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退去強制令書発付処分取消等請求事件
事件番号平成16(行ウ)73
事件名退去強制令書発付処分取消等請求事件
裁判年月日平成18年3月23日
裁判所名・部名古屋地方裁判所  民事第9部
判示事項の要旨ミャンマーの国籍を有する原告が,不法在留に当たる旨の判定に対して異議の申出(入管法49条1項)をしたところ,被告法務大臣から異議の申出は理由がないとの裁決を受けるとともに,被告名古屋入管主任審査官から退去強制令書の発付処分を受け,さらに,難民の認定を申請(入管法61条の2)したところ,被告法務大臣から難民の不認定処分を受けたため,国籍国又は本邦において行った反政府活動を理由に難民に当たると主張して,本件発付処分の取消しと本件裁決及び本件不認定処分の無効確認を求めた抗告訴訟であるところ,難民認定申請期間(60日)を徒過し,徒過したことにつきやむを得ない事情は存在しないとして,本件不認定処分の無効確認は棄却されたが,本件裁決については,ミャンマーにおける政治活動だけでは足りないものの,本邦におけるそれによって,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると認められ,被告法務大臣の広範な裁量権を前提としても,明らかにそれを著しく逸脱ないし濫用するものであり,重大かつ明白な違法性があって無効であるとして,また,本件発付処分が全面的に本件裁決に依拠しているところ,本件裁決が無効である以上,本件発付処分も,その前提要件を欠くものとして違法であることが明らかであるとして,本件裁決の無効確認及び本件発付処分の取消しがいずれも認容された事案
裁判日:西暦2006-03-23
情報公開日2017-10-18 04:17:05
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平成18年3月23日判決言渡し
平成16年(行ウ)第73号

退去強制令書発付処分取消請求事件(以下73号事件という。)
平成16年(行ウ)第76号

難民不認定処分等無効確認請求事件(以下76号事件という。)
判決主文
1(73号事件)
被告名古屋入国管理局主任審査官が,原告に対し,平成16年8月27日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
2(76号事件)
(1)

被告法務大臣が,原告に対し,平成16年8月27日付けでした出
入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決は無効であることを確認する。
(2)
3
原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを3分し,その1を原告の,その余を被告両名の各負担とする。

第1

実及び理由
原告の請求

1(73号事件)
主文1項と同旨
2(76号事件)
(1)

被告法務大臣が,原告に対し,平成16年8月25日付けでした難民の
認定をしない旨の処分は無効であることを確認する。
(2)
第2

主文2項(1)と同旨

事案の概要(以下,年号については,本邦において生じた事実は元号を先に,
本邦外において生じた事実は西暦を先に表記する。)
本件は,ミャンマー連邦(旧ビルマ連邦。以下,国名の変更があった1989(平成元)年6月18日より前はビルマ,同日以後はミャンマーという。また,同国民については,その前後を問わずビルマ人という。)国籍を有する原告が,名古屋入国管理局(以下名古屋入管という。)入国審査官によって出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下,条文を摘示するときは法と,法律名を摘示するときは入管難民法という。)24条6号の退去強制事由に該当すると認定され,口頭審理を請求したが,名古屋入管特別審理官によって上記認定に誤りがない旨判定されたため,法49条1項に基づいて異議の申出をしたところ,被告法務大臣から上記異議の申出は理由がないとの裁決(以下本件裁決という。)を受けるとともに,被告名古屋入管主任審査官(以下被告主任審査官という。)から退去強制令書の発付処分(以下本件発付処分という。)を受け,さらに,法61条の2に基づいて難民の認定を申請したところ,被告法務大臣から難民の認定をしない旨の処分(以下本件不認定処分という。)を受けたため,国籍国又は本邦において行った反政府活動を理由に難民に当たると主張して,本件発付処分の取消し(73号事件)と本件裁決及び本件不認定処分の無効確認(76号事件)を求めた抗告訴訟である。
1
前提となる事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)(1)

当事者
原告は,1971年(昭和46年)3月5日生まれのミャンマー国籍を有する男性である。


被告法務大臣は,特別審理官の判定に対する異議の申出について裁決する権限(法49条3項),上記異議の申出に理由がないと認める場合でもその者の在留を特別に許可することができる権限(法50条1項)及び難民の認定の申請について判断する権限(法61条の2)を有する者である。
被告主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,退去強制令書を発付しなければならないとされている者である(法49条5項)。
(2)

原告による本邦入国及び残留の状況
原告は,平成9年(1997年)9月11日,シンガポール船籍の船舶M.
V.KUO

FU号(以下本件船舶という。)の乗員として,原告名義

の旅券及び乗員手帳を所持して東京港に到着し,同日,東京入国管理局東京港出張所入国審査官から,許可期限を同月26日までとする乗員上陸許可を受けて本邦に上陸した。しかし,原告は,同月13日,本件船舶が名古屋港に寄港した際,同港から本邦に上陸したまま帰船せず,所在不明となったまま許可期限である同月26日を超えて本邦に残留した(乙1,3,4の1ないし9)。
その後,原告は,平成14年(2002年)2月1日,名古屋市a区役所において,居住地を同区a町b丁目c番地

d寮e号とする外国人登録をし

ている。
(3)

本件訴え提起に至る経緯
退去強制手続について
(ア)

名古屋入管及び愛知県警は,平成16年(2004年)6月30日,
名古屋市a区b町c丁目e番地所在のf寮への合同立入調査を実施したが,その際,原告を不法残留の容疑で摘発した。
そこで,名古屋入管入国警備官は,同日,違反調査を行った上で,原告を法24条6号(不法残留)に該当する容疑者として,名古屋入管入国審査官に引き渡した(乙7,8)。
(イ)

名古屋入管入国警備官は,同年7月1日,原告につき違反調査を行
った。また,名古屋入管入国審査官は,同年6月30日,7月15日及び同月16日,原告につき違反調査を行った(乙9ないし12)。
以上の結果,名古屋入管入国審査官は,同日,原告が,法24条6号に該当すると認定し,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,口頭審理を請求した(乙13)。
(ウ)

これを受けて,名古屋入管特別審理官は,同年8月4日,原告につ
き口頭審理を実施し,同日,名古屋入管入国審査官の上記認定には誤りがない旨判定し,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,被告法務大臣に異議の申出をした(乙17ないし19)。
(エ)

上記異議の申出に対し,被告法務大臣は,同月27日,異議の申出
は理由がない旨の本件裁決をした。そして,その通知を受けた被告主任審査官は,同日,原告に本件裁決を告知するとともに,原告に本件発付処分を行った(甲2,乙21ない23)。

難民認定申請について
(ア)

原告は,名古屋入管に収容中の平成16年(2004年)7月15
日,被告法務大臣に対し,難民認定申請をした(以下本件申請という。)。そこで,名古屋入管難民調査官は,同月22日及び23日,原告から事情を聴取するなどの事実の調査を行った(乙14の1ないし4,15,16)。
(イ)

被告法務大臣は,同年8月25日,本件申請につき,①原告の供述
からは本国政府から政治的意見や特定の社会的集団の構成員であることを理由に個別に把握されているとは認められないこと,②本国政府から政治的意見を理由に迫害を受けるとの申立てには信用性が認められないことなどからすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約(以下難民条約という。)1条A(2)及び難民の地位に関する議定書(以下難民議定書といい,難民条約と併せて難民条約等ということがある。)1条2に規定する難民とは認められず,また,本件申請が,法61条の2第2項所定の期
間を経過してされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないとして,本件不認定処分をした(乙20)。ウ
原告は,同年11月27日,本件発付処分の取消しを求める訴えを提起し(73号事件),次いで,同月29日,本件裁決の取消しを求める訴えの追加的併合の申立てをした(当庁平成16年(行ウ)第74号事件。なお,同事件については,平成17年(2005年)5月12日,取り下げられた。)。
さらに,原告は,平成16年(2004年)12月9日,本件不認定処分,本件裁決及び本件発付処分の各無効確認を求める訴えを当庁に提起した(76号事件)。
なお,原告は,平成17年(2005年)5月12日,追加的併合に係る上記76号事件のうち本件発付処分の無効確認を求める訴えを取り下げた。

(4)

ミャンマーにおける政治情勢の概略
ビルマは,1948年(昭和23年),イギリスから独立したが,1962年(昭和37年),ネ・ウィンが,軍事クー・デタにより全権を掌握し,ビルマ社会主義計画党による一党支配を始めた。


1988年(昭和63年)3月,首都ラングーン(現ヤンゴン)において,一部の学生による反政府運動が発生し,同年8月から9月にかけて,全国的な民主化闘争に発展した。これに対し,ビルマ国軍は,同年9月18日,幹部20名から成る国家法秩序回復評議会(StateLawand
Order

RestorationCouncil。以下SLORCといい,この政権を軍事政権ということがある。)を設置して全権を掌握した。

SLORCは,反政府運動の鎮圧を図るとともに,1990年(平成2年)5月27日,公約した複数政党制に基づく総選挙を実施したところ,アウン・サン・スー・チーの率いる国民民主連盟(NationalLeaguefor
Democracy。以下NLDという。)が圧勝した。

しかし,SLORCは,選挙結果を認めて国民会議を開催しようとはせず,NLDを中心とする民主化勢力への抑圧を強めた。SLORCは,1997年(平成9年)11月15日,国家平和開発評議会(StatePeaceandDevelopmentCouncil。以下SPDCという。)に名称を変更したが,民主化勢力への抑圧政策に変更はなく,アウン・サン・スー・チーに対する軟禁状態も,緩和された時期もあったが,現時点まで継続されている。
2
本件の争点
(1)

本件不認定処分に重大かつ明白な違法が存するか(76号事件)。具体的には,以下の事項が争点となっている。


法61条の2第2項所定の難民認定申請期間(いわゆる60日ルール)が,難民条約に違反するか。


原告に,法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情があるか。

原告は難民条約及び難民議定書上の難民に当たるか。

(2)

本件裁決に重大かつ明白な違法が存するか(76号事件)。
具体的には,(1)と同様に原告が難民に当たるか,原告に在留特別許可を
与えなかったことが上記違法といえるかなどが争点となっている。(3)

本件発付処分は違法か(73号事件)。
具体的には,ミャンマーを強制送還先とする本件発付処分が難民条約33
条1項の定めるノン・ルフルマン原則に違反するかなどが争点となっている。3
争点に関する当事者の主張
(1)

争点(1)(本件不認定処分に重大かつ明白な違法が存するか)について法61条の2第2項所定の難民認定申請期間(いわゆる60日ルール)が,難民条約に違反するか。

(原告の主張)
被告法務大臣は,本件不認定処分の理由の一つとして,本件申請が,法
61条の2第2項所定の難民認定申請期間を経過してなされたものであることを挙げている。しかしながら,60日ルールを適用して本件不認定処分を行った被告法務大臣の運用は,明らかに難民条約に違反するものである。
(ア)

60日ルールの難民条約違背性
被告法務大臣は,60日ルールの根拠として,①迫害から逃れて他国に庇護を求める者は,速やかにその旨を申し出るべきであり,我が国の地理的実情から見て,60日間は入国管理官署に申請するに十分な期間であると考えられること,②不法入国後何年も経った後になって,入国当時難民であったことを主張することを認めることとなれば,その当時の事実を把握することが著しく困難となり,公正な難民認定を阻害すること,③速やかに難民として我が国の保護を求めなかったという事実自体がその者の難民非該当性を物語ること,以上の3点を主張する。


なるほど,難民条約は,難民たる地位の認定に関する手続について何ら規定していないから,同条約締約国は,それぞれ自国が妥当と考える行政的,司法的手続を定めることができるとともに,申請,証拠書類の提出,不服申立てなどの様式,申請期間などに関する手続規定を設けることができる。
しかし,国際法の一般原則によれば,条約の締約国は,条約の趣旨の範囲内でのみ国際的義務の履行方法を決定し得るのであり,ここで定められる手続要件規定は,実際に,当該条約の目的の実現に資するものでなければならない。これを難民条約についてみるに,その目的は,難民を保護すること及び難民に対して基本的な権利・自由を可能な限り広く保障することにあるから,条約締約国によって決定される難民認定の手続的要件に関する規定は,上記目的の実現に資するもの
でなければならない。
そして,難民認定手続は,国連難民高等弁務官事務所(以下UNHCRという。)作成に係る難民認定基準ハンドブック難民の地位の認定の基準及び手続に関する手引き(甲23)に,人は,1951年の条約(注:難民条約)の定義に含まれている基準をみたすや否や同条約上の難民となる。これはその難民の地位が公式に認定されることより必ず先行しているものである。それ故,難民の地位の認定がその者を難民にするのではなく,認定は難民である旨を宣言するものである。認定の故に難民となるのではなく,難民であるが故に難民と認定されるのである。(第一部第1章28)と記載されているように,裁量によって難民の保護を図るという性質のものではなく,羈束行為なのであるから,難民条約を批准した国家において,難民該当性という要件に更に要件を付加するようなことがあってはならない。以上を前提とすれば,入国等の後60日以内に申請すれば難民であった者が,60日を経過した瞬間から難民でなくなるということはあり得ないし,難民認定申請の形式的要件を具備していないことをもって,迫害を受けるおそれを有したまま,本国へ送還されることもあり得ないはずである。
したがって,まず,基本的には,難民認定申請期間の制限を設けた法61条の2第2項は,あくまでも努力条項であり訓示的な規定と考えるべきであって,申請を受けた際には,これを盾に難民としての認定を拒否することはできないといわなければならない。
このことは,我が国も委員国になっているUNHCR執行委員会が,庇護国のない難民に関する決議(UNHCR執行委員会・難民の国際的保護に関する結論第15号。甲22)において,

庇護希望者に対し一定の期限内に庇護申請を提出するよう求めることはできるが,当該期限を徒過したことまたは他の形式的要件が満たされなかったことによって庇護申請を審査の対象から除外すべきでない。

と定め,これが難民条約に基づく難民保護の要請の必然的な結果であることからも裏付けられているというべきである。
(イ)

60日ルールの撤廃
平成16年法律第73号によって改正された入管難民法は,平成17
年5月16日から施行されているが,同法においては,60日ルールは撤廃されている。このことは,60日ルールが合理性を欠くことの証左である。
(ウ)

被告法務大臣による実際の運用
実際に,被告法務大臣は,これまで多くの事例において,本来の主張
によれば60日ルール違反として難民の認定を受けられないはずの難民認定申請者に対し,難民認定の確定作業を行ってきた。これらの者は,難民認定申請の段階で難民と認定された者,異議の申出の段階で難民と認定された者,難民と認定されなかったが,その理由が60日ルール違反以外の理由であった者に区分されるところ,上陸から申請までの期間が最も短い者でも約4か月(難民認定を受けた者では2年3か月),多くの者は3年ないし5年を経過しており,難民認定を受けた者で最も長期間を経過した者は6年8か月を経過していた。
このことは,長期間経過後の申請については,事実の把握が困難となり,公正な難民認定を阻害するとの60日ルールの制度理由の一つを,被告法務大臣自ら否定していることにほかならない。
(被告法務大臣の主張)
原告の主張は争う。
本件申請は,法61条の2第2項所定の60日の期間を経過した後にされたものであるところ,原告は,同項所定のいわゆる60日ルールが,難
民条約に違反するものである旨主張する。しかし,以下のとおり,60日ルールは難民条約等に違反するものではなく,上記主張は失当である。(ア)

