判例検索β > 平成9年(ワ)第352号
損害賠償等請求事件(通称 鹿島建設強制労働損害賠償)
事件番号平成9(ワ)352
事件名損害賠償等請求事件(通称 鹿島建設強制労働損害賠償)
裁判年月日平成18年3月10日
裁判所名長野地方裁判所
分野労働
裁判日:西暦2006-03-10
情報公開日2017-10-19 19:48:59
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主文1
原告らの請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は原告らの負担とする。

第1
1実及び理由
請求
主位的請求

(1)

被告国及び同鹿島建設株式会社は,原告P1に対し,被告国及び同株式会社熊
谷組は,原告P2,同P3及び同P4に対し,被告国及び同大成建設株式会社は,原告P5,同P6,同P7,同P8及び同P9に対し,被告国及び同飛島建設株式会社は,原告P10,同P11及び同P12に対し,それぞれ,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞並びに人民日報(北京<以下略>),中国
青年報(北京<以下略>)
,解放日報(上海市<以下略>)
,明報(香港柴湾<以
下略>)
,河北日報(石家庄市<以下略>)
,山西日報(太原市<以下略>)及び
遼寧日報(瀋陽市<以下略>)の各朝刊の全国版下段広告欄に二段抜きで,別紙2に記載の謝罪広告を,見出し及び被告の名は4号活字をもって,その他は5号活字をもって1回掲載せよ。
(2)ア

被告国及び同鹿島建設株式会社は,各自,原告P1に対し,2000万円及びこれに対するいずれも平成10年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


被告国及び同株式会社熊谷組は,
各自,
原告P2,
同P3及び同P4に対し,
各原告につき666万6666円及びこれに対するいずれも平成10年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


被告国及び同大成建設株式会社は,各自,原告P5,同P6,同P7及び同P8に対し,各原告につき500万円及びこれに対するいずれも平成10年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


被告国及び同大成建設株式会社は,各自,原告P9に対し,2000万円及びこれに対するいずれも平成10年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


被告国及び同飛島建設株式会社は,各自,原告P10,同P11及び同P12に対し,各原告につき2000万円及びこれに対するいずれも平成10年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)

別紙3(請求目録)の被告名欄の各被告は,同別紙の対応する原告名
欄の各原告に対し,同別紙の対応する金額(円)欄記載の各金員及びこれに対するいずれも昭和20年(1945年)8月16日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2
予備的請求

(1)

上記1(1)と同じ。

(2)

上記1(2)と同じ。

(3)

別紙3(請求目録)の被告名欄の各被告は,同別紙の対応する原告名
欄の各原告に対し,同別紙の対応する金額(円)欄記載の各金員及びこれに対
するいずれも昭和20年(1945年)8月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2

事案の概要
本件は,原告らが,第二次世界大戦中に当時の日本政府の政策に基づき,被告らによって,P13(原告P1はその相続人である。,P14(原告P2らはその相続)
人である。,P15(原告P5らはその相続人である。,P16(原告P9はその)

相続人である。,原告P10,同P11及び同P12(以下原告ら等という。)

が,中国から日本国内に強制連行された上,被告鹿島建設株式会社(以下被告鹿島建設という。,同株式会社熊谷組(以下被告熊谷組という。,同大成建設株)

式会社(以下被告大成建設という。
)及び同飛島建設株式会社(以下被告飛島建設という。(以下,併せて被告企業らという。)
)において強制労働をさせら
れたこと等から,精神的苦痛等の損害を被るとともに名誉を毀損された等として,
1
被告国に対しては,

(1)

国際公法(条約又は国際慣習法)に基づく損害賠償請求及びこれに対する遅延
損害金支払請求
(2)

不法行為に基づく損害賠償請求,これに対する遅延損害金支払請求及び名誉回
復措置としての謝罪広告掲載の請求
(3)
2
安全配慮義務違反による損害賠償請求及びこれに対する遅延損害金支払請求
被告企業らに対しては,

(1)

不法行為に基づく損害賠償請求,これに対する遅延損害金支払請求及び名誉回
復措置としての謝罪広告掲載の請求
(2)

安全配慮義務違反による損害賠償請求及びこれに対する遅延損害金支払請求
(3)

事実上の労働契約に基づく賃金支払請求及びこれに対する遅延損害金支払請求
(主位的請求)又は不当利得返還請求及びこれに対する遅延損害金支払請求(予備的請求)
を,それぞれ求めた事案である。
第3
1
争点
原告らの被告国に対する国際公法(条約又は国際慣習法)に基づく損害賠償請求権の存否(被告国に対する請求原因)

2
原告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求の主張について
(1)

被告らについて不法行為責任(共同不法行為)の成否(被告らに対する請求原
因)
(2)

国家賠償法施行前における国の権力的作用につき民法の不法行為に関する規定
の適用がない(国家無答責の法理)こととされるか(被告国の主張)。
(3)

不法行為に基づく損害賠償請求権につき除斥期間(民法724条後段)が経過
したか(上記(1)に対する被告らの抗弁)

(4)

除斥期間の適用の結果が著しく正義・公平の理念に反する等として,除斥期間
の適用が制限され,又は期間の停止が認められるか(上記(3)に対する原告らの再抗弁)

(5)

不法行為に基づく損害賠償請求権の時効期間(民法724条前段)が経過した
か(上記(1)に対する被告企業らの抗弁)

(6)

被告企業らが消滅時効の援用をすることが権利濫用又は信義則違反として認め
られないか(上記(5)に対する原告らの再抗弁)

3
原告らの被告らに対する安全配慮義務違反の主張について

(1)

被告らの原告ら等に対する安全配慮義務違反が認められるか(被告らに対する
請求原因)

(2)

安全配慮義務違反による損害賠償請求権の時効期間が経過したか(上記(1)
に対する被告企業らの抗弁)

(3)

被告企業らが消滅時効の援用をすることが権利濫用又は信義則違反として認め
られないか(上記(2)に対する原告らの再抗弁)

4
原告らの被告企業らに対する賃金支払請求(主位的請求)について
(1)

原告らは被告企業らに対し賃金支払請求権を取得するか(被告企業らに対する
請求原因)

(2)

賃金支払請求権が時効により消滅するか(上記(1)に対する被告企業らの抗
弁等)

5
原告らの被告企業らに対する不当利得返還請求(上記4との関係で予備的請求)について

(1)

原告らは被告企業に対し不当利得返還請求権を取得するか(被告企業らに対す
る請求原因)

(2)

不当利得返還請求権が時効により消滅するか(上記(1)に対する被告企業ら
の抗弁)

6
原告らの被告らに対する名誉回復措置請求が認められるか(被告らに対する請求原因等)


7
原告らの被告らに対するすべて請求権は,日華平和条約及び日中共同声明等により放棄され,消滅したか(原告らのすべての請求に対する被告らの抗弁)。

第4
1
争点に対する当事者の主張
原告らの主張
別紙4原告らの主張国際公法に基づく損害賠償請求,
(請求権放棄問題について

別紙5原告らの主張(被告らの不法行為に基づく損害賠償請求について),別紙6原告らの主張(国家無答責の法理について),別紙7「原告らの主張(民法724条後段の解釈及び適用制限について),別紙8原告らの主張(被告らの安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について),別紙9原告らの主張(安全配慮義務による損害賠償請求権の消滅時効について),別紙10原告らの主張(損害額,名誉回復請求,賃金支払請求,不当利得返還請求)
」に記載のとおり

2
被告国の主張
別紙11被告国の主張に記載のとおり

3
被告企業らの主張
別紙12被告鹿島建設の主張
,別紙13被告熊谷組の主張
,別紙14被告大成建設の主張
,別紙15被告飛島建設の主張に記載のとおり

第5

当裁判所の判断

1
争点1(国際公法に基づく損害賠償請求権の存否)について
原告らは,国際公法(条約又は国際慣習法)に基づき,直接,被告国に対し,損害賠償を請求しているので,この点につき検討する。

(1)

国際公法(条約又は国際慣習法)は,通常は国家間等の法律関係を規律するも
のであって,原則として国家間等を拘束するものであり,国際法上の法主体性も,原則として国家等に認められるものである。そうすると,ある国家が国際公法に違反する行為を行ったことにより他国の個人が被害を被った場合,当該個人は,相手国の国内法に基づきその責任を追及することができるし,当該個人の所属する国家の外交保護権の行使による国際法上の責任の追及によって被害を回復し得るが,直ちに,当該国際公法に基づき,直接,加害国に対する損害賠償請求権を取得するものと解することはできない。
国内法的効力を有する国際公法において,締結国に所属する国民個人の権利義務が規定される場合もあり得るのであるが,上記のような国際公法における原則に照らせば,個人が,相手国に対し,直接,当該国際公法を根拠にして請求権を取得するというためには,当該国際公法の規定上,個人が相手国に対する請求権を取得するものとする締結国等の明確な意思を確認することができ,当該規定により個人が取得する請求権の発生要件及び効果が明白かつ確定的に定められていることが必要であると解するべきである。
(2)

ハーグ陸戦条約3条等について
原告らは,

前記規則(ハーグ陸戦規則)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。

と規定するハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)3条に基づき,直接,相手国である被告国に対し,損害賠償を請求することができると主張する。
ハーグ陸戦条約(被告国は,明治44年(1911年)にこれを批准し,明治45年(1912年)にこれが発効したものである。甲総80の1)の前文を含む規定及びハーグ陸戦規則の規定にかんがみると,同条約は,陸戦により影響を受ける個人の生命・身体等の権利を保護することもその趣旨に含むものであると解される。しかし,同条約及び同規則の規定をみても,個人が相手国に対する損害賠償請求権を直接に取得することを明示的に定めた規定は存在しない上,損害賠償請求権を実現するための手続を定めた規定(例えば,相手国の国内法である手続法に従う旨の規定)も存在しないのであるから,その規定上,個人が相手国に対する請求権を取得するものとする締結国等の明確な意思を確認することができ,当該規定により個人が取得する請求権の発生要件及び効果が明白かつ確定的に定められていると認めることはできない。
したがって,ハーグ陸戦条約3条は,個人が直接相手国に対する損害賠償請求権を取得することを認めたものではないといわざるを得ない。
(3)

その他の国際公法等について
原告らは,その他,強制労働ニ関スル条約(ILO条約29号)及び極東国際軍
事裁判所条例人道に対する罪等に基づき,直接,相手国である被告国に対し,
損害賠償を請求することができると主張する。しかし,これらの国際公法等の規定をみても,個人が相手国に対する損害賠償請求権を直接に取得することを明示的に定めた規定は存在しない上,損害賠償請求権を実現するための手続を定めた規定も存在せず,その規定上,個人が相手国に対する請求権を取得するものとする締結国等の明確な意思を確認することができ,当該規定により個人が取得する請求権の発生要件及び効果が明白かつ確定的に定められていると認めることはできないから,上記原告らの主張を採用することはできない。また,また,第二次世界大戦当時,戦争被害を受けた個人が直接相手国に対し損害賠償請求権を取得するとの国際慣習法が成立していたと認め得る証拠もない。
(4)

原告らの主張について
原告らは,上記各条約又は国際慣習法等に基づき,被告国に対し直接損害賠償請
求権を取得する根拠として,その内容が強行規範(ユス・コーゲンス)の性質を有するものであることを主張している。しかし,国家が強行規範の性質を有するような国際法規等に反する行為を行った場合,被害を被った個人は,不法行為法や国家賠償法に基づき相手国に対する損害賠償請求権を取得する余地はあり得るであろうが,当該国際法等の内容が強行規範の性質を有することにより,直ちに,その国際法等が個人に対し直接の請求権を付与したものであるということはできないから,上記原告らの主張は理由がない。
また,原告らは,上記各条約又は国際慣習法等に基づき,被告国対し直接損害賠償請求権を取得する根拠として,憲法が条約及び確立された国際法規を遵守すべきことを定めており(98条2項)わが国においては,伝統的に批准した条約等は,,
公布されるのみで特別の立法措置をとるまでもなく当然に国内法としての法的拘束力を有するものとされていること(条約等の直接適用法式)を主張している。しかし,条約等が特別の立法措置を要することなく直接国内法的効力を有するからといって,そのことにより直ちに,それらの条約等が個人に対し直接の請求権を付与したものと解することができるものではないから,上記原告らの主張も理由がない。(5)

まとめ
以上によれば,国際公法(条約又は国際慣習法)に基づき,直接,被告国に対し
て損害賠償請求権を取得するという原告らの主張は,いずれも失当であるといわざるを得ない。
2
争点2(1)
(被告らの不法行為責任(共同不法行為)の成否)について

(1)

証拠(下記認定事実中に掲記のもの。
)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事

実が認められる。

原告ら等

(ア)

P13(承継人は原告P1)
P13は,大正○年(○年)○月○日生まれの中華人民共和国民であり,公
証上の名はP17ともいい,被告鹿島建設が作成した名簿にはP18とも記載されている。
(甲各B2の1,3)
P13は,昭和19年(1944年)5月5日に塘沽港から乗船して現在の中華人民共和国を出国し,同月11日に下関港から日本国に上陸し,その後,
同月13日から被告鹿島建設のα1作業所,昭和20年(1945年)6月7日から被告鹿島建設のα2作業所岐阜県)

で労働に従事し,
同年12月3日,
佐世保港から乗船して日本国を出国し,
現在の中華人民共和国へ帰還した。甲

各B9)
P13は,
平成8年1996年)

11月29日,
死亡した甲各B3の1)


P13が昭和19年(1944年)5月5日に現在の中華人民共和国を出国した当時,同人には妻及び息子がいたが,昭和20年(1945年)12月ころ帰国して自宅に戻った際には,妻は他人と再婚し,息子とともに家を出ていたが,その後P13は再婚することはなく,息子は平成7年(1995年)に死亡した。また,P13の父は昭和61年(1986年)に死亡した。P13が死亡した平成8年(1996年)11月29日当時,同人には,弟である原告P1,妹であるP19及びP20(いずれもP13と父は同じであるが母は異なる。
)がいたが,P19及びP20は,平成10年(1998年)8月24日,本件訴訟について原告P1に全権を委任する旨の委任状を作成し,これに基づき,原告P1は,本件訴訟において,P13の損害賠償請求権のすべてを承継したとして請求している。
(甲各B2の1・2,3の2ないし5,4,6
ないし8,弁論の全趣旨)
(イ)

P14(承継人は原告P2,同P3及び同P4)
P14は,大正○年(○年)○月○日生まれの中華人民共和国民であり,本
名をP21といい,
被告熊谷組が作成した名簿にはP22とも記載されている。
P14は,昭和19年(1944年)6月17日,塘沾港から貨物船に乗って現在の中華人民共和国を出国し,同月20日,下関港から日本国に上陸し,同月21日から被告熊谷組のα3作業所,同年10月8日から被告熊谷組のα4作業所(福島県)
,昭和20年(1945年)年6月25日から被告熊谷組
のα5作業所(岐阜県)でそれぞれ労働に従事し,同年12月3日,下関港からL.S.T(米軍艦)に乗船して日本国を出国し,現在の中華人民共和国へ帰還した。
(甲各C2,弁論の全趣旨)
P14は,平成16年(2004年)に死亡した。P14の父であるP23及び母(姓名不詳)は,その時点で既に死亡しており,妻であるP24は平成15年(2003年)2月6日に死亡している。よってP14の相続人は,同人の長男である原告P2,長女である原告P3及び次女である原告P4のみである。
(弁論の全趣旨)
(ウ)

P15(承継人は原告P5,同P6,同P7及び同P8)
P15は,大正○年(○年)○月○日生まれの中華人民共和国民であり,被
告大成建設が作成した名簿にはP25とも記載されている。
(甲各D2の2)
P15は,昭和19年(1944年)7月ころ,塘沽港から乗船して現在の中華人民共和国を出国し,下関港から日本国に入国し,同月25日から被告大成建設のα6作業所において労働に従事し,第二次世界大戦終戦後,下関港からアメリカ軍艦に乗り日本国を出国し,塘沽港に入港して現在の中華人民共和国に帰還した。
(甲各D2の2)

P15は,平成14年(2002年)1月7日,死亡した。P15の相続人は,息子であるP7及びP8並びに娘であるP6及びP5である。(弁論の全
趣旨)
(エ)

P16(承継人は原告P9)
P16は,大正○年(○年)○月○日生まれの中華人民共和国民であり,同
人が来日した当時はP26と名乗っていた。
(甲各D3の1・2)
P16は,第二次世界大戦中,日本国に入国し,昭和19年(1944年)7月25日から被告大成建設のα6作業所において労働に従事し,終戦後,現在の中華人民共和国に帰還した。
(甲各D2の1,6,弁論の全趣旨)
P16は,昭和41年(1966年)5月9日に死亡した。この当時,P16の父母はすでに死亡しており,同人には,妻である原告P9(1958年に結婚),
と二人の実子であるP27及びP28がいたが,
P27及びP28は,
本件訴訟について原告P9に全権を委任する旨の委任状を作成し,これに基づき,同原告は,本件訴訟において,P16の損害賠償請求権のすべてを承継したとして請求している。
(甲各D3の1・2,弁論の全趣旨)
(オ)

原告P10
原告P10は,
大正○年○年)

○月○日生まれの中華人民共和国民である。
原告P10は,昭和19年(1944年)5月23日,青島港から貨物船に
乗り,現在の中華人民共和国を出国し,同月27日,下関港から日本国に入国し,同月29日から長野県<以下略>にある被告飛島建設のα7作業所において労働に従事し,昭和20年(1945年)12月ころ,佐世保港からアメリカ軍の船に乗り日本国を出国し,
塘沽港から現在の中華人民共和国へ帰還した。
(甲各E2の1・2)
(カ)

原告P12
原告P12は,
大正○年○年)

○月○日生まれの中華人民共和国民である。
原告P12は,昭和19年(1944年)5月23日,青島港から貨物船に
乗り現在の中華人民共和国を出国し,
同月27日,
下関港から日本国に入国し,
同月29日から長野県<以下略>にある被告飛島建設のα7作業所において労働に従事し,昭和20年(1945年)12月下旬ころ,現在の中華人民共和国に帰還した。
(甲各E3)
(キ)

原告P11
原告P11は,
大正○年○年)

○月○日生まれの中華人民共和国民であり,

被告飛島建設が作成した名簿にはP29とも記載されている。
原告P11は,昭和19年(1944年)5月23日,青島港から貨物船に乗り現在の中華人民共和国を出国し,
同月27日,
下関港から日本国に入国し,
同月29日から被告飛島建設のα7作業所長野県)

及びα8作業所岐阜県)

において労働に従事し,昭和20年(1945年)12月ころ,佐世保港からアメリカ船に乗り日本国を出国し,塘沽港に入港して現在の中華人民共和国へ帰還した。
(甲各E4)

中国人労働者移入政策の決定に至る経緯

昭和12年(1937年)に日中戦争が開始され,それ以降,日本国内の軍需工場と関連諸産業の急速な発展が促されたが,昭和16年(1941年)以降の太平洋戦争の拡大とともに日本国内の労働力は枯渇化していき,労働力の不足を生じていた。特に,炭坑や鉱山とともに,土建業等においても,軍事施設,軍需工場等の新設・拡充や,水力発電所の新設等のため,労働力の不足が深刻な状況であるとされていた。
そこで,政府内部において中国人労働者移入に関する官民合同協議会が設けられ,協議,対策が図られてゆき,昭和17年(1942年)になると興亜院ら関係機関において中国人労働者移入の具体案が作成された。また,土木建設業界においても中国人労働者の移入を求める要望が強まり,被告企業らが加盟していた土木工業協会は,日本発送電株式会社の工事施工者と対策を協議の結果,労務委員会を設け,同年10月20日には,土木工事のための華北労務者の移入を実施することを目的として,
華北労務者ノ使役ニ関スル件という文書を作成
し,移入要領を定めた。
(甲総3の1ないし5,7,76ないし79)

中国人労働者移入政策の決定

(ア)

閣議決定
日本政府は,上記のような産業界からの要請を受け,昭和17年(1942
年)11月27日,
華人労務者内地移入ニ関スル件という閣議決定(昭和
17.11.27.閣議決定。以下本件閣議決定という。
)をし,国内の
労働力不足を補うために中国人労働者の内地移入を進める政策を決定した。本件閣議決定は,
第一方針第二,要領及び第三措置の各項

目から構成されているところ,
第一方針においては内地ニ於ケル勞務需給ハ愈々逼迫ヲ来タシ特ニ重筋勞務部面ニ於ケル勞力不足ノ著シキ現状ニ鑑ミ左記要領ニ依リ華人勞務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共榮圏建設ノ遂行ニ協力セシメントスとされ,第二要領においては,中国人労務者は,国民動

員計画産業の重筋労働部門の労働者として使用し,主として華北の労務者を利用することとするが,
その範囲は限定せず,
広く中国人労務者を移入すること,
移入する中国人労務者の募集又は斡旋は華北労工協会等の現地機関との連携の下に進めること,移入する中国人労務者は年齢概ね40歳以下の男子にして心身健全な者を選抜することとし家族を同伴させないこと,中国人労務者は契約によって原則2年間継続使用することができるとし,その所得は支那現地において通常支払われる賃金を標準として残留家族に対する送金をも考慮してこれを定めることとされている。また,
第三措置においては,本件閣議決定

を実施するにあたっては,その成否の影響が大きいことから,まず試験的に中国人労働者の移入を行い,その成否を確かめた上で本格的な実施に踏み込むとされている。なお,
要領においては,中国人労務者の慣習に急激な変化を
来さないよう特に留意し,かつ中国人労務者の食事は,中国人労務者が通常食するものを給付すべきこととしている。
本件閣議決定後,昭和17年(1942年)末には,日本政府と被告企業ら等の関係者が参加して華北労働事情使節団18名(団長・企画院第二部P30
第三課長)が組織されてこれが中国に派遣され,昭和18年(1943年)4月には,
華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク華北労務者内地移入実施要領(昭和17.11.27.企画院第三部)が定められ,中国人労働者の試験移入が開始された。
(甲総3の1ないし5,7)
(イ)

次官会議決定
日本政府は,昭和19年(1944年)2月28日,上記試験移入の成果を
受けて,本件閣議決定に基づき本格的移入を促進させるため,
華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件という次官会議決定(昭19.2.28.次官会議決定。以下本件次官会議決定という。
)をした。本件次官会議決定の第一通則においては,本件により内地に移入する中国人労務者の供出又はそ
の斡旋は大使館現地軍並びに国民政府(華北よりの場合は華北政務委員会)指導の下に現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)をしてこれに当たらせること,中国人労務者は訓練された元俘虜又は元帰順兵のほか募集によるものとすること,労務者は年齢概ね40歳以下の男子にして素質優良,心身健全なる者を選抜することとするもなるべく30歳以下の独身男子を優先的に選抜するよう努力することと定められている。また,本件次官会議決定の第二使用条件には,中国人労務者の使用を認める工場事業場は中国人労務者
の相当数を集団的に就労させることを条件とし,関係庁と協議の上,厚生省がこれを選定することとされている。また,本件次官会議決定に附帯する華人労務者内地移入手続が定められ,その中の第二移入雇傭申請ノ処理に
は,厚生省から事業主別雇傭員数の割当予定の通報を受けた事業主は華人労務者移入雇傭願を提出することとされ,厚生省が割当を決定した場合には移入が可能となることとされている。
さらに,本件次官会議決定を受けて実施要領が定められ,そこにおいては,中国人労務者は毎年度国民動員計画に計上し,
計画的移入を図るものとされた。
そして,国家総動員法に基づき昭和19年(1944年)8月16日に定められた昭和19年度国民動員実施計画策定ニ関スル件という閣議決定(昭和19.8.16.閣議決定)では,
決戰ノ現段階ニ即應シ戰時生産ノ急速ナル増強ヲ図ルタメ軍動員トノ関係ヲ考慮シ人的國力ノ完全動員ヲ期スルコトトシ朝鮮人労務者ノ内地移入ヲ飛躍的ニ増加スルト共ニ華人労務者ノ本格,的移入ヲ行フことを決定し,
朝鮮人労働者男)

29万人,
中国人労働者男)

3万人を供給することが定められた。
なお,上記のとおり華北からの中国人労働者を移入する際の現地労務統制機関とされた華北労工協会は,昭和16年(1941年)7月,華北政務委員会と北支那開発株式会社の共同出資により,華北における労働者の募集や供給等を行う一元的統制機関として設立された財団法人であるが,これは中華民国臨時政府の管轄下に設置された機関であった。
(甲総3の1ないし5,弁論の全
趣旨)
(ウ)

上記のような被告国が決定した各政策に基づき,中国人労働者の国内への
移入が本格的に実施された。
(甲総3の1ないし5)


実施された中国人労働者移入政策の内容等(外務省報告書から)

(ア)

外務省は,中華民国からの調査に備えるために,中国人が移入されるに至
った経緯とその実情及び各事業場で受けた処遇について,実際に中国人を就業させた35社135事業所の事業場から華人労務者就労顛末報告書(以下
事業場報告書という。
)を提出させた上,これと調査員らによる現地調査
報告をふまえて,華人労務者就労事情調査報告書(以下外務省報告書という。甲総3の1ないし5)を,昭和21年(1946年)夏ころまでには取りまとめていた。外務省報告書には,以下の記載がある。
なお,事業場報告書及びそれを基礎に作成された外務省報告書は,その性質及び内容に照らして,その記載のすべてをそのまま信用できるかには疑問がないとはいえないが,最低限の数値及び内容は記載されているものと解される。(甲総1,2,3の1ないし5,50の3)
(イ)

移入状況
昭和18年(1943年)4月から同年11月までの間に試験移入された中
国人労働者は1411名であり,昭和19年(1944年)3月から昭和20年(1945年)5月までに移入された中国人労働者(いわゆる本格移入)は3万7524名であり,移入された中国人労働者の総計は3万8935名である。
移入された中国人労務者は,本件閣議決定等の方針に従い,鉱業,荷役業及び国防土木建築等に就労されたが,その雇用主数は合計35社,配置事業場135事業場であった。業種別にこれを見ると,鉱山業は15社47事業場・移入数1万6368名,
土木建築業は15社63事業場・移入数1万5253名,
港湾荷役業は1社21事業場・移入数6099名,造船業は4社4事業場・移入数1215名であった。これらの事業場における中国人労働者の配置期間は平均13.3か月,最長28.4か月,最低1.3か月であった。(ウ)

供出方法
供出方法としては,特別供出(現地において特殊労務に必要な訓練と経験を
有する特定機関の在籍労務者を供出するもの)
,自由募集(主要労工資源地に
おいて条件を示し希望者を募るもの)
,訓練生供出(日本現地軍において作戦
により得た俘虜,帰順兵で一般良民として釈放差し支えなしと認められた者及び中国側地方院において微罪者を釈放した者を華北労工協会において下渡を受け同協会の有する各地〔済南,α9,青島,邯鄲,除州及び塘沽〕所在の労工訓練所において一定期間〔約3か月〕渡日に必要なる訓練をした者を供出するもの)及び行政供出(中国側行政機関の供出命令に基づく募集で,各省,道,県,郷村へと上級庁より下部機構に対し供出員数の割当をし責任数の供出をさせるもの)
の4方法であるとされている。
行政供出によるものが過半数を占め,
訓練生供出がこれに次ぎ,自由募集及び特別供出は併せて供出総員の1割に満たなかった。
外務省報告書には,
供出ノ過半ヲ占ムル行政供出ハ頭数ヲ揃フルコトノミニ堕シ体質,労働意慾其他ニ付多クノ問題ヲ包蔵スル危険アリ然ラバ何,故ニ斯ル危険アル行政供出ヲ選ビタルカ當時ノ実情ヲ見ルニ移入ノ主目標タリシ元俘虜,帰順兵,囚人等ノ供出ハ當初ノ見透ニ比シ遙カニ少ク他面本格移入決定シ実行ニ着手シタル昭和十九年二,三月ノ頃ハ既ニ對満供出ハ既ニ終ラムトシ,対蒙彊華中ハ勿論華北自体ノ需要ヲ充ススラ困難ヲ来シツツアリシ実情ニ加ヘ華北ノ豊作,物價高,治安悪化ハ供出ノ困難ニ拍車ヲ掛ケ其他供出網ノ不整備及移入ノ爲華北ニ進出セル業者ノ性急ナル所要数獲得企図ハ不完全ナル供出網下ニ劣悪ナル華工ヲ半強制的ニ供出セザルヲ得ザルニ至ラシメタリ。加之乗船迄ノ船待等ノ爲訓練所生活ニ於ケル食糧事情等ハ一層体位ヲ低下セシムルノ因ヲナセリ。尚日華労務協會ノ募集ニ際シテ執レル態度ハ終戰後華人労務者ヲシテ紛爭ノ口実ヲ與ヘタリと記載されており,被告国においても半強制的ニ供出させたものであったと記載しているものである。(エ)

輸送
当時,日本は,船舶事情が逼迫していたこともあって,中国人労働者を輸送
することについては相当の問題があった。航海日数の予定がつかず,集団輸送169件のうち未詳のもの26件を除き86件は問題なく4日から9日で着いたが,
他の48件は10日から19日を要し,
最高39日を要したものもあり,
飲料水や食料等の欠乏を来したことがあった。輸送中,中国人労働者の健康は大いに損ねられ,総計3万8935人の乗船人数に対し,船中において564人(1.5パーセント)事業場到着前において248人(0.6パーセント),

合計812人(2.1パーセント)が死亡した。
(オ)

処遇の状況
気候風土その他生活環境の変化が移入当時相当衰弱していた中国人労働者の
健康に相当の影響を与えた。また,戦時下において食料その他の物資の不足の影響もあり,さらに末端における指導の行き過ぎ,虐待,不正取扱等の事実もあり,中国人労働者の処遇においては不適切な扱いがあった。
食料に関しては,各事業場からの支給熱量報告では,戦時中の重筋労働者に対する支給量2500キロカロリーをはるかに超えていたものとされているが,実際はそれよりはるかに少なく,2500キロカロリーを超えることはなかったものと推定される。食用油,獣肉の支給も中国人の通常食と比較すると十分には行き渡らなかったし,冬季におけるビタミン類の欠乏や食料の質が良くなかったこともあり,
これらが中国人労働者の疾病や死亡の原因ともなった。
医療の支給も十分とはいえず,布団や地下足袋の支給が遅れたためと思われる疾病,凍傷の例もあった。
(カ)

労務管理
内務省において取締要領が定められ,そこでは,華人労務者内地移入要領第
二の一により割当予定の通報を受けたときは事業場と連絡し作業場宿舎等の選定,警戒対策の樹立その他取締上必要な諸般の準備をしておくこと,事業場側に対しては逃亡防止及び外部との連絡遮断に処する確実な施設の完備と華人労務者監督の責任を負担させることとされている。
(キ)

死亡及び疾病
中国人労働者が,現地諸港から乗船して日本国内の各事業場で就労し,日本国諸港から送還されるまでの間における死亡者総数は6830名(移入途次の死亡812名,事業場内死亡5999名,集団送還死亡19名)であって,移入総数3万8935名に対して17.5パーセントであった。
疾病又は傷害により不具廃疾となった者は総数467名であり,そのうち失明が圧倒的に多く,217名(46.4パーセント)を占め,視力障害がこれに次ぎ79名(16.9パーセント)であり,肢指欠損又はその機能障害は合計162名(32.6パーセント)であった。

原告ら等が各事業場における労働に従事するまでの経緯

(ア)

P13
P13は,昭和19年(1944年)2月1日の夜,鉄道の警備員として勤
務し夜警務室で寝ていた時,警察官が来て連行された上,石家荘のα9収容所に11日間収容され,そこで,日本人から八路軍に関係しているかどうかについて拷問され,殴られたり電気ショックを与えられるなどした。その後,P13は,石家荘内にあり,高圧電流が流れる鉄条網で囲まれたα10という収容所に約1か月間収容されたが,そこでは,掛け布団1枚,上着1着,靴1足の支給を受けた。さらにその後,P13は,塘沽港へ連れて行かれたが,そこでは,食事はコーリャン飯及び人参と大根の煮物を1日2回支給を受けた。P13は,同年5月5日,塘沽港で貨物船に乗り下関港へ移送されたが,船中では日本人が銃や日本刀を持って監視しており,
食事は1日1回2個のマントウ饅

頭)が支給されたのみであった。P13が下関港に着くと,衛生検査,衣服や身体の消毒などを受けさせられ,汽車で長野県へ移送されて,同月13日に被告鹿島建設のα1作業所に移入された。
(甲総67,甲各B2の1・2)
(イ)

P14
P14は,昭和19年(1944年)1月,晋県の駅で警備員として勤務し
ていた20歳の時,
日本軍に捕まり,
晋県にある日本の憲兵隊に連れて行かれ,
そこで,八路軍に関係しているかどうかについて拷問を受けた。その後,P14は,石家荘にあった日本軍の1417部隊に連行され1日間収容された後,石家荘にある収容所(α10)に約1か月間収容された。上記収容所は,周囲に高い塀があり,塀には鉄条網が張り巡らされ,電流が流されていた。P14は,同収容所において,走ったり行進したりするという訓練を受けたほか,食事としては1日3回,1回あたり1杯のコーリャン飯の支給を受けたが,水を飲んで空腹をしのいだこともあり,収容されている他の者が,疾病にかかるなどして死亡するのを見たことがあった。P14は,同収容所において,布団,上着,シャツ,ズボン及び靴などの支給を受けた上で,同年6月17日,塘沾港から貨物船に乗り下関港まで移送され,下関港で衣服や身体の消毒を受けた後,汽車で長野県へ移送されて,昭和19年(1944年)6月21日,被告熊谷組のα3作業所へ移入された。
(甲各C2ないし5)
(ウ)

P15
P15は,昭和18年(1943年)以降,国民党第12迫炮独立団に所属する軍人であったところ,
洛陽の戦闘で日本軍の捕虜となり,
鄭州へ連行され,
さらに石家荘の収容所において捕虜として拘束された。
上記石家荘の収容所は,
建物の四方が電流の流れた鉄条網で囲まれ,
日本兵が監視していた。
P15は,
上記収容所内においては,布団がなかったため,床に直に寝た。P15は,上記収容所に収容された2か月以上の間,特別な訓練や仕事を命じられることはなく,食事は3食ともコーリャン飯のみであり,同収容所内に収容されていた他の者が死亡するのをよく見ることがあった。P15は,昭和19年(1944年)7月,上記収容所から天津に連れて行かれ,服,毛布,靴の支給を受けた後,塘沽港から乗船して下関港へ移送され,そこで衣服や身体の消毒を受けた上,列車で長野県へ移送されて,同年7月25日,被告大成建設のα6作業所へ移入された。
(甲各D2の2)
(エ)

P16
P16は,昭和17年(1942年)
,河南省鎮平県に住んでいたときに国

民党軍に捕まった後,日本の捕虜となり,日本へ連行され,労働に従事するため長野県へ移送され,昭和19年(1944年)7月25日,被告大成建設のα6作業所へ移入された。
(甲各D2の1,5ないし7)
(オ)

原告P10
原告P10は,八路軍に所属していた昭和18年(1943年)9月,河北
省易県で日本軍と交戦中,日本軍に捕らえられて捕虜となり,保定の憲兵隊に3日間監禁され,八路軍に関することなどについて拷問を受けた。その後,原告P10は,北京にあるα11収容所に約5か月間収容された。上記α11収容所は,煉瓦造りの壁で囲まれ,壁の上などには電流が通った鉄条網が張り巡らされ,入口では銃を持った日本人が監視していた。原告P10は,上記収容所において,特に仕事や訓練を命じられることはなく,食事はコーリャン飯が1日2回または3回,1回あたり小さな椀に一杯に時々薄いスープが支給された。また,原告P10は,上記収容所において,日本人から頻繁に暴力を振るわれ,収容されていた他の中国人が死亡するのを見たこともあった。原告P10は,同収容所において,帽子,靴,布団,黄色の作業着上下1着を支給された上で,青島に移送され,昭和19年(1944年)5月27日,そこから乗船して下関港に移送されて,そこで衣服や身体の消毒などを受けた後,列車で長野県へ移送され,同月29日,被告飛島建設のα7作業所に移入された。甲(
各E2の1・2,17,22,原告P10本人)
(カ)

原告P12
原告P12は,八路軍に所属していた昭和17年(1942年)5月1日,
河北県献省で日本軍と交戦中に捕らえられ,日本軍の駐屯地,河北省河潤県の留置場のような場所に収容され,その間,棒で殴られるなどの拷問を受けた。原告P12は,昭和17年(1942年)7月ころから,北京にあるα11収容所に収容された。上記収容所は,周りに堀があり,鉄線が二重に張り巡らされ,外側の鉄線には電流が流れており,日本軍が監視をしていた。原告P12は,上記収容所において,食事として1日2回皮付きのコーリャン飯のみを支給され,暖房設備がなかったため寒い時には他の被収容者と体を寄せ合って寝るなどし,他の被収容者が病気になったり死亡したりするのを見たこともあった。原告P12は,上記収容所において,服,下着,布団などの支給を受けた上で,青島へ移送され,昭和19年(1944年)5月23日,そこから乗船して日本の下関港へ移送され,そこで身体や衣服の消毒を受けた後,汽車で長野県へ移送されて,同月29日から被告飛島建設のα7作業所に移入された。(甲各E3,5,7,8,19,23,原告P12本人)
(キ)

原告P11
原告P11は,八路軍に所属していた昭和18年(1943年)11月26
日,日本軍との交戦中,河北省交河県<以下略>で日本軍に捕らえられ,河北省交河県の刑務所に約10日,献県の日本軍の部隊に10日間収容された後,天津の収容所を経て,昭和18年(1943年)12月末ころから,北京のα11収容所に約5か月間収容された。上記収容所は,周囲に外壁,堀があり,高圧電流が流れている鉄条網が設置された塀があった。原告P11は,上記収容所において,食事として1日2食,1食あたり赤コーリャン1杯のみを支給され,他の被収容者が病気にかかったり死亡するのを見たこともあった。原告P11は,上記収容所から青島へ移送され,綿入れの上着とズボン1着,シャツ2着,帽子,靴下,布団,毛布,タオル,箸,食器などの支給を受けた上で,昭和19年(1944年)5月23日,そこから乗船して日本の下関港へ移送され,そこで身体や衣服の消毒を受けた後,長野県へ移送されて,同月29日から被告飛島建設のα7作業所へ移送された。甲各E4,18,20,21)(
(ク)

原告ら等は,日本に移送される前に予め,日本へ行く具体的な目的や従事
することとなる労働の具体的内容などについて説明を受けたことはなく,したがって,日本において労働に従事することを承諾したことはない。また,原告P10を除く原告ら等は,労働に対して支払われる賃金について説明を受けたことはない。原告P10は,日本へ出港する前に青島において,日本へ行くこと,その期間は3年であること,帰国前に給料を支払うことを告げられ,終戦後にも,日本人から給料を支給するとの説明を受けた。(甲各B
2の1・2,甲各C2ないし5,甲各D2の1・2,5ないし7,甲各E2の1・2,3ないし5,7,原告P10本人,原告P12本人,弁論の全趣旨)カ
被告鹿島建設のα1作業所における状況(P13関係)
(以下の事実につき,甲総3の1ないし5,26の2・3,67,甲各B1,2の1,9,証人P31,弁論の全趣旨。なお,以下の認定事実中には,被告鹿島建設が作成した事業場報告書甲各B1,〕

9の記載とは異なる部分もあるが,
事業場報告書は,その性質及び内容に照らして,上記エの外務省報告書以上に,その記載のすべてを信用できるかには疑問があるといわざるを得ない。)

(ア)

事業所の概要等
日本発送電株式会社は,長野県西筑摩郡<以下略>に水力発電所の建設を計
画し,被告鹿島建設は,昭和17年(1942年)4月からその一部を請け負った。被告鹿島建設のα1作業所は,被告鹿島建設が,この水力発電所建設工事を行うために設けた事業所であり,そこでは墜道(導水路)及び発電所の建設工事が行われた。
(イ)

華北労工協会との労働者供出契約
P13は,下記(ウ)における一次の組で移入されたところ,この移入組に
ついて,被告鹿島建設と華北労工協会は,昭和19年(1944年)4月17日,
別冊民國33年度第5回(訓)華人労務者対日供出実施細目を伴う契約書を作成し,日本政府の計画及び華北労工協会の労工供出方に基づき,中国人労務者を長野県<以下略>において就労させることを合意した。(ウ)

移入状況
被告鹿島建設は,政府の中国人労務者移入の実施による割り当てを受け,α
1作業所への中国人労働者の移入を受けた(被告鹿島建設が作成した事業場報告書には行政供出との記載も見られるが,外務省報告書によればいずれも訓練生供出の方法によるものである。。α1作業所へ移入された中国人労働者は,)
中国で乗船した段階で,①昭和19年(1944年)5月5日に289名(一次)
,②同年10月11日に100名(二次)
,③同月19日に313名(三
次)であり,合計702名であった。P13が含まれていた一次組の298人の中国人労働者らは,同年5月13日にα1作業所へ移入された。なお,その後,一・二次移入の合計389名のうち,365名が被告鹿島建設のα2作業所へ転出され,三次移入の313名のうち276名が被告鹿島建設のα12作業所へ転出された。
外務省報告書及び被告鹿島建設が作成した事業場報告書によれば,α1作業所へ移入された中国人労働者合計702名の年齢構成は,
15歳以下が0名0

パーセント)
,16歳以上19歳以下が32名(4.6パーセント)
,20歳
以上29歳以下が438名(62.4パーセント)
,30歳以上39歳以下が
193名(27.5パーセント)
,40歳以上49歳以下が38名(5.4パ
ーセント)
,50歳以上59歳以上が1名(0.1パーセント)
,60歳以上
が0名(0パーセント)であるとされている。
(エ)

被告鹿島建設の移入への関与等
被告鹿島建設は,中国人労働者を日本まで輸送するにあたり,職員及び北京
営業所員を派遣し,華北労工協会の職員等と協力した。
(オ)

P13の労働内容等
P13は,α1作業所において,他の中国人労働者とともに,ジョレン,ス
コップ,ツルハシなどを用いて掘削をし,トロッコで石や砂を運搬する作業に従事した。
P13は,
毎日,
午前4時に起きて夜は午後8時ないし10時ころまで働き,
休日はほとんどなかったと記憶している。
(カ)

処遇の状況等
P13が過ごした宿舎は,木造平屋建てで,囲いや塀,鉄条網などはなかっ
た。P13は,薄い板の上に寝たが,暖房設備はなく,2枚の薄い布団のみで寒さをしのぐのは難しかった。
食事は,1日3食で,ジャガイモの茎や粉や小麦粉やぬかなどで作った蒸しパンのようなマントウ(饅頭)が支給されたり,漬物が時々支給されるなどしたが,
量が足りなかったため,
中国人労働者は野草や山菜を採って食べていた。
衣服等については,P13は,日本へ行く前に支給された衣服のみでは寒さをしのげないため,セメント袋を被るなどしていた。
(キ)

管理体制等
α1作業所においては,被告鹿島建設の従業員のほか,警察官が配置され,
警備にあたっていた。
なお,中国人労働者であったP32,P33及びP34の3名が,α1作業所から逃亡し,昭和19年(1944年)6月5日に逮捕されるという事件があった。
(ク)

死傷者等
外務省報告書及び被告鹿島建設が作成した事業場報告書によれば,当初被告
鹿島建設のα1作業所に割り当てられた中国人労働者合計702名(後にα2作業所及びα12作業所に転出した者も含む。中,死亡者は100名(14.)
2パーセント)であり,このうち97名はα1作業所に到着した以降に死亡したとされている。
また,事業場報告書及び外務省報告書によれば,上記中国人労働者合計702名中,負傷者は142名,罹病者は1219名,不具廃疾者は60名(うち失明が14名,視力障害が26名)
(いずれも延べ人数)であったとされてい
る。失明及び視力障害について,外務省の華人労務者調査報告覚書(甲総
2)においては,移入時点で既に角膜が侵され治療が遅れた者が多かったが,これにさらに野菜や油が不足したことによる栄養の不均衡が作用し,遂に失明したと思考されると指摘されている。

被告熊谷組のα3作業所における状況(P14関係)
(以下の事実につき,甲総2,3の1ないし3,23,37,46,47,甲各C1ないし6,8の1・2,9,証人P35,弁論の全趣旨。なお,以下の認定事実中に,被告熊谷組が作成した事業場報告書〔甲各C1,6,9〕の記載とは異なる部分もあるが,
被告鹿島建設についての上記カと同様,
事業場報告書は,
その性質及び内容に照らして,その記載内容のすべてを信用できるかには疑問があるといわざるを得ない。


(ア)

事業所の概要等
日本発送電株式会社は,α13水力発電所の建設を計画し,被告熊谷組は,
同水力発電所の建設工事を請け負い,昭和15年(1940年)7月7日に工事に着手した。被告熊谷組のα3作業所は,上記α13水力発電所の建設工事を行うために設けられた事業所である。
(イ)

華北労工協会との労働者供出契約
被告熊谷組と華北労工協会は,昭和19年(1944年)4月25日,別冊民國33年度第13回(普)華人労務者対日供出実施細目を伴う契約書を作成し,日本政府の計画及び華北労工協会の労工供出方に基づき,同年6月上旬より向こう2年間の期限で,華北労工協会が供出する労工を被告熊谷組が使用することについての契約を締結した。
(ウ)

移入状況
被告熊谷組のα3作業所における工事に必要な労務見込延人員数は,135
万人であったところ,当初は,内地人(日本人)及び朝鮮人により必要な人員を確保する計画であったが,
戦争の進展に伴い,
労務の補給が困難となった上,
コンクリート用砂利採取の労務の補強については日本人及び朝鮮人労務のみでは期待できない状態であったことから,被告熊谷組は,比較的作業が容易な砂利採取作業を中国人労働者によって労務の補給をさせることに決定した。被告熊谷組は,華北労工協会の斡旋による行政供出により,昭和19年(1944年)6月21日から,延べ1084名(同日に移入されたのは397名の行政供出)の中国人労働者の移入を受け,α3作業所に配置したが,同年10月8日,α3作業所の中国人労働者の一部を被告熊谷組のα4作業所(α14水力発電所建設工事)へ転出させ,α4作業所に直接移入された中国人労働者とともに工事に当たらせた。その後,日本発送電株式会社は,昭和20(1945年)年5月31日限りで,資材不足その他の理由により,α13水力発電所建設工事を中止することを決定したため,被告熊谷組は,これに伴う配置替えをすることとし,一部を北海道常呂郡<以下略>所在の野村鉱業株式会社のα15工業所へ転出させ,
残りはα5作業所において就業させた。
P14も,
被告熊谷組の上記方針のもと,昭和19年(1944年)6月21日からα3作業所,同年10月8日からα4作業所,昭和20年(1945年)年6月25日からα5作業所(岐阜県)でそれぞれ就労することとなったものである。外務省報告書及び被告熊谷組が作成した事業場報告書によれば,α3作業所へ移入された中国人労働者合計909名(延べ人数ではない。の年齢構成は,)
15歳以下が9名(0.1パーセント)16歳以上19歳以下が63名(7.,
0パーセント)
,20歳以上29歳以下が423名(46.5パーセント)

30歳以上39歳以下が285名(31.4パーセント)
,40歳以上49歳
以下が91名(3.7パーセント)
,50歳以上59歳以上が34名(3.7
パーセント)
,60歳以上が4名(0.4パーセント)であるとされている。
(エ)

被告熊谷組の移入への関与等
被告熊谷組の職員3名は,昭和19年(1944年)4月18日,現地に出
張し,中国人労働者397名の引継ぎを受け,警察官等とともに輸送上の指導監督をして,上記中国人労働者を日本国内に移入し,同年6月21日にα3作業所に入場させた。
(オ)

P14の労働内容
P14は,α3作業所において,砂利や石を採取してトロッコで運搬する作
業に従事した。
P14は,その労働時間は1日10時間以上であり,正月も含めて休日はなかったと記憶している。
(カ)

処遇の状況等
P14が寝泊まりをした宿舎は,木造の平屋建てであり,板張りの床の上に藁を敷いて寝ていたが,寒さをしのぐために土間に穴をあけて火を燃やすなどしていた。施設の周辺に鉄条網はなく,施設内に風呂の設備はあった。食事は,1日3回,1回あたり1個のマントウ(饅頭)とニンニク2切れなどといったものであった。
衣服等については,P14は,中国の収容所において,布団,上着,シャツ,ズボン及び靴などの支給を受け,これを使用していた。
(キ)

管理体制等
α3作業所においては,P14らが住んでいる建物の一角には,警察官のい
る建物があり,中国人労働者らを監視していた。また,仕事中は,被告熊谷組の社員と思われる日本人が,
仕事をしろと言い,中国人労働者を殴るなど
暴力を加えたことがあった。
(ク)

死傷者等
外務省報告書及び被告熊谷組が作成した事業場報告書によれば,α3作業所
における中国人労働者延べ1084名(実移入人数884名)のうち,62名(5.8パーセント)が死亡したとされ,そのうち,胃腸カタル等の病死が45名であるとされている。
また,事業場報告書及び外務省報告書によれば,上記中国人労働者延べ1084名(実移入人数884名)のうち,不具廃疾者は23名であるとされ,そのうち,失明した者が19名であるとされている。

被告大成建設のα6作業所における状況(P15・P16関係)
(以下の事実につき,甲総2,3の1ないし5,26の3,66,甲各D1,2の1・2,5ないし8,証人P31,弁論の全趣旨。なお,以下の認定事実中に,被告大成建設が作成した事業場報告書〔甲各D1,8〕の記載とは異なる部分もあるが,被告鹿島建設についての上記カと同様,事業場報告書は,その性質及び内容に照らして,その記載内容のすべてを信用できるかには疑問があるといわざるを得ない。


(ア)

事業所の概要等
被告大成建設(旧大倉土木株式会社)は,昭和20年(1945年)ころ,
日本発送電株式会社から,α16水力発電所の建設工事を請け負った。被告大成建設のα6作業所は,この水力発電所建設工事を行うために設けられた作業所である。
(イ)

華北労工協会との労働者供出契約
被告大成建設と華北労工協会は,昭和19年(1944年)2月5日,日本
政府の計画及び華北労工協会の労工供出方に基づき,同年7月中旬から向こう2年間の期限で,華北労工協会が供出する労工を被告大成建設が使用することについての契約を締結した。
(ウ)

移入状況
このα16水力発電所建設工事は,緊急工事であり,工期が極めて短縮され
たので多数の労働力が必要になったが,当時は内地(国内)等の給源が枯渇していたため,被告大成建設は,中国人労働者を急速に移入する以外に道はないとして,厚生大臣に中国人労働者の斡旋申請をし,華北労工協会がα9訓練所において訓練中の者を募入することを決定した。
被告大成建設は,昭和19年(1944年)7月25日,華北労工協会を募集機関とする行政供出(募集地はα9訓練所)により,合計299名(300名の予定であったが1名は出発時病気のため連行されなかった。
)の中国人労
働者の移入を受け,α6作業所に配置した。
外務省報告書及び被告大成建設が作成した事業場報告書によれば,α6作業所へ移入された中国人労働者合計299名の年齢構成は,15歳以下が1名(0.3パーセント)
,16歳以上19歳以下が13名(4.3パーセント)

20歳以上29歳以下が207名(69.2パーセント)
,30歳以上39歳
以下が71名(23.7パーセント)
,40歳以上49歳以下が7名(2.3
パーセント)
,50歳以上が0名(0パーセント)であるとされている。
(エ)

被告大成建設の移入への関与等
被告大成建設α6作業所の労務係2名は,移入する中国人労働者の移送に付
き添い,昭和19年(1944年)7月10日から同月11日にかけて,石家荘の収容所(α9訓練所)からα17収容所へ移動したが,その間は日本の軍隊20名が警戒に当たった。上記被告大成建設の労務係2名は,同年7月15日,移入する中国人労働者299名に付き添って汽船会寧丸に乗り塘沽港から出港した。なお,汽船会寧丸には船医は1人もいなかった。中国人労働者299人は,同年7月24日に下関に上陸したが,この際,被告大成建設のα6作業所の職員4名のほか,長野県職員3名が下関に派遣され,中国人労働者の輸送の斡旋をした。
(オ)

P15及びP16の労働内容
P15及びP16は,α6作業所において,α16水力発電所建設のための
隧道の掘削,掘出し,運搬,坑内掘出しなどの作業に従事した。
P15及びP16を含め,中国人労働者は,α6作業所においては,2交代制で1日平均約10時間勤務をし,作業日数は年間305日(1か月平均25日)であった。
(カ)

処遇の状況等
P15及びP16が寝泊まりしていた宿舎は,木造建物で,真ん中の通路を
挟んで中国人労働者が寝るような構造になっており,暖房はなかった。また,宿舎を含む施設の周囲に塀はなく,病院や風呂などの施設があった。食事は,1日3食で,1食にマントウ(饅頭)が1個,時々漬物が支給されるなどといったものであった。
P15は,α6作業所にいる間,靴を1足支給された以外に,衣服等の支給を受けていない。
(キ)

管理体制等
P15及びP16らが作業に従事している間は,日本人が,日本刀を持つな
どして見張り,監督に当たっていた。
α6作業所内の2棟の宿舎の端には,監視員がいる小屋が配置されていた。(ク)

死傷者等
外務省報告書及び被告大成建設が作成した事業場報告書によれば,α6作業
所における中国人労働者合計299名のうち,死亡者は23名(7.7パーセント)であり,その死亡原因としては,腸カタル8名,肺炎3名,気管支炎と腎臓炎が各2名,胃腸炎,肺結核,脚気,喘息,肋膜炎が各1名と報告されている。
また,事業場報告書及び外務省報告書によれば,上記中国人労働者299名のうち,不具廃疾者数は28名(9.4パーセント)であり,その全員の28名がトラホームによる視力障害であるとされており,外務省の華人労務者調査報告覚書(甲総2)においても,これについて特異ノ現象であるとし
て,移入時点で既に角膜が侵され治療が遅れた者が多かったが,これにさらに野菜や油が不足したことによる栄養の不均衡が作用したものであると考えられると指摘されている。

被告飛島建設のα7作業所における状況(原告P10・同P12・同P11関係)
(以下の事実につき,甲総2,甲各E1,2の1・2,3,4,7,8,16,18ないし24,25の1ないし5,26,27,原告P10本人,原告P12本人,弁論の全趣旨。なお,以下の認定事実中に,被告飛島建設が作成した事業場報告書〔甲各E1,26,27〕の記載とは異なる部分もあるが,被告鹿島建設についての上記カと同様,事業場報告書は,その性質及び内容に照らして,その記載内容のすべてを信用できるかには疑問があるといわざるを得ない。)

(ア)

事業所の概要等
被告飛島建設は,日本発送電株式会社から,α18発電所の水路工事を請け
負っており,その水路工事のための作業所が,被告飛島建設のα7作業所であるが,同作業所は,高度約1000メートルα19山の1合目に位置し,気温寒冷で冬季は積雪が多い場所にある。
(イ)

華北労工協会との労働者供出契約
被告飛島建設と華北労工協会は,昭和19年(1944年)4月17日,日
本政府の計画及び華北労工協会の労工供出方に基づき,同年5月上旬から向こう2年間の期限で,華北労工協会が供出する労工を被告飛島建設が使用することについての契約を締結した。
(ウ)

移入状況
被告飛島建設は,昭和17年(1942年)7月15日にα18発電所水路
工事に着工し,これを昭和19年(1944年)11月30日までに完成する予定であったが,戦争遂行により日本人労働者や朝鮮人労働者が不足し,このままでは期限までに工事を完成させることができなくなるおそれがあったことから,政府の斡旋によって華北労工協会より中国人労務者を移入して雇い入れることを決定した。
被告飛島建設は,昭和19年(1944年)5月29日,華北労工協会を介する訓練生供出の方法により,合計293名の中国人労働者の移入を受け,α7作業所に配置した。なお,同月23日に青島港から出港した中国人労働者は合計296人であったが,船中及び下関港上陸後に3名が死亡して減員となり受入人員は合計293名となったものである。
外務省報告書及び被告飛島建設が作成した事業場報告書によれば,青島港から出港した時点における中国人労働者合計296名の年齢構成は,15歳以下が0名(0パーセント)16歳以上19歳以下が27名(9.

1パーセント)

20歳以上29歳以下が192名(64.9パーセント)
,30歳以上39歳
以下が72名(24.3パーセント)
,40歳以上49歳以下が5名(1.9
パーセント)
,50歳以上が0名(0パーセント)であるとされている。
(エ)

被告飛島建設の移入への関与等
被告飛島建設は,その職員等を北京へ派遣し,平成19年(1944年)5
月17日,北京特別更生隊において,華北労工協会北京弁事所のP36を引渡人とし,被告飛島建設作業所のP37を引受人として,中国人労働者の引渡しを受けた。中国人労働者らが募集地である北京を出発してから同月27日に下関に上陸するまでの間,被告飛島建設の職員2名が中国人労働者らに付き添った。また,下関からα7事業所までの間は,上記2名の被告飛島建設職員の外に長野県警察官3名(所轄福島警察署より1名,県警察部より2名),被告飛
島建設の事業場職員6名が,中国人労働者に付き添った。
(オ)

原告P10,同P12及び同P11の労働内容
原告P10を含む中国人労働者は,被告飛島建設のα7作業所において,隧
道内の掘削,土砂搬出,コンクリート用砂利採取,資材類の運搬等の作業に従事した。原告P12は,第1中隊長とされたため,上記のような具体的な作業には従事しなかった。原告P11は,第2中隊の炊事班長とされ,約100名分の中国人労働者の食事を作る作業に従事していたため,上記原告P10の従事したような作業には従事しなかった。
原告P10を含む中国人労働者は,被告飛島建設のα7作業所においては,2交代制で1日約12時間勤務し,休憩時間は決められておらず,休日もほとんどなかった。
(カ)

処遇の状況等
原告P10ら中国人労働者が過ごした宿舎は,木造平屋建てで,周囲は板張
り,藁でその外側を覆い,中間に窓をつけ,内部の中央は土間としその両側に板張りの居室兼寝室が設けられていたものであった。就寝の際には床板の上に藁を敷き,その上に蒲莫藍(ござ)を敷き,それがない場合は蓆(むしろ)を敷いていた。暖房設備はなかったため,寒冷なこの地域の寒さをしのぐため,中国人労働者は,
11月から4月にかけては徹夜で焚き火をするなどしていた。
食事は,1日につき,小麦粉と糠でできた直径5センチメートル程度の大きさのマントウ(饅頭)が6個と塩水(甲各E3,19,23)
,朝食は赤コー
リャンのご飯又は小麦粉と襖でできたマントウ(饅頭)2個,昼食はうどん1杯とマントウ(饅頭)1個,夕食はお粥やスープが多いうどん1杯(甲各E2の1,甲各E22)
,1食あたり小さいマントウ(饅頭)が4個(甲各E4,
甲各E20,甲各E21)などといったものであった。中国人労働者らは,空腹のため,山へ山菜を採りに行ってそれを食べるなどしていた。なお,病気に罹患して作業に従事することのできない中国人労働者については,働いていないという理由から,マントウ(饅頭)等は支給されず,スープだけが支給された。
中国人労働者が治療を受けることのできるような治療施設はなく,中国人労働者らは,けが等をした際には,土や木の葉を傷口に塗るなどして処置をしていた。風呂の設備はあった。
原告P10及び同P12は,被告飛島建設のα7作業所に移入されて以降,足袋を支給されたことはあったが,それ以外の被服及び寝具等を支給されたことなはく,中国出国前に支給されたものを使用していた。原告P11は,来日してからは,被服等は何も支給されなかった。
(キ)

管理体制等
中国人労働者の宿舎付近には,被告飛島建設の下請の者が宿泊して,中国人
労働者との連絡及び補導等を行ったが,その他はα7作業所にいる被告飛島建設の職員が中国人労働者の指導保護を行った。また,長野県から,中国人労働者取締専任の巡査2名が配置され,被告飛島建設の職員等と連絡して取締を行っていた。ただし,中国人労働者の宿舎の周囲には鉄条網などはなく,常に監視があったわけではないため,中国人労働者らは山へ行き山菜を採ることもできた。
原告P10は,作業中,監視の者から,拳や棒で殴られたことがあった。また,原告P12も,中国人を殴っていた日本人に対して殴るのをやめるよう言ったところ,鉄の棒で背中を叩かれるなどの暴行を受けたことがあった。さらに,原告P11も,日本人の監視人から,早く作業をするように言われ,拳で殴られたことが2回あった。
なお,昭和19年(1944年)6月29日,被告飛島建設の作業所における中国人労働者であるP38(当時30歳)
,P39(同30歳)
,P40(同
29歳)及びP41(同28歳)の4名が脱走し,P38は逮捕された後福島警察署に留置中に取り調べ中に死亡し,他の3名については行方不明のままであるとされている。
(ク)

死傷者等
外務省報告書及び被告飛島建設が作成した事業場報告書によれば,被告飛島
建設のα7作業所へ移入された中国人労働者合計296名(青島港から出港した時点の人数)のうち,死亡者は23名(7.8パーセント)であり,その死亡原因としては,肺結核11名,慢性胃腸カタル3名,心臓麻痺3名,心臓弁膜症2名等とされている。
また,事業場報告書及び外務省報告書によれば,上記中国人労働者296名のうち,負傷者は108名,罹病者は493名(延べ人数)とされているが,不具廃疾者は存在しないとされている。
(ケ)

原告P10の後遺障害について
原告P10は,昭和20年(1945年)5月末ころ,被告飛島建設のα7
作業所において,岩石を手押しトロッコに積んで,2人1組で押す作業などに従事していたところ,トロッコがレールからはずれて,右母指を石と石の間に挟み右手母指の末節骨の粉砕骨折という傷害を負った。
原告P10は,
事故後,
約2週間ほど仕事を休んだものの,十分な治療を受けることができなかったため,切断された腱が退縮変性してしまい,右母指の第1関節(末節骨)の欠損という後遺障害が残った。原告P10の右手母指の機能は,用を廃したとまではいえないものの,著しく障害が残った状態で,仕事(農業)や日常生活に支障が生じた。

昭和20年(1945年)8月15日に,日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏して第二次世界大戦が終了し,以後,原告ら等は,日本国内において労働に従事することはなく,
同年12月ころまでには現在の中華人民共和国に帰国した。
原告ら等の中には,中国に帰国後,日本で強制労働に従事させられていたことを理由に,文化大革命の際に日本のスパイであると疑われたり反革命とか裏切り者として批判されたり,仕事等の上で差別的扱いをされるなどした者もあった。(甲各B7,甲各E5,6,20,原告P10本人,原告P12本人)
(2)

被告らの不法行為責任(共同不法行為)の成否について
被告国の不法行為責任について
以上の認定事実によれば,被告国は,被告企業らを含む土木建築業界からの要望も受けて,戦時中の国内の労働力の不足に対応するため,本件閣議決定及び本件次官会議決定などにより中国人労働者を移入するとの政策を決定して,これを実行に移した。原告ら等は,日本に行くことについても日本国内で労働に従事することについても承諾をしたことはなく(この点については被告らも特に争っていない。,原告ら等の日本への移入は,外務省報告)
書においても半強制的ニ供出するものとされている行政供出又は訓練生供出という供出方法によるものであって,原告ら等の意思を全く顧慮せずにされたものであった。
のみならず,
原告ら等を日本へ移入するまでの間には,
日本軍等が関与して,原告ら等を高圧電流が通った鉄条網で囲われた収容所等に収容した上,原告ら等を含む中国人を監視し,時には中国人に対し暴行を加えるなどし,原告ら等は,そのような状況の中で船に乗せられて日本へ移入されたのであるから,原告ら等が日本へ移入されることを拒絶できる状態にはなかったものといえる。そうすると,被告国は,上記中国人労働者移入政策の実現として,その意思や自由を抑圧した上で,原告ら等を強制的に日本国内へ連行したものであるといえる。
また,原告ら等が被告企業らの各事業場において労働に従事したことについては,下記イのとおり,原告ら等に強制的に労働をさせたものと認められるところ,このような強制的労働は,戦時中の国内の労働力の不足に対処するための上記被告国の政策の実現にほかならないものであるし,本件次官会議決定等において,中国人労働者を使用する事業所を決定する(割当)権限を有するのは厚生省であるとされていたこと,被告企業らの各事業所に警察官が派遣され,中国人労働者の管理や取締に当たっていた事実があることなどに照らせば,被告国は,上記の原告ら等に対する労働の強制についても,被告企業らと共同してこれを実現させたものということができる。以上によれば,被告国が,上記中国人移入政策を決定した上,その実現として,
原告ら等を強制的に日本へ連行し,
強制的に労働に従事させたことは,
外形的には不法行為に該当する事実であると認められる(ただし,いわゆる国家無答責の法理により被告国の上記行為について民法が適用されない結果,被告国は不法行為責任を負担しないこととなる点については,下記3のとおりである。。


被告企業らの不法行為責任について
上記アのとおり,原告ら等が強制的に日本へ連行されたのは,被告国による中国人労働者移入政策の実現としてされたものであるところ,この政策は,そもそも中国人を強制的に労働させて,被告企業ら各事業所における労働力の不足を補うという被告企業らの戦時企業利潤をもたらすためのものでもあり,上記認定のとおり,被告企業らは,土木工業協会を通じるなどして日本政府に対し中国人労働者の移入の実現を要望していたものであり,それが被告国による中国人労働者移入政策の決定に少なくない影響を及ぼしたものと考えられる。また,上記認定のとおり,被告企業らは,本件次官会議決定に附帯する華人労務者内地移入手続に基づき,厚生省から事業主別雇傭員数の割当予定の通報を受け,華人労務者移入雇傭願を提出して割当を受けたものと考えられること,その上で,被告企業らは,自ら華北労工協会との間で労働者供出契約を締結し,中国人労働者の輸送の際には職員等を派遣して協力し,華北労工協会から直接に中国人労働者の引渡しを受けていることも考慮すれば,被告企業らは,上記アの原告ら等の強制連行についても,主導的に関与してきたものと認められる。
また,原告ら等は,日本国内で労働に従事することについて,承諾をしたことは一度もなく,したがって,当然ながら被告企業らとの間で労働契約を締結したこともない(この点については被告らも特に争っていない。。しかるに,被告)
企業らは,上記認定のとおり,従事する作業内容,作業時間,休日の有無,宿舎の設備,
食事,
被服等といった労働環境及び生活環境が過酷な条件の下において,職員に原告ら等を監視させ,時には原告ら等中国人労働者に暴行を加えるなどして,原告ら等を強制的に労働に従事させ,その労働の成果を受益していたものといえる。なお,原告ら等が寝起きしていた宿舎等の周囲に塀や鉄条網などは設置されておらず,原告ら等が常に監視されている状態ではなかったとしても,中国から船に乗せられた後長野県内まで連行されてきた原告ら等が施設を脱出して逃亡することは実際には困難であったと考えられるし,原告ら等が被告企業らの各事業所において労働に従事することを承諾したことがない以上,原告ら等が強制的に労働に従事させられていたことに変わりはないというべきである。また,それぞれの作業所における労働環境及び生活環境については,その詳細が不明な部分もあるが,上記認定のとおり,被告企業らが受け入れた中国人労働者の年齢層は10歳代後半から40歳代の者がその大部分を占め,その就労期間が長い者でも1年強にとどまるにもかかわらず,各事業所における死亡者,不具廃疾者(特に失明又は視力障害の者)
,罹病者,負傷者及び障害者等の人数が相当程度認め
られており,特に失明や視力障害の原因の一つとしては野菜や油の不足による栄養の不均衡が考えられ(甲総2)
,病気及び死因として比較的多く認められた腸
カタルなどの消化器系統の疾患も栄養不足が原因であると考えられる(甲総2)ことに照らせば,被告企業らの各作業所における労働環境及び生活環境が相当に過酷なものであったと推認することができる。よって,被告企業らは,自ら華北労工協会との間で労働者供出契約を締結して原告ら等中国人労働者の移入を受け,職員に監視をさせるなどして原告ら等中国人労働者を自らの支配下に置き,原告ら等に,その意思に反して過酷な条件下で強制的な労働に従事させたものといえる。
以上によれば,被告企業らが主体的に関与して行われた原告ら等の強制連行及び強制労働は,一連のものとして不法行為を構成し,被告企業らは,被告国と一体となってこれを行ったものとして,不法行為責任を負担するものといわざるを得ない。

P13の承継人に関する被告鹿島建設の主張について

(ア)

P13の弟である原告P1は,P13の損害賠償請求権を相続により承継
したとしてその請求をしているが,この点につき,被告鹿島建設は,①P13に直系卑属が存在しないこと,②P13の実母が相続開始前に死亡していたこと,③P13と妻との婚姻関係(重婚)が解消されていたことがいずれも原告らにより証明されているとはいえない,つまり先順位の相続人が存在しないことが証明されていないから,原告P1がP13の相続人であると認めるに足りる証拠は存しないとして,原告P1の請求はその余の点を判断するまでもなく棄却を免れないと主張している。
しかし,戸籍制度のない中華人民共和国においては一般的な証明手段であると考えられる公的な証明書(甲各B4)において,原告P1,P19及びP20の3人以外に相続人は存在しない旨が記載されている上,そもそも相続による実体法上の権利の取得を主張する原告P1としては,自己が相続人であることを基礎づける事実(つまり,自らがP13の弟であること)を主張立証すれば足り,原告P1が相続人であることを争う被告鹿島建設において,P13には先順位の相続人が存在するため原告P1には相続権がないことを,抗弁として主張立証すべきであると解されるところ,被告鹿島建設は,P13には直系卑属等の先順位の相続人が存在する可能性がある等と主張するのみで,P13に先順位の相続人が存在することを具体的に主張立証していないのであるから,上記被告鹿島建設の主張は失当である。
(イ)

上記認定のとおり,P13の妹として法定相続人に当たるP19及びP2
0は,P13の弟として同じく法定相続人に当たる原告P1に対し,本件訴訟についての全権を委任する旨の委任状を作成し,これに基き,原告P1は,P13の損害賠償請求権のすべてを承継したとして請求をしている。この点につき,被告鹿島建設は,上記委任状について,P19及びP20は,原告P1に対し訴訟追行を委任したにすぎず,その相続分を譲渡したと解することはできないところ,訴訟委任は訴訟法上認められないから,原告P1が主張する損害賠償請求権のうちP19及びP20の各相続持分相当分については,棄却されるべきであると主張する。なお,原告らは,被告鹿島建設のこの主張につき,時機に後れたものであるとして却下の申立てをしている(民事訴訟法157条1項)が,被告鹿島建設の上記主張が訴訟の完結を遅延させることとなるものとは認められないから,原告らの上記申立てを却下する。
しかし,P19及びP20が本件訴訟についての全権を原告P1に委任する旨の委任状を作成したことに関し,当事者の意思を合理的に解釈するならば,当事者間の内部関係の問題は別として,対外的には,取立ての目的で,P19及びP20が各相続持分に相当する損害賠償請求債権を原告P1に譲渡したと認められるというべきであり,これが違法ということにはならない。したがって,原告P1は,譲り受けたP19及びP20の相続分相当額も含めて,P13の損害賠償請求権のすべてを請求することができる。よって,上記被告鹿島建設の主張は理由がない。
3
争点2(2)
(国家無答責の法理)について

(1)

原告らは不法行為(民法709条又は715条)に基づき損害賠償を請求して
いるところ,上記のとおり,被告国が,原告ら等を強制的に日本へ連行し,強制的に労働に従事させたことは,外形的には不法行為に該当する事実であると認められる。これに対し,被告国は,そうであるとしても,そのような国家賠償法施行前における国の権力的作用については,

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。

とする国家賠償法附則6項により民法の不法行為に関する規定の適用はなく,被告国は不法行為責任を負わない(いわゆる国家無答責の法理)と主張するので,この点につき検討する。
日本国憲法17条は

何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。

と規定し,これに基づき昭和22年10月27日に国家賠償法が施行され,同法1条1項は

国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。

と定め,同法附則6項は

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。

と規定している。原告らが主張する被告国の強制連行及び強制労働の不法行為は,国家賠償法施行前の行為であり,これに同法が遡及的に適用されることがないのは明らかであるから,被告国の上記不法行為に適用されるべき従前の例の意義がいかなるものであるか,これが被告国の主張する国家無答責の法理を指すものであるのかが問題となる。この点,国家賠償法附則6項にいう従前の例によるとは,同法施行前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味すると解されるところ,国家賠償法施行前においては現行の国家賠償法1条1項に相当するような公権力の行使に係る国の損害賠償責任を定めた実定法の規定は存在しない一方で,国家無答責の法理そのものにつき明文で定めた法令も存在せず,民法上,国の権力的作用についての不法行為法の適用が明文で排除されているわけではないので,関係法令の立法過程や当時の判例等に照らし,国家賠償法施行前の段階で,わが国において法令を含めた法制度として国家無答責の法理が採用されていたものといえるか否かにつき,以下で検討することとする。
(2)

証拠(下記認定事実中に掲記のもの。
)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事

実が認められる。

行政裁判法16条の立法経緯等
大日本帝国憲法(いわゆる明治憲法)61条は行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラスと規定し,行政裁判法(明治23年法律第48号)16条は行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セスと規定している。伊藤博文が編纂し,行政裁判法の制定過程における問題点及びそれに対する解決策等を記録した官制關係資料所収の行政裁判所設置ノ問題と題する資料(乙総A57)の中には,
君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。故ニ政府ノ主權ニ依レル處置ハ要償ノ責ニ任ゼントハ一般ニ憲法學ノ是認スル所ナレバ,人民ハ一個人トシテ官吏ノ故造處置ヲ訴へ,民事裁判所ニ要償スルヲ除ク外,行政廰ヲ相手取リ要償ノ訴ヲ爲スノ權アルコトナシ。但シ法律ニ依リ政府ハ賠償ノ責ニ任ズベキコトヲ明言シタル條件(徴發令ノ如シ)ニ於テハ,行政裁判所ハ要償ノ訴ヲ受理スルコトヲ得ベシ。と記載されている。また,行政裁判法案の原案を作成したモッセは,国ノ民法上損害賠償義務ニ関スル意見」と題する答議において,国が民事上の活動を行う場合には,国は民法に従って責任を負い,民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるが(郵便,電信,鉄道等に関し,特別の責任規定があれば,それは民法に優先して適用される。,官吏が国権を執行)するに際し,義務違反の処置若しくは怠慢により第三者に加えた損害に対し,国は財産上責任を負わないと述べている。(乙総A57,58,弁論の全趣旨)イ裁判所構成法の立法経緯等裁判所構成法(明治23年2月8日法律第6号)は,明治20年5月にルドルフが中心となって草案を起草したものを法律取調委員会が検討修正したものに基づいているところ,その法律取調委員会案(帝国司法裁判所構成法草案)33条は,当初,「地方裁判所ハ民事訴訟ニ於テ左ノ事項ニ付裁判権ヲ有スとして,第一第一審トシテ(イ)金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求(ロ)金額若クハ価額ニ拘ハラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル(ハ)其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専属スルモノヲ除キ総テノ請求というものであり,地方裁判所が裁判権を有する民事裁判事項の中に国家責任に関する訴訟が含まれていた。しかし,これに対し,後に法制局長官となる井上毅が,第一國ニ對スル訴訟ノ事ブラクストン氏王權篇云ハク王ニ對スル訴訟ハ民事ト雖モ之レヲナスコト能ハス蓋シ何ノ法院モ國王ヲ裁判スルノ法權ナケレハナリト故ニ英國ニ於テ君主及ヒ政府ニ對スルノ訴訟ハ唯々請願ニ由リテ恩惠ノ許可ヲ得タル後始メテ裁判ヲ受クルコトヲ得普國千八百三十一年十二月四日ノ閣令云ハク君主ノ資格ニ於テ臣民トノ間ニ裁決ヲ要スルノ權利ノ争ヲ生スルノ理ナク又之レヲ裁決スルノ權限アル裁判所ハ全國ニ一モ存スルコトナシト政府ニ對スル訴訟ハ獨逸ニ於テ國權ト區別シタル財産上ノ訴ヲ許シタルノミニシテ單純ニ國ニ對スル訴訟トシテ之レヲ許シタル「ノ國アルコトナシ今本案ニ國ニ對スル訴訟ヲ以テ裁判所ノ權内ニ皈シタルハ其ノ當ヲ得ザルノミナラズ專ラ居留外國人ノ日本政府ニ對スル訴訟ノ爲ニ地ヲ爲ス者ナリ」第三,官吏ノ公務ニ對シテハ要償スルコトヲ得ス何トナレハ其ノ公務ハ國權ノ一部ニシテ國權ハ民法上ノ責任ナキ者ナレハナリ官吏ニ對スルノ要償ハ其ノ官吏ノ私事トシテ訴フル者ニ限ルヘシ第三十二條(ハ)ノ場合ハ國法ノ大則ニ背ク事(上記第三十二條とは,法律
取調委員会案33条に相当する。
)等とする意見書を提出した。
そして,最終的には,この井上毅の意見が反映される形となり,上記規定のうち,地方裁判所が裁判権を有する民事裁判事項の中から,国家責任に関する訴訟を受理する旨の規定が削除された上で,裁判所構成法が制定された。(乙総A5
9)

