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過失運転致傷被告事件
事件番号令和1(う)135
事件名過失運転致傷被告事件
裁判年月日令和2年2月13日
裁判所名・部広島高等裁判所  第1部
結果破棄差戻
原審裁判所名山口地方裁判所  下関支部
原審事件番号平成29(わ)123
判示事項の要旨反対車線に進出して対向車両2台に相次いで衝突したとされる過失運転致傷の公訴事実について,実況見分調書中には対向車両を運転していた被害者Bの指示説明によらない記載があるとして当該部分を証拠排除し,被害者A,Bの目撃証言の信用性を否定して被告人を無罪とした原判決には,対向車両を運転していた被害者Aの証言や,その裏付けともなる工学鑑定の信用性等の評価の誤りがあるとして事実誤認を理由に破棄した上,実況見分調書の虚偽記載に関し,刑訴法435条1号,7号所定の再審事由の有無等について更なる審理の必要性を指摘して差し戻した事例
裁判日:西暦2020-02-13
情報公開日2020-06-04 22:27:27
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令和2年2月13日宣告
令和元年(う)第135号
原審

広島高等裁判所
過失運転致傷被告事件

山口地方裁判所下関支部

平成29年(わ)第123号
主文
原判決を破棄する
本件を山口地方裁判所に差し戻す。

第1


控訴趣意

本件控訴の趣意は広島高等検察庁検察官田村章が提出した山口地方検察庁下関支部検察官江幡浩行作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は弁護人作良昭夫作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。論旨は,①原判決には,期日間整理手続の争点整理で確認された争点とは異なる点で公訴事実の存在に疑問を抱いたにもかかわらず,これを顕在化させて立証を尽くさせることのないまま無罪判決を言い渡した点で,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある,②本件公訴事実についてその証明がないものとして被告人に無罪を言い渡した原判決には,鑑定や被害者の証言の証拠評価に誤りがあり,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというものである。第2
1
本件公訴事実の要旨と期日間整理手続の経過等
本件公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は,
被告人が,
普通乗用自動車
(以下
被告人車両
という。

を運転し,山口県下関市内の道路(片側1車線)を時速約60キロメートルで進行するに当たり,前方左右を注視し,進路を適正に保持して進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,前方左右を注視せず,進路を適正に保持しないまま漫然前記速度で進行した過失により,自車を対向車線に進出させたことに全く気付かず,折から,対向進行してきたA運転の普通乗用自動車(以下A車両という。右側部に自車右前部を衝突させ(以下,

この衝突を
第1衝突
という。
),

さらに,A車両の後方を進行していたB運転の普通乗用自動車(以下B車両という。)前部に自車左前部を衝突させた(以下,この衝突を第2衝突という。)上,自車右側前部を道路右方のガードレールに衝突させ,よって,Aに加療約22日間を要する頸椎捻挫等の傷害を,Bに加療約212日間を要する大腸穿孔等に起因する術後癒着性腸閉塞(イレウス)の傷害を,自車同乗者Eに骨癒合まで約113日間を要する第12胸椎圧迫骨折等の傷害をそれぞれ負わせたというものである。2
期日間整理手続の経過等



被告人は,第1回公判期日で公訴事実を認めたものの,弁護人は,被告人車
両が対向車線に進出したことを争い,実況見分を行った警察官2名,A,Bの証人尋問が行われた後,検察官の申立てにより期日間整理手続が行われた。⑵

