判例検索β > 平成28年(う)第24号
強盗殺人未遂(変更後の訴因・強盗殺人、認定罪名・殺人、窃盗)
事件番号平成28(う)24
事件名強盗殺人未遂(変更後の訴因・強盗殺人,認定罪名・殺人,窃盗)
裁判年月日平成29年3月27日
裁判所名・部広島高等裁判所  松江支部
結果破棄自判
原審裁判所名鳥取地方裁判所
原審事件番号平成26(わ)20
判示事項の要旨ホテル事務所内で支配人が襲われ現金が奪取された強盗殺人(第一審認定・殺人,窃盗)被告事件について,第一審判決が被告人の犯人性の推認の根拠とした間接事実の評価(犯人像等)には一部論理則・経験則に照らして不合理な点があり,また,事件翌日に被告人が入金した被害金と金額・金種が近似する230枚の千円札の入手経路についての被告人供述を虚偽として排斥することもできず,結局,被告人が犯人であることを示す事情は,被告人に犯行の機会があったということしかなく,犯罪の証明が十分ではないとして,第一審判決を事実誤認により破棄し,被告人を無罪とした事例
裁判日:西暦2017-03-27
情報公開日2017-10-13 01:33:43
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平成29年3月27日宣告

広島高等裁判所松江支部判決

平成28年(う)第24号

強盗殺人未遂(変更後の訴因・強盗殺人認定罪名

殺人窃盗
原審

鳥取地方裁判所(平成26年(わ)第20号)
主文
原判決中有罪部分を破棄する
被告人は無罪
理1由
検察官の控訴の趣意は,検察官多田賢一作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,主任弁護人吉岡伸幸及び弁護人瀬古智昭作成名義の答弁書記載のとおりであり,弁護人らの控訴の趣意は,上記弁護人ら作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官玉井秀範作成名義の答弁書記載のとおりであるから,これらを引用する。

