判例検索β > 平成16年(ワ)第397号
損害賠償等請求事件
事件番号平成16(ワ)397
事件名損害賠償等請求事件
裁判年月日平成20年2月12日
裁判所名・部山形地方裁判所  民事部
結果棄却
判示事項の要旨現・中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中に中国華北地方から日本に強制連行され強制労働に従事させられたとする者及びその被相続人らが原告となって,当該強制労働に従事した先の企業及び国を被告らとして,不法行為又は安全配慮義務違反を理由として,謝罪広告の掲載及び損害賠償を請求した場合において,被告国が主導し,被告企業の関与の下での強制連行・強制労働の事実を認定し,原告らの被告らに対する不法行為及び安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の発生を肯定したが,同請求権が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」5項に基づく請求権放棄の対象となり,裁判上訴求することはできないとして,原告らの請求をいずれも棄却した事例
裁判日:西暦2008-02-12
情報公開日2017-10-17 20:45:01
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主文1
原告らの請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は,原告らの負担とする。

第1
1実及び理由
請求
被告らは,原告らに対し,それぞれ別紙2謝罪広告目録のア記載の新聞の各朝刊の全国版下段広告欄に,2段抜きで同別紙イ記載の謝罪広告文案の謝罪広告を,見出し及び被告らの名は4号活字をもって,その他は5号活字をもって1回掲載せよ。

2
被告らは,原告らに対し,連帯して,原告A,同B,同C,亡D,亡E及び亡Fについて一人につき2500万円及びこれらに対する被告国につき平成17年1月25日(訴状送達の日の翌日)から,被告酒田海陸運送株式会社につき同月23日(訴状送達の日の翌日)から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2
1
事案の概要
本件は,中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中に中国華北地方から日本に強制連行され被告酒田海陸運送株式会社(以下被告会社という。)の下で強制労働に従事させられたと主張する者(原告A,同B,同C,亡D,亡E,亡F。以下本件被害者らという。)が原告(なお,亡Dについては,D’1,D’2,D’3及びD’4が,亡Eについては,E’1,E’2,E’3,E’4及びE’5が,亡Fについては,F’がそれぞれ訴訟承継した。)として,被告らに対し,被告国が中国人労働者を日本国内に移入する政策を決定し,被告会社とともに本件被害者らを過酷な条件の下で強制労働に従事させたものであるから,被告らの行為について不法行為又は安全配慮義務違反が成立するなどと主張して,謝罪広告の掲載及び損害賠償を請求した事案である。
なお,本件被害者らは,被告らの行為があった当時,中国国籍を有していたものであるが,本件は,強制連行を含めて本件被害者らが日本国の領土内に入ってからの被告らの行為を損害賠償請求権の発生の根拠とするものであるところ,当時の法例(明治31年法律第10号)によれば,不法行為等による法定債権の成立及び効力については,その原因である事実の発生した地の法律によることになり(法例11条1項),また,法律行為の成立及び効力については,当事者の意思に従い,いずれの国の法律によるべきかを定め(法例7条1項),当事者の意思が明らかでないときは,行為地法によると定められているから(法例7条2項),弁論の全趣旨も考慮すれば,本件において適用される法律(私法)は,当時の日本の民法である。
2
原告らの主張の概要
(1)

前提となる事実関係
原告らが主張する前提となる事実関係は,別紙3原告ら主張の事実関係記載のとおりである。(2)

被告らに対する共同不法行為に基づく損害賠償請求
被告らが本件被害者らの強制労働を目的として強制連行し,強制労働に従
事させたことは,被告国の国策に基づき,被告らが形式的にも実質的にも共同し一体となって推し進めたことであるから,被告らは,①陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(以下ヘーグ陸戦条約という。)違反,②ILO第29号強制労働ニ関スル条約(以下強制労働条約という。)違反,③国際慣習法違反により,民法上の共同不法行為責任を負う。
(3)

被告国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求
ヘーグ陸戦条約3条は,同条約違反行為により被害を受けた個人が交戦当
事者に対して直接損害賠償請求権を行使することができることを定めたものであり,被告国の行為がヘーグ陸戦条約の諸規定に違反するものである以上,原告らは,同条約3条に基づき被告国に対して損害賠償請求権を有する。(4)

被告国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求
本件被害者らが強制労働に従事中,食事,衣服,宿舎のすべての面におい
て,劣悪な労働環境におかれ,約8か月で中国人労働者全体の10%に死者が出たり,多数の呼吸器疾患,栄養失調の疾病が出るほどの状況にあったにもかかわらず,被告国は,日本港運業会や被告会社に対し,何らの是正措置を求めたりすることなく,また,自ら是正する行為も行わず,本件被害者らを生きていくことすらできない困難な状態に放置したものであるから,安全配慮義務違反の責任を負う。
(5)

被告会社に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求
本件被害者らは,被告会社の下で,いつ死んでもおかしくないような栄養
不良状態におかれ,飢餓感にさいなまれる苦痛や,いつ過労死してもおかしくないような過酷で休みのない長時間労働を強いられるという苦痛,また,入浴等もない耐え難く不衛生で,かつ,暖房設備にも乏しく凍死しかねないほど寒い状況下で暮らす苦痛を余儀なくされ,怪我や病気になっても医師による治療や投薬も受けられなかったものであるから,被告会社は,安全配慮義務違反の責任を負う。
(6)

本件被害者らの損害
本件被害者らの被害の大きさ及び被害の質の特殊性からすれば,被告らは,
謝罪広告の掲載により,原告らに誠意ある謝罪を行い,本件被害者らの苦痛に対する慰謝の措置を講ずるとともに,本件被害者らに対して,慰謝料として2000万円,弁護士費用として500万円の合計2500万円の損害を賠償すべきである。
3
被告国の主張の概要
(1)

不法行為に基づく損害賠償請求について
国家無答責の法理
原告らの主張する損害は,国家の権力的作用によるものであって,かかる損害については,国家賠償法(以下国賠法という。)施行前においては,国が損害賠償責任を負うことはなかった(国家無答責の法理)。したがって,被告国に対する不法行為に基づく原告らの請求は,請求権の発生を根拠づける実体法の規定を欠くものであって,それ自体失当である。

除斥期間の経過
本件では,原告らの主張に係る加害行為から本件訴訟提起までに既に20年が経過しているから,民法724条後段の除斥期間の経過により,原告らの損害賠償請求権は法律上当然に消滅している。

(2)

ヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求について
個人の国際法主体性の要件有無の観点から,ヘーグ陸戦条約は個人に加害
国に対する損害賠償請求権を認めたものとは解釈できない上,ヘーグ陸戦条約の文脈,趣旨・目的や起草過程を考慮しても,ヘーグ陸戦条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものと解することはできない。
(3)

安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について
安全配慮義務が存在しないこと
安全配慮義務の成立の前提となるある法律関係に基づく特別の社会的接触は,当事者間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係が存在し,かつ,これに基づき直接具体的な労務の支配管理性が存在する場合のことをいうものと解される。
しかし,原告らは,一方的に強制連行されたと主張しているのであるから,原告らが主張する事実によっても,被告国と本件被害者らとの間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係があるとも,直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係があるとも認められない。

消滅時効の援用
仮に,原告らが,被告国に対し,民法415条に基づく損害賠償請求権を有するとしても,原告らの本件訴訟提起は,権利を行使することができる時から10年を経過してなされたものであることは明らかであり(民法166条1項,167条1項),消滅時効を援用する。
(4)

日華平和条約及び日中共同声明等
本件のようないわゆる強制連行問題も含め,第二次世界大戦に係る賠償並
びに財産及び請求権の問題については,日本国との平和条約(以下サン・フランシスコ平和条約という。),その他の二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って被告国が誠実に対応し,これらの条約等の当事者との間では法的に解決済みであり,本件についても,日本国と中華民国との間の平和条約(以下日華平和条約という。)11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は国によって放棄されており,日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(以下日中共同声明という。)5項においてもその放棄が宣言されているのであるから,原告らの請求に応ずる被告国の法律上の義務は消滅している。
4
被告会社の主張の概要
(1)

前提となる事実関係
被告会社が主張する前提となる事実関係は,別紙4被告会社主張の事実関係記載のとおりである。(2)

不法行為に基づく損害賠償請求について
不法行為が存在しないこと
戦時中の酒田港での中国人労働者が従事した作業は,当時の日本人労働者,あるいは,当時の婦人や学生などの勤労奉仕隊の作業員が従事していた作業と比較しても,危険度においても高度な危険を有する作業はなく,また,負担においても大きな負担となる作業もなかった。
また,中国人労働者の作業内容は被告国の方針によっておのずと定まり,被告会社には作業内容を決定する権利や作業内容を変更する権利はなかった。
中国人労働者がかなりの人数死亡したことについては,中国人労働者が日本国内に入国するまでに受けた虐待や劣悪な生活環境とそれによるダメージが原因であり,被告会社が原告らに損害賠償責任を負うことはない。イ
消滅時効の援用・除斥期間の経過
被告会社は,本件被害者らが,損害及び加害者を知った時から3年以上が経過していることにより,民法724条前段の消滅時効を援用する。また,不法行為の時から20年以上が経過しており,民法724条後段の除斥期間が経過している。

(3)

安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について
安全配慮義務違反が存在しないこと
被告会社は,揚塔司令部の指定する作業を忠実に遂行するしかなかったものであり,被告国による中国人労働者の徴用については,何ら関係を有しない。
また,被告会社と中国人労働者との間には直接具体的な契約関係はなく,日本港運業会酒田華工管理事務所と中国人労働者との間に直接具体的な雇用関係があるのである。
したがって,被告会社は,中国人労働者に対して安全配慮義務を負担することはない。


消滅時効の援用
被告会社は,本件被害者らが損害を知った時から5年以上が経過していることにより,商法522条の消滅時効を援用する。
被告会社は,本件被害者らが損害を知った時から10年以上経過していることにより,民法167条1項の消滅時効を援用する。

(4)

日華平和条約及び日中共同声明等
日華平和条約及び日中共同声明によって,原告らを含む中華人民共和国の国民は,日本国,日本国の国民,日本国の法人に対して,日中戦争の遂行中に生じた請求権については,裁判上訴求する権利を失った。
5
争点
(1)

被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求(争点1)


不法行為(争点1-1)


国家無答責の法理の適用(争点1-2)(被告国のみ主張)


消滅時効による請求権消滅(争点1-3)(被告会社のみ主張)


除斥期間の経過による請求権消滅(争点1-4)

(2)

被告国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求(争点2)
(3)

被告らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求(争点3)

被告国の安全配慮義務違反(争点3-1)


被告会社の安全配慮義務違反(争点3-2)


消滅時効による請求権消滅(争点3-3)

(4)
6
日華平和条約及び日中共同声明等による請求権放棄(争点4)

争点に関する当事者の主張
争点に関する当事者の主張の詳細は,別紙5及び6の各主張対比表の原告らの主張,被告国の主張,被告会社の主張の欄にそれぞれ記載されたとおりである。

第3
1
当裁判所の判断
認定事実1(本件被害者らを含む中国人労働者が日本内地に移入され被告会社で労働に従事した経緯・概要等)
証拠(甲1ないし19,21,24,66ないし76,97,128,129,132,135,136,139,147ないし150,152,検証,原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば,本件被害者らを含む中国人労働者が日本内地に移入され被告会社の下で労働に従事した経緯・概要等について,以下の事実が認められる。
(1)

中国人労働者の移入に至る経緯
日本国は,昭和12年7月の廬溝橋事件をきっかけに中国との間で交戦状
態に入り(以下これを日中戦争という。),昭和16年12月8日の真珠湾攻撃をきっかけにいわゆる太平洋戦争を開始した。
この戦争の遂行過程で,特に軍需会社の重筋部門(鉱山労働,土木建築,港湾荷役等)の労働力が枯渇するようになった。日本国政府は,このような労働力不足に対処するため,昭和13年4月に公布された国家総動員法等に基づいて国民総動員体制を築くとともに,当時日本国に併合していた朝鮮半島から多数の朝鮮人労働者を日本内地に移入するなどの施策を講じたが,重筋部門における深刻な労働力不足は解消されなかった。
石炭産業,土木工業等の産業界は,戦争の比較的早い段階から労働力不足が生ずることを見越して,外地労働力,特に中国華北地方の労働者移入を検討し,日本国政府にその実現に向けた要望を提出してきた。
一方,中国華北地方を支配下においた華北方面軍は,昭和14年9月,興亜院(昭和13年12月に内閣の外局として設置された中国占領統治の中央機関であり,昭和17年11月に大東亜省に改変された。)とともに,華北の労働力を統制すべき一元的機関を設置する方針を取り決め,昭和16年7月には,中国華北地方における労働者の募集,供給及び斡旋を一元的,独占的に行う機関として,華北労工協会が設立された。
そして,興亜院は,昭和17年8月ころ,華北労務者ノ対日供出ニ関スル件と題する文書を作成した。同文書には,日本国内における労働力不足の現況にかんがみ,中国人労働者によってこの充実を図り,もって戦時経済の円滑な運営を実現するとともに,供出労働者に対し,将来華北において必要とされる労働技術に習熟させることを目的とすること,募集,輸送,就労中の労務管理の一部及び帰還を一貫して華北労工協会が行うこと,募集は華北労工協会が関係機関と緊密な連携を保持し,これらの機関組織を通じて募集工作を実施すること,供出に要する一切の費用は事業者の負担とし,募集費は一日当たりの単価を協定し華北労工協会に一括前納することなどが記載されていた。
さらに,日本国政府は,昭和17年11月27日,華人労務者内地移入ニ関スル件と題する閣議決定をした。この決定では,内地ニ於ケル労務需給ハ愈々逼迫ヲ来タシ特ニ重筋労務部面ニ於ケル労力不足ノ著シキ現状ニ鑑ミ左記要領ニ依リ華人労務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共栄圏建設ノ遂行ニ協力セシメントスという方針を示し,まず試験的に一定数の中国人労働者の移入を行い,その結果を見て漸次本格実施に移すこととされた。また,この決定は,中国人労働者を重筋労働部門の労働者として使用すること,華北の労働者を利用するが,事情によっては他の地域からも移入することができること,移入する中国人労働者の募集,斡旋は華北労工協会が現地機関と協力して進めること,移入する中国人労働者は概ね40歳以下の男子で心身健康なものを選ぶこと,中国人労働者の移入に先立って一定期間現地の機関で必要な訓練を行うこと,中国人労働者は契約によって原則2年間継続して使用することができること,中国人労働者の管理については,その慣習に急激な変化を来さないように留意すること,中国人労働者の食事は中国人労働者の通常の食を給付するものとすること,その所得は,支那現地において通常支払われる賃金を標準として,残留家族に対する送金をも考慮して定めることなどを要領として定めていた。
そして,上記閣議決定の方針に基づき,企画院により華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク華北労務者内地移入実施要領が定められ,昭和18年4月から11月にかけて1400人余りの中国人労働者の試験移入が実施された。
日本国政府は,試験移入の実績を踏まえ,昭和19年2月28日,次官会議において,本格的移入を開始する旨の華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件を決定した(次官会議決定)。華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件の具体的内容は,次のとおりである。
昭和十七年十一月二十七日閣議決定ニ係ル「華人労務者内地移入ニ関スル件ニ依リ実施シツツアル試験移入ノ成績ハ概ネ良好ナルヲ以テ本件第三措置ニ基キ左記要領ニ依リ本格的移入ヲ促進セントス
第一

通則
本件ニ依リ内地ニ移入スル華人労務者(以下単ニ華人労務者ト称
ス)ノ供出又ハ其ノ斡旋ハ大使館現地軍並ニ国民政府(華北ヨリノ場合ハ華北政務委員会)指導ノ下ニ現地労務統制機関(華北ヨリノ場合ハ華北労工協会)ヲシテ之ニ当ラシムルコト


華人労務者ハ訓練セル元俘虜又ハ元帰順兵ノ外募集ニ依ル者トス
ルコト
前項ノ労務者ハ年齢概ネ四○歳以下ノ男子ニシテ素質優良,心身
健全ナル者ヲ選抜スルコトトスルモ可成三○歳以下ノ独身男子ヲ優先的ニ選抜スル様努力スルコト


華人労務者ハ移入ニ先立チ可成一定期間(一ヶ月以内)現地ノ適
当ナル機関ニ於テ必要ナル訓練ヲ為スコト
移入未経験労務者ニ付テハ内地ニ於テモ之ヲ使用スル工場事業場
ヲシテ必ズ一定期間必要ナル訓練ヲ為サシムルコト


華人労務者ハ之ヲ国民動員計画産業中鉱業,荷役業,国防土木建
築業及重要工業其ノ他特ニ必要ト認ムルモノニ従事セシムルコト
尚,就労地ニ付テハ可及的分散セシメザル如ク留意スルコト


華人労務者ノ契約期間ハ原則トシテ二年(但シ往復途中ノ日数ヲ
含マズ)トシ同一人ヲ継続使用スル場合ニ於テハ二年経過後適当ノ時期ニ於テ希望ニヨリ一時帰国セシムルコト

華人労務者ハ毎年度国民動員計画ニ計上シ計画的移入ヲ図ルモノ
トスルコト


華人労務者ニ対スル取扱及待遇ニ関シテハ其ノ民族性ヲ考慮シ特
ニ注意ヲ払フト共ニ業種又ハ就労地ニ依リ著シク差等ヲ生ゼザル如クスルコト


華人労務者ノ家族送金及持帰金ニ付テハ原則トシテ特別ノ制限ヲ
附セザルコト

第二

使用条件


華人労務者ノ使用ヲ認ムル工場事業場(以下単ニ工場事業場ト称
ス)ハ華人労務者ノ相当数ヲ集団的ニ就労セシムルコトヲ条件トシ関係庁ト協議ノ上厚生省之ヲ選定スルコト
移入ニ関スル細目手続ハ別ニ定ムル所ニヨルコト


華人労務者ノ管理ニ付テハ特ニ左ノ諸点ニ留意ノ上華人ノ慣習ニ
急激ナル変化ヲ来サザル如クスルコト
1
工場事業場ハ現地ヨリ同行セル日系指導員ヲ華人労務者ノ直接
責任者トシテ之ガ連絡世話ニ当ラシムルコト

2
華人労務者ノ使用ニ当リテハ可及的供出時ノ編成ヲ利用スル如
クシ且作業ニ関スル命令ハ日系指導員及華系責任者(隊長又ハ把
頭)ヲ通ジ之ヲ発スルコトトシ華人労務者ニ対スル直接ノ命令ハ
厳ニ之ヲ慎ムコト

3
華人労務者ノ作業場所ハ朝鮮人労務者又ハ俘虜トハ厳ニ之ヲ区
別スルコト

4
就労地到着後ハ充分ナル休養ヲ与へタル上就労セシムルコト

5
住宅ハ湿気予防ニ留意ノ上朝鮮人労務者住宅ト近接セザル如ク
一廊ヲ画シ設置スルコト
6
食事ハ可成華人労務者ノ通常食ヲ給スルモノトシ之ガ食糧ノ手
当ニ付テハ農商省ニ於テ特別ノ措置ヲ構ズルコト

7
慰安所並ニ娯楽施設ニ付テハ工場事業場ニ於テ適当ナル施策ヲ
講ズルコト


華人労務者ノ賃金ハ内地ニ於ケル賃金ヲ標準ト為スルモ内地ト現
地ノ賃金及物価ノ間ニ甚ダシキ懸隔アル実情ナルヲ以テ残留家族ニ対スル送金及持帰金ヲ確保スル為所要ノ措置ヲ講ズルコト
賃金手当其ノ他ノ給与ノ具体的細目及之ガ支払方法,防疫,保健,衛生,保護救済等ニ付テハ別ニ之ヲ定ムルコト


就労時間ハ内地ノ例ニヨルコト


四大節ノ外旧正月三日並ニ端午節仲秋節各一日ハ必ズ公休日ノ取
扱ヲ為スコト

第三

移入及送還方法
移入及送還ニ要スル経費ハ労務者ノ賃金ヨリ控除セザルコトトシ,原則トシテ工場事業場ノ負担トスルモ差当リ要スレバ国家補償等適当ノ方途ヲ講ズルコト


華人労務者ノ輸送ハ日満支関係機関ニ於テ之ガ手配ヲ為スコト


華人労務者ハ契約期間満了後工場事業場ニ於テ原則トシテ之ヲ集
合地迄送還スルコト疾病其ノ他ノ理由ニ依リ就労ヲ継続シ能ハザルニ至リタル労務者ニ付テモ同様タルベキコト

第四

其ノ他
工場事業場ハ華人労務者ノ防諜並ニ逃亡防止ニ付特段ノ配慮ヲ為
スコト


工場事業場ノ職員ヲ指導員トシテ現地ニ於テ訓練スル為適当ナル
措置ヲ講ズルコト
訓練完了セル指導員ハ順次円滑ニ之ヲ曩ニ現地ヨリ同行セシメタ
ル日系指導員ト交代セシムルモノトス

華人青少年ノ内地ニ於ケル委託養成ニ関スル措置ニ付テハ別ニ之
ヲ定ムルコト


国家補償ノ方法及限度等ニ付テハ別ニ之ヲ定ムルコト



そして,次官会議決定に基づいて定められた華人労務者内地移入手続においては,庁府県は,厚生省から中国人労働者の事業主別移入雇用員数の割当予定通報を受けたときは,事業主に華人労務者移入雇用願を所轄庁府県を経由して提出させること,厚生省は,中国人労働者の割当てを決定した場合はその旨を大東亜省に通知するとともに,事業場別割当表を内務省宛に送付すること,大東亜省は,上記通報を受けた際は,その労働者の引継輸送年月日等を決定し,その都度厚生省に対しこれを通報すること,厚生省は,上記通報を受けた際は,関係庁府県を通じこれを事業主に通報し,移入労働者の引継,輸送,到着後の措置につき遺憾なきを期するとともに,引率責任者を選定の上,大東亜省宛通報すること,移入労働者の引継,輸送のため中国に渡航するに当たっては,あらかじめ下船地及び乗船地を管轄する各警察署,関係機関と事前に充分な打合連絡を遂げ,引率輸送上遺憾なきを期すること,移入中国人労働者が就業地に到着したときは,事業主をして地方長官宛に労働許可証申請の手続をとらせるとともに,速やかにその就業地を管轄する国民職業指導所に名簿を添付して輸送途中の概況を報告させること,移入中国人労働者の異動,災害その他事件が発生したときは,特に捜索等の機密保持に留意するとともに,事業主をして速やかに警察署,国民職業指導所に報告させること,事業主は所轄警察署,国民職業指導所その他関係機関の指示に従い訓練施設,技術教育施設,適切な慰安娯楽施設を設ける外,健康診断,生活訓練等を講ずることなどが定められた。
そして,これらの本格移入の実施要領,細目手続の策定に続き,昭和19年4月4日,厚生次官及び内務次官の連名で,各地方長官宛に華人労務者内地移入ニ関スル方針及び華人労務者内地移入要綱を添付した依命通牒を発出し,次官会議決定で定めた中国人労働者の本格移入の方針,手続を伝え,同年8月に閣議決定された昭和19年度国民動員実施計画をもって,朝鮮人労働者29万人の内地移入のほか,中国人労働者3万人の本格移入を実施する旨の方針を定めた。
また,これらの中国人労働者の移入に関しては,日本国政府は,関係各省や現地の華北労工協会に細部の事務を分担してこれを行うこととし,内務省は,昭和19年4月,厚生省,軍需省とともに,移入した中国人労働者の取締りに関して,移入華人労務者取締要領を定めた。この移入華人労務者取締要領には,地方庁において,中国人労働者の割当予定通報を受けたときは,事業者側と連絡し,作業場宿舎等の選定,警戒態勢の樹立その他取締上必要な諸般の準備をしておくこと,宿舎は防牒並びに公安風俗上支障のない場所を選定させるよう指導を加えること,入国時における視察検索に当たっては,抗日不逞分子の計画的潜入に特に注意し,綿密周到な措置を講ずること,警察署長が移入中国人労働者の引継輸送に関して事業者側から報告を受けたときは,可及的便宜を計り,取締対策に遺憾なきを期すること,事業者側に対しては中国人労働者の逃走はもちろん,事業者内外における事故はささいなものであってもすべて報告を厳行させること,逃走者がある場合は直ちに関係方面に捜査手配をなし,これの発見に努めること,宿舎については,関係者以外の出入りを禁じ,特に在留中国人との連絡を厳断すること,移入中国人労働者の稼働状況並びに異動に関しては毎月取りまとめ内務省に報告することなどが定められている。
関係地方庁及び警察は,上記要領に基づき,事故防止等の治安上の見地から事業主に対する指導を行った。
これらの決定に基づいて,昭和19年3月から昭和20年5月までの間に,161集団3万7524人の中国人労働者が日本内地に移入された。(2)

日本港運業会及び被告会社の設立経緯等
国家総動員法を受けて,昭和16年9月に港湾運送業等統制令が制定され,
各港ごとに企業合同による統制会社が設立された。被告会社は,港湾運送業等統制令に基づき,戦時下の輸送力強化という国策に基づき,昭和17年7月27日,酒田における港湾荷役作業を行う酒田港湾運送株式会社として地元企業8社の共同出資により設立され,昭和27年9月,現在の商号へ変更したものである。
また,昭和18年2月,全国の港湾作業会社を会員とする中央統制団体の日本港運業会が設立された。被告会社を始めとする港湾作業会社においては,労働力不足の状態が続いており,被告会社においても,女性や学生からなる勤労奉仕隊によって労働力不足を補っている状態であったが,日本港運業会は,全国の港湾作業会社の労働力を確保するために,中国人労働者を移入することとし,昭和19年4月1日の運輸通信省通牒海運港湾第1541号華人労務者ノ取扱方ニ関スル件に基づき,港湾荷役華工管理要項を定め,同要項において,労務の需給状況及び中国人労働者の受入態勢の適否を考慮の上,主管官庁の承認を得て配置港を決定すること,中国人労働者を配置する港には,日本港運業会華工管理事務所を設置し,中国人労働者の管理に関する事務を行わせることが定められた。そして,同要項に基づき,日本港運業会の出先機関として,各事業場ごとに華工管理事務所が設置され,酒田においては,昭和19年12月10日,酒田華工管理事務所が開設された。
中国人労働者の取扱いに関しては,上記要項及び同要項に基づいて定められた華工使用ニ関スル指示要綱によれば,中国人労働者は日本港運業会会員たる港湾作業会社に使用させること,中国人労働者の管理に必要な施設は港湾作業会社が日本港運業会の指導の下に設置すること,中国人労働者の就労中は港湾作業会社が指導及び保護の責任を負い,日本港運業会がそれを監督すること,港湾作業会社は日本港運業会に対し中国人労働者の使用料を支払うこととされていた。
そして,被告会社は,移入労働者の割当てと管理を所管することになっていた厚生省に対し,県を通じて,中国人労働者の移入の申請をし,日本港運業会は,華北労工協会との間で,中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結し,中国人労働者を被告会社の下で労働に従事させることとした。(3)

中国人労働者らの移入状況
昭和19年12月,華北労工協会から酒田華工管理事務所を通じて被告会
社に対し,中国人労働者199人が引き渡された。本件被害者らはこのうちの6名である。
中国人労働者らは,中国華北地方から日本軍等によって集められ,塘沽収容所に収容された。塘沽収容所は日本人により管理されており,中国人労働者らは,十数日に渡り塘沽収容所に収容されたが,綿の服と毛布1枚を渡されたのみで冬の生活を送らざるを得ず,食事もとうもろこしの饅頭などが1日2,3回与えられるのみであり,中には日本人から暴力を振るわれる者もおり,死亡者も出た。
昭和19年12月,200人の中国人労働者らは,塘沽から貨物船に乗せられ,門司港に向かい,20日余り後に門司港に到着した。その間,中国人労働者らには食事や水もわずかしか与えられず,そのうち一人は航海中に死亡した。
その後,中国人労働者らは,下関駅から酒田駅に運ばれ,被告会社の事業場に運ばれ,施設に収容され,監視員らによって常時監視されることとなった。
被告会社は,昭和20年5月,東京華工管理事務所から,さらに合計138名の中国人労働者を受け入れた。
中国人労働者らは,被告会社の事業場において,貨物の陸揚げ作業に従事し,貨物船から艀船へ石炭を積み替える作業や貨物船から岸壁へ石炭を直接陸揚げするなどの作業に従事させられ,仕事を休んだり遅れたりする者は日本人に殴られることもあった。作業時間は,午前6時から午後6時くらいまで(船の都合により午後10時くらいまでかかるときもあった。),又は,午後6時から翌日午前6時までで,夜間の就労の場合,その翌日は午後まで休むことが許されていた。中国人労働者によっては,午前6時から翌日午前6時までの24時間労働させられた者もおり,その場合は,翌日が休暇となった。また,雨や雪の日で船が来ない日など仕事をしない日もあった。1日3食支給される食事は,饅頭,粥,大根の漬物などで,量も少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。衣服や靴は,一着,一足が支給されたのみで洗濯もできなかった。就寝場所は,中国人労働者ら20人くらいが1列に寝るような藁を敷いた板の上であり,薄い敷布団と毛布1枚しか与えられていなかった。また,風呂は交代制であったが,入ることができない者もいた。このように,衛生環境の維持等も極めて不十分であり,多数の病人も出たが,傷病者らに対する治療も十分行われなかった。
なお,これらの作業従事状況や生活環境は,厳寒期である冬場も特別の配慮は払われていなかった。
帰国までの間に,中国人労働者らのうち合計31人が死亡した。上記31人のうち,23人が病死であり,その他は,溺死者一人,空襲による死亡者二人,逃亡により轢死した者3人,日本人に殺害された者一人,中国人労働者相互の紛争による死亡者一人である。
(4)

終戦後の中国人労働者らの状況等
終戦後,昭和20年8月21日,酒田華工管理事務所は,政府機関より被
告会社の事業場における中国人労働者の稼働停止の指示を受け,その稼働を停止させた。その後,中国人労働者らは,連合国軍の指示により中国に送還されることとなり,昭和20年11月29日,酒田発佐世保行きの臨時列車に乗車し,同年12月1日,佐世保から船に乗って塘沽まで行き,帰国した。帰国前に計6人が逃亡したため,酒田事業場が受け入れた中国人労働者合計338人のうち,帰国した者は301人である。また,帰国した者のうち二人は失明する疾病を負っていた。
なお,中国人労働者を受け入れた全事業場を通じて,移入者総数3万8935人のうち,送還時までに死亡した者は,6830人(17.5%)である。
(5)

終戦後の被告会社の状況等
終戦後,日本港運業会は,中国人労働者を受け入れたことに伴ってもろも
ろの損害が生じたと主張して,日本国政府に対して補償を求める陳情を行い,日本国政府も,昭和21年3月ころ,その要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,被告会社は,日本港運業会を通じて3万2000円の補償金を取得した。
(6)

