判例検索β > 平成11合年(わ)第392号
殺人等
事件番号平成11合(わ)392
事件名殺人等
裁判年月日平成15年6月10日
裁判所名・部東京地方裁判所  刑事第2部
裁判日:西暦2003-06-10
情報公開日2017-10-13 01:44:11
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平成11年合(わ)第392号,第433号
殺人,死体遺棄,殺人未遂,覚せい剤取締法違反被告事件
主文
被告人を死刑に処する
押収してあるバタフライナイフ1丁(平成11年押第2051号の1)を没収する。理由
【認定事実】
〔被告人の身上,経歴〕
1 被告人は,昭和21年10月10日,千葉県a郡b町において,網元として漁業に従事していたcとdの5男として出生し,地元の中学校を卒業後は,長兄が船長を務める漁船に乗り込んで家業に従事していた。しかし,昭和30年に父cが死亡し,その後一家の支柱となっていた母dも昭和41年に死亡したことから,被告人は,賭博に手を出して生活態度を乱し,昭和44年ころには他の兄弟の反対を押し切って漁師を辞め,借入金等を原資としてキャバレーの経営を始めたものの,1年ほどで閉店し,さらに,賭博等で多額の借財を抱えたため,その店舗も人手に渡って,昭和47年ころからは,暴力団e会f組の組員として活動し,暴力団の抗争等にも関与するようになった。 2 被告人は,昭和48年ころから,同じ暴力団の組員に勧められて覚せい剤を注射使用するようになり,急速に覚せい剤への依存を深めていき,誰かに狙われているなどと口走って,実兄の家の屋根の上に登ったり,誰もいないのに誰かが来ていると言い張って,自宅玄関のドアスコープから廊下をのぞくなどの奇行に及ぶようになった。 被告人は,昭和60年に同棲していたAと入籍して一男をもうけたものの,金銭問題や家庭外での人間関係で気分を害した場合などに,同女に度々暴行を振るったり,同女が隣人と浮気をしているという猜疑心に駆られて,臨月の同女の頸部を絞め上げたり,さらに,子供の出生後も,夜泣きの声がうるさいと,同児を3階の自宅ベランダから落とそうとするなどしたため,同女に逃げられた。そして,被告人は,上記f組の資金を使い込んだことから追い込みを掛けられ,昭和61年,銃砲刀剣類所持等取締法違反等の罪で逮捕された後に,正式に同女と離婚し,上記f組からも破門された。 3 被告人は,上記罪による服役後,運転手や土木作業員等の職を転々としたが,生活に窮して窃盗に及ぶようになり,平成4年7月に窃盗,建造物侵入の罪により懲役1年6月に処せられ,出所後しばらくは,土木作業員として稼働したものの,平成8年4月ころからは,定職に就かず,いわゆるホームレスとして生活するようになった。被告人は,同年10月にも,建造物侵入,窃盗の罪により再度懲役1年6月に処せられたが,平成10年2月に仮出獄し,同年4月ころ上京してからは,本件の一連の各犯行によって逮捕されるまで,東京都江戸川区f町g丁目h番先に所在し,主要地方道東京市川線第50号の荒川及び中川に架かるf橋(以下f橋という。)下の荒川河川敷内に建てられた小屋等で居住し,ホームレスとして生活していた。
〔犯罪事実〕
(犯行に至る経緯)
1 被告人が,平成10年4月ころ,再び上京してf橋下で生活を始めた当時,同所にはホームレス3人がそれぞれ小屋を建てて生活していたが,被告人は,同年6月ころ,これらの者の協力を得て自分の小屋を建てるに至った。 ところが,被告人は,間もなく先住の3人に対して暴力を振るうなどして次々に追い出す一方,自分がボスとなって共同生活を営もうとし,知り合いのホームレスを誘って,f橋下の空き小屋に居住させるようになった。その1人がBである。しかし,被告人は,これらの者に対し,ささいなことで立腹し,暴力を振るって追い出すことが重なったため,平成11年7月ころ以降は,f橋下に建てられた6軒の小屋に1人で生活するようになった。 また,被告人は,近隣に住むホームレスに対しても,あたかも自分がボスであるかのように振る舞うようになり,理不尽で苛烈な暴行に及ぶことが重なったため,次第に他のホームレスから敬遠されるようになった。そのため,Cのように本件犯行当時も被告人と交流を続けていた者も,被告人の機嫌を損ねないよう常に気を付けるような状態であった。 2 Bは,昭和14年9月1日に茨城県で出生し,昭和34年ころ単身で上京して工場従業員等として働き,一時被告人と同じ土木会社で働いたこともあったが,平成11年初めころホームレスとなり,被告人の勧めで,同年2月ころからf橋下の小屋で住み始め,被告人のために水汲みをするなどしていた。しかし,同年4月ころ,被告人から,行動が鈍く酒ばかり飲むとして,小屋から追い出されたため,その後は,f橋から約3㎞近く下流方向にある同区s町i丁目j番先のs町陸橋(以下s町陸橋という。)の下で生活するようになった。
他方,被告人は,生活用水として,往復約1時間もかけて公園等から数十リットルもの水を汲んで運んでくる必要があったが,水汲みする姿を他人に見られたくないという見栄から,1人で生活するようになった後も,Bに対して,2日に1回の割合で水汲みすることを約束させていた。しかし,Bは,約束どおりに水汲みをしなかったため,同年8月末ころ,被告人から足蹴にされたが,同年9月に入っても5日までは水汲みをせず,7日も水汲みをしなかった。 3 Dは,昭和16年11月11日,熊本県で出生し,昭和37年ころに上京したが,平成元年ころからホームレスとして生活をするようになり,本件犯行当時は,荒川河川敷でゴカイを採取して近所の釣具店に売るなどして生計を立てていた。Dは,平成10年6月ころから,f橋から下流方向に約240m進んだ河川敷内に小屋を建てて居住するようになり,被告人から野菜やコンロ用のガスボンベの差し入れを受けたこともあったが,被告人との付き合いはほとんどなかった。 4 Eは,昭和12年10月20日,沖縄県で出生し,昭和55年ころ出稼ぎのために上京したが,そのまま帰郷せず,平成7年ころからはホームレスとなって,Dの小屋から更に下流方向に約30m進んだ荒川河川敷内に小屋を建て,近隣の金属製文房具工場でアルバイトをするなどして生活していた。被告人は,自転車に乗っているEの姿を目にすることはあったが,平成11年3月ころ,ゴミの捨て方をめぐって口論になったことがある以外には,全く付き合いはなかった。 5 被告人は,前記のように服役を繰り返しながらも覚せい剤の使用を継続し,最終刑を仮出獄してf橋下で居住するようになってからも,覚せい剤を入手しては使用を繰り返していた。そして,被告人は,本件一連の犯行の数日前ころ,新たに覚せい剤を購入して使用し,平成11年9月7日の深夜から同月8日の未明にかけて,後記判示第8のとおり,残っていた覚せい剤をまとめて使用したところ,幻視や幻聴すら生じるようになった。そのため,被告人は,一晩中眠れないまま朝を迎え,そこに,水を運んできたBがやってきた。
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成11年9月8日午前7時30分ころ,f橋下の荒川河川敷内に建てられた小屋付近において,B(当時60歳)からどうしておれだけ水汲みをさせられるのかなどと文句を言われて口論となり激高して,殺意をもって,手近にあった刃体の長さ約9.8㎝のバタフライナイフ(平成11年押第2051号の1)で同人の胸部,背部等を二十数回にわたって突き刺し,切り付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を両肺刺創による両側性気胸に起因する呼吸不全により死亡させて殺害した。(同月30日付け起訴状記載の公訴事実第1)第2 同日午前7時40分ころ,前記第1記載の場所から約240m下流の荒川河川敷内に建てられた小屋付近において,D(当時57歳)に対し,殺意をもって,前記バタフライナイフで同人の胸部等を2回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を心臓刺創及び鎖骨下動静脈切開による失血により死亡させて殺害した。(同第2)第3 同日午前7時45分ころ,前記第2記載の場所から約30m下流の荒川河川敷内に建てられた小屋付近において,E(当時61歳)に対し,殺意をもって,前記バタフライナイフで同人の胸部等を2回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を胸部大動脈刺創に伴う失血により死亡させて殺害した。(同第3)第4 同日午後10時10分ころ,同区k町l丁目m番n号所在のo方居宅前路上において,C(当時36歳)に対し,殺意をもって,前記バタフライナイフを同人の胸部目掛けて突き出し,同人が身をかわすなどしたところ,さらに,同バタフライ
ナイフで同人に切り付けたり,同人の胸部を目掛けて突き出したりしたが,同人が金属バットで防御しながら,その場から逃げ出したため,殺害の目的を遂げなかった。(同年10月22日付け追起訴状記載の公訴事実第1)第5 同月9日午前5時50分ころ,前記第1記載の場所付近の護岸上から,前記Bの死体を荒川の水中に投げ捨て,もって,死体を遺棄した。(同年9月30日付け起訴状記載の公訴事実第4)第6 同日午前6時ころ,前記第2記載の場所付近の護岸上から,前記Dの死体を荒川の水中に投げ捨て,もって,死体を遺棄した。(同第5)
第7 同日午前6時10分ころ,前記第3記載の場所付近の護岸上から,前記Eの死体を荒川の水中に投げ捨て,もって,死体を遺棄した。(同第6)
第8 法定の除外事由がないのに,同月8日ころ,前記第1記載の小屋において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩類若干量を含有する水溶液を自己の身体に注射し,もって,覚せい剤を使用した。(同年10月22日付け追起訴状記載の公訴事実第2)
【証拠の標目】(略)
【事実認定の補足説明】
判示第4の殺人未遂の事実について,被告人は,捜査公判を通じて,犯行時刻は午後11時ころであり,犯行の際に,判示のバタフライナイフ(以下本件ナイフという。)を構えたが,被害者であるCの胸部目掛けて突き出したり切り付けたりはしていない旨供述しているので,以下,その犯行時刻及び態様について検討する。 1 Cは,当公判廷において,私は,当日,y公園で他のホームレスらと飲み会をしていたが,それが終わった時,腕時計で確認したところ,午後10時を5分くらい過ぎていた。私は,寝泊まりしていたk橋下に帰ろうと,自転車に乗って現場に差し掛かり,そこで被告人に会って襲われたが,この公園から現場までは5分も掛からないので,被害にあったのは午後10時10分ころである。襲われた際,被告人から,『おい,おめえ,うそつきやがって,このやろう』,『てめえ,ぶっ殺してやる』などと怒鳴られた上,自転車にまたがった私の胸付近にバタフライナイフを3回ぐらい突き出された。私は,自転車を降りて後ろに跳び下がった後,たまたま所持していた金属バットで応戦したが,さらに,被告人から,胸を狙ってバタフライナイフを3回くらい突き出したり,2回くらい左右に振り回したりされたので,大声を上げて全力で走って逃げ出した旨供述している。 2 このうち,犯行時刻に関しては,犯行現場付近の住民であるFが,当公判廷において,午後9時50分ころから午後10時ころまでの間に帰宅してから15分くらいが経ったころ,すなわち,午後10時ころから午後10時15分ころに,男の人がワアッと2回くらい叫んでいる声が聞こえたので,窓から外を見たところ,車道を挟んで向こう側の歩道に男の人が2人いて,まず,右の方(後記y公園の方向)に男の人が逃げていき,その直後に,左の方(荒川の方向)に自転車に乗った男の人が逃げていくのを見た旨供述しており,Cの前記供述を客観的に裏付けている。 また,Cの前記供述は,捜査段階の供述のうち本件の証拠となっている部分に限ってみてもほぼ一貫している上,具体的かつ詳細であり,真実経験した者でなければ語り得ない迫真的な内容を含んでいるほか,Cが,本件被害にあった時刻や態様について,殊更虚偽の供述をすべき理由は考え難いのである。 3 この点,弁護人は,Cが平成11年9月26日に至るまでてめえ,うそつきやがってと言われた旨の供述をしていない点を指摘して,このように被告人に言われた事実はなく,検察官に誘導された供述である可能性が強い旨主張するが,Cは,当公判廷においても,検察官から犯行の際の被告人の言動について質問を受け,おめえ,うそつきやがってと言われた旨よどみなく供述しており,そのような供述態度も併せ考慮すると,これもC自身の記憶に基づいた供述と認めることができる。
4 そうすると,Cの前記供述は,本件被害にあった際の被告人の言葉や行動の点を含めて信用できるといえるのに対し,被告人の供述は,これを裏付けるべき証拠がなく,信用性の高いCの供述と対比するとき,これを信用することは困難である。したがって,判示第4の犯行時刻や犯行態様については,Cの上記供述に基づき,判示のとおり認定することに合理的な疑いをいれる余地はない。
【累犯前科】
被告人は,平成8年10月22日東京簡易裁判所で建造物侵入,窃盗の各罪により懲役1年6月に処せられ,平成10年3月31日その刑の執行を受け終わったものであって,この事実は検察事務官作成の前科調書によりこれを認める。【法令の適用】
被告人の判示第1ないし第3の各所為はいずれも刑法199条に,判示第4の所為は同法203条,199条に,判示第5ないし第7の各所為はいずれも同法190条に,判示第8の所為は覚せい剤取締法41条の3第1項1号,19条にそれぞれ該当するところ,各所定刑中判示第1ないし第3の各罪についてはいずれも死刑を,判示第4の罪については有期懲役刑をそれぞれ選択し,前記の前科があるので同法56条1項,57条により判示第4ないし8の各罪の刑について(ただし,判示第4の罪の刑については同法14条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法46条1項本文,10条により,刑及び犯情の最も重い判示第1の罪について被告人を死刑に処し,他の刑を科さないこととし,押収してあるバタフライナイフ1丁(平成11年押第2051号の1)は,判示第1ないし第4の各犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,訴訟費用については,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。【被告人の責任能力について】
第1 本件の争点
弁護人は,被告人の供述に基づき,判示第1ないし第3の各殺人(以下本件各殺人と総称する。)及び判示第4の殺人未遂(以下本件殺人未遂という。)について,覚せい剤を使用していた被告人が,幻覚や妄想に支配されて,B,D,E及びCらを警察官だと思い込み,同人らを問答無用で殺せなどという幻聴の指令に従って,B,D及びEを次々と殺害し,Cを殺そうとしたものである旨主張し,さらに,判示第5ないし第7の各死体遺棄(以下本件各死体遺棄と総称する。)についても,証拠を隠せという幻聴の指令に従って,B,D及びEの死体を荒川の水中に投げ捨てて遺棄したものであって,判示第1ないし第7の各犯行(以下本件各犯行と総称する。)はいずれも,覚せい剤の使用による幻覚や妄想に支配された精神状態の下で行われたものであり,被告人は,是非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動を制御する能力を全く欠くか又は著しく欠いた状態,すなわち,心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張する。
そこで,当裁判所が,本件各犯行のいずれについても,被告人が完全責任能力を備えていたと認定した理由について説明することとする。
第2 証拠上明らかな事実
関係各証拠を総合すると,前記被告人の身上,経歴及び犯行に至る経緯のほか,以下の事実を優に認めることができる。
1 平成10年2月ころまでの被告人の問題行動等
(1) 被告人の粗暴な言動等
ア 被告人は,9歳のころ実父と死別し,網元を継いだ実母によって養育されたが,中学校時代から,級友に暴力を振るい,卒業式の日に学校の窓ガラス等を破るなど粗暴な行動を繰り返していた。被告人は,昭和37年3月に中学校を卒業した後は漁師として真面目に働いていたが,実母が死亡した昭和41年ころから,博打にふけるようになり,昭和42年春ころには,実母の跡を継いで網元となっていた実兄に金の無心を断られたために激高し,その顔面,背部等を多数回にわたって殴打し,足腰が立たなくなるほどの激しい暴行を加えた。
また,被告人は,昭和44年ころ,年上の女性と結婚すると言い出して,周囲の反対を押し切り,漁師を辞めてキャバレーの経営を始めたが,これを破綻させた後,暴力団員として活動するようになった。 イ なお,被告人は,昭和44年に傷害罪により罰金刑に処せられたほか,暴力団組員として活動していた間の昭和54年に恐喝,暴行の各罪により懲役1年2月に,同じく昭和56年に傷害,住居侵入,覚せい剤取締法違反の各罪により懲役2年にそれぞれ処せられたほか,同じく昭和48年7月,同年11月,昭和58年の3回にわたって暴力行為により検挙されている。
ウ 被告人は,昭和58年ころ,Aと同棲を始めたが,昭和60年5月に入籍したころから,家庭外で気分を害するようなことがあった際などにAに暴力を振るうようになり,Aの顔面が腫れるほどに激しく殴打したこともあった。 同年9月,長男が出生したが,被告人は,その妊娠中に,腹の中の子供の父親は自分ではないと言い出し,Aが他の組員と情交関係をもったとして,Aをマンションの屋上に連れ出して詰問した上,こたつの電気コードで同女の頸部を絞め付けるなどの暴行に及び,Aは,同じマンション内の知人方に駆け込んだため難を逃れた。また,被告人は,長男出生後,当初はかわいがっていたものの,数か月後には,夜泣きがうるさいと言って,両手に抱えた同児をベランダの柵の外に出して落とそうとし,さらに,けん銃を持ち出してきて,Aと長男の方に向けて2mほどの至近距離から発射するなどした。
(2) 被告人の覚せい剤使用状況等
ア 被告人は,昭和48年ころから覚せい剤の使用を続けていたが,昭和50年ころに,誰かに追われていると言って実家に逃げ帰ったことがあった。また,昭和55年か56年ころにも,雀の鳴き声が自分をバカにしていると感じて実兄の居宅の屋根に上り,誰かが自分を狙っていると叫ぶなどしたため,実兄らが,被告人を3箇所くらいの精神病院に連れて行き入院させようとしたが,いずれも異常なしと診断されてそのまま帰宅させられた。 被告人は,Aと同棲を始めた後も覚せい剤の使用を続けていたが,次第に使用回数が増えて,落ち着きがなくなり,誰かに襲われる,廊下を歩いている人からこっちを見られているなどと言ったり,誰かが来ているなどと言って,玄関のドアスコープから廊下をのぞくなどしていた。
イ 被告人は,その後,昭和61年に銃砲刀剣類所持等取締法違反,火薬類取締法違反の各罪により検挙されて服役し,さらに,平成4年,平成8年にも住居侵入,窃盗の各罪により2度検挙されて服役しているが,平成8年8月に検挙された際には,以前所属していた暴力団に追われているなどと供述した上,絨毯の毛をむしって手で集め,

ほら動いている。こんなにたくさん。

と言ったり,全裸になって金網を揺するなどしたため,簡易鑑定が実施され,おそらくアルコール依存であると診断されている。
また,被告人は,同年から平成10年2月4日まで名古屋刑務所で服役したが,同刑務所長は,当裁判所からの照会に対し,服役中の被告人の挙動について,覚せい剤後遺症で,投薬治療により睡眠状態はおおむね安定したものの,幻聴について十分コントロールできていない状態であった旨回答している。 2平成10年2月ころ以降の被告人の生活状況,問題行動等
(1) f橋下でホームレス生活を開始した状況
ア 被告人は,平成10年2月5日に名古屋刑務所を出所した後,同年4月ころ上京したが,当時,f橋下には,G,H及びIがそれぞれ小屋を建てて居住していた。被告人は,Gの許可を得て,同所で生活するようになり,同年6月ころ,Gらの協力の下に,廃材などを利用して自分の小屋を建てたが,そのころから,Gらを始め近隣に住むホームレスらに対しボスのように振る舞うようになった。
イ そして,被告人は,HやIらに指示して,廃品として捨てられた家電製品等から銅線を抜き出して売却するなどしたほか,同人らを組織し,マグロと称する公園等での仮睡者からの窃盗や,商店での食料品等の万引きを繰り返すようになった。
(2) 共同生活していたホームレスに対する問題行動等
ア 被告人は,平成10年7月ころ,GがJというホームレス(以下Jという。)に対してIの悪口を言ったり,Jから自分の悪口を聞いて自分に文句を言ってきたものと邪推して,Gを呼び出すや,理由も告げずにいきなり同人の顔面や胸を数回殴打したり足蹴にし,その後,Iに対しても,その顔面を殴打するなどした。さらに,被告人は,同年8月ころには,Gに自動車のバッテリーを投げ付けるなどして,同人をf橋下から追い出した。 そのため,Gが,東京都庁に赴いてf橋の管理担当者に対して,f橋下に被告人が住み続ければ結局そこが悪の巣窟になるから,柵を設けるなどして管理を徹底するよう訴えたところ,被告人は,これを聞き付けて,近くの公園に移り住んでいたGを捜し出した上,ナイフを持ちながら,おまえのような浮浪者をぶったたこうと,蹴っ飛ばそうと,ぶっ殺そうと,事件にはならないんだなどと怒鳴り付けた。 イ 被告人は,同年10月ころから,自分の中学時代の後輩でホームレスをしていたKや知り合いのホームレス2名を順次,f橋下の空いている小屋に住まわせるなどしたが,K以外の者については,あいさつをしない,被告人の陰口を言ったなどとしてそれぞれ暴力を振るい,すぐに小屋から追い出してしまった。 ウ さらに,被告人は,平成11年2月ころ,かつて同じ土木会社で働いたことのあるBと再会して,f橋下の小屋で居住させたが,同年4月ころには,仕事をしないとしてBを追い出し,さらに,同年6月ころには,朝から酒ばかり飲んでいるとしてKを,同年7月ころには,それまで被告人に逆らったこともなかったHをそれぞれ追い出し,その後は,被告人がf橋下の6軒の小屋に1人で居住する状態になった。
(3) 他のホームレスに対する問題行動等
ア 被告人は,平成10年7月ころに,Lらが小屋を建てて居住していたs町陸橋下にも自己の小屋を建てた上,頻繁に出入りするようになった。被告人は,その小屋に,Mと呼ばれるホームレス(以下Mという。)を住まわせ,水汲みや皿洗い等の雑用をさせていたが,同人に殴る蹴るの暴行を繰り返し,刃物でその顔面を切り付けて怪我をさせることもあった。
イ また,被告人は,同年8月ころ,Mが東京都江戸川区k町4丁目所在のy公園(以下y公園という。)に住むホームレスのαからもらってきた酒を飲んだところ,それが酒ではなく池の水であると言い出して激高し,y公園に赴いて,αのほか,その場に居合わせたホームレスらに次々と殴る蹴るの暴行を加えて,αの歯を折るなどした。 ウ さらに,被告人は,同年12月ころ,Lが被告人の指示に違反してタバコ10箱を入手しながら何も報告していないことを知って激高し,Lの小屋付近で,角材で同人の身体を多数回殴打して,入院加療を要するほどの怪我を負わせた上,同人が自己の小屋に引きこもった後,これを知りながら,その小屋に灯油をまいて火を放った。その際,その様子を見ていた他のホームレスがLを小屋から引き出して救出したため,Lは一命を取りとどめたものの,足に火傷を負った。 エ 被告人は,平成11年6月ころ(以下,平成11年の出来事については年の表記を省略する。),y公園でホームレスらが酒盛りをしているところに現れて,その場に居合わせた鳶職人のZに対し,ガラスの灰皿でその頭部を強打し,5針くらい縫う怪我を負わせた。
オ また,被告人は,1月ころ,他のホームレスと喧嘩になった際,これを傍観していたホームレスのNに対し,興奮して

おまえはおれの悪口ばかり言っているんじゃないよ。おまえの口に出刃包丁を入れてギザギザにしてやる。

などと怒鳴り付け,6月ころにも,頭に来たとして,他のホームレスの小屋を破壊するなどした。 (4) Cとの関係等
ア Cは,4月ころから,f橋から約2.1㎞下流にある東京都江戸川区西k町p丁目q番付近のk橋(以下k橋という。)の下でホームレス生活を始めたが,被告人は,このことを聞き付けるや,夜中に訪ねてきて,寝ていたCを起こし,

おい,起きろ。悪さをするんじゃないぞ。

などと怒鳴り付け,さらに,他のホームレスの小屋にコンクリートブロックを投げ付
けるなどして,中にいた者を呼び出して殴り付けた。
イ また,本件ナイフは,Cが釣り糸を切るなどするために所有していたものであるが,被告人は,5月ころ,酒を飲んだ際,Cから本件ナイフを見せられるや,一方的にこれを取り上げて,本件各犯行に至るまでこれを所持していた。 ウ 7月ころ,ホームレスの1人が被告人の暴力に嫌気が差してk橋下から出ていったところ,被告人は,小屋の中に放置された荷物をすべて川に投棄した上,Cにその小屋に住むように指示した。また,被告人は,七,八月ころ,k橋下で寝ていたCをいきなり起こして,自分の悪口を言ったなどと因縁を付け,その頭部を殴打するなどした。 エ 被告人は,自分の自転車のスタンドが片足式のものであったため,水汲み等に不都合を感じて,9月6日にCらと食事をしていた際,Cが,逆M字型のスタンドを入手できる旨話したところ,同人にその入手方を依頼するとともに,窃取した米の売却も依頼して,二,三日後にはk橋下にスタンドと金を取りに行くと告げた。また,被告人は,食事後,そわそわしていたCに対し,

