判例検索β > 平成20年(わ)第2012号
強制わいせつ致傷被告事件
事件番号平成20(わ)2012
事件名強制わいせつ致傷被告事件
裁判年月日平成21年2月17日
裁判所名・部大阪地方裁判所  第8刑事部
判示事項の要旨犯人性が争われている強制わいせつ致傷の事案において,被害者の犯人識別供述,犯人と認められる男性が被告人方駐車場に走り込んだ際の状況に関する目撃者の供述の信用性をいずれも全面的には認めず,信用性が認められる限度での前記各供述を含む関係証拠から認定することのできる間接事実を総合しても,被告人を犯人と認めるには合理的な疑いが残り,この疑いをより大きくする消極的事情も認められるとして無罪判決を言い渡した事例
裁判日:西暦2009-02-17
情報公開日2017-10-13 01:36:55
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主文
被告人は無罪

第1
1由
前提事項
本件公訴事実
本件公訴事実は,
被告人は,平成20年3月16日午前5時15分ころ,大阪府X市(以下略)付近路上において,同所を通行中の被害者(当時22年)を認めるや,同女に強いてわいせつな行為をしようと企て,同女に対し,その背後から抱き付き,同女を路上に押し倒した上,仰向けになった同女に馬乗りになるなどの暴行を加え,着衣の上から同女の両乳房を揉むなどし,もって,強いてわいせつな行為をし,その際,前記暴行により,同女に対し,加療約5日間を要する両膝関節擦過創等の傷害を負わせたというものである。
2
本件公訴事実に沿う被害の発生
被害者は,本件公訴事実記載の日時場所において,同事実記載の強制わいせつ致傷の被害を受けた旨証言するところ,前記被害に遭ったこと自体について,被害者が虚偽の供述をするような事情はうかがわれず,被害状況に関する証言内容も具体的であって,受傷という客観的事実(診断書抄本〔甲4〕,写真撮
影報告書抄本〔甲5〕
)による裏付けがあること等に照らすと,この点の被害
者証言の信用性に疑いを容れる事情はなく(なお,弁護人は,弁論において,被害事実に関する被害者証言の信用性を積極的には争っていない。,何者か)
が本件公訴事実記載の強制わいせつ致傷の犯行(以下本件犯行又は本件被害という。)に及んだ事実が認定できる。

3
本件の争点及び当事者の立証・反証構造の概要
被告人は,捜査公判を通じ,本件被害が発生した当時は,肩書住居地の自宅で妻子とともに就寝していたと供述して,本件犯行の犯人(以下,単に犯人という。)であることを否認している。したがって,本件の争点は,被告

人と犯人との同一性である。
検察官は,信用性が認められる被害者の犯人識別供述(直接証拠)だけでも被告人が犯人であると認められるし,これとは別に,犯行直後に犯人が被告人方駐車場に逃げ込んだこと等の積極的間接事実からも,被告人が犯人であると推認できる(弁護人主張の消極的間接事実は,それ自体が認定できないか,前記推認を妨げるものではない。
)と主張する。これに対し,弁護人は,被害者
の犯人識別供述は,観察条件,犯人選別過程のいずれにも問題があって信用性に欠けるし,検察官主張の積極的間接事実は,新聞配達員(以下目撃者という。
)の目撃証言に依拠しているが,その証言には信用性がなく,前記積極的間接事実も認定できないから,被告人が犯人であるとの立証はなされていない上,アリバイ等の消極的間接事実もあるから,被告人は無罪であると主張する。
そこで,これらの点について,順次検討する。
第2
1
被害者の犯人識別供述について
被害者は,本件当時まで被告人とは面識がなく,被告人を罪に陥れる虚偽の供述をするような事情はうかがわれない上,記憶にあることとないことを区別して証言するなど,証言態度も真摯であるが,つとに指摘されている犯人識別供述に内在する固有の危険性に照らすと,これらの点が被害者の犯人識別供述の信用性を直接支えているとみることはできない。また,本件被害を受けた旨の被害者証言に信用性が肯定できることは,前記(第1の2)のとおりであるが,犯人識別供述の前記危険性に照らすと,この点も直接的に犯人識別に関する被害者証言の信用性に結び付くものではない。そこで,被害者による観察の正確性,犯人選別の正確性を慎重に検討する必要がある。

2
観察条件に関する基本的事実関係
被害者証言,実況見分調書(甲12)
,実況見分調書抄本(甲14,24)
等の関係証拠によれば,本件被害までの経緯,本件被害時及びその直後の状況
(現場及びその付近の状況を含む。
)は,以下のとおりである(以下,年の記
載を省略した月日だけの表示は,いずれも平成20年のことである。。)
(1)

被害者は,3月15日午後7時ころから高校の同窓会に出席し,翌16
日午前零時ころまでの間,食事をしながらビールとカクテルを合計10杯くらい飲んだ。その後,被害者は地元のX市に戻り,同日午前零時半ころから同日午前4時ころまでの間,行き付けのショットバーでカクテルを四,五杯飲んだ。被害者は,同日午前5時ころ同店を出て,帰宅するため,携帯電話機で交際相手と話しながら,X市Y町(以下Y町という。
)2丁目と同
市Z町(以下Z町という。
)3丁目の境を南北に走る一方通行の道路
(以下本件南北道路という。
)を,南に向かって歩き,途中の変形十字
路交差点(以下本件交差点という。東西方向の道路〔以下本件東西道路という。〕の同交差点西側出入口が同交差点東側出入口よりも5メート
ル程北に位置する。また,本件東西道路は,本件交差点を西に十数メートル進行したところで被告人方の前〔南〕を通る。
)を通って,南に8メートル
余り進んだ地点(以下甲地点という。
)に差し掛かった。なお,被害者
は,身長約170センチメートル(以下センチと略す。
)であり,その
当時は白いコートを着て,高くないヒール靴を履いていた。
(2)

被害者は,甲地点で,後方(北)に人の気配を感じて振り返ったところ,
約3メートル後方(甲14)に下半身が裸の男(犯人)が立っているのを目撃した。犯人は,被害者の方を見ていたが,すぐに振り返って本件交差点南東側の角に逃げ隠れ,そこから被害者の方をのぞいたりしていた。(3)

被害者は,怖くなって,足早に南へ数メートル進み,同日午前5時15
分ころ,Y町(以下略)付近路上(以下本件現場という。
)に至ったと
ころで,後ろから犯人に抱き付かれた。犯人は,被害者の背中に体を密着させて,被害者の両腕を押さえ込む形で,被害者の体の前で両手を組むようにしていたが,その状態で被害者は前屈みになり,路面に両膝等を付いて倒れ
た。犯人は,後ろから被害者の肩を持ち,被害者を路上で仰向けにして,被害者の大腿部辺りに馬乗りになり,両手で着衣の上から被害者の両胸を揉んだ。そのとき,被害者は,悲鳴を上げるとともに,被告人の手を払いのけようとしたり,両足をばたつかせるなどして抵抗した。
(4)

間もなく,バイクの音が聞こえてきたところ,犯人は被害者から離れて,
本件南北道路を北へ向かい,本件交差点を左(西)に曲がって逃走した(本件現場から本件交差点の南西側の角までの距離は二十数メートル)。被害者
は,路上で上半身を起こして,逃走する犯人の後ろ姿を見ながら,叫ぶように文句を言った。間もなく,被害者は,持っていたもう1台の携帯電話機を使って警察に通報し(110番通報の時刻は午前5時16分)
,交際相手と
の電話がつながったままになっていたので,交際相手と話すなどしていた。3
観察条件の検討
(1)

被害者証言によれば,犯人は被害者にとって既知の人物ではない上,そ
の証言内容を検討しても,下半身裸という以外に,顔の輪郭,目・鼻・口の形,髪型,体型等の一般的特徴を超えて,他の者と明確に区別できる際立った特徴を犯人が備えていたとは認められない。これらの点は,観察条件の良否を検討するに当たって,念頭に置くべき事柄である。そして,被害者は,①甲地点で後方を振り返ったとき,②犯人に後ろから抱き付かれて振り返ったとき,③路上で仰向けにされて,犯人に馬乗りになられたときの3回にわたって,犯人の容貌等の特徴を目撃した旨証言する(以下,①から③を,順に第1目撃第2目撃第3目撃という。


