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傷害被告事件
事件番号平成30(う)387
事件名傷害被告事件
裁判年月日令和2年2月6日
裁判所名・部大阪高等裁判所  第5刑事部
結果破棄自判
裁判日:西暦2020-02-06
情報公開日2020-03-23 15:29:59
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令和2年2月6日宣告

大阪高等裁判所第5刑事部

平成30年(う)第387号

傷害被告事件

主文
原判決を破棄する
被告人は無罪

第1
1由
控訴審における訴訟当事者の主張内容
本件控訴の趣意は,主任弁護人秋田真志,弁護人我妻路人及び同月田
紗緒里連名作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載のとおりであるから,これらを引用する。論旨は,後述する内容の事実誤認の主張である。2
検察官の答弁は,検察官田中嘉寿子作成の答弁書及び答弁書(補足)
に記載のとおりであるから,これらを引用する。
3
当審における事実取調べを経た後の前記弁護人ら及び検察官の弁論は,
順に,前記弁護人ら連名作成の弁護人ら控訴審弁論と題する書面及び前記検察官作成の弁論と題する書面のとおりであるから,これらを引用する。
第2
1
本件被告事件の構造
原判決は,公訴事実で同一の日のうち幅のある記載がなされていた時
間の点につき,より特定する認定をしたものの,その余は公訴事実と同様の傷害罪の犯罪事実を認定して有罪を認め,被告人を懲役3年,執行猶予5年に処した。原判示の罪となるべき事実は,次のとおりである。
被告人は,平成26年12月18日午後6時頃,大阪市f区hi丁目j番k号甲マンション×××号の当時の被告人方において,その実子である被害児(平成26年11月5日生)に対し,その身体を揺さぶるなどの方法により,同人の頭部に衝撃を与える暴行を加え,よって,同人に回復見込みのない遷延性意識障害を伴う急性硬膜下血腫等の傷害を負わせた。
2
本件時,生後約1か月半であった被害児は,その体調に急変があった
として直後に被告人が行った119番通報に基づく救急搬送の際,既に心肺停止に陥っており,その後心拍が再開し,自発呼吸もわずかに再開したが,人工呼吸の維持に頼ることとなり,意識が回復しないまま継続的に入院治療を受けるも,控訴審係属後の平成30年10月20日に死亡した。3
原審以来,検察官は,有罪の主張の内容として,次のとおりの主張を
具体的に明示している。すなわち,被害児に生じた傷害について,急性硬膜下血腫とともに一次性脳実質損傷が生じ,続いて二次性脳損傷が生じて心肺停止に至り,低酸素脳症が生じた結果,遷延性意識障害を来したものとした上(以下,この主張を主張①という。),これらの傷害は,被害児の身体を故意に揺さぶるなどの行為がなければ生じ得ないところ,被告人以外にこの行為をなし得た者はいない(以下,この主張を主張②という。),というのである。
4
検察官の主張①及び主張②の詳細は次のとおりである。⑴

主張①の関連で,被害児の急性硬膜下血腫は,血腫の量がさほど多
くなく,直ちに脳ヘルニアひいては心肺停止をもたらす程度ではなかったとし(以下,この主張を主張aという。),ただし,複数個所にあった急性硬膜下血腫は,4本以上の架橋静脈が剪断して生じたものであるとし(以下,この主張を主張bという。),併せて,被害児には,二次性脳損傷に含まれる脳浮腫が生じて急速に進行していたという
(以下,
この主張を
主張cという。)。
他方で,被害児には,誤嚥性肺炎の所見があったところ,誤嚥に基づく窒息による低酸素脳症でも脳浮腫は生じ得るが,脳浮腫に先行して窒息が介在した可能性は否定されるとし(以下,この主張を主張dという。),その根拠として,被害児の頭部のCT画像上,低吸収域を呈するまでの時間が短く,脳浮腫が急速に進行していることを指摘し(以下,この指摘を根拠xという。),また,脳浮腫が生じる以前に誤嚥が生じていた痕跡は見当たらず,被害児に対する救急搬送時の心臓マッサージ等の措置により事後的に誤嚥が生じたと考えられることを指摘する(以下,この指摘を根拠yという。)。
以上の主張aからdの内容が,関係証拠で裏付けられるとし,これらに基づくと,被害児には,架橋静脈の同時多発的な剪断とともに,広範囲の一次性脳実質損傷に当たるびまん性軸索損傷が生じ,更にこれに起因する二次性脳損傷(外傷性脳浮腫)が生じ,よって心肺停止に陥り,低酸素脳症に至って,遷延性意識障害という公訴事実の傷害を負ったことが証明される,というのである(この結論をいう主張を主張eという。)。


続いて,主張②の関連では,前記の架橋静脈の同時多発的な剪断及
びびまん性軸索損傷は,脳全体に強いゆがみを生じさせる回転性外力,すなわち,揺さぶり行為が加わったのでなければ生じ得ないから,同行為の存在が推認できるとともに,同行為は,本件当時,現場に居合わせた被告人の長男(当時2歳6か月)にはなし得ないものである以上,被告人以外に主体はあり得ないのであって,被告人を主体とする揺さぶり行為の存在が証明される,というのである。
5
原審以来,
検察官の主張①のうち,
主張a及びcの内容に争いはない。

そして,原判決は,根拠xは採用できないとしつつ,根拠yを採用し,これに基づいて主張dは採用できると判断した。また,主張bについても概ね採用し,主張eを採用できると判断し,主張①のとおりの傷害発生の機序であったと推認している。
6
続いて,原判決は,検察官の主張②について,主張のとおりに回転性
外力が加わったことに基づく架橋静脈の剪断や,びまん性軸索損傷の発症を推認できるとし,また,この回転性外力をもたらす揺さぶり行為を長男がなし得たとは考えられないとし,その行為をなし得たのは被告人のみであると
判断して,主張②を採用した。このようにして,原判示の罪となるべき事実の認定に至ったものと解される。
7
被告人及び弁護人は,原審以来,原判示の暴行の存在を否認し,事件
性,犯人性を争って無罪を主張しており,本件控訴の趣意でも同様である。すなわち,
論旨は,
原判示の揺さぶるなどの方法の暴行の存在を認定した点,
及び,被告人がその暴行の主体であると認定した点のそれぞれにおいて,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。


本件控訴の趣意における具体的な主張内容をみると,検察官の主張
①にいう4本以上の架橋静脈の同時多発的な剪断が生じた事実はなく,脳表の微小血管の損傷等の別の原因で急性硬膜下血腫が生じた可能性が否定できないとし(主張b関連),また,脳浮腫は,ミルクの誤嚥などに基づく窒息等が先に介在し,これにより心肺停止及び低酸素脳症がもたらされたという機序であった可能性が否定できず(主張d関連),びまん性軸索損傷が生じた事実は認められない(主張e関連),というのである。


続いて,検察官の主張②については,前記の架橋静脈の同時多発的
な剪断及びびまん性軸索損傷が認められない以上,これに見合う回転性外力の存在は認められず,また,架橋静脈の剪断が一部に想定できるとしても,並存していた慢性硬膜下血腫等により架橋静脈が伸展していたために容易に剪断して急性硬膜下血腫が生じた可能を否定できないとし,要するに,急性硬膜下血腫等の存在から,強い回転性外力を加える揺さぶり行為があったと推認することはできないとし,他方で,長男が被害児を床に落としたとする被告人の供述内容のとおりの機序でも説明が可能であるから,主張②は当たらない,というのである。


そして,被告人の供述書,陳述書及び原審公判供述のうち,争点に
関連する主要な供述内容を,他の関係証拠の内容と併せて整えると,次のと
おりである
すなわち,被告人は,被害児の出生に先立ち,会社勤めの夫及び平成24年6月生まれの長男と共同住宅で同居していたが,活発な長男が家電製品等を壊すほか,机に上ったり床を踏み鳴らしたりするため,近隣からその騒音に係る苦情を受けることが続き,引っ越しを重ねて原判示共同住宅の2階の一室に転居していた。平成26年11月5日に被害児が出生し,同月15日に実家から自宅に戻った被告人は,夫が不在にする日中の時間帯も含めて,主婦の立場で長男及び被害児の養育を担当していたが,被害児は哺乳力が弱く,吐き戻しが多いほか,よく泣く乳児であった。同月27日,長男が椅子を使ってベビーベッドの中に入り,高さ約80センチメートルの同ベッドから被害児を落とす出来事があったため,被告人は,同日午後8時18分に小児救急電話相談でその旨を伝えて相談したが,結局,被害児に特段の異状はなかったため,それ以上の対応はしなかった。しかし,その後も,長男は,玩具で被害児の頭を叩いたり,沐浴前に風呂場近くで寝かせている被害児の足を引っ張り,10センチメートルほどの段差から落としたり,あるいは被害児を抱き上げて洗濯籠に入れたりすることがあった。これらについては,上記ベビーベッドの一件後,次に同じようなことがあれば長男を滋賀県の実家に預ける話が出ていたことから,夫には話しておらず,同年12月9日の1か月児健康診査でも正確に話してはおらず,単に長男が被害児を噛んだり叩いたりする旨を伝え,同月17日に発達状態確認のために助産師が来訪した際にも同様の相談をするにとどめたが,上の子はやきもちを焼くものであると言われて終わっていた。本件当日である同月18日,午後4時過ぎに長男を連れて買い物に出掛けた後,午後4時半頃に帰宅し,被害児にミルクを飲ませるなどして過ごし,床に座って遊ぶ長男のところに被害児を連れてきて抱きまねをさせてあげた上,付近の片づけをしていると,やがて,長男が被害児を床に放り投げたのに気づき,泣き出した被害児を抱き上げた。その
際,床上の頭があった辺りにミルクの痰のようなものが落ちており,ティッシュで拭いてゴミ箱に捨てた。泣き続ける被害児のおむつを交換し,横抱きにしていると急に泣き止み,顔色が真っ白になり,唇も白くなり,チアノーゼ同様の状態になったため,その身体を縦抱きにして自分の肩にもたれかけさせ,被害児の背中を叩いたが状態は変わらず,午後6時頃,携帯電話で119番に通報した。通報先に状況を説明している際も,被害児を縦抱きにしていたが,やがて救急搬送に備え,外出の準備をするためにいったん被害児をテーブルに寝かせ置き,しばらく離れてから戻ると,長男が被害児の足を引っ張ってその身体を床に落としていた。その頃,救急隊が到着し,被害児を引き渡して救急車による搬送に付き添った。以上が,被告人の供述内容の概要である。
なお,
被害児は,
助産師来訪の時点で身長56センチメートル,
体重4800グラムであり,長男は,同月22日の時点で身長92.7センチメートル,体重15.3キログラムである。長男については,自閉症スペクトラムと注意欠陥多動性障害(ADHD)の合併があるとの診断が示されている。
第3

当裁判所の判断

1
争点に係る事実認定の特徴と,これを踏まえた判断の結論


関係証拠によれば,検察官主張のびまん性軸索損傷は,MRI画像
診断や病理解剖によりその存在等をとらえられるものであるが,本件ではいずれの資料も得られていないため,存在等が明確になっておらず,これを認定するには,ほかの手掛かりから推認を働かせるほかない。


