判例検索β > 平成28年(う)第2154号
不正競争防止法違反被告事件
事件番号平成28(う)2154
事件名不正競争防止法違反被告事件
裁判年月日平成30年3月20日
法廷名東京高等裁判所
結果棄却
判例集等巻・号・頁第71巻1号3頁
原審裁判所名横浜地方裁判所
原審事件番号平成26(わ)1529
判示事項転職先等で直接的又は間接的に営業秘密を参考にする目的と平成27年法律第54号による改正前の不正競争防止法21条1項3号の「不正の利益を得る目的」
裁判要旨高い経済的価値を有する重要な営業秘密を平成27年法律第54号による改正前の不正競争防止法21条1項3号ロの定める態様で領得した行為について,正当な目的がなく,転職先等で直接的又は間接的に営業秘密を参考にする目的がある場合には,同号にいう「不正の利益を得る目的」があったといえる。
裁判日:西暦2018-03-20
情報公開日2019-02-02 12:52:00
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平成28年(う)第2154号
平成30年3月20日

不正競争防止法違反被告事件

東京高等裁判所第6刑事部判決

主文
本件控訴を棄却する

第1


本件控訴の趣意及び事案の概要等

本件控訴の趣意は,主任弁護人粂原研二,弁護人柴崎大介作成の控訴趣意書並びに答弁書に対する意見書及び控訴趣意書補充書に記載のとおりであり,その論旨は,法令適用の誤り,事実誤認及び量刑不当であり,本件控訴の趣意に対する検察官の答弁は,検察官作成の答弁書に記載のとおりである。
本件は,自動車の開発,製造,売買等を業とするA株式会社(以下Aという。)の商品企画部の従業員として勤務し,同社のサーバーコンピュータに保存された情報にアクセスするためのID及びパスワードを付与されて,同社が秘密として管理している同社の自動車の商品企画に関する情報等で公然と知られていないものを示されていた被告人が,同社が保有する自動車の商品企画等に関する営業秘密に当たるデータファイルを,不正の利益を得る目的で,平成25年7月16日,あらかじめ同社のサーバーコンピュータにアクセスして被告人が同社から貸与されていたパーソナルコンピュータに保存していた原判示別表番号1から8まで(以下番号1などという。)のデータファイル8件等が含まれたフォルダを,同パーソナルコンピュータから自己所有のハードディスクに転送させて,複製を作成し(原判示1),同
月27日,同パーソナルコンピュータを使用して同社サーバーコンピュータにアクセスして,番号9から12までのデータファイル4件等が含まれたフォルダを同サーバーコンピュータから自己所有のハードディスクに転送させ
て,複製を作成し(原判示2)
,もって,その営業秘密の管理に係る任務に
背き,それぞれ営業秘密を領得したという,不正競争防止法違反の事案である。
被告人は,原審において,①原判示の各データファイルの一部は,不正競争防止法の営業秘密に該当しない上,被告人はそれらが営業秘密であることを認識しておらず,認識できる余地もなかった,また,②被告人には,各データファイルを複製した際,いずれも不正の利益を得る目的がなかったなどと主張したが,原判決は,いずれの主張も排斥し,原判示の罪となるべき事実を認定した。
第2
1
法令適用の誤りの主張について
論旨は,不正競争防止法の改正(平成21年法律第30号による改正。
以下平成21年改正という。)の目的,経緯等に鑑みれば,原判示の被告人の行為は平成27年法律第54号による改正前の不正競争防止法(以下不正競争防止法という。)21条1項3号ロにおける不正の利益を得る目的には該当しないのに,これに該当するとした原判決の判断には法令適用の誤りがある,というのである。
2
原判決は,原判示の事実について,被告人には,Aの営業秘密に該当
する番号1から12までの各データファイルを領得したことについて,特段の事情がない限り,転職先等で直接的又は間接的に参考にして活用しようとしたなどといった不正の利益を得る目的があったことが推認されると説示した上で,特段の事情や正当な目的をいう原審弁護人の主張を排斥して,被告人には不正の利益を得る目的があったと認定した。
原判決の上記判断は正当であり,当裁判所もこれを是認できる。
3(1)

