判例検索β > 平成17年(行ウ)第431号等
難民の認定をしない処分取消請求事件(甲事件)・不法残留認定処分取消請求事件(乙事件)
事件番号平成17(行ウ)431等
事件名難民の認定をしない処分取消請求事件(甲事件)・不法残留認定処分取消請求事件(乙事件)
裁判年月日平成19年11月2日
法廷名東京地方裁判所
判示事項ネパール国籍を有する男性が,帰国すれば特定のテロ組織や政府から迫害されるなどと主張して,法務大臣に対してした,難民の認定をしない処分の取消請求が,棄却された事例
裁判要旨ネパール国籍を有する男性が,帰国すれば特定のテロ組織や政府から迫害されるなどと主張して,法務大臣に対してした,難民の認定をしない処分の取消請求につき,出入国管理及び難民認定法にいう「難民」とは,同法2条3号の2,難民の地位に関する条約1条A(2)及び難民の地位に関する議定書1条2を合わせ読むと,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうところ,難民の本質は,国籍国による保護を受けられない者に対して,国籍国に代わって条約締結国が条約に定められた限度で保護を与えることにあり,国籍国が現に保護している者は難民となり得ないのであるから,通常,迫害は,国籍国の政府自身が主体となるものをいうと解されるが,国籍国の政府以外の者が行為の主体である場合であっても,それが,同政府により故意に容認され,又は同政府が効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはそれができないものであるときには,「国籍国の保護を受けることができないもの」ということができ,そのような行為も迫害に当たると解すべきであるとした上で,前記男性が主張する迫害の主体はあくまでも前記テロ組織であってネパール政府ではなく,また,ネパール政府が前記テロ組織を放置していた状況は認められず,むしろ,国軍を動員して治安維持や和平交渉を行っていたことが認められることなどからすると,同政府が前記テロ組織の行為を故意に容認し,又は効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはできないときには当たらないとして,前記請求を棄却した事例
裁判日:西暦2007-11-02
情報公開日2017-10-19 19:10:35
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主文1
原告の請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は,原告の負担とする。

第1
1実及び理由
請求
甲事件
法務大臣が甲事件原告兼乙事件原告に対して平成16年12月7日付けでし
た難民の認定をしない処分を取り消す。
2
乙事件
東京入国管理局入国審査官が甲事件原告兼乙事件原告に対して平成17年6
月15日付けでした出入国管理及び難民認定法24条4号ロに該当する旨の認定処分を取り消す。
第2
1
事案の概要
甲事件は,ネパール王国(以下ネパールという。)の国籍を有する外国
人の男性である甲事件原告兼乙事件原告(以下原告という。)が,平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下改正前入管法といい,改正後のものを入管法という。)61条の2第1号に基づき難民の認定を申請したところ,法務大臣から難民の認定をしない旨の処分を受け,さらに,改正前入管法61条の2の4に基づく異議の申出についても,法務大臣から理由がない旨の決定を受けたため,原告が難民に該当するのにこれを認めなかった上記難民不認定処分は違法である旨主張して,甲事件被告兼乙事件被告(以下被告という。)に対し,上記難民不認定処分の取消
しを求める事案である。
乙事件は,東京入国管理局(以下東京入管という。)入国審査官から入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定を受けたところ,原告は,在留期間中に難民認定を申請し,上記難民不認定処分を争っていたのであるから,不法残留者ではないなどと主張して,上記認定の取消しを求める事案である。
2
前提事実
本件の前提となる事実は,次のとおりである。いずれも,証拠及び弁論の全
趣旨等により容易に認めることのできる事実であるが,括弧内に認定根拠を付記している。
(1)

原告の身分事項並びに本邦の入出国及び在留状況


原告は,昭和▲年(▲年)▲月▲日,ネパールにおいて出生したネパー
ル国籍を有する外国人の男性である。(乙1,2)

原告は,平成14年11月10日,関西空港に到着し,大阪入国管理局
関西空港支局入国審査官から,改正前入管法所定の在留資格短期滞在及び在留期間90日の上陸許可を受けて,本邦に上陸し,同月18日,関西空港から出国した。(乙1,20)

原告は,平成15年12月7日,新東京国際空港(以下成田空港と
いう。)に到着し,同14年8月1日にネパール政府から発行された有効な旅券を行使した上,東京入管成田空港支局入国審査官から,改正前入管法所定の在留資格短期滞在及び在留期間90日の上陸許可を受け
て,本邦に上陸した。(乙1,20)


原告は,平成16年1月7日,東京都立川市(以下立川市とい

う。)の市長に対し,居住地を立川市α××番1号β×××号として,外国人登録法3条1項に基づく新規登録申請をし,外国人登録証明書の交付を受けた。(乙2,20)

原告は,平成16年4月7日,東京入管立川出張所において,在留期間
を90日とする在留期間更新許可を受けた。(乙1,20)

原告は,平成16年6月11日,東京入管において,在留期間を90日とする在留期間更新許可を受けた。(乙1,20)キ
原告は,平成16年8月17日,東京入管において,在留期間を90日とする在留期間更新許可を受けた。(乙1,20)ク
原告は,平成16年11月12日,東京入管において,在留期間を90日とする在留期間更新許可申請を行った。(乙1,20)ケ
原告は,平成16年12月15日,東京入管において,上記クに係る在
留期間更新許可申請につき不許可処分(以下本件在留期間更新不許可処分という。)を受けた。これにより,原告の最終の在留期限は,同月1日までとなった。(乙11,20)

原告は,その後,在留期間の更新又は在留資格の変更の許可を受けるこ
となく,在留期限である平成16年12月1日を超えて本邦に滞在し,本邦に不法残留することとなった。
(2)

原告の難民認定申請手続


原告は,平成16年5月27日,東京入管において,改正前入管法に基
づき難民認定申請(以下本件難民認定申請という。)をした。(乙3,
4の1及び2)

東京入管難民調査官は,平成16年8月17日及び同月19日,本件難
民認定申請について,原告から事情を聴取するなどの調査をした。(乙5の1及び2)

法務大臣は,平成16年12月7日,原告からの本件難民認定申請につ
いて,あなたは,『特定の社会的集団の構成員であること』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら,あなたの供述及び提出した資料によれば,あなたの主張する迫害の主体はテロ組織であって,ネパール政府がテロ組織の活動を故意に容認している状況は認められないこと等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。との理由により,難民の認定をしない旨の処分(以下本件不認定処分という。)をし,同月15日,原告にこれを告知したところ,原告は,同月21日,本件不認定処分につき,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙7,8,20)エ
東京入管難民調査官は,平成17年1月18日,上記ウの異議の申出に
ついて,原告から事情を聴取するなどの調査をした。(乙9の1及び2)オ
法務大臣は,平成17年4月5日,上記ウの異議の申出には理由がない
旨の決定をし,同月26日,原告にこれを告知した。(乙10,20)
(3)

原告に対する退去強制手続


東京入管入国警備官は,平成17年2月23日,原告に係る違反調査を
実施した。(乙12)

東京入管入国警備官は,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当
すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成17年3月14日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月17日,同令書を執行した上,原告を入管法24条4号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙13,14)
原告は,同日,仮放免の許可を受けた。(乙15)

東京入管入国審査官は,平成17年3月17日及び同年6月15日,東
京入管において,原告に係る違反審査を実施し,その結果,同日,原告が入管法24条4号ロに該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定(以下本件認定という。)を行い,原告にこれを通知した。原告は,同日,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。(乙16の1及び2,17)
(4)

本件各訴えの提起等


原告は,平成17年10月4日,本件不認定処分の取消しを求める甲事
件に係る訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)

原告は,平成17年11月2日,本件認定の取消しを求める乙事件に係
る訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)

当裁判所は,平成18年2月1日の甲事件及び乙事件の各第1回口頭弁
論期日において,乙事件の弁論を甲事件の弁論に併合する旨の決定をした。
(当裁判所に顕著な事実)
3
争点

(1)

争点1ー難民該当性の有無
具体的には,本件不認定処分がされた平成16年12月7日当時,原告は,
①ネパールにおいて,民主主義を標榜する政党ネパーリーコングレスの下部組織a内のb(証拠及び準備書面上,英語又は日本語により,c,d,e又はf等と表記されているものがあるが,弁論の全趣旨
によれば,これらはすべて同一の組織であると認められるので,以下,いずれについてもbという。)に所属し,労働条件の改善等を進める運動に関与し,民主主義を求める政治活動をしていたこと,②ネパール共産党毛沢東主義派の党員(以下マオイストという。)に襲撃されたり,身柄を拘束されたり,脅迫の電話を掛けられたりしたものであり,今後もマオイストによる迫害が予想されること,③ネパール政府は,原告をマオイストによる迫害から守る役割を果たし得ず,かえって,民主主義勢力の一派に所属する原告を逮捕するおそれがあることから,特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見を理由に難民に該当するということができるか。(2)

争点2ー改正前入管法61条の2第2項ただし書所定のやむを得ない事情の有無具体的には,改正前入管法61条の2第2項本文所定の申請期間を経過した後にされた本件難民認定申請に,同項ただし書所定のやむを得ない事情があるということができるか。(3)

争点3ー本件認定の違法性の有無

具体的には,原告が在留期間中に本件難民認定申請をして本件不認定処分を争っていたことを理由に,入管法24条4号ロ(不法残留)に該当するとする本件認定が違法なものであるということができるか。
4
争点に関する当事者の主張の要旨

(1)

争点1(難民該当性の有無)について

(原告の主張)

難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないものをいい,迫害とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,また,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であるとされている。
しかしながら,国連難民高等弁務官事務所が作成した難民認定基準ハンドブック(以下ハンドブックという。)は,迫害が当該国の法令により確立された基準を尊重しない一部の人々によって引き起こされることもあると指摘し,…差別的又はその他の攻撃的な行為が行われている場合に,それが当局により故意に容認され,又は当局が効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはできないとき,そのような行為は迫害に当たるとしている(ハンドブック65頁)。また,迫害を受けるおそれがある十分に理由のある恐怖とは,主観的な要素と客観的な要素を含むものであり,これらの要素が考慮されなければならないが,ハンドブックは,必ずしも申請者の個人的な経験に立脚している必要はなく,例えば,友人,親族及び同一の人種的又は社会的集団の他の構成員に起こったことからみて,早晩,申請者も迫害の被害者になるであろうという恐怖は十分に根拠があると指摘している(ハンドブック43頁)。イ
原告は,ネパールにおいて,ネパーリーコングレスの下部組織a内のb
に所属し,平成元年(1989年)の設立当初には第一書記に就任し,法人登記をした同5年(1993年)から議長を務め,労働条件の改善等を進める運動に関与し,民主主義の政治活動に専念していた。bは,民主主義派はもちろんのこと,マオイストからも評価を受け,50人くらいのマオイストがマオイストの組織から離脱して,bの組合員となった。原告は,①平成13年(2001年)5月1日,マオイストの指導者gから脅迫の電話を受け,②同15年(2003年)4月16日には,午後9時ころと午後12時ころの2回にわたり,原告の自宅にバイクで乗り付けたマオイストから金銭を要求され,また繰り返し投石をされ,③同年8月19日午前3時ころ,マオイストに自宅から目隠しをされてマオイスト
の事務所に連行され,組合活動をやめないと殺すなどと脅迫されて,13時間以上にわたり監禁された。その後,④原告は,ネパール王国陸軍に捕らえられて5時間にわたり尋問を受け,マオイストサイドにいるのかなどと非難を受けた。原告は,以上のような脅迫等について,再三にわたり警察に相談したり訴えたりしたが,全く助けにならず,ネパール政府からの保護を期待することができない状況であった。このような状況下において,既に250名以上の組合員がマオイストにより殺害されていたaは,原告に安全のために海外に移住することを勧めた。⑤原告が本邦に入国した後の同16年(2004年)12月7日及び同17年(2005年)1月3日には,ネパールのカトマンズにいる妻に,マオイストから原告の居所を探る脅迫電話が架かってきた。

以上のような原告に対するマオイストによる脅迫等は,前記アのハンド
ブックの記載どおり,正に,ネパールの法令を遵守しないマオイストによって引き起こされている迫害である。そして,ネパール政府は,マオイストを取り締まってはいるものの,効果的に取り締まることができていない状況にあり,原告は現実にその被害者になっている。
エ(ア)

その後も,マオイストによるテロ行為は頻発しており,国連の軍事
監視要員の監視下にあってもなお,マオイストの違法行為は続いている。日本も国連の要請により軍事監視要員を派遣している状況にある。(イ)

平成17年(2005年)2月1日以降同18年(2006年)3
月までの間に,政府によりaの執行部の役員42名が逮捕された。(ウ)