民法715条の立法過程等

(ア)

ボアソナードが起草した旧民法草案373条は,
主人及ヒ棟梁,工場運送若クハ其他ノ事業ノ起作人,公私ノ事務所ハ其僕稗,職行,属員若クハ主管ニ因リ之ニ委託シタル職掌ノ執行中若クハ其際ニ引起サレタル損害ノ責ニ任ズ可シと規定し,国も私人の場合と同様に無制限に使用者責任を負担することを規定しており,国の権力的作用にも民法の適用があることが前提とされていた。
(乙総A61)
このような国の使用者責任を無制限に肯定するボアソナードの民法草案に対し,当時の法制局長官であった井上毅は,明治22年6月22日に今村和郎報告委員宛ての書簡において昨日,貴下ノ寄贈ヲ忝クシタル決議取消ノ要求書ハ,獨行政裁判ノ争ナルノミナラズ,即民法三百七十三條ニ就テノ未来ノ大問題ナルベシ,(因ニ問,民法三百七十三條ニ公私ノ事務所トアルハ文意明瞭ナラサレモ,仍ボアソナルド氏原案三百九十三條ニ謂ヘルアドミニストラシヨンノ意ナルカ乞示)抑民三百七十三條ハ,佛民法千三百八十四條ニ基クモノナルヘシト雖,佛千三百八十四條ハ,斯クマテニ明言セズ,故ニ學者ノ説ハ之ヲ國家ニマテ適用スルノ傾向アル,誠ニ貴下ノ明教ノ如シト雖,權限裁判所ノ判決ハ,全ク反對ノ主義ニ出,國家ハ『官吏ノ處置ニ付テ全ク其ノ責ニ任セズ』トノ元則ヲ取リタルハ,貴下ノ素ヨリ熟知セル所ナリ,英國及米國ニテハ,公法上官吏ノ使用ハ,民法ノ代理ト全ク其ノ原由ヲ同クセズトノ主義ヲ取リタルハ,是亦佛前ノ説法ヲ煩ハサズ,(米人ストリー氏代理法三百十九節)獨乙ニテハ賣買貸借ノ類,純然ノ民法事件ニ就テハ國家ハ國庫ノ性質(即權利義務ヲ有スル一個法人)トシテ,民法上ノ賠償責任アルコトニ就テハ,各派ノ學者間異議ナシト雖,國權ヲ執行スル官吏ノ處置及怠慢ニ付テハ,甲ノ學者ハスタイン,(ザルウエー,ロスレル氏)何等ノ場合モ,民法上ノ責任ナシト謂ヒ,乙ノ學者ハ(ゲルベル,マイエル,ツヨーフル氏等)或場合ニ於テ責任賠償スヘシト謂フ,而シテ實際ノ裁判例ニ於テハ,特別ノ法律ノ正文ニ明記シタル場合ヲ除ク外,判然ニ國家ノ民事賠償ヲ認メズ,夫レ各國ノ國法論ニ於テ如此異同アリテ未タ歸一ノ中點ヲ得ザルニ拘ラズ,我民法草案ハ大胆ニモ國家ヲ一網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範圍内ニ入レント試ミタルハ,小生ハ慨嘆ニ堪ヘサル所ナリ,此件ハ,猶再議ノ機會ヲ待ツヘシト雖,前陳ノ理由ニ因リ,小生ハ前ノ決議ヲ無効トスルノ要求ニ應スルコト能ハサルノ遺憾ヲ抱クノミナラス,且,民法上ノ問題ニ關シ,全ク貴下ト反對ノ位地ニ立ツノ不幸ヲ得タルコトヲ痛嘆セズンハアラズ,頓首と反対意見を述べた(乙総A62)。また,井上毅は,明治2
2年6月29日に司法大臣山田顕義宛ての書簡においても民法三百九十三條ニ付而者,異議ハ別冊モスセ氏意見ニ相見候,此事将来國法上ニ關係シ,一大問題と相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民と政府との争議之論據と相成ル事ニ候ヘハ,更ニ御取しらへ相成度翼望奉存候,猶佛國ニおいてすら判決例ハボアソナド氏之説と矛盾いたし居候,譯文其他之反對之證憑追々ニ可奉呈覽候,頓首と反対意見を表明した(乙総A63)。
このように,
旧民法の審議過程で,
様々な意見が表明されたが,
最終的には,
旧民法373条の規定は主人,親方又ハ工事,運送等ノ営業人若クハ總テノ委託者ハ其雇人,使用人,職工又ハ受任者カ受任ノ職務ヲ行フ爲メ又ハ之ヲ行フニ際シテ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任スとされ,当初のボアソナード旧民法草案の規定で国家の責任を認めていた部分は削除されて,旧民法は明治23年に公布された。
(総A65)
(イ)

もっとも,その後いわゆる民法典論争が起こり,最終的にこの旧民法が施
行されることはなかった。
明治26年には,
法典調査会が設置され,
穂積陳重,
富井政章及び梅謙次郎を起草委員とし,旧民法を基礎として新たな民法典の編纂が行われた。明治28年10月4日には,法典調査会における現行民法715条(草案では723条)に関する審議が行われ,その際,民法典起草委員らは以下のような答弁等をしている。
穂積陳重は,
本條ニ付テ第一ニハ政府ノ官吏ガ其職務ヲ行フニ際シテ第三者ニ加ヘタ損害賠償ニ之ガ當ルヤ否ヤト云フコトガ第一ノ御質問デゴザイマスソレニ對シマシテハ一ノ明文ガアリマセネバ固ヨリ政府ノ事業ト雖モ私法的關係ニ付キマシテハ本案ハ當ラナケレバナリマセヌカラ他ニ特別法ガナイ場合ニ於テハ本案ハ當ルト御答ヘシナケレバナリマセヌガ併シ本案ガ當ルガ良イカ惡ルイカハ第二ノ問題デアリマスガ此案ヲタテマストキニモ政府ノ官吏ガ其職務執行ニ付テ過失ガアツタトキニハ其責ニ任ズルヤ否ヤト云フ箇條ヲ置カウカト思ヒマシタガ併シ之ヲ民法ニ置キマスノハ不適當ノ場所デアルト考ヘマス・・(中略)・・公益上是ハドウモ官吏ノ職務上ノコトデアルカラ過失ガアツテモソレハ賠償ヲサセヌ方ガ宜イト云フコトハ是レハ例外デアツテ一ツノ特別法ヲ以テ定ムベキ事柄デアル一般ニ掛ルコトデナイ別シテ是レハ公法ニモ關係ノアルコトデアリマスカラ夫故ニ若シ斯ノ如キコトガアリマスレバ其事柄ハ特別法ノ所ニ規定ニナル方ガ宜イ其職務ニ付テ過失ガアルト云フトキニ於テハ之ヲ用ヰル人ガ償ナウト云フノガ原則デアルト云フコトハ動カヌコトデアラウ之ヲ定メテ置クガ宜イト思フ又民法ニ但政府ノ官吏ガ其職務ヲ執行スルニ對シテ加ヘタ損害ニ付テハ過失アリト雖モ其責ニ任ゼズト云フコトヲ只書キ放シマシテハドウシテモ萬般ノコトニ當ルマイ成程今ノ大キナ公吏ニ付テハ固ヨリ已ムヲ得ナイト云フコトモアリマセウ又一己人一己人ニ付テモ已ムヲ得ナイト云フ場合モアリマセウ是レハ程度デ公益上一私人ニ迷惑ヲ掛ケルノハ良イコトデハナイガ已ムヲ得ズヤルコトデアリマスカラ其分界ヲ附ケルニハ随分細カイコトモ要リマセウソレデサウ云フコトハ特別法ニ讓ル方ガ宜イト云フ考ヘデアリマスソレガナケレバ本條ノ規定ガ當ルト云フソレハ尚ホ勘考スベキコトデアルと答弁した。
また,梅謙次郎は,
私ハ此問題ハ嘗テ法人ノ所ノ46條デ決シタコトト思ヒマス又此處デ議論ガ出ルノハ如何ガカト思ヒマス又政府ハ法人デアリマスカラ此一箇條ニ付テ過失ガアツタトカ賠償ノ責任ガアルトカ云フコトニハ見ナイカラ此規則ガ當嵌ラヌト思フ只46條ノ規定ガ一般ノ法典ニ於テ是レト同ジ様ナ規定ニナツテ居ル只併シ乍ラ此法人ノ規定ハ無論國ニ嵌ラヌト云フコトハ私ノ言ヲ待チマセヌコトデ國ニ關シテハ特別法ガ出ルデアリマセウ不法行爲ノ原則カラ考ヘテソレカラ法人ノ所ノ46條ノ規定ヲ考ヘテ見レバ國ニ關スル特別ノ規定ガアレバ當ラヌコトハ分ル若シ明文ヲ以テ定メナケレバ國モ亦法人デアルカラ46條ノ規定ガ嵌ルト云フコトハ決シテ無理カラヌコトト思フ併シイヅレソレハ特別法ニ依テ極ルコトト信ジテ居リマスと答弁した。なお,この梅謙次郎の答弁の前提となっている民法草案46条1項(法人ハ理事其他ノ代理人ガ職務ヲ行フニ際シテ他人ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス)につい
ては,明治27年1月26日の民法総会において,国が同条の法人に当たり公務員が他人に損害を与えた場合に国が賠償責任を負うか否かが議論された際,穂積陳重は,
國庫ガ法人トナツテモ國庫ノ責任ヤ何カハ必ズ別ニ規定シナケレバナラヌト云フコトニナラウト思ヒマス,夫故ニ本條ノ中ニハ這入ツテ居リマセヌ公法人ノ權利義務ト云フモノハ本法ノ規定ニ這入ラヌ積リデ,アリマスカラ國庫市町村抔ノ如キモノ賠償ノ責任ハ本條ニ定メテ居ラヌ積モリデアリマスと同条は国の損害賠償責任を含むものではない旨の答弁をし,同条は原案どおり民法総会で可決された。
さらに,質問者である高木豊三が私ノ言ヒマシタノモ國ト云フ法人ガ民法上ノ事業ノ關係ニ付テ此條ガ當ルカ當ラヌカト云フコトニ付テ無論當ルト云フコトニハ一點ノ疑ヒガナイ只私ノ先刻申シタ官吏ガ職務ヲ行フニ際シテ私法上ノ關係デナクシテ公權ノ作用ト言ヒマスカ詰リ裁判官ガ裁判ヲスル警察官ガ人ヲ捕ヘルト云フヤウナコトモ之ニ當ルト云フヤウナコトニ聞エテハ甚ダ困ル若シサウ云フ問題ガ之ニ籠ツテ居ルナラバ大問題ダト云フノデアリマシテ勿論裁判官ト警察官計リデナイ地方官ノ如キモ矢張リ人民ニ對シテ損害ヲ加ヘタト云フヤウナ場合モ此條ノ適用ガアルカト云フトソレ等ノ場合ニハ適用スルコトガ出來ヌ即チ特別法ヲ以テ定メル民法ニハ之ヲ見テ居ラヌト云フコトノ起草者ノ御説明ヲ願ツテ置キタイと述べたのに対し,穂積陳重は,斯ウ云フノデアリマス官吏ノ職務執行ノ場合ニ是レガ當ルガ宜イト我々ハ極メテ居ラヌノデ我々ガ研究シテ見ルト時トシテハ民法ニ書イテ居ル國モアリマスカラ是レモ書カウカト思フテ相談シテ見マシタガイヅレ特別法ガ出來ルダラウト思ヒマシタカラ止メタノデアリマス特別法ガ出來ヌト云フコトヲ豫想シテ是デ突キ通スト云フノデハナイ若シ特別法が出來ナカツタラ是レガドウ解釋サレルカト云フコトヲ問ハレマスカラ特別法ガナイ以上ハ例ヘバ軍艦ガ一己人ノ商賣船ト衝突シテ其船ヲ沈メタトカ云フサウ云フ様ナ場合ニ賠償ヲ求メルト云フニハ此條ガ當リハシナイカト云フ御相談ヲシタノデ特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕舞ウト云フ丈ケノ決心ハ我々三人共ナカツタノデアル併シ若シ特別法ガナカツタラバ是レガ當ルジヤラウト云フ考ヘハ三人共持ツテ居ルと答弁した。これに対し,高木豊三は只今ノ御答デ能ク分リマシタ官吏ニ対シテ賠償ヲ求メルト云フコトヲ御書キニナラウカト云フコトデ獨逸ノ様ニシヤウト云フ御趣意デアリマスカと述べ,穂積陳重はサウデスと答えた。なお,明治28年(1895年)当時のドイツにおいては,公務員の職務上の不法行為によって国民が損害を受けた場合には,当該公務員個人に不法行為責任があり,国に賠償責任はないという法制度が採用されていたところ,高木豊三が指摘する獨逸ノ様ニというのは,このようなドイツの法制度を指しているものと考えられる。(乙総A69,70,弁論の全趣旨)
(ウ)

こうした審議を経て,現行民法715条の規定を含む民法は,明治29年
に公布され,明治31年から施行された。
(公知の事実)
(エ)

現行の民法施行後,起草者の一人である梅謙次郎は,法學志林第10巻第
2号(明治41年2月発行)において,官吏の職務上の不法行為に基づく民事上の賠償責任につき國ニ付テ何等ノ規定ガナイカラト云ッテ,民七一五ヲ適用スルコトハ出來ヌ,寧ロ國ニハ不法行爲ノ責任ナシト論決セネバナラヌ,但立法論トシテハ予ハ國ニ責任ヲ負ワス方ガヨイト思フノデアルとしている。また,起草者の一人である富井政章は,大正元年に行われた東京帝国大学の民法の講義において,民法715条につき此ノ条ニハ或ル事業ノタメニ他人ヲ使用スルトアリ,爰ニ於テ官吏ノ加害行為ニ對スル国家ノ責任モ此ノ条文ニヨリテ規定シ居ルモノナランカ余ハコノ場合ニ適用スヘキ規定ニアラスト思フ,民法ハ此ノ問題ノ決定ヲ行政法規ニ譲ル考ナリシカト思ハル,余ハ立法問題トシテハ寧ロ民法不法行為ノ所ニ規定スヘキ事柄ナリト考フ,行政事務ノ執行ニ際シテ生シタル損害ナリト云フ点ヨリ云ヘハ公法干係ナリ,私権ノ損害ニ對スル賠償義務ノ問題ナル故元ヨリ民法ノ問題ナリ,併シソレハ未タ規定セラレ居ラス,現行行政法ハ如何ニナリ居ルカトイウニソレハココニ説明スヘキ事項ニアラサルモ余ノ解スル所ニヨレハ特別ノ明文アル若干ノ場合ヲ除ク外一般原則トシテハ国家ニ賠償ノ義務ナシト云フ仕組ニナリ居ルト思フ,ソレハ公権ノ執行ニ干シテハ大ニ問題トナルコトナルモ国家ガ一面営業トシテ見ルヘキ事業ヲナス場合ニモ尚賠償責任ナキコトナリ居ルト思フ裁判例モ確ニアリキソレハ甚不当ナリト考フ,併シカカル問題ハ深ク論セスと述べた。(乙総A71,7
2)

国家賠償法の立法過程等
上記のとおり日本国憲法17条に基づき,昭和22年(1947年)10月27日,国家賠償法が施行されたところ,同法の制定過程であった同年7月16日の第1回国会衆議院司法委員会において,奥野健一政府委員は,
從來國家公権力行使についての不法行爲の場合においては,國家は賠償責任がないという理論が判例,学説で大体確立されておりますので,今度憲法の規定によって國家が賠償責任があるというそういう立法をすべきことを憲法で要請されておりますので,すなわちこの法律によって初めて國家が賠償の義務あることを明らかにいたしたものと考えております。すなわち民法の直接そのままの適用が,今までの解釈から言つてないということになつておりますので,特にこの特別法といいますか,この法案によって國家の賠償の義務あることを明らかにいたしたわけであります。と答弁した。また,昭和22年8月7日の第1回国会衆議院本会議において,司法委員長松永義雄は,司法委員会における国家賠償法法案の審議経過につき

本法案施行前の行為に基き施行後に発生した損害に対する処置いかんとの質疑がなされたのに対し,国または公共団体に賠償責任なしとの政府の答弁でありました。

と報告し,その後本会議で国家賠償法が討議・可決された。(乙総
A66,75,76)


国家賠償法施行前の大審院判例
大審院判例は,
かつては,
国の非権力的作用についても,
純粋な私経済作用官

庁事務用品の購入・官庁建物の賃借等)以外のものについては国の損害賠償責任を否定していた。しかし,いわゆる徳島市立小学校遊動円棒事件の大審院大正5年6月1日判決(民録22輯1088頁)は,公立学校の施設の瑕疵による損害について,小学校の管理は行政の発動であるが,その管理権に包含する小学校校舎の施設に対する占有権は公法上の権力関係に属するものではなく,全ク私人カ占有スルト同様ノ地位ニ於テ其占有ヲ為スモノと判示して,民法717条を適用して国の責任を認めた。
その後,大審院昭和16年2月27日判決(民集20巻2号118頁)は,違法な租税の徴収及び滞納処分を理由とする損害賠償請求事件につき,按ズルニ凡ソ国家又ハ公共団体ノ行動ノ中統治権ニ基ヅク権力的行動ニツキテハ私法タル民法ノ規定ヲ適用スベキニアラザルハ言ヲ侯タザルトコロナルヲ以テ,官吏又ハ公吏ガ国家又ハ公共団体ノ機関トシテ職務ヲ執行スルニ当リ不法ニ私人ノ権利ヲ侵害シ之ニ損害ヲ蒙ラシメタル場合ニ於テ,ソノ職務行為ガ統治権ニ基ク権力行動ニ属スルモノナルトキハ,国家又ハ公共団体トシテハ被害者ニ対シ民法不法行為上ノ責任ヲ負フコトナキモノト解セザルベカラズ。と判示しているほか,特許法による特許の付与処分に関する損害賠償請求事件についての大審院昭和4年10月24日判決(法律新聞3037号)
,印鑑証明事務に関する損害賠償請求
事件についての大審院昭和13年12月23日判決(民集17巻24号1689頁)等が,いずれも加害行為が権力的作用であることを理由に国の損害賠償責任を否定している。
(公知の事実,弁論の全趣旨)

(3)

以上を前提に検討すると,上記(2)アの行政裁判法16条の制定過程においては,政府の主権に基づく処置すなわち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害について国家は損害賠償責任を負わないとする国家無答責の法理が前提とされており,同条によって,個人は,原則として,国家に対する損害賠償の訴えを行政裁判所に提起できないことが定められたものといえる。上記(2)イの裁判所構成法の制定過程において国家責任に関する訴訟を受理する旨の規定が削除されたのも,同様に,国家無答責の法理を前提にした井上毅の意見が反映された結果であったと考えられる。また,上記(2)ウの民法715条の立法経緯を見ると,民法典起草委員らは,権力的作用より生じた損害に関する国の賠償責任については特別法の制定に委ねられるべきであると認識していたことは確かであり,そのような特別法が制定されなかった場合にどうするかについては,起草委員の一人である穂積陳重が,軍艦が個人の船に衝突して沈没させたという事例につき,民法715条が當ルジヤラウト云フ考ヘハ三人共持ツテ居ルと,やや曖昧な答弁をしている事実はあるものの,ボアソナード旧民法草案では肯定されていた国家の使用者責任の部分が削除された旧民法373条と同様に,現行民法715条は,国の公権力の行使に起因する損害賠償責任を肯定する文言を含まない規定となっていること,上記の答弁に引き続き,穂積陳重自身が,現行民法715条について,公務員の職務上の不法行為につき国の損害賠償責任を否定するドイツの法体制と同様の趣旨であると答弁していること,民法起草委員らが,現行民法施行後,同法715条は官吏の加害行為に対する国家責任には適用されない旨の見解を表明していることなどに照らせば,公権力の行使による損害については民法715条の適用が否定され,そのような場合の国の損害賠償責任は立法論の問題であるとするのが民法の立法者意思であったとうかがわれるというべきである。以上のような関係法令の立法経緯や立法者意思に照らせば,これらの法律は,権力的作用に起因する損害についての国家の賠償責任を原則として認めないとする当時の立法者の統一的な意思が反映されたものであったということができる。また,最上級審の判例は事実上の不文法源の一つであると解されるところ,上記(2)オのとおり,国家賠償法施行前の大審院判例は,純粋な私経済作用以外の非権力的作用につき国の損害賠償責任を認めるか否かについては変遷が見られたものの,
国の権力的作用に関するものについては,
民法の適用はなく,
また,他に国の損害賠償責任を肯定する規定のないことを理由に,一貫して国の賠償責任を否定しており,このような判断は判例上確定したものとなっていたといえる。
さらに,
上記2)

エのとおりの国家賠償法の制定過程をも考慮するならば,
日本国憲法17条は,国家無答責の法理を採用しないことを明らかにするとともに,公務員によって受けた損害についての損害賠償請求の要件及び効果の制定を立法裁量に委ねたものであると解されるところ,これを受けて制定された国家賠償法の附則6項は,

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。

と規定することにより,国家賠償法施行前においては公権力の行使に当たる公務員の不法行為について国は損害賠償責任を負わないとされていたこと(国家無答責の法理)を前提に,これについて国家賠償法の遡及的適用を否定し,同法施行後にされた行為に限って国家賠償法を適用するとの趣旨を明らかにしたものと解するのが相当である。
以上によれば,国家賠償法施行前の段階において,わが国は,法令を含めた全体の法制度として,国の権力的作用により生じた損害については国家は損害賠償責任を負わないという国家無答責の法理を採用していたものと認められる(最高裁判所昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3巻25頁参照)

そして,上記のとおり被告国が原告ら等を強制的に日本へ連行した上強制的に労働に従事させたことは,太平洋戦争を遂行するにあたって被告国が採用した中国人移入政策の実現であるから,これが国の権力的作用にあたることは明らかである。
したがって,
このような被告国の行為について民法の適用はなく,
被告国は不法行為責任を負わない。
(4)

原告らの主張について
原告らは,仮に国家無答責の法理の存在が肯定されたとしても,同法理が適用されるべき国の権力的作用であるというためには,①加害行為が実質的に強制力ないし権力の行使といえる性質のものであること,②法律の授権があること,③加害行為が国の統治権ないし主権に服する者に対する行為であることという3要件を充足することが必要であるとした上で,被告国の行為は,上記②及び③の各要件を充足しないから権力的作用には当たらず,国家無答責の法理は適用されない旨主張する。
まず,上記②の要件についてみると,仮に公務員が何らの法的根拠もなく第三者の権利を侵害した場合には,それはもはや国の行為とはいえず,当該公務員が個人責任を負担するのみである。すなわち,権力的作用であると非権力的作用であるとを問わず,そもそも国家の作用であるというためには,それを執行する公務員に何らかの授権がされていることが前提とされるのは当然のことであって,法律の授権の有無は,国家無答責の法理が適用されるべき権力的作用に該当するか否かを区別するための要件であるとはいえない。当該公務員の行為が授権の範囲を逸脱するものであった場合にも,逸脱の範囲や程度如何によってそれが国家の作用に含まれるか否かが区別されるにすぎず,それにより権力的作用に当たるか否かが決まるわけではない。なお,原告らが主張する被告国の行為は,本件閣議決定及び本件次官会議決定等により中国人移入政策を決定した上で原告ら等を強制的に連行して労働を強制したというものであるから,それを行った個々の公務員は,当然に法律又は命令等に基づく授権をされていたというべきである。したがって,②の要件に関する原告らの上記主張は理由がない。
また,上記③の要件については,公務員が職務に関して行った不法行為が国家無答責の法理の適用対象となり得る権力的作用であるか否かは,当該行為の性質が国家の優越的地位に基づいて私人に命令又は強制する作用であるか否かにより決せられるのであって,その相手方がわが国の統治権又は主権に服するか否かによって判断されるものではない。仮に,原告らの主張するように,相手方がわが国の統治権又は主権に服する者ではないという理由のみから国の権力的作用であることを否定してしまえば,国外における外国人に対するわが国公務員の不法行為は全て非権力的作用であるということになると思われるが,そのように解することは,権力的作用と非権力的作用とを区別した趣旨に反するものであって,妥当ではない。よって,③の要件に関する原告らの上記主張も理由がない。

また,原告らは,仮に本件強制連行等が権力的行為に該当するとしても,正義・公平の理念に照らし,条理上,本件には国家無答責の法理を適用すべきではない等と主張する。
国家無答責の法理は,上記のとおり大日本帝国憲法下のわが国が採用していた法制度であり,国の権力的作用が,本来的に対等者間の利害の調整の見地から定められている民法の規定に親しまない特殊な法領域に属するものであるとの当時の考えや,公務員には国家の違法行為をする権限はなく,公務員の違法行為は国家の行為ではないから,その責任は当該公務員個人が負担すべきであるとの当時の考え等に基づき,国家の権力的行為による損害についての国家の賠償責任を定める法律が立法されなかったために認められていた法理であると考えられる。また,国家無答責の法理は,大日本帝国憲法下におけるわが国のみが採用していた特異な法理というわけではなく,イギリスでは永く王は悪をなしえずの法理により国家自身の責任を否定してきたが,第二次世界大戦後の昭和22年(1947年)に国王訴訟手続法により国家の賠償責任を認めるに至り,アメリカ合衆国も第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)の連邦不法行為請求法により従来の主権免責の法理を捨てて国家の賠償責任を肯定したものである(弁論の全趣旨)
。そして,
わが国においても,第二次世界大戦後になって,日本国憲法17条により国家無答責の法理が否定され,昭和22年(1947年)10月27日国家賠償法が施行されたのである。
上記(3)のとおり,日本国憲法17条は,公務員の受けた損害についての損害賠償請求の要件及び効果の制定を立法裁量に委ねたものであると解され,これを受けて制定された国家賠償法附則6項により同法の遡及適用が否定された。
すなわち,
日本国憲法17条は,
国家無答責の法理を否定したが,
国家賠償法施行前に行われた公務員の不法行為についても,遡及的に国の損害賠償責任を認めるべきことまで要請しているとは解されず,日本国憲法上これを要請するその余の規定も存しないから,国家賠償法の遡及適用を否定した同法附則6項は,日本国憲法に委ねられた立法裁量の範囲内で制定されたものであるといえる。このように,日本国憲法に基づき,立法裁量の範囲内で制定された国家賠償法の附則6項が,明示的に同法の遡及適用を否定している以上,大日本帝国憲法下でわが国が採用していた法制度である国家無答責の法理は否定されるべきものではない。
他方,原告ら等が,被告国の政策決定及びその遂行により,いわれのない強制連行・強制労働の被害に遭ったこと,それによって心身ともに深く傷つけられたことは確かであるが,このような戦争による被害の賠償問題については,第一次的には,個々の戦争被害者がそれぞれに相手国に対する損害賠償請求権を行使するのではなく,国家及び国民が被った被害を一体としてとらえた上で,国家間の外交交渉,戦後の講和条約等を通じて全体的な政治的解決を図ることが優先されるべきであると考えられる。
以上からすれば,明示的に国家賠償法の遡及適用を否定している同法附則6項の規定を排除し,国家賠償法施行前にわが国が採用していた法体制としての国家無答責の法理の適用を否定すべきであるとはいえない。
したがって,
原告らの上記主張は理由がない。
4
争点2(3)
(不法行為に基づく損害賠償請求権についての除斥期間の経過)について

(1)

民法724条の法的性格
民法724条は,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図した規定であ
ると解されるところ,同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるのに対し,同条後段の20年の期間は被害者側の認識を問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものというべきであり,同条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当であり,これが現在の通説判例といえる(最高裁判所第一小法廷平成元年12月21日判決・民集43巻12号2209頁参照)

(2)

除斥期間の起算点とその経過
上記のとおり,民法724条後段は,被害者側の主観的事情にかかわらず一定の
時の経過によって法律関係を確定させるための除斥期間を定めたものと解されることからすれば,同条後段における除斥期間の起算点は,その文言に従って不法行為の時であると解すべきである。そして,原告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間の起算点は,被告らによる強制連行及び強制労働という一連の不法行為が終了した時点であると解されるところ,上記2(1)コで認定のとおり,原告ら等は,第二次世界大戦が終了した昭和20年(1945年)8月15日以降,日本国内において労働に従事することはなく,
同年12月ころまでには中国に帰国したのであるから,
遅くとも,同月末ころであると認められる。
そうすると,原告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権については,いずれも,昭和40年12月末ころをもって除斥期間が経過した。5
争点2(4)
(除斥期間の適用制限等)について

(1)

原告らは,民法724条後段が除斥期間を定めたものであるとしても,その適
用が著しく正義・公平に反するときは,条理上その適用が制限されるべきであるとした上で,本件に除斥期間を適用することは著しく正義・公平に反するというべき事情(不法行為の態様の悪質性,被害が重大な人権侵害であること,原告らの権利行使可能性がないこと,
加害者である被告らによる権利行使妨害行為があること等)
があるから,その適用は制限されるべきであると主張する。
上記4のとおり,民法724条後段は,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図して,一定の時の経過によって法律関係を確定させるために請求権の存続期間を画一的に定めたもの(除斥期間)である。そうであれば,請求権の発生原因の如何にかかわらず,除斥期間の経過により,当該権利は当然に消滅するのが原則である。上記ような民法724条後段の趣旨からすると,除斥期間の適用を,事案の具体的事情によって制限することを広く認めることはできないというべきである。
もっとも,具体的事案において,単に期間が経過したという一事をもって権利が消滅したとすることが,著しく正義・公平の理念に反し,法律関係の速やかな確定や法的安定性という民法724条後段の趣旨を犠牲にしてもなお,権利を消滅させないことが正義にかなうという場合も皆無であるとはいい切れず,最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087頁。以下平成10年判決という。)は,集団予防接種により重度心身障害者となった者による国に対する損害賠償請求事件において,
不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において右不法行為を原因として心身喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就任した者がその時から6か月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,民法724条後段の効果が生じないものと解するのが相当である。と判示している。そうすると,この平成10年判決の事案に匹敵するような特段の事情があり,除斥期間の経過により権利が消滅したとすることが著しく正義・公平の理念に反するといえる場合には,民法724条後段の効果を制限することができる余地もあり得ると考えられるので,この点につき以下検討する。
(2)

証拠(下記認定事実中に掲記のもの。
)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事

実が認められる。

日本と中華人民共和国においては,昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明により日中国交正常化が実現し,昭和53年(1978年)10月23日には日中平和友好条約が発効した。
(公知の事実)


原告ら等帰国後の中華人民共和国における経緯等

(ア)

中華人民共和国においては,昭和60年(1985年)11月22日,中
華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)が制定され,同法は昭和61年(1986年)2月1日に施行された。同法5条は

中国公民の私事による出国は,戸籍(戸口)所在地の市,県又は公安機関に申請するものとし,同法第8条に規定する状況に該当する場合を除き,全て許可を取得することができる。

と規定し,同法8条は,刑事被告人や,国務院の関係主管機関が,出国後,国家の安全に危害をもたらし,又は国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがあると認定した者に対しては出国を許可しないと規定している。同法が施行されたことにより,中国の一般市民が私的な理由で旅券を取得し,海外渡航をすることも可能となった。
ただし,
中国の一般市民が日本の入国査証を取得するためには招聘保証人日(
本に居住する身元引受人)が必要である。
(甲総20の1・2,58,59,
98の2,99の1・2,105)
(イ)

平成元年12月21日,中国人労働者が花岡鉱山における強制労働により
損害賠償を求める公開書簡を被告鹿島建設に提出するなどして,これがマスメディアにも大きく取り上げられた。
(甲総20の1・2,乙各B17の1ない
し3)
(ウ)

平成3年(1991年)3月の第7期全国人民代表大会第4回会議におい
て,科学工業部幹部管理学院法学部教員の童増が,

日本国が戦争の過程において戦争規則及び人道上の原則に違反し,中国人民及びその財産に対して犯した重大な罪業に関する賠償請求については,中国政府はいかなる状況においても放棄するとは宣言していない。

とする意見書を提出した。(甲総20の1
・2,105,乙各B18)
(エ)

銭其●外交部長は,平成4年(1992年)3月23日に記者会見におい
て,

戦争賠償の問題については,中国政府は,1972年の日中共同声明の中で明確に表明を行っており,かかる立場に変化はない。

と述べた。(乙総
A36)
(オ)

銭其●外相は,平成7年(1995年)3月7日の全国人民代表大会にお
いて,対日戦争賠償問題について,昭和47年(1972年)の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し,
補償の請求は国民の権利であり,
政府は干渉すべきではない旨述べた。
(甲総20の1・2)
(カ)

平成7年(1995年)当時,中国における農村家庭の一人あたりの純収
入は年1577.7元(1元16円とすると2万5243円となる。であり,)
強制連行・強制労働の被害者等の多くは,自力で裁判の準備をし,日本に渡航して,日本の裁判所に対し訴えを提起することは,経済的に極めて困難な状況であったといえる。原告らも,高齢の者も多く,日本で訴訟を提起して追行することが経済的に困難であったことは同様である。
(甲総103,104の1
ないし7)

事業場報告書について
被告企業らを含む日本全国の35社135事業場は,
昭和21年1946年)

2月又は3月ころ,事業場報告書を日本政府に提出して中国人労働者の就労の顛末を報告した。上記のとおり,これらの事業場報告書は,その性質及び内容に照らして,その記載のすべてを信用できるかには疑問があるといわざるを得ない。(甲各B1,9,甲各C1,6,9,甲各D1,8,甲各E1,26,27)なお,日本建設工業会は,軍需省に命じられて,昭和20年(1945年)8月16日,
土建業界における戦時中の中国人及び朝鮮人労働者に関する統計資料,訓令その他重要書類を焼却した。
(甲総2,7)


外務省報告書について

(ア)

上記のとおり,外務省は,中華民国からの調査に備えるため,中国人が移入されるに至った経緯とその実情及び各事業場で受けた処遇について,中国人を就業させた35社135事業所の事業場から事業場報告書を提出させ,これと調査員らによる現地調査報告をふまえた外務省報告書を,昭和21年(1946年)夏ころまでには取りまとめていた。なお,この外務省報告書も,中華民国からの調査に備えるためという作成の目的,各事業場報告書をもとに作成されたという経緯及びその記載内容等に照らして,上記のとおりその記載のすべてをそのまま信用できるかには疑問がないとはいえない。
(甲総1,2,3
の1ないし5,50の3)
(イ)

ところが,被告国は,外務省報告書作成後間もない時期に,戦犯関係資料
として使われるおそれが生じたとして,官民双方の関係者に影響が及ぶことを考慮し,外務省報告書を,一部を除き,焼却した。残りの一部は一旦外部に持ち出されたが,GHQから外務省に返還されていた。昭和35年3月17日付けの外務省中国課の華人労務者就労事情調査報告書』についてと題する『
文書によれば,アジア局長は,今後,外務省報告書が問題となったときは,外務省としては戦後問題の資料を作成したことは事実であるが,その直後,これが戦犯問題にされる恐れが生じ本件関係の人々,例えば華人労務者を就労させた事業場関係者等に迷惑がかかることを避けるため,本件資料はすべて焼却した。従って,現在外務省には1部も残っておらず,外部に流出した趣の調査報告書については,これが外務省において作成したものか否か確認しえない実情である。と答弁することとしたいとの方針を示していた。(甲総6の1ない
し3,41,42の1・2,50の1ないし3,
,54)
(ウ)

その後,国会等においては,殉難者慰霊や遺骨送還問題とも関連して議論
がされたが,戦時中の中国人労働者移入の問題について,被告国は,資料がないため詳細は不明であるとし,平成5年(1993年)までは,一貫して,外務省報告書は存在しない旨,中国人労働者の就労は自由な意思による雇用契約に基づくものであった旨を表明していた。
(甲総6の1ないし3,54)
(エ)

平成5年(1993年)5月17日,日本放送協会(NHK)が,外務省
報告書の存在を報じる報道番組(クローズアップ現代」
)を放映し,初めて外務省報告書の存在が明らかになった。(甲総6の1ないし3,38の1ないし3,41,42の1・2,50の1ないし3,54)(オ)平成6年(1994年)6月22日の国会において,外務大臣柿澤弘治は,外務省報告書が存在し,外務省がこれを作成したものであることを初めて公式に認めた。(甲総5の2)オ戦後,被告国からの中国人関係の損失補償金(賃金差額,給食費国庫負担額,募集費損失金,休業手当,食費損失金等)として,被告鹿島建設は346万1544円,被告熊谷組は287万2958円,被告大成建設は64万4374円,被告飛島建設は129万1256円を受領した。(甲総3の5,7)カ中国人が,強制連行・強制労働等の被害を被ったとして,企業らや被告国を被告として,日本国内の裁判所に対し訴えを提起したものとしては,平成7年(1995年)6月28日に東京地方裁判所に提起された被告鹿島建設を被告とする訴訟(いわゆる花岡事件),平成8年(1996年)3月25日に東京地方裁判所に提起された被告国を被告とする訴訟(いわゆる劉連仁事件)などがある。甲(総40,64,弁論の全趣旨)原告らが本件訴訟を提起したのは,平成9年(1997年)12月22日である。(当裁判所に顕著な事実)(3)ア以上を前提に検討する。上記(2)で認定のとおり,昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明により日中国交正常化が実現した後も,昭和61年(1986年)2月1日に中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)が施行されて中国の一般市民が私的な理由で旅券を取得して海外渡航をすることが可能となるまでは,原告らが,日本国内の裁判所に対し訴えを提起することがおよそ不可能であったとまではいえないまでも,客観的にみて著しく困難であったとはいえる。他方,その後の事情については,中国の一般市民が日本の入国査証を取得するために招聘保証人が必要であったため原告らが日本へ渡航することが困難であったとしても,実際に原告らが権利を行使するために日本へ渡航しようと努めたが招聘保証人が確保できない等の理由で果たせなかったというような経緯があったとはうかがわれないし,そのような日本の入国査証の取得手続の存在によって,原告らの権利行使が不可能であったとまではいえない。また,中華人民共和国内において,対日戦争賠償問題に関する個人の賠償請求は日中共同声明によっても放棄されていないとの見解が初めて公式に示されたのが平成7年(1995年)3月7日の銭其●外相の発言であったという事情や,原告らの経済的事情についても,原告らの個人的又は主観的な事情にすぎず,権利行使を妨げる客観的事情とはいえない。そして,原告らが本件訴訟を提起した平成9年(1997年)12月22日は,被告らによる不法行為が終了した昭和20年(1945年)12月ころから約52年もの期間が経過し,上記中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)が施行された昭和61年(1986年)2月1日からも12年近くが経過した後であったのであるから,原告らが,権利行使を妨げる客観的事情が消滅してから速やかに権利を行使したとは認められない。さらに,上記中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)が施行されるまでは中国の一般市民が私的な理由で旅券を取得して海外渡航をすることができなかったという上記事情は,被告らの不法行為自体に起因するものではないし,それについて被告らの責に帰すべき事情があるわけでもない。そうすると,原告らの権利行使の可能性,実際に権利行使をするまでの期間,権利行使を困難にしたことについての被告らの帰責性といった観点からみて,原告らの本件請求に除斥期間を適用することにつき,平成10年判決の事案に匹敵するような著しく正義・公平の理念に反する特段の事情があるとはいえない。イまた,事業場報告書及び外務省報告書は,原告ら等が日本へ連行され,被告企業らの各事業所で労働に従事していた事実や,その状況を立証し得る客観的な証拠として極めて重要な価値を有するものであるといえるところ,上記(2)のとおり,被告企業らが作成した事業場報告書及び被告国が作成した外務省報告書には,にわかには信用しかねる記載部分がある上,被告国は,関係者に影響が及ぶこと等を考慮して,外務省報告書を一部を除き焼却したものの,少なくとも外務省報告書の一部は保管していたにもかかわらず,平成5年(1993年)に外務省報告書の存在が報道されるまでは,一貫して,外務省報告書は存在しない旨の見解を表明していたのであり,このような被告らの無責任な対応には相当問題があったといわざるを得ない。しかし,原告らにとっては,事業場報告書及び外務省報告書の存在によって不法行為の立証が格段に容易になるとはいえようが,原告ら等が,自ら日本へ連行されて被告企業らの各事業場で労働に従事していた事実を記憶し認識していた以上,これらの証拠がない限り,日本国内の裁判所に訴えを提起するなどしてその権利を行使することが不可能であったというわけではない。また,被告らとしても,原告らの権利行使を妨害することを主たる目的として,上記のような対応に出たとはうかがわれない。そうすると,事業場報告書及び外務省報告書に関する被告らの上記のような行為によって,原告らの権利行使が不可能になったとはいえないのであるから,この点においても,平成10年判決の事案に匹敵するような著しく正義・公平の理念に反する特段の事情があるとはいえない。ウなお,原告らは,本件において除斥期間の経過により権利が消滅したとすることが著しく正義・公平に反するというべき事情として,被告らの不法行為の態様の悪質性や,被害が重大な人権侵害であること等を挙げている。しかし,民法724条後段は,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図して,請求権の存続期間を画一的に定めたもの(除斥期間)であり,条文上も不法行為の態様や被害の程度といった請求権の発生原因の如何によって除斥期間の適用が制限されるとは規定されていない。そうであれば,平成10年判決の事案に匹敵するような著しく正義・公平の理念に反する特段の事情とは,債権者がおよそ権利を行使することが不可能であり,しかも,権利行使が不可能であることについて債務者の側に帰責性があるといったような事情のために,除斥期間の経過により権利が消滅したとすることが著しく正義・公平の理念に反するといえる場合に限られるというべきであって,被告らの不法行為の態様の悪質性や,被害が重大な人権侵害であること等は,上記事情には含まれないというべきである。よって,この点に関する原告らの主張は失当である。エその他,平成10年判決が掲げる民法158条や,その他の時効に関する民法上の規定等の法意に照らして,本件において,民法724条後段の除斥期間により権利を消滅させることが著しく正義・公平の理念に反するといえるような特段の事情があるとは認められない。(4)まとめしたがって,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権について,正義・公平の理念等から民法724条後段の効果を制限することはできない。また,同様の理由から,期間の進行が停止する旨の原告らの主張は理由がないし,刑事訴訟法の公訴時効の停止規定(同法255条)を準用ないし類推適用すべきとする原告らの主張も,上記規定は民法上の除斥期間とは制度趣旨を異にするものである以上,採用できない。以上によれば,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権は,除斥期間の経過により消滅したものといわざるを得ない。6争点3(1)(安全配慮義務違反)について(1)安全配慮義務は,ある法律関係に基いて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の附随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般に認められるべきものである(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照)。安全配慮義務は,主として,雇用関係,労働契約関係において事故が発生した場合の債務不履行責任を念頭において論じられてきた義務であるが,私法上の直接の契約当時者の関係にある者に限らず,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係に立つ者や公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間においても,信義則上,直接の契約関係に準ずる又は類似する関係特別な社会的接触の関係)(にあるものとして,安全配慮義務が肯定されるに至っている(最高裁平成3年4月11日第一小法廷判決参照)。もっとも,特別な社会的接触の関係が,単に事実上のものにとどまり,不法行為規範が妥当するにとどまる程度である場合には,信義則に基づく安全配慮義務は生じないというべきである。不法行為責任と債務不履行責任とは,その事実関係に照らして畳重的に適用され得ることは否定できないが,両者は,構造的には,契約関係の有無により峻別され,その制度趣旨を異にするため,立証責任や時効等に関し異なる規定がされているのである。安全配慮義務は,信義則上認められる義務であるから,「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係というためには,必ずしも当事者の合意が必要とはいえないが,これを不法行為法責任と峻別される契約責任と解する以上,当事者間に直接の契約関係あるいはこれと同視し得る程度の関係が存在することが必要であると解するべきである。
例えば,
典型的な場合として,
労働契約又はこれと同視し得る関係として安全配慮義務が生じるというためには,労働者が,使用者が設定する人的・物的環境の下で使用者の指示に従った労働を遂行する義務を負い,
これに対応して,
使用者が,
その労務の供給を受けるとともに,
その法律関係に付随する義務として労働者の生命,健康の安全確保のために必要かつ適切な人的・物的環境を整備する義務を負うという関係があることを要するというべきである。
(2)

被告企業らの安全配慮義務について
上記2(2)イのとおり,被告企業らは,職員に監視をさせるなどして原告ら等
中国人労働者を自らの支配下に置き,原告ら等に,その意思に反して過酷な条件下で強制的な労働に従事させたものであり,被告企業らが原告ら等を支配・管理して労働に従事させていたという労働関係に類似するような外形的事情は認められる。しかし,上記2(2)イのとおり,原告ら等は,日本国内で労働に従事することについて承諾をしたことは一度もなく,したがって,当然ながら被告企業らとの間で労働契約を締結したこともなく,一貫してその意思に反した行動を強いられていたのであるから,原告ら等は被告企業らの指示に従った労働を遂行する義務を負うものではないのであって,原告ら等と被告企業らとの間には,直接の契約関係はもちろん,これと同視し得る程度の関係も存在しないものといわざるを得ない。すなわち,原告ら等と被告企業らとの間には,強制労働という不法行為に基づき創設された事実関係が存在するのみであって,直接の労働契約はもちろん,第三者を介しての実質的な契約関係も,公法上の法律関係も一切存在せず,双方の信頼関係を前提とする契約関係と同視し得る程度の関係が存在するとはいえない。したがって,被告企業らが,原告ら等を,過酷な生活環境及び労働条件の下で強制的に労働に従事させた事実は,上記2(2)イで判断したとおり被告企業らが被告国と共同して行った強制連行及び強制労働という一連の不法行為の中で評価されるにとどまることとなる。
なお,被告企業らが,原告ら等の強制連行・強制労働の終了後,原告ら等の生活を原状に回復させる措置をとる義務や,原告ら等に対し情報を提供する義務があるとも認められないし,仮にこれが認められたとしても,これを怠った事実は認められない。
これに対し,上記2(1)のとおり,被告企業らは,それぞれ華北労工協会との間で労働者供出契約を締結し,これに基づき原告ら等を含む中国人労働者を各事業場において労働に従事させたものであるところ,その契約書等には,中国人労働者のいわば労働条件ともいうべきものが記載されていたほか,中国人労働者の移入に関する日本政府の一連の決定の過程でも同様な労働条件が示されていたので,これらの事情により被告企業らと中国人労働者との間には雇用契約が締結されることが予定されていたものととらえて,双方の間には直接の契約関係と同視し得る程度の関係が存在すると解する見解もあり得るとも考えられる。しかし,被告企業らと華北労工協会との間で労働者供出契約が締結されているのみで,原告ら等を拘束し得るような法律関係は何ら存在しなかったものであるし,原告ら等においては,被告企業らと労働契約を締結する意思は全くなかったと考えられ,また,原告ら等はいずれも行政供出又は訓練生供出により供出された中国人労働者であるから,被告企業らも原告ら等と労働契約を締結する意思はなかったものと考えられるから,双方の間に労働契約の締結が予定されていたということもできず,
上記の事情によって,
被告企業らと原告ら等との間に直接の契約関係と同視し得る程度の関係が存在すると認めることはできない。
また,被告企業らが原告ら等を支配・管理して労働に従事させていたという労働関係に類似するような外形的事情が認められるにもかかわらず,被告企業らが安全配慮義務を負担しないとの上記結論に対しては,労働契約を締結しないままに原告ら等に強制労働を強いた被告企業らの都合により,原告らが被告企業らの安全配慮義務違反を主張できないとすることは,被告企業らとの関係でも,通常の労働契約を締結した労働者との関係でも不公平であるという批判が考えられる。しかし,被告企業らや契約関係のある他の労働者との関係で不公平であるという理由のみから,何らの法律関係も存しない被告企業らと原告ら等との間に直接の契約関係と同視し得る程度の関係の存在を認めることは,論理の飛躍であってできない。また,原告らは,上記2のとおり,安全配慮義務であると主張する各事情について,被告企業らの不法行為責任及びこれに基づき被った損害を基礎づける事情として主張し,その責任を追及することができるところ,不法行為と安全配慮義務違反との要件の差異(過失の立証責任や時効期間等)による不均衡については,例えば時効の起算点の解釈など別途の方法により救済を図ることも可能であると考えられるから,被告企業らが安全配慮義務を負担しないとの上記結論が不当であるとはいえない。
以上によれば,被告企業らは原告ら等に対し安全配慮義務を負担していたとは認められず,原告らの被告企業らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は理由がない。
(3)

被告国の安全配慮義務について
徴用による公法上の法律関係等の主張について
原告らは,被告国と原告ら等との法律関係は,国家総動員法4条及び国民徴用令によって,日本国民を強制的にある労働に従事させた場合の国と当該日本国民の間の権利義務関係に類似した法律関係であり,これを根拠とする特別な社会的接触関係にあったとして,被告国は原告ら等に対する安全配慮義務を負担すると主張するが,外国人である原告らに国家総動員法4条及び国民徴用令の適用がないことは明らかであるから,原告らの上記主張は失当である。
また,原告らは,被告企業らは軍需会社徴用規則4条の指定を受けたところ,軍需会社法6条及び軍需会社徴用規則4条により,軍需会社の営む軍需事業に従事する者は国家総動員法により徴用されたものとみなされるから,被告企業らの各事業所で作業に従事していた原告ら等は,国家総動員法・国民徴用令等に基づく被徴用者,軍需会社法・軍需会社徴用規則・軍需充足会社令に基づく軍需被徴用者である日本国民(帝国臣民)と全く同じ立場に立たされており,被告国と原告ら等は特別な社会的接触関係にあったとして,被告国は原告ら等に対する安全配慮義務を負担すると主張する。しかし,国家総動員法は政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要ナルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得と規定しており,帝国臣民ではない原告ら等については,軍需会社法6条及び軍需会社徴用規則4条の規定によっても,国家総動員法により徴用されたものとみなされる余地はないと解されるから,原告ら等が被徴用者とみなされることを前提とする原告らの上記主張は失当である。さらに,原告らは,被告国が,軍需会社法に基づき,被告企業らを支配することによって,原告ら等をも支配管理し,それにより被告国と原告ら等は特別な社会的接触関係にあったとして,被告国は原告ら等に対する安全配慮義務を負担すると主張するが,軍需会社法は,その規定内容からすると,基本的には,私企業である被告企業らの生産体制を強化し戦力の増強を図ることを目的とした法律であり,
そのために軍需会社に対し必要な命令や処分を行うことができるとしても,軍需会社従業員を直接支配監督する等の法律関係を定めるものとはいえないから,被告国と原告ら等の間に安全配慮義務が生ずべき特別の社会的接触の関係があったと認めることはできない。よって,原告らの上記主張も失当である。

捕虜関係に基づく公法上の法律関係の主張について
原告らは,原告ら等が日本軍によって抑留された時点で,被告国との間でハーグ陸戦条約等に基づく捕虜関係ともいうべき公法上の法律関係が成立し,これに基き,被告国は,被告企業らの各事業所における原告ら等の生命・健康の安全等を保護すべき安全配慮義務を負担していたところ,同義務に違反して,被告企業らが各事業所において原告ら等に労働を強いてその生命・健康を侵害していた行為を是正させなかった旨主張する。しかし,たとえ,原告ら等が日本軍によって抑留された時点で,原告ら等と被告国との間で捕虜関係ともいうべき公法上の法律関係が生じ,
両者間にそれに基づく社会的接触の関係が一旦発生したとしても,下記ウのとおり,原告ら等が被告国の支配管理下にあった収容所等を離れて,被告企業らの事業所へ移送された後には,被告国はもはや原告ら等を直接に支配管理していない以上,上記捕虜関係ともいうべき法律関係に基づく社会的接触関係がその後も存続していたとみることは困難である。よって,被告国は,被告企業らの事業所に移送された後の原告らに対して,引き続き,上記社会的接触の関係に基づく附随義務としての安全配慮義務を負担していたとはいえないもっとも,(
被告国が,被告企業らと一体となって,原告ら等を強制的に連行した上,労働に従事させたことが,一連の不法行為に該当する行為であることは,上記2(2)アのとおりであり,被告国が原告ら等との間で捕虜関係ともいうべき関係にあった事情等は,不法行為の内容として評価されるものである。。

よって,原告らの上記主張は失当である。

上記のとおり,被告国と原告ら等との間には公法上の法律関係が存在したとは認められない。
また,原告ら等が被告企業らの各事業所において強制労働に従事させられたことに関して,被告国の関与としては,中国人労働者移入政策の実施に当たって受入事務所における処遇や労務管理についての大綱を定めることにより概括的な規制を及ぼしていたほか,中国人労働者の日本国内への移送の段階で日本軍や警察官が関与し,被告企業らの各事業所に警察官が派遣され,中国人労働者の管理や取締に当たっていた事実があるのみで,各事業所において,原告ら等の労務の指揮及び管理,必要な設備や器具等の設置及び管理,生活環境の整備等を直接行っていたのは被告企業らであったから,被告国が,原告ら等を含む中国人労働者を直接に支配管理していた事実は認められず,そうであれば,被告国と原告ら等との間に直接の契約関係あるいはこれと同視し得る程度の関係(特別な社会的接触の関係)が存在するとは認められない。
なお,被告国が,原告ら等の強制連行・強制労働の終了後,原告ら等の生活を原状に回復させる措置をとる義務や,原告ら等に対し情報を提供する義務があるとも認められないし,仮にこれが認められたとしても,これを怠った事実は認められない。
以上によれば,被告国は原告ら等に対し安全配慮義務を負担していたとは認められず,原告らの被告国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は理由がない。

7
争点3(2)安全配慮義務違反による損害賠償請求権についての時効期間の経過)(
について
(1)

仮に,被告企業らが原告ら等に対し安全配慮義務を負担しており,原告らの被
告企業らに対する安全配慮義務違反による損害賠償請求が認められる余地があった場合,同請求権が時効により消滅したかにつき検討する。
安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は10年(民法167条)であるところ(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照)
,被告鹿島建設及び被告熊谷組は平成10年11月6日の本件第1回口頭弁論期日において,被告大成建設及び被告飛島建設は平成11年3月5日の本件第1回準備的口頭弁論期日において,その消滅時効を援用するとの意思表示をしている(当裁判所に顕著な事実)

(2)

消滅時効の起算点について
消滅時効は,権利を行使することを得る時」

から進行する民法166条1項)(。そして,同条項には,民法724条前段などとは異なり,権利者が一定の事情を知った時から時効が進行する旨の規定はないから,同条項の「権利を行使することを得る時

とは,
権利を行使するについて法律上の障害がなくなった時のことをいい,事実上の障害は原則としてこれに含まれないが,当該権利の性質上,権利を行使することが現実には期待し難い特段の事情がある場合には,その権利行使が現実に期待することができるようになった時をいうものと解される(最高裁昭和45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁)

しかるに,上記5(3)アのとおり,昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明により日中国交正常化が実現した後も,昭和61年(1986年)2月1日に中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)が施行されて中国の一般市民が私的な理由で旅券を取得して海外渡航をすることが可能となるまでは,原告らが,日本国内の裁判所に対し訴えを提起することが客観的にみて著しく困難であったといえるから,この時点で,原告らがその権利行使をすることが現実に期待することができるようになったものと認められる。
他方,その後の事情については,中国の一般市民が日本の入国査証を取得するために招聘保証人が必要であったことによって,原告らの権利行使が不可能であったとまではいえないし,中華人民共和国内において,対日戦争賠償問題に関する個人の賠償請求は日中共同声明によっても放棄されていないとの見解が初めて公式に示されたのが平成7年(1995年)3月7日の銭其●外相の発言であったという事情や,原告らの経済的事情についても,事実上の障害にすぎない。また,原告らにとっては,事業場報告書及び外務省報告書の存在によって不法行為の立証が格段に容易になるとしても,これらの証拠がない限り,日本国内の裁判所に訴えを提起するなどしてその権利を行使することが不可能であったというわけではないから,このような事情も事実上の障害にすぎないというべきである。
(3)

そうすると,遅くとも,中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管
理法)が施行された昭和61年(1986年)2月1日から10年後の平成平成8年1996年)

1月31日の経過をもって時効期間が経過したことになるなお,

上記5(2)カのとおり,原告らが本件訴訟を提起したのは平成9年〔1997年〕12月22日である。。

8
争点3(3)
(時効援用の権利濫用又は信義則違反)について
原告らは,安全配慮義務違反による損害賠償請求につき,被告企業らの上記消滅時効の援用が権利の濫用又は信義則に違反して許されないと主張するので,この点につき検討する。

(1)

一般に,時効制度の機能又は目的については,①長期間継続した事実状態を維
持して尊重することが,法律関係の安定のため必要であること,②権利の上に眠っている者(権利行使を怠った者)は法の保護に値しないこと,③あまりにも古い過去の事実について立証することは困難であるから,一定期間の経過をもって義務の不存在の主張を許す必要があること等であるとされている。もっとも,時効によって利益を受けることを欲しない場合にも,時効の効果を絶対的に生じさせることは適当でないともいえるから,民法は,永続した事実状態の保護と時効の利益を受ける者の意思との調和を図るべく,時効は当事者がこれを援用しない限り裁判所はこれによって裁判をすることができないと定めているが(民法145条),時効を援
用して時効の利益を受けるについては,援用する意思表示を要件とするのみで,援用する理由や動機,債権の発生原因や性格等を要件として規定してはいない。そして,
民法が債権者の権利行使を保障していること同法166条1項,

146条等)
や,
上記消滅時効の機能,
援用の要件等に照らすと,
時効の利益を受ける債務者は,
債権者が訴え提起その他の権利行使や時効中断行為に出ることを妨害してその権利行使や時効中断行為に出ることを事実上困難にしたなど,債権者が期間内に権利を行使しなかったことについて債務者に責めるべき事由があり,債権者に権利行使の機会を保障した趣旨を没却するような特段の事情がない限り,自由に消滅時効を援用することができるというべきであり,時効にかかる損害賠償請求権の発生の原因となった事実が悪質であったこと,その被害が甚大であったこと,債権者と債務者との社会的・経済的地位や能力の格差等は,債務者が消滅時効を援用することを権利の濫用又は信義則違反とさせる事情とはならないと解するべきである。(2)

そうすると,上記5(3)ウのとおり,原告らが時効援用が権利濫用又は信義
則違反であることを基礎づける事情として主張するもののうち,被告らの不法行為の態様の悪質性や,被害が重大な人権侵害であること,原告らの経済的事情等は,債務者が消滅時効を援用することを権利の濫用又は信義則違反とさせる事情とはならない。そして,上記5(3)イのとおり,事業場報告書という原告らの立証のために重要な資料に関する被告企業らの対応には相当問題があったといわざるを得ないものの,同報告書はもともと原告ら等のために作成されたものではなく,原告らは,これらの証拠がない限り,日本国内の裁判所に訴えを提起するなどしてその権利を行使したり時効中断行為に出ることが不可能であったというわけではないし,被告企業らとしても,原告らの権利行使や時効中断を妨害することを主たる目的として,上記のような対応に出たということはできない。
したがって,被告企業らには,原告らが期間内に権利を行使しなかったことについて責められるべき事由があるとは認められず,原告らに権利行使の機会を保障した趣旨を没却するような特段の事情が認められないから,被告企業らによる上記消滅時効の援用は,権利の濫用及び信義則違反とはならない。よって,原告らの被告企業らに対する安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,時効により消滅したこととなる。
9
争点4(1)
(賃金支払請求権)について
上記2(2)のとおり,原告ら等は,日本国内で労働に従事することについて,承諾をしたことは一度もなく,したがって,当然ながら被告企業らとの間で労働契約を締結したこともない(この点は当事者双方とも特に争っていない。)のであるから,
原告らの被告企業らに対する賃金支払請求の主張は失当である。

10

争点5(1)及び(2)
(不当利得返還請求権及びその消滅時効)について
原告らは,被告企業らに対し,無償で労務を提供したとして,不当利得返還を請求
しており,これに対し,被告企業らは,既に賃金相当額を支払済みであるから,利得は存しない旨主張している。
現時点においては,約60年前の事実について,被告企業らの利得,原告ら等の損失及びその金額を証拠上確定することは困難であるというほかはないが,仮に原告らの被告企業らに対する不当利得返還請求権が存在するとしても,上記7(3)と同様に,同請求権は,遅くとも,中華人民共和国公民出境入境管理法(公民出国入国管理法)
が施行された昭和61年1986年)

2月1日から10年後の平成平成8年1

996年)1月31日の経過をもって時効期間が経過し,被告企業らによる時効の援用が権利の濫用又は信義則違反とはならないことも上記8と同様であるから,原告らの被告企業らに対する不当利得返還請求権は時効により消滅したこととなる。なお,被告鹿島建設及び被告熊谷組は平成10年11月6日の本件第1回口頭弁論期日において,被告大成建設及び被告飛島建設は平成11年3月5日の本件第1回準備的口頭弁論期日において,その消滅時効を援用するとの意思表示をしていることは当裁判所に顕著な事実である。
11

争点6(名誉回復措置請求)について
原告らは,被告らの不法行為によって,中国内において,同胞が日本と戦っている
ときに原告ら等は日本に出稼ぎに行き,利敵行為をしたという誤解を受け,名誉を毀損されたと主張し,名誉回復措置として謝罪広告の掲載を求めている。民法723条にいう名誉とは,人がその品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価,すなわち社会的名誉を指すものであって,人が自己自身について有する主観的価値,
すなわち名誉感情は含まないと解されるところ最

高裁昭和45年12月18日第二小法廷判決・民集24巻13号2151頁参照),
被告らの不法行為によって原告ら等の社会的名誉が毀損されたと認めるに足りる証拠はない。
また,民法724条後段が不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めた趣旨(上記4のとおり)は,金銭賠償による損害賠償の場合であると,民法723条に基づく名誉回復措置請求であるとにかかわらず妥当するものであるから,民法724条にいう損害賠償は,金銭賠償による損害賠償と謝罪広告による原状回復とを含む広義の損害賠償を意味するものと解するのが相当である。したがって,民法724条後段の除斥期間の規定は,民法723条に基づく名誉回復措置請求についても適用されると解されるところ,仮に原告らの被告らに対する名誉回復措置請求権が存在したとしても,上記4と同様に,同請求権は,いずれも,遅くとも原告ら等が中国へ帰国した昭和20年1945年)

12月末ころから20年後の昭和40年1965年)

12月末ころをもって除斥期間が経過し,これについて正義・公平の理念等から民法724条後段の効果を制限することはできないことも上記5と同様であるから,上記請求権は除斥期間の経過により消滅したこととなる。
よって,原告らの名誉回復措置請求は理由がない。
第6

結論
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,
訴訟費用の負担につき,
民事訴訟法61条,
65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
長野地方裁判所民事部
裁判長裁判官

辻次
裁判官

宮永
裁判官

三輪郎忠明睦
(別紙2)
謝罪広告
日本国は,貴殿を第二次大戦中,中国本国において身体を拘束し監禁した上,日本へ強制的に連行しました。そして,貴殿は弊社管理下の事業場に強制的に送り込まれ,同事業場で1945年8月15日まで極めて過酷な条件の下で強制労働をさせられました。しかも貴殿は弊社より賃金も一切受け取られていません。
当時貴殿の祖国である中国と日本国は戦争状態にあり,貴殿が敵国である当国や弊社のために働くいかなる根拠もありませんでした。にもかかわらず,これを強制したことは貴殿の人格と中国人としての名誉を著しく蹂躙した全く不法なことであり,法律上も人道上も許されないことでした。
ここに日本国と弊社は,貴殿に対し深くお詫び申し上げるとともに,その名誉を回復するため本書を公表いたします。
(別紙3)
請求目録

告原告名

被告名

始期・終期

日数

金額(円)

2,340円

各708円

各496円

1,985円

2,250円

2,250円

2,250円

No.
P1

鹿島建設株式会社1944/5/5

1945/8/15

P2
P3

1944/6/17
株式会社熊谷組



P4
1945/8/15

P5

大成建設株式会社1944/7/15

P6



P7

1945/8/15

P8
P9

同上

1944/7/15

1945/8/15

P10

飛島建設株式会社1944/5/23

1945/8/15

P11

同上

1944/5/23

1945/8/15

P12

同上

1944/5/23

1945/8/15
(別紙4)
原告らの主張(国際公法に基づく損害賠償請求,請求権放棄問題について)第1
1
国際法と個人の権利
国際法上の個人の権利
条約締結権を有する国家の国際法主体性と国際法上の個人の権利を混同してはならない。また,個人が国際機関に提訴できることが個人に国際法上の主体を認める要件と解してもならない。条約締結権は国家に帰属するが,だからといって,国際法上個人が権利・義務の主体にならないとは言えない。
特に,国際人道法の分野では,1907年のハーグ陸戦条約,1949年のジュネーブ4条約などで,捕虜や住民に国際条約に基づく権利の享有者たる地位を与えている。捕虜や住民の権利の救済を図る国際機関が設置されればそこで個人の権利の救済が図られることは当然であるが,そのような国際機関が設置されない場合でも,国際法を国内法として受容する憲法を有する日本のような国家においては,個人は国際法を国内裁判所で援用し権利の実現を図ることができるのである。
国際人権条約に基づく個人の権利も同じである。日本は国際人権B規約第一選択議定書に加入していない。したがって,個人としてこの選択議定書に基づく個人通報の手続きは利用できない。しかし,国内裁判所において,個人が国際人権B規約を援用し権利の実現を図ることは日本でも可能であり,現に日本の裁判所は個人について国際法上の権利を認めている東京高裁の1993年2月3日判決。

法務省刑事局編外
国人犯罪裁判例集1994年55頁,大阪高裁1995年10月28日判決・判例時報1513号71頁・特に86頁,徳島地裁1996年3月15日判決・判例時報1597号115頁・特に123頁)

日本は条約の締結について国会の承認を必要とし(日本国憲法60条),効力が発
生した条約は国内法の制定をせずとも国内法としての効力を有し(日本国憲法98条2項)
,法律よりも上位の法と理解されている。大日本帝国憲法下における条約についても同様に解されていた。日本のように国際法を一般的に受容する憲法体制の国においては,国際法上の手続きにより国際機関に個人が出訴することが認められていなくとも,
個人の権利を条約や国際慣習法が認めそれを国内裁判所で援用できる内容自(
動執行的規定)である場合は,個人は条約や国際慣習法に基づく権利を国内裁判所で主張し権利の救済が受けられるのである。

2
条約の自動執行性について
問題は,個人が国内裁判所で援用する条約が,単に国家の権利義務を規定しただけの条約なのか,あるいは個人に権利を付与した内容の条約(自動執行性のある条約)かである。当該条約が自動執行性のある条約であるか否かは条約ごとに個別的に検討されなければならない。なお,仮に自動執行性がない条約や国際慣習法であっても,少なくとも国内法を解釈し具体的事案で国内法を適用する際に解釈基準として考慮される。これは,法律(狭義)の解釈適用に当たっては憲法が1つの重要な解釈基準となることと同様である。

3
外交保護権と個人の請求権
外交保護権は国家の権利であり,国家は当該個人に代理してこの権利を行使するものではない。また,国家が外交保護権を行使するかどうかは原則として国家の裁量に任されている。このような外交保護権の存在ゆえに被害者個人の加害国に対する賠償請求権(実体的権利)が否定される理由は全くない。
ところで,国家が外交保護権を行使する前提として,被害者個人が加害国において利用可能な一切の国内的救済手段を尽くしていることが必要である補完性の原則)(

この補完性の原則は被害者個人が加害国に対し実体的な賠償請求権を有することを前提としている。この被害者個人の賠償請求権は,加害国の国内法に基づくこともあれば,日本のように国際法を一般的に受容している国においては国際法に基づくこともある。国の外交保護権の行使による国家責任の追及と被害者個人の加害国に対する賠償請求権は別個の権利であり,併存している。外交保護権の制度は個人の請求権の存在を否定する制度ではない。
4
ハーグ陸戦条約3条が規定する個人の損害賠償請求権
結局,本件訴訟で問題となるのは,ハーグ陸戦条約3条は個人の損害賠償請求権を規定し,自動執行性を有する条約として締結されたか否かである。ハーグ陸戦条約3条は

陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。

と規定している。これは日本の民法709条,715条と同種,同内容の規定,文言であり裁判規範としての明確性を十分有している(著明な国際人道法学者のカルスホーベン教授は,1907年のハーグ陸戦条約は,占領地における被害者個人に加害国に対する個人の賠償請求権を認めた規定であることをその起草課程の研究を踏まえ明らかにした(甲総14)。日本の広
瀬善男教授は捕虜の国際法上の地位
(甲総15,日本評論社106頁)で捕虜や文民の保護などの人道そのものに直接関係する戦時国際法上の訴権は国籍とは無関係に当事者個人に帰属していることは,歴史的沿革から明らかであると述べている)


第2
1
本件で適用される国際法(国際慣習法)について
ハーグ陸戦条約
20世紀初頭(1907年)に制定された同条約及び同附属規則は,いわゆる人道条約の先鞭をなすもので,戦時中における一般住民に対する攻撃の禁止や抑留された捕虜等の人道的保護等そこで確認された人道的な取り扱いを受ける権利は19世紀以来全ての文明国で常に遵守されるべき国際慣習法となっていたものである。日本は,
1911年11月6日に同条約を批准し,
翌1912年1月13日これを陸
戦の法規慣例に関する条約として公布し,同年2月12日に発効した。このハーグ陸戦条約は,その前文において文明国ノ間ニ存立スル慣習,人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルと宣言しており,条約で規定された義務が単に条約から由来するのではなく,人道法の一般原則から直接に由来するものとして非加盟国すら拘束する普遍的効力(国際慣習法)をもつことを明らかにしている。
そして,ハーグ陸戦条約3条の規定は,日本の民法709条,715条と同種の規定,文言であり裁判規範としての明確性を十分有しており,自動執行性を有する条約といえる。
2
ILO29号条約
本件強制連行・強制労働は,地球上から一切の強制労働を廃止することを目的とするILO29号条約が国際的にも国内的にも施行されていることを熟知する立場にあった日本政府と企業が,共謀して,これを蹂躙する不法行為を,海を越えて,かつ大規模に共同実行したという国際的犯罪行為である。
わが国は1932年10月15日,強制労働禁止に関する同条約を批准し,同年11月21日ILOに批准登録し,同年12月6日強制労働に関する条約として公布し,翌1933年11月21日に発効させた。ILO条約は,労働条件や労使関係を直接規律する国際条約と解されており,日本の国内法としての効力を有するが,同条約1条は,
一切の形式に於ける強制労働の使用は廃止されることを規定し,同4条,5条は個人,会社,団体もその利益の為に強制労働させたり,特権的な免許を得たとしても強制労働を生じさせてはならず,これに違反すれば違法となる。同15条1項は労働災害,疾病に対する補償を,同17条は労働者に対する安全配慮義務を規定する。そして,同条約25条は,強制労働の不法なる強要は刑事処罰の対象となり,刑事処罰を適切に課すことが締結国の義務であると規定する。
3
戦争犯罪(人道に対する罪)
本件強制連行・強制労働は,形式的にも実体的にも以上の2つの国際条約を蹂躙して実行された国際的犯罪行為であり,
人道に対する罪を構成する戦争犯罪でもあ
ることが歴史的に既に確定している法的評価である。
すなわち,終戦後に設置された国際連合の第一回総会において全会一致で国際的承認がなされ,
我国も1951年連合国との間で締結したサンフランシスコ平和条約1(
1条)
において,
その正統性を承認した極東国際軍事裁判所条例は人道に対する罪」を「戦前又は戦時中になされたる殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放その他の非人道的行為,もしくは政治的又は人種的理由にもとづく迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行としてまたはこれに関連してなされたるもの(第5条1項)と定義しこのいずれかを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者は,かかる計画の遂行上なされたる一切の行為に付,其の何人に因りてなされたるとを問わず責任を有す(同条2項)と規定している。
強制連行,強制労働,奴隷的虐使は,
人道に対する罪に該当する戦争犯罪であ
る。

4
国際条約等の強行規範性と時効の不適用
前記のとおり,
ハーグ陸戦条約は,
その前文において文明国ノ間ニ存立スル慣習,
人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルと宣言しており,条約で規定された義務が単に条約から由来するのではなく,
人道法の一般原則から直接に由来するものとして非加盟国すら拘束する普遍的効力をもつことを明らかにしている。我が国の俘虜取扱規則も俘虜は博愛の心をもって取り扱い,決して侮蔑虐待を加えてはならないこと(第1条)俘虜収,容所は,俘虜の名誉健康を害してはならないこと(第20条)を規定し,人道法の
一般原則を規定している。1030年に成立した強制労働廃止条約も,各締約国ハ能フ限リ最短キ期間内ニ一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用ヲ廃止スルコトヲ約ス(第1条1項)と規定するにとどまらず強制労働ノ不法ナル強要ハ刑事犯罪トシテ処罰セラルベクとして締約国に対し刑事制裁義務を課す等強制労働を文明国家の公序とは相容れないものと位置づけており,ILO条約の中でも最多の150カ国以上が批准している基本条約である。
強制連行,強制労働,奴隷的虐使は,
人道に対する罪に該当する戦争犯罪であ
り,所属国を含め関係国間の合意によっても放棄できない,いわゆる強行規範ユ(
ス・コーゲンス)違反としての性格をもつものとして国際的に確認されており,そのことを認識することは本件のような非人道的な事案の審理において極めて重要である。すなわち,国家がその自由意思にもとづく条約の締結によっても適用除外を主張することが許されない強制的な国際法規の一つとして観念されているところの強行規範(ユス・コーゲンス)の性質は国際社会全体にとって基本的に重要でその存立に不可欠の価値(良俗,道義,公序等の社会的倫理的な価値)を内容とする法とされており,ウイーン条約法条約は,一般的拘束性をもつ国際法規のうち,各国が条約の締結によって逸脱することも許されない規範として国際社会全体が承認したものをいうと定めている(同53条,64条)
(山本草二『国際法』75頁)
。強行規範
は,諸国に共通の自然法や法的良心の表明にとどまるものではなく,国際社会の高度の連帯と一元性の理念にもとづいて一般的な多数国間条約により実定法化され,全ての国(少なくとも国際社会の主要構成国のすべて)がその強行性を一致して承認する内容のものにまで成熟するのを待たねばならないが(前同621頁),強行規範に反
する行為(侵略に該当する軍事的侵入など)であれば,たとえ相手国の同意があっても,違法性阻却事由とはみなされないものである(前同641頁)。
また,強行規範違反は,時の経過では治癒されず,
時効法理は働かない。
すなわち,
強行規範は長年月をかけて国際慣習法として形成されるものであって,基本的には時の経過には関係なく,かつ本件の強行規範たる所以は人道の一般原則に関するものであるから,その制裁に関しても時効法理は働かないものである。
前述の人道に対する罪が,極東国際軍事裁判所条例として定式化されたのは戦争終結後のことであったが(形式的には事後法,一般的な刑事手続不遡及原則)
は適用されず,
戦争開始時点まで遡及してこの刑事制裁規定を適用して判決が下され,日本も含めて異議なく国際承認がなされた経過は,裁判所条例の内容が既に国際慣習法として形成されていたものを確認的に立法化したものであったこと,及び強行規範違反に対する制裁は時の経過に関わらないことを端的に示すものである。とりわけ,奴隷・苦役
非人道的処遇の禁止という強行規範に明白に違反するような事案
に関する人道的義務からの免除は如何なる国家にも認められないのであって(条約法条約第38,43条)
,こうした条項や条約違反は,一般法の原則に反して積極的に
遡及適用されているのである。1968年11月16日,国連総会において採択された戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用に関する条約は,戦争犯罪及び人道に対する罪が国際法上の重大な罪であること
実効的処罰がかかる犯罪の防止,人権及び基本的自由の保護,信頼の助長,諸国民間の協力の発展及び国際平和及び安全の促進における重要な要素であることの確信通常犯罪の時効に関する国内法を適用することは,かかる犯罪に責任を有するものの訴追及び処罰を妨げるため,世界の世論にとって重大な関心事であること等を掲げた上で,戦争犯罪や人道に対する罪には時効が存在しないことを確認している。日本はこの条約を批准していないが,強行規範の拘束力を否定することが許されないことは言うまでもない。5
国際法の憲法上の効力と正義・公平の観念
日本国憲法98条2項は,
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は,これを誠実に遵守することを必要とすると規定している。
そして,
本条項においてこ
れを誠実に遵守することを必要とすると定めた趣旨は,単に従前のわが国が条約を守らなかった印象を憲法の文言で払拭するという政治的・道義的意味合いを打ち出すというにとどまらず,国の機関及び国民が日本国が締結した条約及び確立された国際法規を国内法上,遵守すべき法的義務を負うことを明らかにしているということである(樋口陽一他『注釈日本国憲法』下巻1494頁)
。すなわち,国際法的
にいえばこれらを遵守すべき義務を負っていることは当然のことであって,本項の意義は,そういう当然の事理を超えて,
日本国が締結した条約及び確立された国際法規を国法の1形式として受け入れると共に,国の機関及び国民が遵守すべき国内法上の義務を負うことを定めたものである。
また,わが国においては,伝統的に条約等の直接適用方式がとられており,批准した条約等は,公布されるのみで特別の変型手続(立法措置)をとるまでもなく当然に国内法としての法的拘束力を有するものとされている(山本前同99頁)。なお確立された国際法規とは,
大多数の国により承認され実施されている国際慣習法であって,わが国が承認したものであることを要しない(前同注釈日本国憲法149
4頁)


