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仮の差止め命令申立事件(本案事件:平成19年(行ウ)第3号 取消及び差止め請求事件)
事件番号平成19(行ク)1
事件名仮の差止め命令申立事件(本案事件:平成19年(行ウ)第3号 取消及び差止め請求事件)
裁判年月日平成19年6月18日
法廷名宇都宮地方裁判所
判示事項県知事から介護保険法103条1項に基づく勧告を受けた,介護老人保健施設を開設している医療法人社団がした,同条2項に基づく公表及び同条3項に基づく措置命令又は業務停止命令の仮の差止めを求める各申立てが,いずれも却下された事例
裁判要旨県知事から介護保険法103条1項に基づく勧告を受けた,介護老人保健施設を開設している医療法人社団がした,同条2項に基づく公表及び同条3項に基づく措置命令又は業務停止命令の仮の差止めを求める各申立てにつき,行政機関による公表は,非権力的な事実行為であり,それ自体によって直接国民の権利義務に影響を及ぼすものとはいえず,「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」には当たらないから,前記公表の差止めを求める訴えは不適法であり,適法な本案訴訟が提起されていない以上,前記公表の仮の差止めを求める申立ても不適法であり,また,前記措置命令は,勧告にかかる措置を命ぜられるにとどまるものであるから,これにより前記法人に償うことのできない損害が生じるおそれがあるとは認められず,前記業務停止命令についても一定期間に限られたものであることなどからすれば,これによって前記法人に償うことのできない損害が生ずるおそれがあるとは認められないとして,前記各申立てをいずれも却下した事例
裁判日:西暦2007-06-18
情報公開日2017-10-19 19:17:28
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主文1
本件申立てを却下する。

2
申立費用は,申立人の負担とする。

第1
1実及び理由
申立ての趣旨
栃木県知事は,申立人に対し,介護保険法第103条第2項に基づく公表をしてはならない。

2
栃木県知事は,申立人に対し,同条第3項に基づく措置命令及び業務停止命令処分をしてはならない。

第2

事案の概要
本件は,介護保険法に基づき介護老人保健施設を開設している医療法人社団である申立人が,栃木県知事が申立人に対して行った同法103条1項に基づく勧告(以下本件勧告という。)は,前提となっている事実が誤りであり,手続的にも違法であるとして,行政事件訴訟法8条1項に基づき本件勧告の取消しを求めるとともに,栃木県知事が申立人に対し行おうとしている同法103条2項及び3項に基づく公表(以下本件公表という。),措置命令・業務停止命令(以下本件命令という。)は,本件勧告が取り消されるべきものであり,かつ,本件公表及び本件命令がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあるとして,行政事件訴訟法37条の4第1項に基づき,栃木県知事に本件公表及び本件命令をしてはならない旨を命じることを求めることを前提に(本案事件,平成19年(行ウ)第3号),本件公表及び本件命令がされることにより生ずる償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があるなどとして,同法37条の5第2項に基づき,相手方に対し,本件公表及び本件命令を仮に差し止めることを命ずるよう求めた事案である。

1
前提事実(当事者間に争いのない事実及び括弧内掲記の証拠等により容易に認められる事実)

(1)

当事者
申立人は,診療所及び介護老人保健施設を経営するほか,訪問看護ステーションの業務を行う医療法人社団であり,介護保険法94条1項の知事の許可を受け,介護老人保健施設として,a介護老人保健施設(以下a老健という。)及び介護老人保健施設b(以下老健bという。)を開設している(甲1ないし3)ほか,c医院,d医院,訪問看護ステーションeを開設している(甲1)。


栃木県知事は,介護保険法103条1項の勧告,同条2項の公表,同条3項の命令を発する権限を有している行政庁であり,相手方は,栃木県知事が所属する行政主体である。

(2)

栃木県知事は,平成18年6月28日,栃木県保健福祉部高齢対策課(以

県高齢対策課
という。及び栃木県県北健康福祉センター職員をして,

a老健及び老健bに立ち入り,従業員に対して質問して報告させ,書類の写しを提出させて検査を行った(以下本件監査という。)。
栃木県知事は,同月29日も相手方職員らをして,申立人に対し,書類の写しを提出させるなどした。
(3)

栃木県知事は,平成18年10月3日付けで,a老健につき,①看護・介
護職員が入所者の数が3またはその端数を増すごとに1以上いなくてはならないという基準に適合していない,②介護支援専門員として専らその職務に従事する常勤の者がいると認められない,③常時身体的拘束を行っている,④身体的拘束等の記録がない,⑤従業者及び会計に関する諸記録の一部が整備されていないとして,2か月以内の改善及び報告並びに上記①ないし⑤に伴う介護報酬に関する過誤調整などを勧告し(本件勧告),勧告に従わなければ,従わなかった旨を公表することがあること,正当な理由なくして従わない場合には,措置命令・業務停止命令処分をすることがあることを告知した(以下本件告知という。甲25)。

(4)

その後,申立人と相手方との間で,質問,回答,弁明等のやりとりがされ
(甲30ないし32,59),同年12月27日,栃木県知事は,県職員らをしてa老健への立入検査を行い,平成19年2月9日,相手方は,申立人に対し,身体的拘束等についての改善は認められるものの,その余の改善,弁明は認められないとして,同月20日までに勧告に従うか否か回答するように伝えた(甲70)。
(5)

申立人は,同月20日,当裁判所に対し,申立人を原告,相手方を被告と
して,①相手方が申立人に対し本件勧告の取消し及び②相手方が申立人に対して行う予定の公表・措置命令・業務停止命令の差止めを求めて訴えを提起するとともに
(当裁判所平成19年(行ウ)第3号取消し及び差止め請求事件。本案事件。,
)本件仮の差止め命令申立てを行った
(当裁判所に顕著な事実)

