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合祀取消及び損害賠償請求事件
事件番号平成20(ワ)395
事件名合祀取消及び損害賠償請求事件
裁判年月日平成22年10月26日
法廷名那覇地方裁判所
結果棄却
裁判日:西暦2010-10-26
情報公開日2017-10-17 20:33:26
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平成22年10月26日言渡

同日原本領収

裁判所書記官


平成20年(ワ)第395号

山文俊
合祀取消及び損害賠償請求事件

平成22年7月20日口頭弁論終結
判決原告
Aa

原告
Ba

原告
Ca

原告
Da

原告
Ea

原告ら訴訟代理人弁護士

池同加藤同儀部同金高同上原智子同松崎暁史同伊嶺公一同山城同城間同高良同丹羽雅雄同三宅俊司宮志城紀夫裕和歌子望圭さなえ誠東京都千代田区九段北3丁目1番1号
被告靖國神社渕正紀下喜彦
同代表者代表役員

F
同訴訟代理人弁護士

岩同竹同和田希同岩渕正樹同松永暁太野志子
東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
被告国
同代表者法務大臣

千葉景子同藤谷俊之同岡村佳明同山下同山家史朗同立川淳一同筒井正人同川上聖也同山内峰臣同吉柳広美同宮良同具同呉屋同遠藤豊二同白川泰之同礒邊指定代理人志堅真智光男愛憲主文1原告らの請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は原告らの負担とする。

第1
1実及び理由
請求
被告らは,原告ら各自に対し,連帯して金10万円及びこれに対する平成20年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2
被告靖國神社は,原告ら各自に対し,別紙戦没者一覧表の原告名欄記載の原告に対応する戦没者名欄記載の戦没者の氏名を霊璽簿,祭神簿及び祭神名票から抹消せよ。

第2

事案の概要
本件は,原告らにおいて,被告靖國神社(以下被告神社という。)及び被告国に対し,別紙戦没者一覧表記載の戦没者(以下本件戦没者という。)に関して,被告神社が遺族の原告らに無断で本件戦没者を合祀した上,原告らの合祀取消しの要求を拒否して合祀を継続し,また,被告国が本件戦没者の情報を被告神社に無断で提供し,その費用を負担して,憲法20条3項,89条違反の行為を行った結果,これらの被告らの共同行為により,家族的人格的紐帯に基づき原告らの有する追悼の自由等の人格権が侵害され,精神的苦痛を受けたと主張して,不法行為又は国家賠償法に基づく損害賠償請求(民法709条,719条,国家賠償法1条1項,4条)として,連帯して,原告1人あたり10万円の慰謝料及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,被告神社に対し,本件戦没者の合祀とその継続により,原告らの上記人格権が侵害されていると主張して,人格権に基づく妨害排除請求として,被告神社の所有,管理する霊璽簿,祭神簿及び祭神名票(以下霊璽簿等という。)からの本件戦没者の氏名の抹消を求める事案である。
1
前提となる事実

(1)当事者

原告らと本件戦没者

(ア)原告Aa(以下原告Aaという。)
原告Aaは,被告神社において合祀されているAb(以下Abという。なお,祭神名としては変更前の氏のA’が用いられている。)の子であり,被告神社において合祀されているAc(以下Acという。)の弟である。(甲A2∼4)
Abは,改製原戸籍謄本上,昭和20年5月12日に島尻郡東風平村字富盛番地不詳で死亡とされ,被告神社の回答では階級・陸軍軍属(無給)とされており,昭和34年4月6日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲A2,3)
Acは,被告神社の回答では,陸軍上等兵として海上挺進第28戦隊に所属し,昭和20年6月8日に沖縄本島具志頭村仲座で戦死とされており,昭和33年10月17日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲A2,4)(イ)原告Ba(以下原告Baという。)
原告Baは,
被告神社において合祀されているBb
(以下
Bb
という。

の子である。(甲B6,14)
Bbは,陸軍伍長として歩兵第45連隊に所属し,昭和19年3月18日にボーゲンビル島タロキナ方面で戦死したものであり,昭和32年4月21日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲B6,11,14)
(ウ)原告Ca(以下原告Caという。)
原告Caは,
被告神社において合祀されているCb
(以下
Cb
という。

の弟である。(甲C2,7)
Cbは,昭和20年6月当時,沖縄県立第一高等女学校4年生であり,ひめゆり学徒隊の一員として沖縄陸軍病院第三外科で勤務していたが,同月19日,糸満市伊原第三外科壕において,アメリカ軍の投げ込んだガス弾により死亡したものである。(甲C5,6)
Cbは,昭和30年10月17日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲C7)(エ)原告Da(以下原告Daという。)
原告Daは,
被告神社において合祀されているDb
(以下
Db
という。

及びDc(以下Dcという。)の子であり,被告神社において合祀されているDd(以下Ddという。)の弟,De(以下Deという。)の兄である。(甲D2,5∼8)
Dbは,海軍一等機関兵曹として沖縄方面根拠地隊司令部に所属し,昭和20年6月14日に沖縄で戦死したものであり,昭和25年10月17日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲D2,5)
Dcは,除籍謄本上,昭和20年5月24日に島尻郡大里村字大城番地不詳で死亡とされ,被告神社の回答では階級・陸軍軍属(無給)とされており,昭和34年4月6日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲D2,6)
Ddは,除籍謄本上,昭和20年5月24日に島尻郡大里村字大城番地不詳で死亡とされ,被告神社の回答では階級・陸軍軍属(無給)とされており,昭和34年4月6日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲D2,7)
Deは,除籍謄本上,昭和18年8月30日に出生,昭和20年5月24日に島尻郡大里村字大城番地不詳で死亡(享年1歳)とされ,被告神社の回答では陸軍戦斗関連死没者とされており,昭和42年10月17日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲D2,8)
(オ)原告Ea(以下原告Eaという。)
原告Eaは,
被告神社において合祀されているEb
(以下
Eb
という。

の子であり,被告神社において合祀されているEc(以下Ecという。)の弟である。(甲E2,8,9)
Ebは,改製原戸籍謄本上,昭和20年6月9日に島尻郡眞壁村字糸洲番地不詳で死亡とされ,被告神社の回答では階級・陸軍軍属(無給)とされており,昭和33年10月17日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲E2,8)
Ecは,陸軍上等兵として独立歩兵第351大隊に所属し,昭和20年9月9日にパラオ本島アイミリーキ療養所にて戦病死したものであり,昭和33年4月21日,被告神社において合祀され,その氏名が被告神社の所有,管理する霊璽簿等に記載されている。(甲E2,9)

被告神社

(ア)被告神社設立の経緯(争いのない事実)
被告神社の前身にあたる東京招魂社は,明治2年,明治新政府の太政官布告により創立された。
明治天皇は,明治12年6月,東京招魂社の社号を靖國神社と改
め,別格官幣社に列格を命じた。
終戦後,GHQ(連合国総司令部)は,昭和20年12月15日,国家と神社神道の分離を命じる神道指令を発し,これを受けて,被告国は,昭和21年2月2日,宗教法人令を改正公布した。
被告神社は,昭和27年8月1日,昭和26年に制定された宗教法人法に基づき,東京都知事認証の単立の宗教法人登記を完了した。
(イ)被告神社の目的
被告神社は,その目的につき宗教法人靖國神社規則第3条において,本法人は,明治天皇の宣らせ給うた「安國の聖旨に基づき,國事に殉ぜられた人々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(以下崇敬者といふ)を強化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふことを目的とする。」と規定している。(争いのない事実)
(2)原告らの合祀取消要求と被告神社の拒絶

原告Aaは,
被告神社に照会をした結果,
平成18年5月17日付けの回
答書でAb及びAcの合祀を知り,平成19年9月4日付けで,被告神社に対し,Ab及びAcの合祀取消しを求め,さらに,同年11月13日付けで,再度,合祀取消しを求めた。(争いのない事実,甲A1,3,4)被告神社は,平成19年9月27日付け及び同年11月29日付けで,原告Aaに対し,文書を送付して,これを拒絶した。(甲A5,6)

原告Baは,平成19年9月3日付けで,被告神社に対し,Bbの合祀取
消しを求め,さらに,同年11月13日付けで,再度,合祀取消しを求めた。(争いのない事実)
被告神社は,平成19年11月29日付けで,原告Baに対し,文書を送付して,これを拒絶した。(甲B10)

原告Caは,平成15年の学習会をきっかけに被告神社に照会をした結果,Cbの合祀を知り,平成19年9月6日到達の要請書で,被告神社に対し,Cbの合祀取消し又は霊璽簿からの削除を求め,さらに,平成19年11月15日到達の要請書,平成20年9月17日付けの要請書で,繰り返し合祀取消しなどを求めた。(争いのない事実,甲C8の1・2,甲C10の1・2,甲C12,原告Ca当事者尋問6頁)
被告神社は,平成19年9月27日付け及び同年11月29日付けで,原告Caに対し,文書を送付して,これを拒絶した。(甲C9,11)エ
原告Daは,被告神社に照会をした結果,平成17年8月10日付けのDb及びDeに関する回答書などで合祀を知り,
平成19年9月4日付けで,
被告神社に対し,Db,Dc,Dd及びDeの合祀取消しを求め,さらに,同年11月13日付けで,再度,合祀取消しを求めた。(争いのない事実)被告神社は,平成19年9月27日付け及び同年11月29日付けで,原告Daに対し,文書を送付して,これを拒絶した。(甲D9,10)

原告Eaは,平成19年9月付けの要請書で,被告神社に対し,Eb及びEcの合祀取消し又は霊璽簿からの削除を求め,さらに,平成19年11月13日付けの要請書で,繰り返し合祀取消しなどを求めた。(甲E4,6)被告神社は,平成19年9月27日付け及び同年11月29日付けで,原告Eaに対し,文書を送付して,これを拒絶した。(甲E5,7)
(3)被告神社における合祀

合祀手順
被告神社による戦没者の合祀は,一般的に,①戦没者及び遺族の調査をし,戦没者の氏名,階級,所属部隊,死没年月日,死没場所,死没時本籍地,遺族の氏名,続柄,所在(これらの事項を総称して,以下氏名等という。)を確定する,②この段階で,合祀基準に合うか否かを決定する,③氏名等を記載した祭神名票を作成する,④祭神名票の記載を祭神簿に書き写す,⑤祭神簿をもとに,合祀の儀式用に霊璽簿を作成する,⑥合祀の儀式を行うとの手順で行われる。(争いのない事実)

霊璽簿等の取扱い
被告神社の所有,管理する霊璽簿等の取扱いは,次のとおりである。(弁
論の全趣旨)

(ア)霊璽簿は,被告神社により合祀のたびに謹製され,合祀の祭典後は霊璽簿奉安殿に納められる。
(イ)祭神簿は,被告神社により合祀のたびに謹製され,霊璽簿の控えとして参集殿奉安庫で保管管理される。
(ウ)祭神名票は,合祀基準に該当するかどうかを確認するため作成されるものであり,重複等を確認し,合祀すべき戦没者の祭神名票であることを確認した後は,霊璽簿や祭神簿の原票として,祭神簿と同様に参集殿奉安庫で保管管理される。

合祀と遺族
被告神社は,創立以来一貫して,戦没者の合祀に際して,遺族の同意又は了解を得ることをしておらず,また,申請による合祀や,逆に,合祀取消しの申出も受け入れていない。(争いのない事実)
被告神社は,
戦没者を合祀した際,
遺族に合祀の通知を送付するものの,
その後は,遺族に対して何らの働きかけや連絡も行っていない。(丙3,弁論の全趣旨)


合祀情報の取扱い
被告神社は,戦没者の合祀に関する情報について,当該戦没者の遺族からの照会や問い合わせに対しては回答するものの,第三者からの照会等には応じず,霊璽簿等も非公開としている。(弁論の全趣旨)


太平洋戦争に関する合祀者数の推移
被告神社における昭和21年から昭和36年までの間の太平洋戦争に関する合祀者数の推移は,次のとおりである。(乙5)
昭和21年

4月29日

2万5841人
昭和22年

4月21日

5万7137人

昭和23年

5月

5日

4万6766人

昭和24年10月17日

2万9179人

昭和25年10月17日

11万8697人

昭和26年10月

9日

6万3738人

昭和27年10月

9日

1万2374人

昭和28年10月

6日

1万3624人

4月17日

3万3579人

同年10月17日

23万6142人

昭和29年

昭和30年

4月21日

9万9003人

同年10月17日

9万6897人

昭和31年

4月21日

9万3677人

同年10月17日

11万2609人

昭和32年

4月21日

21万2760人

同年10月17日

25万5807人

昭和33年

4月21日

11万7868人

同年10月17日

9万7745人

昭和34年

6日

8万8667人

同年10月17日

4万5188人

昭和35年10月17日

3万6791人

昭和36年10月17日
2
4月

1万3662人

争点

(1)法律上の争訟性
(2)被告国の共同行為性
(3)原告らの権利ないし法的利益と侵害
(4)政教分離原則と賠償責任
(5)除斥期間
第3
1
争点に関する当事者の主張
争点(1)〔法律上の争訟性〕について