おまえ,1人でこそこそするんじゃねえ。警察の犬じゃあないか。

などと話したが,Cから警察の犬でも何でもないですよと言われると,

そうだよなあ。こんなところに警察の犬がいるはずないよなあ。

などと言っていた。
(5) Bとの関係等
ア 以上のように,被告人は,他のホームレスに対してはボスのように振る舞い,意に添わぬことがあると,一方的に殴り付けるなどの粗暴な行為を繰り返す一方,自らは,近隣の小屋よりも大きな小屋を建てた上,自家用発電機のほか,テレビや炊飯器,冷蔵庫等を備え付けて,生活必需品であった自転車も複数台所有し,さらに,毎日行水するなど,他のホームレスよりはるかに良い生活状態を維持していた。
イ 被告人は,このような生活を維持するために,他のホームレスと共同生活を営んでいた当時は,HやBに水汲みを行わせていたが,1人で生活するようになってからも,他のホームレスへの見栄から,自ら水汲みすることを潔しとせず,f橋下から追い出されて露天生活をしていたBに対し,s町陸橋下の小屋の1つに居住させる見返りとして,2日に1回20リットルのポリ容器1個とペットボトル2本分の水を汲んでf橋下に持ってくることを約束させた。 ウ しかし,Bは,この約束を果たせないことが度々あって,8月28日ころには,被告人におれだって一生懸命に水汲みをやっているなどと弁明したため,激高した被告人から腹部を蹴り付けられることもあった。ところが,Bは,その後も約束を果たさないことがあり,被告人は,9月初めには,自ら水汲みに行ったり,行水ができないため,銭湯通いを余儀なくされるようになった。そして,Bは,同月5日には水を汲んで被告人の不在の間にf橋下に置いていったが,同月7日には水汲みをしなかった。
(6) Oとの関係
被告人は,8月ころ,近隣に住むホームレスのOに同居を持ち掛けたが,同人が難色を示したため,夜間のみ留守番として泊まりに来てくれるように依頼してその了承を得た。そのため,Oは,本件各犯行のころは,夜間はf橋下で泊まり,朝方に知り合いのホームレスがたむろするy公園に行って日中を過ごす生活をしていた。 3 本件各犯行の状況
(1) B,D,Eを殺害した状況等
ア B殺害状況等
(ア) 9月8日午前5時ころ,Oが,f橋下の小屋で起床して表に出たところ,被告人が小屋の前に立って川の方を見ており,被告人と二,三言あいさつを交わしたが,被告人に特に変わった様子はなく,Oは,そのままy公園に向かった。その後の午前7時ころ,被告人は,水を汲んでやってきたBに対し,本件ナイフを手にして判示第1の殺人に及んだ。 (イ) Bの死体には,頭頂部に2箇所,側頭部に1箇所切創があるほか,胸部から腹部にかけて12箇所の刺切創が,右背部に1箇所の刺創が,左腕に1箇所,右腕ないし右手に3箇所の切創があった。そのうち胸部の1箇所の切創は,右肩から左腕の付け根まで約33㎝にわたり身体前面を横切っており,それ以外にも,胸部を水平方向に走る切創ないし刺切創が数箇所見られる。そして,左胸部から胸腔内に入り左肺上葉に至る刺創2箇所及び右背部から胸腔内に入り右肺下葉を貫通した刺創1箇所が致命傷であり,Bは,これら3箇所の刺創により両肺が損傷し胸膜腔内に空気が入って気胸を形成したことに起因する呼吸不全により死亡したものである。 (ウ) このような死体の状況からは,被告人が,Bに対し,約3回にわたって頭部を切り付け,その胸部や腹部を十数回左右に切り付け,左胸部を2回突き刺し,その右背部から1回突き刺したことがうかがわれるのである。 イ D殺害状況
(ア) 被告人は,その後,f橋下の小屋の前にBの死体を放置したまま,本件ナイフを持って,上記小屋から約240m下流にあるDの小屋に向かい,同日午前7時40分ころ,小屋のすぐ近くにいたDを認めて判示第2の犯行に及んだ。 (イ) Dの死体には,右胸部及び左肩部に各1箇所の刺創があり,前者は,大胸筋を貫通して胸腔内に侵入し,更に心膜を貫通して右心室内に到達しており,後者は,深さが合計約9㎝に達し,鎖骨下動静脈を切開して,左肺に達していて,Dは,この心臓刺創及び鎖骨下動静脈切開による失血により死亡したものである。 (ウ) このような死体の状況からは,被告人が,Dに対し,その左肩辺りを1回突き刺し,右胸を1回突き刺したことがうかがわれる。
ウ E殺害状況
(ア) 被告人は,Dの死体をその場に放置した上,更にその約30m下流にあるEの小屋に向かい,午前7時45分ころ,小屋の前にいたEを認めて判示第3の犯行に及んだ。
(イ) Eの死体には,左肩口付近(左腋窩近傍)及び左前胸部に各1箇所の刺切創があり,前者は,深さ約10.8㎝に及び,大胸筋及び小胸筋を貫いて胸腔内に侵入し,左肺上葉を貫通してその背後の胸部大動脈に達しており,その結果,Eは,胸部大動脈刺創からの出血による失血により死亡したものである。 (ウ) このような死体の状況からは,被告人が,Eに対し,その左胸を2回突き刺したことがうかがわれるのである。 (2) Bらを殺害した後の状況
ア Bの死体の移動等
(ア) 被告人は,Eの死体をその小屋の前に放置したままf橋下に戻り,同所に置かれていたポリタンクの水で,自分の手足や本件ナイフに付いた血を洗い落とし,着ていたTシャツやトランクスを脱いだ。 (イ) また,被告人は,小屋の前のコンクリート上に横たわっていたBの死体を持ち上げ,段差のある護岸のコンクリート補強部分を乗り越えて,針金で包まれた石積み(いわゆる布団かご)の傾斜を下り,川縁にBの死体を置いた。 イ Oとの遭遇
被告人は,その後,f橋下の小屋付近にとどまっていたが,同日午後5時20分ころ,Oが自転車に乗って戻ってきた。Oは,小屋の前のコンクリート上に血だまりがあり,そのすぐ傍に上半身裸の被告人が直立して川面の方を見ているのを目にし,あいさつをするために被告人の方に近づいたところ,護岸の石積み上にBの死体が置かれているのを目撃した。すると,被告人が,Oに気付いて振り向き,Oの襟首をつかんで小屋の方に連れて行って,1人殺すのも2人殺すのも同じだなどと言ったが,一時手を離したすきにOに逃げられたため,それ以上の行為には及ばなかった。 (3) Cを襲った状況等
ア Cを襲った状況
被告人は,同日午後10時10分ころ,判示第4の路上を走行中,道路反対側の歩道を被告人と同方向に自転車で走行していたCを認めて,呼び止めた。これに気付いたCが,被告人にあいさつしようと自転車に乗ったまま直近の横断歩道を横断して被告人の方に近づいたところ,既に自転車から降りていた被告人が,いきなりCに対し,おい,おめえ,うそつきやがって,このやろう,てめえ,ぶっ殺してやるなどと怒鳴って,腰に付けていたポシェットから本件ナイ
フを取り出し,Cの胸部を狙って本件ナイフを3回ほど突き出し,約2回左右に振るなどして,判示第4の犯行に及んだ。
Cは,自転車を降りて後ろに跳び下がった後,たまたま持っていた金属バットを振り回してこれを防いだが,更に被告人が本件ナイフで襲ってきたため,大声を出し,全力でy公園方向に走って逃走した。イ 被告人の買い物
その後,被告人は,同日午後11時24分ころ,y公園近くのコンビニエンスストアP(以下本件コンビニという。)に入店し,買い物かごを手にして,他の買い物客数人とすれ違うなどしながら,店内を一周して,飲料水,ビール,おにぎり10個近くをかごに入れ,レジで代金を支払い,何事もなく店を出ていった。(4) Bらの死体を遺棄した状況
ア 被告人は,翌9月9日明け方ころまでにf橋下の自分の小屋に戻り,同日午前5時50分ころ,革手袋をした上,川縁に放置していたBの死体を川の方に回転させて荒川の水中に投棄し,判示第5の犯行に及んだ。その日は干満の差の最も大きな大潮で,午前5時ころは下げ潮であり,Bの死体は,川の流れに乗って急激に下流の方へと流れていった。
イ 被告人は,続いて同日午前6時ころ,Dの小屋付近に赴き,殺害したまま放置していたDの死体を引きずって草むらに分け入り,護岸の石積みを乗り越えて荒川の川縁まで運んだ上,同所からDの死体を荒川の水中に投棄して,判示第6の犯行に及んだ。
ウ さらに,被告人は,同日午前6時10分ころ,Eの小屋付近に赴き,同様に殺害後放置していたEの死体を約12.5mにわたって引きずった上,草むらを分け入り,護岸の石積みを乗り越えて川縁まで運び,同所からEの死体を荒川の水中に投棄して判示第7の犯行に及んだ。
エ その後,被告人は,f橋下の小屋に戻り,自分の手足に付着した血を洗い流すとともに,同所にあった血だまりに水を掛け,たわしで洗ってタオルでふき取った。
4 Bらの死体の発見状況
ア D及びEの死体は,下流に流されたものの,f橋下から約532m下流にある荒川左岸護岸用消波ブロックに漂着し,同日午前8時20分ころ,釣り人がこれを発見して警察に通報した。 イ また,Bの死体は,荒川から東京湾に流れ出し,同日午後2時55分ころ,東京都大田区所在の羽田空港新C滑走路突端沖合水面上岸壁波打ち際に漂着し,同日午後3時9分ころ,警視庁の警備艇に収容された。 5 被告人の逮捕状況等
(1) 第1次逮捕に至る経緯
警視庁k警察署所属の巡査部長Q(以下Q警察官という。)は,死体発見の通報を受けて現場に赴いた者であるが,かねてからD及びEと面識があり,その居住場所も認識していたところ,同じく面識があり,そのすぐ上流のf橋下に居住する被告人の粗暴癖も聞いていたことなどから,被告人が殺したのかもしれないという思いを抱き,同日午前10時ころ,同署の警察官らと共にf橋下に赴いた。
Q警察官は,被告人をf橋下の小屋の前に認めて職務質問(以下本件職務質問という。)を実施したところ,被告人がD及びEの殺害を自認し,さらに,その時点では死体が発見されていなかったBの殺害についても認めたため,D及びEの殺害場所も案内させた上,同日午前11時10分ころ,被告人をk警察署に任意同行した。 そして,被告人は,同署において,取調べを受けた上,同日午後6時45分,D及びEに対する殺人,死体遺棄の被疑事実で通常逮捕された(以下第1次逮捕という。)。
(2) 本件起訴に至る経緯
その後,被告人は,同月12日,D及びE関係の上記被疑事実で勾留され,また,Bに対する殺人,死体遺棄の被疑事実でも,同月27日逮捕され,同月28日に勾留された上,これらの被疑事実6件を併せて,同月30日に起訴された。 また,被告人は,10月1日,Cに対する殺人未遂,覚せい剤取締法違反の被疑事実で逮捕された上,同月4日に勾留され,同月22日,これらの被疑事実についても起訴された。
第3 被告人の供述及びその信用性について
1 問題の所在
(1) 本件各犯行に及んだ理由ないし原因について,第1次逮捕の当日である9月9日から同月11日の検察官による取調べまでは,捜査書類において,Bを殺害した理由が水汲みのトラブルとされるなどして,被告人が覚せい剤の幻聴等の影響を訴えた記録は残されていないが,同月11日の弁護人との接見以降は,弁護人作成の接見報告書だけでなく,捜査機関作成の供述調書においても,被告人が幻覚や妄想に支配されて本件各犯行に及んだ旨の供述が録取されるようになり,被告人は,当公判廷においても,同旨の供述を維持している(以下,本件各犯行が幻覚や妄想に支配されていた旨の被告人の一連の供述を本件幻覚供述という。)。 (2) そして,弁護人は,捜査段階の当初,本件幻覚供述が記録されていない点について,被告人は,本件職務質問の際,幻覚や妄想について警察官に説明することが非常に難しく,その必要もないと考えていたため,Q警察官といろいろ話すうちに,水汲みのトラブルで口論となりBを殺害したという理由を創作して供述し,体調の不良等もあって,同月11日の検察官による取調べまで,その内容を維持した旨主張している。 (3) そこで,同月11日の検察官による取調べまでの被告人の供述(以下本件初期供述という。)の内容及びそれに関する供述調書等の作成経過について検討し,さらに,本件初期供述及び本件幻覚供述のそれぞれの信用性について検討することとする。
2 本件初期供述の内容
(1) 本件初期供述の内容に関する捜査官の供述及び捜査記録 ア Q警察官の公判供述
Q警察官は,当公判廷において,本件職務質問の際の被告人の言動等について,大要,以下のように供述している。すなわち,
(ア) 9月9日の午前10時ころ,f橋下で被告人に会った。そこで,被告人に,この下でもって顔見知りのホームレスがテトラポットに引っかかってるけど,おまえ知らないかのような話をしたところ,被告人は,おれがやったんだよと言った。照れくさいような,ちょっとにやついたような感じだったので,冗談言うなと言うと,本当だよと答えた。 (イ) 同じころ,別の刑事が根元に血の付いた本件ナイフを見付けて,被告人に,これどうしたんだと聞くと,被告人は,その時も,おれがやったんだよと答えた。更に確認したところ,3人やったと言うので,当時はまだ2人の被害しか知らなかったのでびっくりした。
(ウ) 話している最中,路面に血痕がにじんだような状態のあることが分かった。被告人は,最初のところはここでやったんだと言って,小屋の前を指し示した。そのとき,被告人からBという名前を初めて聞いた。被告人は,他の2人についても,それぞれ殺した場所を案内し,3人の被害者の死体を投げ込んだ場所も案内した。DとEについては河川敷を引きずった方向も本人が説明し,そのとおり草が倒れていた。
(エ) Bらを殺した理由について,被告人とはいろいろとそこで話をしているが,被告人は,最終的には,

水汲みのことでもって口論になった。それで殴り合いをしたんだ。

という話をしていた。Dについては,いつもおれをバカにするんだということを言い,Eについては,シャブ打った影響だというようなことを言い,シャブの電波を飛ばすとか何とかいうようなことを確か言ってたが,何で急にそんなこと言うのかなという気持ちであった。 (オ) 被告人に随分やせたなと言うと,シャブ打っているんだという話もしたが,その態度や様子からは,覚せい
剤を打っているとは思わなかった。被告人は,

2日前にシャブを打った。ムシャクシャして昨日10時ころ殺って,今朝6時ころ証拠を隠すために死体を川に捨てた。

とも言っていた。被告人は,意味不明なことを言ったり暴れたりすることはなく,現場の指示説明も自分でし,私の質問にも全部答えた。
イ 9月9日付け上申書
被告人は,本件職務質問後,k警察署でQ警察官の取調べを受け,その際,以下の内容の上申書を作成している(以下本件上申書という。)。すなわち,
(ア) おれは,昨年4月ころから新大橋通りの船橋下荒川河川敷において仲間と共に風浪者生活をしている者ですが,以前一緒に住んだことのありますB(60才位)と,この橋の下で昨日(9月8日)の午前9時ころ口論した挙げ句,午前10時ころ,近くにあったバタフライナイフでこの男の胸付近を2回くらい刺して殺し,さらに,近くの草むらの小屋で生活している年令55才くらい,身長162㎝くらい,小太り,坊主刈り,カーキ色半袖シャツ,カーキ色半ズボン,長靴の男のところに行き,男が自転車で出掛けようとするのを呼び止め,いつもおれをバカにしてと言って,やはりバタフライナイフで胸を刺して殺しています。この時間は,午前10時7,8分ころだと思います。 (イ) そして,今度は同じくそこの現場から約10m離れたやはり草むらの中の小屋で生活をしている年令60才くらい,身長150くらい,小柄メガネ,白色半袖シャツ,オレンジ色半ズボン姿の男のところに行き,おれにデンパを飛ばすんじゃないと言って,同じくバタフライナイフで胸を2回くらい刺して殺しています。時間は,午前10時12,3分ころのことと思います。
(ウ) その後,おれは,ぼっとしていたのですが,本日(9月9日)の午前6時ころになって,それぞれの死体を死体の近くから荒川の中に投げ込んでいます。おれのやったことに間違いありません。 ウ 9月10日付け警察官調書
9月10日,被告人がk警察署において巡査部長R(以下R警察官という。)立会いの下に巡査部長Sの取調べを受けた際に作成された同日付け警察官調書には,大要,次のような記載がある。すなわち, (ア) 9月8日の午前9時ころ,Bが来た。私は,Bにポリ容器20リットル1本,4リットルのペットボトル1本に水を汲む仕事を2日おきにさせていたが,私が,Bにイヤミを言い,それにBが反発したと思って,午前10時過ぎころ,自転車の側に置いてあったバタフライナイフを取り出して,言葉は覚えていないが,何か言って,右手で,バタフライナイフを持ち,頭や胸を数回刺し,さらに胸付近を左右に切り付けたと思う。その場にBはしゃがみ込んだ格好になり倒れた。 (イ) Bを殺した後,荒川河川敷を下り,Dのいる小屋方向に歩いていくと,Dは小屋から自転車で出掛ける時で,いつもおれをバカにしていると思い込み,右手でバタフライナイフを持ち,無抵抗のDの胸付近を刺したところ,その場に座り込むように倒れた。
(ウ) さらに,Eのところに行くと,Eが小屋の周りの掃除をしている時であったが,おれに電波を飛ばしてるんじゃないと大声を出して同じく右手でバタフライナイフで胸付近を2回くらい刺したところ,その場に倒れ込んだ。私は,すぐその場所から立ち去り,自分の小屋に戻った。
(エ) 私は,犯行前日二,三日前からシャブを打っていたので幻覚症状が出ていたと思う。 (オ) 死体を荒川に捨てたのは,犯行がばれ死体の処理に困ったからである。Bは捨てようと思って石畳の上に置いておき,9日の午前6,7時ころ捨てた。そのとき,荒川にはいつも定期に通る油を積み込んでいる船やボートが往来しており,死体には血の付いた鼻の付近にハエがたくさん付いていたのを記憶している。その後,D,Eが死んでいるかどうか気になって行ったら,両名とも死んでいたので,両足を抱えて荒川に捨てようと思って引きずっていき,それぞれ荒川に捨てた。
エ 9月11日付け検察官調書
9月11日,被告人がT検事(以下T検事という。)の取調べを受けた際に作成された検察官調書には,大要,次のような記載がある。すなわち,
(ア) 私は,Bに2日に1回ペットボトル2本,ポリ容器1本の水汲みをさせていたが,Bはこの仕事にも不満そうであった。9月8日午前10時前ころ,私は,水を汲んできたBと小屋のすぐ外側で話をしたが,Bはどうしておれだけが水を汲まなければならないのかなどと文句を言った。それで私は,Bと口論になり,Bの態度にカッとなって腹が立ち,Bを殺してしまえと考え,かごの中に入っていたバタフライナイフを取り出した。バタフライナイフを開くとともに金具を回して刃を固定し,Bの頭や胸を突き刺したり切ったりした。
(イ) 私は,Bを殺したと思ったし,やってしまった以上,重大な罪になると思って,やけになった。私は,川下に名前は知らないが60歳くらいの2人のホームレスが住んでいることを知っていたが,私の方から何度か話しかけても,向こうからは話しかけてこず,必要な受け答えしかしないなど,何となく私を避けていると思い,内心面白くなかった。私は,Dたちは私をバカにしているのではないかとすらふだん考えていた。それで,私は,1人殺してしまったと思ったので,2人殺すも3人殺すも同じと思い,Dを殺してやろうと考えてバタフライナイフを持ったまま,川下の方へ行く道を歩いていった。
(ウ) Dの小屋に行くと,ちょうど自転車に乗ってどこかに行こうとしているところで,私は,いつもおれをバカにしてなどと言って,Dの胸付近を2回くらい突き刺した。Dは,その場に倒れ,動かなくなった。また下流の方に行き,Eの小屋に行くと,Eは,小屋から出て,小屋の前に立っていたが,いつも電波を飛ばすななどと言って,左胸をバタフライナイフで突き刺した。Eはその場に倒れた。
(エ) 私は,それ以上下流のホームレスを殺す勇気までなく,もう人を殺すのはやめようと思った。私は,バタフライナイフを持ったまま小屋に戻り,ナイフは小屋の前に置いておいた。3人も殺したと思いぼんやりしていると,Oが戻ってきた。OがBを見たかどうかははっきり確認していないが,殺したことはばれてしまうのでOも殺そうとしたが,逃げてしまったので,殺せなかった。Oは,自転車で帰ってきたと思うし,自転車で逃げていった。 (オ) 私は,ずっと小屋にいたが,一回だけ腹が減って,自転車で近くのコンビニまで行って,おにぎりやお茶を買ってきて飲み食いした。服に血が付いていたので,人に見付かるとまずいと考え,服を脱いで着替えた。 (カ) 翌日の9月9日午前6時ころ,死体を何とかしなければならないと考え,川に流して海まで行ってしまえば死体が上がらず,死んだことが分からないと思い,B,D,Eの死体を川の中に落とした。私は,自分の小屋に戻り,血の付いた服を,すぐ目の前にある川に捨ててしまった。
(キ) 私は小屋でボーとしていた。私は,h警察署に出頭して自首しようと思ったが,まだ決心が付かなかった。すると,午前8時前後ころ,s警察署の船が私の小屋の前の川を通り過ぎたので,死体が見付かったのだ,犯人を捜していると思った。すぐにでも警察が来ると思ったが,自首しようと思ったものの踏ん切りが付かず,かといって,逃げるだけの気持ちも起きなかった。
(ク) 午前10時過ぎころ,私の小屋に警察が来たので,警察官に対し,

私が3人殺しました。最初に殺したのはBさんです。警察は来るのが遅かったですね。

などと言った。警察官は,私が殺しただろうと質問してきたのではなく,人が死んだことについて何か知っているかと聞いてきただけで,自分から進んで殺したことを話した。私はもともとBを面白く思っていなかったが,なぜ殺したのかといえば,事件の2日くらい前に覚せい剤を使用していて,それでいらいらしたせいもあったと今になれば考える。私は,少し幻覚があったのではないかと思っている。今は,全く幻覚はない。ただ事件当時は,いつの間にか,Bが警察官に見えたと思う。私は,何も罪を逃れたくて,そのような弁解をしているのではない。また,私は,ふだんから警察官に恨みを持っていたことはない。
(2) 本件初期供述の供述経過
ア 捜査官の公判供述

(ア) Q警察官は,本件職務質問後の取調べ及び本件上申書の作成状況について,大要,次のような供述をしている。すなわち,
a 被告人は,午前11時10分ころk警察署に到着し,調べ前にトイレに行かせた後,午前11時35分ころ取調べを開始した。被告人は,Bを殺した理由については,犯行現場と同様に,水汲みのことで口論になり,殴り合いになったので刺したと述べていた。Dについても,ふだんからおれのことをバカにするからと話し,Eについては,電波を飛ばすんじゃないよというようなことを言いながらやった旨述べた。被告人の供述態度は普通であり,問いに対してすぐに答えが返ってきており,特に暴れたりとか反抗的な態度を示すようなこともなく,意味不明のことを言うようなこともなく,覚せい剤の影響下にあると思ったことはない。
b 被告人は,取調べの開始当初は,特に辛そうな様子もなく,眠いということも訴えていなかったが,午後0時過ぎころから,

尿が出ない。トイレに行かせてくれ。

と何回か訴えるようになり,頻繁にトイレに行ったものの結局出ず,午後0時30分ころからかなり苦しそうな状態になった。本人がかなり痛がっており,脂汗等も出ていて,下腹もかなり膨れていたことから,午後1時ころ,被告人をU病院に連れて行き,同病院でカテーテルを用いて強制的に排尿し,カテーテルを装着したままの状態で午後2時前ころ署に戻ってきた。被告人は,さっぱりしたと言っていたので,その後の取調べを続け,本件上申書を作成した。病院から戻った後は特に体調の異常についての訴えはなかった。カテーテルを付けたまま留置をする訳にはいかないということになり,午後5時ころ,再びU病院に連れて行ってカテーテルを抜き,k警察署で通常逮捕したが,その後,再び尿が出ない旨訴えたので,午後7時ころ,警察病院に行き,排尿した。 (イ) また,R警察官は,9月10日の取調べ状況として,大要,次のような供述をしている。すなわち, a 被告人は,午前9時から午後9時過ぎころまで取り調べたが,質問に対しては素直に答えており,全く的外れな答えはしていなかったが,初めから,おれはシャブを打っているんだというようなことを言っており,草むらから蛇が出てくるとか,鼻の長い動物が草むらからおれを見ているというようなことを言っていた。 b もっとも,その日は,調べ官が,そのことを調書にするかと話を向けると,被告人自身が,そんな訳の分からないことを調書にできるわけないじゃないかと言ったので,調書には残さなかった,その日の段階で,被害者ら3人が警察官に見えたというような幻覚や妄想があったという主張ないし弁解をしていた記憶はない。 (ウ) さらに,T検事は,9月11日の取調べ状況として,大要,以下のように供述している。すなわち, a 私は,午後3時30分ころから4時まで調べたと思うが,被告人は,しゃきっとした姿勢で,質問した内容にはすぐ答えるという態度だった。Bについては,彼に水汲みの仕事をさせていたが,何でおれだけやらせるんだと,Bが言ったので口論となり,そこから発展して,ついかっとして殺してしまった。1人殺してしまって重大なことをしたと考えて,1人殺すも2人殺すも同じと考えて,川下に行って2人,3人と殺したという話をした。 b 調書を取る途中かそのちょっと前かに,被告人は,少し幻覚,幻聴もあったんですねと言い,Bが警察官あるいはその手先に見えたとも話していたので,是非こういうことは書かなきゃいけないと思い,Bという人物が警察官の手先に見えたと話したという趣旨で,警察官に見えたと調書には書いた。水汲みの口論については,言えばすぐ答えるという状況でよく覚えており,第2の被害者を殺した理由については,被告人は,ふだんから自分を無視しているような感じがしていたというような程度のことしか話さず,また,第3の被害者については,電波を飛ばしたなと文句を付けて殺したという言い方しかしていなかった。
(エ) 以上のような被告人の捜査段階当初における供述状況に関する捜査官の公判供述は,被告人の初期供述の内容について相互に合致しており,その内容も,被告人の一連の供述状況として特に不自然な点は認められない。 そして,Q警察官の供述は,本件職務質問の状況も含めて全般的に,第1次逮捕当日の9月9日に作成された殺人及び死体遺棄被疑事件取扱状況報告書とよく合致し,同日の取調べの内容についても,その際に作成された取調べメモが添付された聴取状況報告書とよく合致していて,これらにより裏付けられている。また,本件職務質問に際し,被告人が,Q警察官に対して,Bと水汲みでトラブルになったこと,Dからバカにされていたこと,Eが電波を飛ばしていたことについて話をしたことは,被告人自身も,当公判廷において認めるところである。 R警察官の供述も,翌10日付け警察官調書には全く記載がないのに,その日の取調べにおいて,草むらから蛇が出てくるとか,鼻の長い動物が草むらから見ているなどという,被告人の主張に沿うような幻覚に関する供述があったことを認める内容となっており,特段隠し立てをしようとする姿勢はうかがわれない。 さらに,T検事も,被告人が幻覚について供述したので録取しておかなければならないと思ったなどと述べて,取調べの際の状況について,自らの心境等も交えて具体的に供述している。 このように,捜査官の前記各公判供述の信用性には疑問とすべき点を見出し難いのである。イ 被告人の主張
(ア) 他方,弁護人作成の接見報告書,被告人作成の上申書等の関係各証拠によると,被告人は,9月11日のT検事による取調べの後,弁護人と接見して以降,それまでに作成された供述調書等の内容は真意に基づくものではない旨訴えるようになったと認められるところ,被告人は,当公判廷では,捜査段階当初の取調べ状況について,大要,次のような供述をしている。すなわち,
a 私は,9月8日ころから尿が出なくなっていた。逮捕直後,どういう原因で殺したか聞かれたが,膀胱が腫れて痛くて調べどころではなく,休ませてくれと言った。すると,簡単でいいから説明しなさいと言われたので,Bは水汲みが原因で,Dは私をバカにしている,Eは電波を飛ばしていると説明した。さらに,覚せい剤を打ってこうなったと説明したが,あんまり取り上げてもらえずに尿を出すように言われ,コップで水を3杯くらい飲まされた。しかし,尿は一滴も出ず,膀胱が張って苦しくなったので,自分から,病院で管を通して尿を出してくれと頼んだ。 b U病院に行った後,取調べを受けて,1時間以上妄想について話したが,警察官から

そんな妄想,誰が信用するんだ。トラブルがあってやったんだろう。バカにされていたんだろう。

と言われて,取り合ってもらえなかった。自分の罪の重さからこんなことは話すべきものじゃないかもしれないとも思った。U病院から帰ってきてから眠気が始まり,非常に疲れ切っていて早く休みたいという気持ちがあり,警察官の言うことを認めてしまった。警察官が,留置するには,簡単なことでもいいから,何か理由がないとできないと言うので,警察官が下書きした上申書を,そのとおり書き写して署名指印した。
c 9月10日の朝,警察官に幻聴の話をしたが,

そんなことどうやって調書にするんだよ。今更そんなことを言われても,何のために上申書を取ったのか分からないじゃないか。

と言われた。人を殺しても無罪という幻聴が聞こえたことは,この日に何回も警察官に言っている。妄想についてどうやって話したらいいか分からないと言うと,

簡単に取って終わりにしよう。上申書を元に調書を取るから。

と言われ,警察官の言うままに,上申書の説明をする形で調書を取られた。ただ覚せい剤のこと入れておくからと言って,2,3日前に覚せい剤をやっていたという話が調書に付け加えられた。この日も体調が悪かった。
d 9月11日には,検事に,Bが警察官に見えたという話をしたが,

今更になって命が惜しくなったのか。上申書には,Bさんとは水のトラブルで,Dさんにはバカにされてむしゃくしゃしていたので,Eさんはいつも電波を飛ばしてバカにされていたので,と書いてあるじゃないか。

と強く責められた。

日ごろから警察官を恨んでいたのか。そんなことはないだろう。

と言われ,返す言葉がなくなり,検察官の言いなりになって署名押印した。 (イ) しかしながら,被告人の上記供述は,捜査官の前記各公判供述と食い違うだけでなく,以下に指摘するとおり,多くの不自然・不合理な点を含んでおり,これを信用することは困難である。すなわち, a 本件上申書は,小屋等の極めて簡単な言葉がひらがなで記載されていたり,草等の簡単な漢字を含めてかなりの誤字が散見されることからすれば,警察官が下書きしたものを書き写したとは考えにくい。
b また,本件上申書は,おれにデンパを飛ばすんじゃないと言ってEを殺したとされる点など,被告人の精神状態に疑問を生じさせるような内容も含まれており,全体として,被告人も認めるところの本件職務質問時の自らの説明内容とよく符合していて,警察官が被告人に押し付けたものとは認め難い。 c 警察官が留置するには,簡単なことでもいいから,何か理由がないとできないと言ったというのも,本件のような重大事件の自供を内容とする上申書の作成を迫る理由としては考えにくい。 d 被告人は,9月9日に葛西警察署に任意同行された後,取調べの直前に右腕の注射痕を写真撮影されており,当時から,本件各犯行前に覚せい剤を使用していたという被告人の供述に基づき,覚せい剤関係にも十分に注意を払った捜査が行われていたことがうかがわれる。そして,翌10日付け警察官調書でも,覚せい剤のために幻覚症状が出ていたことは記載されており,同月12日以降に作成された警察官調書では,被告人が現在も主張するとおりの幻聴の内容が録取されているのである。そうすると,被告人が3人殺しても無罪であるなどという幻聴を強く主張していたのに,警察官がこれを無視して一切調書に録取しないというのも不自然である。 e 被告人は,9月24日,25日,29日,30日の検察官の取調べでは黙秘し,10月3日には,検察官調書の読み聞けを受け,T検事に対しおれは署名しないなどと申し述べ,結局署名はしたもののもう調べには応じないからななどと怒号していたことが認められる。そして,このような被告人の態度からすると,9月11日に限って,検察官の言いなりになって供述調書の作成に応じるというのも不可解である。
(3) まとめ
以上のとおり,前記(2)ア(ア)ないし(ウ)記載の捜査官の各公判供述は,いずれも高い信用性が認められるのに対し,これに反する同イ(ア)記載の被告人の公判供述を信用することは困難である。そうすると,本件初期供述の供述経過は,これら捜査官の各公判供述にあるようなものと,また,本件初期供述の内容は,前記(1)アないしエ記載のQ警察官の公判供述,9月9日付け上申書,同月10日付け警察官調書及び同月11日付け検察官調書にあるとおりであったと認めるのが相当である。
3 本件初期供述の信用性
(1) 本件初期供述の自発性
ア まず,前認定のような本件初期供述の供述経過及び供述内容に従って,本件初期供述の自発性の有無について検討する。
(ア) 被告人は,第1次逮捕の当日,排尿困難を生じて苦痛を訴えるなどしていたものの,本件職務質問や取調べにおいても,排尿困難以外に眠気や疲労を訴えたことはなく,Bと被告人が以前に共に勤めていた会社の名前など,Bの人定すら把握していなかったQ警察官がおよそ知り得ない事柄について,詳細な供述をしている。 (イ) また,本件上申書は,被告人が病院においてカテーテルで排尿を行った直後に作成されたものであり,被告人は,その後も少なくとも逮捕時点(午後6時45分)までは排尿困難について訴えすらしていなかったものである。 (ウ) さらに,9月10日付け警察官調書や同月11日付け検察官調書には,覚せい剤による幻覚についても記載されているほか,上記検察官調書には,Bがいつの間にか警察官に見えた旨の記載に続いて,

