判例検索β > 平成22年(わ)第91号
業務上過失致死被告事件
事件番号平成22(わ)91
事件名業務上過失致死被告事件
裁判年月日平成25年1月18日
裁判所名・部前橋地方裁判所  刑事第2部
判示事項の要旨特定非営利活動法人が運営していた入居型介護施設の火災事故に関し,理事長について防火管理上の注意義務を怠っていた過失を認めた上,起訴された9名の死亡のうち5名の死亡について,その過失との因果関係を認めて有罪判決を言い渡すとともに,理事については防火管理上必要な業務を遂行するための実質的な権限を有していたとは認められないとして無罪判決を言い渡した事例
裁判日:西暦2013-01-18
情報公開日2017-10-13 01:35:03
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平成25年1月18日宣告
平成22年(わ)第91号

業務上過失致死被告事件
判決主文1
被告人Aを禁錮2年に処する

2
被告人Aに対し,この裁判が確定した日から4年間その刑

の執行を猶予する。
3
訴訟費用のうち,証人H,同L,同Z及び同Wに支給した

分はその2分の1を被告人Aの負担とする。
4
被告人Bは無罪。
理由
被告人A
となるべき事実
事実)
(被告人Aの罪となるべき事実)
1
被告人Aは,群馬県渋川市d番地所在の要介護高齢者等の入居型介護施設で
ある甲(以下甲という。)を運営する特定非営利活動法人乙(以下乙という。)の理事長として,甲の運営・管理等の業務全般を統括していた。2
甲は,建物4棟からなる部分(以下甲本館という。)とその東方に
ある建物(以下甲東館という。)からなる施設であった。甲本館の建物4棟は,別紙図面1のとおりであり,いずれも木造平家建てで妙義棟,榛名棟,赤城棟及び谷川棟と呼ばれていた。その床面積は合計約362.90㎡で,各棟に入居者用の個室(合計16室)があり,妙義棟には当直職員用の宿直室が,榛名棟には事務室が,赤城棟には食堂(以下赤城棟食堂という。)が備えられていた。甲では,平成18年10月頃から65歳以上の介護を要する高齢者等10名前後を有料で入居させて,食事及び入浴の提供並びに必要に応じてそれらの介助や排せつの介助を行っていた。
平成21年3月19日当時,甲本館では,各個室に合計16名が入居していた。その中には65歳以上の高齢者13名,歩行不能者4名,歩行困難者4名,視覚障害者1名,介護保険法上の要介護者又は要支援者12名(以上につき,複数の項目に該当する者もいる。)がおり,相当数の入居者について火災時の避難に介助を要する状況であった。
3
甲本館では,各個室内は禁煙とされていたものの,以前から入居者の中には
個室内で喫煙する者がおり,職員の中にも赤城棟食堂で喫煙する者がいた。赤城棟食堂には石油ストーブ数台とガスコンロ2台が置かれており,実際に使用されていた。また,4棟の建物はいずれも接近して建てられていた。赤城棟食堂は壁等にベニヤ板等が使用され,屋根は塩化ビニール製板張りであり,赤城棟北側通路も床板としてベニヤ板が敷き詰められ,屋根は塩化ビニール製板張りであって,同通路上には灯油入りポリタンク数個及び段ボール数箱が置かれていた。これらの事情から,甲本館においては,火災が発生する危険性が常に一定程度存在しており,火災が発生した場合には,それが急速に拡大する危険性があった。
しかも,甲本館では,入居者の夜間徘徊を防止するために,夜になると,谷川棟から赤城棟北側通路に通じる出入口引き戸(別紙図面1a)に通路側から,谷川棟から赤城棟食堂に通じる同食堂北側出入口引き戸(同b)に同食堂側から,同食堂から屋外に通じる南出入口引き戸(同c)に屋外側から,それぞれ施錠をしていた。各個室等には煙感知器等の火災報知設備は設けられておらず,夜間当直職員は1人しかいないときもあった。そのために,特に夜間に火災が発生した場合には,適切な通報や避難誘導等がなされないまま,避難に介助を要する者を含む入居者が死傷する危険性があった。
4
被告人Aは,前記2,3のような,入居者の状況,甲本館における火気の存
在や使用状況,甲本館の構造・材質,夜間施錠の事実,火災報知設備の不存在,夜間当直職員の人数などを認識していたのであるから,甲本館において火災が発生する可能性があり,火災が発生すれば急速に拡大して,入居者が安全に避難することができずに,その生命,身体に危害が及ぶであろうことを十分に予見することが可能であった。
そこで,甲の運営・管理等の業務全般を統括していた被告人Aには,甲本館で火災が発生した場合において入居者の生命,身体の安全を確保し,死傷者が発生することを未然に防止するために,①平素から職員を指揮して避難訓練を実施し,甲の職員間に火災発生時の避難誘導の方法等を周知徹底させた上,②甲本館の各個室に煙感知器並びにこれと連動する宿直室及び他の個室への通報装置を備えた住宅用火災警報器を設置して,火災の早期発見,通報を図るとともに,③火災が発生した場合には入居者を適切に誘導して安全な場所に避難させることができるように,職員を新規採用するなどして,甲本館に少なくとも夜間当直職員2人を常時配置すべき業務上の注意義務があった。
5
しかるに,被告人Aは,上記①,②,③の各措置をとらずに甲の運営を
継続していたところ,夜間当直職員が1人であった平成21年3月19日午後10時30分過ぎ頃,赤城棟のCの居室(別紙図面1のCと表示の個室)内から出火し,その火が拡大して急速に甲本館の建物4棟に延焼する火災が発生した。この火災において,被告人Aは,上記各措置をとる業務上の注意義務を怠っていた過失により,赤城棟,谷川棟又は榛名棟に入居していた別紙一覧表記載の9名のうち,自力歩行が可能な番号1のD1,同4のD4及び同5のD5の3名を早期に安全な場所に避難させることができずに,同表記載の日時,場所,原因のとおり死亡させたほか,自力歩行が不可能又は困難で同表記載の日時,場所,原因のとおり死亡した6名,すなわち同表番号2のD2,同3のD3,同6のD6,同7のD7,同8のD8及び同9のD9の6名のうち2名についても,早期に安全な場所に避難させることができずに,死亡させたものである。
証拠の標目)
(証拠の標目)

省略

被告人A
有罪認定の補足説明及び被告人B
無罪の理由)
(被告人Aに係る有罪認定の補足説明及び被告人Bに係る無罪の理由)目次
第1

本件各公訴事実及び結論............................................6
1
本件各公訴事実(訴因変更後)の要旨................................62結
論............................................................8
第2

事案の概要........................................................8
第3

出火場所,出火原因及び出火時刻...................................10
1
出火場所.........................................................10(1)

当事者の主張..................................................10
(2)

H証言,L証言から特定できる範囲..............................10
(3)

C居室内から東,西及び南の各室外方向への燃焼を示す事実........11
(4)

C居室内からの出火であり,北側物置からの延焼ではないとするQ証言
の検討.............................................................12(5)

出火原因となりうる火気の存在..................................16
(6)

まとめ........................................................16
2
出火原因.........................................................17
3
出火時刻.........................................................18
第4

火災発生による死傷者発生の危険性及び予見可能性...................18
1
火災発生の危険性について.........................................18(1)

危険性に関する客観的な状況....................................18
(2)

被告人Aが現に認識していた事実................................19
(3)

火災発生の危険に関する予見可能性..............................20
2
火災が急速に拡大する危険性について...............................21
3
火災による死傷者発生の危険性について.............................21
第5

検察官主張の結果回避義務違反と死亡結果の因果関係(結果回避可能性)22
1
検察官の主張等...................................................22
2
当裁判所の結論...................................................25
3
本件火災における避難経路の使用可能時間...........................26(1)

本件火災実験の概要及び結果....................................26
(2)

本件火災実験の証拠価値........................................27(3)
4
本件火災実験からの考察........................................28
本件避難実験の内容と評価.........................................34(1)
(2)

実験の結果....................................................34
(3)
5
実験の方法....................................................34
実験結果の評価................................................35
避難所要時間及び死亡結果の回避可能性の検討.......................36(1)

前提事項......................................................36
(2)

職員2人が赤城棟及び谷川棟6名の避難誘導を先行させた場合......37
(3)

職員1は赤城棟及び谷川棟に,職員2は榛名棟に分かれて避難誘導をし
た場合.............................................................40(4)

職員2人が榛名棟北側部分3名の避難誘導を先行させた場合........42
(5)

夜間当直職員を2人とした場合のまとめ..........................42
6
因果関係についてのまとめ.........................................43
第6

被告人Aの注意義務...............................................44
1
検討すべき事項...................................................44
2
注意義務の根拠...................................................45
3
被告人Aが刑法上の注意義務を負うこと.............................46
4
具体的な注意義務の基準...........................................47
5
措置③

住宅用火災警報器(親器・子器セット)の設置義務...........48
6
措置①

避難訓練実施等の義務.....................................52
7
措置⑤

夜間当直職員を2名以上配置する義務.......................53
第7

被告人Aについての結論...........................................54
第8

被告人Bの無罪の理由.............................................55
1
当事者の主張と検討の視点.........................................55(1)

検察官........................................................55
(2)

弁護人........................................................56(3)
2
検討の前提....................................................56
防火管理上必要な業務を遂行することができる権限を有する立場について57(1)

被告人Bの役職,役職名........................................57
(2)

入居者の介護に関する被告人Bの業務内容........................59
(3)

職員の採用等への関与..........................................60
(4)

収入及び支出への関与..........................................60
(5)

施設の維持管理への関与........................................60
3
防火管理業務への関与について.....................................61
4
まとめ...........................................................62
5
その他の点について...............................................63
6
結論.............................................................64
第1
1
本件各公訴事実及び
本件各公訴事実及び結論
本件各公訴事実(訴因変更後)
本件各公訴事実(訴因変更後)の要旨
(1)

被告人Aは,乙の理事長として,甲の運営・管理等の業務全般を統
括していたもの,被告人Bは,乙の理事兼甲の施設長として,被告人Aを補佐して甲の運営・管理等の業務を行なっていたものである。
(2)

甲(本館をいうものと解される。以下同じ)は,木造平家建て建物
4棟(各棟名称,床面積合計は判示のとおり)内に個室合計16室を有する建築基準法上の寄宿舎又は老人福祉法上の有料老人ホームであり,平成18年10月頃からは主として65歳以上の要介護高齢者等10名前後を各個室に有料で入居させて食事,入浴及び排せつの介助等を行い,平成21年3月19日当時は入居者16名のうち65歳以上の高齢者が13名で,そのうち歩行不能又は歩行困難等の要介護者ないし要支援者が12名であった。
(3)

甲においては,布団,毛布等が置かれた各個室内は禁煙とされてい
たものの,入居者の中には個室内で喫煙している者がおり,これを黙認していたこと,建物内に石油ストーブ数台が置かれていたこと,赤城棟食堂はガスコンロ2台を使用する火気使用室であったことなどから,甲の建物で火災が発生する危険性が常にあった。そして,同食堂は壁等にベニヤ板等を使用し,屋根を塩化ビニール製板張りとしていたこと,赤城棟北側通路は床板としてベニヤ板を敷き詰め,屋根を塩化ビニール製板張りとして赤城棟と密着させ,同通路上には灯油入りポリタンク数個及び段ボール数箱が置かれていたこと,入居者の夜間徘徊を防止するため,午後8時頃までに判示の3か所に南京錠等で施錠していたこと,各個室等には煙感知器等を設置していなかったことから,甲の建物で火災が発生した場合には,急速に火災が拡大し,適切な通報,避難誘導等を欠けば,入居者を安全に避難させることが困難になり,その生命,身体に危険を及ぼすおそれのあることが,被告人両名には十分に予見することができた。
(4)

そこで,被告人Aには,①被告人Bに指示して,平素から避難訓練を実
施させて甲の職員間に火災発生時の避難誘導の方法等を周知徹底させること,②上記南京錠等を解錠が直ちにできる錠に取り替えること,③各個室等に煙感知器等及びこれと連動する緊急通報装置等の防災設備を設置して火災の早期発見を図ること,④建築基準法に基づき,赤城棟北側壁等を準耐火構造等とし,赤城棟食堂の壁等に準不燃材料等を使用すること,⑤火災が発生した場合には入居者を適切に誘導して安全な場所に避難させることができるように,職員を新規採用するなどして夜間当直職員を少なくとも2名以上配置することにより,火災発生時における入居者の生命,身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があった。
(5)

被告人Bにも,①平素から避難訓練を実施して甲の職員間に火災発
生時の避難誘導の方法等を周知徹底した上,被告人Aに対し,(4)②ないし⑤の措置をとるように進言し,被告人A同様,入居者の安全を確保すべき業務上の注意義務があった。
(6)

被告人両名は,各自の上記注意義務を怠って漫然と甲の運営を継続
し,その過失の競合により,平成21年3月19日午後10時45分頃,Cの居室付近から出火した際,急速に前記建物4棟に延焼させ,別紙一覧表記載のとおり入居者9名を死亡させた。
2

(1)


被告人Aについては,公訴事実の注意義務のうち,①(避難訓練実施
等),③(具体的措置としては煙感知式住宅用火災警報器〔無線式,親器・子器セット〕の設置義務)及び⑤(夜間当直職員の増員。ただし2人を限度とする。)の義務の不履行による過失により,別紙一覧表の被害者9名のうち,D1,D4及びD5の3名並びにその余の6名中2名(特定できない)を死亡させたものと認め,これらの被害者5名に対する業務上過失致死罪の成立を認めた。残る4名については,被告人Aの過失により死亡させたとは認められず,犯罪の証明がないことになるが,前記5名に対する業務上過失致死罪とは観念的競合の関係にあるので,主文において無罪の言渡しはしない。
(2)

被告人Bについては,公訴事実の注意義務(作為義務)が認められず,
無罪である。
第2

事案の
事案の概要

関係証拠によれば,次の事実が認められる。
1
被告人Aは,平成11年3月に特定非営利活動法人乙を他の理事ととも
に設立し,設立以来,理事長の地位にあった。甲は,平成12年の設立当初は通所型保養施設であったが,その後東京都の自治体から紹介された高齢の生活保護受給者等の入居を受け入れるようになり,平成16年2月頃から入居型介護施設となった。
2
平成21年3月19日発生の本件火災当時,甲には甲本館のほか,
その東方の少し離れた場所に甲東館があった。甲本館の東に隣接して,他の事業者がデイケアサービスを営む戊の本館と別館がある。甲本館は,赤城棟(床面積152.37㎡),谷川棟(同27.75㎡),榛名棟(同81.58㎡)及び妙義棟(同101.20㎡)という木造平家建て建物4棟からなる施設であり(総床面積362.90㎡),その配置等は概ね別紙図面1のとおりであった(各個室内の氏名は当時の入居者氏名)。赤城棟食堂,C居室,榛名棟事務室,赤城棟北側通路,C居室北側の物置(以下北側物置という。)は,被告人Aがベニヤ板,塩化ビニール製波板等を使って自ら増改築したものであった。3
甲全体の入居者は平成18年に20名となり,平成20年には30名前
後であった。本件火災当時は22名であり,本館には別紙一覧表記載の9名のほか,C(当時56歳),E(同61),F(同85),G(同64),H(同68),I(同89)及びJ(同82)が入居し,東館には6名(当時54歳から79歳)が入居していた。当時の本館の入居者のうち,介護保険法上の要介護認定を受けていた者(以下要介護者という。)は10名,要支援認定を受けていた者(以下要支援者という。)は2名であった(東館は各1名)。
4
甲は,入居者に対し,食事,入浴の提供及びその介助,排せつの介助,
衣類の洗濯,病院の送迎等のサービスを提供し,施設利用費(住居費,管理費,食費)として月額約8万5000円から約10万円を徴収していた。被告人Bは,入居者に対する配膳,洗濯,おむつ交換等の業務を行い,乙の理事でもあった。理事ではない職員として,調理担当のK(被告人Bの夫),事務職員1人,夜間当直職員であるL,M及びNの3人がいた。Lは1人で1月に10日間,M及びNは2人一緒に1月に20日間,それぞれ当直勤務を行っていた。介護保険が適用される入居者に対しては,訪問介護事業者からOらヘルパーが派遣されて介護業務を行っていた。
5
本件火災の経過は概ね以下のようなものであった。
(1)