2
争点
(1)
(2)

償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があるか。

(3)

本案について理由があるとみえるか。

(4)
3
本案訴訟の適法性

公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるか。

争点に関する当事者の主張
(1)

本案訴訟の適法性(争点(1))について

(相手方の主張)

申立ての趣旨第1項について
仮の差止めの申立てが適法であるためには,本案訴訟としての適格性を有する訴訟が係属しており,かつ,その訴訟が訴訟要件を満たすものであることが必要である。
申立ての趣旨第1項について,介護保険法103条2項に基づき,同条1項の勧告に従わなかった旨を公表することは,一般に周知させるための事実行為であって,公表行為自体によって申立人に何らかの義務を課した
り,その権利行使を妨げる法的効果を持つものではなく,行政処分性を有するものではない。
したがって,介護保険法103条2項に基づく公表行為の差止めを求める訴えは不適法であり,申立ての趣旨第1項は,適法な訴えの提起がなく不適法であるから却下されるべきである。

申立ての趣旨第2項について
申立ての趣旨第2項について,本案事件としての本件命令の差止めの訴えは,取消訴訟と執行停止という手段によっては十分な救済が図れないような重大な損害の要件を欠く不適法な訴えである。

(申立人の主張)

公表の処分性
権力的色彩を持つ行為については,行政訴訟法44条との関係で,民事訴訟の提起・仮処分の申立てをすることは難しいから,抗告訴訟の提起を認めることに合理性がある。したがって,事実上の行為であることのみをもっては処分性は否定されず,処分性の有無については事案に即して判断すべきである。
行政指導への不服従という事実の公表は,市民への情報提供のみを目的とするものではなく,行政指導への服従を担保するための措置である色彩が強く,事業者にとって,不服従を理由とする制裁にほかならないものであり,事実上,事業者に行政指導への服従を強制する権力的色彩が強い行為である。したがって,制裁としての公表に対しては,取消訴訟を提起することが認められるべきであり,かかる公表の処分性は認められるべきである。
本件において,相手方は,平成18年10月3日付け勧告書(以下本件勧告書という。)において,勧告への不服従の事実を介護保険法103条第2項に基づく公表がされることの不利益を示し,申立人に対して本
件勧告に従うことを強制している。したがって,相手方による同項に基づく公表は,制裁としての公表であり,極めて権力的色彩の強い行為であるから,行政処分性を有するというべきである。

差止めの必要性(重大な損害を生ずるおそれ)
申立人は,施設利用者から寄せられる信頼なくしては運営が成り立たない老人介護保険施設を運営しており,申立人が介護保険法に違反した旨が公表されれば,利用者がa老健のみならず,老健bからも離れていくことが容易に予想される。
また,a老健は,平成18年2月10日現在,56名の施設利用者を抱えており,業務停止命令処分がされると,a老健の利用者を他の施設に移動しなければならないが,56名の利用者の受け入れ先を近隣施設において確保することはきわめて困難であり,入所者には自宅待機を強いることになるが,入所者の家族に多大な負担がかかる。
仮に別の施設への移動が可能だとしても,移動の負担は介護を要する高齢の利用者にとってきわめて深刻である。
したがって,
相手方による公表・
業務停止処分により,申立人に重大な損害を生じることは確実である。
(2)

償うことのできない損害を避けるための緊急の必要性の有無(争点(2))
について
(申立人の主張)

緊急性
申立人は,本件告知を受けて,相手方に対し,弁明・説明を重ねたが,平成19年2月9日,県高齢対策課は,申立人の弁明はすべて認められないとの最終的な判断を下し,同月20日までに,本件勧告に従うか否かの回答をするよう要求するとともに,従わなかった場合には,行政処分手続に移行することを明言した。これに対し,申立人は,同月20日,栃木県知事に対し,勧告に従えない旨を回答した。

申立人が上記回答をしたことにより,
栃木県知事が公表・措置命令処分・
業務停止命令処分を行う蓋然性は極めて高く,直ちにこれを差し止める緊急の必要がある。

償うことのできない損害
(ア)

償うことのできない損害の意義
仮の差止めの制度は,国民の権利利益の実効的な救済手続の整備を図
る観点から,迅速かつ実効的な権利利益の救済を可能にすることを目的とするものであり,償うことのできない損害の意味を機械的に厳格に解釈するべきではない。本案判決前に規制権限に基づく監督処分や営業停止等処分がされて執行停止を受ける間もないまま公表されるおそれがあり,一旦当該処分が公表されると名誉や信用が侵害され,生活や事業活動に償うことができない損害が生じる場合は,まさにこれに該当するというべきである。
(イ)