〔被告神社の主張〕
霊璽簿等は合祀という宗教行為の一部であって,これと切り離すことはできず,これらの祭神名の記載は,合祀基準をどのように設定するかと表裏をなす被告神社の宗教上の教義に関する問題であり,合祀に際して遺族の承諾を求めるかどうかの問題も同様である。原告らの主張からは,被告神社の教義そのものに対する司法判断を引き出そうとする意図も明白である。
したがって,被告神社の教義の問題に踏み込まざるを得ない本件訴訟は,裁判所法3条の法律上の争訟には該当せず,本件訴えは却下されるべきである。また,そもそも霊璽簿等に記載された祭神の氏名抹消は,神聖な祭神に対するあってはならない非礼であるから,信教の自由等を保障するためには,本件訴訟の請求を不適法として却下しなければならない。
〔原告らの主張〕
本件訴訟では,被告神社の合祀行為及びその継続により原告らの権利ないし利益を侵害しているかが審理の対象であり,被告神社の教義の妥当性等を判断する必要はない。
したがって,本件訴訟は,法律上の争訟性を有している。
また,外部的な行為を伴っている以上,宗教的行為は,無制限に許容されるものではない。
2
争点(2)〔被告国の共同行為性〕について

〔原告らの主張〕
(1)被告神社の合祀と被告国の関与

終戦までの合祀手続
終戦以前において,神社神道は,事実上国教として扱われていた。神道の祭祀は国政の一部として行われ,天皇はその祭主たる地位にあるものとされ,臣民に対しては神社参拝が強要されていた。
被告神社は,陸軍省,海軍省の所轄の下に置かれていたように,その設立,その後の管理運営そのものが国家権力によるものであり,軍事部門における国の機関の一部であって,戦没者の合祀は国の事務として執り行われていた。

戦後の被告国と被告神社との積極的な協働関係

(ア)終戦後,被告神社の合祀手続を担ってきた陸軍省,海軍省が廃止になったが,被告国及び被告神社は,国家的祭祀としての合祀を止める意思はなく,被告国は,被告神社のための調査及び合祀業務に従事していた人材を第一及び第二復員省に転属させ,地方を指揮して合祀未済者の氏名等を調査させて未合祀者申告票を提出させ続け,提出された申告票について,復員省でひととおり合祀適格者を選別した上で,被告神社に提供した。
(イ)昭和21年9月に被告神社がGHQから将来の合祀祭禁止を命じられたことに対応し,被告国は,申告票の提出と調査を中止したが,死没者の連名簿の形式により,実際には調査を続行し,被告神社は,被告国の調査と通報を受けて,順次,霊璽奉安祭を行った。
(ウ)昭和23年夏のGHQによる傷痍軍人記章交付中止命令から,被告国は,GHQの姿勢の厳しさを深刻に受け止め,調査事務の続行は不可能となったと判断し,
被告神社の担当者と繰り返し慎重に協議を行った上,
被告国による調査事務は中止し,被告国がそれまでに所有保管していた申告票約30万名分,連名簿約120万名分のほか,靖國神社合祀資格審査方針綴等を被告神社へ引き渡し,戦没者の調査については,以後は,地方世話課が発令した公報を引揚援護庁がとりまとめて被告神社に回付するという形をとることになった。
そして,被告神社は,被告国から引渡しを受けた申告票及び連名簿を整理し,又は回付を受けた公報に記載された死没者について,重複者を排除し,合祀資格に疑問がないかを調査した上,正式合祀を行った。しかし,合祀資格の有無の調査をほぼ全面的に被告神社内部で行うようになり,また,申告票や連名簿,公報には重複,誤り,死亡原因が不確定な記載等が多かったことから,合祀は遅々として進まなかった。
(エ)占領終結を目前にした昭和27年冒頭から昭和31年まで,被告神社合祀や遺族への合祀通知の推進を政府に迫る議員の発言が国会の場で相次ぐようになり,これを追い風にして,被告国は,被告神社の合祀事務の表舞台に復帰し,未合祀者調査及び合祀資格審査を再開し,又は少なくとも全面的に再開する準備を始める。
そして,被告国と被告神社との打合せ,合祀事務に関する地方への通知などから明らかになる検討,調整を経て,被告国は,昭和31年4月19日,
援発第3025号靖國神社合祀事務に対する協力について

と題する通知(以下第3025号通達という。なお,以下,通達,文献等を引用する場合,被告神社については原文と相違していても靖國の文字を使用することとし,旧字体については新字体で,カタカナについては名詞を除きひらがなで記載することとする。)を発し,各都道府県に対し,概ね3年間で被告神社合祀を完了するべく,

法令に基づくその本然の事務の限界において、かつ、なし得る限り好意的な配慮をもって、靖國神社合祀事務の推進に協力する。

よう指示し,第3025号通達による合祀の援助協力が軌道にのった。

第3025号通達以後の体制

(ア)役割分担
第3025号通達とその後3年間に発令された一連の通達の指示内容を総合すると,被告国と被告神社が密接に協力し合って作り上げた合祀推進体制(以下第3025号通達体制という。)における役割分担は,次のようなものであった。すなわち,①祭神名票の印刷,支給は被告国(引揚援護局),②原票の作成,合祀者の選考及び祭神名票への記入は,旧陸軍関係は都道府県,旧海軍関係は被告国(引揚援護局)及び地方復員部,③毎年春秋の合祀予定数の決定,これに見合う記入済み祭神名票の取りまとめ,被告神社への回付は被告国(引揚援護局),④合祀後の合祀通知状の遺族への交付は都道府県がそれぞれ行うこととされ,⑤各回合祀者の最終決定,祭神簿及び霊璽簿の調整(作成,記入),合祀祭執行,合祀者名簿及び合祀通知状の都道府県送付のみが被告神社の役割であった。また,上記の役割に関する引揚援護局及び都道府県の事務処理の経費は,
国庫負担とするとされ,
引揚援護局固有の予算の外,
昭和31年度予算から都道府県事務委託費の中に戦没者調査費が新たに加えられた。
そして,第3025号通達は,上記役割分担の要として,都道府県が合祀予定者を選考すると定め,その死亡時期と身分及び死亡事由についての選考基準を指示した。具体的には,死亡時期についての条件は昭和20年9月3日より,同26年5月31日までの間に,外地において死亡したものとされ,身分及び死亡事由については軍人,軍属であって,援護法又は恩給法の既裁定者と指示された。(イ)被告国と神社との度重なる打合会
第3025号通達体制における被告神社との緊密な連携を構築,
維持,
主導するために,被告国は,引揚援護局の担当社員を被告神社に出向かせ,その社務所等でたびたび打合会や研究会をもった。
打合会の主題は,当初は合祀推進体制をどのように組むか,その役割分担に関することであったが,その問題が決着した後は,合祀基準の拡大が集中的に協議された。戦犯の合祀問題も,一連の打合会終盤まで続いた重要課題であった。
軍人,軍属でない学徒動員,女子挺身隊員,沖縄や南洋の一般法人戦闘協力者,疎開学童死亡者等多様な対象への合祀基準の改訂,拡大に関しては,何度も合祀を検討されたが,概ね,被告国の法的処遇がなされるまで,被告国が被告神社に祭神名票を送付しないという意味での合祀保留となっていた。
以上から,合祀対象者の範囲及び合祀時期を,被告国が中心となって決めていたということができる。
戦犯合祀についても,被告国の主導で進み,被告神社がこれを受け入れていったものである。
(ウ)小括
このように,第3025号通達体制については,①被告国からの働きかけで構築された体制であること,②被告国と被告神社との役割分担を被告国が主導して決めていたこと,③合祀基準とその拡大を被告国が主導して決めていたこと,④合祀推進年間中,被告国や都道府県が行う合祀関連事務に国家予算が付けられていたこと,⑤被告国が戦犯合祀をもちかけ,通常の役割分担とは別個に引揚援護局が直接戦犯の氏名等の情報を被告神社に提供したことといった性格が明らかである。
(2)被告らにおける行為の共同性
被告国は,第3025号通達を含む一連の通達及び被告神社との打合会等に基づき,合祀基準に適った戦没者を選別し,一宗教法人である被告神社に対し,戦没者の氏名等の情報を戦後何年にもわたって積極的かつ大量に提供し,被告神社による戦没者合祀を援助,協力し続けた。被告国は,国家公務員及び地方公務員を動員し,公費を使って,合祀総数の約7割にあたる約172万名の合祀予定者の氏名等の情報を被告神社に提供し,さらに,被告神社との会合を頻繁に開催し,被告神社の合祀を主導的に推進したのである。最終的に被告神社が合祀を決定したとしても,これは被告国から提供された合祀予定者情報から,重複合祀や生存者合祀を避け,合祀基準に外れる戦没者を合祀することのないよう,被告神社の立場で点検したというものにすぎない。
被告国の担った役割は,一宗教法人にすぎない被告神社では到底なし得ないものであり,被告神社による170万人を超える戦後の戦没者合祀は,被告国による氏名等の積極的提供と,積極的調整,援助及び協力があってはじめて可能となった。
すなわち,被告国の行為は,被告神社による戦没者合祀の不可欠の前提であり,被告国の行為なくしては,被告神社において合祀を行い得なかったのであるから,被告神社と被告国の行為には,共同不法行為(国家賠償法1条1項,4条,民法719条)の前提となる客観的関連共同性が認められる。また,被告国は,被告神社と合祀を共謀して進めたという意味で,両者の行為には,主観的関連共同性も認められる。
したがって,被告国は,被告神社と合祀を共同して行ったと評価され,あるいは,少なくとも被告神社の合祀を幇助したと評価されるものである。〔被告国の主張〕
(1)合祀基準と合祀決定が被告神社の意思でされていたこと

終戦後の被告神社合祀と被告国の関与
終戦後,被告神社は国から分離されて宗教法人となり,その合祀については被告神社が主体となり,自らの判断で合祀を実施することになった。終戦後しばらくの間は,被告国は,被告神社に対し,復員庁等の機関による復員業務の一環として戦没者に関する氏名等の情報を調査回答していたが,復員連絡局長随行官に懇談要旨に記載されているとおり,被告神社の祭祀運営とは全く異なる事務処理であることが強調され,また,被告神社は,被告国からの情報提供をもとに更に調査をした上で合祀を行っていた。
その後,
戦没者調査に関する業務は被告神社に引き継がれることになり,
被告国は,被告国の機関が所有保管している名簿や靖國神社合祀資格審査方針綴等の関係書類を被告神社に引き渡し,被告神社は,地方世話課からの公報の写しをもとに独自に戦没者調査を行うことになった。戦没者調査を独自に行うようになった被告神社は,合祀する戦没者の範囲を,被告神社自身の判断で広げていった。また,被告国などが回答した戦没者についても,再度被告国に照会が行われていた。
しかし,被告神社における合祀事務は予定通り進まず,合祀事務の遅れが昭和27年ころからたびたび国会で取り上げられることになった。そのような背景の下で,被告国は,被告神社における合祀事務の遅れの問題について,法の許す範囲において協力することが求められていた。

第3025号通達
そこで,従前の回答業務では被告神社が被告国又は都道府県に対しそれぞれ調査依頼をして資料を集めていたところ,
これを効率的に進めるため,
被告国が一括して調査依頼を受け,これを都道府県に伝達して,統一の要領により処理する方法をとることとしたのが,第3025号通達である。すなわち,その趣旨,目的は,多くの遺族が望んでいる被告神社の合祀の遅れの問題に関し,一般的な調査回答という立場から行政サービスの改善を行うことにあった。
第3025号通達により,以後,被告神社が,戦没者であって一定の合祀資格条件に該当する者及びその者の身上に関する事項を引揚援護局に照会し,同局においては,調査の結果を取りまとめて被告神社に回付し,それを受けて被告神社が合祀者を決定し,合祀の祭典を執行するという方針に従って事務が遂行された。被告神社は,その中で,従前の合祀資格審査参考資料をまとめ,従前の合祀者資格審査経緯や終戦後既に合祀範囲が拡大されているもの,今後詮議を要するもの,戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下援護法という。)上から見て審査を要する事項等について詳細な資料を作成している。
これらの事実によれば,被告神社が合祀の主体であり,また,自らの判断によって合祀範囲を次第に拡大して合祀を実施していたこと,被告神社自身が今後詮議をした上で合祀の可否を決定したいと考えていた戦没者類型のあったことなどが認められる。