)ので,これらの目撃に
共通の事情を検討した上,それぞれの目撃時の観察条件を個別に検討する。(2)

第1目撃ないし第3目撃に共通の事情
明るさ
被害者は,本件現場付近には街灯があり,日も昇りかけていたので,犯人を見るのに支障がない程度の明るさはあった旨証言するところ,検証調
書(甲31〔同意部分,以下同じ。)等の関係証拠によれば,3月16〕
日の日の出時刻は午前6時7分であり,本件被害発生はその50分程度前であること,本件現場付近の電柱には街灯があり,同日の日の出時刻との時差を考慮して,4月3日午前4時50分ころに実施された検証の結果(照度の測定及び被告人の妻を立ち会わせての視認状況の確認)に照らすと,本件現場は明るさが十分にあったとはいえないが,人の顔を観察するのが困難とはいえない程度の明るさがあったと認められる。弁護人は,第1目撃(当初犯人が立っていた段階)及び第3目撃の時点では,本件現場付近の電柱に設置された街灯の光によって,被害者は逆光の状態で目撃したことになるから,観察条件に影響があると主張するが,被害者証言の内容を検討しても,逆光のために犯人の顔の観察が困難であったというような事情はうかがえない。

視力
被害者証言によれば,被害者の視力(裸眼)は,本件被害に遭う約1年半前に受けた視力検査の時点で,右眼が1.3,左眼が0.03であったというのであり,左眼の視力がかなり悪い。このように両眼の視力に極端ともいえる程の違いがある場合,視力が良い方の眼ばかりを使ってしまい,その眼の視力が酷使により低下する可能性は否定できないと考えられるところ,前記視力検査から本件被害までの間に約1年半が経過していることを考慮すると,本件当時の被害者の視力が前記視力検査時と同じであったと考えることには,少なからず疑問を容れる余地がある。もっとも,被害者は眼鏡を掛けないで生活していたと証言しているから,少なくとも右眼の視力が極端に悪化していたとはいえないが,前記視力検査時の視力を前提として,被害者の視認能力には問題がないとする検察官の主張は,そのまま採用することができない。


飲酒の影響

本件被害に遭うまでの被害者の飲酒状況は,前記2(1)で認定したとおりであり,一般的にみると,長時間をかけているとはいえ,被害者は相当多量の飲酒をしていたことになる。もっとも,被害者は,ビールは毎日飲んでいたし,飲むときはビールやカクテルを合計二,三十杯は飲むが,それでも酔い潰れることはない旨証言していること,警察に通報した後の被害者の様子で,被害者が相当酩酊していたことを示す事情がうかがわれないこと等に照らすと,被害者は酒に強いと認められ,本件被害に遭った時点で,被害者が相当酩酊していたということはできない(この点について,弁護人は,被害者がショットバーを出てから本件現場に至るまで,通常の3倍程度の時間を要しているから,被害者は相当酩酊していたと主張するが,被害者の証言内容に照らすと,通常の3倍程度の時間を要しているという前提自体が問題であるし,被害者は交際相手と携帯電話機で話しながら歩いていたのであり,そのために歩く速さが遅くなることも十分考えられるから,弁護人の前記主張は,そのまま採用することができない。。)
しかしながら,ここで問題となっているのは,既知性がなく,下半身裸という以外に際立った特徴を備えているわけでもない犯人の容貌等の特徴を,被害者がどの程度観察して記憶できたかということであり,そもそも容貌等の特徴に関する人の観察力,記憶力には限界があると一般的に指摘されていることにも照らすと,被害者が飲酒していたことが,その視認能力に多少の影響を及ぼしていた可能性は否定できないというべきである。もっとも,被害者は,前記のような飲酒量では記憶に問題が生じることはない旨証言するが,人の容貌等の観察という面での飲酒の影響の有無を,被害者自身が的確に把握することは,事柄の性質上困難であるというほかなく,この点を客観的に検証することもできないから,このような被害者証言によっても,前記の結論は動かない。

以下,それぞれの目撃時の観察条件を個別に検討するが,その際,被害
者の視認能力については,前記イ,ウのような問題点があることを踏まえる必要がある。
(3)

第1目撃について
被害者証言によれば,目撃の時間(被害者が後方を振り返ってから再び前
を見て歩き始めるまで,犯人の動静を目撃していた時間)は5秒程度というのであり,この間,犯人が本件交差点南東側の角に移動するときは,犯人の後ろ姿しか見ていないことになるから,被害者が犯人の容貌を目撃することが可能であった時間は更に短いことになる。なお,被害者が振り返ったときの犯人までの距離は約3メートルである(もっとも,証言では約5メートルとしている。
)が,犯人が本件交差点南東側の角に移動した後の距離は8メ
ートル余りである。しかも,被害者は,主尋問においては,第1目撃の時点で,
黄緑色の長袖のTシャツのような上衣,下半身裸,痩せ型,ふさふさした黒髪という犯人の特徴が分かったように証言していたが,反対尋問においては,犯人の下半身が裸であったことから,そこに目が行ってしまい,それ以外の部分には余り注意が向かず,第1目撃の時点では,下半身裸という以外に犯人の容貌等の特徴の認識は,ほぼ曖昧であったことを認めるに至っている。
そうすると,被害者は,第1目撃において,下半身裸という以外の犯人の容貌等の特徴について,ほとんど意識的な観察ができておらず,これを記憶することもできなかった可能性が高いと認められる。
(4)

第2目撃について
被害者証言によれば,犯人に後ろから抱き付かれたときに振り返り,30
センチくらいの距離で,犯人の顔を二,三秒間見た,このときが3回の目撃のうちで,最も近くで犯人の顔を見たというのであり,その際,犯人が被害者の体の前で両手を組むようにしていたのに,振り返って犯人の顔を見ることができたかという点については,自分が抵抗して,犯人の手の位置が多少
変わっていると思うので,振り返って,正面から後ろにいる犯人の顔を見ることができたというのである。
弁護人は,犯人に背後から体を密着され,両腕を押さえ込むように両手で抱えられた状態で,被害者が振り返って犯人の顔を見ることは困難であるし,被害者の立会いによる再現実況見分(甲24)でも,犯人に後ろから抱き付かれたときに被害者が振り返った場面は再現されていないから,前記のような被害者証言は信用できないと主張する。確かに,前記のように背後から犯人に抱えられた状態で,被害者が振り返って犯人の顔を正面から見ることは困難なように思われる上,被害者は後ろから犯人がどんと来たので,両膝等を付いて倒れたとも証言しており,この証言からも,被害者が振り返って犯人の顔を正面から見る余裕があったとは考えにくい。しかも,前記の再現実況見分のほか,被害者が立ち会って,本件現場で実施された再現実況見分(甲14)でも,被害者が振り返って,正面から犯人の顔を見た場面は再現されておらず,後者の再現実況見分で被害者は,犯人の顔を最も近い距離で見たのは馬乗りになられたとき(第3目撃のとき)であると指示説明していることに照らすと,犯人に後ろから抱き付かれたときに振り返り,その後,正面から犯人の顔を見たという被害者証言をそのまま信用することはできないというべきである。もっとも,後ろから急に抱き付かれたときに振り向くことは,ごく自然な反射的行動であると考えられるから,被害者も振り向いたと考えられるが,犯人と被害者の位置関係からして,そのとき被害者は犯人の顔の一部分しか見ることができなかったと考えられるし,その時間も二,三秒間とかなり短い。しかも,被害者は後ろから抱き付かれてとても驚いていたというのである。
そうすると,第2目撃において,客観的にも主観的にも観察条件は良好ではなかったと認められる。なお,被害者は,主尋問において,第2目撃の時点で,
目がぎょろっとした感じ,ほっぺたがへこんでいる,40代くらい,前髪が横に流れているという犯人の特徴が分かった旨証言するが,前記のような観察条件や,第1目撃のところでみた主尋問と反対尋問での証言の変遷に照らすと,この証言をそのまま信用することはできない。
(5)

