判例検索β > 平成14年(う)第39号
死体遺棄(原審予備的訴因及び認定罪名・死体領得)、保護責任者遺棄致死被告
事件番号平成14(う)39
事件名死体遺棄(原審予備的訴因及び認定罪名・死体領得),保護責任者遺棄致死被告
裁判年月日平成14年12月19日
裁判所名・部福岡高等裁判所  宮崎支部
裁判日:西暦2002-12-19
情報公開日2017-10-13 01:45:22
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主 文
本件各控訴を棄却する
被告人両名に対し,当審における未決勾留日数中,各180日をそれぞれ原判決の刑に算入する。


第1 控訴の趣意
本件各控訴の趣意は,弁護人年森俊宏及び同小林孝志作成の控訴趣意書に記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官樋口生治作成の答弁書に記載のとおりであるから,これらを引用する。
所論は,要するに,原判決が,被告人らに対し,(1)Cの死亡について,保護責任者遺棄致死罪(原判決(罪となるべき事実)(以下原判示という。)第1の事実)の,(2)Cの死体の扱いについて,死体領得罪(原判示第2の事実)の,(3)Dが出産した男児(以下本件男児という。)の死亡について,保護責任者遺棄致死罪(原判示第3の事実)の,(4)本件男児の死体の扱いについて,死体遺棄罪(原判示第4の事実)の各成立を認めた点に,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがある,というのである。
第2 当裁判所の判断
1 所論(1)(Cの死亡についての保護責任者遺棄致死罪の成否)について(1) 関係証拠によると,以下の事実が認められる。
ア加江田塾設立の経緯及び被告人らの活動状況
被告人Aは,昭和19年に鹿児島市で出生し,大学の理工学部に進学後,Eと婚姻し,実家の両親が始めた美容院経営に携わるため,鹿児島に戻り,美容師の免許を取得し,昭和48年ころ,父親からその経営を引き継いだ。しかし,昭和63年に,多額の負債を抱えて倒産し,不動産を処分するなどして負債整理を行い,平成3年ころから,毛布販売の行商を始め,平成6年ころから,氣づきの会という団体の会長として,全国各地でセミナーを開催し,健康器具を販売する仕事に従事した。そのころから,次第に,神や創造主の存在を意識する宗教的な思考を強め,既存の宗教団体に入会したが,飽きたらずに脱退し,やがて,自らTAOと名付けた創造主の存在を意識し,その創造主との対話を通して,様々な事象を理解,判断するという考え方を確立し,自らがTAOの代理人であるとして,上記セミナーの参加者から相談を受け,助言,指導を行うようになった。 被告人Bは,昭和25年に北海道で出生し,昭和48年に婚姻してF姓となり,子をもうけ,札幌市内で化粧品の販売等に携わった。やがて,子供の病気や交通事故等がきっかけとなって,宗教団体に入会するうち,平成6年10月ころ,知人のDから誘われ,大阪で開かれた氣づきの会のセミナーに参加し,被告人Aと知り合った。
その後,被告人らは,北海道でセミナーが開催される度に顔を合わせ,被告人Bが,被告人Aに対し,自分の子供のことや,人間関係についての悩みを打ち明けるうち,両名は,次第に親密な仲になり,平成7年5月ころ以降,被告人Bは,氣づきの会のスタッフとして,被告人Aと行動を共にするようになった。被告人Aは,それまでは,フーチと呼ぶ振り子様の器具を使ってTAOの意思を確認していたが,被告人Bに,霊界と交信する,いわゆるチャネリングの能力があるものと信じ,同被告人に質問してチャネリングを行わせ,同被告人がTAOからの回答を口述し,被告人Aがフーチでその回答の正確さを確認する手法を用いるようになった。そして,このような作業を通じて,被告人Bは,被告人Aの考え方を把握,理解し,これに共感を覚え,強めていった。 被告人らは,平成7年5月ころから,東京都大田区aのアパートで同居したが,DやGらも被告人Aを慕って同所に出入りし始めたことから,手狭となり,同年7月ころ,他のマンションに転居し(以下,同所をaのマンションという。),さらに,同年7月末ころ,宮崎市大字b所在の木造2階建ての建物を賃借し,同所を被告人らの生活の本拠にすることにした。そして,被告人らや,被告人Aを慕う者らは,宮崎に転居し,上記建物において共同生活を始めた。被告人Aは,同所での自らを慕う者の集まりを,その地名をとって加江田塾と名付け,その構成員を塾生とした。なお,被告人Bは,宮崎に転居したころの同年8月4日,夫と正式に協議離婚した。
その後も,被告人Aを慕い,加江田塾の塾生となる者が増加し,上記建物も手狭となり,被告人Aは,平成9年9月25日,宮崎市c町所在の3階建ての建物を賃借し,同建物を加江田塾アネックスと名付け,塾生らの生活の本拠にする
ことにした(以下,上記の宮崎市大字b所在の建物を本館,同市c町所在の建物をアネックスという。)。
本館の構造は,別紙見取図1(1階の構造)及び同2(2階の構造)のとおりであり,被告人らのほか,被告人Aと肉体関係のあったH,Hと被告人Aとの間の幼女,被告人Aの娘のIなど,比較的被告人Aと近い関係にある者が同所で生活した。そして,本館とアネックスに合計40名前後が加江田塾の塾生として生活し,平成9年3月に塾生となったJがその塾頭を務めた。塾生ら相互間に上下関係はなく,被告人Aが付けた,Hが甲,Gが乙,Kが丙,Lが丁,
Mが戊,Dが己などの通称を用いて呼び合っていた。また,被告人Aは,庚の通称を使用し,塾生らからは,先生,会長などと呼ばれ,加江田塾の主宰者として,塾生らの生活全般にわたって指導,助言をし,被告人Bは,辛の通称を使用し,加江田塾内では,被告人Aの補佐的立場で行動を共にした。