所論は,平成21年改正は,当罰性の高い行為を処罰対象としつ

つ,刑事罰の謙抑性,処罰対象の明確化の観点からなされたものであるとした上で,①営業秘密を実際に使用,開示せずに,単に元の職場の経験,情報を転職先の仕事に活かしたり参考にしたりしようとすることは,誰もが考える普通のことであるから,このような行為まで処罰の対象とすることは,処罰範囲を不当に拡大することになり,許されない,②不正の利益を得る目的といえるためには,少なくとも,
転職先における自己の地位,評価を高め,自らの待遇や処遇を利する目的程度の内容が必要であり,転職先等で直接的又は間接的に参考にして活用するなどという曖昧なものでは不十分である,という。
(2)

しかし,平成21年改正は,それまでは不正の競争の目的が

要件として求められていたことから,競争関係の存在を前提としない加害目的等による営業秘密の不正な使用,開示等が処罰の対象とならないこと,営業秘密の不正な使用,開示が中心的な処罰対象と捉えられていたために,営業秘密の不正持ち出しの事実が明らかであっても,不正な使用,開示の立証が困難な場合には処罰の対象とならなかったことなどの弊害が問題視され,企業等が有する営業秘密をより適切に保護するために営業秘密侵害罪の処罰範囲を拡大すべく,営業秘密侵害罪の目的要件の変更及び従業者等による営業秘密の領得自体への刑事罰の導入を行ったものであって,これにより,営業秘密侵害罪の目的要件については,
不正の競争の目的から不正の利益を得る目的又は保有者に損害を加える目的と改正し,営業秘密保有者のために行った行為などの正当な目的(正当な社内活動や違法行為是正のために行った行為等)で行われる場合を処罰対象から除外し,処罰範囲の明確化も併せて図ったものである。そうすると,高い経済的価値を有する重要な営業秘密を不正競争防止法21条1項3号という極めて当罰性の高い態様で領得した場合に,正当な目的がなく専ら自己又は第三者の何らかの利益を図るためであるときには,その利益の内容が明確かつ具体的な意欲ではなく,また非財産的なものであったとしても,同法21条1項3号における不正の利益を得る目的に該当するというべきである。このことは,例えば,営業秘密の領得においては,不正な使用,開示まで必要がないことから,営業秘密保有者のためなどの正当な目的による行為でないことは明らかなのに,被告人自らが目的を供述しない限り概括的な目的しか特定できないことも想定できるが,このような場合を営業秘密侵害罪の処罰対象から除外するのは平成21年改正の趣旨に反することからも明らかである。この点,原判決は,被告人には,営業秘密保有者のためなどの正当な目的は認められず,被告人が転職先等で直接的又は間接的に営業秘密を参考にしようとしたなどの目的があるとした上で,不正競争防止法21条1項3号ロを適用しており,その判断に法令適用の誤りはない。
①については,被告人は,身に付けた経験や知識,頭に残った記憶を超えて,秘密として管理されていた情報を記録媒体の複製という方法で領得するという当罰性の高い行為を行ったのであるから,これが処罰の対象とされても処罰範囲を不当に拡大したことにはならない。また,②は,原判決が認定した転職先等で直接的又は間接的に営業秘密を参考にしようとしたなどの内容以上に具体性のある明確かつ積極的な意欲が必要であるとの主張と解されるが,既述のとおりの営業秘密侵害罪の目的要件が平成21年改正で改められた趣旨,目的に照らすならば,
不正の利益を得る目的の内容は,
営業秘密保有者のためにするなどの正当な目的ではない,公序良俗又は信義則に反する形で不当な利益を図る目的であることが明らかになる程度に具体性があれば足りると解されるから,上記主張は採用できない。
所論はいずれも採用できない。
第3
1
事実誤認の主張について
論旨は,第1の原審弁護人がした①に関しての主張はなく,同②に関
し,被告人は,不適切ではあったが,残業規制や多忙のため,商品企画部門に異動して以来,会社から貸与されているノート型パソコン(以下会社パソコンという。)の他に自己所有のパソコンやハードディスク(以下,それぞれ私物パソコン
私物ハードディスクという。)を使って通常業
務を行ってきており,本件当時もその延長線上で業務を行っていたところ,そこに引継業務等が加わり,それらの業務のためにデータファイルを複製し,それらのデータファイルは選別後に削除するか会社のサーバーコンピュータ(以下会社サーバーという。)に戻す考えでいたが,結果的にそれができなかったために,原判示1の8件のデータファイルが私物パソコンに残ってしまった(原判示1)
,また,被告人は,Aでの勤務の記念となる写真を
回収しようとしたが,個々のフォルダを開いて写真を回収する時間がなく,フォルダごと複製することにしたために,原判示2の4件のデータファイルを私物ハードディスクに複製した(原判示2)ものであって,被告人は,取得するデータファイル中に営業秘密が含まれていることは認識していたが,それを転職先で使用するなどといった不正の利益を得る目的はなく,無罪であるから,これに反する原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。
2
原判決の判断の要旨

