判例検索β > 平成16年(う)第106号
強制わいせつ、わいせつ略取被告事件
事件番号平成16(う)106
事件名強制わいせつ,わいせつ略取被告事件
裁判年月日平成17年1月18日
裁判所名・部広島高等裁判所  第1部
原審裁判所名広島地方裁判所
原審事件番号平成15(わ)423
裁判日:西暦2005-01-18
情報公開日2017-10-13 01:41:34
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主 文
原判決を破棄する
被告人を懲役2年に処する
原審における未決勾留日数中270日をその刑に算入する。 本件公訴事実中,平成15年6月9日起訴にかかるわいせつ略取強制わいせつの点については,被告人は無罪
理 由
本件控訴の趣意は,弁護人長井貴義作成の控訴趣意書及び控訴趣意書補充書に記載されているとおりであるから,これらを引用する。
第1 原判示第1の事実(わいせつ略取強制わいせつ)に関する事実誤認の論旨について
論旨は,要するに,原判示第1のわいせつ略取強制わいせつの事実について,原判決は被告人が犯人であると認定したが,被害者の犯人識別供述には矛盾が多く信用できず,被告人のアリバイ供述は不合理とはいえないから,原判決には事実の誤認がある,というのである。
そこで,所論にかんがみ,原審及び当審で取り調べた証拠に基づき検討する。
1 本件公訴事実は,被告人は,平成15年3月13日午後5時30分ころ,広島県安芸郡a町所在の駐車場において,A(平成6年4月18日生,当時8年)を認めるや,同児が13歳未満であることを知りながら,同児にわいせつな行為をしようと企て,同児に対し,「ちょっとこっちに来て。来んと殺す。などと申し向けて同町所在のB方北側竹藪に連れ込み,同所において,同児に対し,

服を脱げ,泣いても脱がんと殺す。

などと語気鋭く申し向けて脅迫し,同児の上半身を裸体にした上,同児の左乳首を弄び,へそを触るなどし,もってわいせつの目的で同児を略取し,13歳未満の婦女に対し,強いてわいせつな行為をしたものである。」というのである。
関係証拠によれば,被害者Aが上記のとおりの被害を受けたことは明らかであるところ,本件事件の内容,捜査の経過及び被害者らの供述内容については,概ね以下のとおりであると認めることができる。
(1) 被害者は,本件当時,小学校2年生であり,平成15年3月13日午後5時15分ころから,自宅付近駐車場で一人で遊んでいたところ,見知らぬ若い男(以下犯人という。)から,

かわいいね,ちょっとこっちに来て。

と声を掛けられたので,「だめ。」と断ると,本件公訴事実記載のとおり,脅迫を加えられて,竹藪内に連れ込まれて,原判示のわいせつな行為を加えられた。間もなく,祖母Cの,「Aちゃん。」と呼ぶ声がすると,犯人が手にした脱がせた着衣を投げ捨てて,やって来た方向に走り去ったので,泣きながら祖母のもとに駆け寄り,被害内容を申告した後,祖母と共に帰宅した。
(2) 祖母は,同日午後5時25分ころ,自宅内から上記駐車場付近にいたはずの被害者の姿が見えなくなったことに気付き,上記駐車場まで赴いて,

Aちゃん,Aちゃん。

と大きな声で叫んだところ,ほぼ北東方向に位置する竹藪から音がしたので,注視すると,約49メートル離れた上記竹藪内に人影を認め,その人影がほぼ東西に走る町道方向に南下し,その後,上記竹藪のほぼ南西方向に位置する上記駐車場のほぼ西方をほぼ南北に走る町道の車道上をほぼ北に向って走ってくる中高校生風の男を約18.8メートル先に発見し,最も接近した地点で約6.8メートルのほぼ西方を通過するのを認め,続いて,その男が自転車に乗って戻り,約7.5メートル離れたほぼ南西方向の上記車道上をほぼ南下して通過し,そのままほぼ南方約26メートル先の上記車道上を進行するのを目撃した。その後,被害者が上記竹藪から出てきて,被害内容を知らされたため,帰宅して110番通報を行った。
(3) 上記通報を受けて駆けつけた警察官は,直ちに,被害者及び祖母から被害状況等を聴取して,被害者からは,犯人の特徴として,