そして,被告人Aの教えを支持する者らにより,平成8年10月ころ,輝21世紀をつくる会が,平成9年8月ころ,A後援会が結成され,これらの主催により,主として個人を対象とした愛のセミナーや,企業人を対象としたビジネス帝王学セミナーが,全国各地で開催された。被告人Aは,これらのセミナーにおける講演で,病気は,悪が人に取り憑くことにより起こるもので,病気を良くするには,取り憑いた悪を消し,愛のエネルギーを与えて,その人を清める必要があり,病院は,悪が溜まっているので,行かない方がいい場所であり,薬は,完全に患者を治すことができず,副作用もあるので,飲まない方がいいなどと訴え,被告人らが,参加者と個人面談をし,体や心の悩みを聞き出し,被告人Aがフーチを持ち,被告人Bがチャネリングを行い,その悩みの原因を探り,お清めないし波動療法と称する祈祷類似行為を行った。これは,TAOの愛のエネルギー(波動)を相手に送ることで,その者に取り憑いている悪を取り除くために行うものとされ,その具体的な方法として,希望や目標を紙に書き,ラッキーハンマーと称する木槌でその紙を叩くもの,手の平を患部にかざして気を送るもの,エイッと大声を出して,気合いを入れるもの,木製の剣を患部に当てたり,空気を切ったりするもの,塾生らが大勢でワッショイ,ワッショイと大声で叫び,エネルギーを送るもの(言霊と称していた。)など,様々なものがあり,そのいずれを行うかについては,その都度,被告人Aが決定し,自らこれを行い,あるいは周りの者に指示して行わせた。また,被告人らは,個人面談の際に,相談者から病院に通っていたり,薬を服用していることを聞くと,病院は愛がないから行かない方がいい,薬も飲まない方がいいなどと,強く諫めていた。なお,被告人Aの病気や薬に対する上記のような考え方は,塾生らにも徹底され,塾生らは,体調が悪くなっても,病院を利用することはほとんどせず,被告人らから上記の祈祷類似行為等を受けて対処していた。 イ 加江田塾で生活するまでのCの病状
Cは,平成3年4月30日,父N,母O(その後,再婚してP姓となる。)の間に2男として出生して長男Qと共に育ち,平成7年1月24日にNとOが離婚した後は,共に親権者のOに引き取られて横浜で生活していた。
Cは,2歳になる直前の平成5年4月19日ころ,ステロイド依存性のネフローゼ症候群に罹患していることが判明し,平成8年11月21日から同年12月17日までの間,R病院に入院するなどして治療を受けた。
ネフローゼ症候群は,腎臓の疾患で,尿から大量の蛋白が排泄されることにより血清蛋白の減少を来した状態を指すものであり,血清蛋白が失われることによって,血液膠質浸透圧が低下し,水分が体の組織に残り,全身の浮腫が進行し,重度になると,陰嚢が腫れ上がり,腹部に水が溜まって,蛙腹と言われる状態になり,胸水や肺水腫のため,喘息のような呼吸状態となるなどの他覚症状がみられ,そのまま放置すると,その増悪によって,多臓器不全を起こすなどして,生命の危険が生じることとなる。このような重篤な状態になるのを避けるためには,入院するなどして安静に過ごし,食事療法,薬物療法を併用した治療を行う必要があり,中でも,ステロイド(副腎皮質ホルモン)剤の投与が,蛋白の排泄を抑える働きがあり,現代の医学では,最も有効な治療方法とされている。したがって,患者の病状が進行し,体の浮腫がひどくなった段階でも,ステロイド剤の投与等の適切な医療措置が講じられれば,肺水腫による呼吸不全などの生命が危険にさらされる状況は回避することができ,さらに,肺水腫による呼吸不全に陥った段階でも,透析によって,体内に溜まった水を抜くなどの緊急医療措置を講じておれば,生命が
助かる可能性がある。他方,ステロイド剤を投与することにより,顔面がむくんだ状態(いわゆるムーンフェイス(満月顔))になることや,その他にも種々の強い副作用が発現する危険があるため,専門家の指導による適切な処方が要請される。Cのような,ステロイド依存性のネフローゼ症候群は,ステロイド剤の投与により,一時的に症状が寛解し,その投与を止めると再発するという状態を繰り返すが,幼児期に発症したものについては,専門医の指導を受けて継続的な治療を続けることにより,一定の年齢に達すると,完治する可能性が高いとされている。現に,上記の平成8年11月から12月までの入院期間中に,Cに対するステロイド剤の増量投与による治療が行われたところ,入院時には,TP(血清総蛋白量)が,5.0g/dl(学童,幼児の場合のTPの基準値は,6.0g/dl),ALB(血清アルブミン)が,2.9g/dl(同基準値は3.0g/dl),尿蛋白が+++(スリープラス)であったが,入院後約1週間で,尿蛋白は陰性(マイナス)となり,退院時には,TPが5.5g/dl,ALBが3.7g/dlにまで改善しており,上記治療の効果があったことが認められる。
Cは,上記退院後,概ね月1回の割合で通院し,医師の指導の下でステロイド剤の投与を受け,尿蛋白が陰性の状態がしばらく続いたことから,平成9年3月末ころ,その投与が一旦中止された。その後も,しばらくの間,尿蛋白が陰性の状態が続いたが,同年8月28日の検査で±(プラスマイナス)に,同年10月9日の検査で+(ワンプラス)に,同月17日の検査で++(ツープラス)になるなど,次第に状態が悪化する傾向をみせ,病気の再発が疑われる状況となった。同病院の医師は,ステロイド剤の投与を再開する必要があることをOに告げたが,OがCに副作用が出ることを怖れて医師に投与再開を見合わせるよう依頼したため,次回の検査まで様子を見ることとなった。ところが,同年11月13日の検査では,尿蛋白が+++(スリープラス),TPが4.4g/dl,ALBが2.4g/dlと,完全に低蛋白血症の数値を示すようになり,眼瞼に浮腫もみられるようになったことから,医師は,ステロイド剤の投与を再開した。しかし,その投与再開にもかかわらず,同月27日の検査時点で,上記数値に改善がみられなかったので,医師は,Oに2週間分のステロイド剤を与えて毎日服用させるよう指示するとともに,同年12月5日にCと一緒に来院するよう求め,その際の検査結果次第では,再入院を検討せざるを得ない旨を告げた。
なお,Oは,Cの病気が発覚してからは,医師の指導に従って,Cには塩分を控えた食事を与えていた。
ウCが加江田塾で生活するに至るまでの経緯
Nは,昭和60年ころから寝具の販売等を営むS株式会社(以下Sという。)に勤めていたところ,平成9年2月初めころ,かつて同社に勤めたJから,