本件被害者らの状況等
本件被害者らは,家族らと日常生活を送るなどしていたところを,遊びに
行かないかなどとだまされたり,突然複数の日本人や中国人らに囲まれ,取り押さえられたりして強制的に収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした。上述のとおり,本件被害者らは日本内地に移入させられ,被告会社の事業場で労働に従事したが,日本内地に渡航して被告会社の下で稼働することを事前に知らされてこれを承諾したものではなく,被告会社との間で雇用契約を締結したものでもない。本件被害者らが日本内地に移入され,日本国内で労働に従事し,帰国するに至る経緯に関する個別的事情は,概ね以下のとおりである。

原告A
(ア)

原告Aは,1920年6月(旧暦)に,河北省邢台市任県で生まれた。
原告Aは,同県で,父,叔母,妻とともに農業を行うなどしていたが,1944年8月(旧暦)ころ,中古服を売りに出るために邢台駅で汽車を待っていたところ,突然何者かに捕らえられ,持っていた中古服や現金を奪われ,日本軍の機関,邢台西刑務所等に連れて行かれた。その間,拷問を受けたり,数日間食事が与えられなかったりといった過酷な状況に置かれた。
その後,他の中国人らとともに塘沽収容所に送られた。
(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場での労働に従事することとなった。原告Aは,船から下ろした石炭等を竹かごで担いで運んだり,船の荷物(袋入りの大豆等)を背中に背負って下ろしたりして,これらを列車に詰め込むという港湾荷役作業に従事させられた。
これらの作業は,毎日,午前6時から午後8時ないし10時ころまで続けられ,その間,日本人から作業を監督されており,作業が遅れたり,失敗したりした場合は,日本人から殴られることもあった。
(ウ)

終戦後,原告Aは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽
港に戻り,1946年1月に自宅に帰り着いたが,妻は目が見えなくなっており,また,家の全財産もほとんど失われた状態となっていた。イ
亡F
(ア)

亡Fは,1922年2月(旧暦)に,河北省にあるa村で生まれた。
亡Fは,民間組織の遊撃隊の副隊長をしていたが,1944年11月,唐山市で自転車を買うために道路端にいたときに,中国人に

遊びに行かないか。

と声をかけられ,ついて行ったところ,日本軍の駐屯地に連れて行かれ,そこで捕まった。
亡Fは,そこで,1週間監禁され,拷問を受け,後に塘沽収容所に送られた。
(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場の労働に従事することとなった。
亡Fは,主に船から石炭等を荷下ろしする作業をさせられ,船が来ないときには,石炭を列車まで運ぶ作業もさせられた。このような作業は,毎日,午前6時ころから午後6,7時ころまで続けられ,徹夜で作業することもあった。
亡Fは,石炭の荷下ろしの作業中に石炭の塊が右足にぶつかり,足が腫れ上がる怪我をし,さらに,体調を崩し血を吐いたこともあったが,いずれも医師の治療を受けることができずにいた。
(ウ)

終戦後,亡Fは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽港
に戻り,その後,a村に帰り着いたが,上記の右足怪我は治療が手遅れの状態となっており,帰国後も歩行もままならず,稼働することができず,物乞いなどして生活せざるを得なかった。
そして,亡Fは,平成18年1月17日,中華人民共和国において死亡し,養女であるF’が本件訴訟を承継した。

原告B
(ア)

原告Bは,1924年4月(旧暦)に河北省唐山市・県で生まれた。
原告Bは,地主に雇われて農業の手伝いをしていたが,1944年9月初めころ,日本軍が八路軍の掃討作戦を展開しているという話を聞き,村から隠れていたときに,日本軍や中国警備隊に包囲され,捕まえられ,日本軍の駐屯地に連れて行かれ,その後,塘沽収容所に送られた。(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場での労働に従事することとなった。原告Bは,船の荷下ろしと下ろした石炭をトラックに積む作業をさせられた。このような作業は,午前6時から午後6時までの12時間労働と午前6時から翌日午前6時までの24時間労働があった(なお,24時間労働の際には,翌日に休みの時間が与えられた。)。
原告Bは,貨車から荷物を運び入れる際に,貨車に立てかけてあった板の橋から落ちて怪我をしたため,日本人に休ませてほしいと申し出たが,日本人にひどく殴られた挙げ句に,建物の狭い部屋に入れられ,治療は一切受けることができなかった。
(ウ)

終戦後,原告Bは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽
港に戻り,その後,自宅に帰り着いた。

原告C
(ア)

原告Cは,1923年1月(旧暦)に河北省唐山市開平区bで生ま
れた。
原告C,鉄工場で働いていたが,1944年9月14日ころ,朝寝ているときに,日本軍や中国警備隊に襲われ,日本軍の施設に連れて行かれ,その後,塘沽収容所に送られた。
(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場での労働に従事することとなった。原告Cは,船から下ろされた石炭等を貨車まで運び入れる作業をさせられ,1日に何十回と貨車まで往復させられた。このような作業は,毎日,午前6時から午後6時まで続けられ,徹夜で作業するときもあった。その際に,遅かったり休んだりした場合には,殴られたりすることもあった。
(ウ)

終戦後,原告Cは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽
港に戻り,その後,自宅に帰り着いた。

亡D
(ア)

亡Dは,1924年10月(旧暦)に河北省唐山市豊潤区cで生ま
れた。
亡Dは,父,母,妻,妹3人とともに農業を営んでいたが,1944年9月ころ,深夜に日本軍がやって来て捕まり,縛りつけられて日本軍の施設に連れて行かれ,その後,塘沽収容所に送られた。
(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場での労働に従事することとなった。亡Dは,船の積荷を下ろし,トラックに積む作業をさせられた。このような作業は,午前6時から午後6時ないし10時まで続けられた。亡Dは,疲労と栄養不良により倒れ,1か月ほど仕事を休まざるを得ない状態になったことがあった。
(ウ)

終戦後,亡Dは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽港
に戻り,その後,自宅に帰り着いた。
そして,亡Dは,平成18年12月23日,中華人民共和国において死亡し,子であるD’1,D’2,D’3及びD’4が本件訴訟を承継した。

亡E
(ア)

亡Eは,1927年8月(旧暦)に河北省唐山市・県で生まれた。
亡Eは,父,妻,兄弟及びその家族とともに農業を営んでいたが,1944年9月26日ころ,いつものように田畑で耕作をしているときに,日本軍が来たため,逃げたがすぐに日本軍に追いつかれ,倒されて捕まり地下牢に連れて行かれ,そこで拷問を受け,その後,塘沽収容所に送られた。
(イ)

そして,上述の経緯のとおり,他の中国人労働者らとともに被告会
社の下へ連れて行かれ,事業場での労働に従事することとなった。亡Eは,船からの石炭等を下ろし,貨車まで運び入れる作業をさせられた。このような作業は,毎日,午前7時から午後6,7時まで続けられ,徹夜で作業するときもあった。
その際に,作業がうまくできない場合には,殴られたことがあった。亡Eは,熱が出て,寝込んだ状態となるなどしたが,医師による治療を受けることはできなかった。
(ウ)

終戦後,亡Eは,上述の経緯で他の中国人労働者らとともに塘沽港
に戻り,その後,自宅に帰り着いた。
そして,亡Eは,平成19年2月1日,中華人民共和国において死亡し,子であるE’1,E’2,E’3,E’4及びE’5が本件訴訟を承継した。
2
認定事実2(戦後における日本国と中華民国,中華人民共和国との外交関係,日本国の戦後処理等)
証拠(甲46ないし51,64,95,96,162,乙9ないし14,43,56,57,64ないし68,70ないし79,81ないし90,106,107)及び弁論の全趣旨によれば,戦後における日本国と中華民国,中華人民共和国との外交関係,日本国の戦後処理等について,以下の事実が認められる。
(1)

日本国は,第二次世界大戦後,連合国の占領下に置かれたが,昭和26
年9月8日,サン・フランシスコ市において,連合国48か国との間で,日本国との平和条約(サン・フランシスコ平和条約)を締結し,昭和27年4月28日の同条約の発効により独立を回復した。この条約は,第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることになったものであり,各連合国と日本国との間の戦争状態を終了させ(1条(a)),連合国が日本国民の主権を承認する(1条(b))とともに,領域(第2章),請求権及び財産(第5章)等の問題を最終的に解決するために締結されたものである。ただし,後述するとおり,中国(日中戦争を戦った国家としての中国をいう。以下同じ。)が講和会議に招請されなかったほか,インド等は招請に応ぜず,ソヴィエト社会主義共和国連邦等は署名を拒んだため,すべての連合国との間の全面講和には至らなかった。
(2)

サン・フランシスコ平和条約には,戦争賠償及び請求権の処理等に関し,
次のような規定がある。

日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし,また,存立可能な経済を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される(14条(a)柱書き)。


日本国は,現在の領域が日本国軍隊によって占領され,且つ,日本国によって損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする(14条(a)1。以下,この規定による役務の供与を役務賠償ということがある。)。


各連合国は,日本国及び国民等のすべての財産,権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄の下にあるもの(戦争中連合国政府の許可を得て連合国領域に居住した日本人の財産等一定の例外を除く。)を差し押え,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条(a)2)。


この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する(14条(b))。


日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し,且つ,この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在,職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する(19条(a))。
(3)

中国は,連合国の一員として,本来,講和会議に招請されるべきであっ
たが,昭和24年に成立した中華人民共和国政府と,これに追われる形で台湾に本拠を移した中華民国政府が,いずれも自らが中国を代表する唯一の正統政府であると主張し,連合国内部でも政府承認の対応が分かれるという状況であったため,結局,いずれの政府も講和会議には招請しないこととされた。ただし,日本国の中国における権益の放棄(サン・フランシスコ平和条約10条),在外資産の処分(同条約14条(a)2)に関しては,中国はサン・フランシスコ平和条約の定める利益を受けるものとされた(同条約21条)。
(4)

日本国政府は,その後,上記(2)イに基づく役務賠償等に関する交渉を連
合国各国と進めるとともに,サン・フランシスコ平和条約の当事国とならなかった諸国又は地域についても,戦後処理の枠組みを構築する二国間平和条約等を締結すべく交渉を行うこととなった。この中で,最大の懸案となったのは,講和会議に招請されなかった中国との関係であるが,日本国政府は,昭和27年4月28日,中華民国政府を中国の正統政府と認め,同政府との間で,日本国と中華民国との間の平和条約(日華平和条約)を締結し,同条約は同年8月5日に発効した。この条約には,日本国と中華民国との間の戦争状態がこの条約の効力発生の日に終了すること(1条),両国間に戦争状態の存在の結果として生じた問題はサン・フランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとすること(11条)等の条項があり,また,条約の不可分の一部をなす議定書の条項として,中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サン・フランシスコ平和条約14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄すること(議定書1(b))が定められている。さらに,この条約の附属交換公文において,この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用があることが確認されている。
(5)

中国においては,その後も,中華人民共和国政府と中華民国政府が,と
もに正統政府としての地位を主張するという事態が続いたが,日本国政府は,田中角栄内閣の下で,中華民国政府から中華人民共和国政府への政府承認の変更を行う方針を固め,いわゆる日中国交正常化交渉を経て,昭和47年9月29日,日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)が発出されるに至った。この声明中には,

日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。

(1項),

日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。

(2項),

中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

(5項)等の条項がある。両国政府は,昭和53年8月12日,日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約を締結し,この条約は同年10月23日に発効したが,この条約の前文においては,日中共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認する旨が規定されている。
3
争点1(被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求)について(1)

争点1-1(不法行為)について
これまで認定したとおり,被告国は,①日中戦争以後,特に重筋部門の労働力不足が顕著となり,このような労働力不足に対処するために,国策として中国人労働者を日本国内に移入することを閣議決定し,試験移入を経て,次官会議決定により本格的移入を決定し,これを実行に移し,②次官会議決定等に基づき,中国人労働者を日本国内に移入する際の本格移入の実施要領,細目手続を定め,中国人労働者の移入手続,使用条件,移入送還方法,取締方法等を詳細に定め,関係各機関等に周知させ,③このような被告国の政策を受け,日本軍や中国人労働者の供出機関として活動していた華北労工協会の意向を受けた中国人関係者らが,詐言や暴力を用いて,本件被害者らをその意に反して拘束するなどして,中国国内の収容所等に連行した後,貨物船に乗船させて日本国内に連行し,被告会社の事業場まで連行し,そこで本件被害者らを港湾荷役作業に従事させたものであり,被告会社は,①県を通じ,厚生省に対して中国人労働者の移入の申請をし,日本港運業会が,華北労工協会との間で中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結し,中国人労働者を被告会社の下で労働に従事させることとし,②被告会社の事業場において,中国人労働者を外出又は逃亡のできない施設に収容して監視し,かつ,衛生状態や食糧事情等が劣悪な環境の下で過酷な労働を強制したものである。

被告会社は,本件被害者らが従事した作業は日本人と比較しても決して重労働ではなかった旨主張し,被告会社の元従業員であるGも,本件被害者ら中国人労働者の作業は貨物の陸揚げだけで,貨物の貨車積み作業は行わず,日本人労働者が従事した作業よりも負担が軽く,海が荒れて船が来ないときは中国人労働者の仕事もなく,作業日数も少なかった旨供述する。しかしながら,Gは,5月か6月ころに品川駅まで50人あるいは60人の中国人を迎えに行ったといい,5,6月以前中国人で仕事している人は一人もいなかった旨述べ,客観的な事実と異なるものがあり,本件被害者らのことを語っているのかそもそも疑問もある上,中国人が亡くなったことは知らない,中国人の労働時間は全然分からない,中国人の行動を管理する人は別にいて自分は一切分からないなどとも述べており,その記憶や認識状況もあいまいな点があり,容易に信用することはできない。本件被害者らは,原告Bの当裁判所における供述を始め,他の本件被害者らもビデオ,陳述書,陳述録取書等により,強制連行・強制労働の事実を述べているものであるが,いずれも大要において同様の事実を述べており,被告会社の事業場において,中国人労働者が外出又は逃亡のできない施設に収容され,かつ,衛生状態や食糧事情等が劣悪な環境の下で過酷な労働を強制させられたという事実が認定できるものである。
したがって,被告会社の上記主張は採用できない。

以上のように,被告国が主導し,被告会社が関与の下で,本件被害者らに対する強制連行・強制労働を行った事実が認められ,このような被告らの行為は,民法上の不法行為に該当するものといわなければならない。
(2)

争点1-2(国家無答責の法理の適用)について
被告国は,原告らの主張する被告国に関する行為は,国家の権力的作用によるものであって,かかる損害については,国賠法施行前においては,国が損害賠償責任を負うことはないという国家無答責の法理が適用され,被告国は責任を負うことはない旨主張する。


まず,本件における被告らの行為は,国賠法(昭和22年10月27日公布。同日施行)の施行前の行為であるところ,同法附則6項の

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。

と規定され,その損害賠償責任については,国賠法施行前の法規範が適用されることになる。
国賠法施行前においては,公権力の行使に当たる公務員の違法行為について,国の賠償責任を定める一般的な法律の規定は存在せず,民法(明治31年施行)の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるかどうかという民法の解釈によって決するほかないといえる。そして,明治憲法下においては,①行政裁判法(明治23年施行)16条は,行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セズと定めており,違法な公権力の行使について行政裁判所へ出訴することはできず,②当時の裁判所構成法(明治23年公布)や旧民法(明治23年公布)の制定過程においても,草案には国家責任を認めるような規定があったが,最終的にそれらは削除された上で制定され,③現行民法(明治31年公布)の制定過程においても,国の賠償責任については特別法によって規定されるべきものとも理解されていたが,一般的に国の賠償責任について規定する特別法は制定されず,④戦前における判例は,公務員の権力的作用について国の不法行為に基づく損害賠償責任を否定していた。このような,立法過程,判例等を考慮すると,明治憲法下においては,国の権力的作用については民法の不法行為の適用を否定し,その損害について国は賠償責任を負わないと解釈されていたといえるが,一方で,公務員の非権力的作用による私経済活動による損害については,民法による損害賠償法理の適用があると解する学説があり,そのような判例も存在した。
ところで,戦前において,このような解釈が採用されていた根拠は明らかではなく,国家無答責の解釈がとられていたのは,行政裁判所において行政裁判事項と認めず,司法裁判所において民事裁判事項と認めないという法的実現手段が閉ざされていたためにすぎないとも考えられ,行政裁判所が廃止され,公法,私法関係の訴訟を司法裁判所において審理されることが認められる現行法下においては,国家無答責の法理に正当性・合理性を見いだすことはできない。
また,国賠法附則6項は,従前の例によると規定するが,これは従前の法規範によるものと解するのが素直であって,国家無答責の法理が学説及び判例上確立した見解であったとしても国賠法施行後もなおその見解を採用しなければならないということにはならない。
そして,当時の民法の解釈としても,上述のように,現行民法の制定過程においては,公法上の行為については特別法による処理を念頭においていたとみられるが,一方で,起草委員3人(穂積陳重,梅謙次郎,富井政章)も,特別法がない場合には民法が適用されると考えていたものであり,国の賠償責任について規定する特別法がない場合について,公法上の行為について民法の適用を認めることに法解釈上の支障は存在しないものである。
そして,国賠法が民法709条以下の特別法たる性格を有することにもかんがみると,国賠法施行前の公権力の行使について,国賠法の制定がなければ賠償請求権の実定法上の根拠がなかったと解すべきではなく,一般法としての民法の不法行為法を適用する余地があるものといわなければならない。

さらに,上述のように,本件の強制連行・強制労働は,閣議決定等に基づき関係各機関連携の下で国家政策の一つとして行われたものであって,国家の権力的作用に当たるものといわざるを得ないが,これまで認定したように,被告国は,外形的には,現地から任意の労働者を募集し,職業訓練を経て,被告国の管理の下,各事業場で作業に従事させ,その労働の従事に対して一定の賃金を支払うという方針を予定し,中国人労働者の移入を実施したものであり,実態は強制連行・強制労働としてみざるを得ない部分があるものの,外形的には労務供給事業として国家政策を遂行しようとしていたものといえ,実際にも,中国人労働者に対して一応の衣料・食事・住居を提供し,一方,中国人労働者が労働に従事させることによって被告国及び被告会社が利を得ていたものである。
そうすると,本件の強制連行・強制労働については,権力的作用というべき側面が大きいものの,国策によって,本件被害者らの移入を実施し,劣悪な環境の下において本件被害者らを労働に従事させたものであり,労働関係という非権力的な側面も否定できないものであって,非権力的作用については明治憲法下においても学説・判例ともに民法の適用を認めてきたことは上述したとおりであるから,本件の強制連行・強制労働については,民法による損害賠償の適用の余地があるというべきである。


したがって,本件の強制連行・強制労働に関する行為について,国家無答責の法理によっていかなる責任をも負わないものとすることは,相当とはいえず,被告国についても民法上の不法行為責任を負うものと解すべきである。
(3)

小括
以上のとおり,原告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権
の発生は認められるところ,その損害賠償請求権は,除斥期間の経過等の問題はあるものの,いずれにせよ裁判上訴求できないものであることは,後記6で述べるとおりである。
4
争点2(被告国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求)について
原告らは,不法行為に基づく損害賠償請求権,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権に加え,被告国に対しヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求権が発生している旨主張するが,以下に述べるようにヘーグ陸戦条約3条に基づいて被告国に対して損害賠償請求をすることはできない。
国際法は,国家と国家又は国際機関等との関係を規律するものであるから,国際法上の権利主体となるのは,原則として国家又は国際機関であり,個人は,生命,身体,財産等の個人の権利義務に直接影響を及ぼすような事項を定める条約において,その条約が個人に法主体性を認めているような場合にのみ,例外的に,条約に基づく権利ないし請求権を取得することになる。
ところで,ヘーグ陸戦条約3条は,

前記規則(陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ

と定め,同規則46条1項は,家ノ名誉及権利,個人ノ生命,私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ,之ヲ尊重スベシと定めている。これによれば,ヘーグ陸戦条約3条は,交戦当事者である国家に,その軍隊の構成員が行った同規則違反の行為により生じた損害について損害賠償責任を負わせた規定であり,同規則46条1項は,占領国が被占領国の国民の権利を尊重すべきことを定めた規定であると解されるが,同条約及び同規則には,被害を受けた個人から交戦相手国に対する請求権を認める条項や個人がその権利を行使する方法を定めた手続規定は存在しない。
したがって,ヘーグ陸戦条約3条は,ヘーグ陸戦規則に違反した加害国の他方の交戦当事者である被害国に対する損害賠償責任を規定したものというべきであり,これをもって,個人の交戦相手国に対する損害賠償請求権を認めたものと解することはできず,この点に関する原告らの請求は理由がない。5
争点3(被告らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求)について(1)

争点3-1(被告国の安全配慮義務違反)について
安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであるところ(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照),この義務は,一定の両当事者の接触という契約関係ないしはそれに類似した具体的事実関係に基づいて具体的状況に応じた信義則上の義務として認められるものであるから,本件において本件被害者らと被告国との間に信義則上の義務を認めるべき特別な社会的接触の関係があったかどうか,その事実関係について検討する必要がある。

まず,これまでの認定事実によれば,被告国と本件被害者らとの間には,何らの契約関係もなかったことは明らかである。
しかしながら,これまで認定したところによれば,①被告国が国策として中国人労働者の移入を決定し,閣議決定により,中国人労働者移入の方針を示し,中国人労働者の移入方法,移入中国人の年齢,労働条件,中国人労働者の管理等に関する要領を定め,②その後,次官会議決定に基づき,さらに中国人労働者の移入の政策を具体化させた華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件,華人労務者内地移入手続を定め,中国人労働者の移入方法,移入手続,使用条件,移入送還方法を始め関係機関との連携等も詳細に定め,それらの方針を関係機関や各地に伝え,中国人労働者の本格移入を実施し,③中国人労働者の移入に関しては,関係各省や現地の華北労工協会に細部の事務を分担させ,中国人労働者の割当てから到着後に至るまで様々な事項について担当各省に報告がなされるように取り決め,被告国がその移入状況・労働状況を把握できるようなものとし,④国策として日本港運業会に中国人労働者の移入・管理を一任したというものであって,このように,被告国は,中国人労働者の移入・労働の供給に関して,適正な労働者供給を行うべき国策を講じ,それを主体的に実施,遂行していたものであり,中国人労働者の移入・労働の従事に当たっては,次官会議決定及びそれに基づく細目等に従って,関係機関や被告国が委任した日本港運業会等の下で,適正な形で行われるように取り決めていたものというべきである。
そして,華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件においては,一般的な要領として,中国人労働者は募集によること,40歳以下の心身健全な男性を選ぶこと,移入に先立って一定期間必要な訓練をさせること,国民動員計画産業のうち鉱業,荷役業等に従事させること,契約期間は原則2年とすること,中国人労働者の取扱いや待遇についてはその民族性を考慮して特に注意を払うこと,使用条件として,就労地到着後には十分な休養を与えた上で就労させること,住居は湿気予防に留意すること,食事は通常食を給すること,中国人労働者の賃金は,日本国の賃金を標準とし,残留家族に対する送金等を確保するための措置を講ずることなどが定められ,また,華人労務者内地移入手続においては,関係機関の連絡・報告体制を定めるとともに,中国人労働者の引率輸送上に遺憾なきようにすること,事業主は,関係機関の指示に従い訓練施設,技術教育施設,適切な慰安娯楽施設を設け,健康診断,生活訓練等を講ずることなどが定められ,さらに,これらの定めは関係機関等に周知されていたものであり,そうすると,中国人労働者の移入に関する国策の実施,遂行に当たっては,取決めに基づき供出された中国人労働者は,取決めに基づいて指定された作業に従事する義務を負う一方で,被告国は,関係機関や,被告国が中国人労働者の移入・管理を委任した日本港運業会等が,華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件等によって取り決められた移入手続,使用条件,送還方法等に従って適正に中国人労働者の移入,就労等を実施しているかどうかについて監督し,それらに不適正な点があれば,取決めに沿ったものに是正すべき義務を負っていたものというべきであり,国策に基づくこのような取決めは,法律関係に準ずるものと評価でき,被告国が,このような取決めを定めた上で,関係機関や日本港運業会等と連携して中国人労働者を移入,管理するという政策の下においては,被告国は,本件被害者らを含む移入対象となった中国人労働者と特別な社会的接触の関係にあったものというべきである。
そして,被告国は,関係機関及び日本港運業会等が,取り決められた移入手続,使用条件,送還方法等に照らし適正に中国人労働者の移入,就労等を行っているかどうかについて監督し,中国人労働者の健康状態,労働環境等が劣悪なものであったり,中国人労働者の管理が不当なものであったりするような場合には,それを是正するよう関係機関に指導・連絡して,中国人労働者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき信義則上の義務(安全配慮義務)があったというべきである。

そして,被告国は,上述したような強制連行・強制労働の事実があり,関係各機関が中国人労働者の稼働状況等に関する情報を把握していたにもかかわらず,何ら是正行為も行わず,結果的に本件被害者らを過酷な環境の下で労働に従事させたものであり,被告国には安全配慮義務違反があったものといわなければならない。
(2)

争点3-2(被告会社の安全配慮義務違反)について
これまで認定した事実によれば,本件被害者らと被告会社との間には,何らの契約関係も認められないが,被告会社は,本件被害者ら中国人労働者から労務の提供を受けることを目的として,日本港運業会が華北労工協会との間の契約に基づいて移入を受け入れた本件被害者らについて,日本港運業会(酒田華工管理事務所)の監督の下,被告会社の事業場において港湾荷役作業に従事させて労務の提供を受け,一方でその使用料を日本港運業会に支払っていたものであり,本件被害者らによる労務の提供は,被告会社と酒田華工管理事務所による直接的な指揮監督,労務の支配管理の下で行われたものである。
そうすると,被告会社が本件被害者らと特別な社会的接触の関係にあったことは明らかであり,被告会社は,本件被害者らに対して,その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき信義則上の義務(安全配慮義務)を負っていたもの認められる。


そして,これまで認定したとおり,被告会社は,酒田港における本件被害者らを劣悪な環境の下で過酷な労働に従事させたものであり,その結果,本件被害者らの健康等に悪影響を及ぼしたということができるから,被告会社には,本件被害者らに対する安全配慮義務違反があったというべきである。


被告会社は,①本件被害者らの衣食住の環境については,華工管理事務所の所轄事項であるから,被告会社としては,それに介入することも整備することもそれを改善することも行える立場になかった,②中国人労働者の行う作業内容は,被告国の方針によって定められることになり,被告会社の裁量権の及ぶ余地は全くなかったと主張する。
しかしながら,上記①については,被告会社と酒田華工管理事務所は港湾作業会社とその統制団体という密接な関係にあるところ,被告会社は,本件被害者らが酒田華工管理事務所の管理の下で劣悪な環境の下に置かれていたことを知りながら,主体的に本件被害者らを過酷な労働に従事させたものとみることができるのであり,安全配慮義務違反の責任は免れることができないし,上記②についても,本件被害者らの労働の従事に至るまでの政策及び方針は,被告国の主導によるものの,被告会社は,被告会社の事業場において,直接的指導監督により本件被害者らを過酷な労働に従事させていたものであるから,安全配慮義務違反の責任を免れることができない。
(3)

小括
以上のとおり,原告らの被告らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠
償請求権の発生が認められる。
しかしながら,その損害賠償請求権は,消滅時効の成否の問題はあるものの,いずれにせよ裁判上訴求できないものであることは,後記6で述べるとおりである。
6
争点4(日華平和条約及び日中共同声明等による請求権放棄)について(1)

これまで述べたように,除斥期間や消滅時効等の問題はあるものの,原
告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権及び安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の発生自体は認められるところ,以下に述べるように,それらは,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるものであり,裁判上訴求することはできない。
(2)

これまで認定したとおり,サン・フランシスコ平和条約は,個人の請求
権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めるものであり,この枠組みは連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサン・フランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサン・フランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであった。
そして,日中共同声明5項は,

中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

と述べているところ,日中国交正常化交渉において,中華人民共和国は,復交三原則に基づく処理を主張し,日中共同声明には平和条約としての意味を持たせる必要があり,戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠なものとし,一方,日本国政府は,中華民国政府を中国の正統政府として承認して日華平和条約を締結したという経緯から,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては,形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立たざるを得なかったが,結果として,いずれの立場からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図して,共同声明の表現が模索され,その結果,日中共同声明前文において,日本国側が中華人民共和国政府の提起した復交三原則を十分理解する立場に立つ旨が述べられ,そして,日中共同声明1項の

日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。

という表現は,中国側からすれば日中戦争の終了宣言と解釈できるものであり,他方,日本国側からは,中華人民共和国政府と国交がなかった状態がこれにより解消されたという意味に解釈し得るものとして採用されたものであり,このような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず,請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。以上のような経緯を経て発出された日中共同声明は,中華人民共和国政府はもちろん,日本国政府にとっても平和条約の実質を有するものにほかならないというべきである。
したがって,日中共同声明は,サン・フランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにしたものというべきである。
そして,ここでいう請求権の放棄とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。
(3)

原告らは,①中華人民共和国がサン・フランシスコ講和会議に招請され
ていないこと,同会議の参加を拒まれていたこと,参加しない同会議について反対していたこと,日中共同声明にもサン・フランシスコ平和条約について何ら言及してないことからすれば,サン・フランシスコ平和条約の枠組論を用いて日中共同声明5項を解釈することはできない,②戦後における日中国交正常化交渉,日中共同声明発表時の交渉過程のいずれにおいても,日本国と中国との間で戦争中に生じた個人の請求権の処理問題について全く検討されていないこと,日中共同声明5項は個人の請求権については何ら触れられていないことからすれば,日中共同声明5項によって本件被害者らの損害賠償請求権も放棄されたと解釈することはできない,③日中共同声明5項によって個人の請求権も放棄されたとすることは,条約法に関するウィーン条約(ウィーン条約法条約)31条,32条に違反する,④日中共同声明5項によって個人の請求権も放棄されたと解釈することはジュネーブ第4条約7条,148条,147条に違反する,⑤中国政府は,日中共同声明5項では,強制連行・強制労働に関する請求権の問題は解決されていないと認識している,⑥本件被害者らに対する強制連行・強制労働は,重大な人道法・人権法違反であること,被告らはこれによって利益を得ていること,被告国は,外務省報告書を長年隠蔽し,この事実を隠し続けたこと等からすれば,日中共同声明による請求権放棄の抗弁は権利濫用であるなどと主張する。しかしながら,上記①については,これまで詳細に述べたように,サン・フランシスコ平和条約は,日本国の連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めを各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めたものであって,これによって日本国が独立を回復したというものであることにかんがみれば,特に明示の意思がない限り,日本国と他国との間の平和条約等による戦後処理については,サン・フランシスコ平和条約の枠組みで解釈すべきであり,日中国交正常化の過程や日中共同声明の交渉過程についてみても,それと異なる処理をすべき明示の意思も窺われないものであり,日中共同声明において,サン・フランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがなされたものと解することはできない。上記②については,これまで述べたように,サン・フランシスコ平和条約は,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国の戦後処理の枠組みを定めたものであり,その枠組みの下でなされた日華平和条約,そして,日華平和条約の存在を前提として交渉し,合意された日中共同声明についても,同様の前提に立って解釈すべきであり,個人の請求権について,あえて日中共同声明の対象から除外して,別に解決すべきこととして合意したとみるべき事情は窺われない。上記③については,ウィーン条約法条約は,条約の締結に関する一般的な規律を定めたものであり,同条約31条以下に条約の解釈に関する規定が定められているが,日本国は,日中共同声明発表後の1981年に同条約に加入したものであり,ウィーン条約法条約に遡及効はない(同条約4条)から,そもそも日中共同声明に関してはそれが適用されることはない上,これまで述べたように日中共同声明の文脈,趣旨,目的,関係文書,締結過程等から,個人の請求権が放棄されたと解釈できるものであって,いずれにせよ,これまで述べたような日中共同声明に関する解釈がウィーン条約法条約に違反するというものではない。
上記④については,ジュネーブ第4条約は,戦時における文民の保護に関して定めたもので,戦争被害者保護のための国際条約であるジュネーブ諸条約の一つであるが,日本国は,1953年に加入したものであり,それ以前の行為に適用すべき根拠はないから,そもそも日中戦争,太平洋戦争に関する行為について適用されない上,同条約7条1の第2文,148条,147条も個人の賠償を受ける権利について規定したものではなく,いずれにせよ,日中共同声明に関する解釈がジュネーブ第4条約に違反するというものではない。
上記⑤については,日中共同声明の解釈は,これまで述べたとおりである上,中国政府も日中間の賠償問題が解決されていることを示す発言もしており(乙76ないし78等),一部それと異なる政府関係者の発言がみられたとしても,そのことだけで,日中共同声明の平和条約としての意義が失われるというものでもなく,その効力に影響はない。
上記⑥については,日本国政府及び中華人民共和国との間の平和条約としての実質を有する日中共同声明の重要性にかんがみると,原告らの主張する事実を前提としても,その抗弁を権利濫用ということはできない。(4)