ぱっちりした目,やさしそう,ぽっちゃりした顔,160センチメートルくらい,小太り,中,高校生くらい,黒か藍色のフード付きジャンパー,眼鏡を掛けたり外したりする。

などという供述を得たほか,その供述に基づいて犯人の似顔絵及び全身像を作成したところ,似顔絵については,被害者から,犯人と75パーセントくらい似ているとの指摘を受けた。さらに,警察官は,被害者に対し,同年4月18日までの間,5回くらいにわたって,10枚から20枚くらいの同種前歴者等の写真を示したが,その中には犯人は見当たらないというものであった。なお,本件捜査
を指揮していた広島県海田警察署所属の強行班係長であるDは,被害者に対して示した写真について,いわゆる写真台帳は作成しておらず,どのような写真を示したかを明らかにすることはできないが,部下の警察官に対して,広島県警察本部捜査第3課が保管する同種前歴を有する者の写真のうち,手口,人相,着衣,身体特徴,土地鑑等から抽出した10枚くらいの写真のほか,その後の捜査により浮上した者の写真等を示すように指示したもので,部下の警察官が独自の考えに基づいて他の写真を持参して示すことを認めていたため,いかなる写真を被害者に示したのかは不明である旨当審において供述している。
(4) 上記海田警察署所属の警察官は,同年4月18日午後3時30分,原判示第2の強制わいせつの事実により,同署において,被告人を緊急逮捕したが,上記Dは,被告人が犯人ではないかとの疑いを抱き,被害者の母親に対して,他の事件で捕まっている者がおり,犯人に似ているので,確認してほしい旨電話をして,これを受けた母親は,被害者に対して,もしかしたら襲った犯人が捕まったかもしれないので,一緒に警察に行こうと話しかけたが,被害者がおびえてこれを承知しないため,

犯人はあなたが一番よく分かっているから,一緒に見て。もしその人だったら,もうあんたは何もされないから,一緒に行ってみよう。

などと説得を重ねた結果,その承諾を得られたことから,同日午後5時すぎころ,被害者,祖母及び夫と共に同署に赴いた。そして,被害者は,取調室の隣室の面通し室に設置された透視鏡(マジックミラー)を通して,取調室にいる被告人が上記犯人かどうか確認するように求められたが,おびえて面通し室へ入ることを拒んでいたことから,まず,上記面通し室に入って被告人を観察した祖母から,

向こうからはね,見えていない様子だったよ。だから,頑張って見ようかね。

などと声を掛けられた後,母親に手を引かれて面通し室に入り,おびえて母親の身体に顔を埋める仕草をしながら,透視鏡に背を向けていたが,間もなく振り向いて,透視鏡越しに,被告人を見ると,「あの人だ。」と言って,すぐにしゃがみ込んで,身体を震わせていた。
(5) 被害者は,同年10月15日の原審第3回公判期日に証人として出頭したが,それ以前に,自宅において,検察官から,被告人を含めた10名の眼鏡を着用した若い男性の写真が貼付された司法巡査E作成の同年9月16日付け写真帳(原審甲第34号証)を示された際,泣き続けてこれを見ようとしなかったが,同席していた父親から,

もしかしたら,この中にいるかもしれないから,写真を頑張って見ようかね。

などと説得されて,上記写真10枚を2度にわたって見てから,「この人だ。」と言って,1枚の写真を選び出した。そして,上記公判期日に,父親の付添いのもと,刑訴法157条の4所定のビデオリンク方式による証人尋問を受け,その際,被告人,傍聴人用のモニターは音声機能のみが稼働し,映像機能が停止された状態であった。その証言内容は,検察官に対しては,①犯人の年齢について,

