判例検索β > 平成28年(わ)第2573号
殺人
事件番号平成28(わ)2573
事件名殺人
裁判年月日令和元年7月19日
裁判所名・部名古屋地方裁判所  刑事第2部
裁判日:西暦2019-07-19
情報公開日2020-06-04 22:34:26
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主文
被告人を懲役13年に処する
未決勾留日数中810日をその刑に算入する。
名古屋地方検察庁で保管中の包丁1本(平成29年領第1181号符号7)を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,中学受験を控えた長男に対して,日頃から受験指導の際に刃物を示すなどしていたところ,同人の態度等にいら立ちを募らせた挙げ句,平成28年8月21日午前9時50分頃,名古屋市a区b町c丁目d番地の被告人方において,長男であるA(当時12歳)に対し,殺意をもって,その胸部を包丁(刃体の長さ約18.5センチメートル。平成29年領第1181号符号7)で1回突き刺し,よって,同日午前11時35分頃,同市e区f町g番地B病院において,同人を胸部刺切創による右心房刺通により失血死させて殺害したものである。
(争点に対する判断)
1
争点
弁護人は,①被告人は被害者を突き刺しておらず,被告人が持っていた包丁が何らかの原因で被害者の胸部に刺さってしまったものであり,殺意はなく傷害致死罪が成立するにとどまる,②本件犯行当時,被告人は,自閉スペクトラム症に基づく特定不能の解離症のため責任能力が著しく低下しており,心神耗弱であった旨主張する。当裁判所が殺意及び完全責任能力を認めた理由は,以下のとおりである。

2
行為態様及び殺意の有無について
⑴被害者の胸部刺切創について
ア証拠によれば,被害者の胸部右側に,右心房前壁を刺通する深さ約9センチメートルの刺切創があること,同刺切創の刺入口及び傷の内部は,乱れがなく整った形状であること,同刺切創は被告人が本件犯行直前に手に持っていた鋭利な包丁によって生じたことが認められる。
イなお,同刺切創につき,被害者の遺体を解剖したC医師は,胸骨右縁に長さ約0.9センチメートルの切痕が形成されていることから,凶器を刺入したときに強い力が加わっていたと考えられる旨供述する。C医師は,司法解剖に関して十分な専門的知識と経験を有し,解剖の際に直接切痕の断面部分を視認した上で,解剖写真上の白色部分は骨で赤色部分が骨髄である旨明確に供述しており,その説明内容は合理的で説得的なものである。
これに対し,D医師は,胸骨ではなく肋軟骨が切り込まれているにとどまる旨供述する。
D医師も司法解剖の専門的知識・経験を有する者であるが,同人の供述は,C医師による解剖写真の一部を撮影趣旨とは異なる趣旨で取り上げて論難したり,解剖写真上は判然としない被害者の胸骨及び肋軟骨の位置や幅を一義的に特定して論じたりするもので,説明内容の前提の正確性や判断の合理性に疑問がある。そうすると,D医師の指摘を検討してみても,C医師の上記説明に不合理な点はなく,同人の供述によれば,被害者の胸骨右縁は約0.9センチメートル切り込まれており,刺入時に強い力が加わっていたと認められる。