私は,何も罪を逃れたくて,そのような供述をしているのではありません。また,私は,ふだんから警察官に恨みを持っていたことはありません。

との記載もあって,これらの記載からは,捜査官が幻覚に関する被告人の供述の信憑性に疑いを抱き,被告人を追及しながらも,被告人の供述をそのまま録取したことがうかがわれるのである。(エ) そうすると,本件初期供述は,被告人が自発的に供述したものと認めることができる。イ(ア) ところで,弁護人は,次のような点を指摘して,本件初期供述は,被告人が自発的に供述したものではなく,被告人は,9月10日の時点から,覚せい剤による幻覚や妄想について供述していた旨主張する。すなわち, a 本件職務質問の際に,被告人は,覚せい剤による幻覚や妄想について話していないが,これは,職務質問という短期間で警察官に分かるように説明することは難しく,このような非現実的で荒唐無稽なことを警察官に説明しても意味はないと考えたためである。そこで,被告人は,当初は覚せい剤についてムシャクシャしたという抽象的な受け答えをしたが,Q警察官らから,Bとの間でトラブルでもなかったのかと質問を受けていろいろ話をするうち,Bとの水汲みのトラブルが原因で殺害したという虚偽の供述を創作するに至り,その当日は,排尿困難や極度の疲労のためにその供述が訂正されなかったものである。ちなみに,本件上申書にBとの間で殴り合いになったという記載がないことから,被告人がQ警察官に対しては殴り合いの事実を否定していたことが明らかである。 b R警察官は,当公判廷において,9月10日の取調べに関し,3人殺しても無罪などの幻聴の内容が記載された同月12日付け警察官調書を示されて,被告人はこのような幻聴を確かに供述していた旨証言しているから,被告人は,同月10日の時点においても,上記9月12日付け警察官調書に記載されているような幻聴を主張していたことが明らかである。
(イ)a しかしながら,本件職務質問当時から,被告人は,覚せい剤の使用につき供述しており,そのためムシャクシャしたとも述べているのに,Q警察官の公判供述にあるとおり,幻覚や妄想については一切供述していないのであり,このことは,かえって,被告人が覚せい剤による幻覚や妄想に支配されるような異常な体験をしていなかったことをうかがわせるものともいえる。
また,本件職務質問の際,Q警察官と被告人は1時間近くも話をしているのであって,時間が限られて詳しい話ができないような状態であったとはいえない。
そして,聴取状況報告書に添付されたQ警察官の取調べメモには,『何でおればかり水汲みをさせるんだ』と文句を言ってきた,

『何この野郎』となった。若干殴り合いをしたが,そばにあったバタフライナイフで左胸を2回刺した。

などの記載があり,第1次逮捕当日の取調べにも,被告人が,Q警察官に対し,Bと殴り合いになったことやBから言われた言葉について具体的に供述していたことも優に認められるのである。 b また,弁護人が指摘するR警察官の証言部分は,

9月12日に調書を作られましたよね。幻聴,幻覚の内容について

という質問に続いて,幻聴の内容というのは,そこに書いてあるのと同じようなことを言っていたのですかという弁護人の質問を受けてそうですと肯定したものである。しかも,同じ証言中で,R警察官は,9月10日には3人殺しても無罪のような弁解を聞いたことがない旨明確に述べていることも考慮すると,弁護人指摘の上記証言部分は,弁護人の質問が同月12日の取調べに関するものと誤解して,その日にはその録取どおりに幻覚に関する供述があったと答えたものと考えられる。
c このように,本件初期供述の自発性に関する弁護人の主張は採用できない。 (2) B殺害の動機等
次に,本件初期供述のうち,Bと水汲みのトラブルが原因で口論になり,Bを殴った後に殺害したという,B殺害の動機ないし犯行経過の点の信用性について検討する。
ア 前認定のように,水汲み作業は,往復約1時間もかけて公園等から数十リットルもの水を汲んで運んでくるというかなりの重労働であるところ,Bは,2日に1度という被告人との約束を実行することができず,8月28日ころに被告人から水も汲んでこないでなどと文句を言われて暴力を振るわれても,9月5日までこれを行わず,本来は水汲みをするはずの同月7日にもしていないという犯行前の状況に照らすと,本件初期供述にあるB殺害の動機は,十分に納得のいくものである。
ちなみに,被告人は,この点,捜査段階において,約束を破るBは許せないと思っていた,Bが水を汲んでこなかったので,自分で水を汲みに行った際には,水を汲んでいる姿を見られたらプライドが許さないという気持ちがあったことは間違いがなく,公園まで行く途中や帰り道でホームレスの仲間に会わないようにと心の中で思って水を汲んだ旨供述し
ている。このように,Bが水汲みの約束を守らなかったことで,被告人の自尊心が大きく傷つけられて,屈辱感を覚えたことが明らかである上,Bは,9月5日には水を汲んできているものの,被告人とは会っておらず,同月7日にも水汲みをしなかったというのであるから,同月8日のB殺害時点において,被告人が,Bに対する憤まんの情を抱いていたことは優に推認できるところである。
イ また,殺害の犯行経過に関する本件初期供述は,Bの死体の客観的状況ともよく合致して,これにより裏付けられている。すなわち,
(ア) Bの遺体に認められる約20箇所にも及ぶ創傷のうち,致命傷となった胸部2箇所と背部1箇所の各刺創はいずれも,胸腔内に到達して肺を貫通しており,胸部を狙っていることや,背部を全力で刺突したものと推認できるから,これらの刺創を負わせた時点では,被告人がBに対する確定的な殺意を抱いていたことが明らかである。他方,Bの頭部には,致命傷になり得ない切創のみがあり,胸部には,上記刺創と並んで,切創や深さの比較的浅い刺切創等も認められる。そして,このような創傷の状況からすると,被告人は,本件ナイフで頭部等を切り付けているうちに興奮して攻撃をエスカレートさせ,確定的な殺意の下に上記致命傷を加えるに及んだことがうかがわれるのである。そして,このような攻撃の態様は,口論を契機として,当初の殴り合いから殺害行為にまで発展していったものとして,ごく自然なものといえる。
(イ)a また,関係各証拠によれば,Bの眉間上部や右上肢前腕下端前面外側,右手背面には,鈍体による打撃,圧迫又は鈍体との衝突に基づく皮下出血があり,これらはいずれも表皮のかなり広い部分の変色を伴っていることが認められるのであって,被告人がBを殴打した際にできたものであることもうかがわれる。 b この点,弁護人は,被告人の手の届くはずのない下腿等にも皮下出血があることや,本件ナイフを握った被告人の手が当たったり,Bが転倒した際に石等にこれらの部位をぶつけることも考えられるから,これらの皮下出血から被告人がBを殴打したとは推認できない旨主張する。
しかし,Bの眉間上部や右上肢前腕下端前面外側,右手背面にある皮下出血はいずれもかなり広い範囲にわたり暗赤色に変色しており(なお,鑑定書には,左上肢の手背面が全体的に暗赤色調を呈した旨記載されているが,Bの死体の写真により右上肢の誤記と認める。),青紫色まだら状変色斑や黄色から赤色調の変色のある左下肢の皮下出血とは異なる原因によることがうかがわれるほか,その部位や形状等に照らすと,弁護人主張のように,本件ナイフを握った被告人の手が当たったり,Bが転倒して石等にぶつけて生じたものとは考えにくいものであるから,弁護人の主張は採用できない。
ウ したがって,B殺害の動機ないし犯行経過に関する本件初期供述は,高い信用性を認めることができる。 (3) D及びE殺害の動機等
次いで,本件初期供述のうち,DやEからバカにされていると思ったなどというD及びE殺害の動機に関する部分の信用性について検討する。
ア 被告人が,DやEに対して悪感情を抱くに至るような具体的事情として証拠上認められるものは,Dについては,被告人から数回にわたって燃料や食料等の差入れを受けたのに,直接被告人にお礼を言いに来なかったこと,Eについては,3月ころ,被告人からゴミの投棄の件について注意されたのに,分かったよと言い返してきたことにとどまるといえる。そして,被告人が,捜査公判を通じ,これらの事実をD及びEの殺害の理由として供述したことはなく,本件各犯行に先立ち,被告人がこれらの事実に立腹していたことをうかがわせる事情も見当たらない。したがって,被告人が,これらの事実に立腹してD及びEを殺害したと認めることは困難である。 イ(ア) しかしながら,前認定のような被告人の生活状況からすると,被告人は,他のホームレスと共同生活を試みたり,酒食を振る舞ったりしているほか,f橋下で1人で暮らすようになった後も,Oにf橋下の小屋に泊まりに来るように頼むなど,他のホームレスとの関わりを終始求めていたのである。
(イ) また,D及びEは共に被告人の最も近くに居住していたところ,被告人自身,当公判廷において,Dとはほとんど付き合いがなかったと当初述べておきながら,その後,Dのところには様子を見にしょっちゅう行っていたと供述した上,即座にそれを否定するような供述をしており,Dらの存在について相当に意識していたことがうかがわれる。 (ウ) 他方,Dは,食料等を差し入れてくれる友人もおり,決して人嫌いとはいえないのに,被告人が,当公判廷においても,Dは付き合いが悪く,道で会っても知らんぷりをしていたと供述しているように,被告人とは距離を置いて接していたことがうかがわれる。そして,被告人は,幻覚や妄想の存在を訴えるようになった後の9月21日の取調べにおいても,Dに対し,いつもおれをバカにしやがってという意味の言葉を大声で怒鳴りながら殺害した旨供述しているのである。
(エ) また,Eについて,被告人は,変わったおじさんと呼んでいた旨供述しており,このことは,Eが被告人にとって理解に苦しむ存在であったことをうかがわせるものである。被告人は,前認定のゴミの件についても,Eにきつく注意したところ,強い口調で言い返され,気の強い人だと思った旨供述しており,Eが,他のホームレスとは異なり,被告人を畏怖したり,被告人に従属する姿勢を示さなかったことが明らかである。したがって,被告人が,Eに対して不快な気分を抱いていたこともうかがわれるのである。
(オ) さらに,Dは,釣りの餌になるゴカイを採取して釣具店に売り,Eは,金属製文房具の工場でアルバイトをして,それぞれに正業による収入があり,窃盗等を繰り返していた被告人とは一線を画した生活を維持していたのである。 (オ) そうすると,本件初期供述のうち,被告人が,Dからは,いつもバカにされているように思っており,また,Eについても,検察官からそのように言われればそういう面もあるという意味において,バカにされていると思っていたとする点は,当時の被告人の心境として十分納得のいくものといえる。
ウ そして,D及びEに対する各殺害行為が,Bの殺害という取り返しのつかない事態になった直後のことであることも考慮すると,本件初期供述において,当時の心理状態として,1人殺してしまったと思ったので,2人殺すも3人殺すも同じと考えて,自暴自棄となり,いつもバカにしやがってという思いからDを殺害し,そのまま,その近くにいたEをも殺害したとされているのは,やや突飛な印象こそ与えるものの,決して不自然とまではいえず,それぞれに納得のいくものである。
(4) Oを襲った動機
本件初期供述のうち,Bを殺したことがばれてしまうのでOを殺そうとしたとする,Oを襲った動機の点については,前認定のように,OがBの死体に気が付いており,そのことは被告人も当然分かるような状況にあったこと,さらに,被告人がOに対し1人殺すも2人殺すも同じだと言って襲いかかったことといった外形的事実関係とよく符合しており,高い信用性を認めることができる。
(5) 時刻の誤認
ア もっとも,被告人は,本件初期供述で,Bが午前9時ころf橋下に来た後,午前10時ころにBを殺害し,引き続いて他の2人も殺害した旨述べており,また,本件上申書では,Bにはその胸の付近を2回くらい突き刺した旨記載していて,前認定のような犯行時刻やBの死体の状況と矛盾する供述をしている。 イ しかしながら,時間に拘束されず,日ごろは朝方から昼にかけて寝ていたという被告人の当時の生活状況,Bの創傷の状況からうかがわれるB殺害当時の被告人の極度の興奮状態,本件初期供述が犯行から3日目までにされたものであることなどに照らすと,十分に記憶が整理できないまま,犯行時刻を思い違いしたり,Bの殺害状況をすべて正確に記憶喚起できていなかったとしても,不自然なこととはいえないし(Bの殺害状況に関する被告人の記憶の程度については,後に詳しく検討する。),このような供述の誤りが,本件各犯行当時の被告人の精神状態に関する供述部分の信用性を動揺させるものともいえない。

(6) 結 論
以上検討してきたとおり,本件初期供述のうち,Bを殺害した動機及びOを襲った動機に関する部分はいずれも,高い信用性を認めることができ,また,D及びEを殺害した動機に関する部分も,不自然なものということはできず,それぞれに納得のいくものということができる。
4 本件幻覚供述の内容
(1) 被告人の公判供述
被告人は,当公判廷において,本件各犯行前後の状況,当時の精神状態について,大要,以下のように供述している。すなわち,
ア 覚せい剤は,9月5日に5000円で約0.5グラムくらいを買ったもので,その日打った時にも幻聴があったが,さほどでもなく,幻聴の内容は覚えていない。その夜は眠らないまま,翌6日の午前中に2回目を打ったが,昼にCらと食事をした時に幻聴はなかった。その日の夕方に3回目を打ってからは,幻聴が絶え間なく聞こえていたが,自分でも幻聴と分かっており,コントロールが利いていた。その夜も眠らず,翌7日の午前1時か2時ころに4回目を,同日夕方ころに5回目を打った。
イ 9月7日は,1日中何も食べず,小屋からも1歩も出ていない。幻聴は回数が増え,声が大きくなった。このころから,

3人まで殺しても無罪。問答無用でやれ。

というのも聞こえていた。また,C,O,V,W夫婦らについて警察官だという幻聴もあった。自分自身では幻聴をコントロールできず,B,D,Eは警察官だと思った。小便をしに小屋から出た時,草むらの周りに蛇が一杯おり,小さな虎のような動物が何匹かいるような幻覚があった。 ウ その夜も眠らないまま,翌8日の午前1時か2時ころ,通常の倍の量を打って覚せい剤を使い切った。幻聴はものすごかった。おまえのやっているのは分かっているんだ。おれは警察の偉い者だけど,おまえの打っているのは,自白剤やヘロインその他のものが入っている。Bは,水の中にそれを入れるのが役目だ。おまえがやらなければ,自分が死ぬんだ。Bが来たら問答無用でやれ。1箇所で3人まで問答無用で無罪だ。Bは警察官で,その役目は水の中にヘロインや自白剤を混ぜる役目,Dはおまえがどこかに行くのを連絡する役目,Eはいろいろな電波を飛ばす機械を操作する人間だ。問答無用でやれ。やらなければ,おまえがやられてしまう。とはっきり聞こえた。 エ 朝の8時か9時ころになって,自転車の音がしてBが来たのが分かったが,もう問答無用でやれと聞こえてきたので,小屋から出て,何も言わずに頭を2,3回切り付けて刺した。幻聴とは思わなかった。Bには,てめえ,どこの警察官だと言ったが,Bは黙っていた。Bが倒れた時には,DやEに関する幻聴が聞こえていた。その後,Dのところに行き,外にいたDを刺し,すぐにEのところに行き,外にいたEを刺したが,この2人を刺した時は何も声を掛けていないし,何も言っていない。
オ その後,小屋に戻って,ナイフや手足を洗った。幻聴で,向こう岸にいるV,C,X,W夫婦,Yは,e会のヒットマンがやるから,おまえは座って双眼鏡で眺めていればいいんだと聞こえてきたので,いすに座って対岸を見ていた。自分が光り輝いた人間のような気持ちがした。
カ 夕方になって,Oが帰ってきたので,Oを殺そうとしたが,特にOを襲わなければならないような幻聴は聞こえていない。バタフライナイフを取ろうとしたところ,手がつるような感じになり握力が入らず,Oに逃げられた。 キ その後,小屋にいると,幻聴が再びあり,e会のヒットマンは殺さないので,Cらを殺せと聞こえた。Cたちの声で,

来るなら来い。やれるものならやってみろ。

と聞こえたので,自転車で河川敷を駆け回って,C,Y,Vを追い掛けた。自分の前にC,V,Yの姿が見えたが,近づくと消え,そのようにCらの姿を追い掛けてk橋の先の砂町の方まで行った。そうしていると,のどが渇いたので,コンビニに寄り,おにぎり10個くらいとジュース類,ビール1本を購入した。コンビニに行った時も幻聴があった。
ク その後,Cと会い,てめえ,ぶっ殺してやると言って,左手でCの襟をつかもうとしたが,バットで振り払われた。右手にバタフライナイフを持っていたが,腰の方で構えていただけで,突き出すような暇はなかった。 ケ Cを襲った後,Cの小屋でCが戻るのを待っていた。9月9日の朝にf橋下の小屋に戻ると,C,Yがこっちに来るという幻聴が聞こえたので,小屋の外でナイフを持って待ち構えていたが,そのとき,草むらに蛇,虎のようなものが見え,幻聴もまだ少しあった。その後,小屋に戻って,おにぎりを食べた後,3人も警察官を殺しちゃってどうするんだ,おまえが自殺すれば一番いいんだ,この男を殺してくださいと聞こえ,何言ってるんだと自答していたが,証拠を隠せという幻聴に従って,3人の死体を川に捨てた。 コ その後,幻聴が小さくなり始め,半信半疑という感じになった。死体を捨ててから3時間か4時間かしてs警察が来て,大変なことになったと思った。ただそのときも幻聴は少しはあった。 (2) 被告人の捜査段階の供述
被告人は,9月11日夕方,T検事の取調べを受けた後に弁護人と接見して以降は,捜査段階でもほぼ一貫して,覚せい剤の使用に基づく幻覚や妄想によって本件各犯行に及んだなどと,前記公判供述と大筋で合致する供述をしており,とりわけ,Bらを殺害した後の幻覚等についてはより詳細な供述をしている。すなわち, ア Bらを殺した後,小屋に戻ってきたが,幻覚と電波が飛んできて,おれと戦っていた。小屋の周りの草むらに小さな蛇や虎,小さな口の長いしっぽの長い動物,黄色や黒の縞模様の大きな蛇,黒っぽい猫みたいな動物がおれを見ていた。眼鏡をかけた男性が,草むらの中から,あなたの若衆になりますと言って姿を現した。さらに,小屋の川向こうで電波を飛ばしている警察官がいるという声が聞こえた。その警察官の名前はCという男性で,Y,V,W夫婦,Xの声がそれぞれ聞こえてきた。しかし,

これらの者はe会のヒットマンがやる。おまえは双眼鏡で花火が上がるからそれを見ていればいい。

と言われたので,川向こうを日が暮れるまで双眼鏡で見ていた。 イ (Oを襲った後),おれは,自転車に乗って,バタフライナイフを持って,荒川の河川敷一帯を電波の来る方向へ追い掛けていったが,自転車に乗った人は追い付くと消えてしまうのだった。この行動を,荒川河川敷一帯で何度もやっていた。本件コンビニに行くまで,同じ行動をして電波と幻覚を追い掛けていた。 ウ Cを襲った後,k橋の上に出ると,また,

おまえなんかにやられてたまるか。来るなら来い。

と電波が飛んできたので,k橋を渡った中土手の草むらで,CとYの住んでいる小屋を見ていると,小屋付近の堤防を乗り越えて自転車が降りてくるので,その方向に行こうとすると,その途端に自転車が消えてしまうのだった。このような行動を何回となく繰り返していた。両手の握力と両足がしびれて膀胱が痛くなったので,自転車を転がしたり乗ったりして,自分の小屋に帰った。
エ 小屋でおにぎりや水を飲んで,小屋を出たり入ったりしていたが,そのときも幻覚があり,外に蛇や動物がいた。それから,おれはバタフライナイフを持ったままで,f橋のアスファルトの道でC,Yが来るのを待っているうちに,夜明けになった。小屋に帰ると,川向こうから

警察官を3人も殺して,おまえはどうするんだ。ルールは,3人まで,無罪ということだ。

,それから

おまえが自殺すれば,何もかも終わりなんだ。汚ねえじゃないか。おまえは証拠隠滅すればいいんだ。

と電波が飛んできた。 (3) 本件幻覚供述の変遷状況
本件幻覚供述には,以下のように,看過できない供述の変遷が認められる。すなわち, ア 被告人は,9月11日の弁護人との接見の際には,Dに対しても,おまえ,デカだろうといって刺し殺し,小屋に戻った後,

そのままにしておけ。おまえに何も罪はないんだ。3人までは無罪なんだから。

と言う声が聞こえたので,死体を放置したが,同月9日の朝になって,覚せい剤の妄想から冷めてきて,どうしたらいいんだろう,川に捨てなくちゃいけないと思い,死体を川に捨てた旨供述していたのに,当公判廷では,前記のとおり,Dを刺した時には,何も声を掛けていないし,Bらの死体を捨てたのは,証拠を隠せという幻聴に従ったものである旨供述している。
イ 被告人は,Cに対する殺人未遂についても,捜査段階でこの件につき最初に供述した9月14日には,Oを襲った後にCの幻覚を追い掛けるなどした旨供述しながら,Cが警察官と思った旨の供述をしていない。 ウ 被告人は,その後,Cが警察官である旨供述するようになってからも,捜査段階では,Cが電波を飛ばす警察官で,電波に乗って聞こえてくる方向に走っていったが発見できず,本件コンビニに買い物に行った帰りに発見したので,殺そうとしたとか(10月2日付け警察官調書),本件コンビニで買い物をした後,Cを殺そうと,Cがいそうなy公園付近を探し回ったところ,Cを見付け,Cが警察官そのものに見えたので,殺そうとした(同月3日付検察官調書)などと供述している。
ところが,被告人は,当公判廷では,第1回公判期日に,Bらの殺害を命ずる幻聴と同時に,

Cは,警察学校に行っている警察官だ。これも問答無用でやれ。

というCの殺害を命ずる幻聴があった旨供述し,第12回公判期日には,Bらを殺害した後の9月8日夕方,C,V,X,Y,W夫妻も警察官だが,e会のヒットマンがやるという幻聴があった旨の供述をしている。
さらに,被告人は,弁護人及び検察官からの質問が一通り終了した後の第15回公判期日には,9月7日中にCが警察官だ,警察学校に行っている人間だなどという幻聴があったかどうかについて前後食い違う供述をしているほか,翌8日には,e会のヒットマンが殺さないので,代わりに自分でCらを殺せという幻聴があったことを初めて供述しているのである。
5 本件幻覚供述の信用性
そこで,以下,本件幻覚供述の信用性について検討する。
なお,本件では,被告人の本件各犯行当時の精神状態について,捜査段階の9月21日,医師甲による簡易鑑定が実施されて精神衛生診断書(以下甲鑑定という。)が作成され,また,公判段階でも,平成13年1月25日から同年8月20日の間,鑑定人乙(以下乙鑑定人という。)による鑑定が,平成14年2月25日から同年7月1日までの間,鑑定人丙(以下丙鑑定人という。)による鑑定がそれぞれ実施され,いずれも鑑定書が作成提出されるとともに鑑定人に対する証人尋問が実施されているので(以下,乙鑑定人の鑑定書及び公判供述を併せて乙鑑定と,丙鑑定人の鑑定書及び公判供述を併せて丙鑑定とそれぞれ称する。),以下の検討に当たっては,被告人の精神病理や心理の機序等を考察する際などに,これら鑑定等の見解をも参酌することとする。 (1) 幻覚ないし錯覚に関する供述の信用性
ア 被告人がBらに対する殺害行為に及ぶ前に覚せい剤を使用していたことは証拠上明らかであるところ,前認定のとおり,被告人は,過去においても,覚せい剤を使用した際に,誰かに狙われていると言い出すなど,奇妙な言動を繰り返しており,前刑服役時にも,幻聴の存在を訴えていた。
イ また,被告人は,第1次逮捕の翌日から,本件各犯行当時に,幻覚があった旨供述している上,その内容も,小屋の周りの草むらに小さな蛇や虎,小さな口の長いしっぽの長い動物,黄色や黒の縞模様の大きな蛇,黒っぽい猫みたいな動物が見えていたとする点など,具体的で迫真的である。この点,丙鑑定は,被告人の供述する犯行時の病的体験について,幻覚・妄想,身体感覚異常・知覚異常・精神運動興奮・不穏・衝動性・不眠などが中心となっており,覚せい剤乱用による精神異常と考えて矛盾なく説明できるとしており,乙鑑定人は,当公判廷において,覚せい剤の影響により実際の光景を取り違えた錯覚の可能性が高い旨供述している。また,甲鑑定も,面接時の供述が真実であれば,幻覚・妄想の具体性,発展消退の経過は覚せい剤精神病の幻覚妄想状態と矛盾しないとしているのである。 ウ したがって,被告人が過去に経験した覚せい剤による幻覚等の内容を本件各犯行当時に置き換えて供述している可能性を念頭に置いて検討しても,本件各犯行当時,前記の奇妙な動物に関する幻覚ないし錯覚があったことは否定できず,その限りにおいて,本件幻覚供述の信用性を全面的に否定することはできない。 (2) 殺害指示幻聴に関する供述の信用性
次に,本件幻覚供述のうち,

Bが来たら問答無用でやれ。1箇所で3人まで問答無用で無罪だ。3人殺しても無罪であるから問答無用で殺せ。

などと本件各犯行を直接指示する内容の幻聴(以下殺害指示幻聴という。)があった旨の供述の信用性について検討する。
ア 殺害指示幻聴に関する供述状況
(ア)a 前記2で詳細に判示したように,殺害指示幻聴は,9月11日夕方の弁護人との接見後に初めて現われたものであり,そのような供述経過はいかにも不自然である。
b また,殺害指示幻聴について,丙鑑定では,被告人の幻聴の内容は結果的に被告人の犯行とよく一致している,更に言うならば,余りにもできすぎており,被告人にとって都合の良い内容といわざるを得ないとして,疑義が呈されており,乙鑑定でも,覚せい剤で惹起される幻覚はかなり場面即応的であることが特徴ではあるが,殺害指示幻聴の内容,特に1箇所で3人までは無罪や

証拠隠滅だ。川に流せ。

という幻聴は,余りに合目的的でいささか信用し難いと指摘されている。
c さらに,乙鑑定人は,このような都合のよい幻覚体験を語るのは,自分の行為と覚せい剤をより結び付けたいという心性であり,罪を免れたい,刑を軽くしてほしい,自分の情状を良くしたいという目的や意図が反映されている旨供述し,丙鑑定人も同様に供述しているが,このような観点からも,殺害指示幻聴の存在を肯定することには慎重にならざるを得ないのである。
(イ) また,被告人は,捜査段階でT検事から,幻聴の内容が3人までは無罪というのに,3人を殺害した後に更に本件殺人未遂に及んでいることの矛盾を追及されるや,1箇所で3人まで殺すのは無罪であると聞こえたから,場所が違うのでルール違反ではないと思った旨供述しているが(9月27日付検察官調書),正に場当たり的な供述というほかない。しかも,前記のとおり,本件殺人未遂や本件各死体遺棄については,Bらの殺害を指示する幻聴の存在を訴えるようになった後も,しばらくは犯行を指示する幻聴について供述していなかったものである。 (ウ) なお,弁護人は,被告人がCらも殺害しようとしているから,3人まで殺しても無罪という幻聴は結果に符合しておらず,結果を説明するようなものとなっていない旨主張するが,被告人が実際に殺害したのは3人であること,被告人が殺害指示幻聴を主張し始めた当初は,Cに対する殺人未遂やOを襲った点は捜査されていなかったとうかがわれること,さらに,被告人は,前にみたとおり,T検事から,本件殺人未遂との矛盾点を指摘されるや,その矛盾を解消する方向に幻聴の内容を変遷させていることからすると,弁護人の上記主張には賛同できない。 イ 殺害指示幻聴と被告人の行動
(ア) 被告人は,Bが犯行当日にf橋下に来る前から,殺害指示幻聴に従ってBら3人を殺害する意図を有していた旨供述している。しかし,被告人が,自らBらの小屋まで押し掛けるでもなく,やってくるかどうかも明らかでないBを漫然と待ち続け,その後Bが来てから一気に各犯行に及んだというのは,Bらの居場所をよく知っており,激しい殺害指示幻聴に悩まされていた者の行動としては全くそぐわない不自然なものである。 (イ) また,前認定のように,Bの死体には20箇所もの創傷があって,被告人と殴り合った形跡も認められるのであり,このような死体の状況は,殺害指示幻聴に従って問答無用でBを殺害したという被告人の供述には沿わないものである。
この点,乙鑑定人は,当公判廷において,被告人には殺人の経験がなかったので,最初はかなり混乱していたという説明も可能である旨供述する。しかし,被告人は,その述べるところによっても,最初にBの頭頂部を切り付けたというのであり,防御すべき凶器等を持たないBに対して,本件ナイフで当初から致命傷を与えようとする意図の下に加えた攻撃としては,やはりふさわしくないものというべきである。
ウ 電波に関する供述