難民認定手続の定め方の裁量性
難民条約等には,難民の定義及び締約国が採るべき保護措置の概要に
ついての規定は存在するものの,難民認定手続については何ら定められていないから,難民認定手続を定めるか否か,また,定めるとした場合にどのように定めるかについては,各締約国の裁量にゆだねられている。そして,国家はその国の事情に応じた法律を制定し得るのであるから,難民認定手続をどのように定めるかは,締約国の立法政策上の問題であり,そもそも条約違反の問題が生じる余地はない。現に,諸外国においても,我が国と同様の申請期間を定めている国が存する。
また,国際慣習法上,外国人の入国及び滞在の許否は,当該国家が自由に決し得るものであり,条約等の特別の取決めがない限り,国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負わない。被迫害者を受け入れて保護する国家の権利としての庇護権は,国際法上確立しているといわれるが,当該被迫害者が庇護を求める権利としての庇護権は,国際法上確立した概念とはなっておらず,一般条約も存在しないところ,難民条約等には,庇護に関する規定が置かれていないので,難民に庇護を求める権利まで保障しているものではなく,まして,難民条約には,不法に在留する難民の滞在を認めることを義務付けている規定もない。
このことから,難民であっても,自分の希望する国に当然に入国が認められるものではなく,また,当然に在留が認められるものでもない。したがって,難民条約等において,難民を受け入れ,条約上の保護を与えるか否かは,結局,各締約国がその主権的判断に基づいて決定すべき事項であって,これが合理的である限り,結果として,締約国に入国できず,難民認定申請もできないという事態を認めているのである。したがって,難民条約等自身,難民認定申請に期間制限を設けることを絶対的に禁止しているとは考えられず,我が国が難民認定申請に申請期間の制限を設けたとしても,それ自体が難民条約等に違反するものとはいえない。
(イ)

60日ルールの合理性
法61条の2第2項が60日ルールを定めているのは,①難民となる
事実が生じてから長期間経過後に難民認定の申請がされると,その当時の事実を把握することが著しく困難となり,適正かつ公正な難民認定が阻害されること,②迫害から逃れて他国に庇護を求める者は,速やかにその旨を申し出るべきであること,③我が国の地理的,社会的実情から見て,60日間は入国管理官署に申請するに十分な期間であると考えられることなどを理由としている。
ところで,法の定める難民に該当する者は,その恐怖から早期に逃れるため速やかに他国の庇護を求めるのが通常であり,我が国の地理的,社会的実情に照らせば,このような者が難民認定の申請をすべきか否かについての意思を決定し,入国管理官署に出向いて手続を行うのに,60日という期間は十分であると考えられるから,速やかに難民であることを主張して保護を求めなかったという事実自体,その難民非該当性を物語っているというべきである。
また,我が国において難民認定制度が発足した昭和57年当時には,実際には難民に該当しないにもかかわらず,滞在国において長期間滞在ないし就労を確保するために,難民認定制度を濫用する者が存在することが重大な問題となっており,何らかの対策の必要性が認識されていたところ,60日ルールは,このような制度濫用者からの申請を可及的に排除する機能をも併せ有するというべきである。
以上から,法61条の2第2項所定の60日ルールは,難民条約等の規定や趣旨に照らして合理的な制度であり,その適用によって難民認定を受けられない条約上の難民が理論上生じ得るとしても,難民条約等に違反するとはいえない。

原告に,法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情があるか否か。
(原告の主張)
仮に60日ルールに意味を持たせ得るとしても,同項ただし書にいうやむを得ない事情については,以下のように目的論的に解釈されなければならない。
(ア)

やむを得ない事情のあるべき解釈
被告法務大臣の解釈によると,上記やむを得ない事情は,病気,交通の途絶及びこれに類する事情といった申請を行うについての物理的阻害要因たる事情に限定され,迫害から逃れて他国に庇護を求める者は速やかにその旨を申し出るべきであり,上記のような事情がないにもかかわらず,その旨を申し出なかった者は難民認定を受けることはできないとか,入国当時の事実を把握することが困難だから,実質審査を待つまでもなく,難民として認定できないとか,上記のような事情がないのに速やかに難民として我が国に保護を求めなかったことは,その者の難民非該当性を物語るなどとされている。
しかし,このような解釈は,難民の保護及び難民に対する基本的権利と自由の保障という難民条約の目的に資するどころか,この目的の実現の障害となるものであり,このような形式的解釈は難民条約に違反するものである。難民条約の締約国が,難民条約に基づく国際的義務を果たすためには,仮に難民認定申請手続において申請期間を設けるとしても,これを柔軟に適用すべきであって,実体判断において難民と認められる者が申請期間を徒過した場合には,当該申請者にとって申請期間を徒過したことが難民該当性にどのような影響を与えるのかを個別に判断せざるを得ない。
そして,そのような柔軟な適用を可能とするためには,法61条の2第2項ただし書にいうやむを得ない事情は,具体的状況の下において,無知や恐怖,申請の準備の必要性など,様々な原告の主観的・客観的事情を含み得るものとして,緩やかに解釈されなければならない。このような解釈は,既にいくつかの下級審の裁判例によって採用されている。(イ)

本件申請におけるやむを得ない事情の存在
原告は,平成9年(1997年)に我が国に入国してから平成14年
(2002年)に至るまで,そもそも60日ルールの存在を知らなかったものである。そして,漢字を読解することもできないビルマ人である原告が,60日ルールについて知る機会がなかったことは明らかである。その後,原告は,平成14年(2002年),難民認定制度の存在を知るに至ったが,その時点においても日本語を解さない原告が単独で申請をすることは困難であった。また,原告は,東京などで,政治活動もしていないビルマ人が政治活動を理由に難民認定申請をしていると聞き,難民認定申請をすることによって,そのために政治活動をしているのではないかと疑われ,自らの活動の純粋性が損なわれるのではないかと考えたため,あえて難民認定を申請することがなかった。このような心情は,原告の慎重さや潔癖性からすれば一貫しているというべきである。確かに,原告は,平成14年(2002年)にビルマ民主化連盟名古屋支部(LeagueforDemocracyinBurma-NagoyaBranch。以下,ビルマ民主化連盟の本部を指すときはLDBと,同名古屋支部を指すときはLDB名古屋支部という。)の他のメンバーが難民認定申請を行った際にも,同申請をしていないが,当時の難民認定率の低さ(353件の申請に対してわずか26件)からすれば,難民認定制度が非常に困難な制度であると見られても仕方がない状況であったことは明らかであって,申請によって収容されるおそれが高いことも併せ考えれば,原告が,難民として認定されるよりも政治活動を優先させたいと考えたのは自然といえる。
本件において,原告が60日を経過して難民認定申請をしたのは,以上のような事情によるものであり,このことが,原告が難民ではないことを事実上推認させるものでないことも明らかである。そして,後記のとおり,原告が帰国した場合,投獄,拷問などを受ける可能性は極めて高く,生命の保証さえないというべきであるから,その政治的意見のために国籍国の政府から迫害を受けるおそれがあり,国籍国の保護を受けることができないのであって,まさに難民に該当するものである。したがって,原告には,60日を経過して本件申請を行ったことにつき,やむを得ない事情が認められるというべきであり,法61条の2第2項所定の期間を経過していることをもって形式的に原告の難民性を否定することは許されない。
(被告法務大臣の主張)
原告の主張は否認ないし争う。
原告は,60日ルールのような期間制限を設けるとしても,それは緩やかに運用されるべきであり,原告を取り巻く具体的な事情を考慮すると,原告が60日を経過して本件申請をしたことにつき,やむを得ない事情が認められるなどと主張するが,かかる主張も失当である。(ア)

やむを得ない事情の意義
前記のとおり,法61条の2第2項が難民認定申請を60日以内にし
なければならないとしている理由は,①難民となる事実が生じてから長期間経過後に難民の認定が申請されるとその当時の事実関係を把握するのが著しく困難となり,適正かつ公正な難民認定ができなくなること,②迫害を受けるおそれがあるとして我が国に庇護を求める者は,速やかにその旨を申し出るべきであること,③我が国の国土面積,交通・通信機関,入国管理官署の所在地等の地理的,社会的実情からすれば60日という期間は申請に十分な期間と考えられることなどである。
したがって,同項ただし書にいうやむを得ない事情とは,本邦に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にあっては,その事実を知った日から60日以内に難民認定の申請をする意思を有していた者が,病気,交通の途絶等の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合のほか,本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解すべきである。
そして,後者については,例えば,申請者が第三国において難民としての保護を求めることを希望し,その目的で上記第三国への入国申請等具体的な手続を行っている場合において,結果的にこれが認められず,その時点で既に申請期間が経過し,あるいは満了日が切迫していたような場合を指すというべきである。
なお,制度の不知については,申請手続について積極的な周知措置を採らねばならないとする条約上又は法律上の根拠はないばかりか,他国に入国する際,出入国管理を所掌する官署において入国審査を受けることは,国際法上の常識であり,難民といえども在留目的等について真実の申告を行うことが要請されているから,その時点で迫害を受けるおそれがあることを申告すれば,入国審査官から難民認定制度の教示を受けられるのであり,同様のことは,在留期間更新等の手続についても当てはまるのであって,これらの段階でも難民認定申請手続について知ることができる。
(イ)

本件申請におけるやむを得ない事情の不存在
本件においては,原告は,平成14年(2002年)に難民認定制度を知ってからも申請をしなかった理由として,①援助してくれる弁護士がいなかったこと,②保証金を用意することができなかったこと,③認定されることが困難な手続であると思っていたことなどを挙げるが,これらを前提としても,上記特段の事情を認めることはできず,やむを得ない事情があるとは認められない。

原告が難民条約等上の難民に当たるか否か。

(原告の主張)
(ア)

難民の定義
難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいう(難民条約1条A,難民議定書1条1項)ところ,難民認定行為が,難民であることを有権的に確定する行為であって裁量行為ではなく,事実の当てはめ行為・確認行為であることに争いはない。
本件においては,上記の国籍国の外にいる者という要件の充足性
が問題となることはないので,以下においては,その余の3点について検討する。

十分に理由のある恐怖について
この要件は,恐怖という主観的要件と,十分に理由のある
という客観的要件を併せ含むものであり,当事者の内心及びこれを合理的に裏付ける客観的事情とが考慮されなければならない。
そして,難民認定行為が羈束行為であることからすれば,客観的な要素を確定するための明確な指標としては,①申請者の個別的状況,②出身国の人権状況,③過去の迫害,④同様の状況に置かれている者の事情,⑤一般的抑圧状況と個別的迫害が有用である。このうち,①ないし④については,改めて説明する必要性はない。そこで,⑤について検討するに,迫害は,ある個人に対してのみ発現するとは限らず,一般的な抑圧状況の下で,一般的に行われる可能性を有している。そして申請者の属する集団が一般的に迫害に相当するような処遇を受けているという一般的抑圧状況があれば,申請者が運や偶然によって迫害の対象となる見込みは十分にあるから,申請者が個別に迫害対象として選別される見込みがあることを根拠をもって説明する必要はないというべきである。
また,一般的抑圧状況が,迫害に相当するような処遇をもたらしているとまでは一概にいえない場合でも,申請者の個別状況と相まって十分に理由のある恐怖を肯定する材料となることは十分に考えら
れるから,申請者の属する集団が一般的に迫害に相当するような処遇を受けているとまではいえない場合に,そのことをもって申請者に対する迫害のおそれがないと判断するのは誤りである。

迫害について
難民条約にいう迫害とは,生命・身体の自由に対するものに限
られないが,原告に身体の自由に対する迫害が迫っていることは明白である。


迫害の理由としての政治的意見及び特定の社会的集団の構成員であることについてここにいう政治的意見とは,国家機関,政府機関,政策機関に
関する問題に対するあらゆる意見を指すものであり,例えば,国家における民主主義の在り方,そのための実践・方策に関する意見等が当然に含まれる。また,特定の社会的集団の構成員であることとは,通常,似通った背景,習慣又は社会的地位を有するものから成り,しばしば他の迫害の理由と重複するものである。
(イ)

難民性の立証責任の所在
難民認定手続の特色
被告法務大臣は,難民認定手続においては,難民認定申請をした原告が難民であることを主張・立証しなければならないと主張する。しかし,難民認定手続は,通常の訴訟手続と比べて,①申請者が,迫害を避けるために本国を捨て,保護の確証のない外国において,十分な支援を得られない状況に置かれているため,自己の権利・地位を守るための手立てが限られた状況にあり,②申請者と認定者とが,武器対等を前提とした対立当事者の関係にないため,対審的構造
を有せず,③審理の対象も,過去の事実の存否ではなく,将来における迫害のおそれに対する恐怖の有無であり,④難民認定手続における司法(裁判所)の役割も,中立公平であることは許されず,申請者に対する協力者であることが求められているなどの相違点があり,通常の訴訟手続における立証責任の分配は妥当しない。


難民認定手続における立証責任
訴訟手続における立証責任は,一つの事実については当事者のいずれか一方が負担することしかあり得ないが,難民認定手続における立証責任の分配は,申請者の難民性を裏付ける事実の調査・確認作業を申請者と審査官とで分かち合うことを意味するというべきである。具体的には,申請者は,個人の経験に関する①身分事項,経歴,②迫害の根拠とされる事由についての説明,③活動歴,④自己又は同じ集団に属する他人若しくは集団自体に対する過去の迫害の事実,⑤出国してから日本への入国までの経過,⑥入国後申請までの経過及び⑦入国後の活動状況についての情報を審査官に提供する必要がある。そして,迫害の恐怖から逃れて出国してきた申請者が,これらの事由に関して,正確な事実関係を冷静に把握して記憶し続けることは困難であり,また,客観的な資料を提出することが極めて困難であることからすると,その立証方法は,そのほとんどが申請者の供述によることになる。
他方,審査官は,申請者の供述内容の客観的な裏付けを含め,①出身国情報(申請者が所属していた社会的集団の有無や活動内容,政権との位置関係,申請者が有していた政治的意見に対する政権の姿勢)の収集,②申請者が記憶する過去の事件の有無,内容の確認,③同種の理由による我が国への難民認定申請の有無の確認,④同種の理由による他国での難民認定申請事例の有無の確認,⑤申請者の活動の事実を裏付ける資料の収集や申請者の知人,親族等からの事情聴取を行い,申請者の難民性を立証するための資料を積極的に収集すべきである。さらに,申請者は,申立てに係る事実をすべて証明する必要があるわけではなく,誤った不認定の決定が難民にもたらす極めて深刻な結果と客観的証拠の入手困難性を考慮すると,立証責任は弾力的に理解されるべきである。
(ウ)

