尿中フェニルメチルアミノプロパン濃度を求めるときには,
前記
3(1)イと同様の原理に基づく方法により尿2[㎖]からフェニルメチルアミノプロパン成分を抽出し,キャピラリーカラムを用いたGC測定をし,得られたスペクトルから,ピーク面積を積分している。

先行研究3で使用されたフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩の分量と
検討過程クで得られた被告人が吸引したフェニルメチルアミノプロパンの分量との補正を行うと,被告人が,不明男性らの覚せい剤の副流煙を吸引してから60時間後に尿中に含まれるべきフェニルメチルアミノプロパンの濃度は
0.5[㎍/㎖]×10.5[㎎]/30[㎎]=0.175[㎍/㎖]となる。

検討過程コで求められた濃度は,既に,GS-MSの検出下限である0.
1~0.5[㎍/㎖]を下回るかその限界付近であるところ,被告人によると,遅くとも令和元年6月17日に吸引し,同月26日午前5時頃に採尿されているから,吸引後,採尿されるまで少なくとも192時間が経過していることに鑑みれば,検出下限を下回ると考えられる。
(3)

F意見書が前提とする先行研究の補足
F意見書が前提とする先行研究1及び3には以下の記載がある。


重水素標識したフェニルメチルアミノプロパンによって,30~40
[㎎]のフェニルメチルアミノプロパンを,265~305℃で電気的に加熱した場合のフェニルメチルアミノプロパンの煙の吸収と生物学的利用率(バイオアベイラビリティ)について調査したところ,パイプに詰めて加熱吸引した場合,フェニルメチルアミノプロパンの約50%がパイプに残り,空中に浮遊したフェニルメチルアミノプロパンの約67%が吸収された。
また,
同様の手法で観測した別の研究によると,
約27%がパイプに残
り,エアロゾル化したフェニルメチルアミノプロパンの約90%が体内に吸収された(先行研究1参照)。

先行研究3の結果,フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩30[㎎]を,
パイプ内の煙や覚せい剤が見えなくなるまで,約4分間加熱し,15秒ごとに喫煙した場合の尿中フェニルメチルアミノプロパンの濃度は,使用後約12±2.
3時間でピークを迎えた。
また,
吸引からt
[時間]
が経過し,
かつ,終末相になっている段階では,尿に排出されたフェニルメチルアミノプロパンの累積量Atは,
𝐴𝑡=𝐴∞(1-𝐸𝑥𝑝[-𝐾𝑢(𝑡-𝑡𝑙𝑎𝑔)])
ただし,𝐴∞は,推定総排出量,𝐾𝑢は消失速度定数
というモデル式によることが考えられ,この数式をモデル式として観測結果を最小二乗法により回帰分析した結果,
0.
961~0.
995の決定係
-1

数r2)

とともに,𝐴∞=6.16±0.74[㎎],𝐾𝑢=0.0677±0.0057[時間]が得られた。なお,正負符号の値は標準誤差である。

イの結果を前提とすると,フェニルメチルアミノプロパンを吸引した場
合の終末相半減期T1/2は𝑡𝑙𝑎𝑔=0とすると,
𝑇1/2=ln(2)/𝐾𝑢≒10.3±0.9[時間]
となる(なお,誤差については相対誤差を伝播させた。)。
(4)ア

前記F意見書の推認過程は,①

人が吸引しない,所与の体積条件下に

おいて,覚せい剤を加熱した場所から約20~30[㎝]離れた場所におけるフェニルメチルアミノプロパンの濃度を測定する,②
加熱場所におい

て人が覚せい剤を吸引している場合に,吸引者が外界に排出する覚せい剤と体内に取り込む覚せい剤の比率で,①の結果を補正する,③
②の結果,

①の測定地点にほぼ等しい位置にいたと考えられる被告人が吸引した覚せい剤の分量を計算する,④

①~③とは独立して得られた覚せい剤を吸引
した者の尿中覚せい剤濃度の推移から,③の被告人が吸引した覚せい剤の分量を当てはめ,尿中覚せい剤濃度を推認するというものであり,論理的かつ合理的な推認過程である。
また,先行研究3において,終末相における指数関数的な排出モデルは一次消失過程を前提とする薬物動態学で一般的に用いられるモデルであり,
かつ,
回帰分析の結果も信頼に足りるものであるし,
先行研究2につい
ては,直接これを引用する文献こそないものの,前記(3)アの結果と矛盾しないものであり信用できる。
そうすると,F意見書の見解は基本的に信用できるが,同意見書は,①気体の拡散には温度条件の差異が影響するところ,先行研究1の測定温度条件が不明であること(以下問題点①という。),②
検討過程カにお

