判例検索β > 平成15年(ワ)第4003号
国家賠償請求
事件番号平成15(ワ)4003
事件名国家賠償請求
裁判年月日平成19年3月29日
裁判所名・部名古屋地方裁判所  民事第5部
結果棄却
裁判日:西暦2007-03-29
情報公開日2017-10-18 04:07:27
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平成19年3月29日判決言渡し
平成15年(ワ)第4003号

国家賠償請求事件

平成15年(ワ)第4004号

国家賠償請求事件

平成16年(ワ)第1769号

国家賠償請求事件

主文1
原告らの請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
(目次)
第1

請求・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3
第2

事案の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3
第3

当事者に関する前提事実・・・・・・・・・・・・・・・・

4
第4

争点及び当事者の主張・・・・・・・・・・・・・・・・・

5
第5

当裁判所が認定した事実・・・・・・・・・・・・・・・・

61
残留孤児の発生に至る歴史的経緯・・・・・・・・・・・・

62
主権回復前の残留邦人の引揚げ状況・・・・・・・・・・・

11

3
後期集団引揚げ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

13

4
未帰還者の調査究明・・・・・・・・・・・・・・・・・・

27

5
日中国交回復後の残留孤児の身元調査・・・・・・・・・・

37

6
残留孤児の帰国手続及び帰国支援施策・・・・・・・・・・

44

7
残留孤児の自立支援に関する施策・・・・・・・・・・・・

51

8
中国帰国者生活実態調査の調査結果等・・・・・・・・・・

64

9
原告らの永住帰国時期等・・・・・・・・・・・・・・・・

68

第6

早期帰国実現義務違反の有無に関する当裁判所の判断・・・

69

1
早期帰国実現義務の有無及び法的根拠・・・・・・・・・・

69

2
早期帰国実現義務違反の有無の判断基準・・・・・・・・・

77

3
日中国交回復前の早期帰国実現義務違反の有無・・・・・・

81

4
日中国交回復後の早期帰国実現義務違反の有無・・・・・・110
5
総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135
第7

自立支援義務違反の有無に関する当裁判所の判断・・・・・135
1
自立支援義務の有無及び法的根拠・・・・・・・・・・・・135
2
自立支援義務違反の有無の判断基準・・・・・・・・・・・138
3
日本語教育施策についての自立支援義務違反の有無・・・・139
4
就労支援施策についての自立支援義務違反の有無・・・・・150
5
生活支援施策についての自立支援義務違反の有無・・・・・153
6
自立支援施策全体としての自立支援義務違反の有無・・・・165
7
拉致被害者支援法等との比較の相当性・・・・・・・・・・166
8
総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169
第8

結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169
第1

請求

(甲事件)
1
被告は,甲事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成15年10月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
訴訟費用は被告の負担とする。

3
仮執行宣言

(乙事件)
1
被告は,乙事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成15年12月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
訴訟費用は被告の負担とする。

3
仮執行宣言

(丙事件)
1
被告は,丙事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成16年9月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
訴訟費用は被告の負担とする。

3
仮執行宣言

第2

事案の概要
本件は,いわゆる中国残留孤児(幼少期に旧満州(中国東北部)に居住していたが,終戦前後の混乱の渦中で日本人の肉親と離別して孤児となり,その後も引き続き中国に残留し,中国の養父母の下で成長した者。以下当該孤児を総称して残留孤児又は単に孤児といい,終戦後も中国に残留した日本人一般を総称して残留邦人という。)である甲事件,乙事件及び丙事件の各原告ら(一部の原告は,死亡した孤児の相続人)が,被告が孤児を早期に帰国させるべき義務を怠り(早期帰国実現義務違反),帰国後も孤児の自立に必要な施策を講じるべき義務を怠った(自立支援義務違反)と主張して,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,一部請求として,それぞれ慰謝料3000
万円及び弁護士費用300万円並びに各事件の訴状送達の日の翌日(甲事件は平成15年10月31日,乙事件は同年12月5日,丙事件は平成16年9月14日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
以下の判示においては,上記各事件の当事者たる原告らを総称して原告らというとともに,原告らが被告の早期帰国実現義務及び自立支援義務を負うべき対象として主張している孤児たる原告ら及び孤児たる被相続人の総称としても,本訴の当事者たる原告らと特に区別することなく原告らとの用語を用いることとする。また,判示中で特定の原告に言及する場合には,原告名の後に4桁の原告番号(別紙1各原告目録記載の原告番号欄参照)を括弧書きで付記することとする。
(なお,日中国交回復(昭和47年9月29日)後に厚生省が定めた定義では,①戸籍の有無にかかわらず,日本人を両親として出生した,②中国東北部などにおいて,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降の混乱により,保護者と生別又は死別した,③当時の年齢が概ね13歳未満,④本人が自己の身元を知らない,⑤当時から引き続き中国に残留し,成長したとの要件を全て備えている者を中国残留日本人孤児,それ以外の上記当時から中国に残留した日本人を残留婦人等としており,施策や統計の上で両者が区別されることがある。原告らの中にも,国交回復以前から自己の身元を知っていた者が相当数存在し,厳密には上記の意味での中国残留日本人孤児に該当しない者も含まれているが,身元調査以外の場面において,基本的には両者は同様の立場にあることに照らし,以下の判示においては,自己の身元を知っていたか否かにかかわらず,前述の意味において残留孤児又は孤児との呼称を用いることとする。)
第3

当事者に関する前提事実(以下の各項に掲記の証拠及び弁論の全趣旨により明らかな事実)

1
原告ら(ただし,後記2ないし4記載の各原告を除く。)並びに後記2及び3記載の各被相続人は,いずれも残留孤児である。(甲A1ないし23,甲B1ないし16,19ないし26,28ないし67,69ないし73,75ないし115,117,118,甲C1ないし32の各枝番1)

2
原告番号2019は亡A1(平成9年9月13日死亡)の,原告番号2026は亡A2(平成15年5月15日死亡)の,原告番号2057は亡A3(平成13年5月29日死亡)の,原告番号2092は亡A4(平成10年7月2日死亡)の,原告番号2111は亡A5(平成15年8月2日死亡)の,原告番号3002は亡A6(同年12月22日死亡)の,原告番号3003は亡A7(平成8年6月1日死亡)の,原告番号3017は亡A8(平成12年4月15日死亡)の,原告番号3021は亡A9(平成10年11月17日死亡)の,原告番号3026は亡A10(同年3月31日死亡)の各相続人である。(弁論の全趣旨)

3
原告番号1022の3名は訴訟承継前原告亡A11(平成18年2月8日死亡)の,原告番号2090の2名は訴訟承継前原告亡A12(平成16年6月1日死亡)の各相続人であり,各被相続人の訴訟承継人である。(弁論の全趣旨)

4
原告番号2068は,日本人の子として朝鮮で生まれ(昭和19年3月20日生),終戦を朝鮮で迎えて孤児となり,その後現地の中国人養父母に育てられ,昭和42年12月に養父母の出身地である中国吉林省に養父母とともに移住した者である。(甲B68の1ないし8)

第4

争点及び当事者の主張
本件の主たる争点は,以下のとおりであり,各争点に関する当事者の主張は,原告らの主張は別紙6原告最終準備書面(写し)に,被告の主張は別紙7第6準備書面(写し)にそれぞれ記載のとおりである。

1
早期帰国実現義務違反の有無

2
自立支援義務違反の有無

3
原告らの被侵害利益の有無及び法的性質

4
消滅時効完成又は除斥期間経過による損害賠償請求権の消滅の有無
5
包括一律請求の可否及び損害額(なお,原告らは,孤児の相続人の一部が原告となっている場合においても,本訴請求は一部請求であり,当該原告の有する相続分に応じて相続人間で分割された損害賠償請求権の金額も,相続分の大小を問わず,なお本訴の請求金額を超えると主張している。)

第5

当裁判所が認定した事実(後記第6以下の判示において当該事実を援用する場合には,前記認定事実の後に該当の項数を付する。)
証拠(甲1ないし123,128ないし150,152ないし187,甲A1ないし23,甲B1ないし16,19ないし26,28ないし73,75ないし115,117,118,甲C1ないし32,乙1ないし60,62ないし173,177ないし192,194ないし197(枝番の付されている書証は,いずれも枝番の全てを含む。),証人a,同b,並びに原告番号1013,同1016,同1009,同1020,同1004,同1018,同1002,同1006,同1007,同1017,同1008各原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の各事実が認められ(当裁判所に顕著な事実を含む。),この認定を覆すに足りる証拠はない。

1
残留孤児の発生に至る歴史的経緯
(1)日本の満州における権益の掌握と拡大
日露戦争(明治37年,38年)に勝利した日本は,明治38年,ロシアとの間で講和条約(ポーツマス条約)を締結し,ロシアが中国(清)の満州(中国東北部)に保持していた権益のうち,旅順・大連の租借権と長春以南の南満州鉄道の経営権及びその付属利権を獲得した。
同年,日本は,大連に置いた関東総督の指揮の下,関東州(大連・旅順を中心とした遼東半島の西南端)に後に関東軍となる駐留軍を創設し,南満州
の利権確保に当たらせた。
第一次世界大戦(大正3年ないし大正7年)が勃発すると,大正4年,日本は,中国に対し,ドイツが山東省に保有していた権益の承継等を要求して(二十一か条の要求),満蒙における権益の大幅な拡大を認めさせた。(2)満州国建国と戦争開始
昭和6年9月,関東軍は,南満州鉄道の線路を爆破したのを契機に軍事行動を開始し,奉天・長春・営口・吉林などを占拠した(満州事変)。昭和7年3月,満州国の建国が宣言されると,同年9月,日本は,満州国政府を承認し,日満議定書を交換した。これにより,満州国は,日本の既得権益を承認し,国防を日本軍に委ねることとなった。
昭和8年2月,国際連盟は,満州国の不承認決議を行い,同年3月,日本は,国際連盟の脱退を通告した。
昭和12年7月,日中両軍が廬溝橋付近で衝突したのを契機に,日中間の全面的な戦争に突入した。
昭和16年12月,日本は,アメリカに宣戦布告し,太平洋戦争が開始された。
(3)国策による満州への大量の移民送出
昭和7年以降,政府(以下単に政府という場合には,日本政府のことを指すものとする。)は,日本国内の過剰人口の抑制と,満州における治安維持,将来の対ソ戦に備えた兵力増強,食糧・軍需品の確保を企図して,試験的に満州への日本人移民を開始した。
昭和11年,政府は,満州への移民政策を七大国策の一つとして決定し,今後20年間に100万戸,500万人の日本人を開拓民として満州に移住させるという大量移民計画を策定した。
この計画に基づき,昭和12年以降,第1期(5年間)として,10万戸,50万人の開拓民の移民計画が実施され,途中からは一般開拓民のほかに,
軍事教練を受けた満蒙開拓青少年義勇軍も送出の対象となった。
昭和16年,政府は,第2期(昭和17年からの5年間)として,22万戸の一般開拓民と義勇隊開拓民の移民計画の実施を決定し,移民の送出は敗戦直前まで続けられた。
こうして国策の下に送出された開拓民数は,昭和20年5月現在の外務省調べの開拓民送出戸数(計画戸数)によれば,一般開拓民22万0257人(団員5万2428人,家族16万7829人),義勇隊開拓民7万9879人(隊員6万9457人,家族1万0422人),訓練中の義勇隊2万1738人,合計32万1874人であり,満州拓殖公社の調査によれば,その当時の総人口実数は,開拓団関係者16万7091人,義勇隊関係者5万8494人,合計22万5585人であった。
(4)対ソ戦略の転換と無防備と化す開拓民

昭和16年4月,日本は,ソ連との間で日ソ中立条約を締結し,条約と同時に発出された声明書において,ソ連による満州国の領土保全と不可侵が定められた。
関東軍は,昭和17,18年ころには最精鋭の軍事力を誇り,将来来るべき対ソ戦に備えていたが,昭和18年半ば以降,日本軍の南東・中部太平洋方面における戦局が急速に悪化したことに伴い,大量の戦力を南方に転用することを余儀なくされた。


関東軍の戦力が弱化の一途をたどる中,昭和19年9月,大本営(戦時の天皇直属の最高統帥機関)は,関東軍に対し,従来の対ソ攻勢準備に重点を置いてきた作戦計画を根本的に転換し,全面持久作戦への転向を命じた。この作戦は,ソ連軍との軍事衝突を極力回避する(北方静謐)のを第一としつつ,万一ソ連軍が侵攻を開始したときは,国境地帯で迎撃を行うとともに,満州の広域を利用してソ連軍の侵入を阻止妨害し,最終的には満州東南部から北鮮にわたる山岳地域を確保して長期持久を図るというも
のであり,満州の約4分の3に当たる地域を放棄することを意味した。この方針転換に基づき,関東軍は,昭和20年1月,新作戦構想を策定し,同年3月以降,対ソ防諜の方針の下,軍司令部と所要の兵力を密かに後退させる作戦に着手した。
開拓民の多くは,関東軍の指導により,ソ連国境に近い北満地域に入植していたが,ソ連軍に防戦転換を察知されることを防ぐためには,関東軍の後退守勢の動きを知った開拓民の大量移動の事態を避ける必要があるとの判断の下に,開拓民が作戦転向と軍後退の事実を知らされることはなかった。

昭和20年2月,米英ソの三国首脳会談(ヤルタ会談)において,ドイツの降伏後2,3か月後に,ソ連が南樺太(サハリン)の返還等を条件に,連合国に与して対日参戦を行うことが密かに合意された。
同年4月,ソ連は,日本に対し,昭和21年4月に期限が切れる日ソ中立条約を延長しないことを一方的に通告した。
このような情勢の中,昭和20年5月7日にドイツが降伏し,同月上旬には,大本営は,兵力の東方への移送が急速に活発化していたソ連の対日動向について,二月下旬頃以来東ソ兵備の本格的増強を企図しあること確実にしてその対日動向は従来に比し一層積極化の方向を辿りつつあり(中略)向後一年の中立条約期間の存在は既にその実効を喪失せるものと認めざるを得ずソ連の対日武力戦発動の時機は左の条件を考慮せば遅くも本年夏秋の交以降特に警戒を要するものと判断せらるとの判断を示していた。
そして,昭和20年5月30日,大本営は,朝鮮方面対ソ作戦計画要領を示達し,満州に侵入する敵を撃破し概ね京図線(新京-図們鉄道)以南,連京線(大連-新京鉄道)以東の要域を確保して持久を策し以て全般の作戦を有利ならしむとして,開拓民の多くが居住するその他の
地域を持久戦場とする方針を決定した。
同年7月,関東軍は,極度に弱体化した兵力の増強のため,在満日本人適齢男子約40万人のうち,輸送関係等の要員を除く動員可能な約25万人を動員するという,いわゆる根こそぎ動員を行ったが,訓練や兵器の不足のため,表面上の兵力こそ増大したものの,戦力として十分とはいい難かった。
この根こそぎ動員によって,開拓団から兵役に堪える壮年層がほとんど召集されたため,残る大部分は老幼婦女という団が少なくなかった。エ
同月26日,米英中(後にソ連も加わった。)の首脳は,日本に対し,即時降伏を要求する,いわゆるポツダム宣言を行ったが,日本は直ちにはこれを受諾しなかった。

(5)ソ連参戦と開拓民の惨劇

昭和20年8月9日,ソ連は,日本に宣戦布告し,満州に侵攻を開始した。
何の事前情報も与えられず,突然ソ連軍の侵攻を受けた辺境地域の開拓民は,混乱のうちに避難を余儀なくされ,関東軍の主力が既に後退して軍の保護が受けられず,しかも,根こそぎ動員によって,残された開拓団のほとんど老幼婦女であったという事情と相まって,その逃避行は困難を極め,多数の悲惨な犠牲が生じた。ソ連軍の攻撃や現地住民の反乱に遭って命を落としたり,進退窮まって集団自決を遂げたりした者に加え,飢餓病苦等による死者数も合わせると,在満邦人のこの間の犠牲者は3万人以上と推定された。


同月14日,大本営は,ポツダム宣言の受諾を決定したが,停戦命令の伝達が困難を極めた等の事情もあって,ソ連軍との間の戦闘は同月下旬ころまで続いた。
昭和20年9月2日,政府は,正式に連合国との間で降伏文書に調印し,
戦争が終結した。

戦闘による混乱が収まった同年10月ころ以降,難民と化した開拓民は,多くが満州中南部の都市に集結し,避難行動から逐次越冬態勢に移ることとなったが,半年に及ぶ満州の厳しい冬の間,食糧・医薬の不足や狭隘な宿舎等のため,各地に伝染病が発生し,栄養失調症や発疹チフスによる死者が極めて多く発生した。
この越冬期間中の死亡者は,同年末までに約9万人,昭和21年5月末までに累計約13万人に達するとされ,満州における邦人死亡者総数約17万人の大部分を占めるものであった。

(6)多数の残留孤児の発生
以上のような終戦前後の極度の混乱と,それに引き続く過酷な越冬状況の中で,両親を失ったり,親等が養育できないために現地住民に託された子供等の数は約2500人と推定され,これらの者が残留孤児となることとなった。
2
主権回復前の残留邦人の引揚げ状況
(1)終戦直後の引揚援護施策

政府は,ポツダム宣言受諾直後から,在外軍人軍属の復員と在外一般邦人の引揚げの方策についての検討を重ね,昭和20年8月30日に

外地(樺太を含む。)及び外国在留一般邦人引揚者応急措置要綱

を,同年9年7日に外征部隊及び居留民帰還輸送等に関する実施要領を定め,在外一般邦人の保護と引揚者の受入援護等に関する措置についての基本的事項を示した。
次いで,同月20日に引揚民事務所設置に関する件,同月24日に海外部隊並に海外邦人帰還に関する件,昭和20年10月4日に海外部隊及び海外邦人に対する食糧,衣料,衛生材料其の他所用物資の補給並に宿営施設に関する件が順次決定され,引揚者の受入機関,上陸地に
おける収容施設,食糧,衣料等の所用物資の調達準備等について具体的施策を定め,政府独自の立場で引揚援護を実施した。

しかし,占領軍の日本進駐とともに,引揚援護も政府独自の業務としてではなく,占領政策の一環として連合国軍総司令部(GHQ)の管理下に行われることとなった。
同月18日,GHQの指示により,厚生省が引揚げに関する中央責任官庁に指定されたが,同月25日,政府の外交機能が全面的に停止された。
GHQは,引き揚げてくる在外邦人の受入れのための日本側の執るべき措置について,その都度個別に指示していたが,その後,昭和21年3月16日,これらの指令を1本化した引揚に関する基本指令を政府に示した。


引揚者の輸送は,GHQの立案する引揚計画とソ連政府のGHQ宛通告に基づく輸送計画に従って実施され,その輸送に当たっては,GHQが各地の連合国軍や各国政府と連絡を取り,軍人軍属の復員と緊急を要する地域の邦人の引揚げを優先し,一般邦人については,各国との協定によって順次帰還させる方針を執ったが,ソ連においては,GHQの上記方針は受諾されなかった。
満州は,昭和20年9月2日,GHQが発した指令第1号(陸海軍一般命令第一号)によりソ連軍の管理地域となり,ソ連軍は,主要都市を占領して軍政を布き,その実権を手中に収めていたが,政府がGHQ等を通じ,ソ連軍占領下の悲惨な状況にある在満邦人の保護について,ソ連政府に度々要請を行ったにもかかわらず,ソ連軍は,在満邦人の本国送還については全く関心がなく,何らの措置も執らないまま,昭和21年4月ころ,満州から撤退した。
このような事情のため,満州を含むソ連軍管理地域の引揚げ開始は,他
の地域に比べて大幅に遅れることとなった。
(2)前期集団引揚げ
終戦後の中国国内では,国民政府軍(国府軍)と中国共産党軍(中共軍)との間で内戦が勃発し,相次いで満州に進駐した両軍は,昭和20年11月以降,満州中南部において激しい内戦を繰り広げた。
両軍の満州各地での衝突により,多数の日本人が強制的に徴用されるなどして,在満邦人の生活に一層の混乱と窮乏が生じ,内戦の最中で多くの死傷者も生じた。
そのような中,昭和21年5月11日,ソ連軍の撤退後,旧満州地区の管理を引き継いだ中国東北保安司令官(国府軍)と米軍代表との間に,在満邦人の本国送還に関する協定が成立し,これによって,ようやく満州からの引揚げが開始されることとなった。また,同年8月には,中共軍側との間においても,中共軍地区にある日本人の送還協定が成立した。
これらの協定に基づき,同年5月から昭和23年8月までの間に,4期にわたって集団引揚げが行われ,第1期に合計約101万人,第2期に約4300人,第3期に約2万9000人,第4期に3320人の引揚げが実現したが,国共内戦の激化と国府軍の敗退による引揚げ条件の悪化,中国共産党が昭和24年10月1日に樹立した中華人民共和国を反共姿勢のアメリカが不承認とした等の事情により,集団引揚げは中断を余儀なくされた。(3)個別引揚者に対する経済援助
中国地域からの集団引揚げの中断が続く中,昭和24年以降,残留邦人の個別的な引揚げも行われるようになったが,これには経済的な負担を伴った。そこで,政府は,昭和27年3月1日以降,個別引揚者の船運賃国庫負担制度を設け,個別に引き揚げる者の経済的負担を軽減する措置を講じ,引揚げの促進を図ることとした。
3
後期集団引揚げ

(1)第1次ないし第7次引揚げ

昭和26年9月8日,日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が調印され,昭和27年4月28日,同条約の発効により,日本は主権を回復した。これにより,在外邦人の引揚げは政府の自主的事業となった。
同条約の調印の際,政府は,全交戦国との間で講和条約を結ぶか(全面講和),それとも共産圏である中ソを除外した国々との間で講和条約を結ぶか(単独講和)の選択を迫られたが,アメリカの強い意向に従って単独講和路線を選択した。さらに,政府は,同条約の発効と同時に,中国が非合法政府と目する台湾(蒋介石政府)との間で日台条約を締結し,その結果,日中間の国交断絶状態が昭和47年まで続くこととなった。


昭和27年12月1日,北京放送は,残留邦人の引揚げ問題に関し,

わが国にはおよそ三万人の日本居留民がいる。

わが国政府は国に帰りたいと望んでいる日本居留民が日本に帰るのを援助したいという考えを今までずっと持って来た。事実上,中華人民共和国が成立してから今までに少なからぬ日本居留民が国に帰った。しかし後になって船が不足したため難かしくなった。そのため帰国を希望する多数の日本居留民は今なお彼らの望みを達成することができないでいる。

もし日本側が船の問題を解決できるならば,わが国の政府と人民は日本居留民の帰国を援助するよう努力したいと考えている。

これについては,日本側の適当な機関,または人民団体が代表を派遣し,中国赤十字社と具体的に話し合って解決すればいいだろう。

との中国政府の見解を伝える放送を行った。旧満州地区からの引揚げについては,日本が中国との国交を有しておらず,残留邦人の引揚げ促進に関する事項を外交ルートによって処理することができなかったが,政府は,この問題を全くの人道上の問題として,国際的性格を担う赤十字機関の仲介によって解決を図ることとした。

昭和28年3月5日,日本側(日本赤十字社,日中友好協会及び日本平和連絡会。以下引揚三団体という。)と中国側(中国紅十字会)との間で日本人居留民帰国問題に関する共同コミュニケ(北京協定)が成立した。
同協定に基づき,同月から昭和28年10月までの間に,7次にわたって集団引揚げが行われ,合計2万6051人が帰国したが,同年11月12日,中国紅十字会は,引揚三団体に対し,残留邦人の引揚げの打切りを通告し,集団引揚げは再び中断されることとなった。

(2)第8次ないし第11次引揚げ

昭和29年9月27日,しばらく中断していた残留邦人の集団引揚げが再開され,520人が帰国した(第8次引揚げ)。


同年11月3日,中国紅十字会訪日代表団が来日し,同代表団と引揚三団体代表との間で,以下の内容の邦人帰国問題等に関する日中懇談覚書が確認された。①

残留邦人の総数は約8000人で,そのうち帰国を希望する者は約2000人以内である。現在帰国を希望しないが,将来帰国を希望する者については,中国紅十字会は以後の帰国を援助する。



中国側は,翌年春までに行われると思われる大量の帰国が終わった後,全残留邦人に日本へ通信するよう強力に勧奨することを約束する。日本赤十字社としては,家族の有無又は居所の明・不明にかかわらず,全日本人から中国紅十字会経由で日本赤十字社へ通信を送ってもらうことを希望する。



生死不明の日本人については,日本赤十字社より個々に安否調査を依頼した場合,中国紅十字会はできる限り調査究明に協力する。


昭和29年11月から昭和30年3月までの間に,第9次ないし第11次引揚げが行われ,2292人が帰国した。

(3)第1・2次ジュネーブ交渉と第12次ないし第16次引揚げア
昭和30年7月15日,ジュネーブ駐在日本総領事(以下日本総領事という。)は,政府の閣議了解の下に,ジュネーブ駐在中国総領事(以下中国総領事という。)に対し,以下の内容の書簡を発し,残留邦人のうち帰国を希望する者の帰国援助と消息不明となっている日本人の状況調査について,人道上の問題として善処することを中国政府に求めた(第1次ジュネーブ交渉)。

中国紅十字会の援助によって,日本国民の中国大陸からの送還は相当行われましたが,今年の3月以降,このような送還は中止されています。

1954年11月に日本を訪れた李徳全女史を団長とする中国紅十字会職員の一団がもたらした報告によりますと,1069名の日本人が戦争犯罪人として中華人民共和国政府によって抑留されており,さらに約8千名の日本人がなお中国大陸に留まっているのでありまして,その後2297名が3回に分けて送還されましたから,いまなお約6千名が中国大陸に残っていることになるのであり,この数字は,日本政府のおこなった調査の結果と一致しています。しかしそのほかになお4万人が明らかに中国大陸にいたが,その状況または死亡につきましては,まだ確かめられていません。いまでは戦争が終ってすでに10年になり,抑留されているものが家に送り返されることを強く求めているのはしごく当然でありますし,同時にまた,抑留されていないものの手紙から見ましても,その中の極めて多くの者がやはり帰ることを望んでいるのであります。そのほかこれら生死の程も状況も分からないものの家族も,その運命についての何らかの消息を非常に知りたがっています。日本政府は,中華人民共和国政府がこうした事態を人道上の問題として考慮され,抑留されているものを釈放し送還する措置をとり,まだ送還されていないものの氏名とその最近の状況について日本政府に通知し,帰ることを望むものに帰れるよう援助を与え,状況不明のものの状況をつとめて調査し,そのうちすでに死亡したものがあった場合でも,その遺骨を送還するようにし,そのものの家族が速やかに通知をうける便宜をえられるよう切に希望いたします。日本政府は,中華人民共和国政府と協力し,有用な資料あるいはどのような可能な方法をも提供して,困難の解決を促す用意があります。日本政府と中華人民共和国政府との間の外交関係の有無にかかわらず,日本政府は,中華人民共和国政府がこの問題についてできうる限りのことをされるよう希望するものでありまして,その理由は,これが純然たる人道上の問題だからであります。イ
昭和30年8月17日,中国総領事は,日本総領事に対し,以下の内容の書簡を発して,国交正常化交渉を提案する中国外交部の声明を伝達した。以上述べた日本人居留民(注:6000人余り)と日本人戦犯(注:1069人)以外には,わが国には,状況不明の日本人といったものはいない。しかるに日本政府は,こともあろうに状況不明の4万名といったような問題をもち出している。中国紅十字会は人道上の原則に基いて,さきに個々の日本人の行方を調査する問題について,日本赤十字社などの団体と取極を行った。それはもし日本赤十字社が具体的な資料を提供するならば,中国紅十字会はできる限り調査する用意があるということである。しかしここで指摘しなければならないのは,これは中国人民の日本人民に対する友好の現れであり,日本政府が,中国大陸にはまだいわゆる状況不明の者4万名がいると云いはっている問題とは何のかかわりもないということである。実際には日本人居留民の帰国問題はとっくに中日両国の人民団体によって適切に解決されている。この問題について,たとえ引続き処理する必要のある事柄がまだあるにしても,それは単なる事務的な問題にすぎないはずである。一方中日両国の間には,現在確かに両国人民に利益をもたらす数多くの重大な問題が存在している。例えば中日両国の正常な貿易を発展させること,中日両国人民のお互の往き来を促進すること,中日両国居留民の正当な権益を適切に処理することがそれであり,これらはすべて,中日両国政府によって解決されるべき問題である。もし日本政府が本当に誠意をもって中日両国関係正常化の道を求めるのであるならば,先ずこれらの問題から手をつけるべきである。中国政府はこれらの問題について,日本政府と話し合う用意がある。ウ
昭和30年8月29日,日本総領事は,中国総領事に対し,以下の内容の書簡を発し,改めて前記アの政府の要請に対する中国政府の善処を求めた。
状況不明の約4万名の日本人居留民について。日本政府の行った調査によれば,彼らは,戦争の終った当時または1949年には中国大陸にいたことが,これらのものの記述によって明らかにされており,その後は日本政府にその行方が分かっていません。(中略)いずれにせよ,彼らの家族が彼らの状況について何らかの消息を待っている以上,日本政府といたしましては,もしも中華人民共和国政府が何らかの消息を得ているならば,彼らについての消息を得たいと切望する次第であります。日本政府はまた,中国政府が彼らの状況について調査を行われることを切望いたします。前にも述べましたとおり,日本政府といたしましては,そのもっているいかなる資料をも提供し,かかる調査に協力する用意があります。日本政府は,日本政府と中華人民共和国政府との間で,先ず第一に戦争犯罪人をもふくめた日本人居留民の帰国問題を解決すべきであると考えています。この問題は純然たる人道上の問題でありますので,両国政府の間に外交関係がないからといって,共同してこの問題を解決する上に困難を生じるべきはずのものではありません。中華人民共和国政府が,日本政府のこの問題についての立場に有利な反応を示されることを心から要請してやみません。エ
昭和30年10月20日,日本総領事は,中国総領事に対し,以下の内容の書簡を発し,残留邦人の年内送還計画の有無の確認と,送還者を政府自ら又は日本赤十字社が受け取る用意がある旨を中国政府に申し入れた(第2次ジュネーブ交渉)。
1955年9月28日にジュネーブで開かれた赤十字社連盟執行委員会の会議で,中華人民共和国紅十字会代表が,約200名の日本人居留民の送還準備を行っていると公表したことを知りました。また中華人民共和国主席毛沢東氏は最近中華人民共和国を訪れた一部の日本国会議員に,「戦争犯罪人の送還問題について,病人,老齢者あるいは軽い刑を云渡されたものは本年末までに帰国されることになろうと述べたとのことであります。ここにおいてわたくしは,わが国政府の命を奉じて,このような送還計画の有無についてあなたの確認を求める次第であります。それと同時に,もしもこうした計画が進められているならば,わが国政府みずからまたは日本赤十字社に委託して,これらの送還者を受取る用意があることを声明いたします。わたくしがさきの書簡(1955年8月29日付)で述べました如く,日本政府は日本人居留民の送還に強く関心をもっているとともに,われわれの間の直接の接触を通じてこの問題を促進することを希望していることを付け加えて申し上げます。」

昭和30年11月4日,中国総領事は,日本総領事に対し,上記2通の書簡に対する中国政府の返答として,以下の内容の書簡を発したが,前記イと同様の中国政府の見解と,再度国交正常化交渉の提案に言及するにと
どまった。
8月16日の中華人民共和国外交部スポークスマンの声明に指摘してます如く,中国紅十字会が,日本赤十字社,日本中国友好協会,日本平和連絡会とともに努力した結果,帰国を希望する日本人居留民の日本への帰国問題はすでに解決されています。いまなお中国に在留する日本人居留民のうち,帰国を申請するものがあれば,中国紅十字会は,日本赤十字社などの三団体との話し合いにもとづいて引続き適切な処置を講じることと思います。そしてわれわれの知っているところでは,最近帰国を申請した日本人居留民につきましては,中国紅十字会でいま彼らの帰国を援助する準備を行っているところであります。中国政府といたしましては,中日両国の国交が回復される前においては,両国の居留民が帰国または本国に往き来する問題は,暫くの間両国の人民団体に委託してその処理にまつよりほかないと考えます。これは勿論極めて不便であります。従って単にこの問題だけでも,中日両国関係の正常化を促すことがいかに緊急を要するかを充分に物語っているのであります。8月16日付の中華人民共和国外交部スポークスマンの声明に指摘されています如く,中国を侵略する戦争にかりたてられてこれに参加し,行方不明となった日本人の問題は,日本政府が日本国民に向って明らかにすべき問題であります。すでに帰国した約2万9千名の日本人居留民と,処罰を免除されて送還された417名の軽い罪を犯した元日本軍人以外,いま中国には6千余名の日本人居留民と1千余名の日本人戦争犯罪人がいるだけでありまして,状況不明の日本人などというものは全くいないのであります,しかし人道上の原則に基いて中国紅十字会は,個々の日本人の状況の問題について,日本赤十字社などの三団体が具体的な資料を提供すれば,やはり出来得る限り調査したいと考えています。中国人民の日本国民に対するこうした友好の現われは,日本政府がいわゆる状況不明の4万名の日本人の問題をたえず中国政府にしつこく持ち出していることに何らの根拠も与えることにはなりません。それどころか日本政府が一再ならず持ち出したこの問題は,全く根拠のないものであり,全然成りたちえないものであります。中日両国の間には,たとえば中日両国の正常な貿易を発展させる問題,中日両国人民の相互の往来を促進する問題,中日両国の居留民の正当な権益を適切に処理する問題など,両国人民の利益に関係のある多くの重大な問題が解決を必要としています。しかし中日両国の関係の正常化こそ,最もさし迫って解決を要する問題であることは,極めて明らかであります。その理由は,中日両国間の戦争状態が解除されず,中日両国の国交が回復されることなくしては,上に述べた各種の問題の解決はどうしても妨げられるからであります。中国政府といたしましては,中日両国政府が両国関係の正常化を促す問題について話し合いを行う時期がすでに熟していると考えるとともに,もしも日本政府が同じ希望をもっているならば,両国関係の正常化を実現する道も見出すことができると信じています。このため中国政府はさらに進んで,日本政府の派遣する代表団と北京で中日両国関係の正常化を促す問題について話し合うことを歓迎するという提案を行うものであります。カ
昭和30年12月18日,前記エの書簡中にある約200人に関する集団引揚げが従来の方式に則って行われ,283人が帰国した(第12次引揚げ)。


昭和31年6月28日,引揚三団体代表と中国紅十字会代表との間で天津協定が成立し,これに基づき,同年7月から昭和32年5月の間に,4次にわたって集団引揚げが行われ,釈放された戦犯等1368人が帰国した(第13次ないし第16次引揚げ)。

また,同協定においては,中国人と結婚している在中日本人婦人の一時帰国についても合意され,これにより,日本人婦人とこれに随伴する子女1071人が一時帰国した。
(4)第3次ジュネーブ交渉

昭和32年5月13日,日本総領事は,中国総領事に対し,中国地域の未帰還者3万5767人の名簿を手交し,生存が判明した者については帰国の意思の有無その他の現状,死亡したことが判明した者については死亡時の状況等について,できる限りの調査を中国政府に依頼する旨の政府の要望を伝達した(第3次ジュネーブ交渉)。
この名簿には,昭和32年1月1日現在で,留守家族から厚生省に未帰還である旨の届出があった3万5767人分の姓名,生年,生別,本籍,現地からの通信又は帰還者の証言等によって判明している最終消息が記載されており,具体的には,その最終消息の内容に応じ,以下の4分類に従って未帰還者が登載されていた。