ミャンマーにおける迫害状況
ミャンマーの政治情勢
ビルマは,1948年(昭和23年)にイギリスから独立したが,1962年(昭和37年),ネ・ウィンが軍事クー・デタによって全権を掌握し,独自の社会主義思想に基づいて国軍の指導の下,ビルマ社会主義計画党による一党支配を行った。しかし,これによって,ビルマは極端な経済不振にあえぎ,1987年(昭和62年)12月には国連によって最貧国の指定を受けるに至った。
1988年(昭和63年)3月になり,首都ラングーン(現ヤンゴン)のラングーン工科大学の一部学生が,政治体制に対する不満から民主化運動を開始した。同運動は,同年8月から9月にかけて最も高揚し,首都以外の地方都市や農村部まで,多くの人々が集会やデモに参加した。
これに対し,国軍幹部によって構成されるSLORCは,同年9月18日,軍事政権の成立を宣言し,デモ隊に発砲するなど,上記民主化運動を鎮圧する一方,複数政党制の導入と総選挙の実施の要求を受け入れ,1990年(平成2年)5月27日,総選挙を実施した。同選挙では,アウン・サン・スー・チーを指導者とするNLDが,軍事政権によって露骨な妨害を受けたにもかかわらず,485議席中392議席を獲得し,圧勝した。しかし,SLORCはこの結果を受け入れようとせず,国民会議の招集を無期限に延期した。軍事政権による制憲会議は,1993年(平成5年)1月に発足したが,代議員701名のうち上記総選挙で当選した者は99名しかおらず,残りは当局が一方的に選出した者である上,NLD所属の代議員全員は,1995年(平成7年)11月,除名された。
軍事政権は,NLDを合法的な政党と認めつつも,日常の政治活動を妨害し,多くの党事務所を閉鎖したり,党大会を抑止したりし,アウン・サン・スー・チーの自由を次第に制限するようになった。また,1996年(平成8年)暮れころ,学生デモが連続して発生した際,警察と兵士は,群衆を襲撃し,何百人も逮捕,拘留したが,そのうち34名は,1997年(平成9年)1月下旬,現存しないビルマ共産党の党員であるとして,最短でも7年の禁錮刑を宣告された。また,NLD党員や支持者は嫌がらせを受け,NLD所属の議員は辞職を強制され,これに応じない7人が逮捕されるなど,獄中にある議員は33人となった。そして,1996年(平成8年)12月25日と1997年(平成9年)4月7日に起きた爆弾による攻撃について,SLORCは,追放されている全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)とカレン民族同盟(KNU)の武装組織によるものと主張した。なお,SLORCは,同年11月15日,SPDCに名称変更したが,その内実は変更されていない。
NLDは,1998年(平成10年)9月16日,当選議員10人から構成される国会代表者委員会(CRPP)を発足させ,議会の代行開催に踏み切ったが,軍事政権はNLD抑圧を一層強め,家族への嫌がらせや国営メディアによるNLD非難など,常軌を逸した様々な方法がとられている。また,アウン・サン・スー・チーの移動の自由を制限し,自宅軟禁を継続する一方,2001年(平成13年)末現在,800名以上のNLD党員を拘束し,1500名以上の政治犯を収監している。

ミャンマーにおける人権抑圧状況
米国国務省2001年ビルマ人権侵害に関する報告書(以下国務省レポートという。)によれば,ミャンマーにおいては,一般市民や政治運動家の数時間から数週間,あるいはそれ以上の期間に及ぶ失踪が相次いでおり,行方不明になっている者も少なくない。これは,政府による拘留であるとされており,その目的は,家族への通知なしに行われる尋問や,軍のポーターや関連業務に従事させる一般市民の確保である。
また,拷問は法律上禁止されているものの,治安警察による囚人や拘留者に対するむち打ちなどの拷問は日常的に行われており,睡眠や食事を与えないこともある。また,刑務所は,一般的に見て劣悪な環境であり,生命を脅かすような状況にある。
さらに,SPDCによる恣意的な逮捕・拘留,自宅軟禁が行われているほか,公正な公開裁判は行われておらず,プライバシーや通信の秘密を侵す態様での国民に対する行動の監視,干渉が行われている。(エ)

原告の個別的事情
原告の生い立ちと学生運動への参加(国籍国における活動)
(a)

原告は,1971年(昭和46年)3月5日,ラングーン(現

ヤンゴン)で出生し,現在,ミャンマーに実母と4人の兄弟がいる。原告は,1981年(昭和56年)から1988年(昭和63
年)まで,第2ティン・ガン・ジョン高等学校で学んだが,同校は学生運動が盛んであり,卒業生が母校に帰ってきて民主化運動への参加を鼓吹するなどしたため,原告も自国において人権が不当に抑圧されていることを知り,仲間と話をしたり本を読んだりして民主化運動に目覚め,学生運動に取り組むようになった。
原告は,全ビルマ連邦学生同盟(AllBurmaFederationofStudentUnions。略称ABFSU。ビルマ語でバカタ)に参加し,1988年(昭和63年)の一斉蜂起に参加し,連日のようにデモに参加していたが,ヤンゴン市内でのデモの際,同じ学校のメンバー2人が射殺されるのを目にし,非常にショックを受けた。
(b)

その後,軍事クー・デタとそれに続く弾圧のため,原告が政治

活動を続けることは困難となったが,そのころ,軍の情報部員(MI)が原告の家を訪ねてきて,原告の父親に対し,原告が学生運動を行っていることを指摘して,これをやめさせるよう警告した。
このため,原告の家族は,原告に学生運動をしないよう求め,原
告も家族に心配をかけたくないとの気持ちからそれに従い,さらに,従兄弟であるAが逮捕されて禁錮10年に処せられたことにより,原告及びその家族は軍事政権に対して恐怖心を抱き,民主化運動への参加を休止し,1992年(平成4年),船舶会社に就職し,船員として稼働し始めた。
(c)

原告は,就職したものの,民主化運動に参加し,ミャンマーの

民主化に尽くしたいという思いを継続して持っており,直接的な弾圧を受けるミャンマー国内ではなく,自由な政治活動が保障されている国外でミャンマーの民主化運動を応援したいと考えるようになった。
原告は,仕事の関係で数回ミャンマーを出国し,韓国,シンガポ
ール及びタイを訪れたが,韓国での難民認定申請は考えておらず,シンガポールやタイは,ミャンマーの軍事政権と友好関係にある国であることから,そもそも難民認定の申請ができるような国ではなかった。

本邦への入国と本件申請に至る経緯
(a)

原告は,日本が民主主義の発展した国であると聞き,平成9年

(1997年)7月,ヤンゴンから香港へ飛行機で移動し,そこで本件船舶に乗船し,同年9月13日,名古屋港から本邦に入国した。原告は,本邦入国後,自らの政治活動の場を求めたものの情報を
得られない時期もあったが,平成11年(1999年)より,B
(以下Bという。)の主催する勉強会(民主主義と発展のための勉強会との名称の勉強会でSGDDと略称されている。)に参加し,民主主義に対する理解を深め,後に名古屋において難民認定を受けることとなる活動家の仲間たちと交流した。
(b)

原告は,仲間と共に,平成12年(2000年)5月,東京で

行われたデモに参加するなどの民主化運動に取り組み,平成13年(2001年)3月にはLDB名古屋支部に加入し,積極的に民主化運動を行うようになった。同支部は,平成14年(2002年)に会議の模様をインターネットで配信しているが,ここに原告も写っている。ミャンマーの軍事政権が,海外の民主化運動として最もマークしているのは日本とアメリカでの活動といわれており,様々な諜報機関を利用して情報収集していることは明らかであるところ,LDB名古屋支部の構成員は約20名であり,原告はその名簿に登載され,デモなどの活動に積極的に参加していることから,軍事政権によって把握されている可能性が高い。とりわけ,LDB名古屋支部の政治活動をビデオ撮影していたCという人物がミャンマーに帰国しているが,同人は軍事政権のスパイないし情報提供者である可能性が高い。
また,原告は,ミャンマーのキンニョン首相が来日した平成15
年(2003年)12月10日,在日ビルマ人活動家と共に六本木駅から日比谷公園までのデモ行進に参加し,ミャンマーの軍事政権に抗議した。この際,軍事政権側がデモ参加者をビデオや写真によって撮影している姿が確認されている。
さらに,原告は,ミャンマーの民主化運動を支えるために働き,
それで得た金をミャンマーの国境地帯で闘争している仲間に送金したりした。
(c)

原告は,平成14年(2002年)になって難民認定申請の存

在を知ったが,ミャンマーで民主化運動に関わったことのない者たちが難民認定を申請しているのを見て,自分の地位の安泰を得るために民主化運動を利用するような者たちと同じ行動を取りたくないと思うようになり,難民認定申請をすること自体が自分の活動の純粋性を汚す行為のように感じられたため,難民認定申請をすることなく,ひたすら民主化運動に没頭していた。
友人からは,難民認定申請をするよう勧められたが,自分の不安
定な生活状況などを考えているうちに摘発され,収容された。ここに至って,原告は,本国に送還されてしまうことをおそれ,本件申請をしたものである。
(オ)

原告の供述の信用性
原告の陳述書(甲5,10)及び本人尋問の結果に表れた原告の供述
は,その内容が詳細かつ具体的であり,事実の流れも自然である。例えば,本国におけるデモの際に仲間が軍による発砲によって殺害された状況など,体験した者でなければ語ることができない迫真的な内容であり,華々しい活動歴をでっち上げるわけではなく,信念を持って取り組んできた地味な活動を中心に淡々と供述しているものであって,極めて信用性が高いというべきである。
確かに,原告の供述の細部については不明確な点が存在しないわけではないものの,原告が出生してから34年間にわたる全経歴について述べられている以上,記憶違いや記憶の減退があるのはむしろ当然である。また,違反調査などにおける供述も,通訳を介していたり,日本語の表現力不足などから,原告自身の理解との食い違いが生じた可能性も否定できない。
したがって,原告の供述の信用性については,その細部にこだわるのではなく,その核心部分について本質的に重大な証拠との矛盾や不一致があるか否かを吟味すべきである。この点,原告の各供述は,違反調査の段階から本件訴訟に至るまで,その核心部分について一貫しており,重大な変遷は見られないほか,原告の供述を裏付ける多くの客観証拠(甲1,9,11,12,14,16など)が存在し,本質的に重大な証拠との矛盾や不一致も認められない。
以上によれば,原告の供述は,その内容においても,また,他の客観的証拠の一致という点においても,極めて高い信用性を有するというべきである。
(カ)

被告法務大臣の主張に対する反論
被告法務大臣は,①原告やその家族が迫害体験を有していないこと,②送金の事実の裏付けがないこと,③原告が平(ひら)メンバーにすぎないこと,④旅券の発給手続を受けていることなどを理由として,その難民該当性を否定する。しかし,これらは,以下のとおり,原告の難民該当性を否定する根拠とはならない。

迫害体験のないことについて
現在,ミャンマー国内で暮らす原告の家族は,特に迫害を受けていないが,軍事政権も国際社会からの監視を受けているから,活動家の家族といえども直ちに迫害を受けるとは考えられない。
かえって,原告がミャンマーにおいて政治活動に関与したことを受け,軍の情報部員が原告宅を訪れ,原告の家族に政治活動を自粛させるよう警告した事実がある。その後,原告が,政治活動を自粛した結果,家族と共に明らかな迫害対象にはならなかったものの,上記のとおり,原告はいったんは情報組織から警戒対象とみなされており,このことから,今回帰国した場合に原告が迫害を受けるおそれが基礎付けられているというべきである。


送金の事実の裏付けがないことについて
原告による送金は,LDBなどの組織が日本に活動家を招いた際,人的信頼に基づいて行ったものであり,そもそも裏付け資料など存在しない。したがって,そのことをもって,迫害のおそれがないということはできない。


平メンバーであることについて
被告法務大臣の主張は,同じ反政府組織のメンバーであっても,指導者ではない単なる平メンバーは,政府から迫害を受ける可能性が低いとの見解に基づくものと解されるが,これは,難民条約の解釈としては誤ったものであり,むしろ,迫害を受けやすいのは,迫害することで自国内や国際社会の非難を受けやすい著名人物よりも,力のない一市民である。実際,ミャンマーにおいて反政府活動をしたとの理由で迫害されている人の中には,NLDの一般党員や一般市民も含まれており,指導者に限られていない。
原告は,ミャンマーにおいても日本国内においても,組織の代表者となるなどの著明な活動をしていないが,上記のとおり,既に本国においてミャンマー政府の情報組織に把握され,さらに,日本国内の活動がビデオ撮影されるなどして同政府に把握されているから,帰国した場合に迫害を受ける可能性が高いといわざるを得ない。

旅券の発給手続について
原告は,旅券の発給当時,政治活動を自粛していたため,軍事政権から,現在民主化運動をしている者としては把握されていなかっ
た。その後,日本において,政治活動を本格的に再開し,軍事政権に把握されるに至ったものである。したがって,旅券の発給を受けていることをもって,難民性が否定される根拠とはならない。

(キ)

小括
原告は,高校生であった1988年(昭和63年)に積極的に民主化
活動を行い,そのために当局から目をつけられたおそれがあったため,活動を自粛し,国外での民主化活動を指向して船員になったものである。また,原告は,来日後,民主化運動を続け,LDB名古屋支部に所属して積極的な民主化運動を継続している。このような原告の活動は,インターネットやミャンマー政府への情報提供者が撮影したビデオなどを通じて同政府に把握されている可能性が高い。
以上から,原告にその政治的意見及び特定の社会的集団の構成員であることを理由とした迫害のおそれがあることは明らかである。
よって,原告は難民に該当する。
(被告法務大臣の主張)
原告の主張のうち,ミャンマーの政治情勢に関する部分については客観的事実としておおむね認め,また,人権抑圧状況に関する部分が国務省レポートに記載されている事実も認めるが,その余は否認ないし争う。(ア)

難民の定義
入管難民法の定める難民とは,難民条約1条又は難民議定書1条によ
り難民条約の適用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2),難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの等をいう。上記難民の定義のうち,中核要素である迫害は,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,また,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を感じているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を感ずるような客観的事情が存在していることが必要である。
(イ)

難民性の立証責任の所在
難民認定処分は,当該難民認定の申請者が難民条約等所定の難民であるか否かを申請者から提出された資料に基づいて確認し,処分時において難民であることを認定する行為である。このように難民認定処分は,本質的には事実の確認であるが,法務大臣により認定を受けていることが他の利益的取扱いを受けるための法律上の要件となっていることからすると,難民の認定処分は,その処分自体が申請者に対して直ちに何らかの権利を付与するものではないものの,授益処分とみるべきである。
そして,授益処分については,一般に,申請者側に処分の基礎となる資料の提出義務と立証責任があると解されているのであって,このような難民認定処分の性質からすると,難民の認定のための資料は,授益者となるべき申請者が提出すべきものと解される。

