判例検索β > 平成30年(わ)第44号
傷害(予備的訴因:業務上過失傷害)、傷害
事件番号平成30(わ)44
事件名傷害(予備的訴因:業務上過失傷害),傷害
裁判年月日令和2年3月24日
裁判所名・部岡山地方裁判所  第2刑事部
裁判日:西暦2020-03-24
情報公開日2020-06-11 18:00:19
裁判所の詳細 / 戻る / PDF版
令和2年3月24日宣告
平成30年(わ)第44号,第111号

判決主文
本件各公訴事実について,被告人はいずれも無罪。

第1


平成30年2月7日付け起訴状記載の公訴事実並びに令和元年7月30日付け予備的訴因並びに罪名及び罰条変更請求書記載の予備的訴因

1
公訴事実及び弁護人の主張等

本件の主位的訴因に係る公訴事実は,被告人は,岡山市k区において歯科医院(以下「本件歯科という。)を経営する歯科医師であるが,平成29年5月16日午後7時頃,本件歯科において,右下智歯周囲炎の治療のために来院したA(当時24歳)に対し,その右下第一大臼歯及び同第二大臼歯(以下,歯の名称については,別表に従い右下6番,右下7番などということがある。)を歯科器具を使用して切削するなどし,よって,同人に加療約1か月間を要する右下第一大臼歯及び同第二大臼歯歯質損傷の傷害を負わせたものである。」という傷害の事案である。
本件の予備的訴因に係る公訴事実は,被告人は,本件歯科を経営する歯科医師であり,本件歯科において歯科治療に従事していたものであるが,平成29年5月16日午後7時頃,本件歯科において,Aの歯の治療を行うに際し,同人が『親知らず付近の強い炎症のような気がします。』『以前,奥歯が同じように痛むことがあり,それと同じ症状だと思う。』等と訴えており,視診によってもその右下第一大臼歯及び同第二大臼歯(以下,「右下第一大臼歯等ともいう。)に明らかなう蝕は見当たらず,同人の痛みの原因は智歯周囲炎であって,右下第一大臼歯等が歯髄炎ではない可能性が高く,そのため,レントゲン画像によって右下第一大臼歯等
のう蝕や根尖部等の状況を確認しなければ,右下第一大臼歯等が歯髄炎であるとの診断ができなかったのであるから,痛みの原因が右下第一大臼歯等の歯髄炎にあると診断して右下第一大臼歯等を切削するに当たっては,レントゲン検査を行って,その画像でう蝕や根尖部の状況等を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,レントゲン検査を行うことなく,右下第一大臼歯等が歯髄炎であると誤診し,右下第一大臼歯等を歯科器具を使用して切削するなどした過失により,同人に加療約1か月間を要する右下第一大臼歯及び同第二大臼歯歯質損傷の傷害を負わせたものである。」という業務上過失傷害の事案である。
検察官は,Aに対する各公訴事実記載の侵襲(以下,本件に関する部分では本件切削という。)に関して,Aの痛みの原因は右下8番の右下智歯周囲炎であり,かつ,右下6,7番には歯髄炎がなかったと主張した上で,主位的訴因の関係では,右下6,7番には本件切削を正当化するような疾病がなく,被告人にはそのことの認識があったと主張し,予備的訴因の関係では,同歯には歯髄炎がなかったのに,被告人はレントゲン検査を怠ったことにより,歯髄炎と誤診した旨主張する(なお,予備的訴因には智歯周囲炎とあるが,これは主位的訴因同様右下智歯周囲炎をいうと釈明した。)。
これに対して弁護人は,本件切削時点におけるAの痛みの原因は右下智歯周囲炎ではなく,右下6,7番の歯髄炎であり,本件切削は正当業務行為に該当する上,予備的訴因については過失がない旨主張する。
検察官は,①Aは本件切削の直前に被告人に右下奥歯の痛みを訴えたところ,その原因は右下智歯周囲炎によるものであって歯髄炎によるものではない,②Aが前医に通院した際の口腔内には,本件切削時に歯髄炎が発症する兆候はなかった,③被告人はレントゲン検査を行わなければ上記各歯が歯髄炎であると診断することはできなかったはずである旨主張するものと解される。弁護人は,これらをいずれも争っている。
当裁判所は,弁護人の主張はいずれも排斥することができず,主位的訴因及び予
備的訴因についてはいずれも犯罪の証明がないものと判断したので,以下,その理由を説示する。なお,第1記載の各公訴事実に関する説示については,日付は特記なき限り平成29年である。
2
診察の経過等

カルテ(以下,診療録等はいずれもカルテという。)等の客観的な証拠,本件前後にAを診察したb歯科クリニックの歯科医師Bが述べる客観的な状況であってその信用性を否定するに足りる証拠がないもの並びにA及び被告人が一致して供述するところ等によれば,以下の事実を認定することができる。
Aは,3月18日,b歯科クリニックを受診した。Bは,Aの口腔内を写真撮影するとともに,問診,視診及びレントゲン撮影を行い,腫脹,発赤,圧痛,自発痛を認め,左下8番をカルテに記載し智歯周囲炎と診断して痛止めの薬を処方するなどした。
Aは,5月16日,本件歯科を受診した。被告人は,Aに対し,レントゲン撮影をせず,麻酔を注射した上で,第1記載の各公訴事実記載のとおり,右下6,7番の歯を切削して抜髄等を行った。Aは,同月22日まで数回本件歯科を受診した。Aは,6月13日,b歯科クリニックを受診し,カルテには親知らずが痛いと記載された。Aは,同月19日,同月27日及び7月5日にも同クリニックへ通院し,同日のカルテには,左下8番に関し左咽頭部痛む唾液を飲み込むだけでも痛むと記載され,左下8番が抜歯された。3
本件切削時の右下智歯周囲炎による痛みの存否