原判決は,不正の利益を得る目的について,以下のとおり説示した。(1)

原判示1について

原判決は,被告人が原判示1の各データファイルを複製した経緯について,①被告人は,平成25年7月16日(以下,月日のみの表記は平成25年のものをいう。)
,自宅において,会社パソコンから,原判示1の8件を含む
22件のデータファイルを私物ハードディスクに複製し,
新しいフォルダ(2)と題するフォルダ(以下新しいフォルダ(2)という。)内に保存したこと,②これら22件のデータファイルは,被告人が,7月14日から同月16日までの間に,自宅やAテクニカルセンターにおいて,会社パソコンや会社サーバー内に存在していたものを,会社パソコンのデスクトップ上に作成した新しいフォルダ(2)内に保存しておいたものであること,③被告人は,7月18日,自宅において,私物ハードディスク内に複製した上記22件のデータファイルが入った新しいフォルダ(2)を私物パソコンに複製し,私物ハードディスクから同フォルダを削除したことを認定した。そして,原判決は,被告人が原判示1の各データファイルを私物ハードディスクに複製して領得したのは,7月31日にAを退職してB株式会社(以下Bという。)に転職する時期を目前に控え,最終出社日と決められた7月26日の10日前であり,各データファイルの内容がAの事業活動にとって有用な営業秘密に該当するものであることからすれば,Aの業務のために必要であったなどといった事情がない限り,被告人にはこれらの情報を転職先等で直接的又は間接的に参考にして活用しようとしたなどといった不正の利益を得る目的があったことが推認されるとした。
その上で,原判決は,各データファイルの複製を作成したのは,いずれもAでの通常業務や残務処理等のためであったとの被告人供述については,これを信用できないとして排斥し,被告人には不正の利益を得る目的があったと判断した。
(2)

原判示2について

原判決は,被告人が,原判示2の各データファイルを複製した経緯について,①被告人は,私物整理等を理由に出勤することの許可を上司から得て,最終出社日の翌日である7月27日に出勤し,Aテクニカルセンターにおいて,私物ハードディスクを会社パソコンに接続した上で,会社サーバーにアクセスし,5074件のデータファイルが格納された宴会写真
2_MilestoneProposal等と題する4つのフォルダをフォルダごと私物ハードディスクに複製しようとしたこと,②しかし,これら4つのフォルダ内のデータ容量が約12.8ギガバイトと膨大であったため,結局は,宴会写真と題するフォルダから48件,
2_MilestoneProposalと題するフ
ォルダから原判示2の4件を含む1368件等の合計3253件のデータファイルを私物ハードディスクに複製したにとどまったことを認定した。その上で,原判決は,被告人が領得した原判示2の各データファイルの内容は次期型車の商品内容や販売戦略等に関するものであり,被告人は,宴会写真と題するフォルダのほか,原判示2の各データファイルを含めた大量のデータが保存された3つのフォルダを,他の自動車メーカーへの転職直前で,かつ,最終出社日の翌日という時期に,私物整理等のためと申告して許可を得て出社した際に私物ハードディスクに複製して持ち帰ったのであるから,被告人が既にAの職務を行う必要がなかったことは明らかで,その他正当な理由も想定されないので,被告人には,転職先等でAの営業秘密を直接的又は間接的に参考にして活用しようとしたなどといった不正の利益を得る目的があったことが推認されるとした。
被告人は,原判示2の各データファイルを含む4つのフォルダを複製したのは,Aでの勤務についての記念となるような写真を回収するためであった旨供述したが,原判決は,同供述の信用性を否定し,これを排斥した。(3)

原審弁護人は,被告人が,①転職先における業務にとってより有
用なデータファイルへのアクセスが可能であったにもかかわらず,それらを領得していない,②Aの調査に進んで協力した,③不正な情報の持ち出しがないかのモニタリング対象となる旨を告げられていたなどの事実は,被告人において不正の利益を得る目的を有していたことを合理的に説明できないと主張したが,原判決は,これらの主張をいずれも排斥した。
原判決の上記判断は正当であり,当裁判所もこれを是認できる。
3
原判示1に対する所論について
(1)