何歳くらいの人だったか。

との問いには,

覚えていません。

と答え,

お兄ちゃんだった,おじちゃんだった,お爺ちゃんだった。

との問いには,

お兄ちゃんだった。

と答え,②犯人の服装について,

何色の服を着てた。

との問いには,

藍色っぽい色。

と答え,

濃い色,それとも薄い色。

との問いには,「濃い色。」と答え,

上の服はどういう服だったかな,色は藍色で,形はどんな形してた。

セーターみたいのだった,それともシャツみたいのだった。

との問いには沈黙し,

覚えていないかな,ちょっと。

との問いには,「はい。」と答え,

下の服はどんな形してたかな。

との問いには沈黙し,

ズボンだった。

との問いには,

ズボンだった。

と答え,

短いズボンだったかな,長いズボンだったかな。

との問いには,

長いズボン。

と答え,③犯人の顔について,

顔はどんな顔してたかな。

との問いには沈黙し,

太ってた,痩せてた。

との問いには,「太ってた。」と答え,

いっぱい太ってた,それともちょっと太ってるくらいだったかな。

との問いには沈黙し,

そこもよく分からないかな。

との問いには,「はい。」と答え,

他に何か覚えていることはない。

顔で,他に何か特徴的なことはなかったかな。

との問いには沈黙し,

眼鏡は掛けてたかな。

との問いには,

掛けたり,外したりしてた。

と答え,④犯人の身長について,

背の高さはどれくらいだったか覚えてる。

大きかったか,小さかったかも覚えてないかな。

との問いには,

覚えていません。

と答えた上,上記写真帳を見てから,

今の中に,悪いことしたお兄ちゃんいた。

との問いに,「はい。」と答え,1番から5番の写真を順に示されていた間は沈黙していたが,

6番目の人。

との問いには,

6番目の人。

と答え,

後ろの7番目の人から後は見なくても大丈夫。

との問いには,

大丈夫です。

と答えたが,6番の写真は被告人のものであった。続いて,弁護人に対しては,

目がいいって言われる,悪いって言われる。

との問いには,

いいって言われます。

と答え,

事件のあったときに,警察の人が来て,いろいろこんな人ですって言って,似顔絵を作ってもらったんだよね。

との問いには,「はい。」と答え,

どんな似顔絵を作ってもらったかは,そのとき作ったのは覚えてる。

との問いには,

覚えていません。

と答え,

作ったときは似てると思ってたかな,その似顔絵。

似顔絵のところに,目がぱっちりしてたって書いてあったんだけど,そんな印象はそのときはあったのかな。

との問いには,

忘れました。

と答え,上記写真帳を示された際,

すぐこの人って言って,6番の人って言ったよね。

との問いには,「はい。」と答え,何が決め手っていうかね,他の人達,結構今の写真の中に似てる人もいたと思うけど,他の人じゃなくて,今の6番の人だっていうのは,これが違うから6番の人だったというのは,覚えてることはある。なんで6番だってすぐ分かって言ったのかな。との問いには沈黙し,