第3目撃について
被害者証言によれば,犯人に馬乗りになられていた時間は10秒くらいで
あり,そのときは1メートル以内の距離で犯人の顔を見たが,抵抗しながらだったので,犯人の顔をずっと見ていたわけではなく,ところどころ見た感じであるというのであるから,被害者が犯人の顔を見た時間は10秒よりも相当短いことになる。しかも,被害者は犯人から両胸を揉まれて,悲鳴を上げながら抵抗していたのであり,被害者が怖かったと証言していることからも,そのときは恐怖,驚愕等で冷静さを欠いた心理状態であったことは明らかである。
そうすると,特異な状況にあることから観察にはそれなりの意識性があったと推認できることを考慮しても,第3目撃において,客観的にも主観的にも観察条件は良好ではなかったと認められる。
(6)

小括
以上のとおり,被害者証言の内容を検討すると,観察の正確性という観点
からは,被害者が犯人を観察したときの状況には少なからぬ問題点があり,客観的にも主観的にも観察条件は良好ではなかったと認められる(特に,観察時間が短く,被害者が特異な心理状態にあったことは,観察の正確性に大きく影響する事情であると考えられる。。そして,犯人の顔の特徴につい)
ては,第1目撃及び第2目撃では,被害者においてほとんど意味のある観察ができなかった可能性が高いと認められるし,第3目撃でも,既知性もなく,際立った特徴を備えているわけでもない犯人の顔について,他の者と区別できる程度の観察,記憶ができたかについては,多分に疑問を容れる余地があるといわざるを得ない。

他方,犯人が下半身裸であったことについては,それ自体が特異な特徴であって,第1目撃の際に注意が向いていたし,犯人が逃走するときにも目撃していること,犯人の身長についても,犯人に後ろから抱き付かれた際,被害者は犯人のおおよその身長を感じ取ることができたと考えられること等に照らすと,犯人の顔の特徴と同列に評価することはできない。
検察官は,観察条件について,被害者は,複数回にわたって犯人を至近距離から目撃している上,付近には街灯の明かりがあったのであり,右眼が1.3,左眼が0.03という被害者の視力からすると,視認状況及び視認能力には問題がないと主張するが,このような検察官の主張は,前記のような問題点を看過したものといわざるを得ない。
4
犯人選別に関する基本的事実関係
被害者証言,本件捜査の総括責任者としての立場にあったB警部補(以下Bという。
)の証言,実況見分調書抄本(甲18)
,写真撮影報告書(甲
19)
,捜査報告書(甲25,26,32)等の関係証拠によれば,被害者が被告人を犯人であると選別した経過,犯人の容貌等の特徴に関する被害者の供述経過は,以下のとおりである。
(1)

本件被害発生の翌日である3月17日に作成された被害届,告訴調書,
被害者の警察官調書には,犯人の容貌等の特徴としてほぼ共通の内容の供述記載がある。このうち最も詳細な警察官調書の供述記載は,
年齢50歳位,身長170センチ位,頭髪普通の長さの7.3分の黒髪,やせ形,上衣緑色長袖Tシャツ,下衣裸,只,年齢は痩せていた感じでしたので,年配と思いましたが,ひょっとしたらもう少し若い人物だったかもしれません。というものである(以下本件初期供述という。。

(2)

新聞配達員である目撃者(前記第1の3)の供述から被告人が容疑者と
して浮上したため,3月21日,大阪府X警察署(以下X警察署という。
)において,出頭を求めた被害者に対し,2種類の写真台紙を別々に示
して,写真面割り(以下本件写真面割りという。
)が実施された。最初
に被害者に示された写真台紙(甲25,以下写真台紙①という。)には,
被告人を含む9名の男性の顔写真が貼付されていた。被告人の顔写真は,運転免許証台帳に貼付された被告人の顔写真(眼鏡着用,平成19年12月撮影)をデジタルカメラで撮影してプリントアウトしたものである。他の8名については,前記写真に写った被告人と顔の形や髪型が似ていて,眼鏡を掛けている男性の顔写真(背景も同系統の色でほぼ同じ)が貼付されている。被害者は,写真台紙①を示されて,犯人に似た人物の写真として,被告人の顔写真を選び出した。
続いて被害者に示された写真台紙(甲26,以下写真台紙②という。
)には,被告人を含む9名の男性の全身写真が貼付されていた。被告人の全身写真は,被告人方付近の路上を歩いていた被告人(眼鏡着用)を,捜査官が隠し撮りしたものである(B証言によれば,3月18日に作成した被告人の前記顔写真を,被告人方の近所の住民に見せたところ,今の被告人はもっと痩せていると言われたので,風体も分かるように被告人の全身写真を新たに撮影して,これも面割りに用いることにしたことが認められる。。)
他の8名については,眼鏡を掛けていない男性が含まれているほか,何かを指差ししているか,撮影者側に視線を向けている(なお,写真台紙①,同②共に貼付されているのは,被告人の写真のみである。。また,他の8名の)
写真は,概ね被撮影者の全身の線に沿って写真が切り取られているのに対し,被告人の写真はそれよりも大きめに切り取られており,建物等の背景が写った部分もある程度残っている。被害者は,写真台紙②を示されて,犯人の写真として,被告人の全身写真を選び出した。
その日に作成された被害者の警察官調書には,犯人の容貌等の特徴として,本件初期供述と同旨(着衣の点を除く。
)の供述記載がある。
(3)

被告人は,3月31日朝方,X警察署に任意同行された。他方,被害者
にも同署への出頭を求め,透視鏡を用いて,取調べ室内に一人でいる被告人を見せた(以下本件単独実面割りという。
)ところ,被害者は被告人が
犯人であると述べたので,被告人は通常逮捕された。
その日に作成された被害者の警察官調書には,犯人の容貌等の特徴として,本件初期供述と同旨(着衣の点を除く。
)の供述記載がある。
(4)

4月7日に作成された被害者の検察官調書には,第1目撃ないし第3目
撃,逃走する犯人を目撃したときに分けて,犯人の容貌等の特徴に関する供述記載があり,本件初期供述と同旨の内容(ただし,Tシャツの色は,光の加減ではっきり分からないが,黄緑っぽく見えたとされている。
)のほか,
第2目撃のときの観察に基づくものとして,
眼鏡をかけていなかったように思う。ほっそりとした顔つき,大きな目,ひげや吹き出物,あざのような目立った特徴はない。頭髪は,十分にあり,7.3のように自然な形で分かれていた。パーマをかけていたり,長髪ではなかった。などの,犯人が逃げるときの観察に基づくものとして,

後ろ髪も十分にあるのが見えたが,肩までかかるような長髪ではなかった。

などの供述記載がある。(5)

4月12日,X警察署の講堂において,第1目撃のときの明るさ,距離
関係を再現し,第1目撃の時間(5秒間)に限って,被害者に対象者を1名ずつ見せる方法で実面割りが実施された(以下本件選択実面割りという。。被害者は,被告人を見たとき,涙を流し,被告人が犯人であると述)
べた。
本件選択実面割りの当日に作成された被害者の検察官調書には,第1目撃及び第2目撃に分けて,犯人の容貌等の特徴に関する供述記載があるが,その内容は前記(4)の検察官調書の供述記載とほぼ同様である。
5
犯人選別の正確性の検討
(1)