第3025号通達以後の資料
昭和40年度以後の旧陸軍関係戦没者の靖國神社合祀事務の協力要領についての記載内容は,被告国(厚生省)はもとより被告神社においても,被告神社が合祀対象者を決定するとの共通認識を有していたことを裏付けている。
旧陸軍関係戦没者の昭和40年度以後の靖國神社合祀事務に対する協力について及びその別冊である昭和40年度以後の旧陸軍関係戦没者の靖國神社合祀事務の協力要領の記載によると,合祀未済の全戦没者について,その氏名等を記載した祭神名票を被告神社に送付することとし,その中で合祀資格条件に調査を要するものや合祀基準の拡大については,被告神社側で審査等を行うことになっていたことが裏付けられる。
(2)被告神社からの依頼に基づく調査回答であること
昭和30年7月23日の第22回国会衆議院海外同胞引揚及び遺家援護に関する調査特別委員会における被告神社G権宮司及び靖国神社奉賛会のH理事長の質疑応答からも,被告神社に対する調査回答は,被告国(厚生省)が主導したものではなく,被告神社からの依頼に基づいて行われていたことが明らかである。
(3)打合会の趣旨等について
被告国(厚生省)と被告神社との打合会は,その内容を見ると,多様な戦没者について多くの情報をもつ被告国側が,被告神社の要請に従って,戦没者の状況につき説明などの協力を行う目的で始めたものである。そして,厚生省が援護法を所管していたことから,援護法で援護の対象,範囲としている戦没者について,
被告神社において合祀の対象とすることを検討するため,
援護法の対象者に関する説明も求められたものと考えられる。
打合会等に関する記録の各記述からは,被告神社において合祀基準の詮議がされたこと,従来の合祀基準外の者についての合祀の決定が被告神社によって行われること,将来靖國神社に合祀すべきか否かについて決定すべき者についての合祀が,被告神社の総代会の決定に基づいて行われていることなどが明らかである。
援護法上の戦没者の範囲が広がり,それを被告神社が合祀の基準としたとしても,それは被告神社がいわば借用した形であって,被告国(厚生省)が合祀基準を決めたことにはならない。
(4)A級戦犯合祀について
A級戦犯合祀についても,被告国(厚生省)が遺族援護の見地から遺族等の要望を被告神社に伝えたことはあったとしても,A級戦犯合祀を被告神社に強く働きかけたということはない。各種資料からもA級戦犯の合祀を決定したのは被告神社であることが明らかになっており,また,被告国(厚生省)が遺族の要望を被告神社に伝えてから合祀が決定されるまで相当の時間が経過していることも,被告国が被告神社に対して合祀を事実上強制したと見られるような影響を及ぼした事実がなかったことを端的に裏付けている。(5)情報提供が合祀に必要不可欠な前提でないこと
被告神社は,昭和24年以降,昭和31年に被告国が第3025号通達を発出して調査回答体制が組まれるまでの間にも,少ないときでも年間1万数千人,多いときには年間27万人もの戦没者を自らの調査に基づき合祀していた。
このような合祀者数の推移から見ても,被告国による情報提供は,被告神社が行う戦没者合祀に必要不可欠な前提とはなっていなかった。
なお,被告国による情報提供により,被告神社の合祀が一定程度進んだということはいえるにしても,あくまで,被告国が遺族援護の見地から一般的調査回答業務の一環としてなした行政サービスの結果にすぎない。また,被告神社においては,厚生省が氏名等を把握していない戦没者を,自ら調査して合祀している例が存在し,このことからも被告国の情報提供が必要不可欠な前提でないことは明らかである。
(6)被告国の調査回答の性質について
旧陸海軍の人事関係資料を引き継いだ厚生省及び都道府県は,これら資料及びその後の復員業務において補備,追加した人事関係資料に基づき,未復員者の留守家族及び復員者からの様々な相談に応じ,人事関係資料に基づき必要な調査回答を行ってきた。昭和20年代にはそのような復員相談に対する調査回答が主だったと考えられるが,終戦後の混乱等が解消されてきた昭和30年代からは,復員相談以外にも,団体等から名簿作成や慰霊を目的とする戦没者に関する照会も多くなり,厚生省は,これらの照会に対し,遺族援護の見地及び戦没者の処遇上その依頼に応ずることが適当と認められた場合に,一般的な調査回答業務として対応していた。その趣旨から,調査回答業務上必要な経費を厚生省が支出するのも当然であった。
被告神社に対する調査回答業務についても,このような一般的な調査回答業務の一環として,被告神社からの依頼に応じて実施していたものであり,被告神社以外の団体等からの戦没者に関する調査依頼に対しても,遺族援護の見地及び戦没者の慰霊等,その処遇上から適当と認めた場合には,調査回答に応じていた。
被告神社の場合は,調査回答すべき対象者が全国に及び膨大な数に上ることや,合祀の遅滞が国会等で取り上げられるなどしていたことから,第3025号通達を出すことなどによって行政サービスの改善を図ってきたのであるが,一般的調査回答業務の一環としての戦没者に関する情報提供という性質は何ら変わることはない。
(7)被告国の行為と合祀との一体性がないこと
最高裁昭和57年(オ)第902号昭和63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号277頁(以下最高裁昭和63年判決という。)で問題とされた地連(自衛隊山口地方連絡部)の行為は,本件で原告らが問題とする行為とは異なるものの,最高裁昭和63年判決は,関与行為と合祀との一体性の有無を如何なる基準によって判断すべきかの方向性を提示している。その判断要素として重視されているのは,①合祀の主体が神社か否か,②合祀対象者の決定も神社においてされていたか否か,③関与行為の性質と合祀との関連性,④一定の関与をもった国等の機関が神社の行う合祀に対して事実上の強制とみられる何らかの影響力を有したとすべき特段の事情があるか否か,といった諸点である。
これを本件についてみるに,①合祀の主体は被告神社であり,②被告神社が既に祭神として合祀することを決め,あるいは今後合祀するか否かを検討した上で決定するとしていた類型的な戦没者について,③被告国は,被告神社の依頼に応じて,一般的調査回答業務の一環として,情報提供行為という事実行為を行ったにすぎず,これは,最高裁昭和63年判決の事案の合祀申請と異なってそれ自体は宗教との関わりは全くない上,地連職員が県隊友会(社団法人隊友会の山口県支部連合会)にした事務的な協力に比しても合祀との関係は間接的である。そして,被告国などから得られた情報に基づいて合祀をするか否かの決定はあくまで被告神社の判断でされていたものであり,
戦没者に関する情報を被告国において調査回答したからといって,被告国が合祀対象者を決定した又はその決定に影響を及ぼしたということはできない。また,④調査回答やその過程で実施された打合せを通じて,被告国が被告神社のする合祀に対して事実上の強制とみられる何らかの影響力を有したとすべき特段の事情は存在しない。
したがって,被告国の調査回答行為は,被告神社の合祀と一体として評価されるべきものではない。
(8)行為の共同性の不存在
宗教団体として教義を広め,儀式行事を行い,信者を教化育成することを主たる目的とする被告神社と,遺族援護の見地から一般的調査回答業務の一環として戦没者の氏名等の調査回答をしたに過ぎない被告国との間に通謀又は共同の認識が存在しないことはいうまでもない。
また,被告神社の自主的な判断によってされた宗教行為である合祀と,被告国が行った調査回答行為とは,
その性質に照らし全く別個の行為であるし,
原告らが主張する損害は,調査回答行為によって生じるのではなく,専ら,被告神社が行った合祀との関係で問題とされるものであるから,被告国の調査回答行為と被告神社の合祀との間に客観的関連共同性を認めることができないことも明らかである。
したがって,被告国と被告神社との間に,共同不法行為の前提となるような行為の共同性はない。
3
争点(3)〔原告らの権利ないし法的利益と侵害〕について

〔原告らの主張〕
(1)原告らにおける保護利益
原告らは,本件戦没者と家族的人格的な紐帯を有しており,①本件戦没者をどのように追悼するかしないか,どのように祀るか祀らないかの自由,②本件戦没者の死をどのように心に刻み,追悼,慰霊するか,しないかを個人として決める自由,③法的に保護されるべき本件戦没者に対する敬愛追慕の情がある。これらを総称して,追悼の自由等といい,これは人格権として保護されるべき権利である。
すなわち,家族は,人間社会の基礎的な構成単位であり,かつ,個人の人格的生存にとって不可欠な存在として,国内法的,国際法的に特別の地位を与えられているから,社会に数多存在する人間関係の中で,家族的紐帯は個々の人間にとって格別に重い意味をもつ。
家族の中で相互作用を及ぼしながら人格を形成発展させていくことは,人格的生存の不可欠の要素であり,その人間的つながりは,個人の精神生活の支柱となるべきものであって,その相手方が亡くなった場合でも同様であるから,亡くなった近親者を追悼し,追慕するという営みは,人が尊厳をもった存在として生きるための中核的なものである。
したがって,家族的人格的紐帯を基礎とした追悼の自由等は個人の人格的生存に不可欠なものとして法的保護に値する権利である。特に,原告らの住む沖縄においては,伝統的な先祖崇拝を基礎とする家族的紐帯が強く形成されており,故人の追悼は格別に重い意味を持つ。
そして,基本的人権には,他者から一定の行為を強制されることなく単に精神的な作用を及ぼすだけのものであっても,名誉権のように権利性を認められているものが存在する。追悼の自由等も,名誉と同様その社会生活を営むにあたっての根幹となる精神作用であり,その保護される内容としては,自らが亡くなった近しい親族に対してどのような追悼をするかという精神的営みが他者による行為によって乱されないことを含むべきである。このような追悼の自由等は,遺族の故人に対する敬愛追慕の情として,裁判例上も,法的保護に値する権利ないし利益として確立されている。すなわち,最高裁平成17年(受)第2184号平成18年6月23日第二小法廷判決・判例時報1940号122頁
(以下
最高裁平成18年判決
という。

における滝井繁男裁判官の補足意見は,緊密な生活を共に過ごした人への敬慕の念から,その人の意思を尊重したり,その人の霊をどのように祀るかについて各人の抱く感情について法的権利性のあることを指摘している。また,いわゆる落日燃ゆ事件高裁判決(東京高裁昭和52年(ネ)第1829号昭和54年3月14日判決・判例時報918号21頁。以下落日燃ゆ東京高裁判決という。)や大阪地裁昭和62年(ワ)第8722号平成元年12月27日判決・判例時報1341号53頁(以下大阪地裁平成元年12月27日判決という。),東京地裁平成17年(ワ)第7168号平成18年9月26日判決・判例時報1945号61頁(以下東京地裁平成18年9月26日判決という。)も遺族の故人に対する敬愛追慕の情が不法行為法上の保護法益となることを明言している。
(2)最高裁昭和63年判決について

最高裁昭和63年判決援用の不当性
本件は,最高裁昭和63年判決と事案及び争点が全く異なっている。また,最高裁昭和63年判決の事案で請求原因とされた加害行為は,県隊友会と地連の共同行為による合祀申請であり,地連の行為の違法性のみを判断すれば足りたにもかかわらず,最高裁昭和63年判決は,唐突に県護国神社による合祀が被合祀者の妻の権利を侵害したか否かという,検討の必要のない点を論じる論点のすり替えを行なったものである。
すなわち,
被合祀者妻の宗教的人格権を論じた判示部分は,事案及び争点から外れた傍論というべきものである。
したがって,最高裁昭和63年判決の論理を本件に直接援用する被告らの主張は失当である。


最高裁昭和63年判決の誤り

(ア)事実認定変更の違法
最高裁昭和63年判決には,原審の事実認定を変更した違法がある。(イ)県護国神社と被合祀者妻の宗教的行為の自由を対等に扱った不当性国家と一定の関係を有する私人や私法人と,そうでない一個人の人権の衝突が問題となる場合,とりわけ国家性,公共性を強く主張される合祀という宗教的行為の自由と一個人の追慕,慰霊という宗教的行為の自由の衝突が問題となる場合は,人権保障の本来的な趣旨にさかのぼり,前者の宗教的行為の自由は一定程度制約されざるを得ないと解すべきである。また,私人相互間の関係であっても,そこに公権力と個人との関係に類似するような関係があるならば,すなわち,公権力が私人の私的行為にきわめて重要な程度までかかわり合いになった場合,または,私人が公権力の行使に準ずるような高度に公的な機能を行使している場合には,当該私
的行為を公権力の行使と同視して憲法の人権規定を直接適用すべきである(国家同視説)。被告神社は,その創建の趣旨や長く国家権力と一体であったこと,
戦後の合祀も国の積極的な援助協力によってなし遂げられた
ものであることなど,
国という公権力が被告神社の存立の根本にきわめて
重要な程度に関わり合ってきている。したがって,被告神社による個人の信教の自由等への侵害行為は絶対的に禁止されるべきである。
さらに,個人の尊重,尊厳は,法秩序を貫く原理であり,宗教に関しても,まず個人の問題として考えるべきである。政教分離原則もまた宗教を個人の私的事項にすることを意味するのであり,宗教に関しては個人の自由がまず認められるべきである。したがって,憲法は,まず個人の集会及び結社の自由を認め,その延長上に団体及び組織の自由を認めていると解せられるところ,信教の自由も,本来個人に認められ,その延長上に団体及び組織の信教の自由も認められるのであって,団体及び組織の信教の自由が個人のそれに優越するものと解せられるべきではない。
したがって,最高裁昭和63年判決において,被合祀者の妻と宗教法人である県護国神社とを同列にとらえて考察しているのは誤りである。(ウ)強制及び不利益を不当に狭く解釈した誤り
最高裁昭和63年判決は,県護国神社が発した命日祭を斉行するとの文書についても圧迫や干渉にあたらないとしているが,これはあまりに形式的な判断であり,文書による通知の意味,重さを正当に評価しなければならない。最高裁昭和63年判決は,圧迫や干渉を不当に狭く解釈している。近年の判決を見ても,信教の自由の制約に関しては,これを拡大する傾向にあるといえ,最高裁昭和63年判決は,現在では維持し難いものとなっている。
(エ)被合祀者の妻に寛容を求める不当性
最高裁昭和63年判決は,被合祀者の妻に対し,県護国神社の合祀に対する寛容を求める内容となっている。
しかし,そもそも人権が制約されるのは,内在的制約に服する場合,すなわち,人権同士が衝突する場合の相互調整を図る場面に限られ,両者の利益を比較考慮して判断されるものである。
しかるに,寛容という基準は,どこまでそれが求められるのか不明確である点で,一方にのみ人権侵害を甘んじさせるものであるから,人権の調整基準たり得ない。
また,宗教上の寛容は,本来国家に求められているものであり,現行憲法の規定する政教分離も,国家神道と国家との分離が念頭におかれたものである。県護国神社と国家との結びつきは完全に払拭されておらず,国家神道を踏襲する県護国神社の不寛容こそが排除されるべきものであり,被合祀者の妻に寛容を求めるのは歴史的事実から離れた全くの誤用である。(3)被告神社による侵害行為
被告神社は,本件戦没者の遺族である原告らの同意なく無断で本件戦没者を合祀し,原告らの合祀取消しの要求を拒否し続けて合祀を継続することにより,原告らの追悼の自由等を侵害している。
すなわち,原告らは,沖縄戦を直接間接に経験し,多くの家族や親族を失ってきた者である。沖縄戦の被害者である原告らの家族について,旧日本軍と密接な関係を有する加害者ともいうべき被告神社により,戦争に積極的に協力し,国のために尽くした英霊として祀られることは,そのような戦争体験をした原告らにとって耐え難く,原告らが心静かに亡き家族を思い,心に刻むことなど到底できない。
(4)被告神社の信教の自由との関係
原告らの追悼の自由等が被告神社による追悼行為等の営みと調整を要するとしても,それぞれの自由の内実を調整し,比較考慮すれば足りる。本件についてみると,原告らは,追悼等の対象となる本件戦没者との関係では,最も近しい家族関係にあった者である。また,その思いは沖縄戦に巻き込まれて死に追いやられたという凄惨な体験を基礎とするものである。これらの家族に対する追悼行為や追慕の情を尊重することは,他の追悼行為等に比べても極めて基本的で重要なものである。
これに対し,被告神社は,本件戦没者とあらゆる社会関係において全く接点のないものであり,その合祀行為は,単に死者を悼むというものでなく,特定の宗教の祭神の一柱として祀ることであるから,原告らの追悼の自由等を極めて攪乱する行為である。
これらの点を考慮すると,本件においては,原告らの追悼の自由等が許容できない程度に被告神社により侵害されていることが明らかである。(5)原告ら各自の精神的苦痛