裁判所は,期日間整理手続において,本件の争点を,要旨,主要事実の争点は,『被告人が,公訴事実記載の過失により,自車を対向車線に進出させたことによって,本件事故を起こしたと認められるか否か』であり,同争点を判断するための間接事実又は補助事実の争点は,『実況見分調書添付の交通事故現場見取図記載のA車両進行車線上のタイヤ痕(以下「本件タイヤ痕という。)が本件事故により印象されたと認められるか否か』と,この事実が認められた場合に『本件タイヤ痕がA車両の右後輪により印象されたと認められるか否か』である。」と整理するとともに,本件事故態様及び本件タイヤ痕印象機序等を立証趣旨として鑑定書及びその作成者である工学博士甲の証人尋問等を採用し,その後の公判期日でこれらの証拠調べが行われた(以下,前記実況見分調書を本件実況見分調書1,本件実況見分調書1添付の交通事故現場見取図を本件現場見取図,本件タイヤ痕が本件事故により印象された事実及び本件タイヤ痕がA車両の右後輪により印象された事実を合わせて本件間接事実,甲作成の鑑定書及び同人の公判供述を合わせて甲鑑定とそれぞれ呼称する。)。
第3
1
訴訟手続の法令違反の論旨について
所論は,原判決が無罪の結論に至ったのは,①第1衝突地点がA車両進行車
線上であることを認定できないと判断したか,②第1衝突地点がA車両進行車線上であるとは認定できても本件では被告人に過失が認められない特段の事情が認められると判断したかのいずれかであると考えられるとした上,⑴無罪理由が①であるとすれば,本件間接事実から第1衝突地点がA車両進行車線上であると推認することまではできないとの心証に至った時点で,原裁判所は,検察官に釈明を求めるなどして争点を顕在化させ,これに沿って主張・立証を尽くさせる義務があった(所論①),⑵無罪理由が②であるとすれば,原判決は,被告人及び弁護人の主張がなく,訴訟上の攻撃防御が全く展開されなかった事故態様を仮定して無罪を導いたことになるが,
そのような仮説が成り立ち得るとの心証に至った時点で,
原裁判所は,
検察官に釈明を求めるなどして争点を顕在化させ,立証を尽くさせる義務があった(所論②)として,その釈明義務に違反した点で原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるというものである。
2
しかしながら,所論はいずれも採用できない。



まず,所論①についてみると,本件争点整理において,本件間接事実は主要
事実の存否判断のための重要な間接事実ないし補助事実として位置づけられてはいるが,これが認定されたとして,主要事実まで推認できるかどうかは,本件タイヤ痕の印象機序等についての甲鑑定を含む証拠の総合評価によることは当然の前提になっている。原判決がその証拠評価を誤れば,それは事実誤認の領域の問題として捉えられるべきものである。原裁判所が,本件間接事実等から第1衝突地点がA車両進行車線上であると推認できないとの心証に至ったとしても,所論がいうような釈明等を求めるまでの義務はなかったものというべきである。
所論①は採用できない。


次に,所論②についてみると,第1衝突地点がA車両進行車線上であると認
められることを前提として,双方当事者の主張に現れていない新たな事故態様の可能性を想定して過失を否定する場合には,不意打ち防止のため何らかの方策をとることが望ましい場合もあり得るとは考えられる。この点について,弁護人は,期日
間整理手続において,抽象的ながらもし検察官主張の事実があったとしても,要証事実に対する推認力は不十分であるとの予定主張を明示している上,原裁判所も,鑑定を行った証人甲に対する補充尋問において,第1衝突地点がA車両進行車線上であったことを前提に,その手前でA車両が被告人車両進行車線にはみ出して走行していた場合など,仮定的に事故態様を設定し,そのような条件,設定と現場に残された痕跡との関係を問うなどしており,
こうした状況から,
検察官としては,
原裁判所が,Aの証言の信用性を疑い,検察官の主張とは異なる事故態様であった可能性も想定して過失判断をすることを十分に予想できたといえる。原裁判所に,こうした補充尋問での示唆を超えて,検察官に対して不意打ち防止のための方策をとるまでの義務はなかったというべきである。実際,検察官にとってこの点が不意打ちでなかったことは,論告において,この補充尋問の内容を意識し,その尋問中で言及されているような事故態様についての仮説が成り立たないことを論じていることからも明らかであり,防御も尽くされているといえる。
所論②も採用できない。
論旨は理由がない。
第4
1
事実誤認の論旨について
原判決の説示の要旨

原判決は,要旨,次のとおり説示し,被告人を無罪とした。


本件事故直後に実施された実況見分の際,A車両が進行していた車線上に本
件タイヤ痕が印象されており,その左前方にA車両が停止していたことや,A車両の右後輪の損傷状況も総合考慮すると,本件タイヤ痕は,本件事故の際,A車両の右後輪によって印象されたものであることが強く推認される。
この点については,本件事故態様に関する鑑定を実施した甲も,本件タイヤ痕の形状等からは,A車両のパンクした右後輪が引きずられて印象されたもの以外に考えられないとの判断をしており,その判断に不合理な点はなく尊重できる。⑵