平成17年(2005年)4月26日には,ネパールの王立汚職取
締委員会が拘引状なしでデウバ前首相の身柄を拘束し,同年7月20日に,懲役2年の刑を言い渡した。この身柄拘束に関し,ネパーリーコングレスは,同年8月6日,君主制と民主主義とは相容れないとして,立憲君主国をネパーリーコングレスの規約から取り除くように提案し,同月31日に,ネパーリーコングレスの総会で満場一致で立憲君主国を削除し,立憲君主国を前提とした運動ではなく,民主主義を運動の根幹に置くように方針を転換した。この方針転換により,ネパーリーコングレスは,国家権力と対立することとなった。
ネパールでは,総選挙が実施されないまま,国王により首相が任命される状態が続いており,平成18年(2006年)1月19日には,これに抗議する民主主義勢力の数百人に及ぶ複数政党の指導者及び中核党員が一斉に逮捕された。インド及びEUは,ネパール政府に対し人権活動家及び市民活動家のみならず政党の指導者を逮捕したことについて遺憾な事柄であるとし,日本大使館も直ちに釈放すべきであり,憲法に保障される自由が回復されるべきであると勧告した。在ネパール人権擁護高等弁務官事務所も,集会の自由の権利に対する厳しい制限によって高まった基本的人権にかかわる懸念が,恣意的逮捕からの自由を保障する権利の明白な侵害となる予防拘禁の権限に基づく一斉逮捕によって,更に強まったと述べた。

以上のとおりであり,ネパールは,基本的人権が全く保障されない混迷
した情勢になっているから,原告が本国に帰国すれば,ネパール政府からの保護を期待することができないままマオイストにより迫害を受け,また,
ネパール政府からも原告が民主主義を標榜する組織に所属していることから逮捕されるおそれがある。したがって,原告は,特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるということができるから,難民の地位に関する条約(以下難民条約という。)1条及び難民の地位に関する議定書(以下難民議定書という。)1条の規定による難民条約の規定の適用を受ける難民に該当するというべきである。
なお,被告は,原告の難民該当性を基礎付ける前記イの事情のうち平成17年1月3日の脅迫電話につき,本件不認定処分の後に生じた事実であるから,本件不認定処分の適法性には何ら影響しない旨主張するが,難民条約及び難民議定書1条の趣旨からすると,難民の認定をしない旨の処分の取消訴訟における難民該当性の判断は,当該不認定処分の前に生じた事由に限定されるべき理由はなく,その後の日々刻々変化する情勢も当然考慮に入れてされるべきものであるから,被告の上記主張は,失当である。(被告の主張)

そもそも,難民の本質は,国籍国による保護を受けられない者に対して,
国籍国に代わって条約締結国が条約に定められた限度で保護を与えることにあり,国籍国が現に保護している者は難民となり得ない。難民条約1条A(2)にいう国籍国の保護を受けることができないとは,例えば,旅券の発給や更新拒否,本国への入国拒否等,一般に,国籍国が通常自国民に与える各種行政措置を与えないような場合を指す。この国籍国の保護を受けられないこととは,当事者の意思と関係なく保護を受けられないことを
意味すると解すべきである。国籍国に当事者を保護する意思も能力もあるのに当事者がこれを拒むことは,極めて例外的な場合に限られていることは条約文理上明らかであり,また,難民条約1条C(5)が難民の地位をいったん取得した者について,難民であると認められる根拠となった事由が消滅したため,国籍国の保護を受けることを拒むことができなくなった場合には難民の地位を終止するとしていることからも裏付けられる。また,国籍国が正当な理由なく保護を与えない場合や当事者が国籍国の保護を受けることを望まない場合とは,国籍国政府自身が,迫害の主体であるか又はこれと密接に関連するような場合であると考えられるが,難民認定申請者の主張する迫害の主体が国籍国政府ではない場合,通常は国籍国の保護を受けられ,難民とはなり得ないはずであるから,迫害の主体が何者であるかが検討される必要がある。

原告は,難民該当性を基礎付ける事実として,①ネパールにおいて,ネ
パーリーコングレスの下部組織a内のbに所属し,平成元年(1989年)の設立当初第一書記に就任し,その後議長に就任して,労働条件の改善等を進める運動に関与し,民主主義の政治活動に専念していたこと,②同13年(2001年)5月,マオイストのリーダーから非難と抗議の電話を受けたこと,③同15年(2003年)4月,自宅を訪れたマオイストから金銭の要求を受け,投石を受けたこと,④同年8月にマオイストによって身柄拘束され,活動をやめないと殺すなどと脅迫されたこと,⑤同16年(2004年)12月及び翌年1月に,原告の家族に対してマオイストから脅迫の電話があったこと,⑥ネパールでは国民の総選挙が実施さ
れないまま首相が選任される状態が続いており,これに抗議する民主主義勢力の一派に所属する原告は,ネパール政府から逮捕される危険があること,⑦上記のマオイストからの脅迫等に関して,ネパール政府は,マオイストらの攻撃を容認していないものの,原告を守る役割を果たしていないこと等を主張する。
しかしながら,上記①については,これを裏付ける証拠として原告が提出するaが発行したとする平成16年(2004年)4月11日付け証明書の信ぴょう性自体疑わしいだけでなく,同証明書を見ても,bが民主主義に傾倒しているということと広く労働組合活動を行っているということが分かるだけで,その具体的活動内容を確認することはできず,ましてや,民主主義政治の活動に専念していたとする原告の主張を裏付けるものではない。
また,上記②から⑤までのマオイストからの脅迫等については,原告の主張を裏付ける客観的な証拠が一切提出されていないだけでなく,上記主張に沿う原告の陳述又は供述は,難民認定申請手続中の数度の事実調査や提出された各書類において,相互に食違いや変遷があり,また,不自然かつ不合理な点があるなどしており,虚偽である可能性が相当に高い。また,原告は,難民調査官による事実調査において,上記③に関し,ネパールの警察が原告からの届出を受けて現に出動したと供述し,上記④に関し,カトマンズ警視庁の警視総監又は警察署長の役職にある人物にマオイストから脅迫を受けた旨の被害届を出したが受理を拒否された,自分はaの会員であるから,警察の上記のような地位にある人物にでも,首相にでも会う
ことができるなどと供述している。そうすると,ネパールの警察は原告を保護すべく治安上の措置を講じているということができ,ネパール政府が原告を逮捕する危険があるとか,同政府が原告を保護する役割を果たしていないという原告の上記⑥及び⑦の主張には何ら根拠がないということができる。なお,仮に,平成17年1月3日に家族が脅迫電話を受けたという事実があったとしても,本件不認定処分の後に生じた事実であるから,本件不認定処分の適法性には,何ら影響しない。
さらに,上記⑥及び⑦については,原告が所属するとする団体の党員全員が同団体に所属していることをもって迫害を受けているという事実自体,客観的な裏付けを有するものではなく,また,国民総選挙が実施されずに首相が選任されていることをもって,原告が逮捕される危険があるという原告の主張は,あまりにも論理に飛躍があるし,カトマンズ警視庁の警視総監又は警察署長の地位にある人物や首相にも会うことができると供述する原告が,ネパール政府に逮捕される危険があるということに関し,何ら合理的な説明がされていない。しかも,原告は,ネパール政府からの迫害のおそれについては,難民認定申請書や同じころに提出した申立書において何ら言及しておらず,難民調査官による事実調査においても,一切訴えていなかったにもかかわらず,平成16年12月21日に原告が提出した異議申出に係る申立書において,突如として,政府から逮捕される危険があるなどと申し立てるに至り,その後の同17年1月18日には,政府からの迫害の有無について,原告は,

私がマオイストに拉致された時警察に訴えたが,逆に軍からマオイストに協力していると疑われた。

などと
供述し,従前の供述とは全く異なる供述をするに至った。このような原告の主張ないし供述内容の変遷の経緯をみても,原告がネパール政府から逮捕される危険があるなどとする主張は,極めて不合理なものであることが明らかであり,これに沿う原告の供述は到底信用することができない。ウ
以上のとおり,原告の上記イの主張は,到底信用することができないも
のである。仮に,原告の主張を前提とするとしても,原告が迫害の主体として申し立てているマオイストはテロ組織であるところ,ネパール政府が殊更テロ組織であるマオイストを放置している状況は認められず,むしろ,ネパール政府は軍を動員して治安維持や和平交渉を行っている。
したがって,原告は,ネパール政府からの保護を受けることができる状況にあるから,原告が特定の社会的集団の構成者であること及び政治的意見を理由とする難民に該当するということはできないというべきである。
(2)

争点2(改正前入管法61条の2第2項ただし書所定のやむを得ない事情の有無)について(原告の主張)

難民認定申請が改正前入管法61条の2第2項の定める60日の期間内
にされなかったとしても,当該難民認定申請が申請権の濫用にわたるなど難民の保護に値しないと認められる特段の事情がなく,実体審査をするまでもなく難民に該当しないことが明らかな場合でない限り,同項ただし書のやむを得ない事情があるものと認めるのが相当である。改正前入管法61条の2第2項本文のいわゆる60日条項の規定が入管法から削除さ
れたのも,この期間制限が必ずしも合理的な制限でなかったからであり,このことを踏まえると,改正前入管法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情は当然広く解されるべきである。イ
本件において,原告が難民に該当することは,前記争点1(原告の主
張)のとおりである。そして,原告は,全く日本語を解さず,英語も理解することができず,日本にはネパール語を日本語に翻訳することができる人間が極めて少ないところ,原告は,平成16年5月20日になって初めて日本に難民認定申請手続があることを知ったこと,申請者にとって難民認定申請をするということには重大な決断を要すること,原告が本件難民認定申請をしたのは,適法な在留資格に基づいて在留していたときのことであることなども踏まえると,原告の本件難民認定申請には,改正前入管法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情があるというべきである。
(被告の主張)

改正前入管法61条の2第2項本文は,同条1項の難民認定申請につい
ては,その者の本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事情が生じた者にあっては,その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない旨規定している。難民が迫害の恐怖から逃れるために速やかに他国に保護を求めるのが通常であることは,国際的にも一般的な経験として是認されている。
イ(ア)

本件をみると,原告は,平成15年12月7日に本邦に上陸し,そ
の後約5箇月半を経過した同16年5月27日に,本件難民認定申請を
した。原告が本件難民認定申請の際,難民該当性を基礎付ける事実として供述し又は申し立てていた諸事実は,いずれも本邦入国前のネパールにおいて生じたものである。
したがって,本件難民認定申請が改正前入管法61条の2第2項本文所定の申請期間を経過した後にされたものであることは明らかである。(イ)

そして,原告は,平成16年5月27日まで本件難民認定申請をし
なかったことについて,難民認定申請手続における数度の事実調査において,日本で難民認定申請ができることを知った時期につき,同年2月と回答したり,同年5月と回答したり,あるいはいつなのか記憶が定かではないと回答するなど,曖昧で不合理な供述をしているだけでなく,その内容をみても,本邦に上陸した日から60日以内に地方入国管理官署に出向くことができなかったという客観的物理的事情を認めることはできない。しかも,同年8月17日に行われた事実調査において,原告は,同年2月に難民認定申請をすることができると知った折に,特定の弁護士の紹介まで受けながら,実際に弁護士事務所に訪問した日は同年5月20日であると述べているのであって,このような行動は,真に難民として保護を受けようとしていた者の取る行動とは到底考えることができず,結局,原告は,自分が難民として認定されることが困難であることを認識していたために難民認定申請をしなかったにすぎないといわざるを得ない。
以上のとおり,原告が供述ないし申し立てるところによっても,病気,交通の途絶等の客観的物理的事情により本邦に上陸した日から60日以
内に地方入国管理官署に出向くことができなかったと認めることはできず,また,本邦に上陸後,申請間近になって難民となる事由が生じたと認めることもできない。加えて,原告について,第三国において難民として保護を求めることを希望して何らかの手続を行っていたという事情もなく,本邦において難民認定申請をするか否かの意思を決定するのが客観的に困難と認められる特段の事情があると認めることもできない。したがって,原告が改正前入管法61条の2第2項本文所定の期間経過後に本件難民認定申請をしたことについて,同項ただし書所定のやむを得ない事情があったと認められないことは明らかである。ウ
以上のとおりであり,本件難民認定申請は,改正前入管法61条の2第
2項所定の要件を欠くのであるから,この点のみをもってしても,本件不認定処分は適法であるということができる。
(3)

争点3(本件認定の違法性の有無)について

(原告の主張)

原告は,平成17年6月15日当時,本件難民認定申請をして本件不認
定処分を受け,これを争っていたのであるから,不法残留者ではない。イ(ア)

原告が平成16年5月27日に本件難民認定申請をし,その手続中
であったにもかかわらず,同年11月12日に行った在留期間更新許可申請について,東京入国管理局長(以下東京入管局長という。)は同年12月15日付けで在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由がないとして本件在留期間更新不許可処分をしたものであるが,本件在留期間更新不許可処分は,以下の理由から不当かつ不相当といわな
ければならない。
(イ)