原告Aa
原告Aaの母のAbと原告Aaの兄のAcは,軍とは無縁の生活を営んでいたものであるが,Acは,原告らの家族が入っていた壕の入り口付近に砲弾が着弾した際に死亡し,
さらにその数日後,
原告らと離れた際にAbも砲弾
によって死亡した。
当時わずか10歳の原告Aaにとって,
遺体との対面も
かなわないまま母と兄を失ったことがどれだけ衝撃的で悲しい出来事であったかは明らかである。Abについては,約2年間にわたって埋葬することさえできなかった。
原告AaがAbやAcに対して敬愛追慕の情を有している
ことは明らかである。
原告Aaにとって,被告神社は,日本の戦争を美化し,謳歌して,現在でも軍国主義の拠点としての役割を果たしたがっている団体である。沖縄戦において被害者として死亡したAbとAcが軍属又は軍人として積極的に戦争行為に参加した英霊として祀られることが,
原告Aaに耐え難い苦痛をも
たらすものであることもいうまでもない。

原告Ba
原告Baの父のBbは,原告Baが生まれた年に徴兵され,原告Baが5歳の時に戦死した。原告Baは,Bbの遺骨が帰ってきたときの体験やその後の島の人とのやりとり,
その後沖縄戦について学んだことの積み重ねから,
考えた末の結論として,Bbの死は犬死にであったと考えるようになった。
原告Baにとって,南洋で死亡した父Bbが被告神社に合祀されていることは,合祀された父Bbの血と肉を分けた原告Ba自身が行っている芸術という精神活動に真っ向から反することであり,一言では言い尽くせないほどの精神的苦痛をもたらすものである。


原告Ca
原告Caは,
昭和20年当時5歳であり,
家族とともに沖縄本島南部を転
々としながら避難をし,最後には家族らとともに米軍の捕虜となったが,その途上において,様々な悲惨な光景を目撃し,また,日本軍によって地元住民らとともに壕から追い出されたり,父が砲弾の破片で負傷するなどの経験をしたものである。
原告Caの姉のCbは,ひめゆり学徒隊として,第三外科壕内にてガス弾投下による悲惨な死を遂げたものであるが,
原告Caにとって沖縄戦は悲惨
な経験の記憶として残っているとともに,
大事な姉Cbを亡くしたものとし
て深い陰を落としており,原告Ca及びCa家にとって,Cbに対する敬愛追慕の情は強い。
原告Caは,Cbの命日には家族とともに日本キリスト教団沖縄地区の霊園を訪れ,Cbを想い礼拝をしており,毎年11月には,母教会での永眠者記念礼拝でCbを追悼している。また,数年前までは,ひめゆりの塔慰霊祭にも参列し,沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒及び教師の追悼をしていた。このように,原告Caとその家族は,戦後一貫してCbを敬愛追慕し追悼してきた。
そのような折,原告Caは,Cbが陸軍軍属として,遺族の了解なくして被告神社に合祀されていることを知り,愕然とした。原告Caは,被告神社に対し,繰り返し合祀取消しと霊璽簿からの削除を要請したが,被告神社は全く応じない姿勢であった。
原告Caら家族は,
キリスト教信徒であり,
被告神社に祀られること自体
大変不愉快で我慢できないことである。
悲惨な死に方をしたCbが,
戦争賛
美を行う被告神社によって,天皇のために死んだ臣民である祭神として祀られ,原告らの合祀取消しなどの再三の要請にも被告神社から開き直りともとれる対応を受けている事実は,原告CaのCbに対する敬愛追慕の想いと追悼を強く掻き乱し,原告Caに対して耐え難い精神的苦痛を与えている。

原告Da
原告Daは,沖縄戦当時6歳であったが,海軍に入隊したDbを除いた家族とともに沖縄県南部を転々と避難し,その途上でDcやDd,Deを含む家族を次々と失い,最後には子供4人だけとなり,飲まず食わずの状態で戦場を何日もさまよい歩いた末,米軍の捕虜となって終戦を迎えたものである。
原告Daは,甘えたい盛りの6歳で亡くした母Dcを筆頭に,幼くして死別したDb,Dd,Deに対して心からの愛情を抱き,その悲惨な死を深く胸に刻んでいる。そして,その敬愛追慕の情,追悼の営みは,戦争に巻き込まれて死に追いやられた家族を心静かに想い,墓前で親族と交わることで行われている。
原告Daは,被告神社への問い合わせにより,平成17年に,自分の家族が合祀されていることを初めて知った。被告神社に合祀取消しなどを求めたものの,被告神社はこれを拒否した。
沖縄戦を生き抜きながらも大事な家族を多く亡くしてしまった原告Daの家族に対する敬愛追慕の想いは,過酷な経験と一体のものとして強く心に刻まれている。そして,被告神社の果たしてきた重大な役割を前提に,全くの民間人でありながら無惨にも命を落としたDcとDd,わずか1,2歳で亡くなったDeまでが,
戦闘行為に積極的に協力した準軍属として,

霊として顕彰され,
戦争の道具に利用されることの決定的な不条理に対し,
原告Daは強い怒りを持っている。
悲惨な死に方をした家族が戦争賛美を行
う被告神社に祭神として祀られている事実は,
原告Daの追悼の営みを強く
掻き乱し,耐え難い精神的苦痛を与えている。

原告Ea
原告Eaは,沖縄戦当時は11,2歳であり,大阪の叔父夫婦の下に引き取られて生活をしていたが,その後,昭和22年ころに沖縄に戻ってきた後,母親であるEbの死亡について,Ebと一緒に沖縄戦を逃げまどった姉のEdから聞かされた。また,兄であるEcについても,死亡通知を受けることでその死亡を知った。
原告Eaは,Edからは,Ebが日本軍から壕を追い出され,大木を盾にして座っていたところに艦砲弾の破片が飛んできてEbに当たり,
死亡したと
聞いている。の遺骨を収集できたのも終戦から2年ほど経った後のことEb
であった。
また,Ecは,沖縄の人々が経済的に苦しい状況の中,沖縄から遠く離れたパラオに出稼ぎに行かざるを得ず,そこで召集を受け,兄弟に看取られることもなく孤独に亡くなったものである。
原告Eaとその家族は,沖縄戦で戦没したEb,Ecを想って,盆や清明祭では家や墓で,みなが集まって盛大に供養をし,また,慰霊の日には,魂魄の塔まで出向き祈りを捧げるなどして,EbやEcを敬愛追慕し,追悼してきた。
これに対し,原告Eaは,平成19年に被告神社に問い合わせ,EbとEcが被告神社に合祀されていることを明確に意識した。
原告Eaの合祀取消し
などの要請にも被告神社は木で鼻を括ったような回答をするばかりであった。
原告Eaは,
悲惨な沖縄戦の最中,
壕を追い出されて逃げまどう中で亡く
なったEbと,遠い異境の地で戦争に駆り出されて戦病死したEcは,天皇による戦争によって殺されたのだという想いを抱え生きてきたものである。
原告Eaにとって,とEcが天皇のために死んだ英霊として顕彰され,Eb
祭神として被告神社に合祀されることは,Ebらの死とEbらに対する敬愛追慕の情,追悼の営みを冒涜されることであり,被告神社の合祀行為によって,原告Eaは耐え難い精神的苦痛を被っている。
(6)小括
以上のとおりであって,被告神社は,人格権の一種である原告らの追悼の自由等を侵害し,原告らに精神的苦痛を与えているから,被告神社は,人格権に基づく妨害排除請求として,霊璽簿等から本件戦没者の氏名を抹消し,また,民法709条に基づく損害賠償請求として,原告らの精神的苦痛に対する慰謝料を支払わなければならない。
被告国も,被告神社との密接な共同行為によって原告らの追悼の自由等を侵害したものであるから,国家賠償法1条1項,4条,民法719条に基づく損害賠償請求として,被告神社と連帯して,原告らの精神的苦痛に対する慰謝料を支払わなければならない。
〔被告神社の主張〕
(1)保護利益について
原告らの主張する追悼の自由等は,最高裁昭和63年判決で法的利益性を否定された静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益を言い換えたものにすぎない。被告神社の信教の自由や宗教的行為の自由との関係において,損害賠償や霊璽簿等からの氏名の抹消を求める根拠となり得るものではない。
(2)侵害行為について
被告神社による合祀は,最高裁昭和63年判決の判示するように,信教の自由によって保障されているものとして,被告神社が自由になし得るところであり,それ自体は何人の利益をも侵害するものではない。大阪地方裁判所平成21年2月26日判決も,被告靖國神社の合祀行為そのものは,祭神を祀るという極めて抽象的観念的なものであって,信教の自由そのものと同視できるものであるから,他者との権利衝突を観念することができずと判示している。
そして,被告神社は,戦没者を合祀した際に遺族に合祀の通知を送付するのみであり,その後は遺族に対して何らの働きかけも連絡もしていない。すなわち,被告神社が原告らに対し,被告神社の行う宗教上の行為,儀式又は行事等に参加するよう強制し,あるいは原告らの信仰又はそれに基づく行為に対し,禁止又は制限,圧迫又は干渉が加えられたと評価し得る点は全くない。これは,原告の一部が,最近になるまで本件戦没者の合祀を知らなかったことからも明らかである。
戦没者の合祀に関する情報も,遺族からの照会や問い合わせに対しては回答するものの,第三者からの照会等には応じず,霊璽簿等も非公開としている。被告神社としても,これらの情報を極めて限られた目的でのみ利用しているから,個人情報の利用方法としても適切である。
〔被告国の主張〕
(1)保護利益について
最高裁昭和63年判決は,死去した者の追慕,慰霊等に関してされた他者の宗教的行為に対し不快の感情を持ちそのような行為をしないように望む感情を被侵害利益として法的救済を求めることができるか否かを判断の対象とし,これを否定したものである。
そして,原告らの主張する追悼の自由等の意味するところは,本件戦没者らの慰霊等に関してされた被告神社の合祀という宗教的行為に対して,原告らが不快に感じ,合祀を取り止めるよう望む精神的営み,すなわち感情又は心情であって,最高裁昭和63年判決が判断の対象とした感情と内容として何ら異ならない。また,追悼の自由等を仮に法的利益と認め,損害賠償を請求し,又は合祀を差し止めるなどの法的救済を求めることができるとすれば,被告神社の信教の自由を妨げる結果となることは明らかであり,効果の面でも同様である。
したがって,原告らが主張する追悼の自由等なるものは,最高裁昭和63年判決が指摘する静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益と同義であり,法的利益性が明確に否定された感情ないし心情にほかならない。これは,追悼の自由等を敬愛追慕の情と言い換えても同様である。
なお,原告らは,遺族の故人に対する敬愛追慕の情が裁判例上も法的保護に値する権利ないし利益として確立されていると主張する。
しかし,最高裁平成18年判決における滝井裁判官の補足意見は,公権力が静謐な環境の下で特別の関係にある個人の霊を追悼することを妨げたり,その意に反して別の宗旨で故人を追悼することを何人も拒否できることを指摘しているにすぎず,本件では被告神社が自らの意思によりその宗教的行為として合祀をしているのだから,
同裁判官の指摘する場合に当たらない。
また,原告らの指摘するその余の各裁判例(落日燃ゆ東京高裁判決,大阪地裁平成元年12月27日判決及び東京地裁平成18年9月26日判決)は,
遺族の死者に対する敬愛追慕の情を侵害した不法行為を検討する前提として,
当該死者に対する直接的な名誉毀損やプライバシーの侵害事実を認定し,あるいは,遺族が遺骨に対して有する権利,遺骨の引渡しを求める権利に対する侵害事実を認定しているところ,本件において,合祀自体により本件戦没者及びその遺族である原告らの人格的評価について,客観的な社会的評価を低下させることはなく,原告らの遺骨に対する権利を妨害しているわけでもない。そうすると,本件に関しては,原告らの死者に対する敬愛追慕の情が侵害されたと判断される前提を欠いている。
(2)侵害行為について
原告らの主張する追悼の自由等は,原告らが個人としての追悼のあり方を決める自由をその本質とすると解されるところ,このような自由は,他者が原告らに向けた何らかの行為をしないことには侵害されたと評価できない。
しかし,本件では,被告神社や被告国の職員は,原告らに向けた何らの行為も行っておらず,被告神社は原告らと関係のないところで合祀という宗教的行為を行っているのみである。
したがって,被告らは原告らの人格等に何らの侵害ももたらしていない。4
争点(4)〔政教分離原則と賠償責任〕について