すごい人が九州にいる。愛の力で困っている人を助けたり,病気の人を治したりする。やっと自分の生きる場所が見つかった。

などと,被告人Aを褒め称え,今後,加江田塾の塾生として生活していく旨の話を聞き,初めて被告人Aの存在を意識するようになった。
同年4月22日,Nの上司で,当時Sの取締役統括営業本部長であったTが,急性動脈瘤解離で倒れ,危篤状態になり,その家族や,Nら会社関係者が集まり,担当医から,今日の夜が山場であると告げられた。Nは,Jから聞いた被告人Aのことを思い出し,Jに連絡を取り,Tの状態を伝えて,何とか被告人Aの力でTを助けて欲しい旨懇願し,Jから,宮崎に来るように言われ,これに従い,同年5月3日,宮崎へ赴き,初めて被告人らに面会した。被告人Aは,Nに対し,Tは自分が宮崎から気を送って清める,Tは絶対に治る,家族や会社の関係者に,同人について,死んだらどうしようとか,助からないとか,マイナス思考にならないように伝えてほしいなどと述べ,Nは,了解して東京に戻り,関係者にその旨を伝えた。Tは,病院の集中治療室に入り,2,3度危篤状態にもなったが,奇跡的に回復し,同年7月下旬ころ,退院した。
Nは,Tが回復したのは,被告人Aの神秘的な力によるものであると考えるようになり,同年5月下旬ころ,輝21世紀をつくる会に入会し,同月から12月までの間,月1回の割合で東京で開かれるセミナーにも参加した。Tも,上記退院後,同年8月に開かれたセミナーに初めて参加し,その後,月に1,2回の割合で,宮崎の加江田塾に被告人らを訪ねるようになり,次第に,その考え方に心酔するようになった。NやTは,知人や会社関係者に,被告人Aのセミナーに出席するよう勧め,その参加者から,同被告人の力で頭痛や腹痛が治った,足のむくみが消えたなどという話を聞き,ますます同被告人の神秘的な力を信じるようになり,
Nは,同年9月に結成されたA後援会の会長に,Tは,その顧問になった。 このような中で,Nは,同年5月25日に本館を訪ねて被告人Aと面会した際に,同人から,何か相談はないかと尋ねられ,別れた妻との間に子供が2人おり,そのうちの1人(C)が,ネフローゼ症候群という,体がむくんで尿が出なくなる病気にかかっており,病院で診察を受け,薬も飲んでいるが,その副作用で顔が腫れたりすることを話した。すると,被告人Bは,TAOの言葉として,その病気は大したことがない,OのCに対する愛がなく,Oの実家の因縁が強く影響しているのが原因であり,Nが子供らを引き取って育てるべきだなどと述べ,被告人Aは,TAOの意思は絶対だから従った方がいい,TAOを信じれば,Cの病気は治るなどと付け加えた。Nは,その時点では,自分が直ぐにCを引き取るというのは無理だと思ったが,その後も,被告人Aに会う度に,同人から,Cのことを尋ねられ,TAOを信じるように,愛がないのに病院に行っても仕方がない,愛があればCを治すことができる,薬は飲まなくても済むなどと言われ,さらに,Cを一度自分達のところに連れて来るよう求められた。その間,Nは,同年8月16日ころ,Cの写真を被告人らに見せると,被告人らは,Cについて,大した病気ではない,引き取ればいい,宮崎で育てれば治るなどと言って,NがCを引き取って,加江田塾に連れてくることを勧めた。
Nは,上記のような被告人らの話に心を動かし,被告人らの助けを借りて,何とかCの体を健康に戻したいと思うようになり,同年8月になると,Oに対し,電話で,Cに薬を飲ませるのは良くない,薬を飲ませずに健康な体に治してくれる先生(被告人Aのこと)が宮崎にいる,Tも重い病気をしていたが,先生に診てもらって治った,先生にCのことを話したら,是非連れて来い,治してやると言われたので,Cを連れて行って先生に診せたいなどと,さらに,お前(O)の悪をCが背負って病気になっている,お前を綺麗にしないとCは治らないと先生が言っているなどと申し向けた。Oは,Cの症状がそのころ安定していたこともあって,Nの話をまともに取り合わなかったが,Nは,何度もOに電話し,その先生の力を借りればCが絶対に治るなどと言い続け,同年9月になると,Oの勤務先を訪ね,お前に任せておけない,子供は引き取るなどと言い,Oは,やむなく,NがCを被告人Aに引き会わせることを認めた。
Nは,同月14日ころ,aのマンションにCを連れて行き,被告人らと面会させた。被告人らは,Cを横たわらせ,被告人Bが手をかざし,被告人Aがラッキーハンマーで紙を叩いたり,塾生らがワッショイ,ワッショイと言ったりするなどの祈祷類似行為を行い,その後,Nに対し,病気は大したことはないが,母親(O)から切り離す必要がある,できれば宮崎に連れてきなさい,薬は必要ないし,食事制限も必要ない,病院には行かせない方がいいなどと言った。 一方,Oは,前記のとおり,同年10月ころ以降,Cの尿蛋白がプラスに転じて病気の再発が疑われるようになり,完治を期待していたことから,大きな衝撃を受け,Cに再びステロイド剤を投与することで,副作用が出るのを怖れ,Nから薬を飲ませるべきではないと再三言われていたこともあって,医師から毎日服用させるよう処方されたステロイド剤を,3日に1度程度しか飲ませなくなった。そして,同年12月5日に予定されていたCの診察を無断で受けさせず,Cらを宮崎に連れて行きたいとのNの申出を承諾し,そのころから,ステロイド剤をCに飲ませなくなった。
Nは,同年12月6日から7日にかけて,QとCを連れて宮崎の加江田塾を訪れ,被告人らと面会した。被告人らは,Cに対し,前回と同様の祈祷類似行為を行った後,Nに対し,病気は大したことはない,冬休みに,Qと一緒に加江田塾に寄こして生活させれば,Cは元気になるなどと言った。Nは,帰京後,Oに対し,電話で,今度,先生が東京に来る時にお前に会いたいと言っていたので,会ってくれないかと話し,Oは,承諾した。
同月11日,N,O,Q,Cの4名は,aのマンションを訪ね,被告人らと面会した。そして,Oは,被告人らに対し,Cの病名や病状,これまでの治療方法等について説明し,被告人Bは,NからCの病気のことは聞いている,病院に行く必要はない,薬も要らないなどと言い,さらに,TAOの言葉として,C君の病気の原因は,Oの実家に因縁がある,病気を治すには,CだけではなくOも清める必要があるなどと言った。被告人らは,OとCに対してそれぞれ祈祷類似行為を行った後,Oに対し,Cの病気を治したかったら,冬休みに宮崎に来るようにと言い,加江田塾の概要も説明した。Oは,Nと共に,翌12日に開かれたセミナーにCを連れて参加し,個人面談の際に,Cに祈祷類似行為を受けさせた。被告人A
は,Oに対し,Cを連れて宮崎に来るよう再度勧め,Oがなおも迷っていると,Nも,同女に対し,冬休みを利用して行くだけ行ってみたらどうかなどと勧めた。 その後,Oは,Cの病状に改善がみられないので,不安を訴える内容のファックスを被告人らの連絡先に送り,その都度,今清めたから大丈夫だ,不安や心配といったマイナスの感情は悪であり,Cの悪を増長させてしまうので,心配してはいけないなどと記載されたファックスの返送を受けた。また,被告人Bは,電話で,Oに対し,Cに薬を飲ませたり,病院に連れて行ったりしていないかを確認し,Oは,これを否定したりして応答していた。NもOに電話をかけ,Cを連れて宮崎へ行くことを勧め,Oが,知らない人と一緒に生活することに不安を訴えると,子供もいて塾生の人たちがいろいろと面倒をみてくれる,みんないい人達で,俗世間から離れてのんびりできる,お金が目的の団体ではないなどと説得し,Oもついに,Cを連れて加江田塾へ行き,被告人らにCの治療を任せることを決意した。
エ 加江田塾におけるCの生活状況
平成9年12月21日,Oは,Cと共に宮崎を訪ね,被告人らと面会した。被告人らは,Oに対し,ここに来たからには大丈夫だ,安心して任せるようになどと言い,Oは,

よろしくお願いします。

などと言って,床に両手をついて頭を下げた。
その後,Oは,被告人Aの指示を受けてアネックスで塾生らと共同生活を始め,同月24日,学校が冬休みになったQも宮崎に来て,OやCと合流した。 Oは,当初は,見知らぬ環境での生活に不安を覚えていたが,被告人らや周りの塾生らの雰囲気を知って,心を許すようになった。なお,加江田塾において保管されていた資料によると,Oは,同月24日,輝21世紀をつくる会に登録した旨の記録がある。
ところが,Cの容態は一向に良くなる兆しを見せず,加江田塾に来た当初は,瞼と足の臑に少し浮腫が見られる程度であったのが,同月24日には,足の甲が腫れて靴が履き辛くなり,同年年末ころには,顔や体の浮腫が一見して分かるほどひどいものとなり,陰嚢は拳大まで膨れあがり,腹部も蛙腹の状態になり,朝,自分で布団から起き上がることも困難になり,食欲もなく,1日中ぐったりした様子になるなど,その容態は悪化する一方であった。被告人らは,Cが加江田塾に来てから,何回か祈祷類似行為を行い,その容態が一向に快方に向かわないと見るや,同年12月28日ころから同月31日ころにかけて,連日にわたり,被告人Aが,Cの体の上に手を広げて伸ばし,目を閉じて念力を入れるような格好をし,横にいた被告人Bが

『悪』が見えます。

もう少しです。

などと言い,さらに念力を込める格好をした後,

今『悪』が消えました。

などと言い,その間,周りで塾生らが,ワッショイ,ワッショイとかけ声をかけ,ラッキーハンマーで,C君は完治すると書いた紙を叩くなどの祈祷類似行為を行った。そして,Cの容態の悪化を心配するOに対し,今は悪が体から出てきているから体が腫れているだけだ,心配する必要はないなどと説明し,Oが,いつごろ良くなるかを尋ねると,