当日の夜間当直職員はL1人であった。午後5時頃,Oが別紙図面1の
aのスライド錠(以下スライド錠aという。)をかけ,午後7時過ぎ頃,Lが同図面のbの心張棒(以下心張棒bという。)とcの南京錠(以下南京錠cという。)をかけた。Lは,午後9時少し前に妙義棟内の見回りをしたところ,南西角部屋のHだけが起きていた。Lは,ガラス越しに榛名棟の様子を見たが,明かりのついている部屋はなく,異常も見当たらなかったので宿直室に戻った。(2)

午後10時台に入り,自室でテレビを見ていたHは,大きい音がしたの
で,その方向を自室の西側窓から見た。すると,Hとしては,C居室かその南側の事務室から外のほうへ横向きに火の玉が噴き出すように見えた。Hは窓を開けて火事だなどと言い,LがHの声に気づいて宿直室を出ると,妙義棟西側ガラス窓が真っ赤になっているのが見えた。Lが妙義棟西側の玄関から別紙図面1のポーチに出ると,赤城棟のほうが真っ赤になっていた。Lには,C居室の北側ないしC居室の方向に,二,三mくらいの高さの波のような炎が上がっているように見えた。(3)

近隣に住むP1は,本件火災を見て午後10時55分頃,119番通報
をし,最初の消防車は午後11時4分頃到着した。L,駆け付けた近隣施設の職員,消防署員らが入居者の救助作業を行ったが,別紙一覧表記載の9名(以下本件被害者9名という。)は同表記載のとおり死亡し,Cも青酸ガス中毒により自己の居室で本件火災時に死亡した。そのほかの入居者6名は救助された。第3
1
出火場所,出火原因及び
出火場所,出火原因及び出火時刻
出火場所
(1)

当事者の主張

検察官は,出火場所はC居室内であったと主張する(公訴事実上はC居室付近であるが,証明予定事実記載書8,冒頭陳述及び論告はC居室内とする。)。弁護人は,北側物置から出火した可能性が高く,C居室とは特定できないと主張する。(2)

証言,証言から特定できる
から特定できる範囲
H証言,L証言から特定できる範囲

第2の5(2)記載のH及びLが見た火災の状況は,出火場所がC居室,北側物置,榛名棟事務室又はその周辺であることを示している。この付近は甲本館の中で最も焼損の激しい箇所の一つであり,後記の現場臨検報告書,鑑定書,火災原因判定書,火災原因調査報告書からも,出火場所がこの範囲にあることは明らかである。なお,H証言に関しては,Hの部屋の位置に照らすと,C居室から横方向(東方向)に炎が直接噴き出す状況を,Hの部屋の窓から見ることができるかについて疑問の余地はある。しかし,大きな音がして,外を見るとC居室の周辺で炎が勢いよく噴出していたという限度では,H証言によって認定することができる。L証人は,C居室の後ろ(北側)から炎が出ているように見えたと述べている。しかし,Lは,捜査段階には,事務室の奥の方から,C居室の東側から,あるいはC居室の北側辺りから炎が上がっていたとも述べていて,その供述は変遷している。L証言は,炎はC居室の北側から上がっていたのではないかという弁護人の疑問の根拠となるものではない。
(3)

居室内から
から東西及び
各室外方向への燃焼を
への燃焼
C居室内から東,西及び南の各室外方向への燃焼を示す事実

群馬県警察刑事部科学捜査研究所技術職員であるQの証言,同人ら作成の現場臨検報告書,科学警察研究所技官Rら作成の鑑定書,渋川広域消防本部消防司令S作成の火災原因判定書,総務省消防庁消防大学校消防研究センター作成の火災原因調査報告書によれば,次の事実が認められる。


C居室東側に設置されていた浄化槽モーター(別紙図面2①)が西側下部
から東側上部に向かって焼損していた。


同室西側に設置されたエアコン室外機(同図②)は,同室に面した背面の
焼損が前面に比して著しかった。
③-1

同室南側にある事務室北側の窓ガラス(同図③-1)が北側に崩れ落ちて
いた。
③-2

C居室の南側窓のガラス片(同図③-2)が同室内側に落ちていた。
そして,Q証人は,①浄化槽モーターについては,固定物が火炎の影響を受けると下から上に向かった斜めの焼損状態を呈するので,C居室から東方向へ燃焼したことを示す,②エアコン室外機については,背面の焼損が強いことからC居室側から火炎又は火災熱の影響を受けたと考えられ,C居室から西方向へ燃焼したことを示す,③-1事務室北側及び③-2C居室南側の各窓ガラスについては,窓ガラス等は熱を受けるとその受熱の方向に(熱が来た側に)落ちることから,C居室から南方向へ燃焼したことを示す,と証言している。Q証人は,上記技術職員として30年以上火災原因調査に携わり,約300の火災現場に臨場して調査した経験があり,この分野において専門的な知見を有していると認められる。そして,Q証人の①②③-1,③-2の各考察につき,Rは同様の証言をし,①,③-1,③-2については火災原因判定書及び火災原因調査報告書も同趣旨であって,上記各考察はいずれも正当なものといえる。
したがって,本件火災において,C居室内から東,西及び南の各室外方向へ燃焼していった事実が認められる。
(4)

居室内からの出火であり北側物置からの延焼ではないとする
からの出火であり,
からの延焼ではないとするQ
C居室内からの出火であり,北側物置からの延焼ではないとするQ証言
の検討
上記(3)の事実からは,北方向からの延焼,例えば北側物置から出火してC居室に延焼した可能性は否定されないため,火災原因判定書及び火災原因調査報告書は出火場所をC居室又は北側物置(付近)と特定するにとどめている。これに対し,Q証言は,次のアないしオを根拠として,出火場所はC居室内であって,北側物置等の外部ではないと述べているので検討する。

エアコン室内機の
エアコンの室内機の焼損状況

C居室内南西側に設置されていたエアコン室内機は,本件火災によって焼損し落下していたが(別紙図面2④),その焼損は北側よりも南側の方が強かった。この焼損状況から,Q証人は,エアコンの室内機は南側の壁からの火炎や火災熱の影響を受けたと考えられるので,居室内の燃焼が南側から北側に向かったことが推定されると証言する。弁護人が指摘するように室内機が落下後にも焼損した可能性はあるが,落下に至るには既に相当に火災が進展していて,落下前に室内機の焼損が進んでいたとみるのが合理的である。Q証人の考察は妥当である。イ
血中一酸化炭素濃度及び
Cの血中一酸化炭素濃度及び血中青酸濃度

居室内で死亡していたCの血中一酸化炭素濃度は15%であり,赤城棟及び谷川棟の他の死亡者6名のそれは33%から94%であった。一方,Cの血中青酸濃度は6.3㎍/mlであり,上記6名中一酸化炭素濃度が60%未満の3名はそれぞれ0.1,0.7,4.3㎍/mlであった(致死量は3~5㎍/ml)。この事実からQ証人は,要旨仮に外部からC居室に燃え移ったとすれば,外壁が燃えて一酸化炭素が発生し,血中一酸化炭素濃度がもう少し高くなる。文献によれば,通常の建物火災で火災ガスを吸った場合,一酸化炭素濃度がCのように20%以下の死体から,致死量を超える青酸濃度が検出されることは稀である。そうすると,火災が大きくなる前の早い段階で,Cの周囲で青酸を発生するものが燃え,Cはその青酸ガスを吸ったと推定される。と証言する。関係証拠によれば,この考察の前提となる事実,すなわち,C居室にはベッドに敷かれた防水シーツのように燃焼によって青酸ガスが発生するポリウレタンが含まれた物が存在したこと,C居室の外側すなわち外壁及び天井はベニヤ板製であったこと,Cは自力歩行が不可能であり,死体はベッドの上に横たわっていたことが認められる。また,赤城棟北側通路等に青酸ガスを発する物が置かれていたとしても,本件火災は3月の夜間であり,窓や扉は閉められていたと考えられるから,外部から青酸ガスだけが居室内に進入してきたとも考え難い。これらの点を併せ考えると,Q証言のとおり,Cの死体の血中一酸化炭素濃度は低く,青酸濃度は高かったという事実を,外部で先に火災が発生し,それがC居室に延焼したという経過によって説明するのは困難であり,居室内が出火場所であるとして説明するのが合理的である。
なお,上記6名のうち,D2は外部からの延焼によって焼損した自室で死亡しているところ,その血中青酸濃度は4.3㎍/mlで,死因は青酸ガス中毒であった。しかし,D2は,血中一酸化炭素濃度が33%ある点でCと異なっており,外部からの延焼によって発生した一酸化炭素を吸引し,それとともに青酸ガスも吸引したとみることができる。

居室北東側アルミ
アルミ引
からの落下物
落下物の
C居室北東側アルミ引き戸からの落下物の存在

Q証人は,要旨

平成21年3月19日から26日にかけて,甲本館へ臨場した際,C居室北東にある出入口(別紙図面2⑤)の室内側に,アルミの溶融物及びガラス片が落ちていた。

これらは同出入口のアルミ引き戸の溶融物であると考えられ,それが室内側に落ちていたということは,アルミ引き戸が室内側から熱を受けたことを示す。

と証言する。もっとも,この落下物の存在を示す写真等の証拠はなく,Qら作成の前記現場臨検報告書(平成21年4月6日付け)にも記載されていない。記載しなかった理由についてQ証人は,同報告書は臨検直後に上司宛てに作成した業務報告書であり,当時の状況を漏れなく記載したわけではない,この落下物については,写真がなかったことや他の事実で賄えると思ったので記載しなかったと証言している。同報告書には上記(3)の①②及び③-1,(4)のア,イは記載され,他方で火災原因判定書等に記載されている(3)の③-2(C居室南側窓ガラス片)は記載されていないことからすると,上記アルミ溶融物及びガラス片の落下物の記載を省略したという証言は不合理とはいえない。また,前記Rは,現場に臨場したときにQから,北東側出入口のガラスが部屋に向かって割れて入っていたと聞いたと証言している。したがって,C居室北東側出入口の室内側にアルミの溶融物やガラス片が落ちていたというQ証言は信用することができる。この事実は,Q証言のとおり,同出入口のアルミ引き戸が室内側から熱を受けたこと,すなわち,北側物置方向からの延焼ではなかったことを示すものといえる。

居室北西角の木製柱等の
C居室北西角の木製柱等の燃え残り

関係証拠によれば,C居室北西側の2本の鉄製支柱(別紙図面2⑥)に木製の柱が炭化した亀甲模様の黒い燃え残りが付着していたこと,同じ場所に塩化ビニール製波板の燃え残りも付着していたこと,C居室内の北西角には高さ130㎝ほどの木製タンスが置かれていたが,それは全焼していたことが認められる。これらの事実から,Q証人は,北側物置から出火して燃え移ったのであれば,まずはC居室の北側外壁が焼失するが,それが燃え残っているのに室内側のタンスが全焼しているということは,室内から燃焼してタンスが燃えて,その後ろの外壁等は残ったと考えたほうが自然であると証言している。R証言も同趣旨であり,火災原因判定書を作成したS証人も,北側物置から出火した場合に北側の柱が残存する可能性は低いと思うと証言している。したがって,Q証人の上記見解は正当である。関連して,弁護人は,C居室北東角に存在したはずの柱が消失しており,その西側の2本の鉄製支柱に木の燃え残りがあるが,このことは焼けが北側物置のある東から西に進んだ証左であると主張する。しかし,C居室北東角の焼け跡に鉄製の支柱は立っていないし,倒れた痕跡もない。その位置やC居室の構造からみると,もともと北東角には鉄製の支柱はなかったと認められる。北東角に柱の燃え残りがないことは北側物置からの焼けを示すものとはいえない。

フラッシュオーバー現象の
フラッシュオーバー現象の可能性
現象

Hは,ボンとかボーと大きい音がし,C居室か事務室から横向きに火の玉が噴き出すように見えたと証言している(前記第2の5(2)参照)。Q証人は,要旨これはフラッシュオーバー現象の可能性がある。フラッシュオーバー現象とは,ある程度以上密閉された室内等で可燃物が着火し,それが燃え広がって可燃性ガスや熱が室内にたまり,ガスに着火して一気に燃え広がる現象や,窓ガラスが割れるなどして開口部ができ,新鮮な空気が入ってきて急激に燃え上がる現象をいう。扉のない北側物置での出火であれば,可燃性ガスや熱が外に逃げてしまうので,フラッシュオーバー現象はまず起こり難い。と証言している。しかし,これについては,弁護人の指摘にもあるように,H証言が音の質や大きさ,炎の噴出の勢いや方向を正確に認識し,言葉で表現できているかについて疑問の余地がある。Hが見分した事象がフラッシュオーバー現象である可能性はあるが,断定することはできない。

証言の
Q証言の評価

このように,Q証人が指摘するエアコン室内機の焼損状況,Cの血中一酸化炭素濃度及び青酸濃度,北東側アルミ引き戸からの室内側への落下物の存在,そして北西側木製柱等の燃え残りの4点は,C居室内を出火場所と認める根拠として是認することができる。フラッシュオーバー現象の点を除いても,C居室内を出火場所とするQ証言は十分に合理性がある。(5)

出火原因となりうる火
出火原因となりうる火気の存在
となりうる

C居室にはエアコン,テレビ,蛍光灯等の電気機器が存在したが,それらの機器や電気系統から出火した痕跡はなく,その可能性を認めるのは困難である。C居室からは油質の反応も認められなかった。しかし,次のア,イ,ウによれば,本件火災の時点でC居室内にライターがあったこと,本件火災当日頃Cは職員からたばこをもらい,これを吸う意思を有していたことが認められ,C居室には出火原因となりうる火気が存在したものと認められる。

C居室の燃え跡の地面から,ターボ式ガスライター(ボタンを押し込んで
着火する方式)の金具1個が発見された。Cの死体及びこれと一体となった衣類,寝具等の残焼物の間からフリント式ガスライター(やすりを回転させると同時にボタンを押し込んで着火する方式)の金具1個が発見された。後者は,衣類等の残焼物の繊維片に埋もれるように,こびりついていた。弁護人は,これらのライター又はその金具はもともと床下にあったか,消火時の放水によって飛ばされてきた可能性があると主張するが,少なくともフリント式ライターの金具については,付着状況からして,その可能性は考え難い。

ヘルパーのO証人は,要旨本件火災前日か当日,Cから『たばこくれ,たばこくれ』としつこく頼まれたので,Cの部屋で1本だけたばこをあげた。ライターはいいと言われたので貸していない。たばこを吸うのを手伝ってくれとは頼まれなかった。と証言している。L証人も,本件火災当日,OはLに対し,たばこの箱を持ちながら,今Cさんがたばこが欲しいって言うのでと言ったと証言している。よって,Oが証言する事実を認めることができる。

Cは,後記第4の1(1)ウのとおり,もともとかなりの喫煙者であった。
弁護人が指摘するように,当時のCは病気のために手先がかなり不自由であったと認められるが,Oに対する上記言動からすると,ライターで発火させることが不可能であったとはいえない。
(6)

まとめC居室を含む範囲が出火場所であるところ,C居室内から東,西及び南の各室外方向へ燃焼していったことが認められる。そして,Q証言が指摘する上記(4)のうちの4点に加えて,C居室に火気が存在したことを総合すれば,C居室が本件火災の出火場所であったと認めることができる。
弁護人は,①赤城棟北側通路屋根の鉄骨のうち北側物置開口部の前の鉄骨が下方に湾曲しているが,これは物置開口部からの強い火炎によって生じたものである,②C居室北側外壁のC鋼の色調の変化が,東から西に進むにつれて黒系から赤系へと弱くなっており,これは東の物置から西のC居室方向に焼けが進んだことを示している,と主張する。しかし,①については,この湾曲部分はC居室北東側アルミ引き戸の前でもあり,C居室からの火炎によっても湾曲が生じる可能性はあると考えられる。火災原因判定書もこの湾曲部分を指摘しているが,北側物置を出火場所とする根拠にはしていない。②についても,科学的な知見を伴った主張ではない。また,C居室の天井やこれに続く居室東側通路上の屋根には,東西に渡された鉄骨が南北に7本程度並んでいるが,その7本を見ると,物置に近い北側よりも南側のほうが黒の強いところも見受けられるなど,鉄骨の色調の違いは複雑であって,出火場所を判定する根拠としては薄弱である。
弁護人が指摘するその他の点も,上記の認定を妨げるものではない。2
出火原因