したがって,日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国
又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を免れないこととなる。
第4

結論
このように,本訴請求は,日中戦争の遂行中に生じた中国人労働者の強制連行及び強制労働に係る不法行為及び安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償請求であり,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず,裁判上訴求することはできないというべきである(なお,謝罪広告の掲載の請求については,民法723条により名誉を毀損された被害者の請求により裁判所がその名誉を回復するための適当なる処分として行うことができるものであるから,その前提を欠いている本訴請求においては,理由がない。)。したがって,請求権放棄をいう被告国及び被告会社の抗弁は理由があり,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないというべきである。
したがって,主文のとおり判決する。

山形地方裁判所民事部

裁判長裁判官

片瀬敏寿
裁判官

鈴木和典
裁判官

松村一

別紙2

謝ア罪広告目録
朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞,山形新聞,荘内日報,河北新報,人民日報(中華人民共和国北京市朝陽門外金台西路二号),中国青年報(同国北京市東直門内海運倉二号)


謝罪広告文案

謝罪広告
日本国は,貴殿らを第二次大戦中,中国本国において身体を拘束し監禁した上,日本へ強制的に連行いたしました。そして,弊社は,貴殿らをその管理下の事業所において,劣悪な労働環境のもとで強制労働させました。しかも,貴殿らは,弊社より賃金も受け取っておられません。そして,貴殿らは,帰国後も,強制連行・強制労働のために健康を害し,肉体的にも精神的にもつらい生活を強いられました。
当時,貴殿らの祖国である中華民国と日本国は戦争状態にあり,貴殿らが敵国である日本国や弊社のために連行され労働を強制されるいかなる根拠もありませんでした。にもかかわらず,これを強制したことは貴殿らの人格と中国人としての名誉を著しく蹂躙した全く不法なことであり,法律上も人道上も許されないことでした。
ここに日本国と弊社は,貴殿らに対し深くお詫び申し上げるとともに,その名誉を回復するため本書を公表いたします。


日本国


総理大臣

酒田海陸運送株式会社代表取締役
○○○○殿
○○○○
○○○○

別紙3
1
原告ら主張の事実関係
中国人強制連行・強制労働の背景



被告国にとって,日中戦争が長期化するだけでなく,昭和16年12月から太平洋戦争に突入し,戦時経済の維持とりわけ戦争遂行に不可欠なエネルギー確保のため,石炭の増産確保及び外地輸入や内地輸送を担う港湾荷役業務の強化が至上命題であったが,それらの産業を担うべき成人男性労働力は軍隊への召集により極端な不足状態に陥っていた。このため,石炭業界や土建業界からの激しい突き上げにより,被告国は,昭和14年ころより,朝鮮半島から労働者の内地移入政策を進めたが,深刻な労働力不足は解消せず,戦争相手国である中国の労働者の強制連行・強制労働を立案・推進するに至った。



具体的には,被告国において,昭和17年11月27日に華人労務者内地移入ニ関スル件を閣議決定して,それに基づき,各省庁,大使館,日本軍並びに国民政府(華北では華北労工協会)が,移入連絡,労務の割当て及び管理,取締り,中国現地における労務者の供出等を行い,試験移入を経て,本格実施を行った。こうして,中国人労働者が日本各地に送られ,過酷な生活条件の中で強制労働に従事した。



戦争が拡大するにつれて,食料,鉱物資源などの軍需物資の運搬の役割を担う港湾荷役作業の重要性が高まり,効率的遂行が求められるようになっていた。昭和16年9月に,港湾運送業等統制令が制定され,一港一作業会社の方針が打ちたてられ,各港で企業合同による統制会社が設立された。酒田においては,荷役作業の核となるべく昭和17年7月に8社が統合され,被告会社が設立された(設立当初は酒田港湾運送株式会社であり,後に現在の商号へ変更された。)。さらに,これらの港湾作業会社を会員として,昭和18年2月,半官半民の中央統制団体日本港運業会が設立された。昭和16年8月の閣議決定に基づき,戦時海陸管理令が施行され,昭和17年4月には特別法人船舶運営会が設立され,船舶の運航管理,運送と港湾会社の荷役業との統一した連携作業が実施されていった。このように,全国的に港運業の統制が進められるとともに,港運業界も,国策に協力するとの名目で進んでこれに呼応し,体制を整え港湾運送業を遂行していったが,他方で,戦争の激化に伴い日本の労働者の徴兵が進むにつれ,港湾作業においても労働力の逼迫はいよいよ深刻になっていき,被告国に対し,中国人労働者の移入を求めるようになった。港運業界は,港湾作業への補強として,中国人労働者を活用する必要に迫られ,移入と管理の主体にさえなった。


昭和17年ころになると,軍需工場と港湾荷役の労働力不足は深刻な事態となり,婦人会,高等女学校,中学校の勤労報国隊,挺身隊,中小企業者などの徴用など,県内各地からの勤労奉仕隊が投入される動員が行われた。特に,戦争末期には日本海側港湾は新潟港を中心に重要戦略物資の陸揚地として重視され,大陸や北海道石炭の陸揚げ,各地軍需工場への輸送基地となった。
荷役労働力不足に悩まされていた被告会社は,中国人の割当てを受けたのを機に,県を通じて斡旋申請書を厚生省に提出し,中国人労働者を積極的に移入する役割を果たした。



昭和19年12月18日,第1陣200名の中国人労働者が酒田駅に到着し,翌年5月1日に第2陣100名,同年5月29日に第3陣38名が到着し,いずれも昭和20年8月16日ころまで船の荷役作業に従事した。酒田港に着いた第1陣の199名(門司から酒田まで来る列車の中で1名死亡)は,粗末な木造二階建ての建物に収容された。その建物は,広さが150ないし200坪で,中国人労働者を収容するために急いで建てたものである。周囲だけは板張りしたが,中は中二階で,1階は真ん中に約1間の通路を造り,両側に寝泊まりし,2階は中央は吹き抜けになっており,両側に寝るように造られていた。2階にははしごで登るようになっており,1棟の建物に第1陣の199名が収容され,一人当たりの広さは1畳にも満たなかった。しかも,暖房設備はなかった。寝具は塘沽で支給された毛布1枚と酒田で支給された薄い掛け布団1枚で,厳寒の冬を過ごした。もちろん,風呂の設備はなく,8か月間1度も入ることはなかった。
働く時の衣服は薄い麻袋の服のみで,雪や雨の日は濡れた衣服の着替えもなく,夜帰っても着替えることもできなかったので,風邪をひく者が続出した(呼吸器疾患)。しかし,病気を理由に休んだりすれば,殴られることはもちろん,通常でも少ない食料をさらに減らされたので無理を承知で働く者が多かった。
食事については,朝は米粥1杯程度,昼は麦おにぎり1個,夜は米粥1杯という船の荷役作業という重労働であるにもかかわらず,極めて貧弱な食べ物である。ほとんどの者は栄養失調に陥った。
労働時間は朝6時から夕方6時までであるが,場合によっては夜7時や10時までの長時間労働であった。時には翌日は休みにしたが,徹夜作業もあった。
以上のように,最低以下の環境の中で労働が強いられたために,次に述べるような悲惨な結果を招来した。すなわち,中国人労働者338名のうち,31名が死亡し,4名が負傷し,396名が罹病した。罹病者数が全体の人数より多いのは,延人数と思われるが,いずれにしても約8か月間の死亡者は約10%,罹病者数396名を数えていることから,ほとんどの中国人労働者が病気に罹患したものと思われる。死亡者31名中の死亡原因は,溺死者1名,逃亡轢死者3名,食中毒1名,空襲2名,同志の喧噪1名,病死23名である。病死者のうち,急性肺炎などの呼吸器疾患が15名となっている。また,疾病のうち死亡の場合も含め呼吸器関係の疾患は全症例の124例のうち78例となっている。このような事実は冬期間の作業をさせながらいかに寒さについての対策をおろそかにしていたかを物語っている。2
原告らに対する強制連行・強制労働


原告Aについて

拉致,監禁,連行
原告Aは,1920年6月10日(旧暦)に,河北省邢台市任県で生まれた。原告Aは,日本へ強制連行された1944年ころは,任県で父や叔母,妻と生活しながら野良仕事をしていた。
原告Aは,1944年8月(旧暦),生活に困窮したため,中古服を売ろうと邢台駅にいると,突然邢台労工協会の中国人に捕まり,日本人機関に連行され,熱湯を頭にかけられるなどの拷問を受けた。
その後,警察署に連行され,食料も与えられないまま3日間監禁された後,邢台西刑務所へ連行された。邢台西刑務所では,食料が与えられたものの,蒸しパン1個であり,満腹になることはなかった。
原告Aは,邢台西刑務所に1か月ほど監禁されたが,その間他の刑務所から中国人が連れてこられ,合計で26名となった。
その後,原告Aらは,1本の紐に3人ずつ縛られ,汽車に押し込まれて塘沽収容所へ連行された。塘沽収容所は,すべて日本人によって管理されている大きな建物であり,周囲は鉄条網で囲まれていた。塘沽収容所では,粗末な綿の服が支給されたが,寝るときはその服を脱がされ,その服は他の場所で管理されていた。寝るときはほとんど裸の状態であり,寒くてたまらない毎日であったが,たまらず声を上げると日本兵に声を上げた者だけではなく,周囲の人間もこん棒で殴られた。食料については,蒸しパンが与えられたが,1日に2個だけであった。また,塘沽収容所で監禁されている間,死亡する者も出たが,死亡者の遺体はすべて海に捨てられていた。
1944年11月下旬ころ,原告Aらは,船に乗せられ,21日くらいかけて日本の門司港へ連れて行かれた。原告Aらは,船底に押し込められ,食料も7日分しか積み込んでいなかったためほとんど与えられなかった。また,ひどい船酔いになる者もいたが,吐こうにも吐くものは胃の中にはなかった。
21日後,船は門司港に着き,その後,原告Aらは,汽車に乗せられ,酒田へと連行された。

事業場での強制労働の実態
原告Aらの宿舎は,木造でできており,入り口付近には詰所のようなものがあり,警察らしき者が常駐していた。また,原告Aらの就寝場所は,20人くらいが1列になって寝るような板張りのベッドであり,そこに藁を敷き,与えられた薄く粗末な布団1枚をかけて寝ていた。蚤の大群が発生するため,眠れないのが当然だが,原告Aらは,毎日疲れ切っていたため,蚤を気にしている余裕はなかった。なお,布団を交換したことは一切ない。
食事は,蒸しパン(1個約50グラム)を1回に2個ずつ与えられるようになったが,毎日の重労働に見合う食事ではなく,原告Aらは,常に空腹の状態であった。
また,原告Aらは,粗末な麻の服と蓑を与えられたが,洗濯はしたことがなかった。
原告Aらは,1945年1月中旬ころから酒田の港で働かされるようになったが,その内容は,鉄のかごで船から降ろした石炭を竹かごで担いで運んだり,船の荷物(袋入りの大豆等)を背負ったりして,これらを列車に詰め込むというものであった。作業は,毎日朝6時に始まり,夜は8時から10時くらいまで続けられた。日本人の監督者は,常に原告Aらに対して,仕事を早くするよう催促し,少しでも遅れるようなことがあれば殴ることもあった。
このような状況であったため,病気になる者も多数出たが,治療は受けさせてもらえず,逆に仕事を休むと食事の量を減らされるため,病気になったとしても我慢して仕事に行かざるを得なかった。

帰国後の状況
1945年8月,ようやく戦争が終わり,労働を強制されることがなくなり,同年12月に連合軍の船に乗り,中国へ帰国した。最後まで賃金が支払われたことは一切なかった。
帰国後自宅へ帰ってみると,原告Aの妻の目が原告Aが突然監禁・連行されたショックで見えなくなっていることを知った。その後の治療で右目は回復したものの,左目は回復することはなかった。また,妻は原告Aの身柄を解放してもらうための費用を支出するため,財産の多くを失った。現在は,無職で一人暮らしをしており,中国から社会保障金として1月あたり20元(13円換算で260円)の支給を受けているが,生活は決して楽ではない。



亡Fについて

拉致,監禁,連行
亡Fは,1923年2月9日(旧暦)に,a村(唐山市から約30キロメートル離れた村)で生まれた。日本に強制連行された1944年11月中旬ころは抗日の闘いをしていた遊撃隊(特に上部組織のない民間組織)の副隊長をしていた。当時は独身であった。亡Fは,1944年11月初めころ,唐山市に来ていたところ,同じ中国人から遊びに行かないかと声をかけられ,ついて行ったところ日本軍の駐屯地だった。すぐ捕まってしまい1週間も身体に電流を流される等の拷問をうけた。
日本軍の駐屯地に1週間くらい監禁された後,塘沽にある収容所に連れて行かれた。その塘沽収容所は,日本軍によって管理されており,次々と中国人が連行されてきた。きちんと座っていないとすぐ木の棒で殴られ,食事は1日2回あったがとうもろこしでできた饅頭が1回に1個くらいで,しかも腐ったような感じであった。また11月でとても寒くつらい思いをした。
4人の中国人が逃げ出そうとして日本の兵隊の銃剣で刺された。10日間くらい塘沽収容所に閉じこめられた後,塘沽から船に乗せられ21日くらいかかって門司港に連れられた。船中はひどい船酔いになる者もいて,つらくて海に飛び込んで自殺した人もいた。亡Fの食事も余り与えられず,水もなくなって飲めなくなった。特に知り合いもなく,話す人もいなく行き先も分からないまま黙って我慢するしかなかった。そして2日間くらい経ってから,貨物列車のような汽車に乗せられて酒田へと連れて行かれた。3日間汽車に乗っていた。

事業場での強制労働の実態
酒田駅からすぐ酒田華工管理事務所という所に連れて行かされ,数日してから港で荷下ろしの仕事をさせられた。船から鉄のさじみたいなかごで石炭を下ろす作業が主な仕事であった。石炭のほか空豆,コウリャン等も荷下ろしをした。仕事は朝の6,7時ころから夕方6,7時ころまで1日10時間以上働かされ,休み時間もなかった。また,船が着くと急に呼び出され仕事をさせられて徹夜で働いたこともあった。食事は1日3回で朝と昼は蒸しパンみたいな饅頭(手のこぶし大)2個のみで,夕食は小どんぶりに入ったうすいお粥みたいなものであった。蒸しパンの量は1食分の150グラムくらいで,とても足りずいつも腹がすいた状態であった。しかし,ただ我慢するしかなかった。酒田では粗末な麻布の服,下は半ズボンを着ていたが,ずっとその服で仕事を続けさせられた。宿舎は木造であり,中国人が寝るところの床は藁を敷いた板でできており,上下2段になって一列20人くらいが寝かされ,身体がぶつかりあうようであった。暖房器具はなく,布団は薄い粗末な布団を1枚与えられたのみであった。風呂に入ったことは一度もなかった。
酒田に着いて半年もしないころ,亡Fは大怪我をした。船から大きな鉄製のさじみたいなかごに約20から30キログラムの石炭の塊を乗せ荷下ろしをしていたが,突然かごから石炭の塊がはじけて落ち,亡Fの右足にぶつかって怪我をした。右足がひどく痛く腫れ上がったので,宿舎の管理人に治療してくれるよう何度もお願いしたが医師の治療もなく薬ひとつもらえなかった。
その夜から痛くてとても眠れなく,ただ横になって大声で泣くだけだった。半月くらいは仕事ができずにいたが,いつまでも仕事をしないと殴られるので半月後から無理して仕事を始めたものの,足が痛くとても仕事がつらかった。その都度大声で泣くしかなかった。さらに足を大けがしてから2か月くらい後,亡Fは腹がすいて耐えきれず隣の人の食べ残しをつい食べたところ,しばらくして洗面器3分の1くらいの血を吐き,昏睡状態になった。その際も日本の管理人は治療をしないどころか死んでもいいと思った人を入れる特別室に亡Fを閉じこめた。3日間昏睡状態が続いたが特別室に放置されたままであった。もちろん治療も薬ももらえなかった。奇跡的に3日後に目が覚め,仲間に連れられて宿舎に戻り,その時もすぐ仕事しないと殴られると思い,半月くらいしてから仕事を無理にした。ウ
帰国後の状況
1945年8月戦争が終わった後,本件被害者ら中国人労働者はアメリカ軍の管理を受けた。労働を強制されることもなかった。約3か月後に中国に帰国した。
亡Fは,右足のけがの治療もないまま帰国したが,歩行もままならない状態で,中国でも結局治療しても良くならない手遅れ状態と言われた。そのため足が悪く仕事はできなかった。約1年後に結婚をしたものの仕事ができず,結局はその後60年近く親類等に物乞いをして生活をしてきた。右足は治療しなかったこともあって感染し骨髄炎になり足の骨がなく,かかとが地面につかず歩くと痛くて辛い日々を送っていた。
亡Fは,2006年(平成18年)1月17日,中国において死亡した。・

原告B

拉致,監禁,連行
原告Bは,1924年4月11日(旧暦)に生まれた。拉致されたのは,1944年9月初め,20歳の時である。
当時原告Bは近くの地主の家に住み込みでその農作業に従事する生活を送っていた。
拉致当時,日本軍が八路軍の掃討作戦を行っているという話を聞き,村から逃げ,隠れていたが,日本軍と中国警備隊計100名に包囲されてつかまった。一緒につかまった15から16名とともに紐で連結され,近くの日本軍駐屯地に連行され,狭い部屋に30から40人とともに監禁された。そこには約10日間いたが,その後,塘沽の日本軍が管理する収容施設に汽車で連行され監禁された。
その建物は三方が川で囲まれた土地に数棟の建物があり,そこは逃亡できないように鉄条網で囲まれていた。1つの建物には約400人が収容され,古毛布1枚を与えられたが,夜は裸になって寝なければならず,移動することも一切禁止され,トイレは部屋の隅にさせられ,翌日掃除するというもので,人間の扱いとはいえないものであった。
食事は朝と夜の2食で,とうもろこし饅頭1個ずつの貧弱な食事である。そこには約2週間監禁された。
原告Bは塘沽に約2週間ばかり監禁された後,そこから石炭を積んだ船に乗せられ,爆撃を避けながら主に夜間の航行をしながら門司に着き,船を降りた。22日間を要している。その船には約600人の中国人が乗せられている。船の中ではトイレに行けず,船の上で排便した。食べ物は脱穀しない粟と小豆をいためたものを1日1回だけ与えられ,門司に着いた。1週間くらいで門司に着く予定であったので,7日分しか食料を積んでいなかったため,それを22日間で間に合わせざるを得なかった。1日の食事は予定の3分の1程度であったようである。
門司では疫病の消毒をされて1泊し,列車で3日間費やして酒田まで連行された。列車の中では日本軍が逃亡しないように厳重に警備していた。イ
事業場での強制労働の実態
宿泊施設は港からそう離れていないところの木造二階建ての建物である。外壁は板で囲っているが,バラック様の粗末な建物であり,暖房も風呂設備もない。周りは板で囲まれ,入口には警官が警備に当たっていた。寝具は塘沽から持ってきた毛布1枚と酒田で支給された薄い掛け布団1枚である。衣服は塘沽で支給された綿入りの服であるが,綿が下にさがって着られず,酒田で支給された麻袋様の服だけである。
1944年から1945年にかけては50年ぶりの大雪の気象で例年にない厳寒の冬であった。そのため寒くて夜も眠れず,後述の貧弱な食事も重なって病人が続出した。
朝は午前6時前に朝食をとり,6時ころから働きに出る。夜は午後6時ころまでであるが,夜に船が入れば午後7時から10時まで働かされることも時々あった。仕事の内容は船が積んでくる石炭や大豆などを下ろす作業である。石炭の入った藁袋をかついで,船から橋を渡り列車やトラックに積む作業である。原告Bは栄養が足りなく,荷をかついで橋を渡るとき,足がふらつき,橋から落ちて怪我をした。休ませてくれと頼んだところ,憲兵に鼻血が出るほど殴られた。それでも仕事ができず,1か月ばかり休まざるを得なかった。病気や怪我をした者は狭い部屋に入れられ,食事も働いている時の半分位になった。栄養失調で目が見えなくなったり,寒さで呼吸器疾患になったりし,死亡した人も何人もいた。怪我をしてもほとんど薬らしい薬を支給してもらえなかった。
働いているときは,朝と昼は三等米のこぶし大の米饅頭1個,夜は米粥1杯だけである。重労働である船の荷役に耐えられる食事ではない。ほとんどの人は栄養不足で,頭ばかり大きく見えた。
厳冬の中でも麻袋のような衣服を支給されただけで,着替えもなければ防寒用の衣服もないので,病気になる者が続出した。

帰国後の状況
終戦後,強制労働から解散され,1945年12月に帰国することができたが,賃金は一切もらっていない。



原告C

拉致,監禁,連行
原告Cは1923年1月10日に生まれた。
原告Cは,拉致された当時,河北省唐山市のbという村で近くの地主の農家に家から通って農業の手間賃稼ぎをしていた。家族は父母,兄4人,妹一人の家族であった。
1944年9月14日(旧暦),日本軍と中国警備隊約30人ばかりが原告Cの家に来て,朝寝ているところを押さえつけ,抵抗する間もなく連れて行った。原告Cが21歳のことである。原告Cは当時共産党の予備組織である民兵隊の一人であった。同じ村から18から20人が連行されたが,原告Cのほか,もう一人以外は全員金を出して帰してもらった。そこから数珠のように縛られ,唐山市の西方にある日本軍の1480部隊の駐屯地に連行され,そこの建物の地下室に監禁された。その部屋からは大小便のときにも出られず,部屋にあるバケツに用をたした。そこに10日ばかり泊められたが,食べ物は朝はとうもろこし粥と夜はコウリャンのご飯というお粗末なものである。
そこから汽車に乗せられ,塘沽の日本軍が管理するところまで行った。三方が川で囲まれた土地の中に幾つかの建物があり,1つの建物に何百人もぎっしり積み込まれて監禁された。その建物は鉄条網を巡らされ,逃亡できないように警備されていた。
そこには約2週間留め置かれた。食事はとうもろこし饅頭を1日3個だけで,古毛布と綿入り服上下が支給された。そこでは病気で死亡したり,日本軍の言うことを聞かなかったり,許可を得ないで動いたりすると棒で殴られ死亡したものもいる。病気しても薬をくれず,少しは息があっても死にかけていれば荷車で運び河に捨てられる。そこに15日間監禁された。塘沽の港から石炭を積んだ船に乗せられ,日本の門司まで連行された。爆撃をさけながら時々停まりながら航行するので,塘沽を出てから22日を要した。
食料は1週間分しか積まなかったとのことだが,その3倍以上の日数がかかっているので,原告Cらに与える量も1日粟の粥1杯と小豆を炒めたもの少々である。空腹で便も余り出ないほどであった。
門司では疫病の検査とその後丸裸にされ消毒液をかけられて消毒された。門司に1泊した。そこからは列車に乗せられ,3日間を要して酒田駅に着いた。列車の中では窓を閉められ,逃げられないように憲兵が厳重に警備していた。
酒田駅に着くと紐で縛られ,しばらく歩いて酒田港の近くにある建物に着いた。そこは2階建ての新しく建てられた建物である。1棟の建物に約200人を収容した建物である。

事業場の強制労働の実態
他の本件被害者らと同様であり暖房も風呂もない。
原告Cらは何班かに編成され,班長の指示によって働くようになっていた。朝は午前6時前に起こされ朝食をとり,朝6時から夜6時までの労働である。休憩はなく,昼食時間だけである。原告Cの班は翌日は休みであるが,徹夜作業も時々やらされた。作業は船の荷物の積み下ろしである。原告Cは怪我も病気もしなかったが,爆撃で怪我をした。また食事が足りず力が出ないので,休むと殴られ,少しも休むことは許されなかった。食事も他の本件被害者らと同様で非常に粗末なもので,量が少なく常に空腹で力が出なかった。朝昼は麦おにぎり2個,夜は1杯の米の粥だけである。
衣服は麻袋用のものを支給されただけである。寝具は塘沽で支給された毛布1枚と酒田で支給された薄い掛け布団1枚だけで,冬は寒くて眠れない夜が続き,病気になった人は幾人もいる。着替えの衣服がないので,雪や雨で濡れても着替えができず,また風呂もないので,牛馬のような生活である。履物は草履であり,自分の分は自分で作った。地下足袋などの支給は全くない。

帰国後の状況
終戦後,強制労働から解放され,1945年11月末に酒田から長崎の佐世保まで列車に乗り,そこから船で塘沽まで行って家に帰った。


亡D

拉致,監禁,連行
亡Dは,1924年10月4日に河北省唐山市豊潤区cという村に生まれた。亡Dの家族は,父母,妻,妹3人の7人家族で,農業をやっていた。1944年9月(旧暦)の深夜の午後11時か12時ころ,日本の憲兵10人ばかりが亡Dの家に押し入り,亡Dを押さえつけて縛り上げ,連行したものである。亡Dは民兵隊隊長として活動していた。亡Dは2,3か月前に結婚したばかりの新婚であった。
亡Dが連行されたのは,家から少し離れている河頭鎮というところにある日本軍(憲兵隊)の駐屯地である。その建物の小さな部屋には約30人の中国人若者が連行されていたが,そこで約2週間監禁された。トイレに行くことも許されず,部屋にあるバケツに用を足して部屋からは一歩も出られなかった。食事は朝夕2回でコウリャン粥1杯だけであった。その後汽車に乗せられ,塘沽に連行されたが,そこには何百人も収容されていた。食事はとうもろこし饅頭1個と大根の漬物で,1日2,3個支給された。量は全然足りず,いつも空腹状態である。収容された建物は三面が川で囲まれた場所にあり,同じような建物は数棟あったが,その周囲は逃げられないように鉄条網が張られて厳重に警備されていた。
亡Dは塘沽の港から石炭を積んだ船に乗せられ,爆撃を避けるため時々停泊しながら航行したので,約3週間を要して門司に着いた。門司において疫病の検査の後丸裸にされ,消毒液をかけられた。門司に1泊した。翌日は列車に乗り,約3日を要して酒田駅に着いた。その後,酒田港の近くにある宿舎となるべき建物に到着した。1944年12月18日である。イ
事業場での強制労働の実態
亡Dらは大きな2階建ての建物に収容された。暖房の設備もなく,風呂もなく,寝具は塘沽から持ってきた毛布と薄い掛け布団だけで,厳寒の冬の中,寒さに震えながらの毎日であった。その他は他の本件被害者らと同様である。
亡Dは他の本件被害者らと同様1944年12月18日に酒田港に着いてから約2週間は仕事の見習や訓練をやらされ,本格的な労働は1945年1月に入ってからである。朝6時前に起床し,朝食後午前6時から夜6,7時ころまでである。休憩は昼食時間だけである。船の入港によっては夜10時まで働くこともあった。仕事は主に石炭を船から下ろし,トラックなどに積む仕事である。
朝,昼食はこぶし大の麦饅頭各1個,夜は米粥1杯であり,船の荷役の仕事をする者にとっては極めて少量でありお粗末である。亡Dは疲労と栄養不良のために倒れて動けなくなり,1か月ほど休まざるを得なかったが,後に周囲の人から聞かされたところによると,命も危なかったとのことである。
麻袋のような服を支給された。しかし夏期ならばともかくこの年は50年ぶりの大雪が降った年でもあり,寒さに耐えられる衣服ではない。塘沽で支給された綿入りの服はほとんど駄目になり,役に立たなかった。雪や雨の日に濡れた衣服の着替えもなく,濡れた衣服のまま寝ざるを得なかった。もちろん,風呂に入れることはなく,暖房機もなかったのであり,中国人労働者を人間扱いしたとは思えない。亡Dは疲労と栄養不良で倒れてしまい,約1か月も休むことになったが,薬も十分に与えられず命の危険さえあったほどである。

帰国後の状況
1945年11月末,酒田駅から長崎佐世保まで列車に乗り,そこから塘沽まで船で帰った。1年後,子供が生まれ,息子3人,娘3人の子供に恵まれた。
その後,父,母,妻も亡くなり,一人暮らしの無職で,子供達の世話になって生活していた。



