判例検索β > 平成29年(う)第501号
殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件番号平成29(う)501
事件名殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反
裁判年月日令和2年1月27日
法廷名大阪高等裁判所
裁判日:西暦2020-01-27
情報公開日2020-02-12 18:00:10
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令和2年1月27日宣告

大阪高等裁判所第6刑事部判決

平成29年(う)第501号

殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
主文
原判決を破棄する
被告人を無期懲役に処する
原審における未決勾留日数中400日をその刑に算入する。
押収してあるサバイバルナイフ1本を没収する。

第1


控訴趣意等

本件控訴の趣意は,控訴趣意書2通(主任弁護人髙山巌,弁護人植田豊連名作成のもの及び弁護人小田幸児作成のもの)に記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官大口康郎作成の答弁書に記載のとおりである。また,本件では,当審において事実取調べが行われているところ,これを踏まえた弁護人の弁論は,弁護人作成の事実取調べの結果に基づく弁論(弁護人)と題する書面に,検察官の弁論は,検察官石垣光雄作成の弁論要旨と題する各書面に,それぞれ記載のとおりである。
論旨は,要するに,被告人を死刑とした原判決には,訴訟手続の法令違反,事実誤認(被告人のいう精神工学戦争に関するもの,正当防衛等に関するもの,責任能力に関するもの)
及び法令適用の誤りがあり,
破棄を免れないというのである。
当裁判所は,
記録を調査し,
当審での事実取調べの結果をも併せて検討した結果,
控訴趣意中,責任能力に関する事実誤認の論旨は慎重な検討が必要であるが,それ以外の論旨には理由がないことが明らかであるから,まず,責任能力に関する事実誤認の論旨について検討し,その余の論旨については,その後に簡潔に触れることとする。以下,責任能力に関する事実認定の是非を検討するために,原審の審理・判断からみていく。
第2

原審の審理及び判断

1
原判決の認定した罪となるべき事実

原判決の認定した罪となるべき事実の要旨は,次のとおりである。被告人は,精神工学戦争なるものが行われているとの思想を前提に,自分や自分の家族はその被害者であり,近隣住人のA一家及びB一家(以下,この両方の一家を
被害者一家ら
という。は自分たちを攻撃する工作員であるとの妄想を抱き,

被害者一家らに対する報復や精神工学戦争の存在を裁判の場で明らかにすることを目的として,被害者一家らを殺害しようと企て,⑴
平成27年3月9日午前4時

頃,兵庫県洲本市内のA方離れ寝室において,Aの妻(当時79歳)に対し,A方母屋寝室において,A(当時82歳)に対し,それぞれ殺意をもって,いずれもその左前胸部等をサバイバルナイフ(刃体の長さ約18.6センチメートル)で多数回突き刺すなどし,よって,Aの妻を心臓及び上行大動脈多発刺創による失血により,Aを多発性胸部大動脈刺創による失血により,いずれも死亡させて殺害し(原判示第1及び第2),⑵

同日午前7時10分頃,同市内のB方離れ玄関付近にお

いて,Bの母(当時84歳)に対し,B方母屋玄関付近において,B(当時62歳)に対し,B方母屋において,Bの妻(当時59歳)に対し,それぞれ殺意をもって,その左背部,胸部,左側胸部等を前記サバイバルナイフで多数回突き刺すなどし,よって,Bの母を心臓及び胸大動脈貫通刺創による失血により,Bを右肺臓刺創及び左内胸動脈切断による両側性血気胸により,Bの妻を心臓及び胸大動脈貫通刺創による失血により,いずれも死亡させて殺害し(同第3ないし第5),
業務そ

の他正当な理由による場合でないのに,前記⑴(同第1及び第2)の日時頃,A方敷地内において,また,前記

同第3ないし第5)の日時頃,B方敷地内におい

て,いずれも前記サバイバルナイフ1本を携帯した(同第6及び第7),というものである。
2
原審の審理及び判決の概要
原審は,
公判前整理手続の結果,
本件事実認定に係る争点は,
本件犯行を行っ

た犯人が被告人であるか,被告人が行ったとなれば,その責任能力であると整理し
た(なお,原審弁護人は,当審における所論と同様に,被告人の殺意はブレインジャックにより植え付けられたものであるとか,精神工学兵器による被害者一家らの攻撃に対する反撃としてなされたものであるなどとの主張もしたが,あえて争点化はされなかった。)。
本件では,原判示の犯行を被告人が行ったことは,原審において被告人自身が認め,かつ,その他の証拠によっても十分認定でき,原判決もその趣旨を認定・説示している。もっとも,原判決は,争点として整理されなかった点についても検討を加えている。すなわち,被告人が,精神工学兵器を用いて特定の感情・思考を植え付けるブレインジャックによって,強制的に殺意を植え付けられたとの主張に対しては,次のように判断している。ブレインジャックといわれるような技術が存在するとしても,被告人に対してそのような技術が使用されたことをうかがわせる事情はないし,被告人に対し,そのような技術を用いて殺意を植え付ける理由も想定し難い。被告人がブレインジャックされた根拠として述べる事実は,原審で取り調べた鑑定人らによれば,
被告人の罹患している薬剤性精神病の症状として説明が付く。
また,被告人の本件犯行が,被害者一家らが工作員として行っていた精神工学兵器による攻撃に対する反撃であるとの趣旨の主張についても,同様に,被害者一家らが工作員であることや被告人に対して精神工学兵器による攻撃が行われていることをうかがわせる事情は全くなく,被告人がそのような兵器を用いた攻撃の対象となる理由も想定し難く,被告人がこの点の根拠として述べる点は,薬剤性精神病の症状として説明が付くとして,排斥している。さらに,正当防衛や緊急避難についても,被害者一家らによる急迫不正の侵害や現在の危難はないから成立する余地はないとしている。
原審は,本件の主たる争点といえる被告人の責任能力について,起訴前に被告人を鑑定した医師,原審で被告人の鑑定(いわゆる50条鑑定。口頭鑑定の方法による。)を担当した医師(以下原審鑑定人という。)を公判廷で取り調べた。そして,原判決は,概ね原審鑑定人の鑑定の結果に沿って,犯行時,被告人は,
リタリンの使用に起因する薬剤性精神病に罹患しており,犯行動機は,同病による妄想の影響があったとしながら,被害者一家らの殺害を決意し,実行した被告人の意思決定と行動の過程には,病気の症状は大きな影響を与えていなかったとし,完全責任能力を認めた。
第3

当審の審理

控訴趣意のうち,責任能力に関する事実誤認の論旨は,被告人は,犯行時,罹患していた統合失調症(控訴趣意書)ないし妄想性障害(事実取調べの結果に基づく弁論)の影響により,心神喪失,少なくとも心神耗弱の状況にあった,というものである。
当審においては,この論旨を踏まえ原審記録を検討したところ,本件犯行は,被告人の強い妄想が影響しているものと認められるところ,被告人の犯行時の精神状態について,原審で取り調べた精神科医の見立てで説明しきれるのか疑問の余地がないわけではなく,さらに,原判決の結論が死刑であったから,責任能力の判断に万全を期す必要があることなどを勘案し,当審においても改めて責任能力に関して精神鑑定を実施することとした。
鑑定人として選任した医師に鑑定書の作成を求め,
公判廷で証人尋問を実施の上,被告人の精神障害及び原審における鑑定の当否等について検討した同医師作成の鑑定書を取り調べた
(以下,
両者を併せて
当審鑑定
ともいい,同医師を当審鑑定人という。)。併せて,当審においても,検察官の求めに応じて,原審鑑定人であった医師の再度の尋問を実施し,同医師が当審鑑定も踏まえて作成した意見書(心理士との連名作成による殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件控訴審被告人に関する精神状態鑑定書に対する意見書と題するもの。)を採用し,取り調べた(当審検1。以下,当審での同医師の意見書と証人尋問結果を併せて原審鑑定人の当審意見,原審における同医師の鑑定結果を原審鑑定,両者を併せて原審鑑定人の鑑定という。)。その審理の方法として,まず,当審鑑定人の証人尋問を実施し,ついで原審鑑定人の証人尋問を実施した後,再度,当審鑑定人の尋問を実施し(当審鑑定人の証人尋問調書を引用す
る際,先のものを当審鑑定人Ⅰ,後のものを当審鑑定人Ⅱと表記することがある。),その各証人尋問終了後に鑑定書,意見書を刑訴法321条4項により取り調べた。
弁護人は,当審における事実取調べの結果をも踏まえ,犯行時,被告人は妄想性障害(伝統的精神医学ではパラノイア)に罹患し,その病状が悪化しており,長年かけて体系化した被害関係妄想,妄想知覚,被影響妄想,解釈妄想,妄想追想などが非常に活発であったから,本件犯行は被害妄想の圧倒的な影響下にあったなどとする当審鑑定に依拠し,被告人が薬剤性精神病に罹患し,本件犯行動機は,妄想を前提としながらも,被害者らの殺害を決意し,実行した被告人の意思決定と行動の過程には影響を与えていないとし,完全責任能力を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,と主張した。
そこで,この点につき,記録を調査し,当審での事実取調べの結果をも踏まえて検討する。
第4
1
責任能力に関する事実誤認の論旨について
(その1