そういうふうに思っているからいつまでたっても治らない。信じ切れていない。帰ってもいいけど病気は治らない。

などと言い,チャネリングを行った内容を塾生らに書き取らせ,Oに渡していた。そのメモには,ここに来ることを許され,先生がおいでと言われたということは,命にかえて守りぬくということです。先生と,ここの塾生たちは,いったん命をささげた者たちです。いつでもCくんを守るために命をさしあげようと思っていますが,あげたいと思っても受けとる相手がいなければあげることができません。完全に情を開き,ゆだねてみてください。悪いように見えてもいづれは出てきたものです。彼が一生かかってこくふくしていかなければならなかったものを何週間かで治していく訳です。・・・命にかえて守りたいと思う人が多ければ多いほど早く良くなります。ゆだねてみてください。(平成9年12月28日付け),やっと病気の原因が解明され,これから早いスピードで病気が治っていきます。もう二度と薬を飲んだり,病院に行ったりする必要はありません。・・・1週間くらい,正常な状態になるまでかかります。いっきいちゆうせず,正常な状態だと思って接してください。本人が体で感じているはずです。ずいぶん楽になったと思っているはずです。(同月31日付け)などと記載されていた。Oは,これらを見て,被告人らに全て任せ,その言うことに従うことによりCの病気が治るという意味と理解し,改めて,被告人らを信じて従おうと考えた。
同月29日から平成10年1月3日にかけて,Oの交際相手で,後に入籍し
たPが,正月休みを利用して,加江田塾を訪れた。Pは,Cの病状が,宮崎に来る前より悪化しているのを見て,Oに質したが,Oからは,良くなっている途中であるなどと言われ,疑問に感じたものの,そのまま帰京した。
また,加江田塾においては,Cは,他の者と同様の,塩分を控えていない食事が与えられ,他方で,被告人Bが,Oに,悪を消す作用があるからなどと言って指示し,Cにビフィズス菌の粉末を飲ませていた。
同年1月7日ころ,Oは,Cの病状が一向に良くならないことから不安を覚え,被告人らにいつごろ良くなるのか質し,被告人らは,Oがまだ信じ切って委ねていないから治らないなどと非難した。
同月10日の時点で,Cは,あごのラインが全くないくらいにまで頬が膨らみ,足の股や臑,腹が倍以上に膨れ,陰嚢もソフトボールくらいの大きさに膨れ,食欲もなく,排尿もままならない状態になっていたが,被告人らは,深刻に考えず,東京や静岡で開催予定のセミナーのために加江田塾を離れることにし,OとCらを本館に移動させ,看護師の資格を持つKらに対し,不在の間,Cの世話をするよう命じ,Oに対しては,心配しないで生活するようにとだけ言い残した。被告人らは,さらに,同月12日に,Kからの電話で,Cが尿や大便を漏らしたことなどを聞いたが,Cに医師の診察を受けさせるなどの特段の指示はしなかった。 Nは,平成9年12月20日以降,2,3日に1度の割合で,Jに電話してCの様子を確認したが,Jから,少し体がむくんでいるが,元気にしているなどと聞き,特に疑問に思うことなく安心して過ごしていた。
オ 平成10年1月13日から同月14日朝にかけての状況
平成10年1月13日朝,Kは,本館2階西側の広い洋間(以下2階西側洋間という。)で寝ていたCがゼーゼーと苦しそうに呼吸しているのを見て,被告人Bの携帯電話にかけたが,繋がらなかった。同日正午ころ,Oは,Cの様子を見に行き,異変を認め,取り乱して階段を駆け下り,その場にいた塾生らにCが息をしていないと告げた。Cは,そのころ,ネフローゼ症候群に起因する肺水腫に基づく呼吸不全により死亡するに至った。本館1階にいたG,K,L,M(以下Gらという。)は,直ちに2階西側洋間に上がり,同所で仰向けに寝ているCを見て,同人が青白い顔で,目と口が半開きになり,鼻に滲出液が詰まり,唇が紫になっており,目の下にくまのようなどす黒い色が付着しているのを認めた。Gは,Cにチアノーゼの症状(唇などが紫色になる状態)が出ているものと思い,その右手首に触り,脈がなく,既に冷たくなっているのを感じた。Lは,Cの頸動脈に触り,心臓に耳を付けたが,脈はなく,心音も聞こえず,瞳孔反応もないのを認めた。一方,Oは,Mによって階下に連れていかれ,やがて,塾生らによって,アネックスに移動させられた。
同日は,午前11時ころから,静岡市内のdビルの会議室で,愛のセミナーが開かれており,午後零時過ぎころ,Gらから被告人Bの携帯電話に,Cの容態が急変し,冷たくなって,呼吸が止まったことが伝えられた。また,その電話中,本館に,誰かが呼んだ救急車が到着し,そのことも被告人Bに伝えられた。被告人Bは,被告人Aの意向を確かめて,救急車を返すよう指示し,これを受けて,Mが応対し,救急車を帰した。
被告人Bは,電話で,Gらに対し,こちら(静岡)からお清めをするから,そちら(宮崎)ではCに人工呼吸と心臓マッサージを行うよう指示し,Gらは,これに従い,被告人らと連絡を取り合いながら,Cに人工呼吸と心臓マッサージを行った。また,被告人Bは,仕事や学校から帰ってくる塾生らを本館には入れず,そのままアネックスの方に行かせるよう指示した。
そして,静岡では,Iが床に横たわり,被告人Aが,会場にいた者に対し,

みんなのエネルギーを借りたい。

と言って協力を求め,これを受けて,塾生やセミナー参加者らが,繋がった状態の携帯電話に向かってワッショイ,ワッショイと大声を出し,被告人Aが,木製ナイフを手に,エイッ,エイッと気合いを入れて空を切ったりするなどの祈祷類似行為が行われた。さらに,被告人らは,午後9時ころ,会場を出て,Sの静岡事務所に移動し,同所でも,同様の祈祷類似行為を行い,途中,参加者の1人の女性の気分が悪くなると,同女に悪が乗り移った,Cが体に入ったなどと言い,同女をテーブルに寝かせて更に同様の祈祷類似行為を続けた。
他方,Sの社員で,上記セミナーに参加していたUは,同日午後6時ころ,Nと連絡を取り,Cの病状が悪化して,呼吸が停止した旨を伝えた。Nは,自宅に戻ってしばらく待機したが,その後連絡がなかったことから,午後11時40分こ
ろ,車で静岡に向かって出発し,翌14日午前2時ころ,Sの静岡事務所に到着し,被告人らに合流した。その後もなお,上記の祈祷類似行為が続けられ,同日午前6時ころ,Gらから,電話で,Cの脈や心音が戻ったと伝えられ,被告人Aは,Cが復活した,みなさんの御陰だなどと関係者の労をねぎらって,上記行為を終了させた。
カその後の経緯
被告人らは,その後,予定のセミナーを全て中止し,同日午後8時ころ,Nを連れて宮崎に戻った。Nは,2階西側洋間に上がり,被告人らや,Gらが同席する中で,Cの死体を見て驚き,抱きかかえてその名前を呼んだが,反応はなかった。Nは,周りにいた者から,脈や呼吸が確認できる,生きているなどと言われ,促されるまま,手を水で濡らしてCの鼻の前に当ててその確認をさせられた。被告人Aは,Nに対し,Cが必ず良くなる,今が大事な時だなどと言った。 Nは,対処法が分からなくなり,Tに電話し,Cの呼吸と心臓が止まったので来てほしいと訴え,Tは,これに応じ,翌15日に宮崎に来て,本館で被告人らと面会した。被告人らは,Tに対し,Cの呼吸も心臓も止まったが,生きていると告げ,Tは,被告人らに対し,