被害者の供述経過について
犯人識別供述の信用性評価に当たって,犯人選別手続が行われるまでの間
に,犯人の容貌等の特徴についてどの程度具体的に言語化されているかということが重要な証拠価値を持つことは異論がないと思われる。本件において,被害者による犯人選別が行われる前に言語化された犯人の特徴は,本件初期供述のとおりであり,着衣以外は年齢,身長,髪の形と色,体格といった程度にとどまっており,顔の輪郭,目,鼻,口等の顔の特徴は全く言語化されていない。そして,このような本件初期供述に表れた特徴は,人の同一性識別の十分な根拠となるような特徴ではないことが明らかである。もっとも,人の容貌の特徴は正確な言語化が困難な面があり,観察者の表現力が十分でないこと等から大雑把な特徴の描写にとどまる場合もあり得るが,前記3で検討したとおり,被害者が犯人を観察したときの条件が良好ではなかったことに照らすと,本件被害発生の翌日という記憶が鮮明なはずの時点で,犯人の特徴の描写が本件初期供述の程度にとどまっていることは,被害者が犯人の特徴を十分に観察して記憶できておらず,捜査官に対して,これを十分に想起して供述できなかったことによる可能性を否定することができない。また,本件初期供述よりも詳しい犯人の特徴(顔の輪郭や目の特徴等)に関する供述記載が表れるのは,後記のような問題点を含む本件写真面割り及び本件単独実面割りが行われた後であり,被害者の犯人目撃から22日が経過した4月7日に作成された検察官調書からである(前記4(4))。しかも,
これらの特徴のほとんどは,第2目撃のときの観察に基づくものとなっているが,そのときの観察条件(前記3(4))に照らすと,第2目撃のときにこのような特徴を観察して,これを記憶できたとすることには多分に疑問を容れる余地がある。そうすると,被害者が犯人を目撃した時点で,前記検察官調書で新たに表れた犯人の特徴を観察して記憶しており,これを想起して検察官に供述したとは認めることができない。
さらに,被害者は公判廷で,犯人の特徴について,
目がぎょろっとした感じで,ほっぺたがへこんでいて,40代くらいで,前髪があって横に流れていたなどと証言しているが,このうち本件初期供述に表れていない特徴については,やはり被害者が犯人を目撃した時点で観察して記憶した特徴を想起して証言しているとは認めることができない。なお,被害者は犯人が眼鏡を掛けていたか否かは,現在でははっきりしないと証言するが,捜査報告書(甲32)等により認められる被害者の供述経過によれば,被害者が犯人は眼鏡を掛けていたと明確に供述したことはなく,かえって,眼鏡を掛けていなかったと思う旨の供述ないし証言をしている部分があることに照らすと,被害者には犯人が眼鏡を掛けていたとの記憶がなく,犯人は眼鏡を掛けていなかった可能性が高いと認められる。
(2)

本件写真面割りについて
本件写真面割りは,被害者の犯人目撃から5日後に行われており,目撃からの期間という点では特段問題はない。また,被害者証言によれば,捜査官は,被害者に写真台紙①,同②を示す際,この中に犯人がいるか分からないが,犯人に似てる人は写っているかと言ったというのであり,捜査官から暗示的,誘導的な発言はなかったと認められる(なお,弁護人は,本件写真面割りには,写真台紙①,同②の中で,どれが容疑者とされている被告人の写真であるかを知っている捜査官が関与していた点で,不当な暗示,誘導が被害者に与えられる危険性があり,この手続には瑕疵が内在していると主張するが,関係証拠を検討しても,そのこと自体が犯人選別の正確性に影響したとはいえない。。さらに,前記4(2)のような写真台)
紙①の貼付写真の構成からすると,貼付された写真の均質性にも特段問題はなく,写真台紙①自体に暗示,誘導の要素があったともいえない。これに対し,写真台紙②については,前記4(2)のような貼付写真の構成からすると,その均質性には問題があって,被告人の写真が浮き立つ要素があり,これが被害者に対する暗示,誘導として作用した可能性は否定できない(Bは,写真台紙②の構成について,捜査の実情からしてやむを得なか
ったという趣旨の証言をするが,そのことと写真台紙②が犯人選別の正確性に及ぼす影響は全く別問題である。。


本件写真面割りにおいて,被害者は,2段階の過程を経て,被告人が犯人であると選別していることになるが,被害者は,写真台紙①から被告人の顔写真を選び出した点について,

髪の毛の雰囲気や顔の作りから,多分この人だろうと思ったが,自信は余りなかった。犯人はもう少し顔が細かったような気がした。髪型も全く一緒ではなく,写真の人の前髪を横に流したらという意味合いである。

などと証言するが,これによれば,被害者が被告人の顔写真を選別した根拠として挙げている点は,犯人の容貌の記憶そのままではないこととなる。また,前記(1)のとおり,被害者には犯人が眼鏡を掛けていたとの記憶がなく,犯人は眼鏡を掛けていなかった可能性が高いと認められるのに,被告人の顔写真は眼鏡を掛けており,この点でも相違している。これらの点は,写真選別の正確性に影響する事情であるというべきである。さらに,被害者は,

どこがどうとか言われても答えにくいが,ぱっと写真を見たとき,事件のときに見た人に似てると思った人にすぐに目が行った。

とも証言するが,これによると,かなり直感的な選別であるとの印象を否定し難い。もっとも,被害者は,本件初期供述で言語化した犯人の特徴だけでなく,言葉で表現することが困難な総合的な特徴の判断で被告人の顔写真を選別したと考えることもできなくはないが,前記3で検討したとおり,被害者が犯人を観察したときの条件が良好ではなかったことに照らすと,被害者が前記のような総合的な判断をしていたとしても,その正確性には疑問があるというほかない。このような事情に照らすと,写真台紙①による選別の正確性には問題があり,被害者が犯人に似ている人物として,写真台紙①の被告人の顔写真を選別したことで,被害者の犯人像に関する原記憶に変容が生じた可能性が否定できないというべきである。


次に,被害者は,写真台紙②から被告人の全身写真を選んだ点について,

顔の輪郭や作り,髪の毛の感じなどから犯人だと思った。すぐに判断した。被告人の写真を見て気分が悪くなったので,すぐに見るのを止めた。

などと証言する(もっとも,その確信の程度は八,九十パーセントであるとも証言する。
)が,これまで検討したとおり,写真台紙①の被告人の顔写真を選別したことで,被害者の犯人像に関する原記憶が変容した可能性が否定できないこと,写真台紙②の構成には被告人の全身写真が浮き立つ要素があり(被害者は公判廷で,被告人の全身写真の背景が見覚えのある風景であることを認めている。,これが被害者に対する暗示,誘)
導として作用した可能性が否定できないこと,被害者証言によれば,写真台紙①を用いた選別では余り自信がなかったというのに,写真台紙②を用いた選別はかなり自信があるというのであるが,後者が全身写真であることを考慮しても,そこまで確信の度合いに差が出るほどの違いがあるとは考えにくいことに照らすと,写真台紙②を用いた面割りには,その写真構成による暗示,誘導が働いた可能性が相当程度あり,写真台紙②の被告人の全身写真を選別したことで,被害者の犯人像に関する原記憶の変容が強固になった可能性が否定できないというべきである。この点について,被害者は,

1回目の写真と同じ人物を選んだということはない。

とも証言するが,無意識のうちに原記憶が変容する危険はつとに指摘されているところであり,これをそのまま信用することはできない。


このように,本件写真面割りにおいて,被害者が被告人を犯人として選別したことの正確性には疑問が残るのであり,この過程で,被害者の犯人像に関する原記憶が無意識のうちに変容している可能性は否定できないというべきである。

(3)

実面割りについて
単独実面割りは,その方法自体に暗示的,誘導的な要素があることが否
定できない。もっとも,写真面割りが適正に行われた後であれば,単独実面割りという方法がとられたこと自体を直ちに問題とするのは相当ではないが,本件単独実面割りに先行する本件写真面割りに問題があって,これにより被害者の犯人像に関する原記憶が無意識のうちに変容した可能性が否定できないことは前記(2)のとおりである。しかも,被害者証言によれば,本件単独実面割りの際,捜査官が被害者に対し,