亡Eについて

拉致,監禁,連行
亡Eは,1927年8月16日(旧暦)に,河北省唐山市・県d村で生まれた。日本に強制連行された当時は,出生地で,父や妻等計10名の家族と生活しながら野良仕事をしていた。
1944年9月26日(旧暦),亡Eはいつものように野良仕事をしていると,突然日本軍に村を襲われ,亡Eは,日本人に柔術で倒され,銃床で殴られた上その身体を拘束された。
その後,亡Eは,他に捕まった者と地下牢に連れて行かれ,刀を突きつけられるなどの脅迫を受けながら八路軍との関係を聞かれた。亡Eは,やむを得ず八路軍との関係を認めたが,その際,家族に危害が及ぶのをおそれ,自分の名前をHと偽って申告した。
翌日,亡Eは,塘沽収容所へ連行された。塘沽収容所は,周囲は鉄条網で囲まれており,多くの人間を収容できる大きな建物であった。
塘沽収容所では,綿入りの服と薄い毛布が支給されたが,夜になるとその服を管理の者に渡さなければならないため,裸の状態で毛布にくるまって寝なければならなかった。また,食事は,1日に2回ウォウォトウを2個ずつしか与えられなかった。
亡Eら中国人は,そのような状況のまま,特に何もせず座った状態のまま2週間くらい過ごした。
その後,亡Eらは,どこに行くのかも知らされないまま,船に乗せられ,22日間もの航行の後門司港へと連行された。その間,亡Eらは,船底(石炭が積んであり,その上には藁が敷いてあった。)に押し込められ,食事もほとんど与えられなかった。
門司港に到着すると,亡Eらは,列車に乗せられ,酒田へと連行された。イ
事業場での強制労働の実態
事業場での宿舎は,木造であり,亡Eらが寝る部屋は,2段ベッド(1段の高さは1.5メートルくらいであり,板の上に藁が敷かれていた。)となっており,各ベッドに20人くらいの中国人が1列になって寝かされた。暖房はなく,薄い布団1枚しか与えられなかったため,冬の間はとても寒い思いをした。
また,宿舎内には事務室があり,そこには日本人がいた。
事業場では,1日3回食事が与えられたが,朝昼は生水と饅頭2個,夜は水っぽいお粥しか与えられず,常に空腹の状態であった。
事業場では,服1着と靴1足が支給されたが,その他には支給されなかったため,1年間同じ服を着ざるを得なかった。
また,病気になる者もたくさん出たが,医師の診断はおろか,薬が与えられることすらなかった。亡Eは,1945年6月ころ,高熱を出し6週間ほど寝込んだが,その間薬を与えられることも医師の診断を受けることもなかった。
亡Eらは,酒田に到着して3日間ほど休みを与えられた後,宿舎から3キロメートルほど離れた港で,石炭や食料の荷下ろしの仕事をさせられるようになった。亡Eは,船に積んであった石炭や食料をかごに入れ,それが機械で陸まで下ろされると,その下ろした物をてんびん棒で担いで,港から200メートルほど離れた列車まで何回も運んだ。
その仕事は,毎朝7時くらいから始まり,昼に昼食休憩をした後,夜の7時くらいまで続いた。船の到着時間の関係上,時には徹夜で仕事をしなければならないときもあった。

帰国後の状況
1945年8月,日本が敗戦し,それ以降は亡Eらが事業場での労働を強いられることはなくなり,食事も改善された。
その後,同年12月ころに,九州の港から船に乗って塘沽港に行き,ようやく中国へ帰国し,列車をただ乗りするなどして,2,3日後に自宅へ到着することができた。亡Eの父親が到着駅である雷荘駅まで迎えにきており,亡Eの帰国を喜んでくれた。
亡Eは,帰国後もこれまでと同じように野良仕事をする生活に戻り,息子と二人暮らしの生活をしていたが,日本での過酷な労働により,腰は曲がった状態のままとなっていた。
別紙4
1
被告会社主張の事実関係
強制連行と被告会社



被告会社は,その前身が酒田港湾運送株式会社であるが,同社は,昭和17年7月27日,地元企業8社(個人企業も含む。)の共同出資によって設立された。酒田港湾運送株式会社の設立は,国民総動員法による港湾運送業等統制令に基づいて行われたものであり,戦時下の輸送力強化という国策によって行われたものである。資本金19万5000円のうち金7万円は艀や曳船の現物出資,うち金4万円は営業権の現物出資,うち金8万5000円は現金出資だった。



酒田港では,その後,慢性的労働力不足の状態が続いたが,被告会社では,主に女性や学生からなる勤労奉仕隊によってこの労働力不足を補っていた。酒田港には,その後,中国人労働者が派遣されることになったが,この点については,被告会社は,被告国に対し,格別の要請や働きかけをしていない。



被告会社は,昭和19年12月20日ころより,日本港運業会酒田華工管理事務所から,中国人労働者の労働力の提供を受けた。被告国は,中国人労働者を中国から徴用してきて,酒田華工管理事務所に受け入れさせた。酒田華工管理事務所は,中国人労働者を雇用し,被告会社に対し,中国人労働者の労働力を提供した。被告会社は,酒田華工管理事務所と作業委託としての一種の請負契約を締結し,この請負契約に基づいて酒田華工管理事務所から中国人労働者の労働力の提供を受けたが,酒田華工管理事務所は,この請負契約に基づく請負義務の履行補助者として中国人労働者を用いたことになる。


被告会社と酒田華工管理事務所は,法的には全く別個の存在であり,経済的にも資本のつながりはない。被告会社から見れば,酒田華工管理事務所は,被告国による統制団体である日本港運業会の一部門であり,民間団体というよりはむしろ国家機関としての色彩の強い団体であった。


被告会社は,昭和20年2月1日付けで,被告国の運輸大臣から軍需充足会社に指定され,被告会社では,責任生産性を採用させられ,生産責任者を定めさせられ,従業員は全員が現員徴用とされた。そして,被告会社については,揚塔司令部の策定計画に基づいて作業内容が指定され,被告会社独自の経済活動は禁止され,取扱貨物の種類や量も指定制限された。被告会社は,揚塔司令部より,取扱貨物の種類や量を指定されるとともに,酒田華工管理事務所から中国人労働者の労働力の供給を受けることまでをも指定され,その指定のままに作業を実施していった。

2
中国人労働者の労働内容


被告会社の戦時中の主たる業務は,酒田港に寄港する貨物船からの貨物の陸揚げ作業である。なお,当時は,逆に酒田港から貨物船に貨物を船積みする作業はほとんどなかった。
戦時中に酒田港に寄港する貨物船は,大部分が北海道方面から石炭を運搬してくる貨物船であり,その中でも,小樽港からの貨物船が多かった。戦時中の貨物船は,約1000トンの鋼船であり,積載量が満杯の満船状態の場合,喫水線が下がって船底が海底に接するので,岸壁に接岸することはできなかった。これは,酒田港が河口の港であり,水深が浅く,現在のように浚渫技術が進んでいなかったためである。そこで,満船状態の貨物船は,いったん沖に停泊し,岸壁から艀船を沖に停泊している貨物船まで曳船で曳航して接舷し,貨物船から艀船に貨物を積み替え,艀船を岸壁まで曳船で曳航して接岸し,艀船から岸壁に貨物を陸揚げする。満船状態の貨物船も,艀船にある程度貨物を積み替えると,喫水線が上がり,岸壁に直接接岸できるようになるので,貨物船は,岸壁に接岸し,貨物船から岸壁に貨物を陸揚げする。



貨物船から艀船への石炭の積替えは,貨物船に装備されている蒸気ウインチを使用し,貨物船の船内でウインチの先端から吊したモッコにスコップで石炭を入れ,モッコをウインチで貨物船から吊り上げて接舷した艀船の船倉に積み下ろす。この段階で中国人労働者が行う作業は,貨物船の船内でモッコにスコップで石炭を入れる作業である。この作業は,危険の少ない作業であり,また,当時の被告会社の従業員と比較しても決して負担が重いということはない作業である。
艀船から岸壁への石炭の陸揚げは,艀船から岸壁に歩板を渡し,艀船の船倉の石炭を箱モッコや天秤に入れ,歩板を渡って人力で岸壁に陸揚げする。この段階で中国人労働者が行う作業は,艀船の船倉の石炭を箱モッコや天秤に入れ,歩板を渡って岸壁に陸揚げする作業である。この作業は,危険の少ない作業であるが,石炭を背負うという意味では,負担が軽い作業であるとはいえないかもしれない。しかし,同じ作業は,勤労奉仕隊の女性や学生も行っていたのであり,その意味では,決して負担が過重な作業ではなかった。貨物船から岸壁への石炭の陸揚げは,貨物船に装備されている蒸気ウインチを使用し,貨物船の船内でウインチの先端から吊したモッコにスコップで石炭を入れ,モッコをウインチで貨物船から吊り上げて接岸した岸壁に陸揚げする。この段階で中国人労働者が行う作業は,貨物船の船内でモッコにスコップで石炭を入れる作業である。この作業は,危険の少ない作業であり,また,比較的負担の軽い作業である。
艀船から岸壁に陸揚げした石炭は,いったん貯炭場にストックする。いったん貯炭場にストックした石炭は,貨車に積み替えられる。この段階で中国人労働者が行う作業は,原則として,石炭を貯炭場にストックする作業までである。石炭を貯炭場から貨車へ積み替える作業は,主として日本人の労働者が行っており,中国人労働者が行うことは余りなかった。中国人労働者のこの作業は,危険の少ない作業であるが,石炭を背負うという意味では,負担が軽い作業であるとはいえないかもしれない。しかし,同じ作業は,前述の通り,勤労奉仕隊の女性や学生も行っていた。
貨物船から岸壁に陸揚げした石炭は,貯炭場にストックすることはせずに,直接貨車に積み替えられる。この段階で中国人労働者が行う作業は,ほとんどない。この作業は,主として日本人の労働者が行っており,中国人労働者が行うことは余りなかった。
3
中国人労働者の労働時間,労働日数等の労働環境


被告会社では,戦時中は,従業員の1日当たりの労働時間は,午前7時から正午までと午後1時から午後5時までの合計9時間だった。中国人労働者の1日当たりの労働時間も,同様であった。
上記労働時間は,最大時間であり,作業の開始時間はほとんど変わらないが,作業の終了時間は仕事が終わった時間であるから,1日当たりの作業時間は,数時間から9時間の間ということになる。例えば,貨物船から艀船への石炭の積替え作業は,丸1日かかることはなく,概ね午後3時くらいには終了するので,午後3時に作業終了と同時にその日の仕事が終了することになる。
中国人労働者は,残業は行っていない。これに対し,日本人労働者は,貨物の陸揚げ作業ではほとんど残業はなかったはずであるが,貨物の貨車積み作業では頻繁に残業があった。中国人労働者は,貨物の陸揚げ作業だけで,貨物の貨車積み作業は行わなかったので,残業はなかったのである。なお,中国人労働者が貨物の貨車積み作業を行わなかったのは,逃亡の危険性があったためと思われる。



被告会社では,戦時中は,従業員の1か月当たりの労働日数は25日程度である。ただし,被告会社の従業員のうち現場作業員については,いわゆる日給月給制であり,酒田港に寄港する貨物船がなければ仕事もない状態であった。中国人労働者も,1か月当たりの労働日数は,被告会社の現場作業員と同様であり,酒田港に寄港する貨物船がある日だけであった。
酒田港では,貨物船が寄港しても,仕事が少ないときは日本人労働者だけが荷役作業に従事し,中国人労働者は待機していた。中国人労働者が荷役作業に従事するのは,貨物船が酒田港に寄港して,日本人労働者だけでは荷役作業が間に合わないときだけであった。
昭和20年についていえば,1月から3月までは,冬の荒天のために酒田港に寄港する貨物船の数が少なかった。1月は,貨物船の寄港数は10艘であるから,中国人労働者の労働日数は,10日程度かせいぜい10日少々程度であったと推測される。2月も,貨物船の寄港数は10艘であるから,中国人労働者の労働日数は,10日程度かせいぜい10日少々程度であったと推測される。3月は,貨物船の寄港数は19艘であるから,中国人労働者の労働日数は,20日程度かせいぜい20日少々程度であったと推測される。4月と5月は,貨物船の寄港数が20艘と29艘であるから,中国人労働者の労働日数も,それに比例して3月よりは多少増えたと推測される。6月から8月は,酒田港の機雷封鎖や終戦間際の物資不足のために貨物船の寄港数は激減し,中国人労働者の労働日数は,1月や2月なみに減少したはずである。
4
中国人労働者の衣食住等の生活環境


中国人労働者の衣食住等の生活環境については,専ら酒田華工管理事務所の管掌するところであり,被告会社には,一切関与する権限はなかった。被告会社としては,中国人労働者の生活関連物資については,現実に一切の支出を行っていない。



中国人労働者の住居については,詳細は不明であるが,一人一人の居住部分は仕切りされており,一人が寝起きするにはちょうど良い程度の面積だった。



中国人労働者の寝具については,詳細は不明であるが,掛け布団と敷き布団が用意された。用意された寝具は,新品だったわけではないが,酒田市内の旅館から質の良いものを調達した。当時は,ただでさえ物資が不足しており,これだけの大人数の寝具を用意するには大変な苦労があった。用意された寝具によって,中国人労働者も,冬期間でも寒くはない状態だった。・

中国人労働者の衣類については,詳細は不明だが,日本人労働者と同じような衣類を着用していた。中国人労働者が着用していた衣類は,原告らの主張するような麻袋のようなものではない。また,中国人労働者に対しては,天候の悪い日は,笠をかぶせ,蓑を着用させた。しかし,中国人労働者は,蓑を着る習慣がなかったためか,蓑を嫌ったらしい。



中国人労働者の履物については,主に地下足袋を使用した。日本人労働者の履物も,当時は地下足袋であった。当時は,地下足袋も配給品だったので,被告会社の従業員は,中国人労働者に使用させる地下足袋を東京まで取りに行った。被告会社の従業員の一人は,中国人労働者に使用させる地下足袋を東京まで2回取りに行っている。1回あたり調達してくる地下足袋の数は,約200足だった。



中国人労働者の食事については,主原料は小麦粉であり,一人当たりの小麦粉の使用量は730グラムとされ,これを用いて主食の饅頭やパンを作っていた。730グラムの小麦粉は,コッペパン換算で,約6個分の分量である。時には,お祝い事の際に,甘いあんこの入った饅頭が供されることがあった。饅頭については,かっちりと堅めに作ったものだった。パンについては,被告会社の従業員が試食しているが,当時の日本人が食べたくても食べる機会がないような,密度の濃い,腹持ちの良い,食べれば力が出るような食べ物だった。試食した被告会社の従業員は,自分もこのようなパンを食べることができればもっと力が出るのにと思ったほどである。ちなみに,試食した被告会社の従業員は,自分では薄い粥のようなものしか食べることができず,被告会社の仕事をしていても力が出なかったと述べている。


中国人労働者の医療については,病人が出た場合は,医師の診断を受けさせ,必要な治療を受けさせていた。被告会社の従業員は,酒田市内の眼科医院で,中国人労働者と一緒になったことがあるが,そのときは,別の被告会社の従業員が中国人労働者を眼科医院まで連れてきていた。これは,被告会社の従業員が,酒田華工管理事務所の指示で,中国人労働者に治療を受けさせていたものであり,治療費は,酒田華工管理事務所が負担しているはずであり,被告会社は,治療費の支出はしていない。
別紙5

主張対比表(原告ら・被告国)
原告らの主張

1
被告国の主張

争点1(被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求)について


争点1-1(不法行為)について
ア被告らが本件被害者らに対して行った強制労働は,
被告国の国策に基づき,被告らが形式的にも実質的にも共
同し一体となって推し進めたものであり,法的にみて,そ
れぞれの違法原因,責任原因の立論に若干の差違があると
しても,本質的には以下のとおり不法行為を共同したもの
と評価するべきものであり,その責任においても互いの責
任転嫁は許されず共同不法行為責任を負うべきものであ
る。
イ本件被害者らが,処罰の脅威の下に強要され,自ら
任意に申し出たのではない労務に従事したことはあらゆる
点で弁明の余地なく,被告らは,強制労働条約1条1項を
真っ向から蹂躙した違法行為を行ったといわざるを得な
い。
被告国は,強制労働を自ら立案して被告会社等の企業に
大規模に実行させたものであり,こうした国際的犯罪行為
により外国人である本件被害者らの生命・身体・財産に対
して重大な危害を加えた。この行為については,国家の行
為といえども民事上の責任を排除しうる根拠はなく,当然
のことながら民法上の不法行為責任(民法709条)を構
成すると解すべきである。
したがって,被告国と被告会社は,強制労働条約違反の
犯罪行為に対する共同不法行為責任(民法719条)を免
れない。
ウ奴隷制の禁止は,国際法の中でも最も早く一般国際
法の強行規範として認められており,1927年には国際
連盟の採択により奴隷条約が発効した。日本は,上記奴隷
条約を締結・批准していなかったが,奴隷制度及びそれに
類する強制労働の禁止は,既に国際慣習法として確立して
いた。
また,第二次世界大戦後に設置された2つの国際軍事裁
判所の条例は人道に対する罪を確認し,国際的承認がなさ
れており,1930年6月28日,国際労働機関(IL
O)総会第14会期において強制労働条約が採択され,1
932年11月21日,日本も同条約を批准しており,強
制労働条約は,既に日本の国内法としての効力があるとと
もに国際慣習法としての効力も存在していた。
以上の条約等はいずれも国際慣習法として,本件当時,
被告らの行動を規律する法規範となっていたものであり,
民法の不法行為の場面においても違法性評価の基準となっ
ていたものである。
被告らが本件被害者らに対して行った強制労働の実態を
見れば,それが奴隷条約が禁止した奴隷労働に類似する強
制労働に該当し,人道に対する罪のうち奴隷的虐使あ
るいは,それに匹敵する非人道的行為に該当し,強制
労働条約が廃止を求めた一切の形式に於ける強制労働の使用に該当することは明白であり,民法上も違法と評価されるべきものである。
そして,被告国は,かかる強制労働を自ら企画立案し,
これを同じく強制労働を推進した被告会社等に実行させた
のであるから,被告らは民法709条ないしは民法715
条に基づき,原告らに損害賠償すべき責任を免れないので
ある。







争点1-2(国家無答責の法理の適用)について
ア被告国の主張への反論
・行政裁判法16条は,国の賠償責任に関して行政裁
判所が管轄権を有しないことを規定しているにとどまり,
司法裁判所が行政訴訟を受理することを否定するものでは
ない。
・旧民法373条に公の文言が入らなかったの
は,国の賠償責任の問題については民法では規定せず,司
法府の判断に委ねたからである。
ボアソナード民法草案の審議資料を読むと,国の賠償責
任を認めることを前提に,それを民法で規定するか,特別
法によるか,司法判断に委ねるかにつき審議され,最終的
に司法官ノ判断ニ委スとされた。その後大審院は,民
法の不法行為規定の解釈(適用範囲の確定)を通じて,創
造的な働きをしてきたのであり,それらの事実に照らせ
ば,国の賠償責任の問題は,司法府の判断に委ねたと理解
することが正当である。
・被告国は,国家無答責の法理が,戦前も判例によっ
て支持され,戦後も最高裁昭和25年4月11日第三小法
廷判決が支持しているとする。

争点1-1について
争う。

争点1-2について
ア国家無答責の法理
原告らの主張する損害は,国家の権力的作用によるもの
であって,かかる損害について,国賠法施行前において
は,国が損害賠償責任を負うことはなかった(国家無答責
の法理)。
この国家無答責の法理とは,国家の権力的作用に係る行
為から発生した損害については,私法たる民法の適用はな
く,明治憲法下においては,その他国家の賠償責任を認め
る実定法の規定がなかったことを根拠とする実体法上の法
理である。
イ国家無答責の法理が基本的法政策として確立してい
たこと
・行政裁判法16条
明治憲法は,行政裁判制度については,行政裁判を司法
裁判より分離し,行政訴訟を審理するために別に行政裁判
所を設けること及びその構成は法律をもって定むべきもの
との原則を掲げているところ,行政裁判法16条は,行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セスと規定しており,これについては伊藤博文が編纂した資料によれば,行政裁
しかし,判例の内容は,決して確立されたものではな
く,流動的な判例として存在していたものである。
そして,最高裁昭和25年判決は,本件のような残虐非
道な非人道的行為による被害を想定していなかったもので
あり,本件は,最高裁昭和25年判決の射程範囲外であ
る。
また,最高裁昭和25年判決の民法を適用しない理由
は,合理性・正当性を持ち得ないものであり,未発達な理
論水準にとどまるものであり,先例的価値を認めることは
できず,その理由は,今日では妥当しない。
・被告国は,国賠法附則6項のなお従前の例によるの意味について,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用する
ことを意味するとし,法制度の中に国家無答責の法理を含
ませるべきだとしている。
しかし,そもそも同項の従前の例によるとは,国賠
法の遡及適用を否定し,国賠法制定前については従前の法
令によるとの意味であり,法令の解釈は含まれない。解釈
の対象となるのは当時の法令であるが,解釈は解釈時点に
おける理論水準により行うべきであることは自明のことで
ある。
したがって,法令の解釈(判例)は,従前の例に含
まれない。
イ国家無答責の法理が法令解釈の所産であることにつ
いて
・明治憲法61条,行政裁判法16条によれば,国の
賠償責任に関して行政裁判所が管轄権を有しないことは明
白であるが,司法裁判所の管轄権は明文で否定されていな
い。実体法を見ると,不法行為に関する一般的規定として
民法709条以下の規定が存在するが,同規定は,国の賠
償責任を明文で否定せず,国の賠償責任を明記した一般的
な規定も存在せず,国家無答責の法理を認める実体法は存
在しない。
以上の戦前の法令構造に照らすならば,損害賠償責任を
定めた規定として民法709条以下の不法行為規定が存在
し,国の賠償責任について行政裁判所の管轄権は明文で否
定されていたが(行政裁判法16条),司法裁判所の管
轄権は明文で否定されていなかった。そのため,国の賠償
責任については,民法709条以下の不法行為規定に基づ
き,司法裁判所に訴訟が提起され,その判断は司法裁判所
に委ねられたのである。
・司法裁判所は,明治期においては,非権力的公行政
は権力行政と区別されず権力行政としてひとまとまりにと
らえ,その権力行政と私経済行政が対比させられ,前者に
ついては国の賠償責任を否定してきたが,これを修正し,
公行政のうち非権力的公行政について国の賠償責任を認め
る道を開いたのが,大正5年の徳島市小学校遊動円棒事件
である。これ以降,権力的公行政と非権力的公行政が区別
され,前者においては国の賠償責任を否定するが,後者に
ついては肯定するという解釈(判例)が積み重ねられ,国
家無答責の法理が形成し確立してきたのである。
したがって,国家無答責の法理は,確固不動の実体法上
の法理ではなく,判例法上の原理である。
・現行民法715条の起草者らは,公権力の行使に起
因する損害については,特別法が存在しない限り,一般法
である民法の不法行為規定が適用されると解釈せざるを得
ないとの見解をもっていた。
まず,法典調査会の審議では,政府の事業のうち司法的
関係については,他に適用を排除する特別法がない限り,
民法715条(草案723条)が適用されるとしており,
さらに,政府官吏が職務執行について過失があったときに
責任を負うか否かの規定を民法に置くのは不適当であるこ
と,もし公益上の理由から責任を負わせない方がよいとい
うのであれば,それは例外であるし公法にも関わることか
ら国の免責を定めた特別法を定めるのが望ましく,それが
ない以上,民法715条(草案724条)で責任を負うと
いうのが原則であるとしている。
そして,国の公権力の行使(権力的作用)に起因する損
害についても,実体法の解釈としては,特別法がない以
上,一般法である民法715条(草案724条)を適用す
ると解釈しなければならないというのが起草委員3名(穂
積陳重,富井政章,梅謙次郎)共通の見解だったのであ
る。
・このように,ボアソナード民法草案の審議過程,現
行民法の審議過程,法令の構造,判例の変遷などを素直に
みれば,国家無答責の法理は判例の所産である。
ウ民法の不法行為規定の適用を否定する理由が存在し
ないことについて
・公権力の行使(権力的作用)に起因する損害につい
て国の賠償請求権が否定される根拠について検討するなら

判法の制定過程において,政府の主権に基づく処置すなわ
ち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害につい
ては,憲法学上当時一般に是認されていた国家無答責の法
理により,個人は,原則として行政裁判所に対して損害賠
償の訴えを提起できないとしたのである。
また,行政裁判法案の原案を作成したモッセは,国の不
法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所
においても,国家責任を問い得ないとしていた。
このように,行政裁判法16条は,国家無答責の法理を
当然の前提として,行政裁判所の損害賠償請求事件に係る
事物管轄の範囲を定めたといえる。
さらに,裁判所構成法は,明治20年5月にルドルフが
中心となって草案を起草し,法律取調委員会で検討修正し
て,明治23年に法律とされたものであるが,井上毅は,
国家無答責の法理を根拠に,国家賠償請求訴訟を司法裁判
所に提起できないとする意見書を提出し,この意見が客観
的に通った形で裁判所構成法が制定されたのである。
・ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除した
こと
旧民法373条の審議の過程において,ボアソナード民
法草案373条は,国が私人と同様,民法に基づいて使用
者責任を負う旨の規定を設けようとしたが,立法の過程に
おいて,同草案373条の国家責任を定めた部分は削除さ
れ,旧民法373条には国家責任が規定されなかった。
・小括
このような立法がなされた理由は,公権的活動に対して
は民法に基づく国家責任を否定しようとする立法者意思に
よるものであって,行政裁判法と旧民法が公布された明治
23年の時点で,公権力行使についての国家無答責の法理
を採用するという基本的法政策が確立したのである。
ウ現行民法が公法上の行為には適用されないとの理解
の下に制定されたものであること
・現行民法715条(草案723条)の審議の際にお
ける,民法起草委員である穂積陳重らの発言をみると,起
草委員は,政府の官吏がその職務執行による賠償責任につ
いて,その行為が私法上の行為である場合には,本条の適
用があるものと考えていたが,それ以外の公法上の行為で
ある場合には,本条の適用がなく,特別法に譲るという考
えをもっていたことが明らかである。
また,法典調査会における高木豊三との間の質疑答弁を
みても,梅謙次郎も,草案723条は,官吏の職務執行に
ついて第三者に損害を負わせたときに政府に賠償責任を負
わせることを規定したものではない旨答弁しており,政府
の官吏の職務執行について,同条の適用はないと考えてい
ることは明らかであり,そして,結局,現行民法715条
の法典調査会における審議の結果は,国の権力的作用より
広く,政府の官吏が職務を行うについて,その職務が私法上の関係でなく公権の作用である場合には,現行民法715条の適用がないことが確認されている。
・国会における国賠法案の審議の際の政府委員の発言
によれば,民法と国賠法の関係について,一般法と特別法
の関係ではなく,別個の法体系に属するものと考えて国賠
法案を作成したものといえるし,奥野政府委員は,国賠法
が,新たに創設された国家賠償の一般法であることも明言
している。
また,国賠法案についてのGHQとの折衝の際に,GH
Q側は,最終的には,公権力の行使による損害について民
法上の責任がないという日本国政府の説明を了承してい
る。
このように,戦前及び戦後を通じて,公権力の行使によ
る損害については,公法関係の問題として,私法関係を規
律する民法の不法行為規定の適用がないことを前提に,戦
前は,公権力の行使による損害については,賠償責任を認
める一般的規定はなく,原則として賠償責任を認めていな
かったが,個別の行政分野について,例外的に特別法によ
って賠償責任を認めていた。これに対し,戦後は,国賠法
の制定により,公権力の行使による損害については,原則
として賠償責任を負わせることにしたが,国賠法5条によ
り,個別の分野において,合理性がある限り,その例外を
設けたり,国賠法1条とは異なった要件を設けることを許
容した。すなわち,戦前は,公権力の行使という公法関係
の分野において,国家賠償責任を認める法律がなかったこ
とがいわば一般法として位置づけられ,戦後は,逆に,一
般的に国家賠償責任を認める国賠法が一般法として位置づ
けられることとなった。
・小括
以上のような現行民法案の審議内容及び国賠法案の審議
内容に照らせば,現行民法は,公法上の行為には適用され
ないとの理解の下に制定されたものであることは明らかで
あり,国家の権力的作用による損害賠償の問題について,
ば,賠償請求権を否定する実体法上の根拠が存在しないと
の結論が導かれる。国の公権力の行使(権力的作用)に起
因する損害についての賠償請求権が私法的性質を有し,も
ともと民事訴訟事件として司法裁判所で審理できるのであ
れば,端的に,民法709条以下の規定の適用を否定する
実体法上の根拠はないというべきだからである。
・また,訴訟法上の理由として,行政裁判所と司法裁
判所の二元的裁判制度を採用していた当時,いずれの裁判
所の裁判事項かを区別しなければならないが,公権力の行
使(権力的作用)に起因する損害賠償請求は,司法裁判所
が扱う事項でないがために民法の不法行為規定が適用され
なかったとする見解があるが,これは,戦前においては二
元的裁判制度のもとで辛うじて合理性を有していたとして
も,戦後において二元的裁判制度が廃止され司法裁判所に
一元化された結果,現法下においては合理性を認めること
ができない。
したがって,公権力の行使(権力的行為)に起因す
る損害について同原則は適用されず,民法709条以下の
不法行為規定が適用されるべきである。
エ強制連行・強制労働は権力的行為に当たらないこと
・明治憲法下での裁判例において,当初は国に対する
損害賠償請求は全く認められていなかったが,徐々に私経
済作用に伴う不法行為について民法の不法行為規定の適用
が認められるようになり,さらに非権力的作用とされる国
家の不法行為についても民法の不法行為規定の適用が広げ
られており,戦前の大審院判例は,被害者の救済のため
に,できるだけ権力的作用に該当する場面を制限的に解釈
し,被害者に対する賠償の範囲を拡大させようとしてき
た。
・大審院判例や戦後の最高裁判例から抽出される権力
的作用該当性に関する判断要件は,①権力的作用を,統治権(主権ないし支配権)に由来する権限の行使や,講学上
行政行為行政処分といわれている行為に限定する
ようになった,②権力的作用か否かの判断基準を,行為の目的(公益目的か否か)ではなく,法的根拠(特に権限規
範)へと移すことにより,権力性の認定を厳格に審査する
ようになった,③全体的な法関係が公法関係とみられる場合でも,損害の原因となった個別的法関係を析出し,これ
が対等当事者間の関係と同質だとみなせる場合には,民法
の不法行為規定を適用するという方法を採用した(使用者
責任も含む。),④工作物の設置だけではなく,官吏等の行為に起因する損害についても国の賠償責任を認められ
る,というものである。
・上記大審院判例ないし最高裁判例の内容に照らせ
ば,本件強制連行・強制労働行為は,そもそも権力的行為
ではない。
a本件被害者ら中国人が居住していた地域に,被告国
が本件強制連行当時,統治権を行使していた事実がないこ
とは,歴史的に明白であって,当然に統治権に由来する行
為ではない。
b授権規範(制度設計)の形式は権力的行為ではない
中国人強制連行・強制労働が問題となったそもそもの発
端である事業,すなわち中国人内地移入事業は,日本国家
の戦時経済体制の中で,被告国が被告会社らに対して中国
人の労働力を供給し,効率よく利用するという総合的経済
問題であった。中国人内地移入事業は,公の権力の行使にして私人に対し其権力に服従せしむる関係に於て為すものではなく,労働契約関係を前提とした全く私人と対等の関係に於いて為す行為であって,権力的行為の性質を有するものではないことが明瞭である。
c国策と公権力の行使とは同義ではない。国策を遂行
する国家行為の中には権力的作用もあれば非権力的作用も
存在するのである。
被告国が行ったこの労務供給事業としての中国人内地移
入事業は,法形式的にみれば,制度設計どおりに遂行され
たとした場合,労働力の募集・輸送・使役(雇用)行為で
あるといえる。そして,労働者を募集してこれを輸送し,
使役(雇用)する法律関係は,例外的な公権力行使の場合
(徴兵,徴用,刑罰としての懲役)を除けば,明らかに私
法的法律関係である。
オ国賠法附則6項は違憲無効であること
最高裁平成14年9月11日大法廷判決(民集56巻7
号1439頁)は,郵便法68条,73条の規定のうち,
書留郵便物について,郵便業務事業者の故意または重大な
過失によって損害が生じた場合に,不法行為に基づく国の
損害賠償責任を免除し,又は制限している部分は,憲法1
7条が立法府に付与した裁量の範囲を逸脱し,違憲無効で
あると判示し,憲法17条の法律に定めるところによりの意義について,法律の定めによって国の賠償責任を免除又は制限することには,立法裁量に限界があることを