第1類(5689人)
昭和24年以降に最終の消息があるもの



第2類(2705人)
昭和23年以前の消息しかない者のうち,中国人等と結婚したか,又は中国人等に養育されていた消息のあるもの



第3類(9291人)
終戦時(昭和20年9月2日)以降昭和23年末日までの間に最終消息のあるもの(第2類登載者を除く。)



第4類(1万8082人)
終戦時以前の消息しかないもの(第2類登載者を除く。)

第1類及び第2類中には,中国人等に養育されている孤児(終戦前後に孤児となりその後中国人等に養育されているもの)として,それぞれ
406人,1647人,合計2053人が登載されており,両分類の性格については,それぞれ中共政権がおおむね確立した昭和24年以後中共地域に所在していた者であって,一応中共政府に対し調査を要求できる範囲のものである。このうち,大部は生存資料であって特別の事情のない限り現在生存していると推定される。また,一部は死亡者と思われるが,ほとんど大部について中共側の回答がえられるものと考えている。終戦前後から昭和23年末までの間において中共地域に所在していた者であり,かつ,中国人等と結婚し,または結婚したと判断される消息があるか若しくは終戦前後に孤児となり中国人等に養育されているか,または,養育されていると判断される消息がある者であって,特別の事情がない限り現在も生存している公算が大である。これらの多くは,中国人等の生活の中に溶け込んでおり,現に生存していても日本人相互の交際も少く,また日本に通信することもなく,最近の消息が不明になっているものと思われ,中共側の調査により大部の消息が判明するものと考えている。とされていた。

昭和32年5月から同年6月にかけて東南アジアを訪問していた岸信介首相は,台湾の蒋介石国民政府総統との会談を行った際に,反共・反中国政策の姿勢を明確化する発言を行った。


同年7月25日,中国総領事は,日本総領事に対し,以下の内容の書簡を発した。その内容は,現在中国には行方不明なる日本人は存在せず,中国の侵略戦争に参加して行方不明となった日本人の問題は,中国政府として何ら責任を負うものではないというもので,結局,前記未帰還者名簿に基づく中国政府による消息調査の協力を得ることはできなかった。総数約3万5千名の日本人在華居留民のうち,中国紅十字会と日本側の前記三団体の共同の努力によって,2万9千余名がすでに日本へ帰っている。目下わが国に残っている日本人居留民の数は約6千人前後で,彼等はみなわが国に永住するか,あるいはしばらく居留することを希望するものばかりである。また,後になって彼等のなかに帰国を申請する者がおれば,それらの人々も中国政府から,種々の便宜を与えられるであろうと,中国政府がたびたび述べてきた。1954年11月に中国紅十字会代表団が日本を訪問した際には,日本赤十字社等,前記三団体からの申入れにもとづいて,日本人の一人一人について近況を調査する問題で,双方は一つの取極を成立させた。取極のなかで,中国紅十字会は,これに極力援助を与えたいと述べていた。けれども,前記の取極はいずれも日本政府より申出のあったいわゆる「行方不明の日本人の問題とは無関係である。非常に明らかなように,行方不明の日本人などは,中国には全然いないのである。(中略)日本軍国主義政府の手で対中国侵略戦争の参加へ駆りたてられた揚句,行方不明となったそれらの日本人に関する問題は,日本政府が日本人民に対して跡始末しなければならない問題である。」
中国政府は何回も日中両国政府が日中関係正常化を促進する問題について交渉を開くよう,日本政府に申入れてきたわけである。けれども,はなはだ遺憾なことには,日本政府は日中関係正常化の問題に対してはわれわれと正反対の態度をとっている。日本国首相岸信介は最近東南アジアとアメリカを歴訪した際に,中華人民共和国をけなす一連の言葉をはき,また台湾へ行けば中国人民が見棄ててしまった蒋介石勢力と会談を行っている。これと同時に,日本側は再びわが国政府へいわゆる「行方不明の日本人の問題を持ちかけてきたわけだが,その目的は日本人民の目をごまかし,日中両国人民の友好関係の発展をはばみ,それを破壊し,さらに日中関係の正常化に対する日本人民の声をおさえることにあることは明らかである。日本政府のこうした態度とやり方は,中国政府と人民が絶対に同意できないところである。」


上記中国政府の回答に先立つ昭和32年6月5日,衆議院海外同胞引揚特別委員会委員長は,中国の周恩来総理と中国紅十字会会長宛に,中国に残留している日本人の帰国の促進,戦犯者の早期釈放,未帰還者の調査等の問題について委員会として中国側に懇請するため,委員長ほか3名の委員と政府職員若干名の訪中を申し入れていたが,同年7月25日,同会長名の書簡をもって,引揚三団体宛に訪中拒否の回答が寄せられた。
(5)第17次ないし第21次引揚げと集団引揚げの終焉

昭和32年8月20日,留守家族団体全国協議会会長有田八郎は,中国を訪問して周恩来総理及び中国紅十字会会長と会談し,同月29日,残留邦人問題に関し,以下の内容の覚書を交換した。

1945年8月15日以前に中国の国土で戦争に従事し或いは生活した日本人の行方については,日本政府がその全責任を負って日本国民に明らかにすべきである。

1945年8月15日から1949年中華人民共和国が成立するまで中国の国土にいた日本人の引揚げと居留については,当時の蒋介石政府が責任をもって処理したことであって,中国人民政府はこれについて何らの責任をも負うべき筋合いのものではない。1949年中華人民共和国が成立したときから,今日もなお中国に住んでいる日本人居留民はおよそ6千人いる。もし日本の三団体がこれらの日本人居留民の状況を知りたいと要求するならば,中国紅十字会はこれに必要な協力をあたえ調査を行う用意がある。もし,日本の三団体が1945年8月15日から中華人民共和国成立以前の間の個別的な日本人居留民の状況について知りたいと申しでたならば,そして確かな調査資料があれば,中国紅十字会はこれを個別的な例外としてできるだけの範囲で調査をすることもできる。中国,日本両国は今日なお国交が回復されていないので中国側は現在中国にいるおよそ6千人の日本人居留民の名簿を日本に手渡すことはできない。しかしもしも,日本側が中華人民共和国成立以後確実に中国にいる日本人居留民の名簿を提出したならば,中国側はこれを受理し,日本側の提出した確実な資料にもとづいて個別的な調査を行うことができる。以上の諒解にもとづいて,中国紅十字会は有田八郎が出した解放後中国にとどまっている日本人居留民の名簿を受理した。イ
昭和32年12月13日,来日した中国紅十字会会長は,引揚三団体に対し,中国紅十字会が昭和29年以来の日本人からの手紙又は日本訪華代表団から提出された資料に基づき調査し,現在中国に居住している残留邦人640人を登載した中国残留日本人調査名簿(他に既帰還者等240人を含む。)を手交した。
留守家族団体全国協議会は,中国側に対し,上記覚書に基づき,同月以降,昭和33年9月までの間に5回にわたり,特に生存残留の見込みの多い約1900人のカードを送り,消息調査を要請したが,その後3回(昭和36年5月,昭和37年10月13日,昭和40年10月6日)にわたって中国紅十字会から交付された名簿においては,一部の生存残留者についての回答(登載者数779人,うち一部は死亡者)があったにとどまった。


昭和33年5月2日,一人の男が長崎の中国品展示会場に掲揚されていた中国国旗を引きずり降ろした事件(長崎国旗事件)の処理をめぐって,中国側が猛反発したのを契機に,日中間の経済・文化交流は一切断絶することとなった。
日本人婦人の里帰りに関しても,中国紅十字会は,引揚三団体に対し,同年6月4日,日本の岸内閣が引続き中国を敵視しているので日本婦人の里帰りに対する援助をしばらく中止する旨の声明を発した。長崎国旗事件に相前後する同年4月24日から同年7月13日までの間
に,5次にわたり,2153人の集団引揚げが行われたが(第17次ないし第21次引揚げ),中国紅十字会は,これをもって集団引揚げは終了することを日本側に通告した。
(6)後期集団引揚げの成果と残存未帰還者数
以上の昭和28年3月から再開された21次にわたる後期集団引揚げにより,合計3万2506人の帰国が実現し,厚生省の調査によれば,昭和33年末時点における中国地域の未帰還者数は2万1287人であった。なお,上記帰国者のうち,孤児の総数は93人であった。
(7)個別引揚者に対する経済援助の拡大
集団引揚げの打切りに伴い,残留邦人は,個別引揚げの方法によって引き揚げるほかないこととなったが,帰国を希望しながら,現地の生活事情等から,居住地から出境地までの旅費を支弁することが困難で事実上帰国できない者が相当数いることが判明したことから,政府は,昭和37年6月1日以降,日本赤十字社に委託して,前記2(3)の船運賃のほか,上記旅費についても国庫負担とする取扱いを始めた。
後期集団引揚げが終了した昭和33年から国交が回復した昭和47年までの間に,中国地域から合計760人が個別引揚げによって帰国した。4
未帰還者の調査究明
(1)終戦当初からの外務省による未帰還者調査

未帰還となっている在外一般邦人の調査を担当する外務省は,終戦から昭和23年末ころまでに行われた集団大量引揚げの期間においては,各上陸地に係官を派遣して,海外における邦人の在留状況に関する各種の情報の入手に努めたが,引揚げが断続的に実施されていたことや,終戦当時の在外邦人に関する正確な記録が必ずしも整備されていなかったこと等から,個人消息の調査究明業務は組織的には実施されなかった。
他方,現地からの情報により,一般邦人の引揚げが必ずしも順調に行わ
れていないことや,戦後の混乱や終戦後1年目の冬ごもりの間に多くの犠牲者が出ていること等の事実が次第に判明してきたことから,同年10月19日,内閣に設置された引揚同胞対策審議会は,

最近の引揚状況にかんがみ,未引揚邦人の氏名,所在,生死の別等を調査することは,極めて緊要なるにつき,政府は右調査を実施するに必要なる措置を至急講ずること。

を決議し,政府に要請した。同年12月に公布された特別未帰還者給与法は,ソ連邦の地域内の未復員者と同様の実情にある一般邦人を特別未帰還者として処遇するとしていたところ(昭和24年12月の法改正により,中国の地域内においてソ連地域内の未復員者と同様の実情にある未引揚邦人も適用対象となった。),特別未帰還者を認定するためには,該当者の名簿を作成する必要があったことから,外務省は,昭和23年11月に引揚調査室を設置し,未帰還者の個人別の調査究明を推進することとなった。

外務省は,引揚げ促進に関する外交交渉に必要な資料を整備することと,未引揚邦人及びその留守家族に対する法律上の諸問題を解決する資料を整備する目的を達成するため,未引揚邦人届の収集,帰還者より覚書を収集して行う消息不明者の個人究明,現地からの通信の収集,各地域における終戦以降引揚げまでの状況資料の整備,残留者の状況に関する各般の調査,満州開拓団に関する調査,未帰還者に関する各種集計表の作成等の業務を行った。また,昭和24年3月には,留守家族から任意に未引揚邦人届を提出させ,開拓団,在外商社等にも広く呼びかけて関係資料の提出を求め,昭和25年4月から同年6月の間には,各都道府県を通じて留守宅に対する一斉調査を行い,同年10月実施の全国国勢調査の際には,調査員に未引揚者の調査を依頼し,上陸地において,引揚者から残留者又は死亡者に関する情報を取得するとともに,帰郷後においては通信調査,合同調査などにより現地の残留者の動態資料を入手する等の方法を通じて,未帰還者
の調査を推進した。
もっとも,占領下の各種の制約(引揚者を上陸後24時間以内に帰郷地に向けて輸送しなければならず,上陸地での調査がほとんど不可能であったこと,帰還者に対する通信調査に際し,現地略図等の資料添付を制限され,正確な調査が不可能であったこと等)と終戦直後の国内情勢の混乱等のため,占領下における調査業務の実施には非常な困難が伴った。ウ
昭和25年5月1日調べの国連提出未帰還者統計によれば,同日時点における中国地域の未帰還者数は,生存資料のある者5万3948人,死亡した者15万8099人,生死不明の者2万6492人であった。
(2)未帰還者留守家族等援護法
昭和28年8月1日,未帰還者留守家族等援護法(以下留守家族援護法という。)が公布・施行され,

国は,未帰還者の状況について調査究明をするとともに,その帰還の促進に努めなければならない。

(29条)ことが明記された。
この法律は,未復員者のほか,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降,ソ連,中国地域内等において生存していたと認められる資料のある一般邦人のうち,まだ帰還していない者(自己の意思により帰還しないと認められる者及び昭和20年9月2日以後自己の意思により本邦に在った者を除く。)を未帰還者と定め(2条),未帰還者の留守家族に対し,留守家族手当を支給すること(5条)を規定していたが,法施行日から3年経過後(昭和31年8月1日以降)は,過去7年以内に生存していたと認めるに足りる資料がない未帰還者の留守家族に対しては,同手当を支給しないこととされていた(13条)。なお,同手当の支給停止の開始日は,その後の法改正により,昭和34年8月1日,昭和37年8月1日と二度にわたって延長された。(3)厚生省による未帰還者調査

留守家族援護法の趣旨に基づき,昭和29年4月1日以降,未復員者と
一般未引揚者の調査業務は,厚生省(現在の厚生労働省。以下両者を区別せずに厚生省という。)引揚援護局未帰還調査部において一元的に実施されることとなった。
厚生省の調査によれば,同年5月1日時点における中国地域の未帰還者数は5万2169人であり,このうち孤児と認められる者の数は約2500人であった。
なお,各都道府県においても,従前から未帰還者の調査業務を行っていたが,昭和27年8月の地方自治法の改正により,未帰還者の調査に関する事務が都道府県の処理すべき事務として正式に規定された。

旧満州地区に居住していた一般邦人と開拓団員の調査は,日ソ開戦前における職域,隣組及び開拓団等ごとにその人員,人名を把握し,次いで行動群調査によりその足取りを追い,この間に発生した事件と死亡者の状況を明らかにし,未帰還者の個人毎の最終消息を基にして個人究明を行い,生死の判定の拠り所を求めることを重視して調査が行われた。生存残留者の調査は,現地に残留している者からの通信及び帰還者又は一時帰国者からの情報により,現に生存残留している者を把握し,帰国を希望する者については,その引揚げの促進を図ることとし,自己の意思により帰還しないと認められる者については,未帰還者から除外する措置を執る方針の下に調査が実施された。後期集団引揚げ再開後も,帰還者から,残留者について,その残留地点,残留人員,残留理由,生活の実態等に関する情報を得て調査を行ったが,帰還者は中国側に留用されていた者が主で,現地における行動は概ね一定していたため,目に付かない場所に残留している者や中国人の社会に同化して残留している者の消息は明らかにすることはできなかった。これらの残留者を把握するため,厚生省は,昭和32年ころからは,現地残留者から留守宅等に通信のある者及び未帰還者のうち一時帰国し再渡航した者等で住所の明
らかな者に対し,積極的に通信調査を実施することとし,昭和33年と昭和35年の2回にわたり,中国地域に残留し,その現地住所の明らかな者の名簿を作成して都道府県に配布し,留守家族と協力して現地に対する通信調査を行った。

厚生省(昭和29年3月31日以前は外務省)は,旧満州地区における一般邦人の未帰還者調査の遂行に当たり,ソ連参戦時に生存していたと認められる資料がある者で,なお帰国していない者について,留守家族からの届出により個人資料(究明カード)を一人毎に作成し,新規の未帰還者の情報が入る度に情報の追加・照合を行い,未帰還者の調査究明に活用した。
また,調査の効果を上げるために,全国を6ブロックに分け,厚生省調査課員と各都道府県の調査担当者等が資料を持ち寄って未帰還者の合同調査等を行う究明会議を開催し,情報の交換と収集を行い,得られた情報を個人別の究明カードに補充していった。

(4)未帰還者に関する特別措置法の制定

集団引揚げの再開や調査究明の進展により,未帰還者の数は急激に減少したものの,厚生省の調査によれば,昭和32年10月1日現在においても,その数は4万6560人(中国以外の地域も含む。)に上っていた。しかも,そのうち約85%の者が,終戦直後の最も混乱した時期である昭和20年後半から昭和21年末までに消息を絶った者であり,戦後10年以上にわたる調査究明によってもその状況を明らかにすることができず,これらの者の中には,生存の期待が持てない者や,このまま徹底的に調査を行ってもその状況を明らかにすることができない者が多数あるものと推測された。
このように,未帰還者のうちの大部分がもはや生存を期待できない者であるとの事実が明らかになってきた情勢を背景として,留守家族団体
からは,未帰還調査の徹底,特に国の十分な措置を伴った未帰還者の最終処理等についての要望が起こり始めた。
他方,未帰還者の留守家族に対する留守家族手当は,その当時,昭和34年8月1日以降においては,過去7年以内に生存していると認めるに足りる資料がない未帰還者の留守家族に対しては支給しない建前となっており,この支給終了時期である同年7月末までに未帰還者の調査究明を完結することが望ましく,また必要でもあったが,事実上は不可能に近く,未帰還者の最終処理について何らかの特別な措置を講ずることが必要と考えられた。

未帰還者の死亡処理は,従来は戸籍法による死亡の報告に基づいて行われてきたところ,死亡が推定可能な未帰還者であっても,その者が生死不明者である限りは,死亡報告制度によっては死亡処理はなし得ず,そのような生死不明者につき死亡処理を行うには,民法30条の規定する失踪宣告制度によるほかなかったが,利害関係人ではない国がこのような失踪宣告の請求を行い得るようにするためには特別の立法措置が必要であり,その場合には留守家族の希望を考慮すべきものとされた。これを踏まえて,厚生省は,昭和32年12月17日の引揚同胞対策審議会において,死亡したものと推定される未帰還者に関する措置(試案)を諮問したが,留守家族団体代表から強い反対意見が挙がり,同試案に基づく法案の国会提出は見送られ,小委員会を設けて引き続き検討が続けられることとなったが,留守家族団体の態度は軟化しなかった。
一方,未帰還者問題解決促進全国留守家族大会は,昭和33年3月20日,未帰還者の調査に全力を尽くし,引揚を促進すること留守家族の心情に即して,未帰還者の最終処理を急ぐこと留守家族の援護をよくし,死亡処理した未帰還者の家族に,特別な弔慰と慰霊の措置をとることを決議し,早急な未帰還者の最終処理の実現を求めた。このような流れを受けて,同年5月2日,未帰還者問題処理閣僚懇談会において,未帰還者に関する措置方針が申合せ事項として定められた。同方針は,厚生省試案に比べて,未帰還者調査を徹底的に行うこと留守家族に対し弔慰の意を表すること昭和34年8月以降も留守家族手当の支給を考慮すること等の点において,留守家族団体の要望を相当取り入れたものとなっており,また,当初の試案では,民法の失踪宣告制度とは別に死亡推定措置を考えていたのに対して,この取扱いを民法の失踪宣告制度に乗せて,その手続の大部分を司法機関(家庭裁判所)に委ねようとする点において,一層慎重を期する内容となっていた。

昭和33年8月1日,未帰還者の調査究明促進に関する特別措置についてが閣議で了解され,未帰還者に関する一斉調査を行うことを決定し,同年12月,以下の要領の下に,国と全国都道府県が連携して,140万人の帰還者と国外残留者に対して一斉に通信調査を行うという未帰還者の一斉特別調査を実施した。
国内調査(ア)未帰還者のうち,現に外地に生存残留していると思われる者(約7千名)の名簿を,昭和28年以後の帰還者(約2万7千名)に送付して,これらの未帰還者の消息資料を収集し,その生存の確認に努め,併せて,名簿外の未帰還者で生存していると思われる者の消息資料を収集する。(イ)前号以外の未帰還者(約2万9千名)を,未復員者については兵団毎に,未引揚邦人についてはソ連参戦時の居住地毎に,それぞれ名簿を作り,当該兵団又は居住地からの帰還者(約46万名)に送付し,これらの消息資料を収集する。(ウ)都道府県管内の未帰還者(全国合計約3万6千名)の名簿を作り,都道府県管内の帰還者(全国合計約92万名)に送付し,これら未帰還者の消息資料を収集する。(エ)この調査は昭和33年12月初頭行い,年度末までに,その回答の収集を終了することを目途とする。(オ)この調査の実施に関連し,全国的に未帰還者に関する与論の喚起を図る。

国外調査現に外地に生存残留していると思われる者の消息につき,在外公館を通じて,あるいは当該国の協力をえる等により,極力資料を収集し,生存者の確認に努める。


一斉特別調査の実施により,昭和34年7月末現在で,国内調査で回答のあったもののうち,未帰還者の消息に関する資料を回答した者は1万1183人(回答者の9.8%に相当)であり,これにより,未帰還者1475人について資料を更新し,5962人について既得資料を再確認することができた。
なお,中国地域の国外調査については,当時の外交状況から,他地域に対して行っていた名簿等を現地残留者に対して一斉に発送して調査することは見合わせて,昭和33年10月,日本赤十字社を通じて,中国紅十字会に対し,前記3(2)イの覚書に基づき,現地残留者の日本宛通信を奨励することを重ねて要請することとしたが,結局,その結果を知ることはできなかった。


同年12月17日,厚生省は,未帰還者に関する特別措置の法律の要綱案を引揚同胞対策審議会に諮問し,同審議会が原則的に賛意を表したことを経て,昭和34年3月3日,未帰還者に関する特別措置法(以下未帰還者特別措置法という。)が公布され,同年4月1日から施行
された。
この法律は,未帰還者のうち,国がその状況に関し調査究明した結果,なおこれを明らかにすることができない者について,特別の措置を講ずることを目的とし(1条),留守家族援護法に規定する未帰還者についての民法の失踪宣告(以下戦時死亡宣告という。)の請求等を厚生大臣も行い得るとする特例を設け(2条。なお,14条,同法施行令1条の2により,戦時死亡宣告の請求等は,都道府県知事も行い得るとされた。),戦時死亡宣告を受けた未帰還者の遺族に対し,当該未帰還者一人当たり3万円又は2万円の弔慰料を支給する旨規定している(同法3条,6条)。
なお,当初は,同宣告の請求の対象となる未帰還者を,昭和21年末までに消息を絶った未帰還者と,昭和27年末までに消息を絶った未帰還者のうち死亡の推定される者に限定していたが,昭和37年の法改正により,上記制限は撤廃された。また,昭和38年の法改正により,中国本土において,昭和16年12月8日以後生存していたと認められる資料があるが,諸般の事情からみて死亡が推測される者(終戦後,自己の意思により帰還しなかったと認められる者等を除く。)と,同日以前に生存していたと認められる資料があるが,これ以後生存していたと認められる資料がない者で,諸般の事情からみて同日以後に死亡したと推測される者についても,同法の適用上,未帰還者とみなされることとなった(13条の2,同法施行令1条)。
(5)未帰還者特別措置法の運用とその後の未帰還者の調査等

未帰還者特別措置法の施行に当たっては,戦時死亡宣告を受ける未帰還者の名誉を尊重し,その留守家族(遺族)の心情を十分考慮する必要があったため,同宣告の請求の要件に該当する者の決定に際しては,厚生省保有資料によりこれに該当すると認められる未帰還者について,予
め特別措置法該当予定者として都道府県を通じて留守家族に通知し,都道府県が当該留守家族の意向(少なくとも,配偶者,子,父母程度は必要とされていた。)を直接・間接に面接調査し,同宣告の請求に同意する場合は同意書の提出を求めた上で,厚生省が特別措置法該当者との決定を行うこととされた。
厚生省の調査によれば,同法の施行された昭和34年4月1日当時,中国地域における未帰還者は2万0798人であり,このうち死亡に関する資料のある者と開戦前後から昭和22年までの消息資料のみの者が合わせて1万8232人となっていたが,これらの諸般の事情を考慮し,死亡の公算の多い者については,留守家族の同意を得て同宣告の請求を行った結果,昭和51年12月31日までに1万4100人につき同宣告審判が確定し,これらの者は法律上の未帰還者から除かれた。
孤児に関しては,昭和29年4月当時,孤児と認められる者は約2500人であったが,その後の調査の推移と同法の運用に伴い,このうち約1500人が死亡届又は同宣告により除籍された。

一方,生存残留者について調査を進めた結果,この中には中国人と結婚して通常の社会生活を営んでいる者や,日本宛の通信に中国に永住する旨を表明している者もあり,年月の経過により現地に生活基盤が確立している等の事情から中国に残留を希望し,永住の目的をもって日本に帰還しないであろうと認められる者も少なくなかった。
政府は,上記のように中国において通常の社会生活を営み,自己の意思により帰還しないと思われる者については,さらにその残留事情を追及調査し,その結果,約1000人について自己の意思により帰還しないと認められる者(留守家族援護法2条)と認定して,法律上の未帰還者としては取り扱わないこととする措置を執った。

各都道府県知事宛の厚生省援護局(昭和36年以降,引揚援護局は援護
局と改称された。)長通知昭和37年度における未帰還者等の調査究明業務について(昭和37年5月18日付け援発第18362号)(乙63)には,戦時死亡宣告審判確定者等の調査に関し,

戦時死亡宣告審判確定者等死亡を確認していない者の諸資料は他の処理済者の諸資料と区分して整理保管し機会あるごとに死亡時期,場所,死因ならびに遺骨等について調査するものとする。

との記載がある。また,同通知には,未帰還者のうち自己の意思により帰還しないと認められる者の事実の認定についてとして,未帰還者のうち自己の意思により帰還しないと認められる者の事実の認定は,従来極めて少数のものにつき,これを行なってきたところであるが,本年7月をもつて大部分の未帰還者の留守家族手当が打ち切られること等に関連し今日までの調査究明の結果,生存が確認された者(通例の場合は過去4年以内に生存していたと認められる資料のあるもの)のうち,本人からの来信,帰還者の確実な証言及び本人の生活状態等を総合判断して,残留希望が確実と認められる者についてこれが認定を行ない未帰還者から除外することとしたが,当該未帰還者の留守家族が留守家族手当を受けているものについては,もちろん,これを受けていないものについても当該家族の生活に直接の関係があるので該当留守家族に対しては処理にいたった事情等を詳細に説明し十分の納得がえられるよう配慮ありたいこと。との記載がある。5
日中国交回復後の残留孤児の身元調査
(1)国交回復当初の身元調査

昭和47年9月29日,日中国交正常化に関する共同声明が出され,長らく途絶えていた中国との間の国交が回復した。
これを機に,中国に残留している者から日本国内への通信が活発に行われるようになり,また,身元を知らないまま中国において成長した孤児からは,自分は一体誰なのか本当の名前は何というのか自分の両親,兄弟は日本に健在でいるのだろうかなどの調査依頼が,国交回復に伴い北京に設置された日本国大使館(以下在中国日本国大使館を指して日本大使館という。)や厚生省,都道府県などに数多く寄せられるようになった。
昭和48年3月,政府は,未帰還者2963人,戦時死亡宣告により除籍された者1万3546人,自己の意思により帰還しないと認められ未帰還者から除かれた者1040人の名簿を日本大使館に送付し,これに基づく現地調査を行うとともに,調査担当者を日本大使館に派遣して,中国における未帰還者の調査を行った。

政府は,孤児から多数寄せられた身元調査の依頼に対応するため,孤児の肉親捜しを新たな課題として取り組むこととした。
孤児の身元確認のための調査は,当初,孤児や中国人の養父母,資料提供者から寄せられた手掛かり資料を基に,これまでの未帰還者調査などにより収集・整理された厚生省や都道府県が保有する未引揚邦人索引簿,中国各地で死亡した邦人死亡者索引簿,中国東北部各地に入植した開拓団約27万人の開拓団在籍者名簿,中国東北部及び中国地区から引き揚げた邦人の外地の状況などについて世帯毎に記入している在外事実調査票(中国東北部約35万世帯分),中国本土にあった各種の職域などの在職者の名簿(約200冊)及び旧関東軍に所属した軍人軍属約65万人の名簿など各資料を照合して該当者らしい者を抽出し,都道府県を通じて家族に確認を求めるなどの方法で行った。


政府は,昭和48年8月,中国政府に対し,厚生省が作成した未帰かん者名ぼを提出するから中国側からも在留邦人に関する資料を提供ありたい。わが方資料は未帰かん者から本邦への手紙等を基礎として作成されたものであり,現時点では必ずしも正確でない点もあるので中国側においてこの資料を修正してほしい。国交正常化が実現した現在,在留邦人の多くは帰国,さと帰りを強く希望しているところ,中国側の公安当局が出国を許可しない事例がかなり報告されているので中国側関係当局において速やかに出入国許可証を発給されるよう措置ありたい。等の申入れを行った。
これに対し,中国政府は,日中間の長年の不正常な関係は日中そう方の居留民の往来を困難にしたが,日中関係が正常化された現在,そう方の居留民の往来も正常化されなければならない。中国に居留する日本人が近しん訪問の為帰国あるいはさと帰りの希望を有していることは中国政府としても十分理解しており,この問題に関し現在関係部門で対策を研究中である。その具体的な結論は未だ出ていないが,中国政府としては,シユウ総理が既に指てきした通りこの問題では日本側に協力するという基本方針をとつている。然し,解決を要する関連問題も多いし,複ざつである。日本大使館に多数の手紙が来るのも,そういう問題があるからである。と回答した。
(2)公開調査
幼いころに肉親と離別した孤児は,自分や両親,兄弟等の名前,居住地や離別状況等の手掛かりを覚えていないか,あるいは記憶が曖昧であったり,養父母が孤児の身元の状況についての資料を有していないなど,保有資料による調査のみでは身元の解明が進まない孤児が増えてきたことから,政府は,昭和50年3月以降,孤児から送られた顔写真,特徴,肉親と離別した時の事柄等を新聞,テレビなどによって広く一般に公開して情報を求める公開調査を実施した。
その結果,昭和56年1月の第9回調査までの間に,437人の公開調査人員中166人の孤児の身元が判明した。
(3)訪日調査

孤児から寄せられる肉親捜しのための手掛かりを基にした厚生省保有資
料による調査や公開調査では,身元の解明が年々困難となり,また,在日親族からも,実際に孤児と対面して顔を見,声を聞き,身体の特徴や孤児が覚えている手掛かりを直接確認したいとの要望が寄せられるようになったことから,政府は,昭和56年3月以降,身元が確認できない孤児を一定期間日本に招き,報道機関の協力を得て肉親捜しを行う訪日調査を実施した。

第1回訪日調査に先立つ昭和55年10月28日,外務省が中国外交部に対し,残留孤児問題の協力要請を行ったところ,中国側は,以下のとおり回答した。
こじの帰国に関しては人道上と中日友好の観点から今後とも援助する。また,こじ60人の帰国に関しても中国側が確実に日本人こじと認めるものについては協助する。なお次のような問題がある。(イ)養ふぼなどが,こじ本人が日本に行つたきり帰つて来ないことを心配したり,またそのため帰国に同意しないことが考えられる。(ロ)個別の問題ではあるが中国側から見て日本人こじとは認められない者もいる。(ハ)こじの問題は複雑であり,帰国に当つてはこれ以外にも多くの問題がある。実態調査に関しては,戦後35年,建国後30年を経た今日非常に難かしいと思う。私も東北地方へ行つて現地の公安当局に聞いたことがあるが,彼等はその地域でとう記されているこじについては,だれが確実に日本人こじであるかを知つているが,省全体としては全くはあくしていない。従つて今後中国側と日本側とが相談しながら,やれるところからやつて行こうと思う。

訪日調査の対象者は,日中両国政府で日本人孤児と確認された者であるが,この確認は,厚生省が手掛かり資料に基づいて孤児と認められる者の
名簿を作成し,これを外交ルートを通じて中国政府に送付して,中国政府において孤児と確認された者が訪日調査対象者として政府に通知されるという手順で行われていた。
訪日孤児が確定すると,各孤児の申し立てている手掛かりと厚生省保有の各種資料とを照合しながら肉親関係者の抽出を行うとともに,報道機関の協力により,孤児が申し立てている手掛かりを公表して肉親関係者からの名乗り出や情報の提供を呼び掛ける等の訪日期間中の調査効率を高めるための準備を行った。
孤児が帰国すると,まず手掛かり資料の正確を期するため,厚生省係官が直接孤児と面接し,孤児の身元の手掛かりとなる申立て内容を本人から具体的に聞き取る面接調査を行い,公表した手掛かりなどから肉親関係者が名乗り出た場合には,孤児と直接対面して身元の確認を行う対面調査を実施した。
対面調査によっても身元が明確に判断できない場合や,一人の孤児に対して複数の関係者が名乗り出ている場合等においては,当事者双方の希望により血液鑑定(平成2年以降はDNA鑑定)を実施した。血液鑑定に要する費用は,在日親族については原則個人負担であったが,孤児については全額国庫負担となっている。

昭和56年3月に孤児47人の第1回訪日調査が実現した後の同年8月6日,中国外交部は,日本大使館に対し,訪日調査の人数に関し,中国側としては一度に60人を派遣するのではなく,省,地区毎に,30人を超えない人数で行く方が,組織的にも,また孤児の確認を行ううえでもよい旨の意見を述べた。また,同年9月4日,中国外交部は,中国の地方関係部門もいくらかの資料を有している。が,30数年前の事であり,本人も幼ない時の事であり,これのみでは確認作業は困難である。中国は広大であり,人口も多く,孤児の幼い時の特徴も,成長するにつれて変わっている。その人のみ見て,日本人か中国人か判断することも困難である。訪日者人数については,我々の考えである30人位に分ける方が妥当であると思う。名簿の106名は,8乃至9省に分かれ,分散して住んでいる。帰国手続を組織する時困難が多い。前回の一時帰国は,当初60名を2回に分ける予定であったが,47名となったので一回としたのである。我々は,1回,30名乃至40名にする意見を堅持する。もう一度再検討願いたい。106名の名簿確認作業は,ある者は終了し,ある者は,現在調査中である。前回(8月6日)お会いした後,地方関係部門を催促した。ある地方では日本孤児の資料が多くなく,困難をきたしている。故に,本人,周囲の人,親戚,養父母等から当時の事情を聴取するのに時間がかかっている。

30人前後に分けるというのは,旅行社の意見でもある。60人だとこれら(注:宿泊,飛行機予約)の確保は困難である。

旨の意見を述べた。昭和57年8月26日に中国残留日本人孤児問題懇談会(以下孤児問題懇談会という。)が厚生大臣宛に提出した中国残留日本人孤児問題の早期解決の方策についてと題する報告書(以下懇談会第1報告書という。)においても,一度に多人数の者を訪日させても,成果をあげることは困難であり,また,中国側との名簿の確認等調査の準備のための期間を考えれば,中国政府の全面的な協力が得られたとしても,当面,一回の訪日調査対象孤児は60人程度,訪日調査の回数も年3回が限度であると考えられる。旨の記載がある。オ
訪日調査は,昭和56年3月から平成11年11月までの間に通算30回実施され,2116人の参加者中670人の身元が判明した。各回の参加人数や身元判明者数は,別紙3孤児の肉親調査の概況の集団訪日調査参加孤児の判明率の推移等欄記載のとおりである。
(4)その他の身元調査関係施策等


訪中調査
平成3,4年,政府は,日中両国政府から孤児と認定されていながら,身体に障害を有しているために訪日調査に参加することが困難な孤児18人について,厚生省職員を中国に派遣して,面接調査等の情報収集を行うとともに,孤児のビデオ撮影を行い,資料を報道機関に公開する訪中調査を実施した。その結果,3人の孤児の身元が判明した。
また,平成6年度以降,政府は,日中両国政府のいずれかの側において孤児と認定されない者(未確定者)について,厚生省職員を中国に派遣して,中国政府の協力の下に直接孤児と面接するなどの調査を行った。その結果,調査対象者の一部の訪日調査が実現し,身元が判明する者もあった。