検察官は,Cのたばこの不始末が出火原因である高度の蓋然性があるが,確定はできないと主張している。当裁判所としても,Cの喫煙に関連した出火の可能性はあると考えるが断定することはできず,特定の出火原因を認めることはできない。ただし,C居室には油質の反応はなかったし(前記1(5)),火薬類の痕跡も窺われないから,火災の当初から爆発的な事象が起きたことはなかったと認められる(H証人が証言する状況があったとしても,それは火薬類や石油類による爆発ではなく,通常の火災に伴う現象であったとみることが可能である。)。また,弁護人は放火の可能性を主張するが,C居室が出火場所であることからすると,あえてそのような場所に入り込んで放火するとは考えられず,放火の可能性は否定することができる。
3
出火時刻

本件公訴事実は出火時刻を午後10時45分頃としている。証拠として司法警察員作成の捜査報告書があり,近隣のP1が午後10時55分に119番通報をするまでに約2分を要したとみて,最初の火災目撃を午後10時53分頃とし,P1供述では,そのときの炎の高さが10mを超えていたので(P1自身の質問調書では,屋根に覆い被さるようにオレンジ色の炎が約10mくらい上がっていて,とある。),既にフラッシュオーバーが起きていたと判断している。そして,フラッシュオーバーまでは通常8分を要するから,火災発生から既に約8分を経過しているとし,火災発生時刻はP1の目撃時刻から8分を差し引いた午後10時45分頃と判断している。
しかし,火災発生から既に約8分を経過しているというのであれば,火災発生時刻は午後10時45分頃ではなく,それ以前となる。また,後記火災実験では着火後約7分50秒でフラッシュオーバーとなっているが(第5の3(1)イ),高さ10mを超える程の火炎にはなっていない。L証人が最初に見た火炎も高さ二,三mで,同実験の着火後約8分50秒後よりも高かったというのである(同(3)ア②c)。そうすると,本件火災でフラッシュオーバーがあったとしても,P1が目撃したのは,そのしばらく後であったと認められる。
したがって,火災発生時刻を午後10時45分頃とする上記捜査報告書の見解は信用性がない。本件では出火原因が明らかでなく,何をもって出火とするのかも一義的ではないので,出火時刻については午後10時30分過ぎ頃と特定するにとどめた。
第4
1
(1)

火災発生による死傷者発生危険性及び
火災発生による死傷者発生の危険性及び予見可能性
による死傷者発生の
火災発生の危険性について
火災発生の危険性について
危険性にする客観的
客観的な
危険性に関する客観的な状況ア

赤城棟食堂にはガスコンロ2台と石油ストーブ数台があり,調理や暖房に
使われていた。各個室では,電気ポット,エアコン,テレビ等の電気製品が使われていた。

職員のK,ヘルパーのOほか1名は喫煙者で,赤城棟食堂内でも喫煙して
いた。

入居者の中で本件火災当時も喫煙を続けていた者は,東館のT,U及びV
と妙義棟のHであった。Hは外部でデイサービスを受けるときに吸っていたが,東館の入居者は本館に来て吸うこともあった。赤城棟のD2及びD1は入居時は喫煙していたが,その後やめていた。Cは,妙義棟から東館に移り,本件火災の約10日前に病院に入院し,2日前に退院して赤城棟北西角部屋に入ったが,少なくとも入院前までは喫煙していた。
喫煙者は,自分でたばことライターを管理していた。被告人Aらは,何度かたばこ等を預かったことがあるが,入居者が再びたばこ等を買ってしまうので,預かるのをやめた。屋外に喫煙場所があったが,赤城棟食堂内で吸う者もいた。C(東館当時),T,Uは個室で喫煙したことがあり,Uは平成19年頃,東館の個室において,寝たばこによって布団を燃やす小火騒ぎを起こした。CとTについては,各個室(東館)に空き缶に入ったたばこの吸い殻が残っていたことがあった。平成21年3月上旬,Cが入院のために東館の個室を退去し,被告人Bらが掃除をしたところ,たばこの箱,吸殻,ライターが多数残っており,畳には多数の焼け焦げた跡が見つかった。

平成18年11月,Uが当時の居室(甲本館東側に隣接する乙建物
内)で電気ストーブに手甲を置いて乾燥させていたところ,その手甲から出火したことがあった。このときは,当時作動していた自動火災報知設備が発報して早期に消火された。被告人Aは,その発報を聞いて駆けつけ,Uに注意した。(2)

被告人A
認識していた
していた事実
被告人Aが現に認識していた事実
被告人Aは,上記(1)のア(ガスコンロ,石油ストーブ等),エ(Uが手甲を燃やしたこと)を知っていた。イ
(1)イの職員の赤城棟食堂内での喫煙につき,被告人Aは知らなかったと
供述する。しかし,Wの証言によれば,平成16年か17年頃,被告人Aに融資をしていたWが,妙義棟の当時の当直室で被告人Aと話した際,喫煙してよいか尋ねたところ,被告人Aはヘルパーもここで吸ってますから大丈夫ですと言ったことが認められ,被告人Aは職員が甲本館の建物内で喫煙することは認識していたと認められる。

(1)ウの入居者の喫煙状況については,被告人Aは,甲本館・東館の入居
者には相当数の喫煙者がいて,各自がたばことライターを管理していること,東館の入居者が本館を訪れることを知っていた。Uが東館の居室で寝たばこによる小火騒ぎを起こしたこと,Cの東館の居室から吸殻,ライター,畳の焦げ跡が見つかったことは,それぞれ被告人Bから報告を受けていた。
(3)

火災発生の危険にする予見可能性
火災発生の危険に関する予見可能性
上記(1)によれば,甲本館において,喫煙,調理,暖房等に伴う火気の使
用により,個室内又は赤城棟食堂等の共用部分から火災が発生する危険性が常に一定程度存在していたことは明らかである。そして,被告人Aが現に認識していた上記(2)の事実だけからも,同被告人にとってそうした火災の発生を予見することは容易であったと認められる。現に,被告人A自身,施設介助内項という入居契約時の交付書類に火災時は,タオルを口に当てて頂きますと記載し,職員用の自主点検検査記録表に燃えやすいものは放置していないかたばこの吸殻の管理は良いかというチェック項目を作っている。イ
弁護人は,甲は不特定多数人が来集する施設ではないこと,施設介助内項等で館内禁煙と定めていたこと,本件火災当時は甲本館の入居者に個室での喫煙者はいなかったこと等から,甲本館には火災発生の危険性がなく,被告人Aにその予見可能性はなかったと主張する。しかし,甲本館では相当数の入居者が生活し,職員も勤務していたのであって,火災発生の一般的危険性は不特定多数人が来集する施設に劣ることはない。館内禁煙とは名ばかりであり,当時も甲本館に喫煙者や喫煙経験者はいたのであって,たばこを原因とする火災発生の危険性も続いていた。弁護人の主張は採用できない。
2
火災が急速に拡大する危険性について
する危険性
火災が急速に拡大する危険性について

甲本館の建物4棟は,いずれも木造平家建てで接近して建てられており,赤城棟と谷川棟は廊下でつながっていた。赤城棟食堂,C居室,榛名棟事務室,赤城棟北側通路,北側物置はベニヤ板,塩化ビニール製波板等で造られ,同通路上には灯油入りポリタンク数個及び段ボール数箱が置かれていた(前記第2の2)。甲本館には,市販の消火器は置かれていたが,スプリンクラーのような自動消火設備は存在しなかった。
したがって,甲本館で火災が発生した場合には,それが急速に拡大する危険性があり,また,上記各事実を認識していた被告人Aにとって,そうした事態を予見することも容易であったと認められる。
3
火災による死傷者発生危険性について
火災による死傷者発生の危険性について
による死傷者発生の
(1)

甲本館及び東館には,高齢者を中心に,平成18年には20名,平成2
0年には30名前後が入居していた。平成19年から本件火災当時までの入居者をみると,65歳以上の高齢者が17から20名程度,要介護者又は要支援者が15から20名で推移していた。本件火災当時(平成21年3月19日)は,本館には16名が入居し,65歳以上は13名,要介護者が10名,要支援者が2名であった。また,歩行不能者及び歩行困難者は各4名(F,G,H,D8,D2,D3,C,D6),視覚障害者は2名(J,E),認知症(診断又は症状)は8名であった。このように,相当数の入居者が火災時の避難に介助を要する状況であった。(2)

甲本館では,入居者の中に認知症等のために夜間に徘徊し,外出したり
食堂の食材を食べたりする者がいたことから,徘徊防止策として,夜間には,赤城棟及び谷川棟の出入口3箇所でスライド錠a,心張棒b,南京錠cによる施錠をしていた。谷川棟3名及び赤城棟のD3は,これらが解錠されなければ避難はほぼ不可能であり,赤城棟のD1及びD2も赤城棟食堂側から避難することは,ほぼ不可能であった。
なお,被告人Aは,南京錠cのことは知らなかったと供述する(ただし,スライド錠aと心張棒bを知っていれば,谷川棟3名とD3の避難がほぼ不可能になることは認識できる。)。しかし,被告人Bの公判供述及び被告人Aの検察官調書によれば,被告人Aは,被告人Bから報告を受けて,南京錠Cの出入口に何らかの施錠がなされていることは知っていたと認められる。
(3)

甲本館の各個室や共用部分には,煙感知器等,早期に火災発生を発見,
報知する機器は何も設置されていなかった。夜間当直職員は1か月のうち20日間は2人であったが,10日間は本件火災当日のように1人であった。しかも,甲では,通所型施設であった平成12年と平成14年に各1回避難訓練が行われたが,平成16年2月に入居型介護施設になって以降は,いかなる避難訓練も実施されたことはなく,職員に対し,火災時の避難誘導に関する指導が行われたこともなかった。
(4)

このような状況から,甲本館で火災が発生した場合には,特に夜間にお
いて,入居者に対する適切な通報や避難誘導・避難介助がなされないまま,急速に拡大した火災により,避難に介助を要する者を含む入居者に死傷結果が発生する危険性があったことは明らかである。
また,被告人Aは上記(1)(2)(3)の各事実の概要を認識しており,同被告人には,入居者の死傷結果発生についての予見可能性があったと認められる。第5

検察官主張の結果回避義務違反と死亡結果の因果関係(結果回避可能性)検察官主張の結果回避義務違反と死亡結果の因果関係(結果回避可能性)
1
検察官の主張等
検察官の主張等
(1)

検察官は,被告人Aに対する本件公訴事実において,結果回避義務とし
て以下の措置を主張している(第1の1(4)参照)。


被告人Bに指示し,避難訓練を実施させて職員間に避難誘導の方法等を周
知徹底させること②

南京錠C等を解錠が直ちにできる錠に取り替えること



各個室等に煙感知器等及びこれと連動する緊急通報装置等の防災設備を設
置すること


赤城棟北側壁等を準耐火構造等とし,赤城棟食堂の壁等に準不燃材料等を
使用すること


入居者の安全な避難誘導のために,夜間当直職員を少なくとも2名以上配
置すること,である。
そして,検察官(論告)は,C居室等を再現して行った実験(鑑定書の実験1,以下本件火災実験という。)の結果と,甲本館の位置関係等を再現し,警察官が演じて行った避難実験(実況見分調書の実験。以下本件避難実験という。)の結果を比較検討すると,措置①,②,③及び⑤が講じられていれば,本件被害者9名全員を避難させることができたと主張する。また,措置④が講じられていれば,赤城棟北側通路や赤城棟食堂への延焼を遅らせることができ,より安全確実に避難させることができたと主張する。
これに対し,弁護人は,本件火災実験も本件避難実験も実際の状況とは異なるので,両実験に基づいて結果回避可能性を認めることはできないと主張している。(2)

措置③の具体的内容は明確でないが,検察官が煙感知器等及びこれと連動する緊急通報装置等の防災設備の例として,カタログ等により具体的に立証しているのは,パナソニック電工(株)製住宅用火災警報器けむり当番ワイヤレス連動型,親器・子器セット(品番SH4902,電池式)及びこれと同一商品で本件火災実験で使われた同社製SH22417(親器),SH22427(子器)である。この警報器は,子器が火災による煙を感知すると,鳴動するとともに電波を発信し,これを受信した親器は連動して鳴動するとともに,他の子器に電波を発信し,それによって他の子器も鳴動する仕組みになっている(以下,煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)という。)。履行可能性についての検察官の主張も,上記住宅用火災警報器が1台8000円から8500円と廉価であることを根拠としている。したがって,検察官主張の各個室等に設置されるべき煙感知器等及びこれと連動する緊急通報装置等の防災設備とは,具体的には,この煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)であると解される。
(3)

措置③に関し,検察官は,消防法17条1項を受けた消防法施行令7条
3項及び消防法施行令21条所定の自動火災報知設備(感知器,発信機,受信機,音響装置等で構成され,早期に火災を感知して自動的に報知する設備)に相当する具体的な設備については,何も主張立証しておらず,その設置義務は主張していないと解される。
付言するに,検察官は,準耐火構造及び準不燃材料に係る注意義務の関係では,甲本館は老人福祉法29条1項の有料老人ホーム又は建築基準法2条2号の特殊建築物中の寄宿舎に該当すると主張している。しかし,消防法施行令21条の自動火災報知設備について,本件火災当時(平成21年3月19日)の同施行令21条は,その設置義務の対象を有料老人ホーム(消防法施行令別表第一(六)ロ)であれば延べ面積300㎡以上のものに,寄宿舎(同別表(五)ロ)であれば延べ面積500㎡以上のものに限っていた(有料老人ホームについては,平成21年4月1日施行の消防法施行令21条改正により上記延べ面積の制限が撤廃された。)。ところが,甲本館は,仮に有料老人ホーム又は寄宿舎であったとしても,上記面積要件を満たさなかったために(甲本館4棟の合計延べ面積は300㎡以上であるが,少なくとも当時の消防関係機関の見解によれば,各棟は別々の建物と認定された。),自動火災報知設備の設置義務の対象となっておらず,検察官もこのことを前提としている。
(4)

措置④として検察官が主張する準耐火構造とすべき箇所は別紙図面1の
赤線部分及び青線部分の各壁面であり,準不燃材料とすべき箇所は赤城棟食堂の内壁及び天井である。
(5)

甲本館において検察官主張の①ないし⑤の措置がとられていなかったことは,前記第4の2及び3(2)(3)で述べたとおりである。なお,措置④(準耐火構造等)については,一部に準不燃材料が用いられていたが,検察官主張の部分は準耐火構造,準不燃材料が用いられてはいなかった。
2
当裁判所の
当裁判所の結論
(1)

措置③として,入居者の各個室に煙感知式住宅用火災警報器(無線式親
器・子器セット)の子器を,宿直室にその親器を設置すること,措置①として,避難訓練により,夜間を含む火災時の避難誘導等の方法を職員間に周知徹底させることを履行した上で,措置⑤として,歩行が不可能な者を含む入居者の避難誘導作業をすることができる夜間当直職員を2人配置していれば,本件被害者9名のうち,ア)歩行が可能であった谷川棟のD5及びD4並びに赤城棟のD1の3名については,職員の措置により確実に避難させて死亡を回避することができたと認められる。イ)そのほかの6名,すなわち,歩行が不可能又は困難で車椅子による避難が必要であった赤城棟のD2及びD3,谷川棟のD6並びに榛名棟のD9及びD7と,歩行不自由であった榛名棟のD8については,少なくとも,そのうち2名については,職員の措置により確実に避難させて死亡を回避することができたと認められる。ただし,その2名を特定することはできない。ウ)上記6名中,この2名以外の4名については,確実に避難させることができたとは認められない。
(2)