国連難民高等弁務官事務所は,難民条約締結国に対し,不服申立て
のために,相当な時間を保障し,その間の滞在の保障を求めている。難民条約締結国は,国連難民高等弁務官事務所の任務の遂行に関し,同事務所と協力すべき義務があり(難民条約35条1),同事務所は難民保護のための国際条約の適用を監督することによって難民の保護を図る任務を負う(国連難民高等弁務官事務所規程)。国連難民高等弁務官事務所の結論の公表は,難民条約締結国に対して難民条約の適用の基準を示すことであり,難民条約の適用の監督の任務の一環である。そうすると,難民条約締結国は,国連難民高等弁務官事務所の上記意見が法的拘束力を有すると否とにかかわらず,同意見を考慮して尊重すべき義務があり,この義務は,外国人の在留期間更新許否の判断における東京入管局長の裁量にも及ぶと解すべきである。
(ウ)

原告は,在留期限である平成16年12月1日の19日前である同
年11月12日に在留期間更新許可申請をしており,在留期限の同年12月1日までの間には,原告がした本件難民認定申請についての判断は下されていなかったのであるから,難民条約締結国である日本において,東京入管局長は,在留期間更新の許否を判断するに際し,国連難民高等弁務官事務所の前記(イ)の意見を当然考慮に入れるべきである。そうすると,そのようなことを考慮に入れずにされた本件在留期間更新不許可処分は,東京入管局長の裁量権の範囲を逸脱してされたものといわざるを得ない。

(エ)

仮に,本件在留期間更新不許可処分が在留期限内に出されていたな
らば,原告は,不法残留の状態になる前にアメリカかヨーロッパのいずれかの国の査証を取得して出国することができた。しかし,本件難民認定申請の結果を待っている間に在留期限が到来した後にされた本件在留期間更新不許可処分は,原告の上記のような出国の機会を合理的理由もなく奪ったものであり,その意味でも不当であり取り消されるべきである。

本件認定は,以上のような不当で取り消されるべき本件在留期間更新不
許可処分を前提として,原告を不法残留者であると認定したものであるから,やはり違法であり,取り消されるべきである。
(被告の主張)
ア(ア)

入管法においては,不法滞在者が難民認定申請を行った場合には,
難民認定申請者に対しては,難民認定手続の中で,在留を認めるか否かの判断も行う。すなわち,難民認定手続の中で難民と認定された者については入管法61条の2の2第1項により,また,難民認定手続の中で難民と認定されなかった者及び難民と認定されたが同条第1項により在留が認められなかった者については同条第2項により,それぞれ在留の許否を判断することになり,退去強制手続の中で在留の許否を判断しない。
(イ)

本件において,原告は,平成16年5月27日に難民認定申請をし,
同年12月7日に本件不認定処分を受けているが,この申請及び本件不認定処分は,平成16年法律第73号附則6条により,入管法の申請及
び処分とみなされ,また,平成16年法律第73号附則7条により,入管法61条の2の2第2項が適用されることとなる。
そこで,法務大臣は,原告については,平成16年法律第73号附則7条に従い,在留資格未取得外国人について改正前入管法の規定による難民の認定をしない処分がされているときに該当するものとして,退去強制令書の発付に先立ち,その在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査することとなり,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができることとなる。
他方,原告は,入管法61条の2の6第4項により,同条3項の規定する者,すなわち,第61条の2第1項の申請をした在留資格未取得外国人で,第61条の2の4第1項の許可を受けていないものに該当することとなるから,原告に対する退去強制手続は,入管法61条の2の6第4項の前項に規定する者に対する第5章に規定する退去強制の手続に当たり,入管法50条1項は適用されないこととなる。イ(ア)

入管法24条4号ロは,本邦に在留する外国人が在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者に該当することを退去強制事由として規定するものであるところ,①在留期間の更新又は変更を受けないでとは,入管法21条に規定する在留期間の更新又は入管法20条に規定する在留資格の変更に伴う在留期間の変更を受けないでという意味であり,②在留期間を経過して本邦に残留する者とは,在留資格をもって本邦に在留する外国人で,その現に付与されている在留期間を超えて本邦にいるものをいい,③残留する
とは,在留期間を超えて本邦にいるという意味であると解される。(イ)

原告は,平成16年11月12日に在留期間更新許可申請をしたが,
同年12月15日に本件在留期間更新不許可処分がされているので,これにより,原告の最終の在留期限は同月1日までとなったものであり,その後,在留期間更新許可又は在留資格変更許可を受けることなく,本邦に不法残留することとなった。
したがって,原告が入管法24条4号ロに該当することは明らかであるから,東京入管入国審査官がした本件認定は適法である。
(ウ)

東京入管入国審査官は,原告に対し,違反審査を終了する旨告げた
後,認定通知書を交付して認定の要旨を告げた上で,認定に不服があるときは,この通知を受けた日から3日以内に特別審理官に対して口頭審理を請求できることを教示したところ,原告は,今後も日本に住むことを希望し,認定に服することなく口頭審理の請求をしたいと供述し,特別審理官に対する口頭審理の請求を求めているのであるから,その手続においても何ら違法はない。
(エ)

原告は,本件難民認定申請中にした本件在留期間更新不許可決定が
不当かつ不相当であり,本件認定は違法である旨主張する。
しかし,難民の認定をしない旨の処分と在留期間更新不許可処分とは全く別個の処分であり,難民認定申請中に在留期間更新不許可処分をしたことが,本件認定の違法事由となることはあり得ない。
また,東京入管局長は,原告に対し,3回の在留期間更新許可をしているが,このうち後の2回の許可をするに当たっては,原告が本件難民
認定申請をしており,これに対する法務大臣の判断が未だされていなかったことをも考慮した。しかし,東京入管局長は,平成16年12月15日に本件在留期間更新不許可処分をするに当たり,同月7日に本件不認定処分において原告が難民に該当しないとの判断が示されたことを考慮し,在留期間の更新を認めるに足りる相当の理由があるとは認められないとしたものであり,その判断に何ら違法はない。

以上のとおりであり,原告が入管法24条4号ロに該当することは明ら
かであり,東京入管入国審査官の本件認定には何らの違法もない。第3
1
争点に対する判断
前記前提事実のほか,証拠(甲1から8まで,11から16まで,18,2
1,22,26,29,30,乙1から3まで,4及び5の各1及び2,7,8,9の1及び2,10から15まで,16の1及び2,17,20,21,33,34,35及び36の各1及び2,37,38の1から3まで,39から47まで,48の1から20まで,原告本人)並びに弁論の全趣旨によると,以下の事実を認めることができる(認定根拠は,各事実の後に付記することとする。)。甲第1,第11,第12,第22,第26号証,乙第4号証の1及び2,第5号証の1及び2,第8,第9号証の1及び2,第12,第16号証の1及び2並びに原告本人尋問の結果のうち,以下の認定事実に反する部分は,他の事実又は証拠と矛盾するので,採用することができない。
(1)

ネパールの政治状況等

(ア)

ネパールにおいて,1990年(平成2年)に民主化運動が高まる中
で,ビレンドラ国王は,同年11月9日,主権在民,立憲君主制,複数政
党制による議会制民主主義及び基本的人権の保障等の内容を盛り込んだ新憲法を公布した。1991年(同3年)5月には,新憲法の下で初めて32年ぶりに複数政党制に基づく総選挙が実施され,選挙の結果,下院議席の過半数を確保したネパーリーコングレスが政権を樹立した。(乙33,41)
(イ)

ネパール共産党毛沢東主義派は,マオイスト(立憲君主制の廃止,共和制の確立,インドとの不平等条約の破棄等を目指す共産主義武装組織)と呼ばれ,1995年(平成7年)3月当時,政権党であった統一マルクス・レーニン主義者ネパール共産党から分派した一派であり,1996年(同8年)2月以降,ネパール中西部山岳地帯を中心に武装蜂起し,人民戦争(人民のために武装蜂起)を唱え,警察署や政府施設等に対する襲撃や爆弾攻撃,政府軍との交戦,バンダと呼ばれる強制的ゼネストや道路封鎖,治安関係者の誘拐・殺害事件や一般市民及び企業への寄付金強要等を引き起こし,2000年(同12年)ころから,その活動を更に活発化させた。
ネパール政府は,1999年(同11年)11月,マオイストの問題解決に向けて委員会を結成し,ネパーリーコングレスのデウバが委員長に就任した。
(以上,甲21,乙33,35の1,37,38の1から3まで,39)(ウ)

2000年(平成12年)3月18日,下院与党であるネパーリーコ
ングレスの下院議員投票の結果,コイララ総裁がデウバを破り党代表に選ばれた。ビレンドラ国王は,同月20日,下院代表が首相に任命される旨
の憲法の規定に基づき,コイララを首相に任命した。
コイララ政権は,マオイストのテロ対策を最優先課題として取り組んだ。ネパーリーコングレス内ではコイララとデウバが党内派閥抗争を繰り広げていたが,ネパール政府は,同年7月,テロの問題解決に向けて結成されていた委員会のデウバ委員長をマオイストとの交渉役として正式に承認するとともに,警察を武装化して対マオイスト強硬策に転換した。同年10月末には,ポウデル副首相とマオイスト中央執行委員会のメンバーとの非公式会談が実現した。しかし,政府がマオイストのメンバーを釈放した後,マオイストは,再びテロを再開し,警察の武装化に対抗して更に激化させた。
(以上,乙42)
(エ)

2001年(平成13年)6月,ビレンドラ国王夫妻を含む王族10
名がディペンドラ皇太子に射殺されるという事件が起こった。自殺を図ったディペンドラ皇太子が王位を継承したものの数日後に死亡し,ビレンドラ元国王の弟であるギャネンドラ殿下が国王として即位した。(甲21,乙33,乙43)
(オ)

2001年(平成13年)7月22日,ネパーリーコングレス下院議
員の投票の結果,デウバがコイララ総裁を破って党代表に選ばれ,首相に就任した。
ネパール政府は,マオイストに会談のための停戦を呼びかけ,同年8月末に政府側代表とマオイスト側代表による計3回にわたる会談が実現した。しかし,マオイストは,同年11月23日,突如としてこれ以上の政府と
の対話は無意味である旨の声明を発表して国内各地で攻撃を再開し,ネパール解放軍の結成とマオイスト側の中央政府組織に当たる連合革命人民評議会の設立を宣言した。これに対し,ギャネンドラ国王は,同月26日,憲法に基づいて非常事態を宣言し,政府は,国軍を中心としたマオイストの掃討作戦に乗り出し,ネパール議会もこれを全面的に支持した。
(以上,甲18,乙33,37,43)
(カ)

2002年(平成14年)5月に非常事態宣言の期限切れを迎えると,
デウバ首相は,アメリカやイギリスを歴訪し,マオイスト対策のための軍事支援を取り付けるとともに下院議会の解散と非常事態宣言延長の発布をギャネンドラ国王に進言した。ギャネンドラ国王は,その進言に基づき,同月22日,下院を解散し,国王の勅令で非常事態宣言を延期した。ネパーリーコングレスは,同年6月,コイララ派とデウバ派に分裂し,同年9月23日にネパーリーコングレスのデウバ派が党名をネパーリーコングレス民主党と決定した。
非常事態宣言は同年8月27日に失効したが,その後もマオイストの活動は衰えず,同年11月13日に予定されていた総選挙の実施が困難となったところ,ギャネンドラ国王は,憲法の規定どおり下院解散後6箇月以内に選挙を実施できなかったとして,同年10月4日,デウバ首相を解任し,自らの主導で同月11日,王室寄りの国民民主党からチャンドを首相として指名した。
これに対し,チャンド政権に閣僚を送り込んでいないネパーリーコング
レス,ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義,ネパール友愛党アナンダ・デヴィ派,ネパール労農党及びネパール人民戦線の5政党は,国王との対決姿勢を強め,ギャネンドラ国王によるデウバ首相解任を憲法違反と主張し,議会の復活又は全政党政府の樹立を求め,反国王及び反政府のスローガンを掲げたデモ,ハンスト,座り込み,署名活動,議会解散前の議員による独自の議会開催などを継続的に実施したが,大規模な反国王キャンペーンを展開することまではできなかった。
(以上,乙35の1,44,45)
(キ)

チャンドを首相とするネパール政府は,2003年(平成15年)1
月,再び,マオイストとの停戦合意に達し,マオイストのテロリスト指定解除,インターポールによる国際指名手配の解除,マオイスト幹部の逮捕に関する情報提供に対する懸賞金供与の停止等を行い,2回の和平交渉を行った。
しかし,前記(カ)のとおり,反国王及び反政府のスローガンを掲げ,種々の運動を実施していた5政党は,ギャネンドラ国王に任命された政府にマオイストと交渉をする権利はないと主張し,政府とマオイストの和平交渉においても,チャンド首相が交渉開始前に招集した全政党会議をボイコットするなど,一貫して非協力的であった。このような状況下,同年5月30日,チャンド首相が辞任し,マオイストとの和平交渉も一時中断した。ギャネンドラ国王は,同年6月4日,国民民主党のタパを首相に指名し,新政権は,マオイストと和平交渉を1回行ったが,最終的には共和制樹立を目指しているマオイストが憲法制定議会の設置に固執したのに対し,ネ
パール政府は,それを断じて認めず,立憲君主制の維持を交渉の前提条件としたため,同年8月27日,マオイストは,一方的に停戦を破棄した。これを受けてネパール政府は,マオイストを再びテロリストに指定し国軍による掃討作戦を再開した。
(以上,乙35の1,45,46)
(ク)