訪日対面調査
長い年月の経過により,孤児の保有する肉親情報が少なく,年々肉親の判明率が低下したこと等を踏まえ,政府は,平成12年度以降,訪日調査に替えて,訪中調査を拡充して実施し,日本で孤児の情報を公開して,肉親情報のある場合には,孤児を訪日させて肉親関係者との対面調査を行う訪日対面調査を実施した。
その結果,平成15年度までの間に情報公開の対象となった56人の孤児のうち,9人の身元が判明した。
なお,同調査の導入後は,訪日調査を経なくても,身元未判明孤児の永住帰国が可能となった。


キャラバン調査
昭和62年,政府は,旧満州にかかわりの深い元開拓団関係者の代表者等で構成する身元未判明孤児肉親調査委員会を設置し,同年度から3か年計画で,身元未判明孤児肉親調査委員と厚生省で肉親捜し調査班を編成して各都道府県に派遣し,既に未帰還者届を出している関係者や当時の状況に詳しい元開拓団関係者等と面接して,身元未判明孤児の肉親に関す
る情報を収集するキャラバン調査を実施した。
全国規模で延べ25班が各10日間の日程で調査を行った結果,15人の孤児につき有力な情報が得られ,うち12人については,中国政府の協力を得て再度訪日調査に参加させ,9人の身元が判明した。

身元未判明孤児肉親調査事業
キャラバン調査後の平成2年度以降,政府は,元開拓団関係者等当時の事情に精通した者を都道府県に調査員として配置してきめ細やかな調査を行い,肉親関係者の掘り起こしを図る等の事業を実施し,その結果,有力情報が得られて身元が判明する孤児もあった。


孤児名鑑の発行
昭和62年,政府は,昭和58年3月に肉親探しの手掛りを求めている中国残留日本人孤児(3分冊)として発行されていたものを,身元未判明孤児一人一人の顔写真及び肉親と離別した状況等の資料をまとめたまだ見ぬ肉親を求めて・身元未判明中国残留日本人孤児名鑑として編纂し直し,その後も適宜情報の更新を行っている。


訪中説明会
昭和60年度以降,政府は,財団法人中国残留孤児援護基金による訪中説明会を中国各地で開催し,訪日調査で身元が判明した者又は身元が判明しなかったが日本への帰国を希望している孤児に対し,日本の実情を説明して帰国するか否かの判断の参考に供するとともに,帰国する者には日本社会での生活の心構えを持ってもらうための説明の機会を設けた。
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残留孤児の帰国手続及び帰国支援施策
(1)帰国旅費の国庫負担

残留邦人の大半は,農村に居住して経済的に余裕のない生活を送っていたため,帰国に当たって,居住地から出境地までの中国国内の旅費や日本までの渡航費用等を捻出することは不可能に近いことであった。

政府は,永住帰国を希望する残留邦人と同行する配偶者及び未婚の未成年の子等の扶養親族(身体等に障害を有していたり,在学中であったりするなどの成年の子を含む。)に対しては,従来から行っていた帰国旅費(中国国内の旅費と船運賃又は航空運賃)を国庫負担とする援護措置を継続するとともに(なお,国交正常化に伴い,昭和48年4月1日以降は,中国国内の旅費の支給事務も厚生省が直接取り扱うこととなった。),以下のとおり,援護対象者を順次拡大する措置を講じた。
(ア)昭和48年10月以降,一時帰国希望者に対し,往復の帰国旅費を援護することとした。
(イ)昭和54年以降,従来は援護対象外とされていた一時帰国経験者に対しても,永住帰国を希望する場合には永住帰国援護を行うこととした。(ウ)平成4年度以降,身体等に障害を有する残留邦人を扶養するために同行する成年の子1世帯について,平成6年度以降,高齢(当初は65歳以上とされていたが,平成7年度に60歳以上,平成9年度に55歳以上に順次引下げ)の残留邦人を扶養するために同行する成年の子1世帯について新たに帰国援護の対象とした。

帰国旅費の支給申請は,当初は帰国希望者の留守家族において,帰国希望者の戸籍謄抄本(帰国希望者が元日本人の場合は,除籍謄抄本)と,帰国希望者が帰国旅費を支弁できない旨の申立書(帰国希望者からの通信文の写しでも可)を添付した帰国旅費国庫負担申請書を都道府県に提出することが必要とされていたが,昭和60年に後記身元引受人制度による身元未判明孤児の永住帰国が可能となってからは,身元未判明孤児については,孤児本人が日本永住帰国希望等調査票と日本永住帰国のための旅費申請書を日本大使館に提出すれば足りることとなった。
また,身元未判明孤児以外の者についても,同年以降,親族以外の者が申請に至った経緯を明らかにする書面を添付すれば,留守家族以外の者に
よる帰国旅費の支給申請も可能となり,その際には,上記書類に加えて,親族等の状況及び帰国旅費を支弁することができない旨の申立書,帰国希望者が永住帰国を希望している旨の申立書(帰国希望者からの通信文の写しでも可),中国に残る親族(親(養父母),配偶者)がいる場合は帰国希望者が永住帰国することを同意している旨を明らかにする書面を提出することとされた。
(2)残留孤児の帰国手続

残留邦人の帰国手続は,従来は法務省が帰(入)国に関する証明書を発給することにより行ってきたが,日中国交正常化に伴い日本大使館が設置されたことから,昭和48年10月10日以降,同証明書の発給を廃止し,日本大使館において,日本国籍を有する者については帰国のための渡航書を発給し,中国国籍を有する者については中国旅券に査証を行う扱いに変更された。
そして,中国国籍を有する残留邦人が査証の発給申請を行うためには,本人の除籍謄抄本と,留守家族が身元保証を行うものであることが確認できる内容の通信文の送付を留守家族から受けることが必要とされた。

出入国管理及び難民認定法(以下入管法という。)は,日本の国籍を有しない者を外国人と定め(2条2号),外国人の本邦への入国及び上陸手続に関し,入国の際には,有効な旅券又は乗員手帳を所持し,入国審査官から上陸の許可を受けることが必要であること(3条1項),上陸の際には,原則として有効な旅券で日本国領事官等の査証を受けたものを所持し,かつ,入国審査官に対し,法所定の上陸のための条件に適合していることを自ら立証することが必要であること(6条,7条)を規定し,残留邦人が日本の国籍を有しない場合は,上記条件適合性の立証の資料として,日本に居住する身元保証人の身元保証書の提出が必要とされた(平成元年法律第79条による改正前の入管法4条1項16号,平成2年法務
省令第15号による改正前の入管法施行規則2条3号,6条9号,現入管法2条の2,現入管法施行規則6条)。

国籍法11条1項(昭和59年法律第45号による改正前の国籍法8条。以下同じ。)は,

日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。

と規定しているところ,法務省民事局長は,入国管理局長宛に,昭和49年10月11日民5第5623号民事局長回答をもって,日中国交回復前に中華人民共和国へ入籍許可された者の日本国籍喪失の有無及びその時期として,中国国籍取得の意思が真正と認められる限り,日中国交回復の日(昭和47年9月29日)をもって日本国籍を喪失したものとして取り扱う旨通知した。
なお,昭和25年6月30日以前に効力のあった旧国籍法(明治32年法律第66号)18条(大正5年法律第27号による改正後のもの)には,日本人カ外国人ノ妻ト為リ夫ノ国籍ヲ取得シタルトキハ日本ノ国籍ヲ失フとの規定があった。

孤児の場合,ほぼ例外なく中国旅券(中国国籍を有することが発給の前提となる。)で日本に帰国しようとする者であったところ,上記ウの運用に基づき,現実に多くの孤児が入管法上の外国人としての入国手続を必要とされた結果,在日親族による身元保証が得られない限り,事実上永住帰国が不可能な状態が生じた。
このような外国人として扱われる孤児の永住帰国に際して身元保証人を必要とする運用は,身元未判明孤児(孤児のうち,訪日調査によっても身元が判明しないまま,永住の目的をもって日本に帰国する者)については,昭和60年に後記身元引受人制度が創設されるまで継続し,身元判明孤児(査証申請時に日本戸籍の存在が確認されるか,新たに日本戸籍への就籍が許可されている者で,国費により帰国する者)については,昭和61年10月15日に身元保証書に代えて在日関係者(肉親に限らず,善意の第
三者でも足りる。)からの招へい理由書(招へい経緯,入国後の落着き先の住所・連絡先,申請人の渡中時期が記載してあるもの)を提出すれば査証を発給する扱いに改められるまで継続した。
(3)身元引受人制度

身元未判明孤児については,在日親族や知人がいないことや,身元保証人を捜す手段や連絡方法もないことから,身元保証人を立てて帰国することが事実上不可能な状況にあったところ,訪日調査の回を追う毎に,調査の結果身元が判明しなかった身元未判明孤児が年々増加し,これらの孤児からも永住帰国を希望する声が多く寄せられるようになった。


昭和57年8月26日,孤児問題懇談会は,懇談会第1報告書の中で,孤児が,日本社会で自立していく過程で,日常生活上の諸問題の相談相手となり,自立更生に必要な助言,指導をしてくれる人が必要なことはいうまでもない。しかし,身元の判明しなかった孤児には,日本にはだれ一人頼るべき親族がなく,このため,政府において,身元を引受けて相談相手となる親代りともいうべき身元引受人をあっせんし,日本社会への早期定着が図れるように配慮する必要がある。との提言を行った。昭和59年3月17日,日中両国政府間で中国残留日本人孤児問題の解決に関する日中間の口上書が交換され,その中で,

日本政府は,孤児が自ら日本国に永住することを希望する場合には,その在日親族の有無にかかわらず,これを受け入れる。

日本政府は,孤児の養父母,配偶者,子女及びその他孤児の扶養を受ける者が,孤児と共に日本国に永住することを希望する場合には,その希望を受入れ,孤児と共に訪日できるための査証を発給する。

ことが確認された。

政府は,昭和60年度以降,身元未判明孤児の永住帰国を容易にするための身元引受人制度を設け,訪日調査によっても身元が判明しなかった身元未判明孤児とその同伴家族に対し,帰国旅費国庫負担承認書と後記定着
促進センターへの入所通知(現在は帰国旅費支給決定通知書)をもって,身元保証人なしで査証を発給することとした。そして,帰国後は同センターへの入所を義務付けるとともに,同センター入所中に身元保証人に代わる身元引受人を斡旋してその近隣に定住させ,帰国孤児世帯が一日も早く自立して生活を営めるように,身元引受人が日常生活上の諸問題の相談,自立更生に必要な助言・指導を行うものとした。
同制度の創設に伴い,同年度以降,身元未判明孤児の大量帰国が実現することとなった。
(4)特別身元引受人制度

身元引受人制度創設後も,身元判明孤児については,従前どおり在日親族が身元を引き受けるものとしてきたが,年月の経過とともに,近親の親族が既に亡くなっていたり,所在が不明となっている等の状況が生じ,また,在日親族の世代交代等の事情から,親族が孤児の受入れに難色を示したり,明確に拒否したりするケースが増えてきた。
このような親族側の事情等によって,永住帰国を希望しながら帰国できないでいる身元判明孤児の永住帰国を促進するため,政府は,平成元年7月,かかる特別の事情を有する身元判明孤児の帰国手続の遂行,日常生活上の諸問題の相談,定着自立に必要な助言・指導を行う特別身元引受人制度を創設した(平成3年度以降,残留婦人等にも同制度を適用)。なお,平成6年1月から,従来特別身元引受人が行うこととされていた帰国手続を政府が直接行うこととし,身元引受人と特別身元引受人の役割等が同様になったことから,平成7年2月以降は,両制度を一本化した身元引受人制度を実施している。


特別身元引受人の斡旋を受けるには,永住帰国を希望する身元判明孤児が,①肉親(三親等内の在日親族)が死亡している場合又は所在が不明である場合,②肉親が孤児の受入れを拒否し,長期にわたり説得したにもか
かわらず納得が得られない場合,③その他肉親が家庭の事情等により孤児を受け入れることができないなど,肉親以外の者が帰国受入れを行うことがやむを得ないと判断される場合のいずれかに該当することが必要とされた。このうち,②の長期にわたり説得とは,概ね6か月間にわたり定期的に説得を行うことをいうものとされ,肉親に対する説得は,業務担当都道府県の職員が市町村等の協力を得て行い,肉親が説得や帰国に応じないときは,親族の意向にかかわらず,特別身元引受人の斡旋が行われることとされていた。
平成6年1月以降は,特別身元引受人の斡旋の迅速化を図るため,肉親による身元引受けを打診し,肉親による身元引受けが困難であることが明らかな場合には,直ちに(肉親が身元引受けについて検討を要する場合にも,遅くとも2か月以内に)特別身元引受人を斡旋することとするとともに,帰国前に行うのを原則としていた特別身元引受人の斡旋を,予め把握した本人の帰国希望時期から相当期間(10か月程度)を経ても何らかの事情により特別身元引受人の斡旋が困難なときは,いったん帰国受入れを行い,その後に特別身元引受人の斡旋を行うように運用が改められた。なお,制度開始当初は,対象孤児が②又は③に該当する場合には,特別身元引受人の決定後,身元判明孤児が特別身元引受人の行う帰国手続により永住帰国することに異存がない旨の確認書を肉親に提出させることとなっていたが,平成3年10月31日以降,これは省略できることとなった。ウ
特別身元引受人制度の運用状況は,平成6年3月31日現在で登録者数565件,斡旋数197件,平成7年3月31日現在で登録者数856件,斡旋数379件(同年2月から一本化された身元引受人のうち,身元判明者分の件数)となっている。

(5)残留孤児の永住帰国者数
国交回復後に永住帰国した残留孤児の年度別帰国者数等は,別紙4中国帰国者の年度別帰国状況記載のとおりであり,平成15年度までに合計2472人の孤児が永住帰国した。
7
残留孤児の自立支援に関する施策
(1)孤児問題懇談会の提言と残留孤児の自立支援に関する立法

昭和56年に訪日調査が開始されると,孤児問題は国民的関心を集めるようになり,それとともに,各方面から様々な意見と提言が寄せられるなど,孤児問題の早期解決の必要性が叫ばれるようになった。
このような状況を踏まえ,厚生省は,孤児問題の早期解決を図るために広く有識者の意見を聴いて具体的な施策を検討する必要があるとの認識の下に,昭和57年3月,日本経済新聞社顧問(座長),帰国者三互会会長,日中孤児問題連合会顧問,東京都引揚者生活指導員(後に自立指導員と改称),日中友好手をつなぐ会会長等の各方面の有識者18人を構成員とする中国残留日本人孤児問題懇談会(孤児問題懇談会)を設置した。

同年8月26日,孤児問題懇談会は,総合的な孤児対策を盛り込んだ中国残留日本人孤児問題の早期解決の方策についてと題する報告書(懇談会第1報告書)を厚生大臣に提出した。
同報告書は,まず初めに,孤児問題についての基本的考え方として,以下の基本的な方向性を示した。
孤児問題を考えるに当たっては,孤児がこのように過去の不幸な戦争のなかで肉親と離別し,昭和47年の日中国交正常化までの長い間,自分の身元を明らかにしたいと思いながらその方法さえないまま,中国で暮らしてきたということを忘れてはならない。孤児が自分の身元を明らかにしたいと願うことは,人間の本性に立った自然な気持ちであり,彼らが孤児となった事情を考えれば,身元調査の依頼を受けた政府が全力を挙げて肉親捜しを行うべきことは当然である。また,孤児がその家族とともに日本に帰国することを望む場合には,政府,国民が一体となって,その受入れ,日本社会への定着のための援助を行う必要があることはいうまでもない。肉親捜しを通じて,日中両国間の交流が深まっているが,社会体制が異なっていることもあり,中国にいる孤児たちの間に,日本社会がバラ色で,日本に帰ってさえくれば幸せになれるかのような,事実と相違した情報も流布されているようである。日本は自由経済体制のもとで経済発展をしてきたが,それだけに,自分の生活は自分の手で築いていかなければならず,既に中年に達している孤児が,言葉や社会習慣の異る日本で職を得て自立していくことは決して容易ではない。政府が帰国した孤児の定着のために根幹的な対策を進め,地方公共団体やボランティア団体が新たに地域住民となった孤児たちのためにあたたかい援助を行うことが必要なことはいうまでもないが,それはあくまでも側面的な援助であって,最終的には,孤児自らが努力して困難を克服していかなければならない。日本に帰国したほうが幸せか,中国に留まったほうが幸せかは,そのような日本社会の実情をよく知ったうえで,孤児自身がよく考えて判断することであるが,日本国民も孤児の判断を誤らせないように,日本社会の実情を孤児に正しく理解させるように努力しなければならない。孤児も,帰国を決意する以上は,多くの困難を乗り越えていくだけの覚悟が必要であろう。そして,その上で,①肉親捜しの計画的推進,②中国に残る養父母等の扶養費援助,③養父母や中国社会に対する感謝,④帰国者センターの設置など帰国後の定着化対策,⑤身元の判明しない孤児の受入れ,⑥民間援護活動の推進について提言を行った。このうち,帰国者センターに関する提言は,以下のとおりである。
当懇談会としては,孤児が円滑に社会生活に溶け込めるようにするため,帰国後直ちに一定期間入所させ,集中的に日本語教育を含めた生活指導を行う帰国者センターを設け,そこで簡単な日常会話ができる程度までの日本語教育と日本の生活習慣等についての基礎的な生活指導を行い,その後に親元へ帰るようにすることを提言する。

孤児等の引揚者世帯が日本に帰国した際,直ちに一定期間これを収容し,生活指導(基礎的な日本語教育を含む。)を行うために帰国者センターを設置する必要がある

(入所期間)簡単な日常会話と日本社会における一般的な生活習慣の習得を目標とするが,日本に帰国した孤児をあまり長い間一般社会から遠ざけておくことは好ましくないので,標準的な入所期間は4カ月程度に止めることが適当であろう。

(定員)基礎的な日本語ができ,日本社会の事情もある程度わかっている者や,直接親元へ帰ることを希望する者以外の者を入所させることとし,定員は当面150人程度(年間延べ450人程度)が適当であろう。


昭和60年度以降に孤児の大量帰国が見込まれることを踏まえて,同年7月22日,孤児問題懇談会は,中国残留日本人孤児に対する今後の施策の在り方についてと題する報告書(以下懇談会第2報告書という。)を厚生大臣に提出した。
同報告書は,孤児問題についての基本的考え方として,帰国した孤児が定着し,自立するためには,孤児自らが努力して困難を克服していかねばならないことはもちろんであるが,政府,地方公共団体は言葉と文化の異なる日本に帰国した彼等の直面する様々の困難を少しでも軽減するために,物心両面にわたる施策を積極的に推進する必要があること。また,孤児の肉親も,言葉と文化の違いに起因する様々の摩擦を忍耐強く克服して,孤児と共に問題を乗り越えていくことが必要であること。との見解を示した上で,①肉親捜しの早期完了,②扶養費援助の早期開始,③後記
定着促進センターの収容能力の大幅増,④落着先における施策の充実(日本語指導及び生活指導の充実,公営住宅への優先入居の徹底,孤児子弟の学校教育に対する特別配慮),⑤就労の促進,⑥民間援護活動,⑦戸籍回復等の促進,⑧一時帰国者に対する対策,⑨老後の生活保障,⑩国民に対する広報活動について提言を行った。

平成6年4月6日,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(以下自立支援法という。)が制定され,同年10月1日から施行された。
この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的とし(1条),国等の責務として,

国は,本邦への帰国を希望する中国残留邦人等の円滑な帰国を促進するため,必要な施策を講ずるものとする。

(3条),

国及び地方公共団体は,永住帰国した中国残留邦人等の地域社会における早期の自立の促進及び生活の安定を図るため,必要な施策を講ずるものとする。

(4条1項),

国は,必要があると認めるときは,地方公共団体が講ずる前項の施策について,援助を行うものとする。

(同条2項),

国及び地方公共団体は,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援のための施策を有機的連携の下に総合的に,策定し,及び実施するものとする。

(5条)ことを規定し,7条以下に国等が講じるべき各分野別の自立支援施策に関する定めを置いている。

(2)帰国者に対する支給金等

自立支度金の支給
政府は,引揚者の帰国後の当面の生活資金に充てるものとして,昭和2
8年3月以降,残留邦人を含む引揚者に対して帰還手当の支給を行ってきたが,昭和48年度以降,長らく大人一人当たり1万円に据え置かれてきた支給額を順次増額し,名称を自立支度金と改めた昭和62年度以降は,個人単位支給額のほかに,少人数の世帯については少人数世帯加算額も上乗せして支給することとした。
平成15年4月1日以降の支給額は,大人一人当たり16万0400円(18歳未満の者はその半額)の自立支度金に,少人数世帯の場合には,世帯人数に応じて15万9600円又は7万9800円の少人数世帯加算額を上乗せした額となっている。

オリエンテーション
政府は,昭和54年4月1日以降,中国帰国者に対し,帰国直後に宿泊施設に1泊させて,帰国後の援護の内容や相談に行くべき行政機関の窓口等の帰国後すぐに必要となる事項について,専門講師によるオリエンテーションを実施している。


語学教材の支給
政府は,昭和52年4月以降の中国帰国者のうち,日本語が理解できない者に対し,語学教材として録音テープ,テキスト,カセットレコーダーを支給している。

(3)中国帰国者定着促進センター

国交回復後,永住帰国する孤児とその家族が年々増加するに従って,孤児が日本社会に定着していく過程で生じる様々な問題が指摘されるようになり,帰国した孤児と同伴家族が日本社会で定着自立していく上で,日本の生活習慣や日本語を習得する訓練施設の設備要請が各方面から寄せられるようになった。
このような社会の要請や懇談会第1報告書の提言を受けて,政府は,昭和59年2月,埼玉県所沢市に中国帰国孤児定着促進センター(平成6年
4月から中国帰国者定着促進センターと改称。以下定着促進センターという。)を開設し,昭和62年度には,孤児の大量帰国に対処するため,所沢センターを拡張するとともに,新たに5か所(北海道,福島,愛知,大阪,福岡)のセンターを設置した。その後,帰国孤児やその世帯員数の増減に応じて,平成3年度に北海道,福島,愛知のセンターを閉所し,平成6年度に所沢センターの分室を山形と長野に,平成7年度に新たなセンターを宮城,岐阜,広島にそれぞれ設置し,現在は埼玉と大阪の2か所が運営されている。

定着促進センターの入所対象者は,開設当初は,国費により中国から永住帰国する者のうち,孤児及び同伴家族と,それ以外に厚生省援護局長(後の社会・援護局長。以下両者を区別せずに援護局長という。)が入所を適当と認めた者とされていたが,昭和62年以降は,既に国費により永住帰国した孤児等も,平成5年以降は,国費により永住帰国する残留婦人等のうち日本語や生活習慣についてうろ覚えの者等も,平成6年以降は,国費により永住帰国する身元判明孤児で同センターへの入所を希望する者等も,平成7年以降は,自費で永住帰国した残留邦人で自立支度金の支給を受けた者等も順次入所対象者に加えられた。


定着促進センターに入所した孤児等は,概ね4か月の入所期間(現在は6か月)の間に,日本語指導と生活指導等の研修を受けることとなる。日本語指導では,中国における学歴等が多様なことを考慮し,年齢構成,日本語学習歴,学歴等を勘案したクラス編成を行い,日本社会に定着する上で必要な初歩的な日常会話レベルの指導が行われる。
生活指導では,定着後に孤児世帯の異文化への適応が円滑にできるように,日常生活,対人関係,制度・法律の分野に分けて,買物や交通機関の利用等の実習を取り入れつつ,個別の指導目標を定めて指導が実施されている。

そのほか,昭和61年度以降は,職業についての講話,公共職業安定所や職業訓練校の見学,個別の就職指導等が行われ,昭和62年度以降は職業相談員が配置されている。また,身元未判明孤児に対しては,最高裁判所の担当者から就籍手続の説明も実施されている。

定着促進センターの受入可能世帯人員数(予算上のもの)及び実際の入所世帯人員数は,別紙5中国帰国者定着促進センター年度別受入及び入所世帯人員記載のとおりであり,平成15年度までに合計3039世帯,1万1189人の孤児等を受け入れている。

(4)身元引受人による助言・指導

前記6(3)及び(4)のとおり,身元未判明孤児と親族が身元の引受けに非協力的な身元判明孤児に対しては,永住帰国に当たって身元保証人に代わる身元引受人(特別身元引受人)を斡旋することとなったところ,これらの帰国孤児世帯を近隣に定住させて,帰国孤児世帯が一日も早く自立して生活を営めるように,日常生活上の諸問題の相談や自立更生に必要な助言・指導を行うことが身元引受人の役割とされた。
身元引受期間は,身元引受けの開始日から3年以内であり,身元引受期間中は身元引受手当(昭和60年,61当時でそれぞれ月額1万2000円,1万3000円。なお,特別身元引受人の平成元年当時の手当は月額1万6000円)が支給される。


身元引受人の資格は,上記孤児世帯の置かれている立場を理解し,かつ,社会的信望が厚く,これらの者が日本社会に早期に定着するための指導に熱意をもって当たることができる者とされ,昭和60年11月からは法人も,平成元年度からはボランティア等の任意団体についても身元引受人登録の対象となった。具体的な登録手続は,身元引受人登録希望者から申請があると,都道府県民生主管部(局)長が,必要に応じて希望者本人と面接したり,市町村長等の意見を聴取するなどの調査を行い,身元引受人と
して相応しい者と認めたときに厚生省援護局長に推薦し,同局長が適格者と認めた者を身元引受人として登録するものとされている。
なお,平成元年度以降,身元引受人を対象とした身元引受人会議が全国各地で毎年開催されている。
(5)定着地の斡旋
政府は,永住帰国した孤児に対し,帰国後の定着地の斡旋を行っているところ,身元判明孤児については,中国在住中に定着予定地を聞き,希望地が集中した場合には,公営住宅の空き状況等を勘案し,都道府県との間で調整を行いながら定着地の斡旋を行っている。
身元未判明孤児については,本籍地に当たるものがなく,身元引受人の斡旋が必要となるため,孤児の希望や中国における生活歴,職業及び帰国後の生活設計等を考慮しつつ,全国各地に登録されている身元引受人から適当な候補者を選んで定着地を斡旋しているが,孤児の第一希望が叶えられない場合には,第二希望を聞いて受入側の事情を十分説明し,最後に両者の合意を得て身元引受人を斡旋し,定着地の斡旋を行っている。
(6)自立指導員の派遣

幼いころから中国で育った孤児等は,言語や習慣等の相違から日本において通常の社会生活を営むことに困難を来していることから,政府は,昭和52年度以降,各都道府県への委託により,中国語が理解できて,中国帰国者に深い関心と理解を持ち,日本社会への定着・自立に向けて積極的に協力できるような民間の篤志家に自立指導員(昭和62年度までの名称は引揚者生活指導員)を委嘱して,都道府県が派遣を必要と認めた孤児の家庭に派遣している。


自立指導員は,都道府県援護担当課の指示により,①孤児等の日常生活,言語,就職等の諸問題に関する相談に応じて,必要な助言・指導を行うこと,②市区町村,福祉事務所,公共職業安定所等の公的機関と緊密な連携
を保ち,必要に応じて孤児等をこれらの機関の窓口に同行し,通訳を兼ねて仲介すること,③孤児等に対する日本語の指導,日本語教室等日本語補講についての相談及び手続の介助を行うこと(昭和61年度以降),④職業訓練施設で受講している孤児等の諸問題に関する相談に応じ,必要な助言・指導を行うとともに,円滑かつ効率的な職業訓練が行われるよう援護措置を講じ,技能習得後の雇用安定が図られるよう配慮すること(昭和62年度以降。元々は昭和55年度に設置された職業訓練校協力生活指導員の業務)を業務内容としている。

自立指導員の派遣期間・日数は,当初は帰国後最初の1年間に24日とされていたが,その後徐々に派遣日数を拡大し,昭和62年度からは派遣期間を2年に延長して,派遣日数を1年目84日以内,2年目12日以内とし,昭和63年度からは一定の場合に派遣期間を3年に延長し,平成6年度からは孤児を扶養する子が同伴の場合に1年目の派遣日数を120日以内とし,平成11年度からは一般的な派遣日数を1年目84日以内,2年目12日以内(都道府県知事が特に必要と認める場合には72日以内),3年目12日以内と運用を改めた。

(7)中国帰国者自立研修センター

定着促進センターでの4か月間の研修修了後,若年層ほどこれを基礎として次第に日本語力は向上するが,中年層ではなかなか周囲の住民との交流も進まないことが明らかになったため,政府は,昭和63年度以降,地域住民と交流しながら,1日2時間ないし3時間の継続学習を行い,孤児等の地域社会における定着自立の促進を図る目的で,中国帰国者自立研修センター(以下自立研修センターという。)を全国各地に設置し,孤児等を対象として,8か月の通所期間(特別の事情がある場合には4か月の延長可)中に,日本語指導,生活・就労の指導・相談等を行っている。事業対象者は,定着促進センター修了者又は同センターに入所すること
なく直接居住地に居住した者(後者は平成6年10月1日以降)のうち都道府県知事が自立研修センターへの入所が必要であると認めた者と,その他都道府県知事が同センターに通所することが適当であると認めた者とされた。
同センターの設置都道府県は,当初は山形,埼玉,千葉,東京,神奈川,長野,愛知,京都,大阪,兵庫,広島,高知,福岡,長崎,鹿児島の15か所であったが,帰国者の増減に伴い,平成7年度に北海道,岩手,福島,東京都武蔵野市,静岡の5か所を増設した後,平成11年から平成14年にかけて8か所(高知,長崎,静岡,兵庫,岩手,武蔵野市,福島,鹿児島)を順次閉鎖し,現在は12か所が運営されている。

日本語教室では,定着促進センターで受けた初歩的な日本語教育の進度に応じて2∼4教室にクラス分けし,1日2.5時間,1週12.5時間を基準として,412時限の日本語指導を行っている。
また,平成9年以降は,自立研修センター修了者等で日本語の習得が不十分な者や,より高度な日本語の習得を希望する者に対し,週7時間を基準として2年以内の日本語の再指導も実施しており,通所者の就労等の妨げとならないように,夜間や土日の指導も一部行われている。


生活指導・相談では,地域社会での生活上生じた諸問題について,通所者からの相談に応じ,必要な指導を行っている。


就労指導・相談では,平成元年度から,①日本の労働事情及び労働慣行並びに地域固有の職業事情についての説明を行うこと,②日頃から孤児等と十分に接して適性を見極め,個々の事情に合った職業を選択し,指導すること,③公共職業安定所,公共職業訓練施設,企業等への集団見学や個別の就労指導に際して孤児等を引率すること,④地域の企業等の雇用主又は雇用担当者に対し,帰国者等の置かれている状況について説明し,職業開拓を行うことを専任で行う就労相談員を各自立研修センターに配置して
いる。
また,平成4年度以降,孤児等の早期離職を防止するため,就労相談員が定期的に孤児の職場を訪問して,孤児等と事業主等からの相談を受け,孤児等の置かれている立場について理解を求めるとともに,相互の調整を行う就労安定化事業を実施し,平成9年度以降は,未就労孤児等の就職意欲向上を目的として,日本の雇用システム,職業能力の習得方法,職業選択の実態や中国との相違点などに関する講演,既に職業能力開発校を卒業し就労している帰国者等による体験の発表などの交流会,職業能力開発校等の見学等を行う就職促進オリエンテーション事業を実施している。オ
そのほかにも,地域住民との交流事業,大学進学準備課程事業,就籍の相談,子女の就学についての情報提供等の事業が行われている。

(8)中国帰国者支援・交流センター

中国帰国者の高齢化や,その第二・三世代の増加に伴って,社会的自立が困難となっている等の問題が指摘されてきた状況を踏まえて,政府は,中国帰国者についての国民の関心と理解を促しつつ,地方公共団体との連携の元に民間ボランティアや地域住民の協力を得ながら中長期的な支援を行うため,平成13年11月に東京と大阪に,平成16年6月に福岡に,日本語学習支援事業,相談事業,交流事業等を事業内容とする中国帰国者支援・交流センター(以下支援・交流センターという。)を開設した。

日本語学習支援事業では,現在の研修だけでは日本語が習得できない高齢者の増加や成年層でも希望する職種に就業できないという現状に鑑み,進度別,目的別など帰国者のニーズに合わせ,就労に結び付く日本語教育を継続的に実施している。通所学習のほか,遠隔学習(通信教育)も実施しており,平成14年度からは,通信教育を補完するための対面学習(スクーリング)も都道府県の協力を得て行っている。


相談事業では,帰国者の年齢層の拡大により,相談内容も多種多様にな
ってきていることや,帰国後3年を経過した者が相談する場がないことから,首都圏センターに相談窓口を開設し,専門機関,行政機関等と連携しつつ,電話・手紙等での相談に対応している。また,平成15年度からは,高齢帰国者の引きこもり防止対策として,首都圏センターから対象者に中国語で電話連絡を入れたり,必要に応じてボランティア等が対象者宅を訪問する事業を行っている。

交流事業では,支援・交流センターに談話室を設けて高齢者を対象とした常設サロンとし,教室を帰国者・ボランティア団体・サークル等の利用に供する等の事業を通じて,帰国者が帰国者同士や地域住民,ボランティア等と交流する場を提供している。

(9)国民年金の特例措置
長期間海外に居住していた残留邦人が高齢になってから帰国した場合,国民年金の加入期間が短くて年金が受給できないか,受給できたとしても低額にとどまるという問題があったことから,政府は,平成8年4月1日以降,残留邦人に対する国民年金の特例措置を講じることとし,国民年金制度が発足した昭和36年4月1日以降の中国居住期間を保険料免除期間として,当該期間について3分の1(国庫負担相当額)を年金額に反映させるとともに,当該期間に係る保険料の追納を認めることとした。
(10)その他の施策

自立支援通訳制度
日本語の会話が不自由な孤児等が医療機関で受診する場合などに,適切な受診を確保するとともに,関係行政機関等での助言・指導・援助を受けやすくするため,政府は,平成元年度以降,定着促進センター修了後(非入所者は帰国後)3年以内(平成15年度以降,一定の場合には対象を拡大)の孤児等に対し,自立指導員とは別に自立支援通訳を一定回数を限度に派遣している。

派遣が行われるのは,①巡回健康相談事業により,健康相談医の助言・指導を受ける場合,②医療機関で受診する場合,③福祉事務所等の関係行政機関から助言・指導・援助を受ける場合,④小中高の学校に通学する子等の学校生活上で生じた問題や進路について相談する場合,⑤介護保険制度による介護認定・介護サービスを利用する場合(平成14年度以降)等で,都道府県が派遣を必要と認めるとき(①を除く。)である。イ
巡回健康相談事業
中国との医療事情や食生活の相違等により,孤児等の医療,保健衛生面での生活指導を行う必要があることから,政府は,平成元年度以降,定着促進センター修了後(非入所者は帰国後)1年以内の孤児世帯に対し,都道府県知事の選任した医師を派遣して健康相談を実施するとともに,必要な助言・指導を行っている。


就籍支援
身元未判明のまま帰国した孤児は,家庭裁判所に就籍許可の申立てをする必要があるところ,その手続に要する経費については,昭和61年度以降,財団法人法律扶助協会が財団法人日本船舶振興会の補助を受けて援助事業を行い,政府がその補助金交付のための副申を同財団に対して行っていたが,平成7年度以降は,上記経費が国庫負担とされることとなった。