検察官は,本件切削時の右下智歯周囲炎については,患者であるAの供述と,本件切削の前後にAを診察したBの供述や診察経過により立証し,弁護人はこれらを争っているので,以下検討する。
Aの供述内容
Aは公判廷において,喉の近くの右下奥の親知らずの更に奥の辺りに,唾を飲み込むときに口内炎が痛むような痛みがあり,インターネットで調べて親知らずかも
しれないと考え,3月18日,b歯科クリニックを受診した,歯自体は痛くなかったし,Bに歯が痛いと言った記憶もないが,同病院のカルテに歯が痛いと記載されているなら,そのように言ったかもしれない,左も腫れたと思うが,いつかは覚えていない,当時Bから,左の方が悪いと言われたかは覚えていないが,親知らずの周りの歯茎が炎症を起こしており,炎症が治まってから親知らずを抜こうと言われた,b歯科クリニックでは薬を処方されて痛みが治まった,5月頃,再び右の奥歯が痛み出して本件歯科を受診し痛みが弱まった,ところが痛みが再発したので,6月13日にb歯科クリニックに通った,その時発熱まであったかどうかは覚えていない,7月には右下の親知らずを抜歯した,捜査段階で検察官に,本件歯科の問診表に痛い部分として歯とある部分に丸を付けたと述べたようであるが,記憶がないと述べる。
A供述の検討
b歯科クリニックのカルテの3月18日欄には歯が痛い歯肉が腫れたと記載され,同カルテによれば左下8番の腫脹,発赤,圧痛,自発痛があったと認められるが,右下8番については何ら記載されていないため,同歯に何らかの症状が生じていたかは明らかではない。Bは,公判廷において,上記カルテの歯が痛い歯肉が腫れたとの記載は患者の言葉で書くことが決められているのでその旨記載したものであるが,患者は部位が分からないので部位を特定したものではない,記憶では右下の部位を訴えていたが,左下の方が炎症が激しかったので代表して記載したなどと述べた上で,Aには,同日,右下智歯周囲炎が存在したと供述する。3月18日の時点で右下智歯周囲炎が存在したことについてはBとAの供述が一致し,被告人も,本件切削時に右下智歯周囲炎があり,その意味でカルテに骨炎と記載したと述べる。よって,3月18日及び本件切削時に右下智歯周囲炎があった可能性はある。もっとも,仮にこれらの日に同疾患があったとしても,被告人は,Aの訴えは右下6,7番であり,右下8番の智歯周囲炎は痛みを生じさせていなかったので,治療の必要性を認めず,カルテの一段下に記載したと述べるので,さら
に,本件切削時の痛みに関するA供述について検討する。
Aは,本件切削時及びその前の痛みについて,右の親知らずの奥の辺りが痛む,固形物が飲み込めない,水を飲み込んでもちょっと痛んだ,歯が痛いというより歯茎が痛かったと述べるが,その痛みは,7月5日に左下8番に関する左咽頭部痛む唾液を飲み込むだけでも痛むとのカルテの記載により整合するものである。b歯科クリニックのカルテによれば,Aの訴えは,3月18日には歯が痛い歯肉が腫れたなどと歯や歯肉の痛みをいうものであったのに対し,7月5日には左咽頭部痛むなどと喉の痛みをいうものに変化しているようであるのに,Aは痛みの変化については供述していない。また,左下8番が抜歯されたのにこれを否定し,右下8番を抜歯したと述べるなど,抜歯された箇所ですら左右を誤って記憶し,歯が痛いと述べた記憶もないとカルテの記載に反する供述をするなど,痛みの内容や歯科医師に対する申告内容について正確な記憶の保持がなされていないと窺われる。Aは,本件歯科では被告人の説明を受け入れたものの,6月13日にb歯科クリニックを受診し,被告人が処置した右下6,7番を開封した上で処置を受けた際,Bから,同歯は虫歯があったような感じではなかった,本件歯科にはよくない評判があり,今後歯科の治療をさせないよう協力して欲しい旨告げられたと述べ,公判廷では被告人に強い憤りを感じる,治療行為ができないようにして欲しいと述べており,このようなBからの誘導的発言や被告人を貶めて不信感を募らせる発言により,本件切削時点で上記疼痛がなかった旨記憶が変容した可能性も否めない。また,一般に歯の神経が繋がっていることや,Bも述べるとおり患者は診察時においてさえ痛みの部位を特定できない場合があると考えられることも踏まえると,A供述のみをもって,痛みの部位や症状を判断するのは困難であるといわざるを得ない。


B供述の内容とその検討

Bは,Aを診察した6月13日の親知らずが痛いとのカルテの記載について,どの部位かは覚えていないと述べ,この時点で右下8番に痛みがあったと述べてお
らず,右下8番に関してカルテに記載はない。そして,Bは,本件切削時に右下智歯周囲炎が存在したという根拠として,3月時点で右下6,7番には異常がなかったので消去法で考えたと述べる一方,智歯周囲炎は自然治癒する可能性は非常に大きいとも述べており,3月時点で右下智歯周囲炎が発症したとしてもその後自然治癒するというのであれば,本件切削時に右下智歯周囲炎による痛みが存在したと認めることはできない。


小括

そうすると,本件切削時の痛みが右下智歯周囲炎によるものであるとの検察官の主張は,合理的な疑いを差し挟む余地があるといえる。
4
右下6,7番に歯髄炎が発症する兆候の有無