タパ政権は,マオイストとの和平交渉が決裂し,国王主導政治に反発
する政党勢力の抗議活動がますます高まる中で,政権維持の正当性を失い,タパ首相は,2004年(平成16年)5月7日に辞職した。
ギャネンドラ国王は,同年6月2日,2002年(同14年)に自ら解任したネパーリーコングレス民主党のデウバを首相に指名し,これを政党政治の復活とみなしたいくつかの政党勢力の妥協を引き出すことができた。デウバ政権に参加したのは,ネパーリーコングレス民主党,ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義,国民民主党及びネパール友愛党マンダル派の4党であった。
デウバ政権は,2005年(平成17年)4月までの総選挙の実施及びそのためのマオイストとの和平交渉を最重要政治課題とし,同年8月には,マオイストとの和平会談に向けて与党4党の党首らからなるハイレベル和平委員会を設置するなどした。しかし,ネパーリーコングレスを中心とする野党4党が反国王,反政府抗議活動を続け,あくまでも国王主導の政治に反発する姿勢を見せ,治安対策の面で十分な協力を得られなかったため,総選挙実施の前提条件となる治安回復の面で目立った成果を上げることができなかった。

(以上,乙38の3,46)
(ケ)

ギャネンドラ国王は,2005年(平成17年)2月1日,1990
年憲法の規定に基づき,国営テレビを通じて2・1国王宣言を発し,デウバ首相を解任し,内閣を解散させ,自ら閣僚会議議長に就任し,国軍,閣僚会議及び国家行政機構の国権のすべてを自らの直接支配下に収めるとともに,平和と安全を回復するための改革を実施し,3年以内に複数政党制による民主政治を回復させることを国民に訴えた。同時に全土に非常事態宣言を発し,一般国民の集会の自由,表現の自由,報道の自由等を規制した。政府は,同年2月には,バッタライ元首相,チャンド元首相を含む政党指導者を自宅軟禁することにより政党勢力の封じ込めを図った。また,ネパーリーコングレスのコイララ総裁やデウバ前首相を逮捕軟禁した。国際社会は,上記の国王の措置を民主主義に反するものであると非難した。これに対し,ギャネンドラ国王は,同年4月には,コイララの逮捕軟禁を解除するとともに,同月30日,非常事態宣言を解除し,同年5月末までにほとんどの政党指導者を釈放した。
同年5月初め,①ネパーリーコングレス,②ネパール労農党〔NWPP〕,③ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義,④統一人民戦線〔UPF〕,⑤ネパール友愛党〔NSP〕アナンダ・デヴィ派,⑥ネパーリーコングレス民主党,⑦ネパール統一左派戦線〔ULFN〕の反国王派主要7政党(以下主要7政党という。)は連合し,王権の制限や下院の復活を求める共同宣言を発表し,民主化要求デモを活発化させた。同年8月のネパール共産党統一マルクス・レーニン主義の党大会では,民主的
共和制を党綱領に掲げる決定をし,ネパーリーコングレスの党大会では,党規約から立憲君主制の条項を削除する決定をした。
政府の各種規制は徐々に緩和されたが,身柄拘束されていたデウバ前首相らは,汚職容疑で王立汚職取締委員会(RCCC)により有罪判決が下された。
政府は,同年9月22日,翌年4月に地方選挙を実施し,その後2年以内に総選挙を実施する旨発表し,その後,同年10月12日,ギャネンドラ国王は,翌々年4月までに下院議会選挙を実施するよう指示した。(以上,甲2から5まで,乙38の3,47,48の1から3まで)(コ)

政府は,マオイストに対して軍を動員して治安回復に当たっていたが,
マオイストは,2005年(平成17年)9月初め,3箇月間の一方的休戦を宣言した。
マオイストと主要7政党は,同年11月22日,インドにおいて,ギャネンドラ国王に対し,新憲法制定のための特別議会に向けての選挙実現や民主化を求めること,政憲議会選挙の実施,国軍とマオイストを国連等の監視下に置くこと,地方選挙及び下院議会選挙をボイコットすること等を合意したと発表した。
マオイストは,同年12月,休戦宣言を1箇月延期した後,翌年1月にこれを解除した。
(以上,甲21,乙35の1,48の4)
(サ)

2006年(平成18年)1月19日,主要7政党の政党指導者や人
権活動家等が政府により治安維持法に基づく予防的拘束として逮捕された。
これは,主要7政党が同年2月8日に予定されている地方選挙の実施に反対して,同年1月20日に大規模な抗議行動を計画していたためであった。インド,EU及び日本は事態を憂慮し,このうち,日本は,政党指導者の早期釈放を求める外務報道官談話を出した。
同年2月8日,地方選挙が全国58市を対象として予定通り実施されたが,投票率は22パーセントであった。
主要7政党は,同年4月6日,ギャネンドラ国王に対して抗議するためマオイストと連携し,全国規模で呼びかけた抗議集会やゼネストを展開した。首都カトマンズなどでは,デモ隊と警察隊が衝突し,多数の者が逮捕され,外出禁止令が発令されるなどした。反国王派の抗議行動の動員数は増加の一途をたどった。これに対し,ギャネンドラ国王は,国民向けのテレビ演説を行って下院の復活を宣言し,政党側もこれを受け入れて抗議行動を撤回したため,事態は収拾した。同月28日,2002年(同14年)5月に解散されていた下院が復活して開会し,制憲議会選挙の実施についての決議案,マオイストの非合法政党指定の解除案が提案された。また,主要7政党の推薦を受けてギャネンドラ国王から首相に任命されたネパーリーコングレスのコイララ総裁が全会一致で首相就任を承認された。マオイストは,同年4月26日,3箇月間の一方的停戦を表明し,対話に応じる姿勢を示した。主要7政党によるネパール政府も,同年5月3日,マオイストに対するテロ組織の指定を取り消して,マオイストに対する休戦を宣言した。また,政府は,マオイストに対するすべてのテロ関連容疑を取り下げ,同年2月に国王の直接統治下で行われた地方選挙を無効とす
ることに決めた。
ネパール下院は,同年5月18日,国王の大権を剥奪する議会宣言を満場一致で採択した。同議会宣言は,下院を国権の最高機関と明示し,宣言と矛盾する,すべての憲法と法律の条項は無効となるとした。(以上,甲6から8まで,13から16まで,29,乙35の1,47,48の5から7まで)
(シ)

主要7政党によるネパール政府とマオイストは,2006年(平成1
8年)11月8日,マオイストの武器管理を行った上で,マオイストが参加する暫定議会を同月26日までに,暫定政府を同年12月1日までにそれぞれ発足させることで合意し,これに基づき,マオイストの武器は同年11月21日までに国連の監視下で封印され,兵士も宿営地に封鎖されることとなった。監視は,制憲議会選挙の実施までの予定であり,ネパール国軍も同じ分量の武器を国連の監視下に置くこととなった。
暫定憲法は,暫定議会発足と同時に発効する見通しであり,制憲議会選挙は2007年(平成19年)6月に予定され,王室存続の是非は,この制憲議会発足を待って改めて議論されることとなった。
さらに,コイララ首相とマオイスト最高指導者プラチャンダ議長は,2006年(平成18年)11月21日,和平協定に署名した。同和平協定は,恒久的な停戦を盛り込んだほか,マオイストによる武器の使用や住民への金品の強要などを禁止し,国軍及びマオイスト双方に対して新たな兵士募集を禁じ,両者が埋めた地雷を60日以内に撤去するとした。また,プラチャンダ議長は,選挙結果で王政廃止が否定されても武装闘争には戻
らない旨明言した。
(以上,甲29,乙48の8から11まで)
(ス)

国連安全保障理事会は,2006年(平成18年)12月1日,ネパ
ール政府からの要請を受けて,1996年(同8年)から10年以上続いた内戦が終結したネパールに,停戦監視と選挙協力のため最大60人の使節団を派遣することを認める議長声明を全会一致で採択した。(甲29,乙48の12)
(セ)

ネパール議会は,2007年(平成19年)1月15日,内戦終結後
の国家再建を本格化させるための暫定憲法案を全会一致で承認し,同憲法が発効し,これを受けて議会が解散し,旧反政府勢力のマオイストを加えた暫定議会(330議席)が初招集され発足した。マオイストが初入閣する暫定政府も,各政治勢力間の組閣協議を経て設置されることとなった。暫定議会は,ネパーリーコングレスが最多の85議席,マオイスト及び同派に近い統一共産党がマオイスト73議席を含む83議席を割り当てられた。原告の支持政党は,ネパーリーコングレスである。
(以上,甲29,乙48の13及び14,原告本人)
(ソ)

マオイストは,2007年(平成19年)1月17日,首都カトマン
ズ南方のチトワンにあるマオイストの拠点で,銃などを国連の管理下に置いて武装解除を開始し,以後全国の拠点で武装解除を進めた。
国連は,マオイストの氏名を登録した上で,武器をコンテナに格納して封印したが,実際のコンテナ監視作業には過去に英軍やインド軍の兵士として働いていたネパールのグルカ兵が国連スタッフとして従事することと
なった。
日本も,国連からの要請を受け,ネパールにおける平和構築への協力として,国際平和協力法に基づき国連ネパール政治ミッションに対し非武装の軍事監視要員6名を派遣した。
(以上,甲29,30,乙48の15)
(タ)

マオイストを含む暫定政権は,2007年(平成19年)4月1日に
発足した。マオイストを含む主要8政党は,同日,党首会議を開き,閣僚の人選に最終合意するとともに,王制存続の是非が焦点となる制憲議会選挙を同年6月20日に開くことを決め,コイララ首相はいったん辞任し,マオイストを含む暫定議会で再び首相に選ばれた。22の閣僚ポストのうち,ネパーリーコングレスが首相を含む主要7ポストを獲得し,マオイストは5閣僚ポストを割り振られた。マオイスト最高指導者プラチャンダ議長とナンバー2のバタライ政治局長は政府の役職には就かなかったが,新閣僚による宣誓式が行われた後,プラチャンダ議長は新しいネパールをつくるための歴史的な日であり,われわれの責任は大きくなったなどと述べた。
(以上,乙48の16から18まで)
(チ)

主要8政党は,2007年(平成19年)5月31日,同年6月20
日に実施する予定だった制憲議会選挙を新選挙区の設定など準備が間に合わないことから同年11月後半に延期することを決めた。(乙48の19)
(ツ)

ネパール暫定議会は,2007年(平成19年)6月13日,王制存
続を画策する国王派の動きを牽制する意味を持つ,同議会の3分の2以上の賛成で国王の解任と王制の廃止ができるとする暫定憲法改正案を可決した。暫定憲法は新憲法制定までのものとして,同年1月に施行されたものであるが,同年11月に予定される制憲議会議員選挙後,制憲議会の1回目の会議で,王制を存続するか,共和制に移行するかを多数決で決めることになっている。(乙48の20)
(2)

原告の個別的事情


原告の身分事項等

(ア)

原告は,昭和▲年(▲年)▲月▲日にネパールのチトワンにおいて
出生したネパール国籍を有する外国人の男性である。
(イ)

原告は,長男であり,姉と弟がいる。
原告の両親及び姉は,ネパールのチトワンに引き続き居住していたが,
原告の母親は,平成▲年(▲年)▲月▲日に死亡し,姉も死亡した。原告の弟は,少なくとも原告が本件難民認定申請の異議手続をしていた同17年2月23日ころまでは,家族と共にネパールの首都カトマンズに居住し,レストランを経営していたが,先ごろ,家族と共にアメリカに移住した。
(ウ)

原告の妻h並びに原告と同女との間の子である長男,長女及び次男
は,いずれもカトマンズに居住しており,皆健在である。
(エ)

原告は,妻が2人おり,2人は双子の姉妹で同じ姓名であって,カ
トマンズに居住しているのは後に結婚した妹の方(以下第2夫人という。)であり,先に結婚した姉の方(以下第1夫人という。)と
一緒に来日したと供述している。他方において,原告は,本件難民認定申請に際して提出した申立書に,カトマンズに居住している第2夫人の生年月日を▲年▲月▲日と記載しているが,原告と共に来日した第1夫人は,外国人入国記録カード及び外国人登録申請において,氏名欄にhと,生年月日欄に▲年▲月▲日とそれぞれ記載している。
原告と共に来日した第1夫人は,本邦入国当日に原告と別れた後,原告と音信不通になり,原告は第1夫人の居場所を把握していないが,同女は,平成17年11月29日現在,日本に不法残留している。
(オ)