いて,被告人と不明男性らの距離が明らかではないのに,フェニルメチルアミノプロパンの加熱場所から20~30[cm]離れた場所で測定を行った先行研究1の結果をそのまま利用していること(以下問題点②という。),③

検討過程コで,先行研究3の結果を利用する際,同研究では,
フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩30[㎎]のうち,約22[㎎]しか加熱されていないのに,30[㎎]が費消されたことを前提に計算している点(以下問題点③という。),④

先行研究1及び2を用いて推定した被

告人が吸引した覚せい剤は,フェニルメチルアミノプロパンを加熱した結果から得られたものである一方,先行研究3はフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を用いており,検討過程コにおいて被告人の尿中フェニルメチルアミノプロパン濃度を求めるときに,これらの分子量又は式量の差異についての説明がないこと(以下問題点④という。),⑤
不明男性らが,

1回(250[㎎])しか覚せい剤を吸引していないことを前提としている点(以下問題点⑤という。),⑥

検討過程コにおいて,先行研究3と

Gが行った分析結果から,尿中フェニルメチルアミノプロパンの濃度を比較しているが,
測定前の準備過程
(GC-MS用の溶液の調製方法等)
が不
明であり,単純な濃度比較ができない点(以下問題点⑥という。),⑦先行研究3における被験者は,1時間ごとに採尿して,体外にフェニルメチルアミノプロパンを排出しているが,被告人は,少なくとも本件留め置きの間の9時間は尿を出しておらず,フェニルメチルアミノプロパンが蓄積されていた分,高濃度の尿が排出された可能性がある点(以下問題点⑦という。)でなお検討が必要であるので以下検討する。なお,以下の検討では,既に検討した問題点以外の検討がなされていないことを前提としている。

まず,問題点①について検討すると,気体の拡散係数は絶対温度(摂氏
温度t[℃]に対し絶対温度T[K]=273.15+t)に比例するところ,先行研究1及び被告人が在室したという部屋の温度は明らかではないが,通常,人が生活できる範囲の温度であれば絶対温度に有意な差があるとは考え難いので,少なくとも観測結果を桁数のレベルで変えるほどの有意な影響を与えるとは考え難い。
そして,
後述するとおり,
被告人の供述する態
様と観測結果は,桁数レベルで矛盾がある。

問題点②について検討すると,確かに,被告人と不明男性らの距離が明
らかではないが,机を囲って,手が届く範囲であると言うことからすれば,成人男性の腕の長さからして,20~30[㎝]を下回ることはないと考えられる。
そして,
気体濃度は,
一般に,
気体が発生する場所から離れるほど低くな
るから,20~30[㎝]離れた場所の値を使うことは,被告人が吸引したフェニルメチルアミノプロパンの分量を多く見積もることとなり,被告人に有利であるから,特に補正を要しない。

問題点③及び問題点④の点について検討する。まず,問題点③については,先行研究3におけるフェニルメチルアミノ
プロパン塩酸塩の加熱分量を30[㎎]から22[㎎]に補正することが考えられる。
次に,問題点④の補正については,先行研究3から補正の必要性が必ずしも明らかではないが,被告人にとって有利に補正することとする。そうすると,先行研究3がフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を加熱していることに鑑み,その加熱した質量をフェニルメチルアミノプロパンとフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩の式量比で補正することが考えられるが,フェニルメチルアミノプロパン(C10H15N)の分子量は約149,フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩(C10H15N・HCl)の式量は約185であるから,
結局,
被告人が,
不明男性らの覚せい剤の副流煙を吸引して
から60時間後に尿中に含まれるべきフェニルメチルアミノプロパンの濃度x[㎍/㎖]を求めると,
0.5[㎍/㎖]×10.5[mg]/30[mg]=0.175[㎍/㎖]0.5[㎍/㎖]×10.5[mg]/(22[mg]×149/185)=x[㎍/㎖]
x≒0.30[㎍/㎖]
となる。これは,被告人が吸引した覚せい剤の分量を多く見積もることとなり,被告人に有利であるので,以下,この数値を前提に検討する。オ
問題点⑤⑥⑦を検討する。
(ア)