第3

請求権放棄問題

1
被告国らの主張
被告国らは,本件訴訟で,1952年のサンフランシスコ平和条約14条(b),
同年の日華平和条約11条,1972年の日中共同声明5項により原告らの請求権は放棄され消滅したと主張している。

2
サンフランシスコ平和条約について
中華人民共和国は,1952年のサンフランシスコ平和条約の締結国ではない。したがって,この条約は中華人民共和国に適用できず被告国がこの条約の請求権放棄条項を本件訴訟で持ち出すことは失当である。

3
日華平和条約
日本と中華民国との関係,日本と中華人民共和国との関係は別の関係であり,明確に区別する必要がある。また,日華平和条約の交換文書によるとこの条約は中華民国政府の支配下に現にあり,又今後入る領域に適用されるところ,原告ら等はいずれも中華人民共和国の国籍を有し,日華平和条約締結時もその後も中華民国政府の実効的支配下に居住する住民でなかったから,原告ら等が所属しない中華民国が日本と締結した日華平和条約により原告ら等の請求権が放棄されていると解することはできない。

4
日中共同声明
日中共同声明5項は,
中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄するとしている。ここで放棄されているのは,戦争賠償の請求という文言の通常の解釈からしても,中国政府高官の認識からしても,中華人民共和国の戦争賠償の請求であり,個人の賠償請求権ではない。そもそも,国家が国民個人の損害賠償請求権を代償措置を講ずることなく放棄できる合理的根拠はないのであって,国家が個人の同意なく放棄できるのは国家の固有の権利である外交保護権に限られる。
5
結論
結局,サンフランシスコ平和条約,日華平和条約は,本件に適用できず,日中共同声明は個人請求権を放棄していないのであるから,日中共同声明5項などにより原告らの請求権は放棄され消滅したとの被告らの主張は理由がない。
以上
(別紙5)
原告らの主張(被告らの不法行為に基づく損害賠償請求について)A
総論

第1
1
強制連行,強制労働の歴史的背景と,その経過
満州国が建国された1932年(昭和7年)3月以来,同国では華北地方から毎
年100万人以上の中国人労働者の動員が行われていた(甲総7,25,43ないし45,64等)

一方,国内では,人的資源の枯渇が深刻化する中で,事態の打開策として,朝鮮人労働者の内地移入の要請が強まると共に,華北から満州国への中国人労働者移入措置の実績を基に,
華人労務者の内地移入を求める声は,財界とりわけ土木建設業界,石炭業界を中心に強まって行った。例えば1939年7月の北海道土木建設聯合会内,外地労働者移入組合発起人(代表・P42)作成の願書
(甲総第43号証8頁)には,
枯渇せる我労働資源を支那人の有する最も簡易なる奉仕を以て代位するは極めて当然ならずやと明記している。被告鹿島建設,同飛島建設,同大成建設(旧称大倉土木),
同熊谷組は,西松組,地崎組と並んで,何れも,当時の我国の土建業界を代表する中枢的企業であった。従って,中国人移入を求める土建業界の動きは北海道に留まるものでは決してなかったし,一地崎組に限られる問題でもなかったのである。現に,願書提出後の1939年12月,日本の土建企業の連合体である土木工業協会では,臨時理事会で調査部(部長は被告鹿島建設のP43)に研究課を置くこと決議するなどして,これと相前後して華北の労働統制を計画的に追求して行ったのである。日本の土建業界は,業界としてたえず日本-満州国-華北の関係を労働力収奪の連関の中で考えていたのであった。
昭和16年(1941年)7月華北政務委員会と北支那開発株式会社の共同出資により,華北における労務の一元的統制機関として,華北労工協会が設立され,華北における労働力供給の効果的実現と,華北から満州への労働力供給の効果的実現も図られることとなった。この華北労工協会は,華北政務委員会実業総署管轄下にあり,同委員会は北支那方面軍特務部の主導下に1937年12月に設立された華北の傀儡政権である中華民国臨時政府を継承して出来たものであり,その実態は華北における地方政権であった。日本軍の内面指導のもとで華北の地にあって一元的な労働者統制をはかる機関として機能したのが華北労工協会であった。
また,ここでいう華北とは,
満州国に隣接する広大な地域で,8000万人を超
える人口と百万平方キロメートルを超える面積をもち,北京,天津を含む河北,山東,山西,チャハル,綏遠の五省からなっており,日本が満州国をデッチ上げた後,第二の満州国化をはかろうとした地であった。華北は労働力が豊富な地域で,満州国」

を支える大きな供給源でもあった。日本に連行された人々の92%は,この華北出身者であった。そして華北から日本への強制連行の原型となったのは,華北から「満州国

への連行なのであった。
2
こうして1942年11月27日,
華人労務者内地移入に関する件が東条英樹内
閣のもとで閣議決定された。それは日本の関係各庁と中国の現地機関,また日本の各業界の間での十分な根回しと利害調整の上で,天皇の決裁をもって決定されたものであった。昭和22年6月に,
日本建設工業会・華鮮労務対策委員会が極秘に作成した「戦時強制連行{華鮮労務対策委員会活動記録}(甲総第7号証)は,その冒頭から「太平洋戦争の時期,鹿島組,間組,西松組,熊谷組などの大手土建業界は,強制的労務動員計画による膨大な労働者を酷使して,莫大な戦時超過利潤をあげるとともに,侵略戦争遂行のために積極的役割を果たした。ここでとくに脳裡に刻みこまねばならないことは他民族である多数の朝鮮人・中国人を強制連行し,強制労働によって多くの犠牲者をだしたことである。
」と断じている。
前記閣議決定には,第1方針,第2要領,第3措置,備考からなっているが,一時帰国や家族送金等体裁を取り繕う表現も見られる反面,
方針では内地に於ける労務需給は愈々逼迫を来し特に重筋労働部面に於ける労力不足の著しき現状に鑑み左記要領により華人労務者を内地に移入し以て大東亜共栄圏建設の遂行に協力せしめんとすとあり,甲総第7号証では華人労務者移入事情と雇傭関係の顛末の項で,然るに是等朝鮮人労務者も一定限度あり無限に移入する事は益々困難な事情発生した・・・労務動員計画に齟齬を来すに至った・・・之か労働供給源を北支,中支,蒙彊方面に求むるの議を進めという記述も認められる。しかし敵国である中国在住の中国人について,日本政府が決定しうるものは何もない筈である。この中国人を移入し,大東亜共栄圏
の建設に協力させるという認識は,
あからさまな国際法秩序の無視であり,
侵略と蔑視の思想の表明以外のなにものでもない。更に措置ではこの決定の実施は試験的なもので,成績により全面的実施に移るとしている。そして閣議決定後,北支労働事情視察団の派遣,翌1943年4月には試験移入が開始され,その成果の上に,1944年2月28日には,
閣議決定に基づく本格的移入の促進を目指し
て華人労務者内地移入の促進に関する件という次官会議決定が行われるのである。
3
この次官会議決定の内容は,先の閣議決定と対比して,次のような幾つかの特徴点が指摘されるのである。第1に,
供出又は其の斡旋が,華北労工協会中心で
あったのが,
次官会議決定ではそれと並んで大使館現地軍が登場していること
が注目されるのである。北支那方面軍が表面に出て,剥き出しの暴力的支配,強制的連行と拉致の道を示唆するものである。第2に,
華人労務者は訓練せる元俘虜又は元帰還兵の外募集に依るものとすることと明記している点である。閣議決定では対象
が主として華北の労務者とされていたのに対して,いまや訓練せる元俘虜又は元帰還兵が前面に出て来ている。これは第1の点とも関連し,いわゆる募集による労働者の獲得という建前を放棄したに等しいと言えることである。第3に,華人労務者は毎年度国民動員計画に計上し計画的移入を図るものとすることとされ,昭和19年度国民動員計画の供給の項目に,
華人労務者男子3万人として具体的な数値
として計上されるに至ったのである。その割り当てを受けた事業主には,被告企業らの名があり,彼らの委任を受けた土木協会の職員が華北労工協会との契約のために渡満したという記録が残されている。
(甲総7・25頁以下)

第2
1
強制連行,強制労働の思想と実態
具体的には,原告らの多くは,
ウサギ狩りといわれる人間狩りによって,日

常の暮らしから切り離され,家族から引き裂かれ,異国の地で自由を奪われ,ろくな食事も与えられず,人間として扱われず,暴力を背景にして過酷な重労働に従事させられている。過酷な労働と陰惨を極めた環境の中で,その身体に癒えない傷跡を残し,母国で迫害を受けるなど,今なお,原告らの受けた心と身体の傷は容易には癒されるものではない。
昭和35年の中国人殉難者国民大慰霊祭で,旧第59師団の師団長であったP44中将は,次のような弔辞を述べている。これは,第34回国会衆議院日米安全保障条約等特別委員会会議録・第27号甲総42の1)(に正式に収録されているものであって,当時の内閣総理大臣・岸信介も「先ほど申し上げました通り,私はこれらの方々の不幸に対しましては責任があるということは,先ほど申し上げました通りでございます。と,全面的に認めざるを得なかったところである。即ちその弔辞は,私たちはかって日本軍国主義が行った対華侵略戦争の時期に,軍人,憲兵,警察官,官吏,特務などしてあなた方の祖国に押し渡り,あらゆる恥ずべき行為を重ねて,戦犯として拘禁,処刑を受けたものであります。私たちのうち,旧日本陸軍第59師団関係者は当時山東省に侵入し,あなた方を犬ネコ同様に日本に強制拉致した直接の加害者でありました。そして私は,終戦時第59師団長として,その指揮をとっていたのであります。私たちは,日本政府の命令と,みずからの醜悪な功名心によってウサギ狩り戦法と称する大規模な人狩り作戦を展開しました。あなた方の大部分は,凶悪な銃剣の威嚇と耐えがたい屈辱のもとに,平和な野らから,街頭から,家庭から,泣き叫び,すがりつく家庭の方々と,なま木を裂くように引き離されて日本に送られました。そこには言語に絶する奴役,想像もできない虐待があなた方を待っておりました。しかもあなた方は,その頑健であった肉体がやせ衰え,生命のともしびが消えようとする最後の一瞬まで侵略者に屈服することなく,ついに万斛の恨みをのんで異境に果てられたのであります。一家の大黒柱を奪われたあなた方の遺家族は,家を焼かれ,飢えに迫られ,疾病に伏し,やがて一家離散や滅亡の悲惨な境遇に泣かねばなりまらせんでした。というものである。これこそ,直接の加害者である,現場の師団長が自ら行った赤裸々な拉致の事実の証言であり,告白である。

私たちは,政府の命令と,みずからの醜悪な功名心によって・・・大規模な人狩り作戦を展開しました。

と述べているが,命令を下した政府は,もはや沈黙を続けることは許されない筈である。2
例え海を隔てようと,国境を異にしても,中国人である原告らが,一人の人間であることには替わりがない。上記のウサギ狩りの結果は如何であったろうか。原告別,事業所別の強制連行,強制労働の事実関係の詳細については次項で述べるが,例えば農業の傍ら,鉄道警備員をしていたP14の場合には,妻と二人の子供のいる身で,民間会社の鉄道の駅で警備員の仕事に従事中,突然日本の憲兵隊員数人に捕らえられ,3日間拷問台に仰向けに寝かせられ,手足を押さえ付けられたままの状態で,無理矢理口から水を飲ませるという拷問を受けた。その結果,晋県の刑務所に数日間,石家荘の日本軍の部隊に1日,同じ場所にある収容所で約1か月と,次々に盥回しをされた挙げ句,タンクーという港から300人以上の中国人と共に下関に運ばれ,汽車で熊谷組の下伊那郡α3作業所に連行された。
(甲各C2,4,5)同じく鉄道の警備員をしていたP13
は,8人家族で妻と子がいるという家族構成であった。鉄道の警務室で寝ているところを警察に連行された。P14と同じく,石家荘の収容所を転々とし,タンクーの港から木曽郡<以下略>の鹿島建設α1作業所に連行されている。
(甲各B2の1・2,3の
1ないし5,4,5ないし8)
P15は,もともと農民であったが,家にいる時国民党に捕らえられ,洛陽での日本軍との戦いに破れ,その捕虜となった。石家荘で2か月以上も建物の四方に電流を流した鉄条網の中に閉じ込められ,毎日死者が出るという恐怖に曝されながら,日本兵に一日中監視されていた。死ねば海に捨てられるという過酷な約9日間の船旅の果てに,木曽郡<以下略>の大成建設α6作業所に連行されている。P16も国民党軍に捕まり,P15と同様,日本軍の捕虜となった。同じく木曽郡<以下略>の大成建設α6作業所に連行されている。
原告P10,原告P11,原告P12は,いずれも八路軍の兵士であった。日本軍との戦いで生き残ったものの,その後厳しい拷問と,監視,監禁の末,木曽郡α27村の飛島建設α7作業所に連行されている。いずれも凶悪な銃剣の威嚇と耐え難い屈辱のもとに,平和な野良から,街頭から,家庭から,泣き叫び,すがりつく家庭の方々となま木を裂くように引き離されて日本に送られて来たのである。その後の,死の恐怖と暴力と威嚇,餓えと疲労,耐え難い過酷な労働,長野県の極寒を極めた作業現場の気象条件等々,作業現場の中での強制労働の実態については,原告ら等が等しく証言しているところである。そこでは,一個の人間としてではなく,牛馬のように,或いは犬猫同然に扱われたのであった。また,原告ら等の被害は,決して日本に滞在していた一時的な苦難なものではなく,帰国後も,その全生涯を貫く被害をもたらすものであった。
原告P10の場合,強制労働中の事故で,右手親指に負傷し,指そのものが変形し,現在も親指を使うことは全く出来ない情況にあり,一人では農業をはじめ力仕事が出来ない身となっている。P13の場合には,帰国後性格が変わってしまい,

いつもそわそわして,落ち着きがなくなり,仕事に集中することも難しくなったようです。

と,明らかに何か大きな精神的ショックを受けたことを認めている。胃を壊して毎年,春になると全身がかゆくなり,皮が裂けるまで自分で掻くようになったり,背中に鞭を打たれた時の15センチくらいの傷跡が残っていたというP16の場合等,直接自分の身体に傷を負っている者,帰国したら,妻は他人の嫁になっており,亡くなるまで再婚しなかったP13や,
病気で妻子を失った者,
留守の間に妻子が別の男と一緒になり,
家族崩壊を経験する者,加えて殆ど全員が,文化大革命の時代を中心に,日本のスパイ日本で何をしていたのかと,迫害され,10年間も日本のスパイとして強制,
労働をさせられたという原告P11のようなケースもある。いずれにせよ,原告ら等の心と身体の中に,時の経過によっては決して消え去ることの出来ない傷跡が,深く残されているのである。
原告ら等の多くは,当時の我が国の軍隊のウサギ狩りといわれる人間狩りによって,
日常の暮らしから切り離され,
家族から引き裂かれ,
異国の地で自由を奪われ,
ろくな食事も与えられず,人間として扱われず,暴力を背景にして過酷な重労働に従事させられている。過酷な労働と陰惨を極めた環境の中で,その身体に癒えない傷跡を残し,母国で迫害を受けるなど,今なお,原告ら等の受けた心と身体の傷は癒されるものではない。
これこそ,直接の加害者である,現場の師団長が自ら行った赤裸々な拉致の事実の証言であり,告白である。

私たちは,政府の命令と,みずからの醜悪な功名心によって・・・大規模な人狩り作戦を展開しました。

と述べているが,命令を下した政府は,もはや沈黙を続けることは許されない筈である。第3
1
動かし難い強制連行,強制労働の事実
以上に述べたように,日中戦争以来,生産力の拡充が国家の主要な政策となる中,出
兵による男子労働力の減少による労働力の不足は顕著なものとなった。このような情勢の中で,国策に従って大きな利益を上げることを期待した被告企業ら大手土木建築会社が加盟する土木工業協会は,他の業界団体と共に,それまで日本国内における居住や労働の制限されていた中国人についても,
その移入を政府に積極的に働きかけるに至った。
日本政府も全面的にこれに応え,閣議決定をするなどして,制度,体制を整え,実際の中国人労働者の確保には,日本軍及び日本政府の傀儡である華北労工協会が重要な役割を果たすと共に,日本軍自らもその確保のために,直接的に関与して来たものである。日本政府,日本軍及び被告企業ら関連業者は協力して中国人労働者を日本国内に移入し,労働に従事させる制度を作り上げ,これを実行したものである。そして,原告ら等中国人労働者は,自らの意思に反して,
石家荘α9収容所α11収容所に連れ

て来られ,或いは突然拉致されて日本へ連行されたものであり,これが強制連行に当たることは全く明らかである。
また,原告ら等は,何れも長野県内の各被告会社の各事業所で労働に従事したものであるが,本人の意思に反して労働に従事させられたのであり,その環境は,被告ら及び警察官による厳しい監視の下で自由な外出は一切できず,衛生状態や食糧事情が極めて劣悪な環境下で,長時間にわたり危険な重労働を強いられた上,監督から暴行を受けるなどもしたのであって,その実態は強制労働そのものであったというべきである。以上の事実に関する事実判断については,過去十年かけて,日本の各地で争われて来た中国人強制連行,強制労働事件に関し,日本の裁判所が殆ど一致して認めるところであって,既に,不動のものであるとさえいうことが出来るのである。2
司法の生命ともいうべき,正義,公平の見地からすれば,被告国,被告企業らの責任は,単に上記強制連行,強制労働の事実に留まるものではない。一つは,被告国による証拠の隠滅,事実関係に対する組織的な隠蔽行為(端的には,甲総50の1ないし3)であり,それ自体が本訴提起を含む一連の訴訟行為を妨害するものであったということである。甲総50の3には,
中国側から戦中わが国で就労した華人労務者の実情につき調査のため来日するとの噂あり,その場合に備えてとか,

これが戦犯関係資料として使われる恐れがあり,官民双方の関係者に波及することも考えられたので,当時外務省に残っていた分は一部を除き焼却した。

とか,更には

今後本件調査報告書が問題になったときは,次のように答弁することとしたいと述べた。・・・事業関係者等に迷惑がかかることを避けるため,本件資料はすべて焼却した。

という明かな改竄,修正,証拠隠滅の跡が残されているのである。
原告らは,被告国に外務省報告書と事業所報告書の提出を求めて来たが,国は,
作ったことはあるが,その後全て焼却したので詳細は分からないと,言い続けてきた。ところが,平成14年12月に公開された,外交文書によって外務省報告書は所持しないが,事業場報告書は所持していると回答するに至ったのである。正に戦後58年間にわたって,国は,本件で最も重要というべき証拠の存在を隠し続け,原告や国民,裁判所をも欺いて来たのである。
正に,公正な裁判の成立そのものに関わる重大な問題である。公文書の焼却等による証拠書類の隠匿は,国だけではなく,
昭和の焚書と言われる県管理の大量の公
文書が,長野市の裾花川の河畔で焼かれたという記録(信州昭和史の空白―甲総65)が残っている。全国でも屈指の埋蔵量を誇った県庁文書も,昭和12年以降敗戦までの文書が,徹底して焼却されたのである。国も県も,文書の隠匿,焼却に狂奔したのである。しかし,歴史の事実は,焼却したり,隠匿したりしても,消すことの出来ないものであり,国による組織的隠匿行為は,民主主義国家にあっては,絶対に許されるべきことではないのである。
更に,国だけではなく,土建業界が軍事・警察機関と同じく中国人に関する証拠書類を3日間かけて焼却した(甲総7・98頁)という活動日誌が残されている。加えて,甲総第7号証の付録として,
土木建設事業に於ける華人及び半島人労務者の処理並に損害補償に関する陳情や,華人及朝鮮人労務者の現状と之が措置に対する懇請要領などの文章によって,日本の土建業界は,戦時国家権力の庇護の下で,多数の朝鮮人・中国人の強制連行,強制労働により莫大な戦時超過利潤を上げながら,これら強制連行,強制労働の犠牲者に対する補償は何ら顧みないどころか,逆に当時の価格として1億円を超える巨額の損害額を計上し,
莫大な国家補償を獲得していたという事実甲

総3の5・707,
708頁によっても,
土建業界全体では28,
425,
818円内,

鹿島組3,461,544円,飛島組1,291,256円,大成建設644,374円,熊谷組2,872,958円)を政府補償金として受け取っていることが明らかである。
)は,正しく犯罪的という外はないものである。
3
信用し得ない事業場報告書
以下においては,被告各事業場について,いわゆる事業場報告書に記載された事実をも取り上げ,強制連行・強制労働の実態について詳述するが,冒頭に,事業場報告書の信用性について述べておかねばならない。
2004年7月9日,中国人強制連行強制労働事件について,高裁段階での初めて認容判決となった広島高裁判決でも,事業場報告書について,
待遇に関しての記載は,事実と異なる部分が多く,信憑性が低く,賃金支給にしても,実際上は記載どおりには行われていない(63頁)戦犯追及に対する懸念から,労働・衣食等の処遇や死亡,原因等については,事実が歪曲・隠ぺいされている部分が少なくない疑いがあるとされている(65頁)としている。
当時の外務省は,外務省報告書を作成するにあたり,各事業場に対し,その詳細を調査の上提出するように依頼し,これによって作成されたのが,華人労務者就労顛末報告書(いわゆる事業場報告書)である。外務省は,各事業場に対し,調査員を派遣し,各事業場側からの説明を受けるとともに独自に調査し,
これを現地調査報告書,
あるいは,
調査報告覚書などとして資料化した。それによれば,
華人労務者調査ニ付テハ既ニ外務省主催ニテ東京ニ華労関係業者ノ参集ヲ求メ,昭和二十一年二月第一回打合セヲナシ,華人労務者就労顛末報告書作製方ヲ依頼セリ。・・・外務省ニ於ケル調査ノ必要性ハ近ク来朝ヲ予想セラレル中国華人労務者調査団ニ対シ,外務省ノ当然折衝機関タルベキ性格ニ鑑ミ能ル限リ華労関係ノ資料ノ整備ヲ必要トスルニ基ク。然ルニ実地調査ニ先立チ二∼三事業場側ノ報告ヲ散見シタルニ,将来特ニ問題視セラルベキ諸項目ニ付キテ,事業場側ニ於テ故意ニ隠蔽セントスル傾向ガ認メラレタリ。本邦ヨリ中国ニ送還セラレタル華労ハ中国側ニ於テ調査セラレ,中国調査団ハ之等調書ヲ資料トシテ持参来朝スルコトハ当然予期セラルルモノナルガ,当調書ノ中最モ重要ナル部分ヲ構成スルモノト考ヘラルル華人ノ死亡状態,邦人ノ華人ニ対スル不法行為等ニ付テハ,事業場側ノ報告ヲ以テシテハソノ実態ヲ明カナラシムルコトハ極メテ困難ナリ。(甲総2・52頁)とある。
また,
幻の外務省報告書
(甲総41・46頁)では,

外務省報告書は,中国人強制連行が中国をはじめとする連合国側から追及された場合に備えて,申し開きができるように準備された,いわば国側の弁明の書。そして,事業場報告書は企業側の弁明の書であった。

としている。事業場報告書の記載は,以上のような,その作製の経緯,作製の動機に伴う資料としての限界があり,中国の出港年月日,死亡数等の客観的な数字は別として,労働実態,死亡原因等は信用性はかなり低いものである。

被告鹿島建設関係

第1
1
当事者
原告

(1)

原告P1の兄P13は,事業場報告書(甲各B9)の246頁に,以下のとおり記載されている。

素質
氏名

P18

年令

20(才)

出身地

河北省高城県<以下略>

職業

鉄道員

訓練

α9(石家荘のα9収容所のこと)

応募地

石門市

募集機関

華北労工協会

募集方法

行政(行政供出のこと)

乗船港

塘沽港

乗船年月日

昭和19年5月5日

上陸港

下関

上陸年月日

昭和19年5月11日

受入事業場

α1出張所

受入年月日

昭和19年5月13日

移入

中間移動
α20出張所
昭和20年6月7日
送還
事業場出発年月日

昭和20年11月30日

乗船港

佐世保

乗船年月日

昭和20年12月3日

(2)強制連行時の状況
P13は,○年○月○日生まれであり(甲各B3)
,1994年2月に鉄道の警備
員をしていて夜警務室で寝ていた時に警察から連行され,石家荘のα9収容所で拷問を受けた後,塘沽港まで連行され,日本での雇用契約など全くないまま,一方的に貨物船で日本に強制連行された。
連行された当時,同人は河北省藁城県<以下略>で父とその妻(P13にとっては義母)
,妹2名,祖母と,妻と息子1人の8人家族であった(甲各B2の1・2)。
(3)日本でのP13の移動
昭和19年5月5日

塘沽港で乗船

同月11日

下関上陸

同月13日

鹿島建設α1作業所到着

昭和20年6月7日

岐阜県の鹿島建設α2作業所に到着
同年12月3日

帰国送還のため佐世保港で乗船
(以上,甲各B9)

(4)帰国後の動静
P13が塘沽港に着いて,河北省藁城県α21の自宅に戻った時には,妻は息子を連れて行方不明になっていた(甲各B2の1)P13が妻子の行方を探したところ,。
妻は他の人と再婚していた。P13は,大躍進運動や文化大革命の時には敵国日本のために働いたスパイといわれ,市中引き回しなどの迫害を受けた。人口2000人のα21で日本に連行されたことを理由に批判されたのは同人一人であった。同人は,村のなかの仕事で日当まで削られ,同人の弟である原告P1も,兄のことが原因で,名誉ある軍隊への入隊を阻まれた(甲各B2の2)

同人は帰国後性格が変わり,
周囲の者から少しおかしい人だと見られるようになり,
再婚することもなかった(甲各B7)

そして同人は,1996年11月29日にα21で死亡した(甲各B3)。71才
であった。
(5)相続関係
P13には相続人として原告P1の他には2人の実妹のみがいるが(甲各B4),
いずれも存命していて,1998年8月24日に,本件訴訟について原告P1に全権を委任している(甲各B3)
。よって,原告P1は,P13が被告国と被告鹿島建設
に対して有するすべての損害賠償請求権を行使できる。
2
被告鹿島建設

(1)被告鹿島建設
江戸時代からの建設工事企業であった被告鹿島建設は,明治以降,主として土木工事部門を強化し,昭和5年に株式会社鹿島組が設立され,昭和22年には鹿島建設株式会社と改称して現在に至っている。1997年3月当時,資本金640億円余,売上高1兆6000億円余の大企業である。
(2)中国人強制連行
戦時中,被告鹿島建設が有力な位置にあった財団法人日本土木工業協会も強く求めて,1942年11月27日の華人労務者内地移入に関する件とする閣議決定がなされ,これに基いて3万8000人余の中国人の強制連行が開始された。被告鹿島建設は,土建業界で2番目に多い1888名の中国人を
北海道・α22事業場

200名

秋田・α23事業場

986名

長野・α1事業場

702名

に移入し,α1事業場から更に
岐阜・α2事業場

374名

群馬・α12事業場

280名

(地崎組北海道に

1名)

に転出させている。
(3)被告鹿島建設が移入した1888名の中国人は,帰国するまでに以下のような状況であった。
死亡

539名(10名のうち3名)

重傷

27名

軽傷

217名

不具廃疾者

66名(うち失明40名)

死亡原因としては,赤痢・大腸炎・敗血症・肺炎・気管支炎・胃炎が多い(が,仮に正しいとしても直接死因でしかないであろう)
。負傷・不具廃疾者も含めると84
9名となり,全移入数の45%にもなる。
一方罹病者数は2484名であり,1年半の間に1人平均1.3回の病気を患っている。
結局,戦後直後の集団送還事業で帰国できた者は,1888名のうち1283名,68.0%であり,10名に7名にも満たなかった。これが,約1年半のなかで,被告鹿島建設が中国人に与えた仕打ちであった(以上甲総3の3)

(4)誰とて,好き好んで負傷したり病気になったり,命を失う者はいない。被連行者が異口同音に言うように,彼らの願いは無事に生きて中国に帰ることであった。そのためには,耐え難きを耐え忍び難きを忍んで,毎日必死で生きていたはずである。継続して24時間中,彼らを居住させ,かつ就労させる立場の被告鹿島建設としては,病気・負傷の者あれば十分な休養・医療・食事を与えるなどする重い安全配慮義務を負っていることは当然である。
被告鹿島建設は,
故意若しくは重大な過失により,
これを怠ったことは,上記死亡・負傷・罹病者数だけからみてもあまりに明らかである。
第2
1
α1事業所での被害概要
移入者702名の動静

(1)被告鹿島建設α1事業場は,被告鹿島建設が日本発送電株式会社(関西電力)より請負った同発電所建設工事を行うために,長野県西筑摩郡<以下略>に設けた事業場であり,墜道(導水路)と発電所の建設工事を行った。
そのα1事業場に移入した中国人は,中国で乗船した段階で
一次

昭和19年5月5日

289名

二次

同10月11日

100名

三次

同10月19日

313名

合計

702名

であり,
一・二次計389名のうち,365名がα2へ
三次

313名のうち,276名がα12へ

転送された。
死亡者は,702名中100名,14.2%であり,7人に1人という高率であった。このうち,97名がα1事業場に到着した以降に死亡しており,更に702名中,負傷者
罹病者
不具廃疾者

142名

(20%)

1219名(174%)
60名

となっている。すさまじい数値である。
(2)P13は,この第一次から第三次までの合計702名のうち,第一次組であったが,この第一次組については,昭和19年4月17日に,被告鹿島建設社長と華北労工協会理事長との間において,別冊33年度第5回(訓)華人労務者対日供出実施細目」を併う「契約書が締結されている。
昭和19年2月5日大日本帝国の計画並びに華北労工協会の労工供出方に基づき,そこでは華人労務者300名を長野県<以下
略>にて就労せしめるとの契約内容となっている(甲各B9・294頁以下)。これ
は,日本発送電株式会社から請負った発電所建設工事が,

大東亜戦争熾烈となるに及び,人的資源の不足を来し工事遂行上一大難艱に逢着せり。ここにおいて,大東亜省・厚生省の華人労務者移入実施による割当を受け

実施したものである(同号証187頁)
。被告鹿島建設は,上記契約締結のために社員を華北に出張させ,更に供出地である華北地方より,輸送中における一切の世話をなすため,本社職員並びに北京営業所員を派遣している(同号証188頁)

2
P13にとっては
P13が属していた第一次組では,岐阜α2当時を含めても,第一次移入者289名中,死亡者は5名であり,これだけ見るとそう多いとも言えない。しかし第一に,同人がα1事業場にいた昭和19年5月から同20年6月7日までに,44名が死亡している。同年10月に移入された第二・第三次組に体調不良の者が多く,とりわけ厳寒の木曽に耐えられなかった者がかなりいたことは確かであろうが,しかし同人はその44名が死亡するところを日々,目のあたりにしているのである。その心痛と次は自分かとの恐怖はいかばかりであったろうか。第二に,特に途中昭和20年4月25日から同人と別れてα12事業場に転出させられた中国人の動静が重要である。彼ら第三次組は,総勢310名のうち,α1で30名死亡し,α12で50名死亡している。310名中,何と80名,4人に1人以上が死亡している。α12へ転出させられた280名について,1963年に作成された甲総63(添付別紙)は言う。
α12の事業場報告書によると,
その転出入した日である4月25日の記載に,右

華人は大部分非常なる不健康者にて,そのうち歩行不能なる重病人多数あり。また両眼失明者も数十名にして,ほとんど健康者なき状態なり

とある。更に同書証は,転送途中の中国人を高崎駅で目撃したP45の言葉を載せており,
彼らは白いうすい毛布を一枚ずつ肩からかけていたが,服装はボロボロで,東京の乞食よりひどいかっこうで,いつふろに入ったかわからないような感じで,臭かった。梯子段を3,4人づつくんで歩かせた。みなフラフラして歩けないのを,カシの棒をもってこづいていた。ところが,歩けないだけではなく,みな,眼から涙をボロボロ流していた。それは泣いているというのではなくて,何かひどく眼をやられていて,たえず涙がボロボロ流れ出ていた。作業どころか,おそらく生命もおぼつかないようだった。毒ガスの実験につかわれたのではないかとも思われたが,新潟方面へ行く日本人が,彼らを見て可哀そうだといって泣いていた。とある。更に同書証は言う。
このようにして,α12へ入った276人の中国人俘虜は,4月30日に,群馬県衛生課のP46医博によって健康診断をうけました。それによると『特に重病患者』として,肺腸疾患55名,風眼(両眼失明)44名,風眼(片眼失明,将来両眼失明)22名,夜盲症19名,トラホーム37名合計181名が数えられており,その他,中ならび軽眼病者は,全員にして,健康状態ほとんど不良,『皮膚病患者も相当数あり』という状態でした。事業所々長も『眼病患者たらざるものはほとんど皆無にてそのうちすでに70名は両眼失明の状態』と報告しています。この事実は,昭和19年10月29日に第三次組をα1事業所に移入した被告鹿島建設が,体調のよくない彼らを厳冬の半年間放っておいたことを意味する。受け入れ時に病者であるならば,十分な治療・休養を与えて健康の回復を図るべき安全配慮義務があるのに,これを放置したどころか,無理に就労までさせたのである。病者に対してすらこのように冷たく対処した被告鹿島建設が,一応の健康体であったかもしれない第一次組にのみ十分な生活を保障することなどありえない。健康そうに見える者はより厳しく扱われたはずである。3α1事業場での身体被害の特徴(1)P13は,α1事業場に昭和19年5月から20年6月までの約14か月間,居住・就労させられた。(2)この間に44名死亡しているが,甲総3の4と甲各B1によると,その直接的原因については,次のとおり記載されている。腸チフス・赤痢・大腸カタルなど循環器・血液病20名8名気管支炎・肺炎など呼吸器病60名(重複あり)骨折1名自殺1名(3)また,主な負傷原因・疾病としては次のとおり記載されている。腸チフス・赤痢・大腸カタルなど172名疥癬315名気管支炎・肺炎など呼吸器病220名皮膚筋肉疾患58名眼病120名その他疾病者数合計885名(重複あり)不具廃疾者失明14名片側0.1以下の視力障害26名負傷者裂創24名打撲19名挫創47名その他を含めた合計118名(うち重傷24名)(4)このように事業場報告書などで見る限りでも,P13を含む中国人がα1事業場で生活と就労をなした14か月間が,極めて厳しい環境であったことが一目瞭然である。第31中国国内での強制連行について,被告鹿島建設にも責任があるP13は,鉄道の仕事に従事している時に,1944年2月1日に強制連行され,α9収容所に収容されてひどい扱いと拷問をうけたと述べているが(甲各B2の1),P13と共に第一次組で移入させられた同じ河北省のP47の陳述甲総67・9頁以下)(によると,自身も鉄道の仕事をしている時に,1944年3月に,駅に勤務していた20数名と共に連行され,α9収容所に収容された。連行した時期・方法・対象からみて,日本に連行して就労させるために駅員である彼らを多数捕らえたことは明らかである。日本軍が従前に別の目的で捕らえた中国人を日本に連行したということであれば格別,P13はまさに日本に強制連行して強制労働させるために捕らえられたのである。被告鹿島建設も,土木工業協会の有力な一員として,国策としての中国人移入策を推し進めて来ていたことは明らかであるから,被告鹿島建設はP13が捕えられた時から,被告国と共同して同人に対して不法行為を加えたものと評価できる。2α9収容所から中国を出港するまでの扱いは,これまた酷いものであった。同収容所については,既に甲総10号証の石碑に,「ここに約5万人の中国人が送られ,そのうち約2万人がひどい待遇を受けて死亡し,残り3万人は,中国東北部,若しくは日本に連行されたとあるとおりである。ここに,P47の陳述(甲総67・9頁以下)が加わる。これはP13と共に第一次組として移入させられ,昭和20年3月に木曽谷事件で検挙され,同年9月まで入獄させられたP47(甲各B1・255頁掲記)が,1995年8月18日に里山辺朝鮮人・中国人強制労働調査団の訪中調査団に語った内容をテープはん訳したものであり,全体として証拠価値が高いものである。同人は述べる。
石家荘のα24警察に連れて行かれました。今の河北省石家荘<以下略>にあります。そこは日本の憲兵もいる,中国人のかいらい軍の警察です。そこに8日間いました。警察につれていかれてすぐ,服を全部脱がされ裸にされました。そして手かせ,足かせをされました。木の檻(おり)のような留置所に入れられました。1つの部屋に10人くらいです。食事は1日3食,ヌカに少しの小麦粉を混ぜて作った蒸しパンで,1食150gくらいでした。留置所にいた8日間の間に3,4回拷問されました。無理に水を飲まされ,ふくらんだ腹を木の棒で押されるとか,顔を打たれるとか,いろんな苦しい拷問をうけました。もう言いたくない・・・涙)(。道具で拷問された。顔を叩かれて,すごくはれ,耳は何も聞こえなくなりました。

その後石家荘のα10という,軍隊の駐在している所へ移動させられました。α10は後に「労工訓練所

と呼ばれました。ここへ連行される時,衣類を全部脱がされて徹底的に身体を消毒され,血の検査もされました。労工訓練所の建物は木造で,1つの部屋に70人位で,1人当たり約30cm位の幅しかありません。70人並んで座れないのです。寝るのも困難で,寝る時は少しの隙間に身体をこじ入れるようにします。それでもとてもきついです。横になれない程狭かったです。布団もシーツも何もないんです。

労工訓練所は毎日3食でした。1食はこのくらいのお椀(普通の汁椀位)に1杯で,赤コーリャンやヌカを混ぜた,めちゃくちゃな粗末な食事でした。時々塩水や少しのニンジンをおかずとしてくれます。食べる前に必ず天皇にお礼をする色々な儀式があり,それをしないと食べさせてくれません。その儀式は厳しくて,天皇にむけた言葉が出ないと食べさせてもらえませんでした。そこに約1か月いました。その間に3,4回拷問されました。内容は前と同じです。

食事のとき,お湯やスープを飲ませてくれなかったし,水を飲ませてくれないので,水分が足りなくてたくさんの病人が出ました。大便が出ない回帰熱になる人が大勢いました。病院に当たる「病洞

というところがあって,そんなにひどくない病気でも病洞へ行かせました。すると3日も経たないうちに重病になり,7日から10日位経つと必ず死にました。生きて出る人はわずかでした。毎日2,3台の車で死体を運び,万人坑に埋めました。
病洞に入ると余計に悪くなり,死を早めました。なぜなら,
病洞の衛生状態は非常に悪く,シラミもたくさんいて,人が死ぬとその人から生きている人にシラミがどんどん移るからです。私も回帰熱になりました。私は日本語の日常会話が少しできて,特別に水をもらえたことがあったので死なずに済みました。興亜建設隊は1か月後に石家荘(当時石家荘は石門といった)の駅から汽車(客車)に乗せられて天津のα17まで運ばれました。その頃たくさんの人がα17から日本へ運ばれました。石家荘からα17までの間は何も食べさせてもらえず,休まず,停車もせずに,銃を持った日本軍約10人が監督していました。α17の臨時収容所のような所に2,3日いました。そこでの食事は小麦のフスマで作った蒸しパンが毎食2個で,ニラのスープも出ました。この食事は消化できず,食べるとすぐそのまま下痢をして大便になって出てしまいます。だから1日3回大便(下痢便)が出ました。その時のひどい食事の後遺症で,今も毎日3回大便をしなければなりません。実は私達が食べさせられたのは人間の食べ物ではなく家畜の餌だったので,胃腸を悪くしたのです。2,3日後α17から石炭を運ぶ船に乗せられました。石家荘の労工訓練所(収容所)のことで話したいことがあります。石家荘の収容所は1942年に建設されました。それから44年までに石家荘収容所では5万人以上の中国人が収容されました。この中で死者は多分2万人以上だろうと思います。ここで死ななかった3万人は,731部隊や,日本,満州へ送られました。私もその中の1人です。3
このような裏づけを持ってみると,
P13の陳述書における次の記述が重みを増す甲

各B2の1)

鉄道の警務室で寝ていたときに,警察が来て連行されたのです。話し方から分ったのですが,中国人の服を着た日本人が3人来て,次から次へと合計4人が捕まりました。そして石家荘に連れていかれました。11日間そこにいました。警察総局の方は,20数人はいたかと思います。しかし,私はお金もなく逃げ出すこともできませんでした。何で捕まったのかも分からず,ただただ腹立たしく,くやしく泣いていました。石家荘の収容所では,日本人に殴られ電気ショックも与えられるという拷問を受けました。八路軍に関係しているのか,随分しつこく尋問されたのです。石家荘内にあるα10(石家荘のα10にある収容所)には1か月位いました。そこには日本兵がいて,廻りは高圧電流が流れる鉄条網で囲まれていました。医者もなく,病気で2,3人の人が死にました。そこから,α17に汽車で連れて行かれたのです。α17の収容所には3,400人の人がいました。収容所での食事は,コーリャンの御飯と人参と大根の煮物を1日2回与えられただけで,いつもお腹が空いていました。α17では,服や布団を貰っておりません。ところで,私たちはα17から貨物船で日本に渡りました。船の中での食事は,1日1回,1回あたり2個の饅頭(マントウ)だけでした。ですからお腹がいつも空いている状態でした。事業場報告書においても,この第一次組について,輸送にあたりて,「乗船地での滞在が予定より長引き,そのうえ食糧の劣悪なため下痢患者が続出し,そのため物議を醸し不穏の形勢ありたると記載されている(甲各B9・189頁)」。
4
第4
1
被告鹿島建設は,この中国国内での強制連行についても責任を全うすべきである。α1事業場での被害の具体的実態
陳述内容

(1)P47の陳述(甲総67・12頁以下)
仕事は朝4時頃に起きて夜は8時,9時,10時頃まで働かされました。大体平均して毎日12∼14時間位働かされました。食事は,ジャガイモの茎の粉や小麦粉やヌカなどで作った蒸しパンのようなもので,1日3食でした。1食は250g位になるかならないかの量でした。小食の人なら身体を維持できますが,たくさん食べる人は腹一杯になりませんでした。おかずはあまりありませんでした。味噌汁や大根の漬物をくれたことがあります。しょう油と塩は月に1,2度くれるだけでとても足りませんでした。野菜がないから野生の草や山菜を取りました。「トリのツメという山菜をゆでて食べました。労工達の体は日に日に衰弱していきました。朝鮮人の監督が今日はこれくらいの量の石を運べとその日の仕事の量を決めました。それができないと,遅くなってもできるまで帰れませんでした。夜12時になった時もあります。おなかが減って栄養不足で野菜もなく,労働で酷使されて半年ほど経つと,病人もたくさん出て身体的にも精神的にも我慢できないような状態になりました。

労働させられたのに賃金は全くくれませんでした。食事も粗末で少量ですし,衣類もあまり無くてほとんど裸で,給料は全然ありませんでした。帰る時は小遣いを少しくれましたが,それを天津で両替したら,そのお金は通用しないものになっていました。つまり全然役に立ちませんでした。その時の小遣いは,日本が戦争で負けて,国際的交渉で捕虜を交換する,そういう関係でくれたもので,あれは給料ではないですね。休みの日など聞いたことがありません。ひどい病気の時は休みをくれることがあります。休みといえばそういう時です。そういう時は小麦粉の主食を多くくれることがありました。それは,いろいろ交渉したからです。休みなどは全然ありませんでした。主食を多くくれるのも,毎回ではなくて,時には,でした。宿舎は,私がいた所は110人が一部屋にいました。木の皮で作った部屋です。上もこういう所も木の皮で,隅の所はこのくらいの太さの丸太がありました。ベッドはないです。薄い板を並べた(張った)床に110人くらいの人が寝ます。家は,真ん中にある通路の両側が木の床で,110人は全部その床の上で寝ます。1人当たり1mくらいの幅です。人数が多ければ,建物を長く作ります。人が少なければ小さく狭く作ります。床の下は水が流れています。日影で下に水も流れているので,とても湿度が高いです。布団は,日本へ行く前に2枚の薄い布団をくれました。でもとても薄いので寒かったです。寒さをしのぐためにセメントの紙袋をかぶっていました。紙袋は固いので,柔らかくして体に掛けました。その袋は何層か合わさった紙だから暖かかったです。服も,日本へ行く前に古い綿入れの服をくれました。日本は中国より寒くて,古い綿入れだけではとても足りないので,同じようにセメント袋をかぶって寒さを防ぎました。他に服をくれたことがありますが,それは木の皮で作った服でした。

靴は2年間で2足くれました。それは日本式の靴(地下足袋)でした。とても足りないので自分で草を編んで靴を作ってはきました。山の中でいろんな草が生えていたのでそれを材料にしました。

大雨や大雪のときは休むことがあります。とても仕事できない時は仕方がないので(宿舎に)帰らせてくれますが,止むとすぐに仕事に行かなければなりません。原則としては休んではいけませんでした。例えば大雪の時は,他の仕事をしたり,雪かきや修理などをしなければなりませんでした。(2)P31の陳述
学徒動員で,昭和19年5月中旬から6月にかけて被告鹿島建設の事業場で就労したP31は,陳述書で次のように述べている(甲総26の2)

α18発電所建設工事には同年5月中旬から6月中旬まで約1か月間従事しました。私達学徒は,宿舎に泊まり,午前8時から午後5時まで力仕事をしており,食事は3食とも白米のどんぶり飯・みそ汁・漬物が出て量はまあまあでした。ここでは中国人は,主に発電所の建設の基礎工事に200名程度が従事しており,ジョレン・スコップ・ツルハシなどで砂,砂利を掘り出し運搬する力仕事をしていました。仕事時間は学徒よりも長かったですから,午前7時頃から午後6時頃までだったのではと思います。また,休日が決められていることはなく,仕事をしなくて済む日は雨が降った日だけでした。食べ物は昼食しか見ていませんが,こぬかのような粉でできた直径7,8cm,長さ20cmくらいの「マントウと呼ばれるもの1個と塩だけの汁(塩
湯)でした。自分たち学徒なら3本くらい食べなければとても足りず仕事ができないと感じていました。

(3)更に,
本年9月8日付信濃毎日新聞29面
(甲各B11)によると,P31と
同じく学徒動員で発電所建設工事に携わった木曽谷勤労動員を語る会の面々が,被告鹿島建設α1事業所があったα25α26近くの中国人慰霊碑に集まった際,同会のP48幹事について,
幹事のP48さんは,すぐ脇を流れるα27川の河原でトロッコに砂利を積み込む作業をした当時を振り返りながら,「中国人は我々よりはるかに危ない作業をやらされていた。私の人生が終焉を迎えても,木曽での記憶は文書で後世に伝えたいと語った。」と記載されている。中国人は,トロッコに砂利を
積み込む作業よりもはるかに危ない作業をさせられていたというのである。(4)これらの陳述によれば,被告α1事業場で居住・就労させられた中国人が,きわめて厳しい生存条件にあったことは明らかである。
2
特筆される官憲の取締り

(1)外務省から派遣された調査員P49による華人労務者調査報告覚書(甲総2・
89頁以下)は,被告鹿島建設α1事業場においては,とりわけ,官憲による労務管理的取締りが厳しかったとして,次のように述べている。
本事業場の第二の特質は,警察権力の強力に作用したる点にあり。警察権の及ばざるは単に作業面のみにして,生活管理面に於ては全面的に作用し,配給関係は勿論のこと入浴等に至る迄厳重なる取締監視を行ひたり。而も其の取締干渉たるや,凡そ労務管理とは縁の遠き文字通りの取締にして,華労の心情健康衛生等を全然無視したるものなり。時には業者が華労の労力を犒ひ健康を復するため入浴を行はせしめんとしたる折,之を禁止したることすらあり。爰に至っては警察官個人の性格も相当大なる要素たり得べきも,当時内務省方面の無理解なる封建的態度の一反映とも見らるべし。業者が警察の取締により如何に労務管理に苦心し不都合を感じ而も此の苦衷を訴ふるに由なく,今回の調査に当りても,後の災害を思ひて敢て警察の非を口にし得ざる状態にありしやは,本調査員の深く感得せし所なり。宜しく警察官自体の報告に基く詳細なる労務管理上の報告を別個に求むべきなり。本事業場に於て11名にも上る思想犯を出したる根拠に就ては詳細知り得べからざるも,彼等の反戦思想に対して此の警察管理の不当性が,何等かの関連を有するやも知れざることは想像し得る所なり。又組倉庫に対する大々的なる集団窃盗の行はれしことも,本件と関連を見出し得るものと思考す。少くも華労の反感は大なるものあり。本調査に当りて当時の関係警察官の態度頗る逃避的隠蔽的なること,亦本件の真実性を裏書きするものと思考して可ならん。(2)連行した中国人に対しては,すべて移入華人労務者取締要領が適用されており,そこでは逃亡防止と外部との連絡遮断を確実にする施設の完備と監督体制が求められており,さらに,①入国時における抗日不逞分子か否かの綿密周到な措置,②逃走者あるときは直ちに捜査手配をなし発見すること,③宿舎への関係部外者出入禁止,④作業場での朝鮮人俘虜や他の中国人との接触禁止,⑤外出禁止,⑥信書授受の制限・禁止などが明記されている。
(3)それに加えて,被告鹿島建設α1事業場では(1)のとおり,とりわけ厳しい労務・生活全般にわたる管理・取締りがなされたのである。これを,事業場報告書(甲各B9)の記述からみると,①中国人担当の警察官が6名配置され,②食料は1人1か月当り,穀類30キログラムが基準とされていたが,当該中国人担当警察官が,内務省の命令であるとして8キログラム減らし,途中から月22キログラムしか中国人に与えられなくなり,③さらに,厳重な取締りの結果,昭和20年3月26日に中国人数十名による倉庫在中食糧等窃取事件がおき,同月28日から翌4月2日にかけて,発電所爆破計画があったとして,11名が検挙された(甲各B1・209頁)なお,。
この11名による木曽谷事件の一員として検挙・投獄された前述のP47によれば,そのような発電所爆破計画は,全くのでっち上げであり,逮捕後1か月間木曽警察署に留置されていた間に受けた,逆さ吊りや水責めを含む7回の拷問が一番の苦しみだった(甲総67・13頁)。
3
逃亡事件

(1)被告鹿島建設α1事業場から,P32(26才)
,P33(29才)
,P34の3
名が逃亡し,昭和19年6月5日に逮捕された。P32及びP33は,木曽福島警察署に留置されているところを更に逃走し,長野警察署に留置されるうち同年10月30日に同署巡査を絞殺しようと図ってこれまた未遂に終って逃亡した。その後,P32は追跡されて千曲川に身を投じ,同年11月22日に死体で浮上し,P33は逮捕されて篠ノ井警察署に留置中,昭和20年2月14日に病死した。(甲各B10・1
77頁)

(2)これについて,学徒動員で当時,α1事業場で働いていたP31は,陳述書で次のとおり述べている。
6月上旬頃かと思いますが,配属将校から「中国人が)3人逃げた,気をつけ(ろ,見たら通報するようにと訓示があり,翌日にはα27村で2名がつかまったから残りの1名を探しに行けと指示され,学徒30人くらいで三八式歩兵銃を持たされて出発しました。α27村にある森林鉄道のα28という駅に着いたら,2人の中国人が電柱に縛りつけられていました。2人とも警防団からリンチを受けたらしく半死半生の状態であり,1人は立ってましたが1人は電柱に縛られ身体中血だらけのまま地面にぐったり尻をついていました。残る1人を探すため山狩りを開始しましたが,下の方で見つけたとの声があり,降りていったらつかまっていました。その中国人を森林鉄道の線路の上にすねを当てて座らせていました。
何才かと問われ
て36才と答えたのを聞き,私は自分の父は38才だ,彼らはなんでこんな目にあうのかと憐れな気がしました。木曽福島の警察署から来た2名の警官と共に,α28駅から森林鉄道で帰りましたが,その車両の中でもその中国人は土下座をさせられていました。そのような目にあいながらもその中国人が堂々としていたことを覚えています。
彼は,
その後も何回か逃走をしてはつかまり,
最後は自殺したと聞きました。

(3)前述のα25在住のP5068才(仮名)によると,被告鹿島建設α1事業場で3回の逃亡事件があり,上記のものはその第1回目であるとする(甲各B10・120頁)

鹿島組では,連日,中国人の死者がでました。発電所をつくる現場のすぐ横に俘虜の飯場があったんですが,死者が出ると,少し上流の焼き場までの川沿いの道を中国人が列をつくって,小さな声で歌を歌いながら運んでいったものです。うなり声みたいな泣き声でした。中国人たちの顔色は土みたいで,半病人も同然。目の見えない人まで働いていたようです。私が記憶しているものだけでも3回脱走事件がありました。1回はお山(α19山のこと)の頂上のほうまで逃げたとかで,警察がサーベルやピストルを持って山狩りにきました。地元の警防団が2日くらい総出でさがしまわってつかまえた中国人は,ピストルで足を撃たれ,血をしたたらせながら,トラックに積み込まれました。ぐったりとなったのを,ナワで後ろ手にしばり上げ,足で蹴とばしながら,まるで荷物を積みこむように放り込みました。私が見たのは2人ですが,そのとき5人くらい逃げたとか。たしか昭和19年の秋ごろだったですね。その年の冬,ある寒い朝に,森林鉄道沿いの道で,気味のわるい一団が,上流のα27村のほうへ行くのに出っくわしました。山仕事にいく途中の私は山沿いの道で,頭が丸坊主の灰色の服を着た20人ばかりの一団が,よろけるようにして歩いているのを見たのです。“鹿島組の中国人だな”とすぐわかったが,よく見ると,先頭のほうに巡査が3人ばかり,そのあとに鹿島組の監督らしきのが3∼4人ついてくるんです。どうも様子が変なので,しばらく立ち止まって見ていると,中国人同士おたがいに肩を貸しあったり,背負ったりしている。よろけて,監督にどなられているものもいる。目の見えないのも混じっていたらしいのです。みんな顔色は鉛みたいで,皮膚病なのでしょうか,顔といわず腕といわず,ボロボロにくずれたものもいました。私は途中で横道へそれたんだが,一団はずっと奥に消えていきました。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしました。あの20人ばかりは,伝染病かなんかで使い者にならなくなって,口べらしに山の中で殺されたのではないでしょうか。昼過ぎに山から帰るとき,先ほど付き添っていたうちの若い巡査が,α27のほうからひとりでもどってくるのに出会いました。(4)このような官憲による厳しい取締りに日夜置かれていれば,それ自体強制労働である。しかも,現実の生活・就労条件は地獄だったのである。被告事業場での強制労働性が顕著である。
4
信用しえない事業場報告書

(1)被告鹿島建設は,事業場報告書を引用して,安全配慮義務を果たした旨主張している。
(2)しかし,2004年7月9日に高裁段階で初めて請求許容判決をなした広島高裁判決でも,事業場報告書について,待遇に関しての記載は,事実と異なる部分が多く,信憑性が低く,賃金支給にしても,実際上は記載どおりには行われていない(63
頁)戦犯追及に対する懸念から,労働・衣食等の処遇や死亡原因等については,,事実が歪曲・隠ぺいされている部分が少なくない疑いがあるとされている65頁)(
とされている。
(3)これは,被告鹿島建設が作成した本件事業場報告書についても同様である。例えば,
核心となる中国人の労務内容についての記述をみると,
甲各B9号証においては,華
人労務者は専らトロリーによる土砂運搬作業に従事せしむ
(187頁)土砂運搬,は特別訓練の必要なく,無経験者にても良くなしうるにより,特に事前訓練はせず)(直接現場において世話役指導のもとに就労せしむ(193頁)華労は最も簡単な,るトロ押作業に従事せしめ,体力に応じて作業なさしめ,苛酷な労働を課すが如きなし(204頁)と記載されている。要するに,中国人はすべて誰にもできる最も簡単なトロッコを押す作業のみに従事させていたとのくどいまでの記述である。(4)しかし,同号証378頁以下の公傷顛末書をみると,P51・P52のようにトロ押作業中の傷害との記載ある者に並んで,
P53落石によりP54,水槽工事作業に従事中水槽工事作業に従事中混凝土混合機にはさみP55,水槽工事作業に従事中落石によりP56,水槽地区急坂地域にて作業に従事中上方より落下せる超手拳大の角石が右側頭部に落下しなどの記載がある。
いずれも,
α1作業所就労中の事故である。どこにもトロ押し作業中とは書かれていない。また,P31は,中国人がジョレン・スコップ・ツルハシなどで砂・砂利を掘り出し運搬する力仕事をしていたと陳述しており(甲総26の2),P13も仕事の内容は,穴を掘り,トロッコで石を運ぶことでしたと述べており甲各B2の1)


トロッコ押し作業だけでなく,穴を掘る作業もしていたとしている。これらによれば,中国人は,被告鹿島建設α1事業場において,トロッコ押し作業だけでなく,他の重労働をさせられていたことは明らかであり専ら簡単なトロッコ押し作業のみに従事させた旨の事業場報告書は虚偽であるとしか言いようがない。ことほど左様に,事業場報告書の記載は信用できないのである。
(5)
その事業場報告書においてすら,
次に列記する実情にあったことが明記されている。
①当時,華北においても食料事情悪く,ために労工輸送中の食糧も品質粗悪にして,下痢患者続出せり。かかる状態にて滞留せる結果,華人の不平爆発し物議を醸したること再三あり(188頁)

②資材を入手する困難は日を追って激しくなり,華労移入時にありては並々なくまた労若を伴えり(194頁)

③衛生思想なき華労は,
悪性眼病者の洗面器を用い同一湯を順次使用し洗顔せる結果,
意外に多数の眼失者を出せり(195頁)

④相互言語の相違は,医師・指導者・管理者の指示を華労に徹底せしむるにますます困難なる状況ありし(197頁)

⑤胃腸炎の原因は,
中国における生活環境より来る体質虚弱・抵抗力弱化に加えるに,個人衛生思想の低劣による不摂生,例えば捨てられたる残飯,捨てられたる腐敗食物等を密かに人目を盗んで拾い食うが如き事実並びに大腸菌の侵入・活動等によるものなり(198頁)

⑥宿舎の採光は,窓ガラス入手困難のため不十分なりき(200頁)。
⑦医療薬品及び材料の不足は,必要量に対し,十分といえない状況にあり。特に,華労の全身的頑固なる湿疹・疥癬などに対する医薬品が十分とはいい難く,ようやく最低必要限度を満たした程度なり(200頁)

⑧蝿・蚤・虱の発生防止につき,薬剤の入手が困難もありて,これらの発生を徹底的に防止せしめ得ざりき(201頁)

⑨華人は独立の宿舎に収容,朝鮮人とは隔離し,同一作業場に就労せしめざるよう注意す(206頁)

⑩食糧・衣料に対する不平,これが増配を要求せられたるも国状の許す限りにおいて配給せり(210頁)

⑪付表16(送金,生活必需品調達(主食・副食・調味料は標準のとおり履行せず),
逃亡者を捕らえたとき原則として事業場に戻す(警察の命令により,警察署に留置のまま戻さず)
)に記載の如く契約条項の履行に努力せるも,国情によりやむをえず不履行せるものあり(211頁)

⑫華人係警察官6名は,常時華労に接触,厳重なる取締りをなす(212頁)。
5
毎日,月を見ては泣いていたP13
これまで述べたところによれば,P13はα9収容所において拷問・酷使された後,強制的に被告鹿島建設α1事業場に移入させられ,約14か月間にわたり,空腹・厳寒・強圧の下で重労働を受け続けたこと明らかである。当時20才であった同人が,陳述書で次のように述べていることに十分信憑性がある。
(甲各B2の1)

仕事の内容は,穴を掘り,トロッコで石を運ぶことでした。

収容所は草敷でした。冬は大変寒かったのを覚えています。寒さで足が痛くなりました。

日本人は「仕事を早くと刀を使って脅かしていました。

休暇は一切ありませんでした。

給料についても全く支給なく,説明さえありませんでした。

それよりも私たちは,毎日が厳しく,明日生きていればそれでいいという状況で給料どころではなかった。

収容所の食事は饅頭でしたが,米糠のカスで作られたものでした。漬物は極少ないものがたまに出されました。あとは水を飲んで飢えをしのいでおりました。

私は,毎日,月を見ては日の移り変わりを知り,毎日,月を見ては泣いていたのです。家のことを思い出しては帰りたいという思いで一杯でしたが,考えても仕方なく結局泣いていただけでした。

以上のとおり,P13は,文字どおり,強制連行により,強制労働をさせられたのである。
6
可能な限り努力したとの主張に対し

(1)被告鹿島建設は,事業場報告書を引用しつつ,食糧をはじめ多くの待遇の面について,
可能な限り努力したと主張する。
(2)しかし,このような主張は到底認められない。
第一に,可能な限り努力しても,膨大な死者・傷害者・不具廃疾者を生むような状況であったのなら,そのような中国人を移入すべきでなかったし,万が一,移入後にそのことが判明したというのであれば,その時点で直ちに,丁重に中国に送り届けるべきである。
第二に,被告鹿島建設を含む当時の大企業は,決して国策に黙ってついていったのではなく,自己の利益のために何の適法性もない,違法性にまみれた中国人移入を積極的に推し進めたのである。
第三に,被告が依拠する事業場報告書は,戦争責任を免れる目的で作成されたのであり,被告鹿島建設の有利にその記載内容を援用することは,前述のとおり,できうるものではない。
7
P13は賃金を受領していない

(1)被告鹿島建設は,被告鹿島建設α2出張所が,中国人に支払うべき賃金を,1000円以下については現金支給,残金(1000円を超える金額)については,これを出港地佐世保の海運局に預託,及びこれに対する保管証の各中国人労働者への交付という方法で支払ったことは明らかであると主張する。
(2)しかし,被告鹿島建設α1・α2の各事業場報告書である甲各B1によると,α1事業場での就労分については,その208頁の四)生計状況(4)現金支給額(
の項に,
転出先へ送金とあるものの,α2事業場の四)生計状況のところ

をみると(同227頁)(4)現金支給額ナシ」とあるだけである。α1事業場の

分も含め,どこにも現金を支払ったとの記載はない。(3)仮に賃金のうちの幾分かが現金で支給されたとしても,各中国人本人の手にきちんと渡された保証はどこにもない。同208頁の「給与支払方法

の項には,隊長より隊員に配給すとある。隊長がその全部又は大半を自分のふところに入れている可能性が大いにある。
(4)P13だけでなく,P47(甲総67・19頁)も,賃金の支払いを受けていないと述べている。
(5)むろん,保管証で支払ったという分は,中国人本人の手に,中国で使用できる中国紙幣と交換されたとの立証がない。
8
なお,被告鹿島建設が,戦後,日本政府より中国人を就労させた事による損失補償金として,金346万1544円を受領していることは,従前主張しているとおりである(甲3の5・707頁)


被告熊谷組関係

第1
1
当事者
P14は,
華人労務者就労顛末報告書
(事業場名:熊谷組α3作業所)
(甲各C
1。以下事業所報告書という。
)によれば,次のとおり記載されている。
(附表
四個人別就労経過調査表168丁)
氏名
P22

素質年齢
22歳

出身地

農業


α9

応募地

河北

募集機関

労工協会

募集方法

行政供出

乗船名

第2弓張丸

乗船港

塘沾

乗船年月日

昭和19年6月17日

上陸港

下関

上陸年月日

入歴訓移
藁城県<以下略>

昭和19年6月20日

受入事業場名

α3作業場

受入年月日
転出先

α4作業場

転出年月日

昭和19年10月8日

転出先

中間異動

昭和19年6月21日

α5作業場

作業場出発年月日

昭和20年6月25日

(2)強制連行時の状況
P14の本名はP21である。日本に連行された当時,
P14
(名簿上
の表示はP22
)という名前を使っていた。○年○月○日生まれである。河北
省藁城市<以下略>で生まれ,そこに居住していた。
P14は,晋県の駅で警備員として勤めていた20歳の時に日本軍に捕まり,晋県にある日本の憲兵隊に連れて行かれ,そこで,酷い拷問を受けた。日本の憲兵隊には5日間いた。その後,石家荘にあった日本軍の1417部隊に連行された。1417部隊には1日だけいて,その後,石家荘にある収容所(α10」という所にあった。)に連行され,約1か月ほど収容された。P14は,日本軍に捕まった当時,結婚しており,子どもが2人いた。妻子の他には,祖父母,両親,妹がいた。(3)日本における原告の強制連行の状況昭和19年6月17日塘沾港で乗船同月20日下関港上陸同月21日熊谷組α3作業所受入同年10月8日福島県,熊谷組α4作業所へ配置換え転出20年6月25日岐阜県,熊谷組α5作業場へ異動。終戦同年12月南風崎から出港,L.S.T(米軍艦)で帰国3日月日不明塘沽港で下船(4)中国に帰国後の状況P14は,塘沽で下船してから,小さな汽車に乗って天津に着き,天津で乗り換えて,家へ戻った。日本から中国へ戻るときには働いた賃金は,一銭も貰えなかったので,金はまったく持っていなかった。中国では,無料で汽車に乗ることができたので家まで戻れた。家に戻ったときには,2人の子どもは亡くなっていた。子どもが亡くなった原因は,P14が強制連行されたために,妻が毎日P14のことを心配するあまり,子ども達の面倒をよく見られなくて,子どもが病気になったためである。経済的にも苦しかったので,満足に治療してもらうことも出来なかった。なお,妻や両親は元気であった。P14が強制連行されたことによって,家族の家計はとても困難になった。農民なので,P14を釈放してもらうために働きかける金を作るには,家のものを全部売るしかなかった。妻は,毎日,P14のことを心配して家の物を全部売った金でP14を釈放してもらうように頼んだが,結局は釈放してもらうことが出来なかった。2被告(1)被告熊谷組の概要被告熊谷組は,明治31年,P57が土木建築請負業を開業したことに始まり,以来,鉄道工事,水力発電所工事に従事し,昭和13年株式会社に改称した。当時,本社は福井市<以下略>にあった。被告熊谷組は,現在,建設工事の調査,測量,企画,設計,施工,監理,技術指導その他総合的エンジニアリング,マネジメント及びコンサルティング並びに請負等を目的としており,1997年(平成9年)当時,資本金820億円余,売上高9300億円余を擁する大企業である。当時の被告熊谷組には,全国に7事業所があった。長野県内には,α3作業所下(伊那郡<以下略>所在),とα29作業所(東筑摩郡<以下略>所在)の2箇所,福島県には,α4作業所(耶麻郡<以下略>所在),岐阜県には,α5作業所(稲葉郡<以下略>所在)とα30作業所(高山市<以下略>所在),静岡県にはα31作業所(富士郡<以下略>所在),神奈川県のα32作業所(津久井郡<以下略>所在)である。(2)被告熊谷組全体の強制連行者数被告熊谷組は,土建業界では4番目に多い計1705名の中国人を移入し,次の4各事業所に移入させた。α3作業所(発電所建設)397名α4作業所(発電所建設)512名α32作業所(発電所建設)292名α31作業所(飛行場建設)504名そのうち,昭和19年10月8日,α3作業所から200名が,α4作業所へ転出させられた。また,同年12月24日,3名が地崎組北海道へ異動させられた。その後,後述するように,中間異動を経て,昭和20年1月20日,α3作業所へは,α4作業所より686名が移入された。そして,その後,次のとおり他の事業所に転出させた。野村鉱業α15作業所へ(昭和20年5月31日)297名α5作業所へ(同年6月16日∼同月25日)513名(3)被告熊谷組が移入した中国人の概要被告熊谷組が移入した中国人1705名が,終戦後中国に送還されるまでに置かれていた状況の概要は,次のとおりである。死亡者179名(内訳)α3作業所62名α32作業所22名α29作業所7名α31作業所49名α30作業所3名α5作業所23名α4作業所13名第2α3作業所での被害概要1α3作業所への移入目的被告熊谷組は,日本発送電株式会社が計画したα13水力発電所建設工事を請け負った。日本発送電株式会社は,α13水力発電所の建設を計画し,これに基づいて長野県下伊那郡<以下略>地籍に天竜川の流水を利用して,高さ60メートルの高堰堤を築造し,水量220立方メートル,落差46メートル,出力83000キロワットの発電所を建設することになった。当初の労務見込延人数は,135万人必要であった。当初,内地人(日本人),朝鮮人により施工する計画であったが,戦争の進展に伴い,労務の補給が困難となったこと,及びコンクリート用砂利採取に労務の補強を必要とするに至ったが,日本人及び朝鮮人労務にのみ信頼することが期待できない状態に鑑み,比較的作業が容易な砂利採取作業を中国人労務者によって労務の補給をさせることに決定した。2工事の概要昭和15年7月7日,工事に着手されたが,その後,1945(昭和20)年5月31日限りで,日本発送電株式会社は資材不足その他の理由により,α13水力発電所建設工事を中止することに決めた。中国人労働者は,同年5月31日ないし6月25日までの間に,北海道の野村鉱業株式会社α15鉱業所(作業所),及び岐阜県の熊谷組α5作業所へ転出した。戦後,α13水力発電所建設工事が再開され,1952(昭和27)年に完成し現在に至っている。3中国人の受け入れ概要,受け入れ施設など(1)受け入れ概要昭和19年6月17日,中国塘沾港出港,397名同月20日,下関港上陸同月21日,α3作業場,397名受入れ(2)α3事業所の概要①長野県下伊那郡<以下略>現場②同村<以下略>現場P58中隊(P58建設隊長)198名P59中隊(P59建設隊長)199名(3)中国人の年齢,職業,教育程度等について(甲総3号の3,第9「移入集団別素質一覧表)①年齢

最高46歳,最低15歳,平均28歳

②職業

主として農民

③教育

日本語を解す者6名,文字を解する者217名,小学校卒161名
④健康

中等

(4)中間移動の状況
①昭和19年10月8日
P58中隊より99名,P59中隊より101名,計200名が,福島県α33町日本発送電株式会社α14水力発電所建設工事,α4作業所へ配置換えのため転出する。
②昭和20年1月10日
α4作業所へ転出した200名,
及び当初からα4作業所へ移入された487名,
合計687名が,α3作業所へ移入される。その結果,
ア)P58中隊へは,235名配置し,残っていた99名と合わせて計334名となる。
イ)P59中隊へは,241名配置し,残っていた98名と合わせて計339名となる。
ウ)α34中隊を新設し,211名配置する。
(長野県下伊那郡<以下略>現場,α34中隊(P60建設隊長))
以上合計配置人数は,計884名となる
③昭和20年5月31日∼6月1日
昭和20年5月31日α13水力発電所の建設中止に伴い,297名が北海道の野村鉱業株式会社α15鉱業所(作業所)へ転出する。
④昭和20年6月16日∼25日
岐阜県α5作業所へ513名が転出する。
(5)中国人移入者数の推移(まとめ)
移入延べ人数

1084名(実移入人数

第1次

397名

第2次

884名)

687名

転出延べ人数

1010名(実転出人数

810名)

第1次(昭和19年10月8日)

200名

第2次(昭和20年5月31日,6月1日)

297名

第3次(昭和20年6月16日∼25日)

513名
その他の減少①逃亡者の移転
②死亡

3名
62名(送還時下関で死亡の1名は除く)

③中途帰国
4
8名

労働状況

(1)労働内容は,砂利採取を主とし,一部は雑役として器具器械,セメントその他諸物品の運搬に従事させた。
(2)配置職場
①P58中隊

α35砂利採取現場

②P59中隊

α36砂利採取現場

③α34中隊

α37砂利採取現場及び雑役

(3)作業状況
①交替制

昼間のみ就労し,交替制を認めず

②労働時間

午前6時より午後6時まで
休憩時間午前1回,午後1回,各回15分宛,昼食時は1時間

③作業日数

1か月30日

(4)生活必需品の給与状況
中国において,①作業衣上下各1,②シャツ上下各1,③靴下1,④巻脚絆1,⑤ズック靴1,⑥帽子1,⑦手袋1,⑧毛布1,⑨布団1,⑩軍手1,の現品を与えただけであった。
5
α3作業所での被害状況

(1)P14は,α3作業所に昭和19年6月21日から同年10月7日までの約3か月半の間,収容され労働させられた。その後,同年10月8日,福島県のα4作業所へ配置換えのため転出したあと,同20年6月25日,岐阜県のα5作業所へ転出させられ,そこで終戦を迎えた。
(2)α3作業所では,62名が死亡している。これは,被告熊谷組の事業所の中では,最も多い死亡者数である。
死亡原因の内訳は,次のとおりである。
病死(胃腸カタル,肺病など)

45名

溺死(行方不明含)

15名

事故死

2名(墜落事故,落石事故)

(3)また,α3作業所での不具疾病者は,24名である。
その内訳は,次のとおりである。
両目失明

19名

作業中の外傷性の骨折等

2名

関節リュウマチ,座骨神経痛

3名

(4)中国人労働者の死亡,不具疾病の原因について-酷い栄養失調-α38ダム工事においては,中国人労働者は,劣悪な諸条件のもとで,わずか1年足らずの期間に,多くの死者,不具廃疾者を出した。


死亡原因で一番多いのは,胃腸カタル,肺病などの病気によるもの46名であるが,病気の原因となった要因は,栄養失調であった。これは,当時,α3作業所で中国人労働者の診療もした医師のP6186歳,

下伊那郡<以下略>在住)
が,病気による死亡者について,
病名は,大腸カタル,大腸炎,肺炎など,さまざまに付けられたが,もとは栄養失調だったと述べていることからも裏付けられる。
(甲各C7号)
この陳述からもわかるように,病死の主たる要因は,食事をはじめとする劣悪な条件や過酷な労働によるものであり,きちんとした治療も受けられず亡くなったものである。


α3作業所では,不具疾病のうち,
両目失明が19名に達しているのが特
徴である。土建業者のなかでは,不具者が第7位となっている。また,被告熊谷組のα5作業所での不具者についてみると,不具者44名全員が失明したことになっており,不具者第2位
(受入に対する百分率8・6パーセント)と
なっている。
これは,食糧支給不足によるビタミンAの栄養失調により,トラホーム患者が失明にまで至ったものと考えられる(甲総2・39頁・99頁)




渡船転覆事故について
15名が死亡した溺死は,1945年3月19日午前7時頃渡船転覆事故による犠牲者である。この事故については,事業所報告書によれば,昭和20年3月19日午前7時頃α35地籍天竜川左岸より右岸地籍の砂利採取場へ出発のため,渡船に34名が乗船(中国人30名,船頭P62),本流を経て,右岸に到着せんとする際,乗船中のP63(31歳)(P58本隊第2中隊長)が船先にて竿を指したるに,その竿が適当でなかったため,船先は本流に向かい,押し流されて,船頭の意の如くならず,ついに流船し下流に船頭はなおも安全な場所に漕ぎつけようとして,約60メートル程流されながらも左岸に漕ぎつけたるも,未だ岸に到着せざる前に,乗船中の華労は恐れを為し居る為め,一斉に船より岸に飛び出さんとして船の一方に重量を加えたる為め転覆し,残りの乗船者15名は忽ち漂流溺死したるものなり。(甲各C6・124頁)と記載されており,就労場所へ行く途中での労働災害であった。

(5)逃亡事件
α3作業所では,移入後16日目の昭和19年7月6日,P64(当時26歳),
P65(当時28歳)及びP66(当時27歳)
の3名が逃走する事件が起こった。
即日発見され,和田警察署において,約4か月間留置され取り調べを受けた後,同年12月24日,地崎組北海道へ3名とも移動された(甲各C6号,137頁)。
異国の地である日本での,苛酷な労働状況や,食糧不足などが原因となって,逃げ出した事件であることが強く推測される。
第3