また,難民認定のための資料との距離という観点からみた場合,難民であると認められるためには,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有することが立証される必要があるところ,難民該当性の判断の対象とされる諸事情は,事柄の性質上,外国でしかも秘密裏にされたものであることが多い。このような事実の有無及びその内容は,それを直接体験した申請者こそが最もよく知ることのできる立場にあって,申請者においてこれを正確に申告することは容易である。しかも,これらの事実は難民認定を受けるための積極的な事実であって,申請者に有利な事実である。これに対し,法務大臣は,それらの事実につき,資料を収集することがそもそも困難であり,ましてや,難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資料の収集は不可能に近い。仮に法務大臣にこうした資料収集の義務を負わせるならば,法務大臣に難民認定手続上の過重な負担を負わせ,適切な難民認定が遂行できなくなるおそれが生ずる。


以上を踏まえ,入管難民法は,61条の2第1項において,

法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があつたときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができる。

と定め,また,その申請者に対し,申請資料として難民に該当することを証する資料の提出を求めて(法施
行規則55条1項),申請者に自らが難民であることを証明する資料を提出する義務を負わせ,真偽不明の場合には,難民不認定処分を行うことができるとしたものと解される。
(ウ)

処分無効の違法の程度と主張・立証責任
原告は,本件不認定処分の無効確認を求めているところ,確立した最
高裁の判例理論によれば,処分の無効を導く違法は重大かつ明白なものであることを要する(最高裁昭和30年12月26日第三小法廷判決・民集9巻14号2070頁ほか。)。
そして,最高裁は,瑕疵が明白であるというためには,処分成立の当初から,誤認であることが外形上,客観的に明白である場合を指し,行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落としたかどうかは,処分に外形上客観的に明白な瑕疵があるかどうかの判定に直接関係を有するものではなく,行政庁がその怠慢により調査すべき資料を見落としたかどうかにかかわらず,外形上,客観的に誤認が明白であると認められる場合に限って,明白な瑕疵があるといってよい旨判示し(最高裁昭和36年3月7日第三小法廷判決・民集15巻3号381頁),さらに,ここに客観的に明白とは,処分関係者の知,不知とは無関係に,特に権限ある国家機関の判断を待つまでもなく,何人の判断によってもほぼ同一の結論に達し得る程度に明らかであることをいうと判示している(最高裁昭和37年7月5日第一小法廷判決・民集16巻7号1437頁)。
そして,処分の取消しを求める訴えにおいては,当該処分をした行政庁に処分が適法であることの主張・立証責任があるとされることが多いのに対し,通常生じることが予想されない瑕疵を争う無効確認訴訟においては,無効確認を求める者が,無効原因である瑕疵の存在につき,具体的事実関係に基づいて主張・立証すべき責任を負うと解される(最高裁昭和34年9月22日第三小法廷判決・民集13巻11号1426頁ほか)。
(エ)

原告の難民非該当性
原告のミャンマーにおける政治活動について
(a)

原告の供述の要旨
原告は,本人尋問において,ミャンマーにおける政治活動につい

て,①高校時代にABFSUという学生組織に所属してデモの準備や活動を指示したり,講演会等を催したりしていた,②デモ行進には20から30回程度参加している,③1988年(昭和63年)8月8日のデモを指揮するなど中心的な役割を果たしていたなどと供述する。
(b)

原告の供述の信用性
国籍国における政治活動において,その中心的役割を担う者であ

ったか否かの事情は,難民性の判断において考慮すべき重要な要素となるところ,原告が,難民認定手続及び退去強制手続(以下難民認定手続等ということがある。)において強調していたのは,1988年(昭和63年)8月8日のデモに参加していたことのみであって,その活動内容についても参加者の募集や道案内にとどまり,しかも上記デモから1か月ほどはデモや集会に参加することもあったが,その後は政治活動をしていなかった旨供述していたにもかかわらず,本人尋問において,上記のとおり,難民認定における重要な判断要素である政治活動において中心的な役割を果たしたかのように,不自然かつ不合理な変遷がみられる。
また,従兄弟であるAが1992年(平成4年)に逮捕された件
についても上記手続においては供述しておらず,その信用性について疑問がある上,原告自身,1988年(昭和63年)以降,政治活動をしておらず,共に活動したこともないと供述しているから,原告の政治活動との関連性は考え難い。
(c)

小括
以上によれば,本人尋問における原告の供述は信用性に乏しく,

原告の活動内容としては,難民認定手続等において供述していたとおり,全国規模で行われた1988年(昭和63年)のデモに参加したというものにとどまり,そこでの役割も下働き的なものであるというべきであるから,原告のミャンマーにおける活動により,同国政府から個別的に把握され,敵意をもって注目されていたとは考え難く,ミャンマーにおける政治活動をもって難民性を基礎付ける事情であると評価することはできない。

原告の日本における政治活動について
(a)

原告の供述の要旨
原告は,本人尋問において,①平成13年(2001年)5月こ
ろ,LDB名古屋支部のメンバーとなり,デモや水かけ祭り(毎年4月中旬に新年を迎えるミャンマーの伝統的年越し行事で,ティンジャンと呼ばれている。)の準備をしたり,上京するときの車を手配したり,参加者の人数を話し合ったりした,②LDBの会議をビデオで撮影し,インターネットで世界に発信したりした,③デモ行進には10回くらい参加し,平成15年(2003年)12月には,東京のミャンマー大使館前でのデモ行進にも参加しているなどと供述している。
(b)

その活動内容と評価
原告の日本における政治活動に関する供述は,難民認定手続等に

おける審査の際の供述とおおむね一致しているところ,その活動内容は事務的なものにすぎず,主体的な役割を担っていたわけではない。LDB名古屋支部の活動は,週1回,ビラを配る程度のものにすぎず,東京でのデモも,数十人の仲間と共にデモ行進を行ったというものにすぎない。このように,原告の活動は,群衆の一構成員としてのものにすぎないことが明らかであるから,ミャンマー政府がそのような活動に注目し,原告を危険視する事情があるとはおよそ認められない。
さらに,日本国内でのデモ活動が,ミャンマー政府にとって政治
的な脅威となり得るものとは到底考え難いこと,ミャンマー国外で反政府活動を行っている者は多数存在していることなども併せ考慮すれば,日本でのデモ行進に群衆の一構成員として参加したことがあるにすぎない原告が,ミャンマー政府から個別に把握され,迫害の対象とされている可能性は極めて乏しいというべきである。
(c)

ビデオ撮影等について
原告の陳述書(甲10)には,東京でのデモの際に,その様子を

ビデオで撮影されたことや,日本人に名前などを記載するよう依頼されてこれに応じたことなどが記載されており,また,本人尋問においても同趣旨の供述をして,ミャンマー政府から個別に把握されている可能性を指摘するが,難民認定手続等においては,かかる供述は全くしておらず,訴状にもかかる記載はないのであって,このような供述経過は不自然というほかない。
また,その内容についても,デモの際に名前などを尋ねられて無
警戒のままこれに答えたり,ホテルの窓からビデオ撮影されていることを察知するなど,それ自体として不自然・不合理というべきである。
さらに,原告は,本人尋問において,ミャンマー政府のスパイの
存在を指摘し,その者によって,活動内容をビデオ撮影されている旨供述するが,原告がスパイであると指摘する人物とミャンマー政府との結び付きを裏付ける証拠はもとより,その事実をうかがわせる証拠も全く提出されていない上,難民認定手続等においては,そのような供述を全くしていないことも併せ考えると,その供述をもって迫害のおそれを基礎付ける事情とは到底評価できない。
(d)

インターネットによる活動内容の発信について
Dは,証人尋問において,LDBが開設しているホームページに

おいて,同名古屋支部の活動を公開してると供述するが,その内容は活動の様子を撮影した写真を掲載しているにすぎず,それ自体から原告の氏名等を把握することは不可能であって,迫害のおそれを基礎付ける事情というには足りないというべきである。
(e)

ミャンマーへの送金について
原告は,日本に入国してから2,3年にわたり,不法就労して得

た金銭をミャンマーの国境地帯において活動する仲間のために送金したと主張し,原告の陳述書(甲10)及び本人尋問における供述にはこれに沿う部分が存在するが,これを裏付ける資料は存在しておらず,信用することはできない。
仮に,送金したことがあったとしても,原告は,送金に当たって
氏名等を明らかにしたこともないのであるから,これによって,ミャンマー政府が原告を個別に把握し,迫害の対象とするとは到底考えられない。
(f)

小括
以上によれば,原告の本邦における活動やそれに関わる事情をみ

ても,ミャンマー政府が原告に注目して敵視するような状況にはなかったというほかなく,迫害のおそれを基礎付ける事情があるとはいえない。

原告の難民性を否定するその他の事情について
以上に加えて,原告には,以下のとおり,難民性を否定する事情が存在する。
(a)

ミャンマー政府から発給された正規の旅券等を取得しているこ


原告は,これまでミャンマー政府から2度にわたり,旅券の発給
を受け,さらにはその更新も受けているところ,旅券は,外国への渡航を希望する自国民に対し,当該政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証するとともに,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,その者の引取りを保証する文書であるから,原告がミャンマー政府から正規の旅券の発給を受け,その更新を受けてきたことは,原告が同政府から敵視されていないことを強く推認させる事情というべきである。
さらに原告は,ミャンマー政府から,船員手帳の発給を受け,船
員資格を取得していることから,原告が,政府から個別に把握され,迫害の対象とされていないことは明白である。
(b)

日本に入国後,長期間にわたり,日本政府に庇護を求めていな

いことなど
原告は,日本への入国目的について,本人尋問においては,政治
活動をするためと供述しているが,難民認定手続においては,仕事をするためと供述しており,不法就労目的であった疑いが強いというべきである。
また,原告は,平成9年(1997年)9月13日に入国後,直
ちに庇護を求めたり,難民認定申請をしておらず,不法就労を継続し,平成16年(2004年)に摘発され,ようやく難民認定申請をしたものであり,難民認定制度を知ったと供述する平成13,14年(2001年,2002年)ころから起算しても2,3年もの間,難民認定申請をしていない。
このような原告の行動は,ミャンマー政府による迫害を逃れて本
邦に入国し,また,本邦における活動によってミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると認識していた者の行動としては,いかにも不自然であって,原告がミャンマー政府による迫害を受ける恐怖を感じていなかったことを強く推認させる一事情というべきである。
(c)

原告自身及びその家族が,国籍国において迫害等を受けていな

いこと
原告の供述を通覧しても,これまでに,原告自身及びその家族が,ミャンマー政府による身柄拘束や,旅券発給・就職などの生活面において,何らかの不利益を被ったという体験は何ら語られていないが,この点は,原告が国籍国に帰国した場合の迫害のおそれの有無を判断するのに注目すべき事情である。

小括
以上によれば,原告に対する迫害のおそれを基礎付けるに足りず,原告を難民と認めることはできないので,本件不認定処分には何らの瑕疵はなく,原告の請求は理由がない。

(2)

争点(2)(本件裁決に重大かつ明白な違法が存するか否か)について
(原告の主張)
本件裁決は,以下のとおり違法であり,その違法性は,重大かつ明白なものというべきである。

原告の難民性の誤認
前記のとおり,原告が入管難民法上の難民に当たることは明らかであるにもかかわらず,被告法務大臣は,原告が難民ではないことを前提とする特別審理官の判定を是認し,本件裁決をしているから,本件裁決は違法であるというほかない。

憲法及び条約違反
今日におけるミャンマーの現状は,いまだ軍事政権の下でアウン・サン・スー・チーの軟禁状態が継続しており,ミャンマー及び日本において政治活動を続けてきた原告にとって,その生命,身体又は自由に大きな脅威があることは明らかである。
このような場合において,原告をミャンマーに強制送還することは,単に人道上問題があるというにとどまらず,憲法13条,14条,市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下自由権規約という。)6条,7条,9条及び26条に反するものである。


在留特別許可の拒絶
被告法務大臣は,法49条1項の異議申出に理由がない場合でも,法50条に基づき,在留特別許可を与える権限を有しているところ,上記のとおり,ミャンマーにおける生命,身体及び自由に対する脅威を有する原告に在留特別許可を付与しなかったことは,上記各規定ないしその趣旨に違反するものである。
すなわち,各国政府の裁量が認められる外国人の入国管理に関する処分であっても,当該処分が国際条約によって保障された人権を侵害する結果となる場合,裁量権の逸脱として当該処分が違法となることは国際的に広く認められている。

(被告法務大臣の主張)
原告の主張は否認ないし争う。

難民性の誤認について
(ア)

原告の難民非該当性
原告は,本件裁決について,本件不認定処分と同様,その無効であることの確認を求めているのであるから,原告は,本件裁決に無効原因が存在すること,すなわち,重大かつ明白な違法が存在することを主張・立証しなければならないところ,前記のとおり,原告が難民であるとは認められないから,被告法務大臣の判断に原告の難民該当性について誤認があるとの原告の主張は失当である。
(イ)

難民認定手続と退去強制手続の関係
原告は,難民に該当すれば法24条所定の退去強制事由が欠如するか
のように主張するが,これは,以下のとおり,難民認定手続と退去強制手続とを混同するもので失当である。
入管難民法は,24条で退去強制事由を列挙し,27条以下において退去強制手続を規定する一方で,61条の2以下において難民認定手続について規定しているが,難民認定手続と退去強制手続との関係については何ら規定していない。しかし,法61条の2の8は,法務大臣は,第49条第1項の規定による異議の申出をした者が難民の認定を受けている者であるときは,第50条第1項に規定する場合のほか,第49条第3項の裁決に当たって,異議の申出が理由がないと認める場合でも,その者の在留を特別に許可することができる。と規定しており,むしろ難民認定を受けている者についても,法24条1項各号の一に該当する限り,退去強制手続を進めなければならないことを前提としていると解される。
また,難民認定に関する不服申立手続と退去強制事由の認定に関する不服申立手続とは,全く別個の手続が設けられており,時間的にも,退去強制手続中又は退去強制令書発付後に難民認定申請をすることも可能であって,難民認定手続が常に退去強制手続に先行するものではないことからすれば,退去強制手続と難民認定手続は,全く別個独立の手続であるといわなければならない。
以上によれば,難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていること自体は,退去強制手続を停止させたり,退去強制事由を消滅させたりする効果を有するものではなく,法務大臣が在留特別許可を付与するか否かについて判断する際の一つの考慮事由であるにすぎないのであって,原告の主張は,その前提に誤りがあるというほかない。