検察官は,本件切削時におけるAの右下6,7番に歯髄炎がなかったことについて,3月18日にb歯科で撮影されたレントゲン画像や口腔内写真等に関する歯科医師の意見やA供述により立証するので,以下検討する。
歯髄炎が発症する機序等
歯髄炎は,歯髄が炎症を起こした状態である。歯髄炎が発症する主要な原因は,う蝕(虫歯)の細菌が歯髄に至ることによって歯髄の炎症が起こるものである。他に,上行性歯髄炎,外傷,菌血症等が挙げられるが,いずれもまれである。う蝕から歯髄炎が発症する機序については,う蝕の原因である口の中の細菌が出す毒素によりエナメル質を溶出させ,エナメル質の崩壊により歯に穴が開き,エナメル質内部の象牙質にある象牙細管に細菌が至るなどし,象牙質の内側にある歯髄に毒素が至って炎症が起こるというものである。う蝕により歯髄炎が発症するのは,う蝕が象牙質に達したり,う蝕が歯髄に達した段階で歯髄炎になるケースが基本で,エナメル質に達したう蝕で歯髄炎になるのは極めてまれであるが,歯髄炎は必ずしも露髄しなくとも痛みが出てくるものである。
右下6,7番のう蝕に関する所見
Bは,3月18日,Aを直接診断し,視診,問診,レントゲン撮影等を実施した
が,同時点でAの口腔内にう蝕はなかった旨供述する。
Cは,大学医学部等で教授等として勤務する歯科医師であり,岡山県警察から本件切削の医学的適応性の有無等について鑑定嘱託をされたものである。Cは,鑑定書において,3月18日に撮影された口腔内写真においてもレントゲン画像においても,右下7番についてう蝕を疑わせる所見は一切なく,右下6番についても歯髄腔に達するような透過像はないと述べつつも,公判供述においては,右下6番についてはインレーの下に黒色部分が認められると述べた上で虫歯かどうか分からないなどとこれがう蝕である可能性を否定せず,右下7番についても,エナメル質と象牙質との間に黒色部分が存在することを認めた上でう蝕かどうか確定できないなどとこれがう蝕である可能性を明確には否定しない供述をし,これらが歯髄炎を生じさせるようなう蝕に増悪した可能性についてもレントゲン画像のみからは判断できないと供述する。Cの3月18日時点におけるAの右下6,7番の状況についての最終的な供述は,Cが資料としたレントゲン画像等のみではAの右下6,7番に,本件切削時点で抜髄が必要となるような歯髄炎を誘発するようなう蝕があったかは判断できないというものと解される。
Dは,大学等で教授等として勤務してきた歯学研究者であり,検察官から,本件切削時においてAの右下6,7番が歯髄炎であったかについて検討を依頼されたものである。Dは,3月18日に撮影された口腔内写真を見る限り,右下6,7番にはう蝕をうかがわせる影や着色は見当たらず,レントゲン画像を見て,右下6番のインレーの下や右下7番にある黒色部分については,う蝕ではなくマッハ効果(レントゲン撮影において,白色に写るべき部分と黒色に写るべき部分との差が激しいときに,白色部分の周囲が黒くなる現象)である,仮に,レントゲン画像に撮影された右下6,7番の各黒色部分や右下7番の右下8番付近にう蝕があったとしても,う蝕は急激に進行するものではなく,その位置も歯髄まで距離があるから,2か月で歯髄炎が生じるとは考えにくいと供述する。
Eは,大学等で教授等として勤務する歯科医師であり,被告人から本件切削の当
否等について鑑定を依頼されたものである。Eは,鑑定書及び公判供述において,3月18日に撮影されたレントゲン画像に基づき,右下6番についてはインレーの下にう蝕と考えられる透過像が認められ,これは歯髄に近いから,歯髄炎を誘発することが十分に考えられるものである,右下7番については歯の上部には小さな透過像があり,う蝕とも考えられ,歯髄炎が発症すると考えられる兆候が観察できると述べる。
う蝕の存否についての検討
B,C,D及びEは,いずれも歯科医師としての知識及び経験を十分に有し,公平な立場で事実及び意見を述べたものと認められる(なお,Eは,被告人と同窓で面識もあるが,卒業以降疎遠となっており,特に被告人に肩入れするような関係にはない上,供述内容に照らして大学教授という高度な専門家の立場から中立的な意見を述べたものと認められる。)。
その上で,Bは,3月18日の時点でAには一切う蝕がなかった旨供述するが,同日に撮影されたレントゲン画像には,右下6番のインレーの下層の近心部や最下部に明らかな黒色部分が存在し,右下7番もエナメル質と象牙質の境目にやや黒くなっている部分が認められるところ,CもEもう蝕の存在の可能性を否定していないのに対して,Bはう蝕がないと判断した具体的な根拠を示しておらず,その判断に疑問を投げかける事情と思われる自身の歯科医院で撮影したレントゲン画像の上記黒色部分の存否すら述べておらず,存否を前提とした説明が何らなされていないことに照らすと,B供述をもって,同日時点でAの右下6,7番にう蝕がなかったと判断することはできない。
Dは,レントゲン画像中に見られる右下6番のインレーの下層部及び右下7番の黒色部分についてマッハ効果でう蝕ではないなどと述べる。これに対して,Eは,そもそもマッハ効果かどうかはレントゲン画像だけでは確定することまではできない,その上で,レントゲン画像の右下6番のインレー下の黒色部分については,マッハ効果であれば色の濃さは均一になると考えられるためマッハ効果でなくう蝕と
推測される,右下7番についても,一般論としてエナメル質と象牙質との境界上にマッハ効果が生じることはあり得るが,本件では象牙質の中に周りとは異なる黒色部分が一部にしか生じていないためマッハ効果とは考えにくい,口腔内写真を見ると,右下6番の咬合面には黒色部分があり,同所から細菌が侵入して内部にう蝕ができた可能性があると述べ,一部分にしか現れていない透過像を口腔内写真と併せて検討している。さらに,右下7番の咬合面には,他の歯と比較しても裂溝がなくCR充填がされていると考えられる旨述べてう蝕が処置された可能性を指摘し,レントゲン画像に現れた右下7番の透過像がう蝕である可能性についての理由を付加している。
また,Dは,仮に上記各部分がう蝕であったとしても,各部分と歯髄との間には距離があるから2か月で歯髄炎を誘発することは考えられないと述べる。しかし,Eは,う蝕自体が歯髄に接近していなくても,細菌が象牙質に達し象牙細管を通って歯髄に至れば歯髄炎となり得るので,う蝕と歯髄との間に距離があるからといって2か月で歯髄炎を発症することがないとはいえないと述べるところ,その供述は,細菌やう蝕が歯髄炎を生じさせる機序について具体的に説明した上で,レントゲン画像や口腔内写真に基づいてそれらの兆候がある旨具体的に供述している。Eのこれらの意見は,客観的事実関係とも非常によく整合し,機序についてはBやC意見とも矛盾しないもので,D意見を踏まえても説得力に富むものである。そうすると,E意見は採用できる。
よって,レントゲン画像等によれば,右下6,7番にう蝕があった可能性は否定できない。
右下8番と7番との接触部や根尖部の病巣の存否
Cは,レントゲン画像上,右下8番の歯冠と右下7番の歯槽骨が接している辺りに骨の透過像などが見受けられ,右下8番は近心方向に著しく傾斜し,水平埋伏の状態であり並び方が悪いので不潔域を作りやすく,細菌が繁殖し歯肉の炎症を来し,右下7番の歯槽骨まで波及して腫れて,その部分が炎症を起こして痛みを惹起して
いると考えられると述べる。
Dは,右下7番のうち,右下8番と接している部分については,う蝕が生じにくい状態であり,かつ,右下7番は歯髄が全部壊死していないから,根尖性歯周炎は生じることはない,上行性歯髄炎は歯周ポケットと根尖部が通じるのが一般であるが,Aには歯槽骨も存在するので,その可能性はないと述べる。
Eは,Cと同様,右下7番と右下8番との間には細菌が溜まりやすいと思われる場所があり同所から歯髄炎が誘発された可能性もあると指摘し,レントゲン画像によれば,う蝕かは分からないが,右下7番には,右下8番が食い込んできて,接触部分については右下7番のセメント質が失われ,象牙質が露出し,象牙細管から歯髄に菌が侵入しやすい状態であったと考えられる旨,Aの左方の歯の状態と比較をして指摘した上,歯肉が下がってエナメル質や歯根を覆うセメント質が失われると,象牙細胞が露出し,う蝕がなくても刺激が加わると歯髄に痛みが到達し,知覚過敏が増悪して歯髄炎となり,これが持続的になると歯髄を取らなければならない場合もあると述べる。
また,Eは,レントゲン画像では,右下7番の歯根膜が黒く写っているので,炎症があると考えられる,これが根尖性歯周炎かは分からないが,発症していることはあり得る,Dは根尖性歯周炎は歯髄が全部壊死しないと生じないというが,実際の症例として,う蝕がある場合にも根尖病巣ができ,う蝕を除去すると根尖病巣が治るものがあるから,全部壊死せずとも根尖性歯周炎が生じ得るところ,右下7番は,根尖部にある病巣を原因として歯髄炎を発症する可能性も考えられると述べる。そこで,検討すると,CとEは,レントゲン画像からの所見及び右下8番と7番が接触して炎症が起きる機序についての説明が相互に一致しており,採用できる。Dは,上記接触部分はう蝕が生じにくく,う蝕が生じたとしても歯髄までに距離があり歯髄炎が生じるとは考えにくいというが,歯髄との距離があったとしても,歯髄に細菌が入る可能性を否定できないのは前記のとおりであるし,知覚過敏などのう蝕以外の炎症が起きる機序について言及するものではない。

