判例検索β > 平成29年(わ)第3167号
傷害致死被告事件
事件番号平成29(わ)3167
事件名傷害致死被告事件
裁判年月日平成30年11月20日
裁判所名・部大阪地方裁判所  第6刑事部
裁判日:西暦2018-11-20
情報公開日2018-12-12 20:00:10
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被告人は無罪

理1由
本件公訴事実は,被告人は,平成28年10月3日午後1時30分頃から同日午後1時59分頃までの間,大阪府吹田市ab丁目c番府営d住宅e棟f号室被告人方において,次男であるA(当時生後約1か月半)が泣きやまないことにいら立ち,同人に対し,その頭部を複数回揺さぶるなどの暴行を加え,同人に急性硬膜下血腫,くも膜下出血及び左右多発性眼底出血等の傷害を負わせ,よって,同月15日午後2時47分頃,同市gh番i号J病院において,前記傷害に基づく蘇生後脳症により死亡させたものである。というものである。当裁判所は,被告人が,Aに対し,その頭部を複数回揺さぶるなどの暴行を加えたとは認定できないと判断したので,以下,その理由を適宜説明する。

2
関係証拠によれば,Aには,平成28年(以下,同年の出来事については月日のみを記載する。)8月17日の出生時,同月22日の退院時,9月27日の1か月検診の際のいずれにも,健康上の問題は見られなかったこと,Aの頭蓋内には,左右の大脳半球円蓋部,右大脳半球間裂にそれぞれ急性硬膜下血腫が,左右の大脳半球及び脳底槽にそれぞれくも膜下出血が認められたこと,Aの左右の眼には,多層性多発性の眼底出血が認められたこと,解剖時の所見や搬送時の血液検査の結果等からは,Aには,くも膜下出血や硬膜下血腫を生じるような内因性の疾患はなく,多層性多発性の眼底出血を生じるような内因性の疾患もなかったこと,Aは,10月15日午後2時47分頃,搬送先の病院において,蘇生後脳症によって死亡したことが認められる。そうすると,Aは,何らかの外力によって上記各傷害を負って死亡したといえる。検察官は,Aの受傷原因は,揺さぶりによる高エネルギーの外力が頭部に対して加えられたことであり,かつ,その受傷時期からすると,そのような暴行をAに対して加えることができたのは被告人のみであると主張するところ,このことを示す直接的な証拠はないから,Aの受
傷内容等の間接事実から,被告人がAに対し,上記のような揺さぶりを加えたと認めることができるかにつき検討する。
検察官は,Aの,①体表に明らかな打撲痕がないこと,②頭蓋内のあちこちに硬膜下血腫やくも膜下出血等が存在すること,③両眼に多層性多発性の眼底出血が生じていることから,これらは家庭内の落下等では生じ得ないものであって,Aは揺さぶりによって受傷したと主張する。
まず,関係証拠によれば,搬送時にAの体表に明らかな打撲痕はなかったことが認められる。
なお,脳神経外科医である証人Eは,10月3日(以下本件当日といい,同日の出来事については時刻のみを記載する。)午後3時5分頃に搬送先の病院において撮影されたAの頭部のCT画像上,左後頭部に皮下の腫れがみられると指摘するが,同人の供述するところによっても,皮下の腫れは頭部を外部から触ったとしても気付かない程度のものというのであり,明らかな打撲痕がなかったことが否定されるものではない。
次に,前記2で認定したとおり,Aの脳には複数の出血が認められるところ,揺さぶり以外の原因によって,このような出血が生じ得るかという点につき検討する。
小児科医である証人Fは,揺さぶりによって乳児の頭部が前後に揺れると,脳に回転力が加わって頭蓋内で前後に動き,静脈洞につながる架橋静脈が引き伸ばされ,破断閾値を超えると破断して出血を起こすが,Aの硬膜下血腫は同時多発的に複数の架橋静脈が切れたことによって生じたと考えられ,眼底出血の状態も併せて考慮すると,落下等による打撲によって受傷した可能性は考え難く,揺さぶりによって受傷した可能性が高いと供述し,脳神経外科医である証人Gも,出血部位の多さに加え,落下等による打撲であれば,皮下出血や骨折があるはずであるなどとして,同旨の供述をする。
他方,証人Eは,左後頭部付近の打撲によっても,Aの脳の複数の出血は説
明可能であるという。すなわち,左後頭部打撲の対側外傷として,左右の前頭部に出血が生じるとともに,脳が回転するように動いて架橋静脈が切れたことで頭頂部に近い部分に出血が生じ,同時に脳が前に滑り込むように動いたときに蝶形骨縁に左右の側頭葉がぶつかって損傷して出血し,右側頭葉に脳挫傷が生じ,小脳テント(大脳と小脳を仕切っている硬い膜)に脳がぶつかって出血が生じた可能性があり,これは皮下の腫れの有無にかかわらず考えられると供述する。