特別法がない場合には,一般法としての民法709条以下
の不法行為法が原則として適用されるとの理解は誤りとい
うほかない。
エ国家無答責の法理の存在が判例上も確立しているこ

明治憲法下においては,公法上の行為の中でも,いわゆ
る権力的作用については,民法の適用はなく,国の賠償責
任が認められる余地はないとするのが,大審院及び最高裁
の確立した判例である。
すなわち,違法な租税の徴収及び滞納処分を理由とする
損害賠償請求事件につき大審院昭和16年2月27日判決
が判示しているほか,特許法による特許の付与処分(大審
院昭和4年10月24日判決),印鑑証明事務(大審院昭
和13年12月23日判決)等に基づく損害について,い
ずれも加害行為が権力的作用であることを理由に国の損害
賠償責任を否定している。
このように,明治憲法下では,権力的作用に基づく加害
行為については,民法不法行為の適用はなく国の損害賠償
責任は認められないとするのが,大審院の一貫した判例で
あり,この判例の態度は,学説によっても一般に支持され
ていた。
そして,この大審院の判例の態度は最高裁判所にも引き
継がれている(最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判
決)。
このように,大審院,最高裁は,一貫して,明治憲法下
における権力的作用について民法の適用はなく,また,他
に国の損害賠償責任を肯定する規定のないことを理由に,
損害賠償責任を否定してきたのであり,国家無答責の法理
の存在は,判例上も是認されてきたものである。
オ国賠法附則6項
国賠法は,附則6項において,

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。

と定めているが,このなお従前の例によるとの法令用語は,
法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた
法制度をそのままの状態で適用することを意味するもので
ある。すなわち,国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害
賠償が問題とされる事例については,国賠法それ自体の遡
及適用を否定するのみならず,それまでに採用されていた
国家無答責の法理という法制度がそのまま適用されること
により,国又は地方公共団体が責任を負わないことを明ら
かにする趣旨である。このように,国賠法施行前において
は,国の公務員がなした権力的作用による損害について
は,国家無答責の法理が妥当し,国は賠償責任を負わない
のである。
ここに,権力的作用とは,行為の性質から,国の統治権
に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的作用
をいい,それには,法的義務を課す強制のみならず,相手
方の意思を抑圧して物理的力を行使することを含む。
カ本件について
原告らが主張する不法行為としての強制労働は,戦争遂
行に伴う国内労働力不足の進行を背景に,昭和17年11
月27日,被告国が中国の国民を強制的に移入し利用する
ことを明示した閣議決定を行い,各官庁間で密接な連絡を
保持しつつこれを実行に移し,華北を中心に多数の中国人
を過酷な生活条件の中で強制労働に従事させたというもの
であるから,国の権力的作用であることは明らかである。
したがって,被告国に対する不法行為に基づく原告らの
請求は,請求権の発生を根拠づける実体法の規定を欠くも
のであって,それ自体失当である。
明らかにしている。
国賠法附則6項が権力的行為に関する国家無答責を無制
限に許容する規定であるとすれば,公務員による不法行為
の態様の違いに全く配慮していないほか,これによって侵
害される法的利益の種類及び侵害の程度についても特段顧
慮することなく,全面的に責任を免除するというものであ
る。そして,公務員による不法行為の態様,侵害利益や被
害の程度,免責の範囲などに一切配慮することなく,権力
的行為である場合に一律全面的な免責を可能とするとすれ
ば,公務の円滑性を確保するといった免責目的の正当性が
仮に存在するとしても,その目的を達成するために行為態
様の違いや侵害利益の程度の大小など一切考慮することな
く全面的に免責をすることに目的達成手段としての合理性
も必要性も認められない。
したがって,上記大法廷判決に照らし,国家無答責の適
用を無制限に認める国賠法附則6項は立法裁量の限界を超
えており,当該法令は違憲無効である。
カ国家無答責の法理が本件において認められないこと
・明治憲法下における国の権力的行為に起因する損害
に関して解釈するに当たっても,現行憲法下における法解
釈の場である裁判においては,個人の尊厳を旨とする
価値原理が徹底されなければならない。本件では真にその
ような解釈が求められているのである。
そして,権力的行為に起因する損害について,その侵害
行為態様,被害態様などを一切考慮せずに,一律,全面的
に国にその責任を免れさせる国家無答責の法理は,個人の
尊厳の法理(憲法13条)に違背し,憲法17条に違反す
るものであることが明らかである。
したがって,被告国の主張する明治憲法下の国家無答責
の法理については,憲法98条1項により憲法13条及び
憲法17条に反することから効力を失っており,被告国の
主張する国家無答責の法理によって被告国の責任が免責さ
れるという効果は生じない。
・私人間の行為であれば民法90条や民法1条といっ
た一般条項を介して憲法条項を間接適用するところである
が,被告国による行為が問題となっている本件においては
その必要はなく,憲法が直接適用され,判断基準として
は,最高裁平成14年9月11日大法廷判決(民集56巻
7号1439頁)のいう公務員の不法行為による国又は公共団体の損害賠償責任を免除し,又は制限する法律の規定が同条(憲法17条)に適合するものとして是認されるものであるかどうかは,当該行為の態様,これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度,免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ,当該規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきであるという違憲審査基準がそのまま妥当するから,当該基準に照らして検討する。
a不法行為の態様
本件における強制連行・強制労働は,強制労働条約に違
反する奴隷的労働を強い,人間の尊厳を否定する残虐非道
な行為である。
批准した条約に違反する被告国の当該行為の態様は極め
て悪質である。
b侵害される法的利益の種類
本件における強制連行・強制労働により侵害される法的
利益は,個人の尊厳(自己決定権),平等権,居住,移転
の自由,外国移住の自由,職業選択の自由,奴隷的拘束を
受けない権利等々いずれも近代憲法上の基本的人権の範疇
に属するものであって,その法的利益の重要性は極めて大
きい。
c侵害の程度
本件被害者らは,日本軍に暴力をもって拉致監禁され,
家族と引き離された上遠く離れた敵国まで強制連行され,
長期間に渡り,満足な食事・衣料等も支給されず,粗末な
板敷きの雨風を十分にしのぐこともできない宿舎で寝起き
させられ,入浴すらままならず,寒さの中で暖を取ること
も自由にできず,警察官吏や被告会社ら従業員の監視によ
って行動の自由を拘束されている中で,厳しい気候の中で
過酷な強制労働,奴隷的労働に従事させられた。
その間日本人監督者などから暴力を振るわれ,怪我をさせ
られた者もおり,満足な食事を与えられなかったことや極
度の疲労から病気にかかり,それでも満足な医療すら受け
させてもらえず,さらなる強制労働に従事させられたた
め,命を落とす者すら多数に及んでいたのである。
このような被害事実を見れば明らかなとおり,本件被害
者らの個人の尊厳(自己決定権),平等権,居住,移転の
自由,外国移住の自由,職業選択の自由,奴隷的拘束を受
けない権利等々の法的利益は,全く顧みられず,本件被害
者らの肉体的,精神的被害が甚大であり,法的利益の侵害の程度は甚だしい。d免責又は責任制限の範囲の程度
被告国の主張する国家無答責の法理は,権力的行為に起
因する損害については,その侵害行為の態様如何にかかわ
らず,侵害利益の重要性の程度や侵害の程度如何を全く顧
慮せず,一律,全面的な免責をもたらすものである。
侵害行為の軽微性,侵害利益の軽微性,侵害程度の軽微
性にかんがみ,例外的に全面的な免責を認めるようなもの
であれば格別,一律免責を肯定することは被害者救済にと
って極めて大きな弊害をもたらす。
e目的の正当性
被告国の主張する国家無答責の法理について,そのよう
な法理を採用する目的が明らかでない。無目的に国の権力
的行為に起因する損害賠償責任を全面的に免責することの
不当性は明確である。
f目的達成手段の合理性及び必要性
本件は,被告国が政策として,法律上・人道上およそ許
されない強制連行・強制労働を実施したという悪質な事案
であり,これに従事した日本兵,警察官吏らの行為につい
ては微塵の要保護性も存在しない。
また,被告国は,終戦直後の昭和21年に,強制連行・
強制労働について詳細な調査をして外務省報告書等を作成
し,その全貌を把握していたにもかかわらず,強制連行・
強制労働の官民関係者の戦争責任追及を免れるために,こ
れをすべて焼却した。しかも,その後,被告国は,一貫し
て,強制連行・強制労働について,中国人労働者の供出・
移入は任意の契約に基づくものであり強制連行や強制労働
の事実はなかったこと,あるいは詳細は資料がないため明
確でないことなどを繰り返し答弁してきたのである。
このような事案において,被告国の全面的な免責を認め
ることの合理性及び必要性は,全く存在しない。
g小括
以上検討したとおり,被告国による本件強制連行・強制
労働という侵害行為の態様の悪質性,当該侵害行為によっ
て侵害された原告らの法的利益の重大性,当該侵害行為に
よって侵害された法的利益の侵害程度の甚大性,このよう
な諸事情にもかかわらず全面的な被告国の免責を認めるこ
との不当性,そのような全面的な免責を認める手段を用い
ることの非合理性,不必要性に照らせば,本件について,
権力的行為に起因する損害について,その侵害行為態様,
被害態様などを一切考慮せずに,一律,全面的に国にその
責任を免れさせる国家無答責の法理は,個人の尊厳の法理
(憲法13条)に違背し,憲法17条に違反するものであ
ることが明らかである。
したがって,上記のとおり憲法13条,憲法17条に違
反する国家無答責の法理の効力は民法上否定される。
・本件強制連行・強制労働事件について国家無答責の
法理の適用は正義公平の理念により制限される。
正義公平の理念に基づき国家無答責の法理の適用を制限
をするため判断要素としては,①加害行為の残虐非道性,②被害の甚大性に加え,③事実の隠蔽など加害者である国家側の要保護性を挙げることができる。
すなわち,正義・公平の理念の実定法における具体化と
して,民法1条の権利濫用の禁止,民法709条以下の不
法行為に基づく損害賠償規定がある。そして,権利濫用の
該当性,不法行為の要件としての違法性の判断において
は,いずれも守られるべき法益と侵害行為の悪しき対応と
を総合考慮している。本件強制連行・強制労働において
は,①加害行為の残虐非道性は容易に肯定される上,②被害の甚大性についても明らかであり,③事実の隠蔽など加害者である国家側の要保護性の欠如も甚だしいことから,
国家無答責の法理は正義公平の理念からその適用が制限さ
れる。
キまとめ
以上のとおり,本件においては,国家無答責の法理は適
用されず,国賠法のような特別法が存在しない状態におい
ては,民法の不法行為規定は,公務員の公権力の行使に伴
う不法行為をも含めて不法行為に関する一般法である。
したがって,本件強制連行・強制労働には,被告国は民
法の不法行為規定に基づき,原告らに対する不法行為責任
を負うものである。
・争点1-4(除斥期間の経過による請求権消滅)につ
いて
ア民法724条後段
民法724条後段は,除斥期間ではなく消滅時効を定め
た規定である。
被告国は,民法724条後段の期間の性質を除斥期間で
あると主張しているが,同条前段の3年と同条後段の20
年の両期間は,ともに時効期間と解すべきである。



争点1-4について

ア総論
本件では,原告らの主張に係る加害行為から本訴提起ま
でに既に20年が経過しているから,民法724条後段の
除斥期間の経過により,損害賠償請求権は法律上当然に消
滅している。
イ民法724条の法的性格
民法724条後段が前段と同様に消滅時効を定めたもの
であることは,今日の学説では多数説であり,立法者の意
思も同様である。
また,条文の文言上もそれを裏付けている。すなわち,
724条後段は,前段を受けて同様とすると規定して
いる。同様とすると規定しているから,前段が時効によって消滅すると規定している以上,後段も不法行為の時から20年を経過したときも,時効によって消滅すると読むのが規定からいって当然である。このことは,民法の規定が口語化された際も全く変更されていない。
724条後段が消滅時効を規定したものであることは,
文言からも明らかのように立法者の意思も同様である。民
法典の立法に際しての法典調査会における起案者・穂積陳
重の趣旨説明及びその後の法典調査会や帝国議会の法典審
議を見ても立法者が20年期間を時効期間と定めたことに
ついては異論をみない。
また,民法が継承したとされるドイツ民法と比較しても
民法724条後段は時効と解される。
さらに,724条後段を消滅時効と解することにより,
時効の停止・中断規定,信義則・権利濫用法理等,法の明
文あるいは確立された判例法理を活用して不法行為をめぐ
る複雑で多様な法律紛争の各事案に応じて,不法行為制度
の究極の目的である損害の公平な分担を図り,正義にかな
う解決が可能となる(最高裁平成10年6月12日第二小
法廷判決における河合裁判官の意見及び反対意見同旨)。
したがって,本件においては,被告国は,時効の援用を
していない以上,原告らの損害賠償請求権は時効により消
滅することはない。
イ民法724条後段の制限
仮に,民法724条後段の規定が除斥期間を定めたもの
であったとしても,不法行為制度の究極の目的は,損害の
公平な分担を図ることにあり,公平が同制度の根本理念で
ある。不法行為制度の究極の目的が損害の公平な分担を図
ることにあるという点は,多くの最高裁判例が指摘してい
ることである。
そして,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決
は,およそ権利行使が不可能であるのにもかかわらず,単
に20年が経過したということのみをもって,権利者の一
切の権利行使を許さないとすることで,反面加害者が損害
賠償義務を免れる結果となることを

著しく正義・公平の理念に反する。

として除斥制度の適用を排除しているのである。
この判決が,特段の事情がある場合に,20年を経
過しても権利の消滅という除斥期間の効果を生じさせない
理由が被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ない。ということにあるとしているのであるから,著しく正義・公平の理念に反する場合というのが
民法158条のような場合に限定されないことも明らかで
ある。
要は,特段の事情がある場合,単に20年という時の経
過だけで被害者の権利を消滅させることが著しく正義・公
平の理念に反する場合には権利の消滅という効果を認める
べきでないというのが上記最高裁判決のいわんとすること
である。
以上から,上記最高裁判決は,権利行使が事実上困難な
ときに時効を停止する旨の法意について民法158条の場
合を例示したにすぎないのであって,限定をしたと解すべ
きでない。
ウ本件について
・そもそも一般に,

戦争犯罪には時効がない。

という原則は広く承認されており,戦後補償裁判で問題とさ
れているような,非人道的・残虐非道な行為による被害に
ついて,単に時の経過のみをもって,加害者の責任を免れ
させるべきではないことが,国際社会が今日到達してきた
社会正義である。国であれ企業であれ,非人道的行為を行
った加害者は,自らの行為による被害者を捜し出し,自ら
の行為を謝罪し,補償することが非人道的行為を犯した加
害者のなすべきことである。
したがって,本件のようないわゆる戦後補償裁判につい
て,民法724条後段を適用すること自体,著しく正義・
公平の理念に反するものなのである。
・本件の特段の事情
本件では,中国への侵略戦争を遂行し継続するために,
被告国と企業が一体となって,本件被害者らを含む約4万
人の中国人を拉致し,全国各地で強制労働に従事させたも
ので,被害者の個人の尊厳を踏みにじる残虐性・悪質性,

最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決は,民法7
24条後段の法的性格が除斥期間であることを明言し,ま
た,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決も,上記
最高裁平成元年判決を引用して,民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである。と判示している。このように,最高裁判所は,一貫して,民法724条後段の法的性
格を除斥期間であると判示し,最高裁平成10年判決の調
査官解説でも,かかる見解は判例理論としては確立したものとしている。よって,同条後段の法的性格が除斥期間であることは明らかである。
ウ除斥期間の起算点
・まず,文理から考えると,民法724条は,

不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも,同様とする。

と規定し,除斥期間の起算点を不法行為の時としている。
そして,不法行為の時とは,損害発生の原因となる
加害行為が行われた時点を意味すると解するのが最も文理
に沿った解釈である。
これに対し,起算点に権利行使可能性を含ませる場合に
は,権利を行使することができる時から(民法166
条1項)といった文言が使用され,明確に民法724条後
段とは区別されている。
したがって,不法行為の時を,権利行使が可能な時
と解するのは文理にそぐわない。
・また,起算点を権利行使が可能な時と考えること
は,除斥期間の制度趣旨に反する。
すなわち,民法724条後段の規定の趣旨は,上記最高
裁平成元年判決から明らかなように,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図するものであり,被害者側の認識いかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解される。これは,民法724条前段の短期消滅時効のみでは,加害者の法的地位が被害者側の主観的事情に
よって浮動的であることにかんがみ,他方において,加害
者の法的地位の安定を図るために,請求権を20年で画一
的に消滅させることにしたものである。
このような,加害者の法的地位の安定という観点からみ
ると,除斥期間の起算点を定める基準としては,客観的に
明確に定められるものであることが要請されるというべき
である。
そして,損害発生の原因となる加害行為を起算点とする
ことは,権利関係を早期に確定できることはもちろん,そ
れがいつ行われたかについて,被害者だけでなく,加害者
にとっても,比較的明確かつ客観的にとらえることが可能
となり,合理的である。
これに対し,権利行使が可能な時を起算点とすると,権
利行使が可能であったか否かは,基本的には被害者側の事
情に係るものであるため,その判断基準が不明確とならざ
るを得ない。また,かかる解釈を採用すると,40年ない
し50年も前の過去の事実にさかのぼって,不法行為の存
否や損害発生の有無を審理しなければならないことになる
が,もともと不法行為に基づく損害は,債務不履行の場合
と異なり,未知の当事者間において予期しない偶然の事故
に基づいて発生することが多く,加害者とされた者にとっ
ても証拠の散逸のため事実関係の解明が極度に困難にな
る。そうすると,権利行使の可能性を斟酌することは,2
0年という長期の期間を設定し,上記期間の経過によって
請求権を消滅させ,もって法律関係の確定を図ろうとする
民法724条後段の規定の立法趣旨に反することは明らか
である。
そして,除斥期間の起算点を権利行使可能時と解するこ
とは確立した判例(最高裁平成16年4月27日第三小法
廷判決,最高裁平成16年10月15日第二小法廷判決)
にも反するものである。
・以上のとおり,少なくとも,当該不法行為により発
生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部
又は一部が発生する通常の場合には,民法724条後段に
いう不法行為の時とは,損害発生の原因となる加害行
為が行われた時と解すべきである。
そして,本件は,第二次世界大戦中,被告国の本件被害
者ら中国人に対する強制連行・強制労働政策及び同政策に
基づく本件被害者らに対する強制連行・強制労働に関与し
非人道的な行為であることが特徴である。拉致された約4
万人の中国人のうちの約6000人が死亡し,本件訴訟の
現場である酒田でも,約8か月間で中国人338名のうち
の31名が死亡し,その死亡率は約10%にのぼってい
る。この数字だけを見ても,いかに被告会社における荷役
作業の重労働と宿舎・食事等の生活環境が過酷なものであ
ったかを物語っていると同時に,日本軍によるウサギ狩り
と称する無差別な中国人の拉致は,過酷な重労働に耐える
ことができない高齢者や病弱の者まで強制連行していたこ
とを物語っている。
被害についてみても,生命身体の安全の侵害,過酷な状
態で自由を拘束する,十分な食事も与えられず,厳寒の中
で強制的に重労働をさせられ,その結果,死亡率が高くな
るなど,その被害は,一般の不法行為に比べ重大である。
また,消滅時効であれ,除斥期間であれ,一定の時の経
過によって被害者の権利を消滅させ,加害者の法的地位を
安定させ,不法行為の法律関係を確定させることが意図さ
れているが,法律関係を確定させるという加害者の保護
が,被害者の事情と加害者の事情によっては公益性がない
場合があり,このような場合には,時効・除斥期間を適用
して被害者の権利を消滅させることに合理性がないことは
明らかである。このことは不法行為制度,ひいては時効・
除斥期間の制度趣旨からいっても当然のことである。
本件において,本件被害者らの置かれた状況,特に日中
関係や中国国内での状況などを考慮すると,本件被害者ら
には権利行使の期待可能性がなく,他方,本件における被
告国及び被告会社の加害行為の性質や戦後における被告ら
の証拠隠滅を含む不誠実な対応などを考慮すると,一定の
時の経過のみをもって,本件被害者らの権利を消滅させる
ことは,正義・公平の理念に反するものである。
本件においては,以下のような特段の事情がある。
①加害行為の残虐性,悪質性,被害の重大性
被告らが本件被害者らになした加害行為は,何の罪もな
い中国人を武力を背景にして強制的に日本国内に移入させ
て,日本国内の企業で過酷な労働に従事させ,しかもこの
間賃金も支払わず,食事も満足に与えず,暴力と虐待を加
え,一切の自由を認めず,長期にわたってその人間として
の尊厳を踏みにじり,心身にわたる苦痛と被害を与えたと
いうものである。しかも,被告らは,戦後においても,本
件被害者らに対して一切の謝罪も,補償もしていないばか
りか,この訴訟が提起されている今日においても事実さえ
認めようとしないという道理も常識もかなぐり捨てた対応
をとって,さらに本件被害者の怒りと苦痛を増大させた。
被告らは,本件被害者らをある日突然親族からひき離
し,行き先も告げないまま日本国内に連行し,それまで経
験もしていない過酷な港湾労働を強いており,そして,本
件被害者らの多くが我が国へ来る途中や港湾荷役の重労働
をしている現場において暴力を受けている。
しかも,本件被害者らは,港湾での過酷な労働に従事し
ながら,宿舎では暖房も満足な寝具もなく,食事も満足に
与えられなかったため,本件被害者らはいつも寒さと空腹
に苦しんでいた。休日もほとんどなく,ときには深夜にわ
たる作業を強いられたこともあった。
過酷な労働と非人間的な待遇を受けた末,栄養失調や病
気,事故などによって異国の地で無惨にも死んでいった多
くの中国人の無念さは計り知れない。このことからして
も,被告らが本件被害者らになした加害行為は悪質極まり
ないものである。
②本件は,大規模な中国人拉致事件の一部であり,故意によるものであること
被告らが,約4万人の中国人を拉致してきたこと,しか
も,人を船底に押し込め,貨物のように扱って我が国に輸
送してきたこと,全国各地で過酷な重労働をさせたことは
被告国及び企業が一体となって目的遂行のために行ったも
のであり,明らかに故意によるものである。
③証拠隠滅などの提訴妨害
被告国は,昭和21年2月ころ,近い将来に予想されて
いた中国側からの調査に備える目的で,原告ら中国人労働
者の強制連行・強制労働について,諸般の事情を精密に調
査することにし,中国人労働者を使役した135事業所に
調査を命じ,事業所報告書を作成・提出させ,外務省はこ
れらに加え,調査員らによる現地調査報告書や被告国が所
蔵していた関係資料を踏まえて,外務省報告書を作成し
た。
しかし,その後,外務省は,外務省報告書が,強制連行
・強制労働の官民の関係者について戦犯としての責任を追
及する際の資料として使われるおそれがあったことから,
これら関係者の便宜を図るために,外務省に残っていた外
務省報告書をすべて焼却した。
そして,被告国は,戦後一貫して,強制連行や強制労働

た個々の日本軍人等が行った行為が違法であるとして,被
告国らに対して損害賠償等を求める事案であり,当該不法
行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時
に損害の全部又は一部が発生する場合に当たるから,除斥
期間の起算点は,損害発生の原因となる加害行為が行われ
た時である。
原告らの請求は,その主張する加害行為時から約60年
間が経過した後になされたもので,その主張する損害賠償
請求権が仮に発生したとしても既に消滅したことは明らか
であるから,失当というほかない。
エ除斥期間の適用制限
・民法724条後段は,不法行為をめぐる権利関係を
長く不確定の状態におくことには重大な問題があり,被害
者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早
期に確定させようとすることが法の意図するところである
(最高裁判所判例解説民事篇平成元年度612頁参照)。
かかる法意に照らせば,原告らの主張する諸事情をもっ
てその適用を制限することはできない。
・最高裁平成10年判決は,不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときにという極めて限定された要件の下で,その効果においても,時効の停止と同
様の所定の期間だけいわば除斥期間の経過を停止させると
いう限度において例外を認めたものであり,民法158条
という時効の停止に関する既存の条項の法意を援用して極
めて限定的に例外を認めたものである。
したがって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥
期間の適用が著しく正義・公平の理念に反する場合に
は,その適用を排除できるとした旨の原告らの主張は,明
らかに同判決の射程を誤ったものといわなければならな
い。
民法724条後段の除斥期間の適用が制限されるのは,
他の法文に根拠を求めることができる極めて例外的な場合
に限られるというのが,同判決の正当な理解であり,最高
裁の確立した立場であるといわなければならない。
・原告らの主張は,最高裁平成10年判決の判示する
心神喪失の常況にあるためおよそ権利行使が不可能な事情に該当しないことは一見して明らかであるというものであるが,原告らが主張する事情は,従来,信義則
違反あるいは権利濫用を基礎づける事情として主張されて
きたものであるところ,除斥期間の適用が信義則違反ある
いは権利濫用であるとの主張は,最高裁平成10年判決に
おいても主張自体失当とされているのである。このような
事情に基づき除斥期間の適用を制限することは,最高裁平
成10年判決の予定するところではない。仮に,そのよう
な理由により,除斥期間の適用が制限されるならば,結
局,原告らにおいて訴訟提起の準備ができたとする時点を
任意に選択して,権利行使が可能になった時点だとす
る主張を許すのに等しく,権利行使が速やかになされるこ
とを目的として設けられ,その効果が画一的に認められる
はずの除斥期間の趣旨を著しく没却することになるのは明
らかである。
また,本件の場合,最高裁平成10年判決が指摘する時
効の停止等のような除斥期間の適用を制限する根拠となる
ものは何ら存しない。
・小括
以上のとおり,民法724条後段の適用制限に関する原
告らの主張は,確立した最高裁判例を正解しないものであ
って,失当である。
また,除斥期間の適用制限に関する原告らの主張は最高
裁において排斥されており,実務的に解決済みというべき
である。
の事実を否定しており,昭和35年3月ころ,当時の外務
省アジア局長は,以後,外務省報告書等が問題となったと
きには,外務省報告書等は,強制連行・強制労働の関係者
に迷惑がかかることを避けるためにすべて焼却され,外務
省には1部も残っていない旨答えることとした。
その後,外務省報告書及び事業所報告書が東京華僑総会
に密かに持ち込まれていたことが判明し,外務省報告書等
が公表されることとなったことから,外務省は,外務省報
告書等の存在を認め,中国人労働者の供出・移入が半ば強
制的なものであったことを認めるに至った。
このような不誠実な態度をとり続け,かつ提訴妨害行為
を行ってきた被告国を,本件被害者らの犠牲の下,20年
という期間の経過の一事をもって保護することは,明らか
に正義・公平の理念に反するというべきである。
④加害行為についての認識・行為後の対応など加害者保護の不適格性
戦時に非人道的行為を行った加害国家は,自らの行為を
認め,被害者に謝罪し,補償をしており,被害者が不明な
場合でも,加害国家は積極的に調査をして,被害者に謝罪
と補償をなしているにもかかわらず,被告国は,現在ま
で,本件被害者らを含む強制連行被害者らに対し,何ら慰
謝,補償の措置を講じてこなかった。
⑤権利行使の客観的・法的・事実的困難の存在
本件加害行為は,中国と日本が戦争状態の中で,侵略戦
争遂行のために行われた不法行為であるが,その後,被告
国自体が中国の反対を押し切って,台湾の国民党政府との
講和条約を締結し,その後は台湾政府を中国とする外
交政策をとり,大陸の中華人民共和国を認めなかったこと
が日中の国交回復を遅らせ,国際法上は戦争状態が継続す
るという状態を作り出していた。
また,中国との国交が回復しても,中国での渡航に関す
る法律が整備されておらず,一般人が海外に渡航すること
が事実上不可能であった。1995年3月における全国人
民代表者大会における銭其琛外相の発言までは,本件被害
者らが戦争中に被った個人の被害について被告国や企業に
対して損害賠償請求権を行使することが期待できなかっ
た。
さらに,本件被害者らが戦後生きてきた生活状況,教育
程度,法的知識,社会情勢などを考えるとき,1990年
代後半までは,本件被害者らが被告らに対して訴訟を提起
し,その被害回復を求めることは事実上不可能である。
・以上の事情を考慮すれば,権利の上に眠る者で
はない被害者らの犠牲の下に,加害者である被告国の責任
を免れさせることは,正義・公平の理念に照らして許され
るべきものではなく,仮に,民法724条後段の規定を除
斥期間と解したとしても,本件においては,同条の規定の
適用は制限されるのが正義・公平の理念にかなうというべ
きである。
2


争点2(被告国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求)について
総論
被告国は,現地陸軍部隊及び行政機関を通じて,本件被
害者ら中国人を多数拉致・拘束し,その意に反して日本に
連行し,長期間にわたり過酷な生活条件の中で強制労働に
従事させたが,かかる行為は,ヘーグ陸戦条約43条,4
6条,52条等に反している。
・ヘーグ陸戦条約3条
アヘーグ陸戦条約3条の意義
ヘーグ陸戦条約は,それ以外の国際条約及び国際慣習法
と異なり,個人の損害賠償請求権を条約中に明示した条約
として画期的な意義を有するものである。同条約3条は,

前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニツキ責任ヲ負フ。

と定め,交戦当事者の損害賠償責任を明記した。1907年条約の前身である1899年のヘーグ陸戦条約に
はこの損害賠償規定は存在せず,1907年の条約改定の
主要な点はこの損害賠償条項の追加にあった。1907年
のヘーグ平和会議において,ドイツ代表のファン・ギュン
デルがもし,法規慣例に関する規則違反によって被害を被った被害者が,政府の賠償を請求できず,加害者の将校や兵士にしか請求できないとすれば,それは賠償を取得するあらゆる可能性を被害者から奪うに等しい。したがって,政府は責任から免れてはならない。と発言して規定されたものである。
交戦当事者間における賠償の問題は,ヘーグ陸戦条約制
定前でも,国家は戦争法規に反する国際違法行為を行った
場合,原状回復,損害の賠償を含む違法状態の解除の責任
を負うべきことは国際慣習法上当然のこととして認められ