証人Bは,公判廷において,体が相当痛かったため,本件事故直後に本件事故現場で行われた実況見分には立ち会っていない。本件実況見分調書1の私の指示説明部分は警察官が勝手に記載したものである。平成▲年▲月▲日の警察官の取調べの際にそれを見せられて説明を受け,そのような事故状況で間違いなかっただろうと思ったので,その旨話した。供述調書自体はある程度出来上がっていたのではないかと思うなどと証言している。Bの証言のうち,
捜査内容に関する部分の信用性を疑わせる事情は見当たらない。
そうすると,本件事故直後に現場で実況見分を行ったC警察官は,Bが立ち会っていなかったのに,あたかもBが立ち会って本件事故状況を指示説明したかのような虚偽内容を含む本件実況見分調書1を作成した上,前記取調べにおいて,Bに対しこれを示すなどして本件事故状況に関する供述を求めたものと認められる。B自身,
公判廷で,本件事故の記憶があいまいになっていた時期があると証言していることを踏まえると,C警察官の上記のような違法・不当な捜査による暗示・誘導の介在は,Bの証言の信用性を判断するに当たって看過できない事情といえる。以上によれば,本件現場見取図のⒶ地点を進行していたとき,○1地点でA車×両と被告人車両がぶつかったのを見た旨のBの証言は,それが真にBのオリジナルな観察・記憶に由来するものであるかについて疑いをいれる余地がある。⑶

Aは,本件事故直後に本件事故現場で行われた実況見分において,本件事故
状況について,本件現場見取図の㋐地点で①地点にいた被告人車両を発見し,危険を感じ,ハンドルを左に切り,ブレーキをかけたが,○1地点で衝突し,自車は×㋒地点で停止し,被告人車両は⑤地点で停止した。との指示説明をし,公判でも同旨の証言をしている。
Aは,午後10時から午前7時までの5日間連続の夜勤を終えた後,普段と異なって睡眠をとらず,海水浴に向かっていたというのであるから,その証言の信用性判断に当たっては,仕事の疲れや睡眠不足が運転に影響を及ぼした可能性について留意しておく必要がある。また,Aは,平成△年△月に普通乗用自動車の運転免許を取得してから本件事故までの間に2回,加害者として交通事故を起こしていたと
いうのであるから,本件事故について,刑事,民事上の責任を意識し,自己の責任を過少に,被告人の責任を過大に供述する可能性があることにも留意しなければならない。さらに,Aの証言の裏付けとなり得たBの証言の信用性に疑問があることは前記のとおりである。Aの証言の信用性判断はより慎重に行う必要がある。そこで検討すると,甲鑑定は,第1衝突の状況について,

被告人車両が何らかの要因によって右に進行してセンターラインを越え,A車両の右後部ドアから右後部にかけて衝突した。そして,A車両の右後輪がパンクし,そのタイヤが引きずられて本件タイヤ痕を印象させた

とAの証言に沿う判断をしているが,
その一方で,
仮にA車両の方が中央線を越えて被告人車両の進路上に進出していた場合でも,その際の位置関係やその後の両車両の動き,衝突地点,事故状況いかんによっては,本件タイヤ痕の形状を含む本件事故現場の状況は起こり得る旨の判断もしているから,結局,甲鑑定は,Aの証言の信用性を積極的に高めることにはならない。それどころか,証人甲は,本件タイヤ痕の形状からして,A車両がその途中で停止したことはうかがわれないとの判断をしているところ,
被告人車両との衝突直後,
本件タイヤ痕の途中の位置でA車両が停止したことを意味する自車は本件現場見取図の㋒地点で停止したとのAの証言は,この判断と明らかに齟齬している。以上によれば,Aの証言の信用性についても疑いをいれる余地がある。⑷