基礎とすべき精神鑑定)

本件において,犯行時における被告人の責任能力について判断するに当たっ
ては,判断の基礎とする専門的知見,すなわち精神鑑定の内容を吟味することが必要であるが,本件では,見解の異なる(診断名が異なるだけなく,精神障害の重症度,本件犯行の機序の説明等も異なっている。)原審及び当審における各精神鑑定(いずれの鑑定人も,知識・経験の豊かな専門家である。)が存在している。したがって,両鑑定をどのように評価するか,責任能力を判断するうえで,どちらの鑑定を基礎として考察すべきかが重要な問題となる。そこでまずこの点につき検討することとする。
2
本件犯行前の状況等

両鑑定の理解及び責任能力判断に有用な限度で,両鑑定が前提とする被告人の犯行前の状況等について,記録上認定できる事実をまとめると,大要,次のとおりである(この限度では,概ね当事者間にも争いはない。)。

被告人は兵庫県洲本市で出生,成育し,高校(神戸市内の工業高校)在学中から下宿をしたりその中退後に単身赴任の父親と暮らすなどして実家と同市外を行き来するようになったものであるが,平成8年頃に実家に戻ってから約5年間は,実家で引きこもりがちな生活を送っていた。
被告人は,自ら注意欠陥多動性障害(ADHD)を疑って精神科を受診し,平成14年11月頃から平成19年頃までの間,集中力がアップするなどという薬効を得たいがため,
医師の処方を受けて約5年間にわたり精神刺激薬である
リタリン
(一般名はメチルフェニデート)
を使用していた。
そして,
その間の平成18年頃,
父方祖父が自殺したのと相前後して,日本国政府やそれに同調する工作員らが,一体となって,電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加えるという精神工学戦争を行っている,という考えを持ち始めた。そしてこれを前提とし,次第に,被告人自身やその家族も精神工学戦争の被害者であり,被告人の自宅の近隣住人のA一家やB一家は自分たちを攻撃する工作員であると思うようになった。また,
この頃から,医師や家族に脅迫的言辞を用いてリタリンを要求したり,家族に暴力を振るうといった言動が見られ始め(といっても暴力といえるのはせいぜい数回程度であった。),リタリン過剰摂取の影響があるとして入院治療を受けることもあった。
平成21年頃,被告人は,当時,A方に住んでいたAの孫(なお,本件時は転居しており難を逃れた。)と悪口を言った言わないで口論となり,家人が警察を呼ぶ騒ぎとなったり,別の日には激高したAの孫が被告人を鉄パイプで殴打したこともあった。また,被告人は,平成22年にはインターネット上でA一家を誹謗する記事を掲載し,名誉毀損で逮捕され,この件がきっかけで,兵庫県明石市内の病院に措置入院となり,措置解除後も同市内に家を借りて居住し,同じ病院で入通院治療を続けることになった。
被告人は,平成26年初め頃から,入院中に知り合った女性と交際を始め,母親に対し,女性との結婚を考えている,就職したいと述べるなど,比較的穏やかで前
向きな生活を送れている時期もあった。
その後,被告人は就職活動の必要があるとして,前記病院から転院することとしたが(実際には他病院で治療を再開することはなかった。),同年9月頃,その女性が覚せい剤事件で逮捕されるなどして別離し,経済的な問題もあって,同年末頃には実家に戻ることを余儀なくされ,父親から週に5000円程度の現金や米などを援助してもらいながら自宅離れで単身自活生活を送るようになり,インターネット等を通じて精神工学犯罪の実在を訴えるといった告発活動に没頭していた。また,
この頃,
精神工学戦争を仕掛けている者に対する護身用と称してインターネットで本件凶器となるサバイバルナイフを購入したり,インターネットの掲示板に,親族を殺害され復讐で加害者を殺した場合の懲役は何年ですか?といった質問と回答が示されたサイトを閲覧するなどもしていた。
そして,平成27年3月9日夜明け前と朝に本件に至った。
犯行時にはボイスレコーダーを携帯してその一部始終を録音している。また,その犯行は各被害者を10回前後から30回以上にわたってめった刺しにして殺害するもので,A一家に対しては寝込みを襲い,B殺害の際には持参したタオルを落としてBの注意をそらした上で犯行に及んでいる。
さらに,犯行直後,被告人は,インターネット上のタイムラインに

復讐一部成功。裁判になるのでもう会えないと思います

といったメッセージを投稿したり,被告人宅に急行した警察官の問い掛けに対し,報復したとか,あとは弁護士で,弁護士を呼んでくれ,と述べるなどもしていた。
3
両鑑定が一致する被告人の精神症状等

本件前後の一定期間にわたり,被告人が抱えている障害や妄想の内容,その形成過程については,当審鑑定と原審鑑定人の当審意見の見立てがおおむね一致している部分も少なくない。その大要を,当審鑑定を基調に示す(原審鑑定人の当審意見もほぼ同内容の分析である。)。


被告人には,生来の自閉スペクトラム症(ASD)があり,持続的,相互的
な他者とのコミュニケーションが苦手で,興味・関心が限局しこだわりが強く,常同的・反復的に特定の物を使用する傾向がある(これがリタリン乱用に影響した可能性もある。)。
また,パーソナリティの特徴として,①内向的,非社交的,自己中心的で,対人的な共感性に乏しく,情緒的交流を伴う対人関係を築くことが困難である,②限定された自己の興味・関心のある世界に没頭し,偏った自己の理想や考えに強くこだわるため,独善的,偏執的で,物事に対して現実的な受けとめや対処ができない,③欲求不満耐性が低く,困難な状況に直面できない未熟さや自我脆弱性があり,ストレス状況下では不安や内的な葛藤が高まりやすい,④しかし自己の葛藤を自覚し抱え込む能力に乏しいため,
それを外界に投影し他者に対して猜疑的,
被害的になっ
たり,自己に都合よく合理化したりする傾向がある,⑤社会適応が不良で学校や職場での成功体験が少ないため,劣等感,自己不全感,疎外感が強く,その反動として承認欲求や自己顕示性も強い,⑥環境からの刺激に過敏で,惹起された不安や感情を統制することができず,ストレス状況下で衝動性,攻撃性が高まりやすい,⑦長年消化性潰瘍を患い,不安が強くなるとかゆみや痛みの訴えが多くなるなど,自覚できないストレスや葛藤を身体化する傾向が強い,といった特徴が認められる。こうしたパーソナリティ特性(特に①②)には生来の自閉スペクトラム症が強く反映されている一方で,家庭や学校生活など環境の影響も大きかったことがうかがえる。
さらに,被告人はリタリンに執着するようになり,予約日より早く受診して処方を求めるなどしており,医師の減量の勧めに応じず,処方要求がエスカレートして処方が制限されるようになってもリタリンがないと何が起こるかわからん,などと医師を脅すなど執拗にリタリンを求めた。当時の被告人は,リタリンを長期間使用し,非常に強い欲求が持続していたことから,リタリンの使用障害(依存症)だったと診断できる。