さらに措置⑤として職員を3人配置していれば,それ以上の被害者を避
難させることができた可能性はあるが,後記第6の7(4)のとおり,3人まで配置すべき注意義務は認められない。
(3)

措置④の準耐火構造,準不燃材料の利用については,それによって,上
記(1)(2)の認定以上に確実に避難させることができたと認めるに足りる証拠がない。措置②の錠を取り替える義務については,それによって死亡結果の回避可能性が若干高まった可能性はあるが,後記第6の1(2)のとおり,検察官は具体的にどのような装置(錠)にすべきであったのかを主張立証しておらず,そうした義務を認定することができない。3
(1)

本件火災における避難経路使用可能時間(避難可能時間ともいう
ともいう)
本件火災における避難経路の使用可能時間(避難可能時間ともいう)における避難経路の
本件火災実験の概要及び
本件火災実験の概要及び結果
火災実験

本件火災実験は,科学警察研究所内の燃焼実験室で同研究所技官Rらによって行われた。その概要は以下のとおりである。

C居室,赤城棟西側D1居室の一部,榛名棟事務室の一部及び赤城棟
北側通路の一部を対象とし,それらの位置関係,床,壁及び屋根の構造材質等をほぼ再現した模擬建物(全体で高さ約4m,縦横約6m)を組み立てた。C居室の家具も再現して配置した。C居室内,赤城棟西側壁面,赤城棟北側通路に温度計,熱流束計を設置して計測した。煙感知器として,煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)を使い,C居室の天井に子器を取り付け,親器は約10m離れた場所に設置した。
C居室ベッド上の掛布団の一部を盛り上がらせ,敷布団の上に置いたアルコール固形燃料100gに着火した。

火炎は掛布団に燃え移り,次のように推移した。

着火後46秒:煙感知式火災警報器(子器)が鳴動した。
58秒:親器が鳴動した。
1分05秒:室内東側壁面高さ2m地点で200℃を超えた。
約1分30秒:屋根の隙間から白煙が漏れ始める。
約2分

:火炎の先端が天井付近に達した。

約5分

:室内上部に黒煙が充満していた。

6分35秒:南側窓ガラスにひび割れが生じた。
7分10秒:南側窓ガラスの一部が破損した。
約7分50秒:フラッシュオーバーとなり,室内温度が急激に上昇した。8分14秒:南側窓ガラスが破損した。
8分34秒:北東側アルミ引戸のガラスが破損し,同出入口から火炎が北側通路に噴出し,火炎は東側に伸長した。約8分40秒:ガラスがなくなった南側窓部分からも火炎が事務室側に噴出している。
約9分30秒:煙の発生速度が排煙装置の処理速度を上回り,実験の継続が困難となった。
9分35秒:室内中央部分高さ2m地点で最高温度1056℃となった。10分20秒:消火し実験を中断した。

実験終了後,C居室の北壁外側・西壁外側・屋根をなす塩化ビニール
製波板と,赤城棟北側通路の屋根・北側壁をなす同波板はほぼ焼失していた。C居室の西壁内側の合板(木製,以下同じ)もほぼ焼失していた。同室東壁は,内側合板(3㎜厚)はほとんど焼失したが,外側合板(5.5㎜厚)は室内側が燃焼したものの焼け抜けておらず,同室の柱と床(木製)も焼け残っていた。赤城棟西側部分(南北約4m,東西約1m)は煤けただけで,西壁外側のサイディングボード,内側の石膏ボード,破風板部分の板材とも全く焼損していなかった。写真上,榛名棟事務室の北壁は少なくともかなり煤けていた。
(2)

本件火災実験の
本件火災実験の証拠価値

模擬建物は,関係証拠(甲本館建物の材質に関する捜査報告書等)によって認められる対象建物の構造,材質,位置関係等を概ね正しく再現しており,本件火災実験における観察や計測の方法も相当である。前記第3の2のとおり本件火災の原因は不明であるが,火薬や石油等による爆発的事象から発生したものではないといえるので,布団に火を放って,いわば通常の火災を発生させた本件火災実験の状況は,現実の本件火災状況や,煙感知器が設置されていた場合の鳴動から火災拡大の状況を推認する有力な手がかりとなるといえる。
この点,弁護人は,アルコール固形燃料を用いた点や布団を盛り上がらせた点が実際とは異なると主張する。しかし,煙感知器が鳴動して以後のC居室内での燃焼経過に関しては,これらの点は燃焼の進展を本件火災時よりも早める可能性はあっても,遅くする可能性はないといえる。実験結果に従ったとしても,煙感知器鳴動後の避難経路の使用可能時間が不当に長く設定されることにはならない。(3)

本件火災実験からの考察
本件火災実験からの考察
からの


赤城棟及び谷川棟の入居者6
赤城棟及び谷川棟の入居者6名について



経路①
経路①について


検察官は,第1次的に,赤城棟北側通路を通り,C居室東側を左折して南
方に行く経路(別紙図面1経路①)を想定し,第2次的に,赤城棟食堂内を通り,南京錠cが解錠された南側出入口から南方に行く経路(同経路②)を想定している。そして,検察官は,着火から8分34秒後に模擬C居室から赤城棟北側通路に火炎が噴出したという実験結果から,赤城棟及び谷川棟入居者は,着火から8分34秒以内(ただし,実験と同種の煙感知器が設置されていたとして,子器の鳴動からは7分48秒後,親器の鳴動からは7分36秒後)であれば,赤城棟北側通路を避難経路として使用することができ,経路①から避難することができたと主張する。確かに,C居室から火炎が噴出していない時間帯(実験結果では模擬赤城棟西壁の温度は最高でも50℃以下)であれば,経路①を通ることは物理的には可能であったように思われる。しかし,本件火災実験では,親器が鳴動した時点(着火後58秒)の時点で,窓越しにC居室内でベッド上に炎が立ち上がった様子が見え,親器鳴動の約30秒後(着火後約1分30秒)に屋根の隙間から白煙が漏れ始め,約1分後(着火後約2分)に火炎の先端が天井付近に達し,約4分後(着火後約5分)に黒煙が充満し,5分37秒後(着火後6分35秒)に南側窓ガラスにひび割れが生じている。本件火災においても,そのような進展であった可能性は十分に考えられる。そして,仮に夜間当直職員が親器の鳴動を聞いて,すぐにC居室周辺に駆け付けたとしても,既に同室内で炎が上がったり,外に煙が漏れ出したりしている様子を目にしたであろうと推認できる。
そうすると,たとえ赤城棟北側通路に火炎が噴出するより前であっても,常識的にみて,職員が危険の感じられるC居室前を通る経路①をあえて選択するとは考えにくい。まして,入居者は高齢で,自立歩行が不可能又は困難であったり,認知症を患ったりしていたのであって,はじめの一,二名であればともかく,全員について経路①から避難させるという想定は非現実的である。b
さらに,検察官は,赤城棟北側壁等を準耐火構造にすれば,赤城棟北側通
路を着火から40分間も避難路として安全に使用することができたと主張する。鑑定書にはその旨の記載もある。しかし,経路①沿いには北側物置,事務室といった簡易な木造建築物があり,赤城棟北側通路の屋根や北側壁は塩化ビニール製波板で床はベニヤ板であった上,通路には検察官自身も主張するように灯油入りポリタンクや段ボール箱が置かれていた(前記第4の2)。そうすると,C居室から赤城棟北側通路に火炎が噴出すれば,短時間のうちに,これらの建築物や物品に延焼し,その火炎や火災熱によって(C居室自体からの火炎等もある),経路①が早期に避難路として使用できなくなることは明らかである。
赤城棟北側壁等を準耐火構造にするだけでは,経路①からの避難可能時間を伸ばすことはできないというべきである。


経路②
経路②について
したがって,赤城棟及び谷川棟の6名の避難経路としては,C居室の前を
避けて,赤城棟食堂を通る経路②を選択するのが合理的である。経路②は,C居室から火炎が噴出する前までは問題なく避難路として使用することができたと認められ,これは本件火災実験では着火から8分34秒後(親器の鳴動からは7分36秒後)までの時間帯に相当する。
なお,経路②を通るには,南京錠cの鍵を持参して赤城棟食堂南出入口を外から開け,心張棒bを外さなければならないが,それは夜間当直職員に対する避難訓練によって対処することになる(解錠自体に要する時間は後記避難実験では南京錠c,心張棒bを合わせて約12秒である。)。D2は車椅子が必要であるところ,隣室のD1居室に入り,同室の南側サッシガラス引き戸を通過することになるが,介助者がついていれば通過は困難ではない。

さらに,本件火災実験では,模擬赤城棟北側通路に火炎が噴出した後である着火後約9分30秒の時点までは支障なく燃焼が続き,その時点での模擬赤城棟西壁の温度は75℃程度であった。その後まもなく消火されたが,模擬赤城棟西壁は煤けただけで,木製破風板も含め全く燃焼していなかった(前記(1)イ,ウ参照)。赤城棟の外壁には,火災に対してある程度の強度を有するサイディングボードが使用されていた。これらを踏まえると,C居室から火炎が噴出した後においても,ある程度の時間は赤城棟食堂に延焼するには至らず,経路②を安全な避難路として使用することができたと認められる。

その具体的な時間を検討すると,上記実験結果からは,赤城棟の内部に延
焼するまでには,かなり時間的余裕があったようにも思われる。しかし,関係者の証言をみると,現実には本件火災の伸展はかなり速く,激しかった可能性が大きい。すなわち,H証人は,前記のように火の玉が横のほうに飛び出してきたように見えた後,事務室と食堂の間を火が通って自分の部屋(妙義棟)のほうに伝わってきたが,伝わってくるまでは,二,三分か一,二分か,あっという間だった,そして火事だと叫ぶと同時くらいにLが助けに来てくれたと証言している。Hが証言する最初の状況は,断定はできないものの(前記第3の1(4)オ),フラッシュオーバー現象によるものであった可能性があり,そうだとすれば,本件火災実験において模擬赤城棟北側通路に火炎が噴出した着火後8分34秒(親器鳴動後7分36秒後)のころに相当する。一方,L証人は,Hのおーいという声を聞いて宿直室から出ると,妙義棟の西側窓が真っ赤に映っており,外に出ると赤城棟のほうは火で真っ赤になっていた,そのときの炎は二,三mの高さで覆いかぶさっていた,炎の大きさは本件火災実験の写真の中では着火後8分50秒後の写真の状態(写真のうち炎の大きさが最大のもの)が最も近く,それよりも高かった,赤城棟や谷川棟のほうは熱風というか熱くてそばに行けなかったと証言している(なお,榛名棟に関するL証言については,後記イで触れる。)。これらの証言によれば,C居室の開口部から火炎が外に噴出した後は,かなりの速さで赤城棟西側部分や事務室に延焼が進んだ可能性がある。しかも,経路②では赤城棟食堂南出入口と事務室南側通路の間を通ることになるが,順次入居者を避難させている間に事務室からの火炎が強まって,その部分が通行できない状況になった可能性もある(赤城棟食堂南出入口から東方に避難する経路は主張されておらず,安全な通路かも不明である。)。

そうすると,火炎の噴出時(親器鳴動後7分36秒)以降につき,経路②
を安全確実に使用できる時間として,それほど長い時間を認めることはできない。そこで,控え目にみて,本件火災実験において支障なく燃焼が継続した着火後約9分30秒すなわち親器の鳴動後約8分30秒までの時間帯を,経路②の使用可能時間と認めるべきである。
なお,Rらは模擬C居室の大きさを半分にした燃焼実験(実験2)も行っており,赤城棟への延焼は着火から約11分40秒後であるという計算結果を導いている。しかし,模擬C居室が半分となっても実験結果に影響がないという点が十分に説明されているかについて疑問があり,実験2の結果に依拠することはできない。e
検察官は,これに加えて,①別紙図面青線部分及び赤線部分を準耐火構造
とすること(建築基準法施行令114条2項。有料老人ホーム又は寄宿舎において準耐火構造としなければならない主要な間仕切り壁),及び②赤城棟食堂の壁及び天井の室内に面する部分を準不燃材料等で仕上げること(建築基準法35条の2,建築基準法施行令128条の4第4項,129条6項。住宅以外の建築物の調理室)によって,さらに長時間,赤城棟食堂を避難路として使用することができたと主張する。確かに,①については,本件火災実験の後にRらが行った火災実験(実験3)において模擬C居室と模擬赤城棟西壁の各一部(ただし,検察官が注意義務として主張する別紙図面1の青線,赤線部分とは異なる)を準耐火構造にしたところ,着火40分後の実験終了時にも準耐火構造壁は破損することなく残存していたことが認められる。②についても,関係法令上,準不燃材料とはせっこうボード等であり,火災の火を受けても10分間以上燃えたり,有毒ガスを発生したりしない性能を有すべきものとされている(建築基準法施行令1条5号,同令108条の2,建設省告示第1401号)。しかし,検察官が準耐火構造を求める部分は建築基準法上の義務のある部分に限られていて,C居室に面した赤城棟西壁等は対象外である。検察官が主張するように準耐火構造や準不燃材料に変えたとして,赤城棟食堂がどの程度の時間延焼しないのか,避難路として使用できるのかについて,手がかりとなる実験結果や専門的知見に基づく考察は証拠として提出されていない。加えて,赤城棟食堂南出入口から事務室南側通路の間の通行が著しく困難になる可能性は残っている。したがって,準耐火構造や準不燃材料を用いることによって,赤城棟食堂の延焼が一定程度遅くなり,経路②の使用可能時間が延びる見込みはあるが,上記のような証拠関係のもとでは,それを具体的な時間として認定することはできない。f
以上によれば,経路②が安全に避難路として使用できた時間として認定で
きるのは,前記d前段の親器の鳴動後8分30秒程度にとどまる。イ
榛名棟入居者のうち死亡した3
榛名棟入居者のうち死亡した3名について
のうち死亡した

榛名棟の死亡者3名は,歩行不能又は不自由であり,その避難経路としては,検察官主張のとおり,D8居室東側玄関から出て榛名棟東側通路を通って南方に進む経路(以下経路③という。)が合理的である。C居室から火炎が噴出する前であれば,経路③で避難することに問題はなく,その後についても,本件火災実験では,親器の鳴動後約8分30秒の時点で榛名棟事務室の北側壁も煤けた程度であったから,これに相当する時点までは避難可能であったと認められる。それ以降についても,事務室以外の榛名棟の外壁にはサイディングボードが使用され,上記3名の居室の外壁は火災後も概ね残存していたことや,上記3名は他の死亡者と異なり,病院に搬送されてから死亡していることからすると,更にある程度の時間は避難可能であったようにも思われる。L証人も,榛名棟のほうは火が行っていないのが見えたので,妙義棟の入居者を先に救助した,もう1人宿直員がいれば,榛名棟のほうに行ってもらえたと思うと証言している。
しかし,事務室北側壁とC居室南側壁の間は1.1m程度の間隔しかなく,C居室南側には窓ガラスの開口部があった。事務室は,燃えやすい木材で作られた簡易なもので,ほぼ完全に焼失しており,D8居室東側玄関や上記3名の居室内部は激しく焼損していた。H証人も,前記ア②cのとおり,かなり早い段階で事務室と赤城棟食堂の間から妙義棟のほうに火が伝わってきたように証言している。これらの点からすると,事務室は早い段階で激しく燃え上がり,その火炎が間もなくD8居室東側玄関付近に達した可能性も十分に認められる。
そうすると,C居室からの火炎噴出後,D8居室東側玄関付近は避難路として比較的早い段階に使用不可能になったことが疑われ,経路③による避難が可能であった時間として具体的に認めうるのは,親器鳴動の約8分30秒後までにとどまる。ウ
住宅用火災警報器の設置場所,
住宅用火災警報器の設置場所,鳴動時間