被告人は,本件事故直後動揺しており,本件事故直後の実況見分の際,本件
事故状況は覚えていないと説明したが,本件事故から2週間後の実況見分の際,本件事故状況について,本件現場見取図の①地点でわき見し,○1地点でA車両と×衝突し,○2地点でB車両と衝突し,○3地点でガードレールと衝突したとの指×
×
示説明をしている(実況見分調書。以下本件実況見分調書2という。)。しかし,被告人は,その後実施された検察官による取調べに対し,本件事故状況等について,本件実況見分調書2添付の交通事故発生現場見取図の①地点より長門市方面にいたとき,海が見えなくなったことを覚えているが,次に気づいたのは,対向車とぶつかり最終的に道路右側のガードレールにぶつかって止まった時であるから,どのように対向車とぶつかったのか,どのようにして止まったのかはっきりしたことは覚えていない。なお,本件実況見分調書2における指示説明は,警察官がAやBの説明から衝突場所を特定したものを作成しており,衝突場所や事故直後の写真等を見せてもらってその場所を特定していることがわかったので,本件事故状況は本件実況見分調書2添付の交通事故発生現場見取図のとおりで間違いないと思い,警察官にその旨話したものである。と供述し,公判でも概ね同旨の供述をしている。
被告人にとって,本件事故は全く意図しない瞬間的な出来事であり,その衝撃も相当なものであったと認められるから,本件事故状況について十分な記憶を有していないことはやむを得ないといえる。前記公判供述は必ずしも不合理とはいえず,他方,本件実況見分調書2の指示説明は信用性が乏しいというほかない。⑸

以上によれば,本件公訴事実を認めるに足りる証拠はない。本件事故の原因
は,例えば,A車両が中央線を越えて被告人車両の進路上に進出したことにあったのではないかとの疑いを入れる余地がある。
2
検討



前提事項

本件実況見分調書1に,C警察官が,Bが実況見分に立会い,Aの指示説明に沿う内容の指示説明をしたかのような記載をした上,Bは,本見分終了後,病院へ救急搬送された旨の記載をしているところ,原判決が指摘するとおり,Bは,

自分は実況見分には立ち会っておらず,指示説明の部分については警察官が勝手に書いたものである。

と証言した。この証言に関し,裁判所からの求釈明に対し,検察官は補充立証の必要はない旨回答し,何の反証も行わなかった。このような検察官の訴訟活動を踏まえると,C警察官の証言や,C警察官が作成に関与した証拠全般について,その信用性は慎重な検討を要するものと考えられる。そこで,まず,Bの証人尋問に先行して行われたC警察官の証人尋問をみると,C警察官は,本件実況見分調書1に本件タイヤ痕の終点をⓉ2地点とした記載の理
由や,
実際には,2地点を超えてA車両が停車していた位置付近にまでタイヤ痕がⓉ
続いていた状況について率直に証言するなどしており,相応に真摯なものといえる上,その証言内容は,当時撮影された写真によって確認できる路面の痕跡やAB各車両等の客観的状況とも合致し,同じく実況見分に従事したD警察官の証言とも整合的であって,信用に足りるものと解される(なお,C警察官が作成した本件実況見分調書1のうちBの指示説明に関する部分については,後のBの証言により信用性の疑義が顕在化したが,この点について確認するためのC警察官に対する再度の証人尋問は行われていない。)。
また,C警察官が作成した本件実況見分調書1についても,原審において証拠排除の措置がとられたBによる指示説明部分のほか,前記のとおり,本件タイヤ痕の終点がⓉ2であるとした点を除けば,同様に信用に足りるものといえる。他方,Bの証言については,原判決も指摘するとおり,本件事故状況についてBの記憶があいまいになっていた時期があったとうかがわれることや,捜査段階での取調べにおいて,B自身の指示説明によらずに作成された本件現場見取図を提示した誘導がされたとうかがわれることなどから,信用性に疑義があり,事実誤認の審査に当たっては,証拠から除外して考えるのが相当である。
また,被告人立会の下にC警察官により作成された本件実況見分調書2についても,原判決が指摘するとおり,その作成時においてC警察官による本件現場見取図に基づいた不当な誘導がなされた可能性を否定できないから,
信用性に疑義があり,
事実誤認の審査に当たっては,被告人の捜査段階の供述も含めて,同様に除外して考えるのが相当である。


原判決の判断の構造

原判決は,①第1衝突地点がA車両進行車線上であることが証拠上認められないと判断したのか,それとも,②これを認定した上で,被告人に過失が認められない事情があると判断したのかは,その無罪理由からは必ずしも明らかではないが,被告人に有利にその内容を解釈すると,①の点の立証は不十分であるとした上,②仮
に,第1衝突地点がA車両進行車線上であったと認められるとしても,直ちに過失は推認されないとしたものと理解するのが相当である。そこで,以下,この原判決の判断構造を前提にして,第1衝突地点等について検討する。