回復不可能な損害
申立人が介護保険法に違反して基準要員を確保していないことなどが
公表されれば,利用者がa老健及び老健bから離れていくことが予想される。介護保険法103条2項の公表の趣旨は,勧告に従わない事業者への制裁と市民に対する情報提供の目的があるところ,後者の効果は,単なる情報公開にとどまらず,市民の事業者への信頼を失わせるものであり,
当該事業者は市民から選択される可能性を奪われるも同然である。いったん市民から信用を失えば,後の裁判によって行政指導の違法性が明らかになったとしても,地方公共団体と異なり,一般人である申立人がかかる事実を市民に広く知らしめる手段はなく,信用の回復はきわめて困難である。
介護保険法103条4項は,県知事が措置命令または業務停止命令をした場合には,その旨を公示しなければならないと規定しており,措置
命令・業務停止命令に伴う公示によってもまた,上記公表と同様申立人が介護老人保健施設としての信用と信頼を失うという重大な損害を生じるおそれがある。
また,前述のとおり,a老健は,平成18年2月10日現在,56名の施設利用者を抱えており,業務停止命令処分がされると入所者及びその家族に多大な負担がかかる。
近隣の施設は既に定員に近い数の利用者を受け入れており,定員を超えて受け入れるとすれば,人員基準を満たすため,施設の職員を増加する必要があるなど,多大な負担を伴うから,a老健の利用者を受け入れてもらうことは極めて困難である。仮に受入れが可能だとしても,一つの施設当たりわずかな人数に限られるため,a老健の入所者は,数個の施設に分かれて移動しなければならず,長距離移動を強いられるものも出てくる。搬送により,血圧の低下,呼吸停止,病的骨折,胃ろう逆流,皮膚の損傷,じょくそうの悪化などのリスクがある入所者も5名いる。a老健施設利用者は,
ほぼ全員が認知症患者であるが,
認知症患者は,
担当医師・看護職員・介護職員の交替や住居環境の変化に極めて敏感であり,かつ,適応するまでに時間がかかる。環境の変化だけで,不眠,妄想,幻覚,幻聴などの認知症の症状が悪化するケースもあり,かかる損害は,金銭的賠償では償いきれないことが明らかである。
症状の悪化に至らなくとも,高齢の利用者に対する肉体的・心理的負担は,金銭によって回復されるものではなく,安易に高齢の利用者に重い負担を課すべきではない。
したがって,相手方による公表・業務停止処分により,申立人に将来回復不可能な損害を生じることが確実である。

公表・業務停止命令の緊急性の欠如
相手方には本案が終了を待たずに直ちに公表・業務停止命令をしなけれ
ばならない緊急性はない。
a老健について,看護・介護職員の常勤換算数や常勤介護支援専門員の有無,身体的拘束等に関し過去には争いがあるとしても,現時点では申立人に人員不足や常勤の介護支援専門員欠如の違反等がないことは明らかであり,a老健が施設経営を継続するに当たり,利用者の福祉を害するおそれは一切ない。
したがって,反射利益との比較においても,本案が終了するまでの間,公表・業務停止命令を差し止めるべき要請は大きい。
(相手方の主張)
仮の差止めは,本案判決前に目的を実現させるものであるから,その要件である償うことのできない損害の生ずるおそれについては,本案訴訟における重大な損害よりも厳格に解すべきであり,金銭賠償のみによって損害を甘受させることが社会通念上著しく不合理と評価される程度の損害である必要がある。
申立人は,回復不可能な損害として,本件公表により利用者が離れていくこと及び業務停止命令により入所者の自宅待機や移動を強いることを挙げているが,公表は利用者の施設選択に当たっての判断要素の一つになる可能性があるに過ぎず,直接的関係はなく,また,申立人以外の者が受ける損害については償うことのできない損害の判断においてこれを考慮することはできない。
また,業務停止命令に関して,利用者56名のうち通所リハビリテーション利用者は,同一市内に他の通所リハビリテーション事業所が存在し,入所者についても介護老人保健施設が本来病状の安定し,治療や入院の必要がないリハビリを含む看護や介護などのケアが必要な要介護者を対象とする施設であることから長期間にわたる入所は予定されておらず,若干の不都合は生じたとしても,申立人のいう受入先の確保がきわめて困難であったり,自宅
待機や移動を強いることになるという事態はほとんど想定されず,回復不可能な損害とはいえない。
さらに,本件命令等によって生じる申立人の損害は,基本的には経済的損害であり,本件命令等がされた後,万が一その取消しの訴えが認容された場合であっても,その損害は,社会通念上金銭賠償による回復をもって満足することもやむを得ない性質のものというべきである。
したがって,償うことのできない損害が生じるとはいえない。
(3)

本案について理由があるとみえるか(争点(3))

(申立人の主張)
本件監査及び本件勧告手続は,以下のとおり,本件勧告の前提となっている事実が誤りであることに加え,重大な説明義務違反,比例原則違反,手続違反により違法であり,相手方が本件勧告を前提とする公表,措置命令及び業務停止命令を行うことは許されない。

本件勧告の前提となる事実認定の誤り
(ア)

人員不足に関する指摘の誤り
介護老人保健施設の人員,施設及び設備並びに運営に関する基準(以
下本件基準という。)2条1項3号は,看護職員又は介護職員常勤換算方法で入所者の数が3又はその端数を増すごとに1以上と規定し,常勤換算方法とは,本件基準省令の解釈通知によれば当該介護老人保健施設の従業者の勤務延時間数を当該常勤の従業者が勤務すべき時間数で除することにより,当該施設の従業者の員数を常勤の従業者の員数に換算する方法とされる。平成18年度のa老健の満たすべき常勤換算数は16以上であるが,申立人の算定によれば平成18年5月の場合,看護職員常勤換算数は4.67,介護職員常勤換算数は12.65であり,合計17.32であって,16人以上という基準を満たす。

同年6月の場合,
申立人の算定によれば,
看護職員常勤換算数は
4.59,介護職員常勤換算数は11.67であり,合計16.26であって,16人以上という基準を満たす。
相手方は,fについては勤務の実態がない,g,h及びiの勤務は,通所リハビリテーション勤務であるとして,これら4名の勤務時間数を算入しない。しかし,g及びhは,通所リハビリテーション職員として稼働していない月があったほか,通所リハビリテーションの開所曜日以外の曜日に施設サービス職員として稼働していたものである。したがって,通所リハビリテーションの担当日以外の勤務日を施設サービスの職員の勤務として扱うことに何の問題もなかった。
また,iは,平成18年5月より,施設サービスの職員としてしか稼働していない。相手方は,g,h及びiにつき,通所リハビリテーション実施曜日以外の勤務日すら,施設サービス職員としての勤務日として認定しておらず,相手方の算定は不合理である。
以上のとおり,f,g,h及びiにa老健施設サービスの職員(入所者担当職員)としての勤務実態がないとした相手方の認定は誤りである。
(イ)

