判例検索β > 平成31年(ネ)第535号
損害賠償等請求控訴事件
事件番号平成31(ネ)535
事件名損害賠償等請求控訴事件
裁判年月日令和2年2月4日
裁判所名・部大阪高等裁判所  第3民事部
原審裁判所名大阪地方裁判所
原審事件番号平成27(ワ)6338
裁判日:西暦2020-02-04
情報公開日2020-06-04 22:27:49
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判決主文1
本件各控訴を棄却する

2
控訴費用は控訴人らの負担とする。

第1

実及び理由
控訴の趣旨

1
原判決を取り消す。

2
被控訴人は,各控訴人に対し,別紙2請求金額一覧表の各控訴人に対応する請求金額欄記載の各金員並びにこれに対する控訴人A18及び控訴人A19以外の控訴人らについては平成27年9月9日から,控訴人A18及び控訴人A19については平成28年8月16日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3
被控訴人は,控訴人ら各自に対し,別紙3記載の謝罪文のうち各控訴人に対応する部分を交付せよ。

4
被控訴人は,控訴人らに対し,毎日新聞,産経新聞,読売新聞,朝日新聞及び日本経済新聞において,別紙4記載の謝罪広告を別紙6記載の条件で掲示せよ。

5
被控訴人は,控訴人らに対し,人民日報,中国青年報,南方日報,光明日報及び文匯報において,別紙5記載の謝罪広告を別紙6記載の条件で掲示せよ。
第2
1
事案の概要等(略称は,特記しない限り,原判決の用法による。)本件は,中国又は中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中,被控訴人により中国から日本に強制連行され,日本各地の事業場で強制労働に従事させられたと主張する者又はその権利義務を相続により承継した者である控訴人らが,被控訴人に対し,これらの強制連行,強制労働及びその後の被控訴人の対応により精神的損害を被ったと主張して,①ヘーグ陸戦条約3条,②不法行
為(中華民国民法,日本国民法)又は③国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償の一部として,別紙2請求金額一覧表の請求金額欄記載の金額の慰謝料(遺族固有の慰謝料を含む。)及び弁護士費用の合計額並びにこれに対する訴状送達の日の翌日(原審第1事件の控訴人らについては平成27年9月9日,原審第2事件の控訴人らについては平成28年8月16日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,謝罪文の交付並びに日本及び中華人民共和国で発行されている新聞への謝罪広告の掲載を求めた事案である。
原判決は,控訴人らの請求をいずれも棄却したため,これを不服として,控訴人らが本件各控訴を提起した。
原審口頭弁論終結後,原審第1事件原告A12が死亡したため,その相続人である控訴人A12のア,控訴人A12のイ及び控訴人A12のウが訴訟を承継した。
2
前提事実等,争点及び当事者の主張は,次の3のとおり当審における控訴人らの主張を付加するほかは,原判決事実及び理由の第2の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決を次のとおり訂正する。
9頁3行目の末尾に行を改め,次のとおり加える。
ウ原審第1事件原告であったA12は,原審口頭弁論終結後の2018年(平成30年)12月9日に死亡した。A12の相続人は,控訴人A12のア,控訴人A12のイ及び控訴人A12のウであり,同人らは,本件請求について,それぞれ3分の1の割合でA12の権利義務を承継した。132頁8行目の及び原告A12をA12,控訴人A12のア,控訴人A12のイ及び控訴人A12のウに改める。132頁9行目及び133頁22行目の原告をいずれも削り,同頁24行目の求めているを求めていたが,2018年(平成30年)12月9日に死亡し,同人の子である控訴人A12のア,控訴人A12のイ及び控訴人A12のウがA12を相続したに改める。3
当審における控訴人らの主張
請求権放棄の抗弁について
日中共同声明5項に関する解釈は,サン・フランシスコ平和条約の枠組み論でされるべきではなく,ウィーン条約法条約や国際人権法及び国際人道法に基づく国際基準に依拠してされるべきである。
日中共同声明5項は,サン・フランシスコ平和条約14条(b),日ソ共同宣言6項,日韓請求権協定2条などに用いられている国民の,国民に対するとの文言や請求権との文言を用いていない。日中共同声明5項を,言葉の通常の意味に従って素直に読めば,中華人民共和国政府という一国の政府が日本国という国家に対する戦争賠償の請求を放棄するとしか解釈できない。中国国民の日本国に対する賠償請求権の放棄など一切明記されていない。

国際法における条約の効力が及ぶ範囲
条約の効力が及ぶ範囲は,条約の締結に参加した当事国の間のみに限られ,第三国には及ばないのが原則である。条約によって直接第三国に義務を課すことは,第三国の明示的な承諾がない限りできない。ウィーン条約法条約35条は,承諾は書面により明示にされることを求めている。中華人民共和国は,サン・フランシスコ平和条約の当事国でないのみならず,サン・フランシスコ平和条約について,繰り返し不法・無効という声明を発していた。中華人民共和国がサン・フランシスコ平和条約及びサン・フランシスコ平和条約の枠組みに拘束されることはない。