第1衝突地点について

所論は,原判決が,第1衝突地点がA車両進行車線上であることを認定していない点が誤りであると主張し,この点に関する主要な証拠である甲鑑定及びAの証言の証拠評価にいずれも誤りがあると主張するので,以下,個別に検討する。ア
甲鑑定について

原判決は,甲鑑定について,

その判断に不合理な点は認められないから,尊重できる。

とするものの,その証明力については,飽くまで,被告人車両とAB各車両の各衝突地点が本件現場見取図の指示説明地点である場合,甲が用いた資料により認めることのできる客観的外形的事実と矛盾しないという程度にとどまる・
と限定的な評価を下している。
しかしながら,原判決のこの評価は是認することができない。
すなわち,甲鑑定の鑑定事項には,車両の衝突痕跡や最終停止位置等の客観的状況から,被告人車両がはみ出し,A車両と本件現場見取図記載の②○1㋑地点で×衝突したと言えるか否かというものも含まれていたところ,当該事項に関する鑑定結果は,甲の証言をも踏まえると,

衝突地点は,本件タイヤ痕の起点であるⓉ1付近であり,A車両の進行車線上である。

というものである。証人甲は,その根
拠について,本件タイヤ痕は,A車両の右後輪がバーストして引きずられたタイヤ痕であるとした上,タイヤがバーストした場合は,タイヤがサスペンションのばねで路面に押し付けられていることから,バーストするとすぐにタイヤ痕をつけ始めるとの専門的知見に基づく合理的な説明をしており,その証明力は十分である。そして,甲は,証人尋問を通じても,この鑑定結果について撤回したり,修正したりするような供述はしていないから,甲鑑定は,第1衝突地点を,Ⓣ1地点付近,すなわち,A車両の進行車線上であると断定しているものとみるのが相当である。
この点,証人甲は,原審裁判官からのある程度距離がある状況で,A車両の方が,被告人車両の進行車線にはみ出し,その後,A車両が緩やかに自車線に戻ろうとする,あるいは被告人車両が対向車線の方に回避しようとするという事態が緩やかに起こったとして,また,衝突の位置がここでピンポイントでないということも含め,あらゆる条件,設定をしたときに,全く痕跡の説明がつかないのか,それとも,そういうことも起こり得るということなのかとの補充尋問に対し,これを否定する趣旨の証言はしていない。しかし,ここでの証人甲の証言の趣旨は,第1衝突地点としては前記の鑑定結果のとおりであるとの前提で,
そこに至る経緯として,
補充尋問で示されたような両車両の動きが仮にあったとしても,本件現場の痕跡等は説明できるとの回答をしたに過ぎず,この証言によって,前記の第1衝突地点に関する鑑定結果についての撤回や修正がされたと理解するのは相当ではない。そうすると,原判決が,甲鑑定について,飽くまで,被告人車両とAB各車両の各衝突地点が本件現場見取図の指示説明地点である場合,甲が用いた資料により認めることのできる客観的・外形的事実と矛盾しないという程度にとどまるなどとして,甲鑑定が第1衝突地点を必ずしも特定していないものであるかのように説示するのは,甲鑑定の証拠評価としては不正確である。この説示が,第1衝突地点が本件タイヤ痕の始点付近ではなく,被告人車両の進行車線上であった可能性も排除できないという趣旨を含むものとすれば,不合理といわざるを得ない。イ
Aの証言の信用性について

原判決は,Aの証言について,その信用性に疑いを入れる余地があると判示し,その理由として,前記の連日の夜勤状況や,過去に2回,Aが加害者として交通事故を起こしたことなどの事情のほか,甲鑑定がAの証言の信用性を積極的に高めることにはならないこと,かえって,甲鑑定は,本件タイヤ痕の形状からして,A車両がその途中で停止したことはうかがわれない旨の判断をしているところ,
自車は本件現場見取図の㋒地点で停止した旨のAの証言は,これと明らかに齟齬していることを挙げている。