個人の国際法主体性
ア国際法は,国家と国家との関係を規律する法であ
り,条約であれ国際慣習法であれ,第一義的には,国家間
の権利義務を定めるものであって,国際法が個人の権利の
保護,確保に関する規定を置いていたとしても,それは,
国家が他の国家に対し,そのような権利を個人に認めるこ
と,あるいは,そのような義務を個人に課すことを約する
ものであって,そこに規定されているのは,直接的には,
国家と他の国家との国際法上の権利義務である。
したがって,国際法が,個人の生活関係・権利義務を対
象とする規定を置いたということから直ちに,個人に国際
法上の権利義務が認められたとし,これによって個人が直
接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるも
のでない。
また,国際法が原則として国家間の権利義務を規律する
ものである以上,ある国家が国際法に違反するとして国家
責任を負うべき場合に,国家責任を追及できる主体も国家
であり,このことは,直接の被害者が個人であったとして
も,同様であって,この場合に加害国にその国家責任を問
い得るのは,被害者個人やその遺族ではなく,被害者の属
する国家であり,当該国家が外交保護権を行使することに
よって,被害者等の救済が図られるのである。
ところで,20世紀に入って,国際法違反行為により権
利を侵害された個人が直接国際法上の手続によってその救
済を図り得るような制度,すなわち国際裁判所に個人の出
訴権を認めることなどを内容とする条約が締結された例が
ある。このような場合においては,個人が国家に対し特定
の行為を行うことを国際法上の手続により要求できる地位
を条約自身が与えているとみることができ,その限りにお
ていたのであるから,わざわざ3条のような規定を置くこ
とはなかったのである。
したがって,3条が新設された意味は,まさに戦争法規
違反の行為によって被害を被った被害者個人が,加害者で
ある軍人だけではなく,当然にその当事国の政府に対する
損害賠償請求権を取得することができるという点にあった
のである。ヘーグ陸戦条約3条によって確認された交戦当
事国の損害賠償に関する国際的義務は,交戦当事者が,そ
の軍隊を構成する軍人・軍属その他の者のヘーグ陸戦規則
違反の行為によって生じた損害について賠償の責任を負う
ことを意味し,その損害とは,ヘーグ陸戦規則に違反する
行為から生じた個人または財産に対してもたらされた損害
をさす。
イヘーグ陸戦条約3条の責任
ヘーグ陸戦条約3条の文言は,軍隊構成員が引き起こし
た一切の陸戦規則違反について,当該軍隊構成員の所属国
が賠償責任を負うことを明らかにしている。
ヘーグ陸戦条約3条は,交戦当事者が,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為について責任を負うものとされている。軍隊構成員の行為は,どのような資格において行
われたものであっても,すべて国家に帰属するとされてい
るのである。一般国際法上,私人の行為を契機として国家
に責任が発生するのは,当該行為を防止する相当な注意(duediligence)が国家によって払われなかったときであるが,ヘーグ陸戦条約3条は,そのような注意義務を要
求するものではない。国家の側に過失があることも求
められていない。軍隊を構成する者が,いかなる資格にお
いてであれ,陸戦法規違反を犯したならば,当該軍隊構成
員の所属国に責任が帰属する。実際のところ,戦場におい
て頻発する蛮行が軍隊構成員の資格において行われたもの
なのかどうかについて截然と判別することは困難である。
ヘーグ陸戦条約3条は,そのような場合に,資格の有無を
問わず,専ら行為の実行者が軍隊の構成員であるかどうか
に着目して,責任の帰属を決定しているのである。
ウ個人の賠償請求権
ヘーグ陸戦条約3条に基づく賠償請求主体には個人も含
まれると解されている。同条は,軍隊構成員による陸戦法
規違反を治癒する態様として,締約国に金銭賠償(compensation)の支払を要求している。そこでは,原状回復や陳謝・責任者処罰などをも射程に入れたreparationと
いう国家責任解除のための伝統的な用語は用いられていな
い。また,同条は,行為時の資格の如何にかかわらず,軍
隊構成員の一切の行為を国家に帰属させることで,極めて
広範な責任帰属の範囲を設定してもいる。そのいずれも
が,ヘーグ陸戦条約3条の背後に,国家責任法理一般では
なく,個人の保護を念頭に置いた交戦法規の法理が控えて
いることを指し示している。ヘーグ陸戦条約は,その前文
に締約国ハ,其ノ採用シタル条規ニ含マレサル場合ニ於テモ,人民及交戦者カ依然文明国ノ間ニ存立スル慣習,人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルとするマルテンス条項を踏まえて判断しなければならないと解される。
そして,この個人の賠償主体性が認められることは,以
下の点からも明らかである。
①ヘーグ陸戦条約の交戦法規としての性質
ヘーグ陸戦条約は,陸戦の法規慣例を扱うものである以
上,3条も,伝統的な国家責任法理一般によって彩られて
いるというよりは,むしろ,国際法の一分野として特殊な
法制度を発展させてきた交戦法規の法理を体現していると
見る方が適切である。交戦法規は,国家と国家の関係のみ
ならず,国家と個人をも規律の対象に取り込み,その長い
伝統の中で個人の権利の保障に資する豊かな足跡を描いて
きた。
ヘーグ陸戦条約が交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係(前文2段)を念頭において作成されたのはまさしくそのためである。ヘーグ陸戦条約3条が,交戦当時国間の
責任原則を定めたのではなく,ヘーグ陸戦規則違反の行為
の被害者個人を対象として,加害交戦当事国政府の損害賠
償義務を認めたものであることは,他の規定の内容からも
明らかである。
②条約の起草過程
ヘーグ陸戦条約の起草者たちは,交戦法規が個人にも権
利を付与してきた特殊な国際法分野であるという認識に立
って,同条約3条について個人の請求権を明瞭に認めてい
た。1907年の第2回ヘーグ国際平和会議において,1
899年ヘーグ陸戦条約及びこれに付属する1899年ヘ
ーグ陸戦規則の改正作業が行われたが,同条約3条は,そ
の際に提案,審議され,修正の上採択されたものである。
まず,ドイツ提案は,明確に中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠いて,例外的に個人に国際法上の法主体性が認められたということもできるが,これは当該条約自身がそのように定めたことの効果にすぎない。そうすると,本件において,国際法を根拠として個人が加害国家に対し加害国の裁判所において損害賠償請求権等を行使することができるというためには,当該国際法規に,その旨の特別の制度が存在することが不可欠である。以上のような見解は,国際法の通説でもある。イこのように,個人が国際法上の法主体であるといい得るためには,条約に権利義務が規定されているだけでなく,権利を行使するための手続が定められ,権利実現の途が保障されている必要があるが,原告らが主張するヘーグ陸戦条約等にはかかる権利実現の手続が定められていないから,これらの条約は個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めていないと解釈するほかはない。したがって,原告らの国際法を根拠とする請求は,この点において,すでに失当である。・ヘーグ陸戦条約3条以下述べるように,ヘーグ陸戦条約の文脈,趣旨・目的や起草過程を考慮しても,ヘーグ陸戦条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものと解することはできない。ア文脈からする解釈ヘーグ陸戦条約の前文の第2段落においては,「締約国ノ所見ニ依レハ,右条規ハ,・・・交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ,交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトスと規定して,人民との関係を明示して規定しているのに対し,3条においては,交戦当事者ハ,・・之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトスと規定するのみで,人民トノ関係ニ於テというような文言を置いていないし,2条は,第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ・・・締約国間ニノミ之ヲ適用スと規定し,7条は本条約ハ・・・諸国ニ対シテハ・・・,其ノ効力ヲ生スルモノトスと規定している。もとより,個人の権利行使を認めるための手続が定めら
れているわけではない。
そうすると,文脈からすれば,3条が個人の加害国家に
対する直接の損害賠償請求権を認めたものでないことは明
らかである。
イ趣旨及び目的からする解釈
ヘーグ陸戦条約1条は締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スへシと規定し,ヘーグ陸戦規則の適用は,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課す
ることによって実現する方式を採用している。このことか
らすれば,ヘーグ陸戦条約は,国家間に相互に義務を課
し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を
図ろうとする国際法の基本原則に沿う形で制定されたとい
うことができる。
ヘーグ陸戦条約3条は,ドイツ代表の提案を契機として
できたものであるが,この提案は,ヘーグ陸戦規則をいか
に実効的に履行するかという議論の流れの中で出されたも
のであって,3条は違反行為によって損害が生じた場合に
国家が賠償責任を負うことで,履行を確保しようとしたも
のであった。すなわち,3条は,ともかくも加害国家に賠
償責任を負わせることに主眼があったのであり,責任を負
う相手方が誰であれ,国家責任が認められればその意図は
十分達成されているのである。
そうすると,ヘーグ陸戦条約の趣旨及び目的から,3条
が個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めた
ものと解釈することができないことは明らかである。
ウ起草過程からの解釈
ヘーグ陸戦条約3条は,1907年のヘーグ第2回会議
においてなされたドイツ代表の提案により挿入された規定
であるが,その提案において,賠償問題が国家間において
解決されるものであることを明確にしていると考えられる
し,上記提案に対する議論の中で,スイス代表のボーレル
大佐は,賠償の支払が国家間で行われることを前提とした
発言をしている。
これに加え,審議経過においては,個人に生じた損害の
救済につき,いかなる方法でこれを具体化し実現していく
かについての発言も全くなかったのである。
また,ヘーグ陸戦条約が締結された1907年当時の国
際法における個人の位置付けは,

個人は国際法の客体である。

という公理が支配していたのである。個人が実際に,国際法上の主体として登場するのは,第一次世界大戦
後の混合仲裁裁判所設置以降のことであり,それ以前のヘ
ーグ陸戦条約締結時において,個人が国際法上法主体性を
持つということ自体が考えられていなかったのである。そ
のことは,捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジ
ュネーヴ条約についてのジュネーヴ条約解説Ⅲ(赤十
償する責任を負う。」と述べ,賠償責任が個人に向けられ
ていることを認めていた。提案理由の中でも,陸戦規則の
違反による一切の不法行為責任につき損害を受けた者が政
府に対して賠償を請求することができるよう企図していた
ことが述べられた。
その他,スイス代表,イギリス代表らの発言等審議経緯
から明らかになることは,ヘーグ陸戦条約3条が,個人の
請求権の法定を目的として提案され,指示されたものであ
ったことである。1907年の国際平和会議では,ヘーグ
陸戦規則52条についても若干の修正が行われた。新たに
付加されたのは,成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトスという文言であったが,その趣旨は,イギリスの陸軍マニュアルが述べるように,

即金での支払いが不能な場合,徴発に相当する金員は,なるべく速やかに,また,なるべく敵対行為中に支払われなければならない。

ということを明らかにすることにあった。交戦国民との関係においても当然にこの規則の遵守は求めら
れた。ヘーグ陸戦条約3条は,まさにこの実現を担保する
ための規定であり,ここからも,国家の賠償責任が個人に
向けられていたことがうかがえる。
③制定後の解釈
ジュネーブ諸条約の第一追加議定書(1949年8月12日のジュネーブ諸条約に追加される国際武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書≪ジュネーブ諸条約追加第一議定書≫日本国未批准)は,第91条で,

諸条約又はこの議定書の規定に違反した紛争当事者は,必要な場合には賠償を支払う義務を負わなければならない。紛争当事者は,その軍隊を構成する者が行った一切の行為について責任を負わなければならない。

として,ヘーグ陸戦条約3条の責任原則を確認した。このことからも分かるように,
ヘーグ陸戦条約が被害者個人の加害国に対する損害賠償請
求権を条約の明文で認めたものであることは,その文言の
内容,条約制定の経過,条約と一体となる付属文書(規
則)の内容,この内容を補完・追認する後発の条約の存在
等からして明らかである。
④制定後の実行例
ドイツ・ミュンスター行政控訴裁判所判決やドイツ・ボ
ン地裁判決など,ヘーグ陸戦条約3条を直接の根拠として
個人の損害賠償請求が認められた例がある。
・以上述べたことからすれば,ヘーグ陸戦条約3条
が,同条約違反行為により被害を被った個人が当該交戦当
事者に対して直接損害賠償請求権を有することは明らかで
あるから,本件における被告国の行為がヘーグ陸戦条約の
諸規定に違反するものである以上,その違反行為の被害者
である原告らが,同条約3条に基づき,直接被告国に対す
る損害賠償請求権を有していることは明白である。

3


字国際委員会)においても明らかにされている。
そして,ヘーグ第2回会議においてドイツ代表がこのよ
うな提案をなすに至った経緯をみても,同様である。
以上のようなドイツ提案の経緯及び審議経過の検討によ
れば,ヘーグ陸戦条約3条が,個人の損害賠償請求権を認
める趣旨で審議されていたものではないことが明らかであ
る。
エ小括
このように,ヘーグ陸戦条約3条は,交戦当事国たる国
家が,自国の軍隊の構成員によるヘーグ陸戦規則違反行為
に基づく損害につき,相手国に対し損害賠償責任を負うと
いう国家間の権利義務を定立したものであって,その行為
により損害を被った被害者個人が相手国に対して直接損害
賠償請求をすることができることを認めたものではないの
である。
ヘーグ陸戦条約3条のこのような解釈は,1952年当
時の赤十字国際委員会の見解によっても支持され,我が国
の学説,裁判例においても広く採用されている立場であ
り,米国,ドイツの裁判例も同様見解が採られている。
・条約の国内法的効力
ア原告らの挙げるヘーグ陸戦条約等の規定が,そもそ
も被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権をその内容
として保障していない以上,これら条約等の規定が国内法
的効力を有するとしても,それにより当該規定が保障して
いない個人の損害賠償請求権が国内法的に創設されるとい
うことはあり得ない。
イまた,条約が国内法としての効力を持つとしても,
それだけで直ちに裁判所等の国家機関がこれを具体的請求
権等の根拠法規として適用できるわけではない。
条約は,国際法の一形式であるが,これを締結するのは
国家であって,国家間の権利義務関係を定立することを主
眼とする。このため,条約が直接国内法上の効果を期待
し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合
には,原則として,その目的を達成するため国家機関に立
法義務を課し又は行政措置を採ることを命じ,これを受け
て,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基
づきその権限内にある事項について行政措置を採ることに
なる。したがって,条約の内容が私人相互間又は私人と国
家間の法律関係に適用可能なものとして裁判所等の国家機
関を拘束するためには,原則として,上記のような国内措
置による補完が必要であり,現にそのような国内法が多数
制定されている。
例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接
適用可能である場合があり得るとしても,いかなる規定が
これに該当するかは,当該条約の個々の規定の目的,内容
及び文言並びに関連する諸法規の内容等を勘案しながら,
具体的場合に応じて判断されなければならない。
そして,この判断に当たっては,第1に主観的要件
として,私人の権利義務を定め,直接に国内裁判所で適用
可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できる
こと,第2に客観的要件として,私人の権利義務が明
白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を
具体化する法令を待つまでもなく,国内での直接適用が可
能であることなどが挙げられる。これらの要件を考慮し
て,条約の自動的執行力の有無を認定することとなる。
この点について本件をみるに,原告らは,被告国に対し
て損害賠償を請求しているのであるから,個人の加害国に
対する損害賠償請求権を根拠づける条約条項を指摘する必
要があるところ,そのような請求権を根拠づける条約条項
は存在しない。そうである以上,前記主観的要件及び
客観的要件を具備しているとの主張すらないといわざ
るを得ず,主張自体失当である。

争点3(被告らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求)について
争点3-1(被告国の安全配慮義務違反)について
ア安全配慮義務は,ある法律関係に基づく特別な社会
的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の
付随義務として当事者間の一方または双方が相手方に対し
て信義則上負う義務として一般的に認められるべきもので
ある(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決)。上
記法律関係として,労働契約や雇用契約等の就労を予定す
る関係を前提とすれば,使用者は,労働者に対し,労務提
供のために設置すべき場所,施設もしくは器具等の設置管
理,または労働者が使用もしくは上司の指示のもとに遂行
する労務の管理に当たって,労働者の生命及び健康等を危
険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものであ
る(前記最高裁昭和50年判決,最高裁昭和59年4月1
0日第三小法廷判決)。
イ本件内地移入事業の計画(制度設計)から見る限り,



争点3-1について
ア安全配慮義務が認められるためには,当事者間に,
雇用契約ないしこれに準ずる法律関係が介在することが必
要である。安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別
の社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律
関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方
に対して負う信義則上の義務であり,それに基づいて負う
責任の法的性質は債務不履行であると解されている。
このように,安全配慮義務違反の法的性質は不法行為で
はなく債務不履行であるから,安全配慮義務を導く上記
特別な社会的接触の関係とは,不法行為規範が妥当す
る無限定な社会的な接触関係を意味するものでないことは
当然であって,契約関係ないしこれに準ずる法律関係の介
在することが必要であり,このような関係が認められない
場合には,安全配慮義務が成立する余地はない。
被告国が日本国内に供給する中国人労働者は,実態は別と
して,①現地機関の募集に応ずるという任意労働者の形式を予定しており,②現地における移入前の適当な施設での職業訓練(1か月ないし3か月),③事業場に到着後の十分な休養と未熟就労者に対する職業訓練,④日本国内における軍需省及び運輸省と協力しての厚生省による中国
人労働者の管理,⑤現地から随行する日系指導員等を通じての作業指揮,⑥事業主に対して訓練施設,技術教育施設,娯楽施設を設け,健康診断等を行うなど,移入した労
働者の労働面での安全や生命健康を保護するための措置が
予定されていた。供給事業主として供給する華人労務者の
生命健康を保護することを配慮することを制度設計として
予定していたのである。
本件内地移入事業の計画で予定されている事業主として
の保護は強制労働条約に違反しないように国際的問題を起
こさないように仮装したものであることはいうまでもない
が,制度設計上中国人労働者との間に何らかの契約関係を
予定して作られている以上,その計画自体から法的評価を
される法律関係から生ずる被告らの責任を免罪する根拠に
はならない。使用者としての安全配慮義務を負っているも
のが,自らの行為がより残虐な不法行為をしたということ
を主張して,債務不履行責任を免れることが正義公平に反
するからである。
ウ被告国の以上の制度設計のとおり,被告国は移入した労働者の労働面での安全や生命健康を保護するための措置が予定されていた。この制度設計で予定されていた安全配慮義務を基礎にすれば被告国の安全配慮義務は明確
に存する。
・原告らと被告国との法律関係
a被告国は1942年の閣議において,国内の労働力
不足を補うために,華人労務者内地移入を決定した。
被告国としては,鉱山や港湾における事業の国策遂行上
の重要性にかんがみ,労働力不足の補充は緊急の課題であ
った。被告国は日本に好意的な中国の勢力の協力を得て寝
込みを襲うなどの違法な手段で原告らを拉致し,日本まで
連行し,日本港運業会を通じてそれぞれの作業場に移入,
配置した。
b被告会社におけるその当時の港湾荷役作業は,被告
会社の利益遂行であるとともに,その大部分は被告国の国
策を遂行するためでもあり,利害関係が共通するものであ
った。そこで,被告国と被告会社も構成員となっている日
本港運業会との間には,本件被害者ら中国人労務者を管理
する移入管理委任契約なるものが存在している。具体的に
は日本港運業会の現場事務所である華工管理事務所を通
じ,本件被害者らを管理監督していたものである。
また,被告国は数名の警察官を現場に配置し,管理の補
助を行っていた。
c被告国は自ら連行してきた本件被害者らについて,
日本港運業会との間に存在する移入管理委任契約を介して
港湾労役に投入し,労役に従事させたものであるから,雇
用契約類似の法律関係があったとみるべきである。
・被告国の具体的安全配慮義務内容
a被告国は移入管理の委任契約に基づき,日本港運業
会及び被告会社に対し,本件被害者らの待遇について厳寒
にはその港湾荷役労働にふさわしい衣服,食事及び住居の
配慮が求められるが,それを欠く場合は是正を求め得る立
場にあったということができる。
bさらに,日本港運業会の現場事務所の華工管理事務
所及び直接労務指揮にあたる被告会社がそのような安全配
慮義務を果たしていない場合は,日本港運業会及び被告会
社と協力して,自らも食事,衣服,宿舎について安全配慮
義務を果たすべきである。
c被告国の安全配慮義務違反
本件被害者ら中国人労働者の食事,衣服,宿舎の全てに
ついて,劣悪な労働環境におかれ,約8か月間で全体の1
0%の死者が出たり,多数の呼吸器疾患,栄養失調の疾病
が出るほどの状況にあったにもかかわらず,日本港運業会
や被告会社に対し,何ら是正措置を求めたりなどもせず,
また自らも是正する行為も行わず,本件被害者らを生きて
いくことすら困難な状態に放置した。これは重大な安全配
慮義務違反である。

そして,労働(雇用)契約の法的属性は,労働者が,労
務に服することを約し,使用者が,これに対して報酬を支
払うことを約するところにある(民法623条)。労務に
服するに当たっては,通常の場合,労働者は,使用者の指
定した場所に配置され,使用者の供給する設備,器具等を
用いて労務の提供を行うものであるから,使用者は,報酬
支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のため稼働する
場所,設備若しくは器具又は使用者の指示のもとに労務を
提供する過程において発生する危険から労働者の生命及び
身体等を保護するように配慮すべき義務を負うと観念され
ており,このような義務をとらえて安全配慮義務と定
義される(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決等
参照)。要するに,安全配慮義務は,労働者の労務に服す
る義務に対応して,使用者が労務の給付を受け,労働者の
労務を支配管理する法律関係に付随する義務として生ずる
義務といえる。換言すれば,労務受領請求権あるいは労務
指揮権に内在する義務としてとらえることができる。
イ準ずる法律関係というためには双方が忠実義務
を負う関係にある必要がある。当事者間に直接の雇用契約
がない場合にもこれに準ずる法律関係があるというた
めには,何らかの合意に基づく法律関係が当事者間に存在
することを前提として,双方が忠実義務を負う関係にある
必要があると解される。
したがって,安全配慮義務が生ずる基礎となる社会的な
接触とは,当事者の一方が片面的に義務を負う関係ではな
く,相互的に忠実義務を負うような法律関係でなければな
らない。したがって,一方が他方を強制して労働させるよ
うな関係は,そもそも不法行為の領域の問題であって,こ
れに含まれないことは明らかである。準ずる法律関係
というためには双方が忠実義務を負う関係にある必要があ
る。
ウ次に,安全配慮義務が認められるためには,当事者
間に,直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係
が必要である。
したがって,安全配慮義務の成立が認められるために
は,当事者間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監
督関係が成立しており,使用者の設置ないし提供する場所
・施設・器具等が用いられ,これらの物的側面ないし労務
の性質が,労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性があ
る場合等,当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認
められることが必要である。
エこのように,安全配慮義務の成立の前提となるある法律関係に基づく特別の社会的接触関係とは,当事者間に,上記のような雇用契約ないしこれに準ずる法律関係が存在し,かつ,これに基づき直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係が存在する場合のことをいうものと解される。
しかるに,原告らは一方的に強制連行されたと主張して
いるのであるから,その社会的接触は強制連行という事実
行為によって設定されたものであって,法律関係によ
って設定されたものではなく,また,原告らが主張する事
実によっても,被告国と本件被害者らとの間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係があるとも,直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係があるとも認められない。
オ以上のとおり,本件被害者らと被告国との間には,
安全配慮義務の前提となるある法律関係に基づく特別の社会的接触関係は存在しないというべきである。




争点3-3(消滅時効による請求権消滅)について
ア消滅時効が成立しないこと
・最高裁昭和45年7月15日大法廷判決は,民法1
66条1項にいう権利を行使することができるとは,
単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけ
でなく,権利の性質上,その行使を現実に期待できることを要するとしたものであり,このような解釈は,上記規定の文理上も,消滅時効制度の趣旨からも当然であろう

争点3-3について
ア総論
原告らの本件訴訟提起は,権利を行使することを得ると
きから10年を経過してなされたものであることが明らか
である(民法166条1項,167条1項)。
したがって,原告らの損害賠償請求権は,時効によって
消滅した。
イ消滅時効により消滅していること
と評釈されている(最高裁判所判例解説民事篇昭和45年
度下625頁以下参照)。
その後の最高裁判決がこの大法廷判決の判旨を引用して
いるように,この判決は,弁済供託における供託物の払渡
請求権という特殊な場合に限定した判示ではなく,債権の
消滅時効に一般的に妥当する起算点の判断基準を判示した
ものである。
時効制度一般の存在理由は,①永続する事実状態を尊重することによる法律関係の安定,②時間の経過による立証上の困難の回避,③権利の上に眠る者は保護に値しない,ということにあるとされる。
債権の消滅時効との関係でいえば,一定の事実状態が永
続した場合に,それが真の権利関係と合致している場合
は,それを証明できない者の立証の負担を軽減する機能を
持ち,反対に真の権利関係と異なっていた場合は,その不
一致は真の権利者が権利行使をしなかった結果であるとし
て正当化されるのである。
権利行使が現実に期待できるようになった時を消滅時効
の起算点とした上記最高裁判決は,永続した事実状態があ
ったとしても,そもそも権利行使ができないうちにその権
利の消滅時効が進行してしまうのは不合理であるというこ
とを判示したものであり,永続した事実状態の尊重,法律
関係の安定もさることながら,それ以上に真の権利者の保
護,権利の上に眠っていたと評価することができない者の
保護を優位させたものであるということができる。それは
法の目的である正義・公平と消滅時効の制度の趣旨ないし
は存在理由(権利の上に眠る者は保護しない。)に内在す
る要請に応えるものである。
・最高裁は,民法166条1項にいう権利を行使することができる時とは権利の性質上,その権利行使を現実に期待できる場合を指すものであると判示し,具体的には,
①権利者本人を基準とするのではなく,通常人(一般人)を基準とすること
②抽象的な権利行使の可能性が存する程度では不十分であり,一般の市民感覚や国民生活に照らして,問題とな
っている権利について具体的な権利行使の可能性が存する
ことが必要であること
③権利の性質を判断するに際しては,供託金請求権のように権利そのものの性質を直接考慮することは勿論,被
害の発生の仕方や当事者がおかれた状況(最高裁平成6年
2月22日第三小法廷判決),証拠の有無(最高裁平成1
5年12年11日第一小法廷判決)などを含む客観的状況
などを勘案した上で提訴の可能性を考慮すること
④その際,勝訴の可能性がほとんど期待できない場合は,権利行使を現実に期待することはできないこと(前記
最高裁平成15年判決)
⑤勝訴の可能性さえある場合であっても,権利の性質から,当事者に権利行使を期待できない場合がある(最高
裁平成8年3月5日第三小法廷判決)
という要素を考慮して総合的な判断を示してきたという
ことができる。けっして,要件論を定立してそれに当ては
まるか否かという思考の手法で判断してはいない。
本件のような国際的事件においては,被害者である中国
人が権利行使を現実に期待できたかどうかが問題となるの
であるから,①の通常人(一般人)を基準とすることにおける通常人は,加害国の日本国内の通常人(一般人)を基準とすべきではなく,被害者である中国国内の通常人(一般人)を基準とすべきことはいうまでもない。したがって,中国国内の法制度や中国人の一般人の
法意識,経済状況など中国国内の客観的事情も十分考慮さ
れなければならない。
・本件における消滅時効の起算点を考える上では以下
の事情を考慮しなければならない。
①日本との戦争状態の継続と中国の国交断絶状態
中華人民共和国は,1949年(昭和24年)に成立
し,中国本土を実効的に支配していたにもかかわらず,サ
ン・フランシスコ平和条約では,中華人民共和国はその対
象から外され,日本政府は,中華人民共和国との戦争状態
終結のための措置をとらないまま敵視政策をとっていた。
中華人民共和国も,その前身である中華ソヴィエト政府
が1932年4月12日に日本国政府に宣戦布告をしてお
り,その後の処理がなされていないということを含め,法
的には依然として戦争状態が続いているとの認識に立って
いた。
中華人民共和国は,日本と台湾政府とで締結された日華
平和条約が無効であるという立場をとっており,1972
年(昭和47年)9月29日の日中共同声明ないし197
8年(昭和53年)10月23日の日中友好平和条約の発
効によって,日中双方の共通認識として法的に戦争状態が

・民法166条1項所定の権利を行使することができるときの意義安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効期
間は,民法167条1項により10年とされる(最高裁昭
和50年2月25日第三小法廷判決参照)ところ,この期
間はその権利を行使することができる時(民法166
条1項)から進行する。
そして,ここに権利を行使することができる時と
は,権利を行使することについて法律上の障害がなくなっ
たときをいい,

債権者の病気その他個人的な事実上の障害はもとより消滅時効の進行を止めない。(中略)法律的な障害でも,債権者の意思によって除きうるものは,時効の進行を止めない。

(我妻栄・新訂民法総則(民法講義Ⅰ)484頁)とされており,最高裁昭和49年12月2
0日第二小法廷判決及び最高裁平成6年2月22日第三小
法廷判決も同様の見解をとっている。
原告らが指摘する最高裁昭和45年7月15日大法廷判
決,最高裁平成8年3月5日第三小法廷判決,最高裁平成
15年12月11日第一小法廷判決は,その判示から明ら
かなとおり,消滅時効の起算点が争われる権利の性質に着
目し,その権利行使が期待できないような各判決説示の権
利の特性に由来する障害が生ずることのあり得ることがあ
らかじめ予想される特種な権利に限って,これを法律上の
障害に準じて考慮したものと解される。
これらの最高裁判決は権利の性質を重視していると
いうほかなく,権利の性質を考慮することなく,個別の事
案において,権利行使が現実に期待できないような事実上
の障害があるというだけでは消滅時効の進行を妨げるもの
ではない。そして,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請
求権については,その権利の性質に照らして,その損害が
発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法
律上可能になるものであり,事実上の障害だけでは,消滅
時効の進行を妨げるものではない(最高裁判所判例解説民
事篇平成6年度237頁参照)。
・原告らの主張する事由が法律上の障害に当たらず,
消滅時効の進行を妨げるものではないこと
原告らの主張する事情が消滅時効の進行を妨げる法律上
の障害に当たらないことは,その主張自体から一見して明
らかである。
また,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の権利
の性質という観点からみても,原告らの主張する各事情
は,権利行使の事実上の困難さをいうだけのものであっ
て,その権利の性質それ自体を問題にするものではなく,
最高裁判決のいう権利の性質上,その権利行使が現実に期待できない事情には当たり得ない。したがって,原告らの主張に係る事情はいずれも消滅時
効の進行を妨げるものではなく,原告らの主張はそれ自体
失当というほかない。
・小括
以上のとおり,原告らの主張する安全配慮義務違反に基
づく損害賠償請求権が,原告らの本件訴訟提起時,既に時
効によって消滅していたことは明らかである。
ウ被告国による消滅時効の援用が権利濫用に当たらな
いこと
・時効の援用が権利濫用とされる場合は極めて限定さ
れるべきこと
時効制度は,一定の事実状態が永続した場合に,それが
真実の権利関係と合致しているかどうかを問わず,その事
実状態を権利関係と認めて法的に是認する制度であり,権
利が存在している又は存在していないかのような事実状態
に対する社会の信頼の保護と法律関係の安定をその主たる
目的とするものである。そして,当該事実状態が真の権利
関係に合致していると仮定した場合は,それを証明できな
い者の立証の負担を軽減することを意味し,反対に,当該
事実状態が真の権利関係と異なっていたと仮定した場合
は,その不一致は真の権利者が権利行使をしなかった結果
であるとみなして,その保護を否定するものである(我妻
栄新訂民法総則(民法講義Ⅰ)430ないし432頁
参照)。
民法は,時効によって利益を受ける者の意思を顧慮し,
永続した事実状態の保護と時効の利益を受ける者の意思の
調和を図るべく,