条約解釈に関する基本原則
日中共同声明5項は,

中華人民共和国政府は,…,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

と規定しており,個人の損害賠償請求権の放棄に関する明らかな規定はない。
日中共同声明も,国際法の基本原則による枠組みの中で解釈されるべきであり,ウィーン条約法条約に依拠する必要がある。サン・フランシスコ平和条約と日中共同声明の文書は,ウィーン条約法条約31条2の場合に該当せず,同条3のいずれにも該当しない。サン・フランシスコ平和条約と日中共同声明は,条約解釈の国際的基準からすれば,いかなる関係も有しないのであり,サン・フランシスコ平和条約の枠組み論によって日中共同声明を解釈することはできない。

日中共同声明5項の交渉過程
日中共同声明5項に関する交渉過程の記録からは,中華人民共和国政府は,中国国民の損害賠償請求権については一切触れていないこと,日本側から,日華平和条約との関係で損害賠償の権利を削除してほしいとの要望が示され,中国側がその要望を受け入れたにすぎないことが明らかである。中国国民の損害賠償請求権が明白に放棄されたという証拠は一切見当たらない。
条約の解釈基準に従えば,明らかに規定されていない場合には,個人の請求権は放棄されていないという解釈が正当である。日中共同声明5項では,中国側の草案にある請求権が請求となっていること,日本側
の草案にあるいかなる賠償の請求のうちいかなるの文言が削除さ
れていることを重要な判断要素とすべきである。


日中共同声明締約後の中華人民共和国の立場と対応
中華人民共和国政府は,1990年代には,日中共同声明5項には民間賠償を含まないという立場を表明し,この立場を基礎にして,民間賠償要求運動を容認又は支持するようになっていた。さらに,最高裁平成19年判決の前後には,強制連行・強制労働は,日本軍国主義が中国侵略中に中国人民に対して犯した重大な犯罪行為であるとして,同問題の善処を強く求めるようになっている。

日華平和条約と日中共同声明との関係
日華平和条約が有効な条約として締結されたものとしても,あくまでも適用地域の限定されたものであり,中華人民共和国に対してはいかなる効力も及ばない。
中華人民共和国政府は,一貫して日華平和条約を違法であり,無効であると宣言し,復交三原則3項にもその旨規定していた。日本国政府も,その前文で,中華人民共和国政府の見解を再確認した上で,日中共同声明に署名している。日中共同声明5項を解釈する上で,日華平和条約は考慮してはならない。


個人の損害賠償請求権に関する日本国政府の解釈の変遷
日本国政府は,昭和38年12月7日,原爆訴訟第一審において,サン・フランシスコ平和条約19条(a)の規定によって,日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない旨主張した。また,柳井外務省条約局長は,平成3年8月27日,参議院予算委員会において,日韓請求権協定に関し,個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない,政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないとの意味であると答弁した。平成4年4月7日の参議院内閣委員会において,加藤紘一官房長官は,日本国政府の公式見解として,日中共同声明によって放棄されたのは,あくまでも政府の外交保護権であって,個人の賠償請求については,裁判所に訴えて実現することは可能である旨明確に答弁していた。
オランダは,サン・フランシスコ平和条約の締結当事国であるにもかかわらず,同条約の効力発生後3年を経た昭和31年3月13日,日本とオランダとの間では議定書を取り交わし,他の締結当事国とは異なる戦後処理を行った。このことからすれば,サン・フランシスコ平和条約の枠組みなどそもそも存在していないことになる。
ところが,日本国政府は,アメリカカリフォルニア州が韓国の強制動員被害者の日本企業に対する訴訟の管轄を認めると,この訴訟に対する平成12年10月の日本国政府意見書の作成を契機として,従来の解釈を変更し,韓国人被害者を含むあらゆる戦後補償訴訟において,条約(サン・フランシスコ平和条約,日韓請求権協定,日中共同声明)により解決済みという主張をするようになった。

国際法上の強行法規(ユース・コーゲンス)との関係
国際法においても,国際公序の観念が認められることにより,国際法
上のユース・コーゲンス(juscogens),すなわち強行法規に違反する内容の条約は無効であると考えられるようになった。ウィーン条約法条約は,