(ア) もっとも,被告人は,本件初期供述において,Eに対し,おれに電波を飛ばすんじゃないと言って殺害に及んだ旨供述し,Q警察官は,当公判廷において,本件職務質問の際,被告人がシャブ打った影響だとかシャブの電波を飛ばすというようなことを言っていた旨供述している。 (イ) しかし,被告人は,殺害指示幻聴について供述を始めてからは,捜査公判を通じて多くの場合,Eを殺害する時には何も言わずに殺害した旨供述している。また,被告人がEにおれに電波を飛ばすんじゃないと言ったことを自認する調書には,怒鳴った言葉は,『おれに電波を飛ばしているんじゃない』といった意味不明の言葉ですとの記載に続いて,覚せい剤を打っていた反動で警察と戦わなくてはならないと思っていたのでEを殺害したとの記載が認められる(9月21日付け警察官調書)。このように,被告人が電波を飛ばすんじゃないという言葉を殺害指示幻聴と結び付けて説明したことはないのであり,こうした供述態度からすると,被告人の意識においても電波を飛ばすんじゃないという言葉が殺害指示幻聴と結び付くものでないことは明らかである。 (ウ) しかも,被告人は,Eが被告人に対して電波を飛ばす係であった旨供述するが,その電波の内容については,よく分からないと供述したり,被告人を殺してくださいという電波を飛ばしていると思った旨供述するなど,一貫していない。
(エ) そうすると,本件初期供述のうち,被告人がEに対して述べたというおれに電波を飛ばすんじゃないという言葉についても,殺害指示幻聴の存在を裏付けるものとは認め難いのである。 エ まとめ
以上に照らすと,本件幻覚供述のうち,殺害指示幻聴に従って本件各犯行に及んだとする点は,殺害指示幻聴の存在自体に多大の疑問が残るのであって,高い信用性が認められる本件初期供述と対比するとき,これを信用することは困難である。
(3) 警察官妄想に関する供述の信用性
次いで,本件幻覚供述のうち,被告人がBら本件各犯行の各被害者や他のホームレスらが警察官であるなどと信じたとする妄想(以下警察官妄想という。)に関する部分の信用性について検討する。 ア 殺害指示幻聴との関係
本件幻覚供述によれば,警察官妄想の存在は,殺害指示幻聴と密接に関連して,その前提をなすものであるから,前にみたとおり,本件幻覚供述のうち,殺害指示幻聴に関する部分が信用できない以上,警察官妄想に関する部分の信用性についても慎重な検討を要するといえる。
イ 供述内容の不自然さ
(ア)a 被告人は,本件幻覚供述の中で,B殺害の際に,どこの警察官だと言ったと供述するが,高い信用性の認められる本件初期供述との対比において信用し難いというほかない。そして,他に被告人が本件各犯行の被害者を警察官であると信じていたことをうかがわせるような挙動があった形跡は見当たらない。 b(a) かえって,被告人は,Bを殺害した後,そのまぶたを閉じさせたことを認めており,また,前認定のように,Cにはうそつきやがってと怒鳴りながら攻撃に及ぶなどしているのであって,これらの被告人の言動は,被害者らが自分と日ごろから付き合いのあるホームレスであることを正しく認識しながら犯行に及んだことをうかがわせるものである。 (b) なお,弁護人は,被告人がCに対しうそつきやがってと怒鳴っているのは,その犯行前に,Cに警察の犬じゃないかと尋ねていることに照らすと,Cを警察官と信じたことをうかがわせる事情といえる旨主張する。 しかし,警察の犬と警察官とは明らかに異なるし,被告人は,その述べるところによっても,Cに警察の犬じゃないかと尋ねた9月6日昼の時点では幻覚や妄想はなかったというのである。しかも,被告人は,犯行当時も,うそつきやがってとしか言っておらず,Cが警察官と信じたことをうかがわせるような言動を一切していないから,弁護人の主張は当を得ないものというほかない。
(イ) また,被告人は,捜査段階の本件幻覚供述の中で,Oを襲ったのは,Oも警察官の仲間であると思い,おまえも仲間だという趣旨のことを言って殺そうとした旨供述する。しかし,Oは,襲われた際,被告人からおまえも仲間だなどと言われたことはない旨明言している上,被告人自身,当公判廷では,1人やるも2人やるも一緒だのようなことを言ったとのみ供述し,おまえも仲間だと言ったとは供述していないのである。 (ウ) 被告人は,丙鑑定人による面接の際,幻聴の趣旨について,Dは警察の手先ではなく警察とするものであった旨供述しているほか,その当公判廷での供述に照らしても,警察と警察の手先とを明確に区別して供述していることが明らかである。そして,丙鑑定人は,警察の手先という言い方は,警察そのものではないから,ある程度は理解でき,あり得るのではないかと思うが,それ以前にホームレス仲間として,どういう人かというのはある程度分かっているわけだから,ホームレスのふだんと変わらない服を着て動いている人たちが警察官そのものであるとするような妄想は,非常に強硬すぎるという印象を持ったとして,覚せい剤の影響の妄想としては不自然であると評価しているのである。 ウ 供述変遷の不自然さ
(ア)a 被告人は,捜査段階では,本件各犯行前に覚せい剤を使用した際,Bらが警察官に見えるような幻覚や妄想はなかった旨供述しながら(10月3日付け検察官調書),当公判廷では,B,D,Eが警察官だから殺せという幻聴が8月に覚せい剤を打った時にも聞こえた旨供述し,その後,このような供述の変遷について追及されても,何ら合理的な説明をしていない。
b T検事は,当公判廷において,被告人は,9月11日,Bらが警察官そのものではなく,警察の回し者に見えた旨話していた旨供述しているが,このT検事の供述は,同月27日付けの検察官調書に,T検事の質問として,あなたは,私に対し,警察官がBらに成り済ましたのではなく,背後に警察がいて,警察の回し者としてきたと話したこともあったのではないかとの記載のあることによっても裏付けられている。 ところが,被告人は,その後は,Bらが警察官そのものに見えた旨供述するに至っているが,このような供述の変遷は,9月11日のT検事の取調べ以降,被告人が,殺害指示幻聴の内容とは相いれない警察の手先という表現から,これと符合する警察官そのものという表現に供述内容を変更したことをうかがわせるものである。 (イ)a Oを襲った点についても,被告人は,9月11日には,Bを殺したのがばれてしまうと思って殺そうとした旨供述していたのに,同月22日や27日には,Oも警察官の仲間であると思い,おまえも仲間だという趣旨のことを言って殺そうとした旨供述している。
b また,被告人は,9月27日には,一方で,Oは警察の回し者と思っていたが,夕方帰ってくると分かっており,いつでも殺せると思っていたので,同月8日の朝には殺さなかった旨述べながら,同じ調書の中で,Oがその日の朝出ていく時に,

今日は来なくていいから。好きなところに行っていいよ。

と言った旨述べるなど,場当たり的な供述に終始している。
c 被告人は,当公判廷でも,Oを殺そうと思った動機について,第9回公判期日には,襲った当時は幻聴もなく,自分でも分からないと述べていたのに,第12回公判期日には,幻聴により警察の手先だと思ったからと,その供述を変更し,その理由はよく分からないと述べるに至り,さらに,第15回公判期日には,前日の9月7日にOは警察の手先だという幻聴があり,翌8日に襲った当時には幻聴はなかったと供述するに至っている。 d しかも,被告人は,警察官と思ったからと供述した直後に,それが理由ではない旨供述したり,その殺害を決意した時期についても,Oがf橋下に戻ってきたときに殺そうと思った旨供述した直後に,9月7日から既にそのように考えていた,いつでも殺せると考えていたのかもしれないなどと供述し,その後,乙鑑定人に対しては,Oはたまたま来てしまったなどと,来ることを予想していなかったかのようにも供述しているのであって,その供述は全く一貫していないのである。

エ まとめ
以上のように,本件幻覚供述のうちの警察官妄想に関する部分は,これと密接に関連するところの殺害指示幻聴に関する部分が信用できず,また,その供述内容に不自然な点や他の証拠に沿わない部分を含んでおり,意図的あるいは場当たり的とも思われる不自然な変遷を遂げているのであって,これをそのまま信用することは困難というほかない。(4) 結 論
以上総合すると,本件幻覚供述のうち,本件各犯行当時,覚せい剤使用の影響により,被告人が供述するような奇妙な動物に関する幻覚ないし錯覚があったことは否定できないものの,3人殺しても無罪などの本件各犯行を直接指示するような殺害指示幻聴があり,これに従って本件各犯行を実行したとする部分や,その前提として,Bらが警察官であると思い込んでいた旨の警察官妄想に関する部分の信用性については,以上検討してきたような多くの疑問とすべき点があり,しかも,看過できないような不自然な変遷を遂げているのであって,高い信用性が認められる本件初期供述と対比するとき,これらを信用することは困難といわなければならない。第4 本件各犯行の際の被告人の精神状態等について
そこで,以上の検討を前提とし,乙鑑定,丙鑑定等も参酌しながら,被告人の性格や本件各犯行当時の精神状態,本件各犯行の動機や原因等について逐次検討することとする。
1 被告人の性格等
(1) 被告人の問題行動とそこからうかがわれる被告人の性格等 ア まず,前認定のような被告人の周囲の者に対する多数回に及ぶ粗暴な言動等を概観すると,被告人は,自らの意に添わぬことがあると,ほとんど心理的抵抗を感じることなく,他の者を殴打するなどの暴行に及ぶことを日常的に繰り返して,時には,相手の生命に危険を生じさせることもあったのであり,その粗暴性は誠に顕著というべきである。すなわち,被告人は,いったん気分を害すれば,前後の見境がなくなり,網元を務めていた実兄を足腰が立たなくなるほど殴打したり,妊娠中の妻の頸部を跡が残るほどの強い力で絞め上げたり,夜泣きする我が子をベランダから落とそうとしたり,他のホームレスに対しても,何ら理由を告げることなく唐突に暴行を加えて歯を折るほどの怪我を負わせたり,小屋の中に人が寝ているのを知りつつ灯油をまいて火を放つなど,原因とされる事情と対比して明らかに過剰な暴行に及ぶ傾向が認められるのである。
イ また一方では,被告人は,前認定のように,他のホームレスに対してはボスとして接しようとしている上,自転車を複数台所有したり,小屋に家電製品を備え付けるなど,他のホームレスとは一線を画した生活水準の確保に努めている。Aも,被告人の性格について,自分より下っぱというか,プライド高いのか,ちょっと分かんないですけど,バカにされたらすぐ殴るという感じ,見栄っ張りというか,そういう面はありましたね,本当にあの人プライド高いから,でも何でも気にしちゃうほうかななどと供述しているように,被告人は,プライドが高く,本件各犯行のころも自分と他のホームレスとは違うという意識を有していたことがうかがわれる。
ウ 反面,被告人は,Aの浮気を疑ったり,CやGに対して,自分の悪口を言ったと勝手に思い込み,殴り付けるなどしている。さらに,被告人は,Lの小屋に火を付けた理由として,Lが単独では万引きしないという約束を破った旨供述するが,Lは,なぜこのようなことをされるのか全く分からなかったと供述しており,Gに対する暴行についても,被告人は,GがIとJとのトラブルの原因を作ったと思って暴行に及んだ旨供述しているが,Gはこれを否定し,なぜ暴行を振るわれるか分からなかった旨供述している。
このように,被告人は,猜疑心が強く,他人からは理解できないようなささいな出来事に傷ついたり動揺したりして,精神状態が不安定になることがしばしばあり,また,その認識内容は,他の者とは食い違うことが多くあって,その誤解や曲解に基づき衝動的に他人に激しい暴行を振るうことも少なくなかったことがうかがわれるのである。 なお,乙鑑定人は,被告人がAの浮気を疑った点について,覚せい剤による嫉妬妄想と思われる旨指摘しているが,Aは,覚せい剤の影響だけではなく,被告人は単純で,人の言うことをすぐに信じる上,猜疑心が強いとして,むしろ被告人の性格の問題であるという趣旨の供述をしている。
(2) 被告人の性格等に関する鑑定人の指摘
乙鑑定及び丙鑑定は,被告人の性格として,以下のような指摘をしている。すなわち, ア 乙鑑定によれば,被告人の性格(人格)には,社会規範やモラルの無視と罪悪感の欠如,衝動性ないし攻撃性,他人への思いやりの乏しさ,安定した対人関係維持の困難,建設的な生活設計の欠如等の特性が認められ,人格障害に相当する程度であり,DSM-Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)にいう反社会的人格障害に該当する,そして,被告人は,自我の防衛はもろく,ストレスによる一時的な混乱から衝動行為や抑鬱に陥りやすい,などとされている。 イ また,丙鑑定によれば,被告人の現在の精神状態は,法に適う行動という点で社会的規範に適合しないこと,衝動性又は将来の計画を立てられないこと,易怒性及び攻撃性,自分又は他人の安全を考えない向こう見ずさ,一貫して無責任であること,良心の呵責の欠如といった性格特徴に該当する反社会的人格障害である,被告人は,粗野でサディスティックな攻撃性,暴力性や,そうした傾向を伴った支配欲を有しており,通常はそうした欲求を隠ぺいしようとするが,そのためその欲求が外界に投影され,かえって被害念慮を高める結果につながってしまい,自我の脆弱さが災いして,時に自らの衝動性を認知することができなくなり,欲求を行動化してしまう,全体としては,被告人の人格の統合水準は極めて病的なレベルにあり,現実吟味力に問題があるため,環境への適応は極端に悪いなどとされている。 ウ そして,これらの所見は,被告人の犯罪歴や問題行動歴,A,実兄,他のホームレスらの供述等に照らしても正当なものとして十分首肯することができる。
2 覚せい剤精神病の有無
(1) 前認定のとおり,被告人は,昭和48年ころより覚せい剤の使用を継続して,覚せい剤の影響によるさまざまな奇行に及ぶなどしていたのであり,また,前判示のとおり,本件各犯行当時にも,被告人が,覚せい剤の影響により,奇妙な動物が見えるという幻覚ないし錯覚を経験していたことは否定できないところである。 (2) この点,乙鑑定は,被告人の覚せい剤使用歴,行動歴等に基づき,被告人が昭和48年ころから最近まで覚せい剤依存症及びこれに基づく覚せい剤精神病の病態にあった旨結論付けているところ,その判断の根拠とする事情や判断過程について疑問とすべき点は認められない。そして,丙鑑定も,被告人の犯行時の精神状態は覚せい剤乱用による精神障害とし,甲鑑定も,鑑定時点の精神状態を覚せい剤中毒後遺症,犯行時には,被告人の供述を前提にすると覚せい剤精神病であるとしているのである。
(3) そうすると,被告人は,昭和48年ころから覚せい剤依存症であり,本件各犯行当時も,その程度はともかく(この点については後に詳細に検討する。),幻覚ないし錯覚を呈するなど,覚せい剤精神病の病態にあったと認めることができる。
3 本件各犯行に至るまでの被告人の生活状況及び精神状態
(1) 社会生活の破綻,犯罪の累行等
前認定のように,被告人は,昭和42年ころに漁師をやめた後,飲食店の経営に手を出したものの失敗し,その後,暴力団構成員となったが,不義理を働いて指を詰めさせられ,手に5寸釘を打ち込まれてけじめを付けさせられたりした挙げ句,暴力団の金を使い込んで追い込みを掛けられ,結局破門になったというのであって,ホームレスとして生活するに至るまでに,社会生活を破綻させ,暴力団の世界からも脱落して生活の場を失うなど,幾多の挫折を経ていたことが明らかである。
また,被告人は,昭和60年の長男の出生後しばらくは,子供のために早く帰宅するような平穏な日々を過ごしたものの,異常な暴力を繰り返してAに逃げられ,生まれて間もない子供とも離別して,そのころ服役した後は,生活に窮して
窃盗を繰り返すようになり,さらに2回にわたって服役し,その後,ホームレスとして生活するようになっている。 しかも,被告人は,前刑出所後,唯一の資格である大型運転免許証を再交付してもらい運送会社に勤めようと決意していたが,担当者から交付期間が過ぎているので交付できないと断られ,目の前が真っ暗になり,生活していく気力がなくなった旨供述しているように,f橋下での生活を開始した当時は,将来に向けた明るい展望や生活状況の改善等を望むことが客観的にも困難な状況にあり,当時の心境について,被告人自身,当公判廷で,やけくそですねと答えているように,どこにも希望を持ち得ない鬱屈して投げやりな心理状態にあったことがうかがわれる。 その後,被告人は,仮睡盗や万引き等を繰り返して生活するようになり,被告人自身,当公判廷において,犯罪を犯して生活を立てていくことは,人間だから嫌だった,周りの人から後ろ指を指されているという気持ちもあった旨供述するように,このように犯罪を繰り返す生活状況も,その鬱屈を更に深め,被告人の精神状態を一層すさんで殺伐としたものにしていったことが推認される。
(2) ホームレス生活における孤立化等
ア もっとも,被告人は,粗暴な行動を繰り返す反面,他のホームレスらと共同生活を営もうとしたり,Gに暴行を振るった後は,土下座して謝罪した上,懸命に看病に努めたり,他のホームレスに対して酒食や生活用品を提供したり,住居用の小屋を斡旋したりするようなところもあって,被告人自身,当公判廷において,人に嫌われると寂しいし,自分には仲間とわいわいやっていたいという思いがあり,共同生活は楽しかったとも述べているのである。このように,被告人には他人との結び付きを素朴に求めていたところも認められ,Aも,被告人と付き合ったのはその優しさにひかれたからであり,子供のおしめを取り替えるなど子煩悩な面もあった旨供述しているところである。 イ しかし,被告人が粗暴行為を繰り返したために,f橋下における共同生活は破綻し,被告人は,本件各犯行の2か月前ころからf橋下の6軒の小屋に独りで生活するようになっていた。そして,被告人自身,当公判廷において,このように人がいなくなることは寂しい旨供述しているように,本件各犯行の直前ころのこのような境遇の変化は,被告人の自尊心を傷つけ,疎外感や寂寥感を深め,その精神状態を不安定にするものであったものと認められる。さらに,被告人が,捜査段階において,私の住む橋の下は,一般人は来ないし,ホームレスの人も,余り寄りつきませんと供述するように,人家等から離れたf橋下という環境も,このような被告人の思いを一層深めていたことがうかがわれる。 (3) 本件各犯行前の被告人の精神状態
ア 被告人は,私は,他のホームレス仲間と異なり,行き場がなくて来ているのではなく,また人間嫌いで来ているのではなく,街中で暮らそうと思えば暮らせました,私は,きれい好きですから,小屋の中は,きれいにしていますし,私自身も,こぎれいにしていますから,デパートなどに行っても,浮浪者に見えることはないと思っています。しかしこの河川敷の浮浪者は,皆汚くて臭いにおいがしているのが普通です。,荒川河川敷辺りの浮浪者の中で,発電機を持っていて,電気が使えるような小屋を持っているのはおれ以外にはいないと思います。ですから,おれは周りに住んでいる浮浪者と全く同じだとは考えておりませんし,ごく普通の生活をしていると思います。,浮浪者どもは仕事を言い付けてもさぼるし,昼間っから酒ばかり食らっていて,だらしなくて,どうしようもない連中が多いのですなどと供述しているように,他のホームレスに対して優越感を抱き,自分は他のホームレスとは違うなどと他のホームレスとの間に一線を画そうとする意識も認められる。
ところが,被告人は,自ら

私は,ヤクザ崩れでありますし,自分が親分肌で,人をあれこれ使いたいが,事件前は,人が寄りつかないし,慕われてもいなかった。私は,自分が慕われていないどころか,嫌われていることは,自覚していた。

などと供述するように,他のホームレスに対してボスとして振る舞おうとする欲求を有しながら,本件各犯行の前ころには,その粗暴さのために他のホームレスから敬遠されていることも認識していたのである。 このように,被告人は,他のホームレスに優越感を抱きながらも,実際は嫌われて敬遠されていることを自覚しており,そのため,他のホームレスに対する悪感情を募らせ,自らの疎外感や寂寥感を増進させるような状況にあったといえる。
イ また,被告人は,Gの看病をするなど,他のホームレスに暴行を振るった後に被告人なりに関係の修復を図ろうとした理由について,知らんぷりすると今度は自分が反対の立場になって嫌われるとも供述するように,確かな基盤のないホームレス生活からもたらされる臆病さや自信のなさも看取されるのであり,このような気弱さや気後れも,他のホームレスに対する感情を一層鬱屈したものにしていたことがうかがわれる。 ウ さらに,被告人は,かねてより,自分の悪口を言ったなどとして他のホームレスに暴行を振るっていたが,本件各犯行の直前の9月6日にも,一緒にいたCに対して,おまえ,1人でこそこそするんじゃねえ,警察の犬じゃあないかと言って牽制したというのであり,表面上は従順なホームレスであってもいつ自分を裏切るかもしれないとの猜疑心を有していたこともうかがわれる。
エ 以上の点に加え,前記1記載の被告人の人格傾向も勘案するならば,被告人の屈折した疎外感や寂寥感,猜疑心や鬱屈した感情は,容易に,他のホームレスに対する衝動的で激しい暴力に転化し得る極めて不安定なものであったと推認することができる。
4 Bの殺害について
(1) 犯行状況
前認定のようなBの創傷の状況に,これとよく符合する内容の被告人の供述を総合すると,被告人は,Bに対し,その頭部付近を本件ナイフで3回切り付けた上,その胸部や腹部を十数回左右に切り付け,左胸部を2回突き刺し,さらに被告人の攻撃を免れるように背中を向けたBに対し,背後から本件ナイフを力一杯右背部に1回突き刺して,Bを殺害するに至ったことが認められる。
このような殺害状況,すなわち,被告人が,Bに対する攻撃を次第にエスカレートさせて,執ような攻撃を加えた末に,背中を向けたBに対し全力で刺突していることからすると,Bに対する憤激の情を犯行中に更に高じさせてとどめを刺すに至ったことがうかがわれる。そしてこの点,被告人も,興奮状態で,無我夢中であったなどと供述しているのである。
(2) 犯行の動機等
ア 本件初期供述に,前認定のようなB殺害の犯行状況を総合すると,被告人は,Bからどうしておれだけが水を汲まなければならないのかなどと言われ,憤激して殴り合いになり,更にその憤激の情を高じさせた結果,本件ナイフを手にして殺害行為に及んだものと認めることができる。
そして,このようなBを殺害した動機は,前認定のような,被告人がf橋下で生活する上で,Bに水汲みをさせることが非常に重要であったところ,Bが水汲みを怠るなどしたため,被告人がBの腹部を蹴るなど制裁を加えていたのに,Bは,約束を十分果たさず,犯行前日の9月7日にも水汲みをしていなかったという犯行に至る経緯,被告人の社会規範やモラルの無視と罪悪感の欠如,衝動性ないし攻撃性,他人への思いやりの乏しさといった人格傾向,犯行前の不安定で鬱屈した精神状態によって裏付けられている。さらに,前認定のように,自我の防衛がもろく,ストレスによる一時的な混乱から衝動行為に陥りやすいという被告人の性格に照らすと,犯行当時,Bが,被告人にとってはその配下として扱うことのできる数少ないホームレスの1人であったのに,そのBにまで反抗されて,被告人の脆弱なプライドが深く傷つき,激怒するに至ったという心理過程は,十分に了解可能といえるのである。 イ なお,被告人は,本件幻覚供述にあるように,3人殺しても無罪などという幻聴の指示によってB殺害に及んだものと弁解するが,このような弁解が信用し難いことは,既に検討したところから明らかである。 (3) 被告人の記憶の状態
ア(ア) まず,B殺害の状況に関する被告人の供述状況についてみるに,被告人は,第1回公判期日の罪状認否に
おいて,二十数回突き刺すなどした記憶はないと供述し,本件上申書には,Bの胸を2回刺した旨記載されているところ,9月10日付け警察官調書には,