問題点⑤を検討するためには,被告人が吸引したフェニルメチルアミ
ノプロパンの量について検討を行う必要がある。
そこで,
分析化学におけ
る一般的知見(公知の事実)に照らし,検討する。
Gが本件で用いたGCの検出器に用いられているFIDは有機化合物を水素炎で燃焼させ,炭化水素が水素炎中で生じたオキソメチリウムイオン(CHO+)が,水分子に陽子を奪われた結果生じるオリゴマーであるオキソニウムイオン((H2O)nH+)をコレクターで捕集し,電流を検知するものであるから,
ヘテロ原子や不飽和結合を含む場合など,
燃焼
を阻害する要因がある場合には感度が落ちるが,
基本的に,
濃度と信号強
度は比例するといってよい。
そして,スペクトル分析において,信号強度比は,厳密にはピーク高さではなく,
ピーク信号の面積比によって求められるところ,
対照用のもの
と同一のキャピラリーカラムを用いており,かつ,理論段数も相当大きく,
ピーク幅も十分狭いものとみなせるので,
より厳密には検量線分析に
よらなければならないとはいえ,5[㎍/ml]の溶液のときの信号強度0.
2万と,被告人の尿中フェニルメチルアミノプロパンの信号強度270万はほぼ濃度比を示しており,
少なくとも,
桁数レベルでは正しい比率を
表しているといってよい。なお,本件における検察官の立証命題は,被告人の尿中から検出された覚せい剤の濃度が,被告人の供述態様からは到底説明がつかないというものであり,定量的な議論が必要となる検出限界の前後での濃度で議論をしているわけではないので,この程度の簡略化した検討も許されるというべきである。
また,
先行研究3においてはG
Cのピーク面積を積分計算することで濃度計算をしている。
ここで,Gは,GCのチャートから定量分析を行っていないとした上で,定量分析には限界があることを述べる。確かに,厳密に定量分析を行うためには,上記のように検量線分析によることが必要であるが,一方で,GCやFIDの原理に照らすと,Fが供述するとおり,信号強度比からおおよその濃度比を求めることができる。
すなわち,
厳密な定量分析を
行うという意味では,Gの供述は何ら誤っておらず,一方,桁数レベルでの比較でとどまるのであれば,
Fが供述するとおり,
信号強度比をおおよ
その濃度比とみて議論して差し支えない。
したがって,
両者の供述に矛盾
はない。
そうすると,被告人の尿中のフェニルメチルアミノプロパンの濃度を,信号強度比から桁数の一致をみる程度で計算すると,
前記0.
5[㎍/㎖]
の270万/2万=135倍程度である0.5[㎍/㎖]×135=67.5[㎍/㎖]のフェニルメチルアミノプロパンが検出されていると考えられる。以下では,おおよその濃度分析結果を用いる議論であることに鑑み,
被告人に有利に,
約60[㎍/㎖]のフェニルメチルアミノプロパンが
検出されていると考える。
(イ)