住居支援
政府は,孤児世帯の住宅の供給について,各都道府県を通じて公営住宅の入居者選考に当たって優先的な取扱いを行うこととし,平成7年度以降は,帰国後最初に居住する際に,公営住宅優先入居の募集選考時期等の事情によりやむを得ず民間住宅に入居する場合に,礼金等の入居時に要する費用の一部を当該孤児世帯に対して支給している。


就労支援
政府は,孤児の雇用の機会を確保するため,昭和57年度以降,職業転
換給付金制度の適用,特定求職者雇用開発助成金の適用(昭和59年度以降),雇用促進事業団による就職時の身元保証(昭和62年度以降)等の就労支援施策を順次実施している。

子の教育支援
政府は,孤児の子の教育の機会を確保するため,孤児の子女の学校への受入れ,中国帰国者地域交流事業,中国帰国孤児子女教育研究協力校の指定,中国帰国孤児子女教育指導協力者派遣事業等を行っている。

(11)養父母に対する扶養費の援助
日本に永住帰国する孤児が大幅に増加したことに伴い,中国に残された養父母の生活をどう補償するのかが問題となり,中国側からも,政府においてこの問題を解決するよう要請がなされ,懇談会第1報告書においても,養父母等の扶養に関し,政府として何らかの措置を講じるべきであるとの提言がなされていた。
これを受けて,昭和59年3月17日,日中間において,

日本国に永住した孤児が負担すべき養父母,配偶者,子女及びその他孤児の扶養を受ける者が必要とする生活費用の2分の1は,日本政府が援助する。

旨の合意がなされ,昭和61年5月9日には,扶養費の具体的な額や送金方法等についても合意がなされた。
なお,政府負担分以外の残りの扶養費については,財団法人中国残留孤児援護基金(昭和58年4月1日設立)が援助することとされた。
8
中国帰国者生活実態調査の調査結果等
(1)厚生省は,昭和59年以降,中国帰国者世帯の定着地における生活の実態を把握し,今後の自立促進対策の充実を図るための基礎資料とする目的で,中国帰国者の帰国後の生活状況実態調査(以下生活実態調査という。)を設問事項や調査対象者を適宜変更しつつ,8回にわたって実施してきた。(2)平成11年12月1日を基準日として実施された生活実態調査の調査結果
(以下平成11年度調査という。)は,以下のとおりである(イ以下の統計数値は,全て孤児本人又は孤児世帯を対象としたもの)。

調査対象者
過去10年間の中国帰国者本人(定着促進センター入所中の者や死亡した者等を除く。)2562人。うち2225人から回答を得た(回収率86.8%)。


帰国者の平均年齢
58.3歳


生活保護の受給状況
65.5%(世帯割合)


就労状況
(ア)60歳未満の孤児の就労状況

29.2%

(イ)世帯で見た場合の就労状況

60.6%

(ウ)就労者の職業
(エ)就労収入

技能工,製造・建設・労務作業が87.4%
平均22万円(世帯合計)

(一般世帯の平均就労収入は50万5000円)
(オ)就労していない理由

傷病のため
日本語が不十分


68.8%
23.1%

日本語の習得状況(独力で日常生活を営める程度の会話(買物や交通機関,郵便局,銀行等において日本語の会話により自分一人で用事を済ませること。以下同じ。)ができるようになるまでの期間)
帰国前

0.3%

帰国後1年未満

27.4%

1年以上2年未満

17.7%

2年以上3年未満

8.1%

3年以上

13.7%

未習得

32.7%

(3)厚生省は,平成11年度調査を踏まえつつ,自立支援法に基づく帰国者の援護施策の有機的な組合せ及び活用に関する検討を行う中国帰国者支援に関する検討会(以下帰国者支援検討会という。)を開催することとし,淑徳大学教授(座長),中国帰国者問題同友会代表幹事,中国帰国者三互会会長,中国残留孤児問題全国協議会理事長,自立指導員(千葉県自立研修センター通訳兼相談員),中国帰国者(財団法人中国残留孤児援護基金職員)等の有識者11人が構成員となって,平成12年5月24日から7回にわたって検討を重ね,同年12月4日,同検討会は,中国帰国者支援に関する検討会報告書(以下検討会報告書という。)を厚生大臣に提出した。同報告書は,帰国者の自立支援施策の評価として,帰国者については,懇談会の提言においても指摘されているように,中国と日本の言語や生活習慣の違いから,日本社会に定着適応する上で多大の困難がある。このため,昭和59年に中国帰国孤児定着促進センター(平成6年に中国帰国者定着促進センターに名称変更)が開設され,帰国者はここで基礎的な日本語や生活習慣の指導を受けた上で,各都道府県の公営住宅などに居住するようになった。さらに,昭和63年には各地に中国帰国者自立研修センターが開設され,中国帰国者定着促進センターの研修課程(4ケ月)を終了した帰国者がそれぞれの居住地において日本語の指導,生活相談及び就労相談を受けられるようになった。懇談会の提言があった当時,帰国者本人の年齢は,主として40∼50歳代であり,新たな生活環境に溶け込むには努力が必要であったものの,就労することが可能な年齢であり,帰国者本人が日本へ帰国することを切望してきたことや,孤児の肉親の判明率も高く親族の支援が得られるなど,現在に比べれば自立に有利な条件が比較的整っていたと言えよう。こうした中で,国の行う援護施策は帰国後比較的短期間に限って行われていたが,帰国者の自立に一定の効果を上げることができた。しかし,戦後50年以上を経過した今日では,実態調査で明らかになったように,帰国者の日本社会での自立は一層難しくなっている。また,帰国者本人に同伴する二・三世は,中国で中国国民として生まれ,生活を送ってきた人々であり,年齢は比較的若いものの,日本語や日本の生活習慣については基礎的な知識も有しない者が大多数であるから,日本社会への適応には本人及び関係者の相当な年月にわたる努力を要することになる。このように,懇談会の提言があった当時と現在とでは,帰国者像に著しい変化があることから,自立支援施策については,こうした実態を踏まえて再検討する必要が生じるに至った。との評価を示した上で,今後の施策の方向について,帰国後当面の支援から継続的支援への転換,高齢化や二・三世の増加に応じた支援の実施等が必要であるとして,日本語習得,就労支援,生活相談等の具体的支援方策についての提言を行った。
(4)平成15年4月1日を基準日として実施した生活実態調査の調査結果(以下平成15年度調査という。)は,以下のとおりである(イ以下の統計数値は,特に断りのない限り,全て孤児本人又は孤児世帯を対象としたもの)。

調査対象者
日中国交正常化以降,基準日前日までに永住帰国した中国帰国者本人(促進センター入所中の者や死亡した者等を除く。)5208人。うち4094人から回答を得た(回収率78.6%)。


帰国者の平均年齢
61.5歳(帰国者全体では66.2歳)


生活保護の受給状況
61.4%(世帯割合)


就労状況(帰国者全体)
(ア)現在就労中の者

13.9%

(イ)就労していない理由

高齢のため
傷病のため


50.3%
39.1%

日本語習得状況
(ア)日本語の理解度
日常生活のほとんどの会話に不便を感じない

16.2%

買物,交通機関の利用に不自由しない

35.3%

片言の挨拶程度

38.7%

全くできない

8.4%
(無答

1.4%)

(イ)日本語の習得期間(日本語習得者の独力で日常生活を営める程度の会話ができるようになるまでの期間)
帰国後3か月未満

9.2%

3か月以上6か月未満

10.6%

6か月以上1年未満

18.3%

1年以上2年未満

20.4%

2年以上3年未満

10.1%

3年以上

29.7%
(無答

1.8%)

(5)本訴提起後,本件及び当庁に係属中の別件同種訴訟(当庁平成17年(ワ)第1836号)の各原告ら(孤児本人が死亡して相続人が原告となっている者を除く。)197人を対象として,政府の行った各種施策の実施状況等に関するアンケートが実施され,うち172人から得られた回答を集約したアンケート調査結果(以下本件アンケートという。)(甲138)が作成された。
9
原告らの永住帰国時期等
原告ら168人の年齢(終戦時,永住帰国時,現在),身元判明の有無,永
住帰国時期,就労の有無,生活保護受給の有無等は,それぞれ別紙2原告らの永住帰国時期等記載のとおりであり,これらを数値化して整理すると,以下のとおりである。
(1)永住帰国時期
最も早いのが昭和52年1月(原告番号2070)
最も遅いのが平成12年8月(原告番号3007)
(2)就労の有無
現在22人が就労中(就労率14.1%。死亡孤児12人を除く。)(3)生活保護受給の有無
現在93人(世帯)が生活保護を受給中(受給率59.6%。死亡孤児12人を除く。)
第6
1
早期帰国実現義務違反の有無に関する当裁判所の判断
早期帰国実現義務の有無及び法的根拠
(1)原告らは,被告が原告らに対して負うべき早期帰国実現義務(原告らの帰国が実現するように,その時々において可能な限りのあらゆる手段を尽くすこと)は,被告の先行行為(国策による満州移民,ソ連参戦と軍による開拓民の保護の放棄,終戦時の開拓民の現地定着方針)に基づき発生する条理上の作為義務であると主張し,これを支える法的根拠として,憲法,国際法(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約,国際的武力紛争の犠牲者の保護に関し,1949年8月12日のジュネーブ諸条約に追加される議定書,日本国との平和条約,世界人権宣言,市民的及び政治的権利に関する国際規約,経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約,児童の権利に関する条約),外務省設置法,厚生省設置法,留守家族援護法,未帰還者特別措置法,自立支援法を挙げている。そして,このような先行行為に基づく被告の義務は,先行行為の終了と同時に発生し,原告らが残留した地を実効的に支配する中華人民共和国が成立して,被告が同国
の協力を得て孤児の引揚げを実現することが可能となった昭和24年10月1日の時点において,被告の早期帰国実現義務違反が認められると主張している。
そこで,まず初めに,被告の原告らに対する早期帰国実現義務が認められるか否かにつき検討する。
(2)自国民がその意に反して自国からの離脱を強制させられたり,あるいは在外自国民にとっての不可抗力というべき事態の発生により,その意に反して国外に残留を余儀なくされたりした場合において,国家が自国民保護のための措置を講じるべき責務を負うことは,条理等を持ち出すまでもなく,近代国家の本質上,当然の理であるといわなければならない。
そして,このような在外自国民の境遇が,ほかならない国家自身の政策に起因して創出された場合においては,国家には,条理に基づき,国策に起因して生じた自国民の危難や意に沿わない国外残留の事態をできるだけ速やかに解消するために,具体的状況下において可能な限度で実効的な自国民保護のための施策を立案・実施すべきことが,当該在外自国民との関係における法的な義務として課せられたものと解するのが相当である。
(3)本件において,原告ら(ただし,原告番号2068を除く。以下特に断りのない限り,第6及び第7の判示において同じ。)が戦後中国に長期間残留することを余儀なくされたのは,前記認定事実1の満蒙開拓団をめぐる戦時中の歴史的経緯と残留孤児の発生に至った状況に照らせば,正しく国策に起因したものであったというべきである。
すなわち,政府は,満州国の建国後,日本国内の過剰人口の抑制と,将来の対ソ戦を念頭に置いた満州での軍事力と軍需品生産力の増強を目的として,大量の日本人開拓民を満州に移住させることを国策として積極的に推進し,開拓民の多くをソ連国境に近い北満地域に定住させた。
他方,太平洋戦争の戦局が目に見えて悪化し,南方転用が相次いだ関東軍
の兵力も著しく弱体化していく中,大本営は,昭和19年9月,従来の対ソ攻勢準備の作戦計画を根本的に転換して,北方静謐を旨とし,万一ソ連軍が侵攻してきた場合には,満州の4分の3に当たる地域を放棄して,満州の南方山岳地帯を確保して持久戦を図ることを決定し,関東軍も,新作戦計画に応じて,極秘裏に主力部隊を後退させた。そして,ヤルタ会談が行われた昭和20年2月ころを境に,ソ連軍の東方への兵力移送の動きが急速に活発化しだし,同年4月にはソ連が日ソ中立条約の不延長を一方的に通告してきたという情勢の中,大本営は,同年5月上旬の時点において,同年の夏・秋以降はソ連軍の侵攻に特に警戒を要するとの判断を示しており,近い時期に日ソ開戦の事態に至る可能性が高いことを知悉していた。しかし,このようなソ連軍の満州侵攻の危険が目前に迫っていたことや,関東軍の守勢転向の事実は,対ソ防諜の方針の下,開拓民には一切知らされることはなかったし,しかも,根こそぎ動員によって,開拓団に残されたのは大半が老幼婦女という無防備に等しい状況と化していた。
そのような中,同年8月9日,ソ連軍が満州に侵攻を開始し,不意に居住地が戦場と化した国境付近の開拓民は,決死の逃避行を余儀なくされ,過酷を窮めた避難生活とこれに引き続く難民生活の過程において,多くの悲惨な犠牲が生じた。そして,肉親と生別又は死別を余儀なくされた開拓民の子らは,現地住民に託されたことで何とか生き長らえ,その後も中国の養父母の養育下で成長することとなった結果,多数の残留孤児が発生したものである。以上の次第であるから,原告らが終戦後もその意に反して中国に残留を余儀なくされたという事態は,政府による大量の日本人の満州移民政策と,開戦必至と目された対ソ戦の新作戦計画下における開拓民保護策の欠如という国策に起因して創出されたものであったと認められ(なお,原告らの中には,開拓民の子ではない者(原告番号1010,1011,1023,2003),終戦の約3年前に中国人の養親に預けられた者(同2096),終戦
の約1年半後に中国で出生した者(同1019)も存在するが,戦時中の日本人の満州渡航には多かれ少なかれ国策的な色彩があり,満州に渡った日本人の子が孤児となった点において,他の原告らと区別する必要はない。),戦後の国家機能を回復した政府においては,原告らに対し,原告らの意に沿わない国外残留の事態をできるだけ速やかに解消するために,具体的状況下において可能な限度で実効的な原告らの帰国実現のための施策を立案・実施すべきことが,条理に基づく法的な義務として課せられたものというべきである。
(4)なお,原告らの主張する政府による終戦時の開拓民の現地定着方針について付言すると,ポツダム宣言受諾時に,政府が在外公館に対し,居留民はできる限り現地に定着させる方針を執るとともに,現地の居留民の生命・財産の保護につき万全の措置を執るよう指示を発し,昭和20年9月24日の次官会議においても同様の方針が確認され,外務省を中心とする海外部隊並に海外邦人帰還対策委員会第一部会がこの援護に当たることと決定されたことは事実と認められる(甲31,乙1)。
しかし,他方で,在満邦人との関係で,上記現地定着方針が具体的にどのように実行に移されたのかは明らかでない上に,同年10月25日にGHQの指示により政府の外交機能が全面的に停止させられたことによって,在外一般邦人が各地域の連合国軍と当該国官憲の強制命令又は終戦に伴って発生した現地の混乱によって生活手段を喪失し,残留することが極めて危険,不安な状態となったため,日本に引き揚げざるを得ないこととなったとされていること(乙1)に照らすと,現地定着方針が現実に実行に移されたとは認められないというべきである。
そもそも,満州地域においては,当該地域を管理するソ連軍が,政府等から度重なる在満邦人の保護の要請が行われたにもかかわらず,これに全く対処することなく,昭和21年4月に満州を撤退するまで,在満邦人の本国送
還に全く関心を示さなかったのであるから(甲37の2,乙1,47,59),現地定着方針の有無にかかわらず,在満邦人の窮状や引揚げの遅延が生じることに変わりはなかったものといわざるを得ない。
したがって,政府の現地定着方針が残留孤児の発生拡大の一因をなしたものとは認め難く,これを被告の原告らに対する早期帰国実現義務発生の前提となる国策と位置付けるのは相当でないというべきである。
(5)なお,前記第3の4のとおり,原告番号2068は,いわゆる朝鮮残留孤児であって,同原告が孤児となったり,その後も国外に残留を余儀なくされた事情を他の原告らと同列に論じることはできず,原告番号2068に関しては条理上の早期帰国実現義務を基礎付ける具体的事実(国策起因性)の主張立証がないことからすれば,被告の同原告に対する法的義務としての早期帰国実現義務を認めることはできないといわざるを得ず,この点において既に,同義務違反の主張に基づく同原告の請求は理由がない。
(6)ところで,前記(2)及び(3)に判示のとおり,被告は原告らに対して早期帰国実現義務を負うに至ったものと認められるが,前記認定事実2(1)及び(2)のとおり,終戦後の日本はGHQの占領政策下に置かれており,政府の外交機能が全面的に停止された状況下において,在外邦人の引揚援護業務についても,占領政策の一環としてGHQの管理の下に行われており,現に,前記認定事実4(1)イのとおり,この間に政府が独自に引揚者から未帰還者に関する情報収集を行うに当たっても,占領下の各種制約を受けて,十分な調査が困難な状況にあった。
政府が在外自国民の保護策を講じるためには,事柄の性質上,政府が自らの判断・権限で関係国と交渉し得る対外的地位を有することが必要不可欠と解されるところ,GHQの占領下で政府の外交機能が全面的に停止された状態においては,政府自らが在外自国民保護のための施策を能動的・有機的に立案・実施することは現実には不可能であったといわざるを得ない。
したがって,昭和27年4月28日に日本が主権を回復し,外交機能が正常化するまでの間は,被告の原告らに対する法的な義務としての早期帰国実現義務は,未だ現実化していなかったものと解するのが相当である。(7)他方,被告は,①早期帰国実現義務なる義務内容が不特定である,②国自体が作為義務を負うことを国の代位責任を規定する国家賠償法は予定していない,③原告らの主張する損害は,原告らの主張する被告の違法な先行行為自体によって既に発生しており,これに係る原状回復義務は発生しない,④原告らの主張する損害は,不意のソ連参戦に伴う開拓民の避難行動の過程で生じた極度の混乱と,それに引き続く難民としての越冬生活等に起因するものであり,原告らの主張する被告の先行行為は作為義務発生の根拠とはならない,⑤国家賠償法施行日(昭和22年10月27日)より前の違法な先行行為に起因する危険につき,同法施行後の不作為を理由として損害賠償責任を認めるのは,同法附則6項の趣旨(国家無答責の法理)に反する,⑥原告らの主張する損害は戦争損害ないし戦争犠牲にほかならず,補償の要否・在り方は立法裁量に委ねられると主張して,被告には原告らに対する早期帰国実現義務は認められないか,あるいは原告らの主張する損害に係る損害賠償請求はそもそも認められないと反論するが,以下に判示するとおり,いずれも採用できない。

①について
被告において,原告らの帰国をできる限り早期に実現させるための可能な限度での施策を,その時々の具体的状況に応じて講じるべきであるという義務の性質上,その内容が抽象的で一義的に確定し難いことは否定し得ないが,原告らの主張上,被告が執るべきであったとする施策内容は,各時期に応じてある程度具体化されており,判断の対象となる義務内容がおよそ不特定とまではいえない。


②について

原告らの早期帰国実現義務違反の主張は,具体的には,海外における邦人の保護等を任務及び所掌事務とする外務省(旧外務省設置法(昭和24年法律第135号,昭和26年法律第283号)3条8号,4条17号,26号(昭和26年法では27号))の長である外務大臣と,引揚援護を任務及び所掌事務とする厚生省(旧厚生省設置法(昭和24年法律第151号)38条,4条2項1号,5条101号,105号,108号の2(4条2項1号以下は,昭和27年法律第273号等の改正法により追加))の長である厚生大臣(なお,平成13年1月6日より旧外務省設置法及び旧厚生省設置法に替わり現外務省設置法(平成11年法律第94号)及び厚生労働省設置法(平成11年法律第97号)が施行されたが,前記認定事実9(1)のとおり,原告らはいずれも同施行日前に永住帰国している。)を義務違反の主体たる公務員と特定するものであって,個別の公務員の違法な公権力の行使により国民に損害が生じた場合において,国又は公共団体が代位責任を負うことを規定する国家賠償法の枠組みから逸脱するものではない。
そもそも,国の行政権は内閣に属し(憲法65条),国の行政作用は全て内閣の統轄の下に行われるものであるから,国策に起因して生じた自国民の意に沿わない国外残留という国家的対処が求められる事態に関し,各行政機構がその任務と所掌事務に応じて具体的な対応をすべきことは当然であり,同時に,ここにおいて個別の公務員の作為義務を論じることが可能であるから,国自身が早期帰国実現義務を負うとするのは,単なる表現の問題にすぎない(本判決においても,便宜上,被告自身を義務主体として表記することがあるが,上記のとおり,法的な意味での義務主体は,外務大臣・厚生大臣の意味である。)。

③及び⑤について
早期帰国実現義務違反に起因するものとして原告らの主張する損害の根
幹(帰国の遅延による人格権侵害)は,前記残留孤児発生の基となった国策の遂行後,戦争による混乱が収束した状況下において(前記(6)に判示のとおり,政府が国家の本来的責務である在外自国民保護のための具体的施策を執り得る地位を回復したのは,主権を回復した昭和27年4月28日と解するのが相当である。),被告が原告らの早期帰国実現のための措置を講じなかったことにより発生したものと解され,上記国策の遂行それ自体を違法行為とし,これによって直接生じた事態に係る損害の賠償を求めるものではないし,また,損害の性質上,国家賠償法施行後(昭和22年10月27日以降)の被告の違法行為により逐次発生するものを意味することも明らかである。
そもそも,前記(2)に判示のとおり,国家が在外自国民を保護すべき責務を負うのは当然の理であって,これに加えて,当該自国民の意に沿わない国外残留の事態が国策(これが法的に違法か否かは問われない。)に起因して創出されたとの前提事情が存在する場合には,国家に当該在外自国民との関係で条理上の早期帰国実現義務が発生すると解されるのであるから,原告らの主張が,戦前の国家政策の違法性を戦後の国家政策の不作為に仮託して追及することを意図したものではないことは明らかであり,いわゆる国家無答責の法理を潜脱するものとは解されないというべきである。エ
④について
多数の残留孤児が発生することとなった直接の契機が,日ソ中立条約を無視したソ連の参戦とその後の開拓民の過酷な避難民生活等であったことは否定できないが,満州移民政策と開戦必至と目された対ソ戦の新作戦計画下における開拓民保護策の欠如という前記国策がその契機を導く根幹的背景事情であったと認められる以上,これをもって被告の条理上の早期帰国実現義務を認めることに支障はないというべきである。


⑥について

原告らが終戦後も中国に残留を余儀なくされたのは,確かに敗戦に伴って生じた事態といい得るが,他方で,日本が主権を回復し,かつ,前記認定事実3(1)イのとおり,中国政府も残留邦人の引揚げに関する協力姿勢を表明するに至った昭和27年末ころの時点においては,もはや戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態とはいい得ないことは明らかである。したがって,同時点以降,被告が原告らの早期帰国実現に向けた国家としての本来的責務を懈怠した場合において,これに伴って原告らの強いられた犠牲(損害)を,非常事態下で全国民が多かれ少なかれ等しく受忍しなければならない生命,身体,財産の犠牲,すなわち戦争犠牲ないし戦争損害と解することはできないというべきである。
2
早期帰国実現義務違反の有無の判断基準
(1)上記1に判示のとおり,被告においては,日本が主権を回復した昭和27年4月28日以降,原告らに対する早期帰国実現義務を負っていたことが認められるが,具体的な早期帰国実現義務違反の有無の判断に当たっては,以下の特殊性を考慮する必要がある。
(2)第一に,早期帰国実現義務という義務自体に本質的に内在する抽象性・相対性である。
早期帰国実現義務の核心は,被告がその時々の具体的状況に応じた可能な限度での施策を講じて,原告らの帰国ができる限り早期に実現するように努めるべきというものであるところ,個々の時点における可能な限度での施策なるものは,国内的・国際的諸情勢に大きく左右される多分に流動的で不確定なものであるし,また,義務履行の到達点となる早期帰国実現というのも,究極的には個々の原告らがより早期に帰国を実現し得た可能性の有無・大小を問題とするものにほかならないから,必然的に流動的で不確定な要素を含まざるを得ず,その意味において,早期帰国実現義務には抽象的・相対的な側面が伴うことは避けられない。

そうすると,具体的状況下において,原告らの早期帰国実現のための施策としていかなる選択肢が考え得るのかの検討・分析を行い,その中から政府として何を採用するのかの判断に当たっては,現実に関係事務を所掌する行政庁(外務省・厚生省)の相当広汎な裁量の存在を前提とせざるを得ないというべきである。
(3)第二に,早期帰国実現義務の遂行過程に占める国際的側面の大きさである。中国各地に散在する孤児の帰国を実現するためには,その前提として,政府において,まず個々の孤児の消息・所在を具体的に把握し,その上で当該孤児に帰国意思があるかどうかを確認する必要がある(被告が早期帰国実現義務を負うといっても,政府として孤児に帰国を強制することまではできない。)。しかし,孤児が日本の主権が及ばない地に所在しているという制約上,政府が単独で行い得る消息・所在調査と帰国意思の確認作業にも自ずから限界があり,中国側の協力が得られなければ,実効的な調査・確認作業は行い得ないし,また,帰国を希望する孤児が実際に帰国を果たすためには,中国からの出国について,現実に孤児を居住民として管理する中国側の協力を得ることも必要となる(実際の出国の際には,中国政府の出境(出入国)許可証が必要となった。甲17,119の19,甲C13の6,乙141,180)。
このように,被告が早期帰国実現義務を遂行する過程においては,中国側の協力が必要不可欠となる部分が大きいという関係上,政府の意思決定のみをもって成果を推し量ることはできず,外交に伴う諸々の流動的で不確定な要素の影響を受けざるを得ない。
そして,このことは同時に,現実に中国側の協力が得られるかどうかは,優れて政治的な日中間の外交関係に強く影響されることが避けられないことを意味する。一般に,二国間に国交がない状態においては,正常な国交がある状態と比較して,必然的に政府間交渉で解決可能な問題の幅も限られてく
るし,このことは,仮に当該交渉事項が人道問題であったとしても,多かれ少なかれ同様に妥当する。そうすると,昭和47年9月29日に日中間の国交回復が達成される前の段階においては,早期帰国実現義務の遂行上大きな比重を占める中国との間の外交交渉に関し,政府として現実になし得る方策も大幅な制約を受けることを余儀なくされたものであるから,国交回復後の段階と比較すると,早期帰国実現義務に違反するとの判断を行うことはより一層困難であるといわざるを得ない。
(4)以上の点を考慮すると,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無の判断に当たっては,政府(具体的には外務大臣・厚生大臣)が実際に講じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,当時の具体的状況の下で著しく不合理なものであったといえるのでない限り,当該措置ないし不作為が同義務に違反して国家賠償法上違法となると評価することはできないというべきであり,特に,日中国交回復前の段階においては,日中間に国交がなかったという外交的事情を念頭に置いた上で違法性の判断をすべきものと解するのが相当である。
(5)これに対し,原告らは,第二の点に関し,日中間の国交の不存在は,多数の孤児が中国に残留していることを認識した上でなした政府の政治的判断の結果であり,この一事をもって,原告らの早期帰国実現可能性を欠くないし著しく低いとして被告を免責するのは不当であると主張する。
しかし,そもそも,主権回復後も日中間に国交が開かれなかったのは,当時の厳しい冷戦体制の中で,時の政府が国益に適うとの判断の下に,共産圏である中国と対峙する路線を選択した政治的判断の結果であって,これによって中国との間で孤児の帰国実現に向けた外交交渉を行う余地が狭まり,結果的には孤児の早期帰国実現が困難となった側面があるとしても,その法的責任を国交を開かなかった上記政治的判断に帰する結果を認めるのは相当でない(原告らの主張上も,上記政治的判断それ自体を違法と主張する趣旨で
はないと解される。)。
もとより,国交の不存在の一事をもって被告が免責されるものでないことは,前記早期帰国実現義務の成立根拠に照らして当然であるが,その一方で,現実問題としては,日中間の国交不存在の事実が原告らの早期帰国を実現する上で大きな障壁となった面は否定し得ないのであって,この点が早期帰国実現義務違反の有無の判断にも相当強く影響を及ぼす結果となる(義務違反否定の判断方向に作用する)のはやむを得ないというべきである。(6)また,原告らは,①本件は国の作為に起因する自国民の危険状態を回避させるための作為義務の懈怠が問われる事案で,被告の違法・責任の程度が当初から大きい,②本件は規制権限不行使型とは異なる作為起因性の不作為事案で,被告のみが危険の創出者であり,同時に危険を解消できる立場にある,③原告らの被害(法益侵害の程度)が極めて重大である,④原告らは日本人でありながら,日本での参政権(公務員の選定罷免権)の行使が不可能な状況に置かれており,立法・行政の過程に関与し得なかった分,司法的救済の必要が高いとして,被告の裁量の余地は極めて限定されるべきであると主張する。
しかし,①及び②については,国策に起因して孤児が発生した事実は,条理上の作為義務を導く根拠ではあっても,同事実自体から直ちに違法性判断の具体的基準が帰結される関係にあるものとは解されず(国策が違法か否かや違法の程度如何にかかわらず,国家は等しく条理上の早期帰国実現義務を負うものと解される。),これに関しては,前記(2)及び(3)に判示の早期帰国実現義務の性質上,行政庁の広汎な裁量権の存在を前提にせざるを得ないこと,③についても,上記と同様に行政庁の裁量の幅が広くなるのはやむを得ないこと,④については,翻って考えると,優れて政治的な日中国交断絶等の政府の政策判断自体を法的に非難する結果となることに照らし,いずれも採用できない。

3
日中国交回復前の早期帰国実現義務違反の有無
(1)上記2の判示を前提に,日本が主権を回復した昭和27年4月28日以降,日中国交回復が実現する昭和47年9月29日までの間における被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無につき検討する。
(2)主権回復後,後期集団引揚げ終了までの間の早期帰国実現義務違反の有無ア
国内・国外情勢の概況
昭和27年4月28日,主権を回復した政府は,原告らの早期帰国を実現すべき義務を現実的に負うこととなったところ,前記認定事実4(3)アのとおり,昭和29年5月1日現在における中国地域の未帰還者数は5万2169人で,そのうち孤児の数は約2500人と把握されていたのであるから,政府は,未だ相当数の孤児が引き揚げることなく中国に残留している事実を認識していた。また,前記認定事実4(1)のとおり,主権回復以前から,政府は,留守家族から未引揚邦人届の提出を受ける等の未帰還者に関する資料や情報の収集と各種調査を全国規模で行うなどして,占領下の制約があった中でも未帰還者の調査究明を推進しており,同業務を行うに当たって活用可能な資料(究明カードの基礎となる資料)を一定程度収集・蓄積していた。
他方,政府がアメリカの強い意向の下に単独講和路線と日台条約の締結を選択した結果,昭和47年に至るまで,日中間には国交が断絶した状態が続くこととなった。
以上の概況を踏まえて,後期集団引揚げ終了までの間の政府による引揚援護業務の実施状況等に照らし,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反が認められるか否かにつき検討する。


後期集団引揚げ及び個別引揚者に対する援護
上記期間における残留邦人の引揚げの大多数は,昭和23年以来中断されていた集団引揚げの再開によって実現することとなった。

前記認定事実3のとおり,昭和27年12月1日に中国政府が発表した,残留邦人の引揚げ問題に関し,政府が船の問題を解決するのであれば,中国側は残留邦人の帰国に協力する意思があるので,日本側の適当な機関等の代表を派遣して中国紅十字会と具体的な話合いをされたい旨の声明に応じて,政府は,正規の外交ルートを通じた対応に代えて,同問題を全くの人道上の問題として,赤十字機関の仲介により同問題の解決に当たることとし,日本側の引揚三団体と中国紅十字会との間の協定により,昭和28年3月以降,残留邦人の集団引揚げが再開されることとなった。集団引揚げは,中国側の通告によって途中一時中断も生じたが,昭和33年7月までの間に21次にわたって行われ,これによって合計3万2506人の帰国が実現した。しかし,同年5月に発生した長崎国旗事件を契機に,日中間の交流は一切断絶することとなり,集団引揚げも終了を余儀なくされ,同年末時点で2万1287人と把握されていた未帰還者が,集団引揚げが途絶したまま中国地域で残留ないし生死不明の状態に置かれることとなった。
また,集団引揚げ以外にも,前記認定事実2(3)のとおり,政府は,個別引揚者の船運賃を国庫負担とする措置を講じており,個別引揚げに際しての経済的負担を緩和することを通じて引揚げの促進を図っていた。ウ
日中政府間のジュネーブ交渉
(ア)前記認定事実3(3)及び(4)のとおり,後期集団引揚げが断続的に行われている最中に,政府は,残留邦人問題の早期解決を図るため,中国政府に対し,人道上の問題として残留邦人の引揚げと消息調査の促進への善処をジュネーブ駐在の両国領事官を通じて直接要請するという重要な外交上の打開策を講じている。
(イ)最初の交渉申入れは,昭和30年3月の第11次引揚げ以降,しばらく集団引揚げの空白期間が生じていた同年7月1日に行われ,政府は,
中国政府に対し,残留邦人のうち帰国を希望している者の帰国援助と消息不明となっている日本人4万人の状況調査について,人道上の問題としてできる限りのことをされるよう希望する,政府としては,中国政府と協力して,有用な資料やどのような可能な方法をも提供する用意がある旨を申し入れた。
しかし,これに対する中国政府の回答は,状況不明の日本人といったものは中国にはいない,残留邦人の帰国問題は既に引揚三団体及び中国紅十字会によって適切に解決されているとして,政府の上記申入れには応答しない姿勢を示す一方で,政府に対し,国交正常化交渉を提案するものであった。
上記回答に対し,政府は,同年8月29日,同問題は純然たる人道上の問題であるとして,再度上記申入れに対する中国政府の善処を要請したが,政府の期待する返答は得られなかった。
(ウ)次いで,政府は,同年10月20日,中国政府に対し,中国側から発言のあった戦犯の一部を含む残留邦人の年内送還計画の有無についての確認と,送還の際には政府自ら又は日本赤十字社によりこれらの送還者を受け取る用意がある旨を申し入れた。
しかし,中国政府の回答は,状況不明の日本人の問題は侵略戦争を行った政府の問題であるとして,その存在を再度否定するとともに,国交回復前においては,両国居留民の往来の問題は,しばらくの間両国の民間団体に処理を委託するほかない旨の見解を述べて,改めて国交正常化交渉の提案を行うにとどまった。
(エ)その後,引揚三団体と中国紅十字会の両代表の間で成立した天津協定に基づき,釈放戦犯等の引揚げが実現したが,その一方で,昭和32年5月から同年6月にかけて東南アジアを訪問した岸信介首相が行った反共・対中敵視の発言に対し,中国政府は反発を強め,同月5日に衆議
院海外同胞引揚特別委員会委員長が,残留邦人の引揚げ等の問題に関して委員と政府職員若干名の訪中を申し入れたことに対しても,引揚三団体宛に訪中拒否の回答が寄せられるような状況であった。
集団引揚げ人員数は,再開当初の昭和28年には約2万6000人を数えたものの,昭和29年,30年,31年にはそれぞれ約1100人,約1800人,約1200人と極度に閑散化し,留守家族団体から再び政府間の直接交渉の推進を求める声も高まっていた(乙1)。
(オ)このような情勢の中,政府は,昭和32年5月13日,約1年半ぶりにジュネーブ交渉を再開することとし,中国地域の未帰還者3万5767人の姓名等と最終消息が記載された名簿を中国政府に手交して,生死の状況等の調査を具体的に依頼した。
しかし,これに対する中国政府の回答は,行方不明の日本人なるものは中国には存在せず,侵略戦争で行方不明となった日本人の問題について,中国政府は何ら責任を負うものでない旨の前述の姿勢を改めて強調するとともに,岸首相による一連の非友好的な発言・行動と,政府が再び行方不明の日本人の問題を持ち掛けてきたことに対する強い不満を表明するものであり,政府が未帰還者名簿を手交して行った消息調査の依頼に対する協力は得られなかった。
(カ)このように,政府は,残留邦人問題に関し,三次にわたってジュネーブ交渉を継続してきたものの,結局,中国政府の協力を得ることはできず,政府間交渉は成果を上げられないまま暗礁に乗り上げる結果に終わった。