Cにお年玉をあげたい。

などと言ってCとの面会を求め,その了承を得て,2階西側洋間に上がった。Tは,Cの姿を見て驚いたが,その横に座り,

お年玉を持ってきたよ。

などと呼びかけて,そのお年玉を枕元に置き,1階に降りた。被告人らは,Tや,1階で待っていたNに対し,Cは生きており,今,悪と闘っているところであるなどと説明し,理解を求めた。Tは,帰ることにし,宮崎空港へ向かう車中,Nからその後の対処法を相談されると,Cが,呼吸している感じで,脈もあったような気がする旨,今騒いでもどうしようもないし,被告人らが取りあえず生きていると言っている以上,このまま奇跡を信じるしかない旨答えた。Nは,Cが生きていることについては,半信半疑になっていたが,被告人らを信じてCが元気になるのを待つこととし,しばらくの間,本館1階に滞在することにした。
被告人Aは,Nと一緒に宮崎に帰った14日の夜,Gらに対し,交代でCの世話をするよう命じた。Gらは,その後,Cの死体がある2階西側洋間で生活し,本館から外に出ることはなく,トイレや風呂に行くために同部屋を出る時にも,被告人らの了解を得ていた。そして,2階西側洋間では,被告人Aの指示で,窓が閉め切られ,ストーブが焚かれ,室温が高く保たれ,空気清浄機が設置され,線香が焚かれたり,焼酎を衣服や空中に吹きかけたり,床を拭いたりして臭いを和らげられていた。被告人らは,そのころから,本館にこもり,塾生らの立入りを禁じ,外部との連絡は,庭番の男性の取次ぎや,メモの差入れにより行い,1階で,祈祷類似行為を行った。また,塾生のVらに指示し,波動機(電源と接続させたモーターにより,風車が回る装置を紙箱に入れたもの),ボード(波動機を5つ貼り付けたもの),モニュメント(煉瓦製の工作物),タワー(紙製の円筒),ホワイトホール(ブリキ製の2重になった円筒)等を製作させ,これを2階西側洋間に運び込んでCの周りに設置した。一方,被告人Bは,蜂蜜,ヨーグルト,水等を混ぜた特製ドリンクを作ってGらに渡し,3時間に1回くらいの割合で,Cの死体の口元にスプーンで流し込ませていた。
しかし,Cの死体は腐食し続け,同年2月初めころには,全体的に薄茶色になり,背中,尻,太股の下の辺りに体内の血液が黒くなって溜まり,やがて背中,尻,太股,かかとの皮膚が赤くなって腫れ上がり,黄ばんだ汁も出始めて,敷布団を汚すようになった。
そのころ,被告人Aは,塾生らに対し,CのことをY君と呼ぶよう指示した。
Nは,Cの死体が上記のような状態になっていることを知らずに過ごし,被告人らは,Nに対し,チャネリングの結果を書き取ったとして,メモを渡した。そのメモには,ぼく(C)自身は苦しくとも痛みも何も感じずただお父様(TAO)がもういいよといってくれる迄ぼくの昔の体に全部準備される迄かくれんぼしています 全部あたらしい体が出来あがったらお父さまがもういいよといってくれる そうしたら目をさますから楽しみに待っていてください・・・もう少ししたらみんなに元気になって会えると思います(1月17日付けのCからのメッセージ),(物事を)マイナスにとらえれば困難な事がもっと困難になる・・・TAOが自分に対し悪い事をするわけがないと信念をもつ必要があります(1月21日付けのTAOからのメッセージ),C君が今日夜半から具体的に3次元にもどる PM7:00位から準備が始まり少しずつ過去の肉体をぬいでまいります 過去とは別人格,別な体型をもっています ・・・具体的に,肉体が完全に取り戻すことの出来た状態でいわゆる外的な菌や空気になじみ彼自身が快適な条件になれた時に意識は完全に取り戻すことが出来ます・・・何の心配もありません 全てゆだねて心の準備だけととのえておいて下さい(1月25日付けのTAOからのメッセージ),毎時(朝起きてからよるの12時まで)C君のために父親として祈ってあげて下さい・・・2/1~2/3の3日間(2月1日付けのTAOからのメッセージ)などと記載されていた。Nは,これを読んで,Cがもう少しで元気になるものと期待し,その後も,被告人らからCが元気になって戻ってくるなどと説明を受けた。しかし,被告人らは,Nに対して,Cが元気になるとしていた頃になると,悪がまた出てきた,母親や父親の存在が,Cが戻ってくる妨げになっている,もうしばらく闘う必要があるなどと,Cが元気になる日を先延ばしにし,Nは,結局,同年2月13日,一旦東京に戻ることとなった。 一方,Oは,同年1月13日以降,アネックスで過ごし,塾生らから,Cが蘇生したとの説明を受け,Cが生きており,元気になって戻ってくるものと期待していた。そして,被告人らに,ファックスを送ってCの様子を尋ねたが,被告人らからは,心配しないようになどと書かれたファックスが送り返されるのみで,Cの状態についての説明がなく,Cに会うために本館に行くことも叶わずに過ごし,結局,同年2月中旬ころ,横浜に戻ることになった。
Nは,その後も加江田塾を訪ね,2月末には150万円をJを通して加江田塾に寄付し,3月末には,3日間の断食を試みるなどした。同じころ加江田塾を訪れていたTは,同年2月27日,被告人らの了解を得て,2階西側洋間に上がり,Cの姿を見て,全体がどす黒くなり,肉がそぎ落ち,異臭が漂っているのに驚き,後に,Nに対し,ミイラみたいになっていると伝えた。被告人らは,TやNに対し,Cは元気になって戻ってくるので信じるよう申し向け,NからCが4月に小学校に入学する時期を迎えることへの対処法を質されると,長い人生だから,小学校が1,2年遅れてもいい,常識に振り回されないようになどと答えた。 同年3月半ばころ,被告人Aの指示で,疲れが目立つようになったMがCの付添いから外されて,その他の3名が付き添い,これらの者にも疲れが目立つようになると,同被告人は,同年4月10日ないし12日ころ,これらの者を集め,TAOがもういいと言っているなどと言って,Cの付添いを止めるよう指示し,アネックスへ移動させた。そして,被告人Aは,Vに対し,2階西側洋間の出入口扉に錠を取り付けるよう指示し,Vは,同月13日ころ,南京錠を買ってきて同所に取り付けた。被告人Aは,被告人Bと一緒にその部屋に入り,中を掃除したが,その際,自分達が部屋に入っている時に,他の者が入らないようにする必要があるものと考え,Vに対し,内側からも鍵がかけられる錠に付け替えるように指示し,Vは,これを受けて,レバー式の錠を買ってきて同所に取り付けた。被告人Aは,その鍵をVから受け取り,ドアを閉めてその錠に鍵をかけ,以後,その鍵を管理し,2階西側洋間への立ち入りを禁じた。
Nは,時間が経つにつれ,やはりCは死んでしまったのではないかとの思いを強め,同年7月30日ころ,被告人らに問い質した。これに対し,被告人らは,Cについて,常識的に見れば死んでいるかもしれないなどと述べて,死んでいることをようやく認めたものの,魂は生きている,奇跡が起こるから信じてほしいなどと言って,引き続きその復活を待つよう理解を求めた。
Nは,平成11年1月ころ,Cの死体を被告人らから返して貰おうと決意して加江田塾を訪ねたが,被告人らに対してそのことをなかなか切り出すことができずに終わり,その後,

・・・もう疲れました。理解はできない,だから信じようこの繰り返しです しかし,Cのことに関しては,もう時間が経ち過ぎました。もう終わりにしてください。

などと,被告人らにCの死体の引渡しを求める内容の文書を作成し,被告人らに送った。これに対し,被告人Aは,同年3月19日付けの,終わりにしたければ,終わりにすればいいです。・・・お願いされたから預かり,加江田塾で起こった出来事だから,責任を持って,今もなお,闘っています。『何があっても,彼が帰ってくる』,これが今,私を生かしている,闘わせている,全ての原動力です。TAOが帰ってくると言われたことに対して,100%信じ,委ねているだけです。信じる信じないは自由です。しかし,『お任せします』と一旦委ねられた,その全てを私の生涯をかけて闘っているわけです。あなたがどうしようと勝手です。しかし,ゴールが目の前に見えて,長い道程を引き戻る気はさらさらありません。などと,その引渡しを拒む内容の文書を,Jを通じてNに送った。