締結の時に一般国際法の強行規範に抵触する条約は,無効である。

(53条)としている。2001年国連国際法委員会により採択され,同年の国連総会においてテイク・ノートされた国際違法行為に対する国家責任に関する条文(国家責任条文)は,強行規範の重大な違反の場合には,それを終了させる義務,それを終了させるために協力する義務等を国の特別の義務として定めた。ここでの重大な違反とは,奴隷制,ジェノサイ
ド,アパルトヘイト等の禁止に対する重大な違反をいう。
1998年に採択された国際刑事裁判所規程は,裁判所の管轄に属する犯罪として,集団殺害罪,人道に対する犯罪,戦争犯罪
及び侵略の犯罪を挙げ(5条),これらの国際犯罪は,仮に国内法上処罰されないとしても,国際法上の刑事責任を免除されるわけではないことを明確にした。
少なくとも奴隷制度の禁止,奴隷制度と密接不可分な強制労働及び女性売買の禁止がユース・コーゲンスであることについては異論がない。2005年(平成13年)12月16日に国連総会で採択された重大な国際人権法,国際人道法違反の被害者が救済及び補償を受ける権利に関する基本原則及びガイドライン(以下基本原則及びガイドラインという。)は,国際人権法違反の被害者が救済を受ける権利を定めた規定として,世界人権宣言8条,B規約2条,人種差別撤廃条約6条,拷問等禁止条約14条,国際人道法違反の被害者が救済を受ける権利を定めた規定としてヘーグ陸戦条約3条,ジュネーヴ条約第一追加議定書91条及び国際刑事裁判所規程68,75条に言及している。これは,少なくとも1907年のヘーグ条約以降に国際人道法違反の被害者が救済を受ける権利を有していたことを確認するものである。
日中共同声明によって裁判上訴求する権能を失ったというのは,国際人権法及び国際人道法に違反する。

司法にアクセスする権利の保障と国際人権法
B規約は,2条3項において効果的な救済を受ける権利を,14
条1項において公正な裁判を受ける権利を定めている。これらを主要素として構成される司法にアクセスする権利は,国際人権法において,民主社会における法の支配の要と位置付けられている。本件訴訟追行の限りにおいて日本の管轄下にあるといえる控訴人らにも,当然その保障が及んでいる。裁判上訴求する権能の喪失というのは,B規約が締結国に課す義務に著しく違背する。
控訴人らの訴権の喪失を正当化するには,司法へのアクセス権の制限が合理的であること(当該制限が正当な目的を追求するものであること,手段が当該目的と比例していること)が示されなければならない。日本国政府によって何らの代替措置も取られず,取られる見込みもない中で,重大な国際人道法違反,人権侵害の被害者である控訴人らの裁判上訴求する権能を喪失させることは,B規約2条3項,14条1項の定める司法にアクセスする権利を侵害する重大な人権侵害である。
ジュネーヴ第4条約7条,8条は,国家は個人の権利水準を低下させたり,重大な国際人道法の違反に係る自国の責任を免れるような合意をすることができないことを意味している。控訴人らの裁判上訴求する権能を喪失させることは,ジュネーヴ諸条約が体現する国際人道法の基本的要請にも違背する。
裁判上訴求する権能の喪失は,憲法32条に違反することは明らかである。
不法行為責任(中華民国民法)の成否について

中華民国民法の適用
本件拉致・連行行為は,法例11条1項(現在の法の適用に関する通則法17条)の不法行為に該当する法律関係であり,行為地法主義の原則により,当時の中国法(中華民国民法184条1項前段,188条1項前段,195条1項)が適用される。
上記中国法によれば,強制連行された控訴人本人及びその遺族に対する被控訴人の国際法違反の行為が不法行為に該当することは明らかである。

国家無答責の法理の不適用
当時の中国法が適用される場合,法例11条2項の適用によって,不法行為地法に加えて,日本法が累積的に適用され得る。
しかし,国家無答責の法理は,国家の自国民又はその管轄に服する外国人に対する公権力の作用についてのみ適用される法理であり,国家(日本国)とその公権力作用の及ばない外国の国民との間には適用されない。外国(中国)において,日本軍が外国人(中国人)を拉致連行した事実に,国家無答責の法理を適用することはできない。
国家賠償法に基づく責任の成否について
相互保証の要件を定める国家賠償法6条は,憲法17条に反する。仮に違憲であるとまではいえなくても,その適用については,外国人による権利行使を拡大するよう弾力的に解釈すべきである。すなわち,相互保証は,請求権行使時にのみある場合でも認められると解すべきである。除斥期間による請求権の消滅の成否について

控訴人ら中国人被害者らを中国において拉致し,連行した行為は,法例11条1項の不法行為に該当する法律関係であるから,行為地法主義の原則により,当時の中国法が適用され,その結果,日本民法の除斥期間を定めた民法724条後段は適用されない。


日本に連行された中国人被害者らが各企業において強制労働に従事させられる際,中国人被害者らの健康管理や保護を怠った行為,日本に連行された中国人被害者らが各企業において強制労働に従事させられる際,劣悪な労働環境を作出した行為,戦後,中国人被害者らの被害の事実を積極的に隠蔽する答弁を行い,被害者らの名誉回復を妨害した行為については,民法724後段の除斥期間を適用することは制限されるべきである。これらの行為に,法律関係を速やかに確定し,法的安定性を維持することが目的の民法724条後段を適用することは,著しく正義・公平に反し,条理にもとる。


不作為の継続
戦後,連行された中国人被害者ら又はその遺族らが,生活に困窮していた際,救護義務を怠った行為は,被害者らが帰国し,強制連行を脱した時に開始した継続的な不作為であり,現在でも終了していない。
継続的な不作為という違法行為の特質,違法行為終了時において全体として一体的に評価する必要があるという本件損害の特質からは,除斥期間の起算点である不法行為の時は,違法行為終了時と解すべきであり,いまだ除斥期間は到来していない。
先行行為に基づく保護義務・救護義務違反について