平成18年7月の父方祖父の自殺後に被告人に病的体験が出現し始めた。父
方祖父の自殺後から不自然な痛みが走ると感じ,同年10月から11月にかけて,痛み,しびれ,息苦しさなどを訴えて何度か医療機関を受診し,同年9月末から10月にかけて
家にエアガンを撃ち込まれた
などと連日警察に電話している。
祖父の自殺という受け入れがたい現実に直面した被告人は,非常に不安が強い状態の中でこの出来事を合理化しようとし,(祖父の自殺時に来た)警察官がにやにやしていた,ロープのくくり方が自分ではできないやり方だったという違和感,自身に起こる不自然な痛みやしびれ(身体化症状と考えられる),その他のさまざまな出来事に対する疑念などを関連づけながら,徐々に自分や家族が狙われている,攻撃されている,祖父は自殺ではなく殺されたという被害妄想を抱くようになった。
このように,被告人の被害妄想の発症は父方祖父の自殺が契機となっており,強い不安が惹起される中,部分的で偏った現実認知をし,こだわると他の可能性を検討することが困難な自閉スペクトラム症特性,不安を外界に投影して他者に対して猜疑的,被害的になりやすいパーソナリティ傾向などが影響して被害妄想が生じてきたと考えられる。
この後,被告人の被害妄想が発展,構築化され,確信度が強くなっていく過程をみると,インターネットや書籍により,電磁波犯罪テクノロジー犯罪集団ストーカー犯罪について知り,その内容と自分の体験とを関連づけて自身や家族がこれらの被害に遭っていると考えるようになった。被告人はそれらを参照し,自身の被害妄想の現実的,科学的な根拠を精力的に収集しながら,多くのささいな日常の出来事を電磁波攻撃やテクノロジー犯罪,精神工学戦争などに関連づけて解釈するようになった。それらをまた被害証拠とすることによって妄想の確信度を深め,日常の出来事がこうした犯罪によるものとしか意味づけられなくなる,という状態になっていった。また,その時点の体験だけでなく,過去の出来事も同様に被害的に意味づけて解釈するようになった。このように,被告人の認知・思考は,世界中でテクノロジー犯罪,集団ストーカー犯罪,精神工学戦争が存在し,自分もその被害者の一人であるという妄想を起点として日常の出来事を受けとめる(妄想知覚),後から意味づけする(解釈妄想),古い過去の出来事を回想する(妄想追想)というパターンになり,それが長年繰り返される中で妄想が構築され,強固に体系化されていったと考えられる。
被告人の妄想対象は,一方で右翼団体,宗教団体,国家権力,国など大きな組織に拡大していくと同時に,
日常的に攻撃してくるそれらの団体の
工作員
として,
被告人の身近な人間にも広がっている。
隣人のA一家に対してもともと嫌悪感を抱き,B一家は被告人が嫌っている宗教団体に属していた事実があり,偶然被害者らに会った時のささいなしぐさなどを被害的に意味づけすることによって,被告人は彼らが精神工学兵器で自分を攻撃してくる工作員だと考えるようになっていった。そして,その被害妄想によって思考盗聴や音声送信,身体への拷問などの病的体験が苦痛を伴って繰り返されるにつれて,恨み,憎悪,恐怖心,攻撃性などを募らせていったと考えられる。
被告人には,被害関係妄想のほか,自身が音声送信思考盗聴強制尾行という言葉で表現する病的体験がある。精神医学的には,音声送信は考想吹入あるいは幻聴,思考盗聴は考想伝播や考想察知,強制尾行は追跡妄想,身体の異常感覚は被影響妄想あるいは体感幻覚が疑われる(この点は両鑑定の見解が分かれる。)。
4
両鑑定の信用性

