事件番号 | 平成29(わ)1207 |
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事件名 | 殺人,傷害被告事件 |
裁判年月日 | 平成30年10月5日 |
裁判所名・部 | 福岡地方裁判所 |
裁判日:西暦 | 2018-10-05 |
情報公開日 | 2018-10-31 16:00:06 |
平成2 号,平成30年 第23号 殺人,傷害被告事件(裁判員裁判) 主文 被告人を懲役7年に処する。 未決勾留日数中220日をその刑に算入する。 理由 (罪となるべき事実) 被告人は, 第1 平成29年6月28日頃,当時夫であったAと口げんかをしたことによる苛 立ちを,Aとの間の子であるBを傷付けることにより解消しようと思い,福岡市a区bc丁目d番e号のA方において,B(当時生後3か月)に対し,その右ほほを手指の爪でひっかく暴行を加え,よって,同人に全治約10日ないし2週間を要する右 第2 部擦過傷の傷害を負わせた。 同年7月13日午後9時30分頃,Aとの間でトイレの使い方を巡って口論 になった上,同人から軽く頭を叩かれるなどしたことに激しく苛立ち,前記A方において,その苛立ちを解消しようと思い,Bが死ぬかもしれないがそれでも構わないなどと考えて,同人(当時生後4か月)に対し,その胸腹部を足裏で複数回踏み付け,よって,その頃,同所において,同人を心臓破裂により死亡させて殺害した。 (争点に対する判断) 1 本件の争点 本件の争点は,①判示第2の犯行の際,被告人が殺意を有していたか,②判示第 2の犯行の際の被告人の責任能力の程度(心神耗弱の状態にあったか)である。 2 争点①(殺意の有無)について 行為の危険性について 証拠によれば,被告人が地団駄を踏む(強く足踏みをする)形でBの胸や腹を足 裏で踏み付けたことが認められる。 生後4か月の乳児を大人が踏みつけること自体, 常識的にみて命の危険を感じさせる行為であるし,証人として出廷したC医師の供述によれば,Bの死因となった心臓破裂は,少なくとも数秒間,身体の厚さが2分の1以下になるような強い圧迫がなければ生じないから,被告人の踏み付け行為は大変強い力によるものであったといえる。被告人も,Bを踏む際には力加減をせずに自己の全体重を掛けたと述べている。そうすると,被告人の行為は,Bを死亡させる危険性があるもので,その危険性は極めて高いものであったと認められる。危険性の認識について Bを死亡させる危険性が極めて高いも のであるところ,被告人は,照明の点いた室内で,Bが足元にいること等の周囲の状況を十分に分かった上でその行為に及んだことが認められる。また,被告人は,本件犯行以前にもBの身体を踏み付けたことがあったが,その際には,本件犯行時の態様とは異なり,腹は危ないと考えて同人の体勢を仰向けからうつ伏せに変えたり,死んだらいけないなどと思って力加減をしたりしていた。こうしたことからすると,被告人は,自己の行為がBを死亡させる危険性について十分に理解,認識していたと認められる。 結論 以上によれば,被告人には,Bが死ぬかもしれないがそれでも構わないという程度の殺意があったと認められる。 3 争点②(被告人の責任能力の程度)について 捜査段階において精神鑑定を行った医師の説明内容 捜査段階において被告人の精神鑑定を行ったD医師の診断結果についての供述 は, 理解することが容易なものではないが, 概ね以下のような説明をしたものと理 解される。 ア 被告人の精神障害とその特徴について 被告人は,本件犯行当時,軽度精神遅滞,自閉症スペクトラム障害及び適応障害の各精神障害を有していた。各精神障害の特徴は,軽度精神遅滞については,精神年齢が9ないし12歳程度で,学習困難はあるが社会的貢献は可能というものであり, 自閉症スペクトラム障害については, 対人関係や他者とのコミュニケーショ ンに関する障害等で, 適応障害については, ストレスを受けた際に生じた過剰な反 応をいい, 本件に関していえば, 基本的には通常人がカッとなったときと同じ状態 であって,周囲の状況が分からないといったことや善悪の判断への影響はない。イ 被告人の精神障害の程度及び本件犯行への影響について 被告人は,軽度精神遅滞の影響により,ルールや規範についての理解が低く,これが一定程度本件犯行に影響を及ぼしたが, 直接的な影響は大きくない。 