被控訴人は,昭和17年閣議決定及び昭和19年次官会議決定に基づく政策により強制連行を実行し,強制労働に従事させたという先行行為に基づき,戦後,控訴人らの名誉回復及び生命,身体,財産に対する侵害の回復を速やかに行うべき作為義務(保護義務及び救護義務)があったにもかかわらず,これを怠った。かかる不作為は,国家賠償法施行後の不作為であり,国家賠償法による損害賠償請求権の発生根拠となる。


先行行為者が国家であり,国家による国際人権法及び国際人道法違反の行為を先行行為とする場合,国家は,先行行為に基づく責任とは別個独立に,被害を救済する義務,すなわち保護義務・救済義務を負う。
保護義務違反,救護義務違反は,当初の加害行為(先行行為)による損害賠償債務とは別個独立に,損害賠償責任の発生根拠となる。


国際人権法及び国際人道法において,国家には,権利を侵害しない義務のみならず,権利侵害が発生している状態を前提として,侵害を排除し,救済し,権利を充足する義務が課せられている。
国家の保護義務・救護義務を定めた国際人権法関係の条約等としては,①基本原則及びガイドライン,②拷問等禁止条約14条1項,③拷問禁止委員会第1回日本国政府報告書審査総括所見(平成19年),④ヴェラスケス・ロドリゲス事件米州人権裁判所判決(1988年7月29日)が挙げられる。同様の国際人道法関係の条約等としては,①ジュネーヴ諸条約,②俘虜条約75条,③ポツダム宣言10項等がある。

本件において,日本国が,中国人労働者及びその遺族らに対し,戦後何らの支援も行わず,救護を行わなかったことは,国際人権法上の保護義務・救護義務に違背するものであり,それ自体を新たな義務違反行為(不作為による加害行為)と構成することができる。
また,強制連行された中国人らは,日本国政府のヘーグ陸戦条約等国際人道法違反によって,生命,身体,名誉,財産に対する権利が侵害され,ポツダム宣言受諾後,日本国政府は,国際人道法上,中国人の生命等に対する権利をさらに侵害する行為を行ってはならず,かつ,侵害された権利を回復すべき措置を講ずべき義務を負っていた。被控訴人は,かかる回復措置を取っていないから,国際人道法上も新たな義務違反行為を行っているといえる。
戦後における隠蔽行為について
日本国政府は,実態が俘虜であり,かつ,極めて苛酷な虐待があった事実を隠蔽するため,関係資料を焼却した。
日本国政府のこのような対応によって,強制連行された中国人らは,契約労働者であるかのように言われ,日本及び中国において,自らの意思で日本の事業場で労働に従事したかのように思われ,その名誉又は名誉感情が侵害された。かかる名誉又は名誉感情の侵害が被控訴人による関係資料の焼却,隠蔽行為に端を発することは明らかであり,被控訴人は,かかる損害を賠償する義務を負う。
国会答弁による名誉棄損について
①昭和29年9月6日外務省アジア局長の答弁,②昭和33年3月25日外務省アジア局長の答弁,③昭和33年4月9日岸信介首相の答弁,④昭和35年5月3日外務省アジア局長の答弁及び⑤昭和35年5月6日岸信介首相の答弁が,控訴人らを含めた中国人被害者に関する被控訴人の見解を表明したことは明らかである。
名誉棄損の成立要件については,事実の摘示が特定人を指したものかどうかが問題となる場合,被害者が特定人であることを認識し得る者が不特定又は多数であるか否かが判断の基準とされる。本件においては,控訴人ら個々人の名前が言及されていなくても,戦時中日本に連行され,労働に従事させられた中国人という限度で特定されている。控訴人らの周囲にいる不特定又は多数にとって,上記各答弁が控訴人らを対象とした見解表明であることは十分に認識し得る。したがって,上記各答弁は,控訴人らを含めた特定人を名宛人(被害者)としたものといえ,名誉棄損の加害行為として十分である。
上記各答弁は,控訴人らが自らの意思で日本の事業場で労働に従事したという事実を摘示するものであり,その事実自体が控訴人ら(連行された被害者ら)の社会的評価を低下させる。
名誉回復義務違反について
被控訴人は,先行行為たる国際人権法違反,国際人道法違反の行為に基づく作為義務として,控訴人らの被害を回復する義務(保護義務・救護義務)を負っており,その義務の中には,控訴人らの名誉を回復する義務も含まれている。また,被控訴人は,戦後において,前記

で指摘した各答弁をする

ことにより控訴人らの名誉を棄損したから,その名誉を回復する義務を負っている。
被控訴人が名誉回復義務を怠っていることそれ自体も,控訴人らに対する不法行為を構成する。
第3
1
当裁判所の判断
当裁判所も,控訴人らの請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は,後記2のとおり当審における控訴人らの主張に対する判断を付加するほかは,原判決事実及び理由の第3の1から11までに記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決を次のとおり訂正する。
38頁26行目の原告A12をA12,控訴人A12のア,控訴人A12のイ及び控訴人A12のウに改める。39頁1行目及び5行目の原告をいずれも削る。