一方,Oは,平成10年8月に,Qと2人で加江田塾を訪ねたが,塾生らにアネックスへ連れて行かれて,被告人らに面会させて貰えずに終わり,その後,平成11年10月ころにかけて,Cが帰ってきた夢を見た,近所の人からCはどこに行っているのかいろいろ聞かれて困る,小学校へはどのように説明したら良いかなどと尋ねる内容のファックスを,アネックスに送った。これに対し,被告人らは,Cが帰って来るまでにはもう少し時間がかかるから楽しみに待っているように,心配しすぎることがいけないなどと記載した返事を作成し,Oの許にファックスで届けさせた。また,被告人Bは,Oに,Cの宮崎への転校手続用の転出証明書や在学証明書を送付させるなどした。Oは,これらの被告人らの対応から,Cが生きており,やがて元気になって自分の許に帰ってくるものと信じていた。 平成12年1月20日,宮崎南警察署の捜査官による本館の捜索と検証が行われ,その際,2階西側洋間出入口扉が施錠され,その付近には蜘蛛の巣が張り,部屋の中では,別紙見取図3(2階の状況)のとおり,敷布団の上にCの死体がミイラ化した状態で横たわっていた。そして,その周囲には,波動機,モニュメント,タワー,ホワイトホール等の工作物が設置されていた。 その後,Nらは,警察署からCの死体の返還を受け,火葬した。 関係証拠によると,以上の事実が認められる。
(2) 前記(1)の事実によると,原判決が述べるように,被告人らに,Cに対する保護責任者遺棄(不保護)致死罪が成立することは明らかである。
所論は,①被告人らは,その両親からは,Cを,その病気の原因である悪を取り除くための波動療法等の治療行為を行う限度で預かったに過ぎず,その病気に対する治療全般や同人の管理まで引き受けたものではない旨,②Cが加江田塾において生活していた間,OがCと同じ部屋で寝るなどして同人に付き添っており,被告人らの治療行為は,すべて,Oの意向を受けて,いわばその手足として行われたに過ぎない旨,③当時,Oは,Cを連れ帰ることや,病院に連れて行くことは自由にできたのであり,そのようにしたならば,被告人らがこれを阻止するようなことはなかったはずである旨,④被告人らも,医学的治療による効果を完全に否定したのではなく,Oもこれを認識していた旨など,Oが,自らの自由意思による判断で,Cに対する被告人らの波動療法等による治療を選択して被告人らにこれを委託したのであるから,被告人らがCの保護責任者に当たらない旨の主張をしている。しかしながら,前記(1)アないしエに認定のとおり,被告人らは,NやOから,Cがネフローゼ症候群に罹患し,医師からの投薬治療を受けていることを聞いていたこと,それにもかかわらず,NやOに対して,Cの病気は大したことがない,同人を加江田塾で生活させれば,病気が良くなるなどと再三にわたり申し向けて働きかけ,Oにその旨信じさせて,被告人らの勧めに応ずることを決意させてCと共に宮崎まで来させ,加江田塾で生活させることにしたこと,その後のCの生活は,被告人らが同人に祈祷類似行為を施すことのみならず,食事その他全般にわたり,被告人らの意向に沿った形で営まれたこと,Oは,Cに付き添ってはいたものの,それまでの経緯や,被告人らとのやり取りの中で,Cの病気を治すには,被告人らを信じて,Cの生活を全て被告人らに任せるほかはないと考えるに至っていたことから,加江田塾において,悪化するCの状態に不安を覚えながらも,被告人らの,悪がCの体から出ているのであって,良くなる過程であるとの言葉を信じようと努め,結局,最後まで被告人らのCの扱いに異議を唱えることはできなかったこと,これらにかかわる上記認定の経緯や当時の状況等に照らすと,Oが,Cの監護について被告人らの意向に反した行動をとることは,不可能とまではいえないとしても,心理的に相当に困難な状態に陥っていたものと認められること等によると,被告人らは,加江田塾において,Cを迎えて生活させることにした時点で,親権者であるOから,Cの養育監護を委託されて引き受けたものと認めるのが相当であり,その後にCをOに引き渡すまでは,Oに対し,Cに,その体調や病状等に応じた適切な監護を行う義務を負ったものというべきであり,OがCと共に加江田塾で生活していたことを理由に,上記義務に基づくCの保護責任を否定することはできないものといわなければならない。
また,所論は,被告人らに上記罪が成立するには,Cに対する,作為による遺棄と同視し得る程度の不保護行為が認められることを要し,本件においては,Cの生命や身体の安全については,Oによって確保されることが期待できたのであるから,仮に,被告人らが,何らかの保護行為をしなかったとしても,そのことに上記罪の実行行為性を認めることはできず,その不保護行為とCの死亡との間に因果関係を認めることもできない旨主張する。

しかしながら,上記のとおり,Cの監護について,Oが,被告人らの意向に反して行動することが困難な状況にあったのであるから,被告人らが,Cに対してどのような措置を行い,あるいは,Oに指示するかは,Cの生命や身体の安全を確保するうえで,極めて重要なことであったというべきところ,被告人らは,Cの病状が悪化したことが,誰の目にも明らかとなっていた平成9年から10年にかけての年末年始ころの時点においても,なお,同人に医師の診療を受けさせることをしていないのであって,その不作為は,刑法218条にいう保護責任者として生存に必要な保護をしなかったときに当たるものであることは明らかであり,また,前記の事実関係の下では,上記段階でCに医師による適切な治療を受けさせたならば,その救命が可能であったと認められ,その不作為とCの死亡との間に因果関係が認められることもまた,明らかである。
また,所論は,被告人らは,Cの病状が,放置すれば死ぬほどの深刻なものであることをOやその他の関係者から聞いておらず,現にそのような認識を有していなかった旨,その病状の悪化を,身体が悪を自分の力で出そうとしており,快方に向かっているものと受け止め,Cが死亡する危険性については何ら認識していなかった旨,Cには親権者であるOが付き添っていたこと等から,被告人らは,Cの保護責任者であるとの自覚がなかった旨主張し,上記罪の故意を否定する。保護責任者遺棄(不保護)致死罪の故意が認められるためには,行為者に,保護責任者性を基礎付ける事実,対象者が要扶助状態にあること,及び対象者に対する必要な保護を欠いていることの各認識があれば足りるところ,被告人らは,Cが,ネフローゼ症候群に罹患し,医師による投薬治療を受けていたこと,自らが積極的にOらに働きかけ,Oの承諾を得てCを加江田塾で生活させることにしたこと,同所でのCの生活が,被告人らの意向に沿って行われ,Oが,これに異議を唱えることなく従っていたこと,及びCが加江田塾で生活するようになってから,その病状が日を追うごとに悪化していることを,十分認識しながら,Cに医師の診療を受けさせずにいたのであるから,上記の故意が認められることも明らかである。なお,被告人らは,病状の悪化を悪が体から出ているものでやがて良い方向に向かっていると考えた旨主張し,供述しているが,同主張は,前記(1)ウに認定の事実に照らすと,被告人らが,医師や西洋医学に対する極度に偏った見解に囚われ,その効果を不当に軽視し,Cに対して医師の診療を受けさせずに祈祷類似行為のみを続けるため,及びそのことの責任を免れるための弁解に過ぎないものであり,上記故意の成立を妨げるものとはなり得ないものというべきである。
また,所論は,被告人らの共謀が認められない旨主張するが,前記(1)に認定の事実関係に照らして到底採用し得ない。
2 所論(2)(Cの死体についての死体領得罪の成否)について 所論は,被告人らのCの死体に対する領得罪の成立を争うので,この点について検討する。
記録によると,本件公訴事実は,大要,平成10年1月13日ころ,2階西側洋間において,Cがネフローゼ症候群に起因する肺水腫に基づく呼吸不全により死亡したのであるから,その死体をN又はOに引き渡す義務があるのに,Cを死亡させたことが発覚することなどを恐れ,あえてCの死体をNらに引き渡さず,これを遺棄しようと企て,被告人らは,共謀の上,同月14日ころから平成12年1月20日までの間,本館において,Nらに対し,Cが既に死亡しているにもかかわらず,『息をしている。脈もある。』『まだ,会わせることはできないが,確実によくなっている。』『元気な姿で返す。会いたいという思いを起こさせるのは悪である。』旨殊更に申し向けてCの死亡を否定し,さらに,NからCの死体の引渡しを求められるや,Nに対し,『責任を持って生き返らせる。』『生き返らせるための闘いはやめない。』旨申し向けるなどしてその死体の引渡しを拒否するとともに,2階西側洋間出入口扉に施錠をするなどして,Cの死体を同所に放置し,ミイラ状態に至らせ,その間,Cの死体をNらに引き渡さなかったというものであり,死体遺棄罪として公訴提起されたものであること,そして,これが原審に係属中,その公訴事実について,原裁判所から検察官に対し,死体領得罪を訴因とするよう勧告がなされ,検察官から,同罪の訴因の予備的変更の申立てがなされたこと,原裁判所は,これに基づき,主位的訴因である死体遺棄罪の成立を否定し,予備的訴因である死体領得罪の成立を認めたこと,なお,上記主位的訴因は撤回されることなく維持されていることの各経過が認められる。
しかしながら,上記死体遺棄罪の成立を否定した原裁判所の結論は是認することができない。その理由は,以下のとおりである。