次に,検討過程コのように問題点⑥の点を無視して,単純に先行研究
3の結果から被告人の尿から検出されるべきフェニルメチルアミノプロパンの濃度を計算すると,前記エのとおり,吸引後約60時間で約0.30[㎍/㎖]となるところ,実際に尿鑑定がされたのは吸引から早く見積もっても192時間後であるから,前記エの計算結果から更に約130(≒192-60)時間が経過している。
ここで,問題点⑦を踏まえ,被告人が,強制採尿令状の執行により排尿する直前に,いつ排尿したかが明らかではないが,通常,1日に1回も排尿をしないことは考え難いことから,
被告人に有利に,
強制採尿令状の執
行前24時間は排尿しておらず,
その間は,
体内でフェニルメチルアミノ
プロパンが代謝されなかった等の理由によって,前記試算値がある約60時間から約106時間
(=130-24)
が経過していた時点での濃度
の尿が排出されたと仮定し,
かつ,
尿中のフェニルメチルアミノプロパン
の濃度と体内に残る覚せい剤の分量は比例するものとして試算する。この場合,尿中フェニルメチルアミノプロパンの濃度変化が問題となるところ,
弁護人は,
先行研究3の被験者と被告人との代謝速度等に個体
差がある可能性を指摘する。
確かに,
フェニルメチルアミノプロパンの代
謝に用いられる酵素の個体差は明らかではないし,フェニルメチルアミノプロパンが第二級アミンであり,塩基性を示すことからすると尿への排出ペースは,そのpHに影響を受ける(尿のpHが低いほど,早く排出されやすい。)。そこで,弁護人の主張を踏まえて消失速度定数に個体差があるものと考え,
終末相半減期を,先行研究3の結果である10.3時
間から相当広い幅を取って,
7時間から35時間の幅で検討すると,
吸引
後約60時間経過時から106時間が経過した時点で,体内に残留するフェニルメチルアミノプロパンは,60時間経過後から更に2106/35≒8分の1から2106/7≒36200分の1となっているものと考えられる。
これが尿中のフェニルメチルアミノプロパン濃度に比例するとすると,
被告人の尿から検出された程度の覚せい剤が検出されるためには,不
明男性らは3時間以内に250[㎎]の覚せい剤を
60[㎍/㎖]/(0.30[㎍/㎖]/8)=1600回
から
60[㎍/㎖]/(0.30[㎍/㎖]/36200)≒724万回吸引しなければならないこととなる。
そうすると,どれだけ少なく見積もっても,不明男性らは1人当たり,3時間にわたり,毎時133回(≒1600÷4÷3),覚せい剤を吸引しなければならないが,このように,覚せい剤250[mg]を3時間にわたり,
30秒以内毎に交換し続けたなどということは,
常識的に考えてあ
りえないし,
前記3(3)イによると,
パイプに入れたフェニルメチルアミノ
プロパン塩酸塩30
[mg]
が目視できなくなるまで加熱するには4分かか
ること(250[㎎]であれば,更に時間を要すると考えられる。)にも反する。
そうすると,問題点⑥を捨象すると,被告人の供述する吸引態様は,客観的な測定結果と合致しないものといえる。
(ウ)

以上の検討を踏まえても,なお問題点⑥が課題となる。不明男性らが覚せい剤を使用した回数は明らかではない。しかし,被
告人は,不明男性らが,3時間の間,覚せい剤を吸い続けていたという。ここで,
前記3(3)イによると,
パイプに入れたフェニルメチルアミノプロ
パン塩酸塩30
[mg]
が目視できなくなるまで加熱するには4分かかるこ
とからすると,3時間で,不明男性らはそれぞれ約1.35[g](=30[㎎]÷4[分]×180[分]),合計5.4[g]を吸引したものと考えられる。
一方,前記(イ)の結果からすると,被告人の尿からは,不明男性らが,250
[mg]
のフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を1600回吸引した
ものと考えられるフェニルメチルアミノプロパンが測定されているから,
被告人の供述が本件鑑定書等と矛盾しないためには,
Gの分析方法に
よったときは先行研究3の分析方法によったときに比べて,
約74倍
(=
250[㎎]×1600[回]÷5.4[g])の濃度が検出されなければならないこととなる。確かに,先行研究3は2[㎖]の尿からGC用の試料を調製し,Gが行った鑑定では10[㎖]の尿からGC用の試料を調製しているため,
仮に,
GC用の試料の体積が同一であるなら5倍の濃度差が
生じることとなるが,74倍の差が生じるためには,更に,約15倍の濃度差が生じなければならない。
しかし,
体内のフェニルメチルアミノプロ
パンの検出をGC-MS分析で行うという,世界的に広く行われる検査ではそのプロトコルはほぼ画一化されているものと考えられるもので(先行研究1では,NIOSHドラフト法9106というアメリカ合衆国国立労働安全衛生研究所が定めるプロトコルに従っている。),かつ,微量のフェニルメチルアミノプロパンまで検出しようとするものであることからすれば,
先行研究3において,
15倍も希釈する方法が採用され
ているというのは考え難い。
(エ)

以上をまとめると,問題点⑥の点を踏まえ,被告人に対し,最大限有利な仮定を設定し続けてもなお,被告人の尿から検出されたフェニルメチルアミノプロパンの濃度は,被告人の供述と矛盾しているといわざるを得ない。


小括
以上検討したところによると,被告人が供述する吸引態様は,客観的な
分析結果と矛盾しており,
信用できない。
一方,Gが行った鑑定結果からす
れば,自らの意思で吸引したとしか考えられない程度のフェニルメチルアミノプロパンが検出されていると認められる。
(5)