介護支援専門員の常勤性の欠如に関する指摘の誤り
本件基準2条1項7号は,介護支援専門員1以上(入所者の数が100名又はその端数を増すごとに1を標準とする)と規定し,同条5項は,

第1項7号の介護支援専門員は,専らその職務に従事する常勤の者でなければならない。

と規定する。常勤とは,本件基準省令の解釈通知によれば,当該施設において定められる常勤の従業者が勤務すべき時間数に達していることであり,専ら従事するとは,原則として,サービス提供時間帯を通じて介護保険施設サービス以外の職務に従事しないこと」である。
fは,a老健の介護支援専門員として,週5日以上出勤していたものであり,常勤性を満たす。また,fは,施設サービスの勤務時間帯の前後に通所リハビリテーションの通所リハビリテーション計画書に目を通し,事務職員に,パソコン入力を依頼していたが,これらは全て勤務時間外に,施設サービスの仕事に加えて行ってきたものであり,専従性も満たす。
相手方は,fの常勤性を否定する理由として,本件監査において,a老健に常勤者の出勤簿がなかったことを指摘する。しかし,非常勤者の出勤簿はa老健事務室受付側に備え付けてあるが,常勤者の出勤簿は,事務室の受付とは反対側の小部屋に備え付けられたものである。申立人は,監査当日,相手方より出勤簿の提出を求められておらず,翌日,相手方から要求があったため,a老健の常勤者の出勤簿を提出している。したがって,相手方が出勤簿がなかったとする主張は誤りである。また,fに関してはもともとタイムカードが作成されていないが,これは,fが申立人の理事であり,給与ではなく報酬が支給されているためである。fの勤務時間外の労働には,残業手当を付ける必要がないため,タイムカードが作成していなかったものである。
fが常勤でないことを認めた旨の他の職員の調書は,職員の発言を曲解したものであったり,その調書による供述だけではfが常勤でないことを認定し得ないようなものであり,しかも専ら相手方職員から作成を強要されたものである。このような調書による事実認定の手法は不合理であり,fが介護支援専門員としての常勤性・専従性を欠くとの相手方の事実認定は誤りである。
(ウ)

設備不足に関する指摘の誤り
本件勧告では,平成17年11月当初からデイルーム,家族介護教室
の設備が不足しているとしているが,相手方は,同月当時これらの設備が備わっていると認めており,この指摘は誤りである。
申立人は,平成18年5月11日以降,夜間職員の確保の困難から,認知症ケア加算をしていない。したがって,同日以降は認知症ケア加算のためのデイルームも家族介護教室の設備も備える必要はなく,当然,本件監査時においても備える必要はなかったものである。相手方は,認知症ケア加算廃止後の施設を監査し,平成17年11月当初から,設備を備えていないなどと認定したのであって,その誤りは明白である。また,認知症専門棟加算及び認知症ケア加算の要件を満たすデイルーム(施設2階のデイルーム)は,現在でもa老健にあり,本件監査時にも存在した。家族介護教室は,認知症ケア加算中止後は,応接室として使用しており,監査時も同様であった。したがって,少なくともデイルームがないとの指摘は全くの事実誤認である。
(エ)

常時身体的拘束に関する指摘の誤り
相手方は,本件勧告書において,a介護老人保健施設では,入所者の一部に対し,常時身体的拘束等が行われているとの指摘をし,その根拠として,室内に柵が用意されていることを指摘している。
しかし,入所者jのベッドに柵があったのは本件監査日の午前3時ころに同人がベッドから落ちる事故があったため安全対策上取り付けたものであり,緊急の要請があり実施した時間も約4時間のみであって,常時身体の拘束をしていたものではない。その他の者についてのベッド柵使用は1名について家族の同意を得て使用している者がいるが,その余の者については使用していない。
また,相手方は,身体的拘束に関する同意書に終期の記載がないと主張しているが,この点については,一部の者について不備があったことは認めるが,拘束の同意書を得た日に終期を定めることが困難であるなどの事情もあった。さらに,転倒事故後の柵の使用について,床にマットを敷いて入居者を寝かせるというような相手方の主張は,jのような認知症患者にとっては大きな負担となる環境変化であり,最善の方法ではない。
そもそも,相手方が主張する身体的拘束に関する同意書に終期の記載がないことやj以外の者についてベッド柵を使用していること,転倒事故後の柵の使用につき緊急やむを得ない場合に該当しないことは,本件申立てに至って相手方が初めて指摘したことであり,本件勧告の理由ではなく,後付けの理由である。
(オ)

書類不備に関する指摘の誤り
相手方は①常勤職員の出勤簿,
②当月以外のタイムカードや勤務割表,

③会計書類,④身体拘束等の実施に関する記録,⑤感染症又は食中毒の予防及び蔓延防止に関する委員会,事故発生の防止のための委員会,身体的拘束廃止委員会の記録が不備であったと主張する。しかし,①常勤職員の出勤簿については,相手方は,本件監査の際,わかりやすい場所にあった非常勤者の当月分の出勤簿を勝手にコピーし,その写しを持って帰ったが,常勤者の当月分の出勤簿は別の場所にあったものであり,申立人職員は,常勤者の出勤簿も非常勤者の出勤簿も相手方から提出を求められていない。②当月以外のタイムカードについては,本件監査の際,相手方から提出を求められたが,宇都宮市α所在のk本部に保管されていたため,本件監査の日に相手方に提出することができなかったものである。③会計書類については,申立人の決算期は4月末日であり,毎年6月下旬に,前年度の決算書が作成されるため,申立人は,本件監査の前々日に,職員の給与明細書等必要書類を顧問公認会計士に引き渡したばかりであり,公認会計士の下で決算書を作成中であったことによる。④身体拘束の実施に関する記録がないとの指摘は誤りである。身体拘束の実施に関する記録は各入所者の診療録に記載があり,相手方は,記載が不十分であると指摘したにすぎない。⑤感染症又は食中毒の予防及び蔓延防止に関する委員会,事故発生の防止のための委員会,身体的拘束廃止委員会の記録については,本件監査において,相手方から提出を求められておらず,相手方からこれらの書類の不備についての指摘を受けたのは,本件監査実施後の平成19年2月9日が初めてであり,本件勧告の対象外である。
以上のとおり,相手方によるa老健に書類不備があったとの指摘は誤りである。