原告は,仏教を信仰し,来日する以前から,カトマンズにあった宗
教法人i(以下iという。)の支部に通っていたが,来日後の平成16年(2004年)2月にiに正式に入信し,信徒カードの発行を受けた。
(以上,前記前提事実,乙4の2,5の2,12,21,原告本人)イ
ネパールにおける生活状況等

(ア)

原告は,昭和▲年(▲年)にネパールのチトワンにある高等学校を
17歳のときに中退した後,ビルガンジー市の市役所から委嘱された自動車の荷物検査の仕事に3年間従事した。その後,カトマンズに転居し,じゅうたん職人としてじゅうたん工場で5年間働いた後独立し,じゅうたん職人として工場を経営し始め,平成8年(1996年)まで同工場を操業させていた。
原告は,チトワンに所有する広大な土地の小作料やカトマンズにあるアパート17部屋の賃貸料から収入を得ており,工場を閉鎖した後も経
済的に生活に不自由することはなかった。
原告は,ネパールにおいて,チトワンとカトマンズに1軒ずつ原告名義の家を所有しているほか,チトワンには1万坪くらいの土地を所有し,日本円で150万円くらいに相当する金員を有利子で第三者に貸すなどしているが,日本においては財産と呼べるものは何もない。
(乙4の2,12,16の2,原告本人)
(イ)

原告は,平成元年(1989年)に,じゅうたん職人を組織して,
bを設立し,その第一書記に就任した。bは,同5年(1993年)には労働組合法令及び労働組合規則の各規定に基づき登録を行い,そのときから,原告は,同組合の議長を務めた。原告は,経営していた工場を閉鎖した後もネパールを出国するまでは同組合の議長を務めた。
bの活動は,組合員であるじゅうたん職人に対し,人権や労働者の権利,リーダーシップ論,民主主義の考え方などについて教え,その労働条件の改善に努めるというものであり,特に,原告は,同組合の議長という立場で,組合員であるじゅうたん職人に対し,上記のような啓蒙活動を行い,労働条件の改善に努めるほか,孤児や生活苦の家庭の子供のために非正規の学校を運営し,また,a等が主催する各種研修会に出席するなどしていた。
原告は,同9年(1997年)9月ころ,iに入信し,ネパールのγにあるiの支部に通っていたところ,iの信者でネパールによく来訪していた日本人男性のjと知り合い,その後,しばしば,ネパールに来訪するjと会っていた。

(以上,甲26,乙4の1,5の2,9の2,12,16の2,原告本人)
(ウ)

bは,社会的には,民主主義を標榜するネパーリーコングレスの下
部組織であるaの傘下に存在する多数の下部組織のうちの1つとして位置付けられている。bの主たる活動は,組合員の労働条件の改善を進めることであって,組合員であるじゅうたん職人の労使関係を調整したり勧告を行ったりする活動を行っている。同列の下部組織としては,他に,運転手組合,紅茶葉摘み職人組合,ホテル従業員組合,銀行員組合,教職員組合等が存在する。(乙5の1)

過去の来日の経緯及び今回の来日までのネパールでの生活状況等

(ア)

原告は,bの議長として,日本の岡山県にあるδで開催される繊維
業労働者組合の会議(○○)に出席するため,平成14年(2002年)11月10日,関西空港に到着し,大阪入国管理局関西空港支局入国審査官から,改正前入管法所定の在留資格短期滞在及び在留期間90日の上陸許可を受けて本邦に上陸し,同月15日及び同月16日に開催された上記会議に出席した後,同月18日,関西空港から出国し,ネパールに帰国した。(乙1,4の1,9の2,12,20)(イ)

原告は,平成15年(2003年)4月15日午後8時30分過ぎ
ころ,自宅にやってきた複数の何者かにより石などが自宅の窓に投げ付けられて壊されるという目に遭った。原告は,直ちに警察に電話をしたが,警察が来たのは,加害者が帰った後であった。この事件は,翌日の新聞で,bの議長である原告の自宅に,12ないし15人の者がやって
来て,石や煉瓦をその窓に投げ付けるなどして壊したなどと報道された。(乙9の2,原告本人)
(ウ)

原告は,平成15年(2003年)8月19日早朝にマオイストに
自宅から連れ去られて身柄を拘束され,夕方に解放されるという目に遭った。原告は,警察にこの件を届け出て,保護を求めた。この事件は,翌日の新聞で,bの議長である原告が,午前3時ころから午後4時30分ころまでの13時間半余り,8人のマオイストに自宅から誘拐され,議長の地位を辞任して党から離れるように警告され,もしそうしなければ殺すと脅迫されたなどと報道された。
また,原告は,同月22日には,ネパール王国陸軍(RNA)に捕らえられて取調べを受けた。この事件は,翌日の新聞で,原告がネパール王国陸軍に尋問のため捕らえられ,なぜマオイストサイドにいるのかなどと非難されるなどし,5時間取調べを受けた後解放されたなどと報道された。
原告及びその家族は,その後原告がネパールを出国するまで,マオイストから,呼び出されたりそのほか脅迫を受けたりしたことはなかった。(甲26,乙9の2,原告本人)
(エ)

原告は,カトマンズの治安が悪化しており,再びマオイストに襲わ
れるかもしれないと感じていたことや,日本にあるiの本部の寺に礼拝し修行をしたかったことなどから,日本語はあいさつ程度しか理解することができないものの,jを頼りに日本に向けて出国することを決意した。原告は,家族に対し,日本に行くことを告げたが,第1夫人を除く
その余の家族は誰も同行したいとは言わなかった。原告は,日本で10日間くらい滞在して修行を行い,その後帰国する予定で査証を取得した。原告は,出国に際し,bの議長の職をkに譲り,原告が議長として同組合の事業の一環として行っていた孤児や生活苦の家庭の子供のための学校の運営を同人に託した。
(甲26,乙5の1及び2,16の1,原告本人)

今回の来日の経緯及び在留状況等

(ア)

原告は,平成15年12月7日,来日を強く望む第1夫人と一緒に,
成田空港に到着し,同14年8月1日にネパール政府から発行された有効な旅券を行使した上,東京入管成田空港支局入国審査官から,改正前入管法所定の在留資格短期滞在及び在留期間90日の上陸許可
を受けて,本邦に上陸した。(前記前提事実,甲26,乙5の1及び2,10)
(イ)

原告は,入国後,第1夫人と共に,ε駅付近にあるζ駅まで行き,
第1夫人の友人であるネパール人女性のlことmと電話で連絡を取り,同女のアパートに赴いた。第1夫人は,以後,同アパートに同居させてもらうことになった。
原告は,第1夫人と別れて,単独で八王子まで行き,iのjが借りているアパートに赴いた。原告は,同アパートに5日間滞在したが,同アパートには,原告の他に5人のネパール人がおり,皆iに入信していた者であった。その後,原告は,立川市α××番1号β×××号に引っ越し,本件各訴訟を提起した時も同アパートに居住していた。同アパート
は,iの信者が修行を行う間滞在するための施設であり,原告の他に4,5人のネパール人が同居していた。
原告は,来日後定職に就いたことはなく,アルバイトをしたこともなかった。iの信者であるネパール人が定期的に食糧を提供してくれていたため,食費はかからず,多少お金が必要な場合には,ネパールにいる家族から援助をしてもらうなどしていた。アパートの家賃や光熱費は,jが負担していて,原告は一切負担しておらず,その金額も把握していない。
原告は,来日直後から毎日,iで講話を聞いたり,奉仕活動をしたり,読経をしたりして生活し,霊能者という階級に上がるための修行を行っている。平成17年4月12日に,iにおける階級大乗会に合格し,その後歓喜会の修行を行っている。原告は,将来修行を積んだ暁には,ネパールにおいてiの教えを広めたいと考えている。
原告は,来日後,ネパールの民主主義を広めるための活動その他政治的な活動を一切行っていない。
(乙4の2,5の1及び2,12,16の2,原告本人)
(ウ)

原告は,平成16年1月7日,立川市長に対し,居住地を立川市α
××番1号β×××号として,外国人登録法3条1項に基づく新規登録申請をし,外国人登録証明書の交付を受けた。(前記前提事実)
(エ)

原告は,平成16年2月15日,jと同人の友人である日本人男性
と共に,立川市にある飲食店で会食をした。その際,原告がネパールにおける身の上話を話題にしたところ,日本人男性から,日本にも難民認
定申請手続があるので,弁護士に相談してみたらどうかという助言を受け,弁護士として原告訴訟代理人の名前が紹介された。
(甲1,乙5の1,原告本人)
(オ)

原告は,平成16年4月7日,東京入管立川出張所において,在留
期間を90日とする在留期間更新許可を受けた。(前記前提事実)(カ)

原告は,平成16年5月20日,初めて原告訴訟代理人の法律事務
所を訪れ,原告訴訟代理人に難民認定申請について相談をした。原告は,この折,難民認定申請書に添付したa発行の同年(2004年)4月11日付け証明書を持参しなかった。(乙5の1及び2)
(キ)

原告は,日本に対し難民認定申請をした以外には,他の国又は国際
機関に対し保護を求めたことはない。(乙4の1及び2)

原告の難民認定手続の経緯及び難民該当性等に関連する原告の供述内容
の変遷
(ア)

原告は,平成16年5月27日,jと原告訴訟代理人の法律事務所
事務員である日本人女性のnと共に,東京入管に赴き,改正前入管法に基づき,難民該当性に関する事項につき次のとおり記載した難民認定申請書(以下本件難民認定申請書という。)を提出し,本件難民認定申請をした。この折,原告は,担当官に対し,来日は2度目であり,今回は会議に出席するために単独で来日したと述べた。本件難民認定申請書には,①原告が同12年(2000年)4月17日から同月19日までの間,a,国際労働機関(ILO)及び児童労働撤廃国際計画(IPEC)が共同で主催したネパールの児童労働撤廃のためのa/ILO-IPEC活動計画の一層の歩みと政策の国際研修会に参加したことの証明書,②原告が同年8月17日から同月19日までの間,aと財団法人oが共同で主催したNFE学校協会国際研修会に参加したことの証明書,③原告が同13年(2001年)8月22日から同月24日までの間,aと財団法人oが共同で主催したNFE学校協会国際研修会に参加したことの証明書,④原告が同10年(1998年)11月29日から同年12月1日までの間,aと財団法人oが共同で主催した児童労働学校協会の国際研修会に参加したことの証明書,⑤原告が同8年(1996年)9月24日から同月28日までの間,pが主催した労働組合教育セミナーに参加したことの証明書及び⑥原告がbの会長及び同3年(1991年)以来aの執行委員であって,マオイストの主要ターゲットの一人であるから,ネパールにいると命を失う危険があるなどとするa事務局長名の同16年(2004年)4月11日付け文書が添付資料として添えられていた。(乙3,4の1)
(迫害を受ける理由について)
特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見である。
(ネパールにおいて身柄拘束されたことがある場合その理由について)昨年(平成15年(2003年))9月に8名のマオイストたちにより,彼らの拠点まで連行され,殺されかかった。その場では生きて帰ることができたが,民主化を進める行動を続行するならば必ず殺すとの宣告を受けた。民主化を推進する組織の長としての自分の立場上,民主化を断念することはできませんので,命の危険にさらされることが明
白となり,日本に逃れてきた。
(ネパールにおいて上記以外の理由で逮捕されたことの有無について)なし。
(上記の迫害を受ける理由,根拠について)
13年前よりネパールの国に始まった民主主義の政治が,共産勢力のマオイストにより破壊されつつある。民主化を進める政治上の要職者が次々とマオイストに殺されているのが現状である。
(ネパール政府に敵対する組織への所属の有無について)
なし。
ただし,共産勢力のマオイストによりねらわれる組織に属している。(ネパール政府に敵対する政治的意見の表明や行動の有無について)なし。
ただし,勢いを増している共産勢力の排除のターゲットである民主化推進派としての行動の要職を担っている。
(ネパールに帰国したらどのような事態が生じるかについて)
前記のとおり,マオイストが宣告したように殺される。
(他の国に庇護を求めたことの有無について)
なし。
(イ)

原告は,平成16年6月4日,難民該当性に関する事項につき,次
のとおり記載した同年5月27日付け申立書(以下本件申立書という。)を東京入管難民調査部門に提出した。(乙4の2)
(今回来日した理由について)