〔原告らの主張〕
被告国の前記2〔原告らの主張〕における情報提供行為及びそれに要する費用負担は,憲法20条3項,89条に違反し,違法である。
〔被告国の主張〕
憲法20条3項等の政教分離規定は,最高裁昭和63年判決の判示するとおり,いわゆる制度的保障の規定であり,信教の自由を直接侵害するに至らない限り,私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない。本件では,被告国の公務員の行為は,原告らの信仰に対して何ら干渉するものではなく,その信教の自由を直接侵害するに至っていないから,被告国の公務員の行為が国家賠償法上の違法とならないことは明らかである。5
争点(5)〔除斥期間〕について

〔被告国の主張〕
本件戦没者のうち合祀の日が最も遅いものでも,その合祀日は,昭和42年10月17日であるから,被告国が被告神社に対して本件戦没者らの氏名等を回答した日はそれより以前である。
したがって,仮に,原告らの主張するとおり,原告らが被告国に対し損害賠償請求権を有するとしても,いずれの原告についても,不法行為時から提訴まで除斥期間である20年以上が経過しているから,損害賠償請求権は消滅している。
〔原告らの主張〕
被告国の主張を争う。
第4
1
当裁判所の判断
争点(1)〔法律上の争訟性〕について
裁判所が固有の権限に基づいて審理をすることのできる対象は,裁判所法3条1項にいう法律上の争訟,すなわち,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られると解される
(最高裁昭和51年
(オ)
第749号昭和56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁参照)。
これを本件訴訟についてみると,原告らは,被告神社に対し,不法行為に基づく損害賠償請求としての慰謝料の支払のほか,人格権に基づく妨害排除請求として,被告神社の所有,管理する霊璽簿等からの本件戦没者の氏名抹消を求めているのであって,本件訴訟に係る紛争は,原告らと被告神社との間の具体的な権利義務に関するものであるということができる。
そして,本件訴訟においては,被告らの行為が原告らの権利又は法律上保護される利益を侵害しているか否かが判断の対象であって,この判断のために,合祀基準の設定内容の適否や遺族の承諾を得ない合祀の宗教的価値のような被告神社の宗教上の教義の解釈又は当否に関わる判断に立ち入る必要性は認められないから,本件訴訟に係る紛争は,法令の適用により終局的な解決が可能なものということができる。
なお,被告神社は,被告神社の教義そのものに対する司法判断を引き出そうとする原告らの意図が明白であるとも主張するが,本件訴訟においては,原告らの請求を基礎づける請求原因事実の存否が専ら判断されるものであるから,原告らの意図は,法律上の争訟性に関し,何ら影響を及ぼすことはない。また,霊璽簿等に記載された祭神の氏名抹消が神聖な祭神に対する非礼であって,信教の自由等を保障するために,被告神社に対する請求を却下する必要があるとも主張するが,上記のとおり,法律上の争訟性が認められる以上,原告らの権利ないし法的利益を侵害する行為が存在するか否かについては,本案において判断されるべき事項である。
したがって,被告神社の主張は失当であり,本件訴訟における原告らの被告神社に対する請求については,法律上の争訟性が認められるから,これを却下することはできない。
2
争点(2)〔被告国の共同行為性〕について

(1)証拠(甲1,2,乙7∼15)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。

被告神社における合祀と被告国との関係

(ア)終戦前の合祀
終戦前,被告国において被告神社関連の事務を所管していたのは陸軍省と海軍省であった。陸軍省及び海軍省は,軍人軍属の人事関係資料を管理し,被告神社における合祀について体系的な基準と詳細な手続による個別審査を行っていた。(甲1【解題】,弁論の全趣旨)
(イ)終戦後の調査担当部署の変遷(争いのない事実,弁論の全趣旨)陸軍省及び海軍省は,昭和20年11月30日,解散となり,陸軍省は第一復員省,海軍省は第二復員省にそれぞれ改組された。旧海軍関係の人事関係資料は第二復員省が引き継ぎ,旧陸軍関係の人事関係資料は主として各都道府県が引き継ぎ,一部を第一復員省が引き継いだ。昭和21年6月,復員庁が設置され,その下に第一復員局及び第二復員局が置かれることとなり,昭和22年10月15日,第一復員局は旧厚生省の所属となり,第二復員局は総理庁直属となった。
その後,昭和23年1月1日,第一復員局と第二復員局は併せて復員局となり,厚生省の外局とされた。さらに,昭和23年5月31日,復員局と引揚救護院とが統合され,厚生省の外局として,引揚援護庁となった。
引揚援護庁は,昭和29年4月1日,引揚援護局として厚生省内局に設置されることとなり,さらに,昭和36年6月1日,援護局と改称された。そして,その後,平成4年7月1日,社会・援護局となるまで援護局として存続した。
(ウ)終戦後から占領終結前における合祀の経緯

陸軍省及び海軍省は,昭和20年9月下旬ころ,陸海軍の解散も遠からざるものと考え,軍の解散前に内閣主催で大合同慰霊祭の実施を関係方面に打診したが,柱数や氏名の不詳な者の合祀は不可能であるとして,被告神社,神祗院及び宮内省から反対され,実現しなかった。(甲1【105】,【106】)

被告神社は,
昭和20年11月19日から3日間,
臨時大招魂祭
を開催し,降伏文章調印の日である同年9月2日以前のすべての未合祀戦没者を招魂し,招魂殿に鎮斎したとして,氏名等不詳,柱数
不詳のまま一括合祀した。
ただし,個々の祭神名等は今後慎重調査の上,例大祭に際し逐次本殿に合祀とされ,霊璽簿への記載や招魂した霊を被告神社の神体へ移す儀式である合祀祭の執行はなされなかった。(甲1【117】,【1
18】,弁論の全趣旨)


第一復員次官は,昭和20年12月13日,各地方世話部,留守業務部等に対し,大東亜戦争並びに満州,支那事変に関して同年9月2日までに死没した軍人軍属等にして被告神社に合祀未済の者について,死没者本籍世話部において調査の上,指定の申告書を本省に提出することを求める旨記載した靖國神社合祀未済の者の申告に関する件通牒を発布した。(甲1【122】∼【124】)

被告神社は,昭和21年4月30日,戦後初の春季例大祭及び合祀祭を行い,前項の通牒に基づき各地方世話部から提出された申告票のうち,被告国において従前の資格調査標準に基づき調査を終え,被告神社に通報した1万6861名が本殿に合祀された。
(甲1
【150】



GHQは,昭和21年9月ころ,被告神社に対し,今後合祀祭を行うことを禁止し,遺族への通知も許可しない旨通告した。
上記通告を受けた被告神社は,GHQとの交渉により,前記(イ)記載の臨時大招魂祭において招魂済みの昭和20年9月2日までの死没祭神について,氏名等を調査し判明した者から殉じ本殿内に祀ること(霊璽奉安祭)のみについて,GHQから許可を得た。(甲1【141】)
この結果,昭和21年秋の合祀祭は中止され,以後,占領軍が撤退した昭和28年まで,霊璽奉安祭のみが行われ,本格的な合祀祭が行われることはなかった。(弁論の全趣旨)

被告神社は,前記e記載のGHQの意向を被告国に通報し,第一復員局及び第二復員局の協議の上,被告国は,申告票の提出を止めた。(ただし,甲第1号証【150】の一括合祀者人名調査中止後の措置の項には,

新たに死没者の連名簿の形式を以って未合祀者の報告を求めこれを元に爾後の調査を続行した。

と記載されている。甲1【150】)
しかし,昭和23年,GHQによる傷痍軍人記章の交付中止命令事件などにより,被告国は,調査事務の続行不可能と判断し,昭和23年8月ころから同年11月ころまでの間,戦没者に関する調査や資料を被告神社に引き継ぐための話合い等を行い,被告国による調査事務は中止し,
被告国がそれまでに所有保管していた申告票,
連名簿,
靖國神社合祀資格審査方針綴等を被告神社へ引き渡し,戦没者の調査については,以後は,地方世話課が発令した公報を引揚援護庁がとりまとめて被告神社に回付し,被告神社がこれをもとに合祀者を選別して決定することとなった。(甲1【161】∼【164】)

(エ)占領終結後における合祀の経緯

昭和26年9月8日,サンフランシスコ講和条約及び日米安全保障条約が調印され,両条約は昭和27年4月28日に発効した。これによりGHQは解体され,連合国軍は撤退することになった。(顕著な事実)


昭和27年初頭から昭和31年までの間,国会において,被告神社の合祀について,費用等に関し政府の積極的な援助を求める国会議員の発言が相次いだ。(甲2)


厚生省は,
昭和31年2月ころから,
今後の合祀協力事務について,
地方に複数の通知を発し,
また,
被告神社と打合会を開くなどした後,
同年4月19日,引揚援護局長名で,各都道府県に対し,第3025号通達を発した。(甲1【187】∼【190】,【192】)
第3025号通達は,標記について,別冊「靖國神社合祀事務協力要綱及び昭和31年度における旧陸軍関係靖國神社合祀事務に協力するための都道府県事務要領により処理せられたく」としており,別冊靖國神社合祀事務協力要綱には,次のとおりの記載が存
在する。(甲1【192】,【193】)
(事務協力についての基本理念)一復員業務関係諸機関は、法令に基づくその本然の事務の限界において、かつ、なし得る限り好意的な配慮をもって、靖國神社(以下神社という。)合祀事務の推進に協力する。(事務処理の時期的基準)二協力事務の処理にあたつては,今次戦争戦没者の大部の合祀が、昭和三十一年度以降、概ね、三年間に了るべきことを基準とする。(協力事務の内容)三協力事務の主体は、戦没者の身上事項の調査に関する事務とする。その外、合祀通知状の遺族への交付についても、事情の許す限り神社に協力するものとする。(事務要領の大綱)四事務要領の大綱は次のとおりとする。1神社は、その合祀者決定のため、戦没者であって一定の合祀資格条件に該当する者及びその者の身上に関する事項を、引揚援護局に照会する。2前号照会に対し、旧陸軍関係については都道府県、旧海軍関係については引揚援護局及び地方復員部がそれぞれ担当して調査し、その結果を所定のカードに記入して、これを、引揚援護局においてとりまとめ神社に回付する。3神社は、引揚援護局より回付された戦没者のカードによって合祀者を決定し、春秋二季に、合祀の祭典を執行する。神社は、右の合祀の都度、合祀者名簿を引揚援護局及び都道府県に送付して、遺族への交付を依頼する。

(予算)六引揚援護局及び都道府県の本事務処理の経費は、国費負担とする。


また,昭和31年度における旧陸軍関係靖國神社合祀事務に協力するための都道府県事務要領には,次のとおりの記載が存在する。(甲1【194】)
(要旨)一都道府県は、所管内全戦没者の身上事項の記載された原簿を設定するものとし、その大部分の整備を、概ね年度前半(四月-九月)において了り、引続きこれが整備を行う。都道府県は、右原簿整理の了否にかかわらず、昭和三十一年秋季合祀者についての選考を行い、そのカード(以下「祭神名票という。)を調整して、六月末までに引揚援護局に送付する。」

(原簿内容についての要件)二都道府県が設定整備する原簿は、所管内在籍戦没者を網らし、かつ、これによって直ちに祭神名票の各項目(少くもその大部)の記載ができるものであることを要する。


(原簿の設定)三靖國神社(以下「神社という。)合祀事務のための原簿設定にあたっては二の
原簿内容についての要件
の充足を主眼とし、
かつ、
この際、
この原簿が戦傷病者戦没者遺族等援護法
(以下
援護法という。)恩給法等事務の原簿と総合されたものであれば、最も有利である点にも留意する。」

(合祀済の旨の登記又はその点検)五満州事変直後より、昭和三十年十月までに合祀が済んだものについては、その祭神名票を、神社又は引揚援護局から、四月以降八月までの間に逐次都道府県へ送付する。


都道府県は、右祭神名票により、合祀の済否について、原簿の記事を点検補修するものとする。


(合祀予定者の選考基準)六戦没者中一定の合祀資格条件に該当する者(以下「合祀予定者という。)として選考する場合のその条件は、昭和三十一年秋季
の合祀予定者に限り左のとおりとし、昭和三十二年春季以降、合
祀予定者については、別に定めるものとする。
1.死亡時期についての条件
昭和二十年九月三日より、同二十六年五月三十一日までの間
に、外地において死亡した者。
2.身分及び死亡事由についての条件
軍人、軍属であつて、援護法又は公務扶助料の裁定が終わつ
ている者(但し、援護法第四条第二項及び同附則第20号該当
者を除く。)」

(合祀通知状の取扱)十都道府県は、合祀通知状を遺族へ交付する事務についての靖國神社の依頼に対しては、事情許す限りこれに応じるものとする。その事務は、封書に宛名を記入すること及びこれを遺族へ送達することとし、遺族への交付については、一括市町村経由で行う等、便宜の手段を用いることにも留意するものとする。d
厚生省は,昭和39年12月22日,援護局復員課長名で,各都道府県民生主管部長に対し,復員第831号昭和40年度以降の旧陸軍関係戦没者の靖國神社合祀事務の協力要領についてと題する通知を発した。(甲1【290】)
この通知には,次のとおりの記載が存在する。
最近合祀保留となつている戦没者の遺族から靖國神社に対し、合祀保留事由等の照会が多くなつており、同社としては合祀未済戦没者の氏名等を把握していない関係上その都度厚生省に照会せねばならない状況であつて、遺族のうちには合祀の決定はあたかも厚生省が行なつているものと誤解しているものもあるので、神社側としてはこのような誤解を一掃するためと合祀未済者の合祀を促進するため、従来保留となつていた全戦没者の氏名、身分、死因等をなるべくすみやかに、おそくも昭和40年度中にその大部分を把握したい希望を有している。e
厚生省は,昭和40年6月8日,援護局調査課長名で,各都道府県民生主管課長に対し,次のとおりの記載のある調査第153号旧陸軍関係戦没者の昭和40年度以後の靖國神社合祀事務に対する協力についてと題する通知を発した。(甲1【292】)