憲法及び条約違反について
原告が本国に帰国した場合に迫害等を受けるおそれがあり,原告をミャンマーに強制送還することは,憲法13条,14条,自由権規約6条,7条,9条,26条に違反するとの主張は,原告が難民に該当することを言い換えたものにすぎず,これに対する反論は,上記アで述べたとおりである。
また,本件裁決に無効原因が存するか否かの観点からは,原告の上記主張は,結局のところ,在留特別許可の付与についての判断の当否を問題とするものと解されるから,次のウが当てはまる。


在留特別許可の拒絶について
(ア)

原告の難民非該当性について
原告は,原告が難民に当たることを前提に,被告法務大臣が法50条
所定の在留特別許可をしなかったことに著しい裁量の逸脱が存するとか,難民条約33条及び拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下拷問等禁止条約という。)3条に違反するなどと主張するが,原告が難民に該当しないことは前記のとおりであるから,原告の上記主張は,その前提を欠くものとして理由がない。
(イ)

憲法及び条約違反について
外国人に在留の権利がないこと
原告は,難民に在留を認めないことが,憲法13条,14条,自由権規約6条,7条,9条,26条に違反するかのように主張するが,そもそも外国人は,憲法上,本邦に在留する権利を保障されていないから,我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん,在留の権利ないし引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもない(最高裁昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照。以下,昭和53年最判と
いう。)。したがって,仮に難民と認定された外国人であっても,当然に我が国に在留する権利が認められるものではない。
このことは,難民条約が,難民を締約国が受け入れるか否かについては何も規定しておらず,他の外国人の入国一般の場合と同様に,その国家の主権に関することとして自由に決定し得るものであると解されていることからも明らかである(難民条約前文参照)。
このように,難民条約といえども,外国人の入国及び在留は当該国家が自由に決し得るという国際慣習法上認められている国家の権限について,何ら変更を加えるものではない以上,その在留については,憲法13条,14条を含めた憲法上の問題は生じない。
また,原告の主張のうち,自由権規約違反の点についても,前記のとおり,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約等がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを,当該国家が自由に決定することができることは確立した国際慣習法であり,自由権規約において,このような国際慣習法を否定する規定はない以上,当該国家が,難民の在留を認めるべき義務を負うこともない。

在留特別許可の裁量性
在留特別許可は,外国人の出入国に関する処分であるから,前述したところからすれば,法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かは,法務大臣の自由裁量にゆだねられていると解すべきであり,このことは,法50条の規定上も明らかであって,判例上も確立したものである(最高裁昭和34年11月10日第三小法廷判決・民集13巻12号1493頁参照)。
そして,当該外国人に在留特別許可を与えるか否かを判断するに当たっては,当該外国人の個人的事情のみならず,その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情,外交政策,当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮した上で,時宜に応じた的確な判断をする必要がある。
しかも,在留特別許可は,退去強制事由に該当することが明らかで当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し,特に在留を認める処分であるから,他の一般の行政処分と異なり,その性質は恩恵的なものであることに加え,在留特別許可について定めた法50条1項3号では,単に特別に在留を許可すべき事情があると認めるときに
許可することができると規定されており,在留特別許可を付与すべき要件については何ら規定されていないことにかんがみると,法務大臣の在留特別許可の許否に関する裁量権の範囲は,格段に広範なものというべきである。
すなわち,同裁量権の行使が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であると評価するには,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお本邦に在留することを認めなければならない積極的な理由が認められるときなど,法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したと認め得るような,極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない。
このように在留特別許可に関する裁量権の行使が違法と見得る余地が生ずるのは,極めて例外的な場合に限られるのであるところ,本件では,本件裁決の無効原因の有無が問題となっているのであるから,これが無効といえるのは,かかる広範な裁量にゆだねられた法務大臣の在留特別許可の判断に重大かつ明白な違法がある場合といった容易には想定し難い場合に限られることとなる。

小括
原告は,本来,本邦から退去強制されるべき外国人であり,前記のとおり,原告を難民であると認定することはできないのであるから,原告に本邦に在留する特別の事情を何ら見出すことはできないのであって,本件裁決に重大かつ明白な違法はない。

(3)

争点(3)(本件発付処分が違法か否か)について

(原告の主張)

違法性の承継
本件発付処分は,違法な本件不認定処分及び本件裁決を前提とするものであり,当然にそれらの違法性が承継されるから,本件発付処分も取り消されるべきものである。


ノン・ルフルマン原則違反
難民条約33条1項は,締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。と定めている(ノン・ルフルマン原則)ところ,これを受けて,法53条3項は,

法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,前2項の国(注:送還先となるべき国)には難民条約第33条第1項に規定する領域の属する国を含まないものとする。

と規定している。したがって,原告には,前記のとおり,その生命等が脅威にさらされるおそれがある以上,ミャンマーに強制送還することは許されない。ウ
拷問等禁止条約違反
拷問等禁止条約3条1項は,

締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又は引き渡してはならない。

と定め,同条2項は,

権限のある当局は,1の根拠の有無を決定するに当たり,すべての関連する事情(該当する場合には,関係する国における一貫した形態の重大な,明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する。

と定めている。
原告は,ミャンマー及び日本において行った政治活動により,ミャンマーにおいて,同国政府から拷問を受けるおそれがあり,現在のミャンマーの情勢からしても,原告を同国に強制送還すべきでないことは明白である。したがって,原告をミャンマーに強制送還することは,まさに拷問等禁止条約3条1項の拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ送還することに当たるから,本件発付処分は,同条約に違反する。

(被告主任審査官の主張)
原告の主張は争う。
主任審査官は,法務大臣から異議の申出に理由がないとの裁決をした旨の通知を受けたときには,速やかに当該容疑者に対する退去強制令書を発付しなければならない(法49条5項)ところ,前述のとおり,本件裁決は無効とはいえないから,被告主任審査官が本件発付処分をしたのは当然のことであって,何ら違法はない。
また,法53条3項は,同条1項,2項所定の送還先につき,これら所定の国には難民条約33条1項に規定する領域の属する国を含まないものとするとしており,同規定によって,いわゆるノン・ルフルマン原則が担保されているが,前記のとおり,原告が難民に該当するとは認められない以上,原告の国籍国であるミャンマーがその送還先から除外されるべき理由はない。したがって,被告主任審査官が原告に対してした本件発付処分も適法である。
第3
1
当裁判所の判断
争点(1)ア(60日ルールが難民条約に違反するか)について
前記前提となる事実によれば,本件申請は,原告が本邦に入国してから約7年経過した後にされたものであり,また,原告が,日本国内において政治活動を行う中にあって難民認定制度を知ったと主張する平成14年(これは,法61条の2第2項の本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日についての主張と解される。)から起算しても約2年経過した後にされたものであって,法61条の2第2項本文の定める60日の難民認定申請期間を経過してされたものであることは明らかであるところ,原告は,この60日ルールが難民条約等に違反する無効なものであると主張するので,この点について判断する。
(1)

難民の概念について
難民条約等によれば,難民とは,難民条約1条A(1)に規定する者のほか,
人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び同様の立場にある無国籍者をいうとされている(難民条約1条A(2),難民議定書1条2項)ところ,我が国の入管難民法は,難民につき,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと定義し(法2条3号の2),難民条約等と難民概念の一致を図っている。
(2)

難民認定手続の設定に関する締約国の裁量について
ところで,難民条約等の締約国が,ある者を難民として扱うためには,その論理的前提として,その者が実体的に上記の難民に当たるとの判断が先行するはずであり,したがって,その認定のために何らかの手続を設ける必要があることはいうまでもない。しかるところ,難民条約等は,難民の定義(難民条約1条),法的地位(同12条),締約国による好意的待遇(同13条,17条,20条等)等について規定するものの,各締約国において,いかなる手続によって難民を認定するかについては,何ら規定していない。その趣旨は,主権国家は,国際慣習法上,外国人の自由な入国,滞在を許容すべき一般的義務を負うものとはされておらず,むしろ,難民条約が前文において宣言しているとおり,難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性のあることを考慮し,締約国がその主権の行使として当該締約国の国情に応じた難民認定手続を定めることを許容したものと解される。そして,難民条約上も,同じ難民であっても,その滞在,居留が合法であるか否か等によって,その保護の程度に差が設けられているのは,外国に不法に入国,在留することは一般的に許容されていないとの国際社会における共通認識に基づいて,難民に対し,この規範の遵守を要求することは決して不当ではない(難民条約2条参照)との考慮に基づくものと考えられるのであって,以上のことからすれば,実体的には難民である者からの難民認定申請について,締約国により,手続要件の不遵守を理由に,その滞在等が合法的なものではないと判断される可能性は,難民条約等上も当然に予定されていると考えられる。したがって,どのような難民認定手続を設けるかは,基本的には当該締約国の立法裁量の問題であると解される。もっとも,手続はあくまで実体的要件の存否の的確な判断に資するためのものであるから,難民該当性を認定するための手続要件が実質的に不可能を強いるものであり,手続要件にかこつけて実体要件を備える難民の認定を不当に排除するようなものであった場合は,難民の実体要件を定義した上でこれに該当する者に対して適切な保護を与えようとする難民条約等の趣旨を没却する結果を招くことになるから,かかる立法が裁量権を逸脱,濫用するものとして許されないことも明らかである。
(3)

60日ルールの趣旨及び合理性について
そこで,60日ルールが難民条約等の趣旨を没却する不合理なものである
か否かについて判断する。
まず,入管難民法による難民認定の意義については,同法の規定(18条の2,61条の2の5,同条の2の6,同条の2の8,70条の2)と難民条約のそれ(28条,31条1項)とを対照すると,難民条約等上の難民が合法的に日本に滞在するための手続にほかならず,これ以上でもこれ以下でもないから,難民認定申請が認められなかったからといって,合法的に日本に滞在すること以外の保護が受けられないというものではなく,その意味で,当該外国人が実体的に難民でないことまで確定するものとは解されない(それ故に,実体上の難民は,難民認定手続と別個の手続とされている退去強制手続の一段階である法務大臣に対する異議の申出(法49条)において,自己が難民に該当する旨を主張することができ,法務大臣は,その主張を判断した上で,申請者が難民に該当するとの判断に至った場合には,在留特別許可の付与(法50条1項3号)を検討しなければならないと解される。)。次に,法61条の2第2項本文は,申請者が我が国に合法的に入国したか否かにかかわらず,本邦に上陸した日又は難民となる事由が生じたことを知った日のうち,いずれか遅い時期から60日以内に難民認定を申請すべきとしているところ,入管難民法がこのような申請期間を設けた趣旨は,迫害から逃れてきた者は速やかに庇護を求めることが多いと考えられるし,我が国における適切な出入国管理の確保という観点からは,特に不法に上陸,滞在している難民について,その不法状態を速やかに解消すべく,一定期間内に難民認定の申請を要求することは酷ではないというべきである上,我が国の地理的状況,交通手段の発達状況等からすれば,かかる申請を行うために一般的に必要と考えられる準備期間を考慮しても,60日という期間が不当に短期間にすぎるとはいえず,さらには,難民となる事情が生じてから長期間が経過すると事実の把握が困難となり,適正な難民認定ができなくなるおそれも否定できないことによると考えられる。
加えて,同項ただし書によって,申請期間を遵守できなかったことにつき,やむを得ない事情が認められる場合には,申請期間を経過した後でも難民認定申請を行い,実体的な難民性の判断を受けることが認められていることをも総合すれば,60日ルールは,難民認定手続の手続要件としても,相応の合理性を有し,難民認定申請者に対して実質的に不可能を強いるなど,難民条約等の趣旨を没却する違法なものであるとまで判断することはできない。(4)

原告の主張について
これに対し,原告は,期間制限を設けた法61条の2第2項はあくまでも
努力条項であり,訓示的な規定と考えるべきであって,申請を受けた際には,これを盾に難民としての認定を拒否することはできないなどと主張する。しかし,難民認定申請期間を申請者が本邦に上陸した日又は難民となる事由が生じたことを知った日から60日以内に制限し,やむを得ない事情が認められる場合に限り,上記期間を経過した後の申請を認めるとの法61条の2第2項の規定からすれば,上記申請期間の定めは,これを経過した場合には,原則として,もはや難民認定申請をすることはできないとの法律上の効果を生じさせることを目的としたものであることは明らかであるから,原告の上記主張は採用できない。
また,原告は,平成16年法律第73号による入管難民法の改正によって60日ルールを規定した法61条の2第2項が削除されたことを根拠として,60日ルールには合理性がない旨主張する。しかし,前記のとおり,難民条約等は,その基本的な趣旨を損なわない限り,認定手続の仕組みを各締約国にゆだねていると解されるところ,60日という期限設定は,我が国の諸条件に照らすと,不当に短期間であるとまではいえず,現に,証拠(乙27)によれば,我が国と同程度の期限を設定し(韓国),あるいは不法入国の場合は,我が国よりも短期間の期限を設定している例(入国から8勤務日以内とするベルギー,入国後1か月以内とするスペイン)が存在することが認められるから,60日ルールが法改正によって削除されたからといって,これが締約国の立法裁量を逸脱,濫用するものであったとはいえない。なお,原告は,被告法務大臣は我が国に入国して60日を経過している者についても難民認定している旨主張しているところ,証拠(甲24の1ないし8)によれば,かかる事実を認めることができる。しかし,上記各事例における難民認定がいかなる理由に基づくものであるかはつまびらかではなく(入国後に難民性を具備したと判断したり,後記のやむを得ない事情の存在を認めた可能性も否定できない。),本件において60日ルールの適用を主張することが,直ちに行政における平等原則に違反するものとは認められない。
2
争点(1)イ(原告に,法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情があるか)について
上記のとおり,原告は,法61条の2第2項本文の難民申請期間を経過して本件申請をしたものであるが,上記期間経過につきやむを得ない事情が認められる場合には,本件申請も有効なものと解されることから(法61条の2第2項ただし書),以下,本件において,やむを得ない事情が認められるか否かについて検討する。

(1)

やむを得ない事情の意義について
まず,同項ただし書にいうやむを得ない事情の意義につき検討するに,前
述した60日ルールの趣旨や法律用語としての通常の意味等からすれば,この期間内に難民認定申請をすることが期待できない客観的な事情が存すること,具体的には,病気や災害による交通途絶等の理由により,そもそも難民認定を申請することが物理的に不可能であったと認められる場合のほか,我が国において合法的に在留する資格を有し,難民認定を申請すべき何らの動機付けも存しない場合,さらには難民認定を申請することにより,その者の家族等に対して危難が及ぶことが予想される場合など,難民認定の申請をするか否かの意思決定を行うことが困難であると認められる客観的事情を指すと解するのが相当であり,かかる場合には,これらの障害が解消した後相当な期間内に難民認定申請をすることにより,同項ただし書のやむを得ない事情が存したと評価されるべきである。
(2)