また,Dは,根尖性歯周炎から生じる上行性歯髄炎については,歯槽骨の欠損や歯髄壊死を前提とするというが,Eは,そのような場合を否定するものではなく,それ以外にも実際の症例に基づいて根尖性歯周炎が生じる場合があり,そこから歯髄炎が発症する可能性があると述べている。E意見は,上記のとおり説得力があることに加え,歯髄炎が生ずる機序については具体的な症例に基づくものであり,D意見を踏まえても採用できる。
歯髄炎の兆候の有無の検討
以上検討したところによれば,3月に撮影されたレントゲン画像や口腔内写真を基に検討すれば,右下6,7番にう蝕の兆候が,右下7番と8番との接触部分に炎症の兆候が,右下7番の根尖部に病巣が存在した兆候がそれぞれ認められ,これらが歯髄炎を誘発した可能性がある。よって,本件切削の時点で右下6,7番に歯髄炎が発症していた可能性は否定できない。
5
レントゲン検査の要否

検察官は,レントゲン検査をしてう蝕の程度や根尖部の状況を確認する義務があると主張するので,以下検討する。
C及びDは,歯髄炎と診断するには,問診,視診,打診等のほか,レントゲン検査を必ず行う必要があり,その理由について,Cは,根尖性歯周炎など他の疾患との識別のために必要不可欠である旨供述する。また,Dは,歯髄炎と診断するには原因を特定する必要があり,そのためう蝕や歯周病の有無を確認すべくレントゲン検査を行う必要があると述べる。
他方で,Eは,問診,視診,打診及び冷温診等の結果として特定の歯に自発的・継続的疼痛が認められる場合には,その歯に歯髄炎が発症しているとしか考えられず,他の疾患との識別等のためにレントゲン検査を行う必要はないと供述する。たしかに,レントゲン検査により,う蝕の位置が明らかになれば,切削の程度や抜髄まで要するかどうか判断することが容易になるほか,根尖病巣の大きさ,根尖部歯槽骨の状態や吸収程度はレントゲン検査により判定が比較的容易になり,根尖
性歯周炎を疑う資料となるから,原因が明らかになる場合があるといった利点がある旨のCやDの供述は理解できる。しかしながら,歯髄炎の原因となるう蝕や根尖性歯周炎の診断でさえ,前記のとおり,レントゲン画像による所見は専門家証人の意見が区々で一致した見解を得られないのであり,レントゲン検査のみにより歯髄炎の原因に関して確定診断を下すことはできるか否かも明らかではない。他の疾患として,本件で問題となっている智歯周囲炎の診断に関しても,Dはそもそも智歯が生えていなければ智歯周囲炎の話は飛んでしまうが,歯肉の炎症である智歯周囲炎はレントゲン画像には写らない旨述べ,本件においては,後記のとおり,智歯が完全に埋伏しているのか否かについてレントゲン所見が異なる上,歯肉の炎症は写らないから,智歯周囲炎か否かの判断もレントゲン撮影では明らかにはできない。そして,そもそも,歯髄は軟組織であり,レントゲン画像に写らないから,その変化をレントゲン画像により判定するのは困難であり,レントゲン撮影によって歯髄炎の有無を直接確認することができない点は,B,C,D及びEが一致して供述するところである。
よって,レントゲン検査により,必ずしも原因が究明され歯髄炎と誤診することを回避できるものではないといえる。
結局のところ,歯髄炎の有無を診断するに当たっては,問診,視診,打診,冷温診等を行い,これらによって特定の歯について強い自発的・継続的疼痛が認められれば,レントゲン検査をすることなく歯髄炎と診断することができるとのE意見には十分な説得力があり,採用することができる。
6
歯髄炎の可能性


検察官の主張

検察官は,Aが,本件切削直前に被告人に述べた痛みの内容について,唾を飲み込んだときに痛く,歯が痛むというよりは口内炎に近い痛みであったなどと供述することに基づいて,上記医学的知見によっても歯髄炎というべき症状ではない旨主張するものと解される。しかしながら,既に検討したように,A供述に基づいて本
件切削時の痛みの部位や症状を判断することは困難といわざるを得ないから,検察官の主張は採用できない。
そこで,カルテの内容等に基づいて更に検討する。