2
当審における控訴人らの主張に対する判断
請求権放棄の抗弁について

控訴人らは,日中共同声明5項に関する解釈はサン・フランシスコ平和条約の枠組み論ではなく,ウィーン条約法条約や国際人権法及び国際人道法に基づく国際基準に依拠してされるべきであると主張し,その根拠として,まず,条約の効力が及ぶ範囲は原則として条約の締結国の間に限られるから,サン・フランシスコ平和条約の当事国でない中華人民共和国がサン・フランシスコ平和条約及びサン・フランシスコ平和条約の枠組みに拘束されることはない旨主張する。
確かに,中華人民共和国は,サン・フランシスコ平和条約の当事国ではないから,サン・フランシスコ平和条約に拘束されるものではない。しかし,日中共同声明が,日本国と中華人民共和国との間の不正常な状態を終了させ(1項),主権及び領土保全の相互尊重,相互不可侵等の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する(6項)ものであることに鑑みると,日中共同声明は,戦争状態を終了させ,将来に向けた友好関係を築くというサン・フランシスコ平和条約と同様の趣旨・目的をもってされたものと解される。したがって,日中共同声明の各条項の解釈に当たっては,サン・フランシスコ平和条約の各条項の趣旨・目的及びその枠組みを考慮するのが相当である。
原判決が指摘する,サン・フランシスコ平和条約締結後の日本国政府の二国間賠償協定やサン・フランシスコ平和条約の当事国以外の諸国との戦争賠償等の合意の内容及び日中共同声明に至る交渉経過(事実及び理由第3の5⑴イ・ウ,⑵イ


)からすれば,サン・フランシスコ平

和条約の締結によって主権を回復した日本国とすれば,サン・フランシスコ平和条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結するとの立場を堅持すべきであると考えていたものと解され,サン・フランシスコ平和条約上は,同一の又は実質的に同一の条件の平和条約を締結する義務が3年で終了するからといって,3年が経過すれば,どのような内容であっても自由であると捉えていたとは考えられない。そうすると,日本国政府の立場からは,法的な意味の拘束とは別に,サン・フランシスコ平和条約の各条項の趣旨・目的及びその枠組みは,平和条約締結の交渉上堅持すべきものであるとの意味で拘束であったと解される。また,中華人民共和国政府も,日本国政府の上記立場は十分認識していたと解される。
条約が締結国以外の第三国を拘束しないということは,日中共同声明5項をサン・フランシスコ平和条約の枠組みで解釈することを否定することには結び付かない。

控訴人らは,日中共同声明に個人の損害賠償請求権の放棄に関する明ら
かな規定はない,サン・フランシスコ平和条約と日中共同声明は条約解釈の国際的基準からすればいかなる関係も有しないと主張する。
控訴人らが主張するとおり,サン・フランシスコ平和条約は,日中共同声明からみて,ウィーン条約法条約31条2項にいう条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意にも,条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書であってこれらの当事国以外の当事国が条約の関係文書として認めたものにも当たるわけではなく,同条3項のいずれかの合意等に当たるものでもない。しかし,そうであるからといって,日中共同声明5項の解釈にサン・フランシスコ平和条約の条項を用いてはならないということになるわけではない。
また,日中共同声明には,個人の損害賠償請求権は放棄するというような個人の損害賠償請求権の放棄に関する明示的な規定はない。しかし,そのことと,日中共同声明5項をどう解釈するかは別問題である。国民のや国民に対するとの文言がなければ,個人の損害賠償請求権の放棄に関する規定がないと即断できるかが問題なのである。
原判決も指摘するとおり(事実及び理由第3の5⑵ア),日中共同声明5項は,その文言上,放棄の対象となる請求の対象が明示されているとはいい難く,国家間の戦争賠償のほかに請求権の処理を含む趣旨かどうか,請求権の処理を含むとしても,中華人民共和国の国民が個人として有する請求権の放棄を含む趣旨かどうかは,必ずしも明らかとはいえない。ウィーン条約法条約は,31条1項で,

条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。

と規定するが,32条では,

前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合(a)における意味を決定するため,解釈の補足的な手段,特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。

とも規定している。このように,ウィーン条約法条約が示す条約の解釈基準に照らしても,日中共同声明5項の解釈に当たっては,日中国交正常化交渉の交渉経緯が重要になるものと解される。

控訴人らは,日中共同声明5項に関する交渉過程の記録からは,中国国
民の損害賠償請求権が明白に放棄されたという証拠は一切見当たらないと主張する。
しかし,日中共同声明5項の解釈のためには,同項に関する交渉過程のみならず,日中国交正常化交渉の全体をみる必要がある。
日本国政府としては,サン・フランシスコ平和条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結するとの立場を堅持すべきであると考えていたと解されること,中華人民共和国政府も,そのような日本国政府の立場を認識していたと解されることは,アで述べたとおりである。そして,原判決が指摘する日中国交正常化交渉の経緯(事実及び理由第3の5⑵イ