見解の対立する鑑定が複数あり,そのいずれを基礎にするかで,責任能力についての結論も異なってくる可能性の高い場合,控訴審としては,原判決が判断の基礎としている鑑定内容が,その余の鑑定内容を踏まえてもなお,正当として是認できるかといった観点から検討するのが通常であろう。しかし,本件では,後述するように,原審鑑定人の見解が,原審時と,当審時では,実質的に異なっているとみざるを得ない点があり,原審時の見解だけを検討しても,当審での審理結果を十分に反映できないおそれがあるので,以下においては,原審鑑定に批判的である当審鑑定人の鑑定と,さらにそれを批判する原審鑑定人の当審意見を中心に検討を進めることとする。
まず,両鑑定の意見を結論的にまとめると,次のようになる。
当審鑑定によれば,犯行時,被告人は,操作的診断基準によれば妄想性障害(伝統的精神医学ではパラノイア)に罹患しており,犯行時は病状が悪化し,長年かけて体系化した被害関係妄想,妄想知覚,被影響妄想,解釈妄想,妄想追想などが非常に活発な状態だった,ということになる。
これに対し,原審鑑定人の鑑定によれば,本件犯行時,被告人は,精神刺激薬であるメチルフェニデート(商品名リタリン)の濃厚かつ長期の使用が影響し,薬剤性精神病を発症,罹患しており,被告人には犯行後の鑑定時においても,薬剤性精神病でなければ説明できない感覚明瞭な幻聴や幻視・錯覚・体感幻覚などの精神症状が出現していた,というのである。また,これに加え,被告人には自閉スペクトラム症の影響も加重しているが,疎通性や生活機能,論理的思考が保たれているため,平素の生物学的重症度は軽症な統合失調症程度であり,妄想性障害よりも重い(犯行時妄想的な意味づけが活発になったのは,生活状況の大きな変化のストレスによるもので,病状が悪化したというわけではない。),ということになる。両者の結論を比較すると,当審鑑定によれば,本件犯行は,妄想性障害の妄想の影響を非常に強く受けていたことになるのに対し,原審鑑定人の鑑定では,被告人の薬剤性精神病は,生物学的重症度としては,妄想性障害よりも重いとしながらも,病状が悪化していたわけではないというのであるから,結論として,精神障害の影響は,原審鑑定と同じく限定的であることを示唆しており,どちらの見解を基礎とするかによって,
責任能力判断に違いが出ることが予想される。
したがって,
両者の見解について,より詳しく比較検討する必要がある。
まず,当審鑑定人は,精神医学者のC教授の論稿を引用し,そこで示される①環境に対する人格の反応として妄想が生じ,その妄想が固定し,進展する。これには患者の人格特性(体質)が大きく関与する。②妄想の原点として,不安・恐怖・疑惑・怒りなど,自己の存在を根底から揺るがす「感情的な出来事又は状況が存在し,合理的判断を圧倒する。③妄想は限局的なものであり,個人的意味地平(世間)をはみ出すことはない。一方,妄想が関与しない日常生活は正常に保たれ,妄想の持続にも関わらず病前の人格は保たれる。④妄想(観念)と異常体験(感覚)は融合し,一体をなしている。患者はしばしば体験から妄想を説明するが,体験は証明のための確証として一面的に歪められていることが多く,時には幻覚の様相を帯びることもある。⑤患者は妄想に対して観察的・探索的行動をとる。
すなわち,
証拠を集め,
細部にわたる鮮明な証言をし,
対抗措置を講じ,
時には妄想対象に対する攻撃的・好訴的行動をとることもある」,といったパラノイアの精神病理学的特徴は,いずれも被告人に当てはまる。すなわち,C教授のあげる自尊心が強く,傷付きやすく,神経質で頑固といった人格特性は,被告人にも認められ,それは,生来の自閉スペクトラム症と家庭や学校などの環境要因などの影響を受けて形成されたと思われる。また,妄想の発症に関しては,父方祖父の自殺という自己の存在を根底から揺るがすような体験を背景に,自分や家族はテクノロジー犯罪,精神工学戦争の被害者であるとの妄想観念を生じさせ,それが,思考盗聴,音声送信などの異常体験を生じさせた。その結果,自分は,こうした犯罪の被害者であり,精神工学兵器によって攻撃されているとの妄想が強化され構築されていくという悪循環の中にあった。インターネットや書籍からの情報を精力的に集め,それらを根拠に妄想の真実性を訴えている点,妄想に関係しないところでは日常生活を送れていた点,現実の出来事を病的に意味付けて妄想を証拠付けようと躍起になっていた点など,被告人の症状の特徴や経過が,上記のパラノイアの病理規制にすべて当てはまる。被告人は,自分は被害者だといいながら,妄想対象に対する攻撃的・好訴的行動を取るパラノイアの患者の典型であるとしている。このような,当審鑑定人による被告人の精神病理の説明は,明快で,非常に説得的なものであるといえる。
これに対して,原審鑑定人の当審意見では,次のように当審鑑定を批判している。すなわち,被告人に顕在化した精神症状は,猜疑心,妄想的意味付け,妄想体系とともに,広義の被影響体験,状況反応性,感情鈍麻のなさ,打てば響くような当意即妙性,さらに感覚明瞭な要素的・物理的な幻聴,幻視,錯覚,体感幻覚である。妄想性障害においては,感覚明瞭な要素的・物理的な幻聴はあり得たとしても,幻視,錯覚,体感幻覚が出現することはなく,これらがみられる時点で,妄想性障害は鑑別診断より除外される,というのである。
しかし,当審鑑定人は,これに対して以下のように反論している。ア
妄想性障害の場合であっても,体感幻覚(ないし体感幻覚様のもの)を感じ
ることはある。すなわち,前記のC教授の論稿中,妄想性障害にあっては,妄想(観念)と異常体験(感覚)は融合し,一体をなしている。患者はしばしば体験から妄想を説明するが,体験は証明のための確証として一面的に歪められていることが多く,時には幻覚の様相を帯びることもある,との一節を引用し,妄想性障害は,攻撃を受けているという妄想の観念と,自分の知覚体験とが混然一体となっていて,それが知覚なのか観念なのか区別がつきにくい上,妄想性障害の患者は,身体的な異常を訴える人が少なくないので,妄想として起こっているのか,体感幻覚なのかは究極的には分からないから(当審鑑定人Ⅰ61頁以下),これによれば,被告人に生じたとする幻視,錯覚,体感幻覚の説明もつくというのである。なるほど,確かに精神工学兵器で攻撃をされ,身体に痛みを感じた,などという被告人の幻覚は,まさに妄想(観念)と異常体験(感覚)が融合して一体化したもので,そのような痛みがあるから,精神工学兵器による攻撃が実在し,ひいては被害者一家らが精神工学戦争の工作員であるとの証明に結びつくという被告人の思考過程は,そのような説明に整合するものと考えられる。イ
原審鑑定人の鑑定が,幻覚が状況反応的であることが薬剤性精神病に特有の
ものである,とする点についても,妄想性障害は人格要因と状況要因とが重なって生じるものであるから,状況依存的であることがまさに妄想性障害であることの証左であると述べているが(当審鑑定人Ⅱ2頁),この点も合理的なものといえる。ウ
最も具体的に見立てが異なるのは,被告人のリタリン乱用歴と体感幻覚につ
いてである。原審鑑定人の鑑定は,被告人の約5年間のリタリン乱用歴や体感幻覚を重く見て,薬剤性精神病と鑑別している。しかし,当審鑑定では,被告人にリタリン乱用歴があり,その最中に被害妄想等を発症していること,その当時,被告人がリタリン中毒であったとの原審鑑定人の見立て自体は否定しないものの,それを前提に,乱用中止後も長年にわたって被害妄想が持続しているだけでなく妄想構築が進んでいること,妄想は種々の点から妄想性障害の特徴に合致することから,被告人の精神病症状はリタリン乱用の影響(少なくともその影響だけによるもの)とは考えられない,と原審鑑定人の鑑定を批判しているのである。
そして,原審鑑定人のいうように,リタリン乱用中の平成17年,18年頃に幻視,錯覚,体感幻覚があったからといって,その後,被告人が妄想性障害を発症したことを直ちに否定することにはならないし,体感幻覚については,既にアで述べたことが妥当するのであって,妄想性障害を除外する決め手にはならない。エ
原審鑑定人の鑑定では複数の文献を引用し,乱用中止後も長年にわたって妄
想や幻覚が続いている症例を紹介している。しかし,当審鑑定人は,自らの臨床経験でもそのような事例はないし,原審鑑定人の鑑定で引用された文献をすべて取り寄せて検討したが,長期間服薬している中で,あるいは服薬後少したって急性精神病になった例はあるが,多剤であればともかく(原審鑑定人の当審意見が指摘するD医師の報告例は多剤に関するものである。),リタリン(メチルフェニデート)単剤で,それを大量に摂取してから7年,8年,10年という期間が過ぎた後にも精神病状態が持続した報告例は一つもなかったし,当審鑑定人が独自に複数の依存症専門医に聞いても,そのような事例を経験した医師は一人もいなかったというのである。
原審鑑定の問題点
以上,両鑑定の内容及び相手方の見解に対するそれぞれの批判等を検討した。これらをも踏まえ,
ここで,
原判決が責任能力判断の基礎としている原審鑑定
(主
要な点は原審鑑定人の当審意見においても維持されている。)について,当裁判所の検討結果をまとめておく。

原審鑑定では,被告人の精神障害は薬剤性精神病と診断されている。
しかし,被告人の本件行為は,薬剤乱用中止後相当期間が経過した後のものであり,この点から,当審鑑定人は,前述のように,薬剤性精神病との診断に疑問を投げかけている。
前例がないというだけで,
直ちに診断が誤っているとはいえないが,
やはり,蓋然性としては消極的にならざるを得ないであろう。

原審鑑定は,犯行時妄想は活発化していたことを認めつつも,それは,生活
状況の大きな変化によるストレスによるもので,症状が悪化していたわけではないと説明している。しかし,この説明は納得し難い。犯行時,被告人の妄想が活発化していたのであれば,それがストレスによるものであっても,病状の悪化として捉えるのが通常であろうから,当審鑑定が指摘するように,精神病症状が悪化していたと考えるべきである。そうすると,原審鑑定は,犯行時の被告人の精神病の状態について,必ずしも的確に捉えていなかったということになる。

原審鑑定人の当審意見では,
疾病の程度について,
被告人の薬剤性精神病は,

当審鑑定のいう妄想性障害よりも重症であるとしながら,これが犯行に与えた影響の程度については当審鑑定人の見解よりも小さいとしている。そもそも,精神障害の種別によって,疾病の重症度がそれほど明確に決まるものであるのか疑問であるが,その点を措くとしても,責任能力判断で重要なのは,精神障害が犯行に与えた影響の仕方,度合い等であり,その点を抜きに,疾病の重さを単純に比較することに意味があるとは思われないし,結論としても,妄想性障害よりも重い疾病としながら,犯行に与えた影響が妄想性障害とする当審鑑定の見解よりも小さいとするのは,不整合の感が否めない。