本件歯科におけるカルテ等の内容

Aは,5月16日,本件歯科を受診した際,問診表のどうなさいましたか?という箇所については1.痛い(歯,歯肉)とある項目の痛い部分に丸印を点け,「25.その他具体的に(歯という
)」とある項目の括弧内に親知らずの付近の炎症のような気がしますと記入し,痛みの症状,所見についてお聞かせくださいという箇所については26.強い炎症があるという項目に丸印を付けるなどした。被告人は,同日のカルテに,右下6,7番については麻抜(麻酔抜髄全部除去療法の略語)と,一段下がったところに右下8番には智歯周囲炎の趣旨で骨炎と記載し,同歯には処置を施さなかった。
被告人は,同日,Aに対して本件切削を行う前,問診や視診に加え,打診及び冷温診を行った。
Aは,被告人から抜髄等の処置を受けた後,被告人から薬の処方を一切受けず,痛みは,6月13日にb歯科クリニックを受診するまで通院を必要としないほどに弱まった。
このようなカルテの記載からすれば,Aは強い自発的疼痛が生じて本件歯科を受診したといえ,右下6,7番に麻抜治療を受け,その後通院しなかった経緯からすれば痛みが弱まったと認められる。
この痛みの軽減について検討すると,仮に,Aに本件切削当時歯髄炎がなかったとすれば,本件切削後に投薬なく痛みが軽減したことは得心し難い。この点,Dは,抜髄の際にタービンからされた注水によって右下8番付近が洗われたことやプラシーボ効果により痛みが寛解したなどと見解を述べるが,歯科医学において確立した治療法としてそのような方法があると述べる趣旨ではなく,あり得る仮説を述べた趣旨に過ぎず,十分な説得力を持つものではない。Eは,仮にAには右下8番の智
歯周囲炎のみがあり右下6,7番には歯髄炎がなかったとすれば,痛みはむしろ増大するはずである旨供述するところ,その供述はEの臨床経験や智歯周囲炎の痛みの性質を踏まえた説得的なものといえ,痛みの軽減は歯髄炎が治療されたことの根拠となるといえる。


被告人供述について

被告人は,本件切削が行われた5月16日のAに対する診察の状況について次のとおり供述する。
被告人は,問診表に基づいて右下8番周辺を検査しなければならないと判断し,問診でAからものすごく痛い,何もしない状態で痛い,ずっと痛いと告げられ,打診を行うと右下6,7番については強烈に反応し,右下8番については反応が薄く,右下6,7番の自発的・持続的な疼痛が明らかに認められた。このような自発的疼痛については,歯髄炎以外が原因であるとは考え難く,Aの右下6,7番に歯髄炎が発症していると判断した。このため,被告人は,Aに,歯の神経を全部除去する治療をすると伝え,麻酔の上で右下6,7番を切削・抜髄した。また,Aの右下8番については智歯周囲炎が認められた。
被告人の上記供述は,AやBの供述が本件切削時の痛みの部位や症状を特定するに足りないものであること,既に検討したとおり3月18日時点における歯髄炎が発症する兆候の存在を否定できないこと,前記カルテの記載と矛盾しないことに照らせば,少なくともこれを排斥することはできない。そして,上記被告人供述を前提とすると,同人の右下6,7番について歯髄炎と判断するに足りる強い自発的・継続的疼痛があったと認められる。
検察官は,被告人はAの4本の智歯がいずれも歯肉から露出している旨供述するところ,これは客観的事実と反する旨主張する。しかしながら,右下8番について,Bは歯肉から出ていなかった旨,Dはレントゲン画像を見る限り一部露出していたと推測される旨,Eは親知らずは完全に埋まっているのでなく頭が出ている旨供述するなど専門家証人の意見も一致しておらず,客観的事実と反するなどとは到底い
えず,検察官の主張は採用できない。
検察官は,被告人は検察官に対する弁解録取書において本件切削時点では金属の詰め物をしていない歯にはう蝕がなかった旨供述していることから,右下7番は歯髄炎でなかったなどと主張する。被告人は,公判廷において,上記弁解録取手続では,他の患者のものと混同して診察状況を供述した,その後の取調べでカルテ等を見て混同に気付き,当該取調べで検察官にその旨告げたなどと供述する。この点,取調状況の録音録画内容によれば,弁解録取の際に被告人は金属の詰め物があったのは右下7番であるなどと客観的事実と明らかに相反する内容を述べ,平成30年1月24日の取調べにおいては

記憶違いですね。別の方でした。

と他の患者を想定していた旨述べているから,カルテを見せられないまま記憶喚起する機会もなく他の患者と混同するなどして事実と反する供述をした疑いが強く,インレーのない歯にう蝕がなかった旨の上記弁解録取書の内容はAを対象とするものとしては信用できない。よって,検察官の主張は採用できない。
そして,被告人供述を前提とすると,問診,視診,打診及び冷温診により,Aの右下6,7番の歯に持続的・自発的かつ強烈な疼痛があったと認めたものであり,被告人がAの右下6,7番が歯髄炎であったと診断したことが誤りであるとするには合理的な疑いが残るといえる。
7
結論

以上によれば,Aの痛みの原因が右下智歯周囲炎であることに合理的な疑いが残るばかりか,本件切削時点で右下6,7番に歯髄炎が発症していた可能性が否定できない。また,レントゲン検査をしても必ずしも歯髄炎の原因や他の疾患との区別ができない場合もあることから,診察時において問診,視診,打診及び冷温診等により特定の歯について継続的・自発的かつ強烈な疼痛があると認められれば,レントゲン検査をすることなく同歯について歯髄炎と診断できるところ,被告人供述を前提とすれば,Aの右下6,7番には継続的・自発的疼痛があったと認められるから,被告人が同歯を歯髄炎であると診断したことに誤りがあったというには合理的
な疑いが残る。そうすると,本件切削は,主位的訴因については正当業務行為に該当し,予備的訴因については違法な法益侵害結果も過失もないとの疑いを排斥することはできない。
第2
1
平成30年3月16日付け起訴状記載の公訴事実
公訴事実及び弁護人の主張等