なお、昭和40年度の靖國神社合祀事務等については、下記により実施されたい。記


2靖國神社における戦没者合祀事務の取り扱いについて(1)合祀者の審査等について厚生省援護局より回付された祭神名票は靖國神社において審査し、一定の合祀資格条件に該当するものについては、これが合祀の事務を進め、合祀資格条件に関し調査を要するものについては、厚生省援護局及び都道府県に照会するとともに神社自から関係遺族について調査するものであること。(3)合祀基準の拡大について合祀基準の拡大に関しては靖國神社崇敬者総代会及び同社の臨時合祀制度調査委員会の所管するところであって目下種々検討中であること。先般の復員第831号(昭39.1222)に対する都道府県の回答のうちにあった合祀基準の拡大に関する要望については靖國神社に通知してあるので了知されたいこと。f
また,前記e記載の通知の別冊である昭和40年度以後の旧陸軍関係戦没者の靖國神社合祀事務の協力要領には,2合祀予定者選考基準に該当しない戦没者,昭和12年7月7日以後に死没した者で次に掲げる者等現時点において合祀基準該当者以外の者の祭神名票は・・・,昭和41年7月末日までに送付することとの記載がある。(甲1【296】)
(オ)被告国と被告神社との会合

被告国と被告神社は,昭和31年1月23日から昭和45年6月25日まで,合計21回の会合を開催していた。(争いのない事実)

昭和32年10月4日,合祀基準に関する打合会(第二回)が
開かれた。被告神社の記録には,次のとおりの記載が存在する。(甲1【225】)
第一回に於ては総括的な話し合ひであつたので従来の合祀基準の範囲内にある者の合祀未済が五十万もある現段階としては先ず事務的打合せを重ねてその五十万の内容について整理すると共に昭和三十三円秋合祀の資料が提出された後に於ては、如何なるケースが残りその数はどうかを把握すべきである。右の結果得たる残数の内容について更に検討し全く従来の基準外のものの資料の整理を行ふことによつてはじめて合祀基準の詮議の段階に入ることができるのである。このような観点からして今回(第二回)より数回に亘って事務を直接担当する者の談合の会を持ち度いと云ふのが主意である。c
昭和40年12月8日,合祀事務に関する打合会が開かれた。
被告神社の記録には,
次のとおりの記載が存在する。
(甲1
【298】

1.各隊保有の資料中未合祀者のすべてを名票として全部を神社に提出する。その方法については既に昭和四十年六月八日付調査第百五三号を以て示してあるが更に本日打合せ事項を再検討した上で更に具体的な方法を示すこととする。旧海軍関係も右に倣う。神社は右資料を受けて最終決定を行う。

昭和42年6月20日の打合せについて作成された合祀に関する打合事項につき(報告)には,長崎医科大学原爆犠牲学徒合祀の件,阿波丸殉難者合祀の件等について

右六項目について検討の結果基本的には国が処遇を講じたのであるから合祀することに異議はない。

との記載がある。(甲1【307】)

(カ)戦犯合祀について

昭和33年4月9日に開催された合祀基準に関する打合会(第四回)の被告神社の記録には,次のとおりの記載がある。(甲1【232】)
第五類の丙戦犯者(A級は一復関係でない)B級以下で特別審議して差支へない程度でしかも目立たないよう合祀に入れては如何。神社側として研究してほしい。(一復側意向)答神社側としては総代会に相談して見る。その上で更に打合会を開き度い。b
昭和33年6月24日に開催された合祀基準に関する打合会(第六回)の被告神社の記録には,次のとおりの記載がある。(甲1【246】)
二、別紙第三項軍人軍属等の法務関係死亡者について、I事務官より説明あり。主として実例を挙げての説明であって、要するに殆んどが職務上の責任を問はれて処刑され或は拘禁中病死又は自決した者であって、合祀資格審査上甲乙を付することは困難な状況である。而して又全部を同時に合祀の審議を行ふことも諸種の事情で適切でないことも考慮され、又全体の合祀が為に遅れては困るので、主として先づ外地で死亡した者の合祀を行ひ次に内地関係を審議することにしては如何かと思ふ。(援護局側の意見)神社側としては総代等に計らねばならないから来る十月合祀予定としては間に合はないと思ふが尚死没の状況を大別して更に資料を分類し、その資料に基づいて如何なる順序に合祀手続を行ふか、又合祀資料としての記載要領等についても研究したいと思ふ。(神社側意見)

昭和33年9月12日に開催された
合祀に関する打合会(第七回)
において,被告国側のI事務官は,再度

先づ外地刑死者を合祀のことに目立たない範囲で了承して欲しい。

旨求めたが,被告神社は,

合祀については役員会、総代会の機関に計らねばならぬので合祀するとしても今度(十月)の合祀には間に合ひかねると思はれるからこの点了承願ひ度い。

と答えた。(甲1【248】)

昭和36年8月16日に開催された昭和三十六年度における第四回合祀関係研究会について被告神社が作成した記録には,

第三項A級及びBC級で調査中又は反証上不適当なものを除き全部合祀する。

との記載がある。(甲1【277】)e
昭和40年12月8日に開催された合祀事務に関する打合会に
ついて被告神社が作成した記録には,戦犯処刑者について,援護局で全部の名票を作製するものの,A級及び陸軍刑法と一般刑法を受けその身分を失っている者については保留し,その他は合祀する旨の記載がある。(甲1【298】)


被告神社は,昭和45年6月30日,総代会を開催し,総代会では,A級戦犯だけ合祀しないのは外国の手によってなされた一方的な極東軍事裁判に屈することになり,神社としての責任は大きいとの意見が大勢を占め,祀ることで一致した。ただし,合祀時期は国民
感情を考慮して決めることが了解され,宮司預りとなった。(弁論の全趣旨)


昭和53年10月6日,当時の被告神社の宮司が被告神社崇敬者総代会にA級戦犯合祀を諮って了承を取り付け,同月17日,A級戦犯が合祀された。(弁論の全趣旨)

(キ)被告神社から被告国への働きかけ

被告神社は,昭和26年ころ,福井県敦賀市の者から学徒動員による死没者の永代神楽の申し出を受け,死没者名簿を調査したが見当たらず,世話課に問い合わせたところ一般戦災者として取り扱っているとの回答を得,引揚援護庁に対し,学徒動員による戦没者の合祀手続に関して説明の上協力を依頼した。(甲1【166】)


被告神社は,昭和28年9月ころ,従来,戦病として取り扱われていなかった脳溢血,心臓麻痺,狭心症,胃潰瘍,胃癌等による病死について,被告神社の判断で合祀として取り扱うことを決定した。(甲1【178】,弁論の全趣旨)

昭和28年9月ころ,被告神社の判断で,陸海軍軍属につき軍人の合祀詮議標準を適用することが決定された。(甲1【179】,【180】,弁論の全趣旨)

(ク)遺族の承諾等
被告国が被告神社に対して情報を提供する際,遺族に対して承諾や同意を求める取扱いはしていなかった。(争いのない事実)

被告国による他の情報提供
被告国は,被告神社以外の団体が次のとおりの名簿,書籍等を発行するに際して,戦没者等の情報を提供している。
・浴恩会名簿(昭和35年10月調。乙7)
・海軍時代の思い出(再録)(昭和39年10月発行。乙8)
・海軍兵学校選修学生卒業名簿(昭和43年2月発行。乙9)
・陸軍士官学校(昭和44年9月発行。乙10)
・日本陸海軍の制度・組織・人事(昭和46年3月発行,財団法人東京大学出版会。乙11)

・戦没船員の碑(昭和48年5月発行,財団法人戦没船員の碑建立会。乙12)
・歩兵七十一連隊史(昭和52年4月発行。乙13)
・支那駐屯歩兵第二連隊誌(昭和52年6月発行。乙14)
・明野陸軍飛行学校の歴史と飛行二〇〇戦隊戦史(昭和54年10月発行。乙15)

援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)
沖縄における援護法の適用については,次のとおりである。

(ア)援護法の制定及び改正

昭和27年3月,援護法案が国会に提出され,国会での修正の上,同年4月25日に成立した。
主たる修正点は,①援護法1条に国家補償の精神に基づきとの文言が加えられ,②当初の法案では軍人及び陸海軍文官に加え,軍属のみを対象としていたところ,国家総動員法に基づく被徴用者,総動員業務の協力者又は陸海軍の要請に基づいて戦闘に参加した者を軍属とみなすこととし(みなし軍属),対象を拡大した点である。(争いのない事実)

みなし軍属の遺族には弔慰金の支給のみが定められていたが,昭和33年の援護法改正により,みなし軍属は準軍属と改められ,支給内容も,死亡者遺族には遺族給与金が支払われるよう改められた。(弁論の全趣旨)

(イ)沖縄における適用

日本政府は,昭和27年6月,南方連絡事務局設置法に基づき総理府内に南方連絡事務局を創設し,同年8月,その現地事務所たる那覇日本政府南方連絡事務所を設置した。(弁論の全趣旨)


昭和28年3月26日援護第187号は,北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)に現住する者に対し,戦傷病者,戦没者遺族等援護法を適用するとした。(弁論の全趣旨)

琉球政府は,昭和28年4月,機関委任事務としての援護法事務を所管するため社会局内に援護課を設置し,各市町村も同事務のための援護係を設置し,これにより援護法に基づく請求事務が開始された。(弁論の全趣旨)


被告国は,昭和32年3月,厚生省引揚援護局援護課職員を沖縄に派遣して沖縄戦での戦闘状況を調査し,同年7月沖縄戦の戦闘参加者処理要綱及び戦闘参加者概況表を作成した。この戦闘参加概況表による具体的な対象者は,①義勇隊,②直接戦闘,③弾薬,食料,患者等の輸送,④陣地構築,⑤炊事,救護等雑役,⑥食料供出,⑦四散部隊への協力,⑧壕の提供,⑨職域(県庁職員,報道)関係,⑩区(村)長としての協力,⑪海上脱出者の刳舟輸送,⑫特殊技術者,⑬馬糧蒐集,⑭飛行場破壊,⑮集団自決,⑯道案内,⑰遊撃戦協力,⑱スパイ嫌疑による斬殺,⑲漁撈勤務,⑳勤労奉仕作業の20項目のいずれかに該当する者とされた。(争いのない事実)

厚生省は,昭和56年8月,6歳未満の乳幼児に対しても援護法の適用対象とすることと決定した。(争いのない事実)

(2)原告らは,被告国において,合祀基準に適った戦没者を選別し,被告神社に対してその氏名等を積極的かつ大量に提供し,さらに被告神社との会合を頻繁に開催するなどして,被告神社による合祀を援助協力し続けたのみならず,主導的に推進したものであり,被告国と被告神社との間には共同不法行為の前提となる行為の共同性があり,少なくとも,被告神社の合祀を幇助したと評価される旨を主張するので,以下,前記第2の1前提となる事実及び前記(1)の認定事実を踏まえて,検討する。

終戦前の合祀と終戦後の合祀とを対比すれば,終戦後のGHQの指令を受けた宗教法人制度の改革により,被告神社が1つの宗教法人として存立することとなって被告国から切り離された経緯から明らかなとおり,合祀の主体としては,いわば被告国の国家による合祀から被告神社の一宗教法人による合祀に変容したものであり,これまでに,被告神社において,170万柱を超えるような多数の戦没者の合祀が行われている。
被告神社における合祀にとって,対象となる戦没者の把握は不可欠の事実行為であり,その氏名等の情報提供とその顛末等に関しては,第3025号通達及びその別冊の記載を前提とすると,①被告神社が戦没者の氏名等を被告国(引揚援護局)に照会することを前提とするものの,②都道府県は直ちに祭神名票の各項目の記載ができるような所管内在籍全戦没者の原簿を設定整備し,③前記照会に対して都道府県,引揚援護局及び地方復員部が調査の上祭神名票に記入して引揚援護局において取りまとめ,被告神社に回付し,④合祀後は都道府県が祭神名票の送付を受けて合祀の採否につき上記原簿の記事を点検補修し,⑤合祀通知状を遺族へ交付する事務についても被告神社からの依頼を前提とするものの,都道府県は事情の許す限りこれに応じるものとされ,その事務内容としては遺族への送達のみでなく封書への宛名記入も含まれており,⑥これら事務の費用は国費負担とされていたことが認められること,加えて,被告国と被告神社とにおいて,昭和31年から昭和45年にかけて,頻繁に会合が開催され,事務手続の調整や状況説明のみならず,合祀基準に関する要望等の伝達などもされていたことが認められることからすれば,昭和31年以降にとられた被告国におけるこれらの事務体制に照らして,被告国が少なくとも戦没者の氏名等の情報提供などにつき一定の役割を果たしていることは否めないというべきである。
なお,本件戦没者の全員について,被告国による情報提供を前提として被告神社に合祀されたことを示す明確な証拠は存在しないものの,本件戦没者中,Ab(原告Aa),Dc,Dd(以上,原告Da)及びEb(原告Ea)につき階級・陸軍軍属(無給)とされており,被告国によって沖縄戦の戦闘参加者処理要領が作成されて援護法の申請が開始された昭和32年(前記(1)ウ(イ)d)の直後である昭和33年ないし昭和34年に合祀されていることを考慮すれば,これらの者は,被告国によって援護法の適用がされ,かつ,これを前提として被告神社に対する情報提供がされたことによって被告神社の合祀がされたものと窺われ,他の本件戦没者についても,特に昭和32年以降に合祀がされた者は,被告国の被告神社に対する情報提供がされた結果,被告神社の合祀がされた蓋然性があるというべきである。