証人Eは,脳神経外科医として高度の専門的知識と豊富な臨床経験を有しているところ,自身の経験や症例報告等にも依拠して上記の可能性を指摘していること,その説明内容に特段不合理といえる点がないことなどからすると,上記供述を排斥できるまでの理由はない。法医学医である証人Hが,解剖時にAの頭皮に著明な損傷がないことから,例として床の上にウレタンなどを敷いた状態で頭部を複数回打撲した可能性を挙げていること,また,証人Fも,頭部に加えられたエネルギーの大きさだけではなく,どの程度の回転力が加わったかという点も考慮して脳の出血について判断する必要があると供述していることも併せみると,Aの体表に明らかな打撲痕がないことを十分考慮に入れても,揺さぶり以外の,脳に回転力が加わるような何らかの方法で頭部を打撲したことにより,本件のような脳の損傷が生じた可能性を否定することはできない。
次に,Aの左右の眼に多層性多発性の眼底出血が生じている点について検討する。
眼科医であり,小児眼科の臨床経験も豊富である証人Iは,揺さぶりにより眼底出血が生じる機序について,揺さぶりによって眼球が揺すられることで硝子体が動き,硝子体に接着した網膜が引っ張られ,血管が破れて出血すると説明した上で,Aの両眼には,眼底の隅々まで多層性多発性の眼底出血が認められたとし,出血の範囲が眼底の周辺部にまで及んでいることから,くも膜下出
血などに伴って頭蓋内圧が高くなることで網膜出血を生じるとされるテルソン症候群や,家庭内の落下の可能性は考えにくく,揺さぶりによる受傷が可能性として最も高いと供述する。
また,証人Fも,揺さぶりによって上記の機序で網膜が何度も牽引されることで複数の層から出血が生じるとし,低所転落の場合にも網膜出血が生じることはあり得るが,Aの両眼に見られるほど広範囲に多数の眼底出血が生じることは考えにくいと供述する。
他方,証人Eは,低所転落によって多層性多発性の眼底出血が生じる事例も報告されているとした上で,本件においては,救急搬送から眼底写真が撮影されるまでに6時間以上の時間が経過していることを踏まえる必要があり,Aに頭蓋内圧亢進や血液の凝固異常があったこと,一旦停止していた心拍が再開したことの影響が相まって,Aの眼底出血が悪化した可能性があると供述する。すなわち,関係証拠によれば,Aについては,午後2時23分頃の搬送後,午後2時32分頃に,停止していた心拍が再開したこと,午後6時51分頃から頭蓋内の圧力計測装置を取り付ける手術が施行されたが,閉創時の頭蓋内圧は50mmHgであり,この値は著しく高いものであったこと,午後2時20分及び午後8時に実施されたAの血液検査の結果によれば,血液の凝固機能を示す数値は軒並み異常値を示していたことがそれぞれ認められるところ,証人Eは,これらを考慮すれば,午後8時40分頃に撮影された眼底写真上確認できる本件の多層性多発性の眼底出血は,必ずしも受傷原因が揺さぶりであることを強く示すものではないというのである。
これに対し,証人Fは,低所転落で網膜出血が起こることは普通にあり得る話であるが,程度が問題であり,本件で生じたような数え切れないほどの出血が広範囲に生じた事例と,証人Eが指摘する事例とは比べるべきものではないと供述する。また,証人Iは,一過性の頭蓋内圧の上昇が眼底出血に与えた影響について,頭蓋内圧の上昇による出血は通常視神経乳頭の周囲か太い血管の
周りに限定するはずであるし,うっ血乳頭が見られなかったことからすると,眼底の変化に影響を与えるほどではなかったとし,外傷性の凝固機能異常が眼底出血の発生や悪化に影響を与えたかという点については,全身的な皮下出血や結膜下出血等が見られなかったことから,可能性としてはかなり低いとし,心肺蘇生の影響については,もともとの眼底出血に対して多少出血量が増えることは可能性として否定できないと供述する。
そうすると,証人Eの指摘を踏まえても,本件の眼底出血の程度が重篤なものであることからすれば,これが打撲ではなく揺さぶりによって生じた可能性は高いというべきである。もっとも,証人F及び同Iの供述内容も,打撲によって多層性多発性の眼底出血が生じる可能性や,これがその後の心肺蘇生等の影響で悪化した可能性それ自体を否定するものではないから,その限りで,証人Eの指摘については留意する必要がある。
さらに,Aは首もきちんと座っていない生後約1か月半の乳児であるところ,証人Hが,こういう月齢のときには,首が座っているのか否かが非常に重要な問題であり,揺さぶりがあれば首に出血があるとかそういった何らかの現象が起こり得ると普通に考えられるが,本件ではそれはないなどと複数回にわたって供述していることも無視はできない。