原審鑑定人の見解は,原審での鑑定と当審意見との間で,実質的に異なって
いる(変更された)とみざるを得ない点が存在している。
例えば,原審段階では被告人の自閉スペクトラム症については明示的に触れておらず,
内容的には触れていると反論するものの,
それは被告人の
障害
ではなく,
人格特性として述べているにすぎない。この点は,原審鑑定人が当審鑑定に触れて自己の見解を修正したとみられてもしかたのないところである。
より重大な変更とみられるのは,当審段階で,平素の人格機能が全く機能しないほど妄想に圧倒されていたとはいえないとしながらも,本件犯行は著しい妄想に影響されていたなどという表現を用いて,被告人の妄想と本件犯行についての関係を説明している点である(当審第2回公判証人尋問調書19頁等)。原審では,この点につき,犯行時に,明らかに妄想が活発化した形跡はない,病状が悪くなって妄想が活発化したというわけではないと判断していたし,また,犯行について,少なくとも,犯行の時点では,ふだんの被告人の人格機能であったと評価してよいと判断していたのである(原審第8回公判証人尋問調書31頁,精神鑑定結果報告55ないし58頁)。これは,責任能力についての結論に深くかかわる重大な点について,原審鑑定人が判断を変更したとみざるを得ないものであるから,到底看過することができず,原審鑑定人の鑑定の信用性に大きな疑問を投げかけるものである。この点につき,原審鑑定人は,病気の重さに触れないよう,原審裁判体から指示されたなどというが,原審(裁判員裁判)において,責任能力の結論(完全責任能力か心神喪失かなど)に触れるなという指示であるならば理解できるが,原審における鑑定事項が,犯行当時の被告人の精神障害の有無,内容,その障害による精神症状が犯行に与えた影響とその機序とされていることからすれば,精神障害の重さが鑑定事項から外されていたとは考え難く,原審鑑定人のいうような指示があったとは考え難い。さらに,原審鑑定人が原審において,

人格自体は,本人の人格,その責任を取るという意味での,その事件時の人格というものは十分保たれていたというふうなことです。

(前記原審証人尋問調書52頁)などと完全責任能力を示唆するかのような説明をしていたこととも整合しない(この点については当審意見においてもそのような趣旨ではない旨の説明を加えているが,採用できない。)。
小括
以上,検討したとおり,原審鑑定人の鑑定,少なくとも原審鑑定をそのまま信用することはできないし,両鑑定を比較すれば,当審鑑定の方がより信用性の高いことは明らかである。
5
検察官の主張について

検察官は,当審鑑定につき,原審鑑定人の当審意見における当審鑑定の批判を踏まえ,種々論難している。しかし,両鑑定のうち,当審鑑定の方が信用性の高いことは既に論じたとおりであり,当審鑑定を基礎として責任能力について検討せざるを得ない状況であるから,
検察官の批判に応答する必要は基本的にはないといえる。
したがって,重要な点について,簡潔に検討結果を示すに止める。心理検査を実施していないことについて
当審鑑定人は,原審における原審鑑定の際の心理検査の結果とローデータの提供は受け,これらをも考慮した上で鑑定しており,当審鑑定において独自に心理検査を実施していないことが,鑑定結果の信用性に疑問を抱かせるような重大事とは考えられない。この点をもって,当審鑑定が鑑定資料の質と量において,原審鑑定人の鑑定に劣るなどとは到底いえない。
また,当審鑑定人が被告人に対し心理検査を求めたが,被告人がこれを断ったことをもって,当審鑑定人の鑑定人としての資質に問題があるということには全くならない。もともと精神科医に対し強い不信感を露わにしている被告人が,原審鑑定時には説得されて心理検査に応じたものの,当審鑑定時には,何らかの理由によりこれを頑なに拒んだからといって,鑑定する側の資質に疑問を生じさせるようなものではない。


当審鑑定が不可知論に近いとの批判について

原審鑑定人は,当審鑑定において妄想性障害と診断したのであれば被告人の環境因,自閉スペクトラム症やパーソナリティの特徴を考慮した犯行時および犯行前後の被害妄想や行為に関する検討が必要であるところ,当審鑑定では妄想と犯行を一義的に関連付け,
犯行そのものを内因性精神病としての了解不能性のみから説明し,犯行態様も被害妄想様の発言も内因性精神病の病状増悪でしか説明しておらず,妄想性障害の疾病構造や近年の自閉スペクトラム症に関する知見の欠落した,行き過ぎた不可知論である,などと批判し,検察官も,当審鑑定は,本件に限り,いわゆる不可知論に近い立場を取っているものと評価すべきであり,言い換えれば,当審鑑定においては,精神の機能,症状,病態,病理といった病理的な部分と,健常部分とが,それぞれ,本件犯行にどのような影響を与えたか,特に,健常部分が犯行に及ぼした影響はどの程度かについての分析的な結論は示されていないというべきであって,責任能力の判断材料としては,不十分といわざるを得ない,などと主張している。
しかし,この主張は,当審鑑定を正解しないものである。当審鑑定人は,妄想性障害は,生来の人格と精神障害とが不可分的に結びついているという特質があるから,どこまでが健常であって,どこまでが病理的なのか,区別ができない部分がある(薬剤性精神病であればある程度の区別が可能であり,かつ原審鑑定人の鑑定は本件ではそのような明確な区別が可能であるという前提に立っていると思われる。)
と述べているにすぎず,無自覚に不可知論をとっているわけではない。また,責任能力の判断材料として不十分であるともいうが,専門家であっても,明確に分けて論じることができない事柄である以上,そのように意見を述べざるを得ないし,その限度で判断材料とするしかないのも当然である。調査しても分からない部分は分からないとした上で,病気や症状の重症度から判断するほかない,という当審鑑定人の見解に何ら不当な点はない。また,当審鑑定人は,自閉スペクトラム症の認知特性はパーソナリティ形成に影響しており,それが表現型としては妄想という形で出て,それが精神症状として出ているという説明をしているから,自閉スペクトラム症,認知特性,パーソナリティ形成特性をも考慮しているといえる。そもそも原審鑑定人自身,原審鑑定段階では,被告人の抱える自閉スペクトラム症については全く触れておらず,自閉スペクトラム症を明確に意識した上での分析がなされているとは考えられないから,原審鑑定人が,自閉スペクトラム症を持ち出して当審鑑定を批判すること自体,説得力を欠いているともいえる。


検察官は,原審のときと比べて,供述が変遷し,妄想的発言が非常に強調さ
れている当審鑑定時の被告人供述を踏まえ,当審鑑定人が,本件の動機について,殺されるんじゃないかと思っていたという気持ちも強くなっていたのではないかと推測される旨証言している点等を捉え,当審鑑定は,前提事実に誤りがあり,妄想の圧倒的影響で犯行に及んだとする鑑定結果は信用できないと主張する。確かに,被告人自身,原審段階までに,殺されるといった切迫した恐怖感を感じていた旨の供述はしておらず,他にそのような恐怖感を感じていたことをうかがわせる事情はないから,単純にそのような事実を前提とすることは問題があるといえる(この点は後に詳しく検討する。)。しかし,当審鑑定人は記録上認められる関係事実すべてを資料として鑑定しており,被告人から聴取した事実のみを用いて判断したものではないし,その鑑定内容に照らしても,被告人の供述時点を意識しており,原審鑑定時と当審鑑定時において,被告人の供述が変化していることも織り込んで鑑定していることは明らかである。
このような鑑定手法や経過に誤りはなく,
また,前述したように,被告人の精神障害の基本的な診断においては,原審鑑定人の鑑定よりも信用性が高いことは明らかであるから,やはり,犯行時の被告人の精神状態を把握するには,当審鑑定を基本に考察することが妥当である。6
以上検討したところを踏まえ,当裁判所としては,当審鑑定に依拠し,被告
人に存した精神障害は妄想性障害であり,犯行時その症状は非常に悪化しており,強い妄想を抱いていたと判断する。
なお,所論が控訴趣意書において主張していた,被告人の精神障害が統合失調症である可能性は,両鑑定とも一致して否定しており,他にこれを疑うべき事情は存在しないから,採用できない。
第5

責任能力に関する事実誤認の論旨について(その2
責任能力判断)

1
はじめに

本件は,
原審段階から責任能力の有無,
程度が深刻に争われている事案であるが,
これまでの検討で,原判決がその判断の基礎とした精神鑑定(原審では,2名の精神科医が被告人の犯行時の精神状態について意見を述べている。)は,当審での精神鑑定に比して,責任能力判断に密接に関わる点で,信用性が低いことが明らかとなった。したがって,原判決の判断は,原審段階での証拠関係を前提に,裁判員との的確な評議の結果であると思われるが,基礎とする精神鑑定(原審鑑定)が必ずしも信用できるものでなく,これを基礎に判断することができない以上,責任能力判断において,原判決と当裁判所の結論が異なることとなっても,誠にやむを得ないことである。
2
原判決の判断について