疑わしき人を連れてきているので見てください。

と暗示的な発言をしていることも認められる。そうすると,本件写真面割りにより生じた被害者の犯人像に関する原記憶の変容が,本件単独実面割りで実際に見た被告人の印象に影響されて,更に強固になった可能性が否定できないというべきである。そうすると,本件単独実面割りで,被害者が被告人が犯人であると述べたことも,その正確性に合理的疑いが残るというべきである。
検察官は,本件単独実面割りは時間が短く,暗示性や刷り込みの余地は低いと主張するが,これに先行する本件写真面割りの影響や,前記のような捜査官の暗示的言動を考慮しないものであって,採用できない。イ
本件選択実面割りについて
本件選択実面割りは,被害者に対して対象者を1名ずつ見せる方法で実施されており,実施方法自体に特段の問題はなく,関係証拠を検討しても,本件選択実面割りを実施するに当たり,捜査官が被害者に暗示,誘導を与える言動をした事情もうかがえない。しかし,前記のとおり,これに先行する本件写真面割りや本件単独実面割りにおいて,被害者の犯人像に関する原記憶が変容した可能性が払拭できない以上,本件選択実面割りもその影響は避け難いというべきであり(しかも,B証言によれば,被害者は,本件選択実面割りよりも前に捜査官から,本件単独実面割りで見た被告人が逮捕されたことを告げられたことが認められ,この点でも暗示の影響があることは否定できない。,そこでの犯人選別の正確性にも疑問が残る)

というべきである。
検察官は,前記のような方法でなされた本件選択実面割りでは,暗示の影響が排除されていると主張し,Bも,本件選択実面割りを実施するに当たり,被害者に対し,これまで見た写真や被告人ではなく,本件被害に遭ったときの記憶に基づいて,犯人を選別するように言った旨証言するが,前記のような方法やBが証言する捜査官の注意だけで,本件写真面割りや本件単独実面割りの影響が排除されたとは到底いえない。また,検察官は,被害者は被告人を見て泣き出している点を,犯人選別の正確性を示す事情として挙げているが,被害者の犯人像に関する記憶が被告人の写真や実物に影響されて変容した可能性が否定できないところ,被害者が泣き出したのは,そのような状況下で,本件被害発生当時の明るさを再現した講堂内で,3メートル又は50センチという至近距離から,それまでにも犯人として選別した被告人の顔を見たことによるものと推認できるから,検察官指摘の点は,犯人選別の正確性を示すものとはいえない。
(4)

犯人識別供述の信用性に関する結論
以上の検討結果によれば,被告人が犯人であるという被害者の犯人識別供
述は,観察条件,犯人選別過程のいずれにも問題があって,識別供述としての信用性には合理的疑いが残るというべきである。
もっとも,犯人の容貌等の特徴に関する被害者証言は,上衣の点を除いて,本件初期供述に符合する限度で信用性を肯定することができる(上衣については,光の加減により色の識別が正確であったかという問題があり,その信用性には疑問を容れる余地がある。。すなわち,犯人が下半身裸であるこ)
とは特異な特徴であって,第1目撃の際に注意が向いていた上,犯人が逃走するときにも目撃しているから,この点の被害者証言には誤りがないと認められるし,犯人の身長は自分と一緒ぐらいだったので,170センチぐらいだと思うという被害者証言も,170センチある自分の身長と比較しての供
述であり(ただし,被害者は,高くないヒール靴を履いていた。,被害者)
は犯人に後ろから抱き付かれた際には,犯人のおおよその身長を感じ取ることができたと考えられることに照らすと,おおよその数値として信用性を肯定することができる。また,おおよその年齢層や体格,髪型についても,その程度の特徴を観察して記憶することは可能であったと認められる。(5)

情況証拠としての検討
前記(4)の限度で信用性を肯定した被害者証言によれば,犯人については,
50歳くらいかそれよりもやや若い程度,身長170センチくらい,痩せ型という事実を認定することができる。他方,被告人の検察官調書(乙3)によれば,被告人は,本件被害発生当時,43歳,身長172ないし173センチ,体重67ないし68キロであることが認められ,年齢,身長,体格の点で被告人と犯人は類似しているということができる。
しかしながら,被告人と犯人の間で類似する特徴は,際立ったものではなく,ありふれたものであるから,このような特徴が類似する事実が被告人が犯人であることを示す力は弱いというべきである。
なお,前記のような特徴の類似に加えて,被害者が写真台紙①の被告人の顔写真を犯人に似ているとして選別したことも,ここでの間接事実に含めることができるかが問題となり得るが,前記5(2)イのとおり,被害者が総合的な特徴の判断で被告人の顔写真を選別したとしても,前記3のとおり,被害者が犯人を観察したときの条件が良好ではなかったことに照らすと,この点まで間接事実の内容に含めるのは相当ではない。
第3
1
検察官主張の積極的間接事実について
検察官の立証構造
検察官は,①目撃者が目撃した人物(以下Aという。)と被害者が目撃
した犯人は,身体的特徴がほぼ同様であり,両者の目撃時刻及び場所が近接している上,目撃に関連する状況も符合するから,Aと犯人は同一人物であると
推認できること,②犯人は,わざわざ目撃者の単車を追い抜き,前方の被告人方駐車場(以下本件駐車場という。
)に逃げ込んでいるから,犯人にとっ
て,目撃者の存在は眼中になく,意図的に本件駐車場に逃げ込んだと推認できること,③犯人が本件駐車場に逃げ込んだとき,通常ならば自動点灯するはずのセンサーライト(以下本件ライトという。
)が点灯しなかったが,その
原因としては,被告人方家人が意図的に本件ライトの電源プラグ(以下本件プラグという。)を抜いたことしか考えられないこと,④本件プラグを抜く目的は,下半身裸の犯人が被告人方に入るのを付近住民に目撃されないようにすることしか考えられないから,犯人は被告人方家人であると推認できるが,そのうち犯人と特徴が一致するのは被告人のみであること,以上のような推論過程を経て,被告人が犯人であると推認できると主張する。
2
目撃者証言の基本的内容とその信用性
前記1のような検察官立証の直接的な基礎となる目撃者証言は,大要,新聞配達員として,Y町2丁目とZ町3丁目の新聞配達をしており,3月16日も単車で朝刊を配達していたが,午前5時前後ころ,本件東西道路を西進し,本件交差点を通過してやや進行したところで,左後方から,女性が怒って叫んでいるような声が聞こえた。そこから数メートル進行したところで,時速10から20キロくらいで進む単車の右側を,男性のAが走って追い抜いていき,そのまま付近の本件駐車場に入った。そのとき,本件ライトは点灯しなかった。その後,Z町3丁目地内で新聞配達を続け,本件交差点の一つ南の交差点を西から東に横断したとき,白っぽいコートのようなものを着た,20歳代と思われる髪の長い女性が携帯電話機で話しているのを見た。というものである。目撃者は,本件まで被告人とは面識がなく,被告人を罪に陥れる虚偽の供述をするような事情はうかがえない。そして,前記目撃者証言のうち,Aが本件駐車場に入ったが,本件ライトは点灯しなかったという点については,弁護人が信用性を強く争っているところであり,日の出前の時間帯における極めて短
時間のうちの目撃であるから,見間違いがないかなどの観点から,その信用性を慎重に検討する必要があるが,それ以外の内容については,関係証拠を検討しても,その信用性に特段疑いを容れる事情はうかがえない。なお,弁護人は,目撃者が別の日のことを3月16日のことと混同している可能性があると主張するが,目撃者は,3月17日にX警察署の捜査官から事情聴取を受けていることなどに照らすと,そのような混同の可能性はないと認められる。3
Aと犯人との同一性について
(1)