)及び証拠(甲B65,乙B4

7)によれば,日中国交正常化交渉で,中華人民共和国政府として堅持すべきは復交三原則であり,その三番目は,日華平和条約は不法,無効ということであったこと,その帰結としては,日中共同声明には戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠というものであったこと,しかし,戦争賠償及び請求権の処理の内容については,早い段階から,中華人民共和国政府は放棄を表明しており,日華平和条約の条項及びこれが依拠するサン・フランシスコ平和条約の条項,すなわち,サン・フランシスコ平和条約の枠組みと異なる枠組みを主張していたとは理解できないこと,日本国政府としては,日華平和条約によって解決済みとの立場に立っていたことから,内容的には,日華平和条約と同一の内容,すなわち,サン・フランシスコ平和条約と同一の内容(個人の請求権も放棄)を求めていたことが認められ,このことも,中華人民共和国政府には認識されていたと解される。
上記の証拠によれば,確かに,日中共同声明5項に関しては,中国側の草案にあった請求権が請求に変更され,日本側の草案にあった
いかなるの文言が入らなかったことが認められるが,このような表現の問題以外に,内容自体について日本国政府の求める内容に中華人民共和国政府から異議が述べられたとの経過は見られない。上記の表現の変更は,正に,双方の政府の立場の違いからくる表現の変更にすぎず,内容には何ら変更はなかったと解するのが相当である。
サン・フランシスコ平和条約の枠組みは,平和条約を締結しておきながら,戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を事後的個別的な民事裁判上の処理に委ねたならば,平和条約の目的達成の妨げになるとの考えから設けられたものということができる。上記の証拠をみても,日中共同声明の発出に当たり,あえて,請求権の処理を未定のままにして戦争賠償のみを決着させるとか,請求権放棄の対象から個人の請求権を外して決着させるとの処理をせざるを得なかったことを示す事情はうかがえない。日中国交正常化交渉の全体をみれば,日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の放棄について,サン・フランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがされたとは解することができない。

控訴人らは,中華人民共和国政府は1990年代には日中共同声明5項には民間賠償を含まないとの立場を表明し,最高裁平成19年判決の前後には強制連行・強制労働の問題の善処を強く求めるようになったと主張する。
しかし,条約の解釈にとってより重要なのは,締結までの交渉経緯であって,締結後に,それも締結から約20年も経過した後に,中華人民共和国政府が控訴人ら主張のとおりの立場を表明したとしても(その表明の仕方,日本国政府への何らかの申入れの有無等は明らかではない。),条約の解釈に直ちに影響を与えるものではない。
また,強制連行・強制労働の問題の善処に関しては,最高裁平成19年判決においても,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されると付言されたところである。

控訴人らは,日中共同声明5項を解釈する上で日華平和条約を考慮して
はならないと主張する。
日華平和条約の適用地域からすれば,中国大陸に居住する中国国民である控訴人らに対し,日華平和条約の条項が適用されるものでないことは,原判決も説示するとおり(事実及び理由第3の5⑴ウ)である。日華平和条約は,日中国交正常化交渉に臨む日本国政府の立場を考える上で考慮されるにとどまる。ただ,そうであるからといって,日中共同声明5項が個人の請求権の放棄と無関係であるとの何ら根拠になるものではない。

控訴人らは,日本国政府自身,サン・フランシスコ平和条約の枠組みに
よって個人の請求権を放棄したことにはならないなどと答弁していたにもかかわらず,アメリカにおける訴訟を契機に従来の解釈を変更した旨主張する。
確かに,控訴人らの主張どおり,日本国政府の答弁には,言葉の上では変遷とみられても仕方ない部分がある。
しかし,請求権の放棄には,国際法上の効力からみた意味と国内法上の効力からみた意味があり,それが整理されないまま答弁がされていた節がある。最高裁判所の判決ですら,平成9年3月13日のシベリア抑留者補償請求訴訟の判決では,いわゆる日ソ共同宣言による請求権放棄について,上告人らがソヴィエト社会主義共和国連邦に対し損害の賠償を求めることは,仮に所論の請求権が存するとしても,実際上不可能となったと説示されていた。
日本国政府の答弁の変遷をもって,サン・フランシスコ平和条約の枠組みの本来の解釈は個人の請求権の放棄ではないということはできない。なお,控訴人らは,日本とオランダとの議定書の取り交わしからすれば,サン・フランシスコ平和条約の枠組みなど存在しないと主張し,他の場面において,サン・フランシスコ平和条約には不確定要素が多いため枠組み自体を導くことができないとも主張する。しかし,サン・フランシスコ平和条約の枠組み自体は,同条約14条(b)において明確に読み取ることができるのであって,控訴人らの上記主張はいずれも採用することができない。