そもそも,被告人の供述する内容は,知人に見知らぬ場所に連れていかれ,
覚せい剤様のものを吸引し始めてもなお3時間もその場にい続けたという,それ自体不合理なものであり,信用し難い。また,覚せい剤をあぶりの方法で使用したことで有罪判決を受けたことがあり,あぶりによる使用方法をよく知る被告人が,覚せい剤をあぶりの方法で使用し始めた者の存在を認めて何もしなかったということ自体不合理である。
さらに,仮に,周囲の者が覚せい剤を吸い始めたことを認識して,なお,その場にい続けたというのであれば,もはや,覚せい剤を吸引することで使用する故意に欠けるところはないというべきである。この点,被告人は,覚せい剤の使用とは自分が吸引することをいうのであり,他人が吸引したものを吸うことは当たらないと考えていたと述べる。しかし,被告人の弁解が前提とする事実関係の不合理性はさておくとしても,覚せい剤の自己使用についての故意は,薬理作用のある物質を体内に摂取している状態に身を置き続けていることについて故意があれば足り,他人が吸引しているものであれば自己使用に当たらないというのは,法律の当てはめについての認識を誤ったに過ぎず,被告人の故意を否定するものではない(刑法38条3項)。(6)

以上の次第であり,本件での弁護人の主張は,客観的事実と矛盾するもの
であり採用できず,また,被告人の覚せい剤自己使用の故意を否定する特段の事情は存在しない。
よって,被告人には,覚せい剤の自己使用の故意が認められる。
第4

付言事項

以上検討したとおり,当裁判所は,本件鑑定書等の証拠能力及び被告人の覚せい剤自己使用の故意が,いずれも認められると判断した。しかし,証拠能力の判断について,Bらが供述するような,被告人が帰宅を強く求めたことがなかったという事実を直接立証するパトカー内のドライブレコーダーやガソリンスタンドの防犯カメラの映像の保存期間が経過してしまい,これらが保全されなかった。また,加西警察署内における被告人の言動を立証する写真・動画等も撮影されていなかった。少なくとも,任意採尿を頑なに拒む被疑者を長時間,留め置いていたのであれば,その状況に関する証拠を保全していなかったのは,捜査の過程及び結果に責任を持つべき捜査機関として不相当といわざるを得ない。
また,覚せい剤自己使用の故意について,Gは,一般的に定性分析は行っているが,定量分析を行うことはないなどと供述する。しかし,覚せい剤の自己使用の故意は,フェニルメチルアミノプロパンが検出されたことを以て相当程度強く推認されるとはいえ,あくまでも検察官に立証責任があることに鑑みれば,被告人の弁解如何によっては,
定量的な分析も必要となるのに,
これを行わないという運用自体,
問題があるといわざるを得ない。確かに,検査方法がほぼ確立している分析であろうことに鑑みれば,どのようなサンプルであれ,得られたスペクトルから大まかな分量や故意否認の理由の当否が判断できるとは考えられる。
しかし,
GC測定では,
被告人の尿がそのままサンプルとなっているのではなく,尿から抽出したフェニルメチルアミノプロパンを含む成分から溶液を作成し,この溶液をサンプルにGC測定をしていること,言い換えるならば,GCで測定されている濃度は,あくまでも,最終的に調製された溶液の濃度であって,被告人の尿中フェニルメチルアミノプロパンの濃度ではないことからすると,これら2つの値をつなぐ,実際の鑑定方法が証拠上明らかになっていないというのは問題がある。
当裁判所は,上記のとおり,捜査機関の運用に問題点があるものと考える。(累犯前科)
省略
(法令の適用)
被告人の判示所為は令和元年法律第63号による改正前の覚せい剤取締法41条の3第1項1号,19条に該当するところ,前記の前科があるので刑法56条1項,57条により再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役2年に処し,同法21条を適用して公訴提起日である令和元年7月26日から刑の執行が開始された令和2年3月31日の前の日までの未決勾留日数中120日をその刑に算入することとし,訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は,被告人が,覚せい剤を自己使用した事案である。
被告人は,覚せい剤自己使用の罪による一部執行猶予期間中であり,覚せい剤との関係を断ち切るべく最大の努力をすべきときに安易に覚せい剤を使用した。覚せい剤に対する常習性,親和性は顕著である。
また,
当公判廷においても不合理な弁解に終始しており,
反省の念も見られない。
そうすると,被告人の刑事責任は重く,被告人に妻子がいること等,被告人にとって有利な事情を最大限考慮しても,主文程度の刑はやむを得ない。(求刑

懲役2年6月)

令和2年6月26日
神戸地方裁判所姫路支部刑事部

裁判官

伊藤太一
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