所論は,退職者に対しては,会社の情報を不正に持ち出していな

いかを確認するためのモニタリングを行っており,被告人もその対象になる旨を告げられていたのであるから,そのような時期に被告人が不正の利益を得る目的で営業秘密に該当するデータファイルを領得しようとするとは考え難い,という。
しかし,被告人がモニタリングの対象となることを告げられたのは,7月17日であって,原判示1の犯行後であるから,所論は前提を誤っている。(2)

所論は,原判決は,被告人が領得したデータファイルの内容がA

の事業活動にとって有用な営業秘密に該当することが,不正の利益を得る目的の存在を推認させる事情であるとしているが,不正の利益を得る目的の存在を推認させるのは,データファイルの内容が転職先であるBにとって有用であるという事情であるところ,AとBでは,製造する自動車の種類,購入層,販売国,技術的思想,製造技術等が全く異なっており,被告人が領得したデータファイルの内容がBにおいて有用であるとの立証はなされていないから,被告人に不正の利益を得る目的があったと推認することは不当である,という。
そこで,原判示1の各データファイルの主な内容をみると,

確かに,Aの生産
車両が乗用車で,Bのそれは商用車であることや検討中あるいは過去のデータであったことからすれば,これらのツールやデータをそのままBに当てはめて利用できるとは限らない。しかし,各種ツールやマニュアルには汎用性があり,それらを見れば,各数値を出すための計算式,考慮要素,判断枠組み等を分析することで,取り扱う車種や販売国等が異なるとはいえ,それらを参考に自社のツールやマニュアルの見直し,改良を図ることも可能である。また,自動車の開発,製造,販売等の点で同種の企業の販売戦略会議資料は,過去のものや検討途中のものであったとしても,他社の戦略,方針や会議の運営方法等を知り,自社のそれと比較検討することで,自社の参考になることは当然である。そうである以上,被告人が転職先等で直接的又は間接的にこれらを参考にする余地は十分にあったというべきである。所論は採用できない。
なお,所論は,被告人はBにおいて,インドでの車両開発業務及び現地マネージメント業務に従事する予定であったのであり,企画等を兼ねた仕事を幅広く行う予定であったとの原判決の認定には誤りがあるから,Aの企画部門の情報がBにおける被告人の参考になるわけではない,ともいう。しかし,被告人の採用面接を行ったBの担当者によれば,被告人が担当予定であった業務は,インドにおける開発部門で,主にタイで販売中のB車をインドに適応した車にするための活動で,日本人が一,二名しかおらず,他の部署との連携が要求されていた上(原審甲136)
,被告人は,関係者に
対し,Bにおける業務は開発と企画の両方を兼ねた幅広いものと説明していたというのであるから,原判決が,被告人は,Bにおいて開発のみならず,企画等を兼ねた仕事を幅広く行う予定であったとし,Aの企画部門における情報が将来にわたり全く活用できず,領得する価値がないなどといえないと判断したのは正当である。
(3)

所論は,被告人は,退職にあたって,7月9日にも283件のデ

ータファイルを会社パソコンから私物ハードディスクに複製し,原判示1の8件のデータファイルは,他の14件のデータファイルと一緒に同月16日に会社パソコンから私物ハードディスクに複製したが,それらは,いずれもデータファイル等の整理(以下データ整理という。)のために複製したもので,その中に,たまたま営業秘密と認定された原判示1の8件のデータファイルが含まれていたにすぎず,他の14件のデータファイルや7月9日に複製していた283件のデータファイルが起訴の対象とはなっていないことに照らせば,被告人が行った複製はいずれも退職を控えた残務処理等のためであったと推認でき,被告人が複製したデータファイルの対象,複製の経緯自体が,被告人に不正の利益を得る目的があったとの推認を否定する事情である,という。
しかし,会社サーバーに格納されている情報を私物ハードディスクに複製し,自宅で保管すること自体が会社規則に違反する行為である上,被告人は,データ整理のためといいながら,私物ハードディスクに複製した原判示1の8件のデータファイルについて,7月18日に更に私物パソコンに複製したにもかかわらず,それ以後の約10日の間に何ら整理を行わず,しかも会社にとって必要なものである可能性を考慮して私物パソコンに複製したはずの上記データファイルを会社サーバーに戻すこともしないで,7月27日にはデータファイルを会社サーバーに戻すための端末である会社パソコンを会社に返却してしまっているのであるから,被告人がデータ整理のために原判示1の複製をしたとは考えられないのであって,原判決が,この点のほか,被告人は,会社パソコンを自宅に持ち帰り,自宅から会社サーバーにアクセスできる許可を得ていたのであるから,私物ハードディスクに複製せずとも会社パソコンを自宅に持ち帰ればデータ整理は可能であったことなどを指摘し,データ整理のために複製したとの被告人供述は信用できないとした判断は正当である。
なお,被告人が他に複製したデータファイルについて起訴されていない個々の理由は詳らかではないが,それらが起訴されていないからといって,原判示1のデータファイル8件についても,不正の利益を得る目的がなかったということにはならない。本件複製の経緯・方法,複製の対象自体が,不正の利益を得る目的があったとの推認を否定する事情である旨の所論は当を得ない。
(4)