以上を総合すると,取り分け眼底出血の程度からすれば,これが揺さぶりによって生じた可能性は高いといえ,頭蓋内出血の状況や体表に明らかな打撲痕が見られなかったことも併せ考えれば,受傷原因が揺さぶりであったとの検察官の主張に理由があるようにもみえる。しかしながら,他方で,証人Eが供述するところによれば,頭蓋内出血についてはこれが打撲で生じた可能性を否定できず,眼底出血についても,程度の問題はあるが,打撲によって多層性多発性の眼底出血が生じた可能性を否定できず,限定的とはいえ,心肺蘇生等の影響で悪化した可能性も完全に否定できない。
結局,Aが揺さぶりによって受傷したというには合理的な疑いが残るといわざ
るを得ない。
検察官は,Aは暴行を加えられて即又は間もなく意識を失い,容態が急変したとして,その受傷時期はB(8月11日に被告人と婚姻した者である。以下妻という。)及びC(平成21年7月生まれ。前の夫と妻との間の子であり,8月11日に被告人と養子縁組をしたものである。以下兄という。)が外出した午後1時30分頃以降であって,受傷原因となる暴行を加えることができたのは被告人に限られると主張する。
関係証拠によれば,被告人は,本件当日の朝から,妻,兄,D(平成26年11月生まれの被告人と妻との間の子である。)及びAと共に現場となった府営住宅におり(妻の供述によれば,妻が犬の散歩のため一人で出かけた際に,被告人らが後から公園まで出てきた時間帯がある。),妻が,午後1時30分頃,兄とともに買い物に出かけたため,午後1時30分頃から午後1時59分頃までの間,同所には,被告人,D,Aのみがいたこと(その間,被告人がAを残してDと外出した時間帯がある。)が認められる。
そして,午後3時5分頃に撮影された頭部CT画像によれば,Aに,びまん性脳浮腫が進行しており,脳への血流が途絶えて脳に致死的な損傷が進行している状態であったところ,証人Gは,本件のような重症な経過をたどる小児の場合には,脳実質損傷があったと考えるのが妥当であるし,それがなくても,乳児の場合には脳が腫れやすかったり,脳の血流調整がうまくできなかったりして,受傷から比較的短期間で容体が急変するから,容体急変が確認された時点から数分,長くても5分から10分前に受傷したと考えられると供述する。もっとも,本件において,被告人が妻に電話をかけるなどした午後1時59分頃より前という以上に容体急変時を特定するに足りる証拠はない。また,証人Fも,病理学上の所見はなく,臨床的な推認ではあるが,呼吸失調を起こしていることからして,本件では比較的重度のびまん性軸索損傷があったと考えられ,小児が致死的な脳損傷を負った場合について,脳実質損傷
がごく軽度な事例を除けば,受傷後の意識清明期はない旨供述する。しかしながら,証人Fも述べるとおり,そもそもびまん性軸索損傷等の一次性の脳実質損傷や脳幹部損傷が存在していたことをAのCT画像等から判断することは困難であるものと認められる上,証人Eの供述によれば,びまん性軸索損傷等の脳実質損傷がなくてもびまん性脳浮腫が生じることはあり得るというのである(なお,脳幹部損傷についていえば,救急隊員が到着した午後2時10分頃に,Aの心停止が確認されたものの,搬送後の午後2時32分頃に心拍が再開しているところ,証人E及び同Hの供述によれば,脳幹部に重度の損傷があれば心拍が再開することは通常考え難いから,Aの脳幹部損傷はなかったか,あったとしても極めて軽度のものであったというのである。)。さらに,関係証拠によれば,午後1時59分頃,Aの鼻から,ピンク色の風船様のものが出ていたと認められ,これは,神経原性肺水腫の症状であると認められるところ,証人Eの供述によれば,神経原性肺水腫の機序は,脳に出血が生じた結果,頭蓋内圧亢進が起こり,又は脳幹が損傷されることによって視床下部の障害が生じてカテコラミン(アドレナリン等)が急激に放出され,肺の血管から肺の中へと血液等の水分が漏れ,呼吸を妨げるというものであり,頭蓋内の出血等からカテコラミンが放出されるまでの時間は非常に短時間のものから数日まで様々であるというのである。そして,神経原性肺水腫は,少量のくも膜下出血で起こることも珍しくはなく,神経原性肺水腫を発症すれば,低酸素状態になるとともに,カテコラミンが心臓にも悪影響を与えることもあり得るから,CT画像上脳が重篤な損傷を受けていることは間違いないが,それによってびまん性軸索損傷等の一次性の脳実質損傷が存在したと直ちに推測することはできず,神経原性肺水腫に起因する低酸素状態等によって脳が致死的なダメージを負った可能性は否定できないと供述し(証人Fも文献は見たことがないというが,可能性は否定できないと供述する。),この見方を排斥できるまでの理由はない。