被害者証言等の関係証拠により認められる本件被害及びその前後の状況
は,前記第2の2で認定したとおりであるが,これによると,目撃者が女性が怒って叫んでいるような声を聞いた地点,Aに追い抜かれた地点と,本件現場は道なりで数十メートル以内と極めて近接していることが認められる。また,本件被害が発生した時間帯と,目撃者が前記のような女性の声を聞き,間もなくAに追い抜かれた時間帯も極めて近接していることが認められる。そして,(ア)目撃者が聞いた女性が怒って叫んでいるような声というのは,被害者が本件現場から逃走する犯人に向かって,叫ぶように文句を言った声と,(イ)Aが目撃者の単車を走って追い抜いていったという点は,本件現場から逃走した犯人が本件交差点を西に曲がって逃走したことと,(ウ)目撃者が本件交差点の一つ南の交差点を横断する際,白っぽいコートのようなものを着た,20歳代と思われる髪の長い女性が携帯電話機で話しているのを見たという点は,被害者(当時22歳で髪が長く,白いコートを着用していた〔写真撮影報告書抄本・甲5〕)が,本件被害後に本件現場付近で,交際。
相手と携帯電話機で話すなどしていたことと,それぞれよく符合する。しかも,Aと犯人は,身長170センチ前後の男性という点で共通している上,犯人は下半身裸であるが,Aも下半身裸であった可能性が高いと認められる。すなわち,目撃者は,
Aの上半身の服は覚えているが,下半身については何を着ているかが全く分からず,全然覚えていない。何かをはいていたかどうかも分からないので,後日,X警察署で事情を聴かれたときに,その点にすごい違和感があったので,何をはいていたかが分からず,ひょっとしたらはいてなかったかもしれないと言った。捜査官の方から,下半身が変ではなかったかと言われたことはない。と証言する。このように目撃者は,捜査官から示唆されることなく,Aの下半身に違和感があって,何もはいていなかったかもしれないと供述するに至っているのであって,Aが下半身裸でなかったならば,目撃者が自発的にそのような可能性に言及するとは考えにくいところである。そして,目撃者がAの下半身の着衣について全く記憶がないのは,Aが下半身裸であったからであると考えるとよく理解できる。そうすると,Aも下半身裸であった可能性が高いと認められる。加えて,当時は日の出前の時間帯であり,住宅街である本件現場付近には人通りがほとんどないと推認されることに照らすと,被害者と目撃者がそれぞれ証言する整合的な事態が別個に生じていたとも考え難いから,目撃者の単車を追い抜いていったAは,犯人であると推認できる。
(2)

これに対し,弁護人は,Aは犯人ではないとして,①目撃者が本件交差
点を通過したのは午前5時前であり,本件被害発生の時刻である午前5時15分ころよりも前である,②目撃者は,本件交差点を横断する際,本件現場付近に人の気配を全く感じていないから,その時点で本件犯行は行われていなかったことになる,③目撃者が女性の声を聞いた地点,Aに追い抜かれた地点と,本件現場との距離関係からすると,犯人が目撃者の単車を追い抜くことは不可能である,④Aが犯人だとすると,わざわざ単車の音がする方へ逃走したことになるが,そのようなことは犯人の行動として不自然である,⑤Aの上着に関する目撃者証言(白っぽい長袖のトレーナーと,それより濃い色の半袖チョッキ)と,犯人の上着に関する被害者証言(黄緑色の長袖Tシャツ)が食い違っている,と主張する。
しかしながら,①については,確かに,目撃者は,3月16日はいつもより遅い午前3時ころから配達を始めたが,スピードを上げて配達した。配達途中にY郵便局で時計を確認したところ午前4時40分であり,そこから配達をしながら本件交差点に至るまでは10分か15分である。と証言しているが,他方で,

3月16日は午前3時ころから配達を始めたので,配達が終わったのは午前6時前である。

と,当日もいつもと同じ配達時間(3時間程度)がかかっていると受け取れる証言をしたり,

午前2時半ころ配達をスタートしたとき,配達が終わるのは午前5時半から6時くらいであり,その日によって違う。

という証言もしていることに照らすと,弁護人の主張は直ちには採用できない。②については,本件交差点と本件現場の間には20メートル程度の距離がある上,目撃者が

本件南北道路は南行きの一方通行なので,本件交差点を通過するときは主に右側(北)を見た。

と証言していることに照らすと,本件交差点南側の状況には注意が向いていなかったため,人の気配を感じなかったとも考えられる。③に関する弁護人の主張は,目撃者が女性の声を聞いたときに犯人が本件現場にいたことを前提としているが,その前提が動かし難いものとは考えられない。④については,ある程度離れた地点で単車の音だけを聞いて,単車の正確な位置を認識できるとは限らないから,慌てた犯人が単車の方向へ逃走してしまうという事態もあり得ると考えられる。⑤については,被害者と目撃者では明るさ,観察時間といった観察条件が異なる上,いずれも良好な観察条件とはいえないことに照らすと,上着に関する証言内容の相違をもって,Aが犯人であるとの前記推認が妨げられるものではない。
4
本件駐車場と本件ライトの状況
目撃者証言のうち,Aが本件駐車場に入ったが,本件ライトは点灯しなかったという点の信用性を判断する前提として,捜査報告書(甲10),検証調書
(甲22,31)等の関係証拠によれば,以下の事実が認められる。(1)

本件東西道路は,本件交差点を西に十数メートル進行したところで,被
告人方敷地の前(南側)を通る。
(2)

本件駐車場は,被告人方通用門(木製格子状の2枚引き違い戸,以下
本件通用門という。
)の東側に位置し,台形の形状(東側南北の長さ約
6.4メートル,西側南北の長さ約6.5メートル,北側東西の長さ約2.36メートル,南側東西の長さ約4.6メートル)をして,南側を除く三方は塀又は壁(西側の一部は本件通用門)に囲まれ,南側(以下本件駐車場出入口という。)は本件東西道路に接している。本件東西道路に沿ったそ
の両側は,東側が約10メートルの塀,西側が5メートル余りの壁になっている。
(3)

夜間等の家人が出掛けないときは,本件駐車場には,通常,東側寄りに
軽四自動車(以下本件車両という。
)が駐車してある。また,本件駐車
場西側,北側の壁沿いには自転車数台が駐輪されている。
(4)

本件通用門の東側上部には本件ライトが設置されており,十数本の検知
軸によってカバーされる本件駐車場内の検知エリアに人等が入ると,センサーが反応してライトが点灯する仕組みになっている(ただし,誤作動を防ぐため,検知対象が検知軸2本以上を通らないとセンサーは反応しない。。)
本件ライトは,一度点灯すると約40秒間継続して点灯する。本件プラグは,本件通用門を入った右側の壁に設置されたコンセントに接続されており,接続時はロックされた状態にあるので,これが自然に脱落することはない。(5)

本件ライトの点灯状況を検証した結果(甲22)によれば,人が本件車
両の前から本件通用門にかけてのエリアに立ち入った場合は,本件ライトが点灯したが,本件駐車場出入口の東端付近から,本件車両と本件駐車場東側の塀との間のエリアに立ち入った場合は,本件ライトは点灯しなかった(甲22の見取図第2号の⑨の経路)

(6)

本件駐車場南端から北へ0.2メートル,同西端から東へ1.95メー
トルの地点で,照度を測定したところ,本件ライトが点灯しない状態では,
上向き,南向きともに0.4ルクス,本件ライトが点灯した状態では,上向き1ルクス,南向き0.7ルクスであった。
5
A(犯人)が本件駐車場に走り込んだか否かについて
目撃者は,単車を追い抜いたAが本件駐車場に走り込んだ旨証言するので,関係証拠に照らして,この証言部分の信用性を検討する。
目撃者があえて虚偽の供述をするような事情がうかがえないことは,前記2のとおりである。観察条件を見ると,距離関係には特段問題はなく,また,目撃時刻は日の出前であるが,目撃者が運転する単車のライトが点灯していたことや,目撃者が付近の建物の1階内部に薄明かりがついていたと証言していること等からすると,人が本件駐車場に走り込む程度のことを視認することは可能な明るさがあったと認められる。目撃者の視力は,平成19年11月ころの検査で,右眼が1.0,左眼が0.8というのであり,前記程度のことを視認するのに特段問題はないといえる。そして,目撃者は,被告人方が所在するZ町3丁目地内の新聞配達を六,七年にわたって担当していたのであり,被告人方は配達対象ではないものの,被告人方前を通過する本件東西道路は配達経路であるから,本件東西道路沿いの被告人方付近の状況もよく認識していたと推認できること,本件駐車場出入口の両側には,本件東西道路沿いに約10メートルの塀や5メートル余りの壁が続いていることからすると,目撃者において,Aが本件駐車場以外の別の場所に走り込んだのを本件駐車場に走り込んだと誤認するような状況にあったとはいえない。もっとも,目撃者は,Aに注目して見ていたわけではないが,Aが本件駐車場に入るところは視界に入った旨証言するところ,目撃者が運転する単車の進行方向に照らして,この証言に不自然,不合理な点はないことからすると,この点の目撃者証言には信用性を肯定することができる。
したがって,A(すなわち犯人)が本件駐車場に走り込んだ事実を認定することができる。