難しいかな,ちょっと,言葉にはしにくいかな,分からない。

との問いには,「はい。」と答え,

特徴として,今どうと言葉ではきちんと言えないけど,今の6番の人だったことは間違いないということ。

との問いには,「はい。」と答えるなどした。
(6) 祖母は,犯人について,フード付きの黒色のジャンパーを着用し,身長は160センチメートルくらい,顔はふっくらして,中学生か高校生に見えた,フードをかぶっていたため,耳が見えず,目や鼻の記憶がなく,眼鏡着用の有無は分からない,口が横一文字でちょっときつい感じがした,上記面通し時は,被告人の口元を見て,犯人に間違いないと思い,警察官に対して犯人に似ていると答えたなどと当審において供述する。
(7) 被告人は,本件当日の午後零時46分ころから48分ころまでの間,F銀行b駅前支店のG電器に設置されたATMを使用しているところを,防犯カメラで撮影されており,その際の被告人は,眼鏡を掛け,フード付きの黒色のジャンパーの下に青色フリースようの服を着用していた。なお,被告人は,同年4月19日の取調べの際,身長が165センチメートル,体重が68キログラムと供述している。また,被告人は,捜査・公判を通じて,本件犯行に及んだことはないと一貫して供述していたのであるが,本件当日の行動に関して,当初は警備会社で勤務に就いていた旨弁解し,警察官から当日は勤務していないと指摘されると,風邪をひいて自宅にいたと弁解を変え,さらに,預金通帳を示されると,自宅から外出したことは認めながら,自宅,パチンコ店,ゲーム店のどこかにいたと思うなどと弁解するようになった。
2 所論は,被告人の弁解の信用性を否定した原判決を論難するが,被告人のいわゆるアリバイ弁解を裏付ける証拠を見出すことは全くできない上,その弁解内容も不自然に変遷していること等からすると,原判決の指摘は正当であって,被告人の弁解を受け入れる余地はない。また,祖母は,当審において,犯人と被告人が同一人物である旨供述するのであるが,その目撃状況を検討すると,極めて短時間であった上,その際,犯人は頭部にフードをかぶっており,頭部はもちろんのこと,目や鼻などの顔の主要部分が十分に見えなかったというのであって,観察状況には問題が多く,犯人と被告人の口が横一文字でちょっときつい感じがしたところが酷似していることを根拠に,被告人が犯人であると指摘するのであるが,そのような事情があるからといって,被告人が犯人と同一人であるとまで断定することは困難であり,しかも,祖母の場合にも,問題の多いとされているいわゆる単独面通しが行われていること等をも併せ考慮すると,その証拠価値には重大な疑問が残るといわざるを得ない。なお,被告人は,少年時から,この種事犯の前歴があり,2度の少年院送致の処分を受けたことがあるほか,原判示第2の同種犯行に現に及んでいること,本件当時のアリバイがないことが認められるが,そのことから直ちに,被告人が本件犯行に及んだものということができないことはもちろんである。
3 そうすると,犯人と被告人の同一性を肯定できるか否かは,被害者の供述の信用性いかんにかかっているということになる。
原判決は,被害者の供述について,(1)十分に他人を視認できる時間帯に,本件犯行のような極めて非日常的で特異な体験をしたもので,至近距離から約10分間にわたって犯人を観察しており,強く記銘したと推察され,その供述が具体的かつ詳細であるから,その認識,記憶は相当に高く保たれている,(2)当初か
ら一貫した供述を維持していること,警察署での面通し時の記憶は十分に新鮮に保たれていたと思われ,被告人が犯人であるとの暗示や誘導が行われた形跡がない,透視鏡から被告人を見た瞬間に「あの人だ。」と言ってしゃがみ込んだのは,記憶にあった犯人の容貌を被告人に見出したことを如実に示すものであること,(3)被害者が被告人を陥れなければならないような事情もうかがわれないこと等に照らすと,その犯人識別供述は十分に信用することができると,判示している。
確かに,被害者が本件犯行により極めて非日常的で特異な体験をしたものであり,その観察状況等にも特段の問題とすべき余地がないことも原判決が説示するとおりである上,犯人の特徴や服装などについて,被害直後から一貫した供述を維持していること,防犯カメラで撮影された被告人の本件当日の服装と犯人の服装が相当に類似していることも認められる。
しかしながら,被害者の本件犯人識別供述には,以下のような問題点があることを指摘せざるを得ない。
まず,犯人識別供述においては,当初の供述の重要性が指摘されている。本件においては,事件直後に駆けつけた警察官が,被害者の供述に基づいて,犯人の似顔絵と全身像を作成している。そして,全身像については,フード付きの上着とズボンを着用した人物が描かれており,このような服装の人物は一般にも多く見られるところであり,特異なものとは思われないことなどに照らすと,それ自体が犯人識別に決定的役割を果たすものとは考え難い。他方,似顔絵は,その容貌等についての,犯人識別に関する被害者の当初の供述内容をうかがわせるものであるところ,原判決も指摘するとおり,被告人の容貌にさほど似ているものとはいえない。