結果回避可能性を論じる前提として,各個室等に設置されるべき煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)の性能及び設置方法を検討しておく。この警報器は,ある子器で煙を感知するとビュービューという警報音が鳴り,火事です,火事ですという音声が流れるとともに,親器に,また親器を介して他の子器に電波が送信され,親器及び他の子器でも警報音とほかの部屋で火事ですという音声が流れるものである。連動先は10秒程度(本件火災実験では約12秒後であった)で鳴動を始める。1m離れたところでのピーク値は約87デシベルで,電波は約100m離れたところまで達する。親器1台に子器7台を接続することができる。
したがって,効果的な設置方法としては,例えば,赤城棟及び谷川棟の計7室(C居室を含む),榛名棟の4室,妙義棟の5室をそれぞれ一つのグループとして各個室に子器を設置し,対応する親器3個を宿直室に設置することである。いずれかの個室で子器が鳴動すれば,その約10秒後に親器が鳴動し,宿直員はどの親器が鳴動したかを見て,どのグループの子器(例えば,榛名棟の4室のうちのどれか)が鳴動したのかを知ることができる。
4
本件避難実験の内容と
本件避難実験の内容と評価

(1)

実験の
実験の方法


体育館内をポールやビニールテープで区画し,甲本館の位置関係,間
取りを実寸大に再現した上,C居室以外の各個室にベッドを置いて入居者役を寝かせた。赤城棟の施錠a,b,cについては,引き戸として襖を立て,bに心張棒を,cに南京錠を取り付け,スライド錠aについては解錠の動作をすることとした。イ
実験は,複数回にわたって次のようにして行われ,入居者役は実際の
入居者の動きに似せて行動した。


谷川棟3名

D6は職員がベッド上から車椅子に乗せ,車椅子を押

して避難させる。D5及びD4(いずれも歩行可能だが認知症〔症状〕がある。)は避難指示を受けた上,D6の後を歩いて避難する。検察官主張の経路①又は経路②により,妙義棟南側道路を渡った避難場所(以下,単に避難場所という。)に至る。


赤城棟3名

D2は職員が車椅子に乗せて避難させ,D1(歩行可

能)は避難指示を受けて自力歩行で避難する(それぞれ経路①又は②)。D3は職員が車椅子に乗せて経路②で避難させる。


榛名棟3名

D9及びD7は職員が車椅子に乗せて押し,D8(歩

行不自由)は職員が寄り添って支えながら,それぞれD8居宅前玄関から経路③で避難させる。


救助された生存者のうち,榛名棟のE及び妙義棟のJは職員が寄り添
って歩き,妙義棟の他の4名は職員が車椅子に乗せて押し,避難場所又は妙義棟東出入口外に至る。

救助の順番は,いずれも赤城棟及び谷川棟,妙義棟,榛名棟の順である。
Cについては,避難誘導の暇がなかったとして救助措置は行わなかった。(2)

実験の
実験の結果

実験ア

女性職員役1人,谷川棟3名は経路①,赤城棟D1及びD2経路①,D3は経路②全員(C以外。以下同じ)の避難に,職員役が宿直室で救助のために動き始めてから12分40秒を要した。死亡者9名を優先的に連続して救助したとすれば,その所要時間は8分18秒となる(妙義棟5名の避難時間3分40秒と榛名棟Eの避難時間42秒を除いた時間)。
実験イ

男性職員役1人,アと同じ経路
全員につき12分39秒,妙義棟以外で9分3秒

実験ウ

女性職員役2人,アと同じ経路
全員につき6分59秒,死亡者9名で4分37秒

実験エ

女性職員役1人,谷川棟及び赤城棟の6名全員が経路②全員につき12分54秒,妙義棟以外で9分7秒

実験オ

男性職員役1人,エと同じ経路
全員につき11分49秒,妙義棟以外で8分7秒

(3)

実験結果の
実験結果の評価
実験は,甲本館の各建物の位置関係,各建物内の寸法等をほぼ正しく
再現して行われている。しかし,実際の状況を考えると,①職員や入居者に動揺,混乱が生じること,②午後10時台の出火であり就寝中の入居者が少なくないこと,③入居者は高齢で認知症の者も少なくなく,職員の指示どおりに動作できないこと,④個室内や避難路には家具,荷物等があり(若干の段差もありうる),スムーズな移動を妨げること,⑤甲本館に誘導灯はなく,照明の点灯あるいは懐中電灯の携帯が必要となること(駆け付けた近隣住民のP2は,甲本館は火災の火以外は真っ暗だったと供述する。),などの事態が生じる可能性がある。したがって,本件避難実験の結果はこれらの相違点を考慮した上で参考にするべきであり,現実に認定できる時間は相当程度上乗せする必要がある。

そして,本件避難実験においても,職員1人の場合には,死亡者9名
の避難時間は実験アで8分18秒であり,実験イエオで概ね7分25秒から8分25秒であった(実験イエオにおける妙義棟以外10名の各避難時間から,実験アにおける榛名棟Eの避難時間42秒を差し引いたもの)。これは親器鳴動後約8分30秒という避難可能時間とほとんど変わらず,上乗せすべき時間を考慮すると,職員1人では死亡者9名全員を避難させることはできなかったと認められる。一方,女性職員2人の実験ウでは,全員につき6分59秒,死亡者9名につき4分37秒であるから,これに従えば,親器鳴動後約8分30秒の避難可能時間内に死亡者9名の避難を完了することができた可能性が出てくる。そこで,職員2人の場合を中心に検討する。
5
避難所要時間及び死亡結果の回避可能性の
避難所要時間及び死亡結果の回避可能性の検討
(1)

前提事項
前記3(3)ウの方法で煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セ
ット)を設置すること,夜間当直職員を2人配置すること(女性であっても車椅子利用者の避難誘導作業ができる職員)を前提とする。

避難訓練が実施されて職員に適切な避難誘導方法が周知徹底されてい
ることも前提とする。したがって,動揺や混乱はあるとしても,職員が火災の状況,甲本館の構造,入居者の状況等に即して,一定の合理的な行動をとることを想定すべきである。
具体的には,①住宅用火災警報器の親器の警報音を聞いて,直ちに警報が赤城棟グループの居室から発していることを認識し,宿直室を出て早期にC居室が出火元であることを確認すること,②赤城棟,谷川棟及び榛名棟北側部分が出火元のC居室に近く,谷川棟の裏(北)に避難路はないのであるから,これらの棟(部分)からの避難を優先すること,③赤城棟及び谷川棟には施錠があり,歩行可能者がいるのであるから,そこからの避難のために,心張棒b,南京錠cを優先的に解錠すること(南京錠cはその鍵を直ちに持参する),④必要であれば懐中電灯も携帯すること,などである。
(2)

職員2
赤城棟及び谷川棟6
避難誘導を先行させた
させた場合
職員2人が赤城棟及び谷川棟6名の避難誘導を先行させた場合
職員役2とした実験
実験ウ
職員役2人とした実験ウの内容

職員1

宿直室を出てC居室前に至り(16秒),赤城棟北側通路を通ってD1及びD2に避難指示をし,スライド錠Aを解き(解錠2秒),谷川棟D4及びD5に避難指示をする(以上開始後41秒)。
以後順次,谷川棟D61分10秒,赤城棟D21分23秒,妙義棟2名1分42秒,榛名棟D91分14秒,榛名棟E49秒で避難させた。
(下線の死亡者6名につき開始後4分28秒で避難完了)

職員2

職員1と同時に宿直室から直ちに赤城棟南出入口に行き,南京錠Cを解いて(解錠8秒)食堂に入り,心張棒Bを外す(解錠4秒)(以上開始後30秒)。
以後順次,赤城棟D31分20秒,妙義棟3名2分18秒,榛名棟D71分33秒,榛名棟D81分14秒で避難させた。
(下線の死亡者3名につき開始後4分37秒で避難完了)

自力歩行可能なD1,D4及びD5は,開始後2分34秒までに避難を完了した。

職員2
うべき避難誘導作業
職員2人で行うべき避難誘導作業

経路②を使うこととし,実験ウの結果を参考にしつつ,職員や入居者の動揺等を考慮すると,次の避難誘導方法及びその所要時間が考えられる。①

親器の鳴動を聞いてC居室付近に行き,火災の状況を確認し,職員2人の間で,先に赤城棟及び谷川棟の6名を経路②で避難させることを決める・・・30秒
(実験ウでは,職員2は直ちに南京錠Cの解錠に向かっているが,まず2人で火元の確認に行くのが現実的である。また,本件火災実験からすると,Cの救助作業は行えない状況であったと認められる。)②
宿直室に南京錠の鍵を取りに行く。赤城棟南出入口の南京錠Cを解いて食堂に入り,心張棒Bを解く・・・90秒
(職員1人が赤城棟北側通路を通ることもありうるが,煙等の状況が悪く,2人とも食堂南出入口に回る場合を想定する。)



手分けして,赤城棟3名,谷川棟3名に避難指示をする・・・30秒(実験ウでは,歩行可能者には各二,三秒間声掛けをするだけであるが,起こしたり,状況を説明したりする必要がある。)



手分けして,歩行可能だが認知症(症状)のあるD4及びD5を居室
から出し,食堂南出入口を出たところまで連れて行く・・・30秒(実験ウのように車椅子の後をついてくるとは限らない。認知症のないD1は当初の避難指示で足りる。)


建物に戻り,職員2人で車椅子のD6,D2及びD3を経路②で救助する・・・3名合計360秒

よって,親器の鳴動から赤城棟及び谷川棟6名の避難完了までは,①から⑤の合計540秒(9分)となる。

上記⑤車椅子による避難時間)
による避難時間
上記⑤(車椅子による避難時間)の説明

実験ア,ウの結果は次のとおりである(前がア,後がウ。作業は職員1人で行う。)。
D6:72秒,66秒(経路①,片道,居室内29秒,23秒,居室~避難場所43秒,43秒)
D2:76秒,83秒(経路①,職員が避難場所~居室戻り27秒,31秒,居室内26秒,23秒,居室~避難場所23秒,29秒),
D3:108秒(経路②,職員が避難場所~居室戻り44秒〔解錠12秒〕,居室内23秒,居室~避難場所41秒),110秒(経路②,職員が宿直室~居室移動32秒(解錠12秒),居室内22秒,居室~避難場所56秒)実験と対比すると,経路②では食堂のテーブル等の脇を通ったり,D2がD1の居室を通ったりすることから,経路①の結果より時間がかかる可能性がある。そのほか,入居者の動揺や認知症,夜間であること等を加味すると,職員2人が共同で入居者1名を順次救助したとすれば,食堂を出た後の移動は職員1人で足りるとしても,入居者1名につき120秒,3名合計で360秒は必要であると認められる。また,職員1人で入居者1名に対処できたとしても,その分,時間がかかるであろうから,入居者1名につき180秒,合計360秒(職員1が2名を,職員2が1名を救助する)は必要であると認められる。

避難可能な入居者及びその
びその数
避難可能な入居者及びその数

赤城棟及び谷川棟6名全員の避難所要時間については,イのように親器鳴動後540秒(9分)を要すると認められるのに対し,避難可能時間は前記3(3)ア②dのとおり約510秒(約8分30秒)であるから,その間に6名全員が避難することはできない。
しかし,イ①から⑤の順で避難させたとすれば,歩行可能者3名は確実に避難することができる。車椅子利用者3名についても,その誰かを特定することはできないが,うち2名は確実に避難することができる。すなわち,職員2人が一緒に車椅子利用者1名を救助した場合は420秒後に2人目の避難が完了し,1対1で救助した場合には360秒後に2人の避難が完了するからである。420秒,360秒という数字に不確定要素はある。しかし,イ①から⑤の手順は無理のないものであるし,各所要時間も当時の具体的状況に即して余裕をもって見積ったものである。先に認定した避難可能時間についても確実な範囲にとどめているから,その間に車椅子利用者2名の避難が完了することは確実であると認められる。なお,職員が歩行可能者3名の避難誘導を後回しにする可能性もないとはいえない。しかし,少なくとも避難指示を早い段階で行うことは確実であるし,この3名のうち,赤城棟のD1は心張棒bのある食堂北出入口の前(食堂内)で死亡し,谷川棟のD4及びD5は赤城棟の浴室(東側のもの)に入って死亡しており,それぞれ火炎を避け,避難口を求めて一定の合理性のある行動をしたと認められる。したがって,歩行可能者3名は,早期に避難指示を受け,かつ心張棒b,南京錠cが解錠されていれば,仮に誘導されなくても,確実に自力で避難することができたと認められる(ただし,だからといって,職員が手順④をしないとはいえず,手順④が所要時間から除かれることにはならない。)。

榛名棟死亡者3
榛名棟死亡者3名について

このように,職員2名が赤城棟及び谷川棟の避難誘導を先行させた場合には,それが完了しないうちに親器鳴動後の約8分30秒は経過してしまう。榛名棟北側部分からの避難可能時間には若干の余裕があったとしても,同部分の入居者を避難させるには,職員が赤城棟又は谷川棟の入居者の救助を放棄して榛名棟に向かわなければならない。しかも,榛名棟の死亡者3名とも歩行不能又は不自由であり,いずれの死亡者についても,確実に避難させることができたとは認められない。(3)

職員1赤城棟及び谷川棟に職員2榛名棟にかれて避難誘導
避難誘導を
職員1は赤城棟及び谷川棟に,職員2は榛名棟に分かれて避難誘導を
した場合
した場合
火災の状況を確認した職員2人が,その後,二手に分かれて救助に向かう可能性もある。

職員1
職員1の避難誘導作業

(2)イを1人で行うことになるので,次のような手順となる。
(2)イ①30秒(親器鳴動後,C居室の火災の状況確認),②90秒(鍵を取りにいき,南京錠c,心張棒bを解く),③60秒(赤城棟,谷川棟6名に避難指示。(2)イ③の2倍とした),④75秒(歩行可能者中2名の避難誘導,(2)イ④の2倍余とした)(小計255秒),⑤車椅子利用者3名の救助(1人につき180秒,計540秒)
したがって,避難可能時間510秒までに,歩行可能者3名及び車椅子利用者のうち1名(435秒)は確実に避難させることができることになるが,車椅子利用者のうち2名は確実に避難させることはできない。イ

職員2
職員2の避難誘導作業



職員1とともにC居室の火災の状況確認・・・30秒



榛名棟死亡者3名(車椅子のD9及びD7,歩行不自由なD8)を経路③で救助する・・・各140秒,計420秒
②の所要時間につき,実験ア,ウは次のようになっている(前がア,後が
ウ)。
D9:78秒,74秒(職員が妙義棟東~居室移動28秒,30秒,居室内30秒,28秒,居室~避難場所20秒,16秒)
D7:60秒(職員が避難場所~居室戻り15秒,居室内27秒,居室~避難場所18秒),93秒(妙義棟東~居室37秒,居室内35秒,居室~避難場所21秒)
D8:63秒,74秒(手を引いて歩く。職員が避難場所~居室戻り14秒,22秒,居室内11秒,12秒,居室~避難場所38秒,40秒)これらの実験結果に,夜間であることや入居者の状況を加算要素とし,経路③の距離が短く,主に通路で段差等の障害物も少ない点を減算要素として考慮し,上記所要時間を認定した。
よって,親器の鳴動から榛名棟北側部分の3名の避難完了までは,①②の合計450秒(7分30秒)となり,榛名棟北側部分の避難可能時間を親器鳴動後約8分30秒に限定しても,職員2はその間に榛名棟死亡者3名を避難させることができたことになる。

まとめ

ア,イによれば,職員2人が分かれて救助した場合には,まず,赤城棟及び谷川棟の歩行可能者3名は前記(2)エと同様,確実に避難させることができたと認められる。その他の死亡者6名については,上記検討によれば,赤城棟及び谷川棟の車椅子利用者3名中の1名及び榛名棟北側部分3名の合計4名を避難させられることになるが,職員が1人で作業をするために,車椅子に乗せるのに手間取るなど予想以上に時間がかかる可能性はある。しかし,その点を差し引いても,避難が確実な人数は,(2)の場合(職員2人が赤城棟及び谷川棟を先行させる場合)の2名を下回ることはないと認められる。
(4)