説明責任違反
(ア)

勧告の目的は,施設に改善を促すことであり,相手方は,本件監査
に基づき,3か月以上を費やしてa老健に基準違反行為があったと判断し,本件勧告を行ったのであるから,本件勧告の時点で申立人の求めに回答することが可能であり,a老健施設利用者のために速やかに改善措置が取られるよう,申立人の疑問に答える義務があった。
しかし,相手方が人員不足に関する指摘の根拠となるa老健の職員と認めなかった者の氏名を申立人に伝えたのは,本件監査から6か月半を,本件勧告からは4か月以上を経過した平成19年2月9日であった。しかも,同日においても,a老健施設サービスに勤務するg,i及びhの3名を通所リハビリテーション勤務と判断した理由については明らかにしていなかった。
(イ)

相手方は,本件勧告時において,勧告の内容に関する説明資料

と題する書面の外,a介護老人保健施設にかかる報酬の減算期間,加算の返還期間及び実地指導等にかかる自主返還フローと題する書面を交付しようとしたが,申立人が受領しようとしなかったと主張するが,これは誤りである。勧告に関する資料は,本件勧告の後,申立人の要求を受けて,平成18年10月11日に相手方から提供されたものである。本件勧告当時,申立人は,勧告の内容が理解できず,相手方に説明を求めていたものであり,勧告に関する資料の受領を拒絶する理由がない。
また,相手方は,同日の説明により申立人顧問弁護士が理解を示したと主張するが,これも誤りである。当日説明会の場にいた弁護士は,同日に限って立会人として同席したにすぎず,申立人の顧問弁護士ではなく,申立人及び同弁護士が相手方の説明に積極的に理解を示したとの事実もない。

比例原則違反
(ア)

行政指導に関する法の一般原則の一つが比例原則であり,行政指導
は,違反状態を排除するために必要であり,かつ,目的と手段が比例していなければならない。
介護保険法100条1項に定める調査には,指導(集団指導・書面指導・実地指導)と監査の2種類がある。実地指導と監査とは,いずれも施設の事業所において行う調査である点は同じであるが,監査は一定の限定された場合にのみ実施され,その後行政上の措置として業務停止等が行われるなど,実地指導とでは実施要件と効果が大きく異なる。本件監査は,a老健を退職した元職員より通報があったことにより,監査の実施要件である,不正・著しい不当や重大な違反を疑う理由があると判断したとのことであるが,かかる通報のみをもって重い効果を持つ監査の実施要件を充足するとの判断は合理的でない。
申立人は平成12年に介護老人保健施設として許可を受けて以来,栃木県介護保険施設等指導監査及び実施要綱及び同要領に基づく,人員不足に関する指摘・指導や介護支援専門員の常勤性欠如に関する指摘・指導を受けたことは一度もなかったのであるから,平成18年6月28日における申立人に対する調査は実地指導で十分足りるものであった。また,相手方が主張するa老健に関しての苦情の内容は介護支援専門員の不在,看護・介護職員の不足,介護職員による医療行為,ケアプランの説明がないとの指摘であり,これらに関する指摘も相手方からa老健に対して,過去に一度も行われたことがないものであり,今回が初めての指摘であったのであるから,従前通り,監査ではなく,実施指導で足りたはずである。
したがって,相手方が平成18年6月28日にa老健に対していきなり本件監査を実施したことは,比例原則に著しく反する。
(イ)

相手方は,過去に,申立人に対し,理学療法士の不足,不適切な身
体拘束の廃止,重要事項説明書の不存在及び非常口の確保等についての指導,医師の名義借り並びに管理者の不在があったことをもって,監査を実施するに十分な理由があったと主張するが,どの老健施設においても相手方の調査の際に何も指摘されないことはまずない。したがって,a老健が相手方や保健所の指導を受けたことは特別なことではなく,その後速やかに改善がされれば,相手方や保健所による指導の目的は達せられ,その後指摘があったこと自体を蒸し返す必要はない。
a老健は,
指摘された事項について,
適切に対応してきたものであり,
上記の事情は,相手方が監査を実施する正当な理由にはならない。(ウ)

本件勧告に従い減算に応じるとして,申立人が返還すべき金額を計
算すると,1か月が経過するごとに,約400万円の負担が増加することとなる。
相手方は,本件監査以前に不正または著しい不当や重大な違反
があったことを認知し,実地指導ではなく,事前通知なしの監査を実施したのであるから,本件監査後,遅くとも1週間以内には,本件勧告が出せたはずである。実際,県高齢対策課とともに,同日に調査を行った栃木県県北保健所長は,同月30日には,調査の結果・改善すべき点につき,施設に対して文書で告知している。
したがって,3か月以上もの間,本件勧告を遅らせ,少なくとも1200万円近くにも上る3か月分の負担を申立人に課すのは不当に重い措置であり,比例原則違反である。
相手方は,主な事実認定を平成18年6月28日におけるa老健職員からの聴き取りにより行っており,相手方が時間を掛けて確認を行う必要があるのは,人員不足に関する指摘において,平成18年5月・6月分のタイムカードから,常勤換算数を計算することぐらいである。そして,
かかる作業は,
一人で行ったとしても3か月も要する作業ではない。
たとえ相手方が慎重を期したとしても,勧告までに3か月を要したというのは合理的範囲を超えている。
(エ)