また,急性硬膜下血腫は,CT画像診断によりその存在及び血腫量
等をとらえられるものであり,本件でも関連の情報が得られているが,開頭手術等が行われていないために詳細は判明せず,特に,出血源が架橋静脈の剪断であるか否かの点を含め,これらを認定するには,推認を働かせるほかない。



検察官の立証は,びまん性軸索損傷及び架橋静脈の同時多発的な剪
断の存在をそれぞれ推認させようとし,それらの存在により,回転性外力が頭部に加わったこと,すなわち,被害児に対する揺さぶり行為の存在を推認させようとし,その揺さぶり行為をなし得たのは被告人以外に考えられないとして,有罪の推認を導こうとするものである。


以上のとおり推認を重ねる手法は,家庭内で乳幼児に重い傷害の結
果が生じた本件のような事案の端緒において,関係機関が虐待の可能性を想定して対処を検討する場面でもとられると考えられるが,その事案につき刑事訴追がなされ,有罪無罪を見極める刑事裁判に至った場合,判断者は,推認に推認を重ねていくという誤りが介在しやすい構造の事実認定を迫られていることに鑑み,推認を妨げる事情に特に注意を払い,そのような事情を想定することが不合理であるとして排斥できるかどうかを慎重に検討する必要がある。


また,推認の過程で専門家たる医師の見解が重要な証拠資料となる
本件においては,特に,有罪の推認を妨げる事情について,これを否定する医師の見解に対し,
否定の根拠に疑問が残らないかよく吟味する必要があり,
推認を妨げる事情を指摘する別の医師の見解が対立する場合は尚更である。幾つかの疾病が想定される場合に,最も蓋然性が高いものを念頭に医療措置を試みることが多いとうかがわれる医師の通常業務とは異なり,刑事裁判で有罪を導く推認の根拠となるべき医師の見解は,その推認を妨げる事情の存在を説得的に否定できる証拠内容を伴っていなければならない。その審査に当たっては,論理矛盾の有無はもとより,重要な客観的資料等を看過しているなどの瑕疵の有無を検討し,あるいは,直接の経験も乏しい中,不確かな伝聞の類に依存し過ぎている難点の有無等を,点検する必要があると考えられる。医師の専門的知識や知見は,刑事裁判における事実認定を左右する重要な意味を有することが少なくないところ,そうであるからこそ,審理,判
断においては,合理的な疑いを容れない立証が必要であるという基本に立ち返り,上記のとおり医師の見解に対する厳密な審査が求められる。⑹

このような観点で調査を経たところ,原判決の判断は,検察官の主
張①の関連で,事前に窒息が介在した可能性を排斥して主張dを採用した点に誤りがある。
続いて,架橋静脈の同時多発的な剪断をいう主張bを採用した点でも,その剪断の有無及び程度に係る認定に誤りがある。
そうすると,主張eが採用できない結果,主張①は採り得ない結論になるのに,これに反する認定をした原判決には事実誤認がある。
さらに,検察官の主張②の関連では,上記のとおり,びまん性軸索損傷の認定及び架橋静脈の剪断の程度等の認定がそれぞれ誤っていることを踏まえ,また,控訴趣意が指摘する架橋静脈の伸展の可能性等を考慮すると,揺さぶり行為そのものが認定できず,他方で,長男が被害児を床に落下させたためにその頭蓋内に損傷が生じた可能性を否定できないから,結局,被告人以外に行為の主体があり得ないと認定した点にも事実誤認がある。
検察官の答弁及び弁論における主張は,原審以来の主張を維持し,原判決の判断を支持するものであったが,当審において敷えんされた主張を含めて検討しても,採用できないものと判断した。
以下,理由を詳述する。
2
当裁判所の判断の詳細な理由


被害児の心肺停止及び脳浮腫が,誤嚥等に基づく窒息で生じた可能
性の有無について(主張①d)
控訴趣意の所論は,被害児に誤嚥等に基づく窒息が介在していた可能性につき,これを原判決が排斥できていないと論難するので,以下,検討する。所論は,要するに,急速な脳浮腫の進行は,虚血に伴う低酸素脳症によっても生じるから,びまん性軸索損傷の存在を示す徴表とはいえないと主張した
上,救命措置の前にミルクの誤嚥があったことを示す痕跡がない旨の原判決の説示は,全般にわたり,疑いが残るはずの部分に対し恣意的に都合のよい推測を並べるものであると批判する主張であった。

まず,この関連で,原判決は,小児科医であるA医師の原審証言

において,救急搬送先で撮影された被害児のCT画像上,低吸収域を呈するまでの時間が短く,脳浮腫が急速に進行していることをいう根拠xを掲げる部分の信用性を否定した。すなわち,A医師は,被害児にみられた急速な脳浮腫の進行は,一次性脳実質損傷に含まれるびまん性軸索損傷が生じた場合の症状と合致するのに対し,窒息が介在していた場合とは合致しないと証言するが,原判決は,小児科医であるB医師の原審証言において,完全な窒息の場合には急速な脳浮腫が生じる旨述べられていることと整合しない旨の正当な指摘をしている。付言すると,A医師は,低酸素脳症により脳浮腫が進行する場合の画像上の発現が早くはないとする実例として,インフルエンザ脳症等の内科疾患を挙げるにとどまる。これらの内科疾患に係る指摘は,炎症がゆっくり進むため脳浮腫の進行もこれに見合うものとなる旨述べるB医師の証言と整合するが,窒息によって低酸素脳症が生じる場合の分析については,結局,説明が尽くされていない。また,A医師は,CT画像上,乳児の未熟な脳の急性壊死がどのように進行するのかについては十分な検討がなされておらず,正確な時間経過の情報を得ることは困難であるとの医学文献上の見解に賛同すると述べつつ,脳細胞のレベルで壊死に陥ることと,それがCT画像上に現れるかどうかは別であるとし,後者は時間が掛かる旨を証言するが,説得力が十分ではない。

そこで,原判決は,窒息が介在した場合,特に,完全な窒息が生

じた場合にも,脳浮腫の急速な進行はあり得ると述べるB医師の証言を前提として検討し,原審弁護人が提起したミルクの誤嚥に基づく窒息介在の可能性を検討している。関連して,B医師は,救急隊到着後にミルクの嘔吐がみ
られたものであり,嘔吐に続いて急変を生じたのではないと指摘し,また,救急隊到着時に被害児の口の周りにはミルクがない状態で,主気管支が完全閉塞するほどのミルクが主気管支の中に入り込んでいるという状態は考えにくいと指摘しており,原判決の検討も,これらの指摘と同様の着眼点で行われているところ,その検討結果を示す原判決の説示は,要旨,次の①から⑥のとおりである。


被告人からの救急通報に基づき,その自宅に臨場した救急隊員Cの捜
査段階供述及び原審証言によれば,臨場後の本件当日午後6時8分頃,顔面蒼白の状態の被害児を被告人から受け取り,被害児が心肺停止の状態にあると判断し,同日午後6時10分に救急車内に収容後,バッグバルブマスクを用いた人工呼吸及び心臓マッサージを実施したが,その際,口腔内の異物の有無を確かめるも異物の存在は全く認められず,人工呼吸により被害児の胸の上がり下がりが認められ,気管は閉塞しておらず,肺に空気が入っていることが確認された。②

Cの原審証言によれば,人工呼吸の最中に,被害児

の右の口角からミルク様の水溶液が流れ出たため,口腔内の吸引処置がとられたが,その水溶液はさらっとした性状であり,複数回実施された吸引の結果,同日午後6時31分に病院に到着して医師に引き継がれるまでの間に,約40ccのミルクが吸引された。③

そうすると,被害児が,あらかじめ

ミルクを嘔吐してこれを誤嚥し,気道閉塞を生じて心肺停止状態になり,その状態が20分以上継続した結果,低酸素脳症に陥った可能性を想定しようとしても,具体的な可能性があるものとしてはとらえられない。すなわち,一般的に,胃内容物を嘔吐した場合は,口腔内にまで吐物が戻ってくるのが通常であるところ,上記の想定が成り立つには,嘔吐したミルクが咽頭に至った後,喉頭蓋の下にとどまり,口腔内にまではあふれ出ず,喉頭を通って気管へ流れ込み,そこで気道を閉塞させ,その後,バッグバルブマスクによる加圧に対しては気道閉塞状態を維持しなかったということになるが,乳児
の喉頭蓋が大きいことを踏まえても,以上のとおりの微妙な事態が現実的に生じ得るとは直ちに考え難い。④

人工呼吸の最中に被害児の口から流れ出

たミルク様の水溶液は,気道や肺から排出されたものではなく,胸骨圧迫時に,胃から排出されたものと考えられるところ,それがさらっとした性状であったことに照らすと,その数十分前に被害児が嘔吐したミルクだけが胃酸等と反応してやや凝固しており,気道閉塞を来していたということも考え難い。⑤

被害児の嘔吐したミルクが口腔内にまではあふれ出ずに気道を閉塞
させた可能性は否定されないとする医師の証言もあるが,そのような具体的な症例があったことは示されておらず,どの程度現実的,合理的なものであるのか明らかではない。⑥

人工呼吸前に口腔内に異物が認められなかった

ことや,被害児が人工呼吸中に嘔吐したことを踏まえると,被害児の胸部CT画像上の肺に誤嚥性肺炎の所見が認められたのは,複数の医師の原審証言において現実によく見られる事象であると述べられているとおり,心臓マッサージ等による胸骨圧迫によって胃内容物の嘔吐が生じ,人工呼吸によってその嘔吐物が気管内に流れ込むという機序によるものであると考えられる。ウ
以上,要するに,原判決は,被害児が事前にミルクを嘔吐し誤嚥

したとみるのに整合する痕跡がないと分析し,その嘔吐からの誤嚥及び窒息の可能性を否定し,排斥したものと解されるが,その分析及び考察には,以下の理由で賛同できない。
まず,原審に現れた医師の証言を通覧すると,嘔吐の場合に吐
物が口腔内に戻ってくるのが一般的であると述べられていたが,他方で,口腔の手前の咽頭の辺りまで戻るにとどまることもあり得る旨の証言も存在しており,この点は,事柄の性質にも照らし,後者の証言が指摘する可能性を一概に排斥するのは難しいと考えられる。原判決も,説示に照らし,咽頭の辺りまで戻るにとどまる嘔吐自体があり得ないと断じたものではないと解される。