この点について,原判決は,似顔絵というものは,目撃者の認識,記憶した犯人の容貌について記憶していることを,作成者に言葉で表現し,これを聞いた作成者が認識,解釈して作画するものであるから,目撃者の認識,記憶との類似性は,目撃者の表現能力や作画の巧拙に左右され,年少者である被害者の表現能力が十分ではないことからすると,本件似顔絵の容貌と被告人の容貌がさほど似ていなかったとしても,不自然とはいえないから,被害者の供述の信用性を減殺するものではない旨説示するのであるが,身長の点はさておくとして,似顔絵から認められる犯人の特徴としては,ぱっちりした目,やさしそう,ぽっちゃりした顔,小太り,中高校生くらい,眼鏡着用というものであって,他の者と区別して,犯人として的確に識別することのできる具体的かつ明瞭な特徴が示されているとまでは考え難い上,年少者であるための表現能力の問題等を考慮してみても,似顔絵と被告人との類似性が肯定できないことは,その識別供述の信頼性に疑問を生じさせるものであることは否定することができない。しかも,被害者は,原審において,比較的均質性を有すると思われる10名の眼鏡を着用した若い男性の写真がつづられた上記写真帳の中から,犯人として被告人の写真を選び出しているのであるが,この写真帳は作成された時期が平成15年9月16日というものであって,これよりはるか以前に,いわゆる単独面通しの手法により,既に被害者が被告人を犯人として供述しており,その後の被害者による犯人と被告人の同一性確認の方法だけではなく,上記単独面通し以前に被害者に示された写真の内容等についても全く明らかとはされていないのである。本件のような,面識のない人物の犯人選別に際しては,いったん犯人として特定の人物を選別した場合には,犯人の容貌に関する当初の記憶が,犯人として選別した人物の特徴と結びつくなどの影響を受け,当初の犯人の容貌に関する記憶内容自体が変容するおそれが強いことは,識者の一致して指摘するところであって,本件のような,不合理な犯人識別過程が存在する場合には,その識別供述の信頼性が損なわれることはいうまでもないところである。さらに,年少者の供述については,その観察能力や表現能力等に留意する必要性がつとに指摘されており,また,周囲の者による影響等も考慮する必要があることから,その供述の信用性判断には,一般の成人の場合と対比すると,一層慎重な配慮を欠かすことができない。そして,本件で最も考慮すべき問題が,いわゆる単独面通しにあることは明らかである。そもそも,単独面通しは,それ自体が犯人であるとの暗示を受ける可能性が強いものであるから,特段の事情がない限り,避けるべきものとされているが,本件の場合には,被害者と犯人は面識がなかったこと,本件面通しが事件後1か月以上経過してから行われていること,本件当時,複数の同年齢で容貌の類似した写真を使用するなどしての写真面割りの手続を行うことが困難であったなどという格別の事情はなかったこと,本件単独面通しに際して,警察官は,
被告人が同種事件で身柄を拘束されたと受け取れる発言を母親に対してしていることがうかがわれ,年少者である被害者もそのような経緯を察知していたと思われること等に照らすと,いきなり単独面通しを行ったことは,犯人識別に際して要求される手続としては,甚だしく不適切なものであったとのそしりを免れないものである。そうすると,警察官において,被告人が犯人であるとの直接的な暗示や誘導をしなかったとしても,犯人が捕まったかもしれないとの前提で単独面通しを受けた被害者が,被告人が犯人であるとの暗示を受けた可能性があることは否定することができないし,まして,被害者が面通しに対して拒否的態度を示していたことをも考慮すると,被害者の犯人識別供述を無条件に肯定することはできず,その信用性には重大な疑問が残るといわざるを得ない。なお,原判決は,面通しの際,被害者が透視鏡から被告人を見た瞬間に「あの人だ。」と言ってしゃがみ込んだのは,記憶にあった犯人の容貌を被告人に見出したことを如実に示すものであると指摘するが,既述のとおり,犯行時から面通しまでの時間の経過,それまでの捜査の経緯や,本件単独面通しの問題点等に加えて,被害者が被告人の顔をいかなる方向から一瞥したのかさえ明らかではないことに照らすと,被害者の挙動を犯人識別供述の信用性を特段に高めるものとして過大に評価するのは相当ではない。
したがって,犯人と被告人の同一性を確認した被害者の供述内容には種々の問題点が残るといわざるを得ないから,これと異なる原判決の判断を是認することは到底できない。
4 その他,原審及び当審で取り調べた各証拠を併せ検討すると,被告人が犯人であるとの疑いは十分に認められるとはいえ,被告人が犯人であると断定するのには躊躇を覚えざるを得ないのであるから,被告人を犯人と断定した原判決は,証拠の評価を誤った結果,事実を誤認したものといわざるを得ない。 論旨は理由がある。
第2 原判示第2の事実に関する事実誤認の論旨について
論旨は,要するに,原判示第2の強制わいせつの事実について,原判決は,被告人が,平成15年4月18日午後1時40分ころ,H(平成9年2月25日生,当時6歳)が13歳未満であることを知りながら,わいせつな行為をしようと企て,その臀部・陰部を右手でなで回して弄ぶなどし,もって13歳未満の女子に対し,わいせつな行為をしたと認定したが,被告人は,被害者の手をつかんでアパートの横まで引っ張って行ったことや,被害者のスカートの中に手を入れ,腰辺りを触ったことはないし,被告人にはわいせつ目的はなかった,というのである。