職員2
榛名棟北側部分3
避難誘導を先行させた
させた場合
職員2人が榛名棟北側部分3名の避難誘導を先行させた場合

可能性は低いが,職員が2人とも榛名棟北側部分の救助を先行させることも考えられる。その場合でも,赤城棟及び谷川棟は火元に近いこと,そこに歩行可能者3名が入居しており,施錠A,B,Cを解いておけば同人らが自力で避難する可能性があることからすると,榛名棟の避難誘導と並行して赤城棟及び谷川棟の入居者に避難指示をし,施錠を解くことまで完了しておくことは当然必要である。その程度の措置は避難訓練等を受けた職員であれば容易に思い至ることであり,判断の前提とすることができる。
このようにすれば,まず,赤城棟及び谷川棟の歩行可能者3名は確実に自力で避難することができたと認められる。榛名棟の死亡者3名についても,職員2人で(1人は赤城棟及び谷川棟の解錠・避難指示をした後から)救助に当たるのであるから,少なくとも2名は確実に避難させることができたと認められる。(5)

夜間当直職員を
とした場合
場合のまとめ
夜間当直職員を2人とした場合のまとめ
職員2人が共に赤城棟及び谷川棟の救助に向かった場合には,歩行可能者
3名(D1,D4,D5)は確実に避難させることができ,車椅子利用者3名(D6,D2,D3)のうち2名は確実に避難させることができたと認められるが,その2名を特定することはできない。残る1名と榛名棟死亡者3名(D9,D7,D8)については,確実に避難させることができたとは認められない。イ
職員1人が赤城棟及び谷川棟に,他の1人が榛名棟北側部分に向かった場
合には,上記歩行可能者3名は確実に避難させることができ,赤城棟及び谷川棟の車椅子利用者3名並びに榛名棟死亡者3名のうち,少なくとも2名は確実に避難させることができたと認められるが,その2名を特定することはできない。残る4名については,確実に避難させることができたとは認められない。ウ
職員2人が榛名棟北側部分の救助を先行させた場合にも,赤城棟及び谷川
棟の解錠及び避難指示は行うので,上記歩行可能者3名は確実に避難させることができたほか,榛名棟死亡者3名のうち2名を確実に避難させることができたと認められるが,その2名を特定することはできない。残る1名並びに赤城棟及び谷川棟の車椅子利用者3名については,確実に避難させることができたとは認められない。エ
避難誘導の方法としてはアイウを想定すれば足りるが,職員がそのいずれ
を選択するかを特定することはできない。
6
因果関係についてのまとめ
因果関係についてのまとめ
(1)

本件火災当時,甲本館では夜間当直職員が1人であった。職員1人であ
っても,住宅用火災警報器の設置(措置③),避難訓練を通じた職員に対する避難誘導方法の周知徹底(措置①)がなされていれば,親器の鳴動によって早期に火災の発生を知ることができ,早期に入居者の避難誘導に取り掛かったであろうと認められる。その手順は,例えば赤城棟及び谷川棟を優先したとすれば,前記5(3)の職員1の避難誘導作業と同じであり,上記歩行可能者3名を避難させることができたほか,赤城棟及び谷川棟の車椅子利用者3名のうち1名を避難させることができた可能性も高かったと認められる。
(2)

さらに,夜間当直職員を増員して2人を配置していれば(措置⑤),想
定される5(5)アイウのいずれの避難誘導方法をとったとしても,上記歩行可能者3名は確実に避難させることができたと認められる。その余の死亡者6名については,いずれの避難誘導方法をとったとしても,そのうち少なくとも2名は確実に避難させることができたと認められる。しかし,職員がアイウのどの避難誘導方法をとるか,赤城棟及び谷川棟,榛名棟といった同じグループの中でも,職員がどの入居者を先に避難させるかを特定することができないので,その2名が誰であったのかを特定することはできない。6名中残る4名については,確実に避難させることができたとは認められない。
(3)

職員3人の場合は,例えば,2人が5(2)のように赤城棟及び谷川棟を救助し,1人が5(3)の職員2のように榛名棟を救助すれば,歩行可能者3名,赤城棟及び谷川棟の車椅子利用者中2名並びに榛名棟死亡者3名の合計8名というように,さらに多数の死亡者を救助することができた可能性はある。しかし,後記第6の7(4)とおり,夜間当直職員を3人配置すべき注意義務を認めることはできない。(4)

検察官主張のその余の注意義務のうち,赤城棟建物の一部について準耐
火構造にすることや準不燃材料等を使用することについては,前記3(3)ア①b,②eのとおり,それによって建物からの避難可能時間が伸長されることの証明がない。したがって,それらの注意義務の履行によって,上記(1)ないし(3)で認定した避難が可能な者の避難を更に確実にし,あるいは,更に多くの者の避難を確実にすることができたとは認められない。
(5)

南京錠等の取替えについては,鍵を持ち出す時間や解錠時間がなくなり,
赤城棟及び谷川棟の避難所要時間が短くなった可能性はあるが,後記第6の1(2)のとおり,そうした措置をとるべき注意義務は認定できない。
第6
1
被告人A
被告人Aの注意義務
検討すべき事項
検討すべき事項
すべき
(1)

検察官主張の措置④の注意義務(準耐火構造又は準不燃材料)について
は,前記第5の6(4)のとおりであるから,この義務の有無を論じる意味はない。(2)

措置②の南京錠等の取替えの義務について,検察官は,渋川地区広域市
町村圏振興整備組合火災予防条例40条3号が消防法施行令別表第1の防火対象物につき,

(避難口に設ける)戸には,施錠装置を設けてはならない。ただし,非常時に自動的に解錠できる機能を有するもの又は屋内からかぎ等を用いることなく容易に解錠できる構造であるものにあっては,この限りでない。

と規定しているのを援用した上,(ア)非常時に自動的に解錠できる機能を有するものとは,自動火災報知設備と連動して,感知器が発報した場合に自動的に解錠される構造のものを意味し,(イ)屋内からかぎ等を用いることなく容易に解錠できる構造であるものとは,避難の際に鍵,IDカード,暗証番号等を用いることなく容易に解錠できる構造のものを意味する(S証言)と主張している(論告)。検察官は(ア)又は(イ)のいずれかに取り替えるべき義務を主張するようである。しかし,そのいずれについても,検察官は該当する製品の例を主張立証しておらず,具体的にどのような装置(錠)を取り付ければよいのか不明である。しかも,(ア)については,そもそも検察官は措置③の火災報知のための設備として,消防法施行令21条の自動火災報知設備に相当する具体的な設備・装置は何ら(主張)立証せず,安価な住宅用火災警報器を(主張)立証しているだけである(前記第5の1(2)(3))。(イ)についても,検察官は屋外への徘徊防止のために夜間施錠をすること自体は否定していないが,屋内側から鍵等を用いることなく容易に解錠できる錠では徘徊を防止することはできないのであり,検察官の主張は矛盾している。よって,措置②の南京錠等を解錠が直ちにできる錠に取り替えるべき注意義務を肯定することはできない。
(3)
2
そこで,以下,措置①,③及び⑤をとるべき義務について検討する。
注意義務の
注意義務の根拠
(1)

乙は,甲本館で入居型介護事業を運営し,本件火災当時,甲本館に本件
被害者を含む16名を入居させていた(職員やデイケアサービスの担当者も出入りする。)(前記第2の3及び4)。甲本館では,入居者の日常生活等に伴って火災発生の危険が常に一定程度存在し,しかも火災が発生すれば急速に拡大して相当数の死傷者が出る危険があった(前記第4)。したがって,乙は,自己の管理する施設で行う事業活動に伴う火災による人身被害の発生を防止し軽減するために,その事業主として,施設の物的設備や人的体制を整え,防火管理を行うべき注意義務を負っていた。
(2)

乙の防火管理上の注意義務は,次の点からも根拠づけられる。
乙は,甲入居者のために防火管理を行うことを,入居契約に際して部
分的ながら明示している。すなわち,乙は,甲代表A名義で入居者と施設利用契約を締結し,施設利用契約書を取り交わしている。同契約書に引用,添付され,利用者に対する注意事項を定めている施設介助内項(被告人A作成)には,喫煙指定喫煙所以外禁止とあり,火災予防のために入居者の喫煙を制限している。さママ
らに,

非常時の非難非常時には施設内アナウンスで知らせます。職員の指示,誘導に従って下さい。火災時は,タオルを口に当てて頂きますので,常時タオルの用意をお願い致します。

とある。これは,入居者に対し,甲側で適切に火災時の警報を行い,適切に避難誘導を行うことを約束したものといえる。イ
消防法8条1項は,多数の者が利用する一定の施設の管理権原者に対し,
防火管理者を定めて,防火管理上必要な業務を行なわせる義務を課している。これは,対象となる施設の事業主は利用者に対して防火管理上の一般的な注意義務を負っているという考え方に基づいて,当該施設の管理権限者が防火管理者を通じて果たすべき具体的な義務を定めたものである。本件火災当時の甲本館については,それが有料老人ホーム又は寄宿舎であったとしても,収容人員の関係で同条1項の適用はなかった(消防法施行令1条の2第3項1号により前者は30人以上,後者は50人以上が適用対象となる。平成21年4月1日以降は前者につき10人以上となった。)。しかし,消防法8条1項の基礎にある考え方に照らすと,相当数の入居者を収容している甲本館についても,その事業主に入居者に対する防火管理上の注意義務があることは明らかである。
3
被告人A刑法上の注意義務を
被告人Aが刑法上の注意義務を負うこと
(1)

乙の定款は,理事長(1人)が乙を代表し,業務を総理すると定めてい
る。設立以来,被告人Aは理事であり,理事長であった。甲本館の敷地(群馬県渋川市d番地)及び建物(既登記の妙義棟)は,被告人Aの子,Xの所有名義であった。
(2)

被告人Aは,甲の運営に関し,資金の提供・借入れ,建物の新増築
の決定・業者との交渉,小規模な工事や雨漏りの修繕,高額物品の購入(電動ベッド10台や車椅子リフト付き自動車等),自治体に対する入居者募集の依頼,入居希望者の面接と入居承認,施設利用料金の決定,職員の採用面接と決定,施設利用契約書や施設介助内項の内容の決定,行政機関による調査への応対等を,実質的に単独で行っていた。経理関係の事務も行い,現金で納められた入居費用等を人件費,水道光熱費,食費等に分けることもしていた。普段は週3日ほど甲に出向き,入居者の部屋に行って様子を尋ねることもあった。
(3)

被告人Aは,防火管理についても,①平成12年と平成14年に消防署
と連絡をとって避難訓練を実施した,②Kに指示して防火管理者の講習を受けさせた,③平成16年2月頃,妙義棟及びその東側に隣接する戊の建物にまたがって設置された自動火災報知設備の工事を発注した(妙義棟の設備は戊売却後廃止),④消防機関からなされる消防訓練実施,消防用設備点検・設置等の指導の名宛人であった,⑤そうした指導を契機に,消火器を購入したり,業者に依頼して甲本館各棟相互間及び戊との切り離し工事を行ったりした(切離し前は合計延べ面積が300㎡を超えていた。),⑥燃えやすい物は放置していないか,たばこの吸い殻の管理は良いか等の項目がある自主点検検査記録表を作成し,それに従った点検を職員に指示した,⑦館内禁煙などと書いた掲示をした。夜間に施錠をすることについても報告を受けていた(前記第4の3)。
(4)

以上のとおり,被告人Aは,乙の唯一の代表者であり,現実に甲の
運営・管理等の業務全般を統括して,建物の維持管理等もしていたほか,防火管理についても,避難訓練の実施,消防機関との交渉,防火設備の設置・廃止等に自ら携わっていた。被告人B及びYも乙の理事となって甲の運営に関わっていたが,両名を含め,被告人Aのように主導的に関与した者はいない。したがって,被告人Aは,乙の理事長として,甲本館の防火管理を行うべき刑法上の注意義務を負っていたと認められる。
4
具体的な注意義務の
具体的な注意義務の基準

具体的な注意義務の手掛りとなる基準としては,消防関係法令のほかに,厚生労働省老健局による有料老人ホーム設置運営標準指導指針の防火管理に関する項目がある。同指針は,同省老健局が平成14年頃に定めたもので,順次改訂されつつ,各都道府県による有料老人ホームに対する行政指導の指針とされており,有料老人ホームないしそれに相当する施設において,防火管理上,通常有すべき水準を知る手掛りになるといえる。
この点,弁護人は,甲は老人福祉法29条1項の有料老人ホームに該当しないと主張している。平成17年法律第77号による改正後(平成18年4月1日施行)の同項の定義によれば,有料老人ホームとは,要するに,老人を入居させ,入浴,排せつ若しくは食事の介護,食事の提供又はその他の日常生活上必要な便宜であって厚生労働省令で定めるもの(以下「介護等という。)の供与をする事業を行う施設」であり,甲がその要件を満たすことは明らかである。ただし,同改正前は常時10人以上の老人を入居させることが要件であったこともあり,同改正で人数要件が撤廃された後も,厚生労働省側から,基本的には,入居要件を専ら高齢者に限らず,高齢者以外の者も当然に入居できるようなものは有料老人ホームにあたらないと考える(中略)意図的に高齢者を集めて居住させているようなものなどについては,改めて募集状況を確認し場合によっては該当するものとするなど,実情をみて判断されたいとの見解が示されたことはある。しかし,本件前から,甲では,65歳以上の者が圧倒的に多く入居して,上記規定にいう介護等の供与を受けており,募集も高齢者を主な対象としていたことは,関係証拠上明らかである。先の見解に従っても,甲は,有料老人ホームとして,行政指導や消防法令上の規制を受けるべき実態を十分に備えていたものと認められる。5
措置③
措置③
(1)

住宅用火災警報器(親器・子器セット
セット)
住宅用火災警報器(親器・子器セット)の設置義務

一般的にみて,相当数の入居者を収容する施設において,火災の発生,
拡大を防止するために火災を感知し報知する設備を置くことが必要かつ重要であることは明らかである。本件火災においても,何よりもまず火災の発生を速やかに感知し,これを夜間当直職員や入居者に報知する装置が不可欠であった。(2)

消防法9条の2(平成18年6月1日施行)は,住宅の用途に供される
防火対象物について,火災予防に資する機械器具又は設備である住宅用防災機器の設置を義務づけている。同条を受けた消防法施行令5条の6(同日施行)は,住宅用防災機器として,住宅用防災警報器(火災発生を未然に又は早期に感知し,及び報知する警報器。住宅用防災警報器及び住宅用防災報知設備に係る技術上の規格を定める省令〔総務省令〕2条1号により,煙感知式の感知部,警報部等で構成される。)と住宅用防災報知設備(火災の発生を未然に又は早期に感知し,及び報知する火災報知設備。同省令2条2号により,煙感知式の感知器,中継器,受信機,補助警報装置で構成されるが,中継器又は補助警報装置を設けないものもある。)の2種類を定めている。検察官が立証している煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)は,このいずれかに該当する。
そして,消防法9条の2第2項,同法施行令5条の7等を受けて,渋川地区広域市町村圏振興整備組合火災予防条例29条の2ないし4は,住宅の所有者等の関係者は住宅用防災機器を設置すべきこと,住宅用防災警報器の設置場所及び住宅用防災報知設備の感知器の設置場所をそれぞれ就寝の用に供する居室等とすることを定めている。これらの機器の設置は,渋川地区(渋川市,吉岡町及び榛東村)では,新築住宅につき平成18年6月1日から,既存住宅についても本件火災の9か月余り前の平成20年6月1日から義務づけられていた(同条例附則)。(3)