死体遺棄罪は,死体の埋葬に関する良俗に反する行為を処罰することを目的とするものであり,一般に,死体を他の場所に移置して放棄する場合のみならず,法令や慣習等により,葬祭をなすべき義務がある者や,死体を監護する義務がある者が,死体の存する場所から立ち去るなどしてこれを放置したような場合にも成立するものと解される(大判大正13年3月14日集3巻285号同旨)。 本件においては,前記1(1)オ,カに認定のとおり,Cは,平成10年1月13日ころ,2階西側洋間の布団の上で死亡し,その後,警察官による捜索がなされた平成12年1月20日までの間,同死体が他の場所に移置されることはなく経過している。しかしながら,前記1(1)ウ,エに認定のとおり,被告人らは,Cの親権者であるOの依頼を受けて,Cを,平成9年12月21日から,平成10年1月13日に死亡するまでの24日間,自らの監護指導の下に,加江田塾の本館ないしアネックスにおいて生活させており,上記1(2)に認定のとおり,その保護責任者としての立場にあったと認められる者である。したがって,Cの死亡後も,同人の監護をOから託されていた者として,慣習ないし社会通念上,その死体についても監護義務を負い,その親族であるNやOに対し,Cの死亡の事実を告げ,同人の死体の引取りが速やかに行われるよう努めるとともに,その引渡しが完了するまでの間は,その死体を適切に保管しなければならなかったものというべきである。 しかるに,前記1(1)カに認定のとおり,被告人らは,Cが死亡した翌日に,Nにその死体を見せたものの,Nが,被告人らの信奉者であったことに乗じ,Cは生きており,やがて元気になるなどと強弁してその旨を信じ込ませ,その後,Nに問い質されて,死亡の事実は認めたものの,Cが復活するなどと言い張り,その死体の引渡しを拒み続け,他方,Oに対しては,死亡の事実を知らせず,死亡後約3か月間は,ごく一部の塾生らを除いて,その死体のある2階西側洋間に立ち入ることを許さず,その後,施錠して同所に立ち入ることを事実上不可能にし,Cの死体を同所で腐食するに任せてミイラ化させるに至っている。そうすると,結局,被告人らについては,Cの死体について上記監護義務を尽くさず,その死体を放置したものとして,上記主位的訴因に沿った死体遺棄罪の成立を認めるのが相当であり,この点についての原判決の認定,判断は失当といわざるを得ない。 被告人らは,あくまでCが生き返るものとして祈り続けていた旨主張し,上記認定のとおり,少なくとも,同人の死亡後約3か月間は,塾生を2階西側洋間で死体の側に付き添わせて生活させ,波動機等の工作物を死体の周りに設置し,自らも,祈祷類似行為を行うなどしていた事実が存するものの,被告人らの内心の意図がいかなるものであれ,客観的には,死体を放置していたことに変わりはなく,被告人らは,その客観的状況を認識していたのであるから,上記罪の故意は十分に認められ,また,本件のCの死体を放置した行為についても,被告人らの共謀が成立することは,前記1(2)と同様,明らかである。
上記のように,本件行為について,死体遺棄罪の成立を否定した原判決の認定,判断は,事実を誤認し,ひいては法令の適用を誤ったものというべきであるが,原判決が成立を認めた予備的訴因の死体領得罪も,主位的訴因の死体遺棄罪も,ともに刑法190条の同一法定刑の範囲内において罰せられるべきものであり,その罪質においても異なるところはないのであるから,上記の誤りは,判決に影響を及ぼすものではないというべきである。
3 所論(3)(本件男児の死亡についての保護責任者遺棄致死罪の成否)について(1)記録によると,以下の事実が認められる。
ア Dと被告人らとの関係等
Dは,平成4年8月ころ,統一教会の合同結婚式でWと知り合い,以後,同人と交際を続けていた。そして,平成6年10月終わりころ,香川県で開かれた氣づきの会のセミナーに出席して被告人Aと出会い,同年11月上旬のセミナーで,同被告人に,交際相手のWが,交通事故で死んだ知人の葬式に出席した後,体調が悪くなったなどと話して相談した。被告人Aは,Dに対し,このままではWが霊界に連れて行かれる,事故現場に行き,知人の前世の恨みを慰めるようになどと言い,Dは,これに従うと,Wの体調が良くなったことから,被告人Aの神秘的な力を信じるようになった。また,Dは,そのころに大阪で開かれたセミナーには,知人の被告人Bを誘って出席し,被告人らが親密な関係になるきっかけを作り,自らも,平成7年1月ころから,被告人Aの求めに応じ,同人と肉体関係を度々持つようになった。そして,同年5月ころ,被告人らの勧めで,Wと婚姻し,被告人らが大田区内のアパートで同居するようになると,自らも,同アパートで一緒に生活するようになり,同年7月ころ,被告人らがaのマンションに移ると,共に
移動し,被告人らが同年8月ころ宮崎に転居すると,しばらくは,aのマンションに止まったものの,被告人Aの意向に従い,平成8年7月ころ本館に転居した。さらに,平成9年8月ころから,加江田塾の塾生らで作成するWOMAN何でも情報(後にWOMANア・ラ・カルトに改題)の編集や営業活動にも携わるようになった。
イ Dの妊娠から本件男児出生までの経緯
WとDは,被告人Aの意向に従い,平成10年3月ころから,宮崎県東諸県郡e町の町営住宅に入居して生活するうち,同年9月ころ,DがWとの間の子を妊娠していることが判明した。そして,Dは,Wが同月末ころから大阪方面に働きに行くことが決まっていたことから,アネックスに移り住むことになった。 前記認定のとおり,平成10年1月に,加江田塾で預かっていたCが死亡するという事件があってから,被告人らは,本館にこもり,しばらくは外部との接触を断っていたが,同年11月ころから,塾生らの本館への出入りが許されるようになり,Dも,そのころ,被告人らに会い,翌年の4月か5月ころ出産すると思う旨伝えた。すると,被告人Aは,以前にHが自分との間の子供を,加江田塾において出産したことがあったことから,Dに対しても,加江田塾で子供を産むように勧め,その場にいた被告人Bも,これに異議を唱えず,Dもこれを受け容れた。Dは,妊娠が判明して以後,それまで1度も医師の診察を受けておらず,その後も,医師の診察を受けることなく過ごした。
ところが,平成11年2月12日に,予想より早くDの陣痛が始まり,翌13日午後1時35分ころ,被告人らが,同女に医師の診察を受けさせるため,病院へ連れて行く準備を始めていた矢先,Dは,突然,激しい陣痛に見舞われ,本館1階のダイニングルームにおいて,本件男児を羊膜に包まれた状態で出産した。被告人Bは,その羊膜を破り,本件男児を取り上げ,はさみ等を用いてへその緒を切り,産湯に入れ,母体から胎盤を取り出すなどの産後処置を施した。 ウ 本件男児の死亡までの経緯
本件男児は,在胎32週目の段階で分娩された,体重が約1550グラムの未熟児であり,体毛が濃く,手指に奇形が見られ,低く唸るような泣き声を出すなど,奇形症候群の一種であるコルネリア・ド・ランゲ症候群の症状を呈していた。
上記のような状態の新生児は,一般的に,呼吸器系や循環器系が未発達で,呼吸不整が頻繁に発生し,また,吸啜力が弱いため,栄養摂取も困難であり,抵抗力に乏しいことから,感染症になるおそれも高いなどの種々の問題があり,専門医の管理の下で,保育器に入れて,温度や湿度を調節しつつ,酸素の供給や輸液等を適切に行うとともに,内臓疾患の有無等の検査を行い,所要の医学的措置を施すことが必要不可欠とされている。そして,専門家医は,捜査官に対して,加江田塾の塾生により撮影されたビデオテープで,本件男児の出生後の様子を確認し,本件男児のような症状を呈する新生児に対しても,上記のような適切な措置を施せば,ほぼ100パーセントの確率で延命が可能であり,少なくとも新生児段階で死亡することはなかったと考えられるが,一般家庭でその生育を図ることは,ほとんど不可能である旨述べている。
しかし,被告人らは,悪を清めることにより,本件男児が元気に育つものと考え,病院に連れて行くことなく,本館で引き続き育てることにし,本館1階のダイニングルーム隅のテーブル上に木箱を設置し,その中に本件男児を入れ,ストーブを焚くなどして部屋の温度や湿度を高めに保つようにし,被告人Bが,2,3時間おきに,Dの母乳や,市販の豆乳をほ乳瓶に入れて本件男児に与えたり,そのおむつや着衣を替えたりするなどの世話をし,Dは,このような被告人らの行動を受け容れ,本件男児の側に付き添い,育児日誌を書いたりするなど,被告人Bの指示を受けて,その補佐的な作業を行うなどして過ごした。なお,同月18日,被告人Aが本件男児にXと命名したが,その出生届は提出されなかった。 本件男児は,吸啜力が弱く,栄養を十分に摂取することができず,授乳時に,顔にチアノーゼの症状が強く出ており,日が経つにつれ,顔のしわが増え,頬がこけ,泣き声も弱々しくなるなど,脱水症状や栄養失調の症状を呈するようになり,ついに,同月21日に至り,その呼吸が停止した。被告人らは驚き,本件男児に祈祷類似行為や人工呼吸などをし,やがて,同児の呼吸が戻った。被告人らは,Dが取り乱す様子を見て,本件男児から離れるように指示し,Dは,これに従い,その日は,本館1階の別の部屋で就寝し,翌22日の朝,被告人Aの指示を受けて,アネックスに移った。しかし,同日午後7時ころ,本件男児の呼吸は,再び停
止し,その後,停止したり,元に戻ったりすることを繰り返した後,同月23日午前零時ころ,完全に停止し,そのころ,本件男児は,栄養失調及び脱水等に起因する全身衰弱により死亡するに至った。被告人らは,午前3時ころまで,本件男児に対して祈祷類似行為や人工呼吸を行ったが,本件男児の呼吸が戻らないことから,本件男児が死亡したものと判断し,その作業を止めた。
エ その後の状況
被告人らは,本件男児の死亡後,同児の死体を本館1階に置いたままにしていたが,約1週間後,人目につくのを避けるため,2階東側にある6畳位の広さの洋間(以下2階東側洋間という。)に木箱ごと運んで安置した。 その後,後記の警察からの捜索が入るまで,被告人らも含め,誰も本館2階に上がらなかった。
Dは,その間,同年6月くらいまでの間,本件男児の安否を問う内容の文書を本館の被告人らの許に届け,被告人Aは,Dに対し,