頭や,胸を数回刺し,更に胸付近を左右に切り付けた。そうすると,手には血が付いており,その場に,Bはしゃがみ込んだ格好になり倒れた。

との記載があり,同月20日付け警察官調書には,右手に持っていたバタフライナイフを自分の頭の上まで振り上げ一気に2回振り下ろし,Bの頭を切り付けた。それから,次にBの左肩付近から左斜め下方向にバタフライナイフで切り付け,今度は,胸付近を数回突き刺し,更に,胸を左右に切り付けた。そして,最後に,Bの左胸,心臓付近をドーンと1回突き刺した。その後,Bは,足から崩れ落ちるような格好で,前かがみに倒れた。との記載がある。そして,同月26日午前に実施された犯行状況の再現で,被告人は,Bの頭を2回切り付け,肩,胸付近を左右に切り付け,右肩をつかんだまま左胸付近をナイフで2回刺し,相手が背中を向けるように倒れかかったので,更に背中をナイフで刺している状況を再現し,同日午後の取調べに基づくとうかがわれる同日付け警察官調書には,その再現の際に,右側の背中,いわゆる肺の裏側を1回刺したことを思い出した旨の記載がある。
以上の供述状況を概観すると,被告人は,Bの頭を切り付けたことや胸を左右に切り付け,数回刺したことについてはおおむね供述しているものの,Bの創傷と対比するとき,その原因となる暴行をすべて説明しきれたものとはいえないから,被告人がB殺害状況について概括的な記憶しかないのではないかとの疑いも生じ得る。 (イ) しかしながら,被告人は,前記犯行再現の際に,Bが自転車を止めた方向等について仮装現場の設営が当時の状況と異なる旨申し入れたり,ペットボトルを置いたことなど,犯行直前のBの挙動についても詳細に指示説明しており,これらBの挙動等について本件職務質問後に現場を案内するなどして新たに認識記憶したものとも認め難いから,被告人はB殺害の直前の状況についてはかなり詳細な記憶を有しているものと認められる。 また,被告人の供述内容からは,自己の行為のうち,最初の攻撃や致命傷になりかねない強度の攻撃については正しく記憶を保持していることがうかがわれる上,背中を刺したことを思い出すに至った経緯も犯行再現を経た上で記憶が喚起されたものとして自然なものである。
(ウ) そうすると,被告人は,B殺害の前後の状況について,大筋では正確な記憶を保持していることが認められる上,細部について一部あいまいな点があっても,被告人が犯行当時極めて興奮した状態にあったことからすれば,何ら不自然ではないといえるのである。
イ(ア) ところで,弁護人は,被告人が,9月9日作成の本件上申書では胸を2回くらい刺したとだけ供述していたのに,翌10日に頭を刺したという供述が出現し,同月20日に殺害状況が詳細になり,その後,背中から刺したという供述が出現していること,当初は,被害者が前かがみに倒れたとしていたのに,背中を刺したという供述が出現するのと同時に,背中を向けて倒れたと供述するようになったなどとして,実行行為の核心部分について著しい供述の変遷があり,このような供述の状況は,Bの死因等が判明するに伴い,それと符合するように捜査官が誘導したものに他ならないとして,被告人が真に記憶しているのは本件上申書の程度にすぎない旨主張する。 (イ) しかしながら,被告人は,当公判廷においても,Bの頭を切り付けてから刺した旨供述している。また,Bの背中に深い刺創があることは,9月9日の検視の時点から明らかであり,それが致命傷の1つであることも同月20日以前には判明していたのであるから,同月25日になって背中を刺したという供述が出現したことをもって,捜査官が死因と合致するように誘導したものと考えることは困難である。
さらに,同月25日の犯行再現において,被告人は,現場の状況の細部について当時とは異なる旨申し出るなど,記憶に基づいた再現に努めており,捜査官が誘導するような状況ではなかったことがうかがわれる上,その際,Bが背中を向けて前かがみになり又はしゃがみ込んだ状態で刺したことを再現しており,このことは,Bの背部の創傷の状況とも符合しているのであって,同月10日や20日の警察官調書の供述と矛盾するものとも認め難いのである。(ウ) そうすると,被告人の記憶の状態に関する弁護人の主張は採用できない。 5 D及びEの殺害について
(1) 犯行状況
被告人は,前認定のように,D及びEに対し,右胸部(D)や左前胸部及び左肩口付近(E)という身体の枢要部に対して,刃体の長さが約9.8㎝の本件ナイフで,肺を貫通して心臓に達する刺創及び深さ約9㎝の刺創(D),あるいは深さ約10.8㎝の刺創(E)を負わせているのであって,いずれも渾身の力で刺突したものと認めることができ,確定的な殺意をもって犯行に及んだことは客観的に明らかである。
また,前認定のように,被告人がBを殺害したf橋下からDやEの小屋までは約200mの距離がある反面,Dの小屋とEの小屋の間は約30mしか離れておらず,被告人は,その述べるところによっても,Dを殺害した後,直ちEの小屋に行き,Eに対する犯行に及んだというのであって,このような犯行の経過をも併せ考慮すると,被告人が,Bを殺害した後,D及びEの2名の殺害を決意し,確定的な殺意をもって川下に向かい,D及びEの殺害に及んだことが優に推認できるのである。
(2) 犯行の動機等
ア 被告人は,D及びEの殺害について,本件初期供述では,殺害行為に及ぶに当たり,Dに対してはいつもおれをバカにしてと言い,Eに対してはおれにデンパを飛ばすんじゃないと言った旨供述している。また,9月11日のT検事の取調べでは,Bを殺して重大な罪になると思ってやけになったところ,川下に2人のホームレスが住んでいることを知っていたが,必要な受け答えしかしないなど,なんとなく私を避けていると思い,内心面白くなく,自分をバカにしているのではないかとすらふだん考えていた,1人殺してしまったと思ったので,2人殺すも3人殺すも同じと思い,D及びEを殺害した旨供述している。さらに,被告人は,犯行当時における幻聴を訴えるようになった後の同月21日においても,Dに対しいつもおれをバカにしやがってという意味の言葉を大声で怒鳴りながら殺害した旨供述していたのである。
イ(ア) もっとも,被告人は,これら両名とはほとんど付き合いがなく,被告人の怒りを買うような具体的な事情としても,前認定のとおり,Dについては,ガスボンベや食料等を差し入れたのに直接被告人に礼を言いに来なかったこと,Eについても,ゴミの捨て方に関して被告人と一度口論になったことがあった程度にすぎず,前判示のとおり,被告人が,これらの事情を直接の動機として立腹したためにD及びEの殺害に及んだものとまで認めることは困難である。 (イ) しかし,被告人も認めるように,DやEは,本件各犯行当時,f橋下で暮らす被告人の最も近くに居住するホームレスであったのに,被告人とほとんど関わりを持とうとせず,被告人自身,Dについては道で会っても知らんぷりをされるなど,付き合いの悪い人と思っていたというのである。さらに,前認定のような被告人の性格や本件犯行前の精神状態,そして,被告人にとって配下として扱うことのできる数少ないホームレスの1人であったBにまで反抗されたことから,その脆弱なプライドが深く傷つけられて激怒するに至り,その激しい興奮状態の下にB殺害という重大犯罪に及んでしまったという当時の状況も併せ考慮すると,被告人が,本件初期供述からもうかがわれるように,B殺害を契機として,日ごろから募らせていた周囲の者に対する鬱屈した感情や疎外感を,DやEが自分をバカにしているという猜疑心や憤まんに転化し高じさせた上,1人殺した以上,2人,3人殺すのも同じという自暴自棄な気持ちとなって両名に対する殺害に及んだとしても,何ら不自然ではないといえる。
そうすると,D及びEを殺害した動機は,Bを殺害したことによって自暴自棄となった被告人が,これを契機に,日ごろの鬱屈した感情や疎外感から,最も近くに住んでいるのに,自分と良好な関係を築こうともしないD及びEが,自分をバカにしているという思いを一気に高じさせて,その憤激の情を両名にぶつけたものと推認することも十分に可能である。 ウ(ア) なお,被告人は,D及びEについても,3人殺しても無罪などという幻聴の指示によって殺害に及んだ旨主張しているが,このような動機で犯行に及んだものと認め難いことは既に検討したことから明らかである。
(イ) もっとも,本件初期供述からも,被告人は,Eに対しておれにデンパを飛ばすんじゃないと言って殺害に及んだと認められるところ,前判示のとおり,本件各犯行当時,被告人に覚せい剤の影響による奇妙な動物についての幻覚ないし錯覚があったことは否定できず,Q警察官も,当公判廷において,被告人が本件職務質問の当時から覚せい剤の関係で電波という話をしていた旨供述している。
したがって,おれにデンパを飛ばすんじゃないという被告人の言葉が,本件幻覚供述中の幻聴の存在を裏付けるものとはいえないにしても,被告人が,本件各犯行当時,Eから何らかの電波を飛ばされているという幻覚を体験していたこともうかがわれるのであり,後に検討するように,覚せい剤の影響による何らかの異常な心理状態が介在して犯行に結実した可能性も否定できないのである。
(ウ) しかし,被告人は,おれにデンパを飛ばすんじゃないという言葉の意味するところやE殺害に及んだ理由との関係について,本件幻覚供述中の幻聴との結び付きについてはもとより,いかなる意味においても,Eの殺害に及んだ理由と結び付けては全く説明していないのである。
そして,丙鑑定人は,覚せい剤を使用した際,幻聴よりももっと軽いレベルのものでも,電波を飛ばされているという体験をすることもあり得る旨供述している。また,被告人は,乙鑑定人に対しては,Eがいつも自分をバカにするような電波を飛ばしており,非常に不愉快な思いをしていた旨供述しているのであり,仮にEが電波を飛ばしてくるような幻覚があっても,それは,Eを殺害する動機となるようなものではなく,被告人のEに対する怒りや苛立ちを背景として,そうした感情を表出し高めるにすぎないものであったことがうかがわれる。
(エ) そうすると,被告人がおれにデンパを飛ばすんじゃないと言ってE殺害に及んでいることが,前記イの推認を妨げるものとはいえないのである。
(3) 被告人の記憶の状態
ア 被告人は,D及びEの殺害状況についてはおおむね一貫した供述をしており,その内容も,当時の被害者の挙動や刺した時の体勢などが具体的に述べられていて,実際に経験した者でなければ語り得ない迫真性を備えている。 イ(ア) なお,弁護人は,様々な点を指摘して,被告人はDやEを殺害した際の明確な記憶を有していない旨主張する。
(イ) そして確かに,Dを刺した回数については,本件上申書の1回から9月11日以降の2回くらいに供述が変遷しているが,被告人は,B殺害に伴う興奮状態の中で引き続きDを刺しており,しかも,本件上申書作成当時は,被疑者として警察署まで任意同行した直後であり,動揺して記憶が十分整理されていなかったとうかがわれることも考慮すると,この程度の食い違いが不自然な変遷ということはできない。
また,Dには,胸部及び肩の2箇所の刺創に加え,左の掌の内側に切創が認められるが,この傷は,その部位や状況から,本件ナイフを握った結果できたものであり,被告人が左手を攻撃した結果生じたものではないことがうかがわれるから,この傷について,被告人が全く供述していなくても何ら不自然ではない。 被告人は,本件初期供述でも,9月10日の警察官調書では,いつもバカにしやがってと言った旨の供述をしていないが,その替わりにいつもおれをバカにしていると思い込み,何かを言った旨供述しているから,この点で供述内容に変遷があったともいい難い。
(ウ) このように,弁護人の指摘する点はいずれも採用できないのである。 ウ したがって,被告人は,D及びE殺害の状況についてもかなりはっきりした記憶を有しているものと認めることができる。
6 本件各殺人後の行動
(1) 死体の移動等
ア 前認定のように,本件各殺人の後,被告人は,D及びEの死体を放置してf橋下に戻り,Bの死体を川縁に移動させ,血の付いた手足や本件ナイフを洗い,血の付いたTシャツやトランクスを脱いでおり,関係各証拠によれば,Bの死体を置いた川縁は,小屋の前からは死角となって見えにくい位置にあり,対岸からも約370m離れていると認められる。 イ もっとも,Dの殺害現場は,河川敷の草むらが踏み分けられた踏み分け道に接しており,Eの殺害現場も,その踏み分け道のごく近くにあり,死体をそのまま放置すれば,他の者に死体を発見される可能性もあるというのに,被告人は,D及びEの死体を放置し,f橋下でも,Bの殺害によって生じた血だまりをそのまま放置している。また,被告人は,その日の夕方にOが戻ってくることは当然分かっていたのに,Bの死体を川縁に移動させたにすぎないのであって,被告人が,本件各殺人の犯行後しばらくは,沈着冷静な判断が困難な状態に陥っていたとみることも可能である。 ウ しかし他方,被告人は,血液の付着した手足や本件ナイフを洗い,衣服を着替え,死体を見えにくい場所に移動しているのであって,このような行動からは,Bらの死体の処理にまでは頭が回らないものの,その場の状況に応じた合理的な行動をする能力も一応は保たれていたものと認めることができる。 (2) その後の行動
ア 被告人は,その後,Oが来るまでずっとf橋下にいた旨供述しているところ,これに反する証拠は存在しない。そして,被告人は,9月11日,T検事に対し,夕方になってOが来るまで私は,3人も殺したと思い,ぼんやりしていましたと供述しており,B,D,Eを立て続けに殺害した結果,興奮が収まった後は茫然自失の状態になっていたことがうかがわれる。
イ そして,当時の精神状態について,被告人は,Bらを殺した後に,小屋に戻ってきたが,幻覚と電波が飛んできて,自分と戦っていた,小屋の周りの草むらに小さな蛇や虎,小さな口の長いしっぽの長い動物,黄色や黒の縞模様の大きな蛇,黒っぽい猫みたいな動物が自分を見ていた,眼鏡をかけた男性が,草むらの中から現れて,あなたの若衆になりますと言って姿を現した,川向こうで電波を飛ばしている警察官がいるという声が聞こえ,C,Y,V,W夫婦,Xの声がそれぞれ聞こえてきた,しかし,

これらの者はe会のヒットマンがやる。おまえは双眼鏡で花火が上がるからそれを見ていればいい。

と言われたので,川向こうを日が暮れるまで双眼鏡で見ていたなどと供述しており,その供述内容は,具体的かつ詳細で,それなりの迫真性も有しており,このうち,奇妙な動物に関する幻覚ないし錯覚のあったことが否定できないことは,前判示のとおりである。
もっとも,丙鑑定にもあるとおり,いかにその供述に具体性や迫真性があっても,被告人が,過去の覚せい剤精神病に基づく体験を基にして,いかにも本件当時に体験したかのように供述をしている,あるいは体験内容を誇張して供述している可能性も否定できないのであり,被告人の異常体験についての供述内容については慎重な吟味が必要である。しかし,Oの供述によれば,その日の夕方,f橋下に戻ってきた時,被告人が小屋の前の血だまりの横で上半身裸のまま直立して川の方を眺めていたというのであり,このような被告人の状態は,被告人が朝のBらを殺害した時に服を脱いだそのままの状態で夕方までいたことをうかがわせるだけでなく,一見して他の者に異様な印象を与え,上記のような川向こうを見ていればよいという幻聴に従ったものとみることもできるものである。したがって,上記のような幻覚に関する供述はこれを信用することができる。
ウ そうすると,以上のような幻覚の内容に加え,自らBらを殺害した結果の重大性に照らすと,被告人が,本件各殺人のあった午前8時前ころから,Oがf橋下に戻ってきた午後5時過ぎころまでの間,不安や衝撃,動揺に苛まれて,極めて不安定な精神状況であったことがうかがわれる。
7 Oを襲ったことなど
(1) Oの供述
ア Oは,9月8日の被告人の様子について,次のように供述している。すなわち, (ア) 私は,午前5時ころ起きて,既に小屋の前に立っていた被告人と会ったが,この時は,被告人から襲われること
はなく,被告人に特に異常な様子もなかった。
(イ) 夕方5時過ぎころ,私がf橋下に戻ってくると,コンクリートの上に血だまりを認めて,何かとんでもないことがあったと思った。あいさつをするために被告人に近づいたところ,川縁に両手を広げて仰向けに倒れている人の姿が見え,死んでいるのではないかと思い,恐ろしくなって足が震え出し,被告人の顔を見られなかった。そうしていると,被告人から襟首をつかまれ,川の方から小屋の方へと連れて行かれた上,大きな声で1人殺すのも2人殺すのも同じだと言われた。しかし,なぜか,被告人は,私の襟首から手を離して川の方へと戻ったので,そのすきに逃げ出した。 イ そして,このような被害状況についてOが虚偽を述べるべき理由はなく,その内容も迫真的であるから,Oの上記供述は,十分信用できるものである。
(2) Oを襲った動機
ア Oの供述するような被告人から襲われた状況からすると,本件初期供述をまつまでもなく,被告人は,OがBの死体を見て衝撃を受けているのに気付き,その上で,1人殺すのも2人殺すのも同じだと言って殺そうとした,すなわち,被告人は,OにBの殺害を知られたかもしれないと思って,その口封じのために殺害に及ぼうとしたものであることが優に推認できるのであり,そのような動機は十分に了解可能である。 イ なお,被告人は,Oも覚せい剤の影響で警察官であると思い,おまえも仲間だと言って殺そうとしたとも供述するが,Oの供述と明らかに食い違う上,前記のような本件初期供述から大きく不自然に変遷していて,到底信用できないといわざるを得ない。
(3) 被告人の記憶の状態
被告人は,Oを襲った際の状況について,捜査段階では,Oがk橋方向から自転車でf橋下にやってきてあいさつをしてきたところを,やにわに襟首をつかんで数歩歩いたが,手の力が緩んだすきに,k橋方向に逃げられた旨供述している。
そして,上記のような被告人の供述内容だけでなく,引き当たり捜査の際に被告人が指示したとされる,Oが自転車を止めた位置や被告人が襟首をつかんだ位置等は,Oの供述及び同人立会による実況見分の結果とほぼ合致しているから,被告人はこの点についても相応の記憶を保持しているものと認められる。 8 Cに対する殺人未遂について
(1) 犯行状況
ア 被告人がCを襲った状況は,前認定のとおり,自転車にまたがったままのCの胸部を目掛けて,いきなり本件ナイフを複数回突き出し,Cが金属バットで抵抗してからも,更に本件ナイフを複数回突き出すなどしたというもので,身体の枢要部を目掛けてバタフライナイフで執ように攻撃を加えたその犯行態様からも,被告人が確定的な殺意をもって犯行に及んだことは明らかである。
イ そして,Cは,被告人から,おい,てめえ,うそつきやがってなどと怒鳴られている上,捜査公判を通じて,この時の被告人は,目が座り,鬼のようなものすごい顔であり,今まで見たこともないような恐ろしい顔であった旨供述しているのであって,このような被告人の言動や形相からは,被告人がCに対して激しく憤激して犯行に及んだことを優に推認することができる。
(2) 犯行の動機
ア 自転車のスタンドや窃取米の売買代金の件
(ア) 本件犯行の動機について,Cは,捜査公判を通じて,被告人からうそつきやがってと怒鳴られて襲われるような心当たりとして,9月6日に依頼された自転車のスタンドの件及び窃取米の売買代金の件を指摘している。そして,被告人も,捜査段階では,Cが同月7日に持ってくるはずだった自転車のスタンドと米の売却代金を持ってこなかったので,これらのことについてうそをついたことになった旨供述しているのである(9月27日付け検察官調書)。 (イ) もっとも,Cは,捜査公判を通じて,スタンドや米の売却代金は,9月6日から二,三日後に被告人がk橋の下に取りに来ることになっていたと供述しており,これによれば,本件殺人未遂の犯行当時は,約束の期限がまだ過ぎていなかったことになる。そして,被告人も,捜査段階において,自分が頼んだ以上は,Cのことだから,二,三日のうちに自分の自転車のスタンドを取り替えてくれると思っていたとして,Cと符合するような供述をしている(10月20日付け警察官調書)。
(ウ) しかも,被告人は,犯行の際には,これらの件についてCに何ら確認することなく,いきなりCを襲っているのであって,本件殺人未遂の動機として,自転車のスタンドや窃取米の売却代金に関するものと特定することには,なお合理的な疑いが残るというべきである。
(ア) しかし,被告人とCとの関係をみると,Cは,前認定のように,k橋下で居住するようになってから間もなく被告人から訪問を受けた際,

ここに若いあんちゃんがいると聞いてきた。悪さをするんじゃないぞ。

といきなり怒鳴り付けられている上,被告人が他のホームレスに理不尽な暴行を振るうのを目の当たりにして,被告人の言動や態度にとまどい,決して良い印象を抱かなかったことは明らかである。
そして,Cは,被告人について,ほとんど毎日朝方や夜に来るようになった,被告人が来るたびにイチャモンを付けられたり酒を買いに行かされたりして,ほとほと困っていた,被告人が来ると怖いので,近くのy公園に行き,隠れたりしたこともある,自分は被告人が好きになれず,来ても知らんぷりをしていることが多かったなどと供述している。また,Cは,その供述するとおり,5月ころに,被告人から何も言わないということは,おれにくれるっちゅうことだろうなどと言われて,本件ナイフを被告人に取り上げられている。
このように,Cは,表面上は被告人に従うような態度をとりながらも,被告人の粗暴さを恐れ,嫌悪の情を抱き,できるだけ敬遠する態度に出ていたといえる。
(イ) また,Cは,被告人から,万引きや仮睡盗にも誘われることがあったが,仮睡盗については何回やってもうまくいきませんなどとごまかして実行せず,被告人から仮睡盗の現場を見るように言われても帰ったりしており,被告人から盗品の財布を見せられ,使うかと言われても,理由を付けて断ったなどと供述するように,被告人が行う犯罪に加担するなどして,被告人の一味となることをためらう姿勢を示していたことがうかがわれる。 (ウ) そして,前認定のように,被告人が,9月6日に,Cに対し,おまえ,1人でこそこそするんじゃねえ,警察の犬じゃあないかなどと述べており,また,Cが,被告人から,悪口を言っているとして突然殴打されることもあったことは,被告人がこのようなCの面従腹背の態度に感づいており,そのようなCの態度に反感や猜疑心を募らせていたことをうかがわせるものである。
(エ) そうすると,被告人が,Cのことをあんちゃんなどと呼び,当公判廷でも,Cのことを人のいいやつだなと思ったですなどと述べて全く悪口等を言っていないこと,Cも,当公判廷において,被告人からは,よくご飯などをおごってもらい,他のホームレスと比べて嫌われているとは感じなかったと述べるなど,被告人が,他のホームレスと比較して,Cにはより親密な感情を抱いていたとうかがわれることを考慮しても,Cもまた,他のホームレスと同様,被告人から,不信感を抱かれ,ささいなことで猜疑の目を向けられる対象であったことが優に推認できるのである。 ウ 犯行当時の被告人の心理状態
(ア) 被告人は,前認定のように,自我の防衛がもろく衝動行為に陥りやすい性格であるところ,本件殺人未遂に先立って,Bから反抗され,その脆弱なプライドが深く傷つけられて,憤激の余りBを殺害し,そのため,自暴自棄となって,日ごろの鬱屈した感情や疎外感から,DやEが自分をバカにしているとの思いを一気に高じさせ,その憤激の情の発露として両名を殺害し,さらに,Bの死体を見たOも殺そうとしたが取り逃しているのである。したがって,本件殺人未遂の犯行当時も,被告人は,引き続き,容易に他者への攻撃に及ぶような自暴自棄で極めて不安定な精神状態にあったこ
とがうかがわれる。
(イ) そうすると,被告人は,このような精神状態の下で,偶然に出会ったCに対し,前記のスタンドや米の売却金の問題も含みはするが,それに限定されない,日ごろからの漠然とした不信感等を背景として,Cに対し,一方的に猜疑心や憤まんの情を募らせた上,衝動的に殺意を形成したものと考えられる。そして,このような理解は,被告人がCに対してめえ,うそつきやがってと怒鳴ったことや,Cの供述するような当時の被告人の激しい憤怒の形相等とも矛盾しないものということができる。
エ 被告人の供述
(ア) 被告人は,本件犯行当時,Cが警察官であると思い込み,問答無用で殺せという幻聴があったので殺そうとしたと供述する一方,犯行前後の自身の行動として,Oを襲った後に,Cらの声で来るなら来いなどと挑発する声が聞こえてきたので,自転車に乗り,このような声やCらの姿を追い掛けて荒川河川敷を走り回っていた,しかし,のどが渇いたので本件コンビニに行くことにして,ビール1本,水,おにぎり10個くらいを買った,その帰りにCを見掛けたので,殺そうとしたが,逃げられた,その後,Cの居所であるk橋に行ったが,再び来るなら来いという電波が聞こえ,堤防を乗り越えて自転車が降りてくるなどの幻覚が見えた,f橋下の小屋に戻った後も,Cが来るという幻聴が聞こえたので,本件ナイフを手にしてCらを待ち構えていたが,その時も周囲に蛇や動物が見えた旨供述している。 (イ) このうち,Cについても殺害指示幻聴や警察官妄想があったとする点は,前に検討したとおり,Bらについてのものを含めて殺害指示幻聴や警察官妄想に関する被告人の供述が全般的に信用性に乏しく,とりわけCに関する供述内容が著しく変遷していることに照らすと,信用することは困難である。 (ウ) しかし,被告人が,本件殺人未遂の犯行の前後において,Cらの声で挑発するような幻聴があり,これを追い掛けていたなどとする供述は,捜査段階からほぼ一貫している上,Cが,犯行の翌日の9月9日午後4時ころ,k橋下の自分の小屋に戻ったところ,隣の小屋に住むホームレスから,

夜中に,小屋の前で,ワーという大きな声が聞こえた。少し後で,外に出てみると,男が階段を上っていくところだった。

と聞かされた旨供述していることによっても裏付けられているといえる。
そうすると,本件殺人未遂の犯行前後の行動に関する被告人の供述は,本件コンビニでの買い物と犯行の先後関係など,一部に客観的に採用できない部分もあるが,Cらの声で挑発するような幻聴があったとする点や,これらに翻弄されるようにして河川敷を走り回るなどしていたとする点は,その信用性を否定し得ないものというべきである。 オ 幻覚の影響
(ア)そして,このように被告人を挑発するような幻聴があったとするならば,被告人が,その粗暴性を爆発させる対象としてCを選択し,衝動的に確定的な殺意を抱くに至ったことについて,このような幻覚が寄与した可能性も否定できない。
(イ) しかし他方,被告人は,このように幻覚が活発であるさ中においても,前認定のように,のどが渇いたと感じるや,自転車に乗って本件コンビニにビール等を購入しに向かっており,その後,本件コンビニで何ら異常な挙動を見せることなく買い物を行っている。また,おにぎりを購入していることからすると,少なくともその時点では,更に荒川の河川敷等を走り回るつもりはなく,そのままf橋下の小屋に戻る意図であったこともうかがわれる。 そして,このような行動は,十分に合目的的なものといえるのであり,被告人が,幻覚に間断なく翻弄されるような状態になかったこともうかがわれる。また,来るなら来いという幻聴やCらの姿の幻視は,それ自体,Cの殺害を指示するものではない上,犯行時に被告人が口にしたうそつきやがってという言葉とも明らかに無関係である。したがって,被告人がこれらの幻覚に支配されて本件殺人未遂に及んだものとは認められないのである。 カ まとめ
以上総合すると,本件殺人未遂については,被告人が,Cの日ごろの態度等を背景として,Cに対し一方的に猜疑心や憤まんの情を募らせて爆発させたものであることがうかがわれるのであり,覚せい剤に基づく幻覚の影響があった可能性は否定できないとしても,それは,Cに対するそうした悪感情や被告人本来の衝動性を一層助長した程度にすぎないものと認めるのが相当である。
(3) 被告人の記憶の状態
ア 被告人は,捜査公判を通じて,本件殺人未遂は本件コンビニで買い物した後の出来事であり,その際に,うそつきやがってとは言っておらず,本件ナイフを構えはしたが,突き出してはいないなどと,Cの供述を中心とする関係各証拠によって認定することのできる事実関係に明らかに反する供述をしている。 イ このうち,犯行状況について,被告人は,ぶっ殺してやると言ったことやCから金属バットで抵抗されたことなどについてはCと合致する供述をしており,相応の記憶を保持しているものと認められる。 しかし,それと相前後するうそつきやがってという言葉や本件ナイフを突き出したことについて一切記憶がないというのは,いささか不自然である。とりわけ,うそつきやがってという言葉について,Cには,明確な心当たりがなかったために特に印象深い言葉であったというのであり,Cがそのような言葉についてあえて虚偽の供述をすべき理由も見出し難いから,この点に関するCの供述の信用性に疑問の余地はない。しかも,この言葉は,Cが警察官であると思い込み,問答無用で殺せという幻聴に従って犯行に及んだという被告人の弁解に真っ向から反するものであることも考慮すると,被告人がうそつきやがってと言ったことを殊更否定するのは,犯行当時の心理状態を隠ぺいしようとする態度をうかがせるものといえる。
また,本件ナイフを突き出したことを否定する点も,被告人が,基本的な事実関係は争わないものの,意識的にしろ無意識的にしろ,自己の刑責をできるだけ軽減しようと態度に出たものとして十分了解可能である。 ウ もっとも,被告人が本件コンビニでの買い物と本件殺人未遂との先後関係を誤っている点は,被告人の刑責に影響を与えることはなく,被告人が殊更に虚偽を述べるべき理由は考え難い。 しかし,被告人は,本件殺人未遂の前後ころの行動について,荒川河川敷をどこまで行ったのか,本件コンビニにどのような道筋で行ったのかなどの点については,あいまいな供述に終始している。また,前認定のように,本件殺人未遂当時,被告人が極めて興奮しており,幻覚も体験していたことからすれば,上記のような事実認識の誤りは,過度の興奮と覚せい剤の影響により,被告人の記憶の一部に混乱が生じたものとも考えられるのである。 9 本件コンビニにおける挙動
前認定のとおり,被告人は,9月8日午後11時24分ころ,本件コンビニに入店して,買い物かごを手にし,通路を他の買物客数人とすれ違うなどしながらも,店内を一周して商品を順次かごに入れ,レジにおいて代金を支払って,何事もなく店を後にしており,その挙動に不自然な点は全くうかがわれない。そして,前記のとおり,被告人は,買い物をした動機については,のどが渇いたとか,自分の小屋に戻って食事をするためと述べており,買い物した商品の内容についても捜査段階で詳細に説明するなど,比較的明確な記憶を有しているものと認められる。 そうすると,本件殺人未遂との時間的先後関係に関する誤認の問題はあるにしても,この時点において,被告人には,覚せい剤の影響による精神状態の異常をうかがわせるような状況は全く存在しなかったものと認められる。 10 本件各死体遺棄について
(1) 犯行状況
前認定のように,被告人は,9月9日午前5時50分ころから午前6時10分ころまでの間,革手袋をはめて,Bら3人の死体を次々と荒川に投棄した。そして,被告人も認めるように,被告人は,網元の家に生まれて海辺で育ち,潮の満ち引きは十分に理解していたところ,本件各死体遺棄の犯行当時,荒川は大潮の下げ潮であり,河水は海に向けて相当速い速度で流れていた。そして,被告人は,死体を遺棄した後に,f橋下に戻り,手足に付いた血を洗い流し,小屋の
前にあった血だまりに水を掛け,たわしで洗ってタオルでふき取っているのである。 (2) 犯行の動機
ア このような本件各死体遺棄の態様に,革手袋をはめ,血だまりを洗うという前後の行動を併せ考慮すると,客観的な事実関係だけからも,被告人が本件各殺人の露見を恐れて本件各死体遺棄に及んだことが強くうかがわれるのである。
イ この点,被告人は,本件初期供述において,死体を何とかしなければならないと考え,川に流して海まで行ってしまえば,死体が上がらず死んだことが分からないと思って本件各死体遺棄に及んだ旨供述し,幻覚を積極的に訴えるようになった9月11日の弁護人の接見の際にも,

これはどうしたらいいんだろう。川に捨てなくちゃいけない。

と思って本件各死体遺棄に及んだ旨供述している。そして,これらの供述は,前認定のような犯行態様に照らし極めて自然なものであり,高い信用性を認めることができる。
ウ なお,被告人は,当公判廷では,