α3作業所での被害の実態について
α3作業所での労働実態や衛生実態などがいかに劣悪であったかについて,つぎのような直接体験した関係者の陳述等から明らかにすることが出来る。
1
P60(α34中隊の隊長)の陳述
P60は,α38ダム工事において中国人俘虜の中隊の1つであるα34中隊の隊長をしていた。P60からの聞き取り調査の内容は,
戦争を掘る
(甲総23
号・200頁以下)に収録されている。
(1)経歴
P60は,初代の軍人分会長であったP67が防衛隊常勤下士官として応召した後をうけて,1944(昭和19)年5月ころから分会長となりα34中隊長になった。3つの中隊のうちα34中隊が主導(中心)で,八路軍や危険思想をもっている者をα34中隊に集め,思想善導などの指導をした。α34中隊には,中国人俘虜が220人∼230人くらいいた。指導者が14,5名くらいいた。(2)中国人労働者の年齢等の経歴について
中国人は,軍(憲兵と軍属)が強制連行してきたもので年齢もまちまちで17歳くらいの若者から老人までおり,中には父子ともにいる者もいた。中国での職業や教育もまちまちで,農民が多かった。教員や警官もいた。(3)他の俘虜との取扱いの比較について
中国人俘虜は,朝鮮人や連合国軍の俘虜と一緒にしてはならないという決まりがあったが,同じ現場で働かせていたので咎めがありはしないかと不安だった。α34中隊の南側(現在は中学校になっている)には,連合国軍の俘虜の収容所があり,200名くらい収容されていた。これは軍直轄であった。
(4)労働実態について
①仕事は砂利採集,工事用資材の運搬などの雑役が主であった。②朝6時起床,
点呼,
作業の言いわたし等をしてから,
7時間から8時間働かせた。
③手当は一日5円,総隊長は15円となっていたが,直接渡すのでなく,被告熊谷組の方で通帳に積み立てることになっていた。
④工事は急がされていた。労働はきつかった。そのため充分な仕事ができず与えられた責任を果たせなかった。
(5)休日
休みは旧正月ぐらいであった。慰安会をして芝居,踊り,歌などもあったが心から喜べないようだった。
(6)食事
①食事は,小麦粉と代用のコヌカやフスマを6対4の割合で混ぜてつくったコッペパンに似た縦長のパンであった。このようなパンが一日3個と,塩水に近い汁だけであった。
②味噌は資材不足だったし,これだけでは到底空腹を満たすことはできず,近くの畑から野菜をかっぱらって来たりするので,何回か謝りに行ったこともある。③粗末な食事で栄養失調になる者(目が見えなくなってくる)が多くいた。目が見えなくなった者はまとめて本国に送還した。
(1945年3月にα3作業所より
病人8名を中途帰国させている。甲各C6・137頁)
(7)衣服,寝具
衣服は大部分が着のみ着たままであった。衣類はいくらか与えた。寝具は,毛布一枚のみであった。シラミがわいていた。
(8)衛生医療
医者がいやがって来てくれない。医者が来ても,患者に手をふれずに,死亡診断書を書いた。
(9)入浴
入浴についての記憶がない。入浴はできなかったと思う。
(10)遺体の処理方法について
はじめのうちは2日に1人くらいの割で死んだ。
山の中の火葬場へ運んでいき薪で焼く。指導員が棺桶をかついで,薪は中国人が運んでいった。火葬のない日はないほどであった。
(この火葬場では中国人だけで
なく川を流れてきた溺死者なども焼いたことがある。
)はじめは棺桶を1人ずつこ
しらえていたが,死者が多くて間にあわなくなり,同じ棺桶を何回も使うようになった。死者1人につき3尺(約1メートル)の薪30杷であった。遺体が焼ききれなくなると遺骨の一部を拾集して,残りは谷へすててしまうこともあった。拾集した遺骨は,α39というお寺にまとめて置いた。
現在,α39の境内には,
興亜建設隊殉職者之碑の慰霊碑が建立されている
が,これは,昭和22年,元中隊長P58によって建立されたものであり,ここには,中国人98名(内訳,α3作業所62名,α5作業所23名,α4作業所13名)の霊が祀られている。
(甲総63・50頁以下)
(11)その他
①万が一暴動が起きた時は,軍人分会の力を動員しで鎮圧にあたることになっていた。
八路軍など危険思想をもつ者はα34中隊に集め反抗しないように指導した。しかし,言うことを聞かない者,扇動をする者は懲罰として北海道へ選抜して送った。送られた者はとても悲しがって出発していった。とても他人事とは思えなかった。
(1944年12月,事業所から逃亡して捕まった3名は,千崎組北海道へ送られている。

②10代の子どもには作業に出ていることにして勉強をさせてやった。5,6人に便宜を図ってやったら,隊員が感激していた。中国に帰ってから手紙が来た。③隊長の中には上から来た物資を中国人に与えないで横流しするなどのことをした者もあったようだ。α13ダムが資材不足で工事中止となり多くの中国人俘虜は岐阜県<以下略>の飛行場建設に行って間もなく終戦となった。
終戦後間もなくα5作業所から代表がα3作業所へ来て,不正をしていた隊長を探したが,隊長はそれを察したのか逃げてしまった。代表の中国人は世話になった人々にお礼を言って帰国した。
2
P14の陳述(甲各C2ないし5等)

(1)宿舎
収容所の建物は,地面の上に屋根を直接置いたような形の物で,内部は真ん中に土間の通路で,その両脇が板張になっていた。その板張の所に,藁が敷いてあり,そこに寝ていた。
(2)寝具,衣服
中国で支給された布団を使っていたが,
布団と言っても,
蒲い毛布のような物で,
もうボロボロになっていた。衣服も中国で支給された物を使っていたので,冬は寒くてたまらなかった。仕方なく,中央の土間に穴をあけて,そこで火を燃やして寒さを凌いだ。
(3)風呂
収容所には,風呂はなかった。川の水で体を洗っていた。
(4)病院,診察室
なかった。
(5)食糧,栄養状態
一日三回,一回あたり一個の饅頭(マントウ)とニンニク2切れを与えられただけだった。饅頭は,タバコの箱二個分位の長方形のもので,米糠が沢山入っているようなものだった。そのため,原告らは,いつもお腹を空かせていて,ほとんど全員が栄養失調になっていた。しかし,栄養失調や病気になっても,医者に診てもらったことは,一度もなかった。
(6)作業内容
作業所では,1つの大隊が2つの中隊に別れ,その中隊は3つの小隊その下に3つの班に編成されていた。私の属していた班は,18人いた。私の班は,涸れた川の砂利や石を採って,その砂利や石を,2人1組で手押しトロッコで運ぶという作業をした。トロッコの砂利や石はとても重く,しかも,山を越えて運ばなければならず,とても過酷な重労働であった。
作業は,夜明け頃に笛で起こされ,昼休みが一時一問位あるだけで,暗くなるまでやらされた。労働時間は,1日10時間以上であった。
(7)監視状況
α3作業所では,原告らが住んでいる建物の一角には,警察官のいる建物があった。原告らを監視していた。また,仕事中は,熊谷組社員だったと思うが,必ず見張りの日本人がいて,
仕事をしろと言い,殴ったりして,作業を強制した。夜
だけ交替で監視に来る,若い日本人(P68)がいた。P68は,他の日本人と違って,原告ら中国人を罵ることも殴ることもしない,大人しくてとても良い人だった。
(8)休日
休日はなく,正月も休まなかった。ただ,船が転覆して中国人が多数死ぬという事件があった時には,二日ほど,作業が中断したことがあった。
(9)死亡者
私の班では,18名中,6,7名が死んだ。死亡した主な原因は,栄養失調になり体力が弱ったことである。酷い食事のせいで,栄養失調になり体が弱ってきているのに,無理やり仕事をさせられるので,寝込んで動けなくなる者も出た。そう言う人には,働けないのだからといって,饅頭の量を減らされる。多少具合が悪くても,皆無理をして働かなければならなかった。その結果,全く動けなくなる者が出てきた。そういう人は,日本人の命令で,息をしたまま棺桶に入れられる。そして,
息をしていないことを確認すると,直ぐ火で焼かれる。同じ班のP69という人も,このようにして焼かれた。私ともう一人が,彼が入れられた棺桶を担いで,オトナシという小高い山を登った所まで運び,火葬にした。彼の喉仏の骨を切り取り,近くのお寺(前記のα39のことを指す。
)に埋葬した。
3
α3作業所の事業場報告書は,信憑性が極めて低い。

(1)一般に,事業場報告書は,各事業所が中国人虐待の事実を隠蔽することに主眼を置いて作成されているため,中国の出港年月日,死亡者数等の客観的な数字は別として,労働実態,死亡原因等の信用性はかなり低いと考えられている。事業場報告書の信憑性が低いことの具体的事例について,見てみる。(2)食糧,栄養状態について
事業場報告書では,
食料ハ附表六二記載ノ如ク当局ノ特別ノ配慮ニ依リ小麦粉ノ「二二キロヲ主トシテ其ノ他比較的順調ニ入手健康保持及作業上ニ必要量ノ支給ヲ得ラレ日鮮人カラハ常ニ羨望サレ居リタルモノナリ」
(甲各C6・127頁)
と記載されているが,この記述は,前記P60の陳述と著しく異なっているだけではなく,外務省報告書ですらも,
右ハ基準量ヲ超エ信憑シ得ザル数字ニシテ恐ラク誤記多キニ依ルモノト推察セラレ(甲総3号証の4,434頁)と記し,各作
業所からの報告の信憑性に疑問を投げかけている。また,事業場報告書では,平均毎月1.50キログラム程度の体重の増加栄養失調者等は全然認められず,
(甲各C6・128頁)という記載があるが,これもまったく虚偽である。原告ら等に支給される食糧が量及び質の両面から見ても不十分であったこと,それによって,原告ら等が骨だけの痩せ細った身体になったこと,栄養失調により病死や失明の発症率が高率であったことなどからみて,栄養状態が劣悪であったことは明らかである。
(3)入浴について
風呂については,
風呂ハ無料トシ毎日使用可能ナル設備ヲ設ケルモノトスと
『華人労務者第十三回対日供出実施細目』に記載されているものに,実際には,入

浴についての記憶がない。入浴はできなかったと思う。

というP60の陳述や,それと一致するP14の陳述からみて,事業場報告書の記載内容は虚偽であると思われる。
(4)失明について
事業場報告書では,

失明者アリタルモ専門医ノ診断ニ拠レバ入場前花柳病ヨリノ失明デアルコトヲ認定シ居レリ。「不具疾病者(失明)十四名ヲ数フルモ之等

入場前既ニ罹病シ居リ其ノ原因不明ナリ」
(甲各C6・128頁)と記載されてい
る。しかしながら,失明については,上述したように,食糧支給不足による栄養失調が大きな要因となり,失明にまで至った事実をまったく無視しており,意図的に虚偽を記載したものである。
(5)P14は一円も給与を受領していない。
事業場報告書では,
給与は雇用契約に規定に基づき,正当公平に支払をなす

支払方法毎月20日を締め切り日として,翌月5日までに精算の上,労工協会駐在員立ち会いの下,総隊長を通じ各人に現金で支給する。,

生活必需品金額以外の残金は,各人名義の銀行預金として,貯金した。(甲各C6・132頁)と

いう記載があるが,いずれも虚偽である。P14が,
労工協会駐在員立ち会いの下,総隊長を通じ現金で支給されたこともなければ,同人名義の銀行預金も存在しないし,預金されていた事実もない。
(6)医療状況,死亡処理状況
死亡者の死亡診断書を見れば,病院へ収容して治療したという事実はなく,宿舎に留め置かれて放置されたに等しい扱いであった。また,医者が来ても,十分な治療をしない,死亡診断書の作成にあたっても,

患者に手をふれずに,死亡診断書を書いた。

というP60の陳述からすれば,死亡診断書の正確性も疑問となる。現地調査覚書(甲総2・61頁)には,

業者の提出せる死亡診断書及び死亡顛末書の正確度は極めて疑わしい。

という指摘がされている。また,死亡診断書の記載などの死亡処理状況に関しては,
P61(α40)によって死体診断書が書かれているが,当時1か月に多くて10名から15名の死亡者があり,一日おき,または三日に一度の割合で一里以上はなれた宿舎までおもむき死亡診断書を作製したとは考えられない(当地方の医師の数もきわめて不過多忙の折から)したがって,。病名などもきわめて一般的であり,届出報知によったものと推定。(甲総63・55頁)という指摘がなされている。
(7)まとめ
以上によれば,α3作業所の環境,食糧,衣服,医療衛生,労働,休暇,給与支払等のいずれにおいても,事業場報告書(甲各C6)の記載は事実と異なるものであり,その信用性は低いと言わざるを得ない。P14は,中国から強制連行され,劣悪な労働条件の下で強制労働させられていたのである。

第1
1
被告大成建設関係
当事者及び関係者
P15(P25。甲各D2の2)

(1)強制連行時の氏名はP25,労働者番号159番,○年○月○日河南省生まれ,強制連行された時の住所は,河南省南陽県<以下略>,1943年から国民党第12迫炮独立団に所属する軍人であった。洛陽の戦闘で日本軍の捕虜となり,鄭州へ連行され,
さらに石家荘の収容所に連行され捕虜として拘束されていた。
石家荘の収容所は,
建物の四方が電流の流れた鉄条網で囲まれ,日本兵が監視し逃げられなかった。建物は木造で,布団はなく,床に直に寝た。2か月以上拘束されたが,特別な訓練や仕事はなかった。
食事は,
家畜が食べるような粗末な高梁米のご飯であり,
おかずはなく,
3食同じでまずいものだった。石家荘の収容所では,毎日死者が出ていた。(2)1944年7月石家荘から天津に連行され塘沽港から船に乗せられ下関に連行された。連行の目的は何も告げられず,ただ捕虜にすると言われていた。下関から列車に乗せられ長野県木曽のα6に強制連行された。α6に着いてから強制労働に従事させられることを知った。強制労働は,トンネルを掘り発電所を作る仕事であった。(3)宿舎は,木造の真ん中に通路があってその通路を挟んでみんなが寝ていた。α6は寒く,冬には雪が降った。仕事中も宿舎でも寒かったが,厚手の毛布はなく,ひたすら寒かった。
(4)仕事は,2交代制で1日10時間以上働かされた。3交代制の時もあった。原告P25の仕事は,発電所を作るためのトンネルを掘り出た岩石を山裾に運搬する仕事であった。
(5)食事は3食ともマントウで,1食にマントウ1個が支給された。おかずはなかった。
多くの捕虜が腹をこわし,下痢をした。原因不明の失明が多く,原告P25の友人のP70も失明した。
(6)給料をもらえる話はなかったし,実際に給料をもらったこともない。2
P16(甲各D2,6,7)

(1)原告P9は,強制連行被害者であるP16の妻である(甲各D3の2)。P16は
○年○月○日生まれであり,1966年5月9日北京で病死した(甲各D3の1)。
P16の強制連行,強制労働時の氏名はP26であった。
(2)P16は,河南省鎮平県に住んでいたときに国民党軍に捕まり,さらに日本の捕虜になり,日本のα6作業所に強制連行されて強制労働に従事させられた。(3)P16の妻である原告P9が亡夫から聞いたところによると,P16は,重い石を籠に入れ運ぶというとても疲れる強制労働に従事させられた。転倒し多量の鼻血を出したこともあり,時々監督から理由なく棒や鞭で叩かれもした。原告P9が1958年にP16と結婚したとき,P16の背中の下の方に鞭で打たれできた約15センチメートルの傷が筋になって残っていた。
幼い娘がその傷にさわりこれどうしたの?」

と聞いたときP16は「日本人に叩かれた傷だよ。

と話していた。P16は,水牢で拷問を受けたとも話していた。釘のような尖ったものが敷き詰められ,その中に入れられ,それが足に刺さったと話していた。実際,原告P9は,P16の両足の裏に黒く変色した斑点がたくさんあるのを見ている。P16は,原告P9に,

日本で世の中のむごいことを体験した。これ以上ない酷いことを体験した。一緒にいた中国人の中で多くの人が死んだ。生きて帰れたのは幸せだ。

と話していた。(4)P16は,α6作業所での食事は粗末で,ドングリで作った饅頭を食べさせられたとも話していた。P16はα6で胃を悪くし,原告P9が1958年に結婚したときP16は痩せており,胃が痛み仕事ができない時もあった。P16は,胃ガンで1966年5月9日に死亡した。
第2

α6作業所の概要(以下は,甲総2,甲総3の1ないし5,甲総26の3,甲総6
6,甲各Dの8など)
被告大成建設が,日本発送電株式会社から請負ったα16水力発電所の建設工事の作業所である。
この発電所の建設請負は,緊急工事であり,工期が極めて短縮されたので多数の労働力が必要になった。しかし,当時,日本国内及び朝鮮半島の労働力は,日本政府の国民動員計画により国内は枯渇し,植民地朝鮮からの労働力移入にも限界があった。このため,日本政府は,国内の労働力不足を補うため,厚生省,大東亜省,内務省,農商省,華北労工協会などが連絡,計画し,華北の中国人を強制連行し,強制労働に従事させることを決定し,石家荘の収容所(甲各D8の事業場報告書ではα9訓練所とされている。
)から中国人捕虜等を強制労働のためα6作業所に強制連行した。α6作業所の場合,昭和19年2月5日に,日本政府の計画及び華北労工協会の労工供出方(この実態は強制連行である。
)に基づき,被告大成建設が労工使用契約を締結
した。
工事現場は,木曽川右岸のα41発電所より下流に向かって第1工区,第2工区に分かれる。第1工区は川底並びに山腹部に隧道を掘削し,中国人らは土砂の搬出やコンクリート用の砂利採取に従事させられた。宿舎は2棟でその端に監視員の居た小屋があった。宿舎は,工事現場からは約200メートルの高台に位置し眼下にα41発電所が見えた。第2工区は第1工区に連なる山腹の隧道工事であり,中国人はズリの搬出やコンクリート練りの作業に従事させられた。本坑は,高さ約5メートル,幅約4メートル,全長約6キロメートル,1000分の1の傾斜であった。本坑には横坑が4本あった。隧道を掘る場所は全て岩盤であったがコンクリートが不足し岩盤が露出したままの箇所が多かった。
第3
1
α6作業所における中国人強制連行の概要
輸送
被告大成建設α6作業所の労務係2名が北京経由で石家荘の収容所(α9訓練所)に
行き,昭和19年7月10日午前7時38分に収容所を出発した。7月11日午前1時半にα17収容所に到着しているが,石家荘の収容所からα17収容所までは日本の軍隊20名が警戒に当たった。同年7月15日に塘沽港を汽船会寧丸に乗船して出港した。汽船会寧丸には船医は1人もいなかった。同年7月24日午前10時に下関に上陸し,到着後2隊に分けられ,1隊150名は当日午後7時15分に,他の1隊149名は午後9時15分に下関で列車に乗せられ,翌25日午後6時15分あるいは同日午後8時34分に木曽のα42駅に連行された。なお,α6作業所の職員4名の他,長野県職員3名が下関に派遣され,強制労働者の輸送の斡旋をした。2
連行された人数
石家荘の収容所における行政拠出(事態は強制連行)による人数は299名(300名の予定であったが1名は出発時病気のため連行されなかった。
)であり,明り工事に
100名,隧道工事に130名が配置された。

3
年齢構成
最低年齢は17歳,最高年齢は41歳,平均年齢26歳の男性であった。
4
連行前の前歴
連行直前は,244名が軍人,52名が帰順兵・囚人,その他が4名であった。
5
職業
元々の職業は,農業が198人,商業が36人,
学生が21名,大工・左官が14名,
教員が5名,理髪関係が3名であったと報告書に記載されている。
6
体格
中程度が100名,中等以下が199名と記載されている。

7
健康状態
全員不良であったと記載されている。

8
出身県
河南省が167名,河北省が57名,湖北省が24名,四川省が11名,山西省が6名などであった。

第4
1
α6作業所における中国人強制労働
強制労働の期間
昭和19年7月中旬から2年間の予定であったが,戦争終結により強制労働の期間は
昭和19年8月1日から昭和20年8月23日までである。
2
宿舎

(1)設置場所
1工区宿舎

α41発電所近くの木曽川沿岸の高台に新設された。

2工区宿舎

木曽川支流α44渓谷に新設された。

(2)構造・面積
1工区宿舎(α43宿舎,120名収容)は,木造平屋,壁は4面板張,出入口引戸,窓は1間窓で1棟に12箇所,間口3間,長さ16間,面積48坪が2棟,室外に風呂場,炊事場,物置などがあった。
2工区宿舎(α44宿舎,179名収容)は,構造・面積は1工区のα43宿舎と同じであるが,3棟存在した。
(3)1人当たり畳数

約1畳

(4)暖房

11月から3月の間,一棟に焚火3ないし4箇所

(5)燃料

木炭,薪,製材所の板屑

3
医療衛生事情と死者

(1)宿舎には病院,診療所は設置しなかった。α6町やα45町の医院に嘱託医を依頼した。
(2)概要
昭和19年7月の強制収容時,胃腸障害,皮膚病による疾患が多かったと報告されている。収容後も胃腸障害を来たし,これが死亡原因となった事例が多数報告されている。また,トラホームが多発し,その悪化により視力が減退,失明したものが多発したと報告されている。死亡者と疾病状況の詳細は,後記の通りであるが,外務省現地調査報告書(甲総2・61頁)によると,
死因の内最も多いのは消化器系統の疾患と壊疽性潰瘍である。前者は大腸炎,胃腸炎等の病名を附してあるが,その大部分は栄(営)養失調症にして,食料の絶対的不足,就中脂肪摂取量の不足と大陸に比して湿度が高いため胃腸吸収活動が不調に陥り,これに対し何ら積極的な治療を加えなかった為に多数の死亡者を出したものと思われる。壊疽性潰瘍の原因はヴィタミンB・Cの不足による。と指摘されている。(3)入所時の健康診断
長野県庁保険課技師P71を招聘し,
全員の健康診断を実施したと記載されている。
(4)入浴

月10回程度と報告されている。

(5)疾病状況と死者
死者20名,不具廃疾者数28名(トラホームの感染による視力障碍者),重症罹
病者48名,軽症罹病者101名と報告されている。
死亡原因は,腸カタル8名,肺炎3名,気管支炎と腎臓炎が各2名,胃腸炎,肺結核,脚気,喘息,肋膜炎が各1名と報告されている。死亡の期間は,昭和19年7月28日から昭和20年7月5日の間である。強制労働が始まる昭和19年8月1日以前に2名の死亡者が出ており,死因は急性大腸炎とされている。中国人捕虜らは,α6に連行された時点で既に相当体力が減退し,健康状態が不良であった。また,強制労働が始まった昭和19年8月から,翌年6月を除き毎月連続的に死者が出ている。強制労働が始まった当初の8月が4名,翌年の4月は一気に6名の死者が出ている。強制労働は終戦後の昭和20年8月22日に稼働中止指令」
に基づき停止されたが,強制労働に従事しなかった同月23日からα6から帰還した昭和20年11月29日までの約3か月の間は1人も死者が出ていない。強制労働の実態は,毎月死者を出すほど過酷な強制労働であったことが明らかである。トラホームでの死亡者はいないが,重症罹病者28名,軽症罹病者60名と異常に多い。外務省の華人労務者調査報告覚書(甲総2・99頁)によると,被告大成建設のα6作業所は,トラホームで失明した不具疾病者が28名,受入中国人の9.4%にもなり,他の事業所に比較しても最も高い罹患率である。移入時点で既に角膜が侵され治療が遅れた者が多かったが,これにさらに野菜や油が不足したことによる栄養の不均衡が作用し,遂に失明したと思考される。のである。また,腸カタルは前記のとおり死者8名の他重症罹病者8名,軽症罹病者12名と報告されている。腸カタルや胃炎も栄養不足からきた死亡と考えられることは外務省報告書に記載されているとおりである。
被告大成建設のα6作業所に連行された中国人は合計で299名,平均年齢26歳の男性である。これらの捕虜が,1年余りの強制労働の間に疾病で20名が死亡し,重症罹病者が48名(内28名がトラホームで失明)
,軽症罹病者が101名出たこ
とは,衛生状態,食料事情,労働環境が極めて劣悪であったことを裏付けている。(6)事故死

3名
轢死1名,発電所内のマンホールに墜落死1名,火傷死1名である。(7)作業内容,作業量
水力発電所建設の為の隧道掘削,掘出し,コンクリート練り,運搬,打ち込み,骨材の採取運搬,坑内掘出しなどの土木及びこれに関連する雑役である。作業量は隧道堀出し29,000立米,明り工事切取り8,500立米,骨材採取を含むコンクリート工事5,600立米と報告されている。
(8)作業人員
1日平均の作業人員228人,延作業人員69,540人と報告されている。(9)作業方法,作業時間
2交代制で平均1日10時間,作業日数は年間305日,1か月平均25.416日である。夏は,午前6時から午後5時まで,冬は午前7時から午後4時までが通常の作業時間とされている。
(10)作業服
α6作業所に到達時,中国人らは夏服1組しか所持しておらず,作業所側は,作業服の入手に終始奔走せざるを得なかった。この事務は繁忙を極め,就労に悪影響を与えた。
(11)食料
外務省報告書(甲総3の2・33頁)によると,食料の問題は疾病死亡に最も大いなる関係がある。現地中国の乗船前における訓練所ないし船待生活における食料に起因すると推定される疾病,衰弱,死亡が相当ある。殊に華北労工協会により昭和19年後半以降に供出され塘沽港より乗船した者にこの傾向が顕著であるとされている。α6作業所の関係者は,食料確保のために終始百万奔走し,その事務は極めて繁忙であって,就労に悪影響を与えた。日本国内,とりわけ木曽地方は,当時,食糧事情に恵まれず,食料の確保は極めて困難だった。当時日本国内は油が底を付いていた。α46地区は,元々平時においても野菜が不足していた地域であったが,戦時においてはこれが甚だしく,終戦後は軍による特配もなくなりやはり野菜が不足していた。トラホーム疾患者は,わずかな栄養不均衡でも病勢が進行する(甲総2・100頁)ので,α6作業所によける食糧不足,特に油や野菜不足は明らかである。終戦後,戦時中の食料事情が不良であったことを理由に,中国人から1人当たり450円の弁償を要求され,作業所側はこの要求を受け入れ全額支払ったと報告書に記載されているので,食糧不足及びこれを原因とする死者や疾病者の多発は明らかである。
(12)管理方法
中国人は,大隊長,中隊長,小隊長,班長を指揮官とする軍隊式,集団生活・自治方式で管理された。作業所側は,大隊長,中隊長を通じて統治したのである。警察署は,日本人の警察官1名を専任として置き,また,作業所は中国系の指導員1名を配置し,衣食住その他一般の取り締まりに当たった。
(13)給与
終戦時まで毎月積み立て方式で給与が支給されたことになっている。しかし,作業服,綿のシャツ,チョッキ,タオル,地下足袋,手ぬぐい,靴下,冬の軍服等が有償支給とされ,送還時配給品代を差し引いたと報告書に記載されている。戦時中に5600円の国防献金があったとされているので,当然これも差し引かれたことになる。なお,原告ら等の多くは強制労働中はもとより,帰還時おいても給与は支給されていないと供述している。
第5

気候と降水量(木曽川取水口)
昭和

年月
20

3
22

-10

178.2

4
28



4
125.2

5
27



1
132.1

6
31

11

210.2

7
30

11

341.7

8
35

18

216.0

9
29

8
177.7

10

26

0
(昭和19)175.6

11

19



12

10

-10

1
10

-14

2
11

-11

21
第6

最高気温(度)

最低気温(度)

3.5

降雨量(mm

リットル)


144.0


20.2

(昭和20)

7.4
113.8

帰還
死亡者23名,逃亡者1名,中間帰還者2名を除いた273名及び作業所の職員4名,警察官2名,中国系指導員1名が,昭和20年11月29日午後3時47分あるいは午後7時にα42駅から列車で長崎県佐世保に向かった。同年12月1日に佐世保に到着し,米国船に乗船し帰還した。逃走した1名は,12月5日に帰還したとされている。

第7

遺骨
昭和19年7月28日から翌昭和20年7月5日の間に死亡した23名の遺骨は,昭和20年11月29日の帰還時に大隊長に引き渡したと報告書に記載されている。E
第1
1
被告飛島建設関係
日本に連行されるまで
原告P10
原告P10は,○年○月○日生まれで,八路軍に入隊後の1943年,河北省易県で日本軍と交戦中,日本軍に捕まり,その後,保定の憲兵隊に連行,監禁された。その後,北京のα11収容所に移送された。α11収容所は,煉瓦造りの壁で二重に囲まれ,壁の上には鉄条網があり,内側と外側の壁の間にも鉄条網が張り巡らされ,それには電流がとおっていた。入口には,銃をもった日本人が監視していた。そこでは何の仕事も訓練もせず,わずかに消化が悪いコーリャンだけで,満足な食料を与えられなかった。頻繁に暴力を振るわれ,毎日多くの死者が出た。原告P10は,α11の収容所に収容されてから約5か月ほどして青島に移送され,
昭和19年5月23日,
そこから日本に向け貨物船に乗せられ,同月27日,下関に着いた。甲各E2の1)(

2
原告P12
原告P12は,○年○月○日生まれで,八路軍に入隊後,河北県献省で日本軍と交戦中に捕まり,日本軍の駐屯地に居た後,河北省の河潤県に移され,留置場のようなところに収容された。その後,1942年旧暦7月ころ,北京のα11収容所に移送された。α11収容所は,堀があり,周りには鉄線(二重になっており,外側のものには電流が流れていた。
)が張り巡らされていた。監視は,日本軍であった。わずか
にコーリャンのみで,満足な食料を与えられず,特に,冬には消化が悪いことから多くの人が病気になり,毎日多くの死者が出た。暖房もなく,寒いときは体を寄せ合って寝た。原告P12は,その後,北京から青島へ移送され,昭和19年5月23日,そこから日本に向け貨物船に乗せられ,同月27日,下関に着いた。(甲各E3)

3
原告P11
原告P11は,
○年○月○日生まれで,
八路軍に入隊後の1943年11月26日,
河北省交河県<以下略>で,漢奸(日本軍に通じている中国人)に捕まり,日本軍に引き渡された。その後,河北省交河県の刑務所に収容され,さらに,献県の日本軍の部隊,天津の収容所を経て,1943年12月,北京のα11収容所に移送された。同収容所の周りは,外壁があり,その内側に堀があり,その内側に高圧電流が流れている鉄条網がついた塀があった。わずかにコーリャンのみで,満足な食料を与えられなかった。そこには病院はあったが治療はしておらず,多くの人が死亡した。原告P11は,その後,北京から青島へ移送され,昭和19年5月23日,そこから日本に向け貨物船に乗せられ,同月27日,下関に着いた。
(甲各E4)

第2
1
日本での強制労働
事業場報告書(甲各E1,26)には次のように記載されている。
(1)事業場(会社事務所)は,長野県西筑摩郡<以下略>にあり,作業現場はα27村村内の三カ所にあった。具体的には,α47現場に97名,α48現場に101名,α49現場に95名の中国人が配置された。
(2)作業内容は,日本発送電株式会社の水力発電所用水路工事,具体的には,隧道約6300メートル取入堰堤4カ所にての隧道内の掘削,土砂搬出,コンクリート用砂利採取,工事用資材類の運搬その他の作業であった。
(3)移入状況
昭和19年4月17日,華北労工協会と被告飛島建設との間で,華北労工協会の供出する労工の使用につき契約書が交わされた。これに基づき,同年5月17日,北京特別更生隊において,華北労工協会北京弁事所のP36を引渡人とし,飛島作業所のP37を引受人として,労工の引き渡しを受け,同月23日,青島港を昭華丸で出港し,同月27日,中国人労働者が下関に上陸した。当初,契約人員は301名であったが,内5名は発疹チフスの疑いで乗船しなかった。乗船していた中国人労工は296名であったが,うち1名は船中で心臓麻痺で死亡したため,上陸人員は295名であった。そのうち,P72(当時29歳)及びP73(同19歳)の2名が,下関で検疫中,労役に服することを拒み海中に飛び込み,1名は救助後すぐに死亡し,もう一人は輸送中,米原駅付近で死亡したため,2名の減員が出た。
中国人労働者は,下関から列車でα42駅に到着後,森林鉄道に乗せられ現場近くのα50駅で降ろされた。現場到着は同月29日,到着人員は293名であった。最高年齢が45歳,最低年齢は15歳,平均年齢は25歳であった。契約人員301名の内266名が元軍人,鉄道1人,教員1名,商人2名,事務員1名,作工1名。農業10名,官吏2名,不詳17名とされている。また,有家族者は全体の6割を越える189名であった。健康状態は,事業場報告書でさえ,約6割は健康体,約4割は健康不良としている。
募集地たる北京より下関上陸まで,被告飛島建設の職員2名が付き添った。また,下関から事業場までは,その職員2名の外に長野県警察官3名(所轄福島警察署より1名,県警察部より2名)
,被告飛島建設事業場職員6名が付添った。
(4)労働条件


宿舎
三つの作業場毎に中国人専用の木造平屋建ての宿舎があり,それぞれ,二棟72坪
(一人あたり0.7坪。これは被告鹿島建設の約半分)二棟88坪(一人あたり0.,
8坪)
,二棟70坪(一人あたり0.7坪)であった。周囲は板張りで,藁でその外側を覆い,中間に窓をつけ,内部の中央は土間としその両側に板張りの居室兼寝室とされ,両側に6尺の出入口があった。中国人労働者らは11月から4月にかけては徹夜で焚き火をした。就寝の際には床板の上に藁を敷き,その上に蒲莫藍(ござ)を敷き,それがない場合は蓆(むしろ)を敷いて寝具を延べた。
便所は,数間離れた場所に別棟とし,時々便所に石灰を散布したとある。宿舎は,
清潔,温床,通水良好と認む住宅は従来より土木工事場宿舎はいわ,ゆるバラック建てにて本宿舎も県の承認を受けてバラック建てなるも従来日鮮人収容のものに比し注意を払い不良不潔狭隘等なく,また燃料としては山間部なるがゆえ充分に購入して供給し,また,不潔狭隘等ため疾病を蔓延せしめ健康に影響を及ぼすが如きことなしと思考すとしている。しかし,実際は雨や雪を防げるものではなく,良好な環境とはほど遠いものであった。


食糧
食糧事情が芳しくないにもかかわらず,主食として1か月1人あたり小麦粉22キログラム,酒糠8キログラム,副食として野菜一漬け物類約3貫匁(1貫=3750グラム

1匁=3.75グラム)
,調味料として食塩200グラム,食油1合を支給

したとある。調理は中国人の中から炊事班(班長一,係四)を選出し,食材を5日ないしは一週間前に渡すことにより毎食希望ノ物ヲ自由ニ調理スとされている。しかし,後述のとおり事実はまったく異なる。


被服等
青島出発時,各人に布団一枚,毛布一枚,冬服・夏服各一着,下着一着,帽子一個,ゲートル一足,靴一足,歯磨楊枝一本等が支給されたほか,現場到着後も数回にわたり,真綿チョッキ,手拭い,作業衣,地下足袋,軍手,補修用布・糸などを支給したとある。また,歯磨楊子,歯磨粉,煙草,ちり紙代用古雑誌,はがき,封筒,切手,鉛筆,石鹸,マッチなどを数回支給したとある。しかし,青島出発時に支給されたものだけで,後述のとおり,その後,前記のような物品が支給された事実はない。


医療衛生状態
中国人関係だけで,
疾病発病が延べ489件,
延べ108名が傷害事故・けが等)

にあったと記録されている。α51在住の医師を嘱託とするが,遠隔のため定期的な診断は不可能のため,
二名の医務係を雇い,
医師の指導のもとに時々回診したとある。
また,
各現場には応急手当用の薬品を備え置いていたとされている。
しかし,
実際は,
医療施設は極めて劣悪であった。
入浴については当初施設がなかったものの,到着後二・三か月して設置し,毎日入浴セシムとある。しかし,これもまったくの虚偽である。



作業時間
隧道内よりの土砂搬出作業のみ交替制とし,昼番・夜番とも7時から5時までであり,その他は,午前7時より午後5時までとし,その間1時間の昼食時間と15分間の休息を2回取ったとある。しかし,実際には,休憩時間は取られていなかった。


公休日・娯楽
娯楽としては,中国人が自ら将棋のようなものを造り使用したり,本国から持参した胡弓のような楽器を使用したとある。また,公休日については特に設けず,休養は労務者の意志に任せたとある。身体が強健なるものは月に一両日,強健でないもので月に三分の二休養を取る者もおり,平均稼働日数は月に25日位であったとある。しかし,休日はなく,また,娯楽施設に至っては,そもそもあるはずもなかった。


給与支給
給與ハ総テ契約ニ基キ正営公平ニ支払ヘリとし,具体的には幹部については隊長以下階級に応じて月給制とし,一般隊員は日給制としたこと,支払方法は警察の指示と中国人の希望により,通算一括払いで現金で支給したとし,さらに金額については,日給は食事付で5円,幹部の月給については大隊長の300円以下こと細かい規定を記している。被服等日常生活の必需品は無償で支給したともある。また,時間外の割り増し給,四大節等における特別給の存在にも言及している。ところが,この現場では支給されず,
転出先の岐阜県α8の事業場で全額一括支給したとある。
しかし,
実際には,給与を受け取った事実はない。



管理状況
下請けの業者(酒井組・村上組)毎に一名ずつの通訳が配置され,取締専任の巡査が2名配置されていたとある。この事業場報告書の記載からも管理には警察官も関与していたことが分かる。
(5)逃亡事件等
昭和19年6月29日,P38(当時30歳)
,P39(同30歳)
,P40(同
29歳)及びP41(同28歳)の4名が脱走し,P38は逮捕され福島警察署に留置中,取り調べ中に死亡した。他の三名については行方不明のままとされている。(6)傷病・死亡状況
①疾病
肺結核

19名

ヒゼン

104名

大腸カタル

18名

感冒

76名

気管支炎

21名

トラホーム

内11名死亡

39名

梅毒

6名

内1名死亡

急性肺炎

4名

内1名死亡

心臓弁膜症

7名

内2名死亡

慢性胃腸カタル

10名

脚気

63名

腎臓炎

26名

神経痛

19名

関節炎

23名

結膜炎

27名

合計489名

内3名死亡

内18名死亡

②傷害
傷害の種類については,いずれも擦過打撲傷等として,
α47

合計33名(軽傷者数27名,重傷者数6名)

α48

合計34名(軽傷者数32名,重傷者数2名)

α49

合計41名(軽傷者数41名,重傷者数0)

③死亡(事業場内のみならず,輸送中及び拘留中の死亡者も含む)肺結核

11名

心臓弁膜症

2名

急性肺炎

1名

慢性胃腸カタル

3名

梅毒

1名

爆死

1名

心臓麻痺

3名(死亡場所

心臓衰弱症

1名

(死亡場所

隧道)
船中1名,
下関検疫所1名,
輸送列車中1名)

(福島警察留置中)

合計23名
後述の原告ら等の陳述からすると,監督者による暴力などにより,多くの中国人が傷害を負ったものと考えられる。しかし,その事実はこの数字や症状の記載からは分からない。また,福島警察署に留置中に死亡した者の死亡原因は心臓衰弱とされているが,これは過酷な取り調べによるものと考えられる。これらのことからして,この事業場報告書の記載は事実を記載していないと見るべきである。ただ,事業場報告書の記載によっても,多くの傷病者,死亡者を出していたことは分かる。死亡時期については,特に,昭和19年11月から昭和20年3月までの冬期間の死亡者は,肺結核4名,心臓弁膜症2名,慢性胃腸カタル3名,急性肺炎1名とされている。このような,冬期間の死亡率の高さは,いかに冬期間の労働条件が劣悪で厳しいものであったか推測される。
(7)他の事業所への転出
被告飛島建設事業場に入った中国人労働者293名のうち,死亡者19名,行方不明4名,合計23名の減員を生じ,残りの270名が昭和20年5月29日,岐阜県加茂郡の飛島α8事業場に転出した。
(8)当時の気候
α27村の気温については次のとおりであり,特に冬期は極寒が続き,さらに,4月,5月,9月,10月であっても,最低気温は,ゼロに近く,あるいは,マイナスであり,過酷な環境であったことが分かる。
19年度

20年度

最高

最低

最高

最低

1月

+7

-15

+4

-18

2
+5

-16

+4

-17

3
+15

-12

+11

-12

4
+20

-4

+23

+1

5
+23

+2

+24

+1

6
+30

+7

+27

+7

7
+31

+13

+30

+13

8
+33

+12

+32

+12

9
+31

+1

+30

+1

10

+21

-1

+22

-2

11

+16

-4

+15

-5

12

+7

-10

+8

-10

2
華人労務者調査報告覚書の記載(甲総2・96頁)
各作業場は

高度約1000米α19山の一合目ニ位シ,気温寒冷ニシテ積雪深ク,食料条件モ他地域ト同様良好ナラズ。殊ニ医療施設ニ至リテハ頗ル悪条件ニアリ。

とされている。気候についての記載は,前記の記録と一致するものである。食料,医療施設については,劣悪であり,この点に関する事業場報告書の記載が事実と異なることが裏付けられる。

3
実際の労働条件-原告らの陳述
前記事業場報告書の記載には,原告らの陳述からしても,以下に述べるように事実に反する部分が多く,その実態は,極めて劣悪なものであった。
(1)原告P10の陳述(甲各E2の1,22)
①宿舎は,

山の中腹にあり,平屋で,三角組舎の建物です。風呂場はありませんし,治療室などもありませんでした。トイレもなく,外に穴を掘り,ゴザで囲んだところでしていました。

とあるとおり,事業場報告書の記載とは異なり,決まった便所さえもなかった。
②作業は,
夜が明けてから宿舎で食事をした後,現場までいって行いました。私の班の現場は,宿舎から五分もかからないところにありましたので,昼は宿舎に戻って取り,すぐにまた現場へ行き,夕飯も宿舎で取るとまた暗くなるまで現場へ行って働きました。現場が遠いところにある班は昼は現場で取っていました。休憩は,特に決められていませんでした。それから休日というものはありませんでした。とあるとおり,休憩時間も休日もなかった。
③食事は,
朝食は,赤コーリャンのご飯のときとマントウのときがありました。マントウは,小麦粉と襖からできており,二つもらいました。昼はうどん一杯とマントウ一つ。夜は,マントウのように腹に貯まるものはなく,お粥やスープが多いうどん一杯でした。とあるとおり,到底,重労働に耐えうる食事ではなかった。④病気については,

病気になった人も多かったのですが,一番は下痢です。たくさんの人が下痢になりました。また,「かい

という皮膚病にかかる人も多かったです。病気になっても医者が診てくれるということはありませんでした。また,肺結核になった人も多かったです。肺結核になっても隔離されるということはなく,また,治療もされないまま放っておかれました。死んだ後は私たち仲間が山に運んで行って薪の上に横たえ,ガソリンや灯油で燃やしました。,事故やケガについては,」
作業中には事故もありました。第一中隊の人が作業中,爆破に巻き込まれ爆死したことがありました。P74という人です。日本人がもし死んだならば火葬されますが,中国人が死んでも火葬してくれません。P74さんが死んでも火葬してくれないので私たちの宿舎にずっと遺体を置きました。私たちが宿舎に入れないほど遺体が臭くなり,とてもかわいそうでした。,本人も,作業中,手押しトロッコを押しているとき,トロッコがレールからはずれ,トロッコの中の石が落ちてきて,右手の親指の骨が砕けた。なお,実際,事業場報告書にP74は,隧道内で爆死したことが記録されている。
⑤暖房については,
冬になっても暖房はありません。山から干し枝を取ってきて室内で燃やして暖めました。防寒具などもありませんでした。寝るときはα11から持ってきた布団を二枚重ね,二人がお互い足と頭を逆にしてお互いの足を抱き合って寝ました。とあるとおり,この点も,宿舎や暖房に関する事業場報告書の記載が虚偽であることが分かる。
⑥手紙については,

家族に手紙を出したいという気持ちはありましたが,家族の場所がわかると家族に迷惑がかかるし,書かないように規制されていました。

とあるとおり,事業場報告書では支給品として,封筒や切手が記載されているが,かかる陳述からも,これが虚偽であることが分かる。
⑦支給品については,
収容所では,日本に行くことが決まった人には,傀儡軍用の国防色(おうど色)をした軍服の上下,傀儡軍用の帽子,それに布の靴,布団を支給されました。日本に行ってからは,綿花の茎や木の皮でてきたおよそ服とは言えないようなものを支給されただけです。とあるとおり,青島で支給されたもの以外は,まともな衣類や寝具は支給されていなかった。
⑧給料については,

帰国前までに給料をもらったことはありません。

とあるとおり,α8作業場で受け取ったという事実はない。
(2)原告P12の陳述(甲各E3,19,23等)
①仕事は,
2交代制で1日12時間ずつ働きました。昼のときは朝6時から夕方の6時まで,夜のときは,夕方6時から朝の6時まででした。作業中の監督は日本人でした。仕事中決まった休憩時間はなく,ハッパをやっているとき休憩を取るという具合でした。休日はありませんでした。とあるとおりである。②食事は,

1日,マントウ6個で,野菜も漬け物もなく,塩水が出ました。マントウは直径5センチメートルくらいで,小麦粉少々と糠でできているものでした。糠は中国では牛や豚の餌でした。

とあるとおりである。③ケガや病気については,
日本人はよく暴力を振いました。私がα27村に着て間もないころ,日本人がその中国人を殴っていたので,殴ることをやめるように言ったところ,その中国人の代わりに鉄の棒で背中をたたかれました。たたかれて聾唖になった人もいました。食べ物が少ないために視力がだんだん弱くなって見えなくなる人が大勢いました。また,皮膚病になる人もいました。薬も医者もなく,長い間よくなりませんでした。仕事中に石が落ちてきて頭から血を流している人や死んだ人もいました。ハッパの爆発の後,石が崩れてきて頭に当たり,血が出ましたが,薬もなく,医者もいないので,薬草を頭に付け,衣服を破って頭に巻きました。事故で死んだ人もいて,三人知っています。とあるとおりである。④賃金については,

私は日本人または飛島組から賃金をもらったということはありません。帰りの旅費をもらったということもありません。

とあるとおりであり,賃金は支給されていない。
(3)原告P11の陳述(甲各E4,20,21等)
①宿舎は,

木の皮で造ったテントのようなものでした。壁がなく,風が吹きさらしになります。雨の時には,宿舎の中は水浸しになります。「宿舎の壁は,壁と言える

ようなものではなく,雨がふると,それが宿舎の中に入って来ました。濡れた布団のまま寝ました。
」とあるとおり,宿舎の環境は劣悪なものであった。
②病気や怪我などをしても,

治療をする施設はありませんでした。怪我をした場合には,黄色の土や木の葉を傷口に塗るなどして,自分で処置をしなければなりませんでした。

とあるとおり,治療施設がないばかりか,治療行為も行われなかった。③寝具は,中国で支給された物を使いました。日本では一回も支給されませんでした。雨で布団が濡れた時でも,替わりの布団がないので,濡れたままの布団を掛けて寝なければなりませんでした。まったく,野人のような酷い生活でした。冬は寒いので,作業が終わると走って,宿舎に帰り,木を燃やして濡れた衣服を乾かします。「冬にも暖房らしいものはありません。日本に来る前にもらった綿入れの上着とズボンだけで寒さをしのぎました。靴は日本に来る前にもらったもので,自分で修繕して履いていました。これでは雨や雪は防げませんでした。
」とあるとおりである。
④被服については,

服が破れても新しいものがもらえなくて,自分でなんとか工夫して藁とか紙の袋でなんとかしました。

とあるとおりである。⑤食事は,
饅頭で,1食当たり,小さい饅頭が4個でした。12時間労働のきつい作業をしていると,とても饅頭だけでは,お腹が減って仕方がありませんでした。食事は,三食とも同じものでした。病気にかかった人には,働いていないという理由で,饅頭はあげないで,スープだけが支給されます。これでは,ほとんど食事がないとおなじです。従って,作業を休まないで,我慢してでも作業に行くようにします。とあるとおりである。
⑥労働内容は,
労働は2交代制で,12時間労働です。朝7時から夜7時までです。1か月ごとに昼班と夜班を交替します。残業もさせられることもありました。休日はまったくありません。休憩時間もほとんどありません。「作業現場では棒や鞭を持った監視人がいました。監視人は,日本人か,朝鮮人のような人でした。日本人の監視人は,私たち中国人に対して早く作業をしろと棒で殴ってるのを何度も見ました。暴力によって死亡した人もいます。
」とあるとおりである。
賃金については,
私たちが働いた賃金は,支払われていません。終戦により,飛島組の偉い人などの関係者は皆,逃げてしまいました。従って,支払われていない賃金を,誰に,どのように請求したらいいのかさえもまったく分からない状態でした。とあるとおりである。
⑦積雪については,

冬には,雪がだいたい1メートル位積もりました。「雪は,だい

たい11月から翌年の3月頃までありました。日本の作業現場で多くの人が亡くなっていますが,冬の方が多くの人がなくなりました。それは飢えや寒さから亡くなりました。
」とあるとおりである。実際,事業場報告書の死亡状況に関する記載からも冬期間の死亡者が圧倒的に多く,特に冬期に,衰弱している者が劣悪な環境の中で多く死亡したものと言える。
(4)これら陳述からすれば,宿舎の環境,食糧,被服等,医療衛生状況作業時間,公休・娯楽,給与支払のいずれにおいても,事業場報告書の記載は事実と異なるものであり,実際は,陳述にあるような劣悪なる労働条件のもとで強制労働が行われていたのである。
以上
(別紙6)
原告らの主張(国家無答責の法理について)
第1
1
戦後の国家無答責の原則に関する判決の到達点
戦前の国家無答責論は根拠が不明
戦前わが国では,
なにゆえ公権力の違法な行使につき国が免責されるのかという国家無答責の根拠が必ずしも十分に論じられることなく,とりわけ行政裁判法制定後は,殆ど自明の理と考えられてきた(宇賀克也『国家責任法の分析』413頁)た
め,
戦前のわが国の国家賠償責任論は,未発達であったといわざるをえない(宇
賀克也『国家補償法』8頁)と論じられる。しかも,日本国憲法17条が国の賠償責任を明記し,かつ,国家賠償法が制定されたことから,戦後において,戦前のわが国の国家賠償責任論の根拠を論じる必要性もなかった。そのため,戦前の国家賠償責任論については戦前戦後を通じて未発達のまま推移してきた。

2
実体法上の根拠はなく法令の解釈であるとの判決の出現
しかし,1990年代後半ごろから,本件を含めたいわゆる戦後補償裁判が提訴されるにつれて,
国家無答責の原則の根拠が論じられるようになってきた。200
3(平成15)年以降には,①中国人強制連行強制労働に関する京都地方裁判所平成15年1月15日判決,②中国人強制連行強制労働に関する東京地方裁判所平成15年3月26日判決,③アジア太平洋戦争韓国人犠牲者に関する東京高等裁判所平成15年7月22日判決,④中国人強制連行強制労働に関する新潟地方裁判所平成16年3月26日判決,⑤中国人強制連行強制労働に関する福岡高等裁判所平成16年5月24日判決,⑥三菱広島元徴用工被爆者裁判に関する広島高等裁判所平成17年1月19日判決など,
国家無答責の原則の適用を否定する判決が相次いで出されるに
至った。

3
実体法上の法理であるとの判決
他方で,2003(平成15)年以降は数が少なくなったとはいえ,国家無答責の原則の適用を認める判決も出ている。⑦中国人強制連行強制労働に関する札幌地方裁判所平成16年3月23日判決,⑧中国人慰安婦第一次訴訟に関する東京高等裁判所平成16年12月15日判決等である。

第2
1
国家無答責の原則は法令の解釈(判例)の所産である
原告の主張

(1)

戦前の法令の構造
国家賠償法(国賠法)附則6項は

この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。と定めている。これは,同法の遡及適用を否定し,

同法施行前の公務員の公権力の行使に起因する損害については,従前の法令によるとの意味である。
戦前の法令構造に照らすならば,損害賠償責任を定めた規定として民法709条以下の不法行為規定が存在し,国の賠償責任について行政裁判所の管轄権は明文で否定されていたが(行政裁判法16条)
,司法裁判所の管轄権は明文で否定
されていなかった。そのため,国の賠償責任については,民法709条以下の不法行為規定に基づき,司法裁判所に訴訟が提起され,その判断は司法裁判所に委ねられたのである。
(2)

国家無答責の原則は法令の解釈(判例)の所産である
国家無答責の原則は,確固不動の実体法上の法理ではなく,判例法上の原理である。明治23年の時点で実体法上の法理として確立し,それが一貫して変化しなかったというのは,戦前の日本の判例の変遷を直視しない誤った認識である甲総109・芝池補充意見書11頁,

甲総110・芝池義一法律時報』

76巻1号29頁)


2
被告国の主張に対する反論
被告国が,
国家無答責の原則が実体法上の原則である根拠として指摘することは,すべて根拠たり得るものではない。ボアソナード民法草案の審議過程,現行民法の審議過程,法令の構造,判例の変遷などを素直にみれば,
国家無答責の原則は
判例の所産である。それを実体法上の法理というのは誤った認識である。
第3
1
国家無答責の原則に合理性・正当性はない
民法709条以下の適用を否定する実体法上の根拠はない正当化する理由はない)(
公権力の行使(権力的作用)に起因する損害について国の賠償請求権が否定される根拠について検討するならば,賠償請求権を否定する実体法上の根拠が存在しないとの結論が導かれる。国の公権力の行使(権力的作用)に起因する損害についての賠償請求権が私法的性質を有し,もともと民事訴訟事件として司法裁判所で審理できるのであれば,端的に,民法709条以下の規定の適用を否定する実体法上の根拠はないというべきだからである。

2
訴訟法上の理由
公権力の行使(権力的作用)に起因する損害に民法709条以下の適用を否定していたのは,行政裁判所と司法裁判所の二元的裁判制度を前提に,国家賠償訴訟は行政裁判所の管轄ではなく(行政裁判法16条)
,かつ,司法裁判所の司法裁判事項でな
いと解釈されていたことにある。したがって,二元的裁判制度を採用していた戦前においては,かろうじて合理性を有していたといえるかもしれない。しかし,二元的裁判制度が廃止され裁判制度が司法裁判所に一元化された現行憲法及び裁判所法の下では,同原則を維持すべき理由はないのであるから,現在においては,
国家無答責の原則は合理性・正当性を有しない。
したがって,
国家無答責の原則について,戦前においては二元的裁判制度のも
とでかろうじて合理性を有していたとしても,戦後において二元的裁判制度が廃止され司法裁判所に一元化された結果,
現法下においては合理性を認めることができない。
よって,公権力の行使(権力的行為)に起因する損害について同原則は適用されず,民法709条以下の不法行為規定が適用されるべきである(なお,民法709条の適用が認められないとしても,
外形理論により民法715条が適用されるべきである。。


3
国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決
国家無答責の原則に合理性・正当性が認められないとして民法709条以下の不法行為規定の適用を認めるべきであるとの主張に対して,国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決に違反するとの批判がある。しかし,その批判は間違っている。最高裁昭和25年判決は,国賠法附則6項の従前の例によるに関して,国家賠償法施行以前においては,一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。…本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとして,上告人の請求を容れなかったのは至当であって,論旨に理由はない。と判示した。このうち,
国家賠償法施行以前においては,一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったとの判示部分であるが,これが民法709条以下の不法行為規定を含めて,一般的に国の賠償責任を認める法令が存在しないとの意味であれば,それは誤りである。国の賠償責任を認める法令上の根拠としては民法709条以下の不法行為規定が存在している。現行民法の起草者らも民法715条が国の賠償責任を認める規定になりうることを認めていた。また,この判示部分が,国の賠償責任を一般的に認めた法(民法の不法行為規定との関係では特別法)が存在しないとの意味であれば,そのとおりである。しかし,それは単に歴史的事実を叙述したにすぎないことになる。
また,

大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。

との判示部分であるが,常に国の賠償責任を否
定してきたというのは,歴史的事実として誤りである。陸軍傷病兵用鑿井工事により他人の温泉利用権を侵害した事案に関する大審院昭和7年8月10日判決(法律新聞3453・15)は,国の賠償責任を認めている。明らかに誤った一般化であって,恣意的な論断だと言わざるを得ない。また,それ故に,近年の判決において,大審院が公権力の行使全般について国の賠償責任を否定していたことの証明としてこの最判を示すものが多いが,これは完全な誤用である。
さらに,
本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとして,上告人の請求を容れなかったのは至当であって,論旨に理由はない。との判示部分であるが,
従前の例について規範定立したうえであてはめが行われ
ているのではない。
以上から,最高裁昭和25年判決は,単なる事例判決であって,本件事案の先例とはなり得ないものである。
4
憲法17条は不法行為規定の適用を排除していない
民法709条以下の不法行為規定の適用を認めるべきであるとの原告らの主張に対しては,
憲法17条との関係についての批判が考えられる。
すなわち,
憲法17条は,
責任を認めるための要件等をいかに定めるかは,憲法を受けて制定された法律の定めるところに委ねたのであって,民法の解釈にゆだねたものではないとの批判である。しかし,以下のとおり,憲法17条は

民法の解釈にゆだねたものではない。

として民法の適用を排除したものではない。

(1)

そもそも,戦前においては,民法の不法行為規定が存在するにもかかわらず,実体的根拠が不明確なまま判例の集積により権力的作用に起因する損害について国の賠償責任が否定されてきた。しかも,官吏の個人責任も否定されることにより国民は完全な無責任状態の下におかれていた。そこで,憲法17条は,国家の賠償責任を明記することによりこの無責任状態を明確に否定するとともに,被害者救済を徹底するために,
国家の賠償責任について法律の定めに委ねたのである。
したがって,憲法17条は,
公権力の行使
(権力的作用)に起因する損害
の場合も含めて,国家賠償責任について民法709条以下の不法行為規定が一般法として適用されることを確認するとともに,被害者救済の趣旨を徹底するために,特別法(国賠法)の制定を委ねたのである。
(2)

それゆえ,国賠法と民法の不法行為規定は,特別法と一般法の関係にあり(室井力他編『コンメンタール行政法Ⅱ

行政事件訴訟法・国家賠償法』395頁,

宇賀克也『国家賠償法』19頁など)
,国賠法が適用される領域についても,仮
に国賠法がなければ一般法である民法の不法行為規定が適用されるという関係にある。
(3)

このことは,憲法制定後,国賠法が制定されるまでの間におきた権力的作用に起因する損害について民法の不法行為規定の適用を認める判例(東京高裁昭和32年10月26日判決高民10・12・671など)及び学説(宇賀克也『国家補償法』19頁,今村成和『国家補償法』84頁,塩野宏『行政法Ⅱ』225頁,阿部泰隆『国家補償法』44頁等)が存在することからもいえることである。
(4)

また,貴族院の審議において国務大臣金森徳次郎は,

憲法改正案の第十七条は,それにも拘らず私は公法関係に於ける場合及び私法関係に於ける場合の双方を含む趣旨を以て,衆議院に於いて規定されたものと考えて居ります。(清水

仲編著『逐条日本国憲法審議録』283頁)実際公私の関係は錯綜して居り。まして,そう云うことを論議致しますよりも,一括してその原因たるをとわず,公務員の不法行為に依り損害を受けたものは,この憲法上の保護を与えると云うことが適切であり有効であろうと考えて居る訳であります。(前掲書284頁)と答弁している。また,司法大臣木村篤太郎も,
法律の定めるところにより
とは民事法規で定めて行こうという気持ちを持って居ると答弁している(前掲書389頁)

このように,国会の審議の中でも,憲法17条は,公法私法問わず一括して被害者を救済する趣旨であること,
特別法と民法の不法行為規定が同質民事法規)

であることが強調されていたのである。
5
まとめ
以上述べてきたとおり,
国家無答責の原則は民法709条以下の不法行為規定
の解釈(判例)の所産である。そして,権力的行為に起因する損害について民法709条以下の不法行為規定の適用を否定する実体法上の根拠がないこと,すなわち国家無答責の原則に合理性・正当性が認められないことが明らかになった。したがって,本件に民法709条以下の不法行為規定が適用されるべきである。
第4
1
本件強制連行は公権力の行使
(権力的行為)に該当しない
国家無答責の原則」
が適用されるためには,
前提として当該行為が公権力の行使権

力的作用)に該当しなければならない。そこで,本件強制連行が公権力の行使(権力的作用)に当たるのかが問題となる。
2
公権力の行使(権力的作用)とは何か

(1)

国家無答責の原則の公権力の行使は厳格に把握されるべきである。ここでの公権力の行使
(権力的作用)とは,
国家無答責の原則の適用
範囲を画するための概念であるから,国の賠償責任を肯定する国賠法上の公権力の行使概念と異なり,厳格に理解されなければならない。
(2)

公権力の行使(権力的作用)の要件


俘虜や家族と共に平穏に暮らしている原告ら等外国人を,その意に反して日本に強制連行した上,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で十分な食事を与えず,暴力と暴言により施設に隔離し,人を奴隷的に敵国日本のために虐使し強制労働させたことは,個人の尊厳やハーグ陸戦条約,ILO29号条約等に照らして,現在はもちろん,当時においても残虐非道な非人道的な行為であることは疑う余地のない事実である。かかる残虐・非人道的行為につき,国家の公権力の行使(権力的作用)であるということは,国家の公権力の行使(権力的作用)概念を歪めるものであり,国家の道義性や尊厳を損なう判断である。国家無答責の原則の正当性の根拠として王は悪をなさずとの法諺が指摘されているが,仮にそれが正当性の根拠であるならば,王が悪をなした場合には,その根拠が失われるのであるから,
国家無答責の原則が適用されないこ
とは明白である。
したがって,
公権力の行使概念を国家の道義性や尊厳に照らして歪めずに
理解しようとするならば,本件強制連行は公権力の行使(権力的行為)にあたらないといえる。

次に,公権力の行使(権力的作用)の意義については,これまで必ずしも明
確に定義づけられてきたわけではなく,また,戦前の判例においても一義的に判断されてきたわけではない。しかし,そこからはある一定の共通した要素を抽出することができる。芝池義一教授は,戦前の判例を分析し,国家無答責の原則」が適用されてきた「公権力の行使
(権力的作用)に共通して認められる要件と
して3つの要件を定立した。
第1に,加害行為が実質的に強制力ないし権力の行使といえる性質のものであること,すなわち,法行為であれば相手方である私人の権利・自由を一方的に制限したり,事実行為であれば身体・財産に強制を加える性質のものであること,第2に,法律の授権があること,第3に,加害行為が国の統治権乃至主権に服する者に対する行為であることという3つの要件である甲総108・芝池義一意(

見書』7頁以下)


このうち,第1の要件については,伝統的に理解されていたものである。

第2の要件は,法治主義から導かれる要件である。すなわち,公権力の行使」(権力的作用)とは,国が優越的に支配する立場に立って,一方的に,国民に対して,一定の行為を命令又は禁止すること,あるいは強制を加えることであり,人民はそれを受忍すべき立場におかれる。近代法治国家で,かかる一方的な優越的支配を合法化するためには,国民の代表で構成される議会で制定された法律により,当該強制を合法化する一定の権限が付与されていることが当然の前提とされる。これは,法治主義から当然に導かれる結論である。オ第3の要件は,日本の主権乃至は統治権が,外国乃至は外国人に対して及ばないことから導かれる当然の要件である。宇賀克也教授も「わが国の公務員が外国で公権力を行使することは,そもそも原則として認められないと述べている宇

賀克也『国家補償法』365頁)



以上の3つの要件が総て満たされて初めて公権力の行使
(権力的作用)に
該当する。

3
本件強制連行・強制労働行為は公権力の行使(権力的作用)に該当するか
(1)

第1要件は充足する
本件加害行為は,俘虜や家族と共に平穏に暮らしている原告ら外国人を,その意に反して日本に強制連行した上,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で十分な食事を与えず,暴力と暴言により施設に隔離し,人を奴隷的に敵国日本のために虐使し強制労働させたという行為である。この行為は,強制力の行使であり第1の要件は充足する。

(2)

第2要件は充足しない
本件連行行為の根拠となっている移入政策は,当時の日本政府が統治権に基づく権力作用の行使として,特定の中国人を移入労働者として選定し,強制的に日本国内まで連行して労働させることを構想しているというものではなく,非権力的方法によって政策を実現しようとしているものである。ところが,本件における強制連行は,本件移入政策が予定していた移入すべき中国人労働者の選定方法あるいは選抜態様,更にはそこで定めていた労働契約の締結等の法的手続などに則ることなく,為されたものであった。そこには,
法律の授権は存しない。

(3)

第3要件は充足しない
本件は,日本国の統治権乃至は主権に服しない在外中国人に対して加えられた暴力であるから,第3要件を欠くことは自明なことである。

(4)

以上から,本件強制連行・強制労働行為は,公権力の行使(権力的作用)に該当せず,したがって,
国家無答責の原則の適用はない。

第5
1
国家無答責の原則の正義公平の理念による適用制限
正義公平の理念

(1)

本件は,俘虜や家族と共に平穏に暮らしている原告ら外国人を,その意に反して日本に強制連行した上,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で十分な食事を与えず,暴力と暴言により施設に隔離し,人を奴隷的に敵国日本のために虐使し強制労働させたという,個人の尊厳やハーグ陸戦条約,ILO29号条約等に照らして,現在はもちろん,当時においても残虐非道な非人道的な行為であることは疑う余地のない事実である。しかも,国は,強制連行の事実の隠蔽を図る等,不誠実極まりない態度をとってきた。このように,自ら残虐非道な加害行為を加え,甚大な被害を被らせた国が,その後も事実の隠蔽等を繰り返すなど極めて不誠実な対応をとっている場合にまで,
国家無答責の原則で国の責任
を免責させることは正義公平の理念に照らして許されず,条理上国家無答責の原則の適用は制限されるべきである。(2)

国家無答責の原則は,法令の解釈(判例)の集積により形成されたものである。
当時においても民法709条以下の不法行為規定が存在していたのであり,同規定が権力的行為に起因する損害に適用されない実体法上の根拠がないことは前述したとおりである。また,仮に訴訟法上の理由であれば,二元的裁判制度が廃止された現行憲法下では,訴訟法上も適用を否定する根拠がないことも前述したとおりである。したがって,本来,民法709条以下の不法行為規定が適用されるべきである。
しかし,仮に公権力の行使に起因する損害について何らかの理由により民法709条以下の不法行為規定の適用が否定されるとしても,上記(1)で述べたような日本国の残虐非道な非人道的行為についてまで民法709条以下の不法行為規定の適用を否定して国の責任を免責することは,
正義公平の理念に照
らして許されないのであるから,条理上国家無答責の原則の適用(すなわち,民法709条以下の不法行為規定の適用を阻害している何らかの根拠)を制限乃至は排除し,民法709条以下の不法行為規定の適用が認められるべきである。
(3)

また,仮に国家無答責の原則が,権力的行為に起因する損害については民法709条以下の不法行為規定の適用がなく,国の賠償責任を認めた特別法が存在しないため,国の賠償責任を問う実体法上の根拠がないという実体法上の法理であるとの見解にたった場合にも,
正義公平の理念による同原則の適用を制
限したうえで,民法709条以下の不法行為規定の適用乃至は類推適用は可能である。
すなわち,国賠法附則6項は,
従前の例によると規定しており,その意味
は従前の法令によるとの意味である。仮に国家無答責の原則が前記見解のように実体法上の法理であるとした場合,
従前の例によるとは国家無答責の原則によるとも考えられるが,それが正義公平の理念に照らして許されない場合には,国賠法附則6項の適用が条理上制限されることになる(ちなみに,国賠法附則6項の解釈は,現行憲法下の解釈であり,現行憲法下では国家無答責の原則が合理性・正当性を持たないことは論じるまでもなく当然である。そうだとすれば,国賠法附則6項の従前の例によるとを国賠法の遡求適用の意味以外に国家無答責の原則によると解釈すること自体が日本国憲法17条違反との疑念があるし,仮に直ちに日本国憲法17条に違反しないとしても,本件のような残虐非道な非人道的行為についてまで従前の例によるを国家無答責の原則によると解釈して適用することは,正義公平の理念に照らして許
されない)

国賠法附則6項の適用が制限された結果,
国家無答責の原則の適用が排除
される。その場合であっても,国の権力的行為に起因する損害について民法709条以下の不法行為規定が直接適用されないとすれば,国の賠償責任を直接認める実体法が存在しないことになる。しかし,他方で,損害賠償責任を認める一般法として民法709条以下の不法行為規定が存在している。仮に,加害行為が公法的性質を有することに着目して,権力的行為に起因する損害について民法709条以下の不法行為規定の適用が認められないとの見解を前提としても,他方で,
損害賠償責任は私法的性質も有しているのであり,その点では国の非権力的行為の場合と違いはない。国の非権力的行為には民法709条以下の不法行為規定の適用が肯定されていることからすれば,
国家無答責の原則が排除されたとし
ても,民法709条以下の不法行為規定を類推適用することは可能である。このことは,日本国憲法制定後,国賠法制定前に生じた権力的行為に起因する損害について,民法709条以下の不法行為規定の類推適用を認めた判例・学説にも整合すること,戦前においても民法709条以下の不法行為規定の類推適用説(田中二郎教授など)が存在したこと,現行民法の起草者である穂積陳重らも国の賠償責任を免責させる特別法が存在しない限り実体法上の解釈として民法709条以下の不法行為規定の適用を認めざるを得ないと述べていることなどに照らしても妥当な解釈である。
したがって,
国家無答責の原則を仮に実体法上の法理であるとの理解にた
ったとしても,
正義公平の理念に照らして同原則の適用を制限し,民法70
9条以下の不法行為規定を適用することは可能である(なお,仮に民法709条の適用が認められないとしても,外形理論により民法715条が適用されることは前述したとおりである)

2
正義公平の理念による制限が認められるための要件

(1)

西埜章教授の見解
西埜章教授は,
国家無答責の原則について正義公平の理念から適用制
限をする際の要件として,①加害行為の残虐非道性,②被害の甚大性を指摘する(甲総111・西埜章『意見書』。


(2)

除斥に関する裁判例
正義公平の理念に基づき除斥の適用制限を認めた裁判例がいくつか存在する(最高裁平成10年6月12日判決,東京地裁平成13年7月12日判決,福岡地裁平成14年4月26日判決,東京地裁平成15年9月29日判決など)。
これらの判決では,①加害行為の残虐性・悪質性,②被害の重大性,③事実の隠蔽など加害者側の要保護性が考慮されている。

(3)

本件では,基本的には西埜教授の見解に依拠しながら,事実の隠蔽など加害者側の要保護性をも判断要素として考慮して,総合的にみて正義公平の理念に照らして適用を制限すべきか否かを検討する。

3
正義公平の理念に基づき国家無答責の原則の適用を制限すべきである被告らが原告ら等にした加害行為は,何の罪もない中国人を,武力を背景にして強制的に日本国内に移入させて,日本国内の企業で過酷な労働に従事させ,しかもこの間賃金も支払わず,
食事も満足に与えずに,
暴力と虐待を加え,
一切の自由を認めず,
長期にわたってその人間としての尊厳を踏みにじり,心身にわたる苦痛と被害を与えた。被告らは原告ら等を親族から引き離し,行き先も告げずに日本国内に連行し,それまで経験もしなかった過酷な重労働を強いた。過酷な労働と非人間的待遇を受けた末に,栄養失調,病気,事故などにより異国の地で無惨にも死んでいった多くの中国人の無念さは計り知れない。被告らが原告ら等にした加害行為は悪質極まりなく人道に対する罪と評価される戦争犯罪行為そのものである。
しかも,日本国は,これら塗炭の苦しみと恐怖を与えた原告ら等被害者に一切の謝罪も補償もしないどころか,原告ら等に対する強制連行・強制労働の事実そのものも認めようとしない姿勢を執り続けている。即ち,被告国の外務省は,作成した外務省報告書の廃棄を命じている。また,同報告書等の資料を被告国は保持しながら,国会で虚偽の答弁を繰り返し,国民を欺き,強制連行・強制労働の事実を闇に葬り去ろうとした。そして何よりも,被告国は本件訴訟において,一貫して事実の認否を行おうとしない。
以上述べて来たとおり,本件における被告らの加害は残虐非道であり,その被害も甚大である。更に,被告国は,自ら引き起こした事件につき,
それを認めようとせず,
隠蔽しようとする不誠実な態度を執り続けている。
かかる被告国に対して,
国家無答責の原則を適用してその責任を免れさせるこ
とは正義公平の理念に照らして許されることではない。本件については,民法709条以下の不法行為規定を適用して国の賠償責任を認めることこそが正義公平の理念に適合する結論である。また,仮に国家無答責の原則が実体法上の法理であるとしても,国家賠償法附則6項の適用を正義公平の理念により制限することで国家無答責の原則の適用を排除し,民法709条以下の不法行為規定の適用により被告国の賠償責任を認めるべきである。
4
以上から,本件事案に国家無答責の原則は適用されない。なお,
国家無答責の原則の適用が否定された場合,前述したとおり,民法709条以下の不法行為規定が適用される。
第6

まとめ
以上のとおり,
本件事案には国家無答責の原則」
の適用は否定されるべきであり,民法709条以下の不法行為規定に基づき国の賠償責任が認められるべきである。以上(別紙7)原告らの主張(民法724条後段の解釈及び適用制限について)第1民法724条後段の趣旨・法的性質民法724条後段の法的性質については,最高裁平成元年判決以降,これを「除斥期間であることを前提としつつ,その後の最高裁判決(平成10年判決,平成16年の2つの判決)は,いずれも被害者救済,および,正義・公平の理念に立って,具体的妥当性を図っている。ここにおいて,すでに平成元年判決そのものは破綻し,変更されている。ところが,戦後補償裁判においては,未だに平成元年判決の誤りを踏襲する判決が出されている。これらの判決は,最高裁平成元年判決に引きずられ,その結果最高裁平成10年判決に反し,民法724条後段の適用制限について極めて限定的に解するもので,
除斥期間の名を借りて,その実なんらの理由も示さずに被
害者らの人権を一方的に切り捨てる平成元年判決と何ら異ならないのであって,法の解釈・適用を任務とする司法の役割を放擲するに等しい判決であり,およそ国民の信に堪えない判決といわざるを得ない。

第2
1
民法724条後段の期間の起算点・進行の停止
民法724条後段の期間の起算点

(1)

はじめに―最高裁平成16年4月27日判決・同10月15日判決原告らは,前述のとおり時効であると解するが,民法724条後段の法的性格を仮に除斥と解するにせよ,同条後段の定める20年期間の起算点たる不法行為の時を如何に解するかは問題となる。すなわち,民法724条後段の不法行為の時をめぐっては,従来より加害行為時説損害発生時説の争い,
があり,
法律関係の速やかな確定を強調し,機会的画一的処理を標榜する除斥期間説からは,一般に加害行為時と解するのが当然とされてきた(内池不法行為責任の消滅時効299頁)。しかしながら,平成16年4月27日最高
裁判決は,除斥期間説に立ちつつ損害の発生したときを起算点とすると判断した(平成16年10月15日最高裁判決同旨)
。このふたつの最高裁判決は,民法
724条後段の起算点が,除斥か時効かという期間の性質論によっては当然には決まらず,たとえ除斥期間と解するにしても,実質的な公平の見地から定めることを明らかにしたものといえる。

(2)

民法724条後段の不法行為ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキの解釈民法724条前段後段の期間制度の趣旨は,通常であれば,その間に権利行使をすることが可能なはずであるから,権利を行使しなかった被害者が権利を失ってもやむを得ないとの前提の下に,被害者の認識いかんを問わずに要件を客観化することにより,被害者と加害者の利益の調整を図った点にある。724条前段と後段に共通してその根底に流れる期間制限の存在理由は,被害者の権利行使可能性,権利行使の期待可能性を前提とする権利不行使への非難可能性である。以上の趣旨に照らすならば,民法724条後段の不法行為の時とは,第1に,被害者の認識といった個別的具体的要素を捨象した一般的抽象的基準でなければならず,第2に,通常であれば被害者はその権利を認識し,行使できるであろうという一般的・客観的な権利行使の可能性が存在していることが必要ということになる。
すなわち,民法724条後段の不法行為の時とは,権利者の主観的個人的事情を離れて,客観的に不法行為に基づく損害賠償請求権の行使が可能な時と解するのが相当であり,およそ権利行使が不可能な場合(権利行使の期待可能性がなく権利の不行使を非難できない場合),
は期間は進行しない期間は停止する)

と解するのが相当である(以上,甲総21の1・内池慶四郎意見書,甲総21の2・同内池意見書の補充書,内池不法行為責任の消滅時効286頁∼291頁,319頁321頁)

(3)