何も考えるな。

心配するな。

などと記載した文書を送り返した。同年7月ころ,Dが本館を訪ねた際,被告人Aは,洗面所の窓越しに同女に応対し,

(本件男児は)元気で帰ってくるから,何も考えてはいけない。

などと告げた。Dは,これを聞き,本件男児は生きており,やがて元気になり,自分の許に戻って来るものと期待した。 平成12年1月20日,捜査官による本館の捜索及び検証の際に,2階東側洋間の北西隅に置かれたテーブル上の木箱の中に,本件男児の死体がミイラ化した状態で置かれているのが発見された(別紙見取図3(2階の状況)参照)。なお,同洋間の入口には,内側から鍵がかけられるようになった引き板戸が設置されており,検証当時,その戸が閉められた状態になっていたが,施錠はされていなかった。 Dは,その後,警察署から本件男児の死体の返還を受け,火葬した。 (2) 以上の事実によると,原判示のとおり,被告人らに,本件男児に対する保護責任者遺棄(不保護)致死罪が成立することは明らかである。
所論は,被告人らは,その置かれた環境からすれば,本件男児に対して精一杯の保護をしており,遺棄ないし不保護の実行行為はなかった旨主張する。 しかしながら,前記3(1)ウに認定のとおり,本件男児は,先天性の疾患を持つ未熟児として生まれており,医師による適切な措置が施されなければ,早晩生命の危険にさらされる状況にあったところ,被告人らは,医師に連絡,相談することもせずに,本件男児を加江田塾内で養育することを続けており,その行為が,刑法218条にいう保護責任者として生存に必要な保護をしなかったときに当たるものであることは明らかである。
また,所論は,本件男児の死亡は,同児が先天性の疾患を伴った未熟児であったことが大きな要因となっており,被告人らの不保護行為がなかったとしても,本件男児に対する遺棄(不保護)やその死亡という結果が発生していた可能性も十分あるので,被告人らの行為と本件男児の死亡との間に因果関係を認めるには疑問が残る旨主張するが,上記3(1)ウの事実に照らすと,本件男児に対して医師による適切な措置を施すことにより,同児が,少なくとも,本件のように極めて短期間のうちに死亡することは,確実に防ぐことができたものと認められるのであるから,上記の被告人らの本件男児に対する不保護行為と同児の死亡との間の因果関係もまた,明らかというべきである。
また,所論は,被告人らは,自分たちが考え得る最高の方法で本件男児の保護にあたったのであるから,不保護行為の認識があったとはいえない旨主張するが,前記3(1)イないしエに認定のとおり,被告人らは,本件男児の客観的な要保護状態を十分認識しながら,同児に医師の診察を受けさせず,その指導も得ずに放置して過ごしており,そのことは,医師や西洋医学による治療を不当に軽視したことに起因するものにほかならず,したがって,被告人らには,上記罪の故意が十分に認められるものというべきである。
また,所論は,本罪における被告人らの共謀を否定する旨主張するが,これが採用できないことは,前記1(2)及び2と同様である。
4 所論(4)(本件男児の死体についての死体遺棄罪の成否)について所論は,被告人らの本件男児の死体に対する遺棄罪の成立を争っているので,この点について検討する。
本件公訴事実は,大要,被告人らは,平成11年2月23日ころ,本件男児が死亡したのであるから,Dにその事実を告げて同児の死体を引き渡す義務があるのに,同児を死亡させたことが発覚することなどを恐れ,共謀の上,同日ころから平成12年1月20日までの間,同女に対し,同児の死亡事実を秘匿した上,『何も考えるな。』『彼はまだ生きているよ。また戻ってくるから。だけどこのことは誰にも言わないように。人に知られると戻って来れなくなるから。』などと申し向けて,同児の死体を同女に引き渡さず,同死体を本館1階食堂から,人が出入りしない同2階東側洋間に移して放置してミイラ状態に至らせたというものである。
そして,前記3(1)アないしエに述べた被告人らとD夫婦の関係,同人らの本件男児の出産前の話合いの状況,出産後の同児の保育状況等に照らすと,被告人らは,本件男児の出生後間もなく,Dから,明示又は黙示の委託を受けて本件男児の養育監護を引き受けて,保護責任者としての立場になっていた者であり,前記2のCについての件と同様に,本件男児の死亡後も,引き続き,その死体に対する監護義務を負い,親族であるD夫婦に対して,その死亡の事実を告げ,同人らのその死体の引取りが速やかに行われるよう努める一方,その引渡しがなされるまでの間,これを適切に保管しなければならなかったものというべきである。 しかるに,前記3(1)エに認定のとおり,被告人らは,D夫婦に対し,本件男児の死亡の事実を告げず,その安否を気遣うDに対し,被告人Aにおいて,やがて本件男児が元気になってその許に戻ってくるなどと,むしろその生存に期待を持たせるような言葉を述べ,その結果,Dは,本件男児が生きており,やがて自分の許に帰ってくるものと信じたまま過ごしており,その間,被告人らは,本件男児の死亡から約1週間後に,その死体を,1階から人目につきにくい2階東側洋間に移動させ,その後1年近くの間,同所に置いたまま腐食するに任せてミイラ化した状態に至らせており,被告人らは,結局,上記監護義務に違反し,死体を上記場所に放置したものというべく,被告人らに,上記訴因に沿った死体遺棄罪の成立が認められることは明らかである。
被告人らは,本件男児が生き返るものと信じて祈り続けていた旨供述するが,その意図がいかなるものであれ,上記のとおり,被告人らの行為が死体を放置したものであることに変わりはなく,被告人らは,その客観的な状態については十分に認識していたのであるから,その故意に欠けるところもないものというべきであり,なお,被告人らの共謀が認められることは,上記1(2),2,3(2)と同様である。
ところで,原判決は,上記公訴事実のうち,被告人らが本件男児の死体を本館1階から2階へ移動させたという作為のみを罪となるべき事実に摘示して,同行為に死体遺棄罪の成立を認めているが,これは,前記2において検討したところと同様に,原判決が,被告人らに本件男児の死体の監護義務が存することを否定したことによるものである。しかしながら,被告人らに,本件男児の死体に対する監護義務が認められることは,上記認定のとおりであり,原判決には,この点に事実誤認が存することになるが,認定事実の相違により,犯情に特段の相違が認められるわけでもないので,その誤りは,判決に影響を及ぼさないというべきである。第3 結論
よって,所論はいずれも採用できず,論旨は理由がないこととなるので,刑事訴訟法396条により,本件各控訴を棄却することとし,刑法21条により,被告人両名に対し,当審における未決勾留日数中,各180日をそれぞれ原判決の刑に算入し,当審における訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項但書を適用して,これを被告人両名に負担させないこととし,主文のとおり判決する。平成14年12月19日
福岡高等裁判所宮崎支部
裁判長裁判官 岩 垂 正 起
裁判官
裁判官

村 越 一 浩


木 山 暢 郎

(別紙見取図掲載省略)

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