ところで,合祀の主体が一宗教法人たる被告神社であるとしても,前記アのとおりの被告国における事務体制について,これを被告神社による合祀行為との関わりにおいてどのように捉えるかは問題である。
この点,被告国は,第3025号通達が一般的な調査回答業務の一環として行政サービスの改善を行うために発せられたものであると主張し,実際に,前記(1)イのとおり,被告国が被告神社以外の複数の団体等に戦没者情報等を提供していたことは事実であるものの,被告国において,都道府県に祭神名票に転記が容易な原簿を設定整備させ,祭神名票として利用可能なカードに記載して被告神社に情報提供し,合祀通知状の送達事務にも関与させ,事務の費用を国庫負担としたことや昭和45年まで会合が開催されたことについて,これらを行政サービスとしての一般的な調査回答業務にとどまるものといえるかは疑問の余地もある。
しかしながら,被告国の行った事務については,その役割上,合祀行為のために必要ではあるが,あくまでもその周辺的付随的な事務であり,かつ,被告神社からの依頼又は照会を契機とするものである。
そして,前記第2の1前提となる事実及び前記(1)アの認定事実に表れたとおり,終戦後において,①被告国は祭祀の運営及び被告神社の管理に関与していないこと,
②合祀の最終決定は被告神社が行うものであって,被告国もその立場を堅持していること,③合祀基準の拡大に関する権限は被告神社の総代会にあったこと,④被告神社は,遺族等につき独自の調査も行なっていたこと,⑤被告国からの情報提供が中断された時期においても年数万人単位で被告神社による合祀が行われていたこと,⑥被告神社による合祀に対して被告国が事実上の強制とみられるような何らかの影響を及ぼしたものともいい難いこと,⑦原告らによる合祀取消申請に対する被告神社の合祀継続の対応につき被告国が何ら関わっていないことなどをそれぞれ指摘することができる。
また,このような被告国による情報提供等の行為の背景には,昭和20年代当初からの復員相談に対する調査回答から徐々に昭和30年代以降にかけて戦没者についての照会回答に変遷した経緯も窺われ,
被告国として,
大方の国民の意向を反映した時代の要請や時勢に応じて採られた行政上の措置といえる一方,被告国による情報提供自体は,その相手方が宗教法人たる被告神社であったとしても,被告国にとっては,宗教的な色彩のない事実行為にすぎない。
そうしてみると,被告国の敷いた情報提供を中心とする前記アのとおりの事務体制は,被告神社が170万柱を超える多数の戦没者の合祀を行う上で,
その現象として,
一定の役割を果たしたことは否定できないものの,
これをもって,被告神社を主体とする合祀について,その性質として,被告国が被告神社の合祀行為を主導的に推進した又は被告国の行為が被告神社の合祀行為及び合祀継続行為の一部を構成しているとまでいうことはできないというべきである。

したがって,被告国において,被告神社との間で国家賠償法4条,民法719条1項の共同不法行為が成立する前提となる行為の共同性があると認めることはできない。

(3)以上のとおりであるから,被告国における被告神社の合祀行為との関わりについて,国家賠償法4条,民法719条1項の共同不法行為が成立する前提となる行為の共同性を肯定することはできない。
なお,原告らは,被告国の上記の関わりによって,被告神社の合祀行為を幇助した(国家賠償法4条,民法719条2項)とも主張するのであるが,幇助的な態様による関与の有無については,幇助の対象となる被告神社の行為が原告らの権利ないし法的利益を侵害するものと認められた後に論ずべき事柄であるから,先に前記第2の2争点(3)を検討する。
3
争点(3)〔原告らの権利ないし法的利益と侵害〕について
(1)沖縄戦当時の原告らと本件戦没者の状況
証拠(甲A1,甲B1,甲C1,18,甲D1,甲E1,原告ら当事者尋問)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。

原告Aaについて(甲A1,原告Aa)
原告Aaの母Abと原告Aaの兄Acは,
軍とは無縁の生活を過ごしていた。
原告AaとAb,Acを含む家族は,最初の艦砲射撃が始まる数日前に,住んでいた家と村を離れ,壕に避難した。
原告Aaらの村は,
艦砲射撃が始まって1週間ほどしたころに,
米軍戦闘
機の空爆を受け,焼き尽くされた。戦況は悪化し,原告Aaらの壕がある地域も攻撃を受けるようになった。
その折,Acは,原告Aaらが入っていた壕の入り口付近に砲弾が着弾した際に,
原告Aaのいとことともに,
崩れ落ちた岩土の下敷きになって死亡
した。Acといとこの遺体は,壕の裏にあった畑に埋められた。
その数日後,原告Aaらは壕から移動したが,原告Aaの父親とおば,Abが衣類をとりに壕に戻った際,壕の外側に砲弾が落ち,Abとおばが死亡した。Abとおばの遺体は,戦後1年以上にわたり同所で野ざらしのままになり,また,1人残った原告Aaの祖母も,壕の中で餓死した。いずれも,戦後原告Aaらが捕虜生活を終えた後に,やっと埋葬された。
Abが亡くなってから数日後,原告Aaらが身を潜めていた溝に米兵が現われ,原告Aaらは捕虜となり,収容所に送られることになった。戦後1年余りは捕虜収容所の中で生活し,また,その後も1年ほどテントの仮小屋で生活し,終戦後2年ほどでやっと実家に戻ることができたが,家屋は瓦礫の山となっており,自給自足の生活であった。


原告Baについて(甲B1,原告Ba)
原告Baの父Bbは,原告Baが生まれた年に19歳で出征し,原告Baが5歳ころ戦死した。
原告Baは,母親や祖父から,Bbがいかに立派な人であり,島の軍人の見本であったかを聞かされ続けていた。しかし,Bbの死後,原告Baの母親が,村の酔漢に,遺族年金を受け取っていることについて志願兵なのになぜ恩給をもらっているのか,に騙されたせいで家族が戦場に行って死Bb
んだなどと詰られるなどのことがあった。
原告Baは,沖縄戦当時,浜比嘉島に住んでおり,5歳前後であった。米軍の飛行機により,機関銃の射撃と爆弾投下が行なわれたことがあった。
村はパニックに陥り,
大人も子供も防空壕に逃げるのが精一杯だった。
また,
米兵が島に上陸してきたこともあり原告Baの家まで来たとき,
チュ
ーインガムとチョコレートを置いてすぐに出て行った。
日本軍が既にいなくなっていたため,島では1人も戦争で死ぬことはなかった。

原告Caについて(甲C1,18,原告Ca)

(ア)原告の姉Cbは,ひめゆり学徒隊と行動をともにし,所属は陸軍第三外科であった。原告Caとその家族は,避難中,陸軍第三外科壕を訪ね,原告Caの父親が一緒に避難するかを尋ねたが,
学友とともにいたいという
ことで別れた。
Cbは,
その後,
米軍のガス弾投下により,
第三外科壕内にて死亡した。
(イ)原告Caは,沖縄戦当時5歳ころであった。原告Caは首里に住んでいたが,家族とともに沖縄本島南部を転々としながら避難をし,最終的には喜屋武で,家族らとともに米軍の捕虜となった。
原告Caとその家族は,
見つかりやすい昼を避けて夜,
道の端を隠れる
ように移動していた。原告Caは,その途上において,壕にいる際に日本軍が使用するとして地元住民ともども追い出され,空き家で仮眠をとっていた際に砲弾の破片が屋根を突き抜けて落ちてきて父親が後頭部を負傷するなどの出来事を体験した。また,サトウキビをかじりながら道ばたで亡くなっている男性,抱き合ったまま丸焦げになって死んでいる小さな子供たち,座り込んでいる老婆の肩の傷に湧いている蛆などの悲惨な光景を目撃した。
捕虜になった後,
原告Caの祖母は護送中に死亡し,
埋葬された場所も
わからず,遺骨も原告Caやその家族の元に帰ってきていない。原告Caらは,宜野座の難民収容所において,2年ほど過ごすことになった。(ウ)原告Caとその家族はキリスト教の信徒であり,Cbの命日には家族とともにCbの墓のある日本キリスト教団沖縄地区の霊園を訪れ,Cbを想い礼拝し,聖書を読み,賛美歌を歌うなどして追悼している。
毎年11月には,
母教会での永眠者記念礼拝でCbを追悼している。

た,数年前までは,慰霊の日である6月23日に行なわれるひめゆりの塔慰霊祭にも参列し,沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒及び教師の追悼をしていた。

原告Daについて(甲D1,原告Da)
原告Daは,沖縄戦当時6歳ころであった。原告Daとその家族は沖縄本島南部の大里村字与那原に居住していたが,Dbが海軍に入隊し,また,村は疎開などで人が段々といなくなった。
原告Daとその家族も,
沖縄戦が始
まる前には,母親の実家に避難することになったが,母親の実家には日本軍が駐留するようになり,家の中で軍隊と一緒に生活するような状況であった。
沖縄戦が始まり空襲が激しくなると,
原告Daらは防空壕に避難するよう
になった。
しかし,
原告Daの伯父の妻が防空壕の近くで銃撃を受けて亡く
なり,
防空壕の入り口近くに爆弾が落ちるなどの事件があった。
そのうち,
米軍が迫っているということで,母親の実家近くの防空壕からも移動することになった。
原告Daとその家族は,
1か所にとどまることができなくなり,
様々な場
所を転々と移動していた。ある時には隠れる場所が見つからず,墓をこじ開けて何日か過ごすこともあった。
原告Daとその家族が真境名の村はずれにある崖の窪みに隠れていたころ,Dcは,祖母と一緒に,Deも連れて,人がいなくなった民家に寝泊まりをし,
早朝に食事を作って原告Daらに届けてくれる生活をしていた。
しか
し,そこに爆撃を受け,3人が一度に命を落とした。
原告Daとその家族は,
その後も場所を移動しながら避難生活を続けてい
たが,周辺にある大豆をとって食べるなどの生活をしているうちに,子供達はおなかを壊してしまった。おばの長男であるいとこが,米軍機が頭上を飛び交っている危険な状況であるにもかかわらず,我慢できずに便所として利用していた場所へ行こうとし,おばがそれを引きとめようとしていた際,爆弾が落ち,いとこは吹っ飛ばされて行方不明になり,おばも爆弾の破片で手足をばらばらに切り落とされ,その後亡くなった。原告Daも,左足の甲とすねを破片がかすめ,やけどを負った。
その後,
原告Daらは東風平の小学校にたどり着いた。
校舎が残っており,
その中で一時すごそうということで座っていた際,2番目の姉が,Ddがこめかみから血を流してぐったりしているのに気づいた。
原告Daらは,
虫の
息のDdを埋葬し,その場所を後にした。
その後は,伯父につれられて方々をさまよったが,糸満の大度海岸を歩いていた夜,原告Daらの近くに爆弾が落ちた。原告Daとその兄弟は危うく助かったが,伯父とその2人の子供が行方不明になった。
13歳の姉を筆頭に子供4人だけとなった原告Daらは,
その後も戦場の
中を逃げまどった。その途上では,日本兵について行こうとしたところ刀で追い散らされたり,米軍機の機銃掃射を浴びて両脇を銃弾が通り過ぎながら生き延びたり,顎を吹き飛ばされた兵士と出会ったり,負傷兵が自殺したりなどの出来事を体験した。
原告Daらは,
ほとんど飲まず食わずの状
態で何日もさまよい歩いた後,米軍の捕虜となった。

原告Eaについて(甲E1,原告Ea)

(ア)原告Eaは,沖縄戦当時は11,2歳であり,大阪の叔父夫婦の下に引き取られて生活をしていたが,その後,昭和22年ころに沖縄に戻ってきた後,母Ebの死亡について,Ebと一緒に沖縄戦を逃げまどった姉のEdから聞かされた。また,兄Ecについても,死亡通知を受けることでその死亡を知った。
原告Eaは,Edからは,Ebが日本軍から壕を追い出され,大木を盾にして座っていたところに艦砲弾の破片が飛んできてEbに当たり,死亡し
たと聞いている。Ebの遺骨を収集できたのは,終戦から2年ほど経った後のことであった。
Ecは,家計を手助けするため,先に出稼ぎに行っていた長兄から呼ばれパラオへ出稼ぎに行っていたところ,現地召集となって軍に入隊し,その後戦病死したものである。
(イ)原告Eaとその家族は,沖縄戦で戦没したEb,Ecを想って,盆や清明祭では家や墓で,みなが集まって供養をし,また,慰霊の日である6月23日には,魂魄の塔まで出向き祈りを捧げるなどして,EbやEcを追悼してきた。
(2)原告らの主張する権利ないし法的利益の要保護性
原告らは,本件戦没者との家族的人格的な紐帯を基礎として,遺族が近親者を追悼し,追慕するなどの追悼の自由等は,個人の人格的生存に不可欠なものとして法的保護に値し,その精神的営みが他者の行為によって乱されることのないよう保護されるべきであると主張するので,
以下,
検討する。