所論は,被告人が,7月18日未明に私物ハードディスクから私

物パソコンにデータファイルを複製したことこそが,データ整理の作業の準備行為であり,実際に,被告人は,会社サーバーに存在していた整理と題するフォルダ内のデータファイルを会社パソコンに複製し,さらに私物ハードディスクに複製するなどして整理作業を継続しており,私物パソコンにデータファイルが残っていたのは単に作業が終わらなかったからにすぎず,被告人は,7月31日の退社日までにその作業を終了させる予定であったが,同月30日に私物パソコンと私物ハードディスクを会社関係者に提出したため,作業が終了しなかっただけである,という。
しかし,そもそも,データ整理のために私物ハードディスクから私物パソコンにファイルをカットアンドペーストで複製しなければならない理由は考え難く,この作業は,私物ハードディスクから複製の痕跡を消す一方,私物パソコンにこれを保存する手段であったとも解され,一義的にデータ整理の準備行為とみることはできない。また,確かに,被告人は,会社サーバーや会社パソコンのデータファイルについて削除や名前の変更をしていたことは認められるが(原審甲179等)
,被告人がデータ整理をしていたからとい
って,原判示1の各データファイルについて不正の利益を得る目的がなかったことにもならない。現に,被告人は,私物ハードディスクからデータファイルを消去する際に,Bでの勤務の参考になると考えて私物パソコンに残したデータファイルもあるのであるから,データ整理の際に,営業秘密に当たるかどうかはさておき,参考となるものを同時に選別し,確保していたことは明らかである。さらに,会社サーバーにアクセスできるのは会社パソコンのみである以上,被告人が,予定されていた最終出社日の翌日に特に許可を得て出社して会社パソコンを返却した時点以降は,被告人がいうようなデータファイルの取捨選択をして残すべきものは会社サーバーに戻すという作業はできなくなったはずであるから,データ整理の作業を継続していたなどと評価することはできない(なお,私物パソコンに残っていた原判示1の各データファイルは既に削除したと思い込んでいた旨の被告人供述について,原判決はこれを不自然と判断しているが,被告人供述は,要するに,会社のために内容の確認作業が必要と考えて敢えて私物パソコンにデータファイルを複製したのに,その作業を失念しただけでなく,既に確認,削除済みと勘違いをしてしまっていたというのであって,当初の動機,目的と大きな乖離があり,原判決の判断は正当である。)

以上からすれば,被告人が,私物ハードディスクから私物パソコンにデータファイルを複製したことは,被告人に不正の利益を得る目的があったことの推認を否定する事情にはならない。
(5)