ところで,被害児は,生後約1か月半の,首も据わっていない
乳児であるから,その体調の急変に気付いた被告人はもとより,臨場したCら救急隊員においても,被害児の身体をうつ伏せの体勢にしてその口を地面に向けさせるなどの動きを加えたとは想定し難い。実際,被告人方のある共同住宅に設置の防犯カメラの映像上,搬送時,救急隊員は,被害児の身体を仰向けの体勢にし,平らに支え持つようにして運んでいたと認められる。そうすると,口腔よりも奥まった位置関係となる被害児の咽頭部ないし気道の辺りに嘔吐したミルクが貯留し,喉頭蓋に隠れるようにして見えなかったと想定することについて,これらに現実味がないとは断定し難い。乳児の気道は,その直径が4ないし5ミリメートル程度にとどまると認められ,この気道を閉塞させるのに足りるミルクの量は多くはないと考えられるから,そのようにして少量のミルクが咽頭部ないし気道の辺りに存在していたとすれば,やはりその視認は難しいと考えられるのであって,この点は,C救急隊員の原審証言においても,喉の奥まで目視して異物がないことを確認したわけではない旨の供述が現れている。
それにもかかわらず,原判決が,事前のミルクの誤嚥及び窒息
の可能性を否定したのは,(a)

人工呼吸の最中に流れ出たミルクに粘性が

なかった以上,それ以前に誤嚥したことを想定する場合のミルクも同様の性状であったと考えることになるが,そのような性状のミルクが喉頭蓋の下にとどまり,
気管を閉塞させていたと考えることに不自然さがあるとし,
また,
(b)

その後のバッグバルブマスクによる空気注入に対し閉塞を保てず,円
滑に気管から排除されてしまったと考えることにも不自然さがあるとの心証をいうものと解される。原判決は,これらの不自然さを抱えることとなる上記窒息等の想定について,微妙な事態を想定するものであると表現し,そのような想定をするのは合理的な疑いをいうものではない旨の判断をしたと解される。この判断を支持する検察官も,バッグバルブマスクによる加圧は,
空気が入らない状態を経てから圧力が増して初めて肺に空気が入るという状態ではなかったから,気道がミルクで閉塞していたとは考えられないと当審で指摘しており(同旨の内容が当審におけるB医師の証言にも現れる。),それでも,事前の閉塞の可能性を両立させようとすれば,嘔吐されたミルクにより気道閉塞を生じつつ加圧に対し一瞬も閉塞を維持しなかったなどという想定をするほかないが,
これは,
微妙な閉塞の仕方をいうものであるとし,
同旨をいう原判決の説示は正当であると主張している。
しかし,原判決が着目したとみられる(a)の不自然さの点,す
なわち,粘性のないミルクの貯留とこれによる閉塞の実現性については,記録に現れている医師の証言等の関係証拠の内容を確かめる必要がある。すなわち,乳児に係る一般的な事柄として,日常的に嘔吐や
誤嚥を頻繁に起こしがちであることが,原審で出廷した医師らの証言において重ねて述べられており,その内容に疑問を差し挟む余地はないといえる。また,そのようにして乳児がミルクを誤嚥することにより,窒息に至る場合があり得ることについては,同様に出廷した複数の医師が,格別ミルクの性状に応じた留保を付することなく,その可能性を肯定する証言をしているのであり,原審で取り調べられた医学文献にも,流動性のあるミルクでは気道閉塞が生じない旨を記載したものは見当たらない。前述のとおり,乳児の気道が非常に細いものであることを踏まえると,これらの関係証拠の内容は,流動性のあるミルクであっても,それを嘔吐した乳児の気道を閉塞させる可能性を示すものとみるのが相当である。
そうすると,この点に関する原判決の説示が,粘性のないミルクを嘔吐した場合にこれによる気道閉塞はあり得ないとの理解に立つものであるとすれば,そのような理解は,関係証拠の内容と整合しないものといわざるを得ない。
あるいは,原判決の説示が,粘性のないミルクについて,そ

れが被害児の喉頭蓋の下にとどまっていたと想定することに疑問を呈し,そのような想定を成り立たせる具体的な痕跡がないことを指し示すものであるなら,この点に関し,救急搬送後の被害児の気管から膿性痰が回収されている事実を指摘できる。この痰の回収は,救急搬送後の本件当日午後11時35分頃,気管挿管の処置を行う際のものであるところ,いったん胃の中に入ったミルクが胃酸と混じって変色し,液体よりもやや流動性が失われた状態になったとみられる痰であったと認められる。この事実について,粘性のないミルクが心臓マッサージの機会に胃から逆流し,心肺停止の状態にある被害児がこれを誤嚥して,その気管内でこの膿性痰が生成されたとみるのが必定であるとする証拠は見当たらない。むしろ,救命措置以前の段階で,胃の中にあったミルクが気管に入って膿性痰が生成されており,呼吸の妨げとなりかねないこの膿性痰があらかじめ存在したために,気道を狭めていた可能性も否定できないと考えられるし,これに続いてミルクが気道に入ったのであれば,膿性痰の存在と合わさって閉塞が生じることも想定可能と考えられるのであって,この想定が成り立たないことを示す証拠は見当たらない。人工呼吸の最中に被害児の胃から排出されたと考えられるミルクに粘性がなかった以上,その数十分前に被害児が嘔吐したミルクだけが胃酸等と反応してやや凝固していたとは考え難いという原判決の指摘については,原審弁護人の弁論でも主張されていた膿性痰の存在を踏まえれば,粘性のないミルクでも気道閉塞があり得るのではないかとの疑問が生じるのに,これを払拭できていないとの評価が当てはまるといえる。
また,救命措置よりも前の時点で,被害児の胃の中には,直
近で授乳し未だ粘性がないミルクのほかにも,それ以前に授乳して胃酸との反応により既に粘性を帯びているものの消化し切れていないミルクが一部残存していて,両方が混在しており,被害児がその状態のミルクを嘔吐し,これを誤嚥したという事態を考えれば,嘔吐したミルク全部に粘性がなかった
かのようにいう原判決の前提自体が確かなものであるとも言い難い。この考察と整合するようにして,脳神経外科医であるD医師は,流動性が失われたミルクが気道に入った可能性についても念頭に置きつつ,最初に胃の中のミルクが気管に入り,
肺にも入って換気が悪くなり,
やがて低酸素状態に陥り,
その後間もなく心肺停止に至ったものと考えられる旨述べている。以上のとおりに事前の痰の生成やミルクの性状に係る検討
を進めてみると,被害児の細い気管内に膿性痰が存在したことなどの影響により,咽頭部ないし気道の辺りに誤嚥したミルクが貯留し,これと相まって閉塞が生じていたと考えることについて,
直ちに現実味がないとは言い難い。
また,原判決が着目したとみられる(b)の不自然さの点,すな
わち,バッグバルブマスクによる空気注入に対しミルクが閉塞を保てず,円滑に気管から排除されたと考えることの当否については,次の指摘が可能である。まず,原判決は,E医師及びF医師の原審証言を根拠に,心臓マッサージ等による胸骨圧迫によって,胃内容物の嘔吐が生じ,人工呼吸によってその嘔吐物が気管内に流れ込むことは,現実によく見られることであるから,被害児の両肺の誤嚥所見は,胸骨圧迫時に逆流したミルクを誤嚥したことによるものと判断しており,検察官もこれを正当として支持している。このようにミルクの誤嚥について,もっぱら原判決及び検察官が想定するとおりの,救命措置時の胃からの排出及びその後の気道への流入という上記の機序で生じたことを前提とした場合にも,被害児の口から流れ出て吸引されたミルクの分量に照らし,人工呼吸が行われている際,細い気道を閉塞させるに足りる程度のミルクが咽頭部ないし気道の辺りに存在し,その一部によって一時的にせよ気道を閉塞させる状態が生じたことは十分に想定できるのに,バッグバルブマスクによる空気注入が途中で妨げられたことを示す事実関係は現れていないから,ミルクが気道を閉塞していれば空気注入を妨げるはずであるとの前提が必ず成り立つとは認め難いというべきである。のみな
らず,バッグバルブマスクは肺内に空気を入れることができる程度の圧力を加えて使用するものであるところ,救命措置が行われる以前から,流動性のあるミルクが被害児の相当に細い気道を閉塞させるに足りる程度の少量,咽頭部ないし気道の辺りに貯留していたからといって,少なくとも必死で作業をしている救急隊員が明確に感知できるほどに空気注入が妨げられるとも考えられない。なお,被害児の気管から回収された膿性痰は,気管にへばりついた状態であったため,バッグバルブマスクの加圧によっても気管から排除されなかったという想定が可能である。

次に,窒息の可能性については,原判決も言及し,その可能性を

否定している舌根沈下の関連で,より踏み込んだ吟味が必要であると考えられる。
関係証拠によれば,舌根沈下は,意識低下を来した場合に舌の
根の部分が落ち込んで気道を塞ぐものであるところ,この点に関する原判決の説示は,要旨,次のとおりである。
すなわち,原判決は,前記のとおり,事前にミルクの嘔吐があってこれが喉頭蓋の下にとどまり,気管へ流れ込んで気道を閉塞させたという微妙な事態が生じたとは考え難いなどとする説示をし,また,低酸素脳症の原因に挙げられるとして原審弁護人が指摘したところの,胃食道逆流や誤嚥に基づく喉頭けいれん及び気管支けいれんによる気道閉塞のほか,乳幼児突然死症候群等にみられる無呼吸などについて検討し,これらがあったとみるべき具体的可能性はないと説示した上,同様に指摘されていた舌根沈下に関しても,

被害児において,本件当時に急性硬膜下血腫及び一次性脳実質損傷が生じた以外の原因によって,意識低下が生じた具体的事情はうかがわれず,弁護人の指摘は抽象論の域を出ない。

と説示した。また,原判決は,被害児の搬送先でその救命措置を担当したF医師の原審証言に言及し,F医師は舌根沈下により被害児の気道が閉塞した可能性を指摘するが,同医師は被害児の病態を総合的に判断した上で,成人が加えた外力による頭部外傷を前提とした意識障害の結果として舌根沈下が起きた可能性について供述しており,原審弁護人の主張の裏付けとなるものではない。と説示している。しかし,F医師は,被害児の重篤な頭部外傷が引き金になって
意識レベルが低下することにより舌根沈下等を生じ,これにより窒息を生じた結果,心肺停止に陥ったとの分析内容を証言するところ,併せて,その証言にいう頭部外傷の程度について,同医師は,被害児にみられた急性硬膜下血腫又は脳挫傷のいずれか一方が存在するだけでも重症の頭部外傷に位置付けられるとの証言をしている。また,同医師は,その成因として,被害児が長男により落下させられたことが当てはまるかどうかを問う質問に対しては,考えにくいと答えつつ,成因を整合する作業をしていないから断定的なことは言えないと証言しており,結局,成人が外力を加えて急性硬膜下血腫等を生じさせた場合の意識低下でなければ舌根沈下が起こり得ないなどという証言はしておらず,単に,急性硬膜下血腫が生じればそれは重篤な頭部外傷に当たり,これにより意識低下を招いて舌根沈下が起こり得る,と証言したものと読み取れる。この点は,原審裁判体が補充尋問で確かめていたと認められるし,原審弁護人の弁論でも,同証言にいう意識レベルの低下とは,昏睡レベルの意識障害を念頭に置くものではない旨の指摘がなされていたものであるが,これらと相反することとなった原判決の証言の理解には,誤りがあるといわざるを得ない。
そうすると,F医師の証言は,急性硬膜下血腫又は脳挫傷のい
ずれかが存在すれば,これによる意識低下の,ひいては舌根沈下の発生の可能性が否定できないとする内容と理解するのが正しいのであるが,そうであるなら,