減算の始期については,証拠等から現実に人員欠如があったと認定
される日ではなく人員欠如が判明した日からと,
減算の終期については,
都道府県が人員欠如解消を認めるとの判断を出した月ではなく都道府県が解消を認めた月すなわち確認作業を行った結果,証拠等から施設に改善が認められた月と解釈するべきである。
したがって,本件において,人員不足に関する指摘に基づく減算の始期は,本件勧告のあった平成18年10月の翌月である同年11月であり,介護支援相談員の常勤性の欠如に関する指摘に基づく減算の始期は本件勧告のあった平成18年10月の翌々月である同年12月,身体的拘束実施における記録不足に関する指摘に基づく減算の時期も,本件勧告のあった平成18年10月の翌月である同年11月というべきである。エ
手続違反について
(ア)

監査にあたり事前の通知がなかったことについて
栃木県介護保険施設等指導及び監査実施要領は,
監査実施方法につき,

監査を行う介護保険施設等を決定したときは,あらかじめ一定の事項を文書により当該介護保険施設等に通知すること,緊急に監査を実施する必要があると判断した場合には,監査の当日に通知を行うことができることを定めているところ,相手方が本件監査の通知を行ったのは,当日の監査開始直前であった。
相手方はa老健が証拠改ざん行為を行うおそれがあったことをもって,上記取扱を行ったと主張するが,例外は厳格に解釈されるべきで単に主観的抽象的に証拠改ざん行為のおそれがあるだけでは足りず,本件では申立人に客観的具体的な証拠改ざんのおそれはない。相手方の主張によれば,相手方は,平成18年5月23日には,苦情により,申立人の違反を疑っていたのであるから,監査実施日の6月28日までには,申立人に対し事前の通知をすることができたのであって,本件に緊急性はない。
また,当日行われた通知には,上記要領が定める出席者事前提出資料,準備すべき書類の記載が欠けており,この点からも手続違反は明らかである。
(イ)

調書の作成強要
本件監査に際し,申立人職員の調書が作成されているが,これらはい
ずれも調書作成義務がない旨の説明がなされないばかりか,暗に作成しない場合の不利益処分を示唆されるなどして調書の作成・提出を迫られたものである。仮に相手方職員のこのような言動がなかったとしても,申立人職員1名に対し,相手方職員が2,3名で書く内容を指示するという当日の状況からすれば,申立人職員は,調書を書く義務があると思いこまされ,書くことを断れるという発想に至らなかったものであり,申立人職員は任意に調書を作成・提出したものではない。
したがって,相手方による調書の押収は,a老健職員等に義務な
きことを強要したものであり,権限逸脱行為として違法である。
(相手方の主張)

本件勧告の前提となる事実認定について
(ア)

人員不足に関して
本件基準によれば,看護職員または介護職員は常勤換算方法で入所者の数が3またはその端数を増すごとに1以上とされている(本件基準2条1項3号)。
常勤換算方法及び数式並びに平成18年度のa老健の満たすべき常勤換算数は,申立人主張のとおり16以上であるが,f,g,h及びiを算入すべきとの申立人の主張は理由がない。
すなわち,
fは,
a老健の勤務表に記載がないばかりか,
老健bの
苦情処理委員会の委員長となっており,同施設の会議に出席するなど,a老健での勤務の実態が認められない。
また,gについては,通所リハビリテーションのデイ・ケア記録
から,通所リハビリテーション職員として稼働していることが明らかであった。
h及びiについても,業務日誌及び介護記録から勤務が確認できなかったことに加え,申立人職員lからhらが通所リハビリテーション勤務である旨の報告を受けている。
(イ)

介護支援専門員の常勤性の欠如に関して
本件基準2条5項は,

介護支援専門員は,専らその職務に従事する常勤の者でなければならない。

と規定し,常勤のみならず専従であることが求められている。
介護支援専門員と主張されているfは,前述のとおり,老健bの業務を行っており,a老健では常勤出勤簿及びタイムカードすら存在していなかったもので,その旨同人も認め,他の職員もfがa老健に常時勤務していたものではなかったとしている。
したがって,同人が常勤専従でなかったことは明らかである。
(ウ)

設備不足に関して
申立人が主張する平成17年10月12日には,届出どおり設備を備
えているかどうかの相手方による調査が行われた事実はなく,設備不足とした期間は,監査当日の状況のみではなく,lからの聴き取りなども踏まえて記載したものである。
(エ)

常時身体的拘束に関して
本件基準13条4項には,介護老人保健施設は,介護保険施設サービスの提供にあたっては,当該入所者または他の入所者等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き,身体拘束その他入所者の行動制限をする行為(以下「身体的拘束等という。)を行ってはならない。」と定められている。
申立人は,j以外の入所者3名について,身体拘束である車椅子抑制を行うとして家族から終期のない同意を得ているが,身体拘束の実施にはやむを得ない事情(一時性,切迫性,非代替性)が必要であり,終期のない拘束は違法である。
さらに,相手方は,その3名について,身体拘束用のベッド柵が用意され,同意のない違法な身体拘束が行われていることを確認したほか,a老健職員の証言等からその身体拘束が常時行われていることを確認した。
ここにいう常時とは,1日中という意味でなく,緊急やむを得ない場合という例外的な場合に該当しない,頻繁に又は定期的にという意味であり,毎晩,睡眠時間に柵を設置する場合も該当するところである。
申立人は,入所者がベッドから転がり落ちるという事故があったから身体拘束を行ったと主張するが,これは,職員による見守りの強化や,床の清潔さに配慮した上でマットレスを用意して,入所者にはそこに休んでもらうなどの対応をすべき代替性のある事例であり,身体拘束が許される緊急やむを得ない場合には該当しない。
(オ)