証拠隠滅だ。川に流せ。

とする幻聴に支配されて本件各死体遺棄に及んだ旨供述しているが,前記のとおり,その犯行動機に関する供述には不自然な変遷が認められる上,その幻聴の内容は被告人にとって余りにも好都合なものでもある。
また,被告人は,当公判廷においても,Bらの死体を遺棄した9月9日午前6時ころから,幻覚が覚めてきて半信半疑になり,同日午前8時ころ,s警察の船を見たころからは大変なことになったと思ったとも供述しているが,同月11日の弁護人の接見の際には,同月9日の朝に覚せい剤の妄想から覚めてきて,死体を遺棄した旨供述し,同月26日にも,f橋下のBの血だまりを洗い流した際に,自分の犯した罪の重さに両足がガタガタ震えていたなどと述べて,本件各死体遺棄に及んだ当時は,既に覚せい剤の影響から脱却していたことをうかがわせる供述もしているのである。 したがって,本件各死体遺棄が幻聴の指示に従ったものである旨の被告人の上記供述を信用することはできない。 エ そうすると,被告人は,Bらに対する本件各殺人の罪証を隠滅する意図の下に本件各死体遺棄に及んだものと優に認められるのであり,このような行動は,当時の客観的状況の下で,殺人事件の犯人である被告人がとる行動としては,合理的で了解可能なものであり,次項で指摘するように,被告人が当時の状況を明確に記憶していることも考慮すると,精神状態の異常をうかがわせるような事情は何ら見出せないのである。 (3) 被告人の記憶の状態
被告人は,捜査段階において,本件各死体遺棄の際の川の水位や死体を投棄した際の状況について詳細に供述している。しかも,同時に,川を油槽船が通過したという客観的な裏付けのある事実や,遺棄したBの死体のズボンの後ろポケットにキンカンの塗り薬が入っており,Bの死体の下には鈴が入っていると思われるチャック付きの小銭入れが落ちていたが,Bの死体と共に棄てたなどという取調官が強要するとは考え難いような事実についても,詳細に供述している。さらに,Eの死体を棄てた際には,左胸を下方向にして倒れたはずのEの死体が仰向けになっていたので,誰かが来て触ったと思ったなどという,死体遺棄の時点だけでなくE殺害の時点においても鮮明な記憶があったことをうかがわせる供述すらしているのである。
そうすると,被告人は,本件各死体遺棄の状況について明瞭な記憶を有しているものと認めることができる。 11 本件職務質問に対する対応
(1) 前認定のように,被告人は,Bらの死体を遺棄した後もf橋下の小屋にとどまり,9月9日午前10時ころ,Q警察官らによる職務質問を受け,Bらに対する本件各殺人及び本件各死体遺棄について自供したが,関係各証拠によっても,被告人は,その際,Q警察官の質問に的確に応答し,各犯行現場を案内して具体的に指示説明をしているのであり,精神状態の異常をうかがわせるような挙動は何ら認められないのである。 (2)ア もっとも,被告人は,本件職務質問の当時はまだ幻聴が残っていたなどとも供述するが,本件職務質問から本件初期供述に至る経緯に関する被告人の供述が全般的に信用し難いことは既に判示したとおりである。 イ(ア) さらに,被告人は,Bらを殺害した後,自分が光り輝いた人間になったような感じがしたとも供述しているところ,乙鑑定は,このような特徴的な万能感ないし恍惚感は,覚せい剤使用時に見られる過覚醒や気分高揚が著しく増幅されたものととらえられると指摘している。また,本件職務質問の際,被告人は笑みを浮かべながらQ警察官らと話をしていたことが明らかであり,Q警察官が,被告人から自分が殺害した旨告げられて,冗談言うなと言ったことからも,被告人の態度が冗談ともとられかねないような雰囲気であったことがうかがわれる。そして,乙鑑定では,被告人が逃亡する気持ちを起こさなかったのも,覚せい剤の影響による高揚気分の名残ととらえるべきであるとも指摘している。 (イ) しかしながら,被告人は,警察に勝ったと誇らしげに思っているのであれば考えるはずのない本件各死体遺棄の犯行を実行している。
しかも,被告人は,その供述を前提としても,本件各死体遺棄の犯行に及ぶ前から,この男を殺してください,自殺すればいいんだというように,被告人を責めるような幻聴に苛まれていたというのであり,乙鑑定は,このような幻聴について,覚せい剤による興奮状態が消褪する過程で,その反跳現象としてむしろ抑鬱に傾くことは,臨床で時に経験することであると指摘している。
また,被告人は,捜査段階では,本件各死体遺棄の犯行後に血だまりをぬぐった際には足ががくがく震えるような思いになったとか,Q警察官らが来る前は知り合いの警察官に自首しようかと考えていたとも供述しているのであって,被告人は,本件各死体遺棄の犯行当時,Bらの殺害という自らの行為が犯罪に当たることを十分に認識し,取り返しの付かないことを犯してしまったという自責の念すら感じていたことがうかがわれる。 さらに,Q警察官は,当公判廷において,本件職務質問当時の被告人の態度について,勝ち誇った態度やうなだれたような態度はなく,全体的には不まじめさが見受けられ,ふてくされて言っているのかなと思ったなどと供述しているのである。
(ウ) そうすると,被告人が笑顔を見せながらQ警察官と応答していることは,居直りや自暴自棄な心情の現れにすぎないといえるのであって,被告人について,覚せい剤による何らかの幻覚があったとしても,本件職務質問以前にはすべて消失しており,被告人の精神状態や挙動には何ら影響を与えていないものと認めることができる。第5 乙鑑定及び丙鑑定の検討
1 問題の所在
(1) 本件においては,捜査段階の甲鑑定,公判段階の乙鑑定及び丙鑑定がそれぞれ実施されているところ,これらの鑑定は,被告人には反社会的人格障害があり,本件各犯行当時,覚せい剤乱用による何らかの精神障害があったことについては,おおむね見解が一致している。また,いずれの鑑定も,本件各犯行について,被告人の人格の発現という面があることを前提としつつ,責任能力の問題は,その人格傾向が発現するに当たり,覚せい剤精神病がどのような影響を与えたかという評価の問題であることについては,基本的な視座を同じくするものといえる。 (2) もっとも,乙鑑定は,本件各犯行当時,被告人が,比較的大量の覚せい剤摂取時の急性覚せい剤中毒によって惹起されたせん妄のさ中状態にあり,現実との関わりを冷静に判断し,その判断に基づいて被告人なりに自らの行動をコントロールする機能が介入する余地は極めて乏しかったとして,被告人は,当時,責任能力が著しく減退した状態(心神耗弱に相当)であったと結論付けている。
これに対し,丙鑑定は,本件各犯行当時,被告人が覚せい剤によるせん妄状態にあったとは考えられず,仮に覚せい剤の影響があったとしても,本件各犯行の実行に当たって,被告人本人の爆発性・粗暴性をある程度誇張・増幅させたにすぎないとして,被告人は,事理弁識能力及び行動制御能力が,ある程度低下していたものの,著しく低下していたとは考えられないと結論付けている。
(3) そこで,以下,乙鑑定及び丙鑑定について,既に検討してきたところを前提として,その内容を検討することとす
る。なお,甲鑑定については,1回の短時間の面接に基づく簡易鑑定であり,その性質上,判断の基礎となる資料が限られているところから(ちなみに,同鑑定は,被告人の供述を前提とすればという留保を付した上,被告人は犯行当時,覚せい剤精神病であった旨診断している。),以下の検討においては,必要に応じて適宜参照するにとどめる。 2 両鑑定の内容及び鑑定結果食い違いの理由
(1) 乙鑑定の内容
乙鑑定の具体的な内容は,おおむね以下のとおりである。すなわち, ア 被告人は,昭和48年ころから本件当時まで覚せい剤依存症及びこれに基づく覚せい剤精神病の病態にあったと判断されるが,比較的大量に覚せい剤を使用したときには,覚せい剤精神病の域にとどまらず,急性覚せい剤中毒による急性錯乱ないしはせん妄の状態に陥ることもあったと考えられる。 イ 過去のホームレス仲間に対する暴行は,被告人なりの理由に基づく報復行為(被告人なりの必然性に基づくもの)だったことを思わせる状況がそれぞれ指摘されるのに対して,本件は,それに相当する背景が見出しにくい,余りに唐突な(必然性に乏しい)行為といわざるを得ない。特にDやEに至っては,たまたま近くの住民であったにすぎず,利害関係はもとより,関係性そのものが非常に希薄であったと推察される。しかも,殺人という過去に例のない究極の手段が,正に問答無用で3件立て続けになされたこと等を勘案すると,本件をこれまでの暴行と同列に置くことへの違和感はどうしても否めない。本件は過去の暴行とはかなり異質な行為と理解するのが適当である。 ウ(ア) 被告人は,9月7日の夜中,覚せい剤の残り3回分くらいを全部1回で使ったところ,急に頭に何かが被さり,でかい波が押し寄せてくる感じがした後にものすごい幻聴が始まり,幻聴以外にも幻覚(幻視)が出てきた。そして,ふだん付き合いのある人間の名前が次々に出てきて生きるか死ぬかまで追い詰められている感じがして,そのまま朝まで寝ないで,近所を駆け回っていたと供述するが,このような供述は,それまでの覚せい剤精神病状態とはかなり異質なもので,活発な幻覚を体験するとともに行動がまとまりを失って著しく混乱し,しかも,周囲全体に追い詰められる不安と困惑に満ちた異様な雰囲気の状態(包囲襲来状況)に至ったことを示す表現と理解できる。覚せい剤のいつにない大量使用によって,かなり例外的な混乱状態に陥ったことは肯定してよい。 本件各殺人は,このような包囲襲来状況への対抗手段として,むしろ自分の身を守る方策であったと考えられる。みんなが警察そのものに思え,問答無用でやらないと逆に自分が警察に殺される気がしたとする説明は,包囲襲来状況の心理そのものであり,そこから本件遂行までは何の躊躇もなかったと思われる。このような状況下では周囲のすべてが敵であって,たまたま身近にいた3人が対象として選ばれたにすぎず,いわば無差別攻撃に近い状態であったと推察される。
(イ) 犯行後は,気持ちがスッキリして警察に勝ったという気になり,自分が光り輝く人間になったというが,この特徴的な万能感ないし恍惚感は,覚せい剤使用時に見られる過覚醒や気分高揚が著しく増幅されたものととらえられる。しかし一方で,包囲襲来状況の困惑感は未だ尾を引いており,全部で9人を殺す気でいたが,残りはe会のヒットマンがやるとの幻聴に期待して飯も食わずに夢中で川向こうを眺めていたというのであり,気分が高揚する中で恍惚感と不安感が交差する,独特の状態にあったと考えられる。
困惑した状態が続く中でOとの件が生じたが,Oはたまたま来ちゃった感じで,小屋の留守番を頼んだことなどおよそ念頭になかったものと思われる。その後も異様な雰囲気の中で混乱は続いている。おまえがやらないと駄目だという幻聴,V,Y,Cの3人の姿が見えたとする幻視等の活発な幻覚体験に反応し,来るなら来いやとの高揚した気分で,ナイフを持って夜中まで自転車で河川敷を走り回ったというのであって,行動全体が著しくまとまりを失っていることが分かる。
その後,疲れ果てた被告人はコンビニに行き,その際,客や店員等の多くの一般人と接触しているはずであるが,彼らには全く攻撃を仕掛けていない。被告人の人間関係は,ふだんから交流のあるホームレス仲間という狭い範囲に限定され,それ以外は自分とは関係性の乏しい,いわば別世界の存在として関心の枠外にあったものとも想像されるが,むしろ,異様な雰囲気(病的世界)に翻弄されていた被告人には,周囲の現実世界がほとんど見えていなかったという意識野(適切に注意を払い,状況を理解し,反応できる範囲)の狭窄ととらえる理解が適切である。 コンビニで買い物をして,その帰途にたまたまCと出会ったというが,客観的事実からはその先後関係が逆であったことがうかがわれ,当時に関する被告人の記憶の一部がいささかあいまいである可能性が示唆される。その後は,Cの小屋の周辺でCの幻影(幻視)と追っ駆けっこをしたようで,コンビニに買い物に行く前の混乱状況の正に再現である。それから朝までも,CとYがおまえのところに行くから待ってろとの幻聴に反応し,来るなら来いやと高揚した気分が続いていたと推察される。
(ウ) しかし,朝6時ころになると,それまで被告人を支配していた独特の雰囲気が大分風向きを変えたようで,幻聴は3人殺してどうするんだ等の自責的な内容になったという。覚せい剤による興奮状態が消褪する過程で,その反跳現象としてむしろ抑鬱に傾くことは,臨床で時に経験するところである。同時にようやくこの時点で,現実との照合がかなり可能な状態に復したと思われ,3人の遺体と血が付着した服を川に流すという証拠隠滅作業に取りかかっている。逮捕後も自責的な幻聴はしばらく残存したようで,そんな感じはなかったのに,何となく言ってしまったと多少あいまいな言動も見られるが,留置場でぐっすり寝かせてもらった後は,黙秘する等,被告人本来の態度を取り戻したと考えられる。
(エ) つまり,被告人は,9月5日から7日にかけて通常よりかなり多量の覚せい剤を使用し,最終使用時の7日深夜ないし8日早朝に通常の数回分の覚せい剤をまとめて使用したことによって,恐らく8日早朝から1日ないしそれ以上の間,明らかに異常な混乱状態に陥ったと判断される。それは活発な幻覚妄想体験(幻聴や幻視,被害・迫害妄想)あるいは錯覚,不安・困惑感と恍惚感が交錯し緊迫した気分状態,行動のまとまりの欠如(無秩序な行動),そして激しい精神運動興奮等を特徴とする状態で,精神活動が一時的に解体した状態,つまり急性錯乱と考えられる。その際の記憶はおおむね保たれており,意識レベルに関して明らかな障害は指摘しにくいが,一部の記憶や意識レベルに問題があることもうかがわれ,多少の意識混濁があった可能性は否定できない。そして,この例外的な事態は,急性覚せい剤中毒によって惹起されたせん妄の状態と理解するのが適当と思われる。 (オ) せん妄とは,軽度の意識混濁と興奮,活発な幻覚や錯覚,妄想の出現があり,それによる不安等の情動変化や奇異な言動を特徴とする病態で,主に器質性あるいは中毒精神障害で見られる一種の意識障害(意識変容)ととらえられる。覚せい剤使用時に急性かつ一過性の意識障害(比較的軽度の意識混濁を伴うせん妄ないし錯乱)を思わせる状態が見られる。
ウ 本件各犯行当時,被告人はせん妄のさ中にあり,異様な雰囲気と活発な幻覚妄想体験に翻弄されて行動にまとまりを欠く混乱状態にあった。その際に現実との関わりを冷静に判断し,その判断に基づいて被告人なりに自分の行動をコントロールする機能が介入する余地は極めて乏しかったと判断せざるを得ない。しかし,一方で,この事態は覚せい剤乱用という自らの行為が招いた結果であり,また,結果として生じた凄惨な犯行に,被告人本来の粗暴さが少なからず関与していることも否定できない。これらの点を総合的に勘案すれば,本件犯行当時に被告人は責任能力が著しく減退していたものの,本来の人格の関与も無視できずそれを完全に阻却することもできない状態,つまり心神耗弱に相当する状況にあったとみなすのが適当と思料される。
(2) 丙鑑定の内容
他方,丙鑑定の具体的な内容は,おおむね以下のとおりである。すなわち, ア 被告人の犯行時の精神状態は,反社会性人格障害に覚せい剤乱用による精神障害が加わったものである。覚せい剤中毒の精神症状のうち,被告人の場合には,被告人の供述を前提に考えれば,不安状況反応型が最も疑われ
る。ここで不安状況反応型とは,一種の幻覚妄想状態であるが,その内容は乱用者の生きている状況(生活史,環境など)から発生的に了解可能であり,密接な意味連関を持つ。幻視・幻聴・妄想知覚などの外界認知の障害を伴うが,その誤認も分裂症や内因性精神病におけるように了解困難ではない。むしろ,日常生活では意に介されることのなかった,乱用者の置かれている状況の危機的性格や精神力動の問題点が,幻覚・妄想の中にあからさまに透視されるような内容である。幻覚・妄想の全体像はアルコール幻覚症における包囲=攻撃状況のそれと酷似している。世界は迫害者たる外敵に満たされ,患者は包囲され,絶体絶命の危地に置かれるのであるが,ここで彼らに特異な点は,妻・愛人・兄弟など彼らに『親しい者』が初めは彼らと共に被害者の立場に置かれると考えられるものの,やがて被害妄想や疑惑がそれらの『親しかった者』にまで及び,その結果著しいパニック状況に陥るということであろう。なお,この『不安状況反応』の発生には疲労・不眠,特に高熱などの身体的布置が先行することもあり,また爾後に記憶の軽度の障害や歪曲が証明されることもある。(福島章犯罪心理学研究Ⅰ)というものであるが,被告人の場合には『親しい者』が初めは彼らと共に被害者の立場に置かれると考えられるという点が特異的でない。また,被告人の場合には警察が迫害・被害妄想の対象となっているにもかかわらず,実際の警察官に対しては特別の抵抗を示さなかった点も,典型的な不安状況反応型とはいえない要素となっている。
丙鑑定人は,被告人の場合に犯行時に不安状況反応に陥っていた可能性を全く排除できないと考えているが,そのように診断するためには,被告人の犯行時についての供述が全体としてほぼ正しく,それに反して警察及び検察庁における被告人の供述が事実でないことを前提としなくてはならないのであろうが,被告人が乙鑑定人及び丙鑑定人に対して供述した内容については,被告人の幻聴内容が余りにできすぎており,被告人にとって都合のよい内容といわざるを得ないことなど,少なからぬ疑念がある。
なお,せん妄の精神医学診断のためには意識障害(意識混濁)の存在が一般に必須とされているが,被告人の犯行についての供述は,幻聴の存在を含めておおむね詳細であり,かつ,具体的であって,著しい記憶障害や見当識障害も認められず,重大な意識障害が存在していたとは考えられない。したがって,被告人が犯行時に覚せい剤によるせん妄状態にあったとは考えていない。
イ 被告人の供述しているところによれば,犯行は被害・迫害妄想の下で殺人及び死体遺棄についての明らかな幻聴に支配されて行われたと考えるのが適当である。しかし,これらの幻聴の存在には少なからぬ疑いがある。また,被告人は反社会性人格障害者であり,本件各犯行以前にもその性格に根ざした爆発性・粗暴性による犯行や事件を重ねていた。したがって,仮に覚せい剤の影響があったとしても,本件各犯行の実行に当たっては,薬物は本人の爆発性・粗暴性をある程度誇張・増長させたにすぎないと考えることが可能であろう。この場合に,なぜ3人もの被害者が一度に殺害されたかという点が問題となろうが,当初は仮に偶発的な殺人が行われたにしても,殺人者が自暴自棄となり,あるいは最初の殺人により興奮状態に陥り,次々と被害者を増やしていくことは全くまれな事例ではなく,いわゆる血の酩酊という現象が生じていた可能性も排除できないと思われ,D及びEに対する犯行動機が希薄であっても不思議はない。
ウ 被告人の場合に,被告人が丙鑑定人に対して供述した犯行時における病的体験がすべて事実であったとするならば,心神耗弱と考えることは可能であると思われる。しかし,被告人の幻覚・妄想の内容,特に幻聴の内容について少なからぬ疑念があり,とすれば,被告人にとって本件各犯行を回避する精神能力がある程度低下していたとしても,その能力が著しく失われていたとは考え難く,各犯行時にはほぼ完全責任能力が認められるべきであると考える。 (3) 鑑定結果の食い違いの理由
そこで,これらの鑑定について検討するに,乙・丙両鑑定人共に,司法精神医学に関する豊富な学識を有することはもとより,覚せい剤精神病の疑いのある者に対する豊富な臨床経験を有し,面接や心理テスト等を用いるなどその鑑定手法においても,特に疑問を差し挟むべき点は認められない。そうすると,両鑑定が前記のように大きく結論を異にするに至ったのは,基本的には,その判断の基礎とする資料の採否の違いに基づくものとみることができる。 したがって,以下,既に認定してきたところに照らし,両鑑定がそれぞれ前提とする事実関係について検討し,さらに,当裁判所が前記のように認定した事実関係と食い違う場合,その食い違いがその結論に与える影響をも考察した上,その鑑定結果の当否について検討を加えることとする。
3 乙鑑定の検討
(1) 乙鑑定が前提とする事実認定の当否
ア(ア) 乙鑑定は,本件幻覚供述とほぼ同旨の乙鑑定人による面接時における被告人の供述を前提として判断している。
(イ) もっとも,乙鑑定は,被告人が犯行の理由として挙げるB,D,Eそれぞれに関する幻聴の内容,1箇所で3人までは無罪とする点や

証拠隠滅だ。川に流せ。

とする幻聴については,合目的的で一概には信用し難いとし,覚せい剤の使用歴や使用頻度,量についても,実際以上に頻繁に使っていた旨訴えていることがうかがわれるとし,さらに,事件当時のことを中心に,覚せい剤による病的体験をかなり強調している印象はあったとも指摘しており,被告人の供述の信用性については相当程度疑問を留保しているともいえる。 しかしそれと同時に,乙鑑定人は,当公判廷において,本人の話すのがどこまでが真実でどこからが誇張であるかというのは,これが線が引けない問題なので,ちょっと評価しにくい。そこで,やむを得ず,その鑑定の時の話を基に判断したということになる。細かい部分でかなり修飾が加わっていることは否定できないが,どの言辞がそれに当たるかということになってしまうと,それはいうのが難しい。,