本件当時に急性硬膜下血腫及び一次性脳実質損傷が生じた以外の原因によって,意識低下が生じた具体的事情はうかがわれず,弁護人の指摘は抽象論の域を出ない。

と指摘して舌根沈下が生じた可能性を否定した原
判決の前記説示には,重大な瑕疵がある。急性硬膜下血腫の存在に争いはなく,その成因が争われている本件において,検察官主張のとおりに同血腫の発生と併せて一次性脳実質損傷が生じたか否かを検討するために,その存在の徴表として位置付けられる急速な脳浮腫につき,これを導いた別の要因として窒息が介在していた可能性を検討し,その一つの要因として舌根沈下が生じた可能性を検討し,この可能性を否定できるかどうかを検討している論証のはずであるが,存在が明らかな急性硬膜下血腫と,これに関連するF医師の証言内容を組み合わせれば,結局,同血腫の存在それ自体から被害児に意識低下が生じ,ひいては舌根沈下が生じ,窒息が生じていた可能性を否定できなくなる。そうすると,急速な脳浮腫が生じた原因につき,消去法が働いて一次性脳実質損傷の想定のみが残るわけではないのに,逆の結論を導いた原判決の論理は,破綻しているというほかない。原判決も,救急診療科の医長を務め,救急診療の経験が豊富で,説明内容に不合理さが見当たらないF医師の証言については,その信用性を肯定し,それゆえ,同証言を証拠の標目に掲げたものと解されるところ,そうであるなら,やはり前記の論理には破綻があるといわざるを得ない。
この点に関連して,A医師は,脳実質損傷がなければ舌根沈下
による窒息は起こり得ない旨の証言をしているが,前記のとおり,同医師の証言は,重要部分でB医師の証言との間に食い違いを呈しているし,有罪の推認を妨げる事情を否定するに当たり,説得的な理由を付さない内容であった。そもそも,舌根沈下の仕組みに照らし,脳実質損傷に至らない頭部損傷であっても一定程度の意識低下が生じさえすれば,やはり舌根沈下が起こるとの結論はあり得るのではないかと考えられるところであり,現に,F医師はその旨の証言をしているのに,これを否定する説得的な理由がA医師の証言には含まれておらず,その証言に依拠して舌根沈下が生じた可能性を否定することはできない。

F医師の証言にいう舌根沈下が生じた可能性は,ほかの医師の
原審証言でも述べられており,また,原審弁護人が提出した各種の医学文献のうちにも,被害児に生じていた急性硬膜下血腫の存在それ自体がもたらす症状として,嘔吐,顔面蒼白等のほか,意識消失を掲げるものが複数認められる。これらを総合すると,急性硬膜下血腫の存在に争いがない本件においては,それがもたらす症状として意識低下が生じ,よって舌根沈下が生じた可能性を否定するのは困難であるし,併せて,同じく症状の一つとされているところの,事前に嘔吐が生じていた可能性についても,より一層検討を要するものとして位置付けられる。

さらに,ミルクの誤嚥や舌根沈下による窒息の可能性を検討する

に当たっては,原判決が,関係証拠上,被害児の頭部に認められた損傷として,急性硬膜下血腫以外のものを認定し,それらの存在を前提にしていることを挙げなければならない。
すなわち,原判決の摘示によれば,救急搬送後の被害児の頭部
には,複数の急性硬膜下血腫のほかに,左右前頭部から側頭部にわたって慢性硬膜下血腫があり,左右頭頂骨骨折があり,更に右側前頭葉の一部には陳旧性の白質裂傷があったとされているところ,関係証拠によれば,慢性硬膜下血腫以下の損傷は,その性状に照らし,本件時に生じたものとは断定できず,
一定期間を遡る時期に生じていたとみて整合するものと認められ,また,
それらの損傷が被告人の供述に現れるとおりの11月27日の出来事で生じたとみて矛盾しないかについても,わずかに白質裂傷に関してB医師とE医師が否定的な意見を述べる以外は,複数の医師の原審証言において,矛盾しない旨の肯定する意見が述べられている。
これらを前提とすると,生後約1か月半の被害児の頭部に対し,上記骨折等を生じさせる衝撃が前もって加わり,その際の出血が慢性硬膜下血腫として残存し,白質裂傷も生じていたところ,加えて,本件時,少なくとも急性
硬膜下血腫を生じるほどの何らかの外因が介在したと認めることになる。そして,上記骨折等の先行の損傷についても,その存在により身体に様々な不調,具体的には,運動麻痺,平衡障害,意識障害,頭痛,嘔吐,痙攣,瞳孔不同等が生じ得ることや,それらが大きく遅れて発現する可能性もあることを指し示す医学文献が,記録中に含まれている。
そうすると,本件時,これらの損傷が合わさって存在した被害
児の身体に同様の症状が現れた可能性がないとはいえず,むしろ,その未熟な頭部にこれほどの損傷が存在していた以上,それらによる症状が現れたと想定する方が自然であって,あらかじめ嘔吐を生じてミルクを誤嚥した可能性はもとより,意識低下を来して舌根沈下を生じた可能性についても,考察の範囲に含めるのが当然というべきである。前述のとおり,日常的に嘔吐や誤嚥を頻繁に起こしがちな乳児に該当し,かつ,急性硬膜下血腫等が存在した被害児については,より一層,嘔吐や舌根沈下を生じた可能性を検討すべきであり,これらが並存した可能性についても,検討対象になると考えられるのであって,現に,F医師は,誤嚥したミルクによる気道閉塞と,舌根沈下による気道閉塞の可能性を並列して掲げ,これらの並存を否定していないと解される。
この点については,当審における事実取調べとして実施した脳神経外科医であるG医師の証人尋問でも,舌根沈下を生じていた可能性に係る証言が得られており,
急性硬膜下血腫の存在そのものから意識障害が生じ得ることや,
前もって存在した慢性硬膜下血腫に急性硬膜下血腫が加わり,これらによって意識障害や痙攣等が起こり得ることが述べられ,それらの意識障害により舌根沈下を生じる事態も考えられると述べられている。併せて,舌根沈下のみであれば数十分,数時間放置した場合に呼吸停止に至る可能性があると考えられ,舌根沈下と合わせてミルクの誤嚥があったとすれば,本件の被害児の容態の推移が説明できると述べられている。加えて,舌が大きい乳児にお
いて更に舌根沈下を生じていたとすれば,救急隊員が口腔の奥までのぞくことは不可能であったと考えられる旨が述べられ,その蘇生措置の際に喉頭展開をし,顎を上げさせれば舌根沈下は解除され,その後にバッグバルブマスクで気道に空気の注入を行えば胸が上がり,
換気が可能になる旨が述べられ,
各種の事実関係と整合する内容が述べられている。
これらの証言の信用性を否定できる証拠は見当たらないから,舌根沈下やミルクの誤嚥が生じていた可能性は,やはり排斥できないものというべきである。

以上の検討を踏まえて,前述の膿性痰の存在と合わさったミルク

による気道閉塞と,舌根沈下が重なって生じていたことを想定すると,咽頭部ないし気道の辺りに貯留する少量のミルクを覆うようにして舌の根が落ち込むとすれば,閉塞が強まることになると考えられるから,必ずしも微妙な貯留ないし閉塞であるとはいえない。また,バッグバルブマスクによる空気注入に先立つ気道確保に従って舌根沈下が解除され,咽頭部ないし気道の辺りに残る少量のミルクが空気とともに押し込まれ,円滑に排除されて空気注入を妨げなかったとみても矛盾しないと考えられる。同旨の内容がG医師の証言にも現れているところ,これが不合理であると断ずることはできない。もとより,C救急隊員による目視を舌根や喉頭蓋が妨げ,その辺りのミルクの存在が視認できなかったとみても,やはり矛盾しないこととなる。結局,事前のミルクの誤嚥による窒息の想定について,原判決が着目したとみられる前述の不自然さは,関係証拠の内容をよく踏まえれば,いずれも説明を得て解消できるものであったとの帰結に至る。また,被害児には,意識低下に伴い舌根沈下が起きた可能性を否定し難い。にもかかわらず,ミルクの誤嚥や舌根沈下による窒息の主張は,いずれも抽象的な可能性をいうものにすぎないとして,これらを否定し排斥した原判決の判断には誤りがあるといわざるを得ない。

ほかに,ミルクの誤嚥や舌根沈下による窒息が生じていたとする想定と抵触する事実関係があるかどうかを検討したが,その存在を肯定することはできない。関連して,B医師は,ミルクによる完全窒息が5分以上生じたとすれば,おそらくは救命できなかったはずであると証言し,抵触する事実関係を提示するかのようであるが,具体的な根拠も述べられていない抽象的な提示にとどまるから,採用できない。