そうすると,本件では,Aに一次性の脳実質損傷があった可能性はあるが,神経原性肺水腫が発症したことにより脳が致死的なダメージを負った可能性がある以上,この機序によってAが死亡した可能性に係る検討が十分であったか疑問をいれる余地がある証人G及び同Fの供述によって,受傷時期を断定することはできない。
以上の次第で,Aが受傷したのは午後1時30分頃以降であると断定できないところ,その結果,Aに対して受傷原因となる外力を加えることができた者として,被告人のほか,妻や兄が想定できることになる(なお,検察官は,兄の体格・体力では受傷原因となり得る暴行を加えることはできないと主張するが,証人Hの供述等によってもそのようにいえるまでの立証があるとはみられない。)。そして,前記のように,受傷原因が揺さぶりによるものとも断定できないことも併せると,これらの者による落下を含む行為によってAが受傷した可能性も,現実的なものとして残るとみざるを得ない。
5
これらを総合し,被告人が午後1時30分頃の妻の外出後の状況につき,公判廷で本件当日にした供述と異なる内容の供述をしていることなどその他の事情を踏まえても(なお,午後1時30分頃の妻の外出時までに受傷をうかがわせる事情がなかったといえるかについては,必ずしも明らかでないと判断した。),被告人が公訴事実記載の犯行に及んだことについて,常識に照らして間違いないといえるほどの立証がされているとはいえない。
したがって,本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(求刑

懲役6年

平成30年11月30日
大阪地方裁判所第6刑事部

裁判長裁判官

大寄
裁判官

海瀬弘章
裁判官

藤﨑彩菜淳
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