以上の事実からすると,本件犯行直前に被告人が手に持っていた鋭利な包丁が,
被害者の胸部右側に胸骨を切り込むほどの強い力で,右心房に至る約9センチメートルの深さにまで一気に刺入されたと認められる。そして,被害者の胸部刺切創の刺入口及び内部が整った形状であることから,被害者は動いていない状態で刺突されたものと認められる。
⑵本件犯行に至る経緯について
ア本件犯行前日までの経緯
証拠によれば,以下の事実が認められる。
被告人は,被害者の中学受験のため,仕事から帰宅後に勉強を教える際に声を荒げたり,たたいたりすることがあったが,被害者が小学校5年生の冬頃から,勉強を教えるに当たって被害者が反抗的な態度を見せたときに,被害者にカッターナイフを向けて威圧するようになった。その後,カッターナイフを被害者が怖がらなくなったと考え,被害者が小学校6年生の平成28年夏にはペティナイフを購入して被害者に見せつけたり,机や教科書に刃を立てたりするようになり,さらに,同年8月には,本件犯行に用いた鋭利な包丁を購入して被害者に示すようになり,同月13日頃には,被害者の右前額部付近に包丁の刃を当て,被害者が動いて頭髪が一部そぎ落とされたこともあった。
被告人は,同月19日の夜から本件犯行の前日である同月20日の昼頃まで,被害者を車に乗せて連れ出し,車内で勉強態度などについて説教をするとともに,包丁を被害者に当て,足に浅い切り傷を負わせた。
イ本件犯行当日の経緯
被告人の供述によれば,本件犯行当日の経緯は次のようなものである。本件犯行当日の朝,被告人は,被害者が約束した時刻に起床せず,その後も朝食に時間をかけており,度々せかせても状況が変わらないことなどから被害者が反抗的な態度を見せ始めたと考えていら立ち,自室から包丁を持ち出した。被害者が部屋の隅に逃げ込むと,被告人は包丁で床をたたいて被害者を近くに呼び寄せた上,昨日の車中での話を忘れたのかなどと説教をした。さらに念押ししようと,被害者の背中に左腕を回して同人の左肩辺りをつかみ,右手に持った包丁を被害者の目の前にかざしたところ,被害者が泣き出した。その泣き声に被告人はいら立ちを募らせて,被害者の口を左手で塞いだ。その後,被害者に呼ばれて近づいたところ,その胸に穴が開いていた。
本件犯行は,被告人方で被告人と被害者が二人きりの状況で発生したものであり,被害者は死亡しているため,本件犯行の直前直後の経緯に関する証拠は被告人の供述しかない。被告人は,被害者に包丁が刺入した場面の記憶がない旨述べ
で,以下,本件犯行当日の経緯については,上記被告人供述を前提に検討することとする。
⑶本件犯行後の被告人の言動について
証拠によれば,被告人は,被害者を抱えて最寄りの病院に搬送し,応対した准看護師や臨場した警察官に対し,自分が刺した,捕まえてほしいなどと発言したことが認められる。
⑷検討
ア前記⑴のような胸部刺切創から見た刺入の態様を前提とすると,被告人が気付かないうちに包丁が偶然被害者に刺さった可能性や,被害者が自分で胸部を刺突した可能性は考え難い(被告人も,当時右手で包丁を持ち,左手で被害者をしっかり押さえており,被害者が自ら包丁に刺さるような行動に及ぶはずがない旨供述している。)。そして,前記⑴の胸部刺切創から認められる刺入態様に,前記⑵の本件犯行に至る経緯を併せ見れば,被告人が,本件犯行当日の朝,被害者の態度にいら立ちを募らせていった挙げ句に激高し,被告人が被害者の胸部を突き刺したことが合理的に推認される。前記⑶の本件犯行直後の被告人の発言は,胸部刺切創が被告人の刺突行為によるものであることと整合している(なお,被告人は,搬送先の医師やその後の警察官に対する発言では,包丁が刺さった,被害者が向かってきて当たった旨述べてはいるが,これらは自己弁護による後退とみることができる。)。以上によれば,被告人が被害者の胸部を突き刺したと認められる。
そうすると,被告人は,殺傷能力の高い鋭利な包丁を人体の枢要部に刺すという人を死亡させる危険性の高い行為に及んでおり,後述のとおり,本件犯行に精神障害の影響はなく,他に被告人が当該行為の危険性について認識を欠くような事情はうかがえない。
イこれに対し弁護人は,被告人が被害者に対して激高したことをうかがわせる事情はなく,被害者に愛情を持っていた被告人が被害者を殺害する動機はなかった旨主張する。しかし,前記⑵のような経緯に鑑みれば,被告人が本件犯行当日の朝,被害者の態度にいら立ちを募らせていったことは明らかであり,被告人が被害者に愛情を持っていたことと,いら立ちの末に激高して突発的に刺突したことは十分に両立する状況にあったというべきである。弁護人の上記主張は採用できない。ウしたがって,被告人には殺意があったと認められる。
3
責任能力について