以上によれば,本件時,あらかじめ慢性硬膜下血腫等が存在して

いた被害児の頭部に対し,更に急性硬膜下血腫を生じさせる外因が介在し,これらの損傷の存在それ自体の影響により,事前に嘔吐が生じるとともに舌根沈下が生じていた可能性が否定できないというべきである。そして,咽頭部ないし気道の辺りに貯留した嘔吐に係るミルクが気道に流れ込み,前述の膿性痰の存在や落ち込んでくる舌根とも合わさって気道を閉塞させ,その結果,気道外にミルクが流れ出ない状態になるとともに,外部からの視認を妨げる事態が生じていたことについても,十分な蓋然性をもって想定し得ると考えられる。そうであるなら,被害児にみられた急速な脳浮腫の進行については,以上の機序で発生した窒息により最終的に心肺停止に陥り,よって低酸素脳症が現れ,脳浮腫が急速に進行したものとする想定も,十分に成り立つというべきであるから,その脳浮腫の進行から,これを徴表とするびまん性軸索損傷等の一次性脳実質損傷が存在していたとの推認が遂げられるとはいえず,そのような推認をすることについては合理的な疑いが残るというべきである。
検察官は,被害児の脳全体に均等に浮腫が生じるのではなく,
右側優位でやや片側性の傾向があることから,窒息に基づく低酸素脳症により生じた脳浮腫であるとみるには整合しない旨主張する。
しかし,右側優位の脳浮腫であるという主張の根拠として引用されているF医師の証言は,そのような脳浮腫の特徴を述べつつ,重症頭部外傷に該当
する急性硬膜下血腫又は脳挫傷の存在から引き起こされたミルクの誤嚥あるいは舌根沈下による気道閉塞が生じたために,心肺停止となり,低酸素脳症が起きて当該脳浮腫の発現に結びついたとする分析を述べているから,それら気道閉塞の存在を想定するに当たり,当該脳浮腫の特徴が妨げにならないことを前提にしていると認められる。ほかに,当該脳浮腫の特徴が想定の妨げになることを示す証拠があるとはうかがわれず,この点の主張は当たらない。
検察官は,ミルクの誤嚥に基づく窒息の可能性に関し,液状物
で流動性のあるミルクが咽頭部に貯留して気道閉塞を来し,窒息に至ること自体があり得ないと主張するほか,本件において,被害児を搬送する救急隊員は,被害児を完全に床に平行にして抱いていたわけではなく,多少なりとも頭を上にして様子を確認しながら運んでいたから,
液体の物理法則に従い,
液状物は重力に従って下に落ちたはずであると主張しており,これに沿う内容が当審におけるB医師の証言にも現れている。
しかし,乳児がミルクを誤嚥して窒息に至る場合があり得ることについては,前述したとおり,この点を肯定する医師らの証言等の関係証拠の存在を指摘できるから,検察官の主張の前段に正当性は認められない。また,被害児の体勢の点をいう主張の後段については,被害児が首も座っていない乳児である以上,基本的には仰向けないしそれに近い体勢でいる時間が長く,嘔吐したミルクが咽頭部に貯留して気道閉塞を起こしやすい状態にあったと考えられるのであって,現に,救急搬送時の被害児の身体が横抱きの状態であったことは前述のとおりである。仮に,被告人又は救急隊員が被害児を抱きかかえるいずれかの時点で,その身体が縦になることがあったとしても,一時的なものであったと考えられるし,
前述の膿性痰の存在を想定するならば,
狭い気道内でミルクが円滑に行き来し得ない状態であった可能性も否定できないと考えられる上,舌根沈下の並存を想定するならば,ミルクの貯留の解
消から直ちに気道の閉塞が解かれるものでもないと考えられる。よって,後段の主張も当たらない。
検察官は,被害児には,その意識喪失の直前まで咳嗽反射があ
ったから,
これにより液状物は吐き出され,
咽頭に貯留するはずはないとし,
また,仮に,気道の完全閉塞が生じたのであれば見られるはずの苦悶や,気道の部分閉塞に伴う呼吸音であるところの吸気性喘鳴がなかったから,窒息の存在を想定することはできない旨主張しており,これに沿う内容が当審におけるB医師の証言にも現れる。
しかし,乳幼児である被害児が急性硬膜下血腫の存在等から意識低下を来し,その流れから窒息が生じた可能性を想定するならば,検察官が指摘するうちの苦悶について,これが途中で現れなかったとしても不自然ではないと考えられ,現に,D医師は同旨の証言をしており,その証言内容を覆すに足りる証拠は見当たらない。この点の主張は当たらない。
次に,その余の咳嗽反射や吸気性喘鳴に係る検察官の主張は,原審に現れた被告人の供述内容を根拠とし,その供述にいうところの,救急通報の頃の被害児に咳がみられたことなどをいう被告人の覚知の内容が確かであるとの前提に立つ主張と考えられるところ,その前提自体に疑問がある。すなわち,検察官が指摘するとおり,本件前後の状況を振り返って説明する被告人の供述は,被害児の医療に従事する医師や捜査官等の手続関与者から尋ねられる機会を通じ,少なからず変遷しており,また,最終的な説明の機会であった原審公判の被告人の供述内容にも,はっきりとは覚えていないと述べるものが散見される。そして,本件時の被害児の体調の急変を把握して119番通報をした際の,相手方とのやり取りの記録を見ても,被害児が息をしていると思う旨述べたところが,すぐ後には,息をしていない気がする旨の申告に変わるなどの揺れ動きがみられるところ,この点について,被告人は,
原審公判供述において,
呼吸の有無はあまりよく分からなかったが,

顔が真っ白になるということは呼吸が止まっているのだと思っていた旨述べている。続いて,呼吸の有無に関する救急隊員との電話のやり取りについても,呼吸の有無がよく分からず,被害児の死亡の事実に直結するような当該事柄に対し,それを打ち消したいような気持ちであった旨述べている。これらに加え,咳に関しても,被告人は,救急通報時のやり取りにおいて,被害児がちょうど今,咳をしたと申告しているが,原審公判においては,被害児に顔を近づけて確認した際,弱々しくかすかに咳をするような感じが聞こえました,と述べるにとどまり,それ以上の明確な供述内容は現れていない。そして,救急通報時のやり取りを経て間もなく到着したCら救急隊員が確かめると,被害児は心肺停止の状態に陥っており,呼吸も咳も,結局,存在が見て取れない状態であったと認められる。
このように,救急通報時のやり取りの頃から既に,被害児の容態に関する被告人の覚知の程度の不確かさをうかがわせるものがあったことを踏まえ,また,事後に振り返って述べる原審公判供述にも同様に不確かさをうかがわせるものがあり,その供述内容に変遷や記憶の希薄さが認められることを併せると,当時の状況に関し被告人が覚知したとして述べる内容が,細部にわたるまで確定的なものとみるのは難しい。そもそも,本件時の被告人は,夫に打ち明けるのもはばかられるところの,被害児の身体が傷む出来事に再び直面した状況にあり,救急通報をして少なからず切迫した心理状態にあったとみるのが相当である。実際,救急搬送後にも原状が維持されていた自宅内の状況は,救急隊と同じ頃に到着した宅配物が玄関に放置され,リビングの床に敷かれたコルクマットの上にスプーンやマグカップのほか,玩具が散らばったままになっており,キッチンのガスコンロ上の鍋の中の料理が給仕手前で放置されているなどというものであるから,被告人が,傍らの長男にも気を配りつつ,被害児の体調の急変を受けて慌ただしく立ち振る舞っていたことがうかがわれる。このような被告人の申告ないし供述内容の細部に依拠
するのは相当でなく,そのうちの,被害児の容態等に係る申告が全て正確であるとの前提に立つことも相当でないから,これらの前提に基づいて被害児に咳嗽反射が残っていたとか,吸気性喘鳴がみられなかったなどと指摘する検察官の主張には無理がある。関連して,当審における検察官の主張のうちには,体調急変前,被害児が泣き声を上げていたことをいう被告人の供述内容を前提とする検討をすべきかどうかに関連して,この供述を採用すべきでないと指摘し,結局,受傷後の意識清明期の有無に関する客観的な証拠はないという前提で検討すべきと主張するものが含まれているから,そうであるのに,咳の有無に関する限り,被告人の供述内容を援用して主張の根拠に用いる論理には矛盾があり,許容できない。被告人の供述内容は,検察官が主張する揺さぶり行為等以外の外力が被害児の頭部に加わった事情として,落下の出来事を掲げる限りのものととらえ,それ以上に細部に依拠できる供述ではないと位置付けるべきである。
また,仮に,被告人による救急通報時,その申告にいうとおりに被害児が幾らか咳をすることがあっても,気道に入っていたミルクがその咳により排出されなければ,少なくとも不完全な気道閉塞の状態が残り,酸素の濃度の低下が生じ,低酸素脳症に至る旨を複数の医師が証言しており,その証言内容を覆すに足りる証拠は見当たらないから,この点においても,咳嗽反射によりミルクが排出され,窒息には至らないはずであるという検察官の主張は当たらない。

以上のとおりであるから,びまん性軸索損傷の存在を推認するに

当たり,これによらなくとも被害児の心肺停止や急速な脳浮腫の進行等を説明できる位置付けの事象として,事前に誤嚥等による窒息が介在していた可能性を示す証拠内容が多数認められ,いずれも容易に排斥できないのに,これらを十分に吟味しないまま窒息の介在の可能性を否定した原判決の判断は,論理則,経験則等に反し,不合理なものといわざるを得ない。

よって,検察官の主張①のうちの主張dを採用した原判決の判断には,誤りがあると結論付けられる。同旨をいう控訴趣意の所論は,正当である。⑵

架橋静脈の剪断の有無,程度について(主張①b)
続いて,検察官の主張①のうち,架橋静脈の剪断の有無,程度に関する主張bに係る原判決の判断に対し,調査を行った内容を詳述する。
既に述べたとおり,びまん性軸索損傷の存在を推認した点において,原判決の判断には誤りがあるというべきであり,これは,検察官の主張①のうちの主張dが採用できないことを示すが,検察官の主張①は,その内容を構成する主張dが当たらずとも,同じ位置付けの主張bが採用されれば,なお,被害児の頭部に回転性外力を加えることとなる公訴事実記載の揺さぶり行為の推認につながる構造であると解される。そこで,更に主張bについて検討する。
原判決の判断を論難する控訴趣意の所論は,要するに,原判決後に新たに得られた脳神経外科医らの見解によれば,架橋静脈の同時多発的な剪断があったとするB医師の原審証言が誤っていることが判明した,などというのであった。

原審の証拠調べにおいては,被害児のCT画像上,①大脳半球間
裂,②左右側頭部,③左頭頂部から後頭部にわたる部分,④小脳テント付近のそれぞれに少量の急性硬膜下血腫が存在したとする医師らの証言が現れ,脳神経外科医のものを含むこれら複数の証言の間に,大きな食い違いはなかったと認められる。

そして,原判決は,上記の各証言の幾つかで述べられたところに

依拠し,急性硬膜下血腫の出血源として,架橋静脈複数の剪断が同時期に生じたものと認定した。具体的には,頭部に対し前後に揺さぶる動きが加わった場合,脳と頭蓋骨の間にずれが生じ,その間にある架橋静脈が引き伸ばされて剪断し得るところ,被害児の急性硬膜下血腫が脳の中心部分に比較的多
く出現していることや,頭蓋内の構造物により動きがある程度制限される状態となる小脳テント部分にも急性硬膜下血腫が出現していることに照らし,それらの箇所にある架橋静脈複数が同時期に剪断されたと認められ,その原因となり得るほどの回転性外力が加わったと認められるから,被害児に一次性脳実質損傷が生じていたと認められることと併せ考えると,日常生活の範囲内では行われないような,成人による激しい揺さぶり行為があったとの推認が及ぶとした。そして,そのような回転性外力を加える揺さぶり行為が,長男においてなし得るとは考えられず,また,長男の投げ出し行為等による直達外力によって同様の回転性外力が生じることはないと判断している。ウ
しかし,既に述べたとおり,回転性外力を加える揺さぶり行為の

推認の根拠の一つとして掲げた一次性脳実質損傷は,同損傷の徴表であるかのように位置付けられていた急速な脳浮腫が,事前の誤嚥等に基づく窒息でもたらされた可能性も否定できないと結論付けられることにより,同損傷の存在を認定することはできなくなっている。
そうすると,残る推認の根拠として掲げられている架橋静脈複数の剪断についても,それらが揺さぶり行為による回転性外力でしか生じ得ないものかどうかという観点で改めて吟味することが求められるといえるし,CT画像上,剪断が視認できるわけでもない事柄である以上,各所に存在する急性硬膜下血腫の出血源が確かに架橋静脈であるのかどうかの吟味は,慎重でなければならないといえる。

この関連において,控訴趣意の所論は,原判決後に別の脳神経外

科医らから得た所見によれば,それらの出血源が異なる可能性が浮上したと主張しており,そこで行われた当審における事実取調べの結果によると,急性硬膜下血腫の数そのものが,原審で前提とされていたものと異なる可能性のほか,出血源が架橋静脈の剪断ではなかった可能性が認められるに至っている。