書類不備に関して
指定介護老人福祉施設や介護老人保健施設が備える書類(例示)

に記載された書類を備えるべきことは,公的な報酬を得る介護老人保健施設の設置者として当然に理解していなくてはならない事項である。しかしながら,本件監査時点において,確認できただけでも,常勤職員の出勤簿,当月以外のタイムカードや勤務割表,会計書類,身体的拘束等の実施に関する記録がなく,感染症又は食中毒の予防及び蔓延の防止に関する委員会,事故発生の防止のための委員会,身体的拘束廃止委員会が開催されていないこと,または存在しないこと,それらに関する記録がないことが確認された。
さらに,平成18年12月27日の確認検査の際に,その報告に基づき備えるべき書類の存在を確認したところ,同日に至っても,設置すべき委員会が存在しないか開催されておらず,また,それら委員会の記録も確認できないなど,備えるべき書類が備えられていないことが確認された。

説明責任違反について
本件勧告については,申立人は勧告時にも勧告の理由と根拠を説明し,勧告の内容に関する説明資料と題する書面の外,a介護老人保健施設にかかる報酬の減算期間,加算の返還期間及び実地指導等にかかる自主返還フローと題する書面も交付しようとしたところ,相手方が勧告の内容に関する説明資料等については受領しなかった。そこで,平成18年10月11日,当時の申立人顧問弁護士立ち会いの下,上記勧告の内容に関する説明資料等を交付し,再度勧告の理由と根拠を説明したところ,同弁護士も理解を示したものである。
したがって,申立人の説明責任違反との主張は事実に反する。

比例原則違反について
申立人は,監査の必要性がなく,勧告も遅かった旨主張する。
しかしながら,平成18年5月15日,相手方に対し,老健bに関する苦情が寄せられたほか,
同月23日には,
a老健にかかる苦情が寄せられ,
その内容も,介護支援専門員の不在,看護・介護職員の不足,介護職員による医療行為,ケアプランの説明がないという運営基準違反であり,苦情が続けて寄せられる事態は滅多にあることではないことから,厚生労働省が示している監査実施要件と照らし合わせても監査を実施する必要性が極めて高かった。a老健に対しては,平成10年の開設以降,理学療法士の不足,不適切な身体拘束の廃止,重要事項説明書の不存在,非常口の確保等について指導を行っており,申立人においても,平成16年に医師の名義借りについて,平成17年には管理者の不在について,それぞれ顛末書を提出していた。従って,監査を実施するに十分な理由があったものである。
また,本件監査時点において,相手方は人員不足を指摘していたところであり,申立人もそれを認識していたことに加え,申立人の主張するとおり,勧告は正当な理由なく従わない場合,公表や業務停止命令処分につながる可能性があるものであるから,
慎重に事実確認等を行うべきであって,
勧告が遅すぎるとの批判も当たらない。
なお,減算の始期については介護保険法の返還金及び加算金の返還請求権は民法上の不当利得の特則であり,平成19年3月1日付け厚生労働省老健局総務課介護保健室の『報酬請求指導マニュアル』に基づく加算請求指導に関するQ&Aについてと題する事務連絡において,基準等不適合の場合の報酬上の措置等として適切なサービスの実施となるよう是正指導の上,加算報酬上の基準要件等を満たしていない部分について自己点検の上,過誤調整により返還させるとし,遡及も有としていることから,違反を発見した日でなく,違反の始まった日からであることは明らかである。

手続違反について
栃木県介護保険施設等指導及び監査実施要領によれば,監査実施方法について,

緊急に監査を実施する必要があると判断した場合には,監査の当日に通知を行うことができるものとする。

とされている。緊急に監査を実施する必要性は,監査を実施する意義・効果が担保されるか否かによって判断されるべきところ,本件で疑われた違反行為は人員不足等の介護給付等対象サービスの内容の不正といった重大なものであったことから,事実関係を的確に把握する必要があった。そして,本件の場合,証拠改ざん行為が行われると,それを立証することは不可能か著しく困難となってしまうことから,事前に通知がなかったことは何ら違法事由となるものではない。
また,調書の作成についても,相手方職員の質問に対するa老健職員の答えについて,依頼して書いてもらったものであり,作成を強要したことも不利益処分を示唆したこともなく,違法性がないことは明らかである。
(4)

公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるか(争点(4))

(相手方の主張)
介護保険法は,加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり,入浴,排せつ,食事等の介護,機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について,これらの者が尊厳を保持し,その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう,必要な保健医療サービス及び福祉サービスにかかる給付を行うため,…国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とし(介護保険法1条),保険給付は,被保険者の心身の状況,その置かれている環境等に応じて,被保険者の選択に基づき,適正な保健医療サービス及び福祉サービスが,多様な事業者又は施設から,総合的かつ効率的に提供されるよう配慮して行わなければならないとしている(2条3項)。同法103条2項及び同3項は,業務に従事する従業員の人数,設備及び運営に関する基準に適合していない施設を放置しておくことによってもたらされかねない適切な福祉サービスが提供されないという被保険者の被害の拡大を防止し,被保険者に必要かつ適正な福祉サービスを選択させることなどの上記目的等を実行あらしめる趣旨の規定であるから,仮に申立人に対する本件命令等が差し止められれば,上記行政目的の実現に重大な影響を及ぼすことは明らかである。
したがって,本件申立てが認容されると,公共の福祉に重大な影響を及ぼす。
(申立人の主張)
公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれの要件は,仮の差し止めの発動が人の生命を直接に危うくすることが予見されるようなときなどよほど極端な場合に限られるのであって,
本件ではこれに匹敵するような事情はなく,
これを基礎づける事実の疎明もない。
第3
1
当裁判所の判断
申立ての趣旨第1項(本案訴訟の適法性,争点(1))について
仮の差止めの申立てが認められるためには,適法な本案訴訟が提起されている必要がある。そこで,本案訴訟の適法性について検討する。
差止めの訴えの対象である処分(行政事件訴訟法3条7項)とは,行政庁の処分その他公権力の行使にあたる行為(同条2項)であり,国または公共団体の機関が行う行為のうち,その行為によって直接国民の権利義務を形成し,またはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう。行政機関による公表は,非権力的な事実行為であり,それ自体によって直接国民の権利義務に影響を及ぼすものとはいえず,行政庁の処分その他の公権力の行使にあたる行為にはあたらない。したがって,介護保険法103条2項に基づく公表の差止めを求める訴えは不適法であり,適法な本案訴訟が提起されていない以上,申立ての趣旨第1項にかかる申立ても不適法である。
2
申立ての趣旨第2項について
(1)