未帰還者の調査
残留邦人の引揚げ促進と並行して,前記認定事実4(3)のとおり,政府は,帰還者からの情報や現地残留者からの通信等の手掛かりを通じて,未帰還者の調査究明を推進していた。政府は,各種調査を通じて収集・蓄積
した未帰還者の資料を,究明カードとして未帰還者一人毎に集約・整理して,未帰還者調査の遂行過程で有効に活用することとし,また,国とともに未帰還者の調査に当たる都道府県との間でも,究明会議を開催して情報を交換し,都道府県と連携しての効率的な調査の実施に努めていた。オ
早期帰国実現義務違反の有無
(ア)以上に判示したところによれば,政府は,主権回復後間もなく,引揚三団体を通じて残留邦人の集団引揚げを再開する段取りを整え,これによって,昭和29年5月1日時点で5万2169人と把握されていた中国地域の未帰還者のうち,3万2506人の集団引揚げが実現し,その間にも,三次に及ぶジュネーブ交渉を通じて,中国政府に対し,人道上の見地からの残留邦人の引揚げと消息調査の促進の申入れや,有用な資料等の提供の用意がある旨の申出,未帰還者名簿の交付を行っており,日中間に国交がなく,残留邦人の引揚げ問題を正規の外交ルートを通じて処理することが困難な状況の中で,未帰還者の消息・所在調査と帰国意思の確認作業について中国側の協力を得るべく,政府として相当な外交的努力を尽くしていたものと評価し得る。
また,集団引揚げ以外の個別引揚者に対しても,引揚げを容易にすべく経済的支援措置を講じているし,国内での未帰還者調査の面においても,未帰還者毎に究明カードを作成して随時情報の収集・照合を行い,都道府県とも連携して未帰還者の調査究明を推進するなど,引揚げと未帰還者調査の促進のために政府としてなし得る相当な努力を払っていたものといい得る。
(イ)これに対し,原告らは,政府は日中国交断絶と対中敵視政策との政治的選択を行った中で,残留孤児の帰国実現という課題について終始消極的な姿勢を取り続けたと主張し,具体的には,①孤児の特殊性に配慮しなかった結果,後期集団引揚げにおける孤児の帰国者数が極めて少数
にとどまったこと,②未帰還者名簿に基づく孤児の消息調査の要請を継続しなかったこと,③孤児の個別引揚げを促進する措置を執らなかったことが被告の早期帰国実現義務違反であるとするが,以下に判示するとおり,いずれも採用できない。
(ウ)①について
前記認定事実3(6)のとおり,後期集団引揚げにおける引揚者3万2506人のうち,孤児の総数は93人であり,前記認定事実3(4)アの厚生省作成の未帰還者名簿において,孤児が2053人登載されていることにも照らすと,一般邦人に比して,孤児の帰国者数が極めて少数にとどまったことは否定し難い。
しかし,昭和29年5月1日現在の中国地域における未帰還者数が5万2169人とされ,後期集団引揚げ終了の年である昭和33年末時点においても,なお2万1287人の未帰還者が残存しているとされ,未だ相当数の一般邦人が未帰還者として把握されていた状況に鑑みれば,後期集団引揚げ期間中において,政府が孤児の特殊性に配慮した特段の措置を自らあるいは引揚三団体を通じて講じなかったことが不合理であったとはいい難い。
(エ)②について
前記ウに判示のとおり,政府は,第1次ジュネーブ交渉時から,中国地域で消息不明となっている日本人の状況調査を中国政府に申し入れ,第3次交渉時には未帰還者3万5767人を登載した具体的な名簿も手交していたところ,これに対する中国政府の対応は,一貫して中国国内には行方不明の日本人なるものは存在しないとして,国交正常化交渉の提言か,あるいはこれに応じようとしない政府の姿勢への非難を行うものであった。前記認定事実3(4)アのとおり,同名簿に登載の未帰還者の大半(第2類ないし第4類に分類の約3万人)は,同名簿の作成基準
時(昭和32年1月1日現在)から8年以上消息がない者であり,また,特別の事情がない限り現在も生存している公算が大であるとする第2類登載者(2705人,うち孤児1647人)についても,中共側の調査により大部の消息が判明するものと考えているとされ,消息の究明には中国側の協力が不可欠の前提とされるなど,大多数の未帰還者については,中国側の協力が得られない限り,政府において帰国意思の確認の前提となるべき残留邦人の消息や所在を具体的に明らかにすることは極めて困難な状況であったことは明らかである。
そうすると,同名簿の手交をもって具体的になした人道的見地からの未帰還者の状況調査の依頼に対しても,中国政府の対応姿勢が上記のような堅固なものであった以上,政府において,それ以上に同名簿に基づく孤児の消息調査の要請を中国政府に行わなかったことをもって,これが不合理であったと評価することはできないというべきである。前記認定事実3(5)アのとおり,第3次ジュネーブ交渉に対する中国側からの回答があった翌月の昭和32年8月に中国を訪問した留守家族団体全国協議会会長有田八郎が,中国側との間で残留邦人問題に関する覚書を交換した際にも,

中国,日本両国は今日なお国交が回復されていないので中国側は現在中国にいるおよそ6千人の日本人居留民の名簿を日本に手渡すことはできない。

との中国側の姿勢が表明されていることに照らしても,両国間の国交が断絶した状況においては,政府としてなし得る外交上の方策にも限界があったことが窺われる。なお,政府が対中敵視政策を採ったことや,中国政府からの国交正常化交渉の提案に応じる姿勢を示さなかったことは,時の政府が国益に適うものとして行った政治的判断の結果にほかならないから,このことを法的非難の対象とするのは相当でない。
これに対し,原告らは,中国側は中国国内で生存する日本人について
の調査や帰国の援助を拒否する姿勢は示していなかったのであり,中国側の協力が得られる可能性があったにもかかわらず,政府は未帰還者名簿に基づく孤児の消息調査の要請を継続すべき義務を放棄したと主張する。
しかし,上記覚書においても,中華人民共和国成立(昭和24年10月1日)以前に中国国内にいた日本人については,原則として調査の対象外であるとの中国側の姿勢が表明されており,同名簿に登載された孤児のうちの約8割については,上記成立前となる昭和23年以前の最終消息しか政府は把握しておらず,その生死も不明な状況下にあったこと,上記覚書中にある中華人民共和国成立以後確実に中国にいる日本人居留民の名簿に関しても,上記未帰還者名簿の第1類登載者が概ねこれに該当するものと考えられ,政府が把握・整理し得る限りにおいて作成した同趣旨の名簿は既に中国側に交付していたことに照らすと,政府が未帰還者名簿に基づく孤児の消息調査の要請を継続すべき義務を放棄したと評価することはできないというべきである。
(オ)③について
前記エに判示のとおり,政府は,後期集団引揚げが行われていた間にも,各種調査を通じて生存残留者の情報の収集・照合に努めており,他方で,上記未帰還者名簿において,大多数の孤児が同名簿作成時から8年以上にわたって消息がない者とされ,政府単独では孤児の消息・所在を具体的に把握することが極めて困難であったことからすれば,政府の実施した孤児の個別引揚げの促進に関する措置が不合理であったとは評価できないというべきである

以上によれば,主権回復から後期集団引揚げ終了に至るまでの間において,政府としては,孤児の早期帰国実現のためになし得る施策を行っていた一方で,中国との関係上,これ以上に現実に有効な外交上の方策を執る
のは困難であったといわざるを得ないから,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。
(3)後期集団引揚げ終了後,日中国交回復までの間の早期帰国実現義務違反の有無

昭和33年7月の集団引揚げを最後に,残留邦人は専ら個別引揚げの方法で帰国することとなり,前記認定事実3(6)のとおり,同年から日中間の国交が回復する昭和47年までの間に,中国地域から合計760人が個別引揚げによって帰国した。この間,政府は,昭和37年以降,従来から援助の対象となっていた船運賃に加え,中国国内での旅費についても国庫負担とする措置を講じて,個別引揚者に対する経済的援助を拡充した(なお,同年ころ,個別引揚げの際に中国政府の出境許可を得ることが容易でないことが指摘されており,個別引揚者数が比較的少数にとどまったのは,中国側の事情によるところも少なくなかったものと考えられる。甲119の19)。
この期間における被告の早期帰国実現義務違反に関し,原告らは,昭和34年4月1日に未帰還者特別措置法が施行され,戦時死亡宣告制度が導入されたことに伴い,政府が極めて不十分な未帰還者調査のみをもって,多くの孤児を生死不明者として同宣告の対象とし,あるいは多くの消息のある孤児につき強引に自己の意思により帰還しないと認められる者と認定することを通じて,これらの孤児を未帰還者調査や帰国援護の対象から違法・不当に除外する方策を執り,以後国交回復に至るまで未帰還者調査や帰国援護の全般的な空白期間が続いたことは,原告らの帰国を著しく困難にする極めて不合理な措置であったと主張する。
そこで,これらの制度の運用状況を中心として,後期集団引揚げ終了から国交回復までの間における被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無につき検討する。


未帰還者特別措置法の適用・運用に関する早期帰国実現義務違反の有無(ア)前記認定事実4(4)のとおり,未帰還者特別措置法は,昭和32年10月1日現在で未帰還者数(全地域)がなお4万6560人に上り,かつ,そのうち約85%の者が終戦直後の混乱期に消息を絶っていて,生存の期待が持てない者も多数存在すると考えられたこと,留守家族援護法による留守家族手当が,昭和31年8月1日以降(後に延長)は,過去7年以内に生存していると認めるに足りる資料がない未帰還者の留守家族に対しては支給されないことの関係上,未帰還者の最終処理につき何らかの特別な措置を講じる必要があったこと,留守家族団体の中からも,留守家族の心情に即して,未帰還者の最終処理を急ぐことを政府に求めることが決議されるなど,未帰還者の最終処理を求める声が高まっていたことを背景として,反対意見の強かった留守家族団体の意向も相当程度法案に反映させ,法制定に先立ち,国と都道府県が連携して,140万人の帰還者と国外残留者に対して一斉に通信調査を行うという極めて大規模かつ網羅的な未帰還者の一斉特別調査を行い,未帰還者の消息資料を得る上で一定の成果を収め,最終的に法案につき引揚同胞対策審議会の賛同を得るという一連の経過を経た上で制定され,昭和34年4月1日から施行に至ったものである。
これにより,一定期間生死が不明の未帰還者について,国が戦時死亡宣告の請求を行うことが可能となったが,同宣告は,民法上の失踪宣告制度に則って,家庭裁判所による司法審査を経た上で宣告の可否の判断がなされるものであり,しかも,前記認定事実4(5)アのとおり,実際の戦時死亡宣告の請求に当たっては,未帰還者の名誉を尊重し,留守家族の心情を十分考慮するため,同宣告の対象者について,都道府県が予め該当予定者である旨を留守家族に通知し,少なくとも配偶者,子,父母程度の留守家族の意向は直接・間接に面接を行って調査し,留守家族
の同意が得られた場合に初めて請求を行うという慎重な運用がなされていた。
以上の未帰還者特別措置法の制定経過や運用状況,同法制定の前提として行われた未帰還者の一斉特別調査の規模・成果等に照らせば,政府が専ら未帰還者調査の結了を図る目的の下に同法を制定し,同目的の達成のために恣意的な運用を行って,多くの孤児を違法・不当に戦時死亡宣告の対象としたものとは認め難く,その一方で,同法に基づき未帰還者の最終処理を行う必要性・合理性も存在したのであるから,同法の制定・運用が原告らの早期帰国実現を著しく困難とする不合理なものであったとは評価できないというべきである。
(イ)これに対し,原告らは,①政府が戦時死亡宣告を請求するためには,その前提として国がその(注:未帰還者の)状況に関し調査究明した結果,なおこれを明らかにすることができない(同法1条)ことが必要であるところ,政府は孤児に関して国外調査を行っておらず,極めて不十分な調査のみをもって,孤児につき現に生存している可能性が少ないと認められる者として同宣告の対象としたのは,法適用として違法である,②同宣告がなされた孤児については,以後未帰還者調査と帰国援護の対象から除外された結果,これらの孤児の帰国実現が著しく困難となったと主張し,さらに,③原告らの中にも,生存の高度の蓋然性を無視して同宣告の該当者としたり,留守家族の意向を無視して同宣告の同意を取り付けた事例が多数見受けられると主張するが,以下に判示するとおり,いずれも被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の根拠とは解し難い。
(ウ)①について
前記認定事実4(4)エのとおり,政府は,未帰還者の一斉特別調査に当たり,中国地域の国外調査については,他の地域で行った現地残留者
に対する未帰還者の名簿の送付は行わなかったものの,日中間に国交がなく,政府間交渉による未帰還者の消息調査が実現していない等の事情の下においては,政府が当該調査の実施を見合わせたことにも理由がある。他方で,政府は,昭和33年10月,日本赤十字社を通じて,中国紅十字会に対し,昭和29年11月3日付け覚書(

日本赤十字社としては,家族の有無又は居所の明・不明にかかわらず,全日本人から中国紅十字会経由で日本赤十字社へ通信を送ってもらうことを希望する。

)に基づく現地残留者の日本宛の通信の奨励を要請しており,相当の代替手段を講じている。
上記要請については,結局,その結果を知ることができなかったが,これに加えて,その前年の第3次ジュネーブ交渉において,政府が同時点でなし得る限りの未帰還者調査の具体的な協力を中国政府に要請したにもかかわらず,中国政府からは期待した回答が得られなかったこと,一斉特別調査における国内調査が極めて大規模かつ網羅的なものであったこと,前記認定事実4(3)イのとおり,厚生省が昭和33年と昭和35年に,現地住所が明らかな残留者の名簿を作成して都道府県に配布し,留守家族と協力して現地通信調査を行っていることも考え併せると,政府の行った未帰還者調査の方法が未帰還者特別措置法の適用の前提を欠くほど不合理なものであったとはいい難い。
これに対し,原告らは,政府は孤児の生存を確信していたにもかかわらず,個々の消息が不明なことをもって現に生存している可能性が少ないと認められる者としたのは不合理と主張する。しかし,前記(2)オ(エ)に判示のとおり,昭和32年に厚生省が作成した未帰還者名簿において,大半の孤児は終戦前後の混乱期を含む昭和23年以前の時点を最後に長期間消息が途絶した者とされており,中国側の調査協力が得られなければ,生死の状況は不明というほかなかった
ところ,同名簿に基づく未帰還者の消息調査につき中国側の具体的な協力は得られなかったのであるから,個々の資料に基づき,現に生存している可能性が少ないと認められる者(乙62)と判定し得る孤児について戦時死亡宣告の対象としたことが不合理とはいえない。前記認定事実4(5)アのとおり,厚生省の把握していた約2500人の孤児のうち,約1500人が死亡届又は同宣告により除籍されたことからすると,現実に相当数の孤児が同宣告の対象とされたものと推認されるが,上記消息状況に鑑みれば,このことをもって,直ちに政府による同法の運用が違法ないし恣意的なものであったと評価することはできないというべきである。
(エ)②について
前記認定事実4(5)ウのとおり,戦時死亡宣告審判確定者については,諸資料が他の処理済者とは区分して整理保管され,機会ある毎に死亡時期,場所,死因,遺骨等につき調査されることとなっていることや,昭和38年5月2日に厚生省援護局長が都道府県知事宛に発した昭和38年度未帰還者等に関する調査等業務実施計画について(昭和38年5月2日付け援発第10330号)(乙62)において,

このほか生死が明らかにされないまま戦時死亡宣告を受けた者が約12,000名あり,これらの者についても調査究明上,問題が残されているところである。

との記載があり,同宣告を受けた者についても調査究明上の問題がなお残されているとの政府の認識が窺われることに照らせば,政府が同審判確定者について,以後一切の調査対象から除外したものとは認め難い。また,死亡時期等の調査を通じて生存情報や所在が判明する可能性も考えられ,その際には厚生大臣自身が同宣告の取消の請求を行うことも予定されていること(未帰還者特別措置法2条3項。原告らの中にも,都道府県知事の取消請求により同宣告が取り消された例がある。
甲B71の17)も考え併せると,政府が相当数の孤児につき同宣告を請求し,同宣告審判が確定するに至ったことをもって,同措置が孤児の帰国実現を著しく困難とする不合理なものであったとは評価し難いというべきである。
(オ)③について
原告らは,杜撰かつ強引な手法により戦時死亡宣告がなされた具体例として原告12人を挙げ,政府による未帰還者特別措置法の違法・不当な運用の顕れであると主張するが,以下に判示するとおり,これらの者を同宣告の該当者と認定したことにはいずれも相応の根拠があるし,留守家族の意向を無視して同意を取り付けたとも認められず,最終的に司法判断を経た上で同宣告がなされたものであるから,原告らの主張は採用できない。

原告番号2048について
同原告の昭和28年以降の消息は不明であり,留守家族が同年以来,年2,3回の手紙の発信を行い,昭和38年度には本人と養育者宛に4,5回通信を試みたにもかかわらず,一度も返信がない状態であった(甲B48の13ないし16,乙B48の1・2)。そうすると,昭和28年当時の生存情報が姉による確度の高い情報であり,その当時の同原告の年齢が10歳であったとしても,昭和39年に長期間生死が不明の同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(なお,甲B48の10には,昭和31年に同原告から来信があった旨が記載されているが,それ以前に作成された資料にこれに関する記載が全く存在しないことからすれば,昭和51年の合同調査時に初めて把握された事実と考えられる。)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族が従
前から戸籍処理を気に掛けていたこと(乙B48の1)からすれば,上記同意が留守家族の意向を無視して取り付けられたものとは認められない。

原告番号2070について
同原告の昭和20年8月22日以降の消息は不明であり,昭和33年には鹿児島県(本籍地)内の帰還者約3万人に対し同原告を含む未帰還者名簿を送付する等の調査を行ったにもかかわらず,有益な情報は得られなかったのであるから,最終消息が最も混乱が激しかった時期である終戦時の一般避難所であり,その後長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B70の4・5・11・13・29・47・48)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,同原告の父が昭和35年8月時点では消息調査の継続を望んでいたものの(甲B70の47),翌36年1月時点では死亡処理を望む意向に転じていたことが窺われ(乙B70),昭和37年1月に得られた同意(甲B70の10)が留守家族の意向を無視して取り付けられたものとは認め難い。なお,昭和50年に同人が作成した書面(甲B70の29)においては,止むを得ず昭和38年に戦時死亡宣告の申立てを行ないとの記載があるが,昭和50年に同原告の生存が確認された後になってから父がその旨の心情を遡って述べるに至ったものとも解し得るから,このことをもって,直ちに上記認定を覆すに足りるものとはいえない。


原告番号2071について
同原告の昭和21年3月22日以降の消息は不明であり,その後も同原告の具体的な所在を把握し得ず,政府として実効的な消息調査が
不可能であったことからすれば,昭和38年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B71の14ないし16)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。

原告番号2075について
同原告の昭和21年8月ころ以降の消息は不明であり,昭和34年と昭和35年の現地通信調査によっても消息や所在に関する情報が得られなかったのであるから,昭和38年に長期間生死の不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B75の4・6・10)。
また,留守家族による同宣告請求の同意については,留守家族の意向が

(黒塗りで判読不能だが,中国人の養親を指すと考えられる。)宅で大きくなってくれればそれでもよい

とされていること(甲B75の6)に照らせば,同意が積極的なものであったかについては疑問を差し挟む余地があるものの,その一方で,留守家族から同宣告による処理の申出があったとされていることも考え併せれば,担当者が留守家族の意向を無視してまで強引に同意を取り付けたと認めるに足りる証拠はないというべきである。


原告番号2076について
同原告の昭和20年12月9日以降の消息は不明であり,昭和34年の現地通信調査によっても消息が把握できなかったことからすれば,同原告の最終消息を現認した母が,昭和35年7月時点で同原告が現在も生存していると思う旨の見解を示していたとしても,昭和38年
に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B76の15ないし19)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和35年7月当時の母の認識が上記のとおりであったとしても,その2年半余り後の昭和38年2月に得られた同意(甲B76の19)が留守家族の意向を無視して取り付けられたものと直ちに認めることはできないというべきである。

原告番号2077について
同原告の昭和21年9月以降の消息は不明であり,昭和34年の3回の現地通信調査によっても消息が把握できなかったことからすれば,同原告の最終消息を知る父(実際に現認したのは母)が昭和35年7月時点で同原告が現在も生存していると思う旨の見解を示していたとしても,昭和38年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B77の4の1,甲B77の22ないし25)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和35年7月当時の父の認識が上記のとおりであったとしても,その約3年後の昭和38年5月に得られた同意(甲B77の26)が留守家族の意向を無視して取り付けられたものと直ちに認めることはできないというべきである。


原告番号2099について
同原告の昭和21年2月5日以降の消息は不明であり,昭和34年の3回の現地通信調査(最初の1回は返戻となったが,後の2回は返戻された形跡はないことから,宛先に到達したものと考えられる。)
によっても消息が把握できなかったことからすれば,昭和37年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B99の5ないし8)。なお,その後,昭和39年8月に同原告からの日本赤十字社宛通信により,新たに同原告の生存事実が判明することになるが(甲B99の6),このことをもって,昭和37年時点での上記判断に誤りがあったとすることはできない。
また,留守家族による同宣告請求の同意(甲B99の8)についても,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。

原告番号2115について
同原告の昭和20年9月以降の消息は不明であり,中国紅十字会宛の調査依頼等によっても消息が把握できなかったことからすれば,昭和36年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲115の4の1ないし3・5・15ないし17)。昭和33年7月14日の究明会議における照合の結果として,

本名の預け先の住所等一応判るので,県公安局長宛に調査依頼が出来る。

との記載があること(甲B115の5・15)に照らすと,同原告につきその後現地通信調査が行われた形跡がない(甲B115の15)のは不可解ではあるが,当時は中国側から集団引揚げの打切りの通告を受けるなど,日中間の諸交流が一切断絶していた時期であり,中国の公的機関の協力を得ることが極めて困難と判断せざるを得ない情勢であったことからすれば,同事情により県公安局長宛の通信を差し控えた可能性も否定できず,この一事をもって,直ちに政府が同原告の消息調査の継続を放棄したと評価するのは困難である。

また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和56年に父が同原告を捜しに訪中していることは,国交回復後,多くの孤児の消息判明や帰国が実現していた状況の中で,父が同原告の生存可能性に改めて思いを致すこととなったとも考えられるから,このことをもって,直ちに昭和36年時点での留守家族の同意(甲B115の17)が意向を無視して取り付けられたものと認めることはできないというべきである。

原告番号2117について
同原告の昭和21年7月以降の消息は不明であり,現地の所在が不明で,その後の調査によっても消息が把握できなかったことからすれば,最終消息時に病身であった同原告につき,昭和37年に長期間生死が不明で現に生存している可能性が少ないと認められる者であるとして戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B117の5の1・2,甲B117の6・16ないし18,乙B117の1)。昭和33年の究明会議における照合の結果には,右(注:「同地区よりの新帰還者,現住者よりの究明)により現地に調査依頼にまで拡充のこと。」との記載があるが(甲B117の17),同年末の一斉特別調査によっても同原告の所在や消息に関する有益な情報が寄せられなかったと推認されることからすれば,その後に特段現地通信調査が行われなかったこと(甲B117の18)をもって,直ちに政府が同原告の消息調査の継続を放棄したと評価するのは困難である。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。


原告番号3004について
同原告の昭和21年5月以降の消息は不明であり,昭和35年の3
回の通信調査等によっても消息や所在が把握できなかったことからすれば,昭和36年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠があるし(甲C4の4・11・12),最終消息時に同原告が11歳であったことが上記判断を覆すに足りる事情ともいい難い。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。

原告番号3006について
同原告の昭和21年8月8日以降の消息は不明であったが,昭和36年5月に入手した中国紅十字会生存該当者名簿に類似者が調査中のものとして登載されていたことから,昭和40年代前半に現地通信照会を実施し,同原告の生存事実の把握に努めたものの,結局,消息情報が得られなかった(甲C6の8ないし16)。上記類似者は○○○○,1941生,男というもので,同原告とは名前が一字違いで,生年も1年違いにすぎず,同原告のことを指している可能性が高いと外形上判定し得るものの,なお人違いである可能性も否定できないことからすれば,同名簿の入手時点では参考資料にとどめ,その後の通信調査照会によっても成果が得られなかったことを踏まえて,政府独自では情報の信頼性の検証ができない同名簿における類似者登載の事実を事後的に生存情報としては取り扱わないとしたこと(昭和36年5月当時健在(中国紅十字会名簿)との記載を横線で抹消)も不
合理とはいえず,このことをもって,政府が故意に同原告の生存情報を無視・隠蔽したとは認め難い(甲C6の9・10)。そうすると,昭和21年8月8日以降に明確な生存情報が得られなかった同原告について,昭和46年ころに現に生存している可能性が少ないと認めら
れる者として戦時死亡宣告の該当者としたこと(甲C6の6)には相応の根拠があるというべきである。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。

原告番号3022について
同原告の昭和21年8月12日以降の消息は不明であり,昭和34年に2回にわたり現地通信調査を行ったものの,いずれの回答も知らないであったことからすれば,昭和38年ころに長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲C22の11・12)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和32年5月時点で留守家族が

本人は病死しないかぎり生きていると思ふ。(黒塗りで判読不能だが,同原告の預け先の中国人養父母を指しているものと考えられる。)宛通信すれば相手が当時の誠意をもっておれば返事が来ると思ふ

との見解を示していたものの(甲C22の13),その後の現地通信調査によっても消息情報が得られなかったのであるから,昭和38年になってあらゆる方面を調査したが,生死が分からず,終戦時に死亡した者と思いますから,戦時死亡者として処理して下さいとの意向に転じた(甲C22の12)としても不自然ではなく,留守家族の意向を無視して同意が取り付けられたとは認められない。


なお,前記認定事実4(5)ウの通知(乙63)には,「特別措置法の運用について一部留守家族には,留守家族手当の問題等に関連して,政府が特別措置法による処理を早急に強行せんとしている
との誤解がある」留守家族との面談の際,不用意な言動により不測の間に留守家族の心情を害し,まさつを起こした例もあるとの記載があるが,未帰還者が特別措置法該当予定者に該当するか否かは
諸資料を総合的に検討した上でなされる客観的な判断である一方で,事柄の性質上,留守家族の中には自身の親族に関してそのような判断が示されることに心理的な抵抗感を覚える者が必然的に生じてくることも避けられなかったことからすれば,このような心情が政府の運用姿勢に対する批判として表面化したものとも十分考えられる。また,「特別措置法による戦時死亡宣告の請求,または死亡公報の発令
に同意しない家族については,面接のうえ説得するとともに同意しない真因を十分に把握して親切にその解明に努めること。」と記載されている点についても,多年の調査究明の結果生存の希望の持てない未帰還者について,留守家族の同意を求めて審判申立を行ない,留守家族のおかれている不安定な身分関係を解消し,できるだけ早期にその生活再建への出発を図るのが未帰還者特別措置法の趣旨とされていることからすれば,留守家族に上記趣旨を説明した上で同意の可否につき再考を促すこと自体は不合理とはいえないし,併せて同意しない真因の十分な把握と解明に努めるべきとされていることに照らせば,政府が留守家族の同意が得られない場合にも執拗に説得を継続すべきとの方針を示していたとも認め難い。
そうすると,同通知の上記記載をもって,直ちに政府による留守家族の意向を無視した強引な戦時死亡宣告処理の実態を示すものとは評価し得ないし,これによって上記aないしlの判断が左右されるものでもないというべきである。
(カ)そのほか,原告らは,厚生大臣が憲法違反である未帰還者特別措置法を執行したとも主張するが,同法がいかなる趣旨・理由において違憲であるかについて何ら具体的な主張をしておらず,主張自体失当といわ
ざるを得ない。
(キ)以上によれば,未帰還者特別措置法の適用・運用について,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。

自己の意思により帰還しないと認められる者の認定に関する早期帰国実現義務違反の有無
(ア)終戦時から海外にとどまる在外邦人のうち,自己の意思により帰還しないと認められる者(以下残留希望者という。)は,留守家族援護法29条により調査究明・帰還促進の対象となる未帰還者からは除外されることとなるところ(同法2条1項2号),前記認定事実4(5)イのとおり,中国地域の残留邦人のうち約1000人について残留希望者との認定がなされた。
(イ)原告らは,帰国意思の有無の認定は,本人の真意を慎重に確認した上で行われなければならないにもかかわらず,政府は曖昧な帰国意思の調査確認のみをもって,孤児を恣意的に未帰還者から除外していたものであり,これによって当該孤児は帰国に向けた援助活動を一切受けられなくなったと主張し,原告らの中にも,直接の意思確認を経ることなく,根拠薄弱な情報に基づいて帰国意思なしと認定されたり,本人の手紙を甚だしく曲解して帰国意思なしと認定された例が多数存在すると主張する。
しかし,残留邦人の中には,年月の経過により,現地に生活基盤が確立している等の事情から中国に残留を希望する者も少なくなかったところ,孤児についても,このような意向が確認できた場合においては,当該孤児を未帰還者から除外すること自体に問題はないし,この場合の帰国意思の確認方法について,確実な資料に基づきその旨の認定が可能であるならば,本人の直接の意思確認が必要不可欠とまではいえない。現に,前記認定事実4(5)ウのとおり,政府は,残留者本人からの来信の
ほか,帰還者の確実な証言等の資料を総合判断し,残留希望が確実と認められる場合に限って残留希望者の認定を行う旨を都道府県宛に通知して,残留希望者の認定には相応の認定根拠が必要との見解を示していたものであるから,政府が率先して不確実な根拠に基づく残留希望者の認定を推進していたものとは認め難い。
確かに,同通知においては,政府が従来よりも積極的に残留希望者の認定を行うとの姿勢も表明されてはいるが,その一方で,厚生省援護局庶務課長が各都道府県宛に発した自己の意思により帰還しないと認定された者に対する引揚援護の取扱いについて(昭和37年10月27日庶務第604号)(乙B24)において,中国地域の未帰還者については,いったん残留希望者との認定がなされた後も,本人がその後意思を変更し,本邦に永住する目的をもって戦後初めて帰還する場合には,引揚援護を行う取扱いを継続するとされていることを考え併せれば,政府の上記方針をもって,政府が調査究明・帰還促進の対象となる未帰還者を恣意的に減少させる措置を執り,以後一切の帰国援護措置を打ち切ったものとは評価し難いというべきである。
(ウ)原告らは,残留希望者との杜撰な認定を受けた具体例として原告11人を挙げ,政府が強引に残留希望者の認定を行って孤児の調査究明・帰還促進義務を完全に放棄したことの顕れであると主張するが,以下に判示するとおり,これらの認定にはいずれも相応の根拠が存在したものであるから,原告らの主張は採用できない。

原告番号2024について
中国在住の同原告の母と思われる者からの昭和38年10月10日付け通信において,同原告の残留希望意思が窺われることからすれば,昭和39年5月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲B24の1・13の1・2,甲B24の14)。

原告番号2079について
現地残留者からの昭和34年3月付け通信(甲B79の13・14の1・2)において,同人が日本から同原告の消息調査の便りが来ていることを告げたところ,同原告が何分実の親としては心にかかることだろうからただ元気で居るという事を知らせてくれ旨述べたとされ,当面中国に残留する意思が窺われるし,同情報源が日本から通信があったことを告げた上で本人と直接対話した者によるものであることや,同原告の養親が同原告が孤児であることを秘匿しており(甲B79の14の2),政府として直接帰国意思を確認することは不可能であったことからすれば,昭和37年9月に同原告につき残留希望者との認定を行ったこと(甲B79の15)には相応の根拠がある。

原告番号2084について
岐阜県(本籍地)は,昭和33年6月に同原告と一緒に中国で暮らしている母からの通信で同原告が帰国を拒絶していることを把握し,その後昭和37年9月と昭和39年10月に同原告宛に直接帰国意思の有無を確認すべく通信を試みたが,いずれも返答がなく,翌40年4月に母から同原告とともに中国残留することを決めた旨の通信を受けている(甲B84の1・2・7ないし9・16,乙B84の1・2)。同情報源が同原告と同居の母によるものであることや,これに近接する時点で二度にわたり同原告宛の直接の通信が試みられていることからすれば,昭和40年6月に同原告につき残留希望者との認定を行ったこと(甲B84の15)には相応の根拠がある。


原告番号2105について
同原告は,後記eに判示する原告番号2106の弟であり,昭和35年2月の現地通信調査の後に来信のあった同原告による昭和36年2月27日付け通信において,同年1月14日に結婚した原告番号2
105の結婚式の写真を送る旨の記載がある一方で,特段同原告の帰国意思に関する記載がないことからすれば,昭和37年9月に原告番号2106とともに原告番号2105につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲B105の3の1,甲B105の10ないし12,甲B106の7・11・12)。

原告番号2106について
同原告から妹(B)宛に発せられた昭和36年2月27日付け通信において,同原告が中国の夫や子供と元気に暮らしている旨の近況報告や,

日本の○○ちゃんの家に遊びに行こうと中国公安局に申請しました。

旨の記載があることに加え,妹が

一度里帰りしたいと手紙が来る度に書かれて有ります故,私達姉妹を一度,逢せて下さいませ。

と述べていることからすれば,同原告に一時帰国の希望はあっても,永住帰国の意思はなかったことが窺われるから,昭和37年9月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲B106の7・9・11・12,乙B106)。


亡A5(原告番号2111)について
亡同人からの昭和36年11月20日付け通信において,亡同人の生活状況(毎日のようにミシン縫いをしている)と,金を送るので仕事で使うミシンを買ってほしい旨が記載されていることからすれば,亡同人が同時点で永住帰国の意思を有していなかったことが窺われ,その約3年半前の昭和33年6月発信の同人からの通信において,

私もどうにかして内地に帰りたいと思って居ります。

等の記載があったことを考慮しても,昭和37年7月に亡同人につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲B111の5・7ないし9)。
なお,亡同人による昭和39年11月18日付け通信において,

夫が病気なので生活に困っている。古い着物や何でもよいから送って下さい。家内中一しょに内地へ帰りたいのです。

旨の記載があり,政府も昭和40年1月11日に同通信の事実を把握しているが(甲B111の5),その一方で,上記通信の約4か月後に発せられた亡同人による同年3月12日付け通信(同年5月17日に政府も把握)においては,帰国意思を窺わせる記載は何ら存在しなかったこと(甲B111の5)からすれば,政府がそのころ亡同人に特段通信調査を行わなかったことをもって,亡同人の帰国意思の表明を故意に無視したとまではいい難い。

原告番号2112について
新潟県(本籍地)は,現地残留者からの情報により,同原告が健在であることを複数時点で把握していたが,同原告の帰国意思は表明されず,昭和39年以降も帰国意思の有無の確認のために調査を継続したが,昭和41年以降は同原告の消息が把握できない状態が続いた。その後,昭和49年ころに別の現地残留者に調査を依頼した際に,8年ぶりに同原告の消息が判明したが,その時にも同原告から帰国意思の表明はなされなかった(甲B112の4・9ないし11,乙B112の1ないし9)。上記調査経緯に加え,最終消息確認時点が残留邦人の帰国等の動きが既に活発化していた国交回復後であったことを考え併せると,本人の直接の意思確認を経ていないとはいえ,上記時点で帰国意思の表明姿勢が何ら窺われなかった同原告につき昭和51年7月に残留希望者との認定を行ったこと(甲B112の5)には相応の根拠がある。