2
弁護人らの控訴趣意中不告不理違反(刑訴法378条3号違反)の主張について
所論は,原判決の事実認定は,被告人が金品窃取の目的で鳥取県米子市AB番地C所在のホテルD(以下本件ホテルという。)に侵入したところ,予期に反して本件ホテル新館2階事務所(以下本件事務所という。)に本件ホテル支配人のE(当時54歳。以下被害者という。)がいたために当初の窃盗目的を1度は諦めたものの,その際に被告人と被害者との間で何らかのやり取りがなされ,その中で,被告人が被害者の殺害を決意するようないさかいが起こり,被害者に対して殺意をもって暴行に及んだというものであるところ,これは検察官の明示した審判対象の枠を明らかに逸脱した事実認定であり,審判の請求を受けない事実について判決をしているにほかならず,刑訴法378条3号に違反するという。
ところで,訴因変更後の公訴事実のうち犯行に至る経緯を除く被告人の実
行行為に関する部分は,平成21年9月29日(以下,同日の出来事については日付を省略する。)午後9時40分頃,本件事務所において,金品を強取しようと考え,被害者に対し,殺意をもって,その頭部を壁面に衝突させ,頸部をひも様のもので絞め付けるなどしてその反抗を抑圧し,本件事務所にあった同人管理の現金約43万2910円を強取したというものであるところ,原判決の罪となるべき事実のうち犯行に至る経緯を除く被告人の実行行為に関する部分は,第1午後9時34分頃,本件事務所において,殺意をもって,被害者の頭部を壁面に1回叩きつけ,意識を失い倒れた同人の頸部をひも様のもので約3分間絞め付けるなどし,第2前記第1の暴行を終えた後の午後9時37分頃,本件事務所において,同所で保管されていた被害者管理の現金26万8000円を窃取したというものであって,前者の公訴事実は,財物奪取の意思が被害者殺害時にも存したことが加わっている以外,後者の罪となるべき事実を事実上及び法律上包摂しているから,原判決が審判の請求を受けない事実について判決をしているということはできない。
したがって,所論は採用することができない。
3
弁護人らの控訴趣意中訴訟手続の法令違反(刑訴法379条違反)の主張について
所論は,検察官が起訴状及び冒頭陳述によって提示する事実関係は,被告人は,午後9時34分頃に本件ホテルの新館310号室の1階客室ドアから本件ホテル建物内に侵入し,本件ホテルの新館2階南東端にあり上記客室の南側隣室である本件事務所で金品を物色していたところ,被害者が午後9時40分頃に本件ホテルの旧館の北東部分にある休憩室での食事を終えて本件事務所に戻ってきて,両者が遭遇することとなったため,被告人が殺意をもって被害者に対して暴行に及んだというものであり,本件の公判前整理手続においては,かかる点を踏まえて争点及び証拠が整理され,原審弁護人らとしても,被告人が金品物色中に被害者に発見されたことを契機としてやむなく殺害行為に及んだという検察官の
主張を前提として防御の準備を進めていたところ,原判決は,上記の検察官主張の事実経過を積極的に排斥する一方,被告人が本件事務所に被害者がいないことを期待して金品窃取の目的で本件ホテルに侵入したが,予期に反して本件事務所に被害者がいたため,当初の窃盗目的を1度は諦めたものの,その際,被告人と被害者との間で何らかのやり取りがなされ,その中で,被告人が被害者の殺害を決意するようないさかいが起こり,被告人が被害者に対して暴行に及んだなどという,本件の公判前整理手続及び公判期日を通じて検察官が1度も主張していなかった事実経過を突如として持ち出し,被告人が全く想定していなかった不意打ち的な事実認定をしたものであり,原審弁護人らとしても,上記事実認定を踏まえた防御活動を尽くす機会が与えられなかったものであって,これは被告人の防御権の不当な侵害であるから,訴訟手続の法令違反があったという。原審記録によれば,所論が指摘する上記事実関係があったことが認められるから,原審裁判所としては,審理の過程において認定しようとする事実関係を顕在化させる措置をとる必要があったというべきであって,これを怠った原審裁判所の訴訟指揮は不適切であったというべきである。
しかしながら,原判決の上記事実認定は,本件事件の犯人(以下犯人という。)が被告人であると認められることを前提として導き出されたものであるから,原審弁護人らが主として争っていた,犯人が被告人であると認められるかについての判断に影響を与えるものではなく,さらに,原審弁護人らが主として争っていた,犯人の暴行と被害者の死亡との因果関係についての判断に関しても,原判決の上記事実認定が影響を及ぼさないことは明らかであるというべきであるから,被告人との関係においては,結果的に防御権の不当な侵害があったということはできない。
そうすると,弁護人らが主張する訴訟手続の法令違反があったということはできないから,所論は採用することができない。
4
弁護人らの控訴趣意中事実誤認の主張について

(1)

原判決は,要旨,①何者かが,午後9時40分頃,本件事務所において,
被害者に対し,その頭部を壁面に1回叩きつけ,意識を失い倒れた同人の頸部をひも様のもので約3分間絞め付けるなどし,同人に遷延性意識障害を伴う右側頭骨骨折,脳挫傷,硬膜下血腫等の傷害を負わせたこと,②その結果,被害者は,最終的に敗血症を引き起こして多臓器不全により死亡した,との各事実を認定しているところ,関係証拠によれば,上記①,②の各認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。
(2)

本件事件の犯人像等について
原判決は,本件事務所については,1階部分に客室専用駐車場が設けられていないほかは,建物の外側から見て他の客室と特段の違いはないことを1つの理由として,犯人については,本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったと認定する。
しかしながら,関係証拠によれば,本件事務所には,上記のとおり,1階部分に客室専用駐車場が設けられておらず,建物の外側から見て他の客室と明らかに異なっているのであるから,かかる事実から,犯人が本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったと認定した原判決は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。


次に,原判決は,本件事務所は,その位置関係やホテルの施錠状況等に照らし,本件ホテルの内部構造を知らない者にとっては,本件ホテルの建物内で最もアクセスしにくい場所であったと認定するところ,関係証拠によれば,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,犯人が,310号室を除いては,新館2階の客室から従業員用通路を経て本件事務所に立ち入ったとは考え難いと認定・判断するところ,関係証拠によれば,かかる認定・判断が論理則,経験則に照らして不
合理であるということはできない。