時効は,当事者が援用しなければ,裁判所がこれによって裁判をすることができない。

と定めている(民法145条)。当事者は,永続した事実状態に
ついて時効の利益を受けるかどうかを単に表明すれば足り
るのであって,その理由は特に問わず,動機の正当性を要
求されることもない。時効の利益を受ける当事者にとっ
て,援用権を行使するか否かは全く自由である。
債権は,その行使をし得る時から10年間行使されない
という事実が生じた場合であって,債務者が時効を援用す
終結するのである。
②中国における法整備状況と法意識
中国が,文化大革命(1966年から1975年9月)
の混乱を経て,近代的な法治国家の建設の道を進み始めた
のは,鄧小平のもとで,1978年(昭和53年)12月
中国共産党11期3中全会において改革開放政策がとられ
てからのことである。
鄧小平の発言を受けて,中国国内における法整備に向け
た努力が本格化したが,民法通則が制定されたのが198
6年であり,現在でもなお法治国家建設に向けた継続
的努力が続けられている状態である。
ごく最近まで,一般の中国人には法律に基づいて自己の
権利を裁判を通じて実現するなどという法意識は希薄であ
ったし,それを援助する法律実務家もいなかった。
中国では,昭和31年(1956年)以降社会主義国家
となり,所有権観念が否定され,公民である個人が,私的
な利益に基づき他者に損害賠償を請求すること自体否定さ
れていた。同国においては,人民公社制度が廃止され,個
人所有が認められたのは,昭和59年(1984年)のこ
とであり,民法通則が制定され,個人的利益に基づく請求
権が法的に確立し,訴訟手続を行う律師の制度が復活
したのは,昭和62年(1987年)のことであった。
また,訴訟を行うには法律専門家である弁護士の援助が
なくてはなし得ないが,本件のように国際的な事件であ
り,日本国の法制度に精通していなければ訴訟を提起する
ことの現実的な期待可能性はない。その意味では,原告ら
が権利行使を現実に行うことが期待できるようになるに
は,中国の弁護士と日本の弁護士の協力があることが不可
欠な要素であった。
しかし,中国では,文化大革命の際に弁護士を廃絶し,
長らく弁護士不在の体制が続いた。改革開放政策によって
律師制度(弁護士制度)が整えられたが,その初期におい
ては弁護士は行政機関のための制度であった。一般市民が
弁護士にアクセスできるようになったのは,北京市でいえ
ば1991年ころ公設事務所が設立されてからである。
③外国政府・企業を相手方とする権利行使が許容されない社会状況
中国では法制度も国家体制も異なるのであり,日本国内
の政治的社会的状況と同一であるとの前提で権利行使の期
待可能性を判断することは誤りである。中国では,198
9年の天安門事件に象徴されるように,民間の市民運動も
自由な政治的言論も許されない社会状況が続いていたであ
り,一般国民が外交問題に発展しかねないデリケートな問
題について,中国政府の意向を配慮せずに訴訟を起こすな
どの具体的な権利行使を行うことは期待できなかった。
1995年(平成7年)3月7日全国人民代表大会で,
銭其琛外相は,対日戦争賠償問題について,

1972年の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって個人の賠償請求は含まない。

との見解を示し,補償の請求は国民の権利であり,政府は干渉すべきではないと述べた。
これは当時の日本側の行動に起因する中国国民の対日感情
の悪化に伴って,中国政府が対日関係優先の姿勢を変更し
たものであった。
この発言を契機に,当時,極東国際軍事裁判やBC級裁
判で戦争犯罪として問われ,強制連行・強制労働の実態に
ついての証拠が多くあった花岡事件について企業を相手方
とする訴訟を準備していた原告らの弁護団は1995年
(平成7年)6月に鹿島建設を被告として訴えを提起でき
たのであり,続いて,高橋融弁護士を団長する日本側弁護
士と準備を進めていた劉連仁事件について1996年(平
成8年)3月に日本政府を被告とする訴訟を提起し得たの
である。
④公民出国入国管理法の不許可事由と日本国政府による入国査証発給からみた権利行使の障害
中国では,1986年(昭和61年)2月1日公民出国
入国管理法が施行され,この法律の施行によって,はじめ
て私事によっても旅券の発給を受けることが可能になった
が,この法律が施行されたからといって,私事による出国
について何らの制限がなく旅券の発給を受けることができ
たわけではなく,国務院の関係主管機関が,出国後,国家の安全に危害をもたらし,又は国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがあると認定した者には許可しないこととされていた。
中国国内の政治状況を踏まえると,中国の一般国民が日
本を提訴するために出国を申請すること自体が考えられな
いことであるが,仮に,その申請をしたとしても

国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがある。

との理由によって申請が許可されなかったのである。
また,中国国民が,入国査証取得には,日本に居住する
身元引受人(招聘保証人)が必要であり,また,身元引受

ることによって,消滅という効果が発生する(民法166
条1項,167条1項)。この債権の消滅という効果は,
債権の種類,性質,内容及び金額を問わず,一律に生ずる
ものであって,安全配慮義務違反による損害賠償請求権に
ついても,安全配慮義務違反の態様・程度や被害の重大性
といったことは,債権消滅の効果に全く関係がない。
また,債権がその行使をし得る時から10年間行使され
ないという事実があれば,債務者は,時効の利益を受ける
利益を有する。前記のとおり,安全配慮義務違反の態様が
悪質であったかどうかとか,被害が重大であったかどうか
といったことは,権利消滅の効果に全く影響を及ぼすもの
ではないから,債務者は,これらの事情の有無にかかわり
なく,一定の時の経過という事実に基づいて時効を援用す
ることが許される。
上記のような時効制度の存在理由,当事者の意思との調
和を図って援用権を定めた制度趣旨からすると,時効の援
用が権利濫用とされるべき場合は,極めて限定して解され
なければならない。
かかる観点からすれば,債権者の権利行使や時効中断措
置を事実上困難にしたなど,債権者が期間内に権利を行使
しなかったことについて債務者に帰責事由があり,債権者
に権利行使を保障した趣旨を没却するような特段の事情が
ある場合を除き,時効の利益を受ける債務者は,自由に消
滅時効を援用することができるというべきである。
・原告らの主張する事由は特段の事情に当たらず,消
滅時効の援用は妨げられないこと
原告らの主張する事情は,損害賠償請求権の発生要件該
当事実が悪質であったことをいうにすぎず,債権者に権利
行使を保障した趣旨を没却するような特段の事情に当たら
ないことは,主張自体から一見して明らかである。
・小括
本件被害者らが被告国の安全配慮義務違反により損害を
受けたとする時点は昭和19年ないし20年であるが,本
件の提訴は平成16年12月のことであり,実に50年以
上を経た後に提訴されたものである。この間の社会的通念
あるいは価値観の変化は著しいものがあり,事案の悪質性
や被害の重大性といっても,その悪質性,重大性の程度を
決する当時の価値基準を知ることは困難である。また,被
告会社は,原告らの主張する強制労働の実態等に係る事実
関係を争っているところ,記録の散逸,関係者の死去等に
よって,この点についての具体的な反証が相当困難となっ
ていることがうかがわれる。
このような事情も考慮すれば,本件における消滅時効の
援用が権利の濫用に当たるとはいえないことは明らかであ
る。
人が査証申請人に対し,招聘保証書,滞在予定表,身元保
証人に関する証明書等の必要書類を送付しなければならな
い。そして,招聘した中国人の日本国内での滞在費及び帰
国費を負担する経済的能力があるかどうかを審査するため
に,身元引受人の納税証明書(所得証明書)を提出させて
いる。渡航費用も捻出できない本件被害者らの収入状況で
は,入国から帰国までの滞在費及び帰国費を必要に応じて
負担するつもりがなければ招聘人にはなれないのである。
したがって,原告らの代理人となるべき日本の弁護士や
支援者とのアクセスが全くなかった本件被害者らが,19
86年2月1日の時点において,日本国の査証を取得する
ことは事実上不可能であったのである。本件被害者らが原
告ら代理人とアクセスできた2004年までは,本件被害
者らが日本の入国査証を取得することは極めて困難であっ
たのである。
さらに,中国では,1986(昭和61年)年2月1日
外国人入国出国管理法が施行され,1986(昭和6
1年)年12月27日外国人入国出国管理法実施細則が施
行されたが,同法2条は,

外国人は,入国,通過及び中国国内居住に際し,中国政府主管機関の許可を受けなければならない。

とし,同実施細則7条6項は,入国に際し我が国の国家安全及び利益に危害をもたらすその他の活動をするおそれがあると認められる者については入国を許可しないと規定しており,日本政府や企業を相手方とす
る戦後補償請求は,1995年(平成7年)3月の銭其琛
外相の容認発言がなされるまでは日中関係を悪化させるも
のと考えられてきた。そのため,訴訟を進める活動を行う
ために入国することは,

我が国の利益に危害をもたらすその他の活動をするおそれがある。

との理由でできなかったといえる。
⑤本件被害者らの経済的事情
本件被害者らは,いずれも高齢のため無収入であった。
一般的に見ても,1995年(平成7年)当時の農村家庭
の一人当たりの純収入は月額131.15元(1元16円
で,2万0984円)でしかない。
本件訴訟では,本件被害者らの日本への渡航費,滞在
費,弁護団の中国への渡航費,滞在費等はすべて弁護団及
び本件訴訟を支援する日本の人々の資金援助によって賄わ
れている。
したがって,上記のような本件被害者らに対する経済的
な支援の体制が整うまでは,現実問題として同人らが日本
の裁判所に本件を提訴することはできなかったのである。
⑥証拠の不存在からみた困難性
本件被害者らは,日本軍に突然,身柄を拘束され,強制
的に連行されて船で日本本土に送られてきたのであり,強
制連行・強制労働の正確な事実関係やその全体像を知るこ
とはもちろん不可能であった。また,中国政府も戦後の混
乱期もあって強制連行・強制労働に関する客観的かつ正確
な資料を有していなかった。
したがって,本件被害者らにとって,賠償義務者が被告
国であることを知らなかったことは当然であり,また被告
会社が賠償義務者であることさえ明確ではなかった。この
ような状況下で,中国に住む本件被害者らに損害賠償の権
利行使を要求すること自体が無理である。
提訴の可能性にようやく光明が見えたのは,外務省報告
書と事業場報告書等の資料の存在が明らかになって一般に
公開されてからであって,これらの資料の存在は,本件被
害者らが日本で提訴するための前提条件であったといえる
ものである。これらの資料によって,はじめて本件強制連
行・強制労働についての被告国や被告会社の関与の形態,
役割分担などが明らかになったのであり,賠償義務者が誰
であるのかが明らかになったのである。
現に,中国人被害者らが日本で最初に裁判を提起したの
は1995年(平成7年)6月(いわゆる花岡事件)であ
り,外務省報告書の存在が国会で正式に認められた199
4年(平成6年)以降である。
・以上のとおり,公民出国入国管理法が1986年2
月1日に発効したからといって,本件被害者らが権利行使
をするためには,いくつもの難関を通過する必要があった
のであり,どんなに早くても,1995年(平成7年)3
月7日の銭外相の発言までは,本件被害者らの権利行使は
不可能であったのである。
したがって,本件における被告国の安全配慮義務違反に
基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は,どんなに早
くても1995年3月7日と考えるべきであるから,本件
訴訟提起が2004年12月17日に行われていることか
らすれば,安全配慮義務違反に基づく原告らの損害賠償請
求権については,いまだ時効が完成していないというべき
である。
イ消滅時効の援用が権利濫用に当たること・消滅時効における正義・公平消滅時効の制度趣旨として,一般に,時の経過によって
債権者・加害者間の法的地位を安定させることが挙げられ
ている。
しかし,本件は,被告国が国策として閣議で決定し,国
家の意思として,日本軍が占領していた華北の住民のうち
約4万人もの住民を奴隷的労働のために抑留した上で日本
国内に連行し,被告会社のもとで奴隷的労働に使役させた
という事案である。
このような戦争犯罪が国策としてなされ,その被害者に
対する賠償が国際法上も交戦国の義務とされているにもか
かわらず,責任逃れに終始し,責任をとろうとしない被告
国の対応に対しては,国際的な非難がなされている。
戦争犯罪に時効がないように,戦争法規違反による被害
者に対する加害国の賠償責任も時効がないのである。国家
権力による残虐非道な行為に対し,その責任を不問に付す
ことは,再び同じ過ちを繰り返すことにつながるものであ
る。本件事件は,時の経過によって不問に付すことができ
ない性質のものであり,時の経過による法的安定は不正義
なのである。
また,本件のような戦時における国際的な国家犯罪に対
しては,国内における私人間における正義・公平の尺度は
通用しない。ヘーグ陸戦条約3条における加害国の被害者
個人に対する賠償責任,一般人抑留者に対する保護義務違
反,ILO29号条約(強制労働条約)の違反など観点か
ら,加害国の視点と基準ではなく,国際的にも評価される
視点と基準で正義・公平を考えるべきである。それが本件
における特殊性であり,原告らの権利の性質から来るもの
なのである。
・憲法98条2項違反
本件における本件被害者らに対する安全配慮義務は,本
件被害者らを捕獲し抑留したことによって生ずる保護義務
であり,被告会社に抑留者の給養と保護を委ねたとして
も,被告国は,被告会社による本件被害者らへの虐待を防
止し,戦争が終了して無事帰国させるまで保護する終局的
な義務を有しているのである。この保護義務の違反は戦争
犯罪とされるのであり,加害国は自らが行った交戦法規違
反による被害者に対する賠償責任を負っている(ヘーグ陸
戦条約3条)。交戦法規違反によって損害を受けた被害者
に対する賠償責任を,国内法である消滅時効を援用して,
その責任を免れることはできない。国内法規は国際法規に
適合的に解釈・運用されなければならないのであり,それ
は憲法98条2項に基づくものである。
したがって,消滅時効の援用を認めること自体が憲法9
8条2項に反するものである。
さらに,消滅時効の援用は賠償責任があることが認めら
れる場合において,責任を逃れるために援用するのであ
り,道義的非難を有するものである。加害国家である被告
国が,戦時において,軍隊を使って占領地住民を捕獲した
うえで国家の政策として奴隷的労働を強制し,約8か月と
いう短期間に約10%もの人間が死亡するような残虐非道
な行為を行ったことに対する責任を免れるために消滅時効
を援用するということ自体,権利濫用である。
そのような戦争犯罪の責任を認めず,被害者に賠償しな
いことは,侵略戦争の反省の上に立って制定された現行憲
法の根幹に関わるものであり,憲法の根本理念に反するも
のである。戦争犯罪による被害者に対する賠償義務を否定
する消滅時効の援用は,国際的にも国家の行為として許さ
れない行為である。
また,被告国は,終戦直後の昭和21年に,強制連行・
強制労働について詳細な調査を実施して外務省報告書等を
作成し,その全貌を把握していたにもかかわらず,強制連
行・強制労働の官民関係者の戦争責任追及を免れるため
に,これをすべて焼却した。しかも,その後,被告国は,
一貫して,強制連行・強制労働について,中国人労働者の
供出・移入は任意の契約に基づくものであり強制連行や強
制労働の事実はなかったこと,詳細な資料がないため明確
でないことなどを繰り返し答弁してきた。
このような態度は,被告国が外務省報告書等の作成によ
り本件強制連行・強制労働の実態を把握していたことに照
らせば,極めて悪質な態様で甚大な被害を発生させた本件
強制連行・強制労働を政策として実施した者としてはなは
だ不誠実である。
事業場報告書等を隠匿し,本件被害者らの提訴を実質的
に妨害してきた被告国の不誠実な対応は既に述べたところ
であるが,戦時において軍事上の必要性を理由にして日系
アメリカ人を強制収容して人種的迫害をしたことに対する
謝罪と償い金を,過去の過ちを二度と繰り返さないために
という理由で支払った米国政府の対応と比較しても,残虐
非道な行為の責任逃れに終始してきた被告国の責任を,消滅時効の援用を認めて不問に付すことは,明らかに正義公平に反するものといわざるを得ない。
・以上のとおり,本件では,軍隊を使って国策として
強制連行・強制労働という重大な戦争犯罪行為として行わ
れた奴隷的虐使による被害者に対し,60年以上の歳月を
経たにもかかわらず,謝罪せず,償いもせずに放置してき
たという被告国及び企業の態度自体が強く道義的に非難さ
れるものであり,本件において,被告国が消滅時効を援用
して,その責任を免れようとすること自体が権利濫用とな
るのである。
4
争点4(日華平和条約及び日中共同声明等による請求権放棄)について
・国は個人の損害賠償請求権を放棄できない。被告国
は,条約等によって個人請求権が放棄されたと主張し,そ
の根拠をサン・フランシスコ平和条約,日華平和条約そし
て日中共同声明の規定に求め,るる説明しているが,ジュ
ネーブ第4条約では,国は個人請求権を放棄できない旨を
明確に規定している。なお,同条約に遡及効規定はないも
のの,同条約の趣旨はそれまでの国際慣習を条文化したも
のであって,同条約締結以前の行為であろうとも,同条約
の趣旨は締結国に該当するべきものである。
仮に国が個人の損害賠償請求権を放棄できるとしても,
サン・フランシスコ講和会議に出席せず,サン・フランシ
スコ平和条約の当事国政府でもなかった中華人民共和国政
府統治下の中国人被害者に,同条約14条(b)をストレ
ートに適用させることはできない。原告らにサン・フラン
シスコ平和条約14条(b)を適用させるためには,同条
約を準用している日華平和条約11条を,原告らを含む大
陸の中国人被害者らにも適用できるとしなくてはならない
のである。ところが,日華平和条約はその効力の及ぶ範囲
が限定的な条約だったのであり,したがって,被告国の主
張である,同条約の規定によりサン・フランシスコ平和条
約の請求権放棄の規定を,原告ら大陸の中国人被害者に適
用することは到底できないのであり,その主張自体失当と
いうほかない。
本件で問題となっているのは中国人被害者の個人賠償請
求権放棄であって,したがって問題の本質は,あくまで日
中共同声明(特に5項)の解釈・適用問題である。すなわ
ち,

中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

という一文の解釈問題に尽きるのであるが,日中共同声明第5項の規定文言上からも,日中共同声明の締結
過程における状況からも,日中共同声明によって中国人個
人の賠償請求権が放棄されているという被告国の主張は明
らかに失当である。
被告国は,一国内で2つの政権が革命,内戦により対立
抗争してそれぞれ一定の地域を実効的に支配している間
に,対立政権が第三国との関係で行った約束その他の行為
については,後に全国的支配を確立した新政府が原則とし
てこれを承継する義務を負うというのが国際法の確立され
た原則であるかのように主張するが,そのような国際法の
確立された法規は存在しないし,承継されない場合もある
のである。特に,本件のように,旧政権が国家としての「中
国」の領土・住民の支配権をすべて失い,革命政権が領土
のほとんど全部に対する実効支配を一般的に確立した後
に,辛うじて残存する旧政権が第三国と締結した講和条約
という重要な条約の効力が政府承認の切替えによって新政
権に継承されるかということ自体,前例のないことであ
る。すなわち,まず両政権における実効的支配の有無
という点を見た場合,1952年当時の台湾政府の地位
は,ほぼ事実上の地方政権にすぎない状態であった(実
際,当時の日本政府も,台湾政府を正統政権と認めなが
ら,事実上の地方政権にすぎないという現実は認識し
ていた。)。
また,サン・フランシスコ平和条約に対する対応を対外
的な視点から見た場合,サン・フランシスコ講和会議及び
サン・フランシスコ平和条約締結の時点で,中華人民共和
国政府は,サン・フランシスコ平和条約を準用する日華平
和条約は違法であり無効という立場を明確にしてお
り,その意味で条約の内容を承継しないことを公式に表明
しているが,これは上述した第三国への警告と同視す
ることができよう。
とすれば,被告国の主張するように,仮に1952年当
時,中国という国の一体性が保たれつつ政権が分かれてい
ただけと仮定したとしても,事実上の地方政権に過ぎ
なくなった政権(すなわち台湾政府)によって締結された
日華平和条約が,その当時既に日華平和条約を違法であり無効としてそれに拘束されないことを第三国に警告していた後の政権(すなわち中華人民共和国)を拘束しない



総論
日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約1
4条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対す
る請求権は,国によって放棄されているのであり,サ
ン・フランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請
求権と同様に,これに基づく請求に応ずる法律上の義務が
消滅しているので,救済が拒否されることとなる。したが
って,本件についても,原告らの請求に応ずる法律上の義
務が消滅しているから,原告らの請求は認容される余地は
ない。
・サン・フランシスコ平和条約
ア戦後処理問題の解決
そもそも戦争による被害は,戦争の勝敗とは無関係に,
戦争当事国政府のみならず,その当事国相互の国民の広範
囲に発生するものであり,特に第一次世界大戦後の近代の
戦争は,国家間の全面戦争の形態をとり,その被害は,全
国民が被る結果となっている。
かかる戦争行為によって生じた被害の賠償問題は,戦後
の講和条約によって解決が図られるが,一般的に賠償その
他戦争関係から生じた請求権の主体は,国際法上の他の行
為より生じた請求権の主体と同様,常に国家であり,例外
的に条約で,被害者である国民個人に対して,請求権者と
して直接必要な措置をとる方法を設けた場合以外は,国民
個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害であり,国
家が相手国に対して固有の請求権を行使することになる。
そして,先の大戦に関する我が国及びその国民と連合国
及びその国民との間の賠償並びに財産及び請求権の処理に
当たっては,戦後賠償問題の解決に当たって,当事国内部
の利害を調整した上で,当事国が,国家及びその国民が被
った被害を一体としてとらえ,相手国と統一的に交渉する
こととして賠償問題に最終的な決着を図ることとし,その
交渉の結果,締結に至る講和条約等は,戦後の国際的枠組
みを構築する上で,適正かつ妥当な解決を目指すものと位
置づけられ,当事国及びその国民の相互の真の意味での和
解の印として,その後の当事国及び相互の国民の友好関係
の基盤となることを目的とした。
そのため,このような講和条約の枠組みの下では,戦後
賠償は,原則として国家間の直接処理,又は求償国内の旧
敵国資産による満足の方法によることとして解決が図ら
れ,個々の国民の被害については,原則として,賠償を受
けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の財政事
情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られてい
る。
そして,条約は国家間の合意であり,我が国においては
条約の締結に国会の承認を要し,憲法98条2項は条約の
誠実遵守の必要性を規定している。こうしたことから,我
が国における法律と条約との間の国内法的効力における優
劣関係に関しては,条約が法律に優位すると解されおり,
国家は,国内の立法手続により,国民の私法上の権利・義
務の設定,変更,消滅を行うことが可能なのであるから,
我が国国会の承認を得た条約によって国民の私法上の権利
・義務の設定,変更,消滅を行うことが可能であることは
当然である。
また,従来から,国家がその国民の他国又はその国民と
の間の財産及び請求権の問題を解決するために国際約束を
締結することは国際法上可能であるとして,各国が実行を
積み重ねてきたのであり,戦後の講和条約によって,個々
の国民の相手国に対する請求権について,国家が法的に処
理することは可能である。
イサン・フランシスコ平和条約による解決の基本的内

・サン・フランシスコ平和条約は,先の大戦の連合国
と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の
制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するととも
に,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領
域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的
に解決するために締結されたものである(前文,1条)。
ということは,上記例外の観点からみて,極めて合理
的であると評価できるのである。
以上のように被告国の主張には,合理的根拠がないこと
明らかである。
・最高裁平成19年4月27日第二小法廷判決は,本件
と同種の事件について,中国人被害者らの請求権は,いず
れも日中共同声明5項によって放棄されているとして請求
を棄却したが,同判決の論理は,日本の戦後処理において
サン・フランシスコ平和条約が基本的な枠組みであったと
し,サン・フランシスコ平和条約においては連合国側と日
本との間において相互に請求権が放棄されており,日中共
同声明においても,このサン・フランシスコ平和条約の枠
組みと同様に,文言上は明示されていないものの,戦争賠
償とともにすべての請求権も相互に放棄されたと解すべき
である,というものである。
・しかしながら,中国本土に居住し,中華人民共和国
政府が成立した1949年10月1日以降はその統治下に
あった中国人被害者らの本訴請求権について,サン・フラ
ンシスコ平和条約の枠組論によって,日中共同声明5項を
解釈し,同項によって中国人被害者らの強制連行・強制労
働による損害賠償権は放棄されていると解することは,法
の解釈を誤っているものである。
その理由は,以下のとおりである。
①中華人民共和国政府は,対日講和会議に招請されておらず,サン・フランシスコ平和条約の締結当事国となっ
ていない。
講和条約も当然国家間における取決めであるから,その
当事国になっていない以上,当該講和条約の効力が非当事
国とその国民に及ぶことがないのは当然である。
②アメリカは,その対日講和会議に招請しなかったというより,中華人民共和国が中国を代表する政府であるこ
とを認めず,同政府が講和会議に参加することを拒んだのである。その意味では,サン・フランシスコ平和条約は最大の戦争被害国である中国を意図的に排除する形で
締結されたものであるといってよい。
③戦後の対日賠償については,中華人民共和国政府も日本に対しては,その被害の大きさと日本を敗戦に追い込
んだ功績に見合う賠償を求めることを表明していたし,自
らを正統な代表権をもつ政府であるとして対日講和会議へ
の参加を要求していた。中華人民共和国政府は,同政府を
参加させない講和会議について反対していたものである。
④日中共同声明においては,サン・フランシスコ平和条約については何ら言及されておらず,また日中共同声明
に際しての復交三原則において

日華平和条約は不法,無効なもので廃棄されるべきものである。

との見解が中国から提起され,日本側はこれを十分理解する立場に立つとの見解を表明している。サン・フランシスコ平和条約と日中共同声明の間には何
の継続性もなく,日中共同声明はサン・フランシスコ平和
条約とは全く別個のものとして,当時の世界情勢・日中関
係を踏まえて,日中間で新たに締結・合意された取決めで
あるというべきである。
以上述べた事情によれば,日中共同声明をサン・フラン
シスコ平和条約の枠組みの中にあるものとし,日中共同声
明5項をサン・フランシスコ平和条約の請求権放棄と関連
づけて解釈することは,明らかに誤っているものというべ
きである。
・また,日中共同声明5項によって本件中国人被害者
らの損害賠償請求権が放棄されたとすることは誤りであ
る。
その理由は,以下のとおりである。
①戦後における日中国交正常化交渉,日中共同声明発表時の交渉過程のいずれにおいても,日本国と中国間で,
戦争中に生じた個人の請求権の処理問題については全く検
討されていない。
このことは,サン・フランシスコ平和条約の締結やサン
・フランシスコ平和条約に基づく二国間賠償において,個
人の請求権処理について明確な取決めがなされていること
に照らすと,全く対照的である。
日本政府は,戦後においては,特に1972年9月の日
中共同声明発表時においては,戦争処理においては,国家
の戦争賠償権と国家及び国民の請求権の2つについて明確
に取決めがなされていることを熟知していた。
にもかかわらず,日本政府が特にこのことを検討課題と
せず,中国に対して戦争賠償のみならず,請求権の放棄を
も求めなかったことは,日本政府が意図的に請求権問題に
触れようとしなかったことを示すものである。
日本政府は,国の戦争賠償権と国民の請求権とが区別さ
れないままに

戦争賠償を放棄する。

と提案してきた中国側の提案を奇貨として,個人請求権の取扱いと明確にし

このうち,請求権及び財産に関する条項(第5章)にお
いて,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国
が連合国に賠償を支払うべきことが承認されたが,同時
に,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ
同時に他の債務を履行させるためには,日本の資源は充分
ではないことが承認された(14条(a)柱書)。このた
め,我が国は,自国が戦争中に生じさせたすべての損害及
び苦痛に正確に対応する完全な賠償を行うことまでは求め
られず,以下に述べる義務等を履行することを求められ
た。
①日本国は,その領域が日本国軍隊によって占領され,かつ,日本国によって損害を与えられた連合国のう
ち,希望する国との間で,生産,沈舶引揚げその他の作業
における日本人の役務を提供すること(いわゆる役務賠
償)によって,与えた損害を当該連合国に補償することに
資するために,すみやかに交渉を開始しなければならない
(14条(a)1)。
②日本国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がその管轄下に有する日本国及び日本国民等
の財産,権利及び利益等を差し押え,留置し,清算し,そ
の他何らかの方法で処分することを認めなければならない
(14条(a)2)。
③日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現
として,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日
本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国
際委員会に引き渡さなければならない(16条)。
そして,これらの規定に従って,我が国は,連合国に対
して,多額の支払を行っている。
このように,連合国のみならず中立国及び連合国の敵国
の領域内にある日本資産の連合国による処分を容認し,さ
らに同様な処分の権利を中国に与えるというのは,過去の
同種の条約には例を見ない厳しい内容の規定であるが,日
本国政府としては,日本国が連合国軍による占領から一日
でも早く独立し,主権国家として,国際社会に復帰した
上,連合国と友好提携関係に入るためには,かかる過酷な
条件を受け入れることもやむを得ないと考えて,同条約を
締結するに至ったのである。
以上のようなサン・フランシスコ平和条約上の義務を履
行するのと引換えに,同条約14条(b)では,この条約に別段の定めがある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。と規定された。ウサン・フランシスコ平和条約14条(b)の解釈
連合国及びその国民と日本国及びその国民との相互の請
求権は,サン・フランシスコ平和条約により,完全かつ最
終的に解決されたものであるが,その法的効果の内容は次
のとおりである。
・連合国の請求権に対する効力
連合国が日本国及び日本国民に有していた請求権は,同
条項によって放棄された。この請求権には,戦時国際法違
反等による国際法上の請求権のみならず,各国国内法に基
づく債権も含まれていた。
・連合国国民の請求権に対する効力
サン・フランシスコ平和条約14条(b)の文言上,連
合国国民の請求権(債権を含む。)も連合国によって放棄された。その法的意義は次のとおりである。①まず,戦時国際法に基づくクレイムについてみれば,連合国国民が日本国の戦時国際法違反により損害を被
ったとしても,国際法上,個人には法主体性が認められな
いのが原則であり,戦時国際法には例外的にこれを認める
根拠はないのであるから,連合国国民は,戦時国際法違反
を理由として,日本国に対して,もともと国際法上の請求
を行うことはできない。
②次に,各国国内法に基づく請求権ないし債権についてみれば,連合国国民が各国国内法上日本国又は日本国民
に対して有する請求権の平和条約による放棄がどのよ
うな意義を有するかは同条約の国内法的効力の問題である
が,我が国においては,平和条約の同条項によって,これ
らの請求権ないし債権に基づく請求に応ずべき法律上の義
務が消滅したものとされたのであり,その結果,救済が拒
否されることになる。
平和条約が,我が国の主権を完全に回復し,各国国内法
に基づく債権を含む請求権及び財産等を含めた戦争状態の
存在の結果として未決の問題を最終的に解決するために締
結されたものであることからすれば,上記請求権ないし債
権について何らの処理をしなかったものと考えることはで
きない。オランダ代表と日本代表との交渉経過をみると,
ていなかった日中共同声明5項で合意したのではないかと
認められる。
その意味で,日中共同声明5項は個人の請求権について
は何も定めていないと解すべきである。
②日中共同声明5項は,