原告番号3011について
昭和27年12月に引揚勧告に訪れた公安官とともに同原告に面会した者の情報によれば,同原告に帰国意思はないとのことであり,そ
の後も昭和43年まで現地通信調査が行われたが,いずれも返信が得られなかった(甲C11の4ないし6,乙C11の1ないし3)。同原告につき最終的に残留希望者との認定がなされたのか否かは明確でないが(甲C11の6は昭和38年作成の資料であり,これに基づき残留希望者との認定が行われたのであれば,昭和41年ないし昭和43年当時,帰国意思の確認を継続中であったことを示す乙C11の1ないし3と整合しない。),仮に同認定が行われたものとしても,上記経緯に照らせば,相応の根拠に基づき同原告につき残留希望者との認定が行われたものといえる。

原告番号3012について
岐阜県(本籍地)は,昭和36年7月以降,同原告の帰国意思の有無につき現地通信を行って照会したところ,同原告の近隣に住む母から,同年9月16日付けで

子供に相談したら言葉もわからず,頼る人もなくここで暮らすより外ないと言っている。

旨の回答が得られたものであるから,昭和39年12月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲C12の1・9の1・2,甲C12の11,乙C12の1・2)。


原告番号3013について
岐阜県(本籍地)は,昭和39年10月14日付け通信により,同原告の帰国意思の有無につき照会を行ったところ,同原告から同年12月27日付けで

私は,今すぐ帰国しようとは決意しておりません。もう少しよく考えてみる必要があると思っています。また,将来帰国するかどうかということにつきましては,今,このお便りの中で確答はできません。

旨の回答が得られ,当時の同原告が永住帰国の意思を有していなかったことが窺われるから,昭和40年4月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲C1
3の5ないし7・13・14)。

原告番号3018について
同原告は,中国で形成した家庭の関係から,昭和32年時点では帰国意思を有していなかったものであり,その後同原告が留守家族宛に発した昭和37年3月21日付け通信によれば,同原告の一時帰国の希望は窺われても,永住帰国の意思は窺われないから,同原告の家庭事情を勘案すれば,同年10月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲C18の1・8の1・2,甲C18の10ないし12)。

(エ)以上によれば,政府が生存孤児に関し残留希望者との認定を行ったことについて,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。

誤把握削除について
原告らは,上記イ及びウに加え,厚生省が原告番号3024の生存事実と居所を把握していたにもかかわらず,以後一切の追加調査を行うことなく,未入籍であることを理由として未引揚届の誤把握削除処理をなし,同原告を引揚援護の対象から除外したのは違法であると主張する。
しかし,厚生省が同処理を行った(甲C24の8・13)のは,戸籍に入籍されていない同原告の生年月日が不明であり,兄が幼少であったため記憶がないことから,中国で生存の母に通信を行って生年月日を照会するためであり(甲C24の1,乙C24),これにより同原告を一切の引揚援護の対象から除外したものではないし,結果的にその後の同原告の消息がつかめなかったにすぎないから,同処理を違法ということはできないし,政府が孤児の調査究明・帰還促進義務を放棄したことの顕れとも評価できない。


なお,原告らは,原告らが戦時死亡宣告により国家の手で死亡扱いされ
たことや,真意に反して自己の意思により帰還しないと認定されたこと自体が損害(人格権侵害)であるとも主張するが,前記イ(オ)及び(カ)並びにウ(ウ)に判示のとおり,原告らについて,政府が違法・不当な目的の下に戦時死亡宣告の請求や残留希望者の認定を行ったと認めるに足りる証拠はないから,上記事実の判明によって当該認定を受けた原告らが不快感を覚えることはあっても,このことを違法と評価することはできない。カ
そのほか,原告らは,未帰還者特別措置法の施行以後,政府の未帰還者調査は無策に等しく,昭和37年以降開始された日中間の活発な貿易関係(いわゆるLT貿易)により形成された良好な日中関係を利用して,未帰還者問題への協力を中国側に要請することを怠ったのは,極めて重大な早期帰国実現義務の懈怠であったと主張する。
しかし,前記イ及びウに判示のとおり,同法の施行を機に,政府による未帰還者の調査が全く断絶したわけではなく,同法の施行後も前記認定事実3(5)イの中国側から交付を受けた名簿や,日本赤十字社を通じて入手した現地残留者からの来信等の新資料を未帰還者調査に活用していたと認められるし(乙104,106,150,152),経済的交流の場面と,ジュネーブ交渉で中国側の極めて厳しい姿勢が示されるに至った未帰還者調査の協力要請の場面を直ちに同列に論じることもできないことに照らすと,この間に政府が(戦時死亡宣告審判確定者を含めた)未帰還者の調査究明・帰還促進義務を放棄したとまでは評価し難いというべきである。

以上によれば,後期集団引揚げ終了から日中国交回復に至るまでの間において,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。
4
日中国交回復後の早期帰国実現義務違反の有無
(1)違法性の判断基準

昭和47年9月29日,日中間の国交が回復し,孤児の早期帰国を促進・実現する上で,これまで障壁となっていた国交断絶に起因する問題は解
消されることとなった。そして,国交回復を機に,残留邦人から日本国内への通信が活発化するとともに,身元を知らない孤児からも,日本大使館や厚生省等に対し,自身の身元等に関する調査・確認の依頼が多数寄せられるようになった。中国政府においても,前記認定事実5(1)ウのとおり,昭和48年8月,日中間の長年の不正常な関係は日中そう方の居留民の往来を困難にしたが,日中関係が正常化された現在,そう方の居留民の往来も正常化されなければならない。(中略)中国政府としては,シユウ総理が既に指てきした通りこの問題では日本側に協力するという基本方針をとつている。として,残留邦人の帰国問題につき政府に協力する姿勢を示していた。
このように,政府は,国交回復後間もない時期に,多くの孤児が日本への帰国や身元確認の希望を有していることを認識し,かつ,中国側に対し,正規の外交交渉を通じて孤児の帰国を実現するための協力を要請することが可能となったものであるから,国交回復前の段階と比べると,より積極的に孤児の早期帰国実現に向けた施策を立案・実施しなければならない義務が課せられたものと解される。

しかし,そうであっても,国交回復後の段階における早期帰国実現義務違反の有無の判断に当たっては,前記2(2)及び(3)に判示の特殊性に加えて,以下の点を特に考慮する必要がある。
被告の早期帰国実現義務違反が具体的に問題となる場面は,大別すると,孤児の身元調査の遂行の場面と,帰国手続の整備の場面に分類することができるところ,前者に関しては,二国間をまたいで孤児の身元を調査究明するといった作業の性質上,中国側の固有事情を無視しては行い得ないし,また,実効的な身元調査のための具体的施策や実施方法の検討・選択に当たっては,基本的には,従前から引揚援護を任務・所掌事務として長年未帰還者の調査究明業務に携わり,豊富な資料や調査実績と知見を蓄積して
きた行政庁(厚生省)による専門的観点からの裁量的判断に委ねられるところが大きいといわざるを得ない。
他方,後者に関しては,孤児の出国につき中国側の協力を得ることを除けば,中国との関係を前提としない専ら国内的な問題ではあるが,孤児の帰国も出入国管理という国家の主権行使が問題となる場面である関係上,国家政策として,公正を旨とする出入国管理法制・行政との整合性を無視することはできないというべきであり,孤児の帰国も視野に入れた適正かつ実情に即した出入国管理法制・行政の構築・運用に当たっては,基本的には,上記と同様に,実際の出入国管理事務,海外における邦人の身分関係事項等に関する事務,引揚援護事務を所掌する行政庁(法務省,外務省,厚生省)による専門的観点からの裁量的判断に委ねられるべき部分が大きいといわざるを得ない。

そうすると,国交回復後の被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無の判断に当たっても,やはり政府(具体的には外務大臣・厚生大臣)が実際に講じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,当時の具体的状況の下で著しく不合理であったといえるのでない限り,当該措置ないし不作為が同義務に違反して国家賠償法上違法となると評価することはできないというべきである。


以上を前提に,孤児の身元調査の遂行と帰国手続の整備の場面毎に,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無につき検討する。
(2)身元調査の遂行の場面における早期帰国実現義務違反の有無ア
身元調査を永住帰国に先行させることの合理性の有無
後記(3)に判示のとおり,政府は,昭和60年までの間は,基本的には在日親族の身元保証が得られる孤児に限って永住帰国を認める方針を執り,身元の判明が永住帰国に当たっての原則的条件とされてきた。また,同年に身元引受人制度による身元未判明孤児の永住帰国の途が開かれた後も,
同制度の利用に当たっては,訪日調査等によっても身元が判明しなかったことが必要とされており,永住帰国の前提として,まず身元調査を尽くす必要があるとの基本的方針は維持された。
原告らは,身元調査を永住帰国に先行させる必然性はなく,一時期まで孤児の身元の判明と親族の身元保証を永住帰国の条件とし続けてきた政府の施策は誤っており,孤児が帰国を希望する限り,身元の判明の有無を問わず,速やかに孤児の帰国が実現する制度を設けるべきであったと主張する。
しかし,長年中国で生活してきて日本に生活の基盤を持たない孤児において,帰国後に日本社会への早期定着と自立促進を図るために,できる限り孤児と日本社会との第一次的接点となるべき親族の存在が判明した方が望ましいとの観点から,永住帰国の前提として,まず身元調査を先行させるとしたこと自体は不合理とはいえない(現に,原告らの陳述書等によれば,原告らが人間の本性に立った自然な心情として,肉親捜しと肉親との再会を熱望していたことが認められる。)。そうすると,当初は身元が分からなかった孤児との関係における早期帰国実現義務違反の成否の問題は,身元調査の場面においては,政府の行った孤児の身元調査が不十分であったことが原因で,孤児の身元の判明が遅れ,あるいは判明の機会を逸することとなった結果,当該孤児の永住帰国時期が遅延したことが義務違反となるか否かの問題ということとなる。
この点に関し,被告は,孤児の身元調査に関する主な施策として,保有資料に基づく調査,公開調査,訪日調査を順次実施し,孤児の身元調査に努めてきたと主張するのに対し,原告らは,これらの施策はいずれも極めて不十分ないし時機に遅れたものであったと主張するので,以下これらの施策の実施状況等に照らし,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反が認められるか否かにつき検討する。


保有資料に基づく調査
前記認定事実5(1)のとおり,政府は,国交回復後,①孤児等から寄せられた手掛かり資料に基づき,厚生省等が保有する名簿等の各種資料を照合して該当者らしい者を抽出し,都道府県を通じて家族に身元の確認を求める,②未帰還者,戦時死亡宣告により除籍された者,自己の意思により帰還しないと認められ未帰還者から除かれた者の合計1万7549人の名簿を日本大使館に送付し,未帰還者の現地調査を行う(昭和48年3月),③中国政府に対して未帰還者名簿を交付し,残留邦人に関する資料の提供を求める(同年8月)といった施策を実施し,未帰還者の消息と身元の調査を行った。
原告らは,政府が保有資料を公開して調査を行わなかったり,国交回復後,即座に中国との間で外交交渉を開始しなかった等の点において,政府が当初行った身元調査は著しく不十分であったと主張する。
しかし,前者については,膨大かつ雑多な保有資料から一般公開に適する形に個々の孤児の情報を整理・集約するにはある程度の時間を要すると考えられること,国交回復から約2年半後には公開調査が行われていること,後者については,国交回復から約半年後にまず現地調査を開始し,その約5か月後には未帰還者名簿を中国政府に交付して,中国側からの積極的な情報提供等を申し入れていることに照らすと,国交回復当初の段階において政府が行った身元調査に関する施策が不合理であったとは評価し難いというべきである。


公開調査
前記認定事実5(2)のとおり,政府は,昭和50年3月以降,マスコミを通じて孤児の情報を公開し,身元に関する情報を募る公開調査を実施し,その結果,昭和56年1月までの間に,437人中166人の身元が判明した。

原告らは,公開調査は,遅々として進展しない政府の身元調査に対する世間からの厳しい批判が向けられる中で,政府の無策に耐えかねた民間団体が主体となって行ってきたマスコミを通じた肉親捜しを渋々後追いする形で,遅ればせながら実施されたものにすぎず,また,早くから公開調査には限界があり,訪日調査の導入の必要性が指摘されてきたにもかかわらず,漫然と効率の悪い公開調査を継続し続けたとして,政府の行った公開調査は著しく不十分ないし時機に遅れたものであったと主張する。前者の点に関し,公開調査の実施に先立つ昭和49年8月15日,朝日新聞紙上において,孤児の肉親捜しを支援するボランティア団体から持ち込まれた資料を基に,孤児の情報を顔写真入りで紹介する生き別れた者の記録という特集記事が掲載されて世間の大きな反響を呼び,その後も不定期に連載されるようになったこと(甲2,79,85の1ないし24,166の1ないし4,証人b)に照らすと,政府の保有資料による調査手法に行き詰まりが見えていた状況の中で,政府が世間の動きに後押しされるような形で公開調査に乗り出したように映ることは否定し難い。しかし,他方で,国交回復から約2年半後,朝日新聞による上記特集記事の掲載開始から約7か月後には公開調査が開始されていること,公開調査を通じて約38%の孤児の身元が判明し,特に初年度(昭和50年)の公開調査対象者では205人中109人の孤児の身元が判明(身元判明率約53%)するなど(乙113),孤児の身元調査を推進する上で一定の成果を上げたこと,後記エ(イ)に判示のとおり,公開調査に替わる訪日調査の導入が著しく時機に遅れたとは評価し難いことに鑑みると,政府による公開調査に関する施策が不合理であったとまでは評価し難いというべきである。

訪日調査
(ア)前記認定事実5(3)のとおり,政府は,昭和56年3月以降,孤児を
一定期間日本に招いて肉親捜しを行う訪日調査を実施し,その結果,平成11年3月までの間に,2116人の参加者中670人の身元が判明した。
原告らは,①孤児と在日親族の高齢化が進む中で,訪日調査は極めて有力な身元調査手法であったにもかかわらず,国交回復から9年も経ってからようやく実施されたのは著しく時機を逸している,②訪日調査開始当初の参加人数が極めて少数にとどまったのは,政府の施策の遅れが原因である,③関係者の数十年前の記憶等を頼りにした対面調査のみでは十分な身元判明の成果を上げることはできず,科学的調査方法の活用が不可欠であったにもかかわらず,政府は費用がかかることを理由に,終始血液鑑定等の実施に消極的姿勢を堅持し続けてきたと主張し,このような政府の施策の遅延や不十分さによって,多くの孤児が身元判明の機会を失うなどして帰国時期が著しく遅れる結果となったと主張するので,以下これらの点につき検討する,
(イ)①について
厚生省内で訪日調査に関する具体的な検討が始まったのは昭和55年のことと認められるが(乙104,106,172,173),その前年の昭和54年9月22日には,厚生省が身元が分からない孤児を半年ほど一時帰国させて,日本滞在期間中に身元調査を行う肉親捜しの旅の導入を計画し,初年度は60人を対象として,その費用を次年度の概算要求に盛り込んだことが報じられていること(乙145)に照らすと,遅くとも同時点においては,公開調査に替わる新たな身元調査手法として,訪日調査に類する身元調査手法の導入の準備が進められていたものと考えられる。昭和51年に孤児を訪日させて肉親捜しを行うべきとの要望が外部から起こり始め(甲66,67の1・2,68),その翌年に実施された公開調査では,従来は毎回5割前後に上った身元判
明率が3割前後に低下し,その後は公開調査人員数も身元判明率も更に減少するなど(乙113),昭和52年ころを境に公開調査による身元調査の限界が次第に明らかになってきたものと考えられるが,昭和51年以前に行われた公開調査では比較的身元判明率が高く,政府が当面公開調査を継続するとしたことが不合理であったとまではいい難いこと,公開調査の限界が客観的に露呈し始めた昭和52年の2年後には,厚生省内でも次の施策に向けた予算要求がなされていることに照らせば,訪日調査の導入に向けた政府の動きが著しく時機に遅れたとまでは評価し難いというべきである。
また,訪日調査は,手掛かり資料等を通じて,日中両国政府において日本人孤児と認められる者を特定し(政府が孤児と考える者でも,中国政府が孤児と認めない限り,訪日調査に参加させることは不可能であった。),その上で孤児と認められた調査対象孤児を集団で訪日させる手続を執るという,二国間をまたいで行われる過去に前例のない試みであり,その性質上,訪日調査の実施に至るまでには,これに伴って生じる様々な問題を外交交渉を通じて解決しておく必要があったと考えられる。前記認定事実5(3)イの中国外交部の声明として,中国の養父母が孤児が訪日することに難色を示す懸念や(実際にも,訪日調査に行った孤児が帰ってこないことを心配した養父母が訪日調査に激しく反対し,その説得に時間を要した経緯がある。乙172,173),そのほかにも多くの問題が存在することが挙げられていることは,訪日調査の実施に伴う困難性を端的に示したものといえる。
加えて,訪日調査の具体的な段取りを整える上でも,まず日本側で孤児と思われる者の名前や手掛かり等を整理した名簿を作成し,これを中国側に送付して日本人孤児であることの確認を要請し,その回答を受けた後,本人への連絡や参加孤児の訪日に必要な各種事務手続を執るなど
の多岐・複数回に及ぶ二国間のやり取りが必要となるところ,このようなやり取りを全て外交ルートを通じて行う必要があったため,準備の過程で多くの手間と時間を要することとなるのも避け難かったものと考えられる(乙104,106,150)。前記認定事実5(3)イ及びエの第1回訪日調査前後の中国外交部の意見として,中国側が戦後30年以上が経過した段階で日本人孤児の認定を行うことの困難さが重ねて指摘されていることからも,まず最初の訪日孤児の確定までの段階で既に多くの時間を費やさなければならなかった実情が窺われる。
以上を総合すれば,訪日調査の開始が日中国交回復から約9年後となったことをもって,政府の施策が著しく時機を逸したとまでは評価することはできないというべきである。
これに対し,原告らは,政府が中国政府に正式に訪日調査の協力を申し入れたのは昭和55年10月に至ってのことであり,初動の遅れは看過し得ないと主張する。
確かに,前記認定事実5(3)イの同月28日以前の段階において,政府が中国政府に対して訪日調査に関する正式な外交上の協力申入れを行っていたことを窺わせる証拠は存在しないが,過去に前例のない訪日調査の実施に当たって,国内でまず段取りを整えるべき事項が多岐に及んだと考えられること(乙149),上記以前の段階においても日中間で何らかの実務的な協議は行われていたと推認されること(甲164)に照らせば,正式な協力申入れが同日になされたことをもって,上記判断が左右されるものではないというべきである。
(ウ)②について
訪日調査の参加人数の推移は,別紙3孤児の肉親調査の概況の
集団訪日調査参加孤児の判明率の推移等欄記載のとおりであり,これによると,参加人数が年数百人規模となる昭和60,61年よりも前
の段階においては,1回当たりの参加人数は45人ないし90人で,年に換算しても47人ないし140人の参加人数にとどまっていたことが認められる。
しかし,訪日調査の参加人数が当初は比較的少数にとどまったのは,前記認定事実5(3)エのとおり,一度の派遣人数を30人ないし40人程度とする方が,中国国内での調査や手続を円滑に進める上で好ましいとする中国側の意向を踏まえてのものであり,政府の中国政府に対する協力要請の遅れや事前準備が不十分であったことが原因とは一概にはいえない。また,訪日調査の開始の翌年に出された懇談会第1報告書においても,訪日調査の参加人数については,十分な成果の確保と中国側の準備期間を考えれば,当面は1回の参加人数は60人程度,訪日調査の回数は年3回が限度である旨の提言がなされており,当初の段階では比較的小規模の調査の実施が相当とされていたことが窺われる。
確かに,訪日調査開始から5年後(昭和61年)の段階では,年間672人を対象とする当初の数倍ないし十数倍規模の訪日調査が実現することになるが,これは先例のない試みを積み重ねる中で,次第に日中双方において大勢の孤児を訪日調査に参加させ得る基盤が整った結果と見るのが相当であり,上記数字の較差のみをもって,当初から多数の孤児が参加可能な態勢を政府が構築し得たはずであったと認めるのは困難というべきである。
なお,原告らの陳述書等によれば,肉親捜しを申請したにもかかわらず,訪日調査参加までに数年間も待たされた(長い者で5,6年)と述べる者も相当数存在するが,孤児の身元に関する手掛かり資料の多寡や信頼性の程度は孤児毎に千差万別であり,政府が初期の段階では手掛かり資料が豊富で信頼性が高く,身元判明の見込みの高い孤児を優先的に訪日調査に参加させる方針を執ったことによって(甲17,乙172,
173),結果的にその他の孤児の訪日調査の参加時期が数年程度遅れる結果となったとしても,上記のとおり,当初の参加人数の制約がやむを得なかったことからすれば,同結果の発生が政府による不合理な施策・方針に起因するものと評価することはできない。
(エ)③について
前記認定事実5(3)ウのとおり,対面調査によっても身元が明確に判断できない等の場合においては,当事者双方の希望により,血液鑑定ないしDNA鑑定を実施することが可能であったところ,血液鑑定等には国家による当事者のプライバシーの探索につながる人権上の問題が否定できないことからすると,血液鑑定等を行うか否かは飽くまで当事者の選択に委ねるほかないとするのもやむを得ないというべきであるから,訪日調査に当たって血液鑑定等を原則として実施するとの方針を政府が示さなかったことが不合理であったとまではいえない。
また,血液鑑定等に要する費用は,孤児の分は全額国庫負担とされており,少なくとも,孤児側が費用を理由に血液鑑定等による身元判断を躊躇する懸念はなかったものであるから,政府の費用援助が原則として片面的なものにとどまったことが不合理であったともいい難い。
そのほかに,政府が孤児の血液鑑定等の利用促進に過度に消極的であったことを認めるに足りる証拠はない。
(オ)訪日調査の実績
訪日調査全体を通じて見れば,昭和56年から平成11年までの間に30回にわたって実施された訪日調査において,2116人の参加人数中671人の身元が判明しており(判明率31.7%),政府が孤児の身元調査を遂行する過程において,一定の成果を上げたということができる。
他方,身元判明率の推移を見ると,別紙3孤児の肉親調査の概況

の集団訪日調査参加孤児の判明率の推移等欄記載のとおり,年間数百人規模の参加が実現する前の訪日調査開始当初の4年間(昭和56年3月から昭和60年3月まで)は,身元判明率が43%ないし75%と比較的高い水準を示していたものの,その後は判明率が低下し,平成元年以降は一度の例外を除いて判明率が10%台ないし一桁台に低迷する結果となっている。政府が初期の段階に比較的身元に関する手掛かり資料が豊富な孤児を優先的に訪日調査に参加させたことからすると,比較的手掛かり資料に乏しい孤児も大勢参加できるようになった後の段階で判明率が低下するのもやむを得ない面があるとはいえ,その一方で,訪日調査の実施に至るまでの時の経過に伴って孤児や在日親族の高齢化が進んだことが,肉親の死亡や関係者の記憶低下等の身元判明を困難とする事態の増加につながり,孤児の身元を解明する上で大きな障害となったことも否定できない。
そうすると,事後的にみれば,国交回復後のより早い段階で大規模な訪日調査を実施するのが相当であったと評価し得るものの,先に判示の諸事情に鑑みれば,当時の具体的状況の下で,政府の訪日調査に関する施策の誤りないし施策の遅れが国家賠償法の適用上違法な程度に達していたとまでは認められないというべきである。

その他の身元調査に関する施策
前記施策のほかにも,政府は,前記認定事実5(4)のとおり,訪中調査,訪日対面調査,キャラバン調査,身元未判明孤児肉親調査事業,孤児名鑑の発行といった身元調査に関する補完的な施策を順次立案・実施し,これらの施策を通じて身元が判明する孤児も現れるなど,一定の成果を上げた。

以上に判示したところを総合すれば,身元調査の遂行の場面において,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。

(3)帰国手続の整備の場面における早期帰国実現義務違反の有無

原告らは,政府は孤児の実情に合致した簡易な帰国手続を整備し,永住帰国を希望する孤児が早期に帰国できるようにすべきであったにもかかわらず,政府が孤児に対して実際に課した帰国手続は,かえって孤児の帰国を妨害する極めて不合理なものであり,これによって原告らの永住帰国が大幅に遅れる結果を招いたと主張し,具体的な早期帰国実現義務違反の事実として,①孤児を入管法上外国人として扱い,永住帰国の条件として在日親族の身元保証を要求したこと,②帰国旅費の支給申請者を孤児の留守家族に限定したこと,③昭和60年に身元引受人制度が創設されるまでの間,身元未判明孤児の帰国が事実上不可能であったこと,④身元引受人制度の創設後も,身元判明孤児については,依然として親族の身元保証を要求し,身元が判明したが故に帰国できないという矛盾が生じたこと,⑤成年の子が帰国旅費の支給対象外とされたことにより,孤児が永住帰国か家族分断かの深刻な選択を迫られたことを挙げている。
そこで,これらの点に関し,政府の執った措置に早期帰国実現義務に違反する違法な点が認められるか否かにつき検討する。


孤児を入管法上外国人として扱ったこと等について
(ア)前記認定事実6(2)アのとおり,政府は,昭和48年10月10日以降,従来引揚者に対して発給を行ってきた帰(入)国に関する証明書の発給を廃止して,日本国籍を有する者と中国国籍を有する者とで入国手続を峻別し,後者については,中国旅券に査証を行う扱いとし,査証発給の条件として,留守家族による身元保証書の提出を必要とするなど,前者に比べて厳格な入国手続を求めるようになった。そして,中国旅券により帰国する残留邦人(中国国籍取得者)の国籍については,前記認定事実6(2)ウのとおり,国籍法11条1項との関係上,中国国籍取得の意思が真正と認められる場合には,日本国籍を喪失したものと取り扱われることとなり,これによって,中国旅券により帰国する残留
邦人は,現に日本国籍を有することが確認できない限り,入管法上の外国人としての扱いを受けることとなった。
(イ)原告らは,政府が日本人である孤児について,中国旅券により帰国するとの一事をもって,日本国籍を喪失した可能性があるとして,一律に一般の外国人と同様の入国管理を行ったのは極めて不合理であると主張する。
しかし,そもそも,入管法が本邦に入国し,又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を図ることを目的とし(1条),外国人及び日本人の双方を含む全ての人の出入国に関し,同法に定める要件に該当しているか否かを審査し,所定の行政処分を公平かつ適正に行うことを基本理念としていること,同法が出入国者が日本人であるか否かにより出入国管理手続を厳格に峻別していること,憲法10条が

日本国民たる要件は,法律でこれを定める。

と定め,国籍法が日本国籍の取得や喪失に関する具体的な規定を置いていることからすれば,国籍法上,ある者につき日本国籍取得の事実が認められなかったり,日本国籍喪失の事実が認められる場合において,その者を入管法上外国人として扱うことは,同法の趣旨・目的に則った当然の措置であって,この理は入国管理の対象者が孤児であっても異なるところはないというべきである。
そして,日本国籍を有することの確認とは,入国審査官において,対象者について,国籍法所定の日本国籍の取得要件があり,かつ,その喪失要件がないことを認定判断することにほかならないところ,日本国籍取得の事実は,通常は戸籍の記載によって確認することが可能である。しかし,身元未判明孤児については,そもそも同事実の手掛かりとなるべき戸籍の存否が確認できず,入管行政上,これらの者を外国人ではないと確実に認定するのは一般には困難である。また,戸籍の記載等によ
り日本国籍取得の事実が確認できる場合においても,上記のとおり,国籍法11条1項との関係で,孤児が中国国籍を取得したことによって,外形上,日本国籍の喪失要件に該当することとなり,当該孤児が帰国時点において日本国籍を喪失している可能性が否定できない(むしろ,一般には喪失の事実が推定されるといえる。)。加えて,旧国籍法が適用される昭和25年6月30日以前に中国人と婚姻して妻となった孤児においては,旧国籍法18条に基づき日本国籍を喪失している可能性も高い(具体例として,原告番号2038,2053,2065,2111,3011。昭和25年に中国人と婚姻した同3015も,婚姻時期によっては,旧国籍法が適用される可能性がある。)。そうすると,入国審査官において,これらの孤児が日本国籍を有する者であることが確実な資料に基づき確認できない以上は,入国手続の段階で当該孤児を外国人として扱うことも,入管法の趣旨・目的に則ったやむを得ない措置といわざるを得ない。
したがって,政府がこのような孤児について,外国人としての入国管理を行い,当初は永住帰国の条件として身元保証人を要求したことも,後記エ及びオに判示のとおり,後に身元引受人制度を創設するなどして孤児の帰国手続を次第に緩和する措置を講じていること(同措置の実施主体は外務大臣・厚生大臣である。)を考え併せると,これが不合理な措置であったとまでは評価し得ないというべきである。
これに対し,原告らは,孤児が中国国籍を有するに至ったのは,養父母が幼い孤児を中国人として届け出たり,あるいは孤児が中国社会で生きていく中で,他に選択肢がない状態で中国国籍を取得したことによるものであって,到底自己の志望によって中国国籍を取得したとはいえないにもかかわらず,政府がこれを自己の志望によって中国国籍を取得したとみなして,日本国籍を喪失させる扱いを執ったことは著し
く不合理であると主張する。
しかし,残留孤児の生じた歴史的経緯は前記のとおりであるとしても,個々の孤児がその後中国国籍を取得するに至った事情は千差万別であるし,また,前記認定事実6(2)ウの通達は,入国審査の段階において,対象者が自己の志望により中国国籍を取得したか否かの点の実質審査を行うことを排除する趣旨のものではないと解され,中国国籍を有する孤児について,一律に日本国籍を喪失したものとみなすことまで意味するものではないから,結果的に多数の孤児について外国人としての入国管理が行われたことをもって,このような政府の措置が著しく不合理であったとまで評価することはできないといわざるを得ない。
(ウ)次に,原告らは,孤児の帰国に際し,政府が身元保証人の資格を親族に限定したのは,一般の外国人以上に入国要件を加重するものであり,長期間親族との関係を断ち切られてきた孤児に親族の身元保証を要求したのは著しく不合理な帰国妨害措置であると主張する。
前記認定事実6(2)アのとおり,入管法上の外国人として扱われる孤児が中国旅券に査証を受けるためには,留守家族が身元保証を行うものであることが確認できる内容の通信文を日本大使館に提出することが必要とされ,これにより,孤児が永住帰国するためには,在日親族の身元保証を得ることが必要な扱いとなった。原告らの中にも,身元引受人制度創設以前にボランティアが身元保証人となることで永住帰国を果たした者が存在することに照らすと(甲B10の1・2,甲B53の1・2・21),身元保証人が親族であることが必ずしも絶対的な要件ではなかったものと解されるが,査証発給の要件として上記書類の提出が求められていたことからすると,一般的には,親族の身元保証が得られない限り,事実上永住帰国ができないことを意味していたものと考えられる。そこで,身元保証人の資格を事実上親族に限定した措置の合理性につ
き検討すると,日本に生活の基盤を持たない孤児において,帰国後に日本社会への早期定着・自立促進を図るためには,親族が身元を引き受けるのが最適との考え方は合理的であるし,また,身元保証人の保証事項は,孤児の滞在費,帰国旅費,法令の遵守であるが,いずれも法的拘束力はなく,身元保証人となることに関する親族の負担が過重とまではいえない。
そうすると,身元が分からない孤児については,まず前記各手法による身元調査を先行させて親族の発見に努めるとともに,身元判明孤児については,親族の身元引受けを期待して,政府が当初は帰国の際に親族の身元保証が必要との扱いを執ったことも,後記エ及びオに判示のとおり,訪日調査によっても身元が判明しなかったり,身元が判明しても親族が身元を引き受けないケースが次第に増加していった実情を踏まえて,後に親族の身元保証を不要とする措置が講じられていることを考え併せれば,これが不合理であったとまで評価することはできないというべきである。
なお,原告らは,身元保証人の資格を親族に限定したのは,一般の外国人以上に孤児の入国要件を加重するものであって,入管法上違法の疑いが強いとも主張するが,上記のとおり,身元保証人が親族であることが絶対的な要件とまではされていなかったものであるから,これを入管法上違法と評価することは困難というべきである。
(エ)以上によれば,政府が孤児を入管法上の外国人として扱い,永住帰国の条件として親族の身元保証を要求したことに関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認められない。

帰国旅費の支給申請者を留守家族に限定したことについて
前記認定事実6(1)のとおり,永住帰国を希望する残留邦人と同行配偶者及び未婚の未成年の子等の扶養親族に対しては,国交回復前から帰国旅
費を国庫負担とする援護措置が行われていたところ,帰国旅費の支給申請手続は,当初は帰国希望者の留守家族が行うこととされていた。
原告らは,孤児の大半は帰国旅費を自ら支弁することができず,帰国に当たっては帰国旅費の支給を受けることが必要不可欠であったにもかかわらず,政府が支給申請者を留守家族に限ったことは,身元未判明孤児や親族が申請に協力しない身元判明孤児の帰国を妨害する著しく不合理な措置であると主張する。
帰国旅費の支給申請自体は形式的な事務手続であり,申請者が援護の対象となる孤児本人であるかの確認の必要性についても,身元判明孤児については,孤児が申し立てた在日親族に政府が確認を行えば足りるし,身元が不明な孤児についても,申請者が援護対象者に該当するかが疑わしいのであれば,支給を認めないこととすれば足りると考えられることに照らすと,申請手続が留守家族のみによって行われなければならない特段の必要性は見出し難い。しかし,他方で,上記イに判示のとおり,当初は孤児の帰国に当たって親族の身元保証を必要とした措置が違法とはいえないことを前提とすると,親族の身元保証が得られるのであれば,併せて帰国旅費の支給申請を親族に行ってもらうことに特段の困難はないと考えられるし,その後,昭和60年に身元引受人制度が創設され,身元未判明孤児の帰国に際して身元保証人が不要とされたのに伴って,身元未判明孤児については孤児本人が,身元判明孤児についても留守家族以外の第三者が支給申請を行い得るように手続が改められたこと(なお,原告らの中に,それ以前の段階で身元判明孤児の身元保証人となったボランティアが帰国旅費の支給申請を行い,申請が認められた例が存在する。甲B53の21・22)を総合して考えると,帰国旅費の支給申請者が当初は留守家族に限定されていたことそれ自体が,孤児が永住帰国を果たすに当たっての独立の妨害要因となったものとまでは認め難いといわざるを得ない。

そのほか,原告らは,帰国旅費国庫負担制度の周知方法を留守家族経由にとどめたのは不合理であるとも主張するが,未帰還者の調査において,従前から国,都道府県,留守家族,未帰還者の順(その逆も含む。)の連絡経路が築かれていたこと(乙83,84),身元引受人(特別身元引受人)制度を利用して帰国する孤児については,国費による帰国が前提となる関係上,孤児が同制度の適用を申請する際に帰国旅費国庫負担制度についても説明がなされると考えられることに照らせば,同制度の周知に当たって留守家族を通じた上記連絡経路を活用することとして,他の周知方法を特段講じなかったとしても,その措置が不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
以上によれば,政府が帰国旅費の支給申請者を当初は留守家族に限定したこと等に関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認められない。