本件の公訴事実は,被告人は,本件歯科を経営する歯科医師であるが,平成30年1月11日午後7時頃から同日午後8時頃までの間に,本件歯科において,上前歯のワイヤーによる矯正治療のために来院したF(当時22歳)に対し,その左上犬歯,左上側切歯,左上中切歯,右上中切歯及び右上側切歯を歯科器具を使用して切削するなどし,よって,同人に加療約1か月半を要する左上犬歯,左上側切歯,左上中切歯,右上中切歯及び右上側切歯歯質損傷の傷害を負わせたものである。という傷害の事案である。
検察官は,被告人による公訴事実記載の切削(以下,本件に関する部分では本件切削という。)は,Fが同意をしていなかったものであるから,刑法35条の正当業務行為に該当しない旨主張する。Fは,捜査段階において,検察官に対し,被告人から切削前に歯を削る旨の説明を受けておらず,同意もしなかった旨供述する。
弁護人は,本件切削は正当業務行為に該当するから罪とならない旨主張し,被告人は,歯科矯正治療のために来院したFに対し,平成29年6月26日の初診時や,矯正治療を開始する前である同年7月頃に,ワイヤーを使用して矯正し虫歯を取り去った後,歯冠修復治療の説明として,きれいな人工歯を入れる,歯のところに上から穴を開けて行うと説明し,平成30年1月11日,Fから歯冠修復治療を早くやって欲しい旨言われ,虫歯の処置をして人工歯を入れる旨説明した,Fはこれらの説明を受けて本件切削に同意していたと供述する。
当裁判所は,被告人のかかる供述は排斥することができず,本件切削が正当業務行為に該当する合理的な疑いが残ると判断したので,以下,その理由を説示する。
2
前提となる事実等


診察の経過等

カルテやこの記載に関する被告人供述,LINE履歴等の客観的な証拠,本件切削後にFを診断したg歯科クリニックを開業するGや被告人からの依頼により本件切削の正当性等について意見を述べたEの供述であって信用性を否定する証拠がない部分,被告人がカルテの記載内容について供述する部分並びにF及び被告人が一致して供述するところ等によれば,以下の事実が認められる(なお,E及びGは,いずれも歯科治療に関する十分な知見や臨床経験を有する歯科医師であることに加え,Gは被告人と面識がなく中立の立場から事実及び意見を述べたものと認められること,Eは前記のとおり専門家の立場から中立的な意見を述べたものと認められることからすれば,その供述が相互に対立している点等を除き,両名の供述は基本的に採用することができる。また,被告人のカルテの記載内容に関する供述は,カルテ自体が診察時の状況を正確に記録化する目的で作成されるものであること,カルテの記載内容について虚偽を述べることは相当困難と考えられること及びその供述を覆す証拠がないことに照らして信用することができる。)。
Fは,平成25年から平成26年までの間,h歯科に通院し,左上1番,左上2番,左上4番から7番,右上1番,右上6及び7番についてう蝕の診断を受け,これらについてう蝕を除去してレジンを充填する治療を受けた。
Fの診察に係るh歯科のカルテには,右上1番,左上1,2番はう蝕治療が施され,充填1(複雑なもの),1歯2窩洞などと記載がなされていた。同歯科のレントゲン画像では,左右上各1番に透過像が見られ,歯髄側に向かって歯が削合され,歯髄の一部を除去する治療がされたと窺われ,同歯科を受診する前に左上2番にCRが充填されており,同歯科では右上1,2番,左上1番の歯髄が除去されたと観察できる。
このように,Fの歯には,本件歯科を受診する前に,歯髄部に至るまで切削がなされたものがある。

Fは,平成29年6月26日,右上の奥歯の被せものが外れたことから本件歯科へ来院し,被告人にその旨を告げて,問診表のつめ物や被せがとれた,歯並びが悪い,冷たいものがしみるといった項目に印をつけるなどした。被告人は,同日,Fに対し,多数のう蝕がある旨説明した。Fは,同日から同年7月14日頃までの間,これらの日を含めて8度本件歯科に通院し,被告人は,Fに対してう蝕の除去及びレジンを充填する処置を行った。
被告人は,同日頃,Fの同意を得て,Fの上前歯の歯並びを矯正するため,歯の表面にブラケットを装着してワイヤーを着ける治療を開始した。その際,被告人は,Fに対し,少なくとも,右上犬歯を抜歯した上でワイヤーを用いて矯正することをFに伝えた。Fは,母に対し,LINEで,同月14日に歯医者で噛み合わせを直してもらっている,次矯正する旨を送信し,同月18日には,矯正器具付けずにできるらしい,歯を抜いて並びを綺麗にするらしい八重歯抜いたぬいて,反対も後で抜いて,前歯を中心に戻すらしいなどと送信し,母から抜いた場所に,人工の歯を入れるの?などと受信すると,並びを良くして,人口(原文ママ)のソケットみたいなやつを入れるって言ってたと送信した。Fは,同月18日,19日及び21日にも本件歯科へ通院した。同月18日のカルテには左下5,6,7番のう蝕の治療や右上3番の抜歯をした旨の記載があり,同月19日のカルテには,抜歯部分の消毒等をした旨や,矯正,7万円及びパンフなどの単語が記載され,矯正用の複数のパンフレットを渡し,矯正の説明をして実施するようなら7万円が必要である旨説明がなされた。同月21日のカルテには,ムービーを撮ったこと,術前の歯並びの状態を模型を取ったこと等が記載されるとともに,説明とも読める記載がある。
被告人は,同日頃,Fに対してワイヤー矯正を開始した。Fは,同日から12月27日まで,これらの日を含めて26回本件歯科へ通院し,被告人は,ワイヤー交換等の処置を行った。
平成30年1月11日,被告人は,来院したFに対し,歯の表面に装着していた
ブラケットとワイヤーを外した後,麻酔を注射し,公訴事実記載のとおり左上1番から3番,右上1番及び2番を切削し,仮歯を入れた。同日のカルテには,上記各歯に関して,C処,OA,麻抜,根治,SRP,HJK
と記載があり,本件切削は,う蝕及び歯髄炎等の治療としての麻酔抜髄根管治療と,審美的な歯冠修復治療として人工歯を入れるための支台歯形成のためにされたものである。Fに対する支台歯形成は,本来の歯を残存させつつ,被せる人工歯の幅や厚みに相当する部分を削り,後に,最終処置として,う蝕や根管治療等により穴が開いている部分にはピンと一体化したレジンを詰める方法によりなされた。被告人は,本件切削後,Fに対し,切削した箇所にはセラミックの歯を入れる,1本3万円で合計15万円になる旨告げた。Fは,同日,被告人に対しても受付の事務員に対しても,これらの処置をされたことについて苦情や疑問を述べなかった。Fは,同日,婚約者に対し仕事終わって歯医者来てた,麻酔したからご飯食べれないかも(笑)今終わったよ~と送信し,婚約者からの来れるー?との問いかけに対し,行けるよ~とも送信した。
Fは,同月13日朝,母に対し,LINEで矯正のところにセラミック使うことになった結局歯~を入れるんだけど,妊婦でも大丈夫だと思う,お金がかなり高いなどと送信した。同日,Fは,本件歯科へ通院し,被告人から仮歯の調整等の処置を受けた。同日のカルテには,右上3,2,1,左上1,2,形態修正,根治,オールセラミックス,3×5=15万等とも読める記載がある。Fは,同月14日,母に対してLINEで矯正で歯茎を動かして,歯の形も綺麗にしようってことで,セラミックを被せるんだって5本前歯1本3万相場よりは安いけどと送信すると,母からえー!何か最初にそういう説明をされてたらいいけど,計画的もうけに感じるよねなどと返信があり,Fは驚いたけど,長い目で見たらね,などと送信した。また,Fは,同月16日,本件歯科で,被告人から人工歯の型取り等の処置を受け,人工歯の代金15万円を支払った。同日のカルテにはオールセラミックス,Rと記載がある。Fは,同日,本件歯科の予
約をし,同月22日には完成した人工歯を入れて治療を終える予定であったが,被告人が男性の歯を無断で削ったため逮捕されたとの報道に接し,警察に相談した。Fは,同月18日,g歯科クリニックに通院し,診察を受けた。その際,Fは,問診票に前医でセラミック治療の途中などと記入したが,同意なく歯を削られたなどとは告げなかった。