有料老人ホーム設置運営標準指導指針は,建物は,(中略)建築基準法,消防法等に定める避難設備,消火設備,警報設備その他地震,火災,ガスもれ等の防止や事故・災害に対応するための設備を十分設けること(指針4(2))と定め,火災報知設備の設置を求めている。さらに,消防法施行令21条の改正により,本件火災の約半月後の平成21年4月1日以降(ただし,既存の施設については平成24年4月1日以降)は延べ面積300㎡未満の有料老人ホームについても自動火災報知設備の設置義務が課せられた(前記第5の1(3)のとおり,甲本館は300㎡未満とされていた。)。それとともに,同日以降,消防法施行令29条の4第1項に基づいて定められた特定小規模施設における必要とされる防火安全性能を有する消防の用に供する設備等に関する省令(平成20年総務省令第156号)により,延べ面積300㎡未満の有料老人ホーム等については,自動火災報知設備に代えて,簡易な特定小規模施設用自動火災報知設備(煙感知式住宅用火災警報器〔親器・子器セット〕と構造,機能面で共通する機器である。)を用いることができることとされた。
(4)

このように,一般の住宅についてさえ,消防関係法令上,火災の早期発
見及び早期報知のために,本件火災以前から,住宅用防災機器を居室等に設置することが義務づけられていた。しかも,甲は有料老人ホームとしての行政指導や消防法令上の規制を受けるべき実態を備えていたところ,有料老人ホームについては,本件火災以前から厚生労働省の上記指導指針が存在しており,本件火災のすぐ後には自動火災報知設備の設置義務が強化されている。火災報知設備の一般的な必要性,重要性に加えて,このような法規制や指導指針,そして,本件火災の少なくとも2年前から,入居者のほとんどが高齢者で要介護者又は要支援者が多かった(前記第4の3(1))という甲本館の実情を踏まえれば,被告人Aが本件火災までに,甲本館に火災報知設備を備え付けるべき刑法上の注意義務を負っていたことは明らかである。
この点,弁護人は,被告人Aは煙感知器等の設置について指導を受けたことがなく,設置義務があると認識する機会がなかったと主張する。確かに,平成19年3月頃,当時,建物間の通路の屋根がつながっていた赤城棟,榛名棟,妙義棟について,渋川広域消防本部の担当者が被告人Aに対し,自動火災報知設備を付けるべき面積に達していると指摘したところ,被告人Aはその屋根を切り離し,以後特段の指摘はなかったことが認められる。しかし,それによって被告人Aが消防法上の義務は免れたと認識したとしても,刑法上の注意義務の認識可能性は別問題である。そもそも,被告人Aは,平成16年2月頃,自ら業者と契約して,妙義棟及び戊にまたがる自動火災報知設備を設置している(前記3(3)③)。平成18年11月にUが小火騒ぎを起こし,この自動火災報知設備が発報した際も,被告人Aはその警報音を聞いて効果を実感している(前記第4の1(1)エ)。被告人A自身,火災報知器を付けようと思っていたことは公判で認めている。被告人Aにおいて,火災報知設備の必要性を認識し得なかったなどということはあり得ない。(5)

具体的には,前記第5の3(3)ウで述べたように,1棟又は2棟を一つの
グループとして,煙感知式住宅用火災警報器(無線式親器・子器セット)の子器を各個室に設置し,各グループの親器を宿直室に設置する義務を認めることができる。甲本館は4つの棟に分かれており,夜間当直職員は妙義棟宿直室で待機していたのであるから,火災の発生を当直職員に報知しなければ,当直職員による早期の火災発見,避難誘導には結びつかない。そのためには,個室で煙を感知したことを電気信号によって宿直室に通報する機能が必要であり,無線によって親器及び他の子器に通報する機能のある上記警報器はこれに該当する。この点,消防法施行令5条の6は警報音を発するだけの単体の住宅用防災警報器を許容しているが,甲本館については,その構造,個室数,宿直員の配置に照らし,単体の警報器では不十分である。
子器の設置場所としては,前記条例を当てはめると,甲本館のような平家建ての建物で設置を義務づけられているのは,就寝の用に供する居室の全て,すなわち各入居者の個室及び宿直室に限られる。本件火災ではC居室が出火元と認められるので,その範囲でも足りることになる。
(6)

前記パナソニック電工(株)製住宅用火災警報器けむり当番ワイヤレス連動型,親器・子器セット(品番SH4902,SH22417,SH22427)は,本件火災の約8か月前である平成20年7月1日から市販され,個人販売店や量販店,ホームセンターで入手可能となっていた。その価格は親器1台8500円,子器1台8000円であり,取付費を加えても設置に過分の費用を要するものではない。
したがって,被告人Aにとって,本件火災よりも前に,甲本館に上記警報器を設置すべきことを認識し,それを実行することは可能であり容易であったと認められる。よって,被告人Aには,甲本館に,(5)の方法で上記警報器を設置すべき注意義務があったと認めることができる。6
措置①
措置①

避難訓練を実施させて職員に火災時の避難誘導の方法等を
させて,
避難訓練を実施させて,職員に火災時の避難誘導の方法等を周知

徹底させる義務以下避難訓練実施等の義務という。
徹底させる義務(以下避難訓練実施等の義務という。
させる義務(

(1)

消防法8条1項は,適用防火対象物の管理権原者に対し,防火管理者を
して,消防計画に基づく消火,通報及び避難の訓練を実施させるべき義務を課している。有料老人ホーム設置運営標準指導指針も,事故・災害(中略)に迅速かつ適切に対応できるよう具体的な計画を立てるとともに,避難等必要な訓練を定期的に行うこと(指針6(3))と定めている。このように避難訓練等の実施が必要かつ重要であることは当然であるが,甲本館においては,建物の構造や入居者の状況に照らし,その実施は不可欠であった。
(2)

すなわち,甲本館は4棟に分かれていて,建物の配置や出入口の位置は
整然としておらず,建物内外の通路も入り組んでいた。このため,火災の状況に応じて,できるだけ安全で効率的な避難経路や避難誘導する入居者の順番を選択するには,事前の検討や指導が必要であった。16名の入居者は高齢者がほとんどで,認知症や身体障害を伴う者も少なくなかった。このような入居者を,付き添ったり車椅子に乗せたりして,上記のような建物から迅速に避難させるのは容易なことではない。a,b,cの施錠も速やかに解かなければならず,南京錠cについては鍵を持参しなければならなかった。夜間であれば館内の点灯が,場合によっては懐中電灯の持参が必要であった。複数の職員の分担や住宅用火災警報器の性能についても,あらかじめ協議し理解しておかなければならない。
(3)

そこで,被告人Aとしては,昼夜の職員を指揮し,参加可能な入居者の
参加を求めて避難訓練を実施するなどして,火災時の避難誘導等の方法を職員に周知徹底させるべき注意義務を負っていたと認められる。なお,本件公訴事実においては,被告人Aは被告人Bに指示して避難訓練実施等を行うべきこととされているが,被告人A自身が被告人Bを含む職員全員に指示して避難訓練等を行う注意義務を排除するものではないと解される。7

措置⑤
措置⑤
(1)

夜間当直職員を
以上配置する
する義務
夜間当直職員を2人以上配置する義務

前記第5の6(1)(2)(3)のとおり,措置③及び措置①に加えて,夜間当直
職員を1人増員して常時2人を配置していれば,職員1人の場合に比べて更に1名多く(5名)避難させることができたと認められる。3人配置していれば,更に多く避難させることができた可能性がある。
(2)

甲本館は,4棟が入り組んだ構造であり,全部が木造建物で,赤城棟食
堂など燃えやすい簡易な建物も存在した。スプリンクラーなどの本格的な消火設備は設けられていなかった(前記第4の2)。自力避難が困難な者を相当数含む入居者16名を収容し,徘徊防止のため一部に施錠もしていたところ,夜間当直職員は1月に10日は本件火災当日のようにL1人しか勤務していない状態であった。職員1人では,例えば,車椅子に乗り移らせて暗い中を移動する作業に対応できないことも十分に考えられるところであり,上記のように防火管理上,貧弱な構造,設備のもとで,1人の職員で16名という数の入居者を安全確実に避難させることは相当に困難であると考えられる。そうすると,被告人Aには,甲本館の夜間当直職員を増員して,常時少なくとも2人を配置すべき刑法上の注意義務があったと認められる。
この点に関し,有料老人ホーム設置運営標準指導指針は,建物は,建築基準法に規定する耐火建築物又は準耐火建築物とし,(後略)(指針4(2))と定める一方,その例外として,避難口の増設,搬送を容易に行うために十分な幅員を有する避難路の確保等により,円滑な避難が可能な構造であり,かつ,避難訓練を頻繁に実施すること,配置人員を増員すること等により,火災の際の円滑な避難が可能なものであることを満たす木造平家建て有料老人ホームについては,場合により耐火建築物又は準耐火建築物とすることを要しないと定めている(指針4(2)ウ)。この指針にも,防火管理上,耐火性能など物的な面で脆弱な施設では,それを補うために人的な体制を充実させるべきことが示されている。
(3)

本件当時,甲では,月20日一緒に当直勤務をするN及びMに各月額8万円前後,月10日単独勤務のLに月額8万円前後の給与を支給していた。これを2人常駐とし,かつ避難誘導に対応できる職員にすることになるが,支出の増加としては年間百数十万円で収まると認められ,これは甲の事業規模等に照らし履行不可能とはいえないし,運営を継続する以上,その範囲の支出をしても,職員の増員は実施しなければならないものである。
弁護人は,Lがその後介護ヘルパーとして勤務する施設及びZが経営する高齢者専用賃貸住宅でも,夜間当直職員は1人であるとして反論する。しかし,前者には火災報知器が作動すると自動的に解錠されるオートロックの錠があり,後者には自動火災報知器,防火隔壁,排煙扉,スプリンクラー等の設備があるのであって,いずれも耐火性能や防火設備の点で甲本館よりも優れていると認められる。この2つの事例は,甲本館において職員2人を配置すべき義務を否定するものではない。(4)

3人の職員の配置が望ましいことは確かであるが,夜間当直職員の数に
ついて他の施設の実情は証拠上明らかではない。上記指導指針4(2)ウでも具体的な人数は示されていない(同指針5(1)イは入居者の実態に即し,夜間の介護,緊急時に対応できる数の職員を配置することと定めている。仮にこれが火災時を含む指針であるとしても,人数は示されていない。)。常時3名となると,事業規模に照らし,給与捻出の面でも相当の困難が伴うと認められる。検察官の主張も,準耐火構造等の措置を含んでいるものの,少なくとも2名以上というにとどまる。したがって,3人の職員を配置すべき注意義務は認められない。
第7
1
被告人Aについての結論
被告人Aについての結論
よって,被告人Aについては,判示のとおりの業務上の注意義務を怠った過
失により,別紙一覧表記載の9名のうち,D1,D4及びD5の3名を死亡させるとともに,その余の6名中2名を死亡させた業務上過失致死罪の成立が認められる。同6名中4名については犯罪の証明がなく,同罪の成立は認められない。上記2名を特定することはできないが,被告人Aがその注意義務を果たしていれば,D1ら3名以外の6名についても,そのうち2名を避難させることができたことは確実であるから,その2名についてまで因果関係を否定する理由はない。また,刑法211条1項前段の人である被害者につき,上記6名中の2名であること以上には特定されていないが,他の要素も合わせることにより,罪となるべき事実としては十分に特定されている。
2
本件訴因は,被告人Aの過失と被告人Bの過失(避難訓練実施等の義務及び
被告人Aに対する進言義務の各懈怠)の競合として構成されているところ,第8のとおり被告人Bには注意義務が認められない。しかし,被告人Aは,被告人Bが避難訓練等を実施せず,あるいは被告人Bから進言を受けなくても,被告人A自身が有していた情報と権限により判示の注意義務を履行して,上記5名の死亡結果を回避することができたと認められるから,被告人Bの罪責に関わりなく,その罪責を肯定することができる。
第8
1
被告人B無罪の
被告人Bの無罪の理由
当事者の主張と検討の
当事者の主張と検討の視点
(1)

検察官
被告人Bには本件結果発生の予見可能性があり,被告人Bが公訴事実
要旨(5)の①避難訓練実施等の義務,②ないし⑤の進言義務を履行していれば結果回避可能性があり,かつ,これらの義務は履行可能であった。

多数人が収容されていた甲においては,入居者の安全を確保する

ために,施設の管理権原者のみならず,施設の実態をよく知り,適切な防火管理業務を遂行し得る立場にある現場責任者も,実質的な防火管理業務を行う者として,条理上,防火管理上の注意義務を負っていた。実質的に防火管理上の注意義務を負うためには,(a)防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的な立場にあること(消防法施行令3条参照),及び(b)防火管理に関わる業務に携わっていることが必要である。被告人Bは,甲において(a)(b)の要件を満たしており,実質的防火管理者として上記注意義務の主体となる。よって,被告人Bは,自らの権限でなし得る①避難訓練実施等の義務を直接負うほか,自らの権限でなし得ない②ないし⑤につき,被告人Aに対する進言義務を負う。(2)

弁護人
甲において,防火管理業務を含む業務全般を統括する被告人Aと並
んで,被告人Bが防火管理上の注意義務の帰属主体になることはない。被告人Bは,防火管理業務を行ったことはなく,防火管理業務を遂行し得る実質的権限はなかった。被告人Bは,乙の理事であったが,それは名目的なものであり,甲の施設長や現場責任者ではなかった。

進言義務については,被告人Aが対応した措置をとることが確実とは
いえず,それによる結果回避可能性はなかった。被告人Aは進言対象に関する不備を認識しており,進言の必要性もなかった。そのほか,被告人A弁護人の予見可能性,結果回避可能性,注意義務等に関する主張を援用する。
(3)

検討の
検討の前提
前記第6の3のとおり,被告人Aは,甲の運営主体である乙の業務の
執行を総理する理事長として,防火管理業務を含む甲の運営・管理等の業務全般を現実に統括しており,甲本館の防火管理を行うべき刑法上の注意義務を負っていた。一方,被告人Bについては,乙又は被告人Aから甲ないし甲本館の防火管理業務を明示的に委任されたことがないことは,本件証拠上明らかである。検察官も,そうした委任が明示的又は黙示的になされたという主張はしていない。その上で,検察官は,上記1(1)イ(a)(b)を満たす者は実質的に防火管理上の注意義務を負うと主張している(進言義務についての主張もこの義務の存在を前提としていると解される。)。確かに,委任の有無を問うことなく,実質的な見地から防火管理上の注意義務を認める余地はあるが,それは結局のところ,その者が防火管理上必要な業務を遂行するための実質的権限を有しているか否かにかかっている。イ
以下,この実質的権限の有無を,検察官が主張する(a)(b)に着目して検討
することとするが,(a)については,ある者が防火管理上必要な業務を遂行できる権限を有する立場にあることが必要であって,単に組織内で一般的に,あるいは組織内のある部門において,管理的又は監督的な立場にあることでは足りない。そして,そのような者が現実にも(b)の防火管理に関わる業務に携わっていることは,上記実質的権限の存在を推認させる事情となる。
さらに,本件で求められているのは火災報知設備の設置,避難訓練,職員の増員の3つの措置であり(以下本件各措置という。それ以外の準耐火構造化及び準不燃材料の使用,施錠設備の取替えに係る注意義務違反が認められないことは,被告人Aについて述べたとおり。),被告人Bにその実施を図るべき注意義務を認めるためには,被告人Bの実質的権限はこれらの措置に関わりのある防火管理業務に及んでいなければならない。このことは進言義務の形態をとる場合でも同様である。進言義務といえども防火管理上の注意義務に由来するものであり,(例外を検討する余地はあるにせよ)進言自体は気がつけば誰でもできるからといって,緩やかに認めることはできない。
2
防火管理上必要な業務を遂行することができる権限をする立場
することができる権限
立場について
防火管理上必要な業務を遂行することができる権限を有する立場について(1)

被告人B役職,
被告人Bの役職,役職名
被告人Bは,平成11年3月の乙の設立時に理事に就任し,一時期を除
き,本件火災当時も理事であった。乙の定款は,

理事長はこの法人を代表し,その業務を総理する。

理事は,理事会を構成し,この定款の定め及び総会の議決に基づき,この法人の業務を行う。

(13条1項,3項)と定めており,理事長である被告人A以外の理事にも業務執行の権限はある。
しかし,設立以来,相当数の者が理事に就任しているが,乙の事業に関与しない名目だけの理事が少なくない。理事会が開催されることも少なく,証拠に現れているのは,乙設立当初,Yが理事に就任したとき,本件火災後の平成21年4月程度である。設立当初の理事会では,被告人Bは自分の席はなく,お茶出しをしていた程度であった。
結局,被告人Bが理事としての権限に基づいて何らかの業務をしたかどうかは,証拠上不明である。イ