次に,原判決は,本件事件当時,犯人は,310号室の客室専用駐車場及び客室を通って新館2階従業員用通路に出て,そこから本件事務所に立ち入ることが可能であったと認定するところ,関係証拠によれば,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,①本件事件時の午後9時34分頃という,本件事件発生にごく近接していると考えられる時刻に,310号室の客室ドアが現に1回開閉されていることや,②310号室と本件事務所は隣接しており,当時,清掃作業中であった可能性のある本件ホテルの従業員F,G及びHに気付かれずに,ごく短時間で従業員用通路に出て本件事務所へと至ることは十分可能であったと考えられることも併せると,310号室の客室ドアの開閉は,上記の時刻頃に犯人が310号室から新館,ひいては本件事務所に立ち入ったことを相応に示すものと認定するところ,関係証拠によれば,かかる認定については,相応に示すものという限度において論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,旧館の2階非常口ドア又は1階出入口から犯人が立ち入ったとは考え難いと認定するところ,関係証拠によれば,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,本件事件当時,犯人が新館1階北側の従業員用出入口から新館の建物内に立ち入り,従業員用通路を南進した上,たまたま施錠されていなかった南側引き戸を開けてその奥にある階段で2階に上がる経路により,本件事務所に至ることも不可能であったとまではいえないと認定するところ,関係証拠によれば,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,新館106号室の客室ドアが午後9時30分頃に2回開閉されているが,この開閉は犯人が行ったものと考えるほかないと認定す
る。
しかしながら,①上記開閉については,本件ホテルを訪れた客が106号室の1階駐車場案内表示板の清掃中の表示に気付かず,客室ドアを開けて106号室内に立ち入り,室内が清掃されていないことに気が付いて上記ドアから出て行った可能性があること(なお,上記開閉の6分後に旧館212号室に入室した客がいることが認められる。),②仮に,犯人が本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったとすれば,106号室から従業員用通路に立ち入ることができないことを知っていたはずであるから,それにもかかわらず本件事務所に至る経路として106号室に立ち入るとは考え難いことからすると,原判決の上記認定は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

次に,原判決は,犯人が106号室の客室ドアが午後9時30分頃に2回開閉したことを前提に,仮に,犯人が,新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って犯行に及んだとすると,犯人は,午後9時30分頃に106号室の客室のドアを開閉した後,新館1階北側の従業員用出入口から南側引き戸を通って本件事務所に至り,被害者に3分程度の頸部圧迫を含む暴行を加えるなどして,午後9時34分頃に310号室から逃走したことになるが,これはおよそ不可能であるから,犯人が,新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って犯行に及んだとみるのは困難であり,犯人は,310号室の客室ドアから本件ホテルに立ち入り,犯行後,本件事務所前の階段を下りて南側引き戸を通り,新館北側の従業員用出入口から出るなどして逃走したと認定する。
しかしながら,犯人が106号室の客室ドアを午後9時30分頃に2回開閉したと断定することができないことは,上記クのとおりであるから,原判決の上記認定にはその前提において事実誤認があり,犯人が新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って犯行に及び,午後9時34分頃に310号室
から逃走した可能性を否定することはできない。

そして,原判決は,①本件事務所は,その外観上他の客室と特段の違いがないこと,②本件事務所は,本件ホテルの建物内でも最もアクセスしにくい場所にあったこと,③本件当時,310号室の1階駐車場案内表示板には清掃中と示されていたこと(かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。),④同室の1階駐車場入口にあるカーテンが閉められた状態にあったこと(かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。),⑤被害者が同室の従業員用通路に通じる扉をデッドボルトにしていることを知らない者が,同室の客室ドアから立ち入って,偶然にでも本件事務所に行き着いたとは考えられないことから,犯人については,本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったと認定する。
しかしながら,上記①の認定が誤りであることは上記アのとおりであり,また,上記③ないし⑤の各事実は,犯人が310号室から立ち入ったと認定できる場合には,犯人が本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったと推認させるといえるが,上記ケのとおり,犯人が新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って犯行に及び,310号室から逃走した可能性を否定することができないことに鑑みれば,上記推認をすることはできないから,上記②の事実を考慮しても,犯人が,本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識がある人物であったと断定することはできず,原判決の上記認定は,論理則,経験則に反して不合理であり,事実誤認があるというべきである。