本件におけるやむを得ない事情の有無について
前記前提となる事実に証拠(甲10,乙4の1ないし9,5,9ないし1
1,証人D,原告本人)を総合すると,原告は,平成9年(1997年)9月13日に本邦に入国した後,上陸許可期限である同月26日を超えて本邦に不法残留し,平成16年(2004年)6月30日に不法残留の容疑で摘発されるまで,ほぼ終始,名古屋市a区にあるb寮に居住していたこと,不法残留中は,建築会社や居酒屋などで就労しつつ,次第にミャンマーの民主化に関する政治活動に参加していったこと(その詳細は後記のとおりである。),原告は,平成14年(2002年)ころ,民主化運動に参加している活動家仲間から日本における難民認定手続の存在を教えられ,難民認定の申請をするよう誘われたが,自らの意思によってこれを拒んだこと,実際,同年6月ころ,名古屋におけるミャンマーの民主化運動の活動家5人が難民認定申請を行ったこと,原告は,摘発によって身柄を拘束された後である平成16年(2004年)7月15日に至って,このままではミャンマーへ強制送還されるとの危機感から本件申請をしたこと,原告は,平成12年(2000年)ころから,ミャンマーにて生活している母親ほかの家族に対する送金を行わなくなり,電話による連絡等を取り合っていないが,知る限りにおいては,家族は平穏に生活していること,以上の事実が認められる。上記認定事実によれば,原告が本邦に上陸してから本件申請をするまでの間,難民認定申請をすることが物理的に不可能であると認められる事情が存在したと認められないのはもちろん,難民認定の申請をするか否かの意思決定を行うことが困難であると認められる客観的事情も認められないというべきであるから,法61条の2第2項ただし書にいうやむを得ない事情が存在したと認めることはできない。
(3)

原告の主張について
この点につき,原告は,申請者が申請期間を徒過したことが難民該当性に
どのような影響を与えるかを個別に判断すべきであり,難民条約の締約国が,その国際的義務を果たすためには,法61条の2第2項ただし書にいうやむを得ない事情は,具体的状況の下で,無知や恐怖,申請の準備の必要性など,様々な原告の主観的・客観的事情を含み得るものとして,緩やかに解釈されなければならないと主張する。
しかし,かかる解釈による場合には,難民認定申請者がすべて外国人であり,多くの者が我が国の難民認定制度についての十分な知識を有しておらず,また,必ずしも支援者を得ることが容易ではない現状においては,結局,すべての申請者についてやむを得ない事情が認められることとなり,真に難民であれば速やかに難民認定申請をすることが期待されることを前提に,我が国の地理的状況等から必要な準備期間をも勘案して,適切な難民認定を行うことを可能にするため,上記のとおり申請期間を設けた趣旨が没却されるおそれが高いといわざるを得ない(なお,原告の主張を前提としても,原告は,平成14年(2002年)ころ,日本における難民認定手続の存在を知ったものであり,現に,同年6月,名古屋におけるミャンマーの民主化運動の活動家5人が難民認定申請を行っていることは前記のとおりであるから,原告が同時期に難民認定申請を行えなかった主観的・客観的事情が存するとは認められない。)。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
(4)

小括-本件不認定処分の適法性
そうすると,その余の点について判断するまでもなく,被告法務大臣の本
件不認定処分は,適法というべきである。
3
争点(2)(本件裁決に重大かつ明白な違法が存するか)について(1)

問題の所在
次に,原告は,本件裁決について,原告が難民に当たるにもかかわらず,
被告法務大臣は原告が難民に当たらないと誤認したこと,在留特別許可を与えなかったこと,本件裁決の結果,原告をミャンマーに強制送還することは,憲法13条,14条,自由権規約6条,7条,9条に違反することなどを主張するので,まず,この主張の法的な位置付けを検討する。
既述のとおり,ある者について60日ルールを適用することによって,難民認定をしないとされた場合でも,難民条約等との関係では,その者は,日本に合法的に在留する資格を有しないとされるにとどまるもので,およそ難民に該当しないことが実体的に確定されるものではない。
そして,難民条約等上の難民に当たるとすれば,その滞在又は居留が不法であっても,難民条約33条1項のとおり,

いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。

とする,いわゆるノン・ルフルマン原則による保護の対象とされなければならない。
しかるところ,入管難民法の体系においては,法24条各号所定の退去強制事由の一に該当する旨の入国審査官の認定(法47条2項),これに対する口頭審理の請求を受けてするその認定に誤りがない旨の特別審理官の判定(法48条7項)を経て,これに対する異議の申出が理由がない旨を法務大臣が裁決した場合,その通知を受けた主任審査官は,退去強制令書を発付しなければならないとされている(法49条5項)ところ,その送還先は,原則として,その者の国籍又は市民権の属する国とされ(法53条1項),この国に送還することができないときは,本人の希望に従って直前の居住国等のいずれかに送還される(同条2項)ものの,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除いては,送還先には,難民条約33条1項に規定する領域の属する国を含まないものとする(法53条3項)ことによって,ノン・ルフルマン原則が担保されている。
しかしながら,一口に当該外国人を送還するといっても,送還先とされた相手国の同意や受入れ態勢を無視して実現できるものではなく,さらには,その国の国情いかんによっては,人道上の問題を生じかねないことから,どの国に送還するのが相当か,あるいは送還先として適当な国が見当たらないなどの場合に送還自体が相当かについて,各国の国情を踏まえた高度な政治的判断が求められるというべきところ,かかる判断主体としては,退去強制令書の発付につき何らの判断権を有しない主任審査官ではなく,法務大臣が適当であることはいうまでもない。
したがって,法務大臣は,上記異議の申出に対する裁決を行うに当たり,法50条所定の在留特別許可を与えるか否かを決する過程で,当該外国人の難民該当性を判断した上,これが肯定される場合は,送還先をどの国にするか,あるいは送還すること自体が適当か否かを判断すべきであり,難民該当性が肯定されるにもかかわらず,上記のような判断を加えることなく,異議の申出は理由がないとの裁決をすることは,特段の事情のない限り,法務大臣に与えられた裁量権を逸脱ないし濫用するものとして,違法との評価を免れないというべきである。
また,申請者の国籍国の政情,申請者の国籍国における地位,同国籍国の者に対して難民認定をした事例の有無及びその内容などの事情によっては,上記手続の過程で収集された資料だけからも,申請者の難民該当性が強くうかがわれる場合があることは否定できないところ,かかる場合において,法務大臣が,上記と同様,難民該当性について十分な検討・判断をすることなく,異議の申出には理由がないとの裁決をすれば,難民条約上の難民を迫害の客観的なおそれの認められる国籍国へ送還し,人権保障上回復困難な結果を生ぜしめることにもなりかねない。
そうすると,このような結果の深刻さ,不可逆性にかんがみれば,上記のような申請者の難民該当性が強くうかがわれる場合における法務大臣の裁量権の逸脱ないし濫用には,重大かつ明白な違法性があるといわざるを得ない。以上のように,原告が難民条約等上の難民に当たるか否かは,本件裁決の無効性判断に影響を与えると考えられるから,以下において,その難民該当性について判断する。
(2)

難民であることの立証責任の所在
一般に,抗告訴訟における主張立証責任については,その適法性が問題と
された処分の性質によって,分配原則を異にするのが相当である。すなわち,当該処分が,自由を制限し,義務を課するいわゆる侵害処分としての性質を有する場合は,処分主体である行政庁がその適法性の主張立証責任を負担し,逆に,特別な利益・権利を取得し,あるいは法定の義務を免れるいわゆる授益処分としての性質を有する場合は,原告がその根拠法令の定める要件が充足されたこと(申請却下処分が違法であること)の主張立証責任を負担すると解するのが原則であり,これに根拠法令の規定の仕方や,要件に該当する事実との距離などを勘案して,総合的に決するのが相当である。
しかるところ,法50条所定の在留特別許可は,本来,当然には本邦に滞在する権利を有しない外国人(昭和53年最判参照)にして,法24条各号所定の退去強制事由に該当する者に対し,法務大臣の特別な裁量に基づき,本邦への在留を認めるものであり,これに,難民であることを基礎付ける事実は,これを主張する者の生活領域内で生ずるのが通常であることを考慮すると,難民条約上の難民に該当する事実の主張立証責任は,在留特別許可を与えなかったことを理由に裁決の取消しを求める者が負担すると解するのが相当であり,まして,その無効確認を求めるのであれば,なおさらというべきである。
もっとも,経験則上,迫害を受け,あるいは受けるおそれがあることによって母国を出国した者については,十分な客観的証明資料を所持していることを期待できず,出国してからも,これらの資料を収集するための協力を得ることが困難であることが多いと考えられるから,難民と主張する者がこれらの資料を提出しないからといって,直ちに難民であることを否定すべきではなく,本人の供述するところを主たる材料として,恐怖体験や時間の経過に伴う記憶の変容,希薄化の可能性なども十分に考慮した上で,その基本的内容が首尾一貫しているか,不合理な内容を含んでいないか等を吟味し,難民であることを基礎付ける根幹的な主張が肯認できるか否かに従って,最終的な判断を下すべきである。
(3)

ミャンマー情勢に関する事実
前記のとおり,原告の主張するミャンマーの政治情勢は(客観的事実とし
ておおむね)当事者間に争いがなく,これに証拠(甲4,5,12),弁論の全趣旨及び当裁判所に顕著な事実(外務省ホームページ・各国・地域情勢,在日ミャンマー大使館公式ホームページ・ビジネス情報・ミャンマーの歴史概要,ミャンマーと日本の歴史的関係等参照)を総合すると,以下の各事実が認められる。

植民地化と独立
ビルマにおいては,かつて,チベット・ビルマ語族の各民族がチベットから南下して割拠していたが,ビルマ民族が11世紀にこれを統一してパガン王朝が成立した。その後,ビルマには,タウングー王朝やコンバウン王朝などの王朝が成立し,周辺諸国との戦争を繰り返していた。
ビルマは,19世紀に入り,3度にわたるイギリスとの戦争を経て,1886(明治19)年,イギリス領インドに編入され,その植民地となって議会制民主主義の啓蒙を受けた。
ビルマでは,1940年(昭和15年)ころから,宗主国であるイギリスに対する独立運動が活発化し,1942年(昭和17年)には,日本軍の協力を得て結成されたアウン・サン率いるビルマ独立義勇軍(BIA)が全土を平定し,イギリスによるビルマ植民地政府は撤退した。
第二次世界大戦中,ビルマ独立義勇軍は,ビルマ防衛軍(BDA),ビルマ国民軍(BNA)へと順次改編されたが,末期においては,イギリスに変わる支配勢力となった日本の政治的影響力を排除しようとする反日勢力と結びついて対日反乱に決起した。これを機に,イギリス軍がビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)を奪還し,いったんはイギリスによる植民地支配が復活した。
第二次世界大戦後,イギリスの支配下で成立したアウン・サンを総裁とする暫定政権は,議会制民主政治を目指したものの,アウン・サンは,1947年(昭和22年)7月19日,側近らとともに暗殺された。その後継者であるウ・ヌは,1948年(昭和23年)1月4日,ビルマ連邦を国名としてイギリスからの独立を達成し,一時,1958年(昭和33年)に副総理大臣であったネ・ウィンにクー・デタを起こされたものの,2年後には復位した。

独自の社会主義独裁政権の成立
ネ・ウィンは,1962年(昭和37年)3月,軍部を指揮して再度クー・デタにより政権を掌握し,ビルマ社会主義計画党(BSPP)を結成して,一党独裁による独自の社会主義路線を押し進めたが,国全体は次第に経済的に困窮していった。
そうした中,ビルマにおける経済的な困窮は改善されず,1987年(昭和62年)には,国連から後発開発途上国(いわゆる最貧国)に指定された。

民主化運動と国軍による政権掌握
1988年(昭和63年)3月13日にラングーン工科大学の一学生が軍の諜報機関員に殺害された事件を契機に,同大学学生らの間でネ・ウィン体制に抗議する民主化運動が起こり,やがて市民の間でも同運動が広まっていった。この運動が最も盛り上がりを見せたのが,同年8月8日(いわゆる8888運動)及びこれに引き続く数日間の抗議行動であり,首都だけでなく,地方都市においても,広範な民衆の支持を集めた。
民主化運動の盛り上がりにより,ネ・ウィンはその地位を辞任したものの,国軍に対する影響力を依然として保持したままであり,同年7月23日には戒厳令が敷かれた。国軍は,同年9月18日,ソ・マウン国防相を議長とするSLORC(国家法秩序回復評議会)を組織して政権を掌握するとともに,事態を収束するため,総選挙を実施することを表明した。そこで,故アウン・サンの長女アウン・サン・スー・チーらが中心となって,同月24日,NLD(国民民主連盟)が結成された。
なお,SLORCは,翌1989年(平成元年)6月18日,国名をミャンマーに,首都名をラングーンからヤンゴンに変更した。


総選挙の実施と軍事政権による否定
SLORCは,1989年(平成元年)7月20日,アウン・サン・スー・チーらに対して自宅軟禁措置を課すなど,自ら公約した総選挙へ向けた政治活動に対して,圧迫と取締りを続けたが,1990年(平成2年)5月27日に実施された複数政党による総選挙の結果は,全485議席中392議席をNLDが占める同党の圧勝で終わった。
しかし,SLORCは,この結果を認めようとせず,当選者に当選を辞退するよう圧力をかけたり,当選したNLD議員を投獄したり,数千人単位の活動家と共に国外追放にしたりしたほか,民政に移管するには堅固な憲法が必要であることを理由として,この総選挙の結果に基づく国会を召集することをしなかった。
1992年(平成4年)4月23日に,ソ・マウンの後任議長に就任したタン・シュエの指導の下,SLORCは,1993年(平成5年)1月9日,代議員をかなりの程度恣意的に指名する形で,憲法制定のための国民会議を発足させたが,1995年(平成7年)11月29日,かろうじて指名されていたNLD所属の代議員らが,運営方法が非民主的であることを理由に国民会議の審議をボイコットしたことに乗じ,2日後に同人らを国民会議から除名し,同議会は,1996年(平成8年)3月以後,長期休会の状態を脱していない。
なお,SLORCは,1997年(平成9年)11月15日に国家平和開発評議会(SPDC)に改称された。