さらに,所論は,①被告人は,会社パソコンのデータ整理を行っ
ていたのであって(原審弁6)
,原判決が,被告人が退職までの間に,複製
領得したデータファイル自体について,結局のところ被告人が主張するところの通常業務や残務処理等を具体的に行ったことはないとしたのは誤っている,②被告人は,Aから会社パソコンを持ち帰り,会社サーバーにアクセスする許可を得ていたが,会社パソコンを自宅に持ち帰るのは大変であり,かつ,自宅から会社サーバーへのアクセスが不安定であったことから,私物ハードディスクに複製することが必要だったのであり,原判決が,私物ハードディスクに複製して持ち帰る必要はなかったとしたのは誤りである,③原判決が,原判示1の番号1,3,5,8のデータファイルは通常業務を行うために必要ではなく,番号2,4,6,7のデータファイルは残務処理等を行う必要がなかったとしたのは誤りである,という。
しかし,①については,被告人が,会社パソコンからデータファイルを削除するなどのデータ整理の残務処理等をしていたことは認められるが,原判決は,被告人が私物パソコンに複製した原判示1の各データファイルについて,何ら作業をしていないと指摘しているのであって,所論は失当である。加えて,原審弁6によれば,被告人は,7月中旬以降,会社パソコンから3月以前に担当していた職務に関するものも含めて大量のデータファイルを削除する作業を比較的短時間で頻繁に行っていることが認められる上,原判示1の各データファイルを含む22件については,ファイルを開くだけでAにとって必要か否かの判断は可能であったものもあるというのであるから,これら22件についての残務処理等も会社での通常業務の合間に行わなかった経緯は容易には納得し難い。②については,被告人は,7月14日,16日,25日と会社パソコンを自宅に持ち帰っているのであるから,持ち帰りが大変であったというのは理由にならない。また,複製した私物ハードディスク内のデータファイルの整理をするのであれば,わざわざ私物パソコンにまで複製する必要はない。③については,所論は,被告人が,7月の時点においても,次期型Dに関するAの業務を行い,後任者のEとメールの交換をしていたことを根拠に原判決を論難するが,番号1,3,5,8のデータファイルについては,当時の上司であるFが,データファイルの複製当時において,それらのデータファイルは被告人が担当していた業務には必要がなかった旨を明確に証言している上,上記各データファイル中のツールを用いるのに必要な数値等のデータを被告人が自宅に持ち帰っていなかったこと,番号2,4,6,7のデータファイルについても,被告人の後任者であるEが7月当時にはデータファイルの更新や引継ぎをする必要はなかったと証言している上,所論指摘のメールもEからデータの誤りの訂正を依頼したものにすぎず,データファイルの更新や削除の必要性を判断するための情報を被告人が自宅に持ち帰っていなかったことなどに照らせば,被告人において通常業務や残務処理等のために原判示1の各データファイルを自宅に持ち帰る必要はなかったとの原判決の説示は正当である。(6)
4
所論はいずれも理由がない。

原判示2に対する所論について
(1)

所論は,被告人は,7月17日にモニタリングの対象になってい

る旨を告げられていながら,最終出社日に上司の許可を得てその翌日に出社した際に原判示2の各データファイルを取得しているところ,被告人に不正の利益を得る目的があったならば,これは犯行日を予告し,衆人環視の中で犯罪を行ったことになるから,同目的があったとは考えられず,被告人がデータを取得した時期から不正の利益を得る目的が推認できるとした原判決は誤りである,という。
この点,原判決は,被告人は情報セキュリティーに関するモニタリング対象となると告げられた際,具体的な内容や時期等を知らされていなかった上,既に原判示1の行為に及んでいたにもかかわらず,その後何らの指摘や指導等を受けることもなかったことなどもあって,営業秘密に関する領得行為を更に行ってもAに発覚しない,あるいは,もともと,このようなことに対する規範意識が低いため,発覚したとしても大したことではないなどと考えたとしても不自然ではないと説示しているところ,所論は根拠のない恣意的な憶測であるなどと論難する。しかし,被告人は,本件が発覚した後,被告人に転職の紹介をした人材紹介会社のGに対して,
Aが警察に訴え,警察からBに連絡があり,騒ぎになっている

ここまで問題になるとは思っていなかった。

などと述べていること(原審甲138),モニタリングの対象
になると告げられた日の夜に,原判示1の各データファイルを私物ハードディスクから削除していること,被告人が以前から会社規則に違反して私物ハードディスク等を使用していたこと,被告人自身が情報を意図的に流出させなければセキュリティーは保たれていると思っていたなどと供述していることなどからすれば,被告人が,営業秘密を積極的に転職先に開示するようなことをすれば問題だが,自己が情報を持ち,流出しないように管理すればよいというような意識でいたことは明らかであり,原判決の上記説示は不合理ではない。
(2)