また,原判決は,①被害者は,何らかの理由により,抵抗する間もなく,犯人によって頭部を壁面に叩きつけられ,その一撃で意識を失い,その状態で頸部を絞め付けられたこと(かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。),②犯人は,本件事務所の奥まで立ち入
った上で本件犯行に及んでいること(かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。)からすれば,犯人は,本件事件当時,本件事務所内で被害者に怪しまれずに近付いた上,被害者と特段の争いになることも,何の抵抗を受けることもなく,犯行に及んだものとみることができ,このような犯行が可能であったのは,犯人が,被害者と顔見知りであるとともに,事件当時に本件事務所を訪れても不自然でない人物であったにほかならないと認定した上で,被告人がかかる犯人像に合致すると認定する。
しかしながら,㋐被害者の頭部を壁面に叩きつけ,その一撃で意識を失った被害者の頸部を絞め付けたという本件の犯行態様からは,犯人の強固な殺意がうかがわれ,本件犯行が怨恨を動機としたものであった可能性を否定できないこと(なお,関係証拠によれば,被害者は,会社の金を横領した元店長を解雇したことから,同人に恨まれていたことがうかがわれる。),㋑犯人が,新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って本件事務所に入り,本件事務所内に隠れ潜んで被害者の入室を待ち,被害者が入室して本件事務所の奥付近まで進んだ時点で,被害者に襲いかかった可能性も否定できないことからすれば,犯人が,被害者と顔見知りであるとともに,事件当時に本件事務所を訪れても不自然でない人物であったと断定することまではできないから,原判決の上記認定は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。
(3)

被告人に本件犯行に及ぶ機会があったことについて
原判決は,被告人が,午後10時頃,新館1階北側の従業員用出入口付近で
Iと出会ったことなどから,被告人に本件犯行に及ぶ機会があったと認定するところ,被告人が供述するアリバイを裏付ける証拠がないことに照らせば,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。(4)

被告人が事件翌日に230枚の千円札を所持し入金したことについて

原判決は,被告人は,本件事件の発生から約12時間後の平成21年9月30日午前9時34分から同日午前9時39分にかけて,ATM機から自己名義の預金口座に230枚の千円札を入金したと認定するところ,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。

次に,原判決は,犯人が持ち去った被害金額は26万8760円であったと認定するところ,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,犯人は,本件事務所から二百数十枚の千円札を含む現金合計約26万8000円を奪取したと認定するところ,かかる認定が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


そして,原判決は,上記アないしウの認定事実を前提に,被告人は,本件犯行から約12時間後に,被害金と金額・金種が近似する230枚の千円札を所持し,これらを自己名義の預金口座に入金したところ,日常生活において,このような大量の千円札を持ち合わせることが通常ないことを考え併せると,被告人が,偶然に,本件とごく近接した時間帯にこれらの千円札を所持し,入金したとは考え難く,この事実は,特段の事情がない限り,被告人が犯人であることを強く推認させるものと評価できるとした上で,原審弁護人らによる,被告人が所持していた千円札は,手集金や集金等業務の際にドロワー現金の千円札が不足することに備え,自分の小遣い銭(1万円札)を本件ホテルに設置されているスロット機の売上げで得た千円札と両替するなどして貯めていたものであるとの主張について,原審弁護人らが依拠する230枚の千円札に関する被告人の供述は信用できないから,これを採用できないと判断した。


そこで,上記判断の当否について検討する。
(ア)

まず,上記判断の枠組みについて検討するに,原判決は,本件犯行か
ら約12時間後に,被害金と金額・金種が近似する230枚の千円札を所
持していたことから,特段の事情がない限り,被告人が犯人であることを強く推認させるとする。
しかしながら,①被告人が所持していた230枚の千円札が被害金そのものであることを裏付ける直接証拠がないこと,②被告人が犯人であることの立証責任は検察官にあることに鑑みれば,被告人が,本件犯行以外の事由によってその金銭を入手した可能性があれば,被告人を犯人と認定することはできず,その入手経路について弁解主張があったときは,その弁解が信用できると認められた場合はもちろん,その信用性にある程度の疑問があっても,これを虚偽として排斥しきれない以上は,被告人を犯人と認定することができないというべきである。
そうすると,原判決の指摘する事実があれば,特段の事情がない限り,被告人が犯人であることを強く推認させるとした原判決の判断枠組みは,無罪推定の原則に反し,被告人に自らが犯人でないことについての立証責任を負担させるものであるから,到底支持することができない。
(イ)