6
本件プラグが抜かれていたか否かについて
目撃者は,Aは本件駐車場に駐車中の本件車両の西側(本件通用門寄り)に走り込んだが,そのとき本件ライトは点灯しなかった旨証言する。前記4で認定した事実に照らすと,目撃者証言のとおり,Aが本件車両の西側に走り込んだのであれば,本件ライトが点灯するはずであるが,これが点灯しなかったとすれば,特段の事情がない限り,本件プラグが意図的に抜かれていたと推認できる。また,当時が日の出前の時間帯であったことからすると,Aが本件駐車場に走り込んだ際に本件ライトが点灯したのであれば,目撃者がそのことに気付くのが自然であるようにも思われる。しかしながら,目撃者の証言を子細に検討すると,以下のような問題点を指摘することができる。
目撃者は,Aが本件車両の西側に走り込んだとすることに関連して,

本件車両は本件駐車場東側の塀にぴったりと付くように駐車していたと思う。

旨証言しているが,検証日時が異なる2回にわたる検証の結果(甲22,31)によれば,駐車中の本件車両と本件駐車場東側の塀との間には,人が入り込むことが可能な程度のスペースがあることが認められる(なお,証言時,目撃者が台形の形状の本件駐車場を長方形で図示していることに照らすと,目撃者が本件駐車場の状況を細部まで認識していたとは認められない。。そして,実)
際上も,本件駐車場東側の塀にぴったり付くように本件車両を駐車することは困難であると認められる。そうすると,Aが本件駐車場の西側に入ったという目撃者証言は,本件車両の東側には人が入れるスペースはないとの誤った前提に基づく推測でなされた可能性が否定できない。
また,目撃者は,

Aはすっと行ったんで,後ろ姿しか見ていない。,

入ったとこしか見てないので,どこまで入ったかは見てない。

と,そもそも本件駐車場内に視線を向けていないともとれる証言もしており,目撃者がAに注目していたわけではないと証言していることにも照らすと,目撃者は,自分が運転する単車を追い抜いていったAが本件駐車場に入って自らの視界から消え
てからも,そのまま前方を見て進行しており,本件駐車場内に視線を向けていない可能性も否定できない。この点について,目撃者は,

本件駐車場前を通過する際に,何げなくAが走り込んだ方を見たが,誰もいなかった。本件通用門が開く音は聞いてない。

とも証言しているが,Aが本件駐車場に走り込んでから,目撃者が本件駐車場の前を通過するまでは極めて短時間であると考えられる(目撃者が証言時,Aが本件駐車場に入るのを目撃した場所として見取図に記入した地点は,本件駐車場前に差し掛かった地点である。
)ところ,本
件駐車場内の客観的状況(本件車両や自転車の駐車・駐輪状況)に照らすと,本件車両の西側の本件駐車場内で,極めて短時間のうちにAが身を隠すことは困難であると考えられるし,Aが本件通用門を通って被告人方庭先に入ったのであれば,目撃者において,本件通用門の木製引き戸が開閉する気配に気付くと考えられるから,目撃者が本件駐車場内を見たのに,Aの存在にも本件通用門の戸が開閉する気配にも気付かなかったというのは不自然なように思われる。このような目撃者の証言も,目撃者が実際は本件駐車場内に視線を向けていないのに,視線を向けたように思い込んでいる可能性を示している。加えて,目撃者は,被告人方表札の部分は光っていなかったと思うと証言するが,4月9日付け検察官調書では,表札に小さな明かりがついていたと供述したことを自ら認めているのであり,本件駐車場付近の状況に関する供述に変遷がみられる。
したがって,目撃者は本件駐車場内に視線を向けていない可能性が否定できないというべきであり,Aは本件車両西側の本件駐車場内に走り込んだが,本件ライトは点灯しなかった旨の目撃者証言の信用性には疑問が残るというべきである。
そうすると,目撃者証言によって認定できるのは,Aが本件駐車場に走り込んだということだけであり,その後の状況については,①Aが本件車両の東側のスペースに走り込んだため,本件ライトは点灯しなかった可能性(目撃者が
運転する単車を追い抜いたAとしては,いち早く身を隠したいと考えるのが自然であると思われるところ,その場合,本件車両の東側スペースに走り込むことも十分あり得ると考えられる。
)や,②Aが本件車両の西側に走り込み,本
件ライトが点灯したが,その照射範囲が本件駐車場内だけであること(甲31添付の写真第96号)から,意識的に本件駐車場の方に視線を向けなかった目撃者がこれに気付かなかったという可能性が考えられるのであり,いずれにしても,A(犯人)が本件駐車場に走り込んだ際,電源プラグが意図的に抜かれていたということについては,合理的疑いが残るというべきである。7
犯人が本件駐車場に走り込んだ事実が持つ意味合い
犯行直後,犯人が目撃者の単車を追い抜いて本件駐車場に走り込んだことは,犯人が被告人方と関わりのある人物である可能性を示しており,被告人方家人のうちで犯人と特徴が一致するのは被告人のみであるから,この事実は,被告人と犯人とを結び付けるものである。もっとも,被告人以外の第三者が犯人でも,本件駐車場に走り込むことはあり得ると考えられる。すなわち,犯人は,犯行中に単車の音が聞こえてきたことから逃走し,追跡を免れるために本件交差点を左折し,その際,左前方に走る目撃者運転の単車を認めたものの,そこで止まるわけにもいかず,そのまま単車を追い越したが,とっさの判断として,単車の進路と交錯しない進行方向右側(北方)で,身を隠すことが可能な最初の場所と認められる本件駐車場(その手前〔本件駐車場の東隣〕は,前記のとおり塀が続いており,走り込んで身を隠すのに適当な場所はない。)に走り込
んだということも,それなりにあり得るものと考えられる。
そうすると,犯人が目撃者の単車を追い抜いて本件駐車場に走り込んだという事実は,被告人が犯人であることを一定程度推認させるとはいえるが,本件駐車場に入った後の犯人の行動が明らかではないことに照らすと,これが被告人が犯人であることを強く示しているとまではいえない。

第4

積極的間接事実の総合評価

これまで検討したところによれば,積極的間接事実としては,(1)犯行直後,犯人が目撃者の単車を追い抜いて本件駐車場に走り込んだこと,(2)犯人が年齢,身長,体格の点で被告人と類似していることが認定できる。そして,これらの間接事実を合わせることで,被告人が犯人であることを示す力が高まるとはいえるが,これらの間接事実だけで,被告人が犯人であると断定するには合理的な疑いが残るというべきである。
第5
1
消極的事情について
これまで検討したとおり,証拠上認定できる積極的間接事実を総合しても,被告人が犯人であるという点について,合理的疑いを超えて立証がされているとは認められないところである。
翻って,弁護人の主張を踏まえて,本件当時の被告人方の状況を検討すると,前記の疑いを大きくする事情の存在が認められるので,この点について付言する(なお,被告人の家族については,姓の記載を省略する。。


2
捜査報告書(甲23)
,検証調書(甲11,31)
,診療録(弁4)
,報告書
(弁12)
,C,D,Eの各証言,被告人の公判供述等の関係証拠によれば,以下の事実が認められる(なお,本項で認定する事実関係については,Cらの証言や被告人の供述に依拠する部分もあるが,この部分についても,検察官は特段反証をしていない。。

(1)

被告人方居宅の状況等
被告人方居宅は2階建てであり,1階北側には,洗面所,浴室,リビングとその東側に仕切りなしで接続したダイニングキッチンがある。ダイニングキッチンの南側には,順次,6畳和室(以下北側和室という。,)
応接室,8畳和室,6畳和室(以下南側和室という。
)があり,それ
らの西側には南北に廊下(以下1階廊下という。
)が走り,その廊下
は南側和室の南側に沿ってL字型に伸びている。リビングの南側(1階廊下の西側)には,順次,トイレ,階段,玄関がある。2階には,12畳洋
室(以下寝室という。
)のほか4室,ベランダ等がある。