以前に組織の選挙のために来日し,平和で何の危険もない国だったので,最初から日本に来ることを希望して入国した。
(来日の詳細な経緯について)
ネパールでは,約10年前からマワバディ(マオイストの意。以下同じ。)たちにより民主政治を推進する主要な人たちの殺りくが行われており,現在も殺りく行為がされている。そのため,民主主義推進派の人たちは沢山命を失ってきた。ネパールで一番大きい民主勢力であるネパーリーコングレスと一体的なaにおいても,単なるネパーリーコングレスの右腕というだけでなく,ネパールの国のために民主主義発展の大切さを大声で呼びかけてきた。aとは,そのような組織である。原告は,そのaと一体となっているbの議長として,15年前から民主主義推進及び人権擁護のために尽力してきた。そのため,ネパールの民主化に反対するマワバディの集団8名が平成15年(2003年)8月29日の夜に,突然原告の自宅に来て,原告を拘束し,彼らの拠点に連行した。そして,原告を夜明けまで脅迫し,これから今までのような仕事を続けたならば必ず殺すと宣告された。そして,今後マワバディが呼び出したときには必ず応じるように,原告の行動を監視し続けるなどと宣告された上で,解放された。原告は,自分の立場上民主化運動を放棄することはできないところ,このままネパールに居続けたならば,必ず殺されることになるとおびえ,生き延びるために,以前来たことのある平和な日本に逃れて来た。
(難民認定申請理由について)

特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見
(迫害を加える主体及び原告以外に迫害を受けている人の存在について)マワバディたちにより迫害を受けている。原告以外にも大勢の人が亡くなった。
(尋問,逮捕若しくは拘束又は裁判の有無について)
平成15年(2003年)8月29日の1日身柄拘束され,カトマンズのηにおいて,マワバディにより,殺してやるなどと脅迫され,迫害を受けた。その結果,毎日生命の危険にさらされ,ネパールに住めなくなった。
(親族のうち,尋問,逮捕若しくは拘束又は裁判を受けた者の有無について)
妻であるq
平成15年(2003年)9月10日,同月15日,同月20日及び同年12月10日に,カトマンズのθにおいて,マワバディにより,原告の行方を問いつめられ,家族も殺すと脅されたため,以後大変おびえながら暮らしている。
(逮捕状発付又はその手配の有無について)
ある。
来日の詳細な経緯として記載したとおりである。そして,妻に対しても,何度も脅迫をし,原告を探し続けている。
(親族に対する逮捕状発付又はその手配の有無について)
なし。

(親族で難民認定されている者の有無について)
空欄
(来日後,本国に帰国すると迫害を受ける理由となる新たな事実の発生の有無,それを知った日及び内容について)
平成15年(2003年)12月14日に,ネパールに電話した際,妻から,同月10日にマワバディが家に来て脅迫して原告の居所を探していると聞いた。
(本国に帰国することができない理由について)
ネパールに帰国すれば,必ずマワバディが私を見つけて,殺しに来るから,帰国することができない。
(来日後,外国大使館,国連に庇護を求めたことの有無について)空欄
(ウ)

原告は,平成16年6月11日,東京入管において,在留期間を

90日とする在留期間更新許可を受けた。(前記前提事実)
(エ)

原告は,平成16年8月17日,東京入管において,在留期間を

90日とする在留期間更新許可を受けた。(前記前提事実)
(オ)

原告は,平成16年11月12日,東京入管において,在留期間を
90日とする在留期間更新許可申請を行った。(前記前提事実)
(カ)

東京入管難民調査官は,平成16年8月17日,本件難民認定申請
について,原告に対し,1回目の事実の調査を行った。この折,原告は,難民該当性について,次のとおり供述した。(乙5の1)
(ネパールで受けた迫害について)

ネパーリーコングレスに所属しており,現在も党員であるが,今回,来日してから党員としての活動は何もしていない。その理由は,日本に入国し,ほっとしており,政治的な活動をしたいという気持ちにならないからである。
原告は,ネパーリーコングレスの下部組織であるaという組織の執行部の一員である。同組織には,更に10の下部組織が存在し,原告は,このうちのbに所属している。
aでの主たる活動は,労使関係の調整や勧告といった労働条件の改善を進めることである。
aとマオイストは,労働者間において,主導権を争う関係にある。ネパール政府や軍は,マオイストの活動を鎮圧しようと努力しているが,なかなか効果が挙がっていない。マオイスト対策のため,アメリカやイギリスがマオイストの鎮圧に協力している。
原告がネパールにいたころ,平成15年(2003年)4月の午後8時半ころ,自宅にマオイスト2人がバイクでやって来て,金銭を要求し,さもなくば殺すと脅迫した。その後,警察を呼んだところ,警察が約2時間とどまり,マオイストはもう来ないだろうといって引き上げていった後の深夜12時ころに,再びマオイストたちがやって来て,自宅に約30分にわたり石を投げ続けた。その後,同年8月29日深夜3時ころに,拳銃を所持した8人の覆面のマオイストたちが自宅に来て,原告を目隠しした上で,カトマンズのηにあるマオイストの事務所に連行した。そして,原告は,拳銃を突きつけられて,aを辞めないと殺すぞ,今後
我々から呼び出しを受けたら来ないといけないなどと脅迫された。原告は,取りあえず辞めると返事をした。脅迫は,同日夕方4時半まで続き,その間食事は与えられず,その後,カトマンズの中心であるιで解放された。原告は,ιから約30分歩いて,自宅に同日午後5時半ころ戻った。
原告は,マオイストから脅迫を受けたことについて,カトマンズ警視庁のIGP又はSPという役職にあるrという人物に被害届を出したが,受理すればマオイストからねらわれることになると言われ,受理を拒否された。
(マオイストについて)
マオイストは,必ずしも毛沢東の主義又は主張を引き継いでいるわけではなく,ネパールという国家を支配するため,また,自分たちの組織を維持するために,人々から金品を奪う等の行為を続けている。そのため,人の命も奪う。平成15年(2003年)5月から,ネパール政府とマオイストとの間で停戦合意に向けた話合いが進められているが,それでもマオイストの活動は収まらない。テロ活動が主に頻発しているのは西部地区であり,マオイストと軍隊や警察が衝突している。首都カトマンズにおいても,警察の偉い人であるrがマオイストによって同年5月に殺された。
(出国の経緯について)
今回ネパールの日本大使館で査証申請をした理由は,自分自身の命を助けたいと思い,ネパールから脱出したかったからである。加えて,原
告が信仰しているiの本部がある日本で礼拝をしたかったからである。査証申請書上では,平成15年(2003年)11月14日に日本に入国し,10日間滞在予定であったが,チケットやお金の手配に手間取り,同年12月7日の入国になった。同月17日には出国する予定でいたが,iでの修行が長くかかり,滞在が長引いた。
(キ)

東京入管難民調査官は,平成16年8月19日,本件難民認定申請
について,原告に対し,2回目の事実の調査を行った。その折,原告は,難民該当性について,次のとおり供述した。(乙5の2)
(来日の動機について)
原告は,当初,iの寺に行くために来日したのであるが,査証審査において滞在予定期間を10日間と記載したのは,虚偽の事実であった。
ネパールでは,ヒンズー教が国教であるが,原告が仏教を信仰していても,仏陀はネパールで生まれたのだから別に問題はない。原告は,原告名義のiの信徒カードを,来日してしばらく修行を続けた後の平成16年(2004年)2月に受け取った。
(家族への迫害について)
ネパールの家族のところには,昨年(平成15年)9月にも,本年(同16年)5月にもマオイストが来た。本年5月のことを前回の調査で供述しなかったのは,調査官に聞かれなかったからである。
(迫害のおそれについて)
原告が,今ネパールに帰国すると,死を覚悟しなければならない。マ
オイストに銃殺されたり,首つりにされたりする人が沢山いる。
(迫害のおそれがあると考える根拠について)
根拠は,民主化を進める人はマオイストに殺されるのである。現に,aの同僚も殺されている。
マオイストは,政府や軍の要人を標的にしているが,一般市民に対しても金品を要求し,応じなければ殺害する。金品をマオイストに提供すれば,警察にマオイストへの金品提供を責められ,殺される。
原告が初めてマオイストに身柄拘束されたのは,平成15年(2003年)8月29日である。この1年前から,マオイストは,原告に電話を架け,何度も脅迫した。
前回の調査において,aの会員52人がマオイストに殺されたと供述したのは,会員そのものが標的となって殺されたということである。原告が平成15年(2003年)8月29日にマオイストに身柄拘束されたことを届け出たのは,カトマンズ警視庁である。
原告は,同年4月に2人のマオイストに多額の金を要求され,投石された事件について,警察を呼んだ後,投石を受けたことにつき被害届を出したが,原告がねらわれているという被害届は受理されなかった。そのような被害届を受理すれば,警察もマオイストからねらわれることになるからである。
同年8月29日に身柄拘束されたときも,被害届を出したが,受理したら彼らもマオイストにねらわれるという理由で受理してもらえなかった。

原告は,aの会員であるから,カトマンズ警視庁の警視総監又は警察署長に会うことができるし,首相にも会うことができる。
(ク)

法務大臣は,平成16年12月7日,原告からの本件難民認定申請
について,あなたは,『特定の社会的集団の構成員であること』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら,あなたの供述及び提出した資料によれば,あなたの主張する迫害の主体はテロ組織であって,ネパール政府がテロ組織の活動を故意に容認している状況は認められないこと等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。との理由により,難民の認定をしない旨の処分をし,同月15日,原告にこれを告知した。(前記前提事実)
(ケ)

原告は,平成16年12月15日,東京入管において,上記(オ)に
係る在留期間更新許可申請につき,在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとは認められないとして,本件在留期間更新不許可処分を受けた。これにより,原告の最終の在留期限は,同月1日までとなった。原告は,その後,在留期間の更新又は在留資格の変更の許可を受けることなく,上記在留期限を超えて本邦に滞在し,本邦に不法残留することとなった。(乙11,20)

(コ)

原告は,平成16年12月21日,本件不認定処分につき,①逮捕
状の発付又は手配がされていること,②ネパールでは,約10年前よりマワバディたちによって民主政治を推進する主要な人たちの殺りくが行われており,現在も,殺りく行為がされていること,③ネパールで一番大きい民主勢力であるネパーリーコングレスと一体的なaにおいても,単なるネパーリーコングレスの右腕というだけではなく,ネパールのために民主主義発展の大切さを呼びかけてきたところであるが,原告は,そのようなaと一体となっているbの議長として,15年前から民主主義推進のために,また,人権擁護のために尽力してきたところ,ネパールの民主化に反対するマワバディ8人が,同15年(2003年)8月29日の夜に,突然原告の自宅に訪れ,身柄を拘束して,彼らの拠点に連行し,夜明けまで原告を脅迫して,万が一今までと同じような仕事を続けたならば,必ず殺すと宣告し,また,今後,マワバディが呼び出したときには必ず応じること,原告の行動を監視し続けると宣告し,原告を釈放したこと,そこで,原告は,立場上民主化運動を放棄することができないが,このままネパールにいたならば,必ず殺されると考え,生き延びるために,以前来たことのある平和な日本に逃れてきたなどとして,本件不認定処分には事実の重大な誤認があると主張して,法務大臣に対し異議の申出をした。(乙8)
(サ)

東京入管難民調査官は,平成17年1月18日,上記(コ)の異議の
申出について,原告から事情を聴取するなどの調査をした。その折,原告は,難民該当性について次のとおり供述した。(乙9の1)

(異議申出をした不服の理由について)
難民認定申請を60日以内にしなければならないということを知らなかったので,期間更新した後難民申請をした。ネパールのテロリストが原告を困らせているのに,政府が守ってくれない。原告のような人が沢山テロリストに殺されている。
(マオイストと政府の関係について)
見たところ,互いに闘争関係にあり,政府はマオイストでなくても,マオイストとして殺す。マオイストに援助したことで殺される。マオイストは,警官や一般市民も殺す。各ユニオンのリーダーを殺す。トレードユニオンのリーダーたちも殺された。原告は拉致された。家に脅しの電話もあった。原告がネパールの自宅に電話をし,妻から脅しの電話があったと聞かされた。マオイストは,原告が日本にいることを知らないと思う。
(政府からの迫害について)
原告がマオイストに拉致されたときに,警察に訴えたが,逆に,軍から,マオイストに何を言ったか疑われた。軍は,私がマオイストに協力していると疑った。
(政府の実施しているマオイスト対策について)
何もできていない。報道では何かをしているように見えるが何もしていない。
(帰国するとどうなるかについて)
今の政府から殺されるかもしれない。軍がマオイストとの関係を疑っ
ているから。マオイストは原告を待っており,殺される。
(シ)

原告は,平成17年1月11日,東京入管に対し,難民該当性に関
する事実につき以下のとおり記載した異議申出に係る申立書(以下本件異議申立書という。)を提出した。(乙9の2)(経過事実について)
<A>

原告の所属するbは,平成元年(1989年)に設立され,設立

当初,原告が第一書記として就任し,民主主義の活動に専念していた。当該組織の構成人員は,3万6000人に達していた。
<B>

その後,平成5年(1993年)に当組織の法人登記がされ,そ

のときから,原告は議長に就任してなお一層の活動に尽力した。
<C>

その結果,原告らはネパールの民主主義勢力の多くの者から支持

を集め,マオイストのメンバーからも評価されて,50人くらいのマオイストたちがマオイストの組織から離脱し,原告らのメンバーとして参入してきた。
<D>

このため,マオイスト幹部から怒りを買い,①平成13年(20
01年)5月に,マオイストのリーダーであるgから非難と抗議の電話を受け,その後,②同15年(2003年)4月16日,夜9時ころ,2人のマオイストが自宅に来て,ピストルを突きつけて大金を要求した,立ち去った後で警察に通報したが,警察は来なかった,③その3時間後の午後12時ころ,50人くらいのマオイストが再びやって来て,原告の自宅に向けて投石を繰り返して逃げ去った,原告は警察に通報したが,警察が来たのは,皆が逃げ去った後だった,新聞に
も載った事件であったが,犯罪者はいまだ逮捕されていない,④ネパーリーコングレスは,同14年(2002年),ギリシャ