なお,被告人は,ドロワー現金の千円札が不足することに備えるため
のみならず,被害者が集金の際に千円札が切れて銀行に両替に行くことがあったことから,そのようなときに,被害者に千円札を融通することができるようにするため,自分の小遣い銭(1万円札)を本件ホテルに設置されているスロット機の売上げで得た千円札と両替するなどして貯めていた旨を供述しているのであるから,かかる被告人供述も踏まえて検討する必要がある。
(ウ)

以上を踏まえて,230枚の千円札の入手経路に関する弁護人らの主
張ないし被告人の供述について,これらを虚偽として排斥できるかどうかを検討する。

原判決は,本件ホテルの従業員らは,被告人がそのような千円札を所持していることを見たことも聞いたこともない旨一致して証言している
ことを1つの理由として,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったとは考え難いとする。
しかしながら,被告人の原審公判供述によれば,被告人は,千円札を被告人所有の自動車で保管しており,また,所持していた千円札で両替していることを他の従業員らに告知していなかったと述べ,そのこと自体あながち不自然なことともいえないから,本件ホテルの従業員らが,被告人が千円札を所持していることを見たことも聞いたこともなかったことをもって,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったとは考え難いと断ずることはできない。
そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

次に,原判決は,ドロワー現金出納票並びにI及びJの原審各証言から,ドロワー現金の千円札が現に不足したことも,レジの引出し内にあった1万円札が知らないうちに両替されていたこともなかったと認定し,このことを1つの理由として,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったとは考え難いとする。
しかしながら,ドロワー現金出納票の残高欄には金種は記載されていないから,同票の記載内容をもって,ドロワー現金の千円札が現に不足したことや,レジの引出し内にあった1万円札が知らないうちに両替されていたことがなかったと断定することはできない。
また,被告人がドロワー現金が不足する前に1万円札を千円札に両替していたのであれば,ドロワー現金の千円札が現に不足したことがなかったとしても不思議ではなく,また,I及びJにおいて,レジの引出し
内にあった1万円札が知らないうちに両替されていたことに気付かなかったことも十分考え得るから,I及びJの原審各証言をもって,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったとは考え難いと断ずることはできない。
加えて,上記(イ)のとおり,被告人は,ドロワー現金の両替,補充のみならず,被害者が集金の際に千円札が切れて銀行に両替に行くことがあったことから,そのようなときに,被害者に千円札を融通することができるようにするために千円札を貯めておいたというのであるから,仮に,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性がなかったとしても,被告人において,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性がなかったと断ずることはできない。
そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

次に,原判決は,被告人自身も,必要なときは金庫から千円札を取り出せるよう,被害者から金庫のスペアキーを預かっていて,実際に,平成21年7月頃に3万円分の千円札を金庫から取り出したことがある旨供述していることを1つの理由として,被告人がドロワー現金の両替,補充のため,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったとは考え難いとする。
しかしながら,金庫内には本件ホテルの経営会社からの指示で普段から合計45万円の釣り銭用千円札と硬貨を保管しておくことになっており,千円札が減少すれば,被害者が集金の際に千円札が切れて銀行に両替に行かなければならない可能性が増えるから,そのようなことにならないように,被告人において,個人的に大量の千円札を所持しておく必要性があったことを否定することはできない。

そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

また,原判決は,被告人は,被害者の集金等業務の際に千円札が不足するのに備えていたとも供述するが,その一方で被害者に対し,その旨を一切伝えていなかったとも供述しているのであって,被告人の述べることは一貫していないとする。
しかしながら,被告人の供述によれば,大量に所持していた千円札は,被告人が所有する金銭であって,本件ホテルが所有する金銭ではなかったというのであるから,被告人において,かかる金銭を所持していることを被害者に伝える必要があったとはいえず,これを被害者に対して一切伝えていなかったことをもって一貫していないと評価することはできない。
そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。


さらに,原判決は,被告人は,業務のため大量の千円札が必要であったと言いながら,本件事件当時は近々に休職から復帰するつもりであったというのに,事件直後になって突然その千円札を手放した理由について合理的な説明ができていないとする。
しかしながら,被告人の供述によれば,被告人は,被告人を復職させる権限のある被害者が意識不明の状態となったために復職ができず,休職状態が継続する状態となってしまった上,実際に被害者が集金の際に千円札が切れて両替に行かなければならない状況が生じなかったことから,千円札を手放したと説明しているのであって,かかる説明が不合理であるということはできない。
そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。