人が自らの心情や信条に基づいて何人かを追慕し,その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は,誰にでも保障されていると解するのが相当である。遺族においても,いかにして自らが近親者を敬愛追慕するか,近親者の死をいかにして悼み,その信ずるところと流儀に従って慰霊行為をするのか又はしないのかを決定する自由や利益については,その遺族における思想良心の自由ないし信教の自由として,この保障の範囲とされるべきものである。
しかしながら,他者の宗教的行為との関係で,人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし,そのことに不快な感情をもち,そのようなことがないよう望むことのあるのは,その心情として当然であるとしても,かかる宗教上の感情を被侵害利益として,直ちに損害賠償を請求し,又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば,
かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至る。
信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである(最高裁昭和63年判決)。憲法は,互いに相容れない教義,信条等を有し得る多数の信仰が存在することを前提に,何人に対しても信教の自由を等しく保障しているのであって,相容れない信仰に対する不快感や嫌悪感などそれ自体を法的利益の侵害として救済を求めることができるとすれば,信教の自由を保障した趣旨は全く没却されてしまうからである。
したがって,このような宗教的感情を直ちに法的利益として認めることはできず,他者の宗教的行為との関係において,それが強制や不利益の付与を伴うものであるとき,例えば,遺族の宗教的な外部行為に対する事実上の圧迫又は干渉となり,あるいは信仰の対象がその価値を貶められるなど,自己の信教の自由の妨害を生じるような具体的行為が存在するに至ったとき,初めて,その宗教的感情は,信教の自由に対する妨害を伴うものとして,法的保護に値すると解するのが相当である。

この点,原告らは,家族的人格的紐帯を基礎とした追悼の自由等が人の人格的生存に不可欠な社会生活を営むにあたっての根幹となる精神作用であること,名誉権のように単に精神的な作用を及ぼすだけのものであっても権利性を認められているものが存在することを理由にして,追悼の自由等の保護内容としては,近親者に対してどのような追悼をするかなどの精神的営みが他者による行為によって乱されないことを含むべきであると主張する。
前記(1)の認定事実に表れた原告らにおける沖縄戦の体験や本件戦没者の死亡の経緯,さらには,原告らの認識する被告神社における歴史的背景や位置づけなどからすれば,原告らにとって,被告神社による本件戦没者の合祀をその内心的領域において受け入れ難いものとしていること自体については,十分にその立場を理解することも可能であり,このような原告らの内心的領域が他者による行為によって乱されないことを望む感情や心情等については,社会生活上,他者からも配慮されるべきものということはできる。
しかしながら,名誉権については,人の社会的評価をその保護対象とするものであって,個人の精神的作用そのものを直接的に保護対象とするものとは解されない。そして,前記アのとおり,信仰の対象を選択する自由は,信教の自由の根幹ともいうべきものであるところ,家族とその内部における人格的つながりの価値を法的秩序の中においていかに高く評価するとしても,他者の信教の自由に基づく宗教的行為との関わりにおいて,その近親者に対する評価が貶められるなどの行為があれば格別,家族が当該近親者の追悼を独占し,又は,他者がその信ずるところに従って当該近親者を慰霊することそれ自体により心の静謐が乱されたとして法的救済を求めることまではできないと解すべきである。
原告らは,また,追悼の自由等が遺族の故人に対する敬愛追慕の情として,裁判例上も法的保護に値する権利ないし利益として確立されていると主張する。
しかしながら,
最高裁平成18年判決における滝井裁判官の補足意見は,

他人が特定の神社に参拝することによって,自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし,不快の念を抱いたとしても,これを被侵害利益として,直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。

と判示した多数意見に対する補足意見であって,多数意見を支持する立場を前提とするものであり,また,その意に反して別の宗旨で故人を追悼することを拒否することができると述べる部分については,公権力が別の宗旨で行う追悼を論じたものである。そして,原告らにおいて,遺族の死者に対する敬愛追慕の情が不法行為法上の保護法益となることを認めた裁判例として指摘するものは,①当該死者に対する直接的な名誉棄損行為又はプライバシー侵害行為を前提とする事案(落日燃ゆ東京高裁判決,大阪地裁平成元年12月27日判決)ないし②遺体を隠匿することにより遺族が遺骨を祀る機会を奪われた事案
(東京地裁平成18年9月26日判決)
であり,これらはまさに遺族の追慕の対象である当該死者を貶め,あるいはその化体である遺体及びこれを対象とする慰霊行為を侵害する行為が存在する事案であって,このような侵害行為の有無と関わりなく,直接,遺族らの心情を保護したものとは解されない。

原告らは,最高裁昭和63年判決の判断に関連して,被告神社の信教の自由について,①国家と一定の関係を有する私人や私法人とそうでない一個人との間で人権の衝突が問題となる場合,とりわけ国家性,公共性を強く主張される合祀という宗教的行為の自由と一個人の宗教的行為の自由との衝突が問題となる場合,人権保障の本来的な趣旨から,前者の宗教的行為の自由は一定程度制約されざるを得ない,②被告神社による個人の信教の自由への侵害については,国という公権力が被告神社の存立の根本にきわめて重要な程度に関わり合っており,公権力の行使と同視して絶対に禁じられるべきである,③信教の自由は本来個人に認められ,その延長上に団体及び組織の信教の自由も認められるのであって,団体及び組織の信教の自由が個人のそれに優越すると解すべきではないなどと主張する。しかしながら,憲法20条1項前段は

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。

としており,個人と団体とを区別しておらず,宗教団体は,その宗教団体に帰属する個人の集合体であって,個人の信教の自由は,その帰属する宗教団体を通じて発揮されることも多い。
したがって,宗教団体外の個人の信教の自由が宗教団体の信教の自由に当然に優越するということはできず,また,後者が前者に当然に優越するということも妥当でない。もちろん,一方の宗教的行為が他方の信教の自由に対する事実上の圧迫や干渉にならないかという点は,十分慎重に検討される必要があるものの,それは個別の行為によって当該個人の信教の自由が妨害されているか否かという観点から検討すれば足りるのであり,一般的に,当該団体の宗教的行為の自由が制約されると解する理由はない。まして,社会的力関係は,その態様,程度,規模等において様々であり,どのような場合にこれを国又は公共団体の権力行使と同視すべきかの判定が困難である上,公権力の行使は権力の法的独占の上に立って行われるものであり,社会的事実としての力の優劣関係とは明確な性質上の区別が存在するのであるから,被告神社の行為を当然に公権力の行使と同視することはできない(最高裁昭和43年(オ)第932号昭和48年12月12日大法廷判決・民集27巻11号1536頁参照)。

以上の検討によれば,原告らの主張する追悼の自由等について,これを人格権的な権能を有するものとして,独自の法的な救済を求め得る権利ないし法的利益と捉えることはできず,また,被告神社について,国家ないし公権力の行使の主体と同視することもできないというべきである。もっとも,前記アのとおり,対象となる被告神社の行為に関し,その態様や具体的な内容によっては,原告らにおいて,なお,法的保護に値する場合があり得るところである。
(ア)被告神社の客観的行為
被告神社における戦没者合祀は,前記第2の1前提となる事実(3)アのとおり,戦没者の氏名等を調査し,合祀基準に合うかを決定するとともに氏名等を記載した祭神名票を作成し,祭神名票の記載を祭神簿に書き写し,さらに祭神簿をもとに霊璽簿を作成し,合祀の祭典を行うという手順で行われる。そして,同(3)ウのとおり,戦没者合祀の際には遺族に合祀の通知を送付するものの,被告神社は,それ以外には遺族に対して何らの働きかけや連絡も行わない。さらに,同(3)イ及びエのとおり,霊璽簿等については,合祀の祭典後,霊璽簿は霊璽簿奉安殿,祭神簿及び祭神名票は参集殿奉安庫でそれぞれ保管されるが,いずれも非公開とされており,また,戦没者の合祀に関する情報については,当該戦没者の遺族からの照会や問い合わせに対しては回答するものの,第三者からの照会等には応じていない。
(イ)原告らに対する侵害の有無
原告らの主張する追悼の自由等に必然的に伴う宗教的な感情や心情については,前記アのとおり,他者の宗教的行為との関係において,それが強制や不利益の付与を伴うものであるとき,例えば,遺族の宗教的な外部行為に対する事実上の圧迫又は干渉となり,あるいは信仰の対象がその価値を貶められるなど,自己の信教の自由の妨害を生じるような具体的行為が存在するときでない限り,これに対する法的救済を認めることはできない。
この点,被告神社における合祀すなわち霊璽簿等の記載及び合祀の祭典については,単に被告神社が合祀者の数を増やす目的などから本件戦没者の合祀を行ったなどとは窺えず,その一般的客観的な行為の性質としては,本件戦没者に対する被告神社としての慰霊,追悼のためにされたものであって,総じて,これによって本件戦没者を貶めるものともいい難い。霊璽簿等の記載については,これが非公開とされており,戦没者の合祀に関する情報も,第三者からの照会等に応じていないのであって,遺族以外の第三者は,合祀の事実の存否自体を知ることができない状態にあり,これらの行為によって本件戦没者の社会的評価が低下するなどの事態も想定し得ない。
また,合祀に際しては,遺族に対する合祀通知がされるものの,それ以外に遺族に対する働きかけや連絡は行われず,前記第2の1前提となる事実(2)のとおり,原告Aa,原告Ca及び原告Daにおいては,被告神社に対する照会等の結果,本件戦没者の合祀の事実を知るに至ったものであり,また,前記(1)ウ(ウ)及びオ(イ)のように,原告ら各自において,その信ずるところと流儀に従って本件戦没者を追悼してきたものと窺えるから,被告神社の合祀行為及び合祀通知が原告らに対して事実上の圧迫又は干渉となったとも認めることができない。
(ウ)小括
したがって,被告神社による合祀について,原告らの主張する追悼の自由等に必然的に伴う宗教的な感情や心情に関して,事実上の圧迫又は干渉となり,あるいは信仰の対象がその価値を貶められるなど,原告らの信教の自由の妨害を生じるような具体的行為があったものと認めることはできず,このほか,強制や不利益の付与を伴うものということもできないから,原告らに対する侵害を肯定することはできない。

このようにして,結局のところ,本件は,本件戦没者を祭神として祀るという抽象化された合祀行為とその継続行為について,それ自体の違法性を含めた法的な評価が問題となる事案ということができる。
原告らが戦争の被害者であると認識する本件戦没者について,民間人であった者も沖縄における援護法の適用によって陸軍軍属などと認定された上で,被告神社の英霊として祀られていることに対しては,前記(1)の認定のとおり,幼少期に悲惨な戦争を体験し,本件戦没者を含めた家族や肉親の死を直接的,間接的に経験した原告らの立場において,その抱くに至った強い違和感,不快感あるいは嫌悪感などの感情や心情についても,決して理解ができない訳ではない。
しかしながら,何人においても,何をもってその信仰の対象とするかの選択は,絶対的に保護されるべき価値であって,そのような感情や心情自体を根拠として法的救済を認めることができない理由は,前記アで述べたとおりである。
そうして,戦後,沖縄における援護法の適用によって軍属扱いされたにすぎない純粋な民間人を祭神化することの宗教的な意味は,被告神社の信教の自由に関わる問題であり,仮に,被告神社における合祀行為の教義的背景に立ち入るのであれば,裁判所に与えられた固有の権限を超えるものであることにほかならない。
(3)以上のとおりであるから,被告神社による本件戦没者の合祀行為及び合祀継続行為によって,法的救済を求めることができるような原告らの権利ないし法的利益が侵害されたと認めることはできず,原告らの被告神社に対する損害賠償請求及び霊璽簿等からの氏名抹消請求は理由がない。
そして,原告らの被告国に対する損害賠償請求については,前記2のとおり,被告神社の合祀行為及び合祀継続行為との関係において,行為の共同性が認められず,また,被告神社の原告らに対する不法行為が成立しないから,前記2(3)で留保した被告国における被告神社の合祀行為の幇助的な態様による関与の有無にかかわらず,被告神社との共同不法行為に基づく請求として,理由がないことになる。
4
争点(4)〔政教分離原則と賠償責任〕について
原告らは,被告国の被告神社に対する戦没者の氏名等の情報提供行為等とこれに要する費用負担が憲法20条3項,89条に違反すると指摘するので,なお,被告国の単独による国家賠償法上の賠償責任の成否につき検討する。もとより,憲法20条3項,89条の政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であって,私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく,国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接的に信教の自由を確保しようとするものである。したがって,この規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も,それが憲法20条1項に違反して私人の信教の自由を制限し,あるいは同条2項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど,憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り,私人との関係で当然には違法と評価されるものではない(憲法20条3項について,最高裁昭和63年判決参照)。
これを本件についてみると,被告国の被告神社に対する戦没者の氏名等の情報提供行為等は,前記2のとおりであり,また,原告らにおいて生じた状況は,前記3のとおりであって,本件全証拠によっても,これらの行為によって宗教上の行為等への参加が強制されるなど原告らの信教の自由等の権利が直接侵害されたと認めることはできないから,憲法20条3項,89条違反を前提とする国家賠償法上の違法行為は認められず,被告国において,これによる賠償責任は生じない。

第5

結論
以上のとおりであり,原告らの被告らに対する請求は,その余を検討するまでもなく,いずれも理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
那覇地方裁判所民事第2部

裁判長裁判官

平田直
裁判官

早山眞
裁判官

髙橋明人一郎宏
(別紙)
戦没者一覧表

原告名

戦没者名

続柄

生年月日

合祀日

A’b


明治33年6月10日

昭和34年4月6日

昭和2年10月15日

Aa
Ac


※改正原戸籍謄本上

昭和33年10月17日

の生年月日
Ba

Bb


大正9年6月7日

昭和32年4月21日

Ca

Cb


昭和3年4月12日

昭和30年10月17日

Db


明治36年11月28日

昭和25年10月17日

Dc


明治45年3月15日

昭和34年4月6日

Da

昭和5年6月17日
Dd


昭和34年4月6日
※除籍謄本上の生年月日

De


昭和18年8月30日

昭和42年10月17日

Eb


明治29年12月14日

昭和33年10月17日

Ec


大正12年3月1日

昭和33年4月21日

Ea
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