自閉症ス ペクトラム障害は,直接的な影響を及ぼしてはいない。もっとも,被告人は,軽度精神遅滞及び自閉症スペクトラム障害があることにより,一般人と比べてストレスを溜め込みやすく, そのために適応障害の状態にも陥りやすい状態にあった。 被 告人は, そのようにして適応障害を発症したものであり, 本件犯行はまさにその障 害の現れである。さらに,適応障害を発症した際の精神状態についても,背景として,軽度精神遅滞及び自閉症スペクトラム障害があることの影響を受けている。被告人の責任能力の程度について そこで, D を基礎とし, 他の証拠から認められる本件犯 行当時及びその前後の状況も踏まえ,被告人の責任能力の程度につき検討する。善悪の判断能力については, D医師の説明によれば, 適応障害の状況にあっても 大きな影響はないといえるから,被告人の日頃の能力を検討すれば足りる。そして,被告人が,本件犯行や傷害事件の後,周囲の者に自分が暴行を加えた事実を否定するうそを言って罪を逃れようとしたことや,本件犯行以前にBを踏み付けた際には方法を選び力加減もしていたことなどは,被告人が善悪を判断できることを強くうかがわせる事情である。 「動機の了解可能性」という視点からみても, 弱者 であるBに苛立ちをぶつけることは卑劣ではあるが不自然ではなく,幻覚や妄想とも無関係である。 「人格の異質性」という点でも, 本件犯行の態様はそれまでの被 告人のBに対する行動の延長ともいえるもので,全く別人のふるまいとは見受けられない。 これらに加え, 被告人が法廷で悪いことをした旨述べていることなどか らすれば, 被告人が軽度精神遅滞等の精神障害を有することを考慮しても, 少なく とも被告人の善悪を判断する能力が著しく低下していたとはいえない。また,D医師は,被告人は,本件犯行当時,行為を思いとどまる余裕がない状態ではあったが, これは性格等によるもので, 精神障害に基づくものではない旨説明 している。行為態様をみても,被告人は,仰向けの状態のBをうつ伏せにしたり力加減をしたりすることなく踏み付けてはいるが,いきなりそのような行動に及んだのではなく,その前には,地団駄を踏んで強く足踏みをしたり,Bが寝ていた場所から少し離れた場所の襖を蹴るなどしており, 行動のコントロールは, 十分とま ではいえないものの,一定程度はできていたとみられる。そうすると,本件犯行当時,被告人の行動をコントロールする能力が著しく損なわれていたとはいえない。よって,被告人は本件犯行の際に完全責任能力を有していたものと認定した。(量刑の理由) 殺人の行為態様をみると,凶器こそ用いられておらず,殺意は未必的なものにとどまるが,生後4か月の乳児に対し,その頭や胸腹部を,全体重を乗せて手加減することもなく,3回にわたり,心臓が破裂するほどの強さで踏み付けている。現に即死の結果を生じていることからしても,非常に危険な行為であったといえる。一方,動機や経緯については,被告人は,夫婦げんかにより生じた苛立ちを生後間もないわが子にぶつけたもので,身勝手というほかないものの,被告人が些細なことに激しく苛立ったことや,その苛立ちのはけ口を弱者である被害者に求めたことの 背景には,被告人が有する軽度精神遅滞等の精神障害の影響があったことは否定し難く,この点は被告人に対する非難を一定程度減少させる事情といえる。なお,被告人には同種のものを含めて前科前歴はない。 こうした犯情に加えて,被告人が傷害事件も起こしていることにかんがみると,本件は,同種事案(量刑検索システムの検索条件を,処断罪:殺人,共犯関係等:単独犯,処断罪と同一又は同種の罪の件数:1件,被告人から見た被害者の立場:子,被害者の落ち度:なし,累犯前科等:すべてなしとして抽出した結果検索できる事案群)の中では「やや重い」部類に属するといえる。 その上で,被告人が反省の言葉を述べていることや被告人の母親が今後の援助を約束する内容の書面を提出したこと等も踏まえ,被告人には主文の刑を科すことが相当と判断した。 (求刑・懲役12年,弁護人の科刑意見・懲役3年,執行猶予5年)平成30年10月9日 福岡地方裁判所第1刑事部 裁判長裁判官 丸田 裁判官 岩田淳 裁判官 中山 さほ子 顕之 |