一連の処置に対する医学的評価

被告人は,Fに対し,前記のとおり,平成29年7月21日頃から同年12月27日までの間にワイヤー矯正を行った上,平成30年1月11日から同月22日頃までの間に左上1番から3番並びに右上1番及び2番を切削して人工歯を被せる処置を行うことを企図し,その一環として本件切削に及んだものである。そして,上記のとおり,平成30年1月11日のカルテには上記各歯についてう蝕の治療や麻酔抜髄根管治療等がされた旨記載されていることや,被告人が同カルテに沿ってこれらの治療をした旨供述していることを踏まえると,同日,上記各歯にはう蝕や歯髄炎があり,被告人はそれらに対する治療をしたと認められる。一般に,歯並びが悪い場合,う蝕や歯周病に罹患するリスクが高いため,歯並びを良くする治療が行われる。その方法は,歯の表側等にブラケットを貼付した上でワイヤーを通して適切な位置に歯を移動させるワイヤー矯正,歯の一部を切削して人工歯を被せる歯冠修復治療又はワイヤー矯正により歯の位置を一定の位置まで移動させた上で歯冠修復治療を行うものがある。歯冠修復治療には,健康な歯を切削するというデメリットもあるが,少なくとも,既に切削されていたり,う蝕があるなどの理由で切削が必要となるような歯に対しては,デメリットが少ない。被告人の本件切削は,う蝕の処置等を行うとともに,歯冠修復治療を行うため,上記各歯の一部を切削したものであるところ,Fの上記各歯が平成25年頃において既にう蝕等で切削がされていたことや本件切削時にう蝕等の処置の必要性があったことに照らせば,ワイヤー矯正を行った上で歯冠修復治療をするという治療方法が選択されたこと自体については,医学的に適切であり,被告人による本件切削に
合理性(医学的適応性及び医術的正当性)があったことは,検察官及び弁護人の間で争いがない。
3
F供述の検討


Fの供述内容

Fの検察官に対する供述内容は,以下のとおりである。本件歯科において,ワイヤーによる矯正治療を受けることは望んでいたが,歯を切削した上で人工歯を入れるという治療を受けることは望んでいなかった。平成30年1月11日は,被告人から,矯正の器具を取って綺麗にする旨告げられ,器具を外し,歯の表面を綺麗にする処置を受けるものと思っていた。被告人から,歯を削るとの説明はなく,そのような処置を受けるとは思っていなかった。処置が始まると,ワイヤー器具が外された後,ウィーンという高い音が聞こえ,形を整えるため若干削っているのかな,とは思ったが,大きく削られているとは思っていなかった。処置が終わった後,被告人は,

今日はこれで終わりです。削ったところに詰め物がしてある,そこにきれいな歯を入れるようにします

と言い,Fがきれいな歯って何ですかと尋ねると,被告人は最終的に,セラミックの歯を入れますと述べ,パンフレットを渡された。
Fは,公判廷において,概ね検察官に対する供述調書に沿って,同日の状況を中心に具体的な供述をしたが,同日被告人から歯を削ることについて処置前に説明があったかとの質問に対しては,覚えていない旨供述した。その後,検察官から,説明を受けていたとしたらどういう行動を取っていると思うかなどと誘導尋問を受け,説明はなかったと思うと述べたが,弁護人による尋問においても説明があったか覚えていない旨の供述は維持された。
供述の変遷について
F供述には,上記のとおり変遷があるところ,Fは,変遷の理由として,出産や育児があって記憶が薄れたと説明している。しかしながら,被告人から切削についての説明がなかったことはFが体験したとする被害そのものであって,出産や育児
で多忙であったとしても説明の有無自体に関する記憶が容易に減退するとは考え難い。また,Fは,本件切削前に被告人からあなたのために特別時間を取る旨言われたかという尋問に対しては明確に否定するなど,その他の状況については具体的に供述しており,説明の不存在の点だけ記憶が減退したとは考え難い。そうすると,Fの供述の変遷には,合理的な理由がないといわざるを得ない。
F供述がその後の治療経過等と整合しないこと
Fは,平成29年6月26日の初診以降本件切削までの半年余りの期間に30回以上通院して被告人の処置を受け,本件切削当日もワイヤー矯正器具を外し,う蝕や根管治療を受けていたところ,Fは,本件切削の際,同意なく歯を切削したことに対する苦情を被告人にも受付の事務員にも述べていないばかりか,本件切削の2日後に代金が決まると,その3日後に15万円という高額の人工歯の代金を支払うとともに,人工歯を入れて歯冠修復治療の完了予定となる診療を平成30年1月22日に予約するなどその治療を終える意思を有していた。
さらに,Fは,同月16日まで本件歯科を受診していたが,被告人が逮捕されたとの報道に接したことを契機として本件歯科への通院を辞め,その2日後の同月18日にg歯科クリニックを受診しているところ,同クリニックの歯科医師や医療スタッフに対しても,口頭ないし問診票を用いて,本件歯科でセラミック治療の途中である旨は告げているが,無断で歯を切削されたとは告げていない。仮に,本件切削が無断で行われたものであれば,その処置の相当性についても疑問を持つのが通常であり,被告人に対して苦情を述べるか,少なくともその後の通院は差し控えるのが通常であると考えられ,後医に対しても無断で切削されたと告げると考えられるから,本件切削後も本件歯科に通い続けたなどのFの行動は合理性のあるものとはいい難い。
F供述が関係者とのやり取りと整合しないこと
Fは,被告人から従前受けていた治療を含む事柄についてLINEで度々やり取りをしていた母に対し,本件切削後のLINEでは代金が高いことの不満は述べて
いるが,無断で歯を削られたことを告げていない。また,Fは,本件切削がなされた直後に婚約者とLINEでやりとりをしているが,その際にも無断で歯を削られたことを告げていない。
Fが,近親者に対して無断で歯を削られた旨告げなかったことは,無断で歯を切削されて間もない時期の行動として納得しがたいものがある。そうすると,Fの供述は,近親者らとのやり取りと整合するものとはいい難い。
F供述が従前の治療経過と整合しないこと
被告人は,従前の治療に関して,カルテの記載にもあるとおり,犬歯の抜歯やワイヤー矯正については,パンフレットを渡すなどして説明した上で同意を得て行っており,本件切削以外の処置について十分な説明がなされなかったとも窺われないことにも照らすと,被告人とFとの間には相当の信頼関係が形成されていたと認められる。
そうすると,説明や同意がなかった旨のF供述は,う蝕等の治療や矯正を含めた一定の治療目的を達成するため,説明と同意に基づく信頼関係を構築して行われていた一連の治療である,う蝕等の治療と歯冠修復治療を兼ねた本件切削のうち,歯冠修復治療のための切削部分という一点の処置に限って,説明も同意もなく行われたというものである。このような供述内容は,治療経過に照らしてかなり唐突の感が否めないもので,事柄の経過と合理的に整合しているとはいい難い。そして,本件切削は,う蝕治療及び麻酔抜髄根管治療のために行われた部分と,歯冠修復治療の支台歯形成のために行われた部分がある。歯冠修復治療を選択した方針の合理性(医学的適応性及び医術的正当性)については当事者間に争いがなく,支台歯形成として切削された部分は,う蝕等の治療で切削した部分と不可分一体のものであるが,Fは,う蝕や歯髄炎等に治療を施すことについては,本件切削前後に反対の意思を表明していないことや従前の治療経過に照らして同意があったと認められる。
小括