すなわち,脳神経外科医であるG医師は,その作成に係る鑑定
書及びこれを敷えんする内容の当審における証言において,大要,次のとおり述べている。本件後の被害児のCT画像に基づき,頭頂部に位置する大脳半球間裂部に急性硬膜下血腫の像がみられ,これとひと続きのものとして左頭頂円蓋部にも血腫の像がみられ,また,右頭頂円蓋部にも急性硬膜下血腫が存在していて,これらは上矢状静脈洞に非常に近接している部位であるから,それと接続する架橋静脈の剪断が出血源であるという(原判決認定の上記①,③に対応すると解される。。また,左右側頭部に認められる像につい)
ては,血腫であるものの,脳挫傷を原因として脳の表面に生じた挫傷性血腫及び急性硬膜下血腫が一部写っているものであり,架橋静脈が出血源ではないといい(原判決認定の上記②に対応すると解される。,小脳テント付近の)
像については,血腫ではなく,横静脈洞や直静脈洞又は小脳テントそのもの,若しくは大脳鎌が写っているにすぎないし,あるいは,血腫であるとしても,時間を隔てて撮られた画像間で共通して存在が認められないから,血腫が移動してきて写っている可能性があるという(原判決認定の上記④に対応すると解される。。

また,同じく脳神経外科医であるH医師は,その作成に係る鑑
定意見書及びこれを敷えんする内容の当審における証言において,同様にCT画像に基づき,大要,次のとおり述べている。左後頭部の脳表に広く存在する急性硬膜下血腫は,左頭頂円蓋部に存在する急性硬膜下血腫とひと続きのものであり(原判決認定の上記①,③に対応すると解される。,小脳テン)
ト付近の像については,テント上に位置しており,横静脈洞を見ている可能性があるし,仮に,血腫であるとしても,脳の表面全体を覆う硬膜下腔を通じ,別のところの血腫が移動してきた可能性があるという(原判決認定の上記④に対応すると解される。。

これら脳神経外科医の証言内容を総合すると,要するに,原判

決の認定において存在が認められていた急性硬膜下血腫のうち,側頭部のものは架橋静脈の剪断によるものでない疑いがあり,後頭部のものは独立の血腫ではなく,よってその付近の架橋静脈の剪断によるものでない疑いがあり,また,小脳テント付近のものはそもそも血腫でない疑いがあり,血腫であるとしてもほかから移動してきたものであって,付近の架橋静脈の剪断によるものでない疑いがあるということになる。関連して,検察官は,血腫の移動をいう再分配なるものがG医師及びH医師の証言に現れていることについて,そのような現象の発生を示す医学文献は存在しない旨指摘し,論難するが,頭頂部から後頭部への血腫の移動があり得ることは法医学者のE医師の証言に現れ,また,小脳後部やテント上からの延髄近くへの移動があり得ること,及び,血腫が消失することがあり得ることについて,医学文献に該当の報告があるとの説明がB医師の当審証言に現れているから,これらと類似するといえる血腫の移動につき,臨床の現場で体験している旨の説明を添えて肯定するG医師及びH医師の証言内容を,直ちに否定し排斥するのは困難である。同医師らの証言は,CT画像の読影についても,臨床体験の裏付けや明瞭な写真ないし図解の説明等を添えて述べるものであり,全般にわたって,根拠の薄い部分が見受けられない証言であると評価できる。以上に対する反論のうち,特に,血腫の再分配の事例の報告が医学文献中に見当たらない旨の検察官の指摘は,医療の現場で生じた事例が漏れなく類型化されて報告されるとは考え難いのに,これに反する不合理な前提に立った上,有罪の推認を妨げる事情を安易に否定しようとするものといわざるを得ず,採り得ない。
そして,原審に続いて当審にも検察官請求証人として出廷した
B医師は,当審における証言において,小脳テント付近に急性硬膜下血腫が存在すると述べていた原審段階の証言を変更しており,これは,重大な証拠内容の変動といわざるを得ない。

すなわち,B医師は,原審において,架橋静脈の剪断の機序に係る説明をした上,
右の頭頂部に近い部分に2か所,側頭部にもあって,小脳テントの部分にもある,最低4か所以上の血管が同時に切れているというふうに判断されるべきものですから,それは揺さぶり行為によって生じた可能性が,医学的には極めて高いというふうに判断せざるを得ないと思います。などと証言していたから,これは,側頭部及び小脳テント付近のものを含めた血腫の出血源が架橋静脈の剪断であるとの証言であった。原審における検察官の論告も,この証言を引用し,その4か所の急性硬膜下血腫は架橋静脈の剪断が同時多発的に生じたものであると主張するものであった。
ところが,当審で検察官が提出した答弁書及び答弁書(補足)によれば,側頭部の急性硬膜下血腫は脳挫傷による脳表静動脈の損傷によるものである可能性が高いとの主張に変動しており,左後頭部及び小脳テント上部のものは架橋静脈の破断による可能性があり得ると主張されていて,これも変動があると認めるほかなかった。次いで,当審における証人尋問を行ったところ,弁護人請求証人であるG医師との間で相互に証言内容を把握できる手順で行われた同尋問の手続において,B医師は,上記の検察官の主張と同旨の内容,すなわち,血腫の有無及びその出血源が架橋静脈の剪断か否かに関し,原審よりも大きく後退する内容の証言をするに至った。特に,小脳テント付近の部位のものは,量も少なく,硬膜下血腫であるとは断定できないとした上,若干,誇張した内容の読影であったと認め,原審における該当の証言内容を撤回しているのであり,併せて,自身を含む小児科医は,脳神経外科医のように開頭手術をして血腫の除去等をするものではないため,画像診断に当たり,厳密ではない部分があったなどと説明している。本件で有罪を導く推認の最も重要な基礎となるCT画像の読影に誤りがあったことを自認するものであり,到底見過ごすことができない。他方で,G医師及びH医師を含む脳神経外科医は,本件に関連する豊富な医学文献に触れる機会を積み
重ねているのみならず,その文献やCT画像から得られる知見が確かなものかどうかを,日々の開頭手術等の臨床の現場において自身で確かめることを継続してきた立場であり,この点において小児科医との間に差異があるといえるから,これら脳神経外科医の専門領域における医学的な経験則の獲得の程度に対し,大きな疑問を投げ掛けることは難しく,その証言が有罪の推認を妨げる位置付けにあって内容に合理性もあるといえる以上,証言内容を排斥するのは難しいというべきである。
以上の証拠評価を経てみれば,CT画像上,存在が認められ,
かつ,出血源が架橋静脈の剪断であると推認できる急性硬膜下血腫は,大脳半球間裂部のものと,頭頂円蓋部に存在するものに限られることになるから,これに反する原判決の認定には誤りがある(もっとも,急性硬膜下血腫の存在及び出血源に係る原判決の認定は,その内容を訴訟当事者が争わない状況で導き出されており,事後的に当審における事実取調べで誤りが明確になったものであるから,原判決が,その時点において,主張及び証拠の評価を誤ったと結論付けるには至らない。ただし,複数の医師の証人尋問が続けられたその序盤の時点の,E医師の原審証言において,小脳テント付近に係るものについては,存在が明瞭でないとする内容が述べられており,その後に行われた原審で唯一の脳神経外科医であるD医師の証人尋問において,その硬膜下血腫は非常に薄くて少量のものであり,出産時に産道が押さえられて頭蓋骨が変形して生じるものと似ていると述べられ,こういった分娩外傷の事案ではしばしば発生がみられるが,回転損傷で起こらないこともないと述べられていて,必ずしも積極的に肯定する証言内容ではなかった。また,側頭部のものについては,同医師の証言において,当該部位に架橋静脈はなく,そこで脳の表面から出血した可能性を検討したが,画像上の位置関係から否定されると述べられた上,慢性硬膜下血腫の被膜から出血してできた急性硬膜下血腫であると考えられる旨述べられていて,結局,架橋静脈の剪断
が出血源であることに留保を付する証言内容であったと認められる。以上からすると,本来,原審でも,急性硬膜下血腫の存在及び出血源に係る検討を深めることが求められていたと考えられる。。


そうすると,結局,原判決が,検察官の主張①のうちの主張bを
採用し,揺さぶり行為を推認する根拠としていた架橋静脈複数の同時多発的な剪断については,その剪断の部位をより限定的にとらえるべきであるとの結論に至る。とりわけ,原審におけるB医師の証言において揺さぶり行為があった場合に特徴的な痕跡であるとされ,E医師の原審証言において強い回転性外力が加わったことの根拠であるとされていたところの,小脳テント付近の急性硬膜下血腫は,その出血源が架橋静脈ではないばかりか,血腫の存在そのものが認め難いとの結論に変動したことになる。したがって,架橋静脈の同時多発的な剪断を理由として被害児の頭部に強い回転性外力が加わったとする推認は,その根拠が大きく揺らいでいるといえるのであって,推認を及ぼす力が相当程度縮小したというべきである。
よって,検察官の主張①のうちの主張bについて,これを全体的に是認し採用した原判決の判断を維持するのは困難であると結論付けられる。同旨をいう控訴趣意の所論は,正当である。


長男に落下させられて頭部の損傷が生じた可能性について(主張

②)

前記のとおり,一次性脳実質損傷の存在を推認することができ

ず,また,架橋静脈の剪断があったとして推認できる範囲が縮小していることを踏まえると,被害児の頭部に著しく強い回転性外力が加わったとの前提に立つことはできない。

しかし,大脳半球間裂及び頭頂円蓋部辺りの急性硬膜下血腫が架

橋静脈の剪断により生じたとの推認はなお働いているから,その事実を根拠として一定程度の回転性外力が加わった事実を推認し,ひいてはそれが被告
人による揺さぶり行為によりもたらされたと推認することが可能であれば,公訴事実の内容を是認できる構造にあると考えられるから,なお検討した結果を詳述する。

この点は,要するに,現場に居合わせた長男が被害児を床に落下

させたという事実関係をいう被告人及び弁護人の主張が排斥できるかどうかの検討に当たるところ,原判決の判断を論難する控訴趣意の所論は,血腫の存在等が揺さぶり行為の特徴的な痕跡であるかのようにいうB医師及びE医師の原審証言について,いわゆる揺さぶられっ子症候群の仮説(SBS仮説)の問題性を孕んで述べられたものであり,低位落下ないし転倒でも被害児のものと同様の頭部の損傷が生じ得ることを看過した不当な証言である,などというのである。