加えて,原判決は,被告人は,自宅の借地代や公共料金の滞納を続け,本件の2か月ほど前から妻であるKに生活費を渡さず,本件ホテルの給料日であった平成21年9月25日に同人から生活費を要求された際には5000円しか渡さなかったというのであるから,20万円を超える小遣い銭を貯め込んでいたこと自体,相当疑わしいという。
しかしながら,関係証拠によれば,被告人は,本件ホテルに勤務し,平成21年4月分(同月27日振込)及び5月分(同月25日振込)の給与として各18万6380円,同年6月分(同月25日振込)の給与として19万6030円,同年7月分(同月27日振込)及び8月分(同月25日振込)の給与として各20万5680円,同年9月分(同月25日及び同月27日各振込)の給与として23万9290円を受領していたことが認められるところ,それにもかかわらず,被告人が,支払うべき支払をせず,本件の2か月ほど前から妻に対してほとんど生活費を渡していなかったというのであれば,被告人において,受領した給与をほとんどそのまま小遣い銭として貯め込むことが可能であったというべきであるから,Lとの交際費等を考慮しても,20万円を超える小遣い銭を貯め込んでいたとしても何ら不自然ではなく,これを疑わしいということはできない。
そうすると,原判決の上記認定・判断は,論理則,経験則に反して不合理であり,事実誤認があるというべきである。

(エ)

以上によれば,230枚の千円札の入手経路に関する弁護人らの主張
ないし被告人の供述については,これらを虚偽として排斥することはできないから,これらを排斥した原判決には事実誤認があるというべきである。
(5)

被告人が犯行直後に逃走とみられる行動を取っていたことについて原判決は,事件直後に自宅のある米子市から鳥取県外へと移動し,その
間,あえて妻であるKや交際していたLとの音信を絶ち,警察官の出頭要請を無視していたという被告人の行動は,本件について検挙されるのを恐れての逃走と評価することができ,被告人が犯人であることを相当程度推認させる事情であるとする。
このうち,被告人が警察官の出頭要請を無視していたことをもって,本件について検挙されるのを恐れての逃走と評価することができるとした点については,論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。しかしながら,関係証拠によれば,①Kは,被告人とLとの不貞関係が原因で精神的に極めて不安定な状況にあり,夫婦関係も良好でなかったこと,②被告人は,平成21年10月4日頃には鳥取県に戻り,Lと頻繁に会っていたことがそれぞれ認められ,これらの事実に照らせば,被告人が自宅に戻らなかった点については,本件について検挙されるのを恐れたからというよりは,精神的に不安定なKと会いたくなく,他方で,交際相手であるLと会いたかったからであった可能性が十分にあるから,被告人が自宅に戻らなかったことをもって,本件について検挙されるのを恐れての逃走と評価することはできない。
また,被告人の原審公判供述によれば,被告人は,平成20年頃,参考人として2日間続けて厳しい取調べを受けた経験があったため,恐怖感から自ら積極的に出頭する気になれなかったと供述しているところ,かかる供述を虚偽として排斥する証拠はなく,加えて,被告人が,平成21年9月30日,道路交通法違反を惹起したが,逃げることなく警察官から交通反則切符の交付を受けたことを併せ考慮すれば,警察官の出頭要請を無視していたという被告人の行動をもって,犯人が被告人であると推認することはできない。
そうすると,被告人が,本件について検挙されるのを恐れての逃走と評価できる行動をしたことをもって,被告人が犯人であることを相当程度推認さ
せる事情であるとした原判決の事実認定は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

次に,原判決は,被告人は,平成21年10月1日,Lから,被告人を信じている旨,被告人が周囲から犯人であると疑われていることを前提とするものと解されるメールの送信を受けているのに,これらに対する返信において,自分が犯人ではない旨の記載を全くしていないことは,被告人が犯行を行ったことを暗に認めていることをうかがわせるとする。
しかしながら,Lが被告人を犯人でないと信じているのであれば,被告人において,あえて自分が犯人ではない旨を同女に対して告げる必要がないと考えるのが経験則に合致し,それにもかかわらず,これらに対する返信において,自分が犯人ではない旨の記載を全くしていないことをもって,被告人が犯行を行ったことを暗に認めていることをうかがわせるとした原判決の事実認定は,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。
加えて,関係証拠によれば,Lが被告人に対して送信したメールの内容は,

M…。あたしは,Mを信じている。お願いだから,■ちょうだぃッ!