仮の差止めの申立てが適法であるためには,
本案訴訟としての適格性を有

する訴訟が係属しており,かつ,その訴訟が訴訟要件を満たすものであることが必要であり,差止めの訴えにおいては一定の処分等がされることにより重大な損害を生ずるおそれが訴訟要件となるが(争点(1)),仮の差止めが認められるためには
重大な損害を生ずるおそれ
があるのみならず,
償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があることが必要であることから,後者(争点(2))につき先に判断する。
(2)

償うことのできない損害とは,
金銭賠償が不可能な場合のほか,
社会通念

に照らして金銭賠償のみによることが著しく不相当と認められるような場合も含まれると解され,本件のような場合,申立人の事業活動に深刻な影響を及ぼすおそれがあり,
回復が著しく困難な状況を生じさせるようなときには,
償うことのできない損害を生じるおそれがあるというべきである。(3)

上記を前提に,
本件において,
措置命令及び業務停止命令が行われた場合

に申立人に償うことのできない損害を生じるおそれがあるか否かを検討する。ア
措置命令
介護保険法103条1項は,都道府県知事は,介護老人保健施設が,その業務に従事する従業者の人員について第97条2項の厚生労働省令で定める員数を満たしておらず,又は同条第3項に規定する介護老人保健施設の設備及び運営に関する基準(省略)に適合していないと認めるときは,当該介護老人保健施設の開設者に対し,期限を定めて,第97条第2項の厚生労働省令で定める員数の従業者を有し,または同条第3項に規定する介護老人保健施設の設備及び運営に関する基準を遵守すべきことを勧告することができる。とし,同条3項は,都道府県知事は,第1項の規定による勧告を受けた介護老人保健施設の開設者が,正当な理由がなくてその勧告に係る措置を取らなかったときは,当該介護老人保健施設の開設者に対し,期限を定めて,その勧告に係る措置を取るべきことを命…ずることができる。と定める。上記のとおり,措置命令は,勧告にかかる措置を取るべき旨を命ぜられるにとどまり,同条4項により措置命令がされた場合にその旨が公示されたとしても,直ちに申立人の事業活動に深刻な影響を及ぼし,回復が著しく困難な状況を生じさせるものとは認めがたい。
したがって,措置命令により申立人に償うことのできない損害が生じるおそれがあると認めることはできない。

業務停止命令
介護保険法103条3項は,都道府県知事は,第1項の規定による勧告を受けた介護老人保健施設の開設者が,正当な理由がなくてその勧告に係る措置を取らなかったときは,当該介護老人保健施設の開設者に対し…期間を定めて,その業務の停止を命ずることができる。と定める。確かに,業務停止命令がされると申立人はa老健の営業を停止せざるを得なくなるが,業務停止命令が,一定期間に限られるものであること,a老健は介護老人保健施設入所,短期入所,通所リハビリテーション,訪問看護等を事業内容とするが(甲2),申立人が主張する平成19年2月10日現在の入所者のうち,同年6月末日までに期間が満了する者が21名おり,期間満了予定日がもっとも先の者で平成20年12月31日と,長期間にわたる入所は予定されていないこと(甲97)からすると,業務停止命令により申立人が直接受ける損害が後に回復困難なものであるとまではいえない。
また,申立人は,a老健の外に,c医院,老健b,訪問看護ステーションe等の事業を行っており,特に老健bについては,a老健と同種の事業を行っていること(甲2,3)からすれば,一時的にa老健の営業を停止したとしても,事業運営にかかわる取引先が離れるなどして申立人の事業活動に深刻な影響を及ぼし,回復が著しく困難な状況を生じさせるとまでは認められない。
したがって,業務停止命令により申立人に償うことのできない損害が生じるおそれがあると認めることはできない。
なお,申立人は,業務停止命令処分がされると入所者及びその家族に多大な負担がかかる旨主張するが,上記入所者等の被る損害は,申立人の被る損害とは異なるのであって,
行政事件訴訟法37条の5第2項にいう
償うことのできない損害とは当該申立人において生じる損害のみをいうものと解すべきであるから,上記入所者等の被る損害を斟酌することはできない。

したがって,申立ての趣旨第2項は,償うことのできない損害を避けるための緊急の必要性がなく,申立ての趣旨第2項は理由がない。

3
以上のとおり,申立ての趣旨第1項にかかる申立ては不適法であり,申立ての趣旨第2項は理由がないから,いずれも却下することとして,主文のとおり決定する。
平成19年6月18日
宇都宮地方裁判所第2民事部

裁判長裁判官

柴田秀
裁判官


裁判官

垰井攻奈央子
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