そこで,検討を経てみたところ,被告人及び弁護人の主張に現れ

るとおりの,長男が関与した落下の出来事をいう事実関係を前提としても,一定程度の回転性外力が被害児の頭部に加わり,その大脳半球間裂の辺りの架橋静脈が剪断して急性硬膜下血腫を生じる可能性は否定できないものと認められる。
すなわち,関係証拠によれば,落下により打ち付ける際に直接
頭部に加わる力の作用は,直達外力であって,それ自体は回転性外力を伴わないものの,打ち付けた衝撃により揺さぶられる動きが働き,その際に一定の回転性外力が働いて脳実質と頭蓋骨の間にずれが生じ,その間にある架橋静脈の剪断が生じることは想定できると認められるのであって,このことは,原審で取り調べた医師の証言中に複数現れており,そのうちには,検察官が取調べを請求したB医師やE医師の証言も含まれている。
そして,被害児は,未だ首が据わっていない乳児であったか
ら,落下時に頭部を打ち付けて生じる反動には大きいものがあったと考えられ,また,脳実質に萎縮がみられるという固有の要因のほか,脳実質を覆う
水分が多く,頭蓋骨の内面が平坦であることなどの一般的な要因も加わることにより,架橋静脈の剪断のリスクがより大きくなっていたことが考えられるのであって,これらについても,原審で取り調べた医師の証言中に現れており,内容に疑問はない。
併せて,原審で取り調べた医師らの証言を総合すると,前述の
とおり,被害児は,生後約1か月半の乳児であるにもかかわらず,その頭部には,あらかじめ,頭頂骨骨折,白質裂傷等のほか,慢性硬膜下血腫又はこれに類する病変が生じていたところ,そのようにして頭蓋骨が変形することにより,あるいは,慢性硬膜下血腫等が存在することにより,架橋静脈が伸展して剪断しやすくなっていたことが考えられ,その上に更に低位落下による衝撃が加われば,その衝撃が必ずしも強大でなくとも,前述の機序により大きな反動を通じて回転性外力が働き,架橋静脈の剪断が生じて急性硬膜下血腫が発生した可能性も認められるのであって,この可能性を否定することは困難であると認められる。
以上については,検察官が取調べを請求したB医師の当審にお
ける証言をみても,覆すに足りる内容が現れていないし,他方の弁護人が取調べを請求したG医師及びH医師の当審における証言は,原審以来,現れている医師らの証言と整合する内容を述べるものであった。また,G医師の証言によれば,びまん性軸索損傷を生じる典型が,交通外傷や高所からの転落といった強大な外力が加わる場合であるのに対し,架橋静脈の剪断そのものは,柔道において受け身がとられなかった場合のほか,ラグビーやボクシングなどにおいて頭部に衝撃が加わる場合に生じ得ると述べられている。原審以来,低位落下でも架橋静脈の剪断が生じ得るとする医師らの証言が一致して現れるのは,それぞれの専門分野が異なる中でも,頭部外傷に係る受傷原因の特定がさほど困難でない上記の武道やスポーツなどの事例に係る調査や経験を各自が積み重ねており,状況の特定が明瞭にできる乳幼児の低位落下
の事例も併せて,これらの比較対照によりほぼ間違いなく導き出せる経験則を述べているものと考えられ,疑問を差し挟む余地はない(なお,架橋静脈の伸展に関連して,H医師の当審証言によれば,CT画像上,他の医師が慢性硬膜下血腫であると判断する部分につき,先天性のくも膜嚢胞が破裂してこれに伴う脳脊髄液と出血が現れているとする独自の見解が述べられているが,その当否はともかく,上記伸展をもたらすような貯留物が存在した可能性をいう限りにおいて,他の医師の考察と整合する証言内容であるから,争点に係る判断が揺るがせられるものではない。。

そうすると,本件時に発生したとして被告人及び弁護人が主張
する被害児の落下の事実関係を前提として検討してみても,その事実関係のもとで被害児の急性硬膜下血腫等の頭部の損傷が生じた可能性を否定し,排斥することはできないというべきである。特に,被害児については,生後1か月半ほどであるにもかかわらず,前記の慢性硬膜下血腫又はこれに類する病変等が存在していたという特徴を見過ごせないのであり,これらに上乗せされるようにして,急性硬膜下血腫を生じさせる外因が加わったと認められるところに着目せざるを得ない。このような症例は,小児の頭部外傷の事例に数多く接していると認められ,原審及び当審においてそれぞれ関連の証言をした小児科医,脳神経外科医,救急救命医及び法医学者の知見を探ってみても,直接的な類似事例の存在が明確に述べられていないことに示されるとおり,希少なものであると考えられるのであって,それゆえ,頭部に先行して存在した上記病変等が及ぼした影響に係る分析として確固たるものが見当たらない一方で,乳児の身体の未成熟さなどを踏まえた常識的な検討を加えてみれば,上記病変等が前述の窒息に及ぼした影響はもとより,架橋静脈の剪断に及ぼした影響について,医学的な観点でもこれらを否定することができない事案であったと考えられる。
それなのに,原判決は,上記の特徴ないし構造に対応した検討

を尽くしていないと認められる。判文上,関連する検討の結果を記述したとみられる部分もあるが,その内容は,原審弁護人が主張したセカンドインパクト症候群介在の可能性を検討するものであった。原判決の説示を詳しくみてみると,同症候群は,脳震盪あるいはそれに準じる軽症の頭部外傷を受け,数日から数週間後に2回目の頭部外傷を負い,致死的な脳腫脹を来すものを指すとしつつ,①スポーツ科学の分野では一般化した知見であるが,医学的にそのような病態があるか否かについてなお議論されている状況であること,②17症例の報告のうち,ほかの理由により病態を説明できない事例は5例にとどまること,③乳幼児の症例報告として疑問なくとらえられるものは存在しないこと,以上を挙示するB医師の原審証言を是認するものであった。その上で,原判決は,乳幼児に関して信頼性のある症例報告が何ら存在せず,いかなる受傷機序によりいかなる病態が一般に生じるのか明らかでない以上,セカンドインパクト症候群の概念は,本件の事実認定に際して用い得る程度に信頼できる医学的知見とはいえない,と説示し,併せて,被害児には1か月健康診断や助産師による確認の際にも特段の異常がなかったことを指摘し,同症候群の前提となるような代謝活性変化が生じていた様子もうかがわれないと説示し,そのほか,関連の文献に現れる同症候群の特徴が本件の事実関係のうちに見受けられない旨の説示を重ね,検察官主張の有罪の推認を妨げるものではないと結論付けている。
しかし,本件で求められていたのは,セカンドインパクト症候群の概念そのものの当否などという事柄の検討ではなく,被害児の頭部にあらかじめ存在した病変等が影響を及ぼしてミルクの嘔吐や誤嚥を,ひいては窒息を生じさせた可能性の有無であり,また,それらの病変等が架橋静脈の伸展をもたらし,これが容易に剪断に至る事態を招来した可能性の検討であった。その検討のために,病変それ自体がもたらす症状等の具体的な事実関係を精査し,あるいは,病変の発生機序等に関する経験則を有する医師らの見解を吟
味し,取り出せる知見等を当てはめることにより,可能性を否定できる具体的な根拠が見出せるかどうかが課題であった。そして,その結果は既に述べたとおりであって,架橋静脈が容易に剪断に至る状態であった可能性につき,これを否定できる具体的な根拠は見出せず,医師らの証言を総合しても,可能性を否定するのは難しいとする結論でほぼ一致していたと認められる。それなのに,原判決は,この点に着目することのないまま,必ずしも直接的に関連しない医学文献の批評に終始するなどし,的確な検討をしていない。原判決は,一次性脳実質損傷に含まれるびまん性軸索損傷が存在したとの認定をしていたと解されるから,これをもたらした回転性外力に強いものがあることは明白であるとの心証のもとで,
11月27日の落下により被害児の脳に加わった外力が,本件当日の被害児の重篤化に何らかの形で影響した可能性を具体的に想定することはできないとする説示に至ったとも考えられるが,結局は,有罪の推認を妨げる事情に対し,これを否定する根拠を確かめる姿勢が十分でなかったと評価せざるを得ない。
よって,この点においても,原判決の判断は,論理則,経験則等に反し,不合理なものといわざるを得ない。同旨をいう控訴趣意の所論は,正当である(なお,原判決が,1か月健康診断や助産師による確認時に異常が認められなかったことを指摘する点については,他方で,本件後の被害児に認められた頭頂骨骨折等の病変が,3週間ほど遡る11月27日の落下の出来事で生じたとみても矛盾しないとされている証拠関係を踏まえれば,上記の健康診断等の機会に既に病変が存在していたものの,明らかに見て取れるほどの症状の出現ないし残存がなかったか,その有無を確かめるに足りる確認がなされなかった疑いがあるという帰結に至るのみであり,既述の検討内容を左右するものではない。。


結局,現場に居合わせた長男が被害児を床に落下させたという事

実関係を指摘し,その出来事を通じて回転性外力が被害児の頭部に加わり,
大脳半球間裂及び頭頂円蓋部の辺りの架橋静脈が剪断して急性硬膜下血腫を生じた可能性があると指摘する被告人及び弁護人の主張は,関係証拠の内容に照らし,排斥できないというべきである。それにもかかわらず,検察官の主張②を採用した原判決の判断には,誤りがあると結論付けられる。同旨をいう控訴趣意の所論は,正当である。

なお,検察官は,原審に現れた被告人の供述における,被害児の

身体が3回にわたって落下した機序等の説明内容が信用できないと主張する。すなわち,その供述にいうとおりの1回目の落下の状況が,関連する室内の物品の形状等と整合しないなどと指摘し,また,本件当日の2回目の落下の状況に係る供述を不合理に変遷させているなどと指摘し,更に,本件当日の,被害児の体調の急変後に更に起きた3回目の落下は,供述どおりであれば,落下前にテーブル上のマグカップの間近に被害児を寝かせていた点が不自然であるとか,救急隊との電話を切った後,ドアロックを解除して救急隊を招き入れるまでの13秒の間に落下が生じ,これを被告人が目撃しながらドアロックを解除し,続いて床に落ちた被害児を拾い上げて救急隊員に渡しつつ,直前の落下の申告をしなかったことになるという経緯自体が不合理であるなどと主張する。
しかし,既に述べたとおり,一連のいきさつに係る被告人の供述内容について,それが細部にわたるまで正確であるとの前提に立つことは相当でないから,検察官の主張は当を得ないし,本件の構造上,相手方当事者である被告人の供述の信用性を弾劾することはさておき,挙証責任者として掲げた有罪の推認を成り立たせる消去法の,積極的な論拠を示すのでなければ,結局,立証は遂げられないというべきであるから,検察官の主張は失当である。


