判例検索β > 昭和57年(オ)第1127号
損害賠償請求事件
事件番号昭和57(オ)1127
事件名損害賠償請求事件
裁判年月日昭和63年1月19日
法廷名最高裁判所第三小法廷
裁判種別判決
結果棄却
判例集等巻・号・頁集民 第153号17頁
原審裁判所名福岡高等裁判所
原審事件番号昭和53(ネ)663
原審裁判年月日昭和57年6月21日
判示事項未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することがいわゆる臨床医学の実践における医療水準になつていたとはいえないとされた事例
裁判要旨未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することは、昭和四七年当時においては、臨床小児科医及び臨床眼科医にとつていまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準になつていたとはいえない。
(補足意見がある。)
参照法条民法415条,民法709条
裁判日:西暦1988-01-19
情報公開日2017-10-18 06:46:38
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主 文
本件上告を棄却する
上告費用は上告人らの負担とする。
理 由
上告代理人前野宗俊、同三浦久、同吉野高幸、同高木健康、同中尾晴一、同住田定夫、同配川寿好、同臼井俊紀、同横光幸雄、同尾崎英弥、同安部千春、同田邊匡彦、同諫山博、同小泉幸夫、同小島肇、同井手豊継、同内田省司、同津田聡夫、同林田賢一、同椛島敏雄、同宮原貞喜、同田中久敏、同田中利美の上告理由第一点について
上告人Aの出生した昭和四七年当時、未熟児網膜症(以下本症という。)に対する治療法として光凝固法を実施することがいまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準にまで達していたものとはいえないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第二点及び第三点について
人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきところ(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁参照)、上告人Aの出生した昭和四七年当時、本症に対する治療法として光凝固法を実施することが右医療水準にまで達していたといえないことは前示のとおりであるから、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、小児科医D及び眼科医Eに過失があつたものとはいえないとしたうえ、被上告人の不法行為責任を認めることはできないとした原審の判断は正当として是認することができる。D医師及びE医師の有していた本症に対する治療法としての光凝固法に関する知識について、上告人らが原審において主張するところは、具体性に乏しく、右の結論を左右するに足りるものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
私も診療行為にあたる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準(以下、単に医療水準という。)であると解するものであるが、この医療水準をどう考えるかについて若干補足しておきたい。
人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する医師は、その業務の性質に照らし、実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであつて(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右の義務を果たすためには、絶えず研さんし、新しい治療法についてもその知識を得る努力をする義務(以下研さん義務という。)を負つているものと解すべきである。もとより、医師は、必ずしもすべての診療を自ら行う必要はないが、自ら適切な診療をすることができないときには、患者に対して適当な診療機関に転医すべき旨を説明し、勧告すれば足りる場合があり、また、そうする義務(以下転医勧告義務という。)を負う場合も考えられるのである。医療水準は、医師の注意義務の基準となるものであるから、平均的医師が現に行つている医療慣行とでもいうべきものとは異なるものであり、専門家としての相応の能力を備えた医師が研さん義務を尽くし、転医勧告義務をも前提とした場合に達せられるあるべき水準として考えられなければならない。そして、このような医療水準は、特定の疾病に対する診療に当たつた医師の注意義務の基準とされるものであるから、当該医師の置かれた諸条件、例えば、当該医師の専門分野、当該医師の診療活動の場が大学病院等の研究・診療機関であるのか、それとも総合病院、専門病院、一般診療機関などのうちのいずれであるのかという診療機関の性格、当該診療機関の存在する地域における医療に関する地域的特性等を考慮して判断されるべきものである。右のようにいうべきものとすれば、特定の疾病に対する有効かつ安全な新しい治療法が一般に普及して行く過程において、右治療法を施す義務ないしは右治療法を施すことを前提とした措置を講ずる義務又は転医勧告義務の存否が問題とされる場合には、例えば大学病院等の研究・診療機関においては右治療法を施すこと等が義務とされても、一般の診療機関においては自ら右治療法を施すこと等が義務とされないのはもとより、右治療法を施すために大学病院等への転医を勧告することも義務とはされない段階など、診療機関の性格等前記の諸条件に応じて種々の段階を想定することができるのであつて、前記の諸条件を考慮することなく、右治療法を施すこと等が義務であるか否かを一律に決することはできないものといわざるをえない。この意味において、医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、前記の諸条件に応じた相対的な基準として考えるべきものである。 これを本件についてみるに、未熟児網膜症(以下本症という。)に対して光凝固法を実施することないし光凝固法を実施することを前提とした措置を講ずること又は光凝固法を実施することを前提として転医を勧告することが全国的にみて医療水準にまで達したといえる段階に至るまでには、種々の段階があることはいまさらいうまでもないところである。全国的にみて医療水準に達したといえる段階に至らなければ、本症に対する治療法としての光凝固法について知見を有しない眼科、小児科、産婦人科等未熟児の診療に関係を有する専門分野の医師のすべてについて責任を問われないと解するとするならば、本症に罹患した場合には失明という重大な結果に至ることが予想されるだけに、余りにも狭すぎる解釈というべきである。前述したところによれば、右のような段階に至る前の段階においても、眼科等特定の専門分野の、あるいは特定の性格、機能を有する診療機関の、更には特定の地域の医師等の医療水準に照らして、本症に対して光凝固法を実施し若しくはこれを実施することを前提とした措置を講じ、あるいは患者等に対して適当な診療機関への転医を勧告すること等が要求される場合もありうるのである。その場合に、当該特定の専門分野、診療機関又は地域等の臨床医が、光凝固法について知見を有しないため適切な措置を講じなかつたときには、研さん義務を怠つたものとして法的責任を問われることになるというべきである。原判決は右の観点からの検討が必ずしも十分ではないといわなければならない。しかし、原判決挙示の証拠関係を検討してみると、右の観点からしても、上告人Aが出生した当時の北九州市におけるF病院のような総合病院の眼科医又は小児科医にとつて、本症に対する治療法として光凝固法を実施することが医療水準にまで達していたとはいえないとすることも首肯しえないものではないので、結局、原判決の結論は是認することができるものというべきである。
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 坂 上 壽 夫 裁判官 伊 藤 正 己 裁判官 安 岡 滿 彦 裁判官 長 島 敦
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