以下では,犯行時の被告人の責任能力について,当審鑑定を参考としつつ,原判決を検討することとする。
原判決の判断内容
原判決は,その結論において,被告人が,犯行時完全責任能力を有していたと認定している。その理由として,原審鑑定人の見解を基礎に,①被告人は犯行時,切迫した恐怖を感じていたわけではなく,直接的に殺害を促すような幻覚・妄想等の症状があったわけでもない,②自分の行為が殺人として犯罪になり,逮捕され裁判を受けることになると認識していたこと,③犯行前後の被告人の行動が合理的で一貫しており,合目的性,計画性もあること,④犯行後に警察官から質問を受けて弁護士が来るまで答えないと言うなど自己防衛的行動を取っていること等をも併せ,被害者一家らは工作員であり,被告人が攻撃を受けているとの被告人の妄想を前提としながらも,被害者らの殺害を決意し,実行した被告人の意思決定と行動の過程には,病気の症状は大きな影響を与えていないと認められるとし,被害者一家らが工作員であり,被告人が攻撃を受けているという認識は妄想であり,薬剤性精神病の影響があると認めつつも,そこから殺害という手段に出ることを決意した思考過程においては,被告人の世界観を前提とする誇大感,正義感,被害者一家らに対する悪感情など被告人自身の正常な心理が作用しており,病気の影響は小さく,殺害の実行についても,病気の影響はほとんど見られないと結論付けている。この判断について,いくつかの観点から検討する。

被告人の妄想の内容と強さについて

本件で最も問題となるのは,被告人の抱いていた妄想の内容と,それが本件にどのような影響を与えているかである。
被告人は,日本国政府やこれに同調する工作員が精神工学戦争を行っているという世界観を持つに至ったが,これ自体は,突飛なものではあるが,原判決もいうように,
同様の考えをもつ者はおり,
これに関する著作も存在している。
しかし,
全く関係のない,ささいな出来事から,被害者一家らがその工作員であり,自分や家族がその攻撃を受けていると確信している点は,妄想というしかない。当審鑑定によれば,平成18年の父方祖父の自殺という,自己の存在を根底から揺るがすような体験を背景に,精神工学戦争という妄想観念が生じ,その被告人の妄想性障害の症状は,平成26年5月頃から悪化し始め(被告人が精神科を受診したのは,同年4月が最後であり,同年7月に転医を希望して紹介状を書いてもらったものの,受診した形跡はない。),本件犯行の約2か月半前になる同年末頃淡路島の自宅に戻った後は,経済的な困窮等の環境的要因の悪化によるストレスが高じ,妄想的意味づけが活発になるなどその病勢は悪化しており,このことは,当時,以前にも増してさかんにインターネットを通じての告発活動に没頭していたことからも見て取れる。特に,本件の1週間前の平成27年3月に入ってからは,入浴や洗濯のために自宅母屋に援助を求めたが,これも拒否されて生活上の困窮も極まり,被害妄想がさらに悪化して,被告人の衝動性,攻撃性が極めて高まったとされる(当審鑑定書83頁,89ないし92頁)。この見解は,当時の被告人の状況等とも整合するもので,十分に信用できる。
このような経過からすれば,生活状況の大きな変化によるストレスが原因で妄想的意味づけが活発になったことは,
妄想性障害の病状が悪化したとみるべきであり,
病状の悪化はみられないという原審鑑定人の見解は採用できない。そうすると,
被告人の犯行の原因となっている妄想は,
精神医学的観点からみて,
妄想性障害という精神障害の症状が極めて悪化し,衝動性,攻撃性も高まったものと評価できるから,この点に係る原審鑑定等に依拠し,原判決が,被告人の本件時の病状はそれほど悪化していないとみたことには,賛同し難い。

妄想の影響の強さ

一般に精神症状としての妄想が強ければ,その妄想に行為が強く影響を受けるものと考えられるが,被告人は,どの程度この妄想の影響を受けたのかを検討する。この点では,犯行動機の解明が重要である。
原判決は,被告人が犯行後,被害者一家らに報復をするとともに,裁判の場で精神工学戦争の存在を世間に明らかにする目的で本件犯行を行った旨の発言につき,犯行時に携帯していたボイスレコーダーには,被告人の声で,被告人がその時点でも工作員に攻撃を受けている旨発言したり,悔しいから工作員らを殺してやってと言ったり,殺害の瞬間にじいさん達のかたき拷問してくれたな
電磁波兵器でと言ったりしている様子が録音されており,上記発言はこれらによって裏付けられていて信用できる,とし,本件犯行動機は,被害者ら家族は工作員であり自分たちに長年攻撃をしてきているという妄想を前提として,それに対する報復をし,裁判の場で精神工学戦争の存在を明らかにするというものであったと認められるとしている。
この判断自体に誤りはない。しかし,このような動機は,被告人の妄想でしか説明が付かないから,被告人の妄想が本件の決定的な原因であり,妄想の本件犯行に対する影響は極めて大きかったとするのがその論理的帰結である。そうすると,この点に関する原判決の判断にも賛同できないということになる。原判決の判断内容に対する評価
原判決が,被害者一家らは工作員であり,被告人が攻撃を受けているとの被告人の妄想を前提としながらも,被害者らの殺害を決意し,実行した被告人の意思決定と行動の過程には,
病気の症状は大きな影響を与えていない,
と判断しているのは,
被告人の妄想性障害による妄想でしか本件の原因を説明できないから,本件では,精神症状としての妄想の影響が極めて大きかったという論理的な帰結に従わなかったもので,不合理なものといわざるを得ない。
そうすると,原判決が責任能力についての結論を導くまでの過程の具体的な判断には,是認することのできない点があり,結論としての完全責任能力という判断にも大きな疑問が生じるところである。
3
当裁判所の判断
責任能力の有無・程度は,被告人の精神障害の状態という生物学的基礎の上
に,事理弁識能力及び行動制御能力がどの程度障害されていたか,逆にいえば,どの程度正常なまま残っていたかを,法的に判断するものである。
これまでの検討の結果,被告人は,妄想性障害という精神障害が重篤化し,強い妄想の影響により,本件犯行を行ったものといえる。
しかし,そのことから直ちに,責任能力が失われていたとか,著しく制限されていたということにはならない。これまでに明らかにされた精神医学的な判断を基礎として,心理学的要素について検討を加え,法的に責任能力の判定を下す必要がある。
精神障害の種類(診断名)の問題

診断名が判定されれば,責任能力判断が一義的あるいは,ほぼ確実に決まる
わけではない。むしろ行為時の具体的な精神症状のあり様が問題であるから,診断名が決定的に重要であるとはいえない。しかし,本件では,妄想性障害に基づく精神症状が問題となるから,やはりこの点の検討が必要となる。なぜなら,妄想性障害は,その妄想の局面を除けば,通常の社会生活を送れる場合が多い(本件の被告人もそうであった。)上,その妄想も,基盤には行為者自身の人格があり,妄想自体も奇異なものではないなど,行為者の人格特性から説明が付き,その結果,妄想に基づく行為であっても完全責任能力と判断されることが多いとされているからである。
当裁判所も,そのような判断がなされている例をもちろん承知しているが,やはり,これも具体的な妄想のあり様によって判断すべきであると考える。イ
当審鑑定人も,妄想性障害については,生来の人格と精神障害とが不可分的
に結びついているということは認めているが,
しかし,
そのような点を踏まえても,
本件は,
被告人のもともとの人格という面だけでは到底説明が付かないと思われる。妄想の内容は,前述のとおり,精神工学戦争そのものは極めて奇異とまではいえないとしても,被害者一家らがその工作員で,自分や家族に攻撃を仕掛けてくるというのは,被害者一家らと被告人や家族の付き合いの状況等に照らして,極めて奇異というべきであり,
被告人に,
物事を被害的に受け止める傾向があったとしても,
これは被告人の人格とは相当かけ離れた妄想というべきである。
また,被告人の人格レベルが,妄想の局面を除けば,通常の社会生活を送れる程度であったとしても,本件で問題となるのは,まさにその妄想に基づく行為であるから,その余の社会生活を送れるというような点を重視して,責任能力に及ぼす影響は限定的であったと判断することも相当でない。