(注:Mは被告人を指す。)というものであり,その後のやり取りは,被告人がLに対し,Lごめんね■■■何にもしないで,と送信し,これを受けてLが被告人に対し,どこに居るの■と送信し,これを受けて被告人がLに対し,L今日は,撰果場だよね,頑張っている?Mは,Lが大好きだよこれだけは,信じてネと送信していることが認められ,かかるやり取りに照らせば,Lと被告人との上記メールによるやり取りは,恋愛関係にある男女の信頼関係に関するやり取りとみる余地があるのであって,これを被告人が周囲から犯人であると疑われていることを前提とするやり取りと断定することはできないから,原判決の上記認定は,その前提において誤っている可能性がある。


次に,原判決は,被告人は,何が何でも捜査機関から逃げようとは考えておらず,逮捕等されることもある程度覚悟していたと評価することも可能であり,このような評価は,被告人が,Kに対し,平成21年11月12日,今まで,やりたい放題やらしてもらって,感謝している,ありがとう,まぁいい人生だったと思うなどと今生の別れを告げるかのようなメールを送っていることと整合的であるとする。
しかしながら,関係証拠によれば,上記メールは,Kが被告人に対して送信した

ごめんなさい。若い時から,わがままばかりのわたしに,あわせてもらった恩返しが出来なくて,許してください。しのみが,しんがた


いう別れを告げるかのようなメールに対する返信であることが認められ,かかる事実に照らせば,被告人の上記メールの内容をもって,被告人が逮捕等されることもある程度覚悟していたと評価することには論理の飛躍があるといわざるを得ない。
ただし,被告人の原審公判供述によれば,被告人が,何が何でも捜査機関から逃げようとは考えておらず,逮捕等されることもある程度覚悟していたことは認定することができる。
(6)

本件ホテルの他の従業員に本件犯行を行った可能性がないことについて原判決は,本件犯行の態様から,F及びIといった女性において本件犯行を行い得たとは考え難いと認定・判断するところ,かかる認定・判断が論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。


次に,原判決は,元店長は,男性であるが,同人は事件から1年以上前に本件ホテルを辞めており,事件当日に現れる理由がない上,事件時に本件事務所を訪れることが自然であるといえる立場にもなかったから,同人が犯人であった場合,被害者が無抵抗で襲われたことと整合しないとする。しかしながら,前記のとおり,元店長は,被害者から解雇されたことで被害者を恨んでいたことがうかがえるから,その恨みを晴らすために本件ホテ
ルに現れる可能性がないとはいえない上,前記のとおり,犯人が,新館1階北側の従業員用出入口から立ち入って,被害者より先に本件事務所に入り,本件事務所内に隠れ潜んで,被害者に突然襲いかかった可能性を否定することはできないことに照らせば,元店長が犯人であったとしても,被害者が無抵抗で襲われたことと整合しないとはいえない。
そうすると,元店長が犯人であった場合,被害者が無抵抗で襲われたことと整合しないと認定・判断した原判決には論理則,経験則に反して不合理であり,事実誤認があるというべきである。