本件における権利行使可能性と民法724条後段の起算点
原告らは我が国に渡航すること自体,1972年9月29日の日中共同声明,1978年10月23日の日中平和友好条約が発効するまで戦争状態であって一般的に権利行使ができなかったのであり,1986年2月1日に中華人民共和国公民出境入境管理法が施行されるまでは私事による出国のための旅券の発行すら受けることができなかったという権利行使の客観的な困難性,法律上の障害ないしこれに準ずる障害がある。
しかも,私事による旅券の発給を受けることが法制度として中国国内で整ったとしても,その運用の面では国家の安全に危害をもたらし,又は国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがあると認定した者については旅券が発給されない。我が国との国交を回復したばかりの中国は日本政府を相手方とする損害賠償請求をするために渡航することを認めなかったのであり,それが認められるようになったのは1995年3月7日の全国人民代表者大会日本の国会に相当する)(
での当時の銭其●外交部長(日本でいえば外務大臣)が

日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって個人の賠償請求権は含まれない。補償の要求は国民の権利であって,政府は干渉すべきではない

と発言したときからである(甲総20の1・浅井意見書・20頁,甲総20の2・浅井調書)

しかも,1986年2月1日の前記中華人民共和国公民出境入境管理法施行以降も,原告らが我が国に入国するには招聘保証人が必要であり,招聘保証人がいないと日本政府からの入国査証(ビザ)の発給を受けることができない(甲総58,59,98)
。中国人が日本入国査証(ビザ)を申請する手続きとして
は,
短期商用等の申請手続き,
親族・知人訪問の申請手続きがある。い
ずれ場合も,招聘理由書,滞在予定表,身元保証書の提出が求められる(甲総99の1)
。観光目的での入国については,2000年に,北京市,上海市,広東省在住者に限定して団体観光客への査証の発給を開始するまで,認められていなかった。その後,2004年には,団体観光客への査証の発給の対象地域を,江蘇,山東など4省,および,天津市にも広げた。2005年1月,団体観光客への査証の発給の対象地域を中国全土に広げた。なお,現在に至るまで個人での観光目的には査証は発給されない(甲総100の1,101,102)これ自体,。
誰でもない日本国の制度上の仕組みであり,法律上の障害ないし,これに準ずる障害である。そして,現実には,弁護団や支援者が招聘保証人とならない限り,外になる者はなく,したがって,弁護団が原告らと会った後でなければ,入国査証の取得は不可能である。他方,中国側の事情(出国)として,1997年施行の中国公民自費出国旅行管理暫定規則により,はじめて中国人の外国への観光旅行が承認されるようになった。それまでは観光目的での出国は認められていなかった。中国人の団体観光旅行は2000年9月13日出発が最初である(甲総100の1)

これらの事実に照らせば,
原告らが現実的に権利行使できるようになったのは,
どんにな早くても1995年3月以降である。したがって,このときをもって起算点とすべきである。
2
民法724条後段の期間の進行停止

(1)

刑事訴訟法第255条
民法の明記する停止はいずれも,期間の完成の停止である。しかし,権利行使が困難でその期待可能性がない〔少ない〕場合に,期間は進行しない(期間は停止する)とする期間の進行停止は刑事訴訟法第255条が定めるところである。同条は,
国外に犯人が逃亡した場合または犯人が逃げ隠れているために有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかった場合には,時効は,その国外にいる期間又は逃げ隠れている期間はその進行を停止するとして公訴時効の進行の停止を定めている。これは時効完成の停止ではなく,国外にいる期間は時効の進行自体が休止するもので,本来的な意味での時効の停止の規定である。犯人が国外に逃亡しているまたは逃げ隠れしているために有効に公訴ができない(期待可能性がない)ことから,国外にいる間または逃げ隠れしている間は公訴時効の期間の進行自体を停止することを定めているものである。本件事件は,日本国という国家,および,企業が犯した戦争犯罪である。原告らが日本国を訴追する(訴える)立場にある。外国にいる中国人の原告らが,他国を相手にその責任を追求する裁判を起こすのであるから,刑事訴訟法の期間進行の停止規定の趣旨は,本件の期間の進行を考える上で(民事刑事の形式的な違いはあれ)共通の基盤を有するというべきである。のみならず,刑事訴訟法は,国家権力である捜査機関,訴追機関がその強力な権限を駆使してもなお,犯人が国外にいる場合や逃げ隠れている場合は,起訴の期待可能性がないとして時効期間の進行を停めているのである。本件では,証拠を収集し提訴するのは,国家権力とはおよそ無縁の一民間人である個人の中国人に過ぎない。しかも訴える相手は組織的に事実の隠滅隠蔽を図り,強制連行・強制労働の事実を否定してきた日本という外国の国家権力,および,巨大企業である。その期待可能性の欠如,およそ権利行使が不可能であることは,刑事訴訟法255条が予定する起訴の困難性,不可能性の比ではない。

(2)

再審無罪の国家賠償事件判決に見る権利行使可能性と除斥期間の進行停止一連の再審無罪の国家賠償事件判決大阪高裁昭和50年11月26日判決判(

タ334・185頁)
,大阪地裁昭和48年4月25日判決(判タ295・13
1)
,広島地裁昭和55年7月15日判決(判時971・19)
)は,いずれも
民法724条後段を除斥期間と解しながら,権利者の権利行使可能性がないことを理由に除斥期間の進行の停止を認めている。
(3)

戦争状態の継続と期間の進行の停止
権利行使がおよそ不可能な場合(権利行使の期待可能性がなく権利の不行使を非難できない場合)の典型ケースとして,戦争状態が継続し,敵国内の裁判所で訴訟ができず権利行使自体ができない場合が挙げられる。このような場合は,戦争状態が終了し現実に権利行使が可能となるまで期間自体の進行が停止すると定めることは,国際条約(サンフランシスコ平和条約付属議定書等)で定められており,また,国内法(戦時罹災土地物件令第3条(昭和20年勅令第411号))
にも定めがある。

(4)

本件における戦争状態の継続・国交の断然と権利行使可能性
戦争状態の継続と1987年日中平和有効条約の締結
1945年昭和20年)

8月15日は日本にとっては戦争の終了であっても,
中国国内ではけっして戦争の終了ではなかった。1937年(昭和12年)7月の蘆溝橋事件に始まり7年間にわたる宣戦布告なき戦争である日中戦争は,中国国内に深刻な打撃を与え,中国大陸での抗日戦線の戦闘停止後において,中国を統一して支配する政府自体が存在しない,権力の空白期間が続いた。国民党政府と中国共産党政府とが両立し,1946年(昭和21年)7月には国民党政府と中国共産党政府の全面的内戦に入った(甲総第97号証中華人民共和国史14頁)1949年(昭和24年)10月1日に中華人民共和国が樹立されたが,。
この時点ではまだ国家体制が確立しておらず,依然として各地では国民党軍との戦闘が続いており,戦時体制下での国家の樹立の宣言であったといえる。1950年(昭和25年)6月25日に勃発した朝鮮戦争が1953年(昭和28年)7月7日に軍事停戦協定の調印によって終結したが,中国人民義勇軍が米国軍と戦闘を交えたことから,
その後の米国による中国封じ込め政策によって,
中国を除いたサンフランシスコ平和条約の締結と日米安保条約の締結となり,米国の影響下にあった被告国の対中国外交は,吉田・ダレス書簡によって台湾政府を中国と認め,中国本土の中華人民共和国を承認せず,日米安保条約のもとで仮想敵国として対応して行くという外交政策がとられていった。まさに,外交政策上も日本政府は中国政府を敵国としていたのであり,日中戦争の戦争状態は終結していなかったのである。
1972年(昭和47年)9月29日の日中共同声明により政治的には国交の回復がはかられ両国間の間には様々な実務協定が締結されるようになったが,1978年(昭和53年)10月23日発効の日中平和友好条約の締結により,ようやく法的にも戦争は終結し正常な国家関係が樹立されるにいたるのである(甲総20の1・浅井意見書)



国交がない国の裁判所での権利行使の不可能性については,北朝鮮政府による拉致被害をめぐる状況を見ても明らかである。


本件における戦争状態の継続・国交断絶と724条後段の期間進行の停止日中平和友好条約の締結により正式な国交回復がなされるまでは,国際法上は戦争状態にあった状況下において,原告らにとって,社会体制も異なる日本という国に渡航することは,日中戦争の相手国に行くことであり,生命・身体の保障すらあるのかも不明な状況といっても過言ではない。中華人民共和国政府を中国を代表する政府とは認めていない日本政府が原告らに入国査証を発給することも考えられない。このような状況にある原告らの権利行使に関し,権利を消滅させる期間だけは進行するということ自体,不可能を強いる結果となる。したがって,戦争状態が解消する1978年10月23日の日中平和友好条約締結の時までは,進行は停止する(進行を開始しない)もちろん,それ以降も,(
停止することは後述のとおりである。。

(5)

証拠隠滅・隠匿と期間進行の停止
信義に従い誠実になされなければならない義務の履行(民法1条2項)民法は当事者が不誠実な対応や隠匿行為など権利の行使に関して不当な干渉行為をした場合に,一定の制裁を課している(民法132条,708条等)。この
ように,隠蔽行為,隠匿行為,虚偽行為など,不誠実な行為を行った者に対し,民法は制裁を課すことを規定しているが,本件における被告らが行った証拠の隠蔽,虚偽の報告など,原告らの権利行使又は被告らの義務の履行に関し不誠実な行為が行われた場合には,当該行為を行った被告らは本来受ける利益又は地位を剥奪するという制裁が認められるべきである(民法1条2項参照)。すなわち,
裁判所が民法724条後段の適用にあたっては,義務を免れる債務者が,権利者が当該権利を立証するために必要な重要な証拠を隠したり,証拠を隠滅したり,虚偽の証拠を作成するなど不誠実な行為又は権利行使に関する著しい干渉行為を行ってその義務の履行を免れようとした場合には,クリーンハンズの原則,信義誠実の原則に反するものとして,民法724条後段の適用による権利の消滅の効果を享受できないと解すべきである。


信義則違反又は権利濫用の一類型としての時効の進行停止
重要な証拠の隠蔽行為の場合には,信義則違反による制裁の類型として,英米法で認められているように(英米法においては,隠蔽行為が継続する間は,時効(その性質は訴訟法上の出訴期間であり,これと区別される除斥期間の概念はない。
)は進行しないという原則がある。,民法724条後段の期間の進行自体が)
停止すると解すべきである。
また,正義・公平の理念の現れとしてのいわゆるクリーンハンズの原則からしても,加害行為の悪質性・被害の重大性とか,客観的権利行使不可能性といった諸要素を勘案して,除斥期間の適用を排除ないし効果制限するということのほかに,加害者が請求原因に関わる重要な事実を隠蔽してしまった場合には,これが発覚し,あるいは,通常の注意を働かせれば,隠蔽された事実を知りうべきときまで,権利行使を制限する期間(除斥期間又は時効期間)の進行は停止するという考え方が認められるべきである。
本件強制連行・強制労働においては,被告国により,外務省報告書とその関係書類である事業場報告書の隠蔽行為が行われ,1993年5月17日にNHKテレビによってその存在がスクープされ,事業場報告書が東京華僑協会に保管されていることが明らかになるまで,中国人強制連行・強制労働問題の概要は隠蔽されたままであった。被告国は原告らの立証にとって不可欠な外務省報告書や事業場報告書を所持しながら,それを隠蔽し,国会での虚偽の答弁を繰り返し,1993年になって国会で所持していることを明らかにした行為は義務の履行について信義誠実に行ったとはいえない。また,被告企業らは事業場報告書の作成にあたって,
戦犯としての処罰を逃れるために,
原告ら等の主として待遇等について,
事実と異なる虚偽の記載をし,そのことによって,真相究明を妨げ,原告らの権利行使に対する不誠実な行為を行っている。
したがって,被告らは,このような隠蔽行為,虚偽の行為をしている間は,信義則に照らし,民法724条後段による権利の消滅の効果を享受できない,すなわち期間の進行が停止していると解すべきである。

個人の尊厳を本旨とした解釈(民法2条)
民法2条は,民法の解釈にあたっては

個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。

と規定しており,民法724条後段の適用にあたっても個人の尊厳を本旨として解釈しなければならないところ,強制連行・強制労働の被害者である原告ら等の権利を,これを行った被告らの責任を,時の経過のみをもって消滅させることが個人の尊厳を本旨として民法を解釈したことにならないことはいうまでもない。

第3

民法724条後段の適用制限論
前述のとおり,民法724条後段の20年の期間は時効期間と解するが,仮に,これを除斥期間と解釈するとしても,除斥期間の適用の結果が著しく正義・公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にかなうと認められる場合には,除斥期間の適用は制限されると考える。

1
平成10年6月12日最高裁判所第2小法廷判決(民集52巻4号1087頁)の意義

(1)

最高裁平成10年判決の判旨
民法724条後段を除斥期間と解すれば)心神喪失の常況が当該不法行為(に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる。しかし,これによれば,その心神喪失の状況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ない。そうすると,少なくとも右のような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。とした。
(2)

最高裁平成10年判決は,期間の経過の一事によって画一的に権利を消滅させた平成元年判決の硬直的除斥期間適用制限否定論の不都合を修正し,当該事案の諸事情を具体的に検討し,
正義・公平の理念と条理に照らして除斥期間
の効果を制限するとした点にその核心がある。

2
本件における724条後段の適用制限の必要性―本件における民法724条後段を適用制限すべき特段の事情
以下のとおり,本件については,民法724条後段の適用を制限すべき本件固有の特段の事情がある。
(1)

加害者を保護すべき公益性の不存在
不法行為制度は,被害者と加害者の損害の公平な分担を図るものであり,除斥期間は,この目的に資するものでなければならないが,被告らの本件強制連行・強制労働という非人道的かつ残虐な行為によって甚大な損害を被った原告ら等より,被告らを保護すべき公益性はみじんも存在しえない。

(2)

本件は大規模な中国人拉致事件の一部であり,残虐非道な加害行為は過失によるものではなく,故意によるものであること
本件は大規模な拉致行為であり,被告国と被告企業らが一体となって,ハーグ陸戦法規や人道の罪に違反するなど国際法規に反することを承知の上で故意に行ったものである。

(3)

加害行為の残虐性・悪質性,被害の重大性
本件は何の罪のない中国人を一方的に拉致し,日本の企業で重労働を課したうえ,賃金も払わず,食事も満足に与えず,暴力と虐待を加え,人間としての尊厳を踏みにじり,多くの死傷者を出すまでに至った残虐,かつ,悪質極まりない行為である。

(4)

証拠の隠滅など権利不行使に対する加害者の関与・加担
被告国は外務省報告書等の資料を所持しながら国会で虚偽の答弁を繰り返し,強制連行強制労働の事実を否定し,これを隠蔽していた。しかも,近時の外交文書の公開により,国が全部焼却しており存在しないとしていた外務省報告書が実は1部は存在し,国はこの外務省報告書を保管していたにもかかわらず,計画的に虚偽の答弁を繰り返していた事実が明るみに出るなど,国は外務省報告書の存在について計画的組織的に隠蔽していた(甲総50の3,54,55等)。これ
は国ばかりではなく,関与した企業の関係者にも戦犯として追及されることを免れさせるためであった。さらに,被告企業らにおいても,土木業界が中国人に関する証拠書類を3日間かけて焼却して事実を隠蔽し甲総7付録」

98頁―活「動日誌の昭和20年8月16日付記記事に,戦時建設団本部のあったα52国民学校の校庭で,土建業界の戦時中の中国人朝鮮人に関する統計資料,訓令その他重要書類を3日間かけて焼却したとある。,また,各事業場の事業場報告書)
に虚偽の報告を行い,その責任を免れようとした。これらは証拠の隠滅であり権利不行使に対する加害者の関与・加担と認められる。

(5)

加害行為についての認識・行為後の対応など加害者保護の不適格性被告国及び被告企業らは,強制連行強制労働の事実について,ひたすらこれを隠蔽したのみならず,加害行為に対し,被害者である中国人に対しなんらの謝罪も補償もして来なかった。これは諸国の被害者らに対する対応と比較しても不誠実極まるものであり,加害者保護の適格に欠けるものである。

(6)

不法行為の存在・義務違反が明白で,時の経過による攻撃防御・採証上の困難性がないこと
本件においては,外務省報告書,事業場報告書など原告ら等に対する強制連行強制労働の事実を裏付ける被告らが自ら作成した文書が存在すること,原告ら等やその他多くの中国人や日本の研究者らの証言や資料が存在することなどから,原告ら等に対する強制連行強制労働という不法行為の存在は明かであり,それ自体争いようのない事実であって,時の経過による攻撃防御・採証性の困難性はない。
(7)

権利行使の客観的法的・事実的困難の存在―権利の上に眠る者という非難性の欠如
1978年10月23日の日中平和友好条約の締結までは法的には日中関係は戦争状態にあり,原告らが権利行使をすることは不可能であった。その後,1986年2月1日に中華人民共和国公民出境入境管理法」
が施行されたとはいえ,中国の社会体制からして,1995年3月の銭其●外相の発言までは,原告らが日本の被告国,被告企業らに対して裁判を起こすことは不可能であった。日本への入国手続きにおいても,日本国の制度として弁護団らの協力がなければ入国できない。さらに原告らの経済状態などもあり,1990年代後半まで原告ら被害者が被告らに対して訴訟を提起することは事実上は勿論,中国側においても,また,日本側においても制度上不可能であったのであり,原告らを権利の上に眠る者として非難することはできない。そして,中国に住む原告らの被告らに対する権利行使を不可能にしたのは,被告らが共謀して原告ら等中国人を中国から外国である日本へ拉致したうえ一方的に強制連行し,終戦後,原告ら等は当然のこととして中国へ帰郷を果たしたからであり,その原因を作ったのはまさに被告らにほかならない。このような被告らが原告らの権利不行使を取り立て,これを非難するいわれはどこにもない。(8)被告企業らの国家補償による不当な利得と国の幇助中国人強制連行強制労働に関与した被告企業らを含む土木業界は,戦時国家権力の庇護の下で,多数の中国人強制連行強制労働により莫大な戦時超過利潤を上げながら,これら強制連行強制労働の犠牲者に対する補償は何ら顧みないどころか,逆に当時の価格として1億円を超える巨額の損害額を計上し甲総7付録(
36頁,総額「1億2000余万円内華人7059万305円(同59頁),,

莫大な国家補償を獲得していた。これについて,被告企業らは,中国人労務者の不穏形勢,休業手当,被服費支給,本国送還問題などを理由として水増しした巨額の損害額を計上して,莫大な国家補償を獲得したものであった(甲総7)。
これらの詐欺的請求によって被告企業らが所属する土木業界全体では,2842万5818円,うち被告鹿島建設は346万1544円,被告飛島建設は129万1256円,被告大成建設は64万4374円,被告熊谷組は287万2958円を補償金として受け取っているが(甲総3号の5・707頁以下),これ
らは現在の貨幣価値に換算すると巨額なものになる。
被告企業らは,奴隷的虐使により人間の尊厳を奪い,かつ,只働きをさせて搾取し,それどころか,詐欺的請求により,国から損失補償金までせしめているのである。もちろん,被告国においても,約4万人の中国人の強制連行強制労働により,戦時中の労働力不足による水力発電所工事を補い,戦時経済を維持することにより,
国家的利益を得たことは明かである。
原告ら等の被害と対比するとき,
その不公平はあまりにも明かである。
(9)

本件の国際性
本件は,国際人道法に違反し,時効・除斥という時の経過の一事を以って免責することが許されないものである。すなわち,占領下の敵国から,戦闘員,非戦闘員を問わず,本人の意思を無視して拉致連行し,非人間的で苛酷な労働を強いた被告らが,時間の経過という理由で完全に免責され,しかも加害者である被告国が,自ら定めた国家制度としての除斥期間の制度を適用して自らの責任を免れることは,国際法上も許されないものである。


本件は人道に対する罪に当たる行為である。
通例の戦争犯罪,即ち,戦争法規又は戦争慣例の違反の他に人道に対する罪が文言上規定されたのは,1945年8月8日に作定された国際軍事裁判所条例(ニュールンベルグ条例)第6条であり,これを継承した1946年1月19日の極東国際軍事裁判所憲章第5条である。そこには,人道に対する罪とは戦前又は戦時中為されたる殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放その他非人道的行為,若しくは政治的又は人種的理由に基づく迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又はこれに関連して為されたもの(同条2項)をいい,これを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者は,かかる計画の遂行上為されたる一切の行為に付,其の何人に依りて為されたるとを問わず責任を有す(同条3項)とされている。
極東国際軍事裁判判決は,1942年6月25日に日本が,1929年7月27日に調印されたジュネーブ俘虜条約の適用に同意したことを認定した。日本はこの条約を批准していなかったが,合衆国政府の要請に対し,相互条件のもとにこれを準用することを認めたのである。
ジュネーブ俘虜条約
は,ハーグ陸戦条約・陸戦規則と同様に,
捕虜は敵国の権力内に属し,これを捕らえた個人または部隊の権力内に属さないと規定し,これらの俘虜を人道的に扱うべきことを定めている。その上でこの条約を一般人抑留者に適用することを定めている。以上から,原告ら等を非人道的に扱ったことは,国家権力である日本政府の責任であることは明白であり,極東軍事裁判所は,このことを明確に認定したことになる。日本は,1951年に連合国との間で締結したサンフランシスコ講和条約においてこの極東軍事裁判の正当性を承認している(第11条)

以上から見れば,戦時中に行われた奴隷的虐使が戦争犯罪若しくは人道に対する罪であるならば,本件事案はまさにそれに当たり,原告ら等に対する非人道的処遇がジュネーブ条約に違反しその責任が日本国に帰することは明らかである。


人道に対する罪に関する国際法と国際的合意
人道に対する罪若しくは国際人道法という言葉は第2次世界戦争後に専ら用いられるようになったが,戦争が違法とされなかった第一次大戦前から,つまり戦争を合法とした時代から,一定の戦争に関する行為については,これを違法として国際的に禁止する観念が生じていた。これは,例えば,1864年に採択された戦場における軍隊中の負傷軍人の状態改善に関するジュネーブ条約(第1回赤十字条約。1886年に日本も加入)
,1868年のサ
ンクト・ペテルブルグ宣言,1899年のハーグ平和会議において採択された窒息性ガスまたは有毒性ガスの散布を唯一の目的とする投射物やいわゆるダムダム弾の使用を禁止する宣言等から,明らかである。つまり,戦争は権利であり合法であるとしても,後に人道に対する罪といわれるたぐいの行為は,これを違法として許されないものとした国際的合意が形成されてきており,それがハーグ条約をはじめとする諸条約,諸規則に結実していったのである。
ハーグ条約で知られる陸戦の法規慣例に関する規則
(1907年,日本
の批准1912年)は,
占領地における公共の秩序,生活の回復確保
(43
条)を規定する他占領地の人民は,これを強制してその敵国に対し忠誠の誓をなさしむることを得ず(45条)
家の名誉及び権利,個人の生命,私有財産並宗教の信仰及びその遵行は,これを尊重すべし(46条)などと規定し
たほか現品徴発及び課役は,占領軍の需要の為にするに非らざれば,市区町村又は住民に対してこれを要求することを得ず。徴発及び課役は,地方の資力に相応し,かつ人民をしてその本国に対する作戦動作に加るの義務を負わしめざる性質のものたるを要す(52条)と規定している。さらに,同規則は

交戦当事者の兵力は,戦闘員及び非戦闘員を以て之を編成することを得。敵に捕らわれたる場合に於いては,二者均しく俘虜の取り扱いを受くる権利を有す

(3条)とし

俘虜は,敵の政府の権内に属し,之を捕らえたる個人又は部隊の権内に属することなし。俘虜は人道をもって取扱わるべし

(4条)とも規
定している。これは一旦捕らわれた以上は,非戦闘員も俘虜として,政府に於いて,人道的に扱われるべきことを示している。
当時既に日本がこの条約を批准していたことを考えれば,本件事案が,これらのどの条文に照らしても,当時国際的に承認された人道法に違反する,人倫にもとる不法な行為であり,国際慣習法に違反する行為であったことは明らかである。更に原告ら等被害者が,一般住民として捕らえられ,拉致連行された場合にも,日本政府によって俘虜として,人道的に扱われる権利を有していたことを示している。

人道に対する罪に時効はない
国際法上,戦争犯罪,人道に対する罪については,原則として時効はない。ことに,戦争犯罪,人道に対する罪については,刑事罰についても国際法上の要求で,国内法上の時効は廃止されるべきこととされている。1968年11月26日戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用条約が国連総会で採択された。この条約は賛成58,反対7,棄権36で採択された。日本は採択に当たって棄権し,批准していないが,同条約が戦争犯罪,人道に対する罪について時効の不適用を宣言した趣旨は明らかである。
このように,戦争犯罪と人道に対する罪の処罰の下に横たわる基本理念は,時効とは無関係にこれらの処罰なくして正義の達成はなしえないという思想であり,刑事国際法の歴史的発展にとって重大な寄与といえる時効不適用条約やその他の国際文書規則,合意を通じて,国際社会は重大な人権侵害においては時効がないという原則(慣習国際法)を既に確立しているものである。そして,この原則は,戦争犯罪と人道に対する罪を根拠としてなされる民事上の損害賠償請求権の時効についても当然適用されるべきである。この条約の趣旨は結局は,かかる犯罪や行為において,刑事的にも民事的にも加害国が免責され,被害者が救済されないことこそ不正義の最たるものであり,加害者の救済を図ることは許されないということの国際的確認である。

人道に対する罪と原告ら等の置かれた状況
原告ら等は,戦争犯罪と人道に対する罪による被害発生の当初から,半世紀以上にわたって精神的苦痛に耐え,経済的負担に耐え,被害の補償を胸に秘めて生きてきたのである。被害者らは,国交回復されるまでは勿論,回復してからも様々な障害に阻まれて,権利行使の方法もなく期間の経過を余儀なくされた。自分が働かされた企業名も知らず,誰を相手に訴えればよいかも知らないまま期間が経過した者が殆どである。それは,肝心の証拠資料が,被告らによって隠滅され,秘匿され,1990年代後半まで闇に閉ざされていたからである。被告らは,自己の責任を免れる為に,国会においても,法廷においても,事実を認めずあらゆる責任回避のために行動してきた。この間被害者らの怒りは倍加されたとはいえても,決して宥恕されることはなかった。原告たちが孫子の代まで争うという所以である。
戦争犯罪と人道に対する罪に関し,期間の経過が意味するところは,加害国の被害者放置により被害補償が如何に遅延してきたかという事実のみである。この点から見ても,本件事案は時効制度に最も不適切な事件である。本件について,客観的時間の経過で請求権を消滅させるという除斥期間を適用することが如何に不適切であるかは明らかである。


刑事訴訟法255条の法意と原告らの状況
また,原告らが全て外国である中国に在住していることを考えれば,本件事案を考慮するに当たっては,
刑事訴訟法255条の法意を考慮する必要がある。
刑訴法255条は,犯人が外国にいる場合には,
時効は,その国外にいる期間,その進行を停止するとしている。これは犯人が日本の行政権の及ばない国外にいる場合は,無条件に時効の進行が停止するというものである。一般に刑事時効は,証拠の散逸もさることながら,
時間の経過による,犯罪の社会的影響の微弱化にその存在根拠があるとされるが,時効不適用条約
の採択は,戦争犯罪や人道に対する罪においては,加害者の規範感情や罪悪感は麻痺・緩和しても,被害者の感情は累増・倍加こそすれ決して宥恕されないことを示しており,国際社会がそれを確認したことを示している。本件においては,前述の通り,原告らは,戦後半世紀以上外国である中国に居住しており,この間,権利行使の機会も条件もなかったのであるから,この場合,刑訴法255条の法意に照らして,20年の除斥期間を機械的に適用して請求権を消滅させるのは正義に反するものである。

まとめ
以上の通り,本件は人道に対する罪に該当し,
国際人道法に違反す
るものである。また人道に対する罪に時効の適用がないことは,
時効不適用条約を待つまでもなく国際的合意であり,
国際慣習法である。そし
てかかる戦争犯罪若しくは人道に対する罪を根拠としてなされた民事賠償請求権についても時効の適用がないことは当然であり,近時の判例実務はその方向で判断する流れとなっている。特に国家に対する責任追及は,賠償という形でしか実現できないことを考えればこの理は当然である。

3
結論
本件は,
正義・公平の理念の観点から,さらに,
国際人道法の観点からも,
民法724条後段を適用してはならない事案である。
以上
(別紙8)
原告らの主張(被告らの安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について)第1
1
中国人強制連行制度の成立及び実態について
中国人強制連行政策の成立経過について

(1)

昭和16年(1941年)7月,華北政務委員会と北支那開発株式会社との共同出資により,華北における労務の一元統制機関として,華北労工協会が設立され,華北における労働力供給の効果的実現とともに,華北から満州への労働力供給の効果的実施も図られることになった。そのころ,日本軍の主要な俘虜収容所(α9,α53,α54など)には華北労工協会事務組織が置かれ,中国各地の戦闘などにより俘虜収容所に収容した俘虜を,同協会の労工訓練所において訓練して,労工として満州等に供出していく体制が整えられていた(甲総9)。華北
労工協会は,支配権を有する労務者(労工)を企業に供給する労務供給事業者としての役割を果たしていた。すなわち,労務供給事業者である華北労工協会と各企業との間で労務供給契約が成立し,所属労務者(労工)の労働条件は華北労工協会と各企業との間の契約で決まることになっていた。被告企業らは華北労工協会との間で華北労工協会が供出する華人労務者(労工)の使用につき契約し,さらにその実施細目まで定めていた(各事業場報告書添付の契約書
華人労務者対日供出実施細目
,甲各B1,甲各C1,甲各D1,甲各E1)


(2)

昭和17年(1942年)秋ころ,中国占領地統治機関として設置された興亜院は,
華北労務者ノ対日供出ニ関スル件(興亜院案)(甲総76)と題する文書を出し,
日本内地における労務者不足の現況に鑑み,華北労務者により之が充足を図り,以て戦時経済の円滑なる運営に資すると共に,供出労務者に対し,将来華北に於て必要とする労働技術の習熟を併せ達成せしむることを目的とすとしている。そして,同文書には,
供出募集輸送管理経費




に関する要領等が明記されている。

(3)

この華北労務者ノ対日供出ニ関スル件を受けて,
土木工事用労務者ノ移入ヲ実施セントスル目的で,昭和17年(1942年)10月20日,被告企業らもその構成員であった財団法人土木工業協会は,
華北労務者ノ使役ニ関スル件(17.10.20)(甲総77)と題する書面を作成し,中国人の日本国内への移入に関する具体的な要領を定めた。この文書には,中国人一人当たりの移入費用のほか,
賃金,
休日,
成績優秀者に対する臨時手当,
就労期間2年)


就労期間中の出勤率や成績に応じて支給する賞与などの記載がある。(4)

日本政府は,昭和17年(1942年)11月27日,
華人労務者内地移入ニ関スル件
(甲総3の3)について閣議決定をした。この閣議決定の案文は,企画院と大東亜省が作成した。同決定には,中国人の移入は日本国内の労働力不足,特に重筋労働部門すなわち鉱業,荷役業,国防土木建築業,工場雑役に使用することを目的とし(第2要領,1号)
,中国人の募集,斡旋は華北労工
協会が行うこととすること(同3号)
,中国人の使用を認める事業場は,中国人
の相当数を集団的に就労せしむることを条件として,
関係庁協議の上これを選定すること(同6号)とされているほか,中国人の食事内容(華人労務者の通常食)
,就労期間(2年)
,賃金(現地で通常支払われる賃金)などについ
て定めている。そして,この閣議決定の第3措置では,この中国人の強制
的な移入は,
試験的にこれを行い,その成績により漸次全面的実施に移
るものとされている。
上同日,企画院は,閣議決定に附帯する華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク華北労務者内地移入実施要領(甲総3の3)を制定し,中国人労働
者の強制連行の試験的試みの具体案を示した。そこには,契約期間(1年),
移入に要する費用は事業者負担として賃金から控除しないこと,休日,賃金,就業時間などについて規定されている。
(5)

中国人強制連行政策の本格的成立について
前記閣議決定では,まず試験移入を行い,その成績によって,本格的移入に移行することが決められていたところ,昭和18年(1943年)4月から11月まで試験移入が実施された。その試験移入の実施結果については,概ね良好なる成績を収めた甲総3の1)と報告されたことから,政府は,昭和19年(1(
944年)2月28日,次官会議において華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件(甲総3の3)を決定し,中国人の本格移入を決定した。それまでの決定と異なる特徴点は,第1に,中国人を訓練する施設の設置において,国において訓練施設の設置につき適当なる措置を講ずることとされ,政府が責任を負うことが明記されていること(第一,通則,3項)
,第2に,中国人を使用する事業
場の選定は,
各関係省協議の上厚生省之を選定することとされ,中国人使用
の主務官庁として厚生省の役割が明確化されていること第二,

使用条件,
1項)

第3に,中国人のための食糧確保は,
農商務省において特別の措置を講ずることとされ,農商務省の役割が明確化されていること(同2項4号),第4に,
中国人が大量に日本国内に移入されてくることから,事業主は防諜並びに逃亡防止に留意するよう強調されていること(第四,その他,1項)などである。そして,この決定にも,移入対象とすべき中国人の条件(年齢等),従事すべき
産業(国民動員計画産業中鉱山業,国防土木建築業及ぴ重要工業等),契約期間
(2年)
,事業場における労務管理の方法などのほか,休養,食事,娯楽施設の用意,賃金,就労時間,休日等の待遇に関する記載がされている。また,ここでは,
内地に移入する華人労務者の供出又は其の斡旋は大使館現地軍並びに国民政府(華北政務委員会)指導の下とされており,供出又は
其の斡旋
(供出の斡旋)を日本大使館,現地軍,華北政務委員会の指導の下で,
華北労工協会に担当させるという決定になっている。
現地軍北支那方面軍)

が表面に出た形での供出又は供出の斡旋は,もはや自由な意思が介在する余地はなく,強制的に華人労務者を労務供給の対象として供出させるという暴力的な支配が想定されているのである。

2
中国人強制連行の形態,組織について

(1)

強制連行に至る手続
上記の次官会議決定に付随するものとして,
華人労務者内地移入手続
(甲
総3号の3華人労務者就労事情調査報告書(第一分冊)参考資料第四・59頁以下)が定められた。これには,
第二移入雇傭申請ノ処理として,厚生

省から事業主別雇傭員数の割当予定の通報を受けた事業主は華人労務者移入雇傭願を所轄庁に府県経由で提出することとされ,厚生省が割当てを決定した場合には,移入が可能になり,華人労務者斡旋申請書」を提出すること,そして,「第四到着後の措置として,事業主は,移入華人労務者が日本に到着したと
きは,地方長官宛に労働許可証の申請手続をしなければならないとともに,国民職業指導所に移入労務者名簿を提出しなければならないこと,また,事業主には,華人労務者のために,所轄警察署,国民職業指導所等の指示に従って訓練施設,技術教育施設及ぴ適切な娯楽施設を設置し,健康診断,生活訓練等を行うことが義務づけられている。更に,
第五移動に関する措置として,移

入労働者の移動(出動期間の延長,事業場の変更,転雇用)は原則として認めず,必要やむを得ざるときは厚生省の承認が必要とされた。

また,昭和19年(1944年)4月4日付けで,厚生次官及び内務次官の連名で,各府県長官宛に,
華人労務者内地移入ニ関スル件依命通牒
(甲総78)
を発した。その依命通牒には,
華人労務者内地移入ニ関スル方針と華人労務者内地移入要領という決定がなされている。中国人の本格的移入手続は,概要,①厚生省が事業場別移入割合予定数の作成,②それを各府県長官宛に提示する,③府県長官は事業場の信用,経営,労務管理の状態を調査し,
問題がなければ当該事業場に移入斡旋申請書を書かせる,
④移入斡旋申請書は,国民勤労動員署を経て庁府県から厚生省へ提出されると決められている(甲総78,79)


(2)

強制連行の形態
中国人強制連行の形態には,中国人の供出形態に応じて,行政供出」訓「,練生供出特別供出自由募集の4つの形態が存在した。,

行政供出とは,華北政務委員会の行政命令にもとづく割当に応じ,各省,道,県,郷村と,上級機関から下級機関に供出員数の割当をおこない,半強制的に中国人を供出させることである。
訓練生供出は,元俘虜,帰順兵,土匪,囚人を訓練した者を供出することをいう。
行政供出と訓練生供出の違いは,前者は行政機関による中国人の供出であり,後者は軍部による俘虜,帰順兵,土匪,囚人の供出という,供出する主体と供出された中国人の職業(身分)の差異にある。
特別供出とは,
現地において特殊労務に必要なる訓練と経験を有する特定機関の在籍労務者を供出することをいう。特殊労務に必要なる訓練と経験」とは,荷役,造船などについてある程度の経験を有する半熟練工をいい,「特定機関とは,華北運輸公司,福昌華工会社,国民政府機関をさしている。自由募集とは,応募の強制的な取り付けという強権的な契機が含まれていた。
華北労工協会での供出方法は,行政供出と訓練生供出であった。

(3)

雇用契約の内容と性格について
個別事業場と連行組織である華北労工協会との間には,
雇用契約が結ばれ
た形になっているが,
雇用者である個別事業場と被雇用者とされた中国
人の間には,形式上も雇用契約は存在していない。連行組織による中国人の供出と,事業場による中国人の使用を取り決めたものにすぎない。国家総動員法の統制下では,雇用者と被雇用者間の個別的な雇用契約などの労働契約関係が存在しないのは,むしろ当然のことであり,国の政策の一環とさえ言える。
本件の強制労働の対象となる中国人の移入は,囚人労働や人足寄せ場,たこ部屋などの実態を有する人夫供給の契約の延長線上にあったと見るのが実態を正確に反映している。
第2
1
安全配慮義務についての判例の考え方
最高裁昭和50年判決の意義
安全配慮義務についてのリーディングケースとなった最判昭和50年2月25日第3小法廷判決(以下最高裁昭和50年判決という)は,
ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務と定義している。この判決は,国と自衛隊員(公務員)という契約関係に立たない当事者間における関係において,第1に,労務を提供する関係における安全配慮義務の成立根拠の問題,第2に,安全配慮義務の法的根拠としてのある法律関係に基づいた特別な社会的接触の関係の成立範囲の問題,という2つの次元について判断をしたものである。
2
契約関係のない当事者間における安全配慮義務の発生を認めた判例について
(1)

最高裁昭50年判決
上述したように,国と自衛隊員という契約関係に立たない当事者間の関係に関する事案であり,
ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務というときの法律関係が,雇用契約等の契約関係に限定されるものでないことが明らかとなる。
(2)

最高裁平2・11・8第1小法廷判決(判時1370号52頁)
船主から運送会社に対し,船運送委託契約に基づいて船舶の運行が委託された特殊タンク船内の事故において,運送委託契約の委託者である船主に雇傭されていた船長が窒息死したという事案において,船舶運航委託契約の受託者は,信義則上,本件船舶の船長に対し安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断を支持した。

(3)

最高裁平3・4・11第1小法廷判決(判例時報1391号3頁)工場で作業中に罹患した騒音による難聴につき,下請企業の労働者が元請企業に対して安全配慮義務違反を理由として損害賠償を請求した事案であり,最高裁は,安全配慮義務を認めた原審判決を支持した。

(4)

小結
以上の判例の立場は,
雇用契約等の契約関係
,あるいはそれに準ずる関係
,すなわち事実上雇傭契約に類似する使用従属の関係がある場合には,安全配慮義務が発生するとみることができる。
3
事実上の使用従属の関係にない場合でも,安全配慮義務を認めた判例
(1)

労働関係における安全配慮義務を認めた判例
一方が他方の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなど,事実上の使用従属関係にある場合ではなくとも,労働者の健康を保護すべき信義則上の保護義務を認めている判例(シルバー人材センター事件・横浜地裁平成15年5月13日判決(判例時報1825号141頁,米海軍横須賀石綿じん肺事件・横浜地裁横須賀支部平成14年10月7日判決(判例タイムズ1111号206頁)
,中国人強制連行強制労働損害賠償請求事件・新潟地裁平成16年3月26日判決(甲総61)
,中国人強制連行強制労働損害賠償請求事件・広島高裁平
成16年7月9日判決(甲総74)など)がある。

(2)

労働関係以外における安全配慮義務を認めた判例
前記最高裁昭和50年判決以後の下級審判例は,雇用契約やそれに類似する契約関係だけでなく,
交換型契約である売買契約や役務提供型契約である在学契約,
施設提供型契約である医療施設提供契約や観覧施設提供契約などについて安全配慮義務の存在を肯定している。
しかし,これらの判例を見れば,そこで安全配慮義務が発生するために要求されている関係は,
雇用契約に準ずる法律関係に基づき,一方が他方の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなど,使用従属関係にある場合とは,
当然のことながら,異なったものである。特に,公立小中学校の義務教育における就学児童と地方自治体の関係(静岡地裁沼津支部判決(平成元年12月20日・判例タイムズ726号232頁)
,京都地裁判決(平成8年8月22日・判例
タイムズ929号113頁)等)刑務所に拘束されている受刑者と国の関係(横,
浜地裁判決(昭和63年5月25日・判例時報1295号94頁)等),徴兵に
よる兵役軍人と国の関係(東京地裁判決(平成元年4月18日・判例時報1329号36頁)等)
,徴用による被徴用者と国の関係(東京高裁判決(平成15年
7月22日・未登載)
)について,判例は公法上の法律関係の存在を前提として
安全配慮義務の存在を肯定している。公法上の法律関係を前提とする安全配慮義務の存在は,本件の安全配慮義務の存在を判断するうえで極めて重要である。
4
まとめ
以上からすれば,判例の基本的な考え方は,次のように理解することができる。
(1)

第1に,雇用契約(契約関係)がない場合でも,特別な社会的接触関係において,
直接的な指揮監督,支配管理
使用者の設備,機具等の利用などの事実上雇傭契約に類似する使用従属の関係がある場合には雇用契約に準ずる法律関係を認めて安全配慮義務が発生する。
(2)

第2に,
一方が他方の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなど,事実上の使用従属関係にある場合ではなくとも,当該法律関係の性質上,信義則に基づき,相手方の生命・身体・健康・安全を保護すべき立場にあると認められる場合には,その法律関係の性質に応じた安全配慮義務,例えば,健康を保護すべき信義則上の保護義務
(前記シルバー人材センター判決)や対策実施推進義務
(前記米海軍横須賀石綿じん肺事件判決)という安全配慮義務が
発生する。
第3
1
強制労働と安全配慮義務の関係
強制労働関係においても安全配慮義務は成立すること
強制労働関係は,被告国が国策により一方的に形成したものであるが,そのことをもって,安全配慮義務の発生が否定されるものではない。
前述の在学関係,在監関係及び兵役関係も,いずれも,公権力が,相手方の意思の如何に関わらず設定された法律関係であるということができる。それでも,その特別な社会的接触の関係から生じる危険から生徒,在監者,兵士の生命・身体・健康・安全などの法益を保護すべき信義則上の債務を負うのである。
本来,他人に対し労働を要求する場合に契約を締結して契約関係に入るのが通常である。ところが,そのような契約関係に入ることをしないで,前記第1に記述した強制連行の手続に従って,原告ら等中国人に労働を要求(強制)してきたのが本件事案の本質である。そもそも,労働契約が成立すれば,労働契約上の信義則に基づいて使用者は債務としての安全配慮義務を負うのである。違法に強制的に労働をさせられた者は,自らの意思に反して労務に服さなければならないという重大な人権侵害を被っているのに,さらに使用者から安全の配慮を受けることもできないとすれば,二重の不利益を法が認めることになる。この場合,使用者が労働契約関係の不在をもって安全配慮義務の存在を否定することが許されるならば,法はかかる不正義に加担することになってしまう。このような解釈は著しく正義に反し許されるべきではない。
2
強制労働関係においては労働(雇用)契約関係は存在しないこと

(1)

強制労働関係において,労働契約関係が存在しないのは,国家総動員法という戦時体制下における被告国の政策の一環であって,むしろ当然のことといえる。現在における典型的な使用者と労働者という法律関係を本件事案においても想定するのは,本件事案における当時の事実を無視するものであって正しくない。本件事案では,中国において日本軍という国家権力が直接,原告ら等中国人を連行して拘束した後に,日本で強制的に労働させるために日本に連行し,被告企業らの労働現場において強制的に労働させたのであり,被告国が違法な権力的行為をしたのであるから,個別的に原告ら等中国人と労働(雇用)契約関係を締結するなどということが当然想定されないこと,そもそも国家総動員法の下では,働かせるという概念は,労使間の当事者間に予定されている民法の雇用契約という概念とは異質のものとして考えられていたのである。

(2)このような国家総動員法体制下において,中国人の移入に関して,労働(雇用)契約が存在しないのは,原告ら等中国人の責任ではなく,むしろ前記のとおり,被告国が積極的に関与して策定した法制度自体に基づくものである。逆に,契約関係もなく自らの意思で労働関係に入ったわけでもない原告ら等中国人からすれば,自らの生命,身体,健康の安全配慮についての積極的な作為の要求を,労働関係を強いた被告国に請求するのは当然である。合意がある労働関係における労働者でさえ命まで売ったわけではなく,使用者に安全配慮義務を請求できるのだから,ましてや合意なく労働関係に強制的に編入された強制労働者は,通常の労働関係以上に生命,身体,健康についての安全配慮を請求ができてしかるべきである。
まさに強制労働関係におけるこのような意味での信義則上の義務として,債務としての安全配慮義務が成立すると考えるべきである。もし,かかる安全配慮義務を負担したくなければ,当然のことながら,他人をして強制労働をさせるような行為をしなければよかったのである。強制労働についての責任を被告国は負担しなければならない。
3
安全配慮義務の発生には権利者の同意等は不要であること

(1)

安全配慮義務が双方の意思の合致によって構築される結合関係がある場合にのみ発生するものではなく,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示は必要ない。

(2)

安全配慮義務は,
ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務というもので,片面的な義務である場合も当然に前提としていること,片面的に安全配慮義務を負う場合に,義務を負う側はともかく,権利者にとって,その意思に基づいて成立した関係であることを要求する必然性は全くないこと,通常の雇傭契約に基づく労働関係には安全配慮義務が発生しても,強制労働関係には安全配慮義務が発生しないというのは,何らの合理性もないこと,判例上も,人格的共同体関係とは言い難い徴兵関係や在監関係についても,安全配慮義務は発生するとされていることなどから,安全配慮義務が双方の意思の合致によって構築される結合関係がある場合にのみ発生するものではなく,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示は必要ないことは明らかである。
(3)

ちなみに,戦前日本が批准した強制労働に関するILO第29号条約は,その第15条1項で,
労働者ノ労働ニ基因スル災害又ハ疾病ニ對スル労働者補償ニ関スル法令又ハ規則及死亡シ又ハ無能力ト為リタル労働者ノ被扶養者ノ為ノ補償ヲ規定スル法令又ハ規則ニシテ関係地域ニ於テ実施セラレ又ハ実施セラルベキモノハ強制労働ガ強制セラルル者及任意労働者ニ均シク適用セラルベシと規定し,
また,第17条は,
労働者ガ労務場所ニ長期間留ルコトヲ必要ナラシムル建設又ハ保存ノ事業ノ為強制労働ヲ使用スルコトヲ許可スルニ先チ権限アル機関ハ左記ヲ確ムベシ。労働者ノ健康ヲ保障シ且必要ナル医療ヲ確保スル為一切ノ必要ナル措置ガ執ラルルコト就中,(a)労働者ガ労務開始ニ先チ及労務期間中一定ノ期間毎ニ医学的検査ヲ受クルコト,(b)一切ノ要求ニ応スル為必要ナル薬局,病舎,病院及設備ト共ニ充分ナル医員ガ存在スルコト及(c)労務場所ノ衛生状態並ニ飲料水,食糧,燃料,炊事道具及必要アル場合ノ住居及被服ノ供給ガ満足ナルコトと規定している。これらの規定は,本来的には,強制労働関係に基づいて当然に認められるべき義務をないがしろにする国がないように,条約として定めたもので,労働者の意思に基づく労働関係ではない強制労働の場合であっても通常の労働関係と同様に,使用者が労働者の生命,身体,健康に配慮すべきことを示しているのである。
第4

被告国は,国民徴用令による徴用という法律関係を根拠とする特別な社会的接触関係にあること

1
徴用関係について

(1)

戦前,日本国内では,国家総動員法4条,国民徴用令によって,日本国民を強制的にある労働に従事させることが可能であった。国家総動員法4条,国民徴用令によって,日本国民を強制的にある労働に従事させた場合の国と当該日本国民の関係は,国家総動員法4条,国民徴用令に基づく公法上の権利義務関係(いわゆる特別権力関係)である。そして,原告ら等中国人労働者と被告国との間の法律関係は,国家総動員法4条,国民徴用令によって,日本国民を強制的にある労働に従事させた場合の国と当該日本国民の間の権利義務関係に類似した法律関係である。

(2)

昭和18年10月には軍需会社法が制定され,翌11月には軍需省が設置されて国家総動員業務を集約することとなった。
そして,
軍需会社の指定は,
軍需省,
陸軍省,海軍省,運輸通信省の告示で行われた。
昭和20年1月26日には,軍需充足会社令(甲総92)が制定され,軍需の充足上必要な軍需事業以外の事業(軍需充足事業)を営む会社(軍需充足会社)にも,軍需会社法の大半の規定が準用されることとなった。軍需充足会社の指定は,主務大臣の指定によって行われ,被告飛島建設,同熊谷組,同大成建設,同鹿島建設は,昭和20年7月21日,軍需省告示第263号により軍需充足会社に指定された(甲総94)

そして,軍需会社法第6条(軍需充足会社令第1条により軍需充足会社に準用される,甲総92)は,

命令の定むる所に依り生産責任者及び生産担当者並びに軍需会社の営む軍需事業に従事する者は国家総動員法により徴用せられたるものと看做す。

と規定し,これを受けて,軍需会社徴用規則第4条(甲総95,昭和20年1月27日厚生省令第1号による軍需会社徴用規則の改正による改正後の同規則第15条によって,
軍需充足事業に従事する者の徴用にも準用される,
甲総92号)は,次のような定めを置いている。
指定軍需会社の生産担当者及び当該軍需会社の営む軍需事業に従事する者は左に掲げるものを除くの外,徴用せられたるものと看做す。指定軍需工場の生産担当者及び当該指定軍需工場に於いて行う軍需事業に従事する者に付亦同じ。①陸海軍軍人にして現役中のもの(未だ入営せざる者を除く)及び招集中のもの(招集中の身分取扱を受けるものを含む)②陸海軍学生生徒(海軍予備練習生及び海軍予備補習生を含む)③陸海軍軍属④医療関係者職業能力申告令により申告を為すべき者⑤獣医師等職業能力申告令により申告を為すべき者⑥船員法の船員⑦法令により拘禁中の者⑧年齢14年未満の者⑨日々雇い入れらるる者⑩6ヶ月以内の期間を定めて軍需会社の軍需事業に従事する者⑪期間の定なく労務供給契約又は事業請負契約に基づき軍需会社の軍需事業に従事する者⑫総動員業務に従事せざる者⑬女子⑭其の他厚生大臣の指定するもの原告ら等中国人は,上記の軍需会社徴用規則4条の規定する除外規定には該当しない。
(3)

国は,昭和19年2月28日次官会議において華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件(甲総3の3)を決定し,その中で華人労務者は之を国民動員計画産業中,鉱山業,国防土木建築業及び重要鉱業その他特に必要と認むるものに従事せしむる(第1

通則,第4項)こと,及び華人労務者は毎年度国民動員計画に計上し計画的移入を図る(同第6項)こととしている。また,国は,昭
和19年8月16日閣議決定昭和十九年度国民動員実施計画策定ニ関スル件(甲総3の3参考資料第六・67頁以下)では,①新規学校卒業者,②学校在学者,③有業者,④無業者,⑤朝鮮人労働者,⑥勤労報国隊とともに,⑦華人労務者(3万人)を計上している。このことは,被告国自らが,原告ら等中国人(華人労務者)を,日本国民(帝国臣民)と同様に被徴用者としての取り扱いをしていることを如実に示すものである。
2
まとめ
以上に述べたことから,原告ら等中国人と被告国との関係は,次のように考えるべきである。

(1)

軍需会社徴用規則4条に基づき,
徴用せられたるものと看做された者は,

軍需被徴用者とされ,
当該指定軍需会社又は当該指定軍需工場において行なう軍需事業たる総動員業務に従事せしむるものとされている(軍需会社徴用規則6条)
。また,軍需被徴用者には,当然のことながら国家総動員法が適用され,
徴用に応ぜず又は総動員)業務に従事せざる場合は,

1年以下の懲役又は千円以下の罰金に処せられることとなっている(国家総動員法36条1項)

(2)

被告国と日本国民(帝国臣民)である被徴用者・軍需被徴用者との間の法律関係は,国民徴用令・軍需会社徴用規則に基づく公法上の法律関係(勤務関係)であり,国と被徴用者・軍需被徴用者は,この公法上の勤務関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者である。従って,国は,この公法上の勤務関係の付随義務として,信義則上被徴用者・軍需被徴用者の生命・身体・健康の安全に配慮する義務(安全配慮義務)を負っているというべきである。
(3)

原告ら等中国人は,軍需会社法6条,軍需会社徴用規則4条(前述のように軍需充足会社にも準用される)の看做し規定によって,公法上の義務として,軍需会社・軍需充足会社の指定を受けている被告企業らの事業場において,軍需事業,軍需充足事業に従事する軍需被徴用者の立場に置かれていたものである。つまり,この側面だけからみると,原告ら等は,国家総動員法・国民徴用令等に基づく被徴用者,軍需会社法・軍需会社徴用規則・軍需充足会社令に基づく軍需被徴用者である日本国民(帝国臣民)とまったく同じ立場に立たされていたということになる。
(4)

そうであれば,被告国と軍需被徴用者の立場に立たされている原告ら等中国人との関係も,軍需会社法・軍需充足会社令に基づく公法上の勤務関係であり,被告国と原告ら等中国人労働者は,この公法上の勤務関係に基づいて,特別な社会的接触の関係に入った当事者であるということができる。

第5

原告ら等中国人と被告国は,捕虜関係に基づく公法上の法律関係を根拠とする特別な社会的接触関係にあること

1
抑留という事実から生ずる法律関係について

(1)

捕虜法について
事件発生当時の状況から原告ら等中国人と被告国の関係については,当時の捕虜に関する条約を含めた法令の全体(以下,これを一つの体系と考え捕虜法と総称する。
)を検討し,この両当事者間の関係が捕虜法の体系上の法律関係に基づき特別な社会的接触の関係に入った当事者であること,国はこの公法上の捕虜関係の付随義務として,信義則上原告ら等中国人労働者の生命・身体・健康の安全に配慮する義務を負っていることを明らかにする必要がある。捕虜法は,条約と関係国内法規からなる一つの法体系である。それは,平和な現在では全く問題とならない戦時国際法と国内法であった軍法(公法)で構成されていた領域である。捕虜法の基本は,捕虜の保護のために,捕虜の権利義務を定めるものである。それは全体としては,第1次的には戦時国際法として関係国を拘束するもの,第2次的には国内の軍隊に関する軍法として公法的規範,また第3次的には捕虜の個人としての権利義務を定め保障する点で,総合的な法体系である。なお,今日では,その法令の多くは廃止され効力はなくなっている。
(2)

抑留という事実によって生ずる法律関係

捕虜と一般抑留者に関する国際条約と国内法令
国際条約としては,①ハーグ陸戦条約・陸戦規則(甲総80の1・2,批准済)は,捕虜について俘虜ハ,敵ノ政府ノ権内ニ属シ,之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ
俘虜ノ一身ニ属スルモノハ,兵器,馬匹及軍用書類ヲ除クノ外,依然其ノ所有タルヘシ4条)とし,②1929年ジュネーヴ捕虜条約(甲総81,未批准)は,(
俘虜ハ,敵国ノ権内ニ属シ,之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ俘虜ハ常ニ博愛ノ心ヲ以テ,取扱ワルベク且暴行,侮辱及公衆ノ好奇心ニ対シテ特ニ保護セラルベシ俘虜ニ対スル報復手段ハ禁止ス
(2条)
としている。またその後の重要な発展として,日本が加入し批准した③捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第3条約)昭和28年条約25号,④「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第4条約)昭和28年条約第26号があり,基本は共通である。このことは,敵国の軍人や一般人を捕えて抑留した時点で,抑留された捕虜又は一般人抑留者は,捕えた兵士個人や部隊の権力内に入るのではなく,捕えた兵士や部隊の所属する交戦国の権力内に入り,いわば捕虜関係という公法上の法律関係が成立することを定めている。その結果,抑留した国の政府が捕虜及び一般人抑留者を捕虜条約等で定められているような人道的な取扱いを行い,捕虜等を虐待行為から保護し,安全を保障する法的義務を負うのである。抑留した国が捕虜等を人道的に取扱うことは捕虜等の所属する国家に対する国際法上の義務であると同時に,抑留された捕虜等に対する国際法上の義務でもある。当時このような目的のために設けられていた抑留された捕虜等に関する国内の主な法令としては,⑤俘虜取扱規則(明治37年2月14日陸達22・甲総82),⑥俘虜労務規則(昭和18年5月20日陸軍省令22・甲総83),⑦俘虜派遣規則(昭和17年10月21日陸軍省令58・甲総84),⑧軍抑留者取扱規程(昭和18年11月7日陸亜密7391・甲総85)などがあった。イ捕虜に関する法令の一般抑留者への準用以上に挙げた法令は,④条約と⑧軍抑留者取扱規程以外は,いずれも直接は捕虜に関する規定である。ここで,捕虜と抑留者は,敵軍の構成員であるか否かによる差異である。20世紀以降,軍の構成員以外の敵国人(文民=civilian)もまた保護を要する事態が発生するようになり,捕虜法の準用を当然とする国際的な合意が進行する中で,前記⑧軍抑留者取扱規程が設けられたものであり,その第3条第1項で「軍抑留者の取扱は,本規程に依る。但し本規程に規定なき事項に関しては俘虜の取扱に関する諸条規を準用するものとすとされ,そして労務については第14条で軍抑留所の維持,整理及び保存に関する労務の外これを強制せずと定められ,強制労働は行わないとされていた。

極東国際軍事裁判判決にみる一般抑留者への捕虜に関する法令の準用
(ア)

1945年(昭和20年)7月26日にポツダムにおいて発表されたポツダム宣言は,同年9月2日に調印された降伏文書とともに,現行憲法の基本となるもので,現在においても日本が遵守すべき国際法規といえる。降伏文書は,ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを求め,
現に日本国の支配下に在る一切の連合国俘虜及び被抑留者を直に解放すること並びに其の保護,手当,給養及び指示せられたる場所への即時輸送の為に措置を執ることを命ずと,捕虜と一般人の抑留者の解放と保護を求めた。日本が受諾したポツダム宣言10項は吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加へるべしと,捕虜及び被抑留者を虐待した者を含む戦争犯罪人を処罰することを宣言している。このポツダム宣言10項による戦争犯罪人の処罰のために,極東国際軍事裁判所条例が定められ,この条例に基づき国内外で国際軍事裁判が行われた。そして,日本はサンフランシスコ平和条約第11条で極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾した。(イ)

日中戦争当時において,日本が遵守すべき義務について,極東国際軍事裁判判決は,その適用すべき戦争法規を判決文A部第二章法(ロ)捕虜に対する戦争犯罪の責任において,捕虜と一般人の抑留者を人道的に扱い,正当な待遇を与え,虐待を防ぐことは,抑留した政府の責任である旨を述べている(甲総91・10頁以下)


(ウ)

捕虜の待遇に関する条約については,日本は,ジュネーブ会議に参加して署名したものの批准をしていなかったが,1942年(昭和17年)には,ジュネーヴ俘虜条約の規定を準用するとの立場を宣明にした(甲総86の1ないし89,91・284頁)
。この準用は,第1に,未批准の1
929年ジュネーヴ条約を拘束力ある条約と同様に言わば適用するとの意味,第2に,同条約を一般抑留者にも準用するとの意味を含んでいるものと見られる。
このような状況を受けて,極東国際軍事裁判判決は,
この誓約の交換によって,日本政府とその他の交戦国政府を拘束する厳粛な合意が成り立った。その合意というのは,1929年7月27日のジュネーヴ俘虜条約の規定を,捕虜にも一般抑留者にも同じように適用すること,この条約によって要求されているように,食料と衣服をかれらに支給する際には,かれらの国民的と民族的の習慣を考慮すること,抑留者を強制的に働かせないことであったということを認定している。また,同判決はジュネーヴ俘虜条約を『準用』的に遵守するという日本政府の誓約または約束については,それをどう考えようとも,すべての文明国が承認した戦争に関する慣習法規によれば,捕虜と一般人抑留者には,すべて人道的な取り扱いを与えなければならないということは,動かすことのできない事実であるという事実を認定した(甲総91・284頁以下)

この点について,後に日本はサンフランシスコ対日条約第11条で,この認定を含む極東国際軍事裁判を受諾した。

(エ)

一般人抑留者に対しても,1929年ジュネーヴ捕虜条約や陸戦法規慣例規則が適用されることは日本の国際法学者も認めることである。そして,昭和18年11月7日に制定された日本の国内法規である軍抑留者取扱規程は,その第3条1項で,

軍抑留者の取扱は,本規程に依る。但し,本規程に規定なき事項に関しては俘虜の取扱に関する諸規定を準用する

と定めている(甲総85)。

(オ)

一般人抑留者の抑留について,極東国際軍事裁判判決では,日本が占領地の原住民から労働者を徴用したことを指摘し,
本章において,『一般抑留者』という言葉を使用するときは,われわれはこれらの徴用された労働者をも含めたものであると述べて,占領地において住民を労働者として徴用し,その権力下においた労働者も一般人抑留者として,前述した国際法が適用されるとしている。そして,日本が占領した中国の華北の住民を徴用した中国人労働者も一般人抑留者であり,日本に保護義務が課せられているとしている。
(甲総91・280頁)
したがって,原告ら等中国人が,一般人抑留者として,1929年ジュネーヴ捕虜条約や陸戦法規慣例規則が適用され,さらに日本の国内法規たる軍抑留者取扱規程が適用されて,
捕虜,抑留者という法律関係が成
立することは明らかである。
2
捕虜関係という法律関係下における保護義務の発生,内容について
(1)

保護義務の発生について

敵軍を構成する戦闘員も非戦闘員である占領地域の住民も(原告ら等中国人労働者は多くは住民で一般抑留者であるが,約4万人の強制連行された者の中には一部中国共産党や国民党の戦闘員として捕虜の立場にある者もいる。,)
日本軍が捕獲抑留した時点で,抑留された住民は日本国政府の権力内に入ることになり,
陸戦規則と捕虜条約が適用され,
人道的な扱いをしなければならず,
過酷な労働が禁止されることになる。
原告ら等中国人は日本軍によって抑留された時点で,日本との間で捕虜関係ともいうべき公法上の法律関係に入り,被告国は原告ら等中国人の生命・身体・健康の安全等を保障する保護義務が生じていた。この抑留という行為によって,抑留者に対する捕虜関係という公法上の法律関係(かつて特別権力関係と呼ばれた関係)が成立し,保護義務が発生することが,本件強制連行・強制労働における特質といえる。


違法な抑留でも保護義務は発生すること
本件強制連行・強制労働は,
軍隊が占領地の住民を拉致し,
強制労働を課し,
非人道的に取扱い,残虐行為を行ったものであるが,占領地の住民に過酷な労役29年ジュネーヴ俘虜条約第3款)

や課役ハーグ陸戦規則第1款第2章,

52条)を課し,非人道的取扱いをすること自体,ハーグ陸戦条約や俘虜条約に違反するばかりか,前掲の国内法にも違反するのである。それは,違法な労役や課役を課す目的で抑留したという点で,捕虜や一般人抑留者に対する違法な抑留であったが,敵国人を抑留したということによって国際法上及び国内法上の義務として,捕虜や一般人抑留者に対する義務として人道的に取り扱う義務を負うのであって,抑留が違法かどうかは保護義務の成立には何ら関係のないことである。


国の捕虜関係に由来する保護義務は,捕虜が国の権力下にあるため,扶養と保護を他の者に委ねたとしても,その所在は変わらないこと
戦時下において,日本が捕虜や一般人を抑留したことによって陸戦の法規慣例に関する規則や捕虜条約その他法令等の規定から出て来る抑留国の保護義務は,被告国の抑留者に対する義務でもある。原告ら等中国人は日本の権力内におかれるのであるから,日本との間で捕虜関係という公法上の法律関係(いわゆる特別権力関係)が生ずることになる。
このような法律関係に入ることで,抑留者を国際法規や慣例が定める人道的な扱いを受け,残虐非道な行為から保護しなければならないという国際・国内法上の保護義務が生じ,その違反は国内法上では不法行為における規範として働くともに,更に労役や課役を課すことによって生ずる別個の安全配慮義務の根拠となりうるものである。たとえ違法に労役を課するために,一般人抑留者の扶養と保護を他の者(労務の受領先)に委ねたとしても,抑留者が日本の権力内におかれる法律関係に変わりはないから,抑留した国は一般人抑留者に対して直接の,主要で継続的な責任をもち,虐待行為を防止し,人道的な取扱いをさせなければならいのである。

保護義務の性質
国際・国内法に反し,非人道的な扱いや過酷な労役や課役を課すこと自体,法規違反となり不法行為となるとともに,抑留者に対し違法な労役や課役を課したものとして安全配慮義務の規範に違反するものといえる。

(2)

保護義務の内容について
保護義務の内容も,捕虜法全体から規定される。

ハーグ陸戦条約・陸戦規則が定める捕虜と一般人抑留者に対する日本の義務内容について
この陸戦の法規慣例に関する規則の定めを日本が批准したことにより,①

捕虜は敵の政府の権力内に属し,これを捕らえた個人または部隊の権力内に属しないこと,捕虜は人道的に取り扱われなければならないこと,捕虜が持っているものは,兵器,馬及び軍用書類のほかは,依然としてその所有物であること(規則第4条)



交戦国の軍隊に属する者は,戦闘員であるか,非戦闘員であるかにかかわりなく,捕らえられた場合に,捕虜として取り扱われること



将校以外は,捕虜の労働を使用することができるが,その労務は過度のものでなく,また一切作戦行動に関係しないものであること,捕虜の行ったすべての仕事に対しては,支払いをすること(規則第6条)



戦争中家族の名誉と権利,個人の生命,私有財産及び宗教上の信仰と慣行を尊重すること(規則46条)



陸戦規則に明文で規定されていないときでも,
一般住民と交戦員は,依然として文明諸国の慣習,人道の法則及び公共の良心の要求から生ずる国際法の保護と原則のもとにあること
などである。
そして,捕虜に関する規定は,軍隊の構成員でない一般人が,捕虜同様に取り扱われて捕獲・抑留された場合,一般抑留者にも陸戦の法規慣例に関する規則が適用され,人道的な取扱いがなされなければならないことは,その性質上当然の解釈として行われる。

俘虜の待遇に関するジュネーヴ条約(1929年)と一般人抑留者の保護内容について
日本はこの条約を決議したジュネーヴ会議に参加して署名をしたものの,批准をしていなかった。
同条約は次のことを規定している。


捕虜は敵国の権力内に属し,これを捕らえた個人または部隊の権力内に属さないこと。捕虜は人道的に取扱われなければならず,また暴行,侮辱及び公衆の好奇心に対して特に保護されなければならないこと。捕虜はその人格及び名誉を尊重される権利があること。婦人は女性に対する一切の斟酌をもって待遇されること。及びすべての捕虜は捕獲国が給養を与えること。(同
条約第2条,第3条,第4条)


交戦国は,将校を除いて,健康な捕虜の労働を使用することができる。但し,下士官は監督の仕事だけに使われること。捕虜の一日の労働時間は過度にならないこと。そして,各捕虜に対しては,毎週連続24時間の休養を与えること。捕虜を不健康な,または危険な作業に使用しないこと。また,労働分遣所は特に衛生上の条件,食糧,医療手当等に関して,捕虜収容所と同じような取扱いをすること。
捕虜には,
その労働に対して賃銀を支払うこと。
(同条約第3款



捕虜の労働,第27条∼第34条)

捕虜はその抑留状態について要求をなし,また苦情を述べる権利があること。


軍抑留者取扱規程について
軍抑留者については,この規定にない事項については,俘虜の取扱に関する諸条規を準用するとされていた(同規程第3条)
。これは,捕虜の待遇に関す
る条約(ジュネーヴ捕虜条約)が一般人抑留者に対しても適用されることを日本が連合国に保証した日本の外交上の対応と一致している。
その習俗慣行を考慮し,公正に取り扱うこと,侮辱虐待を加えないこと(同規程第5条)
。平等取扱い(同規程第6条)
。その健康を保持するに足るべき
建築物の保障(同第7条)
。抑留者の病気の対策として,患者の診察場所や衛
生材料備え付け,
入院の時の対応等が定められている同規程第17,

18条)

軍抑留者の労務については軍抑留所の維持,整理及び保存に関する労務の外これを強制せず(同規程第14条)と定められ,強制労働はないこととされ
ていた。給与は下士官たる捕虜と同等と定められていた(同規程第16条)。


俘虜派遣規則について
この規則は,俘虜を労務に服せしめるため俘虜収容所外に派遣移住させることを目的とした規則である(第1条)
。そして,陸軍部外において俘虜の派遣
を受けるときは,
俘虜派遣許可願を陸軍大臣に提出して許可を得るものとし第

2条)
,陸軍大臣はそれを許可するときは,派遣俘虜の人員,居住,取締,労務(場所,種類,時間,期間等)
,給与,医療に関する事項を定めて俘虜収容
所管理長官に達し(第2条の2)
,俘虜収容所管理長官はこれを受けて所要の
取締法を定めて派遣することとし(第2条の3)
,派遣したときは,速やかに
派遣俘虜の人員,居住,取締,労務(場所,種類,時間,期間等),給与,医
療に関する事項を陸軍大臣に報告すべしとされた(第2条の6)
。また,俘虜
の派遣を許可されたもの(派遣俘虜使用者)は,俘虜収容所管理長官の定めた取締法の実施に関する諸規程を定めて俘虜収容所長の承諾を受けるものとされ(第5条)
,また,派遣俘虜使用者は,派遣俘虜の住居,取締に要する設備を整備維持し(第6条)
,派遣俘虜の糧食,寝具,暖室用薪炭,日用品,旅費そ
の他の給与はその全部又は一部を,また医療についても派遣俘虜使用者が担当し(第9条,11条)
,派遣俘虜の労務指導に任ずるが(第8条)
,また,俘
虜を差出したる俘虜収容所から派遣された職員の指揮を承けしむこととされ(第7条)
,さらに派遣俘虜使用者は,派遣俘虜の状況(労務の成績,衛生状態その他の主要なる事項)を俘虜収容所長に報告する義務を負い(第14条),
俘虜収容所管理長官の定めた取締法に違反したときは,陸軍大臣は俘虜派遣の許可を取り消すことができるとされている(第15条)

ただし,仮にこのような俘虜の派遣規則がなくても,国は,捕虜関係という法律関係に基づいて,直接,前記①②③の各ハーグ陸戦条約・陸戦規則,俘虜の待遇に関するジュネーヴ条約(1929年)
,軍抑留者取扱規程に定める内
容の俘虜の保護慮義務を負うことに変わりはない。
3
保護義務から安全配慮義務が導かれる根拠について

(1)

捕虜関係という特別な社会的接触関係から,何故に債務としての安全配慮義務が認められるのかについて,次に検討する。

(2)

抑留関係という社会的接触関係によって,国が自己の権力下においた抑留者に対する保護義務は,単なる不法行為規範だけではなく,
ある法律関係に基づく社会的接触関係が生じた者が負う安全配慮義務となるのであり,捕虜条約や陸戦法規慣例規則の規定は,具体的な安全配慮義務の内容となる。
一般的に,強制労働でない通常の労働関係において,使用者や国が負うべき安全配慮義務として論じられてきたのは,主として労働条件に関してである。そこでは,
労働者の生命・健康を維持できないような労働条件を課していたとすれば,そのこと自体が安全配慮義務違反とされることになる。他方で,衣食住や衛生状態に関する領域の義務,すなわち生命・健康を維持するに十分な食糧を与えることや,健康を維持して人間としての尊厳を保って生活することが出来るような衛生状態のもとでの居住環境と衣服を与えることなどは,本来,自己責任の妥当する領域であって,その保障を他人に請求する安全配慮義務の問題は生じないと考えられている。

(3)

しかしながら,強制労働でない通常の労働関係であっても,労働者が使用者の
寄宿舎で生活するような場合は,衣食住や衛生状態に関する領域の権利を他人に請求することができる。使用者が労働者の食糧や居住環境,衣服,衛生状態を管理した上で労務の提供を請求するからには,通常の労働条件の保障に加えて,衣食住や衛生状態の水準にも配慮する義務が生じるものと考えられる。なぜなら,ここでは衣食住や衛生状態については,労働者の自己決定権が及ばないので,自己責任が妥当しないからであり,このような労働者の自己決定権を制約し管理権を有する使用者こそが,そこから生ずる危険につき管理責任を負うべきであり,またそのような責任を負わせても,寄宿舎生活をさせて労務を提供することが結局は使用者の利益に適うのであるから,利益が帰するところに責任が帰することが信義則上公平だからである。労働基準法95条が,事業の附属寄宿舎に労働者を寄宿させる使用者に対し,
食事に関する事項や安全及び衛生に関する事項などについて寄宿舎規則を作成し,行政官庁に届出を義務付け,また同法96条で

使用者は,事業の附属寄宿舎について,換気,採光,照明,保温,防湿,清潔,避難,定員の収容,就寝に必要な措置その他労働者の健康,風紀及び生命の保持に必要な措置を講じなければならない。

と規定しているのも,こうした労働者の自己責任の妥当しない領域における安全配慮義務を明文化したものと考えることができる。
(4)

以上からすれば,強制労働関係においては,自己決定権が完全に奪われるので
あるから,労働条件のみならず,衣食住及び衛生状態などについても安全配慮義務が生じることは明らかである。
第6
1
被告国の負う安全配慮義務の具体的内容と義務違反行為
安全配慮義務の具体的内容

(1)

被告国が負っている安全配慮義務の具体的な内容は,前記で述べたとおり,ハーグ陸戦条約・陸戦規則,俘虜の待遇に関するジュネーヴ条約(1929年),
軍抑留者取扱規程,俘虜派遣規則に定める内容の保護義務(安全配慮義務)である。
それは,
①ハーグ陸戦条約・陸戦規則が定める人道的取り扱い規則第4条)(

労務が過度でなく,仕事に対して賃金を支払い(規則第6条)
,家族の名誉と権
利,個人の生命,私有財産及び宗教上の信仰と慣行の尊重(規則46条)であり,
②俘虜の待遇に関するジュネーヴ条約1929年)(
が定める人道的取扱,
暴行,
侮辱及び公衆の好奇心からの保護,人格及び名誉の尊重,給養の貸与(同条約第2条,第3条,第4条)
,労働時間が過度にならず,毎週連続24時間の休養の
確保,不健康な,または危険な作業に使用せず,特に衛生上の条件,食糧,医療手当等に関して捕虜収容所と同じ取扱,労働に対する賃銀の支払い(同条約第3款
捕虜の労働,第27条∼第34条)である。さらに,③軍抑留者取扱規程が
定める習俗慣行の考慮,公正な取り扱い,侮辱虐待を加えず(同規程第5条),
平等取扱い(同規程第6条)
,健康を保持するに足る建築物の保障(同第7条)

病気の対策として患者の診察場所や衛生材料の備え付け同規程第17,(
18条)

軍抑留所の維持,整理及び保存に関する以外の労務の不強制(同規程第14条)であり,さらに,④俘虜派遣規則が定める派遣俘虜の居住,労務(場所,種類,時間,期間等)
,給与,医療に関する内容,さらに派遣俘虜使用者が俘虜収容所
管理長官の定めた取締法に違反したときの陸軍大臣による俘虜派遣の許可の取り消し(第15条)である。
(2)

以上の安全配慮義務の内容は,


生命・健康を維持するに足る十分な食料を与え,


生命・健康を維持するに足る労働条件のもとで労働させ,


健康を維持し,人間としての尊厳を保ちうる生活状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を確保する,という最低限度の義務(これをまとめて生命・健康保障義務という。
)を含むものである。
その内容は,具体的には次のようなものである。