したがって,本件は,妄想性障害に基づく妄想が原因となっている事案では
あるが,妄想性障害であることをもって,直ちに完全責任能力が推定されるなどと判断することは相当でない。
本件行為態様等からの検討
ここでは,本件犯行に関わる被告人の行動等を,前記

で示した原判決の判断

(被告人の完全責任能力を認定した要因)をも踏まえて検討する。ア
犯行動機

犯行動機は,これまでに述べたとおりであり,これが妄想の強い影響を受けていたものであることは明らかである。本件の犯行動機が,被告人の本来の人格からみて了解可能であるなどとは到底評価できない。
もっとも,本件の動機として,自己の身を守るため(自分の生命等が脅かされているといった重い意味である。)という目的があったかについては,慎重な検討が必要である。原判決が言及している,犯行時に切迫した恐怖を感じていたかどうかについて関係する点である。
この点,当審鑑定人は,自己の身を守るためという目的があったことを認めている。当審鑑定人は,自ら聴取した事実をもとに,犯行直前頃,被告人が護身用と称して本件に用いたサバイバルナイフを購入したり,被告人の告発活動が激しくなっていたり,当審鑑定人の面前で,被告人が告発活動を続けている限りは消されないだろうと思っていたなどと述べていることから,被告人は,自分自身が殺されるといった恐怖感が強くなっていたのではないかなどと指摘している。しかし,被告人自身は,原審公判廷では身を守るためなどとも述べてはいるが,犯行時及び犯行直後の発言等をみても,これを適切に裏付ける事実は認め難い。被告人のこの点の供述は変遷しているとみられる。犯行時の録音を聞いても,今電磁波兵器で攻撃されているとして,攻撃がその際行われているようには受け止められるが,工作員リストの連中を必ず殺してやってくださいそうじゃないとマインドレイプされたまんま悔しい思いしてますんで日本の警察が行っている犯罪・・・証拠全部ありますんでなどとなって,その直後から犯行に着手し,犯行の最中には,じいさん達のかたき拷問してくれたな電磁波兵器でなどと発言していることが認められるから,やはり,犯行の目的は,まず第一に復讐であり,次に,精神工学戦争の存在を裁判の場で明らかにするというものであったと考えられ,被告人も,その段階では,自分の生命身体に危険が及ぶような切迫した恐怖を口にしていない。
そうすると,犯行時,被告人は,切迫した恐怖を感じていたわけではなく,直接的に殺害を促すような幻覚,妄想等の症状があったわけでもないとの原判決の説示は正しいことになる。

犯行前の行動
被告人が,犯行の準備をどのように整えたかについてみてみる。
被告人が本件で使用したサバイバルナイフをインターネットで注文して購入したのは,
平成26年末に被告人が淡路島に戻る直前
(12月25日)
であった。
また,
その直前には,親族を殺害され復讐で加害者を殺した場合の懲役は何年ですか?」といった質問と回答が示されたサイトを閲覧してもいる(なお,こちらは,自宅に戻った後の,平成27年1月4日にも閲覧している。)。ナイフを注文したのは本件犯行の2か月半ほど前であるが,妄想の一環として,祖父が工作員である被害者一家らに殺害されたとの思いなどを抱いていた被告人が,本件の凶器となるナイフを購入したことは,このナイフによって犯行に及ぶことを考えていたことを示すものと考えられる。そして,犯行直前には,ナイフ,殺人術などの検索ワードを入れてインターネット検索もしている。これらは,平成26年末に淡路島に帰る直前頃から本件犯行の兆しがあり,自宅に戻って以降,妄想性障害の症状が重くなり,妄想が一層激しくなって,ついに,本件犯行を確定的に決意したものとみられる。このような過程は,当審鑑定の指摘する症状の悪化と整合するものである。ただし,被告人が,「親族を殺害され復讐で加害者を殺した場合の懲役は何年ですか?などというサイトを閲覧して,刑罰の重みを気にしていたことは注目される。時期的にも,ナイフを購入した頃で,自宅に戻った後にも再度見ているから,相当精神症状が悪化し,妄想が強固となっていた頃にも,自分が殺人行為に及んだ時の刑事責任を気にしていたということになる。この点は,自らの行おうとしていることが,刑事処罰を受けるような違法なものであることを認識していたことを示すもので,事後の行為をも総合すれば,被告人は,本件行為の違法性を認識していたものと認められる。

犯行態様

本件の犯行態様で顕著なのは,殺意の強固さ,犯行の残虐さ等である。これらは,妄想に強く影響されて,被害者一家らの殺害を決意し,そのための合理的な行動をとったとみるべきである。
計画性も認められるが,
これも,
妄想に従っ
たものであり,被告人の正常な判断能力を基礎付けるものと評価することは相当でない。これらの点を,責任能力を肯定する方向で評価しているとみられる原判決の説示は,是認できない。
被害者らを不必要に多数回ナイフで刺している点(10回程度から多くは30回以上)について,原判決は,

人を殺す最中には相当な興奮があるだろうし,初めての経験で加減がわからなかったとも考えられるから,異常とまではいえない。

などと説示するが,賛同できない。本件の犯行態様は,執拗で残虐さが際立っている。残虐だからといって,直ちに異常な精神状態であったなどとはいえないが,客観的には,被告人が,被害者らを確実に殺害するためにこれほど残虐な態様で犯行に及ぶことを理解できるような事情は見当たらないから,この執拗さ,残虐性は,結局,妄想の強さを表しているとみるべきであろう。
本件以前の被告人による直接的な暴力行為は,リタリン乱用を始めた後,家族に対してのものが数える程の回数しか確認されておらず,前記のようにAの孫とトラブルになって鉄パイプで殴られるなどした際にも,被告人が反撃を加えた形跡はない。そうすると,被告人が,欲求不満耐性が低いため,自己の欲求が満たされない状況下で,衝動的,攻撃的になりやすい傾向をもともと有していたとしても(当審鑑定書82頁),被告人の妄想性障害発症前の人格と,計画的に,サバイバルナイフで複数の他人を短時間に次々とめった刺しにする行為が親和的であるなどとは到底いい難く,人格異質性という点も,これを承認せざるを得ないであろう。そして,家人を殺害するのに,堂々と被害者宅に入っていき,何のためらいもなく,残虐とまで評価される徹底した殺害行為に及んでいる点をみると,被告人が,この殺害行為に後ろめたさなどは感じず,正しい行為だと考えていたことが推認される。
犯行時にボイスレコーダーを所持して犯行時の状況を録音したり,犯行時の記憶が比較的良く保持されていることも,精神錯乱の状態でなかったことを示すものではあるが,強固な妄想に基づく行為であったことと矛盾するものではない。録音するなどの証拠を残したのは,通常の精神状態からは理解しにくく,妄想からくる犯行動機や,自らの行為が正しいものであると考えていたことと整合的である。エ
犯行後の行動

被告人は,犯行後,逃走もせず自宅に戻り,駆け付けた警察官からの逮捕に応じている。これも妄想からくる犯行動機(裁判の場で,精神工学戦争の存在を明らかにする。)に整合的である。
また,被告人は,犯行直後,インターネット上のタイムラインに,