そこで,検討すると,関係証拠によれば,原判決の上記の事実認定及び(事実認定の補足説明)における説示は,当裁判所も概ね正当なものとして是認することができるから,原判決には所論のいう事実の誤認はない。 すなわち,被害者Hは,自宅のアパートの階段を上ろうとしたところ,被告人から右手首をつかまれアパートの横のほうに引っ張って行かれ,スカートの上から臀部や陰部を撫でられた上,被告人が自分の陰部の右側をズボンの上から触るなどしたほか,さらに,被告人によりスカートの上から腰の辺りを撫でられて,スカートの中に手を入れられて,オーバーパンツの上から腰辺りを触れた旨供述しており,その供述は前後の状況を含めて具体的であり,その信用性に疑いを抱かせる事情はない。そして,被害者は,被害直後,母親や警察官にも同旨の供述をしていたことにも照らすと,被害者の上記供述は十分に信用することができ,これに反する被告人の供述は信用できない。
また,被告人は,人とコミュニケーションを取りたい気持ちがあり,性的に満足したいという気持ちはなかった旨弁解しているが,被告人は,被害者に話しかけるようなこともなく,いきなり手首をつかんで,人目につきにくい場所まで連れて行った上,臀部や陰部をなで回すなどのわいせつ行為を行い,被害者の母親に発見されるや,すぐにその場から逃走していることからすると,被告人の弁解は不合理といわざるを得ない。
論旨は理由がない。
第3 訴訟手続の法令違反の論旨について
論旨は,要するに,原審は弁護人からの精神鑑定の請求を却下したが,原審は職権をもって犯行の動機について精神鑑定を実施すべきであったから,刑訴法298条に違反する,というのである。
しかしながら,被告人は,原判示第2の強制わいせつの事実について,外
形的な行為については間違いがないが,わいせつ目的はなかったと主張し,主観的な目的について争っていたところ,本件の証拠関係及び審理経過に照らすと,精神鑑定を実施すべき必要性は乏しいといわざるを得ないから,原審がこれを却下したのは相当である。
論旨は理由がない。
第4 破棄自判
原判決は,原判示第1の事実と原判示第2の事実とを併合罪の関係にあるとしているので,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い,当裁判所において,更に判決する。
罪となるべき事実は,原判決が認定した原判示第2の事実のとおりであり,証拠の標目についても,原判決が原判示第2の事実について掲げているとおりであるところ,被告人の判示所為は,行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法176条後段に,裁判時においてはその改正後の刑法176条後段に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから同法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役2年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中270日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用については,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は,被告人が,6歳の児童に対し,臀部や陰部をなで回して弄ぶなどした強制わいせつの事案である。
被告人は,自己の性欲を満たすため,抵抗力の弱い幼児を狙って,わいせつ行為に及んだものであり,身勝手で卑劣な動機に酌量の余地はないし,犯行の態様も,帰宅途中の被害者の後を付けた上,臀部や陰部をなで回し,さらにはスカートの中に手を入れて腰辺りを触っており,誠に悪質である。被害者や父母が受けた精神的な苦痛は大きく,その処罰感情にも厳しいものがある。さらに,被告人には,年少者を狙った強制わいせつ強姦致傷等の前歴が多数あり,平成10年及び平成13年にいずれも中等少年院送致の処分を受けていながら,平成14年12月に少年院を仮退院後,約4か月後に本件犯行に及んでおり,被告人の性犯罪に対する犯罪傾向には深刻なものがあり,再犯のおそれも否定できない。 したがって,本件の犯情はよくなく,被告人の刑事責任を軽視することはできない。
そうすると,被告人の母親が監督を誓約していること,被告人は若年であり,前科はないことなど被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,主文の刑が相当である。
(一部無罪の理由)
平成15年6月9日起訴にかかるわいせつ略取強制わいせつの公訴事実については,上記のとおり,結局,犯罪の証明がないことになるから,刑訴法336条後段により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。
よって,主文のとおり判決する。
平成17年1月18日
広島高等裁判所第一部
裁判長裁判官 大 渕 敏 和 裁判官 芦 高 源 裁判官 島 田 一


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