その他関連事項について

検察官は,当審におけるB医師の証言に依拠して,デンスクロッ

トサインと呼ばれる二次性の静脈洞血栓症の所見が後頭部のCT画像に現れていると指摘し,これは被害児に対する揺さぶり行為が行われたことを示すものであるとの新規の主張を弁論で提出している。
しかし,そのような所見が得られるかについては,当審におけるG医師の証言で否定する見解が述べられているところ,その供述は,要するに,静脈洞血栓症が看取できるとされる部位の位置関係や,画像上,近接して硬膜下血腫の存在が認められることなどを踏まえ,硬膜下血腫が写っているところをもって当該所見に取り上げている可能性をいうものと認められる。臨床経験が豊富な同医師の証言の信用性を否定するのは慎重であるべきところ,この点について検察官が指摘するのは,双方の医師が見ている画像の位置の違いからG医師が誤った診断をしているとの指摘であるが,その指摘を専門家であるG医師に向けて見解を確かめる過程を経ないまま,当審における事実取調べの後の弁論において唐突に提示した指摘であるから,採用するに足りる根拠が備わっているとはいえない。G医師が,その他の関連資料とともに被害児のCT画像をひととおり確認して当審の証言に及んでいる旨述べていることをも踏まえると,その信用性を減殺する指摘を検察官がなし得ていると認める根拠は十分ではない。また,そもそも,B医師は,既述のとおり重大なものというべきCT画像診断の誤りを来していた立場であるから,これと同様に被害児のCT画像のみを根拠として述べているとうかがわれるデンスクロットサイン関連の証言について,その内容と一致する証言が他の多数の医師の原審及び当審証言に現れているわけでもない状況下,それらとの特段の脈絡もうかがわれない画像所見を当審の段階で突然供述するに至ったことに照らしても,その信用性を認めるのは困難である。仮に,該当の所見が認められ,それが揺さぶり行為による虐待の事例の約41パーセントにおいて認められるものであるとの検察官の主張が採用できるとしても,他方で,既述のとおりにびまん性軸索損傷の存在が肯定できず,架橋静脈の同時多発
的な剪断の存在も肯定できない本件の事実関係において,なおも揺さぶり行為の存在を推認させるに足りる主張であるとは位置付けられない。よって,この点に関する検察官の主張も採用には至らない。

検察官は,当審における主張立証の全般において,被害児の頭部

には,前述の慢性硬膜下血腫,頭頂骨骨折及び白質裂傷のほかにも損傷が存在していたことを指摘し,これらの存在や程度を強調している。すなわち,被害児には,骨折直下のものを含む脳挫傷が左右に分かれて合計3か所に存在し,白質裂傷は両側の高位前頭葉に存在し,左頬部には皮下出血が存在したとした上,右側頭部及び左前頭部において,直径約1センチメートルの丸い凹損が3つずつ約1センチメートル幅で2列に並んだような模様状の瘢痕があり,その直下に上記の骨折が存在し,更にその直下にそれぞれ脳挫傷があったことを示す黄変が存在したと指摘しており,以上は,被害児死亡後の解剖を通じて作成された鑑定書の記載内容を含め,関係証拠から引用しているものと認められる。その上で,検察官は,上記の瘢痕に見合う突起面を有する物体を用い,上記骨折及び脳挫傷を生じるほどの強さで打撃が加えられたものであり,その際に白質裂傷を生じた可能性もあると指摘している。そして,これらに基づき,検察官は,乳幼児に強い揺さぶり行為を加える虐待の事案においては,しばしば,直撃損傷を伴うことがあるところ,上記の各損傷は,他者からの暴力的な外力を受け続けていたことを示す間接事実であって,そのような虐待が行われたと想定すれば一元的に合理的な説明が可能になる位置付けであるから,これらの損傷の存在等の間接事実を総合的に判断すべきであって分断的な評価をすべきではないとし,もって,本件における各種の推認が遂げられるはずであると主張する。この主張にみられる発想と同様の内容が,E医師の証言でも述べられていた。
しかし,検察官も認めるとおり,上記骨折や白質裂傷に関し,
本件よりも一定期間遡る時期に生じたものである可能性が否定できない以
上,上記骨折と重なり合うようにして存在した上記瘢痕及び脳挫傷についても,その遡る頃と同じ時期に生じた疑いが残る。そして,この時期的な問題が存在する以上,それらの損傷と,明らかに本件時に生じたと認められる急性硬膜下血腫等の損傷とは,明瞭に一線を画して検討しなければならない。あるいは,遡る時期の損傷が,本件時に生じた損傷と生成原因が同じであることが判明しているなどの事情があるのなら,前の損傷の事情が,後の損傷発生の事実関係の推認に当たり,何らかの積極論拠になることも考えられるが,本件はそのような場合にも当たらない。したがって,事実関係の構造上,本件時の各損傷の生成原因の探求に当たり,遡る時期の各損傷の発生の事実を合わせて一元的,総合的に判断すること自体が不可能であって,おのずから分離して検討し,本件時の固有の事情から有罪の推認が可能かどうか,その推認を妨げる事情の存在を否定できるかどうかを検討する方法によらざるを得ない。そして,本件の場合は,先行の損傷の存在が,逆に,本件に係る有罪の推認を妨げる事情として消極的に機能する構造にあったと理解することになる。それにもかかわらず,以上の構造に反し,両者を積極的に関連付けようとする立証を行うのであれば,それは,不当な思い込みや偏見等に基づく立証に立ち入るおそれが高いものというべきである。そもそも,本件の公訴事実に基づく起訴及びその後の原審以来の主張立証は,検察官において,上記のとおりの一元的,総合的な判断を求める主張立証を試みるのではなく,あくまでも本件時の各損傷の生成原因の探求自体から強い揺さぶり行為の存在を推認させ,その主体が被告人以外にあり得ないことを推認させるという方法を選択して行われたものと解されるのであり,原審でもその方法を明示して被告人及び弁護人の防御の対象とし,証拠調べを追行してきたと認められるのであるから,これと相反する主張立証というべき当審における検察官の訴訟活動は,既に述べたとおりの理由により,相当性を欠くものと考えられる。

なお,前述のとおり,G医師は,被害児の左右側頭部に認められる像について,脳挫傷を原因として脳の表面に生じた挫傷性血腫及び急性硬膜下血腫が一部写っているものと指摘しており,また,B医師も当審において概ね同趣旨の証言に改めるに至っているところ,これらによれば,脳挫傷は本件当日に生じた可能性が高いことになる。しかし,G医師の当審証言によれば,被害児に認められた脳挫傷は,被告人が供述する本件当日の2回の長男による落下によって生じ得るというのであり,また,脳挫傷は,脳の表面に直達外力が加わることによって生じるものと認められる。そうすると,被害児に存在した脳挫傷は,その原因として本件当日に被告人による揺さぶり行為があったことを推認させるものではない。結局,検察官の主張立証は,被告人が被害児に直達外力を加えて脳挫傷を生じさせた可能性があるとして,それを理由に,被告人が被害児に虐待を加えたと推認させ,そうだとすれば,虐待の別の態様である揺さぶり行為もしただろうという推認を導こうとするものであるといわざるを得ないから,上記の問題状況を抱えていることに変わりはなく,やはり相当性に欠けるというべきである。
特に,検察官は,当審における事実取調べとしてB医師の証人
尋問を請求する際,その立証趣旨として,上記骨折や白質裂傷の生成原因に関する事項を含めつつ,
本件が,直達外力と回転性外力の混在する『乳幼児揺さぶられ衝撃症候群』であり,上記の生成原因は,複数の硬膜下血腫が強い揺さぶりによることの重要な間接事実であって,屋内の低位落下や窒息が被害児童の各種損傷の原因であるという主張を弾劾する事実であることなどという内容を明示していた。しかし,これは,従前の主張立証から逸脱し,不当な思い込みや偏見等に基づく立証に立ち入るおそれが高いものであるから,当審は,上記の内容を除くその余の立証趣旨で証人採用決定を行った次第である(令和元年5月31日付け証人採用決定)

なお,上記採用決定に当たり,その余の立証趣旨についても採用の範囲を
限定しているが,採用範囲から除外することとした立証趣旨は,訴訟当事者が,原審以来,多数取り上げて問題にし,あるいは証拠請求をして取調べに至っているものを含む医学文献と同列の,文献類に関する事柄であった。要するに,各種の文献に現れている症例の報告や研究の内容を顕出し,これを被告人及び弁護人の主張と対比させて弾劾し,あるいは自身の主張を補強するものと認められる。しかし,既述のとおり,この文献の類は,全ての症例が類型化されて報告がなされるとか,特異な症例につき必ず研究が行われてその結果が示されるなどという前提で知見が蓄積されているものとは考えられないから,刑事裁判における有罪無罪の判断の利用に供される場合の証拠価値の評価については,慎重にならざるを得ない。そして,本件においては,急性硬膜下血腫の存在それ自体から意識低下が生じることの把握,その結果,舌根沈下が併せて発生していた疑いの検討,これらを含む一連の事象を踏まえても窒息介在の可能性を否定できる根拠の探求のほか,画像診断に対する再検討の必要性や,生後間もない乳児の頭部に骨折等の重い損傷が生じ,これに新たな損傷が加わった場合に関する考察の在り方,等々が重要であって,それらが判断を分ける分岐点であった。したがって,検察官は,分岐点に関し,合理的な疑いの介在を否定できる説得的な根拠を示す意味合いの,具体的な主張立証をすべきであるところ,上記の文献の類に係る立証趣旨は,そのような主張立証に属するとはいえない抽象的なものであり,かえって争点を拡散させ,審理を混乱させるおそれが強い事柄であった。そこで,これらの立証趣旨も採用の範囲から除外した次第である。
本件に係る一元的,総合的な判断の必要性等をいうものを含め,検察官の主張を全般的に精査しても,採用に値するものは見当たらない。検察官は,当審における事実取調べの後,弁論を行うに先立ち,B医師に続く証人請求として耳鼻咽喉科専門医の尋問を追加して行うよう求め,また,弁論終結後,新たに公表されたものであるとして,関連の医学文献1点につき,事実
の取調べを追加して行うよう求める内容の弁論再開請求をし,さらに,H医師の証言の弾劾であるとして別件における同医師の証人尋問調書等の取調べを同様に求める内容の弁論再開請求をしたが,これらに掲げられた事実取調べの対象は,時機に遅れて現れたものであるか,前同様に争点の判断を左右しないことが明らかなものであるから,採用に値しないと判断し,検察官の求めには応じないこととした。
3結語
以上のとおりであって,訴訟記録及び原審で取り調べた証拠に基づく調査の結果から考察しても,また,当審における事実取調べの結果を併せた検討結果から考察してみても,公訴事実にいうとおりの,被害児の身体を揺さぶるなどの方法によりその頭部に衝撃を与える暴行が加えられた事実を認定することはできず,その暴行を被告人が加えたとの事実を認定することはできないのに,これらを認めて有罪の結論を示した原判決の事実認定は,論理則,経験則等に照らし不合理なものといわざるを得ず,是認することができない。
判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があると認められるから,同旨をいう控訴趣意の論旨は理由がある。
よって,
刑訴法397条1項,
382条により原判決を破棄することとし,
併せて,審理は尽くされているものと認め,同法400条ただし書を適用して直ちに自判するものであるが,既に述べたとおりの理由により,本件の公訴事実(傷害の犯罪行為の日時を平成26年12月18日午後4時30分頃から同日午後6時頃までの間とするものである。)については犯罪の証明がないことになるから,同法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
令和2年2月6日
大阪高等裁判所第5刑事部

裁判長裁判官

西
裁判官


裁判官

伊田十眞基嵐常之藤寛樹
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