復讐一部成功。裁判になるのでもう会えないと思います

と書き込んでいるが,これも,妄想に従って犯行を実行し,裁判になることを予期していたことを示すものであって,本件の妄想と矛盾するものではない。ただし,自宅に駆け付けた警察官に対して,弁護士が来るまで何も話さない,弁護士を呼べといった趣旨の発言をしていることは,自らの刑事責任を意識していたことを示唆するもので,裁判の場で精神工学戦争の存在を明らかにするといった動機からはやや説明が付きにくく(精神工学戦争の存在を明らかにするという目的からすれば,弁護士が来るまで何も話さないという対応より,警察官に対しても精神工学戦争の存在を訴える方が自然な対応であろう。),その意味では,自己の責任についての防衛的な言動と評価される。さらに,原審においても,被告人は,精神工学戦争が存在し,被害者一家らがその工作員であったなどと,具体的な事実(それ自体は,工作員であることなどを示すものであるとは到底認め難い事実である。)を示してるる述べ,自らの行為を何度も天誅と表現している。これも,本件時に被告人が抱いていた妄想を裏付けるもので,自己の行為が正当なものであるとの思いが強かったことも示している。総合的検討

以上,本件犯行の動機,犯行前から犯行後までの一連の被告人の行動等を検
討しても,当審鑑定が示す,被告人の妄想性障害の病勢が悪化し,被害妄想が一層深刻なものとなって,被告人の衝動性,攻撃性が極めて高まった結果の犯行であるとの基本的な見方は支持される。

被告人が,本件犯行を違法なものと認識していたのは明らかである。その意
味では,事理弁識能力は,少なくとも最低限保たれていたといえる。犯行前にどれくらいの刑になるのかを調べたり,
犯行直後に,
裁判になるのでもう会えないといっ
たメッセージを送ったり,警察官に対し弁護士が来るまで話さないなどと述べたこと等に照らしても,原判決の,被告人が,自分の行動が殺人としての犯罪になり,逮捕され裁判を受けることになると認識していたとの説示自体に,誤りはない。ウ
しかし,被告人は,たとえ処罰を受けることになっても,妄想性障害に基づ
く妄想の強い影響を受けていたために,自己の復讐を果たすとともに,精神工学戦争の実在を明るみに出したいとの動機に基づき,そのような行為に出ることが正しいことであると認識して,規範障害を乗り越え,本件に及んだと認めるのが相当である。本件犯行を思いとどまる能力(制御能力)は,妄想のために著しく減退していたとみられる。その結果,被告人は,本来の人格からは相当解離のある,残虐な殺害行為を,
短時間のうちにためらいもなく,
次々と行ったと考えられるのである。

もっとも,制御能力は,なお多少は保持されていたとみるべきである。
被告人は,本件犯行が,刑事処罰を受ける違法な行為であると理解しつつも,妄想が極めて強くなり,その妄想に基づく動機によって殺害行為に出ることが正しいことと位置付けて,規範障害を乗り越えたといえるが,このような場合,制御能力がほぼ完全に失われていたか否かを判断するには,被告人が本件犯行を余儀なくされた,すなわち,被告人において他の行為を選択する余地がなかったか,このような殺害行為を避けることはできなかったのかを検討する必要がある。被告人が,強い妄想の影響下にあったとはいえ,被害者一家らの殺害に直結するような命令性の幻覚や幻聴があったわけではない。また,殺害行為に及ばなければならないほど切迫した恐怖感(今そのような殺害行為に出なければ,自分の生命等に重大な危害が及ぶというようなもの)までは,被告人が抱いていなかったことも明らかである。そうすると,被告人が,妄想の影響によって,直接的に行為を支配された結果本件犯行に及んだという疑いはなく,制御能力は,被告人の犯行時の精神障害の状態を基準に考えてもなお,完全には失われていなかったと評価すべきである。結論
以上検討したところによれば,被告人は,本件犯行時,その責任能力は,著しく減弱していたというべきであり,心神耗弱の状態にあったと認定するのが相当である。
原判決は,原審における精神鑑定に依拠したものであり,やむを得ない面があったとしても,被告人の精神障害の重篤化を見落とし,精神症状が犯行に与えた影響を過少に評価したため,責任能力の判定の面でも,個々的には正しい説示をしつつも,全体の判定はやはり誤っているといわざるを得ない。この誤りは,依拠する精神鑑定の違いに由来するものではあるが,適切な鑑定からみれば,論理則に反した認定であって是認することはできない。
被告人の責任能力につき,完全責任能力を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。論旨は,この限度で理由がある。第6

その余の論旨について

前述したとおり,弁護人の主張するその余の論旨は,いずれも理由がない。1
訴訟手続の法令違反の論旨について

被告人のいうブレインジャックによって思考を操作されたため,被告人の原審供述の中には,その真意とは異なる供述が含まれており,原審において本来証拠とするべきではない供述を採用したというが,被告人が,ブレインジャックにより真意と異なった供述をしたと疑うべき事情はないから,理由がない。2
事実誤認(本件は,精神工学戦争のブレインジャックによる犯罪である。)
の論旨について
被告人がブレインジャックによって殺意を植え付けられた結果,本件犯行に及んだ可能性があるというが,原審記録を検討しても,そのように認定すべきものとは認められない。被告人が妄想を抱くようになったという原判決の認定は,まさに原審の精神鑑定によって明らかとなった事実であって,何ら誤認はない。3
事実誤認(正当防衛等)の論旨について

本件は,
被害者一家らの電磁波兵器による被告人への攻撃に対する反撃であって,本件は正当防衛に該当するなどというが,被害者一家らによる電磁波攻撃などなかったといえるから,急迫不正の侵害も現在の危難もないとした原判決に,誤認はない。
4
法令の解釈適用の誤り(誤想防衛等)の論旨について

被告人は,自ら及び家族が,急迫不正の侵害状況下にあるものと誤想して防衛のために本件に及んだとするが,本件では,誤想防衛が問題となるような客観的な状況があったわけではない。被告人の妄想が問題となる事案であり,その妄想を前提にしても,自己が殺されるといった切迫した危険を感じていたわけでもない。この論旨も理由がない。
5
憲法違反の論旨について

裁判員が死刑判決に関与することは,憲法18条後段の苦役を強いるものである,あるいは,死刑判決が全員一致とされていない裁判員法67条は憲法31条に違反するなどというが,裁判員制度が,憲法18条,31条に違反するものではなく(平成23年11月16日最高裁大法廷判決),この理は,死刑判決を宣告する場合であっても異ならないし,また,憲法上,死刑判決には全員一致が要請されているとも解されないから,理由がない。
第7

結論

以上の次第であり,当審での事実取調べの結果をも併せ検討すると,被告人は,本件時心神耗弱の状態にあったと認められるから,原判決がこの点で完全責任能力を認めたのは,論理則,経験則に照らして不合理であり,その点の論旨はこの限度で理由があり,その余の論旨はいずれも理由がない。原判決は破棄を免れない。第8

破棄自判

そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄した上,同法400条ただし書により,被告事件について,更に次のとおり判決する。原判決が認定した罪となるべき事実(ただし,その末尾に,

なお,被告人は,本件各犯行当時,罹患していた妄想性障害のため,心神耗弱の状態にあったものである。

を挿入する。)に,原判決のとおりの罰条を適用し,何の落ち度もない5名もの尊い人命が,残虐な態様で奪われた本件の重大悪質性に鑑み,所定刑中,原判示第1ないし第5の各罪について,いずれも死刑を,原判示第6及び第7の各罪について,
いずれも懲役刑を選択する。
原判示各罪は心神耗弱者の行為であるから,
刑法39条2項,68条1号(死刑について),3号(懲役刑について)によりいずれも法律上の減軽をする。死刑の減軽については,前述したような本件の重大悪質性から,いずれについても無期懲役刑に止めるべきである。以上は同法45条前段の併合罪であるが,同法10条により刑及び犯情の最も重い原判示第5の罪で被告人を無期懲役刑に処するので,同法46条2項本文により他の刑を科さないこととし,押収してあるサバイバルナイフ1本は,原判示第1から第5の各罪の用に供した物であり,被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。令和2年1月27日
大阪高等裁判所第6刑事部

裁判長裁判官

村山浩昭
裁判官

畑口泰成
裁判官

宇田美

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