昭和60年まで身元未判明孤児の永住帰国が事実上不可能であったことについて
前記認定事実6(3)のとおり,政府は,昭和60年に身元引受人制度を創設し,訪日調査によっても身元が判明しなかった孤児を対象に,身元保証人に代わる身元引受人を斡旋することで,従来は親族の身元保証が得られなかったために事実上不可能であった身元未判明孤児の永住帰国が可能となった。
原告らは,国交回復から13年もの間,政府が身元未判明孤児の帰国を事実上認めない措置を講じてきたのは著しく不合理な帰国妨害措置であると主張する。
しかし,前記(2)アに判示のとおり,身元の分からない孤児について,永住帰国に先立って,まず身元調査を尽くす方針を執ったこと自体は不合理とはいえないところ,昭和56年に身元判明率の比較的高い調査手法で
ある訪日調査が導入された後(訪日調査の導入が遅れたこと等につき早期帰国実現義務違反が認められないことは,前記(2)エに判示のとおり。),これを経てもなお身元が判明しない孤児が相当数(訪日調査参加人数の半数以上)に上ることが次第に判明する中で,訪日調査開始の4年後には身元引受人制度が創設されるに至っており,訪日調査の開始時点を基準とするならば,同制度の創設までに著しい遅延を来したとはいい難い。また,昭和57年8月26日に孤児問題懇談会から身元未判明孤児のための身元引受人の斡旋の提言がなされ,次いで,昭和59年3月17日に中国政府との間で中国残留日本人孤児問題の解決に関する日中間の口上書が交換され,在日親族の有無を問わず,政府が孤児の永住帰国を受け入れるとの方針が政府間で確認されたという流れを踏まえて,その翌年には身元引受人制度の創設に至っていることに照らすと,国内外で身元未判明孤児の帰国問題が焦点となった中で,政府による対応策の立案・実施が顕著に遅延したとも評価し難い。そうすると,国交回復から身元引受人制度が創設されるまでの13年間,政府が身元未判明孤児の永住帰国を事実上制限する措置を継続したことが著しく不合理であったとまでは評価できないというべきである。
以上によれば,政府の施策により昭和60年まで身元未判明孤児の永住帰国が事実上不可能であったことに関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認められない。

身元引受人制度創設後も依然として身元判明孤児につき親族の身元保証を帰国条件とし続けたこと等について
(ア)前記認定事実6(4)のとおり,身元引受人制度の創設後も,身元判明孤児については,引き続き永住帰国に際して親族の身元保証を求める扱いが続いたが,平成元年に特別身元引受人制度が創設されたことにより,親族が孤児の受入れを拒否するなどの事情により帰国ができなかった身
元判明孤児についても永住帰国が可能となった。
原告らは,①身元引受人制度の創設により,身元未判明孤児については身元保証人がなくても永住帰国が可能となったにもかかわらず,身元判明孤児についてのみ親族の身元保証を要求し続けたことで,身元が判明したが故に帰国できないという深刻な矛盾が生じたこと,②特別身元引受人制度を利用するためには,肉親を長期間説得したにもかかわらず,肉親が孤児を受け入れない等の厳しい要件が課され,しかも,特別身元引受人による孤児の永住帰国手続に異存がない旨の親族の確認書が必要という矛盾に満ちたものであったため,同制度がほとんど機能しなかったこと,③特別身元引受人の登録数が少なかったため,特別身元引受人のなり手が見つからずに帰国が遅れた孤児が多数存在することを挙げて,政府は親族の身元保証が得られない身元判明孤児の永住帰国を妨害する著しく不合理な措置を継続し続けたと主張するので,以下順に検討する。(イ)①について
まず,孤児の永住帰国に当たって親族の身元保証を求める扱いについては,前記認定事実6(2)エのとおり,昭和61年10月15日以降,身元判明孤児についても,在日関係者からの招へい理由書を提出すれば査証が発給される扱いとなったことにより,これ以後は親族の身元保証が得られなくても永住帰国が可能ないし容易となったものと解される。そうすると,身元未判明孤児との比較において検討すべきなのは,身元判明孤児について,身元引受人制度創設後も,上記時点まではなお親族の身元保証を求め続けたことと,上記扱い変更後も,なお招へい理由書という形で在日関係者から書類の提出を求める必要があったことについての合理性の有無ということになる。
そこで,まず前者の点について検討すると,親族の身元保証を得る術がなく,身元引受人制度によらなければ事実上永住帰国が不可能な身元
未判明孤児とは異なり,身元判明孤児の場合は,一応は親族の存在が判明しており,親族の身元保証を得ることにより永住帰国する可能性が全くないわけではないし,また,前記イ(ウ)に判示のとおり,日本に生活の基盤を持たない孤児の帰国後の日本社会への早期定着・自立促進を図るために,親族が孤児の身元を引き受けるのが最適との考え方には合理性がある。そうすると,身元判明孤児については,できる限り親族による身元引受けがなされることが適当との考慮の下に,身元引受人制度創設後もなお親族の身元保証を求める扱いを継続したことも,同制度の創設(昭和60年3月29日。乙13)から約1年半後には上記扱いが変更されて,親族以外の第三者による招へい理由書の提出をもって永住帰国が可能となり,親族が孤児の帰国に非協力的であるために帰国できないという事態は制度上一応解消されたことを考え併せると,これが著しく不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
次に,後者の点について検討すると,在日関係者からの招へい理由書は,孤児が落着き先未定のまま帰国してトラブルを起こすことのないように,帰国の際に孤児との連絡や世話をしてくれる人物がいることを確認する意味で提出が求められたものであり(乙197),日本に生活の基盤を持たずに帰国する孤児について,帰国後の日本社会への定着が円滑に進むように,上記のような立場の者の存在を事前に確認する必要があるとしたことには合理性がある。確かに,長年中国に在住していた孤児において,招へい理由書の書き手となる親族以外の第三者を確保することに困難が伴うことは否定し難いが,上記扱い変更後の約2年9か月後には特別身元引受人制度が創設され,親族が永住帰国に非協力的で,親族以外に在日関係者の知り合いがいない孤児についても制度上永住帰国が可能となったことにも鑑みれば,同時点まで身元未判明孤児と異なる扱いを継続したことが著しく不合理であったとまで評価するのは困難
といわざるを得ない。
以上の点を総合考慮すれば,身元引受人制度の創設後,身元判明孤児の方がかえって永住帰国が困難という一見矛盾とも映る事態が一定期間継続したことが著しく不合理であったとまでは評価し得ないというべきである。
(ウ)②について
前記認定事実6(4)イのとおり,孤児が特別身元引受人の斡旋を受けるためには,肉親が死亡又は所在不明の場合,長期にわたって説得後もなお肉親の孤児の受入れを拒否する姿勢に変わりがなかった場合(後に要件を緩和),その他肉親の事情により孤児の受入れが不可能な場合のいずれかに該当することが必要とされていたところ,上記(イ)に判示のとおり,可能な限り孤児の親族による身元引受けがなされることが適当との考慮に合理性を認め得ること照らせば,肉親による孤児の受入れが期待不可能な場合に限って特別身元引受人制度を適用するとしたことが著しく不合理であったとまではいい難い。
また,上記要件のうち,長期にわたる説得というのは,概ね6か月間にわたり定期的に説得を行うことをいうものとされ,著しく長期間とまではいえないし,これに加えて,肉親に対する説得は,業務担当都道府県の職員が市町村等の協力を得て行うものとされ,孤児本人があらゆる説得の負担を負わなければならないわけではないこと,平成6年1月以降は肉親が身元引受けを拒否する場合には直ちに特別身元引受人の斡旋が開始される運用となったことも考え併せると,当初は肉親に対する説得が要求されたことが孤児の特別身元引受人制度の利用を著しく阻害する不合理なものであったとまでは認め難い。
さらに,同制度の創設当初は,孤児が特別身元引受人の行う帰国手続により永住することに異存がない旨の肉親の確認書の提出が必要とされ
ていたところ,孤児が永住帰国した場合に孤児と肉親との関係に生じ得る摩擦を未然に防止するとの観点から,このような確認書の提出を肉親に求めるとしたことに必要性・合理性がなかったとまではいえないし,制度開始の2年後には確認書の提出が省略できることとされ,比較的短期間で同措置が撤廃されていることも考え併せると,当初の措置が著しく不合理なものであったとまでは断じ難い。
したがって,上記の点と後記(エ)に判示の特別身元引受人制度の運用実態を総合的に勘案すれば,同制度の適用要件が厳格であったことが著しく不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
(エ)③について
前記認定事実6(4)ウの特別身元引受人の運用状況に照らせば,平成6年度及び7年度末時点において,相当数の特別身元引受人登録者と斡旋実績があったことが窺われるから,特別身元引受人の登録数が少数であったことが原因で,実際には同制度の利用が著しく阻害されていたとまでは認め難いというべきである。
(オ)以上の点を総合すれば,政府の策定した身元引受人制度創設後の身元判明孤児の帰国手続に関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとまでは認められない。

帰国旅費の支給対象を限定したことについて
前記認定事実6(1)アのとおり,帰国旅費の支給対象は,永住帰国を希望する残留邦人と同行配偶者及び未婚の未成年の子等の扶養親族とされており,成人の子については,原則として支給対象外とされていた。原告らは,政府が成人の子を帰国旅費の支給対象外としたことにより,当該子の帰国費用を捻出できない孤児が,日本への永住帰国を選択して中国で形成した家族と離別するか,それとも永住帰国を断念するかの重大な決断を迫られ,家族分断の事態に思い悩んだ孤児の永住帰国が妨害される
結果を招いたと主張する。
しかし,成年の子については,一般的に自立生活を営むことが可能であり,孤児本人には扶養義務がないとの考えの下に,原則として援助の対象とはしないとの措置は必ずしも不合理とはいえない。また,成年の子であっても,身体等に障害を有していたり,在学中であったりするなどの孤児本人の扶養を要する場合には援護対象とされ,孤児の永住帰国によって,独力では生活を営み得ないこれらの者の生活に支障が生じる懸念を解消する措置が講じられていることや,平成4年度以降,身体等に障害を有する孤児や高齢の孤児(平成6年度以降)を扶養するために同行する成年の子1世帯についても援護対象に加え,対象者を順次拡大する措置が講じられていることも考え併せると,政府の実施した帰国旅費の援護措置が不合理であったとまでは評価できないというべきである。
なお,一時帰国経験者に対しては,当初は後に永住帰国を希望しても再度の援護は受けられない扱いであったが,国交回復から7年後の昭和54年以降はこれを付与することとしており,一時帰国経験者に対する当初の措置が孤児の永住帰国を違法に妨げたものとは認め難い。
以上によれば,政府が帰国旅費の支給対象を限定したことに関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認められない。
ここで,政府による費用援護に関して付言すると,前記認定事実7(11)のとおり,孤児の中国の養父母等に対する扶養費については,昭和61年5月9日,政府と財団法人中国残留孤児援護基金が所定の額を折半して援助することが中国政府との間で合意されており,この問題が孤児の帰国を妨げる要因になったとは認められない。

なお,原告番号1019について,中国在住中の平成4年4月30日に就籍許可の裁判が発効し,同年5月7日に同原告の戸籍が編成されたこと,その当時,同原告の実父(同原告を認知していない。)が同原告の帰国手
続の協力を拒んでいたこと,平成5年4月1日付けでC作成に係る同人が同原告の特別身元引受人を申し出る趣旨の外務大臣宛の招聘保証書と題する書面が提出されたこと,その後,平成6年2月17日に同原告と同伴家族(夫,四女)についての帰国旅費の国庫負担が承認され,同年4月8日に同原告が上記家族を同伴して永住帰国したことが認められ(甲A20の1・3ないし5・16),上記招聘保証書と題する書面が作成・提出された経緯は必ずしも判然としないが,上記Cが上記就籍許可の裁判の申立人代理人を務めた者であること,帰国時の同伴家族は両名とも中国人であったこと,同原告が家族を同伴しての帰国を強く希望していたこと(甲A20の1・3・5・18)に鑑みれば,同原告の就籍が許可された時点以降,政府が同原告の永住帰国を違法に遅延させたと認めるべき事情までは窺われない。

以上に判示したところを総合すれば,帰国手続の整備の場面において,被告に原告らに対する法的な早期帰国実現義務違反があったとまでは認められない。

5
総括
以上のとおり,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反を認めることはできず,国家賠償法上の違法性は肯認し得ないから,同義務違反の主張に基づく原告ら(原告番号2068を含む。)の請求はいずれも理由がない。
第7
1
自立支援義務違反の有無に関する当裁判所の判断
自立支援義務の有無及び法的根拠
(1)原告らは,被告が原告らに対して負うべき自立支援義務(日本社会での生活の基盤を持たない原告らが自立して生活を営めるように,その時々において可能な限りの手段を尽くすこと)とは,被告の先行行為(早期帰国実現義務と同様の先行行為に加え,被告が孤児の早期帰国を実現すべき責務を懈怠した事実)に基づき発生する条理上の作為義務であると主張し,これを支え
る法的根拠として,憲法,国際法(経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約,世界人権宣言),厚生(労働)省設置法,自立支援法を挙げている。
そこで,まず初めに,被告の原告らに対する自立支援義務が認められるか否かにつき検討する。
(2)前記第6に判示のとおり,被告は,原告らに対し,戦時中の国策に起因して,条理に基づく早期帰国実現義務を負っていたというべきであるが,同義務に違反したとの事実までは認められず,同義務を懈怠した事実を原告らに対する自立支援義務の根拠とすることはできない。
しかし,他方で,前記認定事実9のとおり,原告らが実際に永住帰国を果たすまでには,終戦時から数えて32年ないし55年,被告の早期帰国実現義務が現実化した主権回復時を基準としても25年ないし48年という,人によっては全人生の半分以上にも及ぶ長い年月が経過しているのであって(別紙4中国帰国者の年度別帰国状況記載の最初に永住帰国した孤児(昭和49年永住帰国)においても,帰国までに終戦後29年,主権回復後22年の年月が経過している。),これを国家賠償法上違法とまでは評価し得ないとしても,原告ら孤児の早期帰国を実現させるべき立場にあった政府が,その実現過程で様々な困難はあったにせよ,実際上,非常に長期間にわたって原告ら孤児の帰国を実現し得なかったことは否定し得ない。そして,原告ら孤児は,幼少期に肉親と離別し,心身発達・人格形成期を含む帰国に至るまでの間の人生の大半の期間を中国で過ごしてきた者であって,帰国の時点において,長期間に及ぶ日本の社会・文化とは隔絶された異国の地での生活の過程で日本語の能力が著しく減退しているか,あるいはそもそも日本語を学習する機会を十分に持ち得なかった者が大多数に上ることを政府は容易に予見し得たし,そのような原告ら孤児が,帰国後直ちに生活の基盤のない日本社会の中に置かれた際に,国等による支援施策が講じられ
なければ,多大な社会生活上の困難を来すであろうことも同様に予見し得たということができる。
そうすると,原告らに対する早期帰国実現義務を負っていた被告において,実際上,原告らの帰国を実現するまでの間に,終戦時から数えて約30年以上に及ぶ年月が経過しており,同事実と上記孤児の置かれた状況から,原告らが帰国した際に,無施策のままでは,原告らが社会的に自立した生活を営む上で多大な困難を伴うことを具体的に予見し得たのであるから,被告(具体的な義務主体は,引揚援護を任務・所掌事務とする厚生省の長である厚生大臣)には,条理に基づき,具体的状況下において可能な限度で,原告らの自立を支援する施策を立案・実施すべき義務が課せられたと解するのが相当である。そもそも,生存権を保障した憲法25条1項の趣旨に鑑みると,原告らのように,長期間日本の社会・文化から隔絶され,日本社会での生活の基盤を持たない者に対し,日本社会において健康で文化的な最低限度の生活を営み得るようにすべきことは,被告に課せられた当然の責務というべきであり,そのような原告らの境遇・生活条件が被告の国策と早期帰国の不実現という事実に起因して生じた以上,被告には条理に基づく自立支援義務が法的な義務として課せられたものというべきである。
(3)これに対し,被告は,自立支援義務なる義務内容は不特定であり,法的判断の対象とはなり得ないと主張する。
確かに,被告において,原告らが日本社会で自立した生活を営めるように,その時々の具体的状況に応じて可能な限度での施策を講じるべきであるという義務の性質上,帰国の実現という意味で義務履行の最終的な到達点が明確に把握可能な早期帰国実現義務と比較しても,自立支援という義務内容にはより一層抽象的で一義的に確定し難い側面があることは否定し得ないが,原告らの主張上,政府が執るべきであったとする施策内容が分野毎にある程度具体化されていることに照らすと,全体としてみれば,判断の対象となる
義務内容がおよそ不特定とまではいうことはできない。
また,被告は,原告らの主張する損害は戦争犠牲ないし戦争損害にほかならないとも主張する。
しかし,原告らが自立支援義務違反に起因するものとして主張する損害は,元々日本語能力や日本での生活基盤を有しないまま帰国した原告らにおいて,政府による帰国後の自立支援施策が不十分であったために,社会的に自立した生活を送ることができないことに伴って発生した人格的損害をいうものであり,その性質上,原告らの帰国後に初めて発生した損害をいうものであることは明らかであって,敗戦に伴って生じた中国残留という事態に直接起因ないしこれに引き続いて強いられた何らかの犠牲に対する補償を求めるものとは局面を異にするから,原告らの主張する損害が戦争犠牲ないし戦争損害に該当すると解することはできないというべきである。
(4)なお,いわゆる朝鮮残留孤児である原告番号2068に関しては,前記第6の1(5)に判示したところと同様に,条理上の自立支援義務を基礎付ける具体的事実(早期帰国実現義務を基礎付ける国策起因性)の主張立証がない以上,被告の同原告に対する法的義務としての自立支援義務を認めることはできず,この点において既に,同義務違反の主張に基づく同原告の請求は理由がない。
2
自立支援義務違反の有無の判断基準
(1)上記1に判示のとおり,被告が原告らに対して自立支援義務を負っていたことが認められるとしても,その義務内容は,孤児の社会的自立を到達点として,政府がその時々の具体的状況下において可能な限度での施策を講じるべきであるというものであり,前記早期帰国実現義務と比較しても,より一層抽象的・相対的なものとなることは避けられない。また,自立支援施策の立案・実施過程においては,孤児の自立を促進する上で,政府としていかなる分野についての手当が必要であり,具体的な支援施策としていかなる
施策が選択肢として考えられ,その施策の効果はどの程度であるか等の分析や見極めに専門的な検討・判断が必要となることも明らかである。さらに,原告らの主張する自立支援義務は,究極的には国家の財政出動を伴う積極的な福祉政策を要求し,その水準の当否を問題とする趣旨のものであって,その性質上,社会経済情勢,国家財政,社会福祉の一般的水準等に係る国政全般にわたる総合的な政策判断と密接に関連するものとならざるを得ない。そうすると,憲法25条1項が保障する生存権に関し,何が具体的に健康で文化的な最低限度の生活に該当するのかは一義的ではなく,多数の不確定要素を総合考慮して初めて決定し得る極めて抽象的・相対的な概念であることも考え併せると,原告らに対する自立支援施策として,政府がいかなる施策を立案・実施すべきかの判断は,結局のところ,基本的には,現実に孤児に対する援護事務を所掌する行政庁(厚生省)の裁量的判断に委ねられるところが大きいものといわざるを得ず,政府(具体的には厚生大臣)が実際に講じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,個別の施策として,あるいは施策総体として著しく不合理なものであったといえるのでない限り,当該個別の措置若しくは不作為又は施策総体が同義務に違反して国家賠償法上違法となると評価することはできないというべきである。(2)これに対し,原告らは,前記第6の2(6)①ないし④の根拠を挙げて,被告の裁量の余地は極めて限定されるべきであると主張するが,①ないし③については,前記と同様の理由により採用できないし,④については,原告らが帰国後の政府の施策の不十分さを問題とする以上,これに関連して原告らが参政権を行使する機会は与えられていたこと,現に政府の施策が不十分というのであれば,参政権の行使を通じて現状を改める機会が存在していることに照らし,これを被告の裁量を限定する根拠とすることはできないというべきである。
3
日本語教育施策についての自立支援義務違反の有無

(1)前記1(2)に判示のとおり,政府は,国交回復後に孤児からの永住帰国や身元調査の要望が数多く寄せられるようになった時点において,幼少期から長期間中国で生活してきた孤児の大多数が,日本語の能力を喪失したか,あるいはそもそも学習する機会が乏しかった者であることを具体的に認識し得たところ,第二言語となる日本語の習得は,孤児が日本社会で自立した生活を営む上で必要不可欠なものであるから,政府においては,帰国後の孤児が社会生活上必要となる日本語を学習する制度・機会を設ける施策を立案・実施すべき義務が課せられていたというべきである。
そして,前記認定事実7(2)以下のとおり,政府は,孤児の日本語教育に関する一定の施策を実施してきたことが認められるところ,これを整理すると,以下のとおりとなる。


昭和54年
語学教材として録音テープ,テキスト,カセットレコーダーの支給


昭和59年
定着促進センター設立,4か月間の日本語指導を実施(昭和62年,平成5年,6年,7年に順次入所対象者を拡大)



昭和61年
昭和52年から派遣を開始した自立指導員の業務内容として日本語指導等を追加



昭和63年
自立研修センター設立,8か月間の日本語指導を実施(平成9年以降,日本語の再指導も実施)



平成13年
日本語学習支援事業を行う支援・交流センターを設立

(2)原告らは,帰国時には相当高齢化していた孤児が,日本社会で自立生活が可能な程度(職場でコミュニケーションが取れる程度)の日本語を第二言語
として習得するためには,継続的かつ各人の能力と日本語習得状況を踏まえたきめ細やかな日本語教育体制を整え,孤児が日本語学習に専念できるような処遇を行うことが必要であり,かつ,各方面から十分な日本語教育施策を求める要望が繰り返しなされていたにもかかわらず,政府が行ってきたとする上記施策は,内容・規模・導入時期等の点で著しく不十分ないし時機を逸した到底日本語教育の名には値しない貧弱なものであって,現に原告らを始めとする孤児の大半が,日常生活に必要な日本語能力すらも身に付けることができていないのが現状であり,このような施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したものであると主張する。
(3)ところで,前記認定事実7(1)のとおり,孤児問題に関係の深い立場の有識者も複数名構成員となって,孤児をめぐる様々な問題につき検討を行った孤児問題懇談会が昭和57年8月26日に発表した懇談会第1報告書においては,孤児問題についての基本的考え方として,政府が帰国した孤児の定着のために根幹的な対策を進め,地方公共団体やボランティア団体が新たに地域住民となった孤児たちのためにあたたかい援助を行うことが必要なことはいうまでもないが,それはあくまでも側面的な援助であって,最終的には,孤児自らが努力して困難を克服していかなければならない。との記載があり,国等が孤児に対して行う援助は,飽くまでも孤児自身による困難克服に向けた努力を支援する側面的な援助であるとの基本的な方向性が示されていた。また,同懇談会が昭和60年7月22日に発表した懇談会第2報告書においても,孤児問題についての基本的考え方として,帰国した孤児が定着し,自立するためには,孤児自らが努力して困難を克服していかねばならないことはもちろんであるが,政府,地方公共団体は言葉と文化の異なる日本に帰国した彼等の直面する様々の困難を少しでも軽減するために,物心両面にわたる施策を積極的に推進する必要があること。との記載があり,従前以上に国等による孤児に対する支援施策が積極的に講じられる必要
があるが,基本的には孤児自身の努力によって困難を克服していかなければならないとの方向性が再確認されたものと解される。
このように,政府が今後の孤児問題対策を推進する上で参考とすべく諮問を行った有識者の間においても,国等の孤児に対する支援施策は,第一義的には飽くまでも孤児自身の困難克服に向けた努力を側面的に援助する性質のものとの認識が示されていたのであるから,政府の行った自立支援施策が不合理であったか否かの判断に当たっては,上記の趣旨における側面的な援助として不合理なものであったかどうかとの視点も加味して判断すべきものと解するのが相当である。
そこで,上記視点を踏まえて,以下政府が行った日本語教育施策の内容・実施状況等に照らし,当該施策の合理性の有無につき検討する。
(4)まず,前記①のとおり,政府が最初に行った日本語教育施策は,昭和54年1月26日から実施された,昭和52年4月以降の帰国者のうち,日本語が理解できない者として厚生省援護局庶務課が決定した者に対する語学教材の支給措置であったところ(乙37),原告らは,昭和53年以前には政府が何らの日本語教育施策も実施しなかったこと,昭和52年3月以前に帰国した孤児には何らの措置もなされなかったこと,各孤児の中国語識字能力等を踏まえずに独習用教材を支給しても語学学習の効果は上がらないこと,そのような状態が昭和59年にようやく定着促進センターが開設されるまで続いたことといった点において,政府の行った上記施策は著しく不十分であったと主張する。
しかし,国交回復前から,定着地に於ける海外引揚者援護要領(昭和21年4月25日次官会議決定)に基づき,海外引揚者に対する援護機関は地方自治体とされ,帰国者の帰国後の定着自立支援は第一次的には地方自治体の役割とされていたこと(乙42,88),別紙4中国帰国者の年度別帰国状況記載のとおり,孤児が最初に永住帰国した昭和49年から昭和5
3年までの間の孤児の永住帰国者世帯数は55世帯(世帯員数208人)で,当初は孤児の帰国者数が比較的少数であったことからすれば,一定期間集合教育を行うことに代えて,個別的に一律の語学教材を支給するとの対応を選択したことが必ずしも不合理とまではいえないこと,当初は帰国者の年齢層が比較的若く,後年の帰国者と比べて,一般に言語学習効率が高い条件下にあったこと(現に,昭和59年10月1日に実施された最初の生活実態調査(乙122の1)においては,92%の調査対象孤児が簡単な日常会話ができる程度の日本語を習得済みと回答していた。),孤児本人の中国語識字能力が低い場合であっても,世帯全体で考えれば,全く学習効果が上がらないとまではいえないこと,後記(5)に判示のとおり,独習よりも学習効率の高い集合教育を行う定着促進センターの開設時期が著しく時機を逸したとは評価し難いことを総合考慮すれば,政府の最初に行った上記施策が孤児に対する側面的な援助としての日本語教育施策として著しく不合理であったとまでは評価できないというべきである。
(5)次に,政府の実施した集合教育方式による日本語教育施策につき検討する。ア
前記認定事実7(3)のとおり,昭和59年2月,埼玉県所沢市に定着促進センターが開設され,帰国直後からの概ね4か月の入所期間中,学歴等に応じて編成されたクラス毎に,初歩的な日常会話レベルの日本語指導が行われることとなった。
また,前記認定事実7(7)のとおり,昭和63年度以降,全国15か所に自立研修センターが開設され,原則として8か月の通所期間中,日本語教育の進度に応じて編成されたクラス毎に,1日2.5時間,1週12.5時間を基準とする日本語指導が行われることとなった。

イ(ア)原告らは,定着促進センターについて,開設時期が著しく時機に遅れていたこと,同センターでのわずか4か月程度の集合教育では各孤児の能力に応じたきめ細やかな指導はできず,日常会話程度の日本語を習
得することすら不可能であること,同センターの入所対象者や収容人数が限定されていたことを挙げ,同センターにおける日本語教育は著しく不十分であったと主張する。
(イ)しかし,定着促進センターの開設に至った経緯は,別紙4中国帰国者の年度別帰国状況記載のとおり,昭和54年度以前は永住帰国した孤児の世帯員数が二桁台にとどまっていたのに対し,昭和55年度以降は同世帯員数が常時三桁を超えるなど,帰国孤児と同伴家族が年々増加していく中で,次第に孤児等が日本社会で定着自立していく上での様々な困難性が指摘されるようになり,これを支援する訓練施設の設置要請が寄せられていたこと,昭和57年8月26日に提出された懇談会第1報告書において,帰国直後の孤児を一定期間収容して,集中的に日本語教育を含めた生活指導を行うための帰国者センターの設置が提言されたことを踏まえてのものであり,このような流れを受けて,厚生省が昭和58年度の予算要求事項として定着促進センターの設置費用を盛り込み(乙89),昭和59年2月には同センターの開設に至っていることを全体的に考察すれば,同センターの設置時期が著しく時機に遅れたとまでは評価し難いというべきである。
(ウ)次に,入所期間が概ね4か月とされていたことについては,研修期間に関し,合宿での集中学習は,授業が終われば家族や仲間で小中国社会を作るだけで,日本語の学習効果という点で不十分であり,早く日本人社会の間で生の日本語の交流を行う方が語学習得には適している旨の日本語教育の専門家からの指摘や(乙2),日本に帰国した孤児をあまり長い間一般社会から遠ざけておくことは好ましくないので,標準的な入所期間は4カ月程度に止めることが適当であろう旨の孤児問題懇談会の提言がなされていたことを踏まえて設定されたものであることに照らせば,この期間が基礎的な日本語教育を施す上で著しく短期であっ
たとまではいい難い。
また,実際の日本語指導についても,中国における学歴等が多様なことを考慮し,年齢構成,日本語学習歴,学歴等を勘案したクラス編成を行った上でなされるものであるから,集合教育とはいえ,個々の孤児等の能力・属性にもある程度配慮し,これに対応した指導方法が採られていたものと認められ,指導方法が一律で形式的な著しく非効率的なものであったとも評価し難い。
(エ)他方,定着促進センターの収容人員について見ると,別紙5中国帰国者定着促進センター年度別受入及び入所世帯人員記載のとおり,開設当初2年余りの間(昭和58年度ないし昭和60年度)の定員(受入可能世帯人員)が80人(年間240人)とされていたことは,懇談会第1報告書において,帰国者センターの定員を当面は150人程度(年間450人程度)とすることが適当である旨の提言がなされていたことに照らすと,受入規模として不十分であったことは否めない。しかし,その翌年度(昭和61年度)には,上記提言を上回る年間655人の受入数が確保され,さらにその翌年度(昭和62年度)には,孤児の大量帰国に対処するため,所沢センターの拡張と全国5か所のセンターの増設が行われた結果,年間1485人の受入数が確保され,別紙4中国帰国者の年度別帰国状況記載の同年度における永住帰国者の総世帯員数1424人(全年度を通じて最多)を上回る収容規模に拡張されたこと,その後も帰国者数が増加傾向に転じた際には,新たにセンターを設置して,いったん縮小した定員を拡大する措置を講じていることを考慮すれば,当初ないしその後の段階における定着促進センターの収容人員の制限が著しく不合理であったとは認め難い。
また,入所対象者についても,当初は原則として国費により永住帰国する孤児と同伴家族に限定されていたものの,昭和62年度以降,順次
入所対象者の範囲を拡張する措置を講じていること,同センター開設当初から,厚生省援護局長が入所を適当と認めた者については入所対象者とされており,孤児の個別事情に配慮した取扱いが可能であったことも考え併せれば,同センターの入所対象者につき著しく不合理な制限がなされていたともいい難い。
なお,原告らは,原告らのうち,同センター開設以前に帰国した者については,そもそも同センターに入所する機会が与えられなかったと主張するが,懇談会第1報告書にもあるように,同センターは,孤児が円滑に社会生活に溶け込めるようにするため,帰国後直ちに一定期間入所させることを念頭に置いた施設であり,既に帰国した孤児については,後記自立指導員等の活用を通じて一定程度日本社会に適応しているものと一般に考え得ることに照らせば,このことを著しく不合理であったと評価するのは困難というべきである。
ウ(ア)次いで,原告らは,定着促進センターでの4か月間の日本語教育を補完・継続するものとして設立された自立研修センターに関し,集合教育である関係上,各人の能力等を踏まえたきめ細かな教育はできないこと,定着促進センターと合わせて1年間の集合教育を受けることができたとしても,孤児が高齢であることを考えれば,第二言語の習得期間としては著しく不十分であること,自立研修センターでの教育内容は,定着促進センターで身に付かなかった挨拶や買物などに必要となる日本語を再度教える程度のものであり,1年間の教育を受けたとしても,職場でのコミュニケーションが可能な水準には達し得ないこと,帰国後1年が経過すると,政府は孤児に対して就労(生活保護からの脱却)を強く求め,孤児が職場でのコミュニケーションも取れない状態で,話をしなくても働ける職場に就労を余儀なくされた結果,働きながら日本語が上達することはほとんどなかったこと等の点を挙げて,このような施策の
下では,孤児が社会的自立に必要な日本語を習得するのは極めて困難であったと主張する。
(イ)しかし,自立研修センターの日本語指導においても,日本語教育の進度に応じたクラス分けが行われており,各人の能力・学習状況等に一定程度配慮した上での指導を行うことは可能であること,前述のとおり,定着促進センターでの4か月間の基礎的な日本語学習を終えた後は,早く日本人社会の間で生の日本語の交流を行う方が語学習得には適している旨の専門家の意見があったこと,前記③のとおり,昭和61年度以降は自立指導員の業務として日本語の指導等が追加されたこと,前記認定事実8(3)のとおり,孤児問題にかかわりの深い有識者が半数近く構成員となっている帰国者支援検討会において,孤児問題懇談会の提言当時(昭和57年,60年)は,孤児が就労可能な年齢であった等の事情もあって,同提言に沿って国が行ってきた帰国後比較的短期間に限った援護施策も,帰国者の自立に一定の効果を上げることができたとの評価がなされていることを考え併せると,政府が両センターを通算して1年間の日本語教育を施し,その後は基本的には社会生活を通じて日本語を習得していくことを想定した制度を構築していたことが,孤児の日本語習得を側面的に援助する施策として著しく不合理なものであったとまでは評価し難いというべきである。
(ウ)そのほか,原告らは,政府が孤児を全国に分散させる施策を執ったために,定住地に自立研修センターがなく,通所ができない者もいたと主張するが,そのような孤児世帯には自立指導員の派遣回数を増やして,日本語指導を受ける代替の機会を設けていたこと(乙105,107,151)に照らすと,定住地との関係で同センターの利用に不便を来した孤児が現実に存在したとしても,このことをもって,政府の同センターに関する施策が著しく不合理であったとするのは困難である。

なお,原告らは,同センター開設以前に帰国した者については,同センターでの教育を受ける機会を持たなかったとも主張するが,同センターの通所対象者に関しては,当初より帰国時期による制限は設けられていなかったのであるから,原告らの主張は前提を誤っている(もっとも,平成9年7月3日以降は,日本語の再指導等を新たに実施することとした関係上,帰国後3年又は5年を経過した者は事業の対象外とする扱いとなったが(乙21),原告らの主張とは直接結び付かない事情である。)。
(6)以上に対し,原告らは,平成7年3月に定着促進センターが発表した中国帰国者に対する日本語教育のカリキュラム開発に関する調査研究と題する報告書(甲181)において,定着促進センターと自立研修センターを中心とする二段階の研修システムに関し,

このシステムのもう一つの重大な欠陥は,全体の枠組みが1年間程度の短期的,部分的な視点からしか作られていないという点である。

現行のシステムではその後の学習支援の方策についてはまったくといってよいほどに考えられていない。

中国帰国者の適応過程が相当長期にわたると考えられる以上,また,JSL(注:第二言語としての日本語)学習が生涯学習的な性格をもつことを考えても,長期にわたる支援体制が不可欠のはずである。