犯行目的に関する幻聴のところだけが合目的的で信用できず,それ以外はそうではなくほぼ信用できるというふうに分けたつもりはない。

などと供述するように,同鑑定人の面接時における被告人の供述をほぼ全面的に採用して判断の基礎資料とするに至ったことが明らかである。 また,乙鑑定人は,被告人の幻聴の内容についても,合目的にすぎるとの感はあるが,覚せい剤で惹起される幻覚はかなり場面即応性(状況依存型)であることが1つの特徴とされており,必ずしも信頼性を損ねる根拠とはならない。日ごろから感じていて警察権力への反感や警戒心,ホームレス仲間への不信感が幻聴の内容に投影されたと理解できよう。として,その信用性を肯定しているのである。 イ(ア) しかしながら,本件各犯行,とりわけBの殺害については,乙鑑定がその判断の前提とする本件幻覚供述及び乙鑑定人に対する面接の際の供述を信用することはできず,これと相いれない本件初期供述に高い信用性が認められることは前判示のとおりである。
この点,乙鑑定人は,本件初期供述を採用しなかった理由について,当公判廷では,何かこういう(水汲みのトラブル等の)話をしないと取調べが流れないというか,そういう状況があったのでこういう話をしてしまったというふうに,本人は説明しているので,そういう状況があるいはあったのかなというふうには思う。,初めはいろいろな妄想の話もしようとしたが,取り上げてもらえなかったので,こういう(水汲みのトラブル等の)話をした。尿が出なくなったというようなこともあり,覚せい剤のことを取り上げざるを得なくなって,覚せい剤の話をしたら,妄想や幻聴の問題も相手にしてもらえた。そういう面も多分にあったと思う。旨供述している。しかし,このように乙鑑定人が依拠しているところの,本件初期供述の供述状況に関する被告人の弁解が信用できないことは,前に詳細に判示したとおりである。 (イ) なお,乙鑑定は,本件幻覚供述のうちその指摘する前記のような緊迫した混乱状況における諸体験の説明は,過去の多くの臨床経験で知られている覚せい剤によるせん妄時の特有の体験と合致するもので,そのすべてが虚言であるとは到底思えないともしている。しかし,この点は,丙鑑定に関して検討するとおり,被告人が過去に実際に経験した幻覚を膨らませて供述しているものとも理解できるのであって,覚せい剤精神病の症例と一致するとの事情から,被告人の供述が当然に採用すべきことにはならないのである。
ウ そうすると,本件各犯行,とりわけB殺害の動機について,乙鑑定は,当裁判所の認定とは大きく異なる事実を前提としているものといわざるを得ない。
(2) 包囲襲来状況について
ア(ア) そこで,以下,乙鑑定の内容について具体的に検討するに,まず,乙鑑定では,被告人は,最終使用の際,覚せい剤をいつになく大量に注射して,その後,包囲襲来状況に陥り,このような状況の下で,周囲のすべてが敵であり,たまたま身近にいた3人が対象として選ばれたにすぎず,いわば無差別殺人に近い状況で本件各殺人に及んだとしている。また,乙鑑定人は,当公判廷において,Oについても,全体の流れからは,自分を襲う対象として攻撃を仕掛けたという方が考えやすい,Cについても,自分の敵との戦いの流れの中でのたまたまの遭遇ということで理解できる旨供述している。
(イ) この点,被告人が,捜査段階から一貫して供述するように,本件各犯行の前まで継続的に覚せい剤を使用し,最終使用の際にもある程度まとめて使用したことについては,これを否定する事情は認められない。被告人の第1次逮捕当日の排尿困難も,覚せい剤による自律神経症状(交感神経刺激症状)と理解することも可能である。 イ(ア) しかし,前認定のとおり,被告人は,Bに対し,水汲みに関するトラブルを契機として殺害行為に及んだものであり,無差別殺人に近い問答無用の状態で犯行に及んだものとは認められない。 (イ) また,被告人は,本件各殺人については,Bが水汲みの水の中に自白剤を入れる役目の警察官であるなど,各被害者ごとに個別に理由を付して殺害を命ずる幻聴があった旨供述しており,乙鑑定人も,当公判廷において,無差別攻撃というのは同鑑定人の理解であり,被告人自身は,誰でもよかったという言い方はしておらず,被告人の意識に上ったレベルでそのように無差別攻撃と認識していたということではない旨供述しているのである。したがって,本件幻覚供述を前提としても,被告人が乙鑑定人の指摘するような心理状態であったとみることには疑問がある。 (ウ) 被告人は,9月11日に弁護人と接見した際,Bらを殺さなければ自分が殺されると思ったなどとは供述していない。また,同月12日には,取調べ警察官に対し,犯行当日は,覚せい剤による幻覚がひどかった旨供述しているものの,電波に乗って指令が来て,自分に対し,からかってみたりして頭の中を混乱させたと述べるのみで,Bらを殺さなければ自分が殺されるような切迫した状態であったなどとは供述しておらず,その後も,自分の友達で近くにいる人のみが警察官に見え,警察官に見えた人より見えなかった人の方が多かったとも供述しているのである。これらの事情に照らすと,乙鑑定が指摘するように,被告人が,本件各殺人当時,Bらを殺さなければ自分が殺されると思うほどに緊迫し,切迫した心理状態であったとすることにも疑問が残るのである。 (エ) さらに,乙鑑定人は,被告人がOについても自分を襲おうとする敵と認識していたとするが,被告人は,Bを殺害した2時間足らず前に,Oと会っているのに,Oには何らの攻撃も加えておらず,Oも,被告人に特に異常な様子は感じなかった旨供述している。また,その日の夕方に被告人がOを襲ったのは,前判示のとおり,B殺害の犯行の露見を防止することにあったと認められる。
(オ) Cを襲った点についても,乙鑑定人は,被告人が本件殺人未遂の際にCをV,Yと共に自分に対する敵であると思い込み,たまたま遭遇したCだけを襲ったものとする。しかし,前判示のとおり,本件殺人未遂の犯行の際,被告人がCに対してうそつきやがってと言ったことが認められるのであり,このような発言は,Cに対する個人的な恨みや猜疑心をうかがわせるものであるから,乙鑑定人の理解には反するものである。 (カ) 被告人が,本件コンビニにおいて,他の一般客とすれ違いながら何ら異常な行動をしていないことも,乙鑑定のように,包囲襲来状況という病的世界に翻弄されて意識野の狭窄を生じた結果とみるよりも,被告人が攻撃すべき対象を正確に認識し,これに限って攻撃を加えたものとみる方がより自然ということができる。 (キ) そうすると,本件各犯行当時,被告人に周囲から追い詰められるような不安や困惑に満ちた精神状態があったとしても,以上みてきたような諸事情に照らすと,相手を殺さなければ自分が殺されると思い込むほどに緊迫し混乱した精神状態にはなかったものと認められるから,被告人が乙鑑定人が述べるような包囲襲来状況に陥っていたものと認めることは困難である。
(3) せん妄状態について
ア(ア) 次いで,乙鑑定では,被告人は,過去にも比較的大量に覚せい剤を使用した際に,急性覚せい剤中毒による急性錯乱ないしせん妄状態に陥っていたことが認められるとした上,前記のような包囲襲来状況を前提として,本件各犯行当時,被告人にまとまりのない行動や意識障害(意識変容)が認められることなどを指摘して,被告人は,本件各犯行当時,せん妄の状態にあったとしている。
(イ) このうち,被告人が過去にも急性錯乱ないしせん妄状態に陥っていたとする点については,乙鑑定人が指摘するように,本件殺人未遂の前後において,Cらの幻聴を追い掛けて荒川河川敷を走り回るなどしているほか,本件殺人未遂と本件コンビニを訪れた時間の先後関係について記憶の混乱があることも認められる。また,被告人が,本件各殺人の後,DやEの死体をいったん各殺害現場に放置して,川向こうを眺めるなどしていたことも,まとまりがない行動と評価する余地がある。さらに,乙鑑定人が,せん妄状態の根拠とする手足のけいれん等の点も,確かに,被告人は,捜査段階において,Oに襲った際,右手にバタフライナイフを握ったが,手に握力がなくつった感じになった,Cを襲った時も,手の握力がなかったとか,Oを襲った際,Oの襟首をつかんで手前に引き付けて歩かせ,石積み部分に置かれたバタフライナイフを取りにいこうとしたとき,Oをつかんでいた左手の親指と人差し指がけいれんを起こしつったので離したところ,Oは駆け足で逃げていったが,今度は,右手の親指と小指,それに両足の小指付近がつった感じがして,痛くてOを追い掛ける気力がなかったなどと供述している。
イ(ア) もっとも,乙鑑定人は,せん妄は始期と終期が比較的はっきりしているのが特徴であり,初めのころ重いというのが常識的であると供述しているところ,前認定のとおり,せん妄の初期の時点に相当するはずのBがf橋下に来た時点において,被告人が例外的な混乱状況にあったと認めることは困難である。 (イ)a また,乙鑑定人は,せん妄状態の下,被告人は周囲をかなり歪んで受け取っており,見当識が相当に阻害されている旨供述している。
b しかし,本件各犯行の被害者を警察官と確信したとする警察官妄想に関する被告人の供述が信用できないことは,前に詳しく判示したとおりである。しかも,被告人は,当公判廷でも,Bは(警察官ではあるが)B本人であると認識した上で殺害に及んだとするなど,被害者が誰であるかを正しく認識して犯行に及んだ旨一貫して供述しており,見当識が阻害されていたような状況は見出せない。
また,被告人は,本件各殺人の後,Bの死体を移動するなどし,OにBの殺害を知られたかもしれないと思うや犯罪の露見を恐れてOを襲い,さらに,本件殺人未遂の前後にも,のどが渇くと荒川の河川敷から相当距離のある本件コンビニまで買い物に自転車で出掛けて,他の客らとすれ違いながらも全く異常な挙動を示すことなく,買い物を行っている。
このような被告人の一連の行動ないし供述状況に照らすと,被告人が,周囲の状況を歪んで受け取っていたような状況は特に認められないのであって,丙鑑定人が述べるように,幻覚の存在が否定できないという点では現実を歪んで受け取っているものの,見当識自体は保持されていたものと認める方が自然といえる。 (ウ)a さらに,乙鑑定では,せん妄の特徴として軽度の意識混濁が指摘され,丙鑑定人も,意識混濁がなければ,せん妄とはいわない旨供述しているところ,本件殺人未遂の犯行前後の出来事については,前にみたように若干の記憶の混乱が認められる。
b しかし,乙鑑定に従えば,せん妄状態が重いはずの本件各殺人に関して,前判示のとおり,被告人は,DやEを殺害した状況及びBを殺害する直前の状況については鮮明な記憶を有しているものと認められ,Bの殺害状況について
一部あいまいな点があることも,極度の興奮によるものと説明することができる。 また,被告人は,本件コンビニでの買い物の状況についても,一番小さいエビヤンの水2本,自然水1本,お茶1本,ビール(アサヒスーパードライ)1本,おにぎり10個くらいを買い,3000円くらいの代金を支払ったと供述するように,確かな記憶を有することが明らかである。
なお,本件殺人未遂の犯行状況について,被告人の供述がCのそれと食い違っている点は,前判示のように,罪責の軽減を図った虚言であることが考えられる。また,被告人は本件殺人未遂と本件コンビニでの買い物との先後関係を混同しているものとうかがわれるが,犯行の際の極めて興奮した状態や,その後もCを探して周囲を徘徊したり,荒川の河川敷を走り回るなど興奮状態が続いていたことに照らすと,丙鑑定人が指摘するとおり,このような記憶の混同は,興奮した際などに通常生じ得る範囲のものともいえるのであって,必ずしも覚せい剤による意識混濁をうかがわせるものとはいえない。
(エ)a なお,乙鑑定は,意識混濁にいろいろな症状が加わってくるのが意識変容であり,その1つがせん妄であるとして,意識混濁が軽微であることはせん妄の程度が軽いことを意味しないとする。b しかし,丙鑑定人は,せん妄があれば,記憶障害,見当識障害は多かれ少なかれ出現するとして,乙鑑定と異なる見解を述べている。また,乙鑑定人も,当公判廷において,本件とよく似た覚せい剤使用時の比較的軽度の意識混濁を伴う症例として紹介されるものとして,かなりちぐはぐな行動を行い,ある程度覚めてきてからはそのことを十分に思い出せないというケースを挙げているのであって,明確な記憶障害が認められるケースであることがうかがわれる。 そして,乙鑑定人は,当公判廷において,被告人の場合,意識障害が割合軽くなってきて周りの状況がきちんと理解できる時期があったかというと,それは余りなかったと思う旨供述するが,被告人の幻覚に関する供述の多くが信用できないことは,前にみたとおりであり,見当識も保持されていたと認められるから,仮に意識変容があったとしても,その程度は決して大きなものでなかったといえる。
そうすると,いずれにしても意識障害の程度はそれほど重篤なものではなかったということができる。ちなみに,丙鑑定は,被告人には,ある程度の意識変容はあったと思われるが,せん妄を疑わせるほどの見当識障害や記憶障害はなく,重大な意識障害が存在していたとは考えられないとしているのである。 (4) まとまりのない行動について
ア(ア) 乙鑑定人は,被告人について,主に幻覚妄想を中心とする覚せい剤精神病の状態とは質的に異なるせん妄の状態であると判断した最も大きな論拠として,被告人がまとまりのない行動をとっている点を指摘している。 (イ) そして,被告人には,本件殺人未遂の前後を中心に,前記のようなまとまりのない行動と評価する余地のある行動がみられる。
イ(ア) しかしながら,被告人は,せん妄に陥っていたとされるさ中においても,本件コンビニでの必要な物の買い物や死体遺棄・血痕洗浄等の罪証隠滅という合理的でまとまりのある行動をとっている。 (イ) また,丙鑑定人は,本件殺人未遂の前後の被告人について,3人を次々に殺害していることから一定程度の精神運動興奮はあったとしながらも,運動暴発というべき本当にめちゃくちゃな行動,非常に強く興奮した錯乱状態,自分でもコントロールできないような行動ではなかった旨供述しているところ,このような判断も可能であることからすると,上記のまとまりのないような行動についても,乙鑑定人の理解とは異なる解釈の余地があるといえる。 (ウ) そして,被告人が包囲襲来状況に陥っていたとまでは認め難いという前記の判断も勘案すれば,被告人が,本件各犯行当時,とりわけ本件殺人未遂の当時に,覚せい剤の影響による幻覚を体験し,それが被告人の行動に何らかの影響を及ぼしたことは否定できないとしても,乙鑑定人が述べるような,異様な雰囲気と活発な幻覚妄想体験に翻弄されて行動にまとまりを欠く混乱状態にまでは陥っていなかったものと認められる。 ウ(ア) なお,乙鑑定人は,当公判廷では,せん妄状態について,周囲の状況が認識できないので全体状況の中でのまとまりのある行動は困難であるが,ある程度まとまった行動が可能な場合が少なくないので,ふだんの行動の連続である買い物のようなことはできる旨供述し,その点,鑑定書においては,本件コンビニで他の者に攻撃に及んでいない理由として,被告人の人間関係がホームレス仲間という狭い世界に限定され,それ以外は自分に関係性の乏しい別世界の存在として関心の枠外にあった可能性,又は,当時の意識状態からは自分を中心とするごく狭い範囲にしか注意が配られず,その周辺の出来事には余り反応しない状態で,意識野の狭窄があった可能性があり,後者の理解が適切であると指摘している。
(イ) もっとも,乙鑑定人は,当公判廷において,関心の枠外にあった可能性と意識野の狭窄の可能性は両方あり得るとした上で,全体をせん妄状態と理解しているので,そういう状態だと,目の前の状況しか見えないという事態が当然起こり得るわけで,その流れでこの状況を説明することができるとしており,結局のところ,上記鑑定書の記述は,被告人の意識障害等を積極的に裏付けるものではなく,このような行動もせん妄状態とは矛盾しないとする趣旨にとどまるものといえる。
(ウ) そして,本件コンビニにおける買い物はもとより,死体遺棄や血痕洗浄等の罪証隠滅行為まで行っていることについて,まとまりのない行動であったとの見方は,いかにも実態にそぐわないとの印象を免れ難いものである。 この点,丙鑑定人も,当公判廷において,意識狭窄があり,ホームレスに関心の対象が集約し,その他が意識から除外されているのであれば,本件コンビニでの買い物の記憶は当然薄れてくると思われるのに,相応の記憶が保持されている以上,意識狭窄は基本的には余りなかったという立場である旨供述している。 (5) 過去の粗暴な行動との関係について
ア(ア) 乙鑑定は,過去の粗暴な行動では,被告人なりの理由に基づく報復行為であったことを思わせる背景があるのに,本件各犯行には,それに相当する背景が見出し難く,殺人という究極の手段が3件立て続けになされているなど,過去の一連の粗暴な行動とはかなり異質な行為と理解すべきであり,両者を同列に置くことへの違和感はどうしても否めないとする。
(イ) そして確かに,DやEについては,通常では殺害に及ばないほどに関係が希薄であったことが認められるのであり,Cについても,殺害に及ばなければならないような具体的かつ切迫した事情は指摘し難い。 イ(ア) しかしながら,前認定のような被告人の問題行動等から明らかなように,被告人は,ホームレスになってから,タバコを入手したことを報告しなかったという理由で,Lに入院加療を要するような怪我を負わせた上,同人が現に中にいる小屋に灯油をまいて火を放ったり,αに池の水を飲まされたと憤激して,同人だけでなく,周囲にいた他のホームレスにまで暴行を加えているのであり,原因に比して不相当に苛烈な暴力を加える傾向のあることが認められる。 (イ) また,更にさかのぼっても,被告人は,網元を務めていた実兄に対し,これで兄弟の関係もこれで終わりだと思わせるほどの暴行を加えたり,妊娠中のAの頸部を電気コードで絞め上げたり,泣き声がうるさいと生まれたばかりの実子を手に持ってベランダから落しかねない行為をした上,至近距離からけん銃を発射するなど,まかり間違った場合の危険性や結果の重大性に全く配慮することなく,いきなり苛烈な暴力行為に及ぶことも決してまれではなかった。 (ウ) さらに,被告人による暴行は,被害者らの供述に照らしても,なぜ唐突にこのような激しい暴行を振るわれるのか全く理解できず,しかも,事後にその理由を聞いても,容易に了解し得ないものであったということも少なくないのである。
ウ(ア) この点,弁護人は,①実兄に対する暴行は軽微なものである,②Aに対する暴行も覚せい剤の影響によるものと理解できる,③Lに対する放火等の暴行も,被告人が再三注意しているのに,単独で万引きをして被告人に報告しなかったというのは,他のホームレスとの関係でボス的な地位を占めていた被告人にとって無視できない事情であり,Bとの水汲みに関するトラブルより深刻な問題であるなどとして,いずれも本件各犯行とは全く異質な暴行である旨主張す
る。
(イ) しかし,①の点は,実兄自身が兄弟の関係もこれで終わりと思った旨供述していることから,決して軽微なものではなかったことがうかがわれる。また,②の点も,Aは覚せい剤のためだけではなかった旨供述している。さらに,③の点も,Bの水汲みは被告人の生活に直結するものであり,万引きの報告の有無がBの水汲みより重大な問題であったとはいえないのであって,弁護人の主張は,いずれもその前提を欠くというほかない。 エ そうすると,本件各犯行について,被告人の過去の粗暴な行動と比べると,結果において格段の相違があるとはいえ,行為態様自体は,人が現在する小屋への放火,電気コードによる頸部の絞め付け,けん銃の発射等といった死の結果につながりかねない過去の行為との間に,質的に顕著な違いはないものと理解することも十分可能というべきであるから,本件各犯行の原因として覚せい剤の影響以外には考えにくいとの見解にも賛同できない。 (6) まとめ
以上を総合すると,被告人の本件各犯行当時の精神状態について,乙鑑定が,覚せい剤精神病に基づくせん妄状態に陥っていたとする根拠は,いずれも採用できない。そして,本件各犯行当時,覚せい剤精神病に基づく幻覚が被告人の行動に何らかの影響を与えたことは否定できないものの,被告人がせん妄状態にまで至っていなかったものと認められるのであり,被告人が,乙鑑定にあるように,現実との関わりを判断し,その判断に基づき被告人なりに自らの行動をコントロールする能力が介入する余地が極めて乏しかったものとみることもできない。 このように,乙鑑定は,当裁判所の認定した事実と大きく食い違う事実関係を前提としてするものというほかなく,その鑑定結果を採用することも困難である。
4 丙鑑定の検討
(1) 丙鑑定が前提とする事実認定の当否
ア 丙鑑定は,幻覚についての被告人の供述は疑わしいとの前提に立つものである。 イ(ア) これに対し,弁護人は,丙鑑定人が上記のような結論に至った論拠について様々に批判しており,その主要な点は,以下のとおりである。すなわち,
① 丙鑑定のうち,被告人が幻覚について非常に確信性が強く不自然であるとする点は,丙鑑定に至った経緯,すなわち,乙鑑定が,被告人の幻覚供述を基本的に信用できるとして心神耗弱としたところ,検察官がこれを争い,その結果,再度の鑑定に至ったという経緯に照らし,被告人においても,幻覚の真実性が最も重要な争点であると理解して,丙鑑定人に対し,より強固に幻覚の存在を訴えたものと考えられる。 ② 丙鑑定のうち,幻覚の内容が警察の手先ではなく警察官であるというのは強硬すぎるという点も,被告人には,警察官に見えるという視覚的な妄想があったのではなく,幻聴の指令により警察官と思い込んで本件各犯行に及んだものであるから不自然ではない。
③ 丙鑑定のうち,本件職務質問の当時,被告人が抵抗しなかったのは不自然とする点も,本件職務質問の時点では,被告人はもはや幻聴がなくなっていたのであるから不自然ではない。 ④ 丙鑑定人は,被告人は逮捕されてから起訴されるまでの間,Bが警察官に見えると言ったことはないと思うなどと客観的な供述経過と明らかに異なる供述をしており,その前提を誤ったものである。 (イ) しかしながら,本件幻覚供述のうちの殺害指示幻聴や警察官妄想が信用できないことは,前に詳細に判示したとおりであり,弁護人の指摘する事情を加味して検討しても,その判断に変更を加えるべき事情は見出し難い。 そうすると,丙鑑定人は,弁護人が指摘するとおり,被告人の供述経過について一部誤解していたとしても,丙鑑定の前提とする事実関係は,結論としては相当であったということができる。すなわち,丙鑑定人は,被告人の主張するような幻覚をすべて否定するのではなく,ある程度の意識変容,例えば,ふだん見えない動物が見えたとか,幻視や錯視と同様に幻聴があった可能性はあるものの,3人までは無罪,Bは警察だから問答無用でやれ,

証拠隠滅だ。川に流せ。

といった幻聴やBが警察官に見えたということはなかったと思う旨供述しているところ,これは既に判示した当裁判所の認定事実と合致するものである。
ウ(ア) また,丙鑑定人は,9月11日以降の本件幻覚供述について,被告人がうそを付いているという意味ではなく,犯行当時の体験とは違うのではないかという意味である,被告人には犯行当時に幻視や電波体験のようなレベルでの幻聴があったという可能性もあるが,それが供述の中でだんだん発展した可能性が否定できない,刑をできるだけ軽くしたいという気持ちは当然あるのであって,このような気持ちから供述が膨らんだものと考えられる旨供述している。 そして,このような見解は,本件初期供述から本件幻覚供述への変遷状況,乙鑑定においても,面接時の所見として,被告人について,事件当時のことを中心に,覚せい剤による病的体験をかなり強調している印象はあったが,事実を殊更隠ぺいしようという作為的態度は感じられなかったとされ(この点に関して,両鑑定人は共に,被告人は,反社会的人格障害の診断基準のうち,人をだます傾向については確認できないと判断している。),また,被告人の主張する幻聴の内容には誇張している部分が認められるとされる点とも符合するものであり,内容としても合理的なものと認めることができる。
(イ) さらに,丙鑑定人は,被告人の過去の幻聴体験に関する供述等はほぼ事実であるとした上で,覚せい剤を使用したからといって必ず幻聴が出てくるわけではないようであり,しかも,ある程度覚せい剤による幻聴等の経験のある人が,症状を申告する際にそれを更に膨らませることは割に起こり得ることだろうとも供述しているところ,このような推論も合理的なものということができる。
(ウ) そうすると,本件幻覚供述の信用性についての丙鑑定人の見解も,妥当なものといえるのである。 (2) 本件各殺人当時の犯罪心理について
ア(ア) そこで,以下,丙鑑定の内容について具体的に検討するに,まず,丙鑑定人は,鑑定書では,本件各殺人の際の犯罪心理として,3人もの被害者が一度に殺害された理由として,当初は仮に偶発的な殺人が行われたとしても,殺人者が自暴自棄となり,あるいは最初の殺人により興奮状態に陥って,次々と被害者を増やしていくことは全くまれな事例ではないと思われるとのみ記載している。
(イ) しかし,丙鑑定人は,当公判廷では,以下のとおり,その理由について具体的に説明している。すなわち, a 被告人は,Bをどうしても殺害するという気持ちはなかったと思われるが,生活上のいろんなトラブルがあり,その延長として口論,けんかになって,相手の反抗・抵抗もあり,エスカレートして殺害に至ったと思われる。つまり,現実にはささいな動機であっても,口論から実際に暴力的な行為に走って結果として人を殺してしまうことは,一般論としてもあり得るところ,本件では,被告人の性格や今までの粗暴な行動等の人格の偏りのために普通ではなかなか超えないところを超えてしまったと思われる。
b DとEについては,Bの殺害後,B以外にも若干のトラブルがあって余り面白く思っていなかった人物に対し,これらもBと同列の存在だから,この際みんな殺してしまえという自暴自棄な気持ちが出てきて,殺人により本人にとって非常に異常な興奮状態になったことも加わり,生じた可能性がある。そのトラブルとは,Dについては,携帯コンロやガスボンベを借りても礼を言わないという,要するに被告人にとって非常に不快な言動があったということであり,Eについては,ゴミ投棄の件で口論となったことで,こういう問題は役所等が絡むので,河川敷等で生活する被告人は相当神経質になっていたと思われる。
c D及びEについては,殺害方法から,Bとは異なり,強い殺意が犯行前からあって殺害していると思われるところ,人を殺したという事実の前に,1人殺害しても2人,3人殺害しても,同じ殺人事件には変わらないというように,人を殺すことへの心理的な抵抗が薄れてきていると考えられる。このことは,通常の連続殺人の心理で説明できるのであって,最初の殺人では相当葛藤や躊躇が見られても,2回目,3回目は比較的冷静にそれまでは殺さないようなレベルの
動機でも簡単に人を殺してしまうことが起こり得る。
d Cについても,自転車のスタンドを持ってこないなど,社会通念上はささいな動機であるが,被告人の性格や非常に独特の居住環境等を考えれば,殺人未遂のような事件になっても不思議はない。普通ではそんなに問題にしないことでも,被告人は,かなり根に持ったり恨んだりする可能性がある。Oについても,隠ぺい殺人として了解することも可能であり,OやCには自暴自棄な気持ちが継続していたと考えられる。 e 要するに,極めてささいな動機で犯行を順次行っていった連続としてとらえられる。また,ある時期から被告人の周りから皆が離れていっていることからは,被害妄想とまではいかなくても,非常に孤立感を抱いていて,皆に対する憎しみというものを一様に持っていたという可能性もある。
イ(ア) このような丙鑑定人の見解は,前認定のような客観的犯行状況や犯行に至る経緯,第4において検討したような,証拠上うかがうことのできる犯行の動機等とよく符合して,内容的にも自然で納得のいくものである。 (イ) もっとも,前に判示したとおり,D,E及びCについては,被告人が,丙鑑定人の指摘するような具体的な事情から恨みや憤まんを抱いたために殺害行為に及んだものとまでは認められないのであり,この点において,当裁判所の認定とは前提を異にしているとも考えられる。
しかし,丙鑑定人は,これらの点を動機として積極的に認定しているわけではなく,検察官から,ゴミ投棄の口論等のトラブルを挙げられた上,これらのトラブルから本件各殺人等に及んだものとして了解可能かと尋ねられて,これを肯定する趣旨の供述をしているにとどまる。また,同鑑定人も,本件各犯行当時,被告人が非常に孤立感を抱いて,周囲の者に対する憎しみを一様に持っていたことを認めているから,当裁判所が認定したように,最も近くに住んでいるのに,自分と良好な関係を築こうともしないDやEが,自分をバカにしているという思いを一気に高じさせ,あるいは,Cの日ごろの態度等を背景として,Cに対して一方的に猜疑心や憤まんの情を爆発させたという各犯行の動機を否定するものではない。したがって,Bを殺害した後の自暴自棄な心理状態について,当裁判所とは全く共通の認識を有するものということができるのである。
ウ(ア) なお,丙鑑定人は,鑑定書では,Bに対する殺害動機に比べてDやEの犯行動機が希薄でも不思議でない根拠として,ドイツ精神医学界で言われる血の酩酊という現象(犯罪者が殺人を犯すとき,最初に血を見ることによって一種異様な興奮状態に陥り,後は夢中で殺戮を続け,結果として多数の人間を殺傷する大量殺人に至ることが多い現象)が生じていた可能性も排除することができないとしている。
(イ) しかし,丙鑑定人は,その公判供述によっても,血の酩酊なる概念を,第2,第3の殺人がさしたる動機もなく次々と行われることの1つの説明の仕方として出したにすぎず,その意味内容も,最初の事件で血を見て興奮し,我を忘れて次の現象に及ぶというものであり,それで全部説明できるとは思っていないというのである。しかも,同鑑定人は,D及びEの殺害については,B殺害に伴う自暴自棄な気持ちに,非常に異常な興奮状態も加わって生じた可能性があるとも述べている。したがって,同鑑定人の判断は,決して血の酩酊にのみ依拠するものではなく,その前提とする被告人の当時の心理状態も,当裁判所の認定とほぼ合致するものといえるから,血の酩酊に関する論述が十分な論証や裏付けを欠いているとしても,丙鑑定の鑑定結果の当否に影響を与えるものとはいえないのである。 エ 以上のとおり,丙鑑定人の被告人の犯罪心理に関する見解は,十分な根拠を有する合理的なものということができる。
(3) 不安状況反応型の否定について
ア 丙鑑定は,被告人の供述を前提とすると,覚せい剤精神病のうち不安状況反応型が最も疑われるが,被告人の供述によっても,幻覚が現われた初期の段階で親しい者であるホームレスらが被告人と共に被害者の立場にあるようには認識されていないこと,警察が迫害・被害妄想の対象となっているというのに,被告人が実際の警察官に対しては特別の抵抗を示さなかったことを理由として,定型的な不安状況反応型とはいえないとしている。 イ(ア) これに対し,弁護人は,被告人には親しい者がいない可能性があり,実際の警察が来た際には警察官に対する幻覚はなくなっていたから,丙鑑定の指摘する事情は,被告人が不安状況反応に陥っていたことを否定する根拠にはならない旨主張する。
(イ) この点,被告人の幻覚は,本件職務質問以前に消失していたこともうかがわれる上,丙鑑定人も,不安状況反応に陥りながら,親しい人がいなかったために同じ被害者側の立場とされる者がいなかった可能性を完全には否定していないのである。
ウ(ア) しかしながら,本件幻覚供述のうち警察官妄想に関する部分が信用できないことは,前に判示したとおりである。
(イ) また,丙鑑定は,不安状況反応について,

幻覚・妄想の全体像はアルコール幻覚症における包囲=攻撃状況(ビルツ)のそれと酷似している。世界は迫害者たる外敵に満たされ,患者は包囲され,絶体絶命の危地に置かれる

としているところ,既に乙鑑定にいう包囲襲来状況について検討したとおり,被告人自身,自分の友達ですぐ近くにいる人のみが警察官に見え,警察官に見えた人よりも見えなかった人の方が多かったと述べるように,本件各犯行当時,被告人がこのような包囲=攻撃状況に陥っていたとは認め難い。
(ウ) さらに,丙鑑定人は,不安状況反応では,警察等の本人を迫害する対象に見える人が,普通は全く無関係な人であることが多いのに,被告人の場合は,割と身近にいた人たちが最初に迫害者である警察官とされて,ほかの人がその範囲外にいるということは不自然である旨供述していることをも併せ考慮すれば,本件犯行当時,被告人が不安状況反応型に陥っていたと認めることも困難というべきである。
(エ) 加えて,丙鑑定人は,本件各犯行について,実兄やAに対する暴行やLに対する放火事件等の被告人の過去の粗暴な行動とは,結果において大きなギャップはあるが,質的にそう差はない旨供述しているところ,前に判示したとおり,このような解釈に疑問を差し挟むべき点は認められない。
(4) まとめ
以上を総合すると,丙鑑定は,その判断の基礎とした事実関係についてはほぼ当裁判所の認定に沿うものであるところ,丙鑑定人の当公判廷における供述内容をも併せ考慮するならば,その判断過程に特に疑問とすべき点は見出し難く,その判断方法は合理的なものと認められ,その掲げる精神医学上の専門的知見に照らせば,その判断結果も納得のいくものであるから,その鑑定結果は相当なものとして首肯することができる。 第6 被告人の責任能力
以上検討してきたところを前提にして,本件各犯行についての被告人の責任能力について判断する。 1 被告人は,本件各犯行当時,反社会性人格障害に加え,覚せい剤の使用に伴う覚せい剤精神病が現われて,幻覚のあったことも認められる。そして,本件殺人未遂の前後ころには,被告人がその幻覚を追い掛けて荒川の河川敷を走り回るなどしており,本件各犯行当時も,このような精神症状が,相当程度,被告人の行動に影響を与えていたことは否定できない。
2 しかしながら,被告人は,本件各犯行当時も,見当識をおおむね保っており,周囲の状況を把握し,これに対応して行動する能力も保持していたことが認められる。しかも,被告人が記憶障害を伴うような重度の意識障害に罹患していた事実もないのであって,覚せい剤精神病に伴う精神症状は,丙鑑定も判定するとおり,せん妄状態の程度に至っていたとも,定型的な不安状況反応型であったとも認められないというべきである。 3(1) そして,Bの殺害については,水汲みをめぐる口論からエスカレートして殺人に及んだものとして,その動機は十分に了解可能である。また,Bから口答えされて激高し殺害にまで及んだ点は,両鑑定人が共に指摘するような被告人の衝動性や攻撃性を内容とする本来の人格の発現と認められ,その意味において,他のホームレスらへの過去の粗
暴な行動と質的な相違はないということができる。
(2) また,D及びEの殺害について,丙鑑定人は,Bを殺害したことにより,被告人が興奮した可能性はあるが,責任能力という観点で,5分前の行動が心神耗弱で5分後の行動が心神喪失であるような大きな変化は通常は起こらない旨供述し,乙鑑定人も,B殺害によって,被告人が更に混乱の度を大きく増した可能性はあるが,本件各犯行は,一連の流れの中の各断片ととらえているとして,共にB殺害との間で責任能力のレベルに違いはないことを前提に供述している。このような両鑑定人の意見は,専門家の専門的知見として十分信頼するに値する。 (3) そして,D及びEに対する殺人及びCに対する殺人未遂については,前記第4において,被告人の性格,本件各犯行前の精神状態,本件各犯行の態様,動機,被告人の認識や記憶等につきそれぞれ検討したところに加えて,丙鑑定人の犯罪心理に関する前記見解も参酌するならば,殊更に覚せい剤の影響による異常心理の介在をもって説明しなければならないような状況は全く存しない。すなわち,被告人が,Bを殺害したことによって自暴自棄となり,D及びEについては,日ごろから募らせていた周囲の者に対する鬱屈した感情や疎外感を,両名が自分をバカにしているという猜疑心や憤まんの情に転化し一気に高じさせて,その憤激を両名にぶつけたものと認められ,また,Cについては,日ごろからの漠然とした不信感等を背景に,一方的に猜疑心や憤まんを募らせた上,衝動的に殺意を形成したものと認められるのであり,このような各犯行の動機はいずれも,通常心理の範囲内にとどまる了解可能なものとして,B殺害と同様に,被告人の本来の人格の発現と認められる。
4 本件各死体遺棄についても罪証隠滅という合理的な動機に基づく犯行であると認めることに疑問の余地はない。 5 以上の次第で,本件各犯行は,正に被告人の本来の人格の発現にほかならず,その動機も,いずれも十分に了解可能なものというべきである。そして,覚せい剤の影響は,本件職務質問の際に,被告人自身が,覚せい剤を打ってムシャクシャしていたと述べているように,本件各犯行に及ぶに当たり,被告人の爆発性・粗暴性を高め,抑制を十分には利かなくするという側面において加功したにすぎなかったものと認められる。そうすると,本件各犯行当時,被告人が,是非善悪を弁識し,その弁識に従って行動を制御することがある程度困難となっていた可能性までは否定できないものの,著しく困難な状況にはなかったことについて,合理的な疑いをいれる余地はないというべきである。 したがって,被告人には完全責任能力が優に認められるのであり,これに反する弁護人の主張は採用できない。【自首の成否について】
弁護人は,本件各犯行についてはいずれも自首が成立する旨主張するので,以下,自首の成否について判断する。
1 まず,関係各証拠によれば,本件職務質問に至る経緯及びその状況としては,おおむね以下のとおりであったと認められる。すなわち,
(1) Q警察官は,D及びEの死体が発見されてから,直ちに現場に応援に駆け付けたが,かねてから管内のホームレスの実態把握に努めていたので,死体の1人がEであり,もう1人も顔は見知っている付近に居住していたホームレスであると分かった。そのため,Q警察官は,ホームレス同士のトラブルによる事件である可能性があると考え,被害者2名の居住場所近くに住んでいる被告人が,他のホームレスに粗暴な行動に出ていることを聞き及んでいたことから,被告人から事情を聴取しようと考えて,f橋下に赴くことにした。
(2) Q警察官らは,f橋下に向かう途中,まずEの小屋を訪れたところ,中にはビニール袋に血痕が一杯付いたものがあったので,殺人事件の現場だと確信して,課長に報告するよう他の警察官に指示した。その後,Q警察官らは,Dの小屋ものぞいたが,そのときは異常に気付かなかった。Q警察官は,その現場より上流で把握しているホームレスは,粗暴と聞き及んでいた被告人しか知らなかったので,被告人がこのトラブルに原因しているのだろうとの考えを強めて,f橋下に赴いた。
(3) 小屋の外から声を掛けると,被告人が出てきたので,Q警察官が,この下で顔見知りのホームレスがテトラポットに引っ掛かっているけど,おまえ知らないかなどと尋ねたところ,被告人は,おれがやったんだよと答えた。小屋の前のコンクリート面に血痕がにじんだような跡があったことから,これは何だと質問すると,被告人はおれは知らねえよと答えた。しかし,更に追及すると,被告人は笑いながらおれがやったんだよと答えた。Q警察官が,