所論は,原判示2の各データファイルは,被告人のAにおける過

去の業務に関するもので,転職先であるBの業務に活用することはできないものであるから,データファイルの内容自体が,不正の利益を得る目的の存在を否定するものであり,Aにとって有用な営業秘密に該当することが,被告人に不正の利益を得る目的があることを推認させるとする原判決の判断は誤っている,という。
しかし,BがAと異なる小型商用車を対象としているとしても,次期型車の販売戦略や商品決定会議における他社の資料を参考にすることで,自社の小型商用車の販売戦略や商品開発の参考にできる可能性は十分にある以上,被告人が転職先等で直接的又は間接的にこれらを参考にする余地も十分にあったというべきである。被告人が7月27日に会社サーバーから複製した原判示2の各データファイルを含む3個のフォルダ(
宴会写真と題するフ
ォルダを除く。)は,自動車の製造企画業務の初期段階から販売直前の全工程やAの調査のノウハウが把握できるもの(原審甲75)であるから,同業他社に転職する被告人において,これを参考にしたいと考えたであろうことは,これらを複製した時期や他に合理的目的が認められないことなども併せ考えるならば,合理的に推認できる。
(3)

所論は,原判決は,被告人が複製した自動車の商品企画等に関す

るデータファイルの数は,写真のデータファイルの数よりも多いことから,記念となる写真を回収しようとしたとの被告人供述は信用できないと説示するが,被告人は,最終出社日までにデータファイルの消去等の作業が終わっていなかったことから,記念となる写真を個別に複製する時間がなかったためにフォルダごと複製したのであり,この方法は,被告人にとって合理的かつ自然な行為であるから被告人供述は信用でき,被告人が4つのフォルダ全体を複製したという経緯,方法自体が,不正の利益を得る目的があったとの推認を否定する事情である,という。
しかし,被告人の上司であったHの原審証言によれば,Hは,写真を探し出す際には,拡張子で検索をかける方法があることを被告人から教えて貰ったというのであるから,被告人がその手段をとれなかったとは考えられず,時間的にもさほどかからないと認められるから(同証言)
,被告人がとった
方法が合理的であるとはいえない(被告人は,パソコンの知識が浅く,そのような方法をHに話したことはない旨供述するが,会社サーバー内の宴会写真と題するフォルダ等を作成,整理したのは被告人であることなどに照らし,信用できない。)
。原判決が,記念となる写真の回収のためだけに複
製を行ったところ原判示2の各データファイルが混在する結果になった旨の被告人供述は信用できないとしたのは正当である。
なお,所論は,被告人が宴会写真と題するフォルダを複製していることは,被告人が記念となる写真の回収を目的としていたことを裏付けているのに,原判決はそのことを全く考慮していないと論難するが,原判決は,原判示2の各データファイルが,記念となる写真を回収しようとして複製したフォルダに含まれていたにすぎないとの被告人の供述を信用できないとしているにすぎず,被告人が,今後の参考になるであろうと考えたデータファイルを複製するとともに,記念となる写真も回収しようとした目的が併存していることを否定しているわけではない。
(4)
5
所論はいずれも理由がない。

その他の所論について
(1)

所論は,①原審弁護人が,被告人は,原判示1及び2の各データ
ファイルよりも有用性が高い情報があるにもかかわらず,それらを領得していないのは,不正の利益を得る目的を持つ者の行動として不自然であると主張したのに対し,原判決が,被告人は,客観的な有用性や財産的な価値の高い情報を選び,その対価として金銭を取得することなどの目的ではなく,自らのスキルアップ等のために必要と考えるデータファイルを取得したものと推認できるから,上記主張には理由がないと説示したが,それは,単なる憶測であって不当である,②サービス残業が常態化している会社で,営業秘密にアクセス権限がある従業員が,在職中に営業秘密を取得したにすぎない場合には,その営業秘密を売却する,開示するなどの間接事実により不正の利益を得る目的が明確に認定できない限り,業務に必要なあるいは関連する目的があったとの推認が働くべきであり,本件のようにデータ整理や記念の写真を取得する際に他のデータが含まれたというような場合には,よほど強い他の個別具体的事情が認められない限り,不正の利益を得る目的を推認することは許されない,という。
しかし,①については,原判決は,被告人がAで担当していた業務,転職先のBで担当する可能性のある業務の内容,本件領得に係る各データファイルの内容,本件領得行為の時期,本件領得の際に同時に取得した情報の内容,被告人が転職に向けて周囲に語っていた発言の内容等を勘案して,被告人は自らのスキルアップ等のために必要と考えるデータファイルを取得したものと推認したと解され,その判断は正当である。
また,②については,既に第2の法令適用の誤りに関連して述べたように,営業秘密保有者のためなどの正当な目的はなく専ら自己又は第三者の利益を図るためである以上,その内容が明確かつ具体的な意欲ではなく,また非財産的なものであったとしても,不正競争防止法21条1項3号ロにおける不正の利益を得る目的に該当し,自己又は第三者の利益の内容も概括的なもので足りると解されるから,これを認定するための間接事実や推認過程についても,所論が主張するような厳しいものである必要はなく,所論は採用できない。(2)