との重大な問題点が指摘されていることからすれば,政府の日本語教育施策に根本的な誤りがあったことは明らかであると主張する。さらに,平成15年度調査において,片言の挨拶程度か全く日本語ができないとする孤児が47.1%にも上ることや,本件アンケートにおいて,172人の調査対象原告中,テレビの内容が余り分からない又は分からないとする者が139人(81.3%),自分で買物をするのに不自由するとする者が83人(48.3%)にも上ることからすれば,孤児の大半が日常生活に必要な日本語能力すら身に付けていないことは統計上も明白であり,政府の日本語教育施策の不十分さが顕著に示されていると
主張する。
ほかならない孤児に対する日本語教育を行う第一線の現場から上記のような厳しい問題提起がなされたことに鑑みると,政府の従前行ってきた日本語教育施策が決して十分なものではなかったことは否定し得ない。しかし,他方で,両センターでの研修修了後も,自立指導員を通じて日本語学習を継続することが可能であり,政府において,その後の学習支援体制を全く欠いていたわけではないし(同報告書においても,両センターのような学校における研修(公式の学習)修了後は,日常生活の中で続けられる非公式の学習の支援を中心に据えた学習支援体制が必要であるとされ,その学習リソースの一つとして自立指導員が挙げられている。),また,前記認定事実7(7)イのとおり,政府は,同報告書の発表から2年後の平成9年以降,自立研修センターにおいて日本語の再指導も実施することとして,より継続的かつ幅広い日本語学習支援体制を整備し,さらに,前記認定事実7(8)のとおり,平成13年11月以降,日本語学習支援事業を行う支援・交流センターを新たに設置して,検討会報告書の提言も受けて,近年は上記支援体制をさらに拡充する方針を打ち出している。上記統計数値に関しても,別の視点から見れば,平成15年度調査において,半数以上の者は独力で日常生活を営める程度の日本語能力を習得済みと回答しているし,そのうち38.1%の者は帰国後1年未満で同程度の日本語能力を習得できたと回答し,2年未満で習得と回答した者まで含めると,その割合は58.5%に達している。以上の点を総合的に勘案すれば,政府が定着促進センターと自立研修センターを通じて1年間の基礎的な日本語教育を施すとした基本路線が根本的に誤っていたとまで断じるのは困難というべきであるし,事後的に見れば,政府の日本語教育施策に相当程度不十分な面があったことは否定できないとしても,これが孤児の日本語習得を側面的に援助する施策として著しく不合理であったとまでは評価し難いといわざるを得ない。

(7)以上によれば,日本語教育施策の面において,政府による施策に自立支援義務に違反する違法な点があったとまでは認められない。
4
就労支援施策についての自立支援義務違反の有無
(1)孤児が日本社会の中で自立した生活を営むためには,自ら収入を得る途が開かれるように,孤児の就労を支援する施策が必要となるから,政府においては,帰国後の孤児の就労を援助するための施策を立案・実施すべき義務が課せられていたというべきである。
そして,前記認定事実7(3)以下のとおり,政府は,孤児の就労支援に関する一定の施策を実施してきたことが認められるところ,これを整理すると,以下のとおりとなる。


昭和52年
自立指導員を派遣して,孤児の就労等の問題に関する相談に応じ,必要な助言・指導を実施(昭和55年度以降は職業訓練校協力生活指導員を設置,昭和62年度以降は同指導員の業務を自立指導員の業務として追加)


昭和57年
職業転換給付金制度の適用



昭和59年
特定求職者雇用開発助成金の適用



昭和61年
定着促進センターで孤児に対する就労相談・指導の実施(翌年から職業相談員を配置)



昭和62年
雇用促進事業団による就職時の身元保証を実施



平成元年
自立研修センターに専任の就労相談員を配置し,各種就職相談・指導・企業等に対する啓発活動の実施(平成4年度以降は就労安定化事業,平成
9年以降は就職促進オリエンテーション事業を実施)
(2)原告らは,憲法25条,27条,14条に照らし,政府には各人の実情に応じた就労を支援する制度を整備する義務が課せられており,特に孤児に対しては,日本語が十分できないこと,中高年であること,中国で職業経験を有していることを踏まえた上で,実効的な就労支援施策を施すべきであったにもかかわらず,政府は,孤児に対し,帰国後1年で就労することを日本語能力や職業訓練を欠いたままの状態で強く要求し,孤児の中国での職業経験を活かすための措置や,公共機関での孤児の採用を義務付ける措置を一切講じずに,時機に遅れた実効性を欠く就労支援施策しか実施しておらず,その結果,多くの孤児が就労できないか,就労できたとしても低収入にとどまり,生活保護の受給率が極めて高い事態が生じているのが現状であって,このような施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したものであると主張する。
しかし,前記3(3)に判示のとおり,孤児に対する自立支援施策は,第一義的には飽くまでも孤児自身の困難克服に向けた努力を側面から支援する性格のものというべきところ,上記①のとおり,政府は,孤児の永住帰国が始まった3年後の昭和52年には,自立指導員を通じて孤児の個別的な就労相談・指導に対応する制度を設けているし,また,帰国後の孤児の自立・定着促進の要となる定着促進センターと自立研修センターにおいても,専任の相談員を配置して孤児の就労を個別的に支援する態勢を整えるなど,孤児の就労支援施策を順次拡張しつつ実施しているものであって,これらの施策が孤児の就労を側面から援助するものとして不合理であったとまでは認め難い。中国での職業経験を活かす措置を講じなかったとの点についても,資格の認定方法や資格者に必要とされる知識・技能等が日中間で異なると考えられる以上,この点につき政府が特段の措置を講じなかったとしても不合理であったとはいい難い。

政府が孤児に帰国後1年での就労を強く迫っていたとする点については,懇談会第1報告書において,孤児が日本社会で自立・定着していくまでの過程として,3段階の施策モデル(第1段階が帰国直後の帰国者センターへ入所する段階,第2段階がセンターを退所して地域社会に入る段階,第3段階が就職して自立する段階)が提示されており(乙90),政府もこれを指針として各種自立支援施策を実施・運用していたものと考えられるが,同モデルにおいては,第2段階から第3段階に移行すべき時期が特段明示されているわけではないことからすると,政府が孤児に対し,帰国後1年で生活保護からの脱却と就労を画一的に要求する方針を執っていたものとは認め難いというべきである(なお,昭和62年3月31日発行の厚生省援護局編集に係る書籍(甲17)には,自立指導員が帰国後1年以内を目処に就職し,あるいは特別の専門資格の取得に必要な教育研修を受けるよう指導するなど自立の手助けをしていますとの記載があるが,同記述は自立指導員の派遣期間がまだ帰国後最初の1年間であった時期(同月以前)の指導指針を表したものと考えられ,また,帰国後1年以内を目処に就職というのも,飽くまで一つの目安を示したものと考え得るから,同記載をもって,直ちに原告らの主張するような就労強要の実態が存在していたと認めるのは困難である。)。確かに,平成11年度調査(平成15年度調査の就労状況に関する統計数値は,帰国者全体を対象としたものなので,平成11年度調査の方が孤児の就労状況の実態をより適切に反映したものと考えられる。)によれば,孤児本人の就労率は29.2%で,平均世帯収入も一般世帯比で半分以下にとどまっており,調査対象者の平均年齢が58.3歳であることを考慮すると,必ずしも良好な就労状況が実現できているとはいい難いが,他方で,世帯全体でみれば就労率は6割を超えること,就労していない理由の7割近くを傷病のためが占めており,傷病により心身が就労に堪えない者が治療に専念するために生活保護を受給するのはやむを得ないことに鑑みれば,政府の実施
した就労支援施策が側面的な就労援助として著しく不合理なものであったとまでは評価し難いし,憲法に反する事態が生じているとも認められないというべきである。
(3)以上によれば,就労支援施策の面において,政府の施策に自立支援義務に違反した違法な点があったとは認められない。
5
生活支援施策についての自立支援義務違反の有無
(1)生活保障面

原告らは,日本に生活基盤を有しない孤児が社会的自立を果たすためには,帰国直後の孤児に対する単なる生活保護法による扶助以外の早期に生活基盤を形成し得るような生活援助措置や,老後の生活保障に関する年金についての特別な措置が必要であるところ,政府が帰国後の孤児に対して一時金として給付する自立支度金制度や,国民年金の国庫負担相当額を孤児の年金額に反映させる等の特例措置は,いずれも孤児に対する生活保障施策としては極めて不十分であり,また,孤児につき他の一般国民と同様の基準で生活保護制度を適用することは,かえって孤児の自立を阻害する結果を招くのであって,孤児を対象とした生活保護とは別の特別の援護措置を講じなかったことは著しく不合理であるとして,このような生活保障に関する施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したものであると主張するので,以下順に検討する。


自立支度金制度
前記認定事実7(2)アのとおり,自立支度金(帰還手当)は,国交回復以前から,帰国者世帯に対し,帰国者の当面の生活資金に充てるものとして支給されていたものであるが,国交回復後,孤児の帰国者世帯数が飛躍的に増加するのに合わせて,自立支度金の額も比較的短期間のうちに逐次増額改訂が繰り返されてきたこと(乙2)に照らすと,孤児世帯が日本に生活基盤を有さず,日本語能力も低いという側面に全く配慮を欠いた給付
金制度とまではいい難く,孤児世帯に対する帰国直後の段階における生活支援のための経済的給付措置として不合理であったとまでは評価できないというべきである。
これに対し,原告らは,政府が北朝鮮による拉致被害者に対し,5年を限度として毎月給付金を支給していること(北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律(以下拉致被害者支援法という。)5条)との対比上,孤児に対しても,最低でも5年以上の帰国後の生活保障のための特別の給付金制度を創設すべきであると主張するが,後記7に判示のとおり,自立支援法と拉致被害者支援法とでは政策的な立法の趣旨・目的が異なり,孤児と拉致被害者を対象とする各支援施策の内容を法的な自立支援義務の観点から比較対照するのは相当でないというべきであるから,原告らの主張は採用できない。

国民年金に関する特例措置
前記認定事実7(9)のとおり,残留邦人の国民年金に関しては,平成8年4月1日以降,各人の中国在住期間(昭和36年4月1日以降)を保険料免除期間と扱って3分の1を年金額に反映させるとともに,上記期間に係る保険料の追納を認めるとの特例措置が講じられたところ,これによって,帰国後も低所得等を理由として保険料の全額免除措置が継続した場合においても,満額の場合の3分の1の年金額(現在では月額約2万2000円)は少なくとも受給することが可能となった。
このように,政府は,帰国後の孤児が加入期間が短いために年金を受給できなかったり,あるいは受給できたとしても著しく低額にとどまる事態を解消するために,財政出動を伴う一定の経済的給付措置を講じているものであり,給付の具体的内容としても,一般国民が全加入期間にわたって保険料を全額免除された場合と同等以上の給付を受け得ることが保障されたものであるから,政府の講じた措置が合理性を欠くものであったとは認
められないというべきである。
これに対し,原告らは,多くの孤児が生活保護の対象となっている現状は,政府の講じた老後保障施策が不十分であることの顕れであると主張するが,上記給付内容に加えて,年金制度をどのように運営するかは,国家財政や社会経済情勢,国家として相応しい社会保障制度全体の設計といった諸事情を総合的に勘案した上で決定される政治的色彩と裁量性の強いものであることを考え併せれば,原告らの指摘する点をもって,政府による老後保障施策が不合理であったとは評価し得ない。また,原告らは,生活保護を受給する場合において,年金が収入として把握されて生活保護費から差し引かれると,年金給付が全く無意味となると主張するが,後記エに判示のとおり,生活保護における保護の補足性を孤児についても一般の生活保護受給者と同様に適用することが違法とはいえないことに照らせば,事実上原告らの指摘する不都合さがあるからといって,政府の講じた社会保障施策が不合理であったとすることはできない。
なお,拉致被害者支援法11条は,拉致被害者に対し,在外期間に係る保険料を全額国庫負担とする旨規定しているが,上記イに判示したところと同様の理由により,孤児と拉致被害者に対する各給付内容を法的な自立支援義務の観点から比較の対象とするのは相当でない。

生活保護の適用
平成11年度,15年度調査によれば,孤児世帯の生活保護受給率はそれぞれ65.5%,61.4%とされ,原告らにおいても,前記認定事実9のとおり,現に93人の世帯(59.6%)が生活保護を受給中であり,一般人口比での生活保護受給率が2%未満とされていること(弁論の全趣旨)と比較すると,孤児世帯の生活保護受給率が著しく高率となっているのが現状である。
原告らは,生活保護制度は,わが国で義務教育を始めとする一定の自立
のための教育・訓練を受ける機会が十分に保障され,国や地方自治体の行政サービスを享受し得た一般国民を対象として,これらの者が最低限度の生活のために利用し得る資産・能力等を全て活用しても,なお最低限度の生活水準に満たない場合に適用されるものであって,大半が資産も日本語能力を始めとする稼働能力も持たないまま生活基盤のない日本に永住帰国した孤児について,生活保護制度をそのまま適用することは実情に合わないばかりか,孤児にあっては,日本社会で真に自立を果たすためには,家族とともに積極的に日本語教育や職業訓練を受けなければならない等の一般的な生活困窮者にはない特殊な状況に置かれているにもかかわらず,このような事情に全く配慮することなく,これらの者と同様に最低生活水準までの個別的保障しか行わないことは,かえって孤児の自立を阻害するものであるとして,生活保護制度とは別の孤児に対する特別の生活保障制度を講じなかった政府の施策は著しく不合理であると主張する。
しかし,生活保護制度は,生活に困窮する者が,最低限度の生活の維持のために,その利用し得る資産・能力その他あらゆるものの活用や,民法等に定める扶養義務者による扶養等によっても,なお最低限度の生活が維持できない場合において(保護の補足性。生活保護法4条),その者の需要を基準として,その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度に経済的給付を行うとするものであって(8条),生活困窮者が上記要件を満たす限りは,無差別平等に受け得るものであるし(2条),上記補足性の要件と無差別平等の理念は,同法の解釈・運用に当たって拠らなければならない基本原理とされている(5条)。
そうすると,生活保護制度自体の適用においては,孤児であることを理由として優遇的取扱いを行うことはできないと解されるし,現行の生活保護に基づく経済的給付によって保障される生活水準が,孤児が日本社会において健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障したものと解
される憲法25条1項の趣旨に反するほどに劣悪であるとも認められず,また,政府は前記及び後記に判示の日本語教育施策,就労支援施策,生活保障措置を含む各種生活支援施策を講じてきており,これらが不合理なものとまではいえないことを総合考慮すると,政府が孤児を対象とする生活保護制度とは別の生活保障制度を設けることなく(特別の給付金制度等の新たな生活保障制度の新設には何らかの立法措置が必要と考えられることによると,ここにいう別の生活保障制度を設けることなくというのは,厚生大臣が内閣を通じた法案提出等の立法実現に向けた具体的措置を講じなかったことを意味すると解される。),生活が困窮する孤児について,他の生活困窮者と同様の基準をもって一律に生活保護制度を適用するとしたことが不合理であったとまでは評価できないというべきである。確かに,孤児世帯の生活保護受給率の高さは,当該数値だけを見れば,一見異常とも映るものではあるが,他方で,前記3(2)に判示のとおり,多数の孤児世帯が生活保護を受給せざるを得ない背景事情としては,傷病のために就労できない状態にある孤児が相当数存在することも看過し得ないのであって,当該生活保護受給率のみをもって,政府の自立支援施策の不十分さが自立支援義務に違反する違法な程度に達していたと評価するのは困難といわざるを得ない。

なお,前記認定事実7(11)のとおり,中国の養父母等に対する扶養費については,昭和61年以降,日中政府間で合意した額を政府と財団法人中国残留孤児援護基金の費用支出により送金することとされており,これ以後は養父母等に対する扶養問題が孤児の生活困窮の一因となることはなかったと認められる。


以上によれば,政府による生活保障施策が合理性を欠くとまでは評価できないというべきである。

(2)居住地・住居の確保


原告らは,孤児が日本社会において社会的に自立した生活を営むためには,その基盤として,孤児が希望する地において住居が確保される必要があり,これは憲法22条1項の保障する居住・移転の自由にも関係するところ,政府は,経済力や日本語能力の点で劣る孤児単独の力のみでは,希望地に適切な住居を確保することは著しく困難であったにもかかわらず,孤児の希望を無視して定住地を決定し,孤児に配慮した住宅確保のための施策をほとんど執らなかった結果,少なからざる孤児が自分の希望地に定住できずに,自力でボランティア等が住む希望地に引越をせざるを得なくなり,結果的に自立が遅れることとなったとして,このような居住地・住居の確保に関する施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したものであると主張する。


まず,帰国に当たって身元引受人の斡旋が必要となる孤児については,身元引受人の近隣を定住先とする必要があったところ,前記認定事実7(5)のとおり,定着地の斡旋に当たっては,孤児の希望やその他諸事情を考慮して,全国各地に登録されている身元引受人から適当な候補者を選んで定着地を斡旋し,孤児の希望と相違する場合には第二希望を聞くなどの調整を行った上で,最終的に両者の合意を得た上で身元引受人と定着地を斡旋することとしているものであるから(身元判明孤児についても,本籍地都道府県が定着候補地の一つとなるほかは,身元未判明孤児と同様の扱いと考えられる。乙15),政府が孤児の希望を無視して一方的に定住地を決定していたものとはいい難い。
また,それ以外の孤児についても,中国在住中に定着予定地を聞き,希望が集中した場合には,各種調整を行いつつ定着地の斡旋を行っているものであり,政府が孤児の意思を尊重することなく定住地を決定していたとまでは認め難い。
確かに,原告らの指摘するように,身元未判明孤児の大量帰国が始まっ
てから一定時期以降,政府が適度の集中,適度の分散との方針の下に,孤児を各都道府県の中規模都市に適度に分散居住させることを目標としたことは事実であるが(甲17,62,乙2),この方針の背景には,中国においては,政策的に貧しい農村から都市へ移住することが厳しく制限されている関係上,日本でも事情は同様と誤解した孤児が大都市への居住を志向する最大の理由と考えられたこと,特定の地に過度に帰国者が集中すると,各種施策に関連して行政上のアンバランスが生じること,長い目で見ると,帰国者が集中して帰国者同士のみの交流に偏るのでは,日本社会への適応が遅れることとなる反面,電車で1時間掛けても帰国者に会えないような点在状態では,ストレスを解消することもできないとの専門家の指摘が存在したものである(甲17,乙2,乙105,107,151)。そうすると,これらの点を考慮して,場合によっては,孤児に地方都市への定住の説得をまず試みることにも合理性を認め得るから,政府が適度の集中,適度の分散との方針を掲げたことをもって,直ちに政府が孤児の意思を不当に軽んじて一方的に意に沿わない居住地を押し付けていたとするのは困難というべきである。

他方,前記認定事実7(10)エのとおり,政府は,住居に関する支援として,公営住宅の入居者選考に当たって孤児世帯につき優先的な取扱いを行ったり,やむを得ず民間住宅に入居する場合にも,入居時の費用の一部を支給したりする施策を講じているし,現に,平成11年度調査において,公営住宅に入居している孤児世帯が92.3%,本件アンケートにおいて,公営住宅に入れた,移転した場合も公営住宅に入れた,遅れて帰国した家族が公営住宅に入れたと回答した調査対象孤児がいずれも8割以上に上っていることも考え併せれば,政府の講じた支援施策が不合理であったとまでは評価し難いというべきである。


以上によれば,政府による居住地・住居の確保に関する施策が合理性を
欠くとはいえない。
(3)生活指導等

身元引受人制度
原告らは,身元引受人制度は,身元引受人個人に孤児の自立支援について過大な責任を負わせるものであり,反面,手当がわずかであったことから,十分な身元引受人の質や数が確保されておらず,そもそも,孤児に親族に代わる身元引受人を3年間だけ付けて,後は孤児個人の自助努力に任せるという方針自体が不合理であるとして,身元引受人制度は孤児の日本社会への早期定着・自立促進を図る制度ではあり得ない大きな誤りであったと主張する。
まず,身元引受人の役割の点について見ると,前記認定事実7(4)アのとおり,孤児世帯の日常生活上の諸問題の相談や自立更生に必要な助言・指導を行うこととされており,身元保証人の保証事項等につき保証する役割を課せられているわけではないものの,実際の業務内容は孤児世帯の生活面全般の多岐にわたるものであって(甲49,65,89,91,100の1ないし7,101の1ないし7,102の1ないし3,証人b),これまでに身元引受人となった個人の負担が重すぎるとの指摘もなされてきたことは否めない(甲50,乙2)。
他方,身元引受人の数については,統計上,1年間に最も斡旋数が多かった平成8年においても,斡旋実績264件に対し,登録者数は2102人に上っていること,その他の期間も含めた各登録者数と斡旋実績について,身元引受人の身元引受期間が3年以内であることを前提に考察すると,制度創設以来,現に身元引受人を付している件数を相当数上回る身元引受人の登録者数が常時確保されていたと考えられること(乙96。なお,乙88中に記載のある身元引受人の斡旋状況の数値は,乙96との関係でみると,平成8年度末現在における身元引受人制度創設以来の総斡旋実績を
示したものと考えられる。)に照らすと,身元引受人の数が不足していたとは考え難い。
また,身元引受人の質の確保についても,前記認定事実7(4)イのとおり,身元引受人の資格が,孤児世帯の置かれている立場を理解し,社会的信望が厚く,これらの者が日本社会に早期に定着するための指導に熱意を持って当たることができる者とされ,申請者のうち,適格者と認められた者を身元引受人として登録するものとしていたことにより,不適格者を予め排除し得る仕組みが採用されていたこと,政府が身元引受人会議を開催して資質の向上を図っていたこと,本件アンケートにおいて,調査対象原告中,47.7%の者が身元引受人は3年間きちんと面倒を見てくれたと回答していることに照らすと,身元引受人の質の確保の点で格別大きな問題があったものとも認め難い。
さらに,身元引受期間が3年以内とされたことについても,検討会報告書において,政府が当初は帰国後比較的短期間に限った支援を行うとの方針を執ったことが誤りとは評価されていないことや,平成15年度調査において,日本語習得者中,帰国後3年未満で独力で日常生活を営める程度の日本語を習得した孤児の割合が68.6%に上り,これらの者は身元引受人の支援がなくても一応独力で社会生活を営み得ると考えられることに鑑みれば,身元引受期間が3年に限定されていたことが不合理であったとまではいい難い。
以上の点を総合考慮すれば,身元引受人の負担が重いとの実態は否定し難く,身元引受人に支給される手当の額(昭和60年ないし平成元年当時で月額1万2000円ないし1万6000円)の妥当性等については検討の余地があったと考えられるし,中には身元引受人から十分な支援を受けられなかった孤児も存在したと思われるものの,全体としてみれば,身元引受人制度が孤児の早期定着・自立促進を図る上で有用性を欠くないし有
用性に乏しい不合理な施策であったとまでは評価し得ないというべきである。

自立指導員の派遣
原告らは,自立指導員の派遣制度は,派遣日数や派遣対象世帯が限定されており,2年目以降の派遣日数を12日に制限し,最長でも3年間で派遣を打ち切るとしたことは,ほとんどの孤児が現在でも日本語で会話をすることができず,孤児の置かれた状況により自立指導員の援助を受ける必要性も大きく異なる実情を全く無視した著しく不合理な施策であると主張する。
しかし,前記認定事実7(6)のとおり,自立指導員は,永住帰国後の孤児世帯が言語や習慣等の相違から社会生活上の困難が生じている実情に鑑み,昭和52年度以降,派遣が必要と認められる孤児世帯に派遣されるもので,業務内容も,孤児世帯の日常生活における諸問題の相談に応じ,助言・指導を行うこと,孤児と公的機関との仲介役となること,日本語指導(昭和61年度以降)等の多岐に及び,派遣開始も昭和52年という比較的早期の段階で実現したものであったこと,本件アンケートにおいて,自立指導員がいたと回答した71.5%の調査対象原告中,自立指導員の指導が十分であった,自立指導員に何でも頼みやすかったと回答した者がそれぞれ52.0%,48.0%に上ることに照らすと,自立指導員の派遣制度は,帰国後の孤児の早期定着・自立促進を図る上で有用な施策であったものと認められる。
また,派遣期間・日数についても,当初は帰国後最初の1年間に24日とされていたが,昭和62年度以降,派遣期間を2年に延長するとともに,派遣日数を1年目84日以内,2年目12日以内と大幅に拡張し,その後も順次派遣期間・日数が拡張されてきたこと,孤児が通常最も支援を必要とすると考えられる帰国後1年目の時期に相当手厚い派遣を受ける機会の
手当がなされていること,上記アに判示のとおり,政府が当初は孤児の帰国後比較的短期間に限った支援を行うとの方針を執ったことが誤りであったとまではいえず,日本語習得者中,約7割の者は帰国後3年未満で独力で日常生活を営める程度の日本語を習得可能であったことを考え併せれば,2年目以降の派遣日数の制限が厳しいとの印象は拭えないものの,全体としてみれば,自立指導員の派遣期間・日数の制限が著しく不合理なものであったとまでは評価し難いというべきである。
以上によれば,政府の設けた自立指導員の派遣制度が著しく不合理な施策であったとまでは認められない。

自立支援通訳制度等
前記認定事実7(10)ア及びイのとおり,政府は,平成元年度以降,日本語の会話が不自由な孤児等が医療機関で受診する場合等に適切に対処できるようにするため,自立指導員とは別に自立支援通訳の派遣を開始するとともに,孤児等の医療,保健衛生面での生活指導を行うため,孤児世帯に医師を派遣して健康相談を行う巡回健康相談事業を開始して,孤児世帯の保健衛生に配慮した一定の施策を実施している。
原告らは,自立支援通訳制度の導入は遅きに失し,適用要件や派遣回数が制限された極めて不十分な制度であると主張するが,これが不合理なものであったとは認められない。

(4)就籍支援
原告らは,戸籍のない身元未判明孤児については,就籍許可審判の申立て等を通じて新戸籍を設ける必要があるところ,就籍手続費用を平成7年に国庫負担とするまでの間,これを孤児の負担としていたことは不当であると主張する。
しかし,前記認定事実7(10)ウのとおり,平成7年以前においても,身元未判明孤児の永住帰国が開始された昭和61年度以降,上記費用については,
財団法人法律扶助協会が財団法人日本船舶振興会の補助を受けて援助事業を行い,政府がその補助金交付のための副申を同財団に行うことを通じて,間接的に費用の援助を行ってきたものであるから,これを不合理ということはできないし,また,前記認定事実7(3)ウのとおり,定着促進センターにおいて就籍手続に関する説明も実施されているから,政府による就籍支援施策が合理性を欠くとはいえない。
(5)家族生活に対する支援
原告らは,家族とともに生活することは人間としての基本的な権利であり,とりわけ幼少期に家族と離別し,長期にわたって中国での生活を余儀なくされてきた孤児においては,日本社会で精神的に安定した自立生活を営むためには,家族の存在と支援が必要不可欠であるにもかかわらず,政府が帰国旅費等の援護対象を原則として孤児の配偶者と未婚の未成年の子に限定したことにより,孤児においては,中国で形成された家族の分断と,中国に残された家族を呼び寄せる原資を貯めるために,日本語学習や職業訓練も不十分なうちから早々に就労することを余儀なくされ,自費で家族を呼び寄せた後も,当該家族については政府による援助が受けられないため,家族全体が劣悪な生活環境に置かれる事態が生じているとして,援護対象を限定した政府の施策は著しく不合理であると主張する。
しかし,前記第6の4(3)カに判示のとおり,孤児の成人の子を原則として帰国旅費の援護対象外としたことが不合理とまではいえないし,同様にして,自費により日本に入国した上記家族について,政府が先に永住帰国した孤児世帯と同等の支援施策を講じなかったとしても,同措置が不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
そのほか,原告らは,帰国子女の教育に関する施策の不十分さも主張するが,前記認定事実7(10)カのとおり,孤児の子の教育の機会確保のために一定の施策が行われていることに照らせば,これが不合理であったとは認めら
れない。
したがって,政府による家族生活に対する支援施策が合理性を欠くとはいえない。
(6)以上によれば,生活支援施策の面において,政府の施策に自立支援義務に違反する違法な点があったとは認められない。
6
自立支援施策全体としての自立支援義務違反の有無
以上に判示した政府の講じた自立支援施策を総合して考察すると,まず,孤児が社会的自立を果たす上で最も基本的な資質となる日本語の教育施策に関し,約半数の孤児が独力で日常生活を営める程度の日本語の習得に達していないなど,結果的に見れば,施策の成果が不十分なものにとどまったことは否定し得ないし,このことが連鎖的に就労率の低迷や生活保護受給率の高率化等を招いた一因をなしていることも否定し難い。
その一方で,就労支援施策や各種生活支援施策は,個別の分野毎にみれば,それほど合理性を欠くともいえないものが多いし,日本語の学習途上で,孤児に社会生活上様々な困難が生じると想定される帰国後最初の3年間は,身元引受人や自立指導員等による指導・援助を通じて,孤児の日本語能力の低さを補いつつ,社会的自立を側面的に援助する体制が構築されている。また,近時の就労率の低迷の背景には,孤児の高齢化とこれに伴う傷病罹患率の増加といった現象の影響も少なくないと考えられるし,このような事情に起因して,孤児世帯の生活保護の受給率が一層高率化するのもやむを得ないところがあるものと考えられる。
そうすると,政府による孤児に対する自立支援施策を総体としてみた場合において,個々の施策として不十分な面はあるにせよ,孤児自身の社会的自立に向けた努力を側面的に援助するものとしては,これが著しく不合理であったとまで評価することは困難というべきであり,結局のところ,被告に原告らに対する法的な自立支援義務違反があったとまで認めることはできないといわざる
を得ない。
7
拉致被害者支援法等との比較の相当性
(1)ア

原告らは,平成15年1月1日に施行された拉致被害者支援法が,北
朝鮮による拉致被害者に対し,政府による極めて手厚い支援(5年を限度とする給付金を毎月支給等)を保障していることとの比較において,孤児も拉致被害者も,自己の意思に反して長期間異国の地にとどまることを余儀なくされ,その地に新たな生活基盤を確立した後になってから生活基盤のない日本に帰国し,日本で改めて生活基盤の確立をし直さなければならなかった点では共通しており,しかも,孤児の場合は,その発生原因が国策に基づくものであったという意味において,政府にはより高度の自立支援を行うべき義務が課せられていたにもかかわらず,孤児が拉致被害者と比べて著しく貧弱な支援しか受けることのできない現状は,憲法14条の趣旨にも反する不合理な相違であるとして,これは被告の原告らに対する自立支援義務違反にほかならないと主張する。

拉致被害者支援法に対比すべきものとして,孤児を含む残留邦人を対象とした総合的な支援立法に該当するのは自立支援法であるが,同法の目的は,この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的とする。(1条)と定められており,他方,拉致被害者支援法の目的は,この法律は,北朝鮮当局による未曾有の国家的犯罪行為によって拉致された被害者が,本邦に帰国することができずに北朝鮮に居住することを余儀なくされるとともに,本邦における生活基盤を失ったこと等その置かれている特殊な諸事情にかんがみ,被害者及び被害者の家族の支援に関する国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに,帰国した被害者及び帰国し,又は入国した被害者の配偶者等の自立を促進し,被害者の拉致によって失われた生活基盤の再建等に資するため,拉致被害者等給付金の支給その他の必要な施策を講ずることを目的とする。(1条)と規定されている。
両法自体が宣明する目的を比較すると,いずれにおいても,残留邦人又は拉致被害者が海外に居住することを余儀なくされた立場にあったとする点,帰国者の自立支援ないし自立促進のための国等による支援が必要であるとする点においては,共通の視点を見出すことができるが,後者においては,自立支援ないし自立促進にとどまらず,これに加えて,拉致被害者の失われた生活基盤の再建をもその目的として掲げていることに着目する必要がある。

原告らの主張する被告の自立支援義務違反に起因して生じたとする原告らの損害内容は,原告らが日本語を(再)習得する機会や就労機会,就労経験を生かす機会を失ったことによる損害,居住移転の自由を侵害されたことによる損害,中国の家族との分断・断絶から受けた損害,経済的自立が不可能な地位に置かれたことによる損害,生活保護受給に伴う損害といったように,政府による自立支援施策が著しく不十分であったことが原因で,原告らの永住帰国後に初めて生じた人格的損害をいうものであって,帰国前に強いられた何らかの犠牲に対する補償を求める趣旨の損害賠償請求でないことは明らかである(この種の損害賠償請求は,早期帰国実現義務違反との関係で論じられるべき性質のものである。)。そうすると,法的な自立支援義務違反の有無の観点から問題とすべきなのは,過去に発生した犠牲に対する補償的要素を捨象した,帰国後の孤児に対する純粋な自立支援施策としての合理性の有無ということになる。
他方,拉致被害者においては,元々日本社会において自立的な生活を営み,あるいは営むに足りる能力を有していたところを,北朝鮮当局によっ
て拉致され,長期間海外在住を余儀なくされるという不幸な事態に遭遇したために,日本において築き上げた生活基盤が失われたか,あるいは少なくとも大きな変容を余儀なくされたものであり,ここには元来存在していた生活基盤の喪失という犠牲の発生を観念することができる。北朝鮮当局による国家的犯罪行為によって拉致被害者に生じたこの種の犠牲について,日本国家として補償的措置を行うかどうかや,行うとした場合の具体的措置の策定については,諸般の政治・社会・国際情勢に配慮した上での高度な政治的判断に属する事項というべきであるが,拉致被害者の場合は,政府はこれを行うとの政治的判断を行ったものであり,そうすると,拉致被害者支援法に規定された各種支援施策においては,拉致被害者の自立促進といった側面以外に,拉致被害者が被った過去の犠牲に対する補償という側面を併有することとなるのは必然である。
このように考えると,孤児に対する自立支援施策と,拉致被害者に対する各種支援施策とは,その政策的な立法の趣旨・目的を異にするというべきであって,両者を同一線上にあるものとして法的な自立支援義務の観点から比較対照するのは相当でないというべきである。確かに,そもそも日本において生活基盤を持ち得なかった孤児においては,全くの無から生活基盤を作り上げなければならない分,元々は日本社会に生活基盤を有していた拉致被害者が生活再建を果たすのに比べてより多くの困難が存在し,その分充実した自立支援施策が必要であるとの見方もできないではないが,先に判示のとおり,政府が孤児に対して行ってきた自立支援施策がそれ自体として著しく不合理であったとまでは認め得ない以上,これを政策的な立法の趣旨・目的が異なる拉致被害者支援法に規定の施策内容と単純に比較対照し,前者の方が後者よりも施策内容が貧弱であるとの一事をもって,憲法14条の趣旨に反する事態と評価するのは困難であるといわざるを得ない。


以上によれば,拉致被害者支援法との比較を通じて被告の原告らに対する自立支援義務違反を論じる原告らの主張は採用できない。

(2)そのほか,原告らは,日本に生活基盤を持たない点において孤児と共通するインドシナ難民に対する支援施策との比較においても,政府の孤児に対する支援施策は著しく不十分であると主張するが,難民問題と孤児問題とを同一線上で論じることはできないというべきである。
(3)なお,原告らは,原告らが早期に帰国を実現できていれば,戦傷病者戦没者遺族等援護法ないし恩給法に基づく遺族補償を受け得る可能性も存在したにもかかわらず,期間の経過等により当然に失権を余儀なくされた原告らに対し,この水準を遥かに下回る支援しかなされていないのは平等性を欠くとも主張するが,前述のとおり,自立支援義務違反との関係では,帰国前に生じた犠牲を損害内容とすることはできないと解されるから,これをもって被告の原告らに対する同義務違反の根拠とすることはできない。
8
総括
以上のとおり,被告の原告ら(原告番号2068を含む。)に対する自立支援義務違反を認めることはできず,国家賠償法上の違法性は肯認し得ないから,同義務違反の主張に基づく原告らの請求はいずれも理由がない。

第8

結論
よって,原告らの請求はいずれも理由がないので棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項を適用して,主文のとおり判決する。

名古屋地方裁判所民事第5部
裁判長裁判官

渡辺修明
裁判官

末吉幹和
裁判官

篠原敦
※【別紙はすべて省略】

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