NLD及びアウン・サン・スー・チーに対する抑圧
アウン・サン・スー・チーに対する自宅軟禁措置は,1995年(平成7年)7月10日,いったん解除されたものの,その後,軍用物運搬,農業等の役務のための民間人に対する労働の強要が問題化するなどして抗議行動が活発化し,民間人に対する強制労働を中止するための国軍令を発布することを余儀なくされた1996年(平成8年)になると,軍事政権は,アウン・サン・スー・チーと外部の者との面会を徐々に制限し,同年12月2日に外出禁止命令を発するとともに,翌1997年(平成9年)5月27日の総選挙記念日に開催されたNLD党大会も実力でもって中断に追い込んだ。その後,SPDCは,諸外国からの批判を受けて,時折NLDの党大会開催やアウン・サン・スー・チーの外出を許可することもあったが,2000年(平成12年)9月21日ころから,再度,アウン・サン・スー・チーを自宅軟禁状態に置き,2002年(平成14年)5月6日には,NLDとの対話の進展に伴い解放したが,2003年(平成15年)5月30日深夜から翌31日早朝にかけて,北部地域のラカイン州ディぺーインなどにおける遊説から戻る途中のアウン・サン・スー・チーやNLD党員らを軍事政権支持者らが襲撃し,NLD側に少なくとも数十人規模の犠牲者が出るなどの混乱を生じたのを契機に,アウン・サン・スー・チーの身柄を三たび拘束して,そのまま現在に至っている。
現状では,アウン・サン・スー・チーに対する面会や挨拶を希望するだけでも軍事政権によって逮捕されることがあり,司法が軍事政権から独立した機能を有していないこともあって,1996年(平成8年)以降も,先の総選挙の当選者を含む千人単位のNLD党員・党支持者らが政治犯として投獄されたままであり,在監者への暴行もしばしばである。

NLD党員などに対する抑圧の実態
軍事政権は,NLDが圧勝した選挙が実施された1990年(平成2年)以来,同選挙によって選出された議員による議会が招集されるのを防止するため,NLD党員に対する身柄拘束などを含め,NLDや他の民主化政党が通常の政治活動を行うことを妨げ,何千人ものNLD党員に対して,NLDを脱退するよう圧力をかけ,全国のNLDの事務所を閉鎖するなどした。軍事政権は,2001年(平成13年)には,ヤンゴンにおける31のNLDの事務所の再開を許可したが,その活動状況は政権側によって詳細に監視されており,他の地域の事務所の活動はいまだ禁止されたままである。同年末の時点において,なお上記選挙による選出議員20名と800名以上のNLDの党員が身柄を拘束されている。


軍事政権による支配
ミャンマーでは,1988年(昭和63年)以来,国軍の規模が17万5000人から40万人以上へと2倍以上に増強されるとともに,国軍の情報機関に率いられた広域的な治安組織である防衛サービス情報局(DefenceServicesandIntelligenceBuremau。以下DSIBという。)を利用するなどして,全国民の移動状況を把握するほか,ミャンマー国民と外国人との接触の制限,公務員や民間人に対する調査,政党活動家に対する嫌がらせ,脅迫,逮捕,監禁,虐待などを行い,国民に対する軍事的な支配を強化している。特に政治活動で知られている者は,詳細な調査の対象とされている。
反政府的な見解を表明した者に対する恣意的な逮捕や拘留は後を絶たず,言論,出版,集会の自由は厳しく制限されている。
すべての日刊新聞,一般用ラジオ及びテレビ放映機関は,政府の所有下に置かれて管理されており,すべての民間出版物は,政府による事前検閲の対象とされている。また,国民による電子メディアへのアクセスは,厳重に制限されており,国内唯一のインターネットサーバーは,政府が管理していて,ごく限られた者に対してのみ,その利用が許されている現状にある。
また,司法機関は,ミャンマー国軍から独立しておらず,公正な公開裁判を受ける権利が保障されていない。

ミャンマーにおける強制労働等の実態
ミャンマーにおける軍事政権の特色の一つとして,民間人なかんずく少数民族に対する強制徴用,強制労働が挙げられるが,これを中止するための国軍令の発布後も,開発の名分の下に,児童も含む強制労働力が利用される実態は変わっておらず,国際労働機関(以下ILOという。)も,1997(平成9)年3月には,強制労働に関するILO規約違反の有無を調査するための委員会を設立して,調査団を派遣した。ILO総会は,2000(平成12)年6月,SPDCに対し,同規約に従った具体的かつ詳細な方策を同年11月30日までに施行するよう求めたが,同年10月の強制労働禁止を強化する命令の発令後である同年11月にも,ILO執行部は,施策が未了であるとして6月の上記総会決議を支持し,同年12月にはILO事務総長が加盟国に対して,SPDCとの関係見直しの検討を求めている。

ミャンマー経済の概況
ミャンマーにおいては,1988年(昭和63年)に国軍がクー・デタによって全権を掌握した後,それまでの独自の社会主義政策を放棄するとともに,外資法を制定するなどして経済開放政策を推進した。その結果,1992年(平成4年)から1995年(平成7年)までの間,ミャンマー経済は高い成長率を維持していたが,最近は,非現実的な為替レートや,硬直的な経済構造等が発展の障害となり,外資不足が顕著になっている。また,2003年(平成15年)2月には,民間銀行利用者の預金取付け騒ぎが発生し,民間銀行や一般企業が深刻な資金不足に見舞われたほか,為替市場にもその影響が出ている。
さらに,同年5月,軍事政権がアウン・サン・スー・チーを拘束したことを受けて,アメリカが対ミャンマー制裁法を制定したことが,国内産業への打撃となり,経済の鈍化を招いている。加えて,2004年(平成16年)10月には,EUがミャンマーの民主化状況に進展が見られないとして,ミャンマー国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定した。
このような状況の中にあって,国民の大半は経済的に苦しい生活を送っている。

(4)

原告の政治活動等に関する認定事実
前記前提となる事実に,証拠(甲3,5,6の1・2,7,8,10ない
し12,14の1・2,15,16,19,21の1・2,乙4の1ないし9,5,9ないし12,14の1ないし4,15ないし17,証人D,原告本人。ただし,認定に反する部分を除く。)を総合すれば,原告の政治活動等について,以下の各事実が認められる。

ミャンマーにおける活動状況等
(ア)

政治活動に関与する契機と原告の役割
原告は,1981年(昭和56年)から1988年(昭和63年)ま
で第2ティン・ガン・ジョン高校の学生であったが,同年3月,ラングーン大学(現ヤンゴン大学)に進学していた友人らからラングーン工科大学の学生による抗議運動の話を聞いて,民主化運動に関心を抱き,ラングーン大学に行って集会に参加したり,その実施を手伝ったりするようになった。原告は,同年6月には第1サウス・オカラッパー高校に転入したが,引き続き民主化運動に関与すべく,友人とともに,政府に抗議するためのデモに参加したり,ビラを作って貼ったり,他の学生に対する呼び掛けを行ったり,講演会に出席するなどした。
(イ)

1988年(昭和63年)のデモ参加
1988年(昭和63年)6月ころになると,集会などを通じて,同
年8月8日に大規模な反政府デモを実施することが喧伝されるようになり,原告も,同年7月ころ,第1サウス・オカラッパー高校よりも政治運動の盛んな第2ティン・ガン・ジョン高校に出向き,友人と共に政府に反対する内容のビラを配布するなどした。この友人の中には,アメリカにおいて難民認定された者や,ミャンマー国内で何度も逮捕された後,渡米して同国籍を取得した者が含まれていた。
そして,同年8月8日,全国的な民主化蜂起デモが行われ,原告も,第1サウス・オカラッパー高校から約11キロメートル離れた市役所に向けたデモ隊に参加した。翌9日には,第2ティン・ガン・ジョン高校のデモに参加したところ,国軍兵士による発砲を受け,学生2名が死亡した。原告は,その後も同年9月初旬まで毎日のようにデモや集会に参加していた。
(ウ)

学生組織への参加
原告は,同年8月の終わりころ,ABFSUという学生組織に加わり,
デモや講演会の準備に従事したりした。同組織は,ABSDFという学生組織が結成される前の中心的な学生組織であり,Eという書記長がいたが,同人は,アメリカで難民認定されている。また,Fという議長もいたが,同人はミャンマーにおいて長期間刑務所で拘束されていた。(エ)

政治活動の中止
同年9月18日,国軍による軍事クー・デタが発生し,軍事政権が誕
生するとともに,戒厳令が敷かれ,集会禁止令や外出禁止令が発せられたため,集会やデモが全くできなくなり,原告も政治活動をやめざるを得なくなった。
同年10月,見知らぬ男が原告の自宅に来て,父親に対し,デモや政治活動をさせないよう原告を監督しなければ,家族がどのような目にあうか分からないなどと警告した。これを機に,原告は,両親の説得を受け入れ,ミャンマー国内において政治活動を続けることを断念した。その後,タイ国境付近で政治活動に身を投じていた原告の従兄弟であるAが,勧告に応じて当局に出頭した後,逮捕されて9年の実刑判決を受けたこともあって,原告の父親から,海外へ行くことを勧められ,原告は,1991年(平成3年)ころ,ヤンゴンにある船員学校へ進学した。
(オ)

来日に至る経緯
原告は,1992年(平成4年)ころに船員学校を卒業した後,韓国
の船会社に就職したものの,賃金不払のため退職した。そこで,原告は,将来におけるアメリカへの渡航に備えるべく,1993年(平成5年)3月から,シンガポールにおいてアルバイトをしながら英語学校に通学し,翌1994年(平成6年)いったんミャンマーに帰国したが,就職先が見付からなかったため,1995年(平成7年),タイのバンコクに行った。しかし,原告は,そこで,アメリカへの渡航をあっせんするというブローカーに所持金を騙し取られ,結局,目的を実現することができなかった。
原告は,翌1996年(平成8年),シンガポールの船会社に就職したが,シンガポールやマレーシアがミャンマーの軍事政権と友好関係にあったため,これらの国内で政治活動をすることができず,ほどなくしてミャンマーに帰国した。そのうち,原告は,BBCのラジオ放送を聞いて,日本で活動しているビルマ人活動家の存在を知り,日本で政治活動をすることを希望するようになり,1997年(平成9年)7月,パスポートの更新手続を済ませて香港の船会社に就職し,シンガポール船籍の本件船舶に乗船して,日本に渡航した。

日本における政治活動の状況
(ア)

LDB名古屋支部に参加するまでの経緯
原告は,来日後の平成10年(1998年)から,解体工場などで働
き,平成12年(2000年)に送金を中止するまでに合計約200万円をミャンマー国内の家族に送金していた。また,原告は,家族への送金とは別に,タイとミャンマーの国境付近で活動しているビルマ人活動家を支援するため,金員を送金したこともあった。
原告は,日本において政治活動に従事することを希望していたが,当初,名古屋にはミャンマーの民主化に関する政治的な組織はなく,政治活動に関する情報も乏しかったため,政治活動に参加することができず,せいぜい毎年開催される水かけ祭りに参加する程度であった。
原告は,平成10年(1998年),Dと知り合い,同人の紹介で,平成11年(1999年)中ころから,在日ビルマ人協会に所属し,名古屋大学で勉強していたBが,平成10年(1998年)ころから継続的に実施していた勉強会(その後民主主義と発展のための勉強会
(SGDD)に発展した。)に参加するようになった。SGDDは,毎月2回開催されており,その参加者の中には,後にLDB名古屋支部において原告と共に活動するG,H,I,Jなどが参加していた。
当時,ミャンマーの民主化を目指す日本国内の組織としては,国民民主連盟・開放地域日本支部(NationalLeagueforDemocracy(LiberatedArea)JapanBranch。以下NLD-LAという。)が存在したが,原告は,政党にとらわれることなく民主化に関わりたいと考え,党員にはならなかった。しかし,NLD-LAの関与している政治活動には,SGDDの仲間とともに参加するようになり,D,H及びGら10名くらいのLDB名古屋支部のメンバーと共に,NLDの総選挙での勝利から10周年を記念して平成12年(2000年)5月27日に東京で実施されたデモに参加したり,同年10月22日にSGDDがNLD-LAの日本支部と合同して名古屋において行ったデモにも参加した。
しかし,このころ,在日ビルマ人協会のトップ2名が,軍事政権の内部から民主化を進めることによってミャンマーの民主化が促進されるとの判断の下,軍事政権に帰順したため,在日ビルマ人組織の結束が弱まってしまった。そこで,これに危機感を持ったBが,東京に活動の場を移し,平成12年(2000年)12月,ミャンマーの軍事政権の打破と政治的理由により身柄拘束を受けている者の開放などを求める団体であるLDBを結成し,同時にLDB名古屋支部も結成され,SGDDのメンバーのほとんどが移行した。
原告は,LDBの会合が行われる日曜日に仕事をしていたこともあって,少し様子を見た上でLDB名古屋支部に加盟するか否かを決めようと考え,結成直後の加盟を見送ったが,翌平成13年(2001年)3月には加盟するに至った。
(イ)

LDB名古屋支部での活動内容
原告が加盟するLDB名古屋支部は,平成13年(2001年)1月
21日,ビルマ人に最も愛されている詩人であり,ベルギーに政治亡命しているティンモーや,反体制派ジャーナリストでオーストラリアに亡命しているマウンシンチェを招いて講演会を開催したが,このとき,原告は,タイトル文字の作成に携わり,講演会にも参加した。また,原告は,水かけ祭りや年次総会交流集会,写真展などに参加したほか,デモ行進にも10回くらい参加した。
LDB名古屋支部は,平成14年(2002年)11月25日,ミャンマー国内において軍事政権の圧政に耐えている国民に対し,自分たちの日本での活動内容を知らせることを主たる目的として,名古屋において開催されたLDB合同総会におけるミャンマーの民主化に関する議論の模様をビデオ撮影して,これをインターネットで世界に配信した。LDB名古屋支部においてこのようなビデオの配信を行うことで,ミャンマー政府に日本における政治活動に従事していることが把握される可能性が高かったため,参加者の中には容貌の撮影を拒否した者もいたが,原告は撮影を承諾したため,このビデオには原告の姿も映っていた。さらに,原告は,平成15年(2003年)6月,名古屋において行われたミャンマーにおける政治犯の即時解放を求めるデモと抗議集会に参加したほか,同年12月,ASEAN会議に出席するため,ミャンマーのキンニョン首相が来日した際,在日ビルマ人活動家(LDB,NLD-LA)によって行われた六本木駅から日比谷公園までのデモ行進に参加した。そのとき,デモ参加者の中には,ミャンマー大使館前やキンニョン首相が宿泊していた帝国ホテルの部屋の中にビデオカメラが設置され,デモ参加者を撮影しているように感じた者がいた。
その他,原告は,LDB名古屋支部のメンバーとして,平成16年(2004年),平成17年(2005年)にも講演会や合同会議,抗議運動などに参加していた。原告が参加したLDB名古屋支部による集会やデモ行進においては,ミャンマーの民主化の象徴であるアウン・サン・スー・チーの肖像画が掲げられた。
原告は,現在,仮放免中であるが,毎月LDB名古屋支部のミーティングに出席し,ミャンマーの民主化運動への賛同と署名を求めるはがきを配布するなどの活動を行っているほか,東京,京都又は大阪などに出向いて,デモ行進や講演会に参加したりしている。