コイラ氏

を首相に選出した。その後,同党からシエル

デウワ氏

バハドゥル

も首相になった。しかし,マオイストの妨害により国政選挙ができない状態となり,国王は,同年10月に首相を更迭し,12月以降選挙によらずに首相を任命し続けている。そのため,民主主義勢力は完全に分断された状態となっており,カトマンズでは,選挙によらない首相の任命に反対する民主主義勢力の者による抗議のデモが繰り返されている。原告もその一派であるので,マオイストからの攻撃に対し,ネパール政府は,原告を保護しようとしない。
<E>

カトマンズの原告の妻は,平成16年(2004年)12月7日

午前9時ころ,マオイストから,自宅に爆弾を仕掛けるなどといった脅迫の電話を受け,同17年(2005年)1月3日午前9時ころにも,マオイストから,原告の居場所を教えろ,金を出せ,出さないと家族をひどい目に遭わせるなどという脅迫の電話を受けた。
<F>

以上から明らかなとおり,原告は,迫害を受けるおそれがあると

いう十分に理由のある恐怖を有して,国籍国の外にいるものである。<G>

ネパール政府は,テロ組織を容認こそしていないものの,政情が

混乱状態にあり,殊に,首相が国民による総選挙を経ずして選任されている状態が続いていることから,民主主義勢力はこれに抗議を繰り返しているものであるが,原告は,このような民主主義勢力の一派であるから,ネパール政府から逮捕される危険がある。このことは,ネ
パーリーコングレスから首相に選出されたs氏やトレイドユニオンの議長であるt氏,ネパーリーコングレス党の著名な政治家u氏及びエマレ党議長のv氏がいずれも逮捕されたことから,明らかである。したがって,ネパール政府は,現時点において,マオイストから原告を守る役割を果たし得ないことが明らかである。
(ス)

東京入管入国警備官は,平成17年2月23日,原告に係る違反調
査を実施した。この折,原告は,同15年(2003年)12月7日に在留資格短期滞在,在留期間90日の上陸許可を受けて成田空
港から入国し,その後,在留期間更新許可を3回受けたが,以後,在留期間の更新許可や在留資格の変更許可を受けていないので,最終在留期限である同16年(2004年)12月1日を超えて不法残留していることは間違いないと述べるとともに,難民該当性に関する事実等につき,以下のとおり述べた。(乙12)
(マオイストによる迫害状況について)
原告はネパールに民主主義を普及させるように活動をしていたことから,平成15年(2003年)8月19日の夜中に,カトマンズの自宅からマオイストに拉致されて,マオイストの事務所に連れて行かれ,民主主義を広める活動をやめるようにと脅された。しかし,原告が民主主義を広めていたのは労働者のためであり,労働者のために活動をしているのはマオイストも同じだったので,13時間後に監視を付けるという条件付きで解放された。このような状態では,自分自身に危険が及ぶと考えて,出国を決意した。

(ネパール政府からの迫害について)
本年(平成16年)2月1日に,ギャネンドラ国王が首相を解任し,自ら政権を執り,各地の労働組合の代表を逮捕することを始めたので,今では,原告もネパール政府からも追われる身である。
(セ)

東京入管入国警備官は,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に

当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成17年3月1
4日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月17日,同令書を執行した上,原告を入管法24条4号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。原告は,同日,指定住居を立川市α××番1号β×××号と定めて,仮放免の許可を受けた。(前記前提事実)(ソ)

東京入管入国審査官は,平成17年3月17日,東京入管において,
原告に係る1回目の違反審査を実施した。その折,原告は,同15年(2003年)12月7日に在留資格短期滞在,在留期間90日の上陸許可を受けて成田空港から入国し,その後,在留期間更新許可を3回受けたが,同16年(2004年)11月12日に申請したビザが同年12月15日付けで不許可となったため,在留期限である同16年(2004年)12月1日を超えて不法残留していることになることはよく分かった,しかし,原告は好きで不法残留しているわけではなく,入管から不許可であるということの通知を受け取ることもなく,不法残留をしていると説明されても,納得できない,ネパールで民主主義が崩壊している状態であるから,仕方がなく日本で難民認定申請をしているのであるから,最終結果が出るまでは,ビザを認めてもらいたい,
ネパールに帰国すると,身体及び財産に対する危険があるから,帰国できない,日本で難民と認められなければ,第三国に行きたいが,その国のビザを取るためには日本のビザが必要であるので,是非とも日本のビザを認めてほしいと供述した。(乙16の1)
(タ)

法務大臣は,平成17年4月5日,あなたの原処分に対する異議申出における申立ては,原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるものであって,新たに提出のあった資料を含め全記録により検討しても原処分に誤りはなく,平成16年12月7日付け「通知書の理由のとおり,あなたが難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」として,前記(コ)の異議の申出
には理由がない旨の決定をし,同月26日,原告にこれを告知した。
(乙10)
(チ)

東京入管入国審査官は,平成17年6月15日,東京入管において,
原告に係る2回目の違反審査を実施した。その折,原告は,同15年(2003年)12月7日に在留資格短期滞在,在留期間90日の上陸許可を受けて成田空港から入国し,その後,在留期間更新許可を3回受けたが,その後在留期限である同16年(2004年)12月1日を超えて不法残留していることは間違いないと告げるとともに,自分は好きで不法残留になったわけではない,同年5月27日に難民認
定申請をし,また,在留期限内の同年11月12日に在留期間更新の申請をしていたが,同年12月15日に,難民調査部門において,難民不認定の告知を受け,その足で在留期間更新手続をした部門に赴き,在留期間更新の申請がどうなったか聞いたところ,同日付けで不許可となっているから同月1日を超えて既に不法残留になっていると担当官から聞かされたが,難民認定の申請の結果を待っているうちにこのような事態となったものであり,在留期間更新申請の結果が最終在留期限内に出ていたならば,不法残留の状態にならなくて済んだはずである,不法残留の状態では,どこか他の国に行きたくても査証を取ることができない,今回不法残留となったのは自分のミスではなく,入管の手続上やむを得ずそうなってしまったということを強調したい,自分が在留期限を超えて不法残留となっていることは分かったと述べた。また,原告は,ネパールにおいて民主主義を普及させるための組合運動をしていたため,帰国すると政府から迫害されるおそれがあるから難民として在留すべく難民認定申請をしたと述べるとともに,難民該当性に関する事実として,現在不法残留の身であるからネパールに帰国しなければならないのは分かるが,帰国すれば,マオイストやネパール政府によって迫害され,命の危険もあるので,帰国することはできない,難民として認めてもらい日本に留まりたいなどと供述した。(乙16の2)
(ツ)

東京入管入国審査官は,原告に対し,平成17年6月15日,原告
が入管法24条4号ロに該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の本件認定を行い,原告に認定通知書を交付してこれを通知し,認定に
伴う法律上の効果等を説明した。原告は,同日,認定に伴う法律上の効果についてはよく分かったが,日本に在留することを希望するとして,認定に服することなく,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。(乙16の2,17)
2
争点1(難民該当性の有無)について

(1)

難民の意義について

ア(ア)

入管法(改正前入管法においても同様)61条の2第1項は,

法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があつたときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定…(略)…を行うことができる。

と規定している。そして,入管法2条3号の2は,入管法における難民の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと規定している。
(イ)

難民条約1条A(2)は,1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないものは,
難民条約の適用上,難民という旨規定している。
(ウ)

難民議定書1条2は,難民議定書の適用上,難民とは,難民条

約1条A(2)の規定にある1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,及びこれらの事件の結果としてという文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。

入管法にいう難民とは,入管法2条3号の2,難民条約1条A(2)及
び難民議定書1条2を合わせ読むと,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうこととなる。そして,上記の迫害とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。

難民条約1条A(2)にいう国籍国の保護を受けることができないとは,
例えば,旅券の発給や更新の拒否,本国への入国拒否等,一般に,国籍国
が通常自国民に与える各種行政措置を与えないような場合を指すのであって,当事者の意思と関係なく国籍国の保護を受けられないことを意味する。そして,難民の本質は,国籍国による保護を受けられない者に対して,国籍国に代わって条約締結国が条約に定められた限度で保護を与えることにあり,国籍国が現に保護している者は難民となり得ないのであるから,通常,迫害は,国籍国の政府自身が主体となるものをいうと解される。しかしながら,国籍国の政府以外の者が行為の主体である場合であっても,それが,同政府により故意に容認され,又は同政府が効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはそれができないものであるときには,やはり難民条約1条A(2)にいう国籍国の保護を受けることができないものということができ,そのような行為もまた迫害に当たると解すべきである(乙32)。
(2)

原告の難民該当性について


原告は,本件不認定処分がされた平成16年12月7日当時,①ネパー
ルにおいて,ネパーリーコングレスの下部組織であるa内のbに所属して民主主義の政治活動に専念していたところ,昨今のネパール政府に対して抗議運動を展開している民主主義勢力の一派に所属する原告は,ネパール政府から逮捕される危険があること,②同13年(2001年)5月から同16年(2004年)1月まで,bの議長の原告及びその家族はマオイストにより度々脅迫等を受けており,マオイストから原告の身体及び生命の安全が脅かされる危険があるところ,ネパール政府は,マオイストの攻撃を容認していないものの,マオイストの脅迫等から原告を守る役割を果
たしていないことから,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができない者として,原告は難民に該当すると主張するものである。そこで,以下検討する。
イ(ア)

前記ア①の点に関し,原告は,ネパールにおいて,bに所属して,
平成元年(1989年)の設立当初第一書記に就任し,その後議長に就任して,労働条件の改善等を進める運動に関与し,民主主義を求める政治活動に専念していたところ,昨今のネパールにおいては,首相が国民の総選挙が実施されないまま選任される状態が続いており,これに抗議する民主主義勢力の者が相次いで逮捕等されていることから,民主主義勢力の一派に所属する原告も,ネパール政府から逮捕される危険がある旨主張し,原告の所属組織及び具体的活動に関する証拠として,本件難民認定申請書にaが発行したとする平成16年(2004年)4月11日付け証明書を添付するとともに,上記主張に沿う陳述又は供述をする。(イ)

そこで検討するに,確かに,前記認定事実によると,平成14年

(2002年)10月以降同18年(2006年)2月まで,ネパールにおいては,治安が悪化したことなどから国民総選挙が実施されず,国王が主導して政治を行い,首相が指名される事態となり,ネパーリーコングレスを含む複数政党が反国王及び反政府をスローガンに掲げた抗議活動を繰り広げてますます治安が乱れていたこと,そのため,同17年には,政党の指導者らが自宅軟禁されたり,身柄を拘束されたりしたこ
とを認めることができる。
しかしながら,aが発行したとする平成16年(2004年)4月11日付け証明書(乙4の1)によっても,bが民主主義に傾倒しているということ及び広く労働組合活動を行っているということを認めることができるにとどまり,上記証明書は同組合の具体的な活動内容を裏付けるものではない。また,原告が所属するとする団体のメンバーが同団体に所属していること自体をもってネパール政府から逮捕されるなど迫害を受けているということを認めるに足りる証拠はない。そして,原告の供述及び原告本人尋問の結果によっても,bの具体的な活動内容については,前記認定事実のとおり,組合員であるじゅうたん職人に対し,人権や労働者の権利,リーダーシップ論,民主主義の考え方などについて教え,その労働条件の改善に努めたり,労使関係の調整をしたり勧告を行ったりするというものであること,特に,原告は,同組合の議長という立場で,組合員であるじゅうたん職人に対し,上記のような啓蒙活動を行い,労働条件の改善等に努めるほか,孤児や生活苦の家庭の子供のために非正規の学校を運営し,また,a等が主催する各種研修会に出席するなどしていたことが認められるだけである。そして,前記認定事実によると,原告は,出国時にbの議長の職を辞し,日本においては何ら政治活動を行っておらず,もっぱら自らの信仰するiでの修行に専念していることが認められるのである。
しかも,前記認定事実によると,本件難民認定申請書(乙4の1)及び本件申立書(乙4の2)には,ネパール政府から逮捕されるなどの迫
害のおそれに関する記述は何もなく,ネパール政府に敵対する組織への所属や政府に敵対する政治的意見の表明及び行動についてはいずれもないと記した上で,専らマオイストからの脅迫等のおそれに関する記述があるにとどまっていたこと,難民調査官による事実調査(乙5の1及び2)においても,原告はネパール政府から逮捕されるなどといった迫害のおそれを何ら訴えていなかったこと,ところが,原告は,原告の主張する迫害の主体はテロ組織であって,ネパール政府がテロ組織の活動を故意に容認している状況は認められないことなどを理由とする本件不認定処分がされた後に提出した本件異議申立書(乙9の2)において,突如として,ネパール政府から逮捕される危険があるなどと主張するに至ったことを認めることができる。このような原告の申立てないし供述内容の変遷の経緯をみると,原告がネパール政府から逮捕される危険があるなどとする陳述及び供述は,極めて不自然不合理なものであり,信用することができないというべきである。
以上を総合して考慮すると,原告が元議長として所属していたbが,本件不認定処分当時,ネパール政府に抗議活動をしていたネパーリーコングレスの下部組織aの傘下に帰属するものであり,ネパーリーコングレスを含む反政府抗議活動をしていた政党の指導者らが自宅軟禁されたり,逮捕されたりしたことがあるとしても,前記認定のような活動しかしていない原告自身がネパール政府から逮捕される危険があるとは到底認めることができないというべきである。
(ウ)