その他弁護人が縷々主張する点を含めて,所論はいずれも採用で

きない。
6
第4
1
事実誤認をいう論旨は理由がない。
量刑不当の主張について
論旨は,被告人には罰金刑が相当であるのに,原判決は,情状事実に
関する評価を誤り,あるいは,被告人に有利な諸情状を総合的に判断することを怠り,被告人を懲役1年,3年間執行猶予に処したもので,原判決の量刑は重過ぎて不当である,というのである。
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本件は,転職を目前に控えた被告人が,勤務先会社が保有する自動車
の商品企画等に関連する営業秘密に当たるデータファイルを,不正の利益を得る目的で領得したという事案である。
原判決は,前後2回にわたり,合計12件という相当数のデータファイルを領得し,特に,2回目の領得行為は,最終出社日の翌日に出勤して行われたもので,大胆で一定の計画性も認められ,勤務先会社の信頼を裏切って同会社が長年にわたって蓄積してきたノウハウ等を領得した態様は悪質であること,動機は自らの利益を図ろうとしたもので身勝手であることからすると,情報を直接漏洩させて経済的対価を得ようとする類型ではなく,実際に情報が転職先等で利用されることはなかったことなどを考慮しても,その刑事責任を軽く考えることはできず,その他の一般情状をも総合すると,被告人を懲役1年,3年間執行猶予に処するのが相当であると判断した。
原判決の上記量刑判断は相当であり,当裁判所もこれを是認できる。3
所論は,①残務処理等が終わらなかったことから,最終出社日の翌日
に出勤し,記念の写真を回収しようとフォルダごと複製したところ,営業秘密とされるデータファイルも含まれていたにすぎず,大胆さも計画性もない,②領得した秘密は,Aが脈々と蓄積してきた商品企画等に関連するノウハウ等の成果が多く詰まった営業秘密と評価できるような大層なものではない,③過去の勤務先での経験や知識を生かそうとすることは一般社会人が抱く通常の考えであり,不正目的としては身勝手なものとはいえない,④被告人は,Aの調査を始めとして捜査,公判においても有りのままを供述しており,原判決が,不合理な弁解を弄し,反省や謝罪の態度を示そうとしないとしているのは誤っている,⑤Aに実害が生じなかったのは,被告人がAの調査に協力し,私物ハードディスク等を会社に返却したからである,⑥報道等により社会的信用を失い,転職先で予定されていた職務にも従事できないなど社会的制裁を受けているなどを考慮すれば,被告人には罰金刑が相当である,というのである。
しかし,①については,営業秘密を領得したことが記念の写真を回収する中に含まれていたためであったという前提が誤っており,被告人は,データ整理などは勤務先会社からもはや期待されていなかった時期に会社サーバーにアクセスし,営業秘密に該当するデータファイルが含まれたフォルダを丸ごと複製したのであり,その犯行の態様は大胆であり,また,私物整理等のために特に出社を許された休日に参考となるような営業秘密を複製,領得したのであるから,一定の計画性も認められるとした原判決の判断は相当である。②については,各種ツールは,これまでのAの長年にわたる活動やノウハウを基にAが独自に開発したものであるから,原判決の評価に誤りはない。③については,転職にあたって,過去の経験や知識を生かそうとすることは社会人として通常といえるが,そのために勤務先会社の信頼を裏切りその営業秘密を記録媒体の複製という形で持ち出して領得したことを身勝手であると評価しているのであって,原判決の評価は正当である。④については,被告人は,不正の利益を得る目的について不合理な弁解をしており,反省や謝罪の態度を示していないと評価した原判決の判断は相当である。⑤については,実害が生じなかったのは,Aがモニタリング等により被告人の情報の持ち出しに早期に気付いたからであって,被告人がデータファイルを複製した私物ハードディスクや私物パソコンの提出に応じたことを過大に評価することはできない。⑥の事情に加えて,所論が指摘する裁判例を踏まえても,本件領得の態様,営業秘密の内容,被告人の反省等を総合評価すれば,原判決の量刑判断は相当であり,原判決を変更しなければならないような事情はない。
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第5

量刑不当をいう論旨も理由がない。
結論

よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官

大熊一之

裁判官

野口佳子
裁判官

大橋弘治)

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