LDB名古屋支部の規模及びメンバーの活動状況
名古屋に滞在しているビルマ人は200人ほどであるが,原告が参加していたLDB名古屋支部には,そのうち24名ほどが参加している。そして,原告がデモに参加した平成12年(2000年)5月ころから熱心に活動していたのは,H,K,G,J,D,L,M,Nの8名であった。
このうち,Dは,平成16年(2004年)のLDB名古屋支部長であるが,ミャンマー本国では政治活動をしたことはなく,1988年(昭和63年)の時点ではタイ王国に滞在していたため,バンコクにて行われたデモに群衆の一人として参加していたにすぎない。
また,H,G,J及びDとは,平成11年(1999年)ころから共に民主化運動をしてきた仲間であり,いずれもLDB名古屋支部の支部長あるいは執行部経験者であった。これらの者は,1988年(昭和63年)のミャンマーにおける民主化運動に参加した以外は,本国での政治活動歴はなく,その政治活動の舞台は,日本が主であった。
D,H夫妻,G,Jの5名は,平成14年(2002年)6月,難民認定申請をしたが,翌平成15年(2003年)に全員不認定処分を受けた。上記5名はこれを不服とし,異議の申立てをしたところ,H,G,D,Kの4名は,平成17年(2005年)3月25日に難民認定され,Jも,その後,在留特別許可を得た。

ミャンマーにおける家族らの状況
原告は,我が国に入国して間がない平成10年(1998年)ころには,稼働して得た収入をミャンマー国内で生活している母親ら家族に送金しており,その合計額は200万円程度に達しているが,その後は生活上の必要もあって,現在では送金していないし,電話連絡なども取っていないが,少なくとも知る限りにおいては,原告が抗議行動に参加した1988年(昭和63年)以降,家族が軍事政権から具体的な迫害行為を受けたことはない。
なお,原告は,名古屋入管に拘束されている間,ミャンマーに帰国した友人を通じて原告の状況を知った母親からの手紙を受け取ったが,同書面には,原告が帰国すると嫌がらせなどを受ける可能性があるから帰国すべきではないとの内容が記されていた。

(5)

原告の難民該当性の有無
上記(3),(4)で認定した各事実に基づいて原告の難民該当性の有無につい
て判断する。

ミャンマー国内における政治活動について
(ア)

上記認定事実によれば,原告は,第2ティン・ガン・ジョン高校在
学中から民主化運動に関心を抱いて,集会に参加するなどした上,第1サウス・オカラッパー高校に転入後の1988年(昭和63年)6月以降も,抗議デモや講演会への参加,ビラ配布,学生団体であるABFSUへの参加など,民主化運動に関与してきたと認められるが,原告が関与したこれらの活動は,当時のミャンマーの学生のうちかなりの者が同様の経験を有していたものであり,抗議デモ等についても全国規模で極めて多数の者が参加して行われたものであって,原告が抗議行動に参加した一学生以上の役割を果たしており,軍事政権によって監視対象とされていたと認めることは困難である。
(イ)

この点について,原告は,高校生であった1988年(昭和63

年)に積極的に民主化活動を行ったため,当局から目を付けられたおそれがあり,実際にも,軍の情報部員(MI)が父親に対して原告の政治活動について警告をした旨主張するところ,証拠(甲5,原告本人)中には,①原告がミャンマーの学生組織等において中心的,指導的役割を果たしてきたこと,②MIが,同年10月ころ,原告方を訪れて父親に対し,原告の政治活動について警告をしたことなど,上記主張に沿う部分がある(これに対し,被告法務大臣は,原告が民主化活動において中心的役割を果たしたことや,従兄弟であるAが逮捕され,服役したことなどは,信用できない旨主張する。)。
しかしながら,難民認定手続等における原告の供述(乙9ないし12,14の2ないし4,15ないし17)には,原告自身がかかる組織の指導的地位にあったとか,抗議行動に重要な役割を果たしていたことをうかがわせる記載は存在しない(常識的にも,大学生らが主体の抗議行動等において,その者によほどの活動歴がない限り,高校生が指導的地位に就くことは考え難い。)上,上記認定事実のとおり,原告が軍事政権によって身柄拘束などの具体的迫害を受けたことはなく,逆に問題なくパスポートの発給や更新を受けられたことなどを総合すると,原告は,ミャンマー国内において,さして目立つ反政府活動を展開したわけではなく,基本的には軍事政権に反感を抱き,全国規模で展開された抗議行動に参加した極めて多数の群衆の一人にすぎず,特に軍事政権側によって監視対象とされていたわけではないと認定するのが相当である。したがって,原告の父親に警告した人物についても,原告の主張するような情報機関の一員であったと認めることは困難であり,仮に同人が軍事政権の関係者であったとしても,その警告内容は,民主化運動への参加を一般的にけん制するものにすぎなかったというべきである。また,従兄弟であるAの逮捕・服役の事実に関しては,本件申請の際に原告によって作成された申立書(乙14の4)中に,その旨記載されているほか,Aの身上関係等に関する書証(甲9の1ないし3)によって,原告との親族関係や服役関係などの外形的事実が裏付けられているというべきであるから,本訴提起後に原告が誇張して作り上げたものとは考え難いが,そうであっても,同人の活動歴が原告に対する迫害のおそれに影響を与えていることをうかがわせる証拠は存在しない。
(ウ)

そして,原告の上記政治活動歴は,軍事政権による戒厳令布告など
の規制もあって,1年にも満たない短いものに終わり,その後,原告自身はもとよりその家族にも,原告の上記政治活動を理由とした迫害や嫌がらせが加えられたことはなかった以上,本国における政治活動を理由に原告が迫害を受ける客観的なおそれがあると認めることは困難である。イ
日本における政治活動について
(ア)

上記認定事実によれば,原告が我が国に入国した平成9年(199
7年)9月以降しばらくの間は,特段政治的な活動に関与したことはなかったが,平成10年(1998年)ころから,ミャンマーの民主化を目指す勉強会のSGDDに参加するようになり,やがて,これを通じて知り合った仲間と共にミャンマーの民主化を求めるデモ行進に参加するようになり,さらに平成13年(2001年)以降は,SGDDを母体として結成されたLDB名古屋支部に所属して,継続的にミャンマーの軍事政権に反対するデモや集会に参加してきたことが認められる。(イ)

そこで,原告の日本における上記政治活動がミャンマーの軍事政権
によって把握されているか,あるいは帰国後,容易に把握される可能性があるかについて検討するに,原告は,①平成14年(2002年)に開催された会議をインターネットで配信した際の映像に原告が映っていること,②平成15年(2003年)12月に来日したミャンマー首相への抗議デモの際,軍事政権側がデモ参加者をビデオ撮影していたこと,③軍事政権側のスパイの可能性が高い人物が,LDB名古屋支部の活動状況を撮影していたことなどを理由に,原告が民主化運動の活動家として把握されている可能性が高いと主張するのに対し,被告法務大臣は,①原告の活動内容は一構成員の事務的なものにすぎないこと,②日本国内での政治活動はミャンマー政府にとって脅威となり得るものではないから,このような活動に注目しているとは考え難いこと,③抗議デモの際のビデオ撮影やスパイによる情報収集については,供述経過が不自然であって,裏付け証拠がなく,インターネットでの配信も,これによって原告の氏名等を把握することは困難であることなどを理由に,原告の迫害を基礎付けるには足りない旨主張する。
なるほど,軍事政権側の者によって抗議デモが撮影されていたことや,LDB名古屋支部の活動状況を撮影した人物が軍事政権のスパイであったことなどについては,これに沿う証拠(甲10,16,証人D,原告本人)もあるものの,被告法務大臣の主張するとおり,難民認定手続等の段階における原告の供述には表れておらず,これを裏付ける客観的な証拠があるとはいえない。
しかしながら,一般に,外国に滞在する反政府活動家に対する政府側の動向調査は,その性質上,秘密裏に行われるのが通例であり(調査の態様いかんによっては,外国に対する主権侵害となり得る。),これを明確な客観的資料をもって立証することは困難であるといわざるを得ないから,原告がこのような証拠を提出できないからといって,直ちに政府側によって把握されていないと断定すべきものではなく,当該政権を取り巻く内外の状況に照らし,かかる調査が実施されている高度の蓋然性の存在が推認される場合には,当該政権による把握の事実を肯認すべきところ,上記認定事実のとおり,ミャンマーは,外資不足が顕著になっている中で,アメリカやEU諸国から,非民主的であることを理由とする経済制裁の対象とされているばかりか,国際機関であるILOからも,民間人の強制労働禁止に関するILO規約違反の疑いを掛けられるなど,国際的に孤立した状況にあるが,このような状況をもたらした一要因として,アメリカや我が国における民主化運動の展開が挙げられることを考慮すれば,ミャンマーの軍事政権が我が国における民主化運動に深い関心を抱き,その動向に神経質になっていることは容易に推測することができる(ちなみに,軍事政権によるアウン・サン・スー・チーの軟禁措置も,国内の民主化勢力との連携を絶つとともに,国外からの接触を妨害することに主目的があると推測されているし,昨今伝えられるヤンゴンから内陸部への首都移転も,外国メディアとの情報遮断が主目的の一つといわれている。)。
これに加えて,上記認定事実のとおり,①ミャンマー政府は,国内唯一のインターネットサーバーを管理していること,②ミャンマー国内においては,DSIBなどによって国民に関する情報収集が広範囲に行われており,また,支配下にあるマスメディアを利用した情報統制も盛んであること,③名古屋に滞在しているビルマ人は総勢約200名であり,そのうちLDB名古屋支部のメンバーは約24名であって,原告はLDB名古屋支部発足後間もない時期である平成13年(2001年)から同支部に所属しているところ,在日ビルマ人の全員が民主化運動に賛同しているわけではなく,軍事政権側に情報提供する者の存在を否定できないこと,以上のような諸事情を総合すれば,ミャンマーの軍事政権は,仮に現時点で反政府活動家としての原告を特定,把握していないとしても,政治制度の異なる外国に滞在していたビルマ人が帰国した場合,とりわけアメリカや我が国のように民主主義を基本的国是とし,ビルマ人による民主化運動の盛んな国から帰国した場合,当該人物がかかる運動の活動歴を有していたか,有しているとしてどの程度のものであったかなどを詳細に調査する可能性が高いといわざるを得ず,その結果,原告が,少なくとも数年にわたって反軍事政権を標榜する名古屋の組織に加わり,民主化運動に参加していた事実を把握する高度の蓋然性があると推認するのが相当である。

小括
そして,上記民主化運動の内容が,ミャンマーの軍事政権による抑圧の対象とされており,民主化の象徴的存在でもあるアウン・サン・スー・チーの肖像画を掲げるなどして,ミャンマーの軍事政権を打倒し,同国の民主化を要求するものであり,日本国民に対して自分たちの活動への理解と協力を求めることを企図してなされている以上,かかる運動に取り組んでいる原告が,国際的な孤立化が進む軍事政権側によって個別的に把握された場合には,同人が上記組織の指導的立場になかったからといって,寛容な対応を受けると期待できる根拠は全くなく,むしろ,その実効的支配の及ぶ範囲内においては,日本における政治活動を理由に,不当な身柄拘束や拷問などを加えられるおそれがあるといわざるを得ない(LDB名古屋支部における原告以外の活動家5名が難民認定ないし在留特別許可を受けている事実は,上記おそれが主観的な危惧にとどまるものでないことを裏付けるというべきである。)。
したがって,原告については,ミャンマー国内における政治活動だけでは足りないものの,我が国におけるそれによって,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると認められる客観的事情の存在を肯認するのが相当である。
(6)

本件裁決の無効性
入管難民法上,難民認定手続と退去強制手続とは別個の手続であり,難民認定申請をしていること又は難民認定を受けているからといって,法務大臣が在留特別許可を付与しなければならないものでないことは,被告法務大臣の主張するとおりである。
しかしながら,難民条約は,難民の保護を目的としており,被申請国において難民認定を受けられない場合であっても,申請者を迫害の当事国に送還しないようノン・ルフルマン原則を定めているのであって,迫害を受ける客観的なおそれが存在するにもかかわらず,難民性の判断に誤認があり,当該当事国に送還されることがあれば,確実に難民の生命・身体に危害が加えられる結果を招くことが予想され,かつ,その結果は回復できない重大なものとなる可能性が高いところ,前記のとおり,難民該当性は,在留特別許可の付与の検討に当たって考慮すべき必須の要素というべきであるから,申請者の国籍国における政治状況を前提に,退去強制手続において収集された各種資料のみによっても,申請者が国籍国において迫害を受ける客観的なおそれがあると認められるにもかかわらず,漫然と異議の申出は理由がない旨の裁決をした場合には,重大かつ明白な違法が存するといわざるを得ない。


これを本件についてみるに,上記認定・判断のとおり,原告は難民条約等上の難民に当たるというべきところ,本件発付処分において送還先がミャンマーとされているとおり,本件裁決に当たって原告の難民該当性について十分に検討された形跡を全くうかがうことができない。のみならず,被告法務大臣は,原告が,難民認定手続等において,我が国における民主化運動への参加状況を相当程度詳しく供述している(乙9,12,15,16)にもかかわらず,難民該当性の基礎となるべき政治活動等は,事務的なものでは足りず,主体的であることを要するとの前提に立って(ここでいう事務的とか主体的の意味内容は必ずしも明確でないが,全
体を通じてみれば,指導的な役割を果たしたことが必要との見解に立っていると解される。),原告の難民性を否定しているが,少なくとも,ミャンマーにおける状況を前提とすれば,難民性の認定において,かかる要件を設定することが相当でないことは前記のとおりである。
そうすると,本件裁決は,在留特別許可に際しての被告法務大臣の広範な裁量権を前提としても,明らかにそれを著しく逸脱ないし濫用するものというほかなく,本件裁決は,重大かつ明白な違法性があって無効というべきである。
4
争点(3)(本件発付処分が違法か否か)について
法49条5項は,法務大臣から異議の申出に理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた主任審査官は,速やかに当該容疑者に対する退去強制令書を発付しなければならないと定めており,主任審査官がその発付の可否について何らかの判断権を有することをうかがわせる規定は存在しない。
そうすると,退去強制令書の発付処分は,被告法務大臣による裁決にその根拠を置くものであり,これと相結合して退去強制という同一の目的,効果を達成する一連の行為を構成しているというべきであるから,その適法性についても,全面的に裁決のそれに依拠しているところ,上記のように,本件裁決には重大かつ明白な違法があると認められ,無効というべきである以上,本件発付処分も,その前提要件を欠くものとして違法であることが明らかというべきである。

5
結論
以上の次第で,原告の本訴請求のうち,被告法務大臣に対して本件裁決の無効確認と被告主任審査官に対して本件発付処分の取消しとを求める部分はいずれも理由があるから認容し,被告法務大臣に対して本件不認定処分の無効確認を求める部分は理由がないから棄却し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,64条本文を適用して(本件は,被告法務大臣に対しては一部勝訴,被告主任審査官に対しては全部勝訴の結論であるが,行訴法35条により,いずれも国に対して効力を有することが明らかであるので,各被告ごとの負担割合を示すことは省略する。),主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第9部

裁判長裁判官

加藤幸雄
裁判官

舟橋恭子
裁判官

片山博

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