作業に従事するに相応しい栄養バランスのとれた食事を少なくとも1日3,000キロカロリーの食糧を与える義務



不慮の事故に遭わないようにするために,
労働訓練・教育を実施した上で,
事故防止をするための措置を施す義務


定期的に休憩や休日を与え,現場での指示・監督にあたっては,暴力を用いないように配慮すべき義務



衣類については,長野県の冬期,屋外で重労働作業に従事しても凍えない程度の衣類を与え,雪などで衣類が濡れた場合に備え十分な着替えを準備する義務



宿舎については,冬期を過ごすのに相応しい設備,特に就寝する際の布団や宿舎内の暖をとれる程度の暖房設備を用意する義務



少なくとも,週2回程度は入浴及び洗濯の機会を与える義務



疾病にかかったときには,医者の適切な治療を受けさせ,治癒するまで治療に専念させる義務。



強制連行・強制労働の終了に伴い,原告ら等の生活を原状に回復させる措置をとるとともに,原告ら等に対し情報を提供する義務

2
原告ら等中国人と被告国との間の特別な社会的接触関係について

(1)

はじめに
原告ら等中国人の強制連行・強制労働は,内閣,商工省,企画院,興亜院,厚生省,内務省,運輸省,外務省,大東亜省,陸軍省,北京大使館,上海大使館,軍需省,運輸通信省,領事館,農商務省,地方庁等が一体として連携し,一つの国家意思の下に政策決定をし,輸送,労役,厚生,食料,賃金,労務管理・取締等の管理を行った国家プロジェクトであり,前述のような国家総動員体制,軍需会社法指定という制度の下において,すべての面において,被告国が使役企業たる被告企業らと共同し,一体となって,原告ら等中国人労働者の衣食住及び労働条件を支配管理していた。

(2)

被告国の政策決定
中国人の強制連行・強制労働は,被告国が,昭和17年11月27日の閣議決定をし,それに基づいて約1400名の試験移入の後,昭和19年の次官会議決定華人労務者ノ内地移入ノ促進ニ関スル件」
で本格移入の決定がされたことは,上述のとおりである。(3)斡旋・供出についての被告国の関与次官会議決定においては,中国人労働者の供出・斡旋について,日本国政府の機関の指導・関与が鮮明になっている。実際に供出・斡旋にあたることとなっている現地労務統制機関の華北労工協会は,日本の北支方面軍と興亜院によってその設立が決定され,華北における日本軍の傀儡政権である華北政務委員会が出資し,監督する直属の機関であるから(甲総75),実際の供出・斡旋には,実質的に日本政府が深く関与することが次官会議決定でも前提となっていたのである。その後に定められた「華人労務者内地移入手続(甲総3号の3参考資料第四
・59頁以下)においては,厚生省が,事業主ごとの割当予定人数を庁府県に通報し,事業主に華人労務者移入雇用願を提出させて,割当人数を決定することとなっていたなど,中国人労務者の斡旋・供出について厚生省が中心的役割を果たすこととされていた(甲総3の3・59頁以下,甲総75・65頁など)。
以上より,中国人労務者の斡旋・供出については,厚生省を中心とする被告国が,直接に関わっていたことが明らかである。
(4)

連行
原告ら等中国人は,日本軍及びその傀儡である中国の軍隊に連行されたが,その後の連行過程や収容所における監視,取締,管理等につき,被告国の軍隊や傀儡政権の軍隊が関与していた(甲総3の3・61頁)


(5)

逃亡の防止
連行してきた中国人の逃亡を防止するための取締は,
被告国の内務省が担当し,
取締要領を定めたり,事業場から報告を受けたりするだけでなく,警察官を社外華労指導派遣員として各事業場に常駐させるなどして,直接,逃亡防止の任に当たらせるなどしていた(甲総3の5・29頁,甲総75・289頁)。

(6)

労務管理
事業場における中国人の労務管理についても,
被告国は,
直接に関与していた。
具体的には,厚生省,内務省,所轄警察署による直接の労務管理が行われていた(甲総3の5・69頁,甲総75・67頁など)


(7)

食事・宿舎等の生活面
被告国は,閣議決定,
華人労務者内地移入に関する件第三措置に基づく華北労務者内地移入実施要領(甲総3の3・49頁)
,次官会議決定等を通じて,
衣食住や医療,所持品,入浴など中国人の生活面の細部にまで及んでいた。
(8)

賃金
被告国による管理は,
華人労務者給与規定要綱
(甲総3の5・96頁)に
よって賃金基準を定めるなど,中国人の賃金にも及んだ。被告企業らの各事業所においても,賃金の払い渡しにまで内務省や警察などの官憲が指示・管理することとされていた。
なお,中国人の賃金については,
華人労務者給与規定要綱
(甲総3の5・
96頁)によって一日5円と定められたが,一人一日5円を支給できない事業場に対しては差額分を国庫から補助するものとされた(同要綱の三項)。これは,
原告ら等中国人の強制労働が,事業場やそれを擁する企業のためだけに存在したのではなく,究極的には国の軍需を満たすためのものであることを端的にあらわしている。

(9)

各事業場における被告国の関与実態について



被告鹿島建設・α1作業場(甲各B9)
中国人の移入時には,
供出地より乗船地までは軍隊・訓練所職員・警察官及び(被告)本社職員付き添い,労工の保護監督し下関入港後は本社現場員・警察官多数の出迎えを受け,無事現場に到着せりという状況であった(甲各B9・10189頁)




関係者の配置状況

県警本部より華人係警察官6名配属され,治安警察の立場より厳重なる取り締まりを実施。労務管理は主として警察官吏のするところとなり,事業場側は警察官の指揮命令の下にあり

という状況であった(甲各B9・10209頁)



事業場での中国人の取扱いに関しては,外務省から派遣された調査員P49氏による華人労務者調査報告覚書
(甲総2・89頁以下)で,同事業
場においては,とりわけ,官憲による労務管理的取締りが厳しかったとして,本事業場の第二の特質は,警察権力の強力に作用したる点にあり。警察権の及ばざるは単に作業面のみにして,生活管理面に於ては全面的に作用し,配給関係は勿論のこと入浴等に至る迄厳重なる取締監視を行ひたり。而も其の取締干渉たるや,凡そ労務管理とは縁の遠き文字通りの取締にして,華労の心情健康衛生等を全然無視したるものなり。と記載されたほどであった。


逃亡者の他事業場への転雇用の処置
同作業場では昭和19年6月上旬に3名の中国人が逃走し,学徒動員により同事業場で就労していた旧制県立α55中学校の4年生30名ほどが,軍事教練指導のために配属されていた陸軍中尉の指示の下,木曽福島警察署員とともに捜索した事件があったが,3名とも捕らえられたあと長期間警察署に拘禁させられ,同事業場に戻されていない(証人P31,甲総26の2,甲各B・177頁)




中間異動
同事業場に移入させられた中国人は,その後,
中間異動と称して被告
鹿島建設の群馬県α12事業場と岐阜県α2事業場に移転・就労させられたが,同α12事業場の事業場報告書によると,群馬への移動の際には特高警察が付き添っていた(甲総63)





被告熊谷組・α3作業場(甲各C1)
中国人の移入時には,
下関港まで出迎え,長野県和田警察署特高主任巡査部長P75外3名の警察官及び熊谷組職員P76外8名が下関港まで出迎え,事業場移入まで付添っていた(甲各C1華人労務者就労顛末報告中の事業場及関係者
三華労関係者
移入及び送還時における職員付添状況。



関係者の配置状況
各現場毎に専任警察官1名宛配置し,指導取締にあたった(甲各C1事業場及関係者)



事業場での中国人の取扱いに関しては,
外地労務者として総て関係官庁和田警察署指導監督下に慎重を期した(甲各C1五場の態度・三華労の態度及事業事業場華労取扱。)総て関係官庁の指導命令に基づき之をなし,当時所轄和田警察署において専任華労係警察官3名を各宿舎所在地に駐在せしめ之が専ら取締にあたった(甲各C1五の態度,三④華労の態度及事業場事業場華労取扱,(6)華労取締方策)

逃亡者の他事業場への転雇用の処置
α3作業場では昭和19年7月6日,3名の中国人が作業場から逃走する事件があり,所轄和田警察署が捜索して発見し,政府側の指示により,逃亡者3名は事業場へは帰還させず,和田警察署に於いて調査の上昭和19年12月3日に北海道地崎組へ転雇用された(甲各C1華人労務者就労顛末報告付記1事故に依る減少状況欄記載等)⑤

中間異動
α3作業場に移入させられた中国人は,その後,
中間異動と称する他
の事業場への配置換え等の異動を計4回させられたが,いずれの場合にも,移入先の所轄警察署警察官が付添って転移入を担当した(甲各C1事業場及関係者ウ①三配置状況(4)中間異動。)

被告飛島建設・α7作業所(甲各E1,26)
中国人の移入時には,下関より事業場まで,長野県警察官3名(所轄福島警察署より1名,県警察部より2名)が付き添った(甲各E26事業場及関係者三華労関係者
移入及び送還時における職員付添状況060

05頁)



関係者の配置状況
取締専任の巡査が2名配置されていた(甲各E26事業場及関係者06005頁)




事業場での中国人の取扱いに関しては,警察官の取締方針により生活並びに作業の保安に留意するとし,また,治安警備等については警察の指示命令に従うものとされていた(甲各E26五華労の態度及事業場の態度,二(一)「概要06025頁(三)事業場華労取扱
・06025頁)



逃亡者に対する対応等
昭和19年6月29日,P38,P39,P40及びP41が脱走し,P38は逮捕され福島警察署に留置中,取調べ中に死亡し,その他の者は行方不明となっている(甲各E26二移入配置及送還事情一(2)
」06

006頁,同死亡者調書06055頁,同死亡顛末書06089頁,同個人別就労経過調査表06046頁)




被告大成建設・α6作業所(甲各D第1号以下)
昭和19年7月10日,拠出側(華北労工協会)2名(下関まで),被告
大成建設労務係(受入側)2名(α6作業所まで)
,日本軍人20名(塘沽
港ないし下関まで)が付添いα9訓練所を出発し,同年7月11日α17収容所に300名を移送した。同年7月16日,塘沽港から会寧丸に乗船し,同年7月24日下関港に上陸した。α6作業所から3名,長野県の官憲3名がさらに派遣され,下関の関係官憲が輸送その他を斡旋し,同年25日,299名がα6作業所に到着した(甲各D1華人労務者就労顛末報告輸送状況
上陸港受入状況
移送及び送還時に於ける職員添付状況。




関係者の配置状況
専任警察官1名が配置され,福島警察署と連携し華人労働者の取締に当たった(甲各D1華労取締方策。




華労専任巡査が配置され,福島警察署が衣食住その他の一般の取締に当たった(同華労取締方策。



送還状況
α6作業所職員4名,長野県庁保安課職員1名,福島警察署警察官2名が付添い,昭和20年11月29日α42駅を出発,長崎県佐世保港まで輸送した。同年12月1日進駐軍に引き継がれた(同送還状況。


(10)小括
以上のように,被告国の関係省庁や機関が,原告ら等中国人の斡旋・供出から連行,労務管理や衣食住,配置換えに至るまで,直接的,具体的に,深く関与し,これを支配・管理していたことは明らかである。従って,被告国は,原告ら等中国人との間で,特別な社会的接触関係が認められるので,安全配慮義務が発生することは明らかである。
3
被告国の安全配慮義務違反について
被告国が,前記のような安全配慮義務(生命・健康保障義務)を負っているにもかかわらず,その義務に違反したことは次の事実から明らかとなる。
(1)

被告国は,被告企業ら及び原告ら等中国人に対して,次のような直接的かつ強力的な権限を有していた。

戦争を遂行する目的で,国家総動員体制の総仕上げとして軍需会社法・軍需充足会社令を制定したことにより,軍需会社・軍需充足会社を支配管理する極めて強い権限を有していた。


被告国は,国策で原告ら等中国人を強制連行したうえ,軍需被徴用者として徴用し,同人らの労働力を軍需会社・軍需充足会社に指定した被告企業らに提供し,被告企業らにおいて,軍需事業・軍需充足事業に強制的に従事させていた。


被告国は,軍需会社法10条(軍需充足会社令第1条により軍需充足会社に準用される。甲総92)が政府は勅令の定めるところにより軍需会社に対しその勤労管理・・に関し必要な命令をなすことを得と定め,また,軍需会社法施行令第9条(軍需充足会社令第1条により軍需充足会社に準用される。甲総92)主務大臣は軍需会社に対しその営む軍需事業に従事する者の使用,が解雇,従業,退職,給与其の他勤労管理に関し必要なる命令を為すことを得と定めていることから明らかなように,原告ら等中国人の労務管理について極めて強い権限を有していた。

(2)

このように,被告国が,被告企業らを直接監督できる地位及び権限を有しており,しかもその監督権限によって違法を是正できる地位にあった。ア
しかるに,被告国は,原告ら等中国人の生命・健康という極めて重大な法益が侵害されており,その法益侵害が切迫・継続していたことを十二分に認識していた。仮に認識していなかったとしても認識すべきであった。


また,被告国は,戦時統制下において,被告企業らに対し,原告ら等中国人の生命・健康という重大な法益侵害(生命・健康保障義務違反)を是正させ得る唯一の立場にあったにもかかららず,原告ら等中国人の生命・健康保障義務違反をまったく是正していない。

(3)

被告国は,強制連行・強制労働の終了に伴い,原告ら等の生活を原状に回復させる措置をとるとともに,
原告ら等に対し情報を提供する義務を負担していたが,
原告ら等を着の身着のままの状態で中国のα17へ送り届けたのみで,それ以外の義務の履行についてはすべて怠っている。原告ら等の帰還に先立ち,被告国が何よりも優先して支払うべきであった賃金すらこれを支払っていないのである。(4)
第7
1
以上より,被告国には,安全配慮義務違反が認められる。

被告企業らの安全配慮義務違反について
はじめに
原告ら等中国人と被告企業らとの間には,直接的な雇用契約その他の契約は締結されていない。しかしながら,強制労働関係においては,次に述べるような事実が認められることにより,原告ら等労働者と被告企業らとの間には,
雇用契約に準じる関係が認められることは明らかであり,安全配慮義務は発生する。そして,被告企業らは,次に述べるような安全配慮義務の具体的な内容を履行していないことから,安全配慮義務に違反することは明らかである。

2
被告企業らの安全配慮義務の根拠及び具体的内容について

(1)

原告ら等中国人を直接使用している事業者である被告企業らが,直接の使用者として,原告ら等中国人の生命・身体・健康に配慮する義務(安全配慮義務)を負っていることは,被告企業らが原告ら等中国人に対してその指揮・監督のもとに被告企業らが提供する設備や器具等を用いた労務を提供させ,他方で原告ら等中国人がそのような指揮・監督下でそのような被告企業ら提供の設備や器具等を用いて労務を提供せざるを得ないという関係があることから明らかである。
(2)

原告ら等中国人を直接使用している被告企業らが安全配慮義務を負う根拠は以下のとおりである。

被告企業らと原告ら等中国人との間には,雇用契約に準ずる法律関係が存在
する。

被告企業らと原告ら等中国人は,雇用契約に準ずる法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者である。


被告企業らは,
直接的,
具体的に原告ら等中国人の労務を支配管理していた。


従って,被告企業らは,雇用契約に準ずる法律関係の付随義務として,信義則上原告ら等中国人の生命・身体・健康に配慮すべき義務を負っている。
(3)

安全配慮義務の具体的内容
被告企業らに認められる安全配慮義務の内容は,前記第6・1(2)の被告国の安全配慮義務の内容と同一である。

3
原告ら等中国人と被告企業らとの間の社会的接触関係について

(1)

被告鹿島建設について

被告鹿島建設は,労働力不足を補うため華北労工協会との契約に基づいて,α9収容所から中国人を日本に移入し,本件現場で労働に従事させた。契約書には募集費用を含む供出準備費の前払いを初めとする募集から事業場までの輸送費,食料費など一切の経費を同社が負担することを始めとし,移入する中国人労働者のいわば労働条件ともいうべきものが詳細,かつ具体的に記載されていた。実態としても(実際の待遇は,契約書や決定とはまるで異なるものであったが)
,原告ら等中国人は同社の指揮監督下のもとに,上記工事現場で
作業に従事していたが,それにとどまらず,衣食住すべての生活全般を含めて同社の管理下に置かれその指示に従わなければならなかった。

以上の事実からすると,P13ら中国人と被告鹿島建設の間には,形式的には雇用契約が締結されていなかったが,両者を規律するものとして想定されていた契約書や関連規定が実質的には雇用契約と同様のものであり,実態としても中国人が他の従業員とともに(待遇において著しい差があったが),同
社の指揮監督下において労働に従事するという雇用契約の主たる部分と同様の実態があった。すなわち,両者の間は形式としての雇用契約が締結されていないだけであって,実質的にみれば,雇用契約そのものといえる関係であった。したがって,原告ら等中国人と同社の社会的接触は,事実上のものを超えて,安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係に準ずる法律関係にあったというべきである。
なお,上記の法律関係は,原告ら等がα9収容所を出発した時から,遅くとも中国人がα17で同社の全面管理下に入った時点で成立し,日本における強制労働の終了(昭和20年8月15日)まで継続していたというべきである。
(2)

被告熊谷組について

被告熊谷組は,労働力不足を補うため華北労工協会との契約に基づいて,同協会から塘沽港で中国人労働者397人の引き渡しを受け,中国人労働者を被告熊谷組の管理下において日本に連行し,本件現場で労働に従事させた。契約書には被告熊谷組が引き継いだ以降の輸送費,食料費を負担することを初めとし,移入する中国人労働者のいわば労働条件ともいうべきものが詳細,かつ具体的に記載されていた。実態としても(実際の待遇は,契約書や決定とはまるで異なるものであったとしても)中国人労働者は被告熊谷組の指揮監督下のもとに,上記工事現場で作業に従事していたが,それにとどまらず,衣食住すべての生活全般を含めて被告熊谷組の管理下に置かれその指示に従わなければならなかった。


(3)

前記(1)イと同旨である。
被告飛島建設について


被告飛島建設は労働力不足を補うため華北労工協会との契約に基づいて,同協会から北京で中国人の引き渡しを受け,中国人を被告飛島建設の管理下において日本に連行し,本件現場で労働に従事させた。契約書には被告飛島建設が引き継いだ以降の輸送費,食料費を負担することを初めとし,移入する中国人のいわば労働条件ともいうべきものが詳細,かつ具体的に記載されていた。実態としても(実際の待遇は,契約書や決定とはまるで異なるものであったとしても)中国人は被告飛島建設の指揮監督下のもとに,上記工事現場で作業に従事していたが,それにとどまらず,衣食住すべての生活全般を含めて被告飛島建設の管理下に置かれその指示に従わなければならなかった。


(4)

前記(1)イと同旨である。
被告大成建設について

被告大成建設は労働力不足を補うため華北労工協会との契約に基づいて,α9収容所から中国人を日本に移入し,本件現場で労働に従事させた。契約書には募集費用を含む供出準備費の前払いを初めとする募集から事業場までの輸送費,食料費など一切の経費を同社が負担することを始めとし,移入する中国人労働者のいわば労働条件ともいうべきものが詳細かつ具体的に記載されていた。実態としても(実際の待遇は,契約書や決定とはまるで異なるものであったが)
,中国人は被告大成建設の指揮監督下のもとに,工事現場で作業に従事していたが,それにとどまらず,衣食住すべての生活全般を含めて被告大成建設の管理下に置かれその指示に従わなければならなかった。

イ4
前記(1)イと同旨である。

被告企業らの安全配慮義務違反について
被告企業らの各事業場において,原告ら等が従事した労働内容及び労働条件,宿舎等の設備や食糧などの生活環境,被告企業らの職員等による管理状況などの事実については,別紙5(原告らの主張(被告らの不法行為に基づく損害賠償請求について))
に記載のとおりである。
これらの事実からすれば,被告企業らが上記安全配慮義務に違反していることは明らかである。
また,被告企業らは,強制連行・強制労働の終了に伴い,原告ら等の生活を原状に回復させる措置をとるとともに,原告ら等に対し情報を提供する義務を負担していたが,原告ら等を着の身着のままの状態で中国のα17へ送り届けたのみで,それ以外の義務の履行についてはすべて怠っている。原告ら等の帰還に先立ち,被告企業らが何よりも優先して支払うべきであった賃金すらこれを支払っていないのである。
第8

被告国が負う安全配慮義務と被告企業らが負う安全配慮義務の関係原告ら等,被告国及び被告企業らの関係は,被告国は,原告ら等中国人を軍需被徴用者として徴用したうえ(公法上の勤務関係の確立)
,軍需被徴用者の労働力を軍需
会社・軍需充足会社に指定した被告企業らに提供し,被告企業らが,被告国から労働力として提供された軍需被徴用者を直接的,
具体的に支配管理して使用し,
軍需事業,
軍需充足事業に強制的に従事させていたというものである。
そして,原告ら等は,上記二つの法律関係に基づき,被告国との間においても,また,被告企業らとの間においても,それぞれ特別な社会的接触の関係に入った当事者ということができる。
したがって,被告国と被告企業らは,いずれも,それぞれの法律関係(勤務関係)の付随義務として,信義則上,原告ら等の生命・身体・健康に配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている関係になる。

第9
1
結論
直接の使用者の立場にある被告企業らが,雇用契約に準ずる法律関係の付随義務として,信義則上,原告ら等に対し,生命・健康を維持するに足る食料,衣服,衛生状態,及び住環境の確保,生命・健康を維持するに足る労働条件の確保に配慮すべき義務を負っていること,また,被告企業らは,上記義務に反し,原告ら等を軍需事業たる総動員業務である土木工事業務に強制的に従事させていたものであるから,生命・健康保障義務違反があることも明らかである。
したがって,被告企業らの安全配慮義務違反は認められる。
2
被告国は,被告企業らによる原告ら等に対する生命・健康保障義務違反を何ら監督・是正せず,また,何らの措置も取らず,原告ら等が人として生きていくことすら困難な状態にあることを放置していたのであるから,被告国の生命・健康保障義務違反は明らかである。
したがって,被告国の安全配慮義務違反は認められる。
以上
(別紙9)
原告らの主張(安全配慮義務による損害賠償請求権の消滅時効について)第1
1
消滅時効の起算点について
消滅時効の起算点に関する最高裁判例
民法第166条1項の消滅時効の起算点の判断基準について,最高裁判決は,最高裁判所大法廷昭和45年7月15日判決(民集24巻7号771頁)で示された権利行使が現実に期待できるものであることをも必要と解するという判旨に沿って論じられている最高裁第三小法廷平成6年2月22日判決民集48巻2号441頁)(


最高裁判所第三小法廷平成8年3月5日判決(民集50巻3号383頁),最高裁判
所第一小法廷平成15年12月11日判決(民集57巻11号2196頁)等)。

2
消滅時効の起算点に関する最高裁判所の基本的な考え方

(1)

前記最高裁昭和45年7月15日大法廷判決は,民法166条1項にいう権利ヲ行使スルコトヲ得ルとは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけでなく,権利の性質上,その行使を現実に期待できることを要する」

としたものである。(2)最高裁判所判例における「権利行使を現実に期待できる

の意義ア
最高裁昭和45年7月15日大法廷判決は,供託者は債務免脱の効果を求めて供託制度を利用しているのであり,供託物の取戻しによって供託の効果が失われるのであるから,争いの続いている間に供託物の払戻を受けることを当事者に現実に期待することはできないと判断した。


最高裁第三小法廷平成6年2月22日判決は,
じん肺が進行性の疾患であり,
且つその進行を現在の医学では確定できないというじん肺の病変の特質を考慮して消滅時効の起算点を判断したものである。


最高裁第三小法廷平成8年3月5日判決(民集50巻3号383頁)は,自賠法72条の請求権は同法3条の請求権の補充であり(補充性)
,且つ両者は
両立し得ない(非両立性)
,と説いたうえで,同法3条による請求権が否定さ
れた判決の確定時を同法72条の請求権の時効の起算点とした。


最高裁第一小法廷平成15年12月11日判決(民集57巻11号2196頁)は,実質的には死亡保険金請求権という権利の性質が考慮されたものであるともいえるが,むしろさらに最高裁昭和45年大法廷判決を一歩敷衍させたものである。

(3)

消滅時効の起算点に関する最高裁判例の基本的立場
以上のとおり,最高裁は,民法166条1項にいう権利ヲ行使スルコトヲ得ル時とは権利の性質上,その権利行使を現実に期待できる場合を指すものであると判示し,さらにその発展として,
当時の客観的状況等に照らし,その時からの権利行使が現実に期待できないような特段の事情が存する場合には,その権利行使が現実に期待することができるようになった時以降において消滅時効が進行する趣旨と解すべきである。とした。
第2

原告らの権利は未だ時効によって消滅していない
日中間の戦争状態の継続と国交断絶状態,1972年(昭和47年)9月29日の日中共同声明,1978年(昭和53年)10月23日の日中友好平和条約,1986年(昭和61年)2月の中華人民共和国公民出境入境管理法の施行,その後の中国における法整備状況,
日中間の出国手続や入国査証取得手続,
1995年平成7年)

3月7日全国人民代表大会における銭其●外相の発言,原告らの経済状況,外務省報告書等の証拠の不存在などの事実についての主張は,別紙7(原告らの主張(民法724条後段の解釈及び適用制限について)
)と同じである。
第3

本件において消滅時効の援用は権利濫用あるいは信義則違反であり,許されない上述した消滅時効の起算点や完成の議論とは別個に,本件では,仮に消滅時効が完成しているように見えても,当事者間の信義則あるいは権利濫用の観点から,消滅時効の援用は許されないというべきである。

1
消滅時効の援用を制限する判例等について

(1)

消滅時効の援用を信義則違反ないし権利の濫用とする最高裁判決
最高裁判所も,消滅時効の援用を信義則違反ないし権利の濫用と判断し,あるいは,その旨の判断をした高裁判決を維持する判断を下している(昭和41年4月20日大法廷判決(民集20巻4号701頁)
,昭和51年5月25日第三小
法廷判決(判例時報819号41頁)
,昭和57年7月15日(判例時報106
2号137頁)
,平成16年4月27日最高裁第三小法廷決定など)


(2)

消滅時効援用に関する基準
消滅時効の援用に関する最高裁判所の立場は,債務者側が債権者の権利行使を妨げるような行為にでた場合など,債務者側に帰責事由があるときに限って消滅時効の援用を制限するものではなく,①債務発生に至る債務者の行為の内容や結果,債権者と債務者の社会的・経済的地位や能力,その他当該事案における諸般の事実関係に照らして,②時効期間の経過を理由に債権を消滅させることが,著しく正義・公平・条理等に反すると認めるべき特段の事情があり,かつ,③援用権を行使させないことによって時効制度の目的に著しく反する事情がない場合には,時効の援用を認めないとするものであるといえる。

2
本件における事情
以下の各点についての詳細な主張は,別紙5(原告らの主張(被告らの不法行為に基づく損害賠償請求について),別紙7(原告らの主張(民法724条後段の解釈)
及び適用制限について)
)及び別紙8(原告らの主張(被告らの安全配慮義務違反に
基づく損害賠償請求について)
)の記載と同じである。

(1)

被告企業と被告国とが一体として計画・実行した行為
本件強制連行および強制労働は,ひとり被告国のみ,あるいは,被告企業のみにおいて,立案・実行されたものではなく,被告らが一体となって準備・実行されたものである。

(2)

強制連行・強制労働の過酷さ,非人道性
原告ら等を拉致し,家族と引き離して,各事業所まで強制連行した非人道性はいうまでもないが,各事業場での就労や取り扱いも過酷かつ非人道的なものであった。

(3)

賠償義務の不履行と中国への送還
日本の敗戦にともなって,
原告ら等の強制労働自体は終了した。
しかしながら,
原告ら等に対する保護の必要は強制労働の終了によって消滅したわけではない。未払い賃金の支給や衣食,必要物資の給与,帰郷のための費用支給を含む帰還のための措置の保障,傷病に対する手当てや補償,強制連行,強制労働という犯罪行為に対する慰謝の措置,強制連行によって破壊された生活関係の修復のための費用や措置の保障などなど,なすべき課題は山積みであった。しかるに,被告らは,その義務を履行することなく速やかに原告ら等を中国に送還し,かつ,後に述べるとおり自らの犯跡を隠滅・隠蔽して義務の不履行を決め込んでしまった。
その一方で,被告企業らは,国から巨額の損失補償を受け取っている。そして,
原告ら等は,
その後本件提訴に至るまでの間,
何らの手がかりもなく,
その権利が救済されないままに放置されてきたのである。
(4)

権利行使の困難性
原告らには,ごく最近まで,権利行使をしうる条件が客観的になかったし,また,主観的にも自らに権利がありそれを日本の裁判所において実現することが可能だという認識,および,これを支える法律家の援助もなかった。さらに,原告らの経済的困窮も,被告らの行為がその一因をなしていた。

(5)

被告らによる証拠隠滅と改竄

証拠の隠滅
被告国は外務省報告書等の資料を所持しながら国会で虚偽の答弁を繰り返し,これを隠蔽していた。しかも,近時の外交文書の公開により,国が全部焼却しており存在しないとしていた外務省報告書が実は1部は存在し,国はこの外務省報告書を保管していたにもかかわらず,計画的に虚偽の答弁を繰り返していた事実が明るみに出るなど,国は外務省報告書の存在について計画的組織的に隠蔽していた。これは被告国ばかりではなく,関与した企業の関係者にも戦犯として追及されることを免れさせるためであった。さらに,被告企業らにおいても,土木業界が中国人に関する証拠書類を3日間かけて焼却して事実を隠蔽した。


事業場報告書への虚偽記載
被告企業らは,
事業場報告書に虚偽の事実を記載している。
これらの改竄は,
単に被告企業らの独断でなされたものではなく,被告国と被告企業らが一体となって,それぞれの責任を回避するためになしたものである。

(6)

強制労働による被告らの利益
原告ら等を含む中国人労働者は,戦時下の労働力不足を補う目的で,被告企業らの各事業場へ動員され,強制労働に従事させられた。この間も被告企業らは,大規模な建設工事の続行を図ることができるなど,多大な利益を得ている。しかもそれを礎として,被告企業らは,戦後さらなる発展を遂げ,日本を代表するゼネコンへと成長発展したのである。極度の人員不足にもかかわらず政府から増産や建設を求められる中で労働を担った原告ら等中国人労働者らが被告企業らに与えた利益の大きさは計り知れない。
(7)

戦後における被告企業らの利得(加害企業に対する補償)
被告企業らは,原告ら等の奴隷的虐使により人間の尊厳を奪い,かつ,只働きをさせて搾取し,それどころか,詐欺的請求により,国から損失補償金までせしめている。もちろん,被告国においても,約4万人の中国人の強制連行強制労働により,戦時中の労働力不足による水力発電所工事を補い,戦時経済を維持することにより,国家的利益を得たことは明かである。原告ら等の被害と対比するとき,その不公平はあまりにも明かである。

(8)

中国人強制連行事件における時効の規制
本件は民法が適用される事案ではあるが,問題となっている被害は,侵略戦争の評価を含む国際関係において発生したものであり,民法上の不法行為や安全配慮義務違反は,同時に国際法違反を生じさせている。そして,国際法違反による国家責任には,もとより時効という時間制限は存在しない。
1968年(昭和43年)11月26日に国連総会で決議された戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効の不適用に関する条約は,その前文で戦争犯罪及び人道に対する罪の効果的処罰がこれらの罪の防止,人権及び基本的自由の保護,諸人民間の信頼の奨励と協力の助長,並びに国際の平和と安全の保護における重要な要素であると述べているように,戦争犯罪及び人道に対する罪を犯した者の責任を明確にしその責任をとらせることが,同じ罪を防止し諸人民間の信頼の奨励につながるとしている。これは戦争法規に違反する行為を行った者に対する刑事責任に関するものではあるが,時が如何に経過しようと,同じ戦争法規に違反する行為を行った加害国家に対しては,その被害者個人に対する賠償責任を明確にし賠償をさせることが,加害国家が同じ過ちを二度と繰り返さないためにも必要なことである。過去の残虐非道な行為を行った国家の国民は,その過去の行為を忘れてはならないのであり,過去に目をつむり加害国家としての責任を不問に付すことは,決して正義ではなく国際的にも批判されるものである。
3
結論
本件においては,被告企業らは,被告国と一体となって,原告ら等の強制連行・強制労働を立案・実行し,かつ,安全配慮義務に反してそれぞれの事業所で就労させ,非人道的な待遇によって過酷な労働を強いたこと,しかも,被害者らに対し何らの弁償も補償もしなかったこと,送還された被害者らは,強制連行・労働により精神的にも肉体的にも破壊され,また,日本に協力したとして中国国内で冷遇・虐待され,結果的に長期間にわたって経済的に困窮したこと,被告らの保有する書類や資料は,自らの責任を免れるために共同で廃棄し,また,唯一といってよいほど残っている外務省報告書および事業場報告書においてすら虚偽の事実を記載して自らの罪責を転嫁しようとし,強制連行・強制労働の事実自体を否認して,原告らの訴訟提起を困難たらしめたこと(実質的にみれば,原告らの権利行使を妨げたものと評価できる事情があること)
,被告らは,自らの罪跡を免れるために故意にあらゆる証拠書類を焼却・廃棄したものであって,仮に被告らには反証が困難であるにしろ,この点を甘受しなければならない面があること,原告らは権利の上に眠ってきた者とはいえないこと,被害者本人らが重大な被害を受けその後も種々の苦痛を受け続けたのに対し,被告企業らは国家補償金の取得により利益を得たことなどの諸事情が存し,本件においては,時効の援用を許さなければ,時効制度の目的に著しく反するという事情はない上,時効期間の徒過を理由に権利を消滅させることが,著しく正義・公平・条理等に反すると認めるべき特段の事情が認められるから,被告らに,消滅時効を援用して,損害賠償義務を免れさせることは,著しく正義に反し,条理にも悖る。したがって,被告らの消滅時効の援用は権利の濫用として許されない。
以上
(別紙10)
原告らの主張(損害額,名誉回復請求,賃金支払請求,不当利得返還請求)第1

不法行為,安全配慮義務違反による損害額
原告ら等は,人間として最も精力的に活動できた年代を,家族との関係を無理やり引き裂かれ,異国での奴隷に等しい強制労働によって,あるいは度重なる暴力行為によって怪我をさせられ,また病気に罹患させられるなどの肉体的苦痛を与えられた。こうした怪我や病気のために,原告ら等は戦後本国に帰還した後も重い治療費の負担に苦しみ,あるいは労働能力を喪失して思うように就労することができなかったのである。こうした原告ら等が被った財産的及び精神的損害は,どんなに少なく見積もっても2000万円を下回ることはない。

第2

名誉回復請求
原告ら等にとって,日本のために働くことは利敵行為であり,これを行うことを強いられることは耐えられないことであった。原告ら等が日本へ強制連行され,強制労働をさせられたことは,原告ら等の人格を全く省みない暴虐であり,原告ら等は,その名誉感情を害されただけでなく,客観的にも名誉は完全に蹂躙された。すなわち,原告ら等は中国へ帰国後このことについて同胞から厳しい指弾を受けざるを得なかった。それは同胞が日本と戦っているときに日本に出稼ぎにゆき,日本のために働き,利敵行為をしてきたというものであった。これは全く誤解に基づくものであったが,同胞が被った被害が大きいだけに,また当時情報が少ないこともあって,この誤解は容易に解けなかった。そのような誤解のために,被害者である原告ら等ばかりか,その家族親類まで不利益を受けた者もある。その要因の一つは,日本が強制連行・強制労働の事実を認めないことにある。
この言われなき汚名を原告ら等が回復するには,請求の趣旨に記載のとおり,別紙2に記載の謝罪広告の掲載を必要とする。したがって,原告らは,民法723条に基き,その名誉の回復を求める。

第3

賃金支払請求
原告ら等と被告企業との間には,労働契約その他何らの契約関係も存しなかった。しかしながら,原告ら等が被告企業のために労働をしたという厳然たる事実は存在する。そして,労働関係においては,雇用契約ないし労働契約全体が無効であったり,取り消された場合であっても,遡及的無効として不当利得関係などによって事態を処理することは,いたずらに法律関係を複雑にするだけであり,かつ労働者にかえって不利益を及ぼしかねないという理由から,いったん労務に服した以上は,賃金請求等の法律効果は発生するものと解されている。強制労働のような労働契約が不成立の場合においても,同様の考え方が妥当するものというべきである。華北労工協会と被告企業らとの間の労働者移入契約には,労働者1人あたり1日5円という賃金の定めがある。したがって,被告企業らは,原告ら等に対して1人あたり1日5円の割合で賃金を支払う義務がある。
原告ら等が,被告企業に就労させられるべく中国の港を出港してから,日本の敗戦によって強制労働関係が終了する昭和20年(1945年)8月15日までの各日数及び原告ら等が有する賃金債権の金額は,
別紙3請求目録)

に記載のとおりである。
したがって,原告ら等は,上記賃金債権の金額及びこれに対する昭和20年(1945年)8月16日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払請求権を取得する。
第4

不当利得返還請求
原告ら等と被告企業らとの間には,およそ労働契約の外形も存在しなかったことから,賃金請求権が発生しないとしても,被告企業らが原告ら等の就労によって労働の成果を受益し,または無償で労働をさせることによって賃金の支出を免れるという受益を得,原告ら等が労務を提供しながら何らの対価も得られないという損失を被っているということは疑う余地がない。不当利得における損失は,得べかりし利益の喪失を含むことはもちろんであるが,当該事実がなければ確実に財産が増加したことは証明されることを要せず,不法占有の場合の賃料相当損害金のように,その事実がなければ財産の増加することが普通であると認められる場合には,なお損失ありと解せられるべきである。この受益と損失の間には因果関係はあるがこれを正当化する法律上の原因はなく,原告ら等は被告企業に対して不当利得返還請求権を有している。華北労工協会と被告企業らとの間の労働者移入契約には,労働者1人あたり1日5円という賃金の定めがある。そして,この金額は,当時の原告ら等の労働に見合った相当賃料と推定される。原告ら等が,被告企業に就労させられるべく中国の港を出港してから,日本の敗戦によって強制労働関係が終了する昭和20年(1945年)8月15日までの各日数及び原告ら等が有する不当利得返還請求権の金額は,別紙3請

求目録)に記載のとおりである。したがって,原告ら等は,上記賃金請求が認められない場合には,
不当利得返還請求として,
上記各金額及びこれに対する昭和20年1

945年)8月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払請求権を取得する。
以上
(別紙11)
被告国の主張
第1

はじめに
原告らは,被告国に対する各請求の根拠として,①ヘーグ陸戦条約3条等の国際法(国際慣習法を含む。
)に基づく損害賠償請求権,②民法709条等の不法行為に基づく損害賠償請求権,③安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権を挙げる。しかしながら,原告らの各請求は,いずれも法的根拠を欠くか,主張自体失当であって,その請求は棄却を免れない。

第2
1
国際法又はその国内法的効力に基づく損害賠償請求について
国際法における法主体性の基本的考え方

(1)

個人の国際法主体性について

原告らは,ヘーグ陸戦条約3条等の国際法を根拠に,直接被告国に対して,日本国の国内裁判所においてその損害賠償を求めている。
しかし,国際法は,国家と国家との関係を規律する法であり,条約であれ国際慣習法であれ,第一義的には,国家間の権利義務を定めるものであって,国際法が個人の権利の保護,確保に関する規定を置いていたとしても,それは,国家が他の国家に対し,そのような権利を個人に認めること,あるいは,そのような義務を個人に課すことを約するものであって,そこに規定されているのは,直接的には,国家と他の国家との国際法上の権利義務である。したがって,国際法が,個人の生活関係・権利義務を対象とする規定を置いたということから直ちに,個人に国際法上の権利義務が認められたとし,これによって個人が直接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるものでない(いわゆる中国人従軍慰安婦訴訟に関する東京地裁平成13年5月30日判決(乙総A第81号証)等)
。また,国際法が原則として国家間の権利義
務を規律するものである以上,ある国家が国際法に違反するとして国家責任を負うべき場合に,国家責任を追及できる主体も国家であり,このことは,直接の被害者が個人であったとしても,同様であって,この場合に加害国にその国家責任を問い得るのは,被害者個人やその遺族ではなく,被害者の属する国家であり,当該国家が外交保護権を行使することによって,被害者等の救済が図られるのである。
ところで,20世紀に入って,国際法違反行為により権利を侵害された個人が直接国際法上の手続によってその救済を図り得るような制度,すなわち国際裁判所に個人の出訴権を認めることなどを内容とする条約が締結された例がある。このような場合においては,個人が国家に対し特定の行為を行うことを国際法上の手続により要求できる地位を条約自身が与えているとみることができ,その限りにおいて,例外的に個人に国際法上の法主体性が認められたということもできるが,これは当該条約自身がそのように定めたことの効果にすぎない。そうすると,本件において,国際法を根拠として個人が加害国家に対し加害国の裁判所において損害賠償請求権等を行使することができるというためには,当該国際法規に,その旨の特別の制度が存在することが不可欠である。イ
このように,国際法の法主体は,原則として国家であるから,個人にそのような国際法上の権利が認められるためには,特にその旨を条約において明確に定めることが必要であり,個人が自らその権利を行使するための国際法上の実現手続を保持し,当事者としての適格(請求の主体としての資格)が特別に認められているか否かがその重要な判断要素である。言い換えれば,個人が国際法の単なる受益者にとどまらず,法主体としての権利能力を取得するには,国家に対し特定の行為を行うよう国際法上の手続により要求できる権能を与えられていることが必要である山本草二・国際法新版)


164ページ以下参照)



以上のような見解は,国際法の通説である(松井芳郎・国際法Ⅰ」(東信堂)45ページ,藤田久一編・現代国際法入門98及び99ページ,エイクハースト=マランチュク現代国際法入門」長谷川正国訳)
(158ページ等)。(2)原告らの主張の誤りについて以上のとおり,個人が国際法上の法主体であると言い得るためには,条約に権利義務が規定されているだけでなく,権利を行使するための手続が定められ,権利実現の途が保障されている必要があるが,原告らが主張するヘーグ陸戦条約等にはかかる権利実現の手続が定められていないから,これらの条約は個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めていないと解釈するほかはない。したがって,原告らの国際法を根拠とする請求は,この点において,すでに失当であり,その余の点を検討するまでもなく棄却を免れない。2ヘーグ陸戦条約3条について原告らは,被告国の公務員の行為がヘーグ陸戦規則43条,46条及び52条に違反すると主張し,ヘーグ陸戦条約3条が被害を受けた個人が加害国家に対し損害賠償を請求することができる旨定めた規定であるとして,同条に基づいて損害賠償を請求する。しかし,前記のとおり,個人の国際法主体性の観点から,ヘーグ陸戦条約は個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めたものとは解釈できない上,以下に述べるように,ヘーグ陸戦条約の文脈,趣旨・目的や起草過程を考慮しても,ヘーグ陸戦条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものと解することはできない。(1)文脈からする解釈についてヘーグ陸戦条約の前文の第2段落においては,「締約国ノ所見ニ依レハ,右条規(引用者注:これは1899年に採択されたヘーグ陸戦規則を指す。)ハ,・・・交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ,交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトスと規定して,人民との関係を明示して規定しているのに対し,3条においては,
交戦当事者ハ,・・之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトスと規定
するのみで,
人民トノ関係ニ於テというような文言を置いていないし,2条
は,第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ・・・締約国間ニノミ之ヲ適用ス」と規定し,7条は「本条約ハ・・・諸国ニ対シテハ・・・,其ノ効力ヲ生スルモノトスと規定している。もとより,
個人の権利行使を認めるための手続が定められているわけではない。そうすると,文脈からすれば,3条が個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものでないことは明らかである。
(2)

趣旨及び目的からする解釈について
ヘーグ陸戦条約1条は締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシと規定し,ヘーグ陸戦規則の適用は,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課することによって実現する方式を採用している。このことからすれば,ヘーグ陸戦条約は,国家間に相互に義務を課し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする国際法の基本原則に沿う形で制定されたということができる(藤田久一・新版国際人道法194ページ)

ヘーグ陸戦条約3条は,ドイツ代表の提案を契機としてできたものであるが,この提案は,ヘーグ陸戦規則をいかに実効的に履行するかという議論の流れの中で出されたものであって,3条は違反行為によって損害が生じた場合に国家が賠償責任を負うことで,
履行を確保しようとしたものであった。
すなわち,
3条は,
ともかくも加害国家に賠償責任を負わせることに主眼があったのであり,責任を負う相手方が誰であれ,国家責任が認められれば右の意図は十分達成されているのである(乙総A第82号証・島田征夫意見書(以下島田意見書という。)
15ページ)

そうすると,ヘーグ陸戦条約の趣旨及び目的から,3条が個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものと解釈することができないことは明らかである。

(3)

起草過程からの解釈について
条約文の審議経過や提案者の意図といったものは,条約文があいまい又は不明確等の場合に,補足的な解釈手段として例外的に利用される場合があるが,ヘーグ陸戦条約3条のように,条文の文言上,国家間の権利義務を定めていることが明らかで,また,国家実行上もそれが裏付けられている場合に,そのような事情を考慮する必要はないが,念のため,ヘーグ陸戦条約3条の審議経過を検討することとする。

同条約3条は,1907年のヘーグ第2回会議においてなされたドイツ代表の提案により挿入された規定であるが,その提案の中には,
その責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定に当たっては,中立の者と敵国の者で区別をし,中立の者が損害を受けた場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるべきであろう。一方,敵国の者については,賠償の問題の解決を和平の回復の時まで延期することが必要不可欠である。とする部分がある("ACTES
ETDOCUMENTS"(ヘーグ陸戦条約審議経過の抜粋)乙総A第83号証訳文5ページ)。
このその責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定賠償の問題の解,決を和平の回復まで延期するという表現は,賠償問題が国家間において解決される問題であることを明確にしていると考えられる(なお,
支払方法の決定という文言からして,裁判所における解決が念頭に置かれていないことは明らかである。。


また,このドイツ代表の提案に対しては,交戦国の国民と中立国の国民との区別を設けた点で議論があったが,その中で,スイス代表のボーレル大佐は,中立の者に対する賠償の支払いは,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため,大抵の場合,即時に行い得るであろう。・・賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払いは,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。(同訳文7ページ)と述べている。これは,明らかに賠償の支払いが国家間で行われること,すなわち外交保護権の行使によって解決されるべきことを前提としていたものといえるまた,

スイス代表は,
損害賠償責任に関する規定を国際的制裁規定と理解していることも明らかである。同訳文6ページ)

そして,このスイス代表の発言に,ドイツ代表は謝意を表していたのである(乙総A第4号証・小寺彰意見書(以下小寺意見書という。
)26ないし
29ページ)

これに加え,審議経過においては,個人に生じた損害の救済につき,いかなる方法でこれを具体化し実現していくかについての発言も全くなかったのである。

しかもヘーグ陸戦条約が締結された1907年当時,
個人は国際法の客体なのであるとする見解が通説であり(島田意見書1ページ),オッペンハイ
ムは,ヘーグ陸戦条約締結前の状況について,

以前(19世紀)においても戦争法規の違反は国際不法行為とされてはいた。しかしそうした違法行為に対して賠(補)償を行うという確立したルールはなかった。

としており,そもそも国家責任自体が認められていなかったことを明らかにしている(島田意見書16ページ)

このように,ヘーグ陸戦条約が締結された1907年当時の国際法における個人の位置付けは,

個人は国際法の客体である。

という公理が支配していたのである。個人が実際に,国際法上の主体として登場するのは,第一次世界大戦後の混合仲裁裁判所設置以降のことであり,それ以前のヘーグ陸戦条約締結時において,個人が国際法上法主体性を持つということ自体が考えられていなかったのである(島田意見書1ないし6ページ)
。そのことは,捕虜の待遇
に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約についてのジュネーヴ条約解説Ⅲ(赤十字国際委員会)においても明らかにされている。すなわち,条約の違反行為に対する物的賠償については,少なくとも今日の法制の下においては,違反行為を行った者が服務していた国に対して,請求者が損害について直接訴訟を起すことができるとは考えられないことである。国がその請求を他国に対して行うことができるだけであって,その請求は一般には「戦時賠償と唱えられるものの一部となるものである。(乙総A第7号証682ページ)」
とされ,個人が加害国家に対し直接の損害賠償請求権を認められるということは考えられないことだったのである。
それ故に,前記のとおり,ドイツ代表の提案に関し,スイス代表のボーレル大佐は,
中立の者に対する賠償の支払いは,責任ある交戦国が被害国と平時関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決しうるため,大抵の場合,即時に行えるであろう。・・・交戦国同士の間での賠償支払いは,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできない。と発言し,賠償の支払いが交戦国同士の間でなされることを明らかにし,ドイツ代表は,スイス代表の発言に謝意を表していたのである(小寺意見書28及び29ページ)

したがって,ヘーグ陸戦条約のための会議参加者が,この

個人は国際法の客体にある。

という当然の公理を前提に,同条約の起草会議に臨んだと考えるのが自然であり,ヘーグ陸戦条約3条により,個人に,国際法上の損害賠償請求権を認めるという認識は一切なかったとみるのが自然である。エ
次に,このヘーグ第2回会議において,ドイツ代表がかかる提案をなすに至った経緯について,我が国の戦前における戦時国際法の代表的著作である信夫淳平博士の戰時國際法提要上巻355及び356ページ(乙総A第84号証)によれば,以下の事情があったとされている。
すなわち,1899年のヘーグ第1回会議において,1907年の第2回会議と同様に,
陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約及び陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則が締結されたが(1899年の条約には,1907年の陸戦条約3条に相当する規定はなかった。,上記1899年の陸戦条約1条は,1907年)
の陸戦条約1条と同様に,
締盟國ハ各各其ノ陸軍ニ對シ本條約附属ノ陸戦ノ法規慣例ニ關スル規則ニ遵依スル訓令ヲ發スヘシと規定していた。ところが,
ドイツの参謀本部が1902年に制定して陸軍部内に令達した陸
戰慣例の内容は,1899年のヘーグ陸戦規則と相いれない内容となっていた。すなわち,このドイツの陸戰慣例は,敵国軍隊に対する加害手段,敵国の占領地及び住民の取扱い,及び中立国の権利義務の3部15章から成っていたが,その指導理念は,いわゆる戦時無法主義であった。この戦時無法主義の理念とは,凡そ戰は單に敵國の軍隊のみを對手とせず,敵國の有形的權力のみを撃破するに止めず,併せてその精神的威力をも破壊するを要す,隨つて敵の私有財産を破壊し,敵の常人に壓虐を加へ,都市村落を砲撃し,無償の徴發を行ひ,資源を涸渇せしめ,甚しきは俘虜を殺戮し,その他敵に屈伏を促し講和を哀求せしむるに必要なる如何なる手段に訴ふるを可なりとし,海牙條約の要求する人道主義の如きは感傷性且女々しき情念に過ぎずと斷じ,軍事的必要の至上主義を極度に力説したるものである。(同書355及び35
ヘーグ

6ページ)というものであった。そして,この陸戰慣例の中には,海牙條約の如きは単に徳義的拘束力を有するに過ぎず,獨逸陸軍は自己の便宜に從ひ之を守るも守らざるも可なりという意味が記してあったために,列国はドイツの誠意を大いに疑ったとされている。そこで,
獨逸は不信實の非難を避くるがためか,第二回海牙會議に於て,陸戰法規慣例條約及び同規則の改正問題の討議に方り,同國代表は別に「一)交戰國にして本規則[本條約附屬の(陸戰法規慣例規則]に違反するものは被害國に對し賠償を爲すの義務あること(下線引用者)(二)兵の違反行為に對しては所屬國政府その責に任ずべきことと云へる宣言案を提出した。各國全權孰れも異議なく,全會一致にて之に賛した。その結果が新條約(現行)第三條の

前記規則ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ損害アルトキハ之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戰當事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ。

といふ舊條約に見るなかりし民事的制裁の一規定の挿加となったのである。
」とされ,ドイツは,こ
の1907年の陸戦条約及び同規則に従い,
新たに訓令を陸軍部内に発したが,
この訓令は

畢竟右の提議の責任上から新條約の該規定と一致せしめざるを得ざるものであつたのである。(同書356ページ)とされている。


以上のようなドイツ提案の経緯及び審議経過の検討によれば,ヘーグ陸戦条約3条が,個人の損害賠償請求権を認める趣旨で審議されていたものではないことが明らかである。

(4)

外国の裁判例について
また,かかる見解は,米国の裁判例(乙総A第87号証・邦訳3ページ,乙総A第88号証・邦訳3ページ,乙総A第89号証・邦訳11及び14ページ)やドイツ連邦最高裁決定(乙第90号証。邦訳12ページ)においても採られている。

3
条約の国内法的効力について

(1)

原告らは,その主張に係るILO29号条約,ヘーグ陸戦条約が国内法としての効力を有すると主張する。
その趣旨は明らかではないが,原告らが挙げるヘーグ陸戦条約が,国際法上被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権ないし謝罪請求権を保障しているものでないことは,前述したとおりであり,また,ILO第29号強制労働に関する条約上,被害者個人が加害国の国内裁判所において加害国を相手に損害賠償を求め得るとする特別な制度は設けられていないから,同条約が,国際法上被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権ないし謝罪請求権を保障しているものでないことも明らかである。
そして,原告らの挙げるヘーグ陸戦条約等の規定が,そもそも被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権をその内容として保障していない以上,これら条約等の規定が国内法的効力を有するとしても,それにより当該規定が保障していない個人の損害賠償請求権が国内法的に創設されるということはあり得ない。したがって,本件について国際法の国内法的効力を論じてみても,これをもって,原告らの請求が法的に根拠づけられるものでもない。

(2)

また,条約が国内法としての効力を持つとしても,それだけで直ちに裁判所等の国家機関がこれを具体的請求権等の根拠法規として適用できるわけではないので,念のため,この点について述べておく。
条約は,国際法の一形式であるが,これを締結するのは国家であって,国家間の権利義務関係を定立することを主眼とする。このため,条約が直接国内法上の効果を期待し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には,原則として,その目的を達成するため国家機関に立法義務を課し又は行政措置を採ることを命じ,これを受けて,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになる。したがって,条約の内容が私人相互間又は私人と国家間の法律関係に適用可能なものとして裁判所等の国家機関を拘束するためには,原則として,上記のような国内措置による補完が必要であり,現にそのような国内法が多数制定されている。例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接適用可能である場合があり得るとしても,いかなる規定がこれに該当するかは,当該条約の個々の規定の目的,内容及び文言並びに関連する諸法規の内容等を勘案しながら,具体的場合に応じて判断されなければならない。
そして,この判断に当たっては,第1に主観的要件として,私人の権利義務を定め,直接に国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できること,第2に客観的要件として,私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具体化する法令を待つまでもなく,国内での直接適用が可能であることなどが挙げられる。これらの要件を考慮して,条約の自動的執行力の有無を認定することとなる(山本・前掲国際法105ページ以下参照)

したがって,そうした検討を経ることなく,条約一般が直ちに国内において直接適用可能であると解することは正しい法解釈とはいえない。
とりわけ,国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合には,事柄の性質上,権利の発生等に関する実体的要件,権利の行使等に関する手続的要件等が明確であることが強く要請される。
(3)

この点について本件をみるに,原告らは,被告国に対して損害賠償を請求しているのであるから,個人の加害国に対する損害賠償請求権を根拠づける条約条項を指摘する必要があるところ,前記のとおり,そのような請求権を根拠づける条約条項は存在しない。そうである以上,前記主観的要件及び客観的要件を具備しているとの主張すらないといわざるを得ず,主張自体失当である。また,前記のとおり,ヘーグ陸戦条約3条等の条約は,国家間の賠償責任を定めた規定と解するほかなく,個人の国家に対する損害賠償請求権を定めた規定ではないから,このような規定が国内法的効力を有しているとしても,そのことから,原告ら個人が国内法的に賠償請求権を取得するという結論にはなり得ない。すなわち,これらの条約は個人を賠償請求の主体として認めたものではないのであるから,これに国内法的効力が認められたからといって,個人の権利が創設されることはあり得ない。国家責任に関する規定が国内法的効力を有していることを根拠に原告ら個人の賠償請求権を認めることは,解釈に名を借りた立法にほかならない。
したがって,原告らのこの点に関する主張も前提を欠き失当というほかない。
4
小括
以上のとおり,原告らの国際法違反を根拠とする請求はいずれも失当であることが明らかである。

第3

民法709条等の不法行為による損害賠償請求について
1
はじめに

(1)本件において原告らが加害行為と主張する被告国の行為は,第二次世界大戦中,
我が国の政策として原告らを中国国内から日本国内に強制連行し,α3作業所等で強制労働に従事させたというものであるから,旧日本軍人らが戦争行為に付随して組織的に行った行為というべきであって,正に国家の権力的作用にほかならない。
しかるところ,本件加害行為時の大日本帝国憲法下においては,国又は公共団体の権力作用について,私法である民法の適用はないとされ,これに基づく国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の法理)

すなわち,行政裁判法及び旧民法は,国家無答責の法理に基づいて制定されたものであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法Ⅱ(第二版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)
。したがって,本件に日本民法の適用
はなく,同法を根拠とする原告らの請求は失当というほかない。
(2)

また,本件は,不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部又は一部が発生する場合であるから,民法724条後段の除斥期間の起算点は,
損害発生の原因となる加害行為が行われた時である。
しかるところ,
原告らの請求は,その主張する加害行為時から50年間以上が経過した後になされたもので,その主張する損害賠償請求権が仮に発生したとしても既に消滅したことは明らかであるから,この点からも失当というべきである。

2
本件に日本民法が適用されないことについて

(1)

国家無答責の法理が基本的法政策として確立していたこと

行政裁判法16条について

(ア)

行政裁判法16条は行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セスと規定しているが,この行政裁判法案を作成するに当たり,先決的に解決すべき問題として,いかなる問題が検討され,かつ解決されたかについては,伊藤博文が編纂した官制關係資料所収の行政裁判所設置ノ問題と題
する資料(乙総A第57号証)にそれを見ることができる(行政裁判所・行政裁判所五十年史・乙総A第58号証26ないし29ページ,和田英夫・行政裁判(法体制確立期)日本近代法発達史3巻111ページ)。これ
によれば,行政裁判法の制定過程において,政府の主権に基づく処置すなわち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害については,憲法学上当時一般に是認されていた国家無答責の法理により,個人は,原則として行政裁判所に対して損害賠償の訴えを提起できないとしたのである。また,行政裁判法案の原案を作成したモッセは,国の不法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所においても,国家責任を問い得ないとしていた。すなわち,モッセは,公権力主体としての国家と私経済主体としての国家を区別し,前者については無答責,後者については私人と同様の責任を負うという解釈を採っていたのである(宇賀克也・国家責任法の分析409,419,420ページ,
モッセ氏國ノ民法上損害賠償義務ニ關スル意見
・乙第95号証474ないし477ページ)

以上のように,行政裁判法16条は,国家無答責の法理を当然の前提として,行政裁判所の損害賠償請求事件に係る事物管轄の範囲を定めたものといえる。
(イ)

また,国家無答責の法理は,明治23年に制定された裁判所構成法の制定の際にも貫徹されている。
すなわち,裁判所構成法は,明治20年5月にルドルフが中心となって草案を起草し,法律取調委員会で検討修正して,明治23年に法律とされたものであるが,その法律取調委員会案(帝国司法裁判所構成法草案)の33条で,
地方裁判所ハ民事訴訟ニ於テ左ノ事項ニ付裁判権ヲ有スと
して,
第一第一審トシテ(イ)金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求(ロ)金額若クハ価額ニ拘ハラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル(ハ)其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専属スルモノヲ除キ総テノ請求とされていた(下山瑛二・人権と行政救済法68ページ)
。ところが,井上毅が意見書(裁判構成法案意見・井上毅傳史
料篇第一614ページ・乙総A第59号証)を提出し,国家無答責の法理を根拠に,国家賠償請求訴訟を司法裁判所に提起できないとする意見を述べたところ,この井上の意見が客観的に通った形で裁判所構成法が制定された(下山・前掲人権と行政救済法68ないし69ページ。同旨東京高裁平成14年3月28日判決・訟務月報49巻12号3041ページ)。
(ウ)

以上述べたように,行政裁判法及び裁判所構成法は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないものとした。このように,国に対する賠償請求は,基本的には,行政裁判所のみならず,司法裁判所においても否定する考えであったのであり,その基本的な法構造は,権力的作用に関する限り,以後,日本国憲法に至る約半世紀余の間継続したものといえる(下山・前掲人権と行政救済法69ページ)



ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除したことについて

(ア)

上記のように,行政裁判法及び裁判所構成法の立法者意思は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないとしていたのであるから,実体法である民法において,国の権力的作用について賠償責任を認める条文を規定することは矛盾である。したがって,ボアソナード民法草案373条から国家賠償責任を認める文言を削除したのは,国家無答責の法理が基本的法政策として採用されていたためであることは明らかである。

(イ)

ボアソナード民法草案の審議過程では,民法に国家賠償責任を認める条文を規定する根拠として,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことがフランスその他の諸国においても異論のないところであるとの認識を前提としていた(法務大臣官房司法法制調査部監修・日本近代立法資料叢書10民法編纂ニ關スル諸意見並雜書398及び399ページ(乙総A第61号証)

(ウ)

しかし,当時の法制局長官であった井上毅(井上毅の法制局長官在任期間は,明治21年2月より同24年5月までである。
)は,今村和郎及び
司法大臣山田顕義等に対して,ボアソナードの見解が誤りであることを指摘している(井上毅傳史料篇第四・乙総A第62号証323及び324ページ,乙総A第63号証639ページ,乙総A第64号証156ページ)。

(エ)

旧民法の審議過程で,様々な意見が表明されたが,最終的に,国家責任に民法原則を適用する主張は,最後の段階で敗退し,旧民法373条から国家責任の規定は削除されたのである(近藤昭三ボアソナードと行政上の不法行為責任法政研究第42巻第2=3合併号341ないし353ページ参照)



小括
以上から明らかなように,我が国の明治政府は,幕末に締結した不平等条約の改正を国家目標として,ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら,近代国家としての法制度の整備を進めていた。
そして,その一環として,行政裁判法及び民法の制定を図ったが,近代法治国家として経験を有していない我が国としては,
他国の法制度を参照しながら,
法律の整備を図らざるを得なかった。
国家賠償責任の問題についても,当初,ボアソナードの意見に基づき,国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとしたが,
ボアソナードの意見は,
その前提としての比較法の事実認識に誤認があり,結局,国家無答責の法理を採用し,ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定を削除したのであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法Ⅱ(第三版)247,248ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)


(2)

現行民法が公法上の行為には適用されないとの理解の下に制定されたものであること

はじめに
現行民法は,公法上の行為には適用されないとの理解の下に制定されたものであり,このことは,現行民法715条(草案では723条)の審議の際における民法典起草委員である穂積陳重らの質疑答弁の内容などから明らかであるだけでなく,国賠法もそれを踏まえて制定されたものであることは,国賠法案の審議内容を見れば明らかである。


現行民法草案の法典調査会での起草者の見解について
明治28年10月4日の法典調査会における現行民法715条(草案では723条)の審議の際における,民法典起草委員である穂積陳重らの発言を見ると(法務大臣官房司法法制調査部監修:日本近代立法資料叢書5法典調査会民法議事速記録五第百十一回―第百三十六回・乙総A第69号証330ページ以下)
,起草委員らは,政府の官吏がその職務執行による賠償責任について,その行為が私法上の行為である場合には,
本条の適用があるものと考えていたが,
それ以外の公法上の行為である場合には,本条の適用がなく,特別法に譲るという考えを持っていたことが明らかである。

国賠法案の起草者の見解について
昭和22年7月16日の第1回国会衆議院司法委員会や同月29日の同国会衆議院司法委員会における国賠法の審議の過程等を見れば,公権力の行使による国家賠償の問題と民法の不法行為責任の問題とは性質が異なること,国賠法1条は,公権力の行使による損害につき国家賠償責任を創設した規定であること,国賠法が,新たに創設された国家賠償の一般法であることなどが明らかである(第1回国会衆議院司法委員会議事録第4号・乙総A第75号証46ページ,第1回国会衆議院司法委員会議事録第7号・乙総A第76号証93ページ)

すなわち,戦前及び戦後を通じて,公権力の行使による損害については,公法関係の問題として,私法関係を規律する民法の不法行為規定の適用がないことを前提に,戦前は,公権力の行使による損害については,賠償責任を認める一般的規定はなく,原則として賠償責任を認めていなかったが,個別の行政分野について,例外的に特別法によって賠償責任を認めていた。これに対し,戦後は,国賠法の制定により,公権力の行使による損害については,原則として賠償責任を負わせることしたが,国賠法5条により,個別の分野において,合理性がある限り,その例外をもうけたり,国賠法1条とは異なった要件をもうけることを許容した。すなわち,戦前は,公権力の行使という公法関係の分野において,国家賠償責任を認める法律がなかったことがいわば一般法として位置づけられ,戦後は,逆に,一般的に国家賠償責任を認める国賠法が一般法として位置づけられることとなったのである。


小括
以上のような現行民法案の審議内容及び国賠法案の審議内容に照らせば,現行民法は,公法上の行為には適用されないとの理解の下に制定されたものであることは明らかであり,国家の権力的作用による損害賠償の問題について,特別法がない場合には,一般法としての民法709条以下の不法行為法が原則として適用されるとの理解は誤りというほかない。

(3)

国家無答責の法理の存在は判例上も確立していること
明治憲法下においては,公法上の行為の中でも,いわゆる権力的作用については,民法の適用はなく,国の賠償責任が認められる余地はないとするのが,大審院及び最高裁の確立した判例である。
すなわち,違法な租税の徴収及び滞納処分を理由とする損害賠償請求事件についての判決(大審院昭和16年2月27日・民集20巻2号118ページ)や特許法による特許の付与処分についての判決(大審院昭和4年10月24日判決・法律新聞3037ページ)
,印鑑証明事務についての判決(大審院昭和13年1
2月23日判決・民集17巻24号1689ページ)等について,いずれも加害行為が権力的作用であることを理由に国の損害賠償責任を否定している。このように,明治憲法下では,権力的作用に基づく加害行為については,民法不法行為の適用はなく国の損害賠償責任は認められないとするのが,大審院の一貫した判例であり,
この判例の態度は,
学説によっても一般に支持されていた美

濃部達吉・日本行政法上巻349ないし354ページ)

そして,この大審院の判例の態度は最高裁判所にも引き継がれている。最高裁判所昭和25年4月11日第三小法廷判決(裁判集民事3巻25ページ)は,国家賠償法施行以前においては,一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠がなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである(当時仮りに論旨のような学説があったとしても,現実にはそのような学説は行われなかったのである。)本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとし,上告人の請求を容れなかったのは至当であって,論旨に理由はない。旨判示しているところである。以上のように,大審院,最高裁は,一貫して,明治憲法下における権力的作用について民法の適用はなく,また,他に国の損害賠償責任を肯定する規定のないことを理由に,損害賠償責任を否定してきたのであり,国家無答責の法理の存在は,判例上も是認されてきたものである。
このような国家無答責の法理について,現在の価値基準を前提に法解釈上の根拠を有するものではないなどとして,これを否定することは,上記のような一貫した判例に抵触するものであって失当というほかなく,法的安定性を損なう不当な解釈と断じざるを得ない。
(4)

本件加害行為は公権力の行使に当たらず,国家無答責の法理は適用されないとの原告らの主張が失当であること

はじめに
原告らは,国家無答責の法理が適用される公権力の行使の要件として,法律の授権があることが必要であり,その前提として,授権した権限に基づき権力的作用を行うことにより保護すべき公務の存在が必要であるとした上で,本件強制連行行為は,本件移入政策が予定していた中国人労働者の選定方法,そこで定めていた労働契約の締結等の法的手続などに則ることなくなされたものであり,法律の授権は存しないから,
公権力の行使
(権力的作用)に該
当せず,国家無答責の法理は適用されない旨主張する。


原告らの主張は,国家無答責の法理についての理解を欠いていること
(ア)

原告らは,国家無答責の法理が適用されるとしても,同法理が適用されるためには,授権した権限に基づき権力的作用を行うことにより保護すべき公務の存在を前提としていると主張する。
しかし,国家無答責の法理は,国の賠償責任を認めた規定が存在しないが故に国が賠償義務を負わないというものであり,問題とされている権力的作用に法的根拠があるか否かはまったく問題とならない。
そもそも,不法行為(違法行為)は,法により許されない行為であり,法によって保護すべき行為とはいえず,通常は,民事及び刑事責任を発生させるものである。しかし,明治憲法下では,その違法行為が国家の権力的作用である限り,民法の不法行為規定の適用を排除し,他に国に賠償責任を認める規定がなかったことから国の賠償責任が否定されたものである。
したがって,原告らは,本件加害行為は何ら法的根拠がなく,保護すべき権力作用ではないから,国家無答責の法理は適用されず,民法を適用すべきであると主張するが,このような主張をすること自体が,上記の国家無答責の法理を全く理解していない証左である。
仮に,公務員がした行為が,法的に保護されるべき行為であれば,それは適法行為であって,損害賠償(国家賠償)の問題は生じず,損失補償の問題が生じるにすぎないし(宇賀克也・国家補償法3ページ参照),不法
行為だから保護する必要がないとしても,それが国の権力的作用による場合は,民法の適用が排除され,国は損害賠償義務を負わないのである。結局,公務員が職務に関して行った不法行為が国家無答責の法理の適用対象といえるか否かは,その行為の性質が権力的作用であるか否かで決せられるのであって,その行為に法的根拠があるか否かで決せられるものではないのである。
この点については,すでに最高裁昭和25年判決が判示しているところである。
また,公吏の職権濫用による滞納処分に基づく損害につき,民法715条に基づく市の損害賠償を請求した事案について,大審院昭和15年1月16日判決(大民集19巻1号20ページ)は,公務員個人の不法行為責任につき,
名ハ滞納處分ナレトモ實ハ職權ノ濫用ニシテ寧口職權行爲ニ非サルモノト謂フヘク從テ不法行爲上ノ責任ヲ免レサルモノトスとして,
公務員の個人責任が認められる可能性を指摘して,原判決を破棄して差し戻し,公法人の責任については言及していない。そして,その差戻し後の大審院昭和16年2月27日判決(大民集20巻2号118ページ)は,凡ソ國家又ハ公共團體ノ行動ノ中統治權ニ基ク權力的行動ニツキテハ私法タル民法ノ規定ヲ適用スベキニアラザルハ言ヲ俟タザルトコロナルヲ以テ,官吏又ハ公吏ガ國家又ハ公共團體ノ機關トシテ職務ヲ執行スルニ當リ不法ニ私人ノ權利ヲ侵害シ之ニ損害ヲ蒙ラシメタル場合ニ於テ,ソノ職務行爲ガ統治權ニ基ク權力行動ニ屬スルモノナルトキハ,國家又ハ公共團體トシテハ被害者ニ對シ民法不法行爲上ノ責任ヲ負フコトナキモノト解セザルベカラズ。と判示して,国や公法人の賠償責任を明確に否定している。同事案における公務員の滞納処分は職権濫用というべきものであり,寧口職權行爲ニ非サルモノとまで認定された事案であるが,大審院は,これについて,公務員個人の不法行為責任が認められる可能性があることはともかくとして,
国や公法人に損害賠償責任を否定しているのであるから,
公務員の権力作用に法的根拠が認められなければ,国家無答責の法理が適用されないという原告らの主張が失当であることは明白である。
(イ)

仮に,公務員が行った行為が公務のための権力的作用にあたらないならば,もはや国の行為とはいえないのであって,公務員個人の行為として,当該公務員が個人責任を負えば足りることとなる。この点について,最高裁昭和25年判決も,
若し仮りに警察官が公権力の行使に名をかり,職権を濫用して本件家屋を破壊したものであるとすれば,これ等警察官が民法上の不法行為の責任を負うことはあるかも知れないが,その場合右の行為はもはや国の行為と見ることはできないのであつて,尚更国が賠償責任を負う理由はないのである。と判示しているところである。これを本件に即していうと,
仮に旧日本軍人らが,
何ら法的根拠もなく,
原告らの主張するような行為をした場合には,官吏が公権力の行使に名を借りて行った職権を逸脱する行為であって,もはや官吏としての行為とみることはできず,国の行為とはいえないから,そもそも国家に対する損害賠償の問題は生じず,また,仮に法律・命令を執行するに当たって行われたという官吏の行為の外形から国の行為とみるべきであるとすれば,この行為は権力的作用であるから,民法の不法行為規定の適用はなく,国は賠償責任を負わないのである。
原告らは,国家無答責の法理に関する,かかる基本的な理解を欠落させているといわざるを得ず,失当であること明白である。

(5)

正義・公平の理念に基づく国家無答責の法理の適用制限について
強制連行・強制労働が行為当時の法令と公序に照らしても許されない違法行為であり,国家無答責の法理を適用して責任がないというのは不当であるとして,正義・公平の理念に基づく国家無答責の法理の適用制限を認める見解がある。しかし,国家無答責の法理は,これが基本的法政策として確立された明治憲法の下では,その正当性ないし合理性が認められていたが故に採用されたことは明らかである。
そして,国家無答責の法理は,我が国のみが採用した特異の法理ではない。米国では,

王は悪をなさず。

というコモン・ロー上の原則を引き継ぎ,1946年に連邦不法行為請求権法(FTCA)を制定するまでは,国家無答責が採用されていたが(植村栄治各国の国家補償法の歴史的展開と動向―アメリカ国家補償法体系Ⅰ(135ページ),この国家無答責の根拠について,1907)
年4月8日のKAWANANAKOA5「Av.POLYBLANK事件(20
U.S.349(1907)
)の連邦最高裁判所判決(ホームズ判事)は,
sovereign


because


obsolete


and


be

of

is
any

formal

theory,

practical
no

exempt

legal

but

ground

right
as

from

suit,

conception
on

the

that


logica

there

against

no

the

ca

uthority
the

that

right

makes

the

law

on

which

depends.
(統治者が訴えられないのは,因襲的

な概念や時代遅れの理論によるものではなく,権利が成り立つ根拠である法律を作り出す権力を相手方とする権利というものはありえないという理論的で実際的な理由に基づくものである。」と述べている。また,英国でも,1947年の)
国王訴追法が制定されるまで同様であり(古崎慶長・国家賠償法47ページ),
ドイツ及びフランスでも,19世紀後半に,国家責任一般に民法を適用しようという試みがあったが,結局,その動きが否定される結果となったのである(宇賀克也・国家責任法の分析411ページ)
。また,原告らが属する中華人民共和国
においても,国家が,人民の国家であって,人民のために奉仕し,人民の利益と根本的に一致するため,人民の権利利益を侵害することはあり得ないという国家と人民との利益が完全に一致するという理論から演繹的に導かれた国家無責任の法理を理論的根拠として,1980年代初頭まで,名実ともに国家無責任の状態であった(張勇・中国における行政救済法の理論的問題・行政上の損害賠償法制度をめぐって(一)名古屋大学法政論集152号108,109ページ参照)
。このように,明治憲法下における国家無答責の法理は,当時の
各国の立法例の趨勢であって,日本国憲法を前提とする現在の価値観から見て,国家無答責の法理の合理性を否定することは全く根拠のないことである。また,前記のとおり,国家無答責の法理は,国の公権力の行使については民法の適用がなく,その他国の賠償責任を認めた法律もなかったことによるものであるから,この法理の適用を制限したからといって,国の賠償責任を認める法律が出現するわけではない。
したがって,正義・公平の理念に基づく国家無答責の法理の適用制限を認める見解は誤りである。
(6)

小括
以上のとおり,
我が国の国賠法施行前において,
国家の権力的作用については,
民法の不法行為法(709条以下)の適用は排除され,国の損害賠償責任は否定されていた。そして,その後,日本国憲法17条に基づき制定された国賠法附則6項は,この法律施行前の行為に基づく損害については,

なお従前の例による。


と定めたが,
これが国家無答責の法理を指すことは,
最高裁昭和25年判決以来,
判例上一貫している。
したがって,国賠法施行前の国家の権力的作用に関する損害賠償請求は,国家無答責の法理により,その法的根拠を欠くものというほかなく,原告らの主張は明らかに失当である。

3
原告らの主張する損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅していることについて
(1)

民法724条後段の法的性格について
最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決(民集43巻12号2209ページ,以下最高裁平成元年判決という。
)は,
民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。と判示して,民法724条後段の法的性格が除斥期間であることを明言し,また,最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087ページ,以下最高裁平成10年判決という。)も,最高裁平成元年判決を引用して,
民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)と判示しているところである。このように最高裁判所は,一貫して,民法724条後段の法的性格を除斥期間であると判示し,最高裁平成10年判決の調査官解説においても,かかる見解は判例理論としては確立したもの
(春日通良・最高裁判所判例解説民事篇平成
10年度(下)572ページ)とされている。
したがって,同条後段の法的性格が除斥期間であることは明らかである。(2)