冗談言うな。ちゃんと話せよ。

と言ったところ,被告人は,なおも笑いながらだから,おれがやったんだよと平然とした態度であった。
(4) 他の警察官が本件ナイフを発見し,その一部に血痕様のものが付着していたことから,Q警察官がこのナイフは誰のだと言うと,被告人がおれのだよと答え,さらにこの血はどうしたんだと問われると,被告人は,おれがそのナイフでやったんだよと答えた。Q警察官が二人とも殺したのかと尋ねると,被告人は,

3人刺した。2日前にシャブを打った。むしゃくしゃして昨日10時ころ殺って,今朝の6時ころ証拠を隠すために死体を川に捨てた。

と述べ,その後,Q警察官らを各殺害現場に案内した。
2 以上認定のように,Q警察官は,本件職務質問に先立って,D及びEの各死体がいずれも荒川の護岸用消波ブロックに漂着した状態で発見されたこと,両名はいずれも荒川河川敷に居住するホームレスであったこと,Eの殺害現場は同じ荒川河川敷の同人の小屋内である形跡が認められたこと,死体発見現場の上流付近に居住しており,Q警察官が把握しているホームレスは被告人のみであったこと,被告人がそれまでにも他のホームレスに対する粗暴行為に及んでいたことといった事情を既に把握しており,これに基づき,ホームレス同士のトラブルが原因である可能性があると考えて,被告人に対し,D及びEの殺害及び死体遺棄に関与しているとの嫌疑を抱いた上,被告人の住むf橋下に赴いて本件職務質問に臨んだことが明らかである。
そして,被告人は,上記のとおり,D及びEの殺害及び死体遺棄への被告人の関与について嫌疑を有するQ警察官から,川下でD及びEの死体が発見されたことについて質問され,おれがやったんだよなどと述べてこれらの犯行を自認したのであり,正にQ警察官の嫌疑に対応する犯罪事実を申告したにすぎないのである。したがって,被告人が自発的に自己の犯罪事実を申告したとは認められないから,D及びEに対する殺人及び死体遺棄について,自首は成立しないというべきである。
3(1) もっとも,本件職務質問の際,被告人は,Q警察官から2人とも殺したのかと問われて,3人刺したと答え,その後,その現場を案内するように言われて,f橋下の小屋の前を指示し,ここでBをやったと説明したところ,Q警察官は,f橋下のコンクリート面に血痕様の跡があることは把握していたものの,Bに対する殺人及び死体遺棄は把握していなかったために,被告人から3人殺したと聞いてびっくりしたというのである。 そうすると,Bに対する殺人及び死体遺棄については,被告人が,捜査機関に発覚する前に自発的に自己の犯罪事実を申告したものと認められるから,自首が成立するというべきである。 (2) しかしながら,Bに対する殺人及び死体遺棄は,被告人が相次いで敢行した3人に対する殺人及び死体遺棄並びに1人に対する殺人未遂の一部にすぎない。しかも,被告人が自首をした際には,既にD及びEの殺害及び死体遺棄が露見していた上,血痕様の物が付着した本件ナイフも警察官において発見済みであった。さらに,f橋下の小屋の前のコンクリート面に血痕がにじんだような跡があったため,Q警察官がこれは何だと質問したのに対し,被告人はいったんおれは知らねえよなどとごまかしており,しかも,自首の申告を受けたQ警察官も,当時の被告人は照れ笑いのような表情を浮かべて,ふてくされたような態度であったと述べているのであって,被告人の上記申告は,真摯な反省に基づくものではなかったことが認められるのである。
したがって,Bに対する殺人及び死体遺棄について,自首による法律上の減軽を認めることは相当ではない。【量刑の理由】
1 事案の概要

本件は,ホームレスとして荒川の河川敷に小屋を建てて生活していた被告人が,朝方,被告人同様にホームレスの境遇にあった3人をバタフライナイフで突き刺すなどして立て続けに殺害し(判示第1ないし第3の各犯行),その夜,住宅街の路上で出会った友人のホームレスに同ナイフを突き出すなどして殺害しようとし(判示第4の犯行),翌朝,殺害した3人の死体を次々と荒川の水中に投棄して死体を遺棄し(判示第5ないし第7の各犯行),さらに,これらの犯行に先立って,覚せい剤の使用にも及んでいた(判示第8の犯行)という事案である。 2 犯行に至る経緯及び犯行の動機
(1) 被告人は,本件各犯行当時,他のホームレスとの共同生活が破綻して,人気のない荒川の河川敷で1人で生活していたが,他のホームレスからボスとして受け入れられることを欲しながらも,その粗暴性から,かえって敬遠され,そのような境遇の中で,疎外感や孤独感,鬱屈した感情を募らせていたところ,かねて水汲みをさせていたBから水汲みに関して口答えされたことを切っ掛けに,その粗暴性,衝動性を一気に爆発させて,本件各殺人及び殺人未遂を相次いで敢行するに至ったものである。
(2)ア ところで,Bが汲んでいた水は,すべて被告人の生活用水であり,その水汲みは,かなりの重労働であったのに,水汲みする姿を他人に見られたくないという卑小な自尊心から,被告人がBに強いていたものである。したがって,当時60歳のBが,水汲みの約束を十分に果たすことができず,また,被告人に対して不満を述べたからといって,特段落ち度があるとはいえない。しかるに,被告人は,このようなBの心情等に何ら思いを致すことなく,配下のように思っていたBからどうしておれだけ水汲みをさせられるのかなどと文句を言われたことから激高し,Bを殴打するなどした挙げ句,殺害するに及んでいるのである。
イ その後,被告人は,直ちに相次いでD及びEの殺害にも及び,その日の夜には,偶然出会ったCをも殺害しようとしているところ,これらの犯行の動機は,最も近くに居住しながらほとんど付き合いのなかったD及びEや面従腹背の態度をとるCに対し,自分をバカにしているのではないかなどという猜疑心や憤まんの情を一方的に募らせていたところ,B殺害により自暴自棄となった心情も重なって犯行に及んだものである。 ウ このように,本件各殺人及び殺人未遂の各犯行はいずれも,さしたる理由もないのに,自尊心を傷つけられたとして激高し,あるいは,B殺害を契機として自暴自棄となって,人命の尊さや被害者らの心情を一顧だにすることもなく,後にみるように,特段の落ち度の認められない被害者らに対して,連続的かつ一方的に自己の憤まんをぶつけるという凶行に及んだものであって,その動機に酌むべき点のないことはもとより,冷酷かつ身勝手極まりない犯行である。さらに,その犯行態様に照らしても,被告人は,確固たる殺意をもってこれらの犯行を相次いで敢行しており,その粗暴性,爆発性はもとより,人命軽視の姿勢も余りにも顕著である。
エ 加えて,本件各死体遺棄の動機は,本件各殺人の隠ぺいにほかならず,自己保身のためには死者の尊厳を冒とくすることをもいとわない卑劣かつ悪質なものである。
(3) なお,被告人が,本件各犯行に及んだ一つの要因として,判示第8の犯行のとおり,覚せい剤を使用した結果,その中毒性精神病から幻覚を体験するなどして,その本来の性格としての衝動性ないし爆発性が高まり,抑制も十分には利かなくなる状態にあったこともうかがわれる。しかし,覚せい剤の使用に至る動機や経緯に何ら酌むべき点はなく,また,被告人が覚せい剤の幻覚や妄想に支配されて本件各犯行に及んだものでないことも明らかである。しかも,被告人は,過去にも,覚せい剤の影響によって精神状態に異常を来した経験を有し,そのことを十分認識していたというのに,あえて覚せい剤の使用に及んでいるのであるから,この点を量刑上重要視することは相当でなく,むしろ,厳しい非難に値するというべきである。
(4) そうすると,本件各犯行に至る経緯や動機はいずれも,生命の尊厳に対する畏敬の念を全く欠いた身勝手極まりないものであって,被告人のために酌量すべき余地が全く認められないばかりでなく,本件各犯行,とりわけ本件各殺人及び殺人未遂の各犯行は,被告人の衝動性,爆発性などという性格傾向に起因するとともに,被告人が覚せい剤を多用した結果,その性格傾向を発露させて行動化させることによって自ら招いたものとみるほかはないのである。 3 犯行の態様等
(1) まずもって,本件各犯行で使用された凶器は,刃体の長さが約9.8㎝の先端鋭利で堅固なバタフライナイフであり,その高度の殺傷能力は明らかである。
(2) そして,被告人は,このように殺傷能力の高いバタフライナイフを用いて,まず,Bに対し,その頭部や胸部等を多数回切り付けるなどした上,胸部を2回突き刺し,さらに,Bが背中を向けてうずくまったところを,その背後から1回突き刺し,その結果,Bに,長さ約33㎝にもわたる胸部切創を含む20箇所もの刺切創を負わせており,そのうち胸部の刺創2箇所及び最後に生じた背部の刺創は共に胸腔内に到達し,うち2箇所が肺を貫通しているのである。しかも,Bが被告人に抵抗した形跡は皆無であって,被告人は,執ような攻撃を加えた末に,確固たる殺意をもって胸部を突き刺し,さらに,Bが攻撃を避けようとして背中を向けるや,とどめを刺すに及んだことが明らかである。したがって,その態様は,誠に凶暴かつ執ようで,残虐極まりないものである。
(3) 次いで,被告人は,同じバタフライナイフを用いて,Dに対し,その右前胸部及び左肩部を1回ずつ突き刺し,心臓又は肺に到達する刺創を負わせて殺害し,Eに対しても,同じナイフにより,その左前胸部及び左腕の付け根付近を1回ずつ突き刺して,後者が左肺を貫通し大動脈に到達する刺創を負わせて殺害しているところ,これら4箇所の各刺創のうち3箇所までもが同ナイフの刃体の長さにほぼ匹敵する深さ10㎝近くに及んでいることからも,被告人の攻撃の強烈さは明らかである。そして,D及びEは共に,被告人から攻撃を受けるなどとは全く予想さえしておらず,防御する余裕もないままいきなり刺殺されているのである。したがって,その態様も,確固たる殺意に基づく一方的で残虐かつ冷酷極まりないものである。
(4) さらに,被告人は,同様に襲われることを全く予想していなかったCに対しても,その胸部という枢要部を目掛けて,いきなり同じバタフライナイフを突き出しており,危険極まりない犯行であって,Cに致傷の結果が生じなかったのは偶然の幸運であったというほかない。しかも,Cが,たまたま所持していた金属バットで応戦しても,被告人は,更に同ナイフを突き出すなどしてあくまで攻撃を続けており,確固たる殺意に基づく執ような犯行というべきである。 (5) 加えて,被告人は,被害者3人の死体を一昼夜にわたって野外に放置した挙げ句,ゴミのように次々と荒川の川中に投げ込んでいて,その死体遺棄の態様は,被害者らへの哀悼の気持ちや死者の尊厳に対する畏敬の念を全く感じさせない誠に無慈悲かつ非人間的なものである。しかも,被告人は,潮の満ち引きの関係で河水が河口に向かって急速に流れており,これらの死体が容易に海に流出するであろうことを認識しながら犯行に及んでいるのであって,冷徹な計算に基づく卑劣な犯行でもある。
(6) 以上を総合すると,本件各犯行の態様はいずれも,無慈悲かつ非人間的で極めて悪質なものである。とりわけ,本件各殺人が残虐極まりない犯行であることはもとより,被告人は,Bを殺害した後,直ちにD及びEに対する殺害に及び,わずか約15分の間に何らのためらいを示すことなく3人もの人命を奪ったことに思いを致すとき,その余りの冷酷さ,残忍さは慄然とさせるものである。
4 犯行の結果
(1) まず,本件各殺人によって,特に健康を害した様子のない60歳前後の3人もの人命をたちどころに奪っていて,この点だけからも,犯行の結果はこの上なく重大である。
(2) D及びEはいずれも,被告人とはほとんど関わりのなかったものであり,もとより両名には何らの落ち度もありようはずがない。また,Bも,被告人から水汲みという重労働を課せられた上,被告人との約束どおりには果たせなかったものの,当日は実行していたというのに,一言不満を口にしたばかりに殺害されたものであって,殺されなければならないような特段の落ち度はないというべきである。

にもかかわらず,Bは,被告人から,住居から追い出された上に水汲みを強いられるなど,理不尽な扱いを受けた末に,執ようかつ一方的に危害を加えられ惨殺されたのであって,その感じたであろう恐怖や苦痛は計り知れず,無念さも察するに余りある。
また,D及びEは,ホームレス生活を余儀なくされながらも,Dについては,釣餌のゴカイを掘って生計を立てながら,親しい友人もおり,Eについても,金属製文房具工場で真面目にアルバイトをするなど,周囲に特に迷惑を掛けることもなくそれなりに平穏で自律的な日々を送っていたというのに,突如,問答無用とばかりに被告人から一方的に殺害されたのである。このように,両名は共に,殺されなければならない理由も全く理解できないまま,いきなり悲惨な最期を迎えさせられており,その衝撃や恐怖,無念さは筆舌に尽くし難いものがある。(3) Cについても,従前,被告人の怒りを買わないように被告人との関係の維持に努めていたのに,一方的に因縁を付けられて襲われたものであり,何らの落ち度も認められない。しかも,Cは,持ち合せた金属バッドで防戦していなければ,他の被害者らと同様に惨殺された現実の危険にも直面しており,当公判廷において,被告人から逃げた後,民家の陰に隠れている時も,その後,被告人がいなくなったのを確認して自転車を取りに行った時にも,体の震えが止まらなかったと供述するように,その驚きや恐怖,衝撃は甚大である。 (4) さらに,本件各死体遺棄についてみても,D及びEの死体はテトラポットにゴミなどと共に無造作に打ち上げられていたところを発見され,Bの死体は東京湾を漂流した挙げ句,羽田空港の滑走路脇の砂浜に漂着しており,発見の時点では,死体の損傷も相当程度進んでいたのであって,その発見された状況は無惨というほかなく,死者の尊厳が著しく害されているのである。
(5) 以上のように,本件各犯行の結果は,余りにも重大である。とりわけB,D及びEについては,上記のように無惨な最期を強いられ,しかも,死んでもなおその尊厳を冒涜されており,誠に同情を禁じ得ないところである。 5 遺族らの被害感情等
(1) B,D及びEはいずれも,それぞれの事情から,自宅や実家を離れてホームレス生活を送っていたところ,その帰りを心待ちにしていた妻子や兄弟らは,音信不通となった3人の安否や生活を気遣いながらも,いつの日にか元気に帰ってくるものと信じて,一縷の望みを抱いていたにもかかわらず,突然,それぞれ無惨にも殺害された上,川中に遺体を投棄され漂着した状態で発見された旨知らされたのであって,最悪の形で希望をうち破られたその衝撃や悲嘆は,計り知れないものがあり,遺族らの処罰感情はいずれも被告人に対する極刑を求めるなど,誠に峻烈である。すなわち,
ア Bの実兄は,年の離れた末弟であるBについて,小学校の入学式に参列するなど,その親代わりになってその面倒を見てきたものであるところ,当公判廷に出廷し,Bは私にとっては一番かわいい弟でした,

その弟がむごたらしい殺され方をし,ゴミのように川に放り投げられ,可哀想でなりません。死ぬときどれだけ怖くて痛かったかと,何とか助けてやれなかったものかと,今も切ない思いをしています。

などと述べている。 イ また,Dの実兄も,Dの遺体と対面したとき,親兄弟から離れて孤独な人生を送っていた上に,最期はナイフで刺し殺されるなんて,Dが余りにもかわいそうだと,Dのことが哀れでなりませんでした,(被告人)は,Dをナイフで刺し殺しただけでなく,その遺体を川に投げ捨て,その結果,Dは川に流され,テトラポットのようなところに引っ掛かっているところを発見されたと聞いています。何で私の弟をそんな目に遭わせなければならなかったのでしょうか。Dはゴミですか。(被告人)という男には人間として当たり前の心というものがないのでしょうか。などと述べている。 ウ さらに,Eの妻は,Eが昭和55年に行方不明になった後,苦労を重ねて3人の子供を育ててきたものであるが,確かに主人はグウタラな人間でしたが,私たちにとってはかけがえのない人であり,また,主人が行方知れずとなってから苦しくて辛い生活を送ってきた私にとって,主人の存在は,いつのまにか『いつか帰ってきて私を助けてくれる人』として心の支えになっていたのですと述べた上,自ら上申書をしたためて,

(被告人)という男は,絶対に死刑にしてください。そしてできるならば,その死体を川に捨ててください。それくらいしてもらわないと,私は,納得できません。

と訴えている。
(2) そして,本件殺人未遂の被害者であるCも,当公判廷において,被告人の眼前で,被告人に対する極刑を求めているのである。
6 社会的影響
本件は,いわゆるホームレス連続殺人事件として,3人もの人命がたちどころに奪われたまれに見る凶悪事件として新聞等で報道されており,広く社会にも大きな衝撃や不安感を与えたことがうかがわれるのであって,この点も,決して軽視することはできない。
7 犯行後の情状等
(1) 以上のとおり,本件各犯行は,いずれも極めて凶悪かつ重大な犯罪であるが,被告人は,本件各殺人については,その犯行後,OにBの殺害を知られたかもしれないと思うや,直ちに口封じのためOを殺そうとしてその襟首をつかむなどしている上,本件各殺人の露見を防ぐために,本件各死体遺棄に及び,Bの殺害現場の血だまりをふき取るなど,罪証隠滅工作に及んだことが認められる。さらに,被告人は,被告人の実兄が警察官の取調べに応じたことを知るや,出所したらただでは済まない,家を焼いてやる旨の手紙を送り付けている。 (2) また,被告人は,前記のとおり,捜査の比較的早い段階から当公判廷に至るまで,覚せい剤の影響で,妄想によりBらが警察官であると思い込み,3人までは殺しても無罪だ,などという幻聴に支配されて本件各犯行に及んだ旨弁解している。
しかし,前に詳細に検討したとおり,本件各犯行当時,覚せい剤の影響として,被告人に一部に幻覚等の精神症状が現れていたことはうかがわれるものの,被告人がその述べるような幻聴や妄想に支配されて本件各犯行に及んだものとは認められないのである。すなわち,被告人の上記弁解は,自己の刑責を殊更軽減させるために,覚せい剤の影響を誇張して語るものとみるほかはなく,自己の行為の悪質さや結果の重大性と真摯に向かい合う姿勢の欠如を示すものとして,厳しい非難を免れない。
(3) また,被告人は,B,D及びEの遺族らに書き送った手紙の中でも,本当に覚せい剤は恐ろしい薬ですとして,本件各殺人の原因を専ら覚せい剤の薬理作用に求めようとして,かえって遺族の感情を逆なでしており,遺族らの心情を思いやる姿勢に欠け,その反省態度は余りにも不十分なものといわざるを得ず,本件は,犯行後の情状においても劣悪というほかない。
8 被告人の犯罪性向等
(1) 被告人は,昭和47年ころから10年以上にわたり暴力団構成員として活動し,その間に限っても,傷害,恐喝,暴行等の粗暴前科3犯を有し,覚せい剤にも手を染めて1回服役し,抗争等にも関与していた。しかも,被告人は,暴力団から破門された後,窃盗等を繰り返して2度にわたり服役したにもかかわらず,最終刑で出所した後も,仲間を率いて万引きや仮睡者からの窃盗を繰り返し,他のホームレスらに対する度重なる粗暴行為に及んでいたというのであって,これらの犯罪歴や生活状況だけからも,被告人の反社会的な人格傾向及び粗暴性は誠に顕著であり,法規範無視の姿勢も目に余るものがある。
(2) また,被告人は,昭和48年ころから覚せい剤の使用を開始して,その後,覚せい剤の影響により奇異な言動等に及ぶことが度々あったというのに,自戒することなく,本件に至るまで25年以上にもわたって漫然と使用を継続し,早い時期から覚せい剤依存症の状態にあったと鑑定されている。このように,被告人の覚せい剤に対する常習性や依存性は極めて深刻であり,覚せい剤の自己使用(判示第8の犯行)の犯情が劣悪であることはいうまでもなく,その衝動性,爆発性を高めて抑制が十分利かなくなるという覚せい剤の危険性が本件各殺人等においても現実化したことがう
かがわれるのである。
(3) さらに,被告人は,若いころより,周囲の者に対して理不尽な暴力を振るうことがしばしばあり,その中には,金の無心を断った実兄に対して起き上がれなくなるほど多数回殴打したり,浮気を邪推した挙げ句,臨月の妻の頸部を電気コードで絞め上げたり,生後間もない長男をマンション3階のベランダから地上に投げ落とそうとしたり,至近距離から妻子に向けてけん銃を発砲するなどの極めて危険かつ異常な行為に及んでいたのである。 そしてその間,被告人は,結婚や長男の出生を始めとして,暴力団からの離脱,多数回にわたる服役や検挙を経験するなどして,更生する契機も決して少なくなかったのに,一向にその生活態度を改めず,ホームレスとして生活するようになった後も,他のホームレスに対する理不尽で粗暴かつ危険な暴力を繰り返し,人の現在する小屋に火を放ってホームレスに火傷を負わせることまでしていたのであって,更生はおろか,その本来の反社会的な人格傾向,攻撃性や粗暴性を更に高進させていったことが認められる。
(4) なお,本件の背景として,被告人が,ホームレス生活を余儀なくされた上,他のホームレスとの共同生活も破綻し,かえって他のホームレスから敬遠されるなどして,孤独ですさんだ生活状況にあったことも指摘できるが,以上みてきたような被告人の経歴に照らすとき,被告人が,このような境遇に至ったのは,犯罪行為を重ねるなどして自らの社会生活を破綻させた上,ホームレスとなった後も,周囲の者にボスとして振る舞おうと理不尽かつ一方的な暴力を繰り返すなどしたことに起因する部分が大きく,自ら招いた窮状ともいえるのであって,被告人のために酌量すべき余地は極めて乏しい。
(5) さらに,被告人の近親者等は,被告人から理不尽な暴力を振るわれ,借金の肩代わりをさせられるなど,過去に多大の迷惑をかけられており,被告人の元妻は,被告人が刑務所に入っているだけでほっと安堵するとして,二度と関わり合いたくない旨供述し,実兄も,被告人のための情状の酌量を訴える気持ちにはなれない旨明言しているのであって,被告人を支え,その更生を手助けするような者も見当たらない。 (6) そうすると,被告人の犯罪性向や粗暴性・衝動性は極めて深刻というほかはなく,これらは被告人の本来の人格に深く根ざすものと認められる上,本件各犯行の凶悪さや犯行後の情状,さらに,本件各犯行の要因の一つともなった覚せい剤に対する被告人の根深い常習性や依存性,被告人を取り巻く人的環境等をも併せ考慮するとき,被告人の更生を期待することは,極めて困難といわざるを得ない。
9 被告人のために斟酌すべき事情
しかし他方,被告人のために酌むべき事情も認められる。
(1) 被告人は,本件各死体遺棄から程なくして,警察官から職務質問を受けた際,本件各殺人及び本件各死体遺棄について直ちに自認し,特に,警察官らが把握していなかったB殺害の事実も自ら述べているのであり,B関係については自首が成立するものと認めることができる。
しかし,既に検討したとおり,自首の動機が真摯な反省に基づくものでなかったとうかがわれる上,被告人が,捜査段階の途中からは,Bの殺人等は幻聴や妄想に支配されて行った,本件職務質問の際も幻聴が激しくあり,警察官が来たことも半信半疑であったなどと,採用し難い不合理な弁解を述べるに至っていることなどからすれば,法律上の減軽を認めるべきでないことはもとより,これらの事情を量刑上被告人に有利に斟酌することにも自ずから限度があるといわざるを得ない。
(2) 被告人は,逮捕当初より,本件各犯行に及んだこと自体は素直に認めて反省する姿勢を示しており,当公判廷においても,毎日,お題目を唱えるなど,被害者3人の冥福を祈っており,死刑判決もやむを得ない旨供述しているほか,覚せい剤には二度と手を出さない旨誓い,各遺族に対しては,それぞれ謝罪の手紙を書いたことも認められる。 (3) さらに,本件各殺人及び本件殺人未遂については,責任能力に影響しないとはいえ,各犯行当時,被告人が,覚せい剤のために幻覚等を体験するなど,精神的に不安定な状態にあったことは否定できず,本件各殺人については,Bとの口論に端を発する衝動的な犯行であったといえる。また,本件殺人未遂は,Cが抵抗したためとはいえ,幸いにして未遂にとどまっており,全く死傷の結果を生じていない。
(4) 以上に加えて,被告人は,他人とのつながりを素朴に欲していたことがうかがわれ,元妻も,被告人には優しい一面もあった旨供述しているところ,子供が生まれたばかりのころ,被告人が早く帰宅して自らおむつを替えていたという姿に,その一面を垣間見ることもできる。また,被告人は,他のホームレスへの暴力等を繰り返す一方,その直後に土下座して謝罪したり看病するなどして,関係が決定的に悪化しないよう被告人なりに努めていたことも認められるのであり,被告人自身,自らの粗暴性を持て余して苦慮していたこともうかがわれるのである。 10 結 論
以上の諸事情を総合考慮して,被告人の刑事責任について判断する。 覚せい剤使用を含め本件各犯行はいずれも誠に悪質であり,覚せい剤使用以外の各犯行に至る動機や経緯は,いずれも身勝手で無慈悲かつ冷酷非道なものである。また,本件各殺人や殺人未遂の態様はいずれも粗暴かつ凶悪であるばかりでなく,本件各殺人はすべて確固たる殺意に基づく残虐なもので,Bに対する攻撃は執ようでもあり,本件各死体遺棄の態様は卑劣かつ死者を冒涜するものである。さらに,尊い3人もの人命が理不尽にも連続して奪われた本件各殺人の結果が極めて重大であることは,いうまでもない。長年にわたりその帰りを待ち続けた末に最悪の悲報を突き付けられた遺族らの被害感情は誠に峻烈なものであり,本件が凶悪な連続殺人事件として社会に与えた強い衝撃も決して軽視できない。そのうえ,被告人の反社会的で粗暴かつ衝動的な人格傾向は誠に根深いものがあり,本件いずれの犯行も,このような被告人の本来の人格の発現であったと認められるほか,被告人の反省の姿勢には重大な疑問が残り,しかも,被告人を支えその更生を手助けするような者も見当たらないのであって,改善更生を期待することは,極めて困難といわざるを得ない。
これら各般の事情を併せ考慮すると,被告人の刑事責任は余りにも重大というほかはなく,上記の被告人のために酌むべき事情を最大限考慮し,死刑が,人の生命を奪い去る究極の刑罰であり,真にやむを得ないと認められる場合にのみ選択が許されるものであることを念頭に置きつつ慎重に検討しても,被告人に対しては,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも,死刑をもって臨むほかはない。
よって,主文のとおり判決する。
平成15年6月10日
東京地方裁判所刑事第2部
裁判長裁判官 中 谷 雄二郎
裁判官 横 山 泰 造


裁判官 蛯 原 意

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