以上のとおりであり,原告の前記(ア)の主張のうち,原告が来日す
るまでbの議長であったこと及び同組合はネパーリーコングレスの下部組織aの傘下に帰属するものであることを認めることはできるが,ネパール政府が上記に認定した程度の原告のbの元議長としての活動や同組合がネパーリーコングレスの傘下にあることを理由に,原告を逮捕するなど迫害を加えることは考え難いというべきである。そうすると,原告がbの元議長であることや同組合に所属していること自体は,直ちに原告の難民該当性を基礎付ける事実とはならないというべきである。ウ(ア)

前記ア②の点に関し,原告は,<A>平成13年(2001年)5月,
マオイストのリーダーから非難と抗議の電話を受けた,<B>同15年(2003年)4月,自宅を訪れたマオイストから金銭の要求を受け,投石を受けた,<C>同年8月にマオイストによって身柄を拘束され,活動をやめないと殺すなどと脅迫された,<D>同16年(2004年)12月及び翌年1月に,原告の家族に対してマオイストから脅迫の電話があったと主張し,また,マオイストからの上記のような脅迫等に対して,警察は保護してくれず,ネパール政府は,マオイストらの攻撃を容認していないものの,原告を守る役割を果たしていない旨主張する。
(イ)

確かに,前記認定事実のとおり,証拠によると,原告の上記主張の
うち<B>及び<C>の各事実に関し,原告は,平成15年4月に,何者かにより自宅に投石をされ,窓ガラス等が破壊されたこと,また,同年8月には,原告自身が身柄を拘束されてマオイストの事務所に連行されて脅迫を受けたことを認めることができる。
しかし,原告の上記主張のうち<A>及び<D>の各事実,すなわち,原
告及び家族がマオイストから非難と抗議の電話を受けたということに関しては,直接的にも間接的にもこれを裏付けるような客観的証拠は一切なく,原告の供述のみである。そして,前記認定事実,証拠(原告本人)及び弁論の全趣旨によると,原告は,<A>の事実については,本件難民認定申請書及び本件申立書に記載しておらず,1回目及び2回目の各事実調査においても何ら供述していなかったところ,本件異議申立書において初めて記載したこと,家族に対する迫害状況に関し,本件申立書においては,平成15年(2003年)9月10日,同月15日,同月20日の3回及び同年12月10日に1回といずれも日まで特定して迫害を受けたと申し立てていたが,同16年5月の事件については何ら記載がなかったこと(乙4の2),1回目の事実調査において,家族への迫害に関する供述はないこと(乙5の1),2回目の事実調査において,同15年9月と同16年5月にマオイストが来て家族を脅迫した旨供述し,同年5月の事件は,前回調査で質問されなかったので答えなかったなどと供述していること(乙5の2),訴状においては,家族に対する迫害に関し,同16年12月7日及び同17年1月3日に原告の妻に対して脅迫電話があったことを主張するのみになったこと(これが<D>の事実である。弁論の全趣旨),第1夫人を除くその余の原告の家族は,いずれも原告が訪日したいと告げても同行を希望せず,カトマンズにそのまま居住して生活していて,今日まで健在であることを認めることができる。このような原告の供述内容の変遷及び不合理な説明並びにカトマンズに在住する家族の状況等からすると,前記認定以外の原告及び家
族がマオイストから受けた脅迫等に関する原告の供述及び陳述は,にわかに信用することができず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。もっとも,前記認定事実によると,マオイストは,ネパール中西部山岳地帯を中心に武装化されたテロ組織であり,平成18年5月にはネパール政府が停戦合意をした上テロ組織の指定を取り消し,同19年1月からは,国連の監視下において徐々に武装解除を進めていること,同年1月に招集された暫定議会では,330議席中73議席がマオイストに割り当てられ,同年4月に発足した暫定政権にはマオイストも参加し,22閣僚ポストのうち5閣僚ポストが割り当てられていることを認めることができ,そうすると,ネパール政府のマオイスト対策が今日に至ってようやく効を奏し,治安が回復してきているものと認めることができるものの,原告が本件難民認定申請をした平成16年5月27日から本件不認定処分がされた同年12月7日までの時期は,国王が強権的に統治している一方で,国王主導政治に反発する政党勢力が抗議運動を繰り広げ,また,ネパール政府がマオイストに対し国軍を動員して治安回復に当たっていた時期であり,武装化したマオイストが一般市民等に対して金品を要求したり,脅迫,誘拐等暴力行為を働いていたことを認めることができる。したがって,前記認定のようなマオイストから脅迫等を受けた経験を有する原告が,当時,ネパールに帰国すれば,またマオイストから金品の要求や脅迫等を受けるのではないかとおそれを抱いていたということは十分に理解することができる。
しかしながら,原告の主張する迫害の主体はあくまでもマオイストで
あって,ネパール政府ではない。このような場合に,難民条約1条A(2)にいう国籍国の保護を受けることができないということができるというためには,国籍国の当局により故意に容認され,又は当局が効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはできないときに限られると解するのが相当であることは,既に判示したとおりである。そして,前記認定事実によると,本件不認定処分の当時であっても,ネパール政府が殊更テロ組織であるマオイストを放置していた状況を認めることはできず,むしろ,国軍を動員して治安維持や和平交渉を行っていたことを認めることができるのである。また,原告が何者かに投石された際やマオイストに誘拐された際に,警察は原告からの求めに応じて現に出動するなどし,一定の治安上の措置を講じていることは,原告も自認している(乙5の1及び2)。そうすると,ネパール政府が原告に対するマオイストによる脅迫等の行為を故意に容認し,又は効果的な保護を与えることを拒否し,若しくはできないときということはできないから,本件不認定処分の時点において,原告がネパールに帰国したとしても,ネパール政府の保護を受けることができない状況にあったとは認められないというべきである。
(ウ)

以上のとおり,原告がネパール政府からの保護を受けることができ
ない状況にあったとは認められない以上,マオイストから金品の要求や脅迫等を受けるおそれがあることは,直ちに原告の難民該当性を基礎付ける事実とはならないというべきである。

以上のとおりであり,原告の難民該当性に関する主張は,いずれも失当
というべきであり,そればかりか,前記認定事実のとおり,原告はマオイストに脅迫等された経験があり,そのことに恐怖を抱いていたことは認められるものの,他方において,①原告が今回来日したのは,主として自らが信仰を持っているiの本部においてしばらくの間修行をし,これを本国でも広めたいとの考えによるものであること,②原告は日本に入国して本件難民認定申請をするまでの約5箇月半の間,特に合理的な理由なく,日本以外の国又は国際機関に対し,難民認定申請をするなど何ら保護を求めていないことなどを総合して考慮すると,原告が本邦における在留を希望する理由は,主として日本において宗教活動等を継続することにあるということができ,原告がその所属する特定の社会的集団や政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者であるとは到底いうことはできず,本件不認定処分当時,入管法に規定する難民に該当していたということはできないものである。そして,本件不認定処分も,原告について難民該当性を認めることはできないと判断したものであるから,難民該当性の判断において適法であるということができる。3
争点2(改正前入管法61条の2第2項ただし書所定のやむを得ない事情の有無)について本件不認定処分は,証拠(乙7)によると,原告が難民に該当しないこと及び難民の認定の申請が60日条項に違反することを理由として行われたものである。そして,改正前入管法は,難民の認定を受けるための要件として,申請者が60日条項に違反しないだけでなく,難民に該当することも要求しているところ,本件不認定処分時において原告に難民該当性が認められないことは,
前示のとおりである。
したがって,争点2については,判断する必要がないというべきである。4
本件不認定処分の適法性について
以上のとおり,本件不認定処分の当時,原告に難民該当性を認めることはで
きず,そのほか本件不認定処分に違法な点はうかがわれないので,本件不認定処分は,適法であるというべきである。
5
争点3(本件認定の違法性の有無)について

(1)

入管法24条4号ロは,本邦に在留する外国人が在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者に該当することを退去強制事由として規定するものであるところ,これは,入管法21条に規定する在留期間の更新又は入管法20条に規定する在留資格の変更に伴う在留期間の変更を受けないで,在留資格をもって本邦に在留する外国人で,その現に付与されている在留期間を超えて本邦にいるものをいうと解される。そして,外国人から在留期間の更新の申請が在留期間内にされ,在留期間の経過後に不許可の通知がされた場合であっても,入管法上,在留期間の更新の申請をした外国人に対し,在留期間の経過以後その申請に対する処分結果の通知を受けるまでの間の残留を合法化する根拠はない。入管法21条は,在留期間の更新につき,本邦に在留する外国人は,現に有する在留資格を変更することなく,在留期間の更新を受けることができる(同条1項)とした上で,在留期間の更新を受けようとする外国人は,法務省令で定める手続により,法務大臣に対し,在留期間の更新を申請しなければならない(同条2項)と規定し,また,出入国管理及び難民認定法施行規則21条は,外国人
に対し在留期間の更新の申請をすることができることを規定している。しかし,この申請があった場合には,法務大臣は,当該外国人が提出した文書により,在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り,これを許可することができると定められている(入管法21条3項)。そうすると,これらの規定は,外国人に対して在留期間の延長を権利として付与したものではなく,あくまでも法務大臣の裁量的判断に基づいて在留期間の延長が許されるのであるから,在留期間の更新を申請をした外国人は,単に更新が許可されることがあり得るという事実上の期待を持つことができるだけであって,このように事実上期待することができるということをもって,在留期間の更新の申請に対する許否の通知前に在留期間を経過した場合に,その通知があるまでの間は当然残留できるという法的効果を生ぜしめるものと解することはできないし,その間の残留を法令が予定しているとみることもできない。在留期間が経過することにより,在留を合法化する根拠を失う以上,その外国人の在留は不法残留であるといわなければならない。(2)

そうすると,原告は,平成16年11月12日に在留期間更新許可申請を
したが,同年12月15日に本件在留期間更新不許可処分がされたので,これにより,最終の在留期限が同月1日までとなったものであり,その後,在留期間更新許可又は在留資格変更許可を受けることなく,本邦に残留していたことは,前記前提事実のとおりである。
したがって,原告が入管法24条4号ロに該当することは明らかであるから,東京入管入国審査官がした本件認定は適法である。
(3)

原告は,本件認定当時,本件難民認定申請中であり,在留期間中に在留期
間更新許可申請をしたにもかかわらず,在留期限後に本件在留期間更新不許可処分をしたことは不当かつ不相当であり,不法残留という状態は原告が自ら好んで招来したものではないから,本件認定は違法である旨主張する。しかし,難民の認定をしない旨の処分と在留期間更新不許可処分とは,全く別個の処分であるから,本件難民認定申請中に本件在留期間更新不許可処分をしたことが本件認定の違法事由となることはあり得ない。
また,前記前提事実及び弁論の全趣旨によれば,東京入管局長は,原告に対して,3回の在留期間更新許可処分をしたが,そのうちの後の2回の許可処分をするに当たり,原告が本件難民認定申請をしており,これに対する法務大臣の判断が未だされていなかった事実をも考慮したものであること,本件在留期間更新不許可処分は,平成16年12月15日にされたものであるが,これに先立ち同月7日には法務大臣が本件不認定処分をし,原告が難民に該当しないとの判断が示されていたことから,原告には在留期間の更新を認めるに足りる相当の理由がないとされたものであることが認められ,このことに,在留期間更新の許否に関して東京入管局長に付与された裁量が広範なものであり,在留期間の更新不許可処分が直ちに退去強制の効果を持つものではないことをも勘案すれば,東京入管局長の裁量権の行使が社会通念上著しく相当性を欠くということはできず,むしろ,その判断には,何らの違法もないというべきである。したがって,原告の上記主張は,その前提においても失当というべきである。
第4

結論
よって,原告の請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとし,
訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第38部

裁判長裁判官

杉原則彦
裁判官

小田靖子
裁判官

島村典男
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