除斥期間の起算点について
以下に述べるように,民法724条後段にいう不法行為ノ時とは,原則として,損害発生の原因となる加害行為が行われた時と解すべきである。ア
民法724条後段の文理解釈について
まず,文理から考えると,民法724条は,除斥期間の起算点を不法行為ノ時としている。そして,
不法行為ノ時とは,損害発生の原因となる加害行為が行われた
時点を意味すると解するのが最も文理に沿った解釈である。
これに対し,起算点に権利行使可能性を含ませる場合には,
権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ
(民法166条1項)といった文言が使用され,明確に
民法724条後段とは区別されている。
したがって,
不法行為ノ時を,権利行使が可能な時と解するのは文理に
そぐわない。


除斥期間の制度趣旨について
また,起算点を権利行使が可能な時と考えることは,除斥期間の制度趣旨に反する。
すなわち,民法724条後段の規定の趣旨は,最高裁平成元年判決から明らかなように,
不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図するもので
あり,
被害者側の認識いかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解される。これは,民法724条前段の短期消滅時効のみでは,加害者の法的地位が被害者側の主観的事情によって浮動的であることにかんがみ,他方において,加害者の法的地位の安定を図るために,請求権を20年で画一的に消滅させることにしたものである。
このような,加害者の法的地位の安定という観点からみると,除斥期間の起算点を定める基準としては,客観的に明確に定められるものであることが要請されるというべきである。
そして,損害発生の原因となる加害行為を起算点とすることは,権利関係を早期に確定できることはもちろん,それがいつ行われたかについて,被害者だけでなく,加害者にとっても,比較的明確かつ客観的にとらえることが可能となり,合理的である。
これに対し,権利行使が可能な時を起算点とすると,権利行使が可能であったか否かは,基本的には被害者側の事情にかかるものであるため,その判断基準が不明確とならざるを得ない。また,かかる解釈を採用すると,40年ないし50年も前の過去の事実にさかのぼって,不法行為の存否や損害発生の有無を審理しなければならないことになるが,もともと不法行為に基づく損害は,債務不履行の場合と異なり,未知の当事者間において予期しない偶然の事故に基づいて発生することが多く,加害者とされた者にとっても証拠の散逸のため事実関係の解明が極度に困難になる。かくては,20年という長期の期間を設定し,上記期間の経過によって請求権を消滅させ,もって法律関係の確定を図ろうとする民法724条後段の規定の立法趣旨に反することは明らかである。なお,このような見解に対しては,事実上権利行使ができないまま加害行為から20年間経過すれば,除斥期間が満了することになり不都合であるとの批判があり得る。
しかしながら,
除斥期間という制度は,
加害行為を受けて損害が発生したが,
誰が加害者であるかが分からず,損害賠償請求権を行使しようとしてもできないという場合であっても,20年間経過すれば請求権が消滅することを認める制度である。
すなわち,除斥期間の制度は,請求権を行使し得ないまま請求権が消滅するという被害者の不利益よりも,
長期間不安定な地位におかれる加害者の不利益,
あるいは,それを前提として成立している社会状態を重視して,20年という極めて長い期間の経過を条件として,請求権を画一的に消滅させることにしたものであるから,事実上権利行使ができない場合であっても請求権を画一的に消滅させることを制度として予定しているものというべきである。最高裁平成元年判決も,民法724条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当である旨判示し,権利行使の困難性等の被害者側の事情を理由として除斥期間の起算点を遅らせることを容認していないのであり,時効期間とされる同条前段との区別を明確にしている。
したがって,除斥期間の起算点を権利行使可能時とすることは,民法724条前段の制度趣旨に反するばかりか,確立した判例にも違背するものというべきである。

最高裁判所平成16年4月27日第三小法廷判決等について
最高裁判所平成16年4月27日第三小法廷判決(民集58巻4号1032ページ)は,筑豊地区に存在した炭坑で粉じん作業に従事したことによりじん肺に罹患したと主張する者又はその承継人が,国に対し,国がじん肺の発生又はその増悪を防止するために鉱山保安法に基づく省令制定権限を行使することを怠ったことが違法であるなどと主張して,国賠法1条1項に基づく損害賠償を求めた事案において,
民法724条後段所定の除斥期間の起算点は,「不法行為ノ時と規定されており,加害行為が行われた時に損害が発生する不法行為の場合には,加害行為の時がその起算点となると考えられる。しかし,身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害や,一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害のように,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきである。なぜなら,このような場合に損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは,被害者にとって著しく酷であるし,また,加害者としても,自己の行為により生じ得る損害の性質からみて,相当の期間が経過した後に被害者が現れて,損害賠償の請求を受けることを予期すべきであると考えられるからである。
」と判示した。同判決は,当該不法行為により発生
する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点とするが,かような事態は例外であり,同判決も,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部又は一部が発生する通常の場合には,加害行為の時を除斥期間の起算点としている。
最高裁判所平成16年10月15日第二小法廷判決(民集58巻7号1802ページ)も,水俣病の患者であると主張する者等が,国に対し,国が水俣病による健康被害の拡大防止のためにいわゆる水質二法に基づく規制権限行使をしなかったことが違法である等と主張して,国賠法1条1項に基づく損害賠償を求めた事案において,前掲最高裁判所平成16年4月27日第三小法廷判決と同様,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,例外的に,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点としつつ,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部又は一部が発生する通常の場合には,加害行為の時を除斥期間の起算点としている。


小括
以上のとおり,少なくとも,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部又は一部が発生する通常の場合には,民法724条後段にいう不法行為ノ時とは,損害発生の原因となる加害行為が行われた時と解すべきである。
そして,本件は,第二次世界大戦中,被告国の原告ら中国人に対する強制連行・強制労働政策及び同政策に基づく原告らに対する強制連行・強制労働に関与した個々の日本軍人等が行った行為が違法であるとして,被告国らに対して損害賠償等を求める事案であり,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が行われた時に損害の全部又は一部が発生する場合に当たるから,除斥期間の起算点は,損害発生の原因となる加害行為が行われた時である。原告らの請求は,その主張する加害行為時から約50年間が経過した後になされたもので,その主張する損害賠償請求権が仮に発生したとしても既に消滅したことは明らかであるから,失当というほかない。
4
除斥期間の適用制限について

(1)

原告らの主張
原告らは,民法724条後段の法的性格につき,除斥期間であるとしても,時の経過の一事をもって画一的に法的安定を求め(それは加害者の保護という結果になることが),それが不法行為制度の究極の目的を害い,著しく正義・公平の理念に反する場合には被害者側と加害者側の諸事情を考慮して制限されることを明らかにしたのが,平成10年の最高裁判決である。などと主張し,最高裁平成10年判決は,民法724条後段を除斥期間であるとしながらも,正義・公平の観点から,その適用を制限することを認めているところ,本件においては,加害行為の悪質性,被害の重大性,原告らの権利行使可能性,被告国らの不誠実な対応などを考慮すると,

一定の時の経過のみをもって,被害者である原告らの権利の(ママ)消滅させることは正義・公平の理念に反するものである。本件においては被害者の権利を消滅させるべきでない「特段の事情

が存在している。」
などと主張する。

(2)

被告国の反論
しかし,民法724条後段は,不法行為をめぐる権利関係を長く不確定の状態におくことには重大な問題があり,被害者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早期に確定させようとすることが法の意図するところである(河野信夫・最高裁判所判例解説民事篇平成元年度612ページ参照)。かかる法意
に照らせば,
原告らの主張する諸事情をもってその適用を制限することはできず,以下に述べるように,原告らが根拠として主張するところも失当である。

最高裁平成10年判決は,民法724条後段を除斥期間と判示した最高裁平成元年判決を引用して,
民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきであると判示しつつ,時効の停止に関する民法158条を指摘した上,
不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には,
その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると,少なくとも右のような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。と判示した。この判決は,
不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときにという極めて限定された要件の下で,その効果においても,時効の停止と同様の所定の期間だけいわば除斥期間の経過を停止させるという限度において例外を認めたものであり,民法158条という時効の停止に関する既存の条項の法意を援用して極めて限定的に例外を認めたものである。
したがって,民法724条後段の除斥期間の適用が制限されるのは,他の法文に根拠を求めることができる極めて例外的な場合に限られるというのが,最高裁平成10年判決の正当な理解であり,最高裁の確立した立場であるといわなければならないのであって,同判決が,一般的に,除斥期間の適用が著しく正義・公平の理念に反する場合には,その適用を排除できるとした旨の原告らの主張は,明らかに同判決の射程を誤ったものといわなければならない。イ
最高裁平成10年判決に照らしても,本件が,除斥期間の適用を制限すべき例外的な場合に該当しないことは明らかである。
すなわち,
原告らは,
①本件被害は被害者の個人の尊厳を踏みにじる残虐性,悪質性,非人道的な行為である,②日中関係や中国国内での状況等を考慮すると,原告らには権利行使の期待可能性がなかった,③被告国らは,戦後,証拠隠滅を含む不誠実な対応をした等の事情により,本件では除斥期間の適用は制限されるべきであるなどと主張するが,このような原告らの主張が,最高裁平成10年判決の判示する心神喪失の常況にあるためおよそ権利行使が不可能な事情に該当しないことは一見して明らかである。原告らが主張するこれらの事情は,従来,信義則違反あるいは権利濫用を基礎づける事情として主張されてきたものであるところ,除斥期間の適用が信義則違反あるいは権利濫用であるとの主張は,最高裁平成10年判決においても主張自体失当とされているのである。このような事情に基づき除斥期間の適用を制限することは,最高裁平成10年判決の予定するところではない。仮に,
上記のような理由により,
除斥期間の適用が制限されるならば,
結局,
原告らにおいて訴訟提起の準備ができたとする時点を任意に選択して,権利行使が可能になった時点だとする主張を許すのに等しく,権利行使が速やかになされることを目的として設けられ,その効果が画一的に認められるはずの除斥期間の趣旨を著しく没却することになるのは明らかである。
また,本件の場合,最高裁平成10年判決が指摘する時効の停止等のような除斥期間の適用を制限する根拠となるものは何ら存しない。原告らは,時効の停止に関する民法158条ないし同161条の規定に相当する権利行使を不能ないし困難ならしめる事由を全く主張せず,むしろ,権利行使をしようと思えばいつでも権利を行使することが可能だったとも言い得る事情をもって権利行使が不可能であったと主張し,ただ著しく正義・公平に反する場合には,除斥期間の適用を一般的に制限すべき旨主張するのみで,除斥期間の経過が否定されるべき一定の期間も主張されていない。
(3)

小括
以上のとおり,民法724条後段の適用制限に関する原告らの主張は,確立した最高裁判例を正解しないものであって,失当である。

第4
1
安全配慮義務違反による損害賠償請求について
はじめに
原告らは,最高裁判所昭和50年2月25日第三小法廷判決(民集29巻2号143ページ,以下最高裁昭和50年判決という。
)を引用し,ある法律関係に基づ
いて特別な社会的接触関係に入った当事者間においては,その特別な社会的接触関係に入ることによって,その法律関係に伴う危険の現実化によって相手方の法益を侵害しないように配慮する義務を負うとした上で,被告国は,中国から強制連行してきた中国人労働者に対して,強制連行してきた中国人労働者に対して,強制連行によって発生した法律関係に付随して信義則上の義務として,①生命,健康を維持するに十分な食料を与え,②生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,③健康を維持した人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるという最低限度の義務を負うと主張する。
しかしながら,安全配慮義務の前提となる特別の社会的接触とは,当事者間に雇用契約若しくはこれに準ずる法律関係が存在し,かつ,直接具体的な労務の支配管理性が存在することを要するものであって,原告らの主張は,独自の見解にすぎないというべきである。

2
安全配慮義務の前提となる特別の社会的接触の意義

(1)

当事者間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係が介在すること
安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別の社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方に対して信義則上負う義務であり(最高裁昭和50年判決),それに
基づいて負う責任の法的性質は債務不履行責任であると解されている。このように,安全配慮義務違反の法的性質は不法行為ではなく債務不履行であるから,安全配慮義務を導く上記特別な社会的接触の関係とは,不法行為規範が妥当する無限定な社会的な接触関係を意味するものでないことは当然であって,
契約関係ないしこれに準ずる法律関係の介在することが必要であり,このような関係が認められない場合には,安全配慮義務が成立する余地はない(星野雅紀安全配慮義務とその適用領域について下森定編・安全配慮義務法理の形成と展開50ページ)


最高裁昭和50年判決も,
国と国家公務員(以下「公務員という。
)と
の間における主要な義務として,法は,公務員が職務に専念すべき義務(国家公務員法101条1項前段,自衛隊法1項等)並びに法令及び上司の命令に従うべき義務(国家公務員法98条1項,自衛隊法56条,57条等)を負い,国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務(国家公務員法62条,防衛庁職員給与法4条以下等)を負うことを定めているが,国の義務は右の給付義務にとどまらず,国は,公務員に対し,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって,公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下安全配慮義務という。
)を負つているものと解す
べきである。
」として,安全配慮義務が場所,施設若しくは器具等の設置管理上司の指示のもとに遂行する公務の管理に伴って生ずる旨を判示し,,
安全配慮義務を基礎付ける事情として,雇用契約ないしこれに準ずる法律関係の存否にかかわる事項を指摘している。
また,最高裁判所平成3年4月11日第一小法廷判決(判例時報1391号3ページ,以下最高裁平成3年判決という)は,元請企業が下請企業の労働者に対し安全配慮義務を負うか否かが問題とされた事件において,元請企業の下請企業労働者に対する安全配慮義務を認めたが,これは元請企業と下請企業労働者の間に雇用契約に準ずる法律関係が存することに基づくと解される。これらに照らせば,判例も,安全配慮義務が成立するためには当該当事者間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係の介在することが必要であるとするものと理解するのが相当である。

(2)

準ずる法律関係というためには双方が忠実義務を負う関係にある必要があること
当事者間に直接の雇用契約がない場合にもこれに準ずる法律関係があるというためには,何らかの合意に基づく法律関係が当事者間に存在することを前提として,双方が忠実義務を負う関係にある必要があると解される。労働(雇用)契約の法的属性は,労働者が,労務に服することを約し,使用者が,これに対して報酬を支払うことを約するところにある(民法623条)。労
務に服するに当たっては,通常の場合,労働者は,使用者の指定した場所に配置され,
使用者の供給する設備,
器具等を用いて労務の提供を行うものであるから,
使用者は,報酬支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のため稼働する場所,設備若しくは器具,又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において発生する危険から労働者の生命及び身体等を保護するように配慮すべき義務を負うと観念されており,このような義務をとらえて安全配慮義務と定義される(最高裁昭和50年判決等)
。これを要するに,安全配慮義務は,労働者の労務に服
する義務に対応して,使用者が労務の給付を受け,労働者の労務を支配管理する法律関係に付随して生ずる義務といえる。換言すれば,労務受領請求権あるいは労務指揮権に内在する義務としてとらえることができる(星野雅紀安全配慮義務の適用範囲吉田秀文ほか編・裁判実務体系8民事交通・労働災害訴訟法477ページ)

このことからすると,安全配慮義務が生ずる基礎となる社会的な接触とは,当事者の一方が片面的に義務を負う関係ではなく,相互的に忠実義務を負うような法律関係でなければならない。したがって,一方が他方を強制して労働させるような関係は,そもそも不法行為の領域の問題であって,これに含まれないことは明らかである。
(3)

当事者間に直接具体的な労務の支配管理性の存在すること

安全配慮義務は,使用者が被用者に対し,その労務ないし公務遂行に当たって支配管理する人的及び物的環境から生じ得べき危険の防止について信義則上負担するものである(最高裁昭和58年5月27日第二小法廷判決・民集37巻4号477ページ)
。すなわち,使用者が被用者に対して負っている安全配
慮義務は,使用者が業務遂行のために必要な施設若しくは器具等を設置管理し又は被用者の勤務条件等を支配管理することに由来するものであって,最高裁昭和50年判決も,
国は,公務員に対し,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって,公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務という。)を負っているもの
と解すべきである。と判示して,この義務が物的側面(場所・施設・器具等)」
の設置・管理と人的側面(公務遂行面)の管理に当たって成立するものであることを明らかにしている(奥田昌道船長の窒息事故と受託海運会社の安全配慮義務私法判例リマークス1992(上)29ページ)。
したがって,安全配慮義務の成立が認められるためには,当事者間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立しており,使用者の設置ないし提供する場所・施設・器具等が用いられ,これらの物的側面ないし労務の性質が,労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性がある場合等,当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要である(奥田・前掲32ページ)



この点に関し,船主との間の運航委託契約に基づき船舶の運航を受託した者が同船舶の船長に対し安全配慮義務を負うか否かが問題とされた事件に関する最高裁判所平成2年11月8日判決判例時報1370号52ページ,最(以下高裁平成2年判決という。)は,
本件船舶の運航委託契約の受託者である上告人は,本件船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ,本件事故の被害者である本件船舶の船長に対しその指揮監督権を行使する立場にあり,右船長から実質的に労務の供給を受ける関係にあったというのであり,このような確定事実の下においては,上告人は,信義則上,本件船舶の船長に対し安全配慮義務を負うものであると判示し,また,元請企業が下請企業の労働者につき安全配慮義務を負うか否かが問題とされた事件に関する前掲最高裁平成3年判決は上告人の下請企業の労働者が上告人の神戸造船所で労務の提供をするに当たっては,いわゆる社外工として,上告人の管理する設備,工具等を用い,事実上上告人の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も上告人の従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったというのであり,このような事実関係の下においては,上告人は,下請企業の労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったもので,信義則上,右労働者に対し安全配慮義務を負うと判示しているところである。
そうすると,安全配慮義務の成立の前提となる特別の社会的接触関係とは,当事者間に,
直接具体的な労務の支配管理性が存在する場合をいうも
のと解される。
(4)

以上の理は,本件と同種の事案に関する裁判例において,繰り返し判示されている(東京高等裁判所平成14年1月15日判決(乙総A第94号証)等)。

(5)

小括
以上のとおり,安全配慮義務が生ずる基礎となる特別の社会的接触があるとするためには,まず,当事者間に雇用契約若しくはこれに準ずる法律関係の存在することが必要であり,一方が他方を強制して労働させるような関係はこれに当たらない。加えて,当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が存在することをも要し,これらの要件のいずれかを欠く場合には,当事者の一方が他方に対して安全配慮義務を負うとは解されない。

3
被告国と原告ら等の間に,
特別の社会的接触は認められないこと
安全配慮義務の前提となる特別の社会的接触の意義は前記のとおりであるところ,
原告らの主張によれば,
原告ら等は一方的に強制連行されたというのであるから,
被告国と原告ら等の間に双方的な忠実義務が生ずるような雇用契約若しくはこれに準ずる法律関係が存在しないことを自認しており,この点で既に特別の社会的接触を欠くものであり,また,原告らが主張するその他の事実によっても,被告国と原告ら等との間に上記のような法律関係があるとは認められない。
したがって,原告ら等と被告国の間において,安全配慮義務の前提となる特別の社会的接触が認められないことは明らかである。
4
国民徴用令による徴用という法律関係は上記特別の社会的接触の根拠たり得ないこと
原告らは,国家総動員法4条,国民徴用令によって,強制的に日本国民をある労働現場で起居させ,そこで労働に従事させた場合,被告国は,徴用された国民に対し,前記各義務を負うところ,原告ら等中国人に対しては,国家総動員法4条,国民徴用令の適用はないものの,その実態は,被告国が,その国家権力を発動して強制的に原告ら等を労務に従事させたものであって,違法な徴用行為と評価でき,違法な徴用行為であっても,徴用に関する公法上の関係に類似した関係であるから,被告国は,原告ら等に対し,前記各義務を負うと主張する。
しかしながら,外国人である原告ら等に国家総動員法4条,国民徴用令の適用がないことは原告らも認めるところであり,また,外国国家に対して忠誠を尽くす必要はないから,外国人である原告ら等と被告国との関係にその法理が類推される余地もなく,原告らの主張が失当であることは明らかである。
また,原告らは,国民徴用令に関する法律関係が安全配慮義務を発生させる法律関係であることを前提として,これと類似する法律関係である原告ら等と被告国との関係は,安全配慮義務の前提となる特別な社会的接触関係に当たると主張するものであるが,国家総動員法に基づく国民の徴用に関する法令を検討しても,被告国と原告ら等との間の特別な社会的接触」
の関係を基礎づけることはできない。すなわち,国民徴用令17条は「被徴用者總動員業務ニ從事スル場合ニ於テハ・・・管理工場又ハ指定工場ニ使用セラルル者ニ在リテハ當該管理工場又ハ指定工場ノ事業主ノ指示ニ從フベシと定め,同18条1項は被徴用者ニ對スル給與ハ・・・被徴用者ヲ使用スル管衙ノ長又ハ事業主之ヲ支給スルモノトスと定めているが,これらの諸規定に照らせば,徴用の結果生ずる使用関係は,被徴用者と事業主の間に発生することが予定されており,国と被徴用者との間においては,前記の雇用契約ないしこれに準ずる法律関係当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が生じることは予定さ,
れていない。
さらに,国民徴用令の場合には,安全配慮義務発生の要件としての双務的な忠誠関係を伴う法律関係を見出すことはできない。すなわち,国民徴用令に基づく徴用については,
臣民の徴用は権力を以つて特定人に對し一方的に公法上の勤務義務を命ずる行爲(下線引用者)であるとされ(美濃部達吉・日本行政法下巻502ページ),

國民の徴用は権力を以て特定人に對し一方的に公法上の勤務義務を命ずる行政處分である。(下線引用者)「徴用それ自體は何等の身分關係の設定を内容とする行爲


ではなく,身分は從來の儘で,唯臨時他の勞務に服せしめるものであ」るとされているのであって(末川博ほか・總動員法體制126ページ[原龍之助執筆],そこで)
は戦争という緊急事態において国民に対する一方的な処分が存するにすぎず,双方的忠実義務が発生する余地はない。
以上のとおり,国民徴用令による徴用という法律関係をもって,安全配慮義務発生の根拠とする原告らの主張は失当である。
5
原告らが掲げるその他の事情も,上記特別の社会的接触を基礎付けるものではないこと

(1)

原告らは,上記のほか,①昭和16年の国家総動員法6条の改正により、政府は、雇主のみならず従業者に対しても、従業者の使用、雇入、解雇、賃金その他の従業条件について必要な命令を発することができるとされたこと,②労働提供契約及びその実施細目は,いわば政府の命令によって作られた約款というべき性質のものであること,③労働管理は,厚生省(労役),運輸省(輸送)
,内務省
(取締)
,大東亜省,農林省(食料)
,各事業場並びに下級機関として地方庁,
日系指導員,国民職業指導所及び警察署が行うように決められていたのであり,内務省は,厚生省,軍需省と連名をもって,関係地方庁に対し,中国人労働者の指導及び取締に関し通牒を発し,関係地方庁は,作業場宿舎等の選定,警戒対策等の取締上必要な準備をすることとされ,警察は,各事業所の宿舎側近に見張所を設置し,点呼等に立ち会うなどしていたこと,④賃金についても,企業が支払うことになっていた日当の半分を負担し,また,戦後には,中国人労働者によって損害を受けたとする企業の補償要求に応じたことからすれば,経済的にも被告国と企業とが共同して中国人労働者を使用していたと言い得る関係にあること,⑤被告国は,国家総動員法に基づき,労働者を使役するものとしてその労働条件を規律し,施設,器具等も,国家総動員法の配給機構の下では,被告国が提供していたものと同視できる面もあり,また,宿舎の位置,構造等についても内務省警保局外事課が立案し,関係当局の協議において決定していたのであり,右のような関係は,まさしく勤務条件を具体的に支配管理するという直接的具体的な労務の支配下理性を有する関係にほかならないと主張する。
(2)

しかし,①については,被告国が国家総動員法に基づき使用者に対し必要な命令をすることができるとしても,被告国と労働者との関係は,事業者に対する必要な命令を介してのみ行われる間接的な関係であることが明らかであり,むしろ,
そのこと自体において,被告国と原告ら等との関係につき雇用契約ないしこれに準ずる法律関係ないし直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」
が存在しないことを示すものということができる。昭和16年法律第19号による改正前の国家総動員法6条は,「政府ハ戰時ニ際シ國家總動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ從業者ノ使用,雇人若ハ解雇,就職,從業若ハ退職又ハ賃金,給料其ノ他ノ從業条件ニ付必要ナル命令ヲ爲スコトヲ得と定めているが,
これは,政府が使用者と従業者との間の労働契約に介入することは認めていたものの,国が直接契約の当事者となったり,労務に対する直接具体的な支配管理を及ぼしたりすることは想定されていない。
②についても同様であり,仮に,労働提供契約及び実施細則が政府の命令を背景として使用者によって作られた約款であったとしても,
そのことは,
被告国が,
労働者と企業との間の労働契約等についての約款の内容を規制するという程度において関与するにとどまることを示すものであり,これをもって,被告国と原告ら等との間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係ないし直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係があったことが根拠付けられるものではない。
③についても,被告国の機関が,中国人労働者の指導あるいは取締に関する通牒を発していたからといって,それだけでは,被告国と原告ら等との間に雇用契約ないしこれに準ずる関係ないし直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係があったことを根拠付けることにならない。また,中国人労働者の指導といっても,それが具体的にいかなる指導なのかは不明であるから,被告国の直接労務管理を示すものということはできないし,中国人労働者の取締とその労務についての支配管理とは全く事柄を異にしており,取締を実施したからといってその労務を支配管理していたとすることはできず,警察官が点呼等に立ち会ったからといってそれが被告国の原告ら等に対する労務管理の根拠となるものではない。
④については,被告国が企業が支払うべき労働者への賃金の半分を負担したとしても,原告らの主張によれば,直接労働者に対して賃金の支払をするのは企業であるというのであるから,被告国は直接労働者に対する関係で賃金支払義務を負っていたものではないことが明らかである。したがって,賃金支払という観点においても,被告国は,労働者に対して直接の関係を負うものではなかったということができ,このことは,逆に,被告国と原告らとの間に雇用契約ないしこれに準ずる法律関係ないし直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係が存在していなかったことを示すものである。また,企業の損失の補填をしたという点も同様である。
⑤については,被告国が労働条件を規律し得る立場にあったからといって,そのこと自体は,使用者と従業者が契約関係にあることを前提として,国家総動員法に基づく一般的な規律をし得るにすぎないと考えられるから,原告ら等との関係において,
雇用契約ないしこれに準ずる法律関係ないし直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係が存在することを基礎付けるものではないことは当然である。
(3)

以上のとおり,原告ら主張に係る①ないし⑤の事実が存在することを前提としても,
それを根拠として,
安全配慮義務の前提となる特別な社会的接触の関係」
の存在を導くことはできない。6まとめ以上のとおり,被告国の安全配慮義務違反をいう原告らの主張はいずれも失当である。第51日華平和条約・日中共同声明等による請求権の放棄について(予備的主張)予備的主張我が国政府の見解は,いわゆる強制連行・強制労働問題を含めて,先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については,日本国との平和条約(以下「サンフランシスコ平和条約という。)その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に
従って誠実に対応してきているところであり,これら条約等の当事国との間では法的に解決済みであって,先の大戦に係る日本と中国との間の請求権の問題についても,個人の請求権の問題も含めて存在していないというものである。すなわち,日本国と中華民国との間の平和条約(以下日華平和条約という。
)11条及びサンフラン
シスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されているのであり,サンフランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請求権と同様に,これに基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅しているので,救済が拒否されることとなるのである。
したがって,本件についても,原告らの請求に応ずる法律上の義務が消滅しているから,原告らの請求は認容される余地はない。
そこで,以下のとおり,かかる日本政府の見解の法的意義を明らかにする。なお,原告らが主張する損害賠償請求権は,いずれも法的根拠を有しないというのが被告国の一貫した主張であり,以下の主張は,本件訴訟においては,予備的なものである。

2
戦後処理の枠組みをなすサンフランシスコ平和条約について
日中間の戦後処理問題の解決は,我が国の戦後処理の枠組みを決定したサンフランシスコ平和条約等を基本的前提とするものであるから,まず,サンフランシスコ平和条約に基づく戦後処理の状況を明らかにする。
(1)

先の大戦後の賠償並びに財産及び請求権の問題の解決のあり方

そもそも戦争による被害は,戦争の勝敗とは無関係に,戦争当事国政府のみならず,その当事国相互の国民の広範囲に発生するものであり,特に第一次世界大戦後の近代の戦争は,国家間の全面戦争の形態をとり,その被害は,全国民が被る結果となっている。
かかる戦争行為によって生じた被害の賠償問題は,
戦後の講和条約によって解決が図られるが,一般的に賠償その他戦争関係から生じた請求権の主体は,国際法上の他の行為より生じた請求権の主体と同様,常に国家であり,例外的に条約で,被害者である国民個人に対して,請求権者として直接必要な措置をとる方法を設けた場合以外は,国民個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害であり,国家が相手国に対して固有の請求権を行使することになる(入江啓四郎日本講和條約の研究248ページ参照・乙総A第19号証)



先の大戦に関する我が国及びその国民と連合国及びその国民との間の賠償並びに財産及び請求権の処理に当たっては,ベルサイユ条約における失敗の反省から,戦後賠償問題の解決に当たって,当事国内部の利害を調整した上で,当事国が,国家及びその国民が被った被害を一体としてとらえ,相手国と統一的に交渉することとして賠償問題に最終的な決着を図ることとし,その交渉の結果,締結に至る講和条約等は,戦後の国際的枠組みを構築する上で,適正かつ妥当な解決を目指すものと位置づけられ,当事国及びその国民の相互の真の意味での和解の印として,その後の当事国及び相互の国民の友好関係の基盤となることを目的とした。そのため,このような講和条約の枠組みの下では,戦後賠償は,原則として国家間の直接処理,又は求償国内の旧敵国資産による満足の方法によることとして解決が図られ,個々の国民の被害については,原則として,賠償を受けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の財政事情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られている(入江・前掲250ページ参照・乙総A第19号証)



条約は国家間の合意であり,我が国においては条約の締結に国会の承認を要し,憲法98条2項は条約の誠実遵守の必要性を規定している。こうしたことから,我が国における法律と条約との間の国内法的効力における優劣関係に関しては,条約が法律に優位すると解されている(樋口陽一ほか注釈日本国憲法下巻1500ページ,乙総A第99号証の1及び2・櫻井充君質問主意書に対する平成14年12月6日政府答弁書)

そして,
国家は,
国内の立法手続により,
国民の私法上の権利・義務の設定,
変更,消滅を行うことが可能なのであるから,我が国国会の承認を得た条約によって国民の私法上の権利・義務の設定,変更,消滅を行うことが可能であることは当然である。
また,従来から,国家がその国民の他国又はその国民との間の財産及び請求権の問題を解決するために国際約束を締結することは国際法上可能であるとして,各国が実行を積み重ねてきたのであり(乙総A第49号証及び乙総A第50号証・平成14年12月20日付け衆議院議員近藤昭一君提出朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問に対する答弁書)
,戦後の講和条約によって,個々
の国民の相手国に対する請求権について,国家が法的に処理することは可能である。
(2)

サンフランシスコ平和条約による解決の基本的内容

サンフランシスコ平和条約の基本的内容
サンフランシスコ平和条約は,先の大戦の連合国と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するとともに,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたものである(前文,1条)



サンフランシスコ平和条約における日本の賠償責任
このうち,請求権及び財産に関する条項(第5章)において,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認されたが,同時に,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行させるためには,日本の資源は充分ではないことが承認された(14条(a)柱書)
。このため,我が国は,自国が戦争中に生じさせたす
べての損害及び苦痛に正確に対応する完全な賠償を行うことまでは求められず,以下に述べる義務等を履行することを求められた。


日本国は,その領域が日本国軍隊によって占領され,かつ,日本国によっ
て損害を与えられた連合国のうち,希望する国との間で,生産,沈舶引揚げその他の作業における日本人の役務を提供すること(いわゆる役務賠償)によって,与えた損害を当該連合国に補償することに資するために,すみやかに交渉を開始しなければならない(14条(a)1)



日本国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がその管轄
下に有する日本国及び日本国民等の財産,
権利及び利益等を差し押え,
留置し,
清算し,その他何らかの方法で処分することを認めなければならない(14条(a)2)



日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構
成員に対する償いをする願望の表現として,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡さなければならない(16条)


サンフランシスコ平和条約に基づき日本国が行った賠償等
これらの規定に従って,我が国は,連合国に対して,多額の支払を行っている。
さらに,後述するように,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった中国も,同条約14条(a)2の利益を得るものとされたことから,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた(同条約21条)。


サンフランシスコ平和条約締結の事情
このように,連合国のみならず中立国及び連合国の敵国の領域内にある日本資産の連合国による処分を容認し,さらに同様な処分の権利を中国に与えるというのは,過去の同種の条約には例を見ない厳しい内容の規定であるが,日本国政府としては,日本国が連合国軍による占領から一日でも早く独立し,主権国家として,国際社会に復帰した上,連合国と友好提携関係に入るためには,かかる過酷な条件を受け入れることもやむを得ないと考えて,同条約を締結するに至ったのである。このことは,1951年(昭和26年)9月7日のサンフランシスコ講和会議の第8回全体会議における,首席全権の内閣総理大臣吉田茂の平和条約受諾演説からもうかがい知ることができる(西村熊雄日本外交史27サンフランシスコ平和条約272ないし278ページ・乙総A第
25号証)


請求権放棄条項について
以上のようなサンフランシスコ平和条約上の義務を履行するのと引換えに,同条約14条(b)では,
この条約に別段の定めがある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。と規定された。米国ダレス代表は,平和条約の賠償問題について,
合衆国は,日本がいつの日か経済状態を改善し,賠償を支払えるようになるかもしれないという可能性を十分に認識していた。それにもかかわらず,合衆国及び連合国は,1951年に,連合国の政府及びその国民のすべての請求権が平和条約で完全に且つ最終的に解決されることが全面的で永続的な平和には必要であると決定した。と述べている(前掲米国政府利害関係声明書邦訳18ページ・乙総A第21号証)

この平和条約によって,連合国最高司令官の制限の下に置かれていた我が国の主権は回復し,その基盤に立って,我が国はその後の政治的及び経済的発展を果たすことができたのである。


日本国民の賠償請求権放棄条項について
サンフランシスコ平和条約においては,連合国及びその国民に対する日本国及び日本国民の賠償請求権についても,同条約19条(a)によって,日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄した。

(3)

サンフランシスコ平和条約14条(b)の解釈

サンフランシスコ平和条約14条(b)の法的効果
連合国及びその国民と日本国及びその国民との相互の請求権は,サンフランシスコ平和条約により,完全かつ最終的に解決されたものであるが,その法的効果の内容は次のとおりである。

(ア)

連合国の請求権に対する効力
連合国が日本国及び日本国民に有していた請求権は,同条項によって放棄された。この請求権には,戦時国際法違反等による国際法上の請求権のみならず,各国国内法に基づく債権も含まれていた。
(イ)

連合国国民の請求権に対する効力
サンフランシスコ平和条約14条(b)の文言上,連合国国民の請求権(債権を含む。
)も連合国によって放棄された。その法的意義は次の
とおりである。


まず,戦時国際法に基づくクレイムについてみれば,連合国国民が日本国の戦時国際法違反により損害を被ったとしても,国際法上,個人には法主体性が認められないのが原則であり,戦時国際法には例外的にこれを認める根拠はないのであるから,連合国国民は,戦時国際法違反を理由として,日本国に対して,もともと国際法上の請求を行うことはできない。



次に,各国国内法に基づく請求権ないし債権についてみれば,連合国国民が各国国内法上日本国又は日本国民に対して有する請求権の平和条約による放棄がどのような意義を有するかは同条約の国内法的効力の問題であるが,我が国においては,平和条約の同条項によって,これらの請求権ないし債権に基づく請求に応ずべき法律上の義務が消滅したものとされたのであり,その結果,救済が拒否されることになる。平和条約が,我が国の主権を完全に回復し,各国国内法に基づく債権を含む請求権及び財産等を含めた戦争状態の存在の結果として未決の問題を最終的に解決するために締結されたものであることからすれば,上記請求権ないし債権について何らの処理をしなかったものと考えることはできない。オランダ代表と日本代表との交渉経過を見ると,我が国はオランダ政府に,条約締結の結果国民は請求権を日本国政府又は日本国民に対して追及してくることはできなくなるとの解釈を提示し,これに対するオランダ代表の意見を踏まえ,最終的には,
日本国政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国国民のあるタイプの私的請求権が残るとしても,平和条約の効果としてかかる請求権につき満足を得ることはできないとの解釈で決着し,平和条約締結の中心的人物であるダレス米国代表も救済なき権利として問題を整理していたのである。
このような条約締結当時の経過からすれば,平和条約14条(b)にいう請求権の放棄とは,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,
これを拒絶することができる旨が定められたものと解すべきである。

米国政府の意見等について
このような平和条約による国家間の戦後処理が,請求権の問題の完全かつ最終的解決であることは,近時,米国において,先の大戦中に,旧日本軍の捕虜となった元米国軍人らが日本企業の事業場で強制労働させられたと主張して,日本企業を被告として,米国内の裁判所に提訴した多数の損害賠償請求訴訟において,
米国政府及び日本国政府が示した見解等米国政府利害関係声明書」(
邦訳26ページ,乙総A第21号証,2000年8月8日付け元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解・乙総A第28号証,乙総A第29号証,等参照)によっても明らかである。ウサンフランシスコ平和条約14条(b)の表現について(ア)サンフランシスコ平和条約14条(b)においては,「この条約に別段の定めがある場合を除きとの規定を除き,請求権の放棄について何らの条件的な文言又は制限を含んでいないことから,14条(b)により,連合国が放棄した連合国及び連合国国民の日本国及び日本国民に対する請求権は,極めて明確かつ広範なものである。
(イ)なお,14条(b)の連合国のすべての賠償請求権のみならず,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権と規定された理由については,昭和26年11月9日の参議院の平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村熊雄外務省条約局長の答弁(乙総A第30号証)によれば,戦争賠償の処理は,当然,国家及びその国民の相手国及びその国民に対する請求権の処理も含むが,14条(b)については,それを明確にするために,あえて連合国及びその国民の他の請求権という文言を挿入したにすぎないものである。
3
我が国と中国との間の戦後処理について
このようにして,我が国は,連合国のうち,サンフランシスコ平和条約加盟国との間で,
戦後処理をしたものであるが,
日本と中国との間においては,
戦争状態の終結,
賠償並びに財産及び請求権の問題の解決については,当時の複雑な国際情勢を反映して紆余曲折があったが,両国政府の努力によって,サンフランシスコ平和条約における戦後処理の枠組みと同様の解決が図られたものである。

(1)

サンフランシスコ平和条約との関係について

中国は,連合国の一国として,サンフランシスコ講和会議に招待されるべきであったが,1949年(昭和24年)の中華人民共和国政府の成立や1950年昭和25年)

の朝鮮戦争のぼっ発など当時の政治的及び国際状況のため,
中華人民共和国政府及び中華民国政府のいずれも講和会議には招待されなかった。
しかし,同条約21条は,
この条約の第25条の規定にかかわらず,中国は,第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有するものとされ,条約の当事国とならなかった中国も,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた。中国は,1945年(昭和20年)10月に,日僑財産処理弁法を公布して,その領域内にある日本人の財産を没収した(毎日新聞社編対日平和条約234ないし235ページ・乙総A第31号証)。
1946年(昭和21年)9月,外務省及び大蔵省の共管で設置された在外資産調査会による我国在外財産評価額推計によると,終戦当時,中国に存在した日本財産の規模は,台湾425億4200万円,中華民国東北1465億3200万円,華北554億3700万円,華中,華南367億1800万円と報告されている(塚本孝戦後補償問題-総論(1)調査と情報228号7ページ・乙総A第24号証)
。ちなみに,昭和21年度の我が国一般会計
の歳入は,1188億円余りであり,同年度の我が国の国民総生産は,4740億円余りであった日本統計年鑑359,

364ページ・乙総A第22号証)


なお,中国について,平和条約による最終的な賠償の前に,1945年(昭和20年)12月のアメリカ大統領に対する中間賠償計画に関する勧告案(いわゆるポーレー中間案
)に基づき,いわゆる中間賠償が行われている。こ
れは,日本の非軍事化を目的として,余分な工業施設(資本設備)を撤去し,それを特にアジア近隣諸国に対する賠償の一部に充てるというものであり,1950年(昭和25年)5月までに,合計4万3919台の工場機械等が梱包撤去され(芳賀四郎編日本管理の機構と政策379ページ・乙総A第32号証)
,その引き渡した物件の評価額の合計は,昭和14年の円価格で1億6500万円,当時のドル価格に換算して約4500万ドルであったが,その引取国別評価額のうち,中国が54.1パーセントを占めていた(塚本・前掲調査と情報228号6ページ)


(2)

日本と中華民国との間の処理について

日華平和条約締結の経緯
我が国と中国との間の戦後処理については,1952年(昭和27年)4月28日,我が国は,中華民国との間で,日華平和条約に署名した。その経緯は以下のとおりである。すなわち,先の大戦後の中国において,一つの国家としての中国(china)を代表する政府として,中華民国政府と中華人民共和国政府が互いに自己の正統性を主張していた。
そのため,サンフランシスコ講和会議に中華民国政府,中華人民共和国政府いずれを招待するかについて問題が生じた。この問題につき,連合国の間,特に米英両国の間で意見の対立があり,結局,いずれも招かないということになったが,
その結果,
日本はいずれの政府と戦後外交関係を結ぶかが問題となり,
米国にとっても非常に大きな政治問題となった。昭和26年暮れに,米国政府の中で対日平和条約問題を担当するダレス特使が来日し,同特使が,吉田茂総理大臣に対して,我が国が中華民国政府と平和条約を締結するのでなければ,サンフランシスコ平和条約自体が米国議会の承認を得られないと説得したため,吉田総理もこれに応じ,いわゆる吉田書簡(日中関係基本資料」27ないし29ページ・乙総A第36号証)を発出し,日本は中華民国政府と平和条約を締結することを約束した(栗山尚一「日中国交正常化早稲田法學74巻4号40ページ・乙総A第39号証)

このようにして,我が国は,中華民国政府をもって,中国を代表する正統政府であるとして,国家としての中国と日本国との戦争状態の終結等の問題を解決するために日華平和条約を締結した。
また,
1952年昭和27年)

までに約35カ国が中華民国政府を承認し,
20カ国が中華人民共和国政府を承認していたといわれ,日華平和条約締結当時の中華民国政府は,国際連合における代表権を有し,国連加盟61カ国のうち,中華人民共和国政府を承認していた国は,12カ国に過ぎなかったものである(入江通雅日華平和条約の合法・有効性について法と秩序第1巻6号41ページ)

なお,そもそも一国の内部で政府の変動があり,いずれの政府が当該国を代表するのかが問題となる場合,当該国自体は第三国との関係で同一性をもって存続する。その際,一国内で二つの政権が革命,内戦により対立抗争しそれぞれ一定の地域を実効的に支配している間に,対立政権が第三国との関係で行った約束その他の行為については,後に全国的支配を確立した新政府が原則としてこれを承継する義務を負うとされている(山本草二国際法(新版)314ページ)
。そして,1972年(昭和47年)の日中国交正常化は,国家としての中国を代表する政府の承認の切替えである。

日華平和条約の意義等
日華平和条約は,その前文にあるように,
歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さとにかんがみ,善隣関係を相互に希望することを考慮し,その共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のための緊密な協力が重要であるという認識の下に,両国間の戦争状態を終了させ,賠償及び戦争の結果として生じた諸問題を解決したものである。
すなわち,我が国に対する賠償請求権については,同条約の議定書1(b)で,
中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。と規定し,これにより,サンフランシスコ平和条約14条(a)1に規定する賠償請求権を放棄した。
そして,
中華民国代表と日本国代表との間の同意された議事録4に
より,
中華民国は本条約の議定書第1項(b)において述べられているように,役務賠償を自発的に放棄したので,サンフランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は,同条約第14条(a)2に規定された日本国の在外資産であるとされ,サンフランシスコ平和条約21条に基づき,中国が,同条約14条(a)2の利益を受ける権利を有することについても確認された。
そして,日華平和条約11条は,

この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。

と規定しているところ,この規定にいうサンフランシスコ条約の相当規定には,14条(b)及び19条(a)も含まれるから,この規定に従って,日本国及びその国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,上記のサンフランシスコ平和条約14条(a)1に基づく賠償請求権と併せて,同条約14条(b)及び19条(a)の規定により,すべてが放棄されたことになる。


附属交換公文について
(ア)

附属交換公文には,
この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用があるとの規定があるが,この規定は,戦争状態の終結,賠償並びに財産及び請求権の問題の処理といった,国と国との間で最終的に解決すべき処分的な条項については適用されない。
確かに,日華平和条約締結当時,中華民国政府は,中国大陸の実効的支配を失い,台湾及び澎湖諸島等の実効的支配をしているにすぎなかった。したがって,通商航海条約(日華平和条約第7条)
,民間航空(第8条)

漁業協定(第9条)等,当該条項の内容からして現に支配していない地域を対象とすることができない規定が本件附属交換公文の対象となることは,疑いのないところである。
しかしながら,戦争状態の終結,賠償並びに財産及び請求権の問題の処理といった,国と国との間で最終的に解決すべき処分的な条項は,正に国家と国家の間の関係として定められるべきものであって,その性質上,適用地域を限定することができないものである。
すなわち,伝統的な戦争の概念については,一般的には,国際紛争を解決する最後の手段として,二つの国が対等の立場で国権の発動として武力を行使し合うことをいい,
伝統的な国際法の下では認められてきた平

成11年3月15日参議院・外交防衛委員会P78条約局長答弁・乙総A第40号証16ページ参照)

このように,
戦争は,国家と国家との間の関係としてとらえられる
べき事柄であり,戦争状態の終了,戦争の処理そのものである戦争に係る賠償並びに財産及び請求権の問題は,国際法上の当事者としての国家間において最終的に処理されるべき事項であって,国家内における適用地域による限定を受ける性質のものではないのである。
したがって,日華平和条約は,戦争状態の終了と戦争に係る賠償並びに財産及び請求権の問題に関し国家としての中国と日本との間で完全かつ最終的に解決したものである。
(イ)

このことは,次の規定からも裏付けられる。

日華平和条約1条は,
日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了すると規定する。前記のように,日華平和条約締結当時,中華民国政府は,中国大陸の実効的支配を失い,台湾及び澎湖諸島等の実効的支配をしているにすぎなかったが,そもそも台湾及び澎湖諸島は,先の大戦中には,日本国の領土の一部を成していたのであるから,日本国と台湾・澎湖諸島との間には戦争状態は存在しなかったのである。それにもかかわらず,日華平和条約1条に前記の規定が置かれたのは,同条約が国家としての中国との間の戦争状態の終了について中国を正当に代表していた中華民国政府との間で定めたものとみるほかない。
この点は,日華平和条約締結時から今日までの日本政府の一貫した見解である乙総A第41号証14ページ,

乙総A第42号証10ページ)


日華平和条約11条の定めるこの条約及びこれを補足する文書に別段の定として,同条約附属議定書1(b)は,

中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。

と定めた。ここで放棄された役務賠償とは,サンフランシスコ平和条約14条(a)1によれば,日本国軍隊によって占領され損害を被った連合国が希望する場合に認められるとされていたものである。
これを中国との関係でみた場合,日本と当時日本の領土であった台湾・澎湖諸島との間には戦争状態は存在しないから,戦争賠償の問題も生ぜず,役務賠償を放棄するとすれば,それは国たる中国を代表する中華民国政府による賠償請求権の放棄を意味することになる。この点については,昭和39年3月11日の衆議院外務委員会における中川融条約局長の発言(乙総A第43号証10,11ページ)からも明らかである。
(ウ)

また,附属交換公文のこの条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用があるとの規定が,戦争状態の終結,賠償並びに財産及び請求権の問題の処理といった,国と国との間で最終的に解決すべき処分的な条項についても適用されると解釈すると,著しく不当な結論に至る。

日華平和条約の他の条文との関係
戦争の当時国間で有効であった条約は,戦争の発生により当然に終了することはない。
したがって,
例えばサンフランシスコ平和条約7条は,
日本国と連合国との二国間条約の効力につき,

各連合国は,自国と日本国との間にこの条約が効力を生じた後一年以内に,日本国との戦前のいずれの二国間の条約又は協約を引き続いて有効とし又は復活させることを希望するかを日本国に通告するものとする。

と規定し,戦前に締結された条約の扱いについて定めている。
同様に,
日華平和条約4条は,

千九百四十一年十二月九日前に日本国と中国との間で締結されたすべての条約,協約及び協定は,戦争の結果として無効となったことが承認される。

と規定し,また,同5条は,日本国は,(中略)千九百一年九月七日に北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての附属書,書簡及び文書の規定から生ずるすべての利得及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し,且つ,前記の議定書,附属書,書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意したことが承認される。と規定している。戦前に日本国と中国とが締結した二国間条約は種々のものがあり,また1901年9月7日に北京で署名された北清事変に関する最終議定書
(以下最終議定書という。
)は
いわゆる義和団事件の事後処理のために締結された多国間条約であるが,日華平和条約はこれらの二国間条約が無効となったことを承認するとともに,日本国は最終議定書により得た権利及び利益を放棄することに同意しているのである。
仮に適用地域に関する交換公文が日華平和条約の全条項に適用され,したがって日華平和条約4条及び5条も台湾に限って二国間条約を無効として義和団事件後に我が国が得た権利及び利益を台湾に限って放棄したと解するならば,中国大陸との関係では,引き続き二国間条約が有効であり,義和団事件後の権利及び利益が存続している余地があるはずである。
しかし,
かかる理解は我が国政府の理解と相容れないのみならず,
中華人民共和国政府及び当時の中華民国政府のいずれも採用するところではない。
また,そもそも台湾は我が国の領土であったのであり,戦前に台湾と日本国との間で二国間条約が結ばれていたわけではない。
さらには,義
和団事件後に日本国が得た利益及び権利のうち,台湾に限定されるものというものは果たして何を指すこととなるのか不明である。
したがって,日華平和条約4条及び5条が当初から無意味な死文でない限り,適用地域に関する交換公文は4条及び5条の適用範囲を限定していないことは疑いのないところであり,日華平和条約の適用地域に関する交換公文が同条約の全条項に適用されると解することはできない。b
台湾とは戦争状態にはなかったこと
台湾・澎湖諸島等は我が国の領土であったのであり,これらとの間には戦争状態は存在していなかった。このことは日華平和条約自体が2条及び3条で認めている。すなわち,2条は,日本国がサンフランシスコ平和条約2条に基づいて台湾・澎湖諸島等に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄したことが承認されると規定し,3条は,いわゆる分離地域の請求権の処理について規定しているサンフランシスコ平和条約4条に従って,我が国から分離した他の地域と同様,日本国及びその国民と分離地域の当局及びその住民との間の請求権の処理が特別取極の主題とされることを想定している。このように,台湾・澎湖諸島等は,法的には我が国より分離した地域として扱われているのであり,我が国と戦争状態にあった国として扱われているのではない。
これに対し,日華平和条約1条は,両国間の戦争状態は,日華平和条約が効力を生ずる日に終了すると規定する。
したがって,仮に日華平和条約の適用地域に関する交換公文が同条約の全条項を対象とし,同条約が中華人民共和国政府が支配していた地域に及ばないのであれば,我が国は台湾・澎湖諸島等と戦争状態にはなかった以上,同条約1条は当初から意味のない死文であったということとなる。しかし,そのような解釈は我が国政府の取るところでもないし,また,当時中国を正統に代表していた中華民国政府が取るところでもない。日華平和条約1条の規定は,同条約が国家としての中国との間の戦争状態の終了について中国を正統に代表していた中華民国との間で締結されたものであるから,
かかる規定が置かれたのであり,
この点からも,
同条約が中華人民共和国政府が支配していた地域に及ばないと解することはできないのである。

小括
以上のように,日中間の戦争状態の終結及び賠償並びに財産及び請求権の問題については,附属交換公文の規定によって限定を受けることはなく,日華平和条約によって,国家と国家の間で完全かつ最終的に解決されたものである。
(3)

日本国政府と中華人民共和国政府との間の処理について
以上のように,日中間の請求権の問題は個人の請求権も含めて日華平和条約により解決されている。以下では,かかる前提の下で我が国政府が日中共同声明に至る交渉を行い,日中共同声明は請求権の放棄を2回行ったものではなく,中華人民共和国政府がその放棄を宣言したものであることを示す。

日中共同声明署名に至る経緯について
日華平和条約締結後20年を経て,日本国政府は1972年(昭和47年)に共同声明に署名した。共同声明の交渉過程において問題となった点の中に,戦争状態の終了や賠償並びに財産及び請求権の問題がある。これらの問題は,日華平和条約についての両国の立場の違いに起因するものであるが,困難な交渉の結果,以下に述べるとおり,共同声明は,両国の立場それぞれと相いれるものとして作成されている。
例えば,戦争状態の終了については,日華平和条約1条において,

日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する。

と規定されているとおり,日中間の戦争状態は,日華平和条約により終了したというのが,我が国の一貫した立場である。これは,戦争状態の終了は,一度限りの処分行為であり,法律的には,当時中国を代表する合法政府であった中華民国政府との間で,国と国との関係を律する事項として処理済みであるという考え方に基づくものである。これに対して,中華人民共和国は,日華平和条約は当初から無効であるとの立場であり,我が国の考え方とは基本的に異なるものであった。戦争状態の終結の問題は,このような日中双方の基本的立場に関連する困難な法的問題であったが,日中双方の交渉努力の結果,共同声明1項において,

日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。

と規定されることとなった。不正常な状態とは,これまで我が国と中華人民共和国との間の国交がなかった状態を指すというのが我が国の理解であり,日中間の戦争状態は日華平和条約によって終結しているとの立場と何ら矛盾しない。このような表現について,日中関係がいかなる意味においても正常化されたという点についての日中双方の認識の一致を図ったものである。


日中共同声明5項について
賠償並びに財産及び請求権の問題についても,戦争状態の終結と同様,このような一度限りの処分行為については,日華平和条約によって法的に処理済みであるというのが,我が国の立場であり,日華平和条約の有効性についての中華人民共和国との基本的立場の違いを解決する必要があった。この点についても,日中双方が交渉を重ねた結果,共同声明5項においては,
中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する旨規定されている。日中両国は,互いの立場の違いを十分理解した上で,実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべく,このような規定ぶりにつき一致したものであり,その結果は日華平和条約による処理と同じであることを意図したものである。すなわち,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた中国及びその国民の請求権は,法的には前述のとおり,日華平和条約により,国によって放棄されているというのが我が国の立場であり,このような立場は共同声明によって変更されているわけではない(竹中繁繁雄外務省アジア局審議官の平成4年4月7日参議院内閣委員会での答弁参照・乙総A第17号証7ページ1,2段)

このように,共同声明5項は我が国の立場と相いれるものとして作成されたのであり,中国国民の国内法上の請求権に基づく請求に応じる義務が日本国及びその国民にないことは明らかである。

中華人民共和国と中華民国との関係

(ア)

前記のとおり,そもそも一国の内部で政府の変動があり,いずれの政府が当該国を代表するのかが問題となる場合,当該国自体は第三国との関係で同一性をもって存続する。その際,一国内で二つの政権が革命,内戦により対立抗争しそれぞれ一定の地域を実効的に支配している間に,対立政権が第三国との関係で行った約束その他の行為については,後に全国的支配を確立した新政府が原則としてこれを承継する義務を負うとされている(山本草二国際法(新版)314ページ)
。そして,1972年(昭
和47年)の日中国交正常化は,国家としての中国を代表する政府の承認の切替えである。

(イ)

これに対し,原告らは,
この条約締結当時中華民国政府は中国大陸における支配力を失っており,原告ら中国大陸の住民にはこの条約はそもそも適用されないなどと主張し,あたかも中国には中華人民共和国と中華民国との二つの国家が存在することを前提とするかのような主張をしている。
しかし,我が国は,中華人民共和国と中華民国とのいわゆる二つの中国が存在すると認めたことは一度もないばかりか,中華人民共和国政府と中華民国政府のいずれも2つの中国の存在を否定する立場である。また,現在,世界の各国も中華人民共和国政府と中華民国政府のいずれかと外交関係を持っており,双方ともと外交関係を有する国は存在しないことからも,中華人民共和国と中華民国とが別個の国家であると認識している国はないことを示している。
したがって,問題は中国は一つの国家であるとの前提で,どちらの政府を中国を代表する正統政府として認めるかという点にあるのである。原告らの主張は,国際法の主体は原則として国家であり,国家を代表する機関が政府であり,有効に成立した条約は国家間の合意として当該国家を法的に拘束するという,国家と政府との関係についての理解を根本から誤っている。そして,1952年当時,我が国は中華民国政府を中国を代表する正統政府であると承認して日華平和条約を締結したのである。
一国の中に複数の政府が事実上存在し,それぞれの政府が自らが当該国を代表する正統政府であると称する場合は,中国以外にもある。そのような状況で我が国が特定の一つの政府を当該国を代表するものとして承認し,条約を締結する場合には,仮にその後の政治的な事態の進展により我が国が他方の政府を承認しても,対外的には当該国は一体性をもって存続しており,法的には前政権との間で交渉して締結された条約が当然に終了することはない。逆に,国家と国家との間で戦争状態の終了や賠償及び請求権等を定めた平和条約がその後の政治的な事態の進展により無効となってしまったり,その適用地域が変動するならば,平和条約を前提に積み重ねられた法的な関係は著しく不安定なものとなってしまう。
(ウ)

一国の中に二つの政府が事実上存在する場合に,その一方を当該国を代表する政府として認めて,戦争状態の終了や請求権の問題の解決,賠償問題等を解決することは,一回限りの処分的な行為であり,一つの国と複数回,このような問題を内容とする条約を結ぶことはできないものである。そしてこのことは,
以前に政府承認をしていた旧政権がその後消滅したり,
あるいは存続していることに左右されないのである。仮に旧政権を正統政府として国家間で結んだ条約が,当該旧政権の消滅や政府承認の切替えにより無効となるのであれば,平和条約を前提としてその後積み上げられた法的な関係の安定性を著しく害する結果となりかねない。
戦争後の種々の事情により一方の当事国の中で複数の政府が正統性を主張することは稀に起こることであるが,仮に原告らの主張を国際法の一般的な解釈であるとすると,そのような状況下では,一度限りの処分行為である戦争状態を完全に終了することや,賠償及び請求権の問題を完全に解決することは不可能であることとなってしまう。このことからも,原告らの主張が失当であることは明らかである。
このように見ていくと,中国という国家は一つであり,我が国が中国を代表する正統な政府として締結した日華平和条約は国家としての中国との間で戦争状態を終わらせ,請求権の問題を解決したのであり,そのような一度限りの処分行為を一つの国と複数回行うことはできない。


中華人民共和国政府の見解について
また,先の戦争に係る日中間の請求権の問題は,中国国民及びその財産に関するものも含めて,1972年(昭和47年)の日中共同声明発出後存在しておらず,かかる認識は中国政府も同様である。これは,1995年(平成7年)5月3日の陳健中国外交部新聞司長の発言乙総A第35号証)
,1992年(平
成4年)3月の記者会見における銭其●外交部長の発言(乙総A第36号証),
1998年(平成10年)11月27日の唐家●外交部長の発言(乙総A第37号証)などにより明らかである。
4
結語
以上から明らかなように,日中間においては個人の請求権の問題が解決されていないと解するのは失当である。日華平和条約11条及びサンフランシスコ平和条約14条(b)より,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されている。日中共同声明5項にいう戦争賠償の請求は,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権も含むものとして,中華人民共和国政府がその放棄を宣言したものである。したがって,このような請求権は,サンフランシスコ平和条約の当時国たる連合国の国民の請求権と同様,国によって放棄されており,これに基づく請求に応ずべき法律上の義務は消滅しているので,救済が拒否されることとなるのである。以上
(別紙12)
被告鹿島建設の主張
第1

P13の相続について

1
原告P1は,P13の相続人は原告P1の他2人の実妹のみで(甲各B4),いず
れも存命しており,妹らは1998年8月24日に,本件訴訟について原告P1に全権を委任した(甲各B4)
,よって,原告P1は,P13が被告国と被告鹿島建設に
対して有するすべての損害賠償請求権を行使できると主張する。

2
原告提出の書証には,次の事実が記載されている。


P13の父は1986年死亡(甲各B4)




P13は1996年11月29日死亡(甲各B3の1)

但し,甲各B2の2(P1の供述録取書)は1997年陰暦10月1日とし,甲各B7(P1の供述録取書)
,甲各B8(ビデオ録画テープ-甲各B6-反訳書)
でも録画日(2002年6月8日)の5年前即ち1997年としており,甲各B3の1とは1年のずれがある。



P13には子があり1995年死亡(甲各B2の1)




P13の妻は1945年までに再婚(甲各B2の1)




P13の兄弟はP19(甲各B3の3,甲各B4)
,P20(甲各B3の2,甲
各B4)
,P1(甲各B3の4,甲各B4)である。



P19及びP20は,P13の賠償請求裁判に関し,P1に全権を委任(甲各B3の5)

これらの証拠のうち,甲各B2の1(P13の陳述録取書)によると,P13が連行されたという1944年2月当時,P13には妻子がおり,終戦後,妻子の行方が分からなかったが,
その後,居所が分かりましたが,息子は昨年なくなりましたとある。この陳述録取書の作成が1996年であることからして,P13の息子は,1995年に死亡したことになり,1944年当時この息子が生まれた直後であったとしても,その死亡当時51歳にはなっていたことになる。死亡した息子が51歳以上であったことからすれば,その卑属がいると考えるのが通常であるのに,原告P1はその主張において,P13の息子には直系卑属はいなかった旨述べているだけで,息子の氏名も明らかにされていないし,息子に直系卑属はいなかったことの証拠も示されていない。
甲各B4にはこの3人以外には相続人は存在しないことを証明する旨の記載があるが,P13の相続に関し先順位の父母については,既に死亡した旨の明確な記載があるにもかかわらず,同じく先順位の子については何らの記載がないので,当該証明は子が存在した事実すら把握せず,従って,子が何年に死亡したか,子が結婚してP13の直系卑属が存在したかどうかの事実を確認しないまま,子はいないものとしてこの3人以外に相続人は存在しないと記載しているに過ぎない。中国民法には,代襲相続の規定があり,仮にこの息子に卑属がいた場合,第二順位の法定相続人である兄弟姉妹は何ら相続権を有しないことになり,原告P1も何ら相続人ではないことになる。

3
原告P1は,
P13には,妻と息子がいたが,妻は家を出た後死亡し,息子はP13が死亡した1996年11月29日より前に死亡しているので,P13の弟であるP1が原告となると主張している。しかし,妻との婚姻関係が妻の生前に解消されたこと(重婚が法的に解消されたこと)の証拠は無いと自認しているところ,甲各B2の2によれば,妻は1997年に死亡しましたと供述聴取されているので,妻はP13の相続開始後に死亡したと認められる。
また甲各B4にいう母親P81は,P19,P20,P1の実母ではあってもP13にとっては義母である。P13の相続に関係のある実母の生死の確認についてさえこれを怠っている甲各B4は相続関係を証する書面ということはできない。かかる記載で,直系卑属が存在せず,実母がP13の相続開始前に死亡していたことが証明されているということはとうていできない。
4
よって原告P1はP13の相続人と認めるに足りる証拠は存しないから,原告P1の請求は,まずもって,この点で,棄却を免れない。

5
また,P19,P20による甲各B3の5によるP1への委任を主張する点については,それは訴訟追行の委任にすぎず,相続分の譲渡と解することはできない。そして,訴訟委任は訴訟法上認められないから,原告P1が相続人と認められるか否かとは別に,原告P1が主張する損害賠償請求等のうちP19,P20の各相続持分相当分については,棄却されるべきものである。

第2

請求権の放棄
日華平和条約等により,強制連行,強制労働の問題を含め,中国及び中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,被告国によってすべて放棄されているから,個々の中国国民の日本国及びその国民たる被告企業に対する請求は理由がなく,本件請求は棄却を免れない。

この点に関する主張は,被告国の主張と同じである。
第3
1
共同不法行為について
原告らの主張
原告らは,その主張する不法行為の内容として,日本現地軍の中国における討伐作戦行為及び国が国策として指定した就労環境・条件下での日本国内における移入華人の就労(被告企業での就労)事実を掲げ,国の一連の行為と就労を受入れた企業とは共同不法行為であると主張する。
また,原告らは,
(1)被告企業が国の政策である強制連行へ加担していること,
(2)各事業所において企業が中国人労働者に強制労働を課したこと,(3)強制連
行・強制労働を実行するにあたり,これに関与した個々の被告企業従業員等の違法行為が存すること,がそれぞれ違法評価の対象となり,被告国と被告企業とは,

中国人の強制連行・強制労働に関して,共同不法行為若しくは(安全配慮義務に基づく)債務不履行の場合の不真正連帯債務者の地位にある。

と主張する。しかし,
(1)については,国の政策とは国が決めたものであり,
(2)について
は,被告鹿島建設がα20出張所において強制労働を課したものではなく,(3)に
ついては,被告鹿島建設の従業員はかかる違法行為をなしたものではない。
2
国の中国人労働者移入政策及び移入への加担との主張について
原告らは,中国人労働力移入政策について,
日中戦争拡大にともない生産を拡大したこともあって深刻な労働力不足に悩んでいた被告企業が被告国に対して行なっていた労働力確保の要求が大きな動因になって策定され,移入の際に担当者を中国国内の港まで派遣して,日本国内の事業所まで連行することにより,国に加担した旨主張する。
しかしながら,第二次世界大戦における国の労働力政策の一環としての中国人労働力の移入政策(昭和17年11月27日華人労務者内地移入に関する件閣議決定等)は,国が国の政策として実施したものであり,この政策決定に被告鹿島建設が加担したという証拠は存しない。そもそも,閣議決定等による国の政策決定を民間企業が国と共同して行うなどということはあり得ないことである。
また,
移入に際しては,
甲各B1華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)6頁に,
軍隊,訓練所職員,協会員,警察官及び本社職員付添い,労工の保護監督しとあり,9頁に華北における乗船地までは華北労工協会職員の責任に於て輸送に当り,本社職員,北京営業所職員補助員として協力す,但し,第二,四半期分後半は本社関係者の付添なく軍隊を以って輸送すとあるように,
移入は国の政策の実施として国が行なったものであり,
被告鹿島建設職員は,あくまで補助的役割を行ったにすぎなかったものである。原告らがいう国に対する加担を根拠とする共同不法行為の主張は理由がない。3
被告が強制労働を課したとの主張について

(1)原告らは,
(1)被告鹿島建設が警察の協力を得ると共に自らも守衛を置いて中国人労働者の逃亡を防いだ。
(2)中国人労働者を不衛生で劣悪な環境に置き,乏
しい食事しか提供せずに重労働に従事させて多数の死傷者を発生させた。(3)賃
金を支払っていない旨を主張して,
強制労働を課した旨主張する。
さらに原告らは,
被告鹿島建設に対する主張として,第1に,労働の内容として監視の日本人は日本刀を使って,仕事を早く』『といって脅していたのである休暇は一切無い),,

給料の支給も全くなく,その説明すらない状態であった毎日の労働が厳し,く,明日まで生きていさえすればそれでいいというように思う状態であった,第
2に,収容所の様子として中は,草葺きで,暖房はなく,冬期は物凄く寒い状態であった衣服はα10そのままのものを着用し,風呂は下関に入港以来入浴,していなかった,第3に,食事として

米糠のカスで作られた饅頭を1日3回,1回の食事あたり3個与えられ,大きさは握り拳よりやや大きいものであった。,

漬物の類は極小量がたまに与えられた

空腹を満たすために水を飲んで飢えを凌ぐ生活であった。,第4に,監視として一小隊は約50名程度であり,朝鮮人

も3ないし4人いた旨主張している。
(2)
警察の協力を得ると共に自らも守衛を置いて中国人労働者の逃亡を防いだとの主張について
甲総第7号証によれば,
其(中国人の宿舎の)位置に就ても民家と接してはならないとか朝鮮人飯場とは離れて居る事を要するとか仲々難しき規定があり,・・・加え周囲には外見,逃亡防止等の為八尺以上の板囲等をなす事になって居る。是等の事は内務省警保局外事課に於て立案し関係各局の協議に依って決定したものであった。(47頁)とあり,内務省警保局外事課において立案され関係各局の協議により決定された事項によれば,中国人の宿舎の周囲には,外見,逃亡防止等の為八尺以上の板囲等をなす事になっていたとのことである。これらの施策はすべて国が国策として命じた指示である。しかし,被告鹿島建設のα1作業所の宿舎は,国の決定にもかかわらず,囲いや塀はなかったものである(甲各B1号証,甲各B2号証の1・6頁,証人P31)

このように,逃亡防止等の観点から見ても,国の厳格な要求にもかかわらず,α1の宿舎は,拘束的な施設であったとは,認められない。
また,実際の警備等も国が行っており(甲総第26号証の2・3頁以下,甲総第26号証の3)
,被告鹿島建設の従業員が指示命令乃至行動を行っていたという立証は一切ない。
(3)
中国人労働者を不衛生で劣悪な環境に置き,乏しい食事しか提供せずに重労働に従事させたとの主張について①

原告らは,
中は,草葺きで,暖房はなく,冬期は物凄く寒い状態であった

衣服はα10そのままのものを着用し,風呂は下関に入港以来入浴していなかった,と主張する。当時は,国の施策によりすべての物資が配給統制に服していて,個々の企業の自由になる状況にはなかったが,甲各B1華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)には,暖房は薪を燃料とする囲炉裏で夏冬を通じて常時使用しており(17頁∼18頁)
,浴室も別棟に設置され,一回に一〇名程度
が入浴できる設備で,夏期は宿舎付近の山間浄水を以って作業,水浴せしめ,秋冬期は三日に一回ないしは一週間に一回の割合で入浴させたとあり(28頁),
また,衣服についても,全て配給制であったが,
県当局に申請し,
真綿チョッキ,
シャツ,作業服の特配を受け支給した(19頁)等と記載されている。


原告らは,

米糠のカスで作られた饅頭を一日三回,一回の食事あたり三個与えられ,大きさは握り拳よりやや大きいものであった。

と主張する。α18発電所建設工事に学徒動員した者の陳述書によれば,
自分たち学徒なら三本くらい食べなければとても足らず仕事ができないと感じていました(甲総26号証
の2,3頁)とあり,一回の食事あたり饅頭三個が,一日三回与えられていたことからすると,食事は必要を満たすものであった。
また,甲各B1華人労務者就労顛末報告書(α20出張所)には,食糧事情として,
月一人三〇キロ配給を維持するために関係者の努力は並々ならぬ労苦あり,然れどもこの困難を克服して三〇キロ配給を継続し居たるに,内務省の命令と称し華人取り締まり警察官により月一人八キロ減の二二キロ配給を命ぜられ中途より主食二二キロの配給となる。,支給状況として,(1)主食二二キロ。雑穀きる限り配給す。小麦粉初め八キロ配給を実施するも警察官の命により中止す。副食で調味料塩は月一人一キロなりしも移入後専売局の査察により四八〇グラムとなり不足分を醤油,味噌を以って補えり,油は月一人一合配給と記載されている(20頁,21頁)
。これは,食糧は,当時,戦争が激化し,
食糧事情が急速に悪化し,しかも,食糧管理法により,主要食糧に関しては配給制度が徹底されていた状況の中,日本全体が極めて食糧不足であった。中国人労働者に対する食糧の配給については,中央官庁より二二キロを華人移入地方庁に華人用として送付し,
各地方庁において更に雑穀類その他を以て八キロを補給し,
一人一ヶ月当主食三十キロを支給する事に協議がまとまり,其旨地方庁に対して示達されたのである。すなわち,いかに企業が努力しようとも,当時の食糧は,全て国家総動員法,食糧管理法の下,全て配給制によるものであり,配給を受けなければ中国人労働者に対し食糧を供給できない状況にあったものであり,しかも違反には刑罰が用意されていた。国は,政策として,二二キログラムの配給をするが,残りの八キロは各地方庁において雑穀類その他により補給する旨決定したものである。α1作業所においては,当初は,国の二二キログラムに加え,地方庁による配給の八キロが加えられていたが,その後地方庁からの配給が中止され,二二キログラムのみとなってしまったのである。なお,この二二キログラムについては,当時同じ労働に従事する日本人や朝鮮人の食糧配給量は一人一日五合(約七〇〇グラム)であり,これを基準に数値を算出したものであり(一日五合を基準にすると一ヶ月=三一日として二一.七キログラム=約二二キログラムとなる)
,一人一日五合という数字は,特別増量を受ける成年(一一∼六〇才)男子の食糧割当配給基準量の約四合(五七〇グラム)より多い。よってこの二二キロという数字は当時の日本人・朝鮮人労務者の置かれた状況からみれば妥当なものであるといえる。
甲各B1華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)41頁には,

資材難,食糧,衣料の蒐集困難なりしにも拘わらず,相当量を確保。充分とは行かずとも,鮮人労働者に比し多量に支給せり。と記載されているとおり,被告鹿島建設は,

第二次世界大戦が激化し,著しい食糧不足,物品不足の状況において,可能な限り努力したものである。
(4)
給料の支給も全くなく,その説明すらない状態であったとの主張について甲各B1華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)40頁,41頁にも記載されているとおり,

班長以上の幹部級は月給制,隊長は日給制とし,毎月計算指導員,隊長立会い支(給)払全部当組預とし,預金に繰入る。「現金給与の外,


別表一二表,五表の通り現物を無料支給す。賃金は,指導員,総隊長,華人係立会,受領証受領,全額預りとし,預金に繰入

現物は配下渡及び直轄渡とし隊長

より隊員に配給す。全て給与は指導員,隊長,受領証提出せるも,配下に属せる分のみは配下之を受領す。と記載されている。その後,α2出張所に転出時に,」
現金支給額は,転出先であるα2出張所へ送金され(同44頁)
,送還時に送還時前記同様賃金を支払う外,特に多量・現物無料支給がなされ,円満に受領
されたものである(甲各B1華人勞務者就労顛末報告書(α2出張所)25頁)。
又,
送還時給与について,支給に関する証憑書類の有無は当時有とされている(甲各B1(α2出張所)7頁)
。被告鹿島建設が華人労務者に賃金を支給し
たことは,項を改めて詳述する。
4
消滅時効,除斥期間
本件については,原告らは

日本の敗戦によって強制労働関係は終了した。「終

戦後は,P13は佐世保港から塘沽,塘沽から汽車で自宅に帰還している」と主張しており,原告らの主張にかかる不法行為に基づく損害賠償請求権等は,仮にこれが認められたとしても,原告らがP13の強制労働関係が終了したとする昭和20年8月15日,遅くともP13が中国に帰還のため日本を離れた昭和20年12月3日から3年を経過したときに時効により消滅しているので,被告鹿島建設は,同消滅時効を援用する。
仮に,何らか消滅時効の進行開始時期の問題を想定しても,本件訴訟提起時が平成9年12月22日であることからすれば,不法行為に基づく損害賠償請求権等の時効完成後すでに長期間経過していたことは明らかである。
また,昭和20年8月15日から20年の除斥期間を経過した時点で,原告らの請求は法律上当然に消滅しているものである。
第4
1
賃金請求権の主張について
労働契約が存在しないとの原告らの主張について
被告鹿島建設は,後述するとおり,中国人労働者に対し,賃金を支払っていた。しかしながら,原告らは,賃金の支払いを受けていないと主張している。その上で,原告らは,

華人労務者と被告企業との間には,労働契約その他何らの契約関係も存在しなかった。華北労工協会と被告企業との間の労働者移入契約もまた,虚偽仮装のものというべきである。,

労働したという事実があれば,強制労働のような労働契約が不成立の場合においても,同様の考え方(契約が無効であっても,賃金請求権が発生すること)が妥当すると主張する。しかしながら,原告らは,
雇用契約ないし労働契約全体が無効であったり,取り消された場合や労働契約が不成立の場合ではなく,そもそも契約自体が最初から存在しなかったと主張するのであるから,その法律関係は,契約法の支配する領域ではなく,契約関係の存しない当事者間における問題であり,まさに不法行為法の支配する領域である。原告らの主張を前提にすれば,華人労務者と被告企業との間に,契約関係は一切存しないのであるから,賃金請求権等の法律効果が発生するというものではない。

2
消滅時効の援用
原告らの主張は理由のないものであるが,賃金請求権の消滅時効期間は1年であり(民法第174条2号)
,原告らがP13の強制労働関係が終了したとする昭和20
年8月15日から1年を経過したときに時効により消滅しているので,被告鹿島建設は,同消滅時効を援用する。
仮に,何らか消滅時効の進行開始時期の問題を想定しても,本件訴訟提起時が平成9年12月22日であることからすれば,賃金請求権の時効完成後すでに長期間経過していたことは明らかである。