被告人方居宅1階の出入口としては,玄関,リビングを通っていく勝手口がある。また,1階廊下の西側(玄関より南側部分)と南側は掃き出し窓になっている。前記応接室,前記8畳和室,南側和室の東側壁にはそれぞれ腰高窓があるが,その外側の被告人方敷地内の通路(東側は仕切りの壁になっている。
)には多くの物が置かれ,通行が容易でない状態である。
また,2階の各部屋の窓やベランダから,直接,被告人方の敷地外に出ることはできない。


前記リビングの東側壁には防犯装置(以下本件防犯装置という。


の報知器(以下本件報知器という。
)が設置されている。本件防犯装
置は,本件通用門を通過する人などがいた場合,本件通用門の梁の下に設置された熱線式検知器(以下本件検知器という。なお,本件通用門の本件駐車場側は,本件検知器の検知範囲外である。
)が反応し(周囲の温
度より3度以上高い温度の物体が通過すると反応する。,本件報知器か)
ら音が出る仕組みになっている。本件防犯装置は電源自体を切ることはできないが,本件報知器の報知押ボタン又は警報押ボタンを押してモード切替をすることで,本件検知器が物体の通過を検知した場合でも音が出ない切モードにすることができる(この点について,被告人は,捜査公判を通じ,自分も家族も本件報知器から音が出ないようにする方法を知らないと供述しているが,本件報知器の外形〔検証調書・甲31の写真番号33〕から切モードにする方法が明らかとはいえないこと,被告人方から本件防犯装置の取扱説明書が押収された形跡がないこと,前記検証時,立会人のDとEが本件報知器のボタンの機能は分からないと述べていること等に照らすと,被告人の前記供述の信用性を否定することはできない。。検証)
の結果(甲11)
,人が本件通用門の南側の戸を開けて,本件駐車場側か
ら被告人方庭側に入り,本件通用門の引き違い戸伝いに北側の戸の前まで
移動し,本件通用門から延びる石畳の北側部分を通行した場合には,本件報知器は吹鳴しなかった。
(2)

被告人の家族構成等
本件当時,被告人は,妻のDと3人の子供のほか,父親のF,母親のC,
妹のEと同居していた。なお,被告人方では,屋内で犬(ミニチュアダックスフンド)1匹を飼っていた。
Fは,平成19年3月ころから,認知症の症状が顕著になり,同年10月中旬には深夜徘徊をしたこともあった。Fは,Cとともにリビングで就寝するが,夜中に目覚めたときにトイレの場所が分からなくなったり,深夜徘徊をしたりしないように,Eが北側和室で,1階廊下に面した同室の扉を20センチ程度開けて就寝するようにしていた。
(3)

被告人は,3月15日午後10時ころに友人宅から帰宅した後,子供2
人と2階に上った。その後,被告人,Dと子供3人は寝室で,F,Cと,翌日の法事のために泊まりに来ていた被告人の甥及び姪はリビングで,Eは北側和室でそれぞれ就寝した。
3月16日は,午後2時ころから京都の寺院において,被告人の母方祖母の法事が執り行われることとなっていた。そのため,被告人とその家族は,同日午前11時30分ころ,車で被告人方を出発し,前記寺院に向かった。3
3月15日夜から翌16日朝にかけての状況に関するC証言についてCは,
3月15日午後11時ころにいったんリビングで寝たが,翌16日午前2時ころ目を覚まし,ダイニングキッチンで,親戚等に配る稲荷鮨を作り始めた。150個の稲荷鮨を作り終わったのが午前5時30分ころで,後片付けが終わったのが午前6時30分ころであった。この間,ずっと起きていたが,玄関や1階の掃き出し窓を開ける音など,誰かが家から出ていくような物音は聞いていない。ダイニングキッチンに置かれた檻で飼っている犬は,物音に敏感であるが,犬がそわそわしたり,吠えたりすることもなかった。だから,家を出ていった人も,外から家に帰ってきた人もいないと自信を持って言える。被告人は,午前7時過ぎころ,2階から降りてきた。旨証言する。関係証拠によれば,Cは,被告人がX警察署に任意同行された3月31日の朝方,自宅2階で同署の捜査官(B)から事情聴取を受けているところ,Cは,そのときから前記証言と同趣旨の供述をしていたことが認められる。もっとも,前記事情聴取において,Cは,当初,

3月16日も午前5時ないし6時ころ,自分が一番早く起きた。

旨供述していたが,途中で,3月20日の彼岸のときのことと勘違いをしていたとして,

その日(3月16日)は母の7回忌なので,夜中の2時から起きて,朝まで稲荷鮨を作っていた。

旨供述を訂正している。この点について,検察官は,Cは3月16日午前4時ないし5時ころにいったん寝た疑いがあり,Cは,前記事情聴取の際,本件犯行の時間帯が早朝であると聞いたことから,被告人をかばうため,起きていた時間帯を調節して供述した疑いがあると主張する。しかしながら,息子である被告人が警察に連れて行かれる事態を受け,

何が何やらもう,私の頭の中,真っ白になってしもうて。

という混乱した心理状態を述べるCの証言は十分了解が可能であり,そのような心理状態からすると,前記のようにCが供述を変遷させたことも格別不自然とはいえない。確かに,Cの3月31日付け警察官調書抄本(甲33)には,

3月16日早朝に,息子である被告人が近所の道路で帰宅途中の女の人を襲ったという容疑があるとのことでした。

という供述記載があるが,前記のようなCの心理状態やCが老齢であることを考えると,前記のような容疑の内容を聞いた同人が,とっさに被告人をかばおうと考えて,虚偽の供述をしたとは考え難いところである。また,検察官は,被告人方から外に出た家人はいないというC証言は,本件プラグが抜けていたとの客観的事実に反するとも主張するが,そのような事実が認められないことは前記第3で検討したとおりである。
そうすると,前記のようなC証言の信用性を否定することは困難である。
4
以上のような事情に照らすと,本件犯行の時間帯が夜明け前で,一般的には眠りが深くなるといわれている時間帯であることを考慮しても,被告人が家人に気付かれずに自宅から出入りすることが容易とはいえない状況であったと認められる(被告人も,Cが夜中に起きて稲荷鮨を作ることは知らなかったものの,それ以外の状況は認識していたと認められる。。特に,妻子が就寝中に)
被告人が密かに外出した場合,その後,妻子が目を覚まして被告人がいないことに気付き,不審に思われるおそれがあることは,被告人としても容易に考えつくところである。
また,前記2(3)のとおり,本件当日は法事があって,被告人は家族とともに出掛けることになっていたところ,検察官の主張によれば,被告人は,このような日の明け方,被告人が下半身を露出して女性を襲う常軌を逸した犯行に及んだことになるが,このような事態は常識的には理解し難いというほかない。しかも,被害者証言によれば,犯人は,民家前の路上で本件犯行に及び,被害者が悲鳴を上げても直ちには犯行をやめていないことが認められるが,犯人が被告人であるとすれば,自宅近くの住宅街の道路において,このような態様の犯行に及ぶということも理解し難い。
そして,このような検討を踏まえると,被告人が犯人であると認定することについての合理的疑いは,より大きくなるというべきである。もっとも,前記の事情があっても,被告人が犯人であることを立証する確固たる証拠がある場合には,被告人が犯人であると認定することができるというべきであるが,そのような確固たる証拠がない本件においては,このような事情も相応の意味を持つというべきである。

第5

結論
以上の検討結果によれば,被告人が本件犯行の犯人であると認定するには合理的な疑いが残るというべきであり,本件公訴事実については犯罪の証明がないから,刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをすることとする。
平成21年3月19日
大阪地方裁判所第8刑事部

裁判長裁判官

中里智美
裁判官

末弘陽一
裁判官

中畑洋輔
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