中華人民共和国政府は,日中両国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償を放棄することを宣言する。

と述べている。ここでは

中国政府が日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する。

とされているのであって,国及び国民の請求権問題について何ら触れられていない。
サン・フランシスコ平和条約は,戦争賠償及び請求権の
放棄については,

連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権・・・・を放棄する。

(14条(b))

日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する。

(19条(a))と定めている。ここでは,戦争賠償権とは明確に区別された形で国及び
国民の請求権が放棄されることが規定されている。
日中共同声明5項は,個人の請求権については,何も取
り決めておらず,むしろ文言を素直に読むならば,個人の
請求権は放棄されていないと解すべきである。
・日中共同声明5項によって個人の請求権も放棄され
たとする最高裁判決は,条約法に関するウィーン条約(以
下ウィーン条約法条約という。)に違反する。
aウィーン条約法条約に基づく解釈の必要性
条約を解釈する基準としては,国際慣習法として存在し
ていた基準を整理したウィーン条約法条約があり,これに
基づいて条約を解釈しなければならない。
この条約は1980年に効力発生し,1981年に日本
も加入している。
ウィーン条約法条約4条は,この条約は,自国についてこの条約の効力が生じている国によりその効力発生の後に締結される条約についてのみ適用する。ただし,この条約に規定されている規則のうちこの条約との関係を離れ国際法に基づき条約を規律するような規則のいかなる条約についての適用も妨げるものではない。と規定しており,その結果,ウィーン条約法条約そのものは日中共同声明に
適用されることはないが,同条約の規定のうち,国際法に
基づき条約を規律する規則は,同条約の効力と無関係に適
用される。
したがって,ウィーン条約法条約31条及び32条は,
同条約の効力としてではなく,国際慣習法として,日中共
同声明に適用される。
bウィーン条約法条約31条及び32条
ウィーン条約法条約31条において規定されているの
は,条約は,文脈,趣旨,目的に照らして用語の通常の意
味に従って誠実に解釈すること,文脈には条約の締結
に関連する合意を含むこと,文脈とともに条約の解釈
・適用について後にされた合意や条約の適用について後に
生じた慣行も考慮するということである。
ウィーン条約法条約32条において規定されているの
は,31条による解釈によって得られた意味を確認するた
め,または,31条による解釈によっては意味が不明確で
ある場合等に,条約の準備作業及び条約の締結の際の事情
に依拠することができるということである。
日中共同声明は,法律的には条約ではないが,実質的に
は日中間の戦争状態を終結させる国家間の合意であるか
ら,ウィーン条約法条約31条及び32条の内容となって
いる条約解釈の一般的な規則によって解釈されなければな
らない。
c最高裁判決の日中共同声明5項の解釈の誤り
最高裁判決の解釈は,ウィーン条約法条約31条及び3
2条の内容となっている条約解釈の一般的な規則に違反し
ている。
①日中共同声明5項は,

中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

と規定している。放棄するの主語は中華人民共和国政府であり,
中国国民は主語となっておらず,中国国民が請求権を放棄
したとは解釈できない。
さらに,文脈,趣旨及び目的に照らして通常の用語の意
味を解釈するという視点からしても,中国国民が私的な請
求権を放棄したとは解釈できない。
日中共同声明の戦争の反省・復交三原則の項には,

日本側は,過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた。

と中国国民の損害を明記している。そうであれば,中国国民の損害について請求権を放棄
する場合は,中国国民が損害賠償請求を放棄すると記載す

我が国はオランダ政府に,条約締結の結果国民は請求権を
日本国政府又は日本国民に対して追及してくることはでき
なくなるとの解釈を提示し,これに対するオランダ代表の
意見を踏まえ,最終的には,日本国政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国国民のあるタイプの私的請求権が残るとしても,平和条約の効果として

かかる請求権につき満足を得ることはできない。

との解釈で決着し,平和条約締結の中心的人物であるダレス米国代表
も救済なき権利として問題を整理していたのである。
このような条約締結当時の経過からすれば,平和条約1
4条(b)にいう請求権の放棄とは,日本国及び日本
国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応
ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶する
ことができる旨が定められたものと解すべきである。
そして,このような平和条約による国家間の戦後処理
が,請求権の問題の完全かつ最終的解決であることは,近
時,米国において,先の大戦中に,旧日本軍の捕虜となっ
た元米国軍人らが日本企業の事業場で強制労働させられた
と主張して,日本企業を被告として,米国内の裁判所に提
訴した多数の損害賠償請求訴訟において,米国政府及び日
本国政府が示した見解によっても明らかである。
・日華平和条約
ア我が国と中国との間の戦後処理について,1952
年(昭和27年)4月28日,我が国は,中華民国との間
で,日華平和条約を締結した。すなわち,先の大戦後の中
国において,一つの国家としての中国(China)を代表
する政府として,中華民国政府と中華人民共和国政府が互
いに自己の正統性を主張していた。そのため,サン・フラ
ンシスコ講和会議に中華民国政府,中華人民共和国政府い
ずれを招待するかについて問題が生じた。この問題につ
き,連合国の間,特に米英両国の間で意見の対立があり,
結局,いずれも招かないということになったが,その結
果,日本はいずれの政府と戦後外交関係を結ぶかが問題と
なり,米国にとっても非常に大きな政治問題となった。昭
和26年暮れに,米国政府の中で対日平和条約問題を担当
するダレス特使が来日し,同特使が,吉田茂総理大臣に対
して,我が国が中華民国政府と平和条約を締結するのでな
ければ,サン・フランシスコ平和条約自体が米国議会の承
認を得られないと説得したため,吉田総理もこれに応じ,
いわゆる吉田書簡を発出し,日本は中華民国政府と平和条
約を締結することを約束した。
このようにして,我が国は,中華民国政府をもって,中
国を代表する正統政府であるとして,国家としての中国と
日本国との戦争状態の終結等の問題を解決するために日華
平和条約を締結した。これは,1972年(昭和47年)
の日中国交正常化によって,中華人民共和国政府を承認し
て,承認の切替えをするまでは,中国を代表する政府とし
て中華民国政府を承認していたという経緯に基づくもので
ある。そもそも一国の内部で政府の変動があり,いずれの
政府が当該国を代表するのかが問題となる場合,当該国自
体は第三国との関係で同一性をもって存続する。その際,
一国内で二つの政権が革命,内戦により対立抗争しそれぞ
れ一定の地域を実効的に支配している間に,対立政権が第
三国との関係で行った約束その他の行為については,後に
全国的支配を確立した新政府が原則としてこれを承継する
義務を負うとされている。そして,1972年(昭和47
年)の日中国交正常化は,国家としての中国を代表する政
府の承認の切替えである。
イ日華平和条約は,その前文にあるように,

歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さとにかんがみ,善隣関係を相互に希望することを考慮し,その共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のための緊密な協力が重要である。

という認識の下に,両国間の戦争状態を終了させ,賠償及び戦争の結果として生じた諸問題を解決した
ものである。すなわち,我が国に対する賠償請求権につい
ては,同条約の議定書1(b)で,

中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サン・フランシスコ平和条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。

と規定し,これにより,サン・フランシスコ平和条約14条(a)1に規定する賠償
請求権を放棄した。そして,中華民国代表と日本国代
表との間の同意された議事録4により,中華民国は本条約の議定書第1項(b)において述べられているように,役務賠償を自発的に放棄したので,サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は,同条約第14条(a)2に規定された日本国の在外資産である。とされ,サン・フランシスコ平和条約21条に基づき,中国が,同条約14条(a)2の利
益を受ける権利を有することについても確認された。これ
によって,中国による,その領域内にある日本国及び日本
るはずである。
しかも,日中共同声明5項には,中日両国国民の友好のためにという文言も記載されているのであるから,中国国民が請求権を放棄するのであれば,中日両国国民の友好のためにという文言に並記して,中国国民は損害賠償請求権を放棄すると記載することは容易にできたはずで
ある。それにもかかわらず,それをしなかったということ
は,中国国民の損害賠償請求権は放棄されていないと解釈
するしかない。
②ウィーン条約法条約32条の解釈基準にしたがって解釈するならば,中国が,サン・フランシスコ平和条約を
基本的枠組みとすることに同意するどころか,サン・フラ
ンシスコ平和条約成立当時からそれに反対する意思を表明
しており,日中共同声明の時点においてもその反対する意
思に変化が生じたことを示す事実は何ら存在しないことが
明らかである。
③日中共同声明5項の具体的文言をめぐる交渉過程の中では,中国国民の請求権という文言を入れる提案は
一切なされていない。
また,日本政府は,

いかなる請求も放棄する。

という文言を要請していたが,中国政府は,

戦争賠償の請求を放棄する。

と限定した文言を希望し,それが採用される結果となった。このことからも,中国政府は放棄する対
象を限定しようとする姿勢だったのであり,日本政府も結
局それに同意したのである。
したがって,日中共同声明5項によって,明文にない個
人の請求権までも放棄されたとすることは誤っているとい
うべきである。
・日中共同声明5項によって本訴請求権も放棄された
とする最高裁判決は,ジュネーブ第4条約に違反する。
aジュネーブ諸条約
1948年8月12日ジュネーブ外交会議(戦争犠牲者
保護のための国際条約作成のための外交会議)で採択され
た4条約を一括して戦争犠牲者保護条約又はジュネーブ諸条約というが,第4条約は,文民及び一般住民の保護に関するものである。
これら条約は,戦争犠牲者の保護の範囲を質・量ともに
拡大した点で画期的なものであったが,戦争法の全体系を
覆うものではなかったため,1968年以後,赤十字国際
委員会と国連の協議により準備作業が加速され,2度にわ
たる政府専門家会議を経て1974年から1977年にか
けて4会期にわたる国際人道法の再確認と発展のための外交会議が開催され,会議には124か国と若干の解放団体の代表も出席し1949年8月12日のジュネーヴ諸条約に追加される国際武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書(第1追加議定書)及び1949年8月12日のジュネーヴ諸条約に追加される非国際武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書(第2追加議定書)が採択された。
bジュネーブ第4条約7条(1)
ジュネーブ第4条約7条第(1)(特別協定)は,締約国は,・・・・に明文に規定する協定の外,別個に規定を設けることを適当と認める全ての事項について,他の特別協定を締結することができる。いかなる特別協定もこの条約で定める被保護者の地位に不利益を及ぼし,又はこの条約で定める被保護者に与える権利を制限するものであってはならない。と規定する。1977年の第1追加議定書に関する赤十字国際委員会
のコンメンタール(1987年)は,この規定の趣旨につ
いて,平和条約の締結に際し,締約は,原則として戦争被害一般に関する問題と戦争開始についての責任問題を適当な方法で取扱うことができる。これに対して,締約国は,戦争犯罪人の訴追を差し控え,又はジュネーブ諸条約及び追加議定書の諸規定違反の被害者が賠償を受ける権利を否定することができない。と解説しており,国家による講和条約等の賠償処理が,個人の請求権を消滅させるも
のではないことを明らかにしている。
cジュネーブ第4条約147条及び148条
ジュネーヴ第4条約148条は,

締約国は,前条に掲げる違反行為に関し,自国が負うべき責任を免れ,又は他の締約国をしてその国が負うべき責任から免れさせてはならない。

と規定する。同条の趣旨について,赤十字国際委員会は,第1追加議
定書91条及びヘーグ陸戦条約3条と同じ原則に立脚して
いるととらえた上で

この規定の目的は,特に,休戦協定または平和条約の中で,敗戦国が戦勝国の使役下にあった者によって行なわれた重大な違反を理由とするすべての賠償を放棄することを強いられるのを防止することにある。

と述べている。いずれにしてもジュネーブ第4条約148条は,文言

国民の資産の処分が追認されることとなった。そして,日
華平和条約11条は,

この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サン・フランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。

と規定しているところ,この規定にいうサン・フランシスコ条約の相当規定には,14条(b)及び19条(a)も含まれるから,この規定に従って,日本国及びそ
の国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,上記
のサン・フランシスコ平和条約14条(a)1に基づく賠
償請求権と併せて,同条約14条(b)及び19条(a)
の規定により,すべてが放棄されたことになる。
以上のように,日中間の請求権の問題は個人の請求権も
含めて日華平和条約により解決されている。
・日中共同声明
以下では,かかる前提の下で我が国政府が日中共同声明
に至る交渉を行い,中華人民共和国政府がその放棄を
宣言したものであることを示す。日華平和条約締結後
20年を経て,日本国政府は1972年(昭和47年)に
日中共同声明に署名した。日中共同声明の交渉過程におい
て問題となった点の中に,戦争状態の終了や賠償並びに財
産及び請求権の問題がある。これらの問題は,日華平和条
約についての両国の立場の違いに起因するものであるが,
困難な交渉の結果,以下に述べるとおり,日中共同声明
は,両国の立場それぞれと相容れるものとして作成されて
いる。
賠償並びに財産及び請求権のような一度限りの処分行為
については,日華平和条約によって法的に処理済みである
というのが,我が国の立場であり,日華平和条約の有効性
についての中華人民共和国との基本的立場の違いを解決す
る必要があった。この点についても,日中双方が交渉を重
ねた結果,日中共同声明5項においては,中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する旨規定されている。日中両国は,互いの立場の違いを十分理解した上
で,実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべ
く,このような規定ぶりにつき一致したものであり,その
結果は日華平和条約による処理と同じであることを意図し
たものである。すなわち,戦争の遂行中に日本国及びその
国民がとった行動から生じた中国及びその国民の請求権
は,法的には前述のとおり,日華平和条約により,国によ
って放棄されているというのが我が国の立場であり,この
ような立場は共同声明によって変更されているわけではな
い。このように,日中共同声明5項は我が国の立場と相容
れるものとして作成されたのであり,中国国民の国内法上
の請求権に基づく請求に応じる義務が日本国及びその国民
にないことは明らかである。
上,戦争犯罪被害者の権利を,締約国が,被害国として放
棄することも,加害国として放棄することも,ともに禁止
している。ここに戦争犯罪被害者の権利とは,個人の賠償
請求権を当然に包含するものであることは明らかであるか
ら,上述したように,締約国はこれを放棄することができ
ない。
そこで,同条約148条がいう前条に掲げる違反行為であるが,同条約147条は,前条にいう重大な違反行為とは,この条約が保護する人又は物に対して行なわれる次の行為,すなわち,殺人,拷問若しくは非人道的待遇(生物学的実験を含む。),身体若しくは健康に対して故意に重い苦痛を与え,若しくは重大な傷害を加えること,被保護者を不法に追及し,移送し,若しくは拘束すること,被保護者を強制して敵国の軍隊で服務させること,この条約に定める公正な正式の裁判を受ける権利を奪うこと,人質にすること又は軍事上の必要によって正当化されない不法且つし意的な財産の広はんな破壊若しくは徴発を行なうことをいう。と規定している。本件が,拷問若しくは非人道的待遇身体若しくは健康に対して故意に重い苦痛を与え,若しくは重大な傷害を加えること被保護者を不法に追求し,移送し,若しくは拘束することに当たることは明らかである。したがって,原告らが有する損害賠償請求権を日中両国
政府は放棄することはできないのである。
dジュネーブ第4条約の適用
日本は,1953年にジュネーブ諸条約に加入し,
中華人民共和国は1956年に同条約に批准している。
したがって,1972年に日中共同声明が成立した当時
には,日中両国とも同条約に拘束されることになる。
たしかに,ジュネーブ諸条約には,遡及規定はないが,
個人の賠償請求権放棄の問題は,違法行為の時期ではな
く,国家による権利放棄行為,すなわち個人の賠償請求権
の放棄の時期が問題とされているのであるから,ジュネー
ブ諸条約の拘束をうけると解釈すべきである。
ジュネーブ諸条約は,それ以前に存在した一定の国際慣
習を条文化したものであり,ジュネーブ第4条約148
条,147条によって定義された重大な違反行為がいつ行
なわれたものであるかについて,同条約が時期を限定して
いないのはこの意味に理解することができる。
したがって,同条約締結以前の行為であろうとも,同条
約の趣旨は締結国に該当するものであり,締約国はその拘
束を受けることになるというべきである。
よって,日中共同声明5項によって本訴の損害賠償請求
権が放棄されているとすることはジュネーブ第4条約に違
反するものであって,誤りである。
・日中共同声明5項に対する中華人民共和国の認識・
見解
a中華人民共和国側が,日中共同声明に至る日本側との
前記交渉過程で,戦争賠償に中国国民個人の請求権が
含まれる旨明言したり,示唆したりした事実は全くない。
b中国政府は,日本が中国に遺棄した化学兵器問題,
中国人女性を従軍慰安婦とした問題,本件のような中国人
強制連行問題などは,日中共同声明にもかかわらず,

中国政府は人民の正当な利益を擁護する立場から,日本に真剣な対応と善処を要求している。

(駐日中国大使館が示した日中間の慰安婦問題についての公式見解)
c最高裁判決前後の中国政府の見解
2007年4月26日,中国外交部劉建超報道官は,定
例記者会見で記者の質問に対し,以下の通り発言してい
る。
中日共同声明は,中日両国政府が調印した厳粛な政治・外交文書であり,戦後の中日関係の回復・発展の政治的基礎をなしており,どちら側も文書で述べられた重要な原則,事項について,司法解釈を含め,一方的解釈を行うべきではない。また,同月27日の最高裁判決に対し,同報道官は,翌
日,次の通り述べて強く抗議した。
中日共同声明で日本への賠償請求権を放棄したのは,両国人民の友好と共存に着眼して行った政治判断である。中国側が再三にわたって行った厳正な申し入れを顧みず,この条項を一方的に解釈した日本最高裁の行為に我々は強く反対する。日本最高裁が中日共同声明について行った解釈は違法なものであり,無効だ。中国側の関心に真剣に対処し,この問題を適切に処理するよう我々は日本政府に求める。日本は中国侵略戦争中,中国人民を強制連行し,奴隷のように扱った。これは日本軍国主義が中国人民に対して犯した重大な犯罪行為であり,現在も適切に処理されていない現実的で重大な人権問題でもある。中国側は既に,歴史に責任を負う姿勢で問題を適切に処理するよう日本側に求めた。dこれら事実からすると,中国政府は,日中共同声明5項では,少なくとも本件強制連行・強制労働問題な
どに関する請求権問題等は解決されていないと認識してい
ること明らかである。
・請求権放棄の抗弁の提出は,権利濫用で許されない
仮にこの最高裁判決の論理を前提としても,被告らの抗
弁の提出は,権利濫用である。
a被告らによる本件被害者らに対する強制連行・強制
労働は,重大な人道法・人権法違反である。
b被告らは,本件強制連行・強制労働で利益を得てい
る。被告国は,閣議や次官会議で,国内の労働力不足を補うために中国人労働者を移入するとの政策を決定し,これを実行に移したのである。被告会社は,この国策に協力して本件強制連行・強制労働をさせて,莫大な利益を受
けたのである。
cしかも,国は,中国人強制連行に関するいわゆる外
務省報告書を長年故意に隠蔽し,この戦争犯罪を隠し続け
た。
d最高裁判決も,サン・フランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は中国人労働者らを強制労働させて相応の利益を受け,補償金を取得しているなどの諸般の事情に鑑みると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの救済に向けた努力をすることが期待されるところである。と述べているのである。
これらに加えて,原告らがこれまで主張してきた,原告
らの請求が重大な人道法・人権法違反に根拠をもっている
ことなど総合的考慮すれば,本件訴訟で被告らが主張して
いる日中共同声明5項を根拠とする請求権放棄の抗弁は,
権利濫用であって許されないものである。
別紙6

主張対比表(原告ら・被告会社)
原告らの主張

1
被告会社の主張

争点1(被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求)について


争点1-1(不法行為)について
ア被告らが本件被害者らに対して行った強制労働は,
被告国の国策に基づき,被告らが形式的にも実質的にも共
同し一体となって推し進めたものであり,法的にみて,そ
れぞれの違法原因,責任原因の立論に若干の差違があると
しても,本質的には以下のとおり不法行為を共同したもの
と評価するべきものであり,その責任においても互いの責
任転嫁は許されず共同不法行為責任を負うべきものであ
る。
イ本件被害者らが,処罰の脅威の下に強要され,自ら
任意に申し出たのではない労務に従事したことはあらゆる
点で弁明の余地なく,被告らは,強制労働条約1条1項を
真っ向から蹂躙した違法行為を行ったといわざるを得な
い。
被告国は,強制労働を自ら立案して被告会社等の企業に
大規模に実行させたものであり,こうした国際的犯罪行為
により外国人である本件被害者らの生命・身体・財産に対
して重大な危害を加えた。この行為については,国家の行
為といえども民事上の責任を排除しうる根拠はなく,当然
のことながら民法上の不法行為責任(民法709条)を構
成すると解すべきである。
したがって,被告国と被告会社は,強制労働条約違反の
犯罪行為に対する共同不法行為責任(民法719条)を免
れない。
ウ奴隷制の禁止は,国際法の中でも最も早く一般国際
法の強行規範として認められており,1927年には国際
連盟の採択により奴隷条約が発効した。日本は,上記奴隷
条約を締結・批准していなかったが,奴隷制度及びそれに
類する強制労働の禁止は,既に国際慣習法として確立して
いた。
また,第二次世界大戦後に設置された2つの国際軍事裁
判所の条例は人道に対する罪を確認し,国際的承認がなさ
れており,1930年6月28日,国際労働機関(IL
O)総会第14会期において強制労働条約が採択され,1
932年11月21日,日本も同条約を批准しており,強
制労働条約は,既に日本の国内法としての効力があるとと
もに国際慣習法としての効力も存在していた。
以上の条約等はいずれも国際慣習法として,本件当時,
被告らの行動を規律する法規範となっていたものであり,
民法の不法行為の場面においても違法性評価の基準となっ
ていたものである。
被告らが本件被害者らに行った強制労働の実態を見れ
ば,それが奴隷条約が禁止した奴隷労働に類似する強制労
働に該当し,人道に対する罪のうち奴隷的虐使あるい
はそれに匹敵する非人道的行為に該当し,強制労働条
約が廃止を求めた一切の形式に於ける強制労働の使用
に該当することは明白であり,民法上も違法と評価される
べきものである。
そして,被告国は,かかる強制労働を自ら企画立案し,
これを同じく強制労働を推進した被告会社等に実行させた
のであるから,被告らは民法709条ないしは民法715
条に基づき,原告らに損害賠償すべき責任を免れないので
ある。

争点1-1について
ア被告会社は,酒田華工管理事務所との間で作業委託と
しての一種の請負契約を締結し,この請負契約に基づいて華
工管理事務所から中国人労働者の労働力の提供を受けたもの
であり,被告会社と酒田華工管理事務所とは全く別個の存在
である。また,被告会社は,被告国から軍需充足会社に指定
され,作業内容や従業員等も定められており,酒田華工管理
事務所から中国人労働者の労働力の供給を受けることまで指
定され,その指定されるままに作業を実施していたのであ
り,被告会社の自由意思が介在する余地はなく,被告会社は
被告国による中国人労働者の徴用については,何ら関係を有
していない。
イ戦時中の酒田港での中国人労働者が従事した作業は,
当時の日本人労働者,あるいは,当時の婦人や学生などの勤
労奉仕隊の作業員が従事した作業と比較しても,危険度にお
いてもより高度な危険を有する作業はなく,そもそも危険性
自体が低く,また,負担においてもより大きな負担となる作
業もなかった。中国人労働者の従事した作業は,日本人労働
者や勤労奉仕隊の作業員も従事した作業であり,逆に,日本
人労働者や勤労奉仕隊の作業員は,中国人労働者が従事しな
い貨車積みのような作業にも従事しており,中国人労働者の
従事する作業は日本人労働者も一緒に従事していた。このよ
うに,中国人労働者が従事した作業は,日本人労働者が従事
した作業よりも負担が軽いことはあっても,決して負担が重
いということはなかった。
ウしたがって,被告会社が不法行為責任を負うことはな
い。



争点1-3(消滅時効による請求権消滅)について
争う。



・争点1-4(除斥期間の経過による請求権消滅)につ
いて
被告国に対する主張と同じ。



2




争点1-3について
被告会社は,本件被害者らが,損害及び加害者を知ったと
きから3年以上が経過していることにより,民法724条の
消滅時効を援用する。
争点1-4について

不法行為のときから20年以上が経過しており,民法72
4条の除斥期間が経過している。
その他,被告国の主張を援用する。

争点3(被告らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求)について
争点3-2(被告会社の安全配慮義務違反)について
ア被告会社は,華北労工協会との間で「華北労工協会ノ
供出スル労工使用」についての契約を締結している。そし
て,被告会社と華北労工協会との間の労働供給契約では,
いったん華北労工協会が労働契約によって支配下においた
中国人労働者を被告会社に雇用させることを約して供給す
る形態が予定されていた。こうした点を考慮すると,雇用



争点3-2について
被告会社は,酒田華工管理事務所と一種の請負契約を締結
しており,中国人労働者とは直接雇用契約や請負契約を締結
せず,被告会社と中国人労働者との間には直接的な契約関係
はない。酒田華工管理事務所と中国人労働者との間に直接的
な雇用関係があるのであるから,その雇用関係に基づく住
宅,寝具,衣類,食事,労働日数,労働時間,作業中の安
契約が被告会社と本件被害者らとの間での明文として直接
には交わされてはいないものの,実際には,本件被害者ら
中国人労働者は,被告会社から雇用されていたのと何ら異
なるところがなく,雇用契約関係とほぼ同一視し得る
雇用類似の法的関係下に置かれていたといえる。被告
会社の側は,本件被害者らを自己の雇用労働者とみなして
本件被害者らに接し,厚生省に対して華人労務者配置を自
ら申請し,華北労工協会との間に労工使用契約を締結
して本件被害者らを自社の港湾に配置させてこれを使役
し,労務の提供を受けた被告会社は,雇用契約における雇
用者と同様の安全配慮義務ないし雇用契約における雇用者
に準じた安全配慮義務を負う。
また,被告会社は,①中国人労働者の使用について華北労工協会と使用契約を締結し,さらに,強制連行された本
件被害者らについて日本港運業会からその使用について契
約を締結していること,②日本港運業会は被告会社等の港湾作業会社の中央統制団体であった上,その出先機関であ
る酒田華工管理事務所の所長は被告会社の社長である等密
接一体の関係にあること,③本件被害者らは,生活管理を被告会社と酒田華工管理事務所により一方的,全面的に支
配されたこと,④本件被害者らは,強制労働中に被告会社の社員から指示,監督されながら,そこに設置された設
備,器具等を使用して労務に従事させられたこと等からし
ても,原告らとの間に特別な社会的接触関係が存在し
信義則上の安全配慮義務を負うことは明確である。
イ具体的には,被告会社には,①本件被害者らに与える食料について,重労働に耐えられるだけの食料を与える
義務,②本件被害者らの労働条件として,1日の労働時間中に一定の休息休憩時間を与えるとともに,毎月一定の休
日を設け,監督にあたっては暴力を振るわせないようにさ
せる義務,③本件被害者らの生活環境について,余裕のある就寝場所を提供し,暖房設備を整え,布団や毛布等の寝
具,衣服を与え,洗濯の機会を与え,風呂を備え,入浴の
機会を与え,病気になったときには医師の治療を受けさせ
治るまで治療に専念させる義務等があった。
ウしかるに,本件被害者らは,強制労働をさせられて
いる間,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態に
おかれ,飢餓感にさいなまれる苦痛,そしていつ過労死し
てもおかしくないような過酷で休みのない長時間な労働を
しかも暴力でもって強制されるという苦痛,また入浴等も
ない耐え難く不衛生で,かつ暖房設備にも乏しく凍死しか
ねないほど寒い状況下で暮らすという苦痛を余儀なくされ
たものである。その上,怪我,病気になっても医師による
治療はもとより投薬ひとつもなかった。これは,前記安全
配慮義務に違反するものである。

全,健康状態等に関する管理義務は,専ら酒田華工管理事務
所に帰属することになる。
中国人労働者に対するその日の作業の一般的な指示は,酒
田華工管理事務所によって行われていたはずである。中国人
労働者は,作業現場に来ると,日本人労働者と一緒に作業を
行った。そこにいる日本人労働者の大部分は,被告会社から
作業を下請していた組と呼ばれる団体に所属している作
業員であった。当時は,被告会社の下請の組として,真嶋
組,小野寺組などの組があった。組には,作業員に指示を与
える組頭がいて,作業員を統率していた。組は,作業現場で
はいくつかの班に分かれ,班ごとに職長クラスの作業員がい
て,班の作業員に具体的な指示を与えていた。中国人労働者
は,この組の作業員に混じって,石炭の積替えや陸揚げの作
業を行ったが,作業現場では,この組の班の職長クラスの作
業員の指示に従って作業を行っていたものと思われる。被告
会社は,中国人労働者を雇用していたわけではないので,中
国人労働者に対して雇用契約上の安全管理義務を負担するこ
とはない。中国人労働者に対して雇用契約上の安全管理義務
を負担するのは,雇用者である酒田華工管理事務所である。
そして,本件被害者らの衣食住の環境については,被告会
社の所轄事項ではなく,酒田華工管理事務所の所轄事項であ
るから,被告会社としては,それに介入することも整備する
こともそれを改善することも行える立場になかった。
また,当時は,酒田港で扱う貨物の種類は,被告国が決定
していた。また,当時は,酒田港に陸揚げされる貨物の取扱
企業は,被告国が行った一港一社体制により,被告会社一社
だけだった。さらに,当時は,被告国によって貨物の陸揚げ
作業の期限も定められていた。その結果,中国人労働者の行
う作業内容は,被告国の方針によって定められることにな
り,そこには,一民間企業でしかない被告会社の裁量権の及
ぶ余地は全くなかった。
したがって,被告会社は,安全配慮義務を負うものではな
い。





3
争点3-3(消滅時効による請求権消滅)について
被告国に対する主張と同じ。

争点3-3について
ア被告会社は,本件被害者らが損害を知ったときから5
年以上が経過していることにより,商法522条の消滅時効
を援用する。
イ被告会社は,本件被害者らが損害を知ったときから1
0年以上経過していることにより,民法167条1項の消滅
時効を援用する。

争点4(日華平和条約及び日中共同声明等による請求権放棄)について被告国に対する主張と同じ。

被告国の主張を援用する。
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