控訴人らは,国際法上のユース・コーゲンス,すなわち強行法規に違反する内容の条約は無効であり,奴隷制度と密接不可分な強制労働の禁止がユース・コーゲンスであることに異論はないから,日中共同声明5項によって強制労働の被害者が裁判上訴求する権能を失わせるのは国際人権法及び国際人道法に違反する旨主張する。
しかし,日中共同声明が発出されるに至った交渉経緯やその趣旨・目的(アでも述べたとおり,日本国と中華人民共和国との間の不正常な状態を終了させ,両国間の恒久的な平和友好関係を確立すること)から考察すると,強制労働の禁止がユース・コーゲンスであるとの前提に立ったとしても,請求権放棄の対象に強制連行・強制労働の被害者の損害賠償請求権を含めることが,重大な人権侵害を禁止する国際人権法及び国際人道法に違反するものとは解されない。上記の損害賠償請求権(又はより一般的に,人道に対する罪により被った損害に係る被害者の賠償請求権)を平和条約における請求権放棄の条項の対象から外すことは,将来どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げになる点は,他の損害賠償請求権の場合と変わらないものと解される。戦争遂行の過程における民間人の損害は,およそ人権及び人道に反するものと評価し得る。これらの損害の賠償請求権を請求権放棄の対象から外すことは,平和条約による請求権の処理の意図するところを空洞化することになりかねない。

控訴人らは,重大な国際人道法違反,人権侵害の被害者である控訴人らの裁判上訴求する権能を喪失させることは,B規約の定める司法にアクセスする権利を侵害する重大な人権侵害であり,ジュネーヴ第4条約,憲法32条にも違反する旨主張する。
しかし,控訴人らの主張するとおり,司法へのアクセス権の制限には,当該制限が正当な目的を追求するものであること,手段が当該目的と比例していること(二つを併せて,制限が合理的であること)が必要であるとの立場に立つと,請求権放棄の目的は,戦争状態の最終的な終了及び恒久的な平和友好関係の確立であるから,目的の正当性は明らかであり,請求権の放棄といっても,請求権の実体的な消滅ではなく,債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないことからすれば,手段が目的と比例していないとまでいうことはできない。そうであれば,司法へのアクセス権の制限に合理性がないとはいえない。
また,ジュネーヴ第4条約が個人の賠償を受ける権利について規定したものとは解されず,裁判上訴求する権能の喪失が国際人道法の基本的要請に違背するというまでの事情は,証明されていない。
控訴人らは,憲法32条違反も主張するが,勝訴判決が得られなければ裁判を受ける権利が侵害されているというものではない。民事上の債務における自然債務の概念を否定するものとしても,上記の主張は採用することができない。
原判決が指摘するとおり(事実及び理由第3の12),中国人労働者は強制的又は真意に基づくことなく日本に連れて来られたものであり,労働環境や処遇は大変劣悪なものであった。したがって,控訴人又はその父親らの被った精神的・肉体的苦痛は極めて大きなものであったと認められる。しかし,上記の事態は,各被害者に対し個々的に意図されたものであるというよりは,戦争という反人道的行為を遂行する過程で生じたものである。このため,戦争を永久に放棄した日本国政府は,個々の被害者に対する金銭賠償ではなく,日本国と中華人民共和国が恒久的な平和友好関係を確立,維持することによって被害を償うことを明らかにし,中華人民共和国政府も,そのような日本国政府の意思を了解し,日中共同声明に至ったと解される。
このような背景を持つ日中共同声明5項を,国際人権法及び国際人道法に違反すると評価することはできない。

以上のとおり,請求権放棄の抗弁に関する控訴人らの主張は,いずれもこれを採用することができないか,日中共同声明5項をサン・フランシスコ平和条約の枠組みで解釈すべきでないとの根拠とはならない。
日中共同声明5項をサン・フランシスコ平和条約の枠組みで解釈すべきではなく,言葉の通常の意味で読めば,中国国民の日本国に対する請求権放棄は含まれないなどの控訴人らの主張は,採用することができない。⑵
おける控訴人ら