しかしながら,前記のとおり甲鑑定は,第1衝突地点を本件タイヤ痕の開始地点(Ⓣ1)付近とした上,第1衝突の態様について,
被告人車両が何らかの要因によって右に進行してセンターラインを越えてA車両の右後部ドアから右後部にかけて衝突したというものであって,証人Aの衝突地点はA車両進行車線上であり,被告人車両がセンターラインを越えてA車両進行車線に進行してきた結果,本件事故が生じたという証言内容を強く裏付けている。もっとも,Aが実況見分時に自車は本件現場見取図の㋒地点で停止した旨を指示説明し,公判廷でも同旨の証言をしている点は,原判決も指摘するとおり,本件タイヤ痕が㋒地点で途切れることなく連続している状況から,A車両が途中で停止したものとはうかがえないとする甲の証言に照らし,にわかには信用しがたいものである。しかし,衝突後,A車両がどこで停止したかは,周辺的な事項であり,その点についてAの認識・記憶に誤りがあったとしても,中核的事項である衝突直前の状況や,衝突地点についてのAの証言の信用性は左右されないとみるのが相当である。
そして,原判決がAの証言の信用性評価について消極方向に作用する事情として挙げる勤務状況等のその他の事項は,いずれも抽象的な可能性の指摘にとどまるものである。少なくとも,衝突状況に関する証人Aの供述部分については,十分に信用できるというべきである。
以上から,Aの証言の信用性に疑いをいれる余地があるとした原判決の証拠評価は不合理と言わざるを得ない。


被告人の過失の有無について

原判決の無罪理由の説示が,第1衝突地点がA車両の進行車線上であったものと認めた上で,被告人に過失はないものと判断した可能性があると理解する余地があることは,前示のとおりである。
この点に関し,原判決は,本件事故の原因として,例えば,A車両が衝突前に中央線を越えて被告人車両の進路上に進出したことにあったのではないかとの疑いを
いれる余地があるという趣旨の説示をしている。それは,A車両が被告人車両の進行車線上に進出してきたため,これを避けようとして被告人車両がA車両の進行車線上へと転把し,再び自車線上に戻ったA車両と衝突するに至ったのではないかとの仮説を想定したものと考えられる。しかし,そのような想定は,被告人が自車線の左側ではなく対向車線側にハンドルを切るという点で衝突回避行動として不自然であることは否めない上,記録を検討しても,被告人の供述を含め,A車両が中央線を越えたことがあったとの具体的な疑いを生じさせるような証拠はそもそも存在しない。その他,被告人車両の対向車線上への進出を正当化するような事情の存在も証拠上うかがわれない。
結局,被告人の過失責任の否定に結びつくような仮説の可能性は,本件証拠状況に照らし,極めて抽象的なものにとどまるものというべきである。原判決が,第1衝突地点がA車両の進行車線上であったものと認めた上で,被告人の過失責任を否定したのだとすれば,その判断は,明らかに不合理なものといわざるを得ない。3
小括

以上によれば,原判決の事実認定は,重要な証拠についての証拠評価を誤るなどした結果,論理則,経験則等に照らし不合理なものとなっている。本件証拠を適切に評価すれば,本件公訴事実中,少なくとも,被告人による進路保持義務違反の過失によって被害者らを負傷させた事実を認定することができるから,被告人を無罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわざるを得ない。論旨は理由がある。
なお,本件においては,C警察官が,一部内容虚偽の記載を含む本件実況見分調書1を作成したことについて特に検察官は争っていないことから,C警察官等に証拠偽造・偽造証拠使用罪(刑法104条)ないし虚偽公文書作成・行使罪(刑法156条,158条)が成立する可能性を否定できない。刑訴法435条が,原判決の証拠となった証拠書類又は証拠物が確定判決により偽造又は変造であったことが証明されたときや,原判決の証拠となった書面を作成し若しくは供述をした司法警察職員が被告事件について職務に関する罪を犯したことが確定判決により証明されたときを再審事由として規定していることにかんがみれば,C警察官に関する刑事処分が未だ確定していない現時点で,当審において破棄・自判することは相当とはいえない。
そこで,当裁判所は,自判に向けての事実の取調べを行わず,原裁判所に本件を差し戻し,差戻し後の審理において再審事由に該当する事情の有無を確かめるなどした上で判決をするのが相当であると考えた次第である。
第5

結論

よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条本文により本件を原裁判所である山口地方裁判所に差し戻すこととし,主文のとおり判決する。
令和2年2月19日
広島高等裁判所第1部

裁判長裁判官


裁判官

裁判官

田隆史水落桃子廣瀬裕亮和
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