被告人の精神鑑定をしたE医師は,本件犯行当時,被告人が精神障害にり患していた事実はない旨供述する。その根拠として,被告人に精神科治療歴はなく,生活歴から明らかな精神障害にり患していた事実もなく,転職を複数回しているものの,継続的に就業しており,転職理由は了解可能なものであること,鑑定時にも思考障害や妄想,幻覚などの精神病症状や,臨床的に明らかな抑うつ気分や睡眠障害も認められなかったこと,本件犯行は,被告人が従前からの刃物を使用した指導をエスカレートさせたものとして了解可能であることを挙げ,被告人に本件犯行時の記憶がない点については,被害者に致命傷を負わせた自らの行為から強いストレス負荷を受け,自己防衛のために解離性健忘が生じた旨説明している。
E医師は,精神科医としての十分な知識,経験を有し,約2か月間の鑑定期間中に被告人及び関係者と面接を行い,捜査記録や各種検査結果を参照した上で,上記供述をしており,前記2⑵記載の犯行に至る経緯に鑑みて,上記説明は合理的なものである。

⑵他方,F医師は,被告人が自閉スペクトラム症にり患しており,本件犯行時に特定不能の解離性障害を発症し,被告人の人格によるコントロールが困難になっていた可能性がある旨供述する。
しかし,F医師が自閉スペクトラム症の根拠として挙げる事由は,精神障害のない者にも見受けられるものが多く,解離性障害の根拠とされる時間感覚や視覚体験の歪みなども病的なものとはいえず,診断根拠に合理性が乏しい。また,F医師は,被告人が解離状態となっていた時期や程度は不明であると述べており,解離性障害が本件犯行にどのような影響を与えたかについての合理的な説明はなされていない。そうすると,F医師の供述は,たやすく信用することができず,他に責任能力の著しい低下を疑わせるような事情も見当たらない。
⑶したがって,被告人につき,本件犯行当時,精神障害にり患していた事実は認められず,完全責任能力があったものと認められる。
(法令の適用)
1
罰条

刑法199条

2
刑種の選択

有期懲役刑を選択

3
未決勾留日数の算入

刑法21条

4
没収

刑法19条1項2号,2項本文

5
訴訟費用の負担

刑事訴訟法181条1項本文

(量刑の理由)
本件は,被告人が,当時12歳の長男を刺殺したというものであり,保護者である父親によって命を奪われた被害者の驚き,苦痛,かけがえのない一人息子を突然奪われた被害者の母親の悲しみ,嘆きは察するに余りある。育ち盛りの被害者の死亡という結果は重大であって,被害者の母親が被告人に対する厳罰を求めるのも当然である。犯行の動機,経緯を見ても,被告人は,中学受験の指導の名の下,被害者の気持ちを顧みることなく,自らの指導・指示に従うよう,暴力的な言動から刃物へ,ナイフから包丁へ,やがては包丁を被害者の身体に当てるなど,独善的な行為をエスカレートさせていった挙げ句,本件犯行当日,被害者の態度にいら立ちを募らせた末に激高し,衝動的に犯行に及んだものと認められる。被害者に落ち度はなく,かかる身勝手な動機,経緯は厳しい非難に値する。積極的に被害者を殺害しようとしたのでない突発的な犯行で,あえて被害者の胸部を狙ったわけでもなく,刺突行為は1回にとどまるが,身体の枢要部に鋭利な包丁を強い力で深く突き刺している点で,犯行態様は危険である。
以上によると,本件は,子に対する殺人の事案としては非常に重い事案というべきであり,親族間での刃物を使用した殺人事案の量刑傾向も参照しつつ,上記の事情のほか,被告人が犯行直後に被害者を病院へ運び込んだこと,さしたる前科がないこと,後悔や反省の弁を述べていること等も考慮して,被告人を主文の刑に処することとした。(求刑懲役16年,主文掲記の没収)
令和元年7月19日
名古屋地方裁判所刑事第2部

裁判長裁判官

齋藤千恵
裁判官

近藤和久
裁判官

鈴木
真理子
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