次に,原判決は,①本件事件当日の夕食終了後,被害者は,本件事務所に戻った一方,F,G及びHは,3人で一緒になって客室の清掃作業に当たり,106号室(午後9時48分頃に作業終了),306号室(午後9時59分頃に作業終了),108号室(午後10時頃に作業開始),102号室(午後10時3分頃に作業開始)の順で作業を行っていた,②Fが先行して102号室で清掃作業に取りかかってほどない頃,被告人が102号室を訪れたことで,Fと被告人とはスロット機の売上げの回収作業を始めることにし,Fが,準備のため本件事務所に向かったところ,倒れている被害者を発見した,③これらの間,G及びHがその場から離れて単独で本件犯行に及ぶ機会はない,④F,G及びHが継続して清掃作業を行っていたことからして,この3人あるいはそのうち2人が共謀の上で本件犯行に及んだ可能性も認め難い,と認定・判断するところ,上記①ないし③の各認定・判断については,これらが論理則,経験則に照らして不合理であるということはできない。
しかしながら,原判決は,本件事件当日の夕食が終了したのは午後9時26分頃であると認定し,当審における事実取調べの結果によっても,夕食が終了した時刻が同時刻頃であった可能性は否定できない(ただし,同時刻であったと認定することまではできず,検察官が主張する午後9時40分頃で
あった可能性も否定できない。)ことからすると,本件事件当日の夕食が終了してから106号室の清掃作業が終了するまでの時間として,午後9時26分頃から午後9時48分頃までの約22分間あった可能性があるところ,関係証拠によれば,上記3人で1室の清掃作業を行うのに必要な時間は長くても15分程度であったことが認められるから,F,G及びHの3人には,短くても約7分間の犯行可能時間があったということができる。
そうすると,F,G及びHの3人あるいはそのうち2人が共謀の上で本件犯行に及んだ可能性が認め難いと認定・判断した原判決は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

そうすると,本件ホテルの他の従業員に本件犯行を行った可能性がないと認定・判断した原判決は,論理則,経験則に照らして不合理であり,事実誤認があるというべきである。

(7)

被告人が犯人であることについて
原判決は,被告人については,①本件の犯人像に合致し,②犯行の機会があ
っただけでなく,③事件後に被害金と金額・金種が近似する230枚もの千円札を所持ないし入金し,④逃走と評価できる行動に出るなど,犯人であることを強くあるいは相当程度推認させる事情が認められ,他方,⑤本件ホテルの他の従業員が本件犯行に及んだ可能性はなく,このような事実関係が同時に存在することについては,被告人が犯人であると考えなければ合理的に説明がつかないとして,被告人が犯人であると認定する。
しかしながら,㋐犯人が,本件ホテルの内部構造や施錠状況等に関する知識があり,被害者と顔見知りであるとともに,本件事件時に本件事務所を訪れても不自然でない人物であったと断定できないこと,㋑230枚の千円札の入手経路に関する弁護人らの主張ないし被告人の供述を虚偽として排斥することができないこと,㋒被告人が,本件について検挙されるのを恐れての逃走と評価できる行動をしたことをもって,被告人が犯人であることを相当程度推認させ
る事情であるということはできないこと,㋓本件ホテルの他の従業員のうち,元店長並びにF,G及びHについては,本件犯行を行った可能性がないとはいえないことは前記のとおりである。
そうすると,被告人が犯人であることを示す事情は,被告人に犯行の機会があったことしかなく,かかる事実のみから被告人が犯人であると推認することができないことは明らかである。なお,関係証拠によれば,310号室の1階客室入口ドアの取っ手から被告人の指紋が検出されていることが認められるが,被告人は,本件ホテルの従業員であった者であり,普段の仕事中に上記ドアに触れる機会があったことを否定できないことからすれば,上記指紋検出の事実から,被告人が犯人であることを推認することはできない。
原判決は,上記①ないし⑤の事実関係が同時に存在することについて,被告人が犯人であると考えなければ合理的な説明がつかない旨判示するが,状況証拠による犯人性の認定に当たっては,状況証拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要し,これに至らない間接事実をいくつ積み上げても,犯人性の立証には足りないというべきであるから,被告人が犯人であることの証明は十分でなく,被告人が犯人であると認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。
したがって,弁護人らの事実誤認の論旨は理由があり,検察官の事実誤認の論旨を検討するまでもなく,強盗殺人(原審の認定罪名殺人窃盗)の点について,被告人は無罪である。
5
破棄自判
よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,原審及び当審の審理経過に照らし,被告人の有罪を基礎付ける新たな証拠は期待し難いというべきであるから,本件を差し戻すことなく,同法400条ただし書に則り,直ち
に当裁判所において自判することとするが(なお,本件公訴事実中詐欺の点については,すでに原判決において無罪とされ,これに対して検察官から控訴の申立てがないから,控訴の対象となっていない。),前記のとおり,本件公訴事実中強盗殺人(原審の認定罪名殺人窃盗)の点については,犯罪の証明がないことに帰するので,同法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。

平成29年3月27日

広島高等裁判所松江支部

裁判長裁判官

栂村明剛
裁判官

内田貴文
裁判官

堀田匡
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