被告人Bについて,施設長との名称が用いられることがあった

(施設長という名称は養護老人ホームの設備及び運営に関する基準〔昭和41年7月1日厚生省令第19号〕や特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準〔平成11年3月31日厚生省令第46号〕にみられる。)。例えば,甲に係る被告人A作成の報酬を受けた役員名及びH19年度(事業会計収支計算書)給与賃金の内詳(平成21年5月1日群馬県宛提出),静養ホーム(北橘)甲職員配置表(平成21年1月1日現在)(群馬県宛提出),職員給与支払控(平成20年1月分から21年3月分)(内部文書)と題する書面には,被告人Bの欄に施設長との肩書が付されている。被告人AがKに食材費を渡すために使っていた銀行口座の名義は,甲施設長Bであった。
また,被告人Bは施設長と呼ばれたことがあった。すなわち,入居者のCやH,おむつの納入業者が,職員のLに対し,被告人Bのことを施設長と言ったことがある。
しかし,乙の理事会その他甲の関係者の間で,甲に施設長を置くことや,被告人Bをそれに充てることが取り決められたことを示す証拠はない。被告人Aが被告人Bに施設長になることを依頼したという証拠もない。職員給与支払控や給料支払明細書には,Kを総括主任館長とし,被告人Aを生活指導員とする実体に合わない記載がある。
施設長という肩書記載について,被告人Aは,被告人Bの同意を得ないで体裁を整えるために書いた,有料老人ホームの認可(届出受理)が得られれば施設長になってもらいたいと思っていた,職員給与支払控については永年勤めているので敬意から施設長と書いたなどと供述しており,必ずしも不合理とはいえない。呼び名についても,普段は入居者や職員から,Bさんおかあちゃんと呼ばれていたと認められ,施設長と呼ばれたのはごく限られた場面である。施設長の肩書が使われていることは全く知らなかったという被告人Bの公判供述を全面的には採用できないとしても,甲の日常において,被告人Bが施設長として認知され,また自覚的に行動していたとは認められない。ウ
被告人Bが乙の理事であり,施設長の役職名が用いられることが

あったとはいえ,その内実は上記のようなものであった。これらの肩書,役職名それ自体では,被告人Bが防火管理において必要な業務を遂行することができる権限を有する立場にあったことの根拠にはならない。
(2)

入居者の介護にする被告人
被告人B
入居者の介護に関する被告人Bの業務内容
被告人Bは,週に6日,朝8時30分から夕方まで勤務し,入居者に
対する食事の配膳,洗濯,おむつ交換,個室の掃除等の業務を担当していた。日中,入居者の世話を担当する甲所属の職員は,平成20年10月以降は被告人Bだけであった。介護が必要な入居者のうち介護保険の非対象者については,被告人Bが1人で介護を行なっていた(対象者については外部業者から派遣されたヘルパーによる。)。

被告人Bは,夜間当直職員が欠勤するときは自分で担当し,夜間の緊
急事態(入居者の体調悪化や徘徊等)に際しては,当直職員から連絡を受けて,医師への連絡,徘徊者の捜索などの対応をしていた。

被告人Bは,介護保険対象者の介護計画をケアマネージャー等が協議
する担当者会議(甲で行われる。)に出席して当該入居者の様子を述べ,ケアマネージャーが作成した通所介護計画書に入居者の代理人として署名押印したことがあった。ケアマネージャーが作成した介護保険要介護・要支援認定等申請書には甲管理者又は施設管理者として被告人Bの氏名が記載され,要介護・要支援認定のための調査結果は被告人B宛てに送付され,被告人Bが受け取っていた。

このように,被告人Bは,入居者の日常生活の介護等に関する業務を
幅広く担当しており,夜間の業務にも一部関与し,介護保険の関係機関との間で甲側の窓口となったことがあった。
(3)

職員の採用等への
への関与
職員の採用等への関与
平成20年3月頃,被告人Bは被告人Aに夜間の当直職員1名の新規採
用を求め,その結果,Lが採用された。しかし,これは,被告人B自身が週6日の日中業務に加えて,月約10日の宿直業務を行っていて大変だったために,代わりの当直職員を希望したに過ぎない。Lの事前の面接は被告人BとKが対応したが,これはたまたま被告人Aが不在だったからであり,検察官のいう採用面接の代行的業務というほどの意味はない。むしろ,職員の採用,人選,給与額は被告人Aが独自に決定しており,Lのとき以外に被告人Bが関与したことはなかった。イ
被告人Bは,Lの採用から1か月間,一緒に泊まってLに当直業務を
教えた。単なる後任者に対する引継ぎよりは丁寧であるが,それは被告人Bが介護等の業務の中心であり,また当直業務にも精通していたためである。(4)

収入及び支出への
への関与
収入及び支出への関与

被告人Bは,被告人Aが不在のときに,被告人Aが用意しておいた現金から,電気料金,水道料金等の小口の現金や,職員に対する給与を支払うことがあった。しかし,現金・預金の管理,経理事務は被告人Aが行っており,食料品・日用品の購入は別としても,大きな出費(電動ベッドや車椅子のリフト付き自動車の購入,増改築材料の購入等)については被告人Aが単独で決め,収入となる施設利用料金の決定についても同様であった(前記第6の3(2)参照)。
被告人Bには,甲の収入や支出について決定する権限はなく,決定への関与もほとんどなかったと認められる。
(5)

施設の維持管理への
への関与
施設の維持管理への関与
被告人Aは,平成20年に赤城棟食堂屋根の雨漏りの修理をし,敷地
内に徘徊防止用の柵を作ったことがあり,このうち,少なくとも雨漏りの修理は被告人Bが被告人Aに頼んだものである。また,Lは,被告人Bに対し,雨漏りの修理や柵の設置を希望したところ,被告人Bは被告人Aに話しておくと答え,その後,修理や設置がなされたと証言している(B公判はこのやりとりを否定している。)。そこで,検察官は,被告人Bは,現場職員の要望を取りまとめて,被告人Aに具申する立場にあったと主張する。しかし,柵について,被告人AはNとMに頼まれたと供述している。Lが被告人Bに雨漏りの修理や柵の設置を頼んだとしても,それはLにとって被告人Bとの接触が多かったという程度のことである。被告人Bが検察官主張のような立場であったとは認められない。

南京錠cは,入居者が夜間,食堂に入り込んで食材を食べることから,
被告人Bが入居者の1人と話して設置してもらったものであり,被告人BはN及びMに夜間の施錠を指示した。心張棒bはNとMが独自に始めたもので,被告人Bは両名から報告を受けて賛成した。スライド錠aは被告人B,N及びMが話し合って施錠を始めたものである。被告人Bは,Lにもこれらの施錠を指示した。このように,被告人Bは各施錠の決定に関与し,夜間当直職員に施錠を指示しているが,abについては他の職員も関与しているし,各施錠を始めたことは被告人Aに報告している(第4の3(4))。これらの施錠は施設に関わることではあるが,入居者の介護等にも関することであり,むしろ被告人Bら関係者にとっては,後者の意味のほうが大きかった。

以上のほかに,被告人Bが施設の維持管理に関与したことは認められな
い。建物の新増築,小規模な工事や修繕,設備・備品など施設の維持管理に関わることは,そのほとんどを被告人Aが独自の判断で行っていたと認められる(前記第6の3(2))。
3
防火管理業務への関与
防火管理業務への関与について
への関与について

被告人Bは,被告人Aに対し,避難訓練を実施したほうがよいのではないかと言ったことがある。入居者のD6に対し,非常時にはD3の部屋の窓から避難するように教えたことがある。平成20年の後半には,被告人Aとの間で,火災報知器,誘導灯,消火器の設置と一つ一つ対応していきましょうという話をした。検察官は,これらの発言を根拠に,被告人Bが防火管理体制に関心をもち,避難訓練や避難誘導の計画の立案と評価すべき行動をとっており,事実上,防火管理業務の一部と認められる業務を担当していたと主張する。しかし,この程度の断片的な発言を根拠に,被告人Bが防火管理業務を担当していたというのは明らかに飛躍である(例えば,避難訓練の実施については,調理担当のKも被告人Aに勧めたことがある)。仮に,これらの発言を防火管理業務の一端であるとみても,それは,到底,本件各措置の実施に関わる実質的権限を基礎づけるようなものではない。このほか,被告人Bの防火管理業務への関わりとしては,かつて被告人Aが計画して実施した避難訓練に参加したことくらいである。
4
まとめ
前記2のように,被告人Bは,入居者の介護等の業務に関しては夜間の一部を
含め幅広く担当し,介護保険の関係機関との窓口になったことや,新規当直職員を指導したこともあった。これらの面では被告人Bは管理的又は監督的な立場にあったといえるが,それは入居者の介護等の領域においてである。一方,被告人Bは,職員の採用,人選及び給与額等の決定にも,甲の収入や支出に関する決定にも関与しておらず,その権限もなかった。施設の維持管理の面では,施錠に関与したことはあったが,ほとんどは被告人Aが独自の判断で行っていた。被告人Bが乙の理事であり,甲の施設長と称されたことがあるといっても,それは名目的,限定的なものであった。
このような被告人Bについては,入居者の介護等の領域を超えて,防火管理の領域においても必要な業務を遂行することができる権限を有する立場にあったと認めることはできない。
さらに,前記3のとおり,被告人Bが現実に防火管理業務を担当していたとは認められない。少なくとも,本件各措置の実施に関わる実質的権限を基礎づけるような業務を行っていなかったことは明らかである。
したがって,被告人Bについて,本件各措置に対応する防火管理上必要な業務を遂行するための実質的権限を有していたとは認められず,避難訓練実施等の義務並びに被告人Aに対して煙感知器等の防災設備の設置及び夜間当直職員の増員を進言すべき義務はいずれも認められない(その他の進言義務違反が認められないことは前記1(3)イのとおり)。
5
その他
その他の点について
(1)

検察官は,被告人Aには適正な防火管理業務の遂行を期待できない状況
であったから,被告人Bのような現場責任者に対して防火管理上の注意義務を求める要請はいっそう強くなると主張する。しかし,被告人Aは,週に3回は甲に来て経理等を行い,不十分不適切ながら防火管理業務も行っており(前記第6の3(2)(3)),防火管理業務を遂行する能力を欠いていたわけではない。被告人Aの注意義務不履行を理由に,防火管理上の実質的権限を有していなかった被告人Bに注意義務が生じることにはならない。
(2)

検察官は,被告人Bがa,b,cの施錠の決定に関わったことは,注意
義務の根拠となる先行行為に当たると主張する。しかし,これらの錠を取り替えるべき注意義務が認められないことは前記第6の1(2)のとおりである。被告人Aも施錠の事実を知っていたのであるから,被告人Aにおいて,施錠の存在を踏まえた避難訓練等の措置によって対処すべきであり,施錠への関与を理由に被告人Bの注意義務を肯定することはできない。
(3)

被告人Bは,被告人Aとともに乙及び甲の設立,運営に深く関与し
てきた。被告人Bは,被告人Aの妻の妹であり,平成元年頃から被告人Aの福祉事業を手伝い,乙設立に当たっても被告人Aに同行して何度か群馬県庁に赴いた。被告人Aの福祉事業に対する貸付けや,甲の日常の出費の立替金として全体で500万円以上を支出し,その返済を受けていない。本件火災当時の給与額は月額20万円で,被告人A(10万円)や他の職員(N,M及びLは8万円前後)に比べると高額であった。このほか,介護等の業務の中心でもあったことからすれば,被告人Bは被告人Aと共同して甲を運営していたという見方もあるかもしれない。しかし,給与については,被告人Bの勤務時間,業務内容,勤務年限からすると給与として不相当なものではない。被告人Aは甲を含む事業に自己の不動産や多額の資金を支出しており,被告人Bの比ではない。運営全般にわたって両名の実質的権限には大きな差がある。被告人Bが共同運営者として防火管理上の注意義務を負うことはないといえる。
(4)

本件火災の原因や死亡被害発生の原因となる事実につき,被告人Bだけ
が職務上特別に知っていたという事実は存在しない。そうした事実を被告人Aに告知して,対策を進言すべきではなかったかという問題は生じない。6
結論
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,被告人Bについて本
件各業務上過失致死罪の成立は認められないから,刑事訴訟法336条により,無罪の言渡しをする。
(法令の適用)
被告人Aにつき
罰条
科刑上一罪の処理

被害者ごとに刑法211条1項前段
刑法54条1項前段,10条(犯情が被害者ごと
に異ならないのでその一を選ぶことをしない。)

刑種の選択
禁錮刑を選択

刑の執行猶予

刑法25条1項

訴訟費用の一部負担

刑事訴訟法181条1項本文

被告人A
する量刑理由)
量刑の
(被告人Aに対する量刑の理由)
1
本件は,特定非営利活動法人乙が運営し,被告人が乙理事長として,その運
営・管理等の業務全般を統括していた入居型介護施設において,入居者の一室から出火して大きな火災が発生した際,被告人が同施設における防火管理上の注意義務を怠っていた過失により,入居者に対する適切な避難誘導が行なわれず,入居者5名を死亡させたという業務上過失致死の事案である。
2
甲本館は,要介護高齢者が多数を占める16名の入居者を収容し,施設は近接
した木造建物4棟からなっていて,一部には被告人自ら増設した簡易な建築物も存在した。したがって,火災が発生しうることはもちろん,発生した場合に早期の発見通報と適切な避難誘導がなければ,大きな惨事になることは容易に予見できる状況であった。被告人は,こうした施設の客観的状況を十分に認識しながら,火災報知設備の設置,避難訓練の実施,そして必要な宿直職員の配置を行うべき防火管理上の注意義務を怠ったまま,漫然と施設を運営していた。
特に,火災報知設備については,被告人は,甲本館の1棟に自動火災報知設備を設置したことがあり,小火騒ぎのときにその効果も実感していながら,その後これが使用不能になると,その設置義務を回避する意図で建物の間を切り離し,新しい設備を設けずに放置していた。避難訓練についても,通所型施設であった時期に消防署と連絡をとって2回実施した経験がありながら,入所型施設にしてからは全く行っていなかった(補足説明第4の1(1)エ,第6の3(3)参照)。このように,被告人は,防火管理措置の必要性を軽視して,施設運営の根幹である入居者の生命身体の安全に関わる注意義務を怠っていたものであり,その過失は大きい。3
被告人の過失との因果関係が認められる死亡者のうち,自力歩行が可能であっ
た3名は,屋外へ逃れようとして食堂出入口付近や浴室内で死亡しており,そのときの恐怖や苦痛は多大なものであったと認められる。そのほかの死亡者6名中の2名を含め,5名という多数の人命を奪った本件の被害は重大である。遺族に対する損害賠償は行われていない。
4
他方,被告人は,生活困窮者等の社会的な弱者を救いたいと志し,かなりの私
財を注いで甲を開設し,低廉な料金で高齢の生活保護受給者,障害者,認知症患者等を受け入れて,老後の生活の場を提供してきた。そのような事業であったことから,被告人としては,十分な資金的余裕がありながら防火管理を怠ったというわけではない。被告人は,過失の有無という法律的な評価は争っているものの,前提となる事実関係は概ね認めており,反省とお詫びは尽きることがない,犠牲者の慰霊に努めたいと述べている。平成24年3月には,支援者の協力により慰霊塔を建立し,関係者を招いて被災者に対する慰霊行事を行っている。5
被告人の刑事責任は重いものがあるが,こうした酌むべき事情も考慮し,被告
人を主文の刑に処して,その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。よって,主文のとおり判決する。
(求刑

被告人A

禁錮2年6月,被告人B

禁錮1年6月)

平成25年1月21日
前橋地方裁判所刑事第2部

裁判長裁判官

半田靖史
裁判官

野口佳子
裁判官

平工信

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