以上のとおり,Fの供述は,合理的な理由なく変遷している上,治療経過とも関係者とのやり取りとも整合していない。むしろ,上記通院状況等からすれば,Fは,本件切削後も歯冠修復治療を完了させたいと思っていたとも考えられ,本件切削に同意していたともうかがわれる。
また,Fは,本件切削については,検察官調書において本当につらい出来事として捉えている旨述べており,周囲の状況に左右されず記憶を正確に保持し続けることが容易とはいいにくい心理状態にあったと考えられるところ,本件切削後に別件で被告人が逮捕された旨の報道等説明や同意の有無に関する記憶を変容させかねない事情に接したことにも照らすと,その供述の信用性はいっそう慎重に検討する必要がある。そうであるのに,Fに対する証人尋問では,本件切削後は仮歯を装着された後の様子を見て仮歯がでこぼこしていたことや5本の歯が繋がっていたことに不満があった旨の供述がされたにとどまり,本件切削時に実際の歯の状態を見て衝撃を受けたなどの供述は見当たらないなど,Fが上記被害を,いつ,どのように認識して上記感情を抱くに至ったかや被害申告経緯についてさえ明らかにされていない。
これらの事実関係に照らせば,Fが本件切削に同意していなかったとか,実質的に同意の効果を損なうような説明の欠缺があったことが合理的な疑いを超える程度に証明されているとはいえない。
4
被告人供述について

被告人は,ワイヤー矯正を開始した平成29年7月21日,Fに対して,矯正及び歯冠修復治療を行う旨説明し,説明済みとの意味で説明とカルテに記載した,本件当日,3分の2から4分の3程度を残して歯に穴を開けるという説明をしたなどと述べ,本件切削に関してFに歯の切削をすることを説明して同意を得ていた旨供述する。これらの被告人のFに対する説明状況に関する供述は,F供述が当該説明がなかった状況を認定するに足りるものでないこと,その他に当該説明の不存在を支持する証拠がないことに照らせば,これを排斥することはできない。検察官は,
人工歯の材質や費用が本件切削後に決まったことに照らして同意があったとはいえない旨主張するが,歯冠修復治療を行うことへの同意があったことと両立し得る事情であり,同意がないことを示すものとはいえない。そして,被告人供述を前提とすれば,歯冠修復治療の説明としては,歯を削る分量や部位を大まかには説明し,同意を得ていたこととなる。
5
結論

以上の次第で,Fの検察官に対する供述によっても,本件切削に説明や同意がなかったと認めることは困難であり,被告人が,Fに対して,同意を得ずにその各歯を切削したことについて合理的な疑いを排斥することはできない。第3

結び

以上に検討したところによれば,各公訴事実は,予備的訴因も含めていずれも犯罪の証明がないから,刑事訴訟法336条により,主文のとおりいずれも無罪の言渡しをする。
(求刑:懲役3年6月)
令和2年3月24日
岡山地方裁判所第2刑事部(御山真理子,岡本康博,古川翔)

(別表)
判決中の記載

歯の名称

判決中の記載

歯の名称

右上1番

右上中切歯

右下1番

右下中切歯

右上2番

右上側切歯

右下2番

右下側切歯

右上3番

右上犬歯

右下3番

右下犬歯

右上4番

右上第一小臼歯

右下4番

右下第一小臼歯

右上5番

右上第二小臼歯

右下5番

右下第二小臼歯

右上6番

右上第一大臼歯

右下6番

右下第一大臼歯

右上7番

右上第二大臼歯

右下7番

右下第二大臼歯

右上8番

右上第三大臼歯

右下8番

右下第三大臼歯

左上1番

左上中切歯

左下1番

左下中切歯

左上2番

左上側切歯

左下2番

左下側切歯

左上3番

左上犬歯

左下3番

左下犬歯

左上4番

左上第一小臼歯

左下4番

左下第一小臼歯

左上5番

左上第二小臼歯

左下5番

左下第二小臼歯

左上6番

左上第一大臼歯

左下6番

左下第一大臼歯

左上7番

左上第二大臼歯

左下7番

左下第二大臼歯

左上8番

左上第三大臼歯

左下8番

左下第三大臼歯

トップに戻る

saiban.in