(ウを除く。)までについては,判断する必

要がない。
先行行為に基づく保護義務・救護義務違反について
控訴人らは,被控訴人は政策により強制連行を実行し,強制労働に従事させたという先行行為に基づき,戦後,控訴人らの名誉回復及び生命,身体,財産に対する侵害の回復を速やかに行うべき作為義務(保護義務及び救護義務)があったにもかかわらず,これを怠ったと主張する。
しかし,強制連行したという先行行為に基づき侵害の回復を行う義務があるというのであれば,義務の範囲は,連行した場所に戻すということに尽きる。控訴人らが主張する侵害の回復は,(相当因果関係のある範囲はどこまでかの問題はあるにせよ,)強制連行・強制労働という行為による損害の賠償(又は回復の措置)を求めるものにすぎない。
このことは,控訴人らが,先行行為者が個人の場合,事後に当該先行行為者が被害の救済(被害の賠償又は回復)を行わなかったからといって,救済の不作為が違法と評価されることは稀であるが,先行行為者が国家であり,国際人権法及び国際人道法違反の行為のときは,被害を救済する義務を負うと主張するとおり,作為義務を負う根拠が,国家であるからとか,国際人権法及び国際人道法違反であるからというだけで,判然としないことにも現れている。
控訴人らは,国際人権法及び国際人道法においては,権利を侵害しない義務のみならず侵害を排除し,救済する義務が課せられていると主張するが,権利を侵害したことによる損害賠償と救済という意味の金銭支払とがどのように区別されるのかは不明である。
国際人権法及び国際人道法違反であるからといって,権利侵害行為による損害賠償とは別に,侵害回復の作為義務,それも金銭支払を内容とする作為義務が生ずるとは考えられない。仮に作為義務が生ずるとすれば,それは,苦役からの解放や勉学,仕事の提供等の義務が考えられるが,それを法的義務といえるかは疑問である。
したがって,強制連行及び強制労働という先行行為があったとしても,戦後,侵害の回復という作為義務(とりわけ,金銭支払義務)が別個に生ずるとはいえず,その不履行が別個独立の損害賠償請求権の発生根拠となるともいえない。
なお,ポツダム宣言後の作為義務違反をいう主張に理由がないことは,原判決記載のとおり(事実及び理由第3の6)である。
控訴人らの主張は採用することができない。
したがって,不作為が継続しており,いまだ除斥期間が到来していないとの,当審における控訴人らの主張⑷ウの主張も採用することはできない。戦後における隠蔽行為について
控訴人らは,日本国政府が実態を隠蔽するため関係資料を焼却したので,強制連行された中国人らが自らの意思で日本の事業場で労働に従事したかのように思われ,名誉又は名誉感情の侵害につながった旨主張する。しかし,控訴人らの主張をみても,強制連行された中国人らが名誉又は名誉感情を害されるに至ったのは,当時の中華人民共和国内の事情が大きく関係したと考えられる。したがって,日本国政府に隠蔽と受け取られる行為があったとしても,それが理由で強制連行された中国人らの名誉又は名誉感情の侵害につながったとは認めるに足りない。
この点において,控訴人らの主張は採用することができない。
国会答弁による名誉棄損について
控訴人らは,国会における外務省アジア局長や岸信介首相の各答弁は,戦時中日本に連行され,労働に従事させられた中国人という限度で対象が特定されており,事実の摘示に当たり,連行された被害者らの社会的評価を低下させる旨主張する。
しかし,外務省アジア局長の答弁のうち①及び②は,中国人労働者一般について述べたもので,個々の中国人労働者に関する関係で事実を摘示したものとは認められない。また,仮に,上記各答弁が戦時中日本に連行され,労働に従事させられた中国人という限度で対象が特定され,控訴人らの周囲にいる不特定又は多数の者にとって,本件被害者ら又は控訴人らを対象とした見解表明であることが認識し得たとしても,自らの意思で日本の事業場で労働に従事したとの事実から,直ちに本件被害者ら又は控訴人らが自ら進んで日本に渡り,日本の軍国主義に協力したスパイである旨の認識,評価に至るとも認められない。控訴人らの周囲にいる不特定又は多数の者が上記のような認識,評価に至ったとすれば,それは,当時中華人民共和国内に流布していた風説等の影響とみるのが相当であり,上記各答弁がそれ自体で,本件被害者ら又は控訴人らの社会的評価を低下させるものとは認められない。
また,岸信介首相の③の答弁は,本件被害者ら及び控訴人らではない特定の中国人労働者について述べたもので,本件被害者ら及び控訴人らを対象とするものでない上,具体的な事実を摘示したものでないこと,外務省アジア局長の④の答弁が本件被害者ら及び控訴人らに関する事実を摘示したものでなく,これにより本件被害者ら及び控訴人らの社会的評価が低下したと認めることはできないこと,岸信介首相の⑤の答弁も,具体的な事実を摘示したものとはいえないことは,いずれも原判決の説示するとおり(「事実及び理)である。
控訴人らの主張はいずれも採用することができない。
名誉回復義務違反について
控訴人らは,被控訴人は違法な先行行為に基づく作為義務(保護義務・救護義務)として控訴人らの名誉を回復する義務を負っており,戦後に行った国会答弁で控訴人らの名誉を棄損したからその名誉を回復する義務も負っている旨主張する。
しかし,控訴人らの主張する先行行為に基づく名誉回復義務は,強制連行及び強制労働によってもたらされた損害の回復を求めるものにほかならないことは,⑶と同じである。したがって,その不履行が,強制連行及び強制労働によるものとは別個独立の損害賠償請求権の発生根拠となるといえないことも同様である。
また,国会答弁による名誉棄損から,名誉を回復する義務を負うとの点は,国会答弁による名誉棄損自体についてその成立が認められないことは,。したがって,被控訴人は名誉回復義務も負わない。
控訴人らの主張は採用することができない。
第4

結論
以上によれば,控訴人らの請求はいずれも理由がなく,これと同旨の原判決は相当であって,本件各控訴はいずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
大阪高等裁判所第3民事部

裁判長裁判官

江口と
裁判官

大藪和し子男
裁判官

角田ゆみ
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