第5

不当利得の主張について
原告らは,
賃金請求権が発生しないとしても,被告企業が華人労務者らの就労によって労働の成果を受益し(ないしは無償で労働させることによって賃金の支出を免れるという受益を得),華人労務者らが労務を提供しながら何ら対価を得られないという損失を被っているということは疑う余地がない。等と主張する。しかし,原告らの主張は独自の主張であるし,そもそも被告鹿島建設は,P13に対し,定められた金員を支払っていたものであり,被告鹿島建設に利得は存せず,P13に損失も存しない。
また,原告らの主張は理由のないものであるが,不当利得返還請求権の消滅時効期間は10年であり,原告らがP13の強制労働関係が終了したとする昭和20年8月15日,又はP13が中国に帰還のため日本を離れた昭和20年12月3日から10年を経過したときに時効により消滅しているので,被告鹿島建設は,同消滅時効を援用する。
仮に,何らか消滅時効の進行開始時期の問題を想定しても,本件訴訟提起時が平成9年12月22日であることからすれば,不当利得返還請求権の時効完成後すでに長期間経過していたことは明らかである。
第6
1
被告鹿島建設の移入華人に対する処遇
α20出張所事業場の受け入れ態勢について
前述のとおり,華人移入の受け入れ当時の食糧事情は,戦争が激化し,急速に悪化していた。そのような中,被告鹿島建設は,主食について22キログラム以上を配布しつづけ,かつそのカロリーも,当時の戦争末期における日本の食糧事情を上回っていたのである。被告鹿島建設は,第2次世界大戦が激化し,著しい食糧不足,物品不足の状況で,
しかも食糧が国家総動員法,
食糧管理法の下,
配給制の統制下において,
可能な限り努力したものである。
このような対応に関しては食糧以外についても同様であり,
宿舎建築に際しても華労の風俗習慣を考慮し,衛生的見地より通風採光に意を用い,位置構造等研究の結果建築し,困難なる衣服,食糧事情を克服し多量に入荷体制を整えたのである(華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)13頁)

すなわち,戦時状況において,
資材を入手する困難は日を遂って激しくなり,華労移入時にありては並々ならぬ労苦を伴い,職員の努力により蒐荷せる材料を以って華労の宿舎建設に當たり華労の習慣,生活様式,又は通風採光等,華労を,研究の上,飲料水豊富な地を選び建築したものである。そして,さらには,待遇に関しても朝鮮人労働者に比しても優るとも劣らざる
ものである同15,

16頁)


2
仕事の内容について
α18発電所の作業に関しては,中国人だけではなく,学徒動員された中高生,朝鮮人等が従事していたものであり,中国人の作業内容は,動員学徒の従事した作業とほぼ同様の内容であった(証人P31)


3
健康事情及び医療体制について

(1)当時の日本国内の健康事情
日本国内においては,昭和19年ころ以降,相当広範に栄養失調症やその他の疾病の患者が多発していた(乙各B7,8,9,10,11)

(2)当時の医療体制について


病院等施設について
当時の日本の健康事情は,以上のとおり,戦争状況が悪化するに従い,悪化の一途を辿ったのであるが,病院数及び病床数は,昭和16年(1941)が最も多く,その後,昭和17年以降20年まで急激に減少している。また,診療所についても,昭和16年より減少しはじめ,昭和19年には7714に激減している(厚生省医制百年史年度別一般診療所数)
。国民が受診する病院や診療所
の減少に大きく関係しているものに,軍の民間借上施設の拡大がある。昭和12年11月25日,
陸軍大臣から全国27の日赤病院に対し,
戦時幇助が求められ,
一般民間人を入院させないで,傷病軍人を収容せよとの命令がなされた。昭和12年には17病院が戦時幇助に指定され,昭和20年には日赤病院36病院(総病床数1万5650床)のうち,軍病院となって軍患者のみの収容にあたらされていたのは32病院(病床数1万4780床)であり,95パーセントが軍に接収されていたのである。


医薬品の欠乏について

医薬品の価格統制
昭和14年10月勅令で,価格統制令その他の関係法令が制定・公布され,医薬品の小売価格の統制については,東京府知事と警視総監との共管とされたが,協議の上,主に警視庁で処理された。主務大臣より医薬品の卸し売り協定価格の認可があり次第,これの小売協定価格の設定を行なった。


医薬品の配給統制
支那事変の進展とともに,医薬品の需要はいちじるしく増加し,このため医薬品は極度に不足をきたしたため,その対策に非常に苦心がはらわれ,その対策として,
医薬品の需給調節その他に関する件が出された(昭和14年警
視庁衛生部事業概要)

厚生省衛生局長通知に基づき,薬品卸商400名について亜鉛華ほか257種の医薬品在庫数量調査,薬品製造者250名について主要医薬品56種の製造数量調査を毎月実施し,厚生省に報告していた。
昭和15年4月13日医薬品配給統制要綱」
が決定され,同年5月から憐「酸コディン等9品目の主要医薬品が配給統制を受けた。昭和16年5月には,国家総動員法」の委任命令である生活物資統制令にもとづいて「医薬品及び衛生材料生産配給規則が制定され,配給統制に法的根拠が与えられた。
配給機構として,中央機関に,東部及び西部に医薬品中央配給統制組合(その後合併して日本医薬品配給統制株式会社)地方機関に,
道府県医薬品卸商組合
医薬品小売商業組合が組織され,元卸,地方卸及び小売の一貫
した機構の整備がはかられた。
これによって,一般消費者は,市町村長,医師会及び歯科医師会等で発行する購入券によらなければ,
小売業者から購入することができないこととなった。
生産配給規則の制定にともなって,警視庁では,
医薬品及衛生材料生産配給統制規則施行細則
(昭和16年7月警視庁令第15号)を制定し,願届書の
様式等を定めた。
昭和16年12月事業整備に関する要綱が制定され,配給業者の地域的配置,消費者との関連から,新規の医薬品の販売業は,
企業許可令によっ
て,全面的に行政官庁の許可を要することとした。統制品目としては,昭和16年に3回,昭和17年に8回,昭和18年に2回と,逐年その品目が改正拡大され,昭和19年3月には,
亜鉛華ほか302品目,局方外塩酸ホマトロピンほか11品目,衛生材料は精製脱脂綿ほか7品目,歯科材料は銀合金ほか74品目,指定生薬はアギほか122品目,その他衛生物資は氷枕ほか9品目にもおよんだ。
(3)α20出張所事業場の状況
当時の日本の健康事情及び医療体制は以上のとおりであるが,α1出張所事業場においては,医療機関は在来よりα56診療所の設備があり,
専属医(医博P82)が常住し治療に當たるために伝染病の発生なく予期の成績を挙げたものである(華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)16頁)
。そして,診療所は中国
人にも利用されていた(証人P31)

もっとも,当時,医薬品の配給統制の影響は大きく,医療薬品原材料の不足は」「必要量に対し充分と言い得ざる状況にあり
特に華労の全身的頑固たる湿疹疥癬等に対する軟膏類ガーゼ脱脂綿繃帯類は大量に必要とせる為,県衛生課より特配を受けたるも尚充分と言い難(甲総2・27頁)かったことも事実である。
4
布団,衣服等について

(1)日本における衣料品等の状況について
日本における当時の衣料品等の状況は,
昭和17年2月「繊維製品配給統制規則によって衣料品の切符制が実施され,点数制の総合切符による販売が開始された。これによってほとんどすべての繊維製品が切符制による配給統制を受けることになった。このときに除外されたのは座蒲団綿,帽子,蚊帳,洋傘,袋物などの少数の品目であったが,これらもまた昭和18年2月から切符制に編入された。」そ
して,昭和19年9月頃には,

衣料品の供給は極度に減少し,衣料切符が現物の裏づけのない有名無実な存在と化し,わずかの配給は隣組単位の一括配給による抽選方法しかとりえなかったのである。「昭和19年)11月,東京では冬季衣料

(品の配給があったが,足袋または靴下が両者合わせてだいたい4人に1足,浴用タオルが15人に1本という有様で,すべて隣組に一括配給され抽選によらねばならなかった。

1945年(昭和20年)に入ると衣料供給の枯渇は頂点に達した。

衣料切符は前年4月に配布された1944年度分を最後に,1945年度分の一般配布は行なわれなかった。
」とされている。
(乙各B12)
(2)原告らは,
布団はα10で支給されたものを使用していたと主張する。しか
しながら,まず,就寝方法としては,

板張上に藁を敷きアンペラ(注:かやつりぐさ科の多年性植物の茎で編んだむしろで敷物・砂糖袋等に用いる。)を其の上に敷き重ね

ており,寝具としては,フトン2枚,毛布2枚を支給していたもの
である(華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)19頁)

また,原告らは,
衣服はα10のままのものを着用しと主張する。しかしな
がら,
被告鹿島建設は,
当時の戦時中の極度に衣料事情の困難なるときに於いて」
,「華人係を始め全職員の努力により蒐荷せる衣料は,華労着用の作業服の破損に至らざる程度に於いて支給し,労働箇所にありては破損し易きあり斯る者に対しては補修布を支給修理せしめる等,配給に関しては,日本人労働者及び朝鮮人労働者に比し優遇していたものである(華人労務者就労顛末報告書(α20出張所)18頁,19頁)
。そして,
木曽谷の寒気は一人身に染みて激しく冬期作業を殊更困難ならしめ,殊に日本に始めての華労の寒さを想い県当局に申請し,真綿チョッキ,シャツ,作業服等の特配を受け支給したものである(同19頁)。
5
食料について

(1)被告鹿島建設は,第二次世界大戦が激化し,著しい食糧不足,物品不足の状況において可能な限り努力したものである。
(2)戦時中の食糧事情について


甲各B第1華人勞務者就労顛末報告書α20出張所)

には,
食糧事情として,
月一人30キロ配給を維持するために関係者の努力は並々ならぬ労苦あり,然れどもこの困難を克服して30キロ配給を継続し居たるに,内務省の命令と称し華人取り締まり警察官により月1人8キロ減の22キロ配給を命ぜられ中途より主食22キロの配給となる。,支給状況として,(1)主食ロ。雑穀小麦粉22キ初め8キロ配給を実施するも警察官の命により中止す。副食できる限り配給す。調味料塩は月1人1キロなりしも移入後専売局の査察により480グラムとなり不足分を醤油,味噌を以って補えり,油は月1人1合配給と記載されている(20頁,21頁)



戦時中の食糧事情については,年々悪化し,非常に圧迫していたことが伺われる(乙各B2)昭和20年6月に行われた各都市の栄養摂取状況調査に,東京,。
京都,前橋,山口,盛岡の各調査結果が掲載されているが,東京は,配給量が,熱量1437キロカロリー,蛋白質65グラム,脂質20グラムに対し,摂取量が,熱量1798キロカロリー,蛋白質82グラム,脂質25グラムとなっている。α20に一番近い前橋では,配給量が,熱量1221キロカロリー,蛋白質45グラム,脂質13グラムに対し,摂取量が,熱量1716キロカロリー,蛋白質73グラム,脂質18グラムとなっている(乙各B2・5頁)。また,大阪
市立生活科学研究所で調査した大阪市における栄養摂取状況によれば,昭和20年7月には,主食の配給が2合3勺から2合1勺に減らされたため,配給量は1200キロカロリーに落ち,日本人成人男子中等労作作業従事者栄養要求量標準約2400キロカロリーの約半分にすぎなかった(乙各B24頁以下)。



終戦直後の食糧状況
終戦直後に,GHQの要請に対して行われたと思われる報告では,厚生省研究所国民栄養部の日本人栄養要求量標準を基礎として日本人,労作別,性年齢を明らかにせる人口構成表(厚生省調査)に従い,日本人全体の必要とする栄養量を計算せし所,老幼男女を問わず平均1人当1日『2159』キロカロリー,蛋白質『77』瓦を必要とすることとなる,ここに注意すべきは,この値は,『人の口に入る時の値』であって,調査上の廃棄,虫鼠害,天災等による減耗,加工貯蔵運搬等の間の目減りなどは含まれて居ず更に運送,配給,家庭内の貯蔵等の諸事情を考えるときは,相当な余裕を置かなければならない,かくすると生産量としては少なくとも1人1日当『2300』キロカロリー,蛋白質『77』瓦以上が目標とされることが望ましくなるとしたうえで,昭和20年について,本米穀年度は諸種の悪条件の累加により左の如く予想されている。即ち,昨年8月予想1人1日当供給可能熱量『1551』キロカロリー。昨年9月中旬の台風損害を考慮せる9月20日現在予想『1375』キロカロリー。昨年10月初旬風水害を加ふれば『1325』キロカロリー。300万』噸穀類輸入実現しても,『『1673』キロカロリーとされている(乙各B2
6頁)


(3)日本人・朝鮮人労働者への配給量との比較
1941(昭和16)年4月に,主食に対しても配給制が施かれ六大都市においてまず米の割当配給が実施された。米は大人1人1日分2合3勺(1か月10.35キログラム)と決められた。昭和16年4月現在の米穀配給量のうち,成人男子労働者の一日の配給量は,普通増量を受くる労働者が390グラム,特別措置を受くる労働者が570グラムであった。1945(昭和20年)7月,配給米について大人1人1日分2合3勺が,
2合1勺に減り,
7分づきだった米は,
1942昭

和17)年秋から5分づきとなり,1943(昭和18)年1月から2分づきとなったのである。一方,朝鮮人労働者への配給量は,1日5合であった。既に述べた通り,当時国が華人に保証する配給は,1ケ月22キログラムであったが,これは同じ労働に従事する日本人及び朝鮮人に対する配給は,1人1日5合(700グラム)であったので,この数字をもとにして,農林省が,22キログラムを中国人労働者に配給することにしたものである。従って,当時の日本における基準からすれば,22キログラムを給付する限り,栄養上の問題は生じないとされていたこととなる。
(4)α1作業所での食料(マントウなど)は,中国人の食習慣に合致したものであった。なお,そもそもα1作業所での食事については,配給された小麦をどのように調理するかにつき,全て担当の中国人が決定し,中国人用に味付けしていたものである(証人P31)

(5)小括
甲各B第1華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)22頁には,

資材難,食糧,衣料の募集困難なりしも拘わらず,相当量を確保。充分とは行かずとも,鮮人労働者に比し多量に支給せり。

と記載されている。当時の食糧事情との比較においてα20における華人への食糧の配布を検討すると,戦争が激化し,食糧事情が急速に悪化する中,主食について22キログラム以上を配布しつづけ,かつそのカロリーも,当時の戦争末期における日本の食糧事情を大きく上回るものである。被告鹿島建設は,第2次世界大戦が激化し,著しい食糧不足,物品不足の状況で,しかも食糧が国家総動員法,食糧管理法の厳しい規制下で,配給制の統制を受けながら,可能な限りの努力をしたものである。6
宿泊施設について

(1)原告らは,
収容所は,木造平家建の建物に概ね一小隊の人数である50名程度が住んでおり

中は草敷で,暖房はなく,冬期は物凄く寒い状態であった。,

と主張する。
しかしながら,まず,宿泊施設については,
50人に対し100坪の建築,構造は板葺平家建であり,
外に炊事場,浴場,便所を設けていたものである。
また,
室内に於ける諸施設としては,
寝室,病室,隊長室,衛生室,食堂
があり,
一人当たりの畳敷は一畳半の広さであった。そして,
暖房施設
として囲炉裏が設置され,常時使用」され,燃料」は薪が使用され,一「「日300人単位0.6坪が与えられていたものである(華人勞務者就労顛末報
告書(α20出張所)17,18頁)

α20作業所での寒気の厳しさは,作業所自身が十分に認識しており,殊に寒気激しき場所のことなれば燃料は充分与え作業に影響せざる様意を用い(同16頁)
,真綿チョッキの特配も実現させたのである。
(2)原告らは,
風呂は,下関に入港以来入浴していなかったと主張する。
しかしながら,そもそも宿泊施設の外に浴場が設置されていたものであり,夏期は宿泊付近の山間浄水を以って作業水浴せしめ,秋期及び冬期は3日に1回あるいは1週1回入浴せしめたものである(華人勞務者就労顛末報告書(α20出張所)28頁,29頁)

なお,昭和19年から20年の日本における入浴状況は,風呂を沸かす燃料が極度に不足していたため,銭湯も開かない日が多く,当時,何日も入らないことが多かったものである(乙各B9,13)

7
賃金支払について

(1)政府の方針


昭和17年11月27日付閣議決定及び昭和19年2月28日付次官会議決定の賃金に関する定め
上記閣議決定の要領10には労務者ノ所得ハ支那現地ニ於テ通常支払ハルベキ賃金ヲ標準トシ残留家族ニ対スル送金ヲモ考慮シテ之ヲ定ムルコト,同
要領12には華人労務者ノ家族送金及持帰金ニ付テハ原則トシテ特別ノ制限ヲ付セザルコトトシ・・と規定され,試験移入の実施要領には,毎月の家族送金30円,帰還時の持帰金150円を最低保障することや,出来高払制度併用により,作業能率の増進を図ることなどが規定されている。また,次官会議決定においても,
第1通則6には,
華人労務者ノ家族送金及持帰金ニ付テハ原則トシテ特別ノ制限ヲ附セザルコト第2,使用条件3には,華人労務者ノ賃金ハ内地ニ於ケル賃金ヲ標準ト為スモ内地ト現地ノ賃金及物価ノ間ニ甚シキ懸隔アル実情ナルヲ以テ残留家族ニ対スル送金及持帰金ヲ確保スル為所用ノ措置ヲ講ズルコト,賃金手当其ノ他ノ給与ノ具体的細目及之ガ支払方法・・ニ付テハ別ニ之ヲ定ムルコト第3,移入及送還方法1には,移入及送還ニ要スル経費ハ,労務者ノ賃金ヨリ控除セザルコトトシ・・等とあって,政府主導による賃金規定の作成をも予定していた。
なお,被告鹿島建設が華北労工協会との間で結んだ中国人労働者供出に関する契約書(甲各B第1(α2出張所)37頁の次ページ∼付表1の前ページまで)でも,賃金額,その支払方法等を契約内容としており,実施細目の五件使用条4.賃金算定並ニ支拂方法において,隊員と幹部の賃金をわけて定めるな
ど,後記一連の通牒,次官会議報告に沿った約定がなされている。②

中国人労働者の賃金の算出,支払方法などに関する日本政府の指示・命令ア
昭和19年12月14日付華人労務者賃金基準ニ関スル件」
添付の別紙華「人労務者賃金基準が定められ,一般作業(造船,土木建築業などのうち荷役作業を除く一切の作業)の場合の中国人労働者に対する賃金は次のとおり定められた(甲総3の5

734頁∼744頁)


定額制による場合は,内地人労務者の平均賃金を基準とし,隊長その他幹部労務者に対しては所定の各率を乗じた割増給とする。


出来高払い制による場合の単価は内地人労務者に対する単価により,隊長その他の幹部に対しては所定の各率を乗じた割増給とする。


賃金は一定額を所定の賃金支払い日に本人に支払い,残額を各人名義の郵便貯金とする。

ⅳイ
早出残業手当,休業手当等を支給すること。
昭和20年2月5日付次官会議報告昭和19年度華人労務者給与規定要綱」を別紙とする昭和20年2月24日付通牒「華人労務者給与規定要綱及実施要領に関する件が厚生省勤労局長,軍需省総動員局長名で発せられ,中国人労働者の賃金について以下のとおり定められた(甲総7付録20頁∼23頁,甲総3の5

744頁∼746頁)



一般華人労務者に支払う賃金は食事の給与の外1日約5円とする


華人労務者賃金基準により作成した賃金規則に従って事業主が負担すべき賃金が1日5円に満たないときは不足額は国庫が負担する。国庫補助額は事業主が立替払をすること。


本要綱は昭和19年4月1日より実施する。
これにより,中国人労働者の賃金は特別の契約がある場合を除き一律日給5円の定額制とされた。なお,この給与規定要綱により,中国人労働者の給与(1日5円)が日本人,朝鮮人労働者の給与に比して著しく高額となるところも現れた。


華人労務者賃金基準では,中国人労働者に対する賃金は一定額を所定の賃金支払い日に本人に支払い,残額を各人名義の郵便貯金とする定めとなっていたが,実際には内務省(警察)の指示により中国人労働者への現金支給は禁止された(乙各B第5号証・247頁参照)



昭和20年8月15日終戦となり,8月22日に内務省,厚生省より華人朝鮮人労務者の休戦後の措置に関する件が発令され,次のとおり定められた(乙各B第5号証・412頁)


就業を停止させ衣食住に配意し,休養を摂らしめ置くこと


賃金などを速やかに清算し,各人名義の預金とし,その他契約不履行のものあらばこの際履行しおくこと

ⅲオ
休養中といえども賃金を支払うこと
中国人労働者に支払われた賃金の本国への持参・送金方法については,昭和
20年9月20日,各省連絡会議における帰国取扱要領及び華人労務者送金要綱により,
次のとおり定められた甲総3の3・369頁∼376頁,

甲総7付録23頁)


8月15日現在の雇傭主は労務者が帰国する迄雇傭契約を継続し,この期間における給与を従前通り支給すること。就労せざる場合の休業手当は,8月15日前3ヶ月の平均月収の6割以上(最低額3円)とすることⅱ
諸給与の支給に当ってはできるだけ現物によるよう努めること


華人持ち帰り金は雇用主が一括し所属統制会宛て送金し,個々の華人に預かり証を交付する。預かり金の額には各華人について10円未満の端数をつけない


預り金とし得る金額は9月30日迄に支給すべき賃金手当とし10月1日分以後の賃金手当等は預り金の取扱をしないので日本内地の諸経費にあてさせること


統制会は送金を受けた額を正金銀行にて連銀券建送金為替に組み為替受取人を北京日本大使館宛とし,その為替を華人乗船に同行する監督者に持参させる


個々の華人労務者は下船後正金銀行天津支店に行き預金預かり証を差し出し邦貨の51倍に該当する額面の連銀券を受取る


ところが昭和20年10月18日GHQの追加指令が出され,中国人労働者の帰国持参金が1,000円に制限されたため,同月20日内務省より華人労務者持参金処理方変更の件が出され,賃金の持参・送金方法が次のとおり変更された(甲総3の3・377頁以下)


華人労務者は1人につき金1,000円を限度として持参帰国しうる。現地通貨(連銀券,儲備券)との交換は日本内地に於ては行わないので日本円貨のまま持参し上陸後中国側の措置に従うこと


持参の限度(1人金1,000円)を越える金額については日本政府が責任をもって保管にあたること。保管金は出港地海運局に託し華人労務者宛に保管証を発行すること。雇用主は各華人労務者につき金1,000円を超過する金額を調査の上予め出港地海運局に連絡しておくこと

(2)被告鹿島建設のα2(及びα20)出張所における賃金支払①

稼働賃金
前述のとおり,内務省(警察)の現金支給禁止の指示があったため,賃金は,稼働の時点で毎月全額が現金で支払われたわけではない。
甲各B1の華人労務者就労顛末報告書(α20出張所)40,41頁記載のように賃金ハ指導員総隊長,
華人係立会受領証受領,全額組預リトシ預金ニ繰入
班長以上ノ幹部級ハ月給制,隊員ハ日給制トシ毎月計算,指導員,隊長,立会ヒ支(給)拂全部当組預トシ預金ニ繰入あるいは,甲各B1(α2作業所)24頁記載のように班長以上月給制隊員ハ日給制トシ毎月計算総隊長立会ノ下ニ支拂ヒ当所預リトシ預金に繰入ル,同27頁記載のように右金額,総隊長中隊長書記了解ノ上組預リトスとして,毎月,中国人隊長に,班長以上に支給される月給及び各一般隊員の日給合計月額を確認させたうえ,会社預りの預金としていた。ところで被告鹿島建設は当初,P13ら中国人労働者をα20出張所で受け入れたが,当地での工事が終了したため,受入県の許可を得てこれら労働者を2分して,1部は昭和20年4月群馬県α12出張所へ,P13を含む他の1部は,昭和20年6月岐阜県α2出張所へ転出させた(甲各B1(α20出張所)14頁,同(α2出張所)1頁,附表4の9頁)が,この転出に伴う預金の扱いについては,甲各B1(α20出張所)44頁に転出先へ送金と記載されており,P13の転出先であるα2出張所に引継ぎがなされた。このような預金の形で被告鹿島建設が管理していた賃金を終戦後,P13を含む中国人労働者らに現実に交付するについても,次のような政府の指導がなされた。すなわち中国人労働者らを帰国させる目途のついた昭和20年9月20日に定められた帰国取扱要領及び送金要綱(甲総3の3・369頁∼376頁,甲総7付録23頁)によれば,各事業場は昭和20年9月30日迄の賃金を確定して各人の10円未満の端数を除く総額を所属統制会に送金し,統制会はこれを正金銀行で受取人を北京日本大使館とする聨銀券(中国の現地通貨)建送金為替に組み,この為替を帰還中国人労働者に同行する監督者に持たせる一方,預金一覧表(10円未満の端数を除く賃金等)を中国人労働者代表に持たせて正金銀行天津支店に提出させ,各労働者は雇い主から受け取ってきている預金預証と引き換えに同支店から聨銀券を受領する手筈となっていた。しかし,連合軍最高司令部の指示によってこの方針は変更され,昭和20年10月20日付警察号外華人労務者帰国持参金処理法変更ノ件(甲総3の3・377頁以下)及び同年10月
22日付華人労務者帰国持参金処理方ノ件甲総3の3・378頁以下)は,(
1,000円までを日本円で帰国中国人労働者に交付し,1,000円を超える金額については,出港地海運局に託して各人宛の保管証の交付を受けこの保管証を中国人労働者に持ち帰らせることとなった。そして,
上陸後ハ中国側ニ於テ責任ヲ以テ措置スルコトト相成リとしていた。P13らα2出張所の中国人労働者は昭和20年11月30日事業場を出発し,佐世保港を同年12月3日出港しているから,賃金は華人労務者持参金処理方変更の件に従って1,000円までの日本円と保管証によって支払われたことは明らかである(乙各B1参照)

なお,これら預金以外に送還時に賞与名目で180円,軍服,軍靴,シャツ,ズボン下等の無料支給を行っている(甲各B1(α2出張所)6頁以下,25頁)



休業手当の支給
昭和20年10月1日以降,帰国までの中国人労働者の処遇については,華人労務者帰国取扱要領9(イ)に規定された8月15日現在ノ雇傭主ハ労務者ガ帰国スル迄雇傭契約ヲ継続シ,此ノ期間ニ於ケル給与ハ従前通リ支給スルコト,尚就労セザル場合ノ休業手当ハ月ニ付8月15日前3ヶ月ノ平均月収ニ相当スル額ノ6割以上(略)トスルコト及び華人労務者送金要綱1(ハ)
に規定された預金シ得ル金額ハ9月30日迄ニ支給スベキ賃金,手当トシ10月1日以後ノ賃金,手当ハ預金ノ取扱ヲナサザルニ付日本内地ニ於ケル諸経費ニ充テシムルコトに従い,行われた。(3)被告鹿島建設のα12出張所の華人労務者就労顛末報告書により認められる賃金支払い及びα23出張所における支払い
被告鹿島建設の他の作業所であったα12出張所及びα23出張所における中国人労働者に対する賃金の算出方法や支払方法に関する証拠が存在し乙各B3,,(
4
6)
,α1作業所及びα2作業所においても同様に賃金が支払われたものと考えられる。
(4)小括
以上のとおり,終戦後日本政府がGHQの指令に基づいて華人労務者持参金処理方変更の件を発令し中国人労働者の帰国持参金を1,000円に制限し残金を中国人労働者の出港地海運局に預託するよう定めたことは事実であり,被告鹿島建設が日本政府の命令に従わないなどということはあり得ない。また,中国人労働者は戦勝国の国民であり,中国人労働者がその労働の対価(賃金)を要求せずに帰国するなどということもあり得ない。
したがって,被告鹿島建設は,α2作業所においても,中国人労務者の賃金を現金支給としての帰国持参金支給(金1,000円)
,残金預託(九州海運局福岡支
局)及び保管証発行という方法で支払ったことは明らかである。
第7
1
民法724条後段の適用について
はじめに
原告らは,本件訴訟において被告鹿島建設に対し民法709条に基づき損害賠償を請求している。被告鹿島建設は原告らに対して何らの損害賠償義務を負うものではないが,仮に百歩譲って原告らが何ほどかの損害賠償請求権を取得したとしても,前述のとおり,原告らの主張する不法行為によるP13の損害賠償請求権は,終戦を迎えた昭和20年8月15日または遅くともP13が中国帰還のため日本を離れた昭和20年12月3日から20年の除斥期間の経過によって消滅した。原告らの提訴が平成9年12月22日であるから,既に権利消滅して長期間経過していたことは明らかである。

2
民法724条後段の法的性質
民法724条後段の法的性質は除斥期間と解すべきであることについては,被告国の主張と同じである。

3
民法724条後段の適用制限について
最高裁平成10年判決を参考にして民法724条後段の適用は制限されるべきであるとする原告らの主張に理由がないことについては,被告国の主張と同じである。ただし,原告らの主張によっても不法行為は昭和20年8月15日の終戦によって終了しており,P13は昭和20年12月中国に帰国したのであるから,P13はそれ以降,遅くても昭和53年8月12日日中平和条約が締結され日中の国交が回復した後は被告鹿島建設に対して損害賠償請求訴訟を提起することは十分可能であったこと,本件強制連行等に関する資料が十分に存在しないとしても,中国人労働者は自ら証言台に立って強制連行及び強制労働の事実を主張,立証することも可能であり,訴訟提起による権利行使が不可能となる訳ではないこと,原告ら提出の証拠を見ても,被告鹿島建設が華人労務者名簿,事業場報告書など本件強制連行,強制労働に関する文書,資料を焼却等して証拠を隠蔽したといった行為を行ったとの証拠は全くないこと,被告鹿島建設は,本件訴訟の原告らから,訴訟提起前に,補償交渉等一切連絡,接触を受けていないのであり,原告らの訴訟提起を妨害したということも全く存しないこととの各事情を付加する。
第8
1
安全配慮義務について
はじめに
原告らは,本件訴訟において被告鹿島建設と中国人労働者とは,安全配慮義務の前提となるある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者に該当し,被告鹿島建設は労働者に対して安全配慮義務を負うと主張している。しかしながら,他方で,原告らは,
原告ら中国人と被告各企業との間には,直接的な雇用契約その他の契約は締結されていない強制労働そのものであった旨の主張をしている。被告鹿島建設は,
強制連行・強制労働に関する原告らの主張を認めるものではないが,もし仮に本件労働の実態が原告らの主張するようなものであったとするならば,被告鹿島建設は中国人労働者を事実上使役しただけであり,被告鹿島建設と中国人労働者との間には,安全配慮義務を適用すべき前提となる雇用契約上の使用者被用者類似の法律関係は認められない。安全配慮義務はもともと雇用契約に基づき雇用主の負担する主たる義務(賃金支払義務)に付随する義務として判例法上認められてきたものであり,それ故安全配慮義務違反は契約法上の債務不履行責任とされている。安全配慮義務は,ある法律関係」に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において認められるものであり,安全配慮義務違反が契約法上の債務不履行責任であることを思うと,ここにいう「ある法律関係とは契約関係もしくはこれに準ずる関係であることを要する。強制連行・強制労働に関する原告らの主張を前提とすると,被告鹿島建設は中国人労働者を事実上使役しただけで,被告鹿島建設と中国人労働者との間には契約関係もそれに準ずる関係も認められないこととなるから,被告鹿島建設には安全配慮義務は生じない。
2
安全配慮義務の意義等
一般に人は誰でも,社会生活上他人に対して損害を与えてはならないという一般的な注意義務を負っており,この注意義務に違反して他人に損害を与えたときは不法行為責任を問われる。
他方,
契約関係により相接触し特別な関係に立ち至った場合には,
相手方の法益がその契約関係に基づく危険により侵害され,損害を発生させないように一層配慮する義務が生ずる。
契約関係により相互に相接触した特定人間においては,
かかる一般的義務の内容がより具体化され,信義則上より高度化されるのである。安全配慮義務は,債務不履行を理由とする賠償責任であるから,契約関係もしくはこれに準ずる法律関係の存在が不可欠であり,このような関係が認められなければ安全配慮義務は生じ得ず,安全配慮義務違反もあり得ない。最高裁昭和50年判決は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として安全配慮義務が認められると判示しているが,ここにいうある法律関係とは,契約関係もしくはこれに準ずる法律関係を指し,事実上の関係では足りないと解すべきである。もし,
ある法律関係を事実上の関係でも足
りるとすると,事実上の関係から生ずる義務は一般的な注意義務に過ぎないから,安全配慮義務違反は一般的な注意義務違反=不法行為責任となってしまう(一定の状況を前提として,作為義務が生じそれに違反することによって,不作為による不法行為が成立することとなる)
。安全配慮義務を債務不履行責任と解する以上,
ある法律関係は,契約関係もしくはこれに準ずる法律関係でなければならないのである。最高裁平成3年判決は,下請企業の労働者の労災事故について元請企業に安全配慮義務を認めており,契約関係にない当事者間において安全配慮義務を認めたかのようにも思える。しかしながら,最高裁平成3年判決の事案では元請企業と下請企業との間には請負契約が存し,下請企業と労働者との間には雇用契約が存した。これらの契約関係を通じて元請企業と下請企業労働者との間に契約関係に準ずる関係を何とか導き出すことができたのであり,それらの関係すらない場合には安全配慮義務を問擬することはできない。
近時学者の間で最高裁平成3年判決の理論構築が試みられており,元請企業は下請企業の安全配慮義務を重畳的に債務引き受けしたとか,元請企業は下請企業から労務指揮権を取得しそれに随伴して安全配慮義務を負担したとか,主張されている。しかしながら,いずれの理論構成も元請企業と下請企業との間に請負契約が成立し,下請企業と労働者との間に雇用契約が成立していることを前提としている(下請企業と労働者との間に雇用契約がなければ,下請企業が労働者に対して安全配慮義務を負担したり労務指揮権を取得することはなく,それらを元請企業が負担・取得することもない)
。このような請負契約・雇用契約という関係すらない本件の場合
は,付随義務(安全配慮義務)の前提となる主たる債務は存在せず,付随義務たる安全配慮義務は生じ得ないのである。
3
徴用類似との主張について
原告らは,戦時中における国家総動員法,国民徴用令による国民と同様に,日本国が中国人労働者に対し,国家権力により徴用行為を行ったものであり,このような違法な権力行使により,国と国民徴用令によって徴用された日本国民の間の公法上の関係に類似した関係があると主張し,また徴用された国民と割り当てられた企業との間には雇用契約に準ずる私法上の関係が成立していた旨をも述べて,本件に安全配慮義務の適用があると主張する。
しかしながら,国民政府の下において,日本国の国家総動員法,国民徴用令による国民徴用を中国人に対して適用する旨の国外適用を認めた条約や国民政府の法律は存しないし,他方日本国内においても,移入にかかる中国人を国家総動員法,国民徴用令による国民徴用と同じく取り扱う旨の条約や日本国の法令も存在しない。華北労工協会との間の労工供出契約により日本に移入された後においても移入された中国人に対して徴用令書を発することはできない。およそ,徴用令の対象とならない中国人について,日本国との関係を徴用類似の法律関係と見ることはできない。したがって,原告らと被告企業との法律関係を徴用された国民と割り当てられた企業との間の法律関係と同じ私法上の関係が成立したと見ることもできない。

第9
1
消滅時効について
はじめに
被告鹿島建設は原告らに対して安全配慮義務を負っておらず安全配慮義務違反を理由とする損害賠償義務もない。仮に百歩譲って損害賠償義務を負ったとしても,原告らの損害賠償請求権は,終戦の日又は遅くともP13が中国への帰還のため日本を離れた日から10年を経過したことによって時効消滅した。また仮に時効の起算点を日中平和有効条約締結の日(昭和53年8月12日)としても,原告らの損害賠償請求権は条約締結の日から10年を経過した昭和63年8月12日の経過をもって時効消滅した。被告鹿島建設はこの消滅時効を援用する。
2
消滅時効の援用についての基本的な立場
民事時効制度の構造からすると,時効の要件が充たされている限り,時効の効果が当事者の具体的個別的関係において妥当か否かの判断は終局的には援用権者に委ねられていると解すべきである。また,時効の援用が信義則違反あるいは権利の濫用として制限されるのは,時効の制度趣旨(長期間継続した事実状態の尊重,証拠の散逸による立証の困難,権利の上に眠る者を保護しない)に反しない上,結果が妥当かつ合理的なごく例外的な場合に限られると解すべきである。

3
時効援用権の濫用に関する判例
これまで時効の援用を濫用論もしくは信義則論に基づいて制限した判決例を見ると,時効の援用が濫用として制限されたのは,
(1)義務者が権利行使を阻害してい
たり,
(2)権利が事実上行使できないものであったり,
(3)権利者に権利行使的
要素が認められたり,4)援用態様が不当であるといった事情が強く認められたり,(
これらの要因が重なるため,時効の援用を信義則違反あるいは権利の濫用として制限することが,時効の制度趣旨(長期間継続した事実状態の尊重,証拠の散逸による立証の困難,権利の上に眠る者を保護しない)に反することなく,結果が妥当かつ合理的なごく例外的な場合に限られていると理解できる。
これに対して(5)権利自体の保護の必要性,義務者保護の不的確性は,権利自体あるいは義務者自体を問題とするもので,
(1)ないし(4)とは観点を異にする。
前述したとおり民法は時効援用制度を採用しており,時効の要件が充たされている限り,時効の効果を当事者の具体的個別的関係に及ぼすか否かの判断は終局的には援用権者に委ねている。もし,権利自体あるいは義務者自体の属性によって時効の援用が濫用となるとすると,権利の発生段階で時効の援用が認められない権利を作り出すことにつながり,
民法が時効援用制度を採用した趣旨を没却する結果となってしまう。民法の時効制度は,
当然のことながら,
刑事事犯のような悪質な不法行為についても,
期間の経過による時効とその援用を認めているのであり,本来的に,このような,もともとの不法行為の悪質性や加害者の行為当時の状況といった,権利自体の内容,加害者に関する事情を,時効援用を許さない事情とすることは,時効制度を変容させるものであり,許されないものである。これらの事項は,損害賠償請求権の慰謝料の金額など損害賠償請求権の内容を左右するに止まるものである。
仮に,百歩譲って,これらの事情を考慮するとしても,これらの事情をメインの理由とすることは,時効制度と真っ向から反するものであり,例外的に他の判断要素を補充する意味で利用しうる場合があり得るに止まり,それ以上に(5)の要件を強調して時効の援用を権利の濫用とするのは,明らかな誤りである。

4
本件について
本件において被告鹿島建設の消滅時効の援用が権利の濫用にも信義則違反にも当たらないことは明らかである。

(1)原告らの主張
原告らは,本件における事情として,①本件が被告企業と被告国が一体として計画・実行した行為であること,②強制連行・強制労働の過酷さ,非人間性,③賠償義務の不履行と中国への送還,
④権利行使の困難性,
⑤被告による証拠隠滅と改竄,
⑥強制労働による被告の利益,戦後における被告企業の利得を掲げている。しかしながら,①ないし③及び⑥記載の主張が,債務の発生段階の発生原因被害の重大性
,債権者・債務者の属性をとらえて,援用が権利濫用になる
理由としているものであり,失当であることは,前述のとおりである。(2)義務者による権利行使の阻害度
原告らは,上記⑤について,
被告企業が戦犯としての追求を免れるため,土木業界で中国人に関する証拠書類を3日間かけて焼却して事実を隠蔽した事業場報告書に虚偽の事実を記載した旨を主張する。証拠書類の焼却につき原告らの提出する証拠甲総7号証は,被告鹿島建設について,このような事実があったことを認める証拠足りえないものである。また,事業場報告書の虚偽記載についても,被告鹿島建設について,虚偽の特定,立証がなされているとはいえない。また,そもそも,仮に事業場報告書に事実に反する部分があったとしても,中国人労働者であったP13は,事業場報告書に虚偽の記載がなされていることをまったく知らなかったのであり,このような記載によって自らの提訴を遅らせたり,躊躇していたということは,到底考えられない。P13は,自らが,その主張する強制連行,強制労働の被害にあったこと,その経緯,事業所,企業名など,被告鹿島建設に対して提訴するに足りる情報を自ら保有していたのであり,これらの虚偽記載なる事実を提訴の遅れの理由とすることはできないし,被告鹿島建設の提訴妨害の理由とすることもできない。これらの事業場報告書は,終戦直後の調査に際して作成されたものであり,その記載内容の如何を問わず,これをもって,作成後50年以上経過した提訴に対する消滅時効の援用をして権利濫用であるとの理由とすることは許されない。
なお,被告鹿島建設は,他に原告らの権利行使を阻害する行為や態度を示したことは,一切ない。
(3)権利行使条件の成熟度
原告らは,上記④について,
原告らが戦後置かれていた状況,日中関係に基づく権利行使の困難性,日本の裁判所に訴訟を提起することの困難性からして,1997年の本件提訴前の訴訟提起は著しく困難であった旨を主張する。しかしながら,原告らの主張する事情は全て訴訟提起が困難であった事情に過ぎず,不可能であった事情ではない。終戦後日本と中国の間には国交のない状態が続き訴訟提起が困難であったことは事実であるが,
昭和47年9月29日に日中共同声明が出され,
昭和53年8月12日には日中平和友好条約が締結された。遅くとも日中平和友好条約が締結され,日中間に国交が回復した後は訴訟の提起は事実上も可能となったのである。
中国人の強制連行,強制労働について見ても,平成元年12月には,中国人労働者が花岡鉱山における強制労働により損害賠償を求める公開書簡を被告鹿島建設に提出し,大きくマスコミにも取り上げられた。また,平成3年には,中国の全国人民代表会議に建議書が提出され,日本に対する民間補償請求が活発になっている。本件訴訟は,上記公開書簡による損害賠償請求から更に8年間も経過した後になって提起されたものである。
(4)権利行使的要素
原告らは,平成9年12月22日突如本件訴訟を提起しており,それ以前に被告鹿島建設に損害賠償を求めたり,
被告鹿島建設と補償交渉などを行った事実はない。
(5)援用態様の不当性
被告鹿島建設は,本件訴訟において応訴当初から消滅時効を援用しており,その援用態様に不当な点はまったく存しない。
(6)時効の制度趣旨との関係
時効は,永続した事実状態を尊重し,証拠散逸による立証の困難を防止し,権利の上に眠る者を保護しない制度である。
本件で問題となっている損害賠償請求権は,
昭和19年ないし昭和20年に受けたとする安全配慮義務違反を理由として成立したとされる権利であり,その発生から本件訴訟提起までに,52年間が経過し,事実状態は永続し固定化された。当時の状況を知る者はほとんど死去するなど,証拠散逸による立証の困難性も著しく大きい。P13は,昭和20年12月に中国に帰国しており,遅くとも昭和53年8月12日に日中平和条約が締結され国交が回復した後は訴訟を提起することも充分可能であった。然るに,原告らは平成9年12月22日に本件訴訟を提起しており,原告らが本件訴訟を提起したのはP13が中国に帰国してから52年後,日中の国交が回復してから19年後である。本件は,時効の制度趣旨のいずれの観点から考えても時効により権利を消滅させるべき事案であり,被告鹿島建設の消滅時効の援用は権利の濫用にも信義則違反にも当たらない。
以上
(別紙13)
被告熊谷組の主張
第1
1
請求権の不成立について
被告ら企業が,国の強制連行,強制労働に加担したとの主張(共同不法行為)について

(1)

原告らは,被告ら企業が,被告国に加担して,原告ら中国人労働者を強制連行
し,被告らの事業所で強制労働に従事させたから,その責任を負うべきであると主張する。
(2)

しかし,当時,被告熊谷組は,戦時の非常事態下にあって,法人として自由な
討議と判断に基づく意思決定を行い,また,業務を担当する取締役やその従業員らにおいて自由な判断による業務運営はなし得なかったところである。被告熊谷組は,
国家総動員体制と軍部の支配の下におかれ,独自の判断と意思に従い,自由に雇用契約を締結し,これを履行するなど自主的で自由な判断の下に企業活動ができる状況にはなく,その実体は,罰則を伴った国家総動員体制下で,いわば国の運営する国営の事業所,国営の工場でしかなかった。
これを強制連行,強制労働に関していえば,昭和17年11月27日の閣議において,
華人労務者内地移入に関する件と題する閣議決定がなされ,これを受けて,同日付けで華人労務者内地移入に関する件第3措置に基づく華北労務者移入実施要領が定められ,国の施策として中国人を労働力として内地に移入する方針が決定された。その後,昭和18年11月1日に発足した軍需省が主体となり,昭和19年2月28日,
華人労務者内地移入の促進に関する件と題する事務次
官会議決定が出され,
中国人労務者はこれを国民動員計画産業中鉱山業,国防土木建築及び重要工業その他特に必要と認めるものに従事させることとされ,また中国人労務者は毎年度国民動員計画に計上し計画移入を図るものとするとされた。
さらに,
同年8月16日には昭和19年度国民動員実施計画策定に関する件」と題する閣議決定がなされ,中国人労務者3万人を徴用することが計画立案されるに至った。原告らの主張する強制連行,強制労働は,上記のような経緯で,被告国が実質的に決定し,被告熊谷組においては,被告国が移入した中国人に労働の場を提供させられたにすぎない。被告熊谷組は,罰則を伴った国の統制の下において,強制連行の受け入れや労働従事させることに抗することは到底不可能であり,従わざるを得なかったのである。被告熊谷組に対し,これに反することを期待することは到底できなかった実体にあったところであり,したがって,被告熊谷組をが,原告らに対して,不法行為責任や安全配慮義務違反等何らの契約関係を前提とする法律上の責任を負うことはあり得ない。2被告熊谷組の事業所における労働環境が劣悪であったとの主張について(1)原告らの主張によれば,被告企業らでの労働環境は劣悪であって,原告らをこのような劣悪な労働環境の下で労働させたことは,原告らの身体等への侵害を惹起する不法行為であるとする。(2)被告熊谷組に対するP14に関する証拠としては,甲各C2,4がある他,甲各C6の「華人労務者就労顛末報告書がある。同報告書によれば,給与の支給の他,宿泊施設,被服,主食副食等について詳細な事項が定められていたこと等が報告されている。原告らは,その内容は事実と異なるもので,実情は極めて劣悪なものであったとするが,被告熊谷組においては,本件後五十有余年を経た現在においては,上記の事項どおりこれが実施されていたかについては,報告書があることから,
給与の支払いも含め,
その内容どおりの実体にあったであろうと推認するほか,
適確にこれを証明する証拠を有しておらず,また,実情と全く異なるとの点に関する証拠も有していない。正に長期間を経過したことによって,当時の関係者を含め証拠が散逸し,その真偽に関する証明がなし得ないのである。
ただ,仮に上記の報告に事実でない面があったとしても,当時の日本国内の国民の生活状況については,多くの国民が,日常の食事にも事欠き,家屋も空襲を受けて焼失するなど,衣食住の基本的な生活条件について,これまた劣悪な環境の下に生活を強いられていたことも公知の事実である。甲各C7によっても,当時の状況については,太平洋戦争末期の食糧不足,栄養失調は全国的なものであった。α「2ダムの熊谷組では,ニンニク入りのみそ汁が出た。これは上等の方だった。」と
されており,被告熊谷組においては,当時の劣悪な国情の中にあって,精一杯の労働者対応に努力していたことを窺わせるものである。また,この点に関しては,証人P28は,その証言において,当時のα3事業所においては,原告ら労働に従事する者とこれを監督する者との作業場での環境に差異はなく,また,不慮の事故があった際には,作業場においてこれを全員で弔う葬儀が執り行われたことも証言するところであり,被告熊谷組において,原告ら労働に従事する者に対し,ことさらに劣悪な条件を強いたと断定することは困難である。
したがって,当時の日本国の劣悪な国情の下においては,被告熊谷組に,原告らに対して,日本国民と同等あるいはそれ以上の処遇を求めることは不可能であったというべきである。
3
安全配慮義務違反による債務不履行の主張について
被告熊谷組がP14に対し安全配慮義務を負担していなかったことについては,被告鹿島建設の主張(別紙12)と同じである。

4
賃金請求権について

(1)

原告らは,仮定的主張として,賃金の未払があるとして,これを請求する。
(2)

賃金請求権については,当然のことながら,被告熊谷組とP14との間に具体
的な雇用契約が存在したことが前提となるが,両者の間に雇用契約が成立していないことは原告らも認めるところであって,主張自体失当である。
5
不当利得返還請求権について

(1)

原告らは,P14が労務の提供をしながら何らの対価も得ていないという損失
を被っており,被告熊谷組は,賃金の支払を免れた利得を得ており,これを正当化する法律関係はなく,不当利得として返還を請求する。
(2)

被告熊谷組において,P14に賃金を支払ったか否かについては,前記のとお
り,本件後長期間を経過していることから,これを適確に証明する証拠を有していない。しかし,不当利得返還請求の前提となる労務の提供は,提供者において任意になされたものと解すべきであるところ,その意に反して強制的に連行され,強制的に労務に従事させられたという原告らの主張等を前提にする限り,P14に生じた損害については,不法行為に基づく損害として評価されるべきものであり,これと別個に不当利得返還請求権は構成され得ないものと解する。
第2
1
請求権の消滅について
原告らに被告熊谷組に対する何らかの請求権が発生していたとしても,以下の理由により,その請求権は既に消滅している。

2
請求権の放棄
日華平和条約等により,
中国及び中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,
被告国によってすべて放棄されているから,個々の中国国民の被告熊谷組に対する請求は理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。
3
消滅時効の援用と除斥期間の経過

(1)ア

仮に原告ら主張の何らかの請求権が成立したとしても,消滅時効期間または除斥期間の経過により,いずれの請求権も消滅した。


P14は,昭和20年(1945年)11月に下関から出国し,中国内の実家に帰ったことを自認しているところである。また,原告P14を含む,α3事業所で労働に従事させられた者すべては,本邦から出国するまでの間に,賃金が未払いであることなど,損害について,その支払を求める権利のあることを認識していたことが認められるところであり(証人P28)
,これらの事実から,遅く
とも同月末日の時点において,原告ら主張に係る不法行為や被告熊谷組との雇用関係等の法律関係は終了し,その主張する権利行使が可能になったというべきであるから,以下,被告熊谷組が主張する消滅時効ないし除斥期間の起算点は,同年12月1日からとなる。

(2)

原告ら主張の各請求権の消滅
不法行為に基づく損害賠償請求権及び名誉回復請求権

(ア)同日から3年の経過をもって,民法724条前段の消滅時効により(イ)同日から20年の経過をもって,同条後段の除斥期間によりイ
安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権
同日から10年の経過をもって,民法167条1項の消滅時効により

賃金請求権
同日から1年の経過をもって,民法174条の消滅時効により


不当利得返還請求権
同日から10年の経過をもって,民法167条1項の消滅時効によりいずれも,消滅した。なお,被告熊谷組は,上記の消滅時効を援用した。
(3)

民法724条後段の解釈について
原告らは,民法724条後段は除斥期間を定めるものではなく,時効であると主
張する。しかし,民法724条後段は,時効ではなく,除斥期間を定めるものであることについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。
(4)

消滅時効の援用,除斥期間の主張が,信義則違反や権利濫用に当たるとの主張
について

原告らは,被告熊谷組による除斥期間経過の主張及び消滅時効の援用が信義則違反ないし権利の濫用にあたり許されないと主張する。


最高裁平成10年判決を参考にして民法724条後段の適用は制限されるべきであるとする原告らの主張に理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。


原告らが消滅時効の援用ないし除斥期間の適用制限の一般的要件として挙げるところの各事情について

(ア)

原告らは,被告企業らが,中国人の強制連行・強制労働を積極的に国に進
言し,閣議決定させた上,積極的に強制労働に従事させたことを主張する。しかし,たとえ,建築土木業界が政府に対し,ある政策実施の提言を行ったとしても,それはあくまで一私企業の要請・提言にすぎず,具体的に政策を立案・決定・実施に移していたのは政府であり,被告国である。私企業の提言があったとしても,単に政策実施の契機となったものにすぎない。したがって,中国人労働者の内地移入に関する国策に関わる事項について業界団体の一員にすぎない被告熊谷組が責任を負うべきものではない。しかも,当時は,国民総動員法,国民徴用令及び軍需会社法等の下に,実質的に私企業の自由な討議と判断によるものではなく,被告国に強制されて行ったものであることは,前記のとおりである。
(イ)

原告らは,被告企業らが作成した事業場報告書への虚偽記載,事業場報告
書の焼却処分による隠蔽の悪質さを指摘する。被告熊谷組がそのような隠蔽をした事実は争うが,仮にそのような事実があったとしても,これは被告国の命令を受け,その指示に従った処分であり,被告熊谷組が悪質な行為をしたとは到底言えない。
(ウ)

原告らは,被告企業らが,国からの損失補償を受け,原告の無賃金の労働
による犠牲の上に不当な利益を享受していたと主張するが,これらは,あくまで日本政府の指示に基づき行ってきた関連事業に関する国家補償金」であり,同名下に国から不当な利益を享受していたというものではない。(エ)原告らは,国交の断絶等により権利行使が不成熟であったとし,これらの事情は時効・除斥期間の適用制限要素となると主張するが,原告らの主張する政治情勢・国家情勢といった事情は時効・除斥期間の適用制限要素とはならない。(オ)原告らが判断要素として挙げる加害の悪質性や被害の重大性,権利保護の必要性等の各事情は,除斥期間経過の主張や消滅時効の援用権の行使を,権利濫用または信義則違反とする判断要素にはならないものである。エ以上より,被告熊谷組による除斥期間経過の主張及び消滅時効の援用が信義則違反ないし権利の濫用にあたり許されないという原告の主張は理由がない。以上(別紙14)被告大成建設の主張第11不法行為責任について不法行為の特定及び有無原告らは,被告大成建設の強制連行への加担,α6作業所における強制労働に関し,不法行為に基づく損害賠償を求めている。しかしながら,被告大成建設は,当時の国策に従ったに過ぎず,上記の強制連行へ何らかの加担を行ったか否か不明確であるし,α6作業所における労働についても,個々具体的な不法行為があるか否か不明確である。また,本件は,行為のときから既に50年以上の期間が経過した事案であって,個々具体的な事実を証拠により認定することは極めて困難である。2民法724条後段の法的性格原告らは,民法724条後段は除斥期間を定めるものではなく,時効であると主張する。しかし,民法724条後段は,時効ではなく,除斥期間を定めるものであることについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。3724条後段の期間(除斥期間)の起算点・進行の停止(1)除斥期間の起算点について原告らは,最判(三小)平成16年4月27日民集58巻4号1032頁及び最判(二小)平成16年10月15日裁時1373号4頁(以下併せて「平成16年両最判と総称する。)を挙げ,これらが,民法724条後段における不法行為ノ時の解釈として,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきと判示したことを根拠として,権利行使の期待可能性がない事案において除斥期間は進行しないと主張している。
しかし,平成16年両最判は,
不法行為ノ時の意義について,損害の発生時
とした事案にすぎない。
これらの判決においても,
除斥期間の起算点は客観的な不
法行為ノ時であって,権利行使が可能となったときを起算点とする時効制度の起算点とは明らかに時点が異なることが前提とされており,除斥期間の起算点についてまで,正義,公平の観点から,消滅時効同様に,権利行使が可能となったときと解釈するのは,実定法の解釈の範囲を超えるものといえる。そして,損害の発生時について問題のない本件においては,
不法行為ノ時の解釈として,起算点につ
いて時効制度同様の議論はできないものであって,失当である。
また,平成16年両最判において,除斥期間の起算点を損害の発生時と判示した根拠として,被害者の権利行使の可能性について言及されているとしても,これらの事案においては,被害者の権利行使の可能性は損害の発生時まで全くなかったのであって,単に中国の社会的状況に鑑みて事実上権利行使の可能性がなかったと主張されているにすぎない本件とは根本的に性質を異にするものである。したがって,除斥期間の起算点についての原告らの主張は失当と言わざるを得ない。
(2)

除斥期間の進行について
原告らは,①刑事訴訟法255条,②再審無罪の国家賠償事件判決に見る権利行
使可能性,③戦争状態の継続・国交の断絶,④証拠隠滅・隠匿を根拠として,除斥期間の進行が停止する旨主張している。
しかしながら,①はそもそも本件のような場合に類推適用すること自体に強い疑義がある。②についても,当該事案において,再審無罪判決がでるまで権利行使の可能性が全くない(損害が発生していないとも見ることができる。)事案であっ」
て,本件とは事案を異にする。③についても,除斥期間として法律関係の安定を図った法の趣旨からすれば,これにより除斥期間の進行が停止するというのは妥当ではないし,④証拠隠滅・隠匿によって,除斥期間の進行が停止するというのも,やはり除斥期間の制度趣旨からして認められない。
したがって,上記の原告らの主張も失当である。
4
724条後段の適用制限
最高裁平成10年判決を参考にして民法724条後段の適用は制限されるべきであるとする原告らの主張に理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。
なお,本件において,被告大成建設が,原告らの権利行使を妨害し,困難にしたような事情はない。

第2

債務不履行責任(安全配慮義務違反)について
原告らは,被告大成建設の安全配慮義務違反を主張しているが,被告大成建設に安全配慮義務違反は認められない。そもそも被告大成建設に安全配慮義務が課されていたとは認められず,また,仮にかかる義務があったとしても,義務違反と評価すべき事実があったとはいえない。なお,義務内容を特定し,かつ,義務違反に該当する事実を主張・立証する責任は,原告らにある(最判(二小)昭和56年2月16日民集35巻1号56頁)


1
安全配慮義務の特定があるか
原告らは,具体的な安全配慮義務の内容として,①作業に従事するに相応しい栄養バランスのとれた食事を少なくとも1日3,
000キロカロリーの食料を与える義務,
②不慮の事故に遭わないようにするために,労働訓練・教育を実施した上で,事故防止をするための措置を施す義務,③定期的に休憩や休日を与え,現場での指示・監督にあたっては,暴力を用いないように配慮すべき義務,④衣類については,長野県の冬期,屋外で重労働作業に従事しても凍えない程度の衣類を与え,雪などで衣類が濡れた場合に備え十分な着替えを準備する義務,⑤宿舎については,冬期を過ごすのに相応しい設備,特に就寝する際の布団や宿舎内の暖をとれる程度の暖房設備を用意する義務,⑥少なくとも,週2回程度は入浴及び洗濯の機会を与える義務,⑦疾病にかかったときには,医者の適切な治療を受けさせ,治癒するまで治療に専念させる義務があると主張している。
しかしながら,そもそも安全配慮義務は戦後相当の期間を経て判例上認められてきた概念にすぎず,当時,被告大成建設が現在の我が国の社会状況に基づく上記のような内容の安全配慮義務を負っていたと解することは妥当ではない。昭和19年ないし20年当時は,現在判例上認められているような意味での安全配慮義務の観念は存在せず,仮に被告大成建設が,戦時中も,その管理する作業場で働く労働者の安全衛生について配慮すべきであったとしても(これを安全配慮義務と呼ぶかどうかは別として)
,それは債務不履行責任を発生せしめる法的義務ではなく,道徳上のまたは経済合理性(労働者の傷病は生産性の低下をもたらす)に基づく配慮として要請されるものでしかなかったのである。
さらに,百歩譲って,当時から,配慮が単なる道徳的な義務を超えて,何らかの法的義務であったと仮定したとしても,その内容は,当時の社会・経済状況に応じたものでなければならないことは明らかである。このような観点からすると,当時の社会状況は,国家総動員法(1938年5月5日施行)の下,食料,労働訓練・教育,労働条件,衣類,住居,入浴,医療等について,日本全体において(都市と地方においての格差もあるようである。,日本人であっても,また直接の労働契約の当事者同)
士であっても,労働者は,現在と比較すれば相当に劣悪な環境の下,その意思に基づくと否とを問わず,長時間労働を行っていたのであり,原告らの主張する上記①ないし⑦の具体的な安全配慮義務は,当時平均的に要求される水準であったとは到底認められない(乙各B2等参照)
。まして,直接の契約関係に立たない被告大成建設につ
いて,原告ら等に対しこのような水準の具体的安全配慮義務が課せられていたとは解されない。
原告らは,当時の我が国の社会的状況等について主張立証せず,何らの根拠を示すことなく,被告企業が上記①ないし⑦の安全配慮義務を負っていたと主張するものであり,失当である。
してみると,原告らは,結局のところ,当時の社会状況の応じた具体的安全配慮義務を特定していないことになるので,原告らの主張は認められない。2
安全配慮義務が成立する社会的接触関係か
被告大成建設が原告ら等に対し安全配慮義務を負担していなかったことについては,被告鹿島建設の主張(別紙12)と同じである。

3
安全配慮義務違反の事実の有無
仮に被告大成建設が何らかの安全配慮義務を負っていたとしても,これは上記のとおり,当時の社会状況に照らして判断されるべきものであるところ,被告大成建設としては,安全衛生について当時としては十分な配慮を尽くしており,これに反する事実は認められない。
甲総26の2及び証人P24の証言においても,被告大成建設の作業場において,中国人にだけ特に危険な作業とか,過酷な作業をさせていたということはないとされており,比較的自由に中国人労働者と接していたにもかかわらず,虐待的な取扱いを目撃したり,そのような事実を中国人労働者から訴えられたりしていない。また,被告大成建設の作業場に関連して,中国人労働者が気の毒であったとして証言中にあるのは,シラミが多数発生していたということと食事が米ではなくマントウと呼ばれるものであったことぐらいであるが,証人自身,前者は中国人労働者自身の衛生観念の乏しさによることを指摘しており,後者についても,米を主食とする日本人からみた偏見であった可能性を認めている。
また,そもそも約60年前に2か月しかいなかったα16発電所の状況についての供述は,どの程度の正確性を有するか疑問である。その他被告大成建設の安全配慮義務違反を立証するために原告らが提出する証拠(甲総66,
甲各D2の2,,7等)
6
の内容には,風呂や病院などの施設の有無など重要な点で各証拠間で異なる事項も相当数あり,やはりその正確性については,疑問とせざるを得ない。本件は50年以上も過去の事実についての損害賠償請求であり,これに係る具体的な事実についての立証は,原告らにおいても,その記憶に基づく供述によらざるを得ず,被告大成建設においても,当時の事情を知る関係者はほとんど全て死亡ないし行方不明などであり,これに関する反証の有力な手段が見当たらないところである。このような前提のもとで,裁判所において,安全配慮義務違反を構成する事実の認定をすることは極めて困難といわざるを得ず,安易に被告企業の責任を認定すべきではない。
本件が戦争に関連した強制連行,強制労働行為であり,原告らがその被害者であることは気の毒に思うところではあるが,だからといって,立証責任を緩和したり転換したりすべき理由はないのであり,
前掲最判二小)

昭和56年2月16日のとおり,
安全配慮義務の内容特定及びその違反に該当する事実の主張・立証の責任はもっぱら原告らにあるというべきである。しかるに,原告らの主張する安全配慮義務違反の事実(被告大成建設の作業場における具体的な食事の量,労働内容,衣服の状況,宿舎の設備,傷病の際の取扱い等)については,結局のところ,これを認定するに足りる十分な証拠がないのであるから,安全配慮義務違反の事実は到底認定できないと解される。
4
安全配慮義務違反に基づく損害賠償の消滅時効
安全配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償請求権は,民法167条により10年の消滅時効にかかり,その起算点は民法166条1項により,権利ヲ行使スルコトヲ得ル時
(原告らが強制労働から解放されたと自認する昭和20年11月14日またはその数ヶ月後に帰国したときが起算点と解されるが,当然ながら,それより遅い起算点であっても時効消滅を主張する趣旨である。
)であるところ,被告大成
建設は,既に消滅時効を援用しており,上記損害賠償請求権は既に消滅している。この点,原告らは,消滅時効の起算点である権利ヲ行使スルコトヲ得ル時につき,
単に権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待できるものであることをも必要と解するのが相当である(最判(大法廷)昭和45年7月15日民集24巻7号771頁)ことを前提に,原告らの権利行使の現実的期待可能性が,1995年3月の中国政府の対日戦争賠償問題についての発言や,1986年2月1日の中華人民共和国公民出境入境管理法施行等に至るまで認められなかったことを主張している。しかしながら,原告らの主張は,
要するに,
実際の原告らを取り巻く中国国内の社会経済情勢を勘案すると,
それまでは原告らが本訴を提起することが事実上困難であったというにすぎないのであって,このような事情により時効の起算点が遅れていくものと解すれば,①長期にわたる事実関係の尊重による法律関係の安定,②立証の困難の救済,③権利行使を長期間怠った者が法の保護に値しないことという時効制度のそもそもの趣旨が没却されることは明らかであって,失当である。
また,本件のように,一つの行為について,不法行為の除斥期間経過後さらに30年以上経過しているものについて債務不履行として責任を負わせることは,不法行為の除斥期間を定めた法の趣旨に反するところであって,このような解釈により50年以上前の行為について責任を負わせることは,法律関係を著しく長い期間にわたって不安定にさせるものであり,時効制度・除斥制度の趣旨を没却するものであって不当である。
なお,仮に中華人民共和国公民出境入境管理法が施行された1986年2月1日を起算点と考えても,本件訴訟提起は1997年12月であり,起算点行から11年以上の期間が経過しているのであるから,時効期間が満了となっていることは明らかであって,上記の結論を左右するものではない。
5
消滅時効援用が信義則違反ないし権利濫用か
原告らは,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求に対して消滅時効を援用することが,権利濫用あるいは信義則違反であると主張する。そして,その根拠として原告らが主張するのは,結局のところ,①強制連行・強制労働の過酷さ,②中国への送還・被告国の証拠隠滅等で原告らの権利行使が難しいこと,③被告企業が強制労働や戦後補償で多大な利益を得ていることから,正義,公平の理念から考えて,消滅時効の援用は権利濫用あるいは信義則違反になるというものである。
しかしながら,①については,既に述べたとおり,被告大成建設の作業所における強制労働がどの程度過酷なものであり,それが当時の日本人の労働状況と比較した上でどれほどまでに社会通念を逸したものであったか,
長期間の経過によって,
証拠上,
極めて不明確と言わざるを得ないし,②についても被告大成建設が原告らの権利実現を妨害し,遅延させたというわけではない。さらに,③被告大成建設の得た利益があったとしても,
これを理由に信義則ないし権利濫用として時効援用を制限することは,時効制度そのものを否定するに等しく,また,如何なる事情によって信義則ないし権利濫用で消滅時効援用が制限されるか不明確であることから被害者間にかえって不公平をもたらしうるものである。また,被告企業が,当時戦争により損害を被ったことも事実であり,かかる主張は失当である。
原告らは,被告企業らの関与として,証拠書類の焼却,報告書の虚偽記載,補償金の詐欺的請求などを主張するが,本件においては,被告大成建設がどの程度資料の焼却に関与したのか,また,どの程度強制連行,強制労働の実体を把握しながらそれをことさらに隠避しようとし,または解明しようとしなかったのか,原告らの主張からも明確ではない。さらに,原告らの主張するような,被告大成建設に補償金の詐欺的請求があったのか否かについても明確な証拠はない。被告大成建設としては,まさに50年という時の経過のために今となっては反証のしようがなく,このような状況下において消滅時効援用を権利濫用とするのであれば,
時効制度そのものの否定であり,
著しく不公平であって,不当である。

6
以上より,原告らの安全配慮義務違反の主張は,いずれの点からしても明らかに失当である。

第3

請求権の放棄について
日華平和条約等により,
中国及び中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,
被告国によってすべて放棄されているから,個々の中国国民の被告大成建設に対する請求は理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。以上
(別紙15)
被告飛島建設の主張
第1

条約等による請求権放棄
日華平和条約等により,
中国及び中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,
被告国によってすべて放棄されているから,個々の中国国民の被告飛島建設に対する請求は理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。
第2
1
不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間
民法第724条後段の法的性質
原告らは,民法724条後段は除斥期間を定めるものではなく,時効であると主張する。しかし,民法724条後段は,時効ではなく,除斥期間を定めるものであることについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。

2
除斥期間の起算点について
民法第724条後段の不法行為ノ時とは,権利行使の可能性や当事者の主観的事情を前提としない,損害賠償請求権の発生原因事案たる加害行為が終了した時であり,かかる時点が20年の起算点と解されるべきは当然である。
すなわち不法行為ノ時という中に権利行使の可能性や,被害者の主観的事情といった問題を差し挟んで起算点を移動させる(後らせる)ことは,例えば,民法第166条第1項において権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリと,民法第426条前段において取消ノ原因ヲ覚知シタル時ヨリと,民法第724条の前段において被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリと,それぞれ明確に権利行使の可能性や主観的事情を前提とした規程内容とされていることと明確に反するものであり,民法における条文構造に反する解釈といわざるを得ない。また,不法行為に基づく損害賠償請求権については,権利内容や権利主張の有無が極めて不確定なものであるから,一定の時の経過により,浮動的な権利状態を客観的に確定する必要があるところ,民法第724条前段に規定される3年の消滅時効については,被害者の認識という主観的事情を前提とした起算点とされている結果,被害者が損害及び加害者を知らない限りはいつまでも消滅時効が完成しないという不確定な状態が継続しうることとなってしまうため,同条後段の規定により客観的かつ画一的な要件により法律関係を確定させるというところに趣旨があり,さらには,長期の時の経過により証拠が散逸し,加害者側において防御が不可能若しくは著しく困難又はそもそも実質的な審理自体が困難となる訴訟が提起されることを防止するために,客観的かつ画一的に定められる一定の時の経過により一律に権利行使を遮断するというところにも趣旨があるのである。にもかかわらず,当事者の一方的事情とも言える権利行使の可能性や主観的事情を前提とすれば,民法第724条前段における規定と同様に,浮動的かつ不確定な法律関係を継続させる結果を招来し,明らかに上記同条後段の規定趣旨と反することとなり,妥当でない。

3
適用制限について
最高裁平成10年判決を参考にして民法724条後段の適用は制限されるべきであるとする原告らの主張に理由がないことについては,被告国の主張(別紙11)と同じである。
なお,原告らは,民法第724条後段の適用制限に関する事情として訴訟提起等の困難性を前提とした主張を縷々展開するが,
単に困難であったことを主張するのみで,
実際に原告らにおいて具体的に訴訟提起に向けた行動を取った等という事実関係については,何ら主張立証がなされていないのであり,これは,現に,原告らにおいてそのような訴訟提起に向けた行動が取られていないことの証左である。4
除斥期間に関する小括
以上より明らかなとおり,仮に原告らの被告飛島建設に対する不法行為に基づく損害賠償請求権の成立が認められたとしても,それは,その原因となる加害行為の終了した時点を起算点として,20年の経過により消滅したものであって,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求が認められる余地はない。

第3
1
安全配慮義務違反の不成立・消滅時効の援用
安全配慮義務の適用範囲
被告飛島建設が原告ら等に対し安全配慮義務を負担していなかったことについては,被告鹿島建設の主張(別紙12)と同じである。

2
安全配慮義務違反と評価すべき事実の不存在
加えて,本件においては,被告企業において安全配慮義務に違反したものと評価すべき事実関係すら存在しない。
すなわち,安全配慮義務といっても,法律関係に基づいて特別の社会的接触の関係に入った当事者の一方又は双方が負担するものであるところ,かかる義務負担者に対して無理を強いるものであるはずはないから,本件における被告企業について,その違反の有無を判断するについては,原告らが労務を提供していた当時の日本における生活水準,労働条件等を基準として為されるべきは当然である。
そして,外務省報告書その他の証拠の記載等に鑑みれば,原告ら等の生活水準・労働条件は,衣食住どれをとっても,当時の日本の一般的な生活水準等と比べて何ら劣る内容のものではなかったのであり,安全配慮義務に違反したと評価されるべき事実は存在しない。

3
消滅時効の援用

(1)時効の起算点について


民法第166条第1項及び第167条第1項
安全配慮義務違反による損害賠償請求権については,民法第166条第1項及び同第167条第1項により権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ10年が経過することで消滅することは判例法理と考えられる。そして,この権利ヲ行使スルコトヲ得ル時については,権利を行使するうえで,期限未到来,条件未成就といった法律上の障害がないことを意味し,権利を行使し得ることを権利者が知らなかった等の事実上の障害は時効の進行を妨げないと解されている。


安全配慮義務違反による損害賠償請求権についての考察
最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決(民集48巻2号441頁)は雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は,民法一六七条一項により一〇年と解され,右一〇年の消滅時効は,同法一六六条一項により,右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして,一般に,安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,その損害が発生したときに成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきと判示している。すなわち,民法第166条第1項にいう権利ヲ行使スルコトヲ得ル時とは,原則として法律上の障害がないことを意味し,例外的に当該権利の性質自体に内包される,権利行使についての事実上の障害があると認められる場合には,かかる事実上の障害をも法律上の障害に準ずるものとして考慮して判断されるに過ぎず,かかる事実上の障害を考慮する場面は,一般的にあり得るものではないと考えられる。


本件における損害賠償請求権の消滅時効の考察
安全配慮義務違反による損害賠償請求権については,安全配慮義務違反による損害が発生したときに成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるから,原告らの主張する安全配慮義務違反による損害については,遅くとも原告ら等が帰国した1945年ころには発生し,この時点までには消滅時効の起算点が開始している。
原告らは縷々,権利行使ができなかった事情をもって主張を構成しているが,それらはいずれも,本件において原告らの主張する安全配慮義務違反による損害賠償請求権行使に法律上の障害があったことを示す内容でないことはもちろんのこと,かかる損害賠償請求権の性質とは無関係の,原告ら側の一方的な事情によって事実上提訴が困難であったとしか評価し得ない内容の主張に終始するものであり,何ら,上記,消滅時効の起算点に影響を及ぼすものではない。なお,原告らは,日本への渡航可能性を問題としているようでもあるが,そもそも,本件の訴訟や同種訴訟において現実に提訴が為されているように,来日せずとも,在中あるいは訪中の日本人を通じるなどして提訴等の請求行為に及ぶことは十分可能であったし,また,原告らが起算点として主張する時点以前にかかる請求行為に及ぼうとした事実関係のない原告らにおいては,渡航可能性などもともと問題ではなかったと考えられる以上,原告らは単に,法制度の不知又は法意識の相違から,損害賠償請求という手段を講ずることを考えてこなかったに過ぎないと考えられるべきであり,かかる主観的な事情が消滅時効の起算点に影響を及ぼすものでないことは自明といわざるを得ない。
念のために付言するに,原告らの主張する渡航可能性を前提としたとしても,日中国交回復以降においては人的交流が完全に活発になったと考えられるため,上記の1945年時点を消滅時効の起算点と考えることができなかったとしても,日中共同声明に署名がなされた1972年以降においては,もはや消滅時効が進行するに至ったことは明らかであり,この点に疑問の余地はない。
(2)権利濫用・信義則違反との主張について


原告らの主張に対する反論
原告らは,被告らにおいて消滅時効の援用の意思表示をすることが権利濫用又は信義則違反であると主張するようであるため,この点について念のために反論をする。
原告らの主張内容は,①本件において原告らの主張する強制連行,強制労働が被告企業と被告国とが一体として計画・実行したものであること,②強制連行・強制労働の過酷さ・非人道性,③賠償義務の不履行及び中国への送還,④権利行使の困難性,⑤証拠隠滅及び改竄,⑥被告企業らの利得を根拠事実として,権利濫用,信義則違反の主張を構成する。
しかしながら,①や②については,そもそもその事実が認められたところで,それは損害賠償請求権の発生要件事実に過ぎず,これをもって消滅時効の援用の意思表示が制限されるということは,原因如何により時効の援用の可否に変動が生じるということであって,明文上何らの区別が為されていない消滅時効という制度上全く予定されていないといわざるを得ない。また,③及び⑥については,単に被告らの悪性を印象づけることを意図した主張内容としか考えがたく,これらが何故に消滅時効の援用と関係があるのか全く明らかではないし,④についても,債権者側の一方的な事情次第で債務者による消滅時効の援用の可否が決せられることを主張する内容であって認められる余地はない。
さらに,
⑤については,
そもそもそのような事実が認められたところで,本来被害者自身である原告ら等自らの体験をもとに,被告らに請求をし,裁判上主張立証を構成すること自体は十分可能であり,これをもって消滅時効の援用を制限すべき事情と認める根拠は全くない。加えて,ことに⑤に関しては,その原告らの主張する証拠隠滅・改竄という事実自体の有無について,何ら被告企業らに関する十分な主張や立証がなされていないに等しいものであり,⑤に記載される事実については,何ら消滅時効の援用の